FC2ブログ

05 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 07

び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

伏馬田城址  (2014年6月2日)(神奈川県相模原市) 

6月2日  公休

この日は山梨県の上野原市の廃校巡りに出かけました。

現在は上野原市である旧・秋山村の廃校巡りを終え
実家のある八王子方面へと移動するには相模原市を通過します。

旧・秋山村に隣接するのは旧・藤野町(現・神奈川県相模原市緑区)
旧・藤野町には以前から気になる城址が2ヶ所ありました。
せっかく近くに来ているのだから、足を伸ばして立ち寄ることにしました。

奥牧野城址をあとにして向かった先は..............

          伏馬田城址


伏馬田場は

別名、尾崎城とも呼ばれ、また伏馬田城山烽火台とも呼ばれ、
小田原北条氏の家臣団の津久井衆の一人、尾崎掃部助が守っていた山城で、
標高530mの城山山頂に築かれた小さな城であり、
道志川に沿って甲斐に通じる街道の往来を監視できる絶好の見張り場で、
東方の津久井城とも連絡できる要地であることから、
烽火台としての機能を有していたようです。
伝承によれば、1536年、甲斐の小山田氏の部将小林刑部左ヱ門が秋山口より侵入し、
青根の足弱(女・子供)を百人ばかりからめ取ったと伝えられていま。
この青根は伏馬田城の事と推定されていて、伏馬田城は、
甲斐・相模の国境の最前線を押さえる城として重視されたと思われます。



実は、昨年の8月にすぐ近くの菅井小学校に訪れた時に
この伏馬田城址のことを知ったのですが、
その時は時間が無くてパスしてしまいました。


その時もこの案内看板を見ました


      20140602伏馬田城址01


今回は上司に訪れるのが目的だから
五町離れた尾崎城(伏馬田城)を目指します。

500mほど行くとこんな観光案内板があり、
さらにその先に説明版がありました。


      20140602伏馬田城址02


      20140602伏馬田城址03



説明板のある二又路、まっすぐ行けば道志街道ですが
左の上り坂を登れば、伏馬田城址となります。


この先が伏馬田城址(尾崎城址)


      20140602伏馬田城址04

この日は上野原市の廃校巡りをしていたので、朝早くからの行動でしたが
この時点では、まだまだ元気がありました。
(まさか、このあと伏馬田城址攻略がこんなにも辛いとは思いませんでした.....)


こちらが、伏馬田城の登城路

ここから山道を上って行きます。


      20140602伏馬田城址05



いかにも!って言う感じの登城路 


      20140602伏馬田城址06



ここからが急な上り


      20140602伏馬田城址07


この上り道が辛かったぁ.............

      20140602伏馬田城址08



びいすけ も頑張りました!!


      20140602伏馬田城址09


約20分ほどの上りに喘ぎ、主郭まではあと少し...........


      20140602伏馬田城址10



主郭手前の帯郭。


      20140602伏馬田城址11



額に玉のような汗を浮かべ、やっと主郭に到着。


      20140602伏馬田城址12



主郭に建つ伏馬田城址の標柱。


      20140602伏馬田城址13



そして、こちらが主郭に並ぶ石碑群

風化して文字も読めず、いつ頃のモノかも良くわかりません。


      20140602伏馬田城址14


主郭にはこれといった遺構もなく、息が整うまでの小休止。

わずかばかりの空間
思ったほど山頂である主郭は広くありません。


      20140602伏馬田城址15


      20140602伏馬田城址16




主郭下に広がる帯郭


      20140602伏馬田城址17



帯郭で一枚、パチリ☆


      20140602伏馬田城址18



さぁ、一気に下山いたしましょう。


      20140602伏馬田城址19



上りも辛いけれど、傾斜のきつい下りも足にきます。

下り終えて、『仁の丘』と言う見晴台で小休止


      20140602伏馬田城址20


こうやって見ても、ここは山深いのがわかります。


      20140602伏馬田城址21


      20140602伏馬田城址22


戦国時代と言えど、この麓から主郭まではきつかっただろうなぁ...............


そんなことを思いながら、この地をあとにする事にしました..................



スポンサーサイト



2014/06/30 Mon. 14:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

奥牧野城址  (2014年6月2日)(神奈川県相模原市) 

6月2日 公休日

この日は山梨県の上野原市の廃校巡りに出かけました。

現在は上野原市である旧・秋山村の廃校巡りを終え
実家のある八王子方面へと移動するには相模原市を通過します。

旧・秋山村に隣接するのは旧・藤野町(現・神奈川県相模原市緑区)
旧・藤野町には以前から気になる城址が2ヶ所ありました。
せっかく近くに来ているのだから、足を伸ばして立ち寄ることにしました。

訪れたのは.............奥牧野城址


奥牧野城は

築城年や城主等詳細は不明ですが
牧野の地は戦国時代には相模国の津久井と甲斐を結ぶ青根街道の要所であり、
両国国境の相模側にあり、小田原北条氏が甲斐武田氏に備えて築いたと考えられています。
実際に両家の戦いがあり、戦死者を弔ったのが傘松塚だと言われています。
ここからは鎖帷子も出土したそうです。

 

県道から細い山道に入り、林道のような狭い道の入口に車を停め
奥牧野城址を目指します。


      20140602奥牧野城址01

川沿いのこんな道を歩くこと約10分
やがて、奥牧野城址に到着です

城址入り口近くには、奥牧野城址の説明看板が建っています。


      20140602奥牧野城址16


      20140602奥牧野城址17


こちらが、奥牧野城址の虎口


      20140602奥牧野城址02



虎口から城域に入ればすぐに腰曲輪


      20140602奥牧野城址03


      20140602奥牧野城址04



腰曲輪から伸びる登城路


      20140602奥牧野城址05


      20140602奥牧野城址06



登城路を上がり、二又を左に行けば出郭。

物見台のようにも見えますが、一説にはこちらが北条・武田の戦いの
戦死者を弔った傘松塚とも言われています。


      20140602奥牧野城址07



郭には小さな祠が祀られています。


      20140602奥牧野城址08


      20140602奥牧野城址09



先ほどの二又を右に行けば、腰曲輪に沿って上りとなり
やがて主郭へと続きます。


      20140602奥牧野城址10



こちらが、主郭虎口


      20140602奥牧野城址11



以前は主郭の中央部に土塁が残っていたらしいのですが
主郭部が一時期キャンプ場として利用されていたようで
その土塁のほとんどが消失してしまったようです。


      20140602奥牧野城址12


それなりに広い主郭ですが、今では人がほとんど訪れないため、
雑草が伸び完全な藪状態となっています。


      20140602奥牧野城址13



この先を進めば、二郭へと続くようですが
50mも進めば藪となり、二郭攻略は諦めました。


      20140602奥牧野城址14




こちらが城塁

ちょうど主郭へと向かう途中の腰曲輪のあたり


      20140602奥牧野城址15



そして、こちらが主郭部の城塁


      20140602奥牧野城址18




こちらは、出郭の城塁


      20140602奥牧野城址19


城好きな人であれば、このあたりから『ム、ム、ム......』と好奇心をそそられそうです。


城郭遺構は少ないですが、相模・甲斐両国の国境近くで
小田原北条氏の秋山川に沿った道志地区の要所として機能していた奥牧野城
主郭は意外に広く、いざという時には軍勢を駐留させることも出来たでしょう。
こんな山奥でも戦国時代には要所だったとは意外と言えば意外。




車を停めた林道入口へと戻ります。

秋山川の支流に沿って静寂な中、川の流れを耳にしながら戻ります。

      20140602奥牧野城址20



時折、水の流れの音が激しくなり
おそらく眼下には滝があるんじゃないかと思うのだけれど
絶壁で、下に降りる道はなく、視界も悪い。

滝の近くまで行ければ、少しは涼めるのかもしれないけれど
額に汗を浮かべながら、駐車場に戻るのでありました...............


2014/06/30 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit