深草館跡 (2014年7月31日)(山梨県北杜市)
7月31日 公休日
前日から山梨県の北杜市に来ています。
この日も山梨県北杜市の城址巡りをしていました。
北杜市城址巡り第5弾。
深草館跡
深草館跡は
長坂町大八田の南新居集落の北側にある中世の館跡です。
北、東、南の三方を掘り切って台地から切り放し、
西側は西衣川を堀として利用していて、
堀の内側には高さ1~2メートルの土塁が巡っています。
大きさは東西約50メートル・南北約130メートルで、
現在は南北二つの郭ですが、かつては南郭をさらに分ける土塁がありました。
この館跡は谷戸城に対する居館とも逸見清光の嫡男光長の居館とも伝えられています。
『甲斐国志』には、戦国末期の人物である堀内下総守の居館でしたが
その子主税助のとき疲弊したとあります。
館の外郭部にあたる北東側台地では発掘調査が行われ、
15世紀から17世紀にかけての遺構・遺物が発見されました。
深草館跡は遺構の保存状態が良く、中世の館の姿を今日に伝えています。
また、周辺には国史跡谷戸城跡や
大量の古銭が出土した小和田遺跡といった中世の遺跡が数多くあり、
中世史研究の上でも重要な史跡です。
(北杜市HP より引用)
こちらが深草館の縄張り図

( 余胡くんのホームページ よりお借りいたしました )
三方を堀り切られ、西衣川を天然の堀として要害性の高い深草館。
西衣川に架かる丸太橋を渡って城内(館内)に入ります。
、


丸太橋を渡れば、ちょっとした上り。
振り返ってみるとこんな感じ。

そしていきなりの虎口。

そして、虎口の先は土塁にぐるっと囲まれた郭となります。
この郭を主郭とする説とこの奥にある郭を主郭とする説と
諸説はありますが、広さで言ったらこちらの郭の方は狭い。
となれば、こちらが主郭か?
丸太橋を渡った虎口が大手口とするならば
こちらの郭は二郭に当たることになる..............
正直、わかりません。
便宜上、こちらの郭を北郭と呼びましょう。

北郭をぐるっと取り巻く土塁。



こちらの郭を北郭と呼んだからには、奥の郭は南郭。
北郭から見る南郭の虎口。

南郭は北郭よりも広い。
そして、北郭同様に周囲を土塁が取り巻いています。




南郭の びいすけ 。
びいすけ の背後が北郭の虎口。

虎口のズームアップ。

さらに南郭の奥へと進めば土塁。

土塁の奥は堀り切り。
単なる空堀かと思いましたが、水の流れる音がする。
こちらも天然の川を堀としているのかもしれない。



深草館跡から見る谷戸城址。
確かに近い距離にあります。

谷戸城に対する居館とも伝えられている所以は、この距離にもあるのでしょう。
単なる館跡だと思っていた深草館跡。
しかし、四方を土塁で囲まれた、しっかりとした2つの郭を有し
ヘタな城郭よりも要害性に富み、戦国時代から数百年経った今でも
その遺構をはっきりと残す城郭であり、
いいものを見せてもらったと思わずにはいられません......................
前日から山梨県の北杜市に来ています。
この日も山梨県北杜市の城址巡りをしていました。
北杜市城址巡り第5弾。
深草館跡
深草館跡は
長坂町大八田の南新居集落の北側にある中世の館跡です。
北、東、南の三方を掘り切って台地から切り放し、
西側は西衣川を堀として利用していて、
堀の内側には高さ1~2メートルの土塁が巡っています。
大きさは東西約50メートル・南北約130メートルで、
現在は南北二つの郭ですが、かつては南郭をさらに分ける土塁がありました。
この館跡は谷戸城に対する居館とも逸見清光の嫡男光長の居館とも伝えられています。
『甲斐国志』には、戦国末期の人物である堀内下総守の居館でしたが
その子主税助のとき疲弊したとあります。
館の外郭部にあたる北東側台地では発掘調査が行われ、
15世紀から17世紀にかけての遺構・遺物が発見されました。
深草館跡は遺構の保存状態が良く、中世の館の姿を今日に伝えています。
また、周辺には国史跡谷戸城跡や
大量の古銭が出土した小和田遺跡といった中世の遺跡が数多くあり、
中世史研究の上でも重要な史跡です。
(北杜市HP より引用)
こちらが深草館の縄張り図

( 余胡くんのホームページ よりお借りいたしました )
三方を堀り切られ、西衣川を天然の堀として要害性の高い深草館。
西衣川に架かる丸太橋を渡って城内(館内)に入ります。
、


丸太橋を渡れば、ちょっとした上り。
振り返ってみるとこんな感じ。

そしていきなりの虎口。

そして、虎口の先は土塁にぐるっと囲まれた郭となります。
この郭を主郭とする説とこの奥にある郭を主郭とする説と
諸説はありますが、広さで言ったらこちらの郭の方は狭い。
となれば、こちらが主郭か?
丸太橋を渡った虎口が大手口とするならば
こちらの郭は二郭に当たることになる..............
正直、わかりません。
便宜上、こちらの郭を北郭と呼びましょう。

北郭をぐるっと取り巻く土塁。



こちらの郭を北郭と呼んだからには、奥の郭は南郭。
北郭から見る南郭の虎口。

南郭は北郭よりも広い。
そして、北郭同様に周囲を土塁が取り巻いています。




南郭の びいすけ 。
びいすけ の背後が北郭の虎口。

虎口のズームアップ。

さらに南郭の奥へと進めば土塁。

土塁の奥は堀り切り。
単なる空堀かと思いましたが、水の流れる音がする。
こちらも天然の川を堀としているのかもしれない。



深草館跡から見る谷戸城址。
確かに近い距離にあります。

谷戸城に対する居館とも伝えられている所以は、この距離にもあるのでしょう。
単なる館跡だと思っていた深草館跡。
しかし、四方を土塁で囲まれた、しっかりとした2つの郭を有し
ヘタな城郭よりも要害性に富み、戦国時代から数百年経った今でも
その遺構をはっきりと残す城郭であり、
いいものを見せてもらったと思わずにはいられません......................
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2014/09/03 Wed. 16:00 |
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金生遺跡 (2014年7月31日)(山梨県北杜市)
7月31日 公休日
この日は、前日より山梨県北杜市に出掛けていました。
谷戸城址をあとにして、深草館跡へ向かう途中、
ナビに史跡らしい表示が出た。
『金生遺跡? 何それ?』
思わず、独り言。
どうやら、深草館跡に行くには、金生遺跡の前を通るようだ。
ならば、立ち寄るしかないなぁ..............
と、立ち寄ったのが
金生遺跡
金生遺跡(きんせい いせき)は、
山梨県北杜市大泉町谷戸寺金生(旧北巨摩郡大泉村)に所在する遺跡。
国指定の史跡である。
縄文時代の集落跡や祭祀施設と、中世の城館跡や集落跡が複合した遺跡。
県北西部に位置し、八ヶ岳南麓の尾根上に立地する。
標高は760-80メートル付近。
旧大泉村域の最南部に位置し、縄文遺跡が集中する北側をA地区、
中世の遺跡が集中する南側をB地区として区分されている。
A地区の縄文遺跡では、住居址群と配石遺構や石組など埋葬施設や
祭祀施設が複合した遺跡であることが特色とする。
八ヶ岳山麓は縄文時代の遺跡が濃密に分布する地域で、
富士山や奥秩父連山をはじめ、後世に信仰の対象となった山々を望むことができる立地にあり、
旧大泉村域でも縄文前期後半の天神遺跡をはじめ大規模な集落遺跡が見られ、
祭祀的遺構も多い。
金生遺跡は気候が寒冷化し遺跡数も減る縄文後晩期の遺跡で、
山梨県内でも同時期には集落跡と祭祀施設が複合した遺跡が出現している。
(Wikipedia より引用)
こちらが、金生遺跡。
さすがに国指定の史跡。
看板からして立派です(笑)。


案内板によれば、縄文時代の復元住居が有るらしい。

こちらが、その復元住居。

何気に近寄ってみます。

恐る恐る近寄って中を覗く びいすけ 。

父:『何かあったかい?』
び:「何もないよぉ」
言葉にはしませんが、目でそんな会話をします。
見事なアイコンタクト(冗談です)(笑)。

いきなり、 びいすけ がゴロ〜ん。
芝生(?)が気持ち良いのか?

それともミミズでも居るのか?
まさか、縄文時代のミミズ?(そんな馬鹿な?)(笑)

復元住居は3棟。

こんな感じで並んでいます。

金生遺跡そのものは、もっと広いのだろうが
整備されて保存されているのは、この辺りのみ。
周辺は一面の田圃で、むしろ田圃の中にポツンと公園がある。
まさに、そんな感じです。

まるで公園のような遺跡に入る時には気付かなかったけれど、
入口には門(?)を意図しているのか?
一対の石のオブジェが有りました。


何と無く見たようなことがあるような形。
よぉ〜く考えて思い出した。
手塚治虫の漫画『火の鳥』で、こんな形の石って出て来なかったっけ?
そんな事を思いながら、深草館跡を目指すのでした.....................。
この日は、前日より山梨県北杜市に出掛けていました。
谷戸城址をあとにして、深草館跡へ向かう途中、
ナビに史跡らしい表示が出た。
『金生遺跡? 何それ?』
思わず、独り言。
どうやら、深草館跡に行くには、金生遺跡の前を通るようだ。
ならば、立ち寄るしかないなぁ..............
と、立ち寄ったのが
金生遺跡
金生遺跡(きんせい いせき)は、
山梨県北杜市大泉町谷戸寺金生(旧北巨摩郡大泉村)に所在する遺跡。
国指定の史跡である。
縄文時代の集落跡や祭祀施設と、中世の城館跡や集落跡が複合した遺跡。
県北西部に位置し、八ヶ岳南麓の尾根上に立地する。
標高は760-80メートル付近。
旧大泉村域の最南部に位置し、縄文遺跡が集中する北側をA地区、
中世の遺跡が集中する南側をB地区として区分されている。
A地区の縄文遺跡では、住居址群と配石遺構や石組など埋葬施設や
祭祀施設が複合した遺跡であることが特色とする。
八ヶ岳山麓は縄文時代の遺跡が濃密に分布する地域で、
富士山や奥秩父連山をはじめ、後世に信仰の対象となった山々を望むことができる立地にあり、
旧大泉村域でも縄文前期後半の天神遺跡をはじめ大規模な集落遺跡が見られ、
祭祀的遺構も多い。
金生遺跡は気候が寒冷化し遺跡数も減る縄文後晩期の遺跡で、
山梨県内でも同時期には集落跡と祭祀施設が複合した遺跡が出現している。
(Wikipedia より引用)
こちらが、金生遺跡。
さすがに国指定の史跡。
看板からして立派です(笑)。


案内板によれば、縄文時代の復元住居が有るらしい。

こちらが、その復元住居。

何気に近寄ってみます。

恐る恐る近寄って中を覗く びいすけ 。

父:『何かあったかい?』
び:「何もないよぉ」
言葉にはしませんが、目でそんな会話をします。
見事なアイコンタクト(冗談です)(笑)。

いきなり、 びいすけ がゴロ〜ん。
芝生(?)が気持ち良いのか?

それともミミズでも居るのか?
まさか、縄文時代のミミズ?(そんな馬鹿な?)(笑)

復元住居は3棟。

こんな感じで並んでいます。

金生遺跡そのものは、もっと広いのだろうが
整備されて保存されているのは、この辺りのみ。
周辺は一面の田圃で、むしろ田圃の中にポツンと公園がある。
まさに、そんな感じです。

まるで公園のような遺跡に入る時には気付かなかったけれど、
入口には門(?)を意図しているのか?
一対の石のオブジェが有りました。


何と無く見たようなことがあるような形。
よぉ〜く考えて思い出した。
手塚治虫の漫画『火の鳥』で、こんな形の石って出て来なかったっけ?
そんな事を思いながら、深草館跡を目指すのでした.....................。
2014/09/03 Wed. 00:00 |
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