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び・び・びのびいすけ

本日のお泊り@マッキントッシユ (2014年7月30日〜31日)(山梨県北杜市) 

7月30日 公休日

7月30日~31日の1泊旅行
今回お世話になったのは、清里高原にある

          マッキントッシュ


      20140730~31 マッキン11


      20140730~31 マッキン12


      20140730~31 マッキン29



実は、この日に千葉のビーグル友達が泊まりに来ると聞いていたので
こっそり予約。

突然、顔を出して驚かしてしまおう!! と密かに計画をしていました。
チェックイン時間の15:00からわざと1時間ずらしてマッキンに到着。

今回のお部屋は202号室。


      20140730~31 マッキン06



室内はこんな感じ。


      20140730~31 マッキン01



こら!こら!!
ベットに乗っちゃ、いけません!!(笑)


      20140730~31 マッキン02


朝4:00からの移動だから、びいすけ も疲れたのかな?

丸ポストに城址巡りに廃校巡り
今日もいっぱい歩き回ったから疲れたんでしょう.......


      20140730~31 マッキン03



いっぱい汗をかいたから、シャワーを浴びて、ひと時の涼を求めます。


      20140730~31 マッキン04


う、う、うまい!!


調子に乗って夕食前に缶ビール3本開けちゃって酔っぱ状態(笑)


      20140730~31 マッキン05



一息着いたところで、マッキンのドッグラン(2階)から駐車場を眺めながら、 
千葉の友人の到着を待ちます。
    

      20140730~31 マッキン08



少し酔っぱな状態で、人工芝の匂いを確認する びいすけ を眺めています。


      20140730~31 マッキン09


      20140730~31 マッキン18


      20140730~31 マッキン19




須玉町辺りより高度が高いため、湿度か低くて
西陽が当たっても、さほど不快感はない。

さすが、清里高原。


      20140730~31 マッキン10



なかなか友人が到着しないので、駐車場にて待機。


      20140730~31 マッキン13



マッキンビーグルの大歓迎?

吠えられまくる びいすけ でした。


      20140730~31 マッキン14




到着がちょっと遅いので、どっかで寄り道しているのか?
はたまた大渋滞に巻き込まれているのか?

メールをしたら、職場の同僚の身内に不幸があって
急遽、予定をキャンセルしたらしい。

う〜む、残念。
久しく会って居なかったから、会いたかったなぁ。



部屋に戻って、夕食の時間まで、しばし休息。

さすがの びいすけ もおネムちゃんです。


      20140730~31 マッキン15


      20140730~31 マッキン16






時刻は18時。
いつの間にか、うたた寝をしちゃったので内線電話で
『食事の時間ですよ〜』とオーナーに起こされます(笑)。



お待ちかねの晩御飯。

今日は旧・須玉町界隈を走り回っていたので
コンビニおにぎりと言うお昼。

さすがに腹ペコです。


まずは、前菜。


      20140730~31 マッキン20



続いてスープ。


      20140730~31 マッキン21



シーフードのグラタン(?)。


      20140730~31 マッキン22


ブロッコリーは、 びいすけ のおなかに入りました。


      20140730~31 マッキン23



そして、メインディッシュの肉料理。

やはり、豚肉は びいすけ のもとへ..............


      20140730~31 マッキン24



そして、サラダ。


      20140730~31 マッキン25



デザート。


      20140730~31 マッキン26



そして、食後の珈琲。


      20140730~31 マッキン27


ボリュームもあって、満足した夕食でした。


食後は、恒例(?)のマッキンビーグルのご紹介。

今回は3組の宿泊で、内1組は夕食無しの外出中で
マッキンビーグルとの御対面も簡単に済んじゃいました。

会いたかったピノくんの息子にも会えました。
(名前聞いたけど、少し酔っぱで忘れちゃいました。)(笑)


      20140730~31 マッキン28





昼間の疲れも有ってか?
この日は22時前にバタンキュー。

気が付いたら、朝の4時でした。


5時過ぎに、そぉ〜と玄関を出て、朝の散歩。
びいすけ の朝のお務めを済ませます。

それから二度寝。
8時に再び、『朝食ですよぉ〜』の内線電話で起こしてもらい、
朝ごはんも力いっぱい食べます(笑)。


      20140730~31 マッキン30

ピザトーストが美味しかったなぁ。
お代わりしたいぐらい(笑)。


デザートも抜群の美味しさ。
当然、完食です。


      20140730~31 マッキン32


こちらは、おこぼれに預かろうとテーブルの下から
見つめている びいすけ 。

ゴメンね。 びいすけ にあげられるモノはありません。


      20140730~31 マッキン31

と、言いながらもパンのミミを与えるダメ飼い主(笑)。




早くチエックアウトしようと、9時半にフロントに顔を出したら
他の2組は既にチエックアウト済み。


急いでチエックアウト。


お世話になりました〜!!


出発前にマッキン前で、パチリ☆


      20140730~31 マッキン17



さぁ、1泊2日の北杜市の旅行、2日目の始まりです。

今日もお城に廃校、そして丸ポスト。
頑張って巡っちゃいましょう!!



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2014/08/31 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

古宮城址 (2014年7月30日)(山梨県北杜市) 

7月30日 公休日

この日は山梨県北杜市の城址巡りもしていました。

獅子吼城址に続き、北杜市城址巡り第3弾。

           古宮城址


津金小学校の敷地裏。
ちょうど明治校舎と大正校舎の間を歩いていくと諏訪神社があります
この諏訪神社がかつての古宮城にあたります。


古宮城は

源清光がここに館を築き、旧・大泉村の谷戸城に居館を移すまで
津金に居たと伝えられたことから「御所」の地名が付けられたといわれています。
清光の移住後に「古御屋(ふるみや)」と呼ばれるようになったとの説があります。
この古宮の地には武田信虎も居城したといわれ、
また、武田氏に仕えた津金衆の居館だとの説もあり、この説が有力視されているようです。

源平合戦の50年以上前の時代に平安時代の武将である源清光は
当初、常陸国(茨城県)を本拠としていたが、
朝廷より大治5年(1130年)、甲斐市河荘に流罪となったため
八ヶ岳南麓に土着し、子孫らが甲斐国各地を勢力基盤とし、
逸見氏・武田氏・加賀美氏・安田氏・浅利氏といった甲斐源氏の各有力支族の祖となったとされています





こちらが、諏訪神社。
すなわち、古宮城址であります。

神社という割には鳥居が見つかりません。


      20140730 古宮城址01



こちらが城址碑


      20140730 古宮城址02


      20140730 古宮城址03


城址碑の裏面には、古宮城の説明が記されていますが
読みづらい。


      20140730 古宮城址12

かなり年季の入った城址碑かと思いきや
意外に意外、平成4年の建立でした。
諏訪神社の氏子さんたちが建てられたもののようです。





こちらが、諏訪神社の拝殿。


      20140730 古宮城址11


そして、こちらが舞台。

江草に鎮座している根古屋神社にも有ったけれど、
この地方のそれなりの神社には舞台があるようです。


      20140730 古宮城址05



拝殿(本殿)背後から、津金小学校大正校舎に向けて空堀が広がります。


      20140730 古宮城址06



この空堀が古宮城址の唯一と言っても良い遺構。


      20140730 古宮城址07


拝殿背後からの空堀は、それなりの姿を留めてています。
諏訪神社の氏子さんたちが、きちんと管理しているようです。


      20140730 古宮城址08


大正校舎近くは雑草も生い茂り、管理区分の差がでるようです。

本当は、この空堀が大正校舎の床下まで続いているらしい。


      20140730 古宮城址04




こちらが、諏訪神社の境内。


      20140730 古宮城址09



拝殿脇の石像と祠。


      20140730 古宮城址10



諏訪神社そのものは、そんなに大きくないし、広くはない。
古宮城の廃城後、諏訪神社が祀られたと言うことから
津金小学校の明治校舎や大正校舎も古宮城跡に建てられたのかも知れない。

ひょっとしたら、津金小学校の敷地一体が、かつての古宮城だったのかも知れない。

数百年経った今では、それを知る人は居ない。
時代の流れの中で、そして歴史の流れの中で、
津金の地はかくも変貌していったのかも知れない..............。





2014/08/30 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.....................津金小学校                              (2014年7月30日)(山梨県北杜市) 

7月30日 公休日

この日は山梨県北杜市廃校巡りをしました。

山梨県北杜市廃校巡り。
その第9弾となります。


比志小学校をあとにして、色々と情報を整理し
新たな情報を得るために北杜市の市街地へ向かいます。
北杜市役所の教育委員会で色々教えてもらい、新たな情報を元に
向かった先は..............

北杜市廃校巡りの第9弾

          旧・須玉町立 津金小学校


こちらは、北杜市廃校の中でもメジャーな場所。
『おいしい学校』と『明治・大正・昭和の三代校舎の学校』と
北杜市も観光に力を入れている場所でもあります。



津金小学校は

明治6年      津金村に津金学校創設。
明治8年      藤村様式の校舎完成(明治校舎)。
明治20年     津金尋常小学校と改称。
大正元年     津金高等小学校と改称。
大正4年      高等小学校を廃止し津金尋常高等小学校と改称。
大正13年     校舎増築。大正校舎完成。
昭和22年     津金村立津金小学校と改称。
           (同敷地内に津金町立津金中学校を設置)
昭和28年     津金中学校校舎完成(昭和校舎)
昭和30年     津金村が 若神子村・穂足村・多麻村と合併して須玉町が発足。
           須玉町立津金小学校と改称。
昭和43年     津金中学校が統合され廃校となる。
昭和60年     須玉町内の6小学校が統合され須玉小学校が発足。
           江草小学校、津金小学校、岩下小学校、穂足小学校、
           多麻小学校、若神子小学校の6校は廃校となる。
           (須玉小学校は若神子小学校跡に新設された)



こちらが、津金小学校正門。


      20140730 津金小学校02



正門脇には、旧・津金学校跡の説明看板

明治時代の津金学校の校舎(明治校舎)が観光の名所となっているようです。


      20140730 津金小学校03



そして、おいしい学校の看板。


      20140730 津金小学校04

昭和校舎をレストランとして開放しているようです。


校門をくぐって校内をぐるっと散策します。


校庭を校舎を眺めながらゆっくり歩いて行きます。



こちらが昭和校舎。

      20140730 津金小学校05


      20140730 津金小学校07



そしてこちらが大正校舎。


      20140730 津金小学校06



そして、こちらが明治校舎。

やっぱり、明治校舎が一番の華になっているようです。


、      20140730 津金小学校08



校舎に近寄ってみましょう。


      20140730 津金小学校09



昭和63年に「一度解体されましたが
その後、平成2年に復元完成し、平成3年からは須玉歴史資料館として活用されています。
旧・須玉町の歴史文化財と、明治から昭和にかけての学校関係資料を展示され、
1階には『明治カフェ』があり、お茶も飲めるようです。

残念ながら、この日は休館日の水曜日。
まぁ、びいすけ連れじゃ、中には入れませんけどね.......


      20140730 津金小学校16


      20140730 津金小学校10


      20140730 津金小学校11


      20140730 津金小学校12


明治8年に建てられた洋風な校舎。
当時の山梨県知事の藤村紫朗が県内の小学校の建築に取り入れたため
この建築様式を藤村式と言うらしい。

そう言えば、以前訪れた都留市の尾県学校もこんな雰囲気だったような気がします。







こちらが大正校舎


      20140730 津金小学校13



その玄関。


      20140730 津金小学校14



現在は、須玉町津金公民館となっているようです。


      20140730 津金小学校15



不思議なことに玄関が2つある。


こちら側の玄関には、
三代校舎ふれあいの里 大正校舎 と看板が掲げられています。


      20140730 津金小学校17





こちらが、昭和校舎。


      20140730 津金小学校18


そして、その玄関。


      20140730 津金小学校19



庇にはおいしい学校の看板。


      20140730 津金小学校20




テラス席もあるから、交渉すればテラス席の利用は可能かも?
そう言えば、まともなお昼を食べてないから、小腹もすいた........

しかし、残念
おいしい学校も定休日は水曜日でした。


      20140730 津金小学校21




昭和校舎の前の校庭は、おいしい学校のための駐車場
今日は定休日だから駐車している車は少ないし
訪れている人も少ない。

これが駐車場が満車、校庭に車が溢れていたら
ちょっぴり興醒めしちゃいそう。


      20140730 津金小学校22



空いているから、校庭のフェンス沿いの桜の木も絵になります。
春には満開の桜が待っているんだろうな。


      20140730 津金小学校23




昭和校舎の前には廃校記念碑。


      20140730 津金小学校24



やっぱり、廃校にはこれがなくっちゃ!!


      20140730 津金小学校25



こちらは、校門の近くにあった石碑。
津金小学校関連の石碑かと思ったら
県営中山間地域統合整備事業記念碑でした。


      20140730 津金小学校01




フェンス沿いに津金小学校の外周を歩いてみます。


やっぱり、北杜市が推している観光資源なのだろうか?
やたらと看板が建っている。


      20140730 津金小学校26



はたして、どれくらいの人たちがここを訪れるのだろうか?


      20140730 津金小学校27





帰り際、逆光の中、門柱をじっくり眺めて見た。


昭和参年十一月十日建立 と刻まれている。


      20140730 津金小学校28



どうやら、昭和天皇の即位を記念して建てられたもののようです。


      20140730 津金小学校29






期待していた津金小学校だったけれど
あまりにも観光地化っぽくなっていてちょっぴり期待はずれ。
もっと寂れてた感があれば.................

同じ年に廃校となった江草小学校と比べちゃうと
小学校らしさが残り少ないなぁと感じてしまうのはなぜなんだろう...............

ちょっぴりメジャー感が強いから
廃校好きにはちょっと物足りないかもしれないなぁ.................


そう言えば、この津金小学校には二ノ宮金次郎は無かったそうです。
代わりと言ってはなんですが、大正校舎の前に野口英世像が建っているそうです。

気がつかなかったなぁ............う~む、残念!!







2014/08/29 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.....................比志小学校                              (2014年7月30日)(山梨県北杜市) 

7月30日 公休日

この日は山梨県北杜市廃校巡りをしました。

山梨県北杜市廃校巡り。
その第8弾となります。


富里分校をあとにして、向かった先は..............

          旧・須玉町立 比志小学校



こちらも、みずがき湖ビジターセンターで仕入れた情報。
この地に来るまで、その存在を知りませんでした。

ネットで色々調べましたが、詳しい沿革はわかりません。
あとで北杜市の教育委員会に訪れ、教育総務課の方々にお聞きしましたが、
やはり、詳しいことはわかりませんでした。
教育総務課の職員の皆様、お世話になりました。


みずがき湖ビジターセンターにあった、手作りの周辺案内のイラストマップには
比志尋常小学校跡と書かれていましたが、
増富小学校のHPには昭和28年の卒業式の写真が掲載されていました。
少なくても昭和28年までは健在していた小学校のようです。
昭和22年の教育令で就業年数が6年となり、それまでは尋常小学校と呼んでいた学校も
全国一斉に公立小学校となったため、旧・須玉町立比志小学校と言われていたと思われます。




こちらが、比志小学校の正門。


      20140730 比志小学校01



石造りの門柱


      20140730 比志小学校12


かろうじて読めるかすれた文字は、
昭和4年と刻まれています。


      20140730 比志小学校13




門柱から眺める校内。


      20140730 比志小学校02



この建物は当時の校舎なのだろうか?


      20140730 比志小学校03



増富小学校のHPに載っていた比志小学校の写真では
古い木造の校舎が写っていたから、校舎ではないのかもしれない。


      20140730 比志小学校04



でも、小さな学校の校舎に見えなくもない。


      20140730 比志小学校05




玄関には、増富公民館比志支部 の看板が掲げられています。


      20140730 比志小学校06






廃校記念碑はありませんが、二ノ宮像が残されていました。


みずがき湖ビジターセンターの手書きの案内図には
『独特な二ノ宮像が可愛いらしい』と書かれてありました。

そもそも石段のある高台に二ノ宮像を設置するのも珍しい。
一瞬、お地蔵さんかと思っちゃいました(笑)。


      20140730 比志小学校07


これが、その二ノ宮像。

赤い帽子をかぶっているから、やっぱりお地蔵さんに見えてしまいます。


      20140730 比志小学校11


せっかくだから、びいすけ と一緒に記念撮影 パチリ☆


      20140730 比志小学校08




二ノ宮像越しに建物を眺めてみます。


      20140730 比志小学校09



右側(手前)の古い木造の建物は、やっぱり校舎っぽく見えます。


      20140730 比志小学校10



敷地の外れにひっそりと建っている石碑。
校舎増築時の寄付金の芳名が刻まれています。


      20140730 比志小学校14


こちらは運動場拡張費の寄付者の名前が記された石碑。


      20140730 比志小学校15


見づらいですが、『運動場拡張費寄附○□』と銘されています。

最後の二文字は読めませんでした。


      20140730 比志小学校16






こじんまりとした小学校。
分校といっても通用しそうな小さな学校。
でも分校を持った本校でした。


分校だった富里分校が昭和38年に廃校になった(?)と言う事だが
本校である比志小学校も昭和38年に廃校になったのだろうか?

旧・富里小学校と和田分校が昭和38年に統合され、東北小学校が創設された・
この経緯を考えれば、比志小学校と富里分校が昭和38年に統合され、
新たに北小学校が創設された(?)としてもおかしくない、
個人的な推測ですが、ひょっとしたらこんな経緯なのかもしれない。

知っている人がいたら、誰か教えてほしいなぁ......................





2014/08/28 Thu. 14:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.....................比志小学校富里分校                         (2014年7月30日)(山梨県北杜市) 

7月30日 公休日

この日は山梨県北杜市廃校巡りをしました。

山梨県北杜市廃校巡り。
その第7弾となります。


増冨小学校をあとにして、向かった先は..............

          旧・須玉町立 比志小学校富里分校


この学校の事はみずがき湖ビジターセンターで教えてもらいました。
と言うわけで、この学校のことは全く知りませんでした。
ネットでしらべても、現在の工房のことは出て来ますが、
肝心の分校の事はまったく不明。
(その工房のHPを見ると、昭和38年に廃校となったらしい)

地元で『富里分校』といか言わないようで、
じゃあ本校はどこなの?と聞いてもわからないようです。
この日の午後、北杜市の教育委員会にも尋ねましたが、よくわからないようです。
その際に、北杜市教育委員会の教育総務課の職員さんにお世話になりましたが、
結局は詳しいことはわかりませんでした。
従って、詳しい沿革等全く不明です。

(後日、ネットでいろいろ調べまくったら、どうやら比志小学校の分校らしい.........?)




とは、言いながらも小さな木造の校舎は残っておりました。


      20140730 富里分校01


      20140730 富里分校02




こちらが、富里分校の正門。


      20140730 富里分校05




おそらく、工房の方が作られたのでしょうか?
木製の『旧富里分校』と刻まれた表札が外れて落っこちていました。


      20140730 富里分校03



反対側の門柱には『お茶・工作・遊』と表札が掲げられています。


      20140730 富里分校04



門柱には、創立三十周年記念 昭和三年建立 と刻まれています


      20140730 富里分校12

 と言うことは明治31年に創立されたのだろうか...........?



地域の公民館として活用後、ほったらかしにされていた施設を
工房のオーナーが借り受けたようです。
現在は、フィトンチッドという名の染工房となっているようです。


フィトンチッド ちいさな学校 と名付けられた工房。


     20140730 富里分校11



元々、不定期営業とのことですが、平日のこの日は当然開いていません。


      20140730 富里分校06



留守番のネコを見つけて、吠える びいすけ 。

そして、 びいすけ の吠える声に反応して吠える留守番のワンちゃん。
2頭の吠える声が静かな山あいに響きます。


校舎内(工房内)には入れないけれど
ワンちゃんを刺激しない程度に校舎に近づいてみます。


      20140730 富里分校07


      20140730 富里分校08



びいすけ 連れでは、この辺りが限界。


      20140730 富里分校09



本当は、校舎の裏側にも回ってみたかったけれど
さすがに、現在他の用途で利用されている民間の施設となると
遠慮と言う二文字が目の前にチラついてしまいます。


      20140730 富里分校10




結局、外れて転がっていた表札を門柱にハメ直して
この地をあとにすることにした。


      20140730 富里分校13



偶然ではないけれど、
この地に来て初めてその存在を知った廃校
現地に来なければ見ることも出来なかった廃校
人知れずに時代の流れの中で、その存在も忘れさられてしまう廃校
そんな廃校の存在を私だけが知っている..............

これが、廃校巡りの楽しさの一つかもしれない..............。




2014/08/28 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.....................増富小学校                               (2014年7月30日)(山梨県北杜市) 

7月30日 公休日

この日は山梨県北杜市廃校巡りをしました。

山梨県北杜市廃校巡り。
その第6弾となります。


旧・須玉町立 増富小学校跡 をあとにして、向かった先は..............

          北杜市立 増富小学校



増富小学校は

昭和63年     塩川ダム建設によりダム湖に沈んでしまう旧・須玉町の北小学校と
           同じく旧・須玉町の東北小学校が合併し、新たに発足し開校。
           (北小学校と東北小学校はこの時に廃校となる。
          
           校舎完成までは、北小学校を流用した。

平成16年    須玉町が町村合併により北杜市誕生。
          北杜市立増富小学校と改称。

平成24年    須玉小学校に統合され、廃校となる。


と、このような沿革となっています。



県道を挟んで、みずがき湖ビジターセンターの向いにある増富小学校。
この先が増富小学校です。


      20140730 増冨小学校18



こちらが、増富小学校の正門。


      20140730 増冨小学校01



こちらは、門柱。

北杜市立増富小学校 と表札はまだ掲げられたままです。


      20140730 増冨小学校02



門扉は閉まっていますが、隙間から中に入れるので失礼させていただきました。


遊具もしっかり残っています。

ジャングルジムにブランコ。


      20140730 増冨小学校03



グランド用のローラーは校庭に放置されていて
雨風にさらされています。


      20140730 増冨小学校04


こちらが、校舎。
鉄筋建てのちょっとお洒落なデザインの校舎です。


      20140730 増冨小学校05


      20140730 増冨小学校06



校庭側の玄関前には山梨県の小学校に多い、緯度と経度の記された校碑。


      20140730 増冨小学校07


      20140730 増冨小学校08




校舎は平成元年3月竣工。
開校が昭和63年4月だから、開校後1年経って児童はこの学び舎で学ぶことになりました。


      20140730 増冨小学校09

ちなみに、昭和63年の開校時には児童数は27名。
閉校となった平成24年(平成23年度)は5名。
そのうち2名が卒業生だったため、在校生は3名。
山梨県下で1番児童数の少ない小学校でした。
在校生3名は統合した須玉小学校に通っているそうです。





校庭の隅にある百葉箱。


      20140730 増冨小学校10


こちらは路地に面した玄関。
児童たちは、こちらから出入りしていたようです。


      20140730 増冨小学校11



そして、玄関横には体育館。
地元の方々の運動施設として活用されているようです。


      20140730 増冨小学校12




もう一度、校庭に戻ります。

校庭の逆側から改めて校舎を眺めてみます。


      20140730 増冨小学校14

たった24年で廃校となった校舎。
このまま朽ち果てていくのも勿体無い。
何か有効活用できればいいのだが、過疎化が進むこの地区では
新たな活用方法も見い出せないかもしれない..........。




先ほどとは別な遊具。


      20140730 増冨小学校13


      20140730 増冨小学校15


      20140730 増冨小学校16



それなりに標高が高いと言えども、この日は好天気。
湿度は低くても陽射しは強い。

ちょっぴり木陰で小休止。


       20140730 増冨小学校17


さて、そろそろ出かけましょう
次なる場所へと移動いたしましょう...............。


2014/08/27 Wed. 17:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて....................旧・須玉町立 増富小学校跡                    (2014年7月30日)(山梨県北杜市) 

7月30日 公休日

この日は山梨県北杜市廃校巡りをしました。

山梨県北杜市廃校巡り。
その第5弾となります。


増冨中学校をあとにして、向かった先は..............

          旧・須玉町立 増富小学校跡



この増富小学校と言うのは、本当にややこしい。
ネットで調べると必ず出てくるのが、
昭和63年に旧・須玉町の北小学校と東北小学校が合併して開校した増富小学校。
校地は比志地区にあり、みずがき湖ビジターセンターのすぐそばに有りますが
平成24年に廃校となっています。

それとは別に、遡ること49年
同じ名前の増富小学校が昭和38年に廃校となっています。
その増富小学校が建ってたのがこの地になります。


実は、この日までこの学校の存在ま知りませんでした。
たまたま見つけた、この小学校の分校(増富小学校和田分校)のことを
分校近く(和田集落)で教えていただいた初老の男性に教えていただきました。
丁寧に『神戸(ごうと)集落の増富中学校の坂の下』と場所まで教えてくれました。


創立時期は不明ですが
和田分校という分校も持っていたから
それなりに地域にとっては重要な位置づけの小学校だったようです。

昭和38年、和田分校と統合し、新たに須玉町立東北小学校が発足し
増富小学校は廃校となってしまいました。



こちらの増富小学校跡は増富中学校のすぐ近く。
増富中学校から坂道を100mほど下ったところにあります。


増富中学校から坂を下って行きます。


      20140730 旧・増冨小学校跡04

茂みの中に何かがあるようです。


近寄って見ると、石碑が建っています。


      20140730 旧・増冨小学校跡06



かなり年季の入った石碑。
文字がかすれてよく読めません。
建てられた時期も不明ですが、
どうやら増富小学校の校舎増築の際の寄付をされた方々の名が刻まれています。


      20140730 旧・増冨小学校跡07



石碑のタイトルも書体が古く、読み取れません。


      20140730 旧・増冨小学校跡08




石碑のある場所の反対側がかつて学校のあった場所。

一時期、増富中学校も増富小学校の校舎の一部を借りていたらしい。
と言う事は、それなりの敷地の広さがあったようです、


      20140730 旧・増冨小学校跡05


この辺り一帯が増富小学校の校地だったと思うけれど
すっかり様変わり。

一部は宅地化されて民家も建っているようです。


      20140730 旧・増冨小学校跡09


      20140730 旧・増冨小学校跡10






こちらが、その廃校跡らしき場所。
削平地だから、校庭跡になるのでしょうか......?


      20140730 旧・増冨小学校跡01

廃校から既に51年
校舎はとっくに解体され、更地となっています。


雑草が生い茂り、単なる広場か空き地にしか見えません。


      20140730 旧・増冨小学校跡02


      20140730 旧・増冨小学校跡03



校舎もなく、門柱もなく、二ノ宮像もない。
廃校記念碑や子供たちが遊んでいた遊具も残っていない。

唯一に証が先ほどの石碑のみ。
学校遺構がほとんど残っていないから
ここに学校があったなんて誰も気づかないだろう。
昭和38年に廃校となった増富小学校。

昭和38年に1年生(6歳)だった人も今は57歳。
と言う事は、今現在、57歳以上の人の記憶の中にしか、
この学校のことは残っていないのだろう........

ここにも時の流れの中で、忘れ去られた学校跡がありました。
せめて。私だけでもこの学校のことはしっかり覚えておこう................。









2014/08/27 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.....................増富中学校 (2014年7月30日)(山梨県北杜市) 

7月30日 公休日

この日は山梨県北杜市の廃校巡りをしました。

山梨県北杜市の廃校巡り。
その第4弾となります。


東北小学校をあとにして、向かった先は..............

          旧・須玉町立 増富中学校


本来は、廃校となった小学校を中心に廃校巡りをしていますが
この増富中学校は、昭和31年に建てられた木造校舎が今尚残されていると言うことなので、
訪れるのを楽しみにしていました。


増富中学校は

昭和22年 山梨県北巨摩郡増富村に増富村立増富中学校開校。
昭和34年 増富村が須玉町に編入。
須玉町立増富中学校と改称。
平成16年 須玉中学校に統合され閉校、廃校となる。


と、このような沿革となっています。


廃校となった増富中学校ですが、現在はその施設を活用し、
工藤耀日美術館として利用されています。




こちらが、増富中学校の入口。
この坂を上れば、木造校舎が迎え入れてくれます。



      20140730 益富中学校01



こちらが、木造校舎と玄関。


      20140730 益富中学校02


      20140730 益富中学校03


      20140730 益富中学校04



58年前に建てられた校舎は、今尚、輝いて見えるような気がします。


      20140730 益富中学校05




校舎から校庭へと階段を下ってみます。


      20140730 益富中学校06



こちらが、校庭。
さすがに中学校ともなれば、部活動などがあるから
校庭はそれなりに広い。


      20140730 益富中学校07



校庭に建つ校歌の碑。


      20140730 益富中学校08




そして、廃校の碑。(閉校記念碑)


      20140730 益富中学校09


      20140730 益富中学校10



さらに、『閉校記念碑記』と記された石碑。


      20140730 益富中学校11

簡単ではあるけれど、増富中学校の沿革が記されています。

碑文によれば、昭和22年にすぐ近くにあった旧・増富小学校の校舎の一部として教場が開校し、
昭和31年に現在の地に新校舎が建てられ、
開校以来、千八百余名の生徒を送り出したらしい。



校庭から眺める校舎。


      20140730 益富中学校12



校庭が一段下がり、校舎が高台に建つ。
江草小学校と似たような構図ですが、
木造校舎はやっぱり絵になります。


      20140730 益富中学校13


      20140730 益富中学校14


      20140730 益富中学校15


校庭奥にある校門。

こちらの校門は位置的に和田集落方面から通う生徒が利用したのか?


      20140730 益富中学校17


門柱には、校名を隠すかのように白い板が貼られています。


でも、しっかり寄贈者の名前は残されていました。


      20140730 益富中学校16



校門から再び校庭へと戻ります。


      20140730 益富中学校18



やっぱり、増富中学校はこのアングルが良い!


      20140730 益富中学校19




校庭に残された閉校記念植樹の標柱。


      20140730 益富中学校20



ハナミズキを植えたようです。


      20140730 益富中学校21


この標柱を見て、何故か 一青窈 の『ハナミズキ』のメロディが浮かんできた。


♪〜♬
薄紅色の可愛い君のね
果てない夢がちゃんと終わりますように
君と好きな人が 百年続きますように..............


気がついたら歌詞を口ずさんでいました。

この歌、大好きなんだなぁ。

ひょっとしたら、この歌を聞くたびに
増富中学校のことを思い浮かべてしまうかもしれない..............。








2014/08/26 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.....................東北小学校                               (2014年7月30日)(山梨県北杜市) 

7月30日 公休日

この日は山梨県北杜市廃校巡りをしました。

山梨県北杜市廃校巡り。
その第3弾となります。


和田分校をあとにして、向かった先は..............

          旧・須玉町立 東北小学校



東北小学校は

昭和38年 須玉町大字小尾字神戸にあった増富小学校、
同町大字小尾字和田にあった増富小学校和田分校を統合して
新たに、同町大字小尾字和田に須玉町立東北小学校を発足。
(増富小学校及び和田分校は廃校となる)

昭和63年 須玉町北小学校と統合。新たに増富小学校が発足。
廃校となる。


と、このような沿革となっています。



廃校後は、敷地を民間に払い下げ、
学校法人 自然学園高等学校となっています。


      20140730 東北小学校01



こちらが、正門。


      20140730 東北小学校02



東北小学校時代の門柱のようですが、当然校名の表札は外されています。


      20140730 東北小学校03


      20140730 東北小学校14




校舎全景。


      20140730 東北小学校04



正面玄関には、現在の校名の表札が掲げられています。


      20140730 東北小学校05


夏休みだからなのか?

生徒は一人も居なく、先生も居ない。


      20140730 東北小学校06



山奥の廃校を再利用した高校ですが
どうやら、通信制の高校のようです。

      20140730 東北小学校07

ネットで調べてみると、この校舎以外にも
甲府市と大月市の梁川に校舎を持っているようで、
そちらの校舎が主体の学校のようです。

確かに、この地は通学するには余りにも遠い。

全寮制ならまだわかるのですが..............。



誰も居ない校内を びいすけ と探索してみます。


      20140730 東北小学校08


      20140730 東北小学校09



小学校の廃校として、既に26年が経っています。


雑草の中に、東北小学校時代の遊具が埋れています。


      20140730 東北小学校10


      20140730 東北小学校11


      20140730 東北小学校12


      20140730 東北小学校13


この荒廃ぶりからすると、自然高等学校の須玉キャンパスとなっていますが
ひょっとしたら廃キャンパス(廃校舎)になってしまったのかもしれない



昭和63年に廃校となった東北小学校。
ちょうど塩川を堰き止め、塩川ダムが建設され
湖底に沈む事になった北小学校と統合して、
新たに場所を移し、増富小学校へ変わって行った。

(便宜上の呼び方であるけれど)
旧・増富小学校から発展して誕生した東北小学校。
その歴史の中で新・増富小学校へと橋渡しをして行った小学校。
この地に小学校はもう出来ないとは思うけれど
新・旧の増富小学校のバトンリレー、ご苦労様でした..............。




2014/08/25 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.......................増富小学校和田分校                         (2014年7月30日)(山梨県北杜市) 

7月30日 公休日

7月30日、31日と個人的な連休を取って、山梨県北杜市に出かけました。

今回の旅行は、題して

『びいすけ と行く北杜市 城址と廃校、そして丸ポスト探しの旅』


江草小学校に続いて、北杜市廃校巡り第2弾。

          旧・須玉町立 増富小学校和田分校



増富小学校和田分校は

ネットで色々調べましたが、詳しい情報を得ることができませんでした。
詳細な沿革は不明です。

実は、元々この和田分校の存在さえ知りませんでした。
たまたま、東北小学校を探していたら目に止まった。
いかにも廃校っぽい古びた小さな木造校舎を見つけてしまった。
そんな偶然の産物でした。

数少ないネットの情報と現地で聞いた情報によれば..............

開校時期は定かではないが、
旧・須玉町小尾の神戸集落にあった増富小学校の分校として設立されたようです。
昭和38年に須玉町立東北小学校が発足し、
従来あった本校の増富小学校、和田分校と共に廃校となったそうです。

(増富小学校と言う同じ名称の小学校が、旧・須玉町比志地区に昭和63年に開校し、平成24年に廃校となっているから、ややこしい。)




こちらが、和田分校の入口。

正面に見えるのは、分校の校庭に後から建てられた公民館。


      20140730 増冨小学校和田分校01



こちらが、分校の正門。

雑草の中に辛うじて、その姿を見ることが出来ます。


      20140730 増冨小学校和田分校02



そして、こちらが分校の校舎。


      20140730 増冨小学校和田分校03


廃校から既に51年。
木造の小さな校舎です。


所々窓ガラスも割れ、扉も無い状態。

失礼して、中を見学させてもらいました。


      20140730 増冨小学校和田分校04



小さな教室ですが、黒板も残っています。


      20140730 増冨小学校和田分校05


      20140730 増冨小学校和田分校06



廊下の床は腐っていて、ちょっぴり危険。


      20140730 増冨小学校和田分校07



このアングル、この構図だと、
いかにも小さな分校って言う感じがします。


      20140730 増冨小学校和田分校08


      20140730 増冨小学校和田分校10




このアングルだと、廃墟って言う感じが強い。

実は、車で横を通り過ぎた時、
このアングルで視界に飛び込んできました。


      20140730 増冨小学校和田分校09


 
校庭跡には、地域の公民館が建っています。


      20140730 増冨小学校和田分校12


      20140730 増冨小学校和田分校13



そして、学校跡の象徴の桜の木。


      20140730 増冨小学校和田分校11

やはり、学校の校庭には桜の木が似合う。


廃校後、校舎をそのまま利用したり、
ちょっと改装して地域の公民館として
活用するってパターンは多いけれど、
この地区の場合は新たに公民館を建てたから、
校舎が残ったのかもしれない。


..............にしても、廃校から既に51年。
十分に手入れをされて来たとは言えないけれど
風雪に耐え、よくぞこの時代まで残ってくれた。


      20140730 増冨小学校和田分校14



この姿に感謝。


      20140730 増冨小学校和田分校15




山梨県北杜市のはずれ。
おそらく、この地に再び訪れることは無いかと思う。

忘れる事が無いよう、しっかり瞼にその姿を焼き付け、
この地をあとにすることにしました.....................。





2014/08/24 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

みずがき湖 (2014年7月30日)(山梨県北杜市) 

7月30日 公休日

この日は山梨県の北杜市に出かけていました。


旧・須玉町を塩川沿いに北上し、増富地区の廃校を捜しているときに
こんな看板が目に入った。


      20140730 みずかき湖23




『 確か、塩川を堰き止めてダムを作り、それで出来た人造湖があったっけ? 』

と、そんなことを思い出した。
と、言うのも昭和63年に廃校になった旧・須玉町立北小学校のことを調べていたら
塩川ダム建設により、北小学校がダム湖の底に沈んでしまったことを知った。

もう、その姿を見ることが出来ない北小学校跡。

せめて、気持ちだけでも! と立ち寄ったのが.....................


          みずがき湖


みずがき湖は塩川ダムによって出来たダム湖です。
塩川ダムは、山梨県北杜市須玉町比志、富士川水系塩川に建設されたダムです。
高さ79メートルの重力式コンクリートダムで、
洪水調節・不特定利水・かんがい・上水道・発電を目的とした山梨県営の多目的ダムです。

塩川は関東山地・金峰山に端を発し、
山梨県北杜市を流下し富士川の上流部・釜無川へ合流する一級河川である。
延長40キロメートル、流域面積は389.7平方キロメートルで、
河川勾配が急なこともあり台風などの大雨によって増水し水害をもたらした。
塩川の河川改修を実施してきた山梨県は今後の治水計画を講じる上で
川幅の拡幅による河川改修がもはや困難であるとしてダム建設を推進。
同時に、かんがい用水や上水道用水の確保と、ダムからの放流水を利用した
水力発電を併せて計画に盛り込みました。

山梨県は1970年(昭和45年)に県費を投じて予備調査を開始し、
1975年(昭和50年)より国庫補助実施計画調査に着手。
事業は1982年(昭和57年)に採択され、補償基準については1985年(昭和60年)に調印をみせる。
1989年(平成元年)より本格的な建設工事に着手し、
1997年(平成9年)より湛水を開始。1998年(平成10年)に完成を迎えた。
総事業費は490億円かかったと言われています

                    ( Wikipedia より引用、加筆修正 )



自然の湖が好きですが
ダムによって出来たダム湖も嫌いじゃありません。

自然だろうが、人工だろうが、要は風光明媚であれば良い。
素敵な風景を眺めることができればそれで良い。
そんな思いもあって旅先や出先で、『○○湖』、『△□ダム』と言った案内を見ると
ついつい立ち寄ってみたくなります。

とう言うわけで立ち寄った、みずがき湖(塩川ダム)。
ビジターセンターの駐車場に車を停めて見学です。


こちらが案内看板。


      20140730 みずかき湖01


そして、みずがき湖。


      
20140730 みずかき湖03



意外に広い
どうやら、歩いて一周は難しそう。


      20140730 みずかき湖02


      20140730 みずかき湖04



まずは、車で一周してみることに..............


塩川ダムを通り過ぎ、ビジターセンターの対岸へ。


      20140730 みずかき湖05


      20140730 みずかき湖06



湖畔に建つ案内看板。

『ヨシャーの湯』と言うらしい。


      20140730 みずかき湖07

今から440年前の甲斐の国で武田信玄公が生きていくために
必要不可欠な塩を送ってもらえなくなった(塩止め)時に
国に塩分がないかと探し回った時に発見されたのが
この冷鉱泉『ヨシャーの湯(温泉)』ということです。

昭和62年の実験でこの水1.8リットルから
コップ3分の1の塩が取れたそうです。

このヨシャーと言う言葉はこのあたり一帯にヨシやアシなどの葉がたくさん生い茂っていたことから
ヨシアシ→ヨシャーになったとされてます


      20140730 みずかき湖08


周りに人が居ないし、木製の浴槽もある
思わず入っちゃおうかな?って思ったけれど
冷鉱泉だから、ちょっと冷たい。
陽射しは暑いけれど...............

やっぱり諦めました(笑)


      20140730 みずかき湖09


近くには、こんな休憩所があったり、四阿もあります。


      20140730 みずかき湖10



とりあえず、陽射しを避けるために四阿へ退避。


      20140730 みずかき湖11

      20140730 みずかき湖12

      20140730 みずかき湖13




さらに車で移動し、塩川ダムの対岸へ。



塩川ダム遠望。


      20140730 みずかき湖14


      20140730 みずかき湖15



みずがき湖に架かる橋。
鹿鳴峡大橋と言うらしい。
この道をさらに奥へと行けば信州峠(?)


      20140730 みずかき湖16


      20140730 みずかき湖17




再び、ビジターセンターに戻り、ソフトクリームでクールダウン。

見ないふりをしている びいすけ ですが
ソフトクリームが要らないワケがない。


      20140730 みずかき湖18



『食べる~ぅ?』 の一声で寄ってきます(笑)。


      20140730 みずかき湖19



ソフトクリームをペロペロ舐める びいすけ。

この表情。
目が飛び出ています(笑)。


     20140730 みずかき湖20


      20140730 みずかき湖21



あっという間になくなってしまいました。


      20140730 みずかき湖22




さて、ソフトクリームも食べてクールダウン出来たし
ビジターセンターで新たな廃校の情報も入手できたし
次なる場所へ移動いたしましょう.......................。




2014/08/23 Sat. 04:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.....................江草小学校                              (2014年7月30日) (山梨県北杜市)                

7月30日 公休日

7月30日、31日と個人的な連休を取って、山梨県北杜市に出かけました。

今回の旅行は、題して

『びいすけ と行く北杜市 城址と廃校、そして丸ポスト探しの旅』


先ずは、北杜市廃校巡り第1弾。


旧・須玉町立 江草小学校



江草小学校は

明治5年  江草村に江草学校設立。
明治20年 江草尋常小学校と改称。
明治33年 出火全焼、生徒の一部が見性寺を仮校舎として借用。
明治43年 新校舎落成。
大正5年  高等科併置。江草尋常高等小学校と改称。
昭和16年 江草国民学校と改称。
昭和20年 江草小学校と改称。
昭和31年 江草村が須玉町に編入合併により、 須玉町立江草小学校と改称。
昭和32年 新校舎が現在の地に落成、
昭和60年 6小学校統合により閉校。  


と、このような沿革です。



丸ポスト探しの時に、旧・松屋商店のお婆ちゃんに道を聞いていたから
迷わずに江草小学校に辿り着けました。


こちらが、正門。


      20140730 江草小学校05


      20140730 江草小学校06


      20140730 江草小学校07



正門の先、一段高くなった台地に校舎は建っています。


      20140730 江草小学校04



校舎の前の木々が茂りすぎて、校舎が良く見えません。
本当はこの位置から眺める校舎が絵になるようなんですが..............


      20140730 江草小学校08


こちらが 、門柱。
石造りの時代を感じさせる門柱です。


      20140730 江草小学校09




門をくぐり、校内を探索してみます。



校庭の一画に廃校の碑。

やっぱり、これがなくっちゃ!


      20140730 江草小学校21


      20140730 江草小学校02


      20140730 江草小学校03



校庭の一部は、ゲートボール場になっています。

まぁ、これもよくあるパターンですね。


      20140730 江草小学校10



廃校から、29年。
雑草に埋れながらも、往時の遊具が残されています。


      20140730 江草小学校11


      20140730 江草小学校12


      20140730 江草小学校13



こちらは、体育倉庫でしょうか?
跳び箱が懐かしい(笑)。


      20140730 江草小学校22




こちらが校舎。

完全な木造校舎ではなく、俗に言う『木造モルタル造り』。

それでも二階建ての校舎は絵になります。


      20140730 江草小学校14


      20140730 江草小学校15



山梨県の小学校のお得意と言うべきか?
はたまた定番とでも言うべきか?
緯度・経度の記された校碑。


      20140730 江草小学校17

ここにも、しっかりと有りました。








校舎内部。
長〜い廊下ですねぇ。

木の床の廊下と言えば、やはり雑巾がけ。
掃除の時間が大嫌いだった子供の頃を思い出してしまいます。


      20140730 江草小学校16


子供様の机や椅子はありませんが
こうやって窓ガラス越しに覗いても、
教室の雰囲気はそのまま残っています。
(当たり前ですが..............)


      20140730 江草小学校18



どうやら、江草小学校の校舎は廃校後、
『 奥野山恩賜県有財産保護組合事務所 』として利用されている(いた?)ようです。


      20140730 江草小学校19


      20140730 江草小学校20


廃校の記念碑に刻まれた沿革に寄れば
この校舎は昭和32年に建てられたモノ。

すでに57年の月日が経っています。






※おまけ※

江草小学校跡は江草スポーツ広場となっていますが
江草グランドのある場所は、かつて江草中学校のあった場所。

すなわち、小学校と中学校が隣接していました。


現在の江草体育館。

かつての江草小学校、中学校の体育館。


      20140730 江草小学校01



こちらは、江草グランド。

かつての江草中学校跡です。


      20140730 江草小学校23



グランドに無造作に置かれた、錆び付いたローラー。


      20140730 江草小学校24



グランドの隅には、古びた石碑。

江草中学校の建設費を寄付された方々の名が刻まれています。


      20140730 江草小学校25



今はもう垣間見ることもできませんが
かつては、ここに中学校の校舎がありました。


      20140730 江草小学校26



グランドのフェンス脇の桜の木。
いかにも学校跡の雰囲気が満載です。


      20140730 江草小学校27


やっぱり、廃校巡りは桜の季節が良いのかな?


来年の桜の季節にまた訪れようかな?






2014/08/22 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

根古屋神社の大ケヤキ (2014年7月30日)(山梨県北杜市) 

7月30日 公休日

7月30日、31日と連休を取り、山梨県の北杜市へ出かけました。

獅子吼城址をあとにして、向かった先は..............

          根古屋神社


本来は素通りっていうか、当初は計画には入っていなかったのですが
『根古屋』と聞いて黙って素通りは出来なくなりました

と言うのも、そもそも『根古屋』とは

根小屋と呼ぶこともあり、中世後期山城(やまじろ)の麓にあった城主の館やその周辺の屋敷地。
おもに東国で用いられた語で,後に集落の地名となって根古屋,猫屋などと書かれることもある。
城主が平時は麓に居住し,戦時に山城に詰めるという形は中世後期に全国的に共通していたので,
根小屋の用語の使われなかった地方も含め,
このようなタイプの城郭を根小屋式と形容することがある。

                        ( Kotobank より引用 )



こちらが根古屋神社
駐車場からの遠景です。


      20140730 根古屋神社01



こちらの根古屋神社には、国指定天然記念物の 『大ケヤキ』があります。

こちらが、その説明看板


      20140730 根古屋神社02





根古屋神社の大ケヤキ(ねごやじんじゃのおおけやき)は、

山梨県北杜市須玉町江草(えぐさ)の根古屋神社(ねごやじんじゃ)境内にある
一対の日本有数の大ケヤキである。

神社の境内に、本殿と舞台を挟む形で両脇に大きなケヤキがある。
向かって右手が「畑木」、左手が「田木」と呼ばれ、
いずれも樹高 20 m、目通り幹囲 10 mを超える巨木である。
芽吹きの早さによって、その年の作柄を占う習わしがあった
(畑木が早いと畑作が、田木が早いと田が豊作となる)。

この二本はセットで国の天然記念物に指定されている。
枯死を防ぐため多数の補修を受けているが、今もなお青葉を繁らせている。

同神社は根古屋集落にある。
同集落は塩川(釜無川の支流で、八ヶ岳と茅ヶ岳の間を北から南に流れる)沿いを溯行する小尾街道(穂坂路)に沿っており、かつては甲州と信州とを結ぶ交通の要衝であった。

現在では県道が塩川西岸に移ったが、以前はこの路が増富温泉や信州峠へのルートとなっていた。

「根古屋」「根小屋」は山城の麓の集落によく付けられる名前だが、
この集落の場合も戦国時代の山城である獅子吼城(ししこじょう)がすぐ東の山上に存在する。
武田家が滅亡した後は北条軍が入城していたが、
1582年の合戦で徳川・旧武田家臣団連合軍の夜襲により落城した(甲州最後の合戦であった)。

一対のケヤキは樹齢1000年と推定されており、戦国の栄枯を見下ろしてきたことになる。


( wikipediaより引用 )



二本の大ケヤキがそびえ立ち、中々の圧巻です。


こちらが、向かって左手になる『田木』。


      20140730 根古屋神社03


      20140730 根古屋神社04


かなり太い幹。
樹齢の高さを感じます。
びいすけ と比べても..............太い!





二本の大ケヤキの間にある舞台。


      20140730 根古屋神社05



そして、その隣には根古屋神社の鳥居。


      20140730 根古屋神社07




神額には、当然『根古屋神社』の文字。


      20140730 根古屋神社06



そして、こちらが向かって右側にそびえる『畑木』。


      20140730 根古屋神社08


      20140730 根古屋神社09

こちらも負けず劣らず太い幹。
さすが、樹齢1000年(推定)と言われるだけあります。




本殿脇の説明看板。


      20140730 根古屋神社10

この根古屋神社から獅子吼城址までの登城路がハイキングコースになっているようです。


この奥が登城路ですが、おそらく最近は誰も歩かないのでしょう。
完全な藪状態。
さすがに、ここを進軍する勇気はありません。


      20140730 根古屋神社11

先に獅子吼城址に行っておいて、良かったぁ。




それにしても見事な幹っぷり。
だけど、上部は切り取られて、高さがないから
幹を見なければ大きさは実感出来ません。


      20140730 根古屋神社12




こちらが、拝殿。


      20140730 根古屋神社13




拝殿と舞台。


      20140730 根古屋神社14




『田木』の前に建てられた『根古屋神社大楠』と刻まれた石碑。


      20140730 根古屋神社15



国の天然記念物に指定されているくらいだから、
当然、山梨県でも指定を受けています。

山梨県の巨樹・名木100選に選ばれています。


      20140730 根古屋神社16



こちらが、本殿。


      20140730 根古屋神社17



本殿脇から眺める『田木』。


      20140730 根古屋神社18


この根古屋神社同様、この巨木たちは戦国時代以前から
この地に根を張り、動乱の戦国時代を見守ってきたのだろう。

武田信玄や勝頼、そして北条氏直も眺めたであろう、
この大ケヤキをじっくりと眺めて、この地をあとにすることにした................。





2014/08/21 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

獅子吼城址 (2014年7月30日)(山梨県北杜市) 

7月30日 公休日

この日は山梨県北杜市城址巡りをしていました。

若神子城址に続き、北杜市城址巡り第2弾。

           獅子吼城址



獅子吼城(ししくじょう)は

山梨県北杜市(旧北巨摩郡須玉町)にあった山城(やまじろ)。
城は同市江草の根古屋神社の背後の山(地元では城山と呼ばれている)にあった。
甲信国境近くに位置していたため国境監視とともに、
当時から佐久甲州街道(現在の国道141号線)の裏街道として知られていた若神子から
長野県佐久市に至る道が通っていたことから、この街道を押さえる城としても機能した。

築城は鎌倉時代末期に遡り、信田氏が居城としていたともいわれるが、
築城時期、築城者および築城の経緯はわかっていない。

応永年間(1394~1428年)には江草兵庫助信泰(または信康、甲斐武田氏13代の武田信満の三男)が
居城としていたといわれるが、その後、甲斐武田氏の一族の今井氏が居城とした。

1530年(享禄3)、甲斐守護で信玄の父の武田信虎が扇谷上杉朝興と結び、
朝興の叔母で山内上杉憲房後室を側室に迎えようとしたことから、
今井信是・信元は信虎と対立し、翌年に飫富兵部少輔らと甲府を出奔して
大井信業・栗原氏ら甲斐の有力国人領主や信濃・諏訪の諏訪頼満(碧雲斎)を
巻き込んだ大規模な反乱へと発展した。
諏訪氏と今井氏ら反信虎勢力は信虎が整備した笹尾塁を陥落させて甲府へと進軍したが、
同年2月2日と3月3日の合戦で信虎に敗れた。

その後、今井信元は居城の獅子吼城に拠って信虎に抵抗したものの、
同年9月に信虎に城を明け渡して降伏した。
これにより信虎による甲斐統一が達成された。
1541年(天文10)、信虎の嫡男・晴信(のちの信玄)は信虎を駿河に追放して家督を相続したが、
晴信は信州峠、甲州佐久街道を押さえる要所として獅子吼城を整備した。
信玄が整備した狼煙台の一つとしても機能していたようである。

その後、1575年(天正3)の長篠の戦い(設楽ヶ原の戦い)で
武田氏に壊滅的な打撃を与えた織田信長と徳川家康の連合軍は、
1582年(天正10)に甲斐に侵攻して武田氏は滅亡。
織田信長配下の河尻秀隆が甲府に入ったものの、同年6月2日の本能寺の変で信長が死去すると
甲斐に一揆が起こり、河尻秀隆は討ち死にした。

その後の武田氏の遺領をめぐって徳川家康と北条氏直が対立して
両者が争奪戦(天正壬午の乱、甲斐における戦国時代最後の戦い)を繰り広げたが、
徳川家康が新府城(韮崎市)を本陣としたのに対し、北条氏直は若神子城(北杜市)を本陣とし、
獅子吼城も北条氏の拠点となった。

同年9月、徳川家康配下の服部半蔵と旧武田氏遺臣の津金衆・小尾衆らは、
北条勢の籠もる獅子吼城に夜襲をかけて陥落させている。

その後、徳川氏と北条氏との間に和睦が成立して、徳川氏による甲斐支配が確定したが、
その後間もなく獅子吼城は廃城となった。

麓の根古屋神社境内に獅子吼城の案内板があり、城山の山頂に至る登山道が延びている。
山頂には主郭(本丸)跡が、山腹には平らな石を積み上げた石垣で区画された多数の曲輪や
斜面を掘削してくつられた堅堀や石塁、堀切、虎口などの遺構が残っている。
城跡の石塁の多さが目を引くが、これらは北条氏の時代につくられたともいわれている。

                  ( Kotobank より引用 ) 
                      


こちらが、獅子吼城の縄張り図


      獅子吼城址縄張り図


          ( 余胡くんのホームページ  よりお借りいたしました )



須田町江草にある旧・松屋商店のお婆ちゃんに道を聞いたから
その案内通りに進むと、案内板を発見。
迷わず、獅子吼城址へと導いてくれます。


      20140730 獅子吼城址01

駐車場にはちょっと困りましたが、
路肩のちょっとしたスペースに失礼させていただきました。



こちらが獅子吼城址の説明看板。


      20140730 獅子吼城址02


説明看板の背後から城址へと進んでいきます。
階段ではなく、右側の細い道が城址への登城路となります。


      20140730 獅子吼城址03


人が一人歩いていくのがいっぱいくらいの狭い道。

進行方向右側は深い谷。

      20140730 獅子吼城址04



振り返るとこんな感じ。


      20140730 獅子吼城址05




城址入口の説明看板の脇の階段を上がれば土壇となります。
物見台か何かに利用していたのでしょうか?

その背後の腰曲輪。


      20140730 獅子吼城址06



こちらが、その土壇。


      20140730 獅子吼城址07



登城路をさらに進みます。

こちらは、堀切。
この辺りだけ、なぜか陽が差してきます


      20140730 獅子吼城址08



さらに進めば、別な堀切


      20140730 獅子吼城址09



空堀が行く手を遮り、右方向に迂回するように登城路は続きます。


      20140730 獅子吼城址10



やがて、主郭へと向かう厳しい上り。
数段の腰曲輪には明らかに人の手が加わった石塁。


      20140730 獅子吼城址11


      20140730 獅子吼城址12



画像では見にくいのですが、三段の腰曲輪全てに石塁が施されています。


      20140730 獅子吼城址13

これが、北条氏直が手を入れた跡なのでしょうか?





こちらが主郭


      20140730 獅子吼城址14




塩川流域に点在する狼煙台の説明板。


      20140730 獅子吼城址15

戦国時代に武田氏が築いた烽火台の大伝達網(ネットワーク)。
武田信玄は川中島へ出陣のときには若神子城で幾度か陣を張ったと言われます。
塩川流域は長野県(信濃)へ通じるルートに位置し、両岸が山地のような地形が
烽火台設置に適していたコースだったようです。
さらに、烽火台のある山の後方には高い山や大きな森などが背景となって
遠方からでも白い煙がよく見えやすいように配慮がなされていたようです。




主郭に祀られた祠
これは、きっと後世のものでしょう。


      20140730 獅子吼城址16


      20140730 獅子吼城址17



祠裏に残る土塁。


      20140730 獅子吼城址18




こちらは主郭の建てられた説明板


      20140730 獅子吼城址19


奥に見える白いものは何だろうと?
帰ってから調べたら烽火台。

煙突式の烽火台で塔の下の部分で火をたいて煙を出します。 
NHKの大河ドラマ「武田信玄」の関連番組のときにこの場所に造られたそうです。


     20140730 獅子吼城址20



こちらにも、狼煙台の説明版。
獅子吼城は武田信玄の烽火台の大伝達網(ネットワーク)の要の地だったようです。


     20140730 獅子吼城址21



こちらが主郭西側の虎口


      20140730 獅子吼城址22



そして、こちらが主郭をぐるっと取り巻く帯曲輪。
 

     20140730 獅子吼城址23



帯曲輪から一気に下山することにします。

やはり、この獅子吼城は中世の関東の城では見られない石塁が見所でしょう。

こちらが腰曲輪の石塁。

見事な三段お石塁です。


      20140730 獅子吼城址24


その分岩や石がゴロゴロしていて、足元は要注意。


      20140730 獅子吼城址25


戦国時代の雄・武田信玄。
病に倒れ、天下取りの夢も果たせず
そして織田信長との戦いに敗れ、滅亡していった甲斐・武田氏。

しかし、彼ら一族の残した足跡はあまりにも広大で
今なお、この地にその姿を残している。

う~む、武田氏もやっぱり侮れません..................。





2014/08/20 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

丸ポストを探して..............山梨・北杜編 その1 (2014年7月30日)(山梨県北杜市) 

7月30日 公休日

山梨県北杜市の丸ポストを探してきました。

北杜市は、2004年(平成16年)11月1日に 北巨摩郡須玉町・長坂町・白州町・高根町・大泉村・
武川村・明野村の7町村が合併して誕生しました。
その後、2006年(平成18年)3月15日に北巨摩郡小淵沢町が編入して
現在の北杜市に至っています
従って、北杜市はかなり広い市域となっています。

北杜市には5基の丸ポストが現存し
旧・須玉町域に3基、
旧・高根町域に1基、
旧・小淵沢町域に1基現存しています。




では、最初の1基

旧・須玉町若神子の桔梗屋前の丸ポスト


      20140730 丸ポスト 北杜市①01


      20140730 丸ポスト 北杜市①02


      20140730 丸ポスト 北杜市①03


      20140730 丸ポスト 北杜市①04



続いて、2基目の丸ポスト

旧・須玉町江草  松屋商店前の丸ポスト


      20140730 丸ポスト 北杜市①05


      20140730 丸ポスト 北杜市①06


      20140730 丸ポスト 北杜市①07


      20140730 丸ポスト 北杜市①08


手持ちの資料では松屋商店前となっていましたが
残念ながら松屋商店は数年前に廃業してしまいました

偶然、こちらのお婆ちゃんと話をすることができて
近くにある獅子吼城址や江草小学校の詳しい場所を教えてもらいました。

 

3基目の丸ポスト

旧・須玉町比志 共栄堂前の丸ポスト


      20140730 丸ポスト 北杜市①09


      20140730 丸ポスト 北杜市①10


      20140730 丸ポスト 北杜市①11


      20140730 丸ポスト 北杜市①12




4基目の丸ポスト

旧・高根町清里 清里の森管理事務所前の丸ポスト


      20140730 丸ポスト 北杜市①14


      20140730 丸ポスト 北杜市①15


      20140730 丸ポスト 北杜市①16


      20140730 丸ポスト 北杜市①13


この日は、朝から北杜市の城址巡り、廃校巡り、丸ポスト探し、
そしてぶらっと立ち寄りと精力的に動いたつもりですが
何せ、北杜市は広い。
残る1基は明日に持ち越しすることにしました。

とりえず、北杜市の丸ポスト4基制覇

これまでに

鳴沢村     2基
河口湖町    3基
道志村     1基
上野原市    3基
大月市     2基
西桂町     1基
富士吉田市  2基

と14基の丸ポストを探して巡ってきました。


そして本日、北杜市の丸ポスト4基制覇
合計18基制覇したことになります。

山梨県内の現存する丸ポストは42基(2014年5月31日現在)

残すは24基。
完全制覇も夢じゃないなぁ..........(笑)



 


2014/08/19 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

若神子城址 《若神子古城址》 (2014年7月30日)(山梨県北杜市) 

7月30日 公休日


7月30日、31日と個人的な連休を取って、山梨県北杜市に出かけました。

今回の旅行は、題して

『びいすけ と行く北杜市 城址と廃校、そして丸ポスト探しの旅』


先ずは、北杜市城址巡り第1弾。

           若神子城址



若神子城(わかみこじょう)は
山梨県北杜市須玉町にある城。

所在する北杜市須玉町は県北西部に位置し、
若神子城は正覚寺裏山の北城、古城、南城の三つの城郭の総称。
いずれも若神子集落の西側に位置する台地上に立地する。

甲斐源氏の祖にあたる新羅三郎義光によって築かれたという伝承がある。

戦国時代には武田氏の信濃侵攻における甲信国境として重要視され、
佐久・諏訪口方面からの狼煙の中継点、陣立ての場所として利用されたという。

武田氏の滅亡後、武田遺領をめぐって
天正10年、甲斐国の掌握を狙い、
北条氏直と徳川家康とが対峙した天正壬午の乱の際、
新府城に本陣を置いた徳川家康に対して、北条氏直はこの城を本陣としたと言われています。


こちらが、若神子城の縄張り図


      若神子城縄張り図


           ( 余胡くんのホームページ からお借りしました。 )
                            




朝、4時に佐倉市の自宅を出発。
東関道〜京葉道〜首都高〜中央高速と乗り継ぎ、
須玉ICには8時前に着く事ができました。

しか〜し、この若神子城址を探すのに思いの他、
時間が掛かってしまいました。
(見当違いの場所を車で1時間近く徘徊していました)

若神子城址(若神子古城址)は、現在、須玉町ふるさと公園として整備されています。


こちらが、公園案内板。
駐車場な前にど〜んと建てられています。


      20140730 若神子城址01




      20140730 若神子城址02



こちらが、北の虎口。


      20140730 若神子城址03

歩行者用の公園入口へと繋ぐ登城路となっています。
駐車場脇にあった公園案内図では、こちらが搦手口とのことであるが
個人的には、こちらが大手口のような気もするんですが..............



公園入口から入ってすぐに目に留まる、城址説明板。


      20140730 若神子城址04


      20140730 若神子城址05




こちらは芝生広場
おそらく郭跡だと思うけれど、公園案内図に芝生広場としか明記されていない。

この先に畝堀があり、さらに主郭となるから、こちらは二郭跡になるのだろうか?


      20140730 若神子城址06


      20140730 若神子城址07


      20140730 若神子城址08




畝堀前に建つ説明板。

天正壬午の乱と薬研堀(畝堀)について記されています。


      20140730 若神子城址09



こちらが、畝堀。
かなり埋もれてしまっていて
意外に浅い。


      20140730 若神子城址10



確かに、畝堀と言えは、北条の城の専売特許みたいなものですが
あまりにも規模が小さい。


      20140730 若神子城址11



こちらは、主郭に建つ


      20140730 若神子城址12


あまりにも風化(?)していて、さっぱり読めない。
公園化された時に設置されたんでしょうが
今ではあまり役に立ちそうもない。


      20140730 若神子城址13



主郭から眺める風景。


      20140730 若神子城址14

この視界の先に、家康が陣を張った新府城があるのだろうか?




主郭奥に建つ復元・狼煙台。


      20140730 若神子城址15

危険防止のロープが張られ、立ち入ることは出来ません。



そして、狼煙台の手前にある案内板。
北杜市の文化財(主に城郭・城館跡)が地図上に明記され、
非常にわかりやすい。
そして、北杜市には規模の大小を問わず城郭・城館跡が多いようです。


      20140730 若神子城址16


      20140730 若神子城址17


      20140730 若神子城址18



南の虎口脇に建つ城址説明板。


      20140730 若神子城址19


      20140730 若神子城址20



そして、こちらが南の虎口。


      20140730 若神子城址28


      20140730 若神子城址29



その先は搦め手口になるのか?
下り道となり、台地麓まで一気に下る形になります。


下り坂の途中にある大きな岩。


宿借岩と言うらしい


      20140730 若神子城址21


この岩を加工して門の一部として利用してようです。



宿借岩の石碑

      若神子城址

この宿借岩からは一気に斜面を降りる形で下っていきます。
駐車場脇の公園案内図ではこちらが大手口とのことですが
この細い斜面の登城路は大手ではなく、搦手じゃなかろうか.....?
(まぁ個人的な見解ですが..............)



一気に下った先がこちら。
南側の公園入口となります。


      20140730 若神子城址23


      20140730 若神子城址24


      20140730 若神子城址25




再び、南の入口から主郭へと戻ります。

この坂道をひたすら上って行きます。


      20140730 若神子城址26



宿借岩の近くになると、岩がゴロゴロした上りとなります。


      20140730 若神子城址27




主郭背後の土塁


      20140730 若神子城址30


      20140730 若神子城址31

この辺りは、公園整備時にかなり改変されてしまったのだろうか?



主郭と畝堀の間にある広場(削平地)
レンガが敷かれ、公園の一番のスポットになっています。

      20140730 若神子城址32


ふるさと公園という公園化されたことで、若神子城址は後世まで残されていくのだろうが
今一歩、城の構成が理解しづらいという率直な感想です。

ただ戦国時代には、武田信玄が信濃侵攻の拠点とした地でもあり、
また関東から甲斐への制覇を目指し、徳川家康と争った北条氏直の陣であった城でもある。

個人的に、小田原北条氏のファン(?)でもある私にとって
北条氏の支城をひとつ制覇できたことに加え、
この若神子城を訪れたことで、甲斐の虎・武田信玄の足跡をも感じてしまいました。

甲斐・武田氏もやっぱり侮れませんですなぁ..................。




  
2014/08/18 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

カインズホーム佐倉ドッグラン  (2014年7月24日) 

7月24日 公休日

この日は、カインズホーム佐倉店のペットショップで爪切り・肛門線絞り他をして貰いました。

せっかくカインズホームに来たんだから、まっすぐ帰ったら勿体ない。

貧乏人根性丸出しではありますが、カインズホームのドッグランに立ち寄りました。


      20140724カインズドッグラン01



まぁ、ドッグランと言っても、 びいすけ は激走するわけでもなく、
いつもの様に、フェンスや芝生の匂い嗅ぎが中心になります。

カインズのドッグランも久しぶりだから、いろんな匂いがあるのでしょう。

ここで、クンクン。


      20140724カインズドッグラン02



こちらでも、クンクン。


      20140724カインズドッグラン03



時々、振り返ると言うか、周りを確認しながら.......

って、誰も居ないよ。

この時期のドッグランはまだ明るい内は
まだまだ訪れる人もワンコも少ないようです。


      20140724カインズドッグラン06



誰も居ないのを確認したのか?
再び匂い嗅ぎに専念します。


      20140724カインズドッグラン07



ドッグラン内をクンクンと徘徊します。


      20140724カインズドッグラン08



突然、 びいすけ が座ってドッグランの入口に注視し始めました。


      20140724カインズドッグラン09


      20140724カインズドッグラン10



そして、位置を変えての『伏せ』のポーズでスタンバイ?


      20140724カインズドッグラン11



おもむろに立ち上がり、入口に向かう びいすけ 。

誰かが来たようです。

      20140724カインズドッグラン12


何度かお会いしている常連さん。
そして、何度か オヤツ を貰った常連さん。

その割りには、常連さんにも素っ気ない態度。
勿論、新たに来場したワンちゃんには興味なし。


      20140724カインズドッグラン13



まぁ、気まぐれな びいすけ ですから..............(笑)。


それでは、っと オヤツ で遊具(平均台って言うんだろうか?)に導きます。


      20140724カインズドッグラン04


いつも思うのだが、アジリティの遊具に乗って
ポーズを取る びいすけ の顔って、何となく凛々しく見えてきます。


      20140724カインズドッグラン05

(親バカって言われるのは、重々承知です)(笑)



でも、やっぱり今日も、そんな事を感じてしまいました。


      20140724カインズドッグラン14


      20140724カインズドッグラン15


      20140724カインズドッグラン16



さぁ、びいすけ!
18時を回ったから、そろそろ家に帰ろうか.....................。




2014/08/17 Sun. 14:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

爪切り、肛門絞り、ETC  (2014年7月24日) 

7月24日 公休日

毎月15日前後に実施している びいすけ の爪切りと肛門線絞り。
7月はちょっと遅れて、この日になってしまいました。

お世話になったのは、カインズホーム佐倉店のペットショップ。


予約時間(17時)のちょっと前にお店に顔を出し
『よろしくお願いしま〜す』と びいすけ を預け、
急いでレジに向かってお会計。

税込1000円で、爪切り、肛門線絞り、耳掃除、肉球ケア、デンタルケア。


      20140724爪切り01

毎回思うのですが、本当に安い。


カインズのレジで会計を済ませ、急いでお店に戻ります。

      20140724爪切り02



ちょうど、後ろ足の爪切りの最中だったようです。


      20140724爪切り03



暴れる事なく、大人しくお姉さんの言う事を聞いているようです。


      20140724爪切り04


      20140724爪切り05





今度は、耳掃除です。


      20140724爪切り06


      20140724爪切り08



そして、肉球ケア。


      20140724爪切り09


      20140724爪切り10



最後に肛門線を絞ってもらいます。


      20140724爪切り11



お店のお姉さん、お世話様でした。
また、次回もよろしくお願いします。


いつもは二人がかりでって言うパターンが多かったのですが
今日は、一人でも問題なく終わりました。



今日はお利口さん。
そういう事にしておきましょう。





2014/08/17 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............長沼小学校跡                                (2014年7月24日)(千葉県成田市) 

7月24日  公休日

この日は茨城県に廃校巡りに出かけていました。
夕方、地元に用事があるので稲敷市からR408経由で
成田市を抜けて佐倉市に帰るルートを選びました。

利根川を渡り成田市に入った時に、ふと思い出したことがあった。

『そう言えば、以前に長沼城址に来た時に、城址の近くに
以前は小学校で、今は保育園になっている所があったなぁ..............』


でも、記憶の間違いかもしれないし.......

確認の意味も込めて、その場所に立ち寄ることにしました。


立ち寄った先は..............

          長沼小学校跡


長沼小学校は

明治14年    長沼村に長沼小学校が建設されます

その後の沿革は不明ですが

昭和31年    廃校となります。

確かに、長沼小学校跡で間違いがないが、
正確にはさらにその後の沿革があったようです。

昭和31年      長沼小学校が豊住小学校長沼分校となる
昭和34年      本校と統合のため長沼分校廃止、廃校となる。



この長沼村には長沼事件と言う福沢諭吉が関わる史実があります。

長沼村に隣接する地に、長沼というひょうたん型をした230町歩程の沼が存在し、
江戸時代から、長沼村の村民が幕府に年貢を納めることで沼の占有権を得ており、
村の大半の村民が漁業で生計を立てていた。

周辺の村は、長沼村が独占している長沼の入会地化をめぐり幕末に訴えを起こすなどしていた。
明治維新以後の混乱に乗じて、長沼の周辺村々との利害の対立が更に激しくなる。
ここに長沼事件が始まる。

明治5年、周辺の15村が印旛県へ長沼の官有地(国有地)化を申請し、
長沼村の意見は聞かず、県の独断で了承してしまう。
沼の独占利権を失い、漁業を糧としてきた長沼村民は困窮に陥る事になった。

長沼村は利権を回復しようと県庁へ、
小川武平という村の代表が請願しに行くもなかなか聞き入れられずにいた。
そんなとき、小川武平が請願へ千葉町に上京したとき、
夜店で福澤諭吉の「学問のすゝめ」を購入した。
小川は、本の内容に感銘を受け、福澤に事件の収拾を託そうと上京した。
直接福澤と会い、福澤も長沼村の利権回復運動に共鳴したという。
その後、福澤は、請願書の案文制作や、当時の権令(県令)柴原和や
政府の高官の西郷従道などに書簡を送付し、教示するなどして支援した。
こうした尽力もあり、明治9年7月、長沼事件は一応解決を見る。
しかし、沼は官有地とし、5年ごとの契約で長沼村の借地権を認めるという事になった。

しかし、その後も長沼村は長沼の民有化を目指し運動を展開。
福澤も自身が主催する「時事新報」などを通じて長沼村民を支え続け、
明治30年3月、内務大臣より、正式に無償払い下げの許可が下り、
長沼村の利権が回復した。
長沼事件解決の翌年、福澤諭吉は脳溢血で倒れ帰らぬ人となった。

                   (Wikipedia より抜粋)





現在は、長沼保育園となっていますが
古い石造りの門柱は残されています。

こちらが、正門。


      20140724長沼小学校05


      20140724長沼小学校04



正門脇に建つ、長沼小学校跡の標柱。


      20140724長沼小学校02


      20140724長沼小学校01


標柱の裏面には、長沼事件にまつわる福澤諭吉とのいきさつ
そして長沼小学校創立のいきさつが記されています。


      20140724長沼小学校03

江戸時代から長沼村が所有権を主張し続けてきた『長沼』(当時あった沼は、
明治九年に、いったん官有地に編入されました。
しかし、福澤諭吉の尽力により、長沼村に五年ごとの切り替えの条件で貸し渡す、
ということで村の願いもいちおう貫徹しました。
村民たちは、諭吉にお礼をするために努力し、二二七円のお金をつくり諭吉に贈りましたが、
諭吉はこれを受取らず、「長沼に小学校を建設しなさい」と別途五○○円を寄付してくれたため、
村民たちは、このお金を基に明治十四年、村内の長寿院境内(ここ長沼保育園)に
長沼小学校を建築しました。

                     (標柱より 原文引用)


う~む、泣かせる話じゃないですか....................






現在は、保育園となっているから、中には入る事が出来ません。
当時の校舎などは建て替えられ、既にありません。


      20140724長沼小学校06


さほど、敷地は広くなく、確かに分校跡って言う感じもします。
って言うか、思い切り保育園って感じです。
(現在、保育園だから当たり前ですが..............)


      20140724長沼小学校07

たまたま、園庭にいた保育士さんに話を伺ったら
長沼小学校跡と言う認識ではなく、
豊住小学校長沼分校跡と言う認識らしい。

門柱の脇に立派な標柱が建っているのに
長沼小学校跡って忘れさられているみたい。

色々な意味で歴史のある村にあった小学校だったのになぁ..............。






2014/08/16 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............太田小学校                                (2014年7月24日)(茨城県稲敷市) 

7月24日 公休日

この日は茨城県稲敷市廃校巡りに出かけました。

稲敷市は2005年(平成17年)に
江戸崎町・新利根町・東町・桜川村が合併して発足しました。


2014年(平成26年)春に、旧・新利根町域にあった小学校3校が統合して
新たな小学校が誕生し、残念ながら3校は廃校となってしまいました。


そんな3校を巡ってみました。
最後に訪れたのは.....................

          稲敷市立太田小学校


太田小学校は


明治6年 太田村域に小学校開校。

          ↑
      この間の沿革が不明です。
          ↓

昭和22年     太田村立太田小学校と改称。
昭和30年     柴崎村・根本村・太田村が合併して新利根村が発足。
            新利根村立太田小学校と改称。
平成8年      新利根村が町制施行し、新利根町となる。
            新利根町立太田小学校と改称。
平成17年      新利根町、江戸崎町、東町、桜川村が合併し、稲敷市が発足。
           稲敷市立太田小学校と改称。
平成26年      根本小学校、柴崎小学校、太田小学校が合併し、
            新たに新利根小学校が発足し、廃校となる。


      と、このような沿革となっています。



校門脇のフェンスにこんな横断幕が掲げられ、いきなりの驚きです。


      20140724 大田小学校01



こちらが、太田小学校の正門


      20140724 大田小学校02



門柱には校名を隠すように黒いテープが貼られています。


      20140724 大田小学校03

確かに廃校となってしまったから、太田小学校は存在しないことになっているけれど
わざわざ校名を覆い隠す必要があるのだろうか..........?

どうも稲敷市の考え方がわからない。
他に流用が決まって、流用先の施設になったのなら致し方ないことなんですけど
見た感じ、そんな気配はなさそうです。



門扉はしっかり閉ざされ、施錠がしてあり中に入れそうもありません。
じっくり見学したかったのですが、仕方ない。

フェンスに沿ってぐるっと一周することにいたします。


      20140724 大田小学校10



正門脇にある掲示板。


      20140724 大田小学校06



フェンス越しに眺める校舎。


      20140724 大田小学校04


      20140724 大田小学校05



望遠で校舎にぐっと寄ってみます。

先ほどと同じ横断幕が貼られていました。


      20140724 大田小学校07



ついでに、校舎の玄関も望遠で撮影。
見づらいですが、玄関の庇に掲げられた太田小学校の校章。


      20140724 大田小学校13



校庭の隅に残る遊具類。

近寄れないので、いずれも望遠での撮影です。


      20140724 大田小学校08


      20140724 大田小学校09


      20140724 大田小学校11


      20140724 大田小学校12


      20140724 大田小学校14




石碑の背面。
正面が確認出来ないから確かな事は言えないけれど
新しくはないから、おそらく開校百周年の碑でしょうか?


      20140724 大田小学校15



こちらも背面からの像。
姿から、これは二ノ宮像に間違いない!


      20140724 大田小学校16


う〜ん、正面から拝めなくて残念。


フェンス越しでも充分だと思っていたけど、
気になるモノを見つけちゃうと、やっぱり中に入りたくなっちゃいます。
人間のエゴと言うか、欲望は限りない(笑)。

でも、いつか自由に見学できる日が来るといいなぁ..............。




2014/08/15 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit