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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

戸崎城址  (2014年5月24日)(茨城県かすみがうら市) 

5月24日 公休日

この日は茨城県かすみがうら市城址巡りに出かけました。

霞ヶ浦近く、戸崎地区にある 戸崎城址 に訪れました。


戸崎城は

築城年代は定かではありませんが、応仁年間(1467年~1469年)の頃に
戸崎氏によって築かれたと言われています。

戸崎氏は小田城城主・小田氏の家臣であり、
戸崎城は天正元年(1573年)戸崎大膳長俊が城主の時に
佐竹氏の攻撃を受けて落城したと言われています。
文献等に戸崎城主として出てくるのは、宍倉城と同じく菅谷氏で、
永禄7年(1564年)頃は菅谷次郎左衛門が城主であったとされています。

落城後は文禄4年(1595年)には佐竹氏の家臣飯塚兵部少輔が城主であったが、
佐竹氏の秋田転封に伴い、戸崎城は廃城となったとされています。



こちらが、戸崎城の縄張り図。


      戸崎城址縄張り図

        ( 余胡くんのホームページ  よりお借りいたしました)



この看板が城址への目印ですが、
ここに至るまでちょっぴり道に迷いました。


      20140524戸崎城址14

この先、300mほどで主郭となります。


こちらが、主郭の坂虎口。
この坂の上が主郭になります。

      20140524戸崎城址01


この坂虎口は戸崎城址の代名詞?
多くの城郭サイトでも、戸崎城址と言えばこのアングルが紹介されます。

      20140524戸崎城址02


坂虎口を逆アングル(下側)から見ると、こんな感じ。

      20140524戸崎城址18


虎口手前に建つ説明看板。

      20140524戸崎城址03


いきなりですが、主郭(本丸)にいざ!突入!!

      20140524戸崎城址04



主郭は100m×30mくらいの広さ。
耕地されて畑と化しています。


      20140524戸崎城址08



主郭の一番奥まった所に石積みが1基。
何かを祀っているようです。

      20140524戸崎城址05


主郭の城塁。さらにその下には帯曲輪。
しかし、雑草で分かりづらい。

      20140524戸崎城址06



主郭から眼下の蓮畑を眺めてみます。
蓮畑と言うよりは、単なる水田にしか見えない。


      20140524戸崎城址07




主郭と天神との間の空堀。
畑として整地されています。

      20140524戸崎城址09


この空堀が戸崎城址の最大の見所。

      20140524戸崎城址10



天神側から見た空堀。

      20140524戸崎城址19



こちらが二の丸

畑の中に標柱が建っていますが、
文字もかすれて、辛うじて二の丸跡と読めます。

      20140524戸崎城址11


      20140524戸崎城址12



二の丸の空堀。


      20140524戸崎城址13


少し引いて眺めてみると、土橋もハッキリわかります。

      20140524戸崎城址20


二郭下側の郭。
一説によれば、馬出し曲輪とも言われています。

      20140524戸崎城址21


馬出し曲輪の近くで野良ネコ(?)に遭遇。
ネコを見て大興奮の びいすけ 。
そして、毛を逆立てて威嚇するネコ。

      20140524戸崎城址15


城址の台地を下れば、明光ヶ池
かつての水堀だったのでしょうか?

      20140524戸崎城址16


以前は水田だった二郭下。
電柱のはある辺りは埋められて、道路の拡張工事がされていました。

しかし、二郭城塁と腰曲輪は健在です。


      20140524戸崎城址17


台地一帯が城域だった戸崎城。
しかし、主郭、二郭を残すのみで民家として宅地化されて
その広い城郭の多くがなくなってしまったようです。
かつては出島村、そして霞ヶ浦町、更には、かすみがうら市と変わって行く中で
この戸崎城址はこのままの形で、後世に残していって欲しいものです。






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2014/06/16 Mon. 17:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........上大津東小学校菅谷分校                        (2014年5月24日)(茨城県土浦市) 

5月24日 公休日

この日は茨城県のかすみがうら市の城址巡りに出かけました。

かすみがうら市に隣接する土浦市
かつての分校跡があると言うことで訪れてみました。

訪れたのは..............

     土浦市立上大津東小学校菅谷分校跡


菅谷分校は

大正4年 上大津村菅谷に上大津東尋常小学校菅谷分校創設。
昭和22年 上大津村立上大津東小学校菅谷分校と改称。
昭和29年 上大津村が土浦市と合併、土浦市立上大津東小学校菅谷分校と改称。
昭和61年 分校が土浦市立菅谷小学校として分離独立するために廃校となる。

と、ざっとこんな沿革を経ています。


現在、分校跡は新たな建物が建って
菅谷町集落センターとして活用されています。


      20140524上大津東小学校菅谷分校跡11



こちらが、分校跡。

      20140524上大津東小学校菅谷分校跡01



地域の公民館のような施設となっています。


      20140524上大津東小学校菅谷分校跡03



かつての分校跡の名残り。
子供たちが遊んだ鉄棒。

      20140524上大津東小学校菅谷分校跡02



さして広くはない校庭の端には、遊具も残されているようです。

      20140524上大津東小学校菅谷分校跡04


ブランコの奥にお堂が見えますが、敷地内に(隣接しているのだろうけど境界線がハッキリしない)
徳満寺と言う小さな無住職のお寺があります。

こちらが、徳満寺の本堂。

      20140524上大津東小学校菅谷分校跡08


徳満寺の石塔。

      20140524上大津東小学校菅谷分校跡09


集落センターの建物の裏手が、かつての正門。
石造りの門柱が時代を感じさせます。


      20140524上大津東小学校菅谷分校跡06



そして、正門脇にひっそりと廃校の石碑が建っています。


      20140524上大津東小学校菅谷分校跡05


      20140524上大津東小学校菅谷分校跡07


 
校庭の隅には、分校のランドマークで有ったであろう一本の木。


      20140524上大津東小学校菅谷分校跡10


この木が分校に通う地域の子供たちの成長を見守っていたのでしょう。


都会とは言えないけれど、周辺が開発されて住民も増え
子供たちも増え、分校から独立して新たに菅谷小学校が出来た地区。

時代は少子化と極端な地域の格差で過疎化が進む地区もあります。
菅谷地区がそのような地区にならない事を心秘かに願います..............。



2014/06/16 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit