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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

廃校を訪ねて..............旧志筑小学校跡                            (2014年5月24日)(茨城県かすみがうら市) 

5月24日 公休日

*始めにお断り*

この志筑小学校は廃校ではありませんが
諸般の事由により、移転したため旧小学校跡となります。

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この日は茨城県かすみがうら市の城址巡りに出かけました。
志筑城址でもある志筑小学校に訪れたら、数年前に学校は移転していて
そこは小学校跡地となっていました。

と言うことで、訪れたのは................

    旧・かすみがうら市立志筑小学校跡


志筑小学校は

明治7年    志筑村において業精学舎が開かれる
明治9年   連合志筑小学校となる
明治20年  志筑尋常小学校となる
明治25年  志筑村立志筑尋常小学校となる
昭和22年  志筑小学校となる
昭和29年  千代田村となり,千代田村立志筑小学校となる
平成4年   千代田町となり,千代田町立志筑小学校となる 
平成16年  霞ヶ浦町との合併によりかすみがうら市立志筑小学校となる
平成23年  2学期より新校舎へ移転

とこのような沿革を経ています   (志筑小学校HPより抜粋)


こちらが、正門跡

      20140524志筑小学校跡01


石造りの門柱

      20140524志筑小学校跡02


      20140524志筑小学校跡03


右の門柱には  『凱旋』
左の門柱には  『記念』  と刻まれています



こちらが、旧・校地。
校舎は既に解体されて何もありません

      20140524志筑小学校跡04

元々は、志筑城の主郭があった地で小学校造成時に整地されたようで
城郭遺構はあまり残されていません。


校庭跡には、昔ながらの木々の茂みが残されています。

      20140524志筑小学校跡05



近づいて見ると、何やら見覚えのあるものが...............


      20140524志筑小学校跡07


何故か、丸ポストだけが取り残されています。

      20140524志筑小学校跡08

当然、もう使用されていない丸ポスト。
投函する人もいないし、集荷もされません。



こちらは裏門でしょうか...............?
やはり石造りの門柱です

       20140524志筑小学校跡06





がら~んと解体された校地は、記念碑もなく、二ノ宮像も遊具もない。

学校遺構が門柱以外残っていません。


たまたま、正門の前で写真を撮っていたら、
近所に住むおばあちゃんに声を掛けられた。

何もなくなった学校跡で写真を撮っていたのが珍しかったようです。
おばあちゃんと色々と話をさせてもらって
歴史のある学校だったし、自分の息子3人もここで学んだし
良い場所にあった良い学校だったのに、移転したのを残念がっていました。
確かに、子供たちが学校に通ってくる姿を何十年と眺め、
それが生活の一部となっていた人にとっては、本当に寂しいものかもしれませんね。





こちらが移転した現在の志筑小学校。

      20140524志筑小学校跡09


      20140524志筑小学校跡10


      20140524志筑小学校跡11


旧地の校舎がどんなものだったか知りませんが
確かに真新しく、近代的な校舎に生まれ変わった志筑小学校。

それよりも気になるのは................

志筑城址でもある旧・志筑小学校跡
この旧小学校跡地が今後どうなっていくのだろうか............?





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2014/06/15 Sun. 14:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

志筑城址  (2014年5月24日)(茨城県かすみがうら市) 

5月24日 公休日

この日は茨城県かすみがうら市城址巡りに出かけました。


かすみがうら市(旧千代田町域)にある志筑小学校が城址だと知り、
それなら簡単にナビが案内してくれると思い、向かった先は.......

          志筑城址



志筑城(しづくじょう)は、
鎌倉時代 源頼朝の家臣下川辺政義(後に益戸氏)が、
養和元年(1181) 頼朝に叛いた浮島の信太義広を討ち、
その功により茨城南郡の地頭となり、この地に城を築いたのに始まる。
南北朝時代、5代の顕助・国行父子は小田城主治久と共に南朝方に属し、
北朝方の石岡の大掾(だいじょう) 高幹としばしば戦いを挑み、
半年間も戦闘を続けたが、興国2年(1341)11月、小田城落城の報を聞き、
翌日6代国行は城を捨てて一族の小山氏のもとへ走り、
その後も南朝方のために忠勤を励んだという。
その後、廃城になっていたが、慶長7年(1603)佐竹氏の国替えに伴い、
出羽国(秋田県千畑町) より当地へ移封となった本堂茂親が志筑藩の領主となって、
正保2年(1645)、 ここに陣屋を構えて廃藩置県まで本堂氏12代の居城となっていた。

                              『現地説明板より』


こちらが志筑城の縄張り図

      志筑城址縄張り図

          (余胡くんのホームページ よりお借りしました)





現存している小学校が城址だから、
ナビにセットすれば簡単に行けると思っていたら大間違い。
実は、志筑小学校は数年前に移転して、別な場所の有りました。
志筑小学校周辺をぐるぐる回りましたが、
それらしき案内板や説明看板がありません。
何度も周辺を探しましたが見つからない...............

何人かの人に聞いて、なんとかたどり着くことが出来ました。



こちらが志筑城址の説明看板。
旧志筑小学校跡の正門脇に建っています。
この説明看板を探し求めておりました。


      20140524志筑城址01


      20140524志筑城址02


志筑小学校跡が主郭
元々主郭として削平されていた地に小学校が建ち、
その小学校も移転して校舎も解体され、今は更地となっています。

      20140524志筑城址03


主郭(かつての校庭)に建っている城址碑。

      20140524志筑城址04


      20140524志筑城址05


小学校跡地のフェンスから谷津方向を覗くと、眼下には腰曲輪。

      20140524志筑城址06


主郭奥の土塁

      20140524志筑城址07


小学校跡地の土塁

      20140524志筑城址08


城南西川下の池
この池は、水堀としての役目もしていたと言われています。

      20140524志筑城址09


      20140524志筑城址10



さきほど校庭から眺めた腰曲輪

      20140524志筑城址11



腰曲輪から主郭へと向かう虎口

      20140524志筑城址12



志筑城主郭の城塁

      20140524志筑城址13


東側下の虎口。
弧を描いた登城道を登ってくるとこの虎口が現れます。

      20140524志筑城址14



かつての城址が学校になっているというパターンは多いけれど
その学校も廃校となっているのは珍しい。
しかし、学校建設時と校舎解体時と2度の整地作業で
主郭跡は往時の面影を全くと言っていいほど残していない。

とは言いながらも、少ないながらも虎口や腰曲輪など遺構も残されていて
それなりに見ごたえのあった城址でした.................。



 

2014/06/15 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit