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び・び・びのびいすけ

伏馬田城址  (2014年6月2日)(神奈川県相模原市) 

6月2日  公休

この日は山梨県の上野原市の廃校巡りに出かけました。

現在は上野原市である旧・秋山村の廃校巡りを終え
実家のある八王子方面へと移動するには相模原市を通過します。

旧・秋山村に隣接するのは旧・藤野町(現・神奈川県相模原市緑区)
旧・藤野町には以前から気になる城址が2ヶ所ありました。
せっかく近くに来ているのだから、足を伸ばして立ち寄ることにしました。

奥牧野城址をあとにして向かった先は..............

          伏馬田城址


伏馬田場は

別名、尾崎城とも呼ばれ、また伏馬田城山烽火台とも呼ばれ、
小田原北条氏の家臣団の津久井衆の一人、尾崎掃部助が守っていた山城で、
標高530mの城山山頂に築かれた小さな城であり、
道志川に沿って甲斐に通じる街道の往来を監視できる絶好の見張り場で、
東方の津久井城とも連絡できる要地であることから、
烽火台としての機能を有していたようです。
伝承によれば、1536年、甲斐の小山田氏の部将小林刑部左ヱ門が秋山口より侵入し、
青根の足弱(女・子供)を百人ばかりからめ取ったと伝えられていま。
この青根は伏馬田城の事と推定されていて、伏馬田城は、
甲斐・相模の国境の最前線を押さえる城として重視されたと思われます。



実は、昨年の8月にすぐ近くの菅井小学校に訪れた時に
この伏馬田城址のことを知ったのですが、
その時は時間が無くてパスしてしまいました。


その時もこの案内看板を見ました


      20140602伏馬田城址01


今回は上司に訪れるのが目的だから
五町離れた尾崎城(伏馬田城)を目指します。

500mほど行くとこんな観光案内板があり、
さらにその先に説明版がありました。


      20140602伏馬田城址02


      20140602伏馬田城址03



説明板のある二又路、まっすぐ行けば道志街道ですが
左の上り坂を登れば、伏馬田城址となります。


この先が伏馬田城址(尾崎城址)


      20140602伏馬田城址04

この日は上野原市の廃校巡りをしていたので、朝早くからの行動でしたが
この時点では、まだまだ元気がありました。
(まさか、このあと伏馬田城址攻略がこんなにも辛いとは思いませんでした.....)


こちらが、伏馬田城の登城路

ここから山道を上って行きます。


      20140602伏馬田城址05



いかにも!って言う感じの登城路 


      20140602伏馬田城址06



ここからが急な上り


      20140602伏馬田城址07


この上り道が辛かったぁ.............

      20140602伏馬田城址08



びいすけ も頑張りました!!


      20140602伏馬田城址09


約20分ほどの上りに喘ぎ、主郭まではあと少し...........


      20140602伏馬田城址10



主郭手前の帯郭。


      20140602伏馬田城址11



額に玉のような汗を浮かべ、やっと主郭に到着。


      20140602伏馬田城址12



主郭に建つ伏馬田城址の標柱。


      20140602伏馬田城址13



そして、こちらが主郭に並ぶ石碑群

風化して文字も読めず、いつ頃のモノかも良くわかりません。


      20140602伏馬田城址14


主郭にはこれといった遺構もなく、息が整うまでの小休止。

わずかばかりの空間
思ったほど山頂である主郭は広くありません。


      20140602伏馬田城址15


      20140602伏馬田城址16




主郭下に広がる帯郭


      20140602伏馬田城址17



帯郭で一枚、パチリ☆


      20140602伏馬田城址18



さぁ、一気に下山いたしましょう。


      20140602伏馬田城址19



上りも辛いけれど、傾斜のきつい下りも足にきます。

下り終えて、『仁の丘』と言う見晴台で小休止


      20140602伏馬田城址20


こうやって見ても、ここは山深いのがわかります。


      20140602伏馬田城址21


      20140602伏馬田城址22


戦国時代と言えど、この麓から主郭まではきつかっただろうなぁ...............


そんなことを思いながら、この地をあとにする事にしました..................



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2014/06/30 Mon. 14:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

奥牧野城址  (2014年6月2日)(神奈川県相模原市) 

6月2日 公休日

この日は山梨県の上野原市の廃校巡りに出かけました。

現在は上野原市である旧・秋山村の廃校巡りを終え
実家のある八王子方面へと移動するには相模原市を通過します。

旧・秋山村に隣接するのは旧・藤野町(現・神奈川県相模原市緑区)
旧・藤野町には以前から気になる城址が2ヶ所ありました。
せっかく近くに来ているのだから、足を伸ばして立ち寄ることにしました。

訪れたのは.............奥牧野城址


奥牧野城は

築城年や城主等詳細は不明ですが
牧野の地は戦国時代には相模国の津久井と甲斐を結ぶ青根街道の要所であり、
両国国境の相模側にあり、小田原北条氏が甲斐武田氏に備えて築いたと考えられています。
実際に両家の戦いがあり、戦死者を弔ったのが傘松塚だと言われています。
ここからは鎖帷子も出土したそうです。

 

県道から細い山道に入り、林道のような狭い道の入口に車を停め
奥牧野城址を目指します。


      20140602奥牧野城址01

川沿いのこんな道を歩くこと約10分
やがて、奥牧野城址に到着です

城址入り口近くには、奥牧野城址の説明看板が建っています。


      20140602奥牧野城址16


      20140602奥牧野城址17


こちらが、奥牧野城址の虎口


      20140602奥牧野城址02



虎口から城域に入ればすぐに腰曲輪


      20140602奥牧野城址03


      20140602奥牧野城址04



腰曲輪から伸びる登城路


      20140602奥牧野城址05


      20140602奥牧野城址06



登城路を上がり、二又を左に行けば出郭。

物見台のようにも見えますが、一説にはこちらが北条・武田の戦いの
戦死者を弔った傘松塚とも言われています。


      20140602奥牧野城址07



郭には小さな祠が祀られています。


      20140602奥牧野城址08


      20140602奥牧野城址09



先ほどの二又を右に行けば、腰曲輪に沿って上りとなり
やがて主郭へと続きます。


      20140602奥牧野城址10



こちらが、主郭虎口


      20140602奥牧野城址11



以前は主郭の中央部に土塁が残っていたらしいのですが
主郭部が一時期キャンプ場として利用されていたようで
その土塁のほとんどが消失してしまったようです。


      20140602奥牧野城址12


それなりに広い主郭ですが、今では人がほとんど訪れないため、
雑草が伸び完全な藪状態となっています。


      20140602奥牧野城址13



この先を進めば、二郭へと続くようですが
50mも進めば藪となり、二郭攻略は諦めました。


      20140602奥牧野城址14




こちらが城塁

ちょうど主郭へと向かう途中の腰曲輪のあたり


      20140602奥牧野城址15



そして、こちらが主郭部の城塁


      20140602奥牧野城址18




こちらは、出郭の城塁


      20140602奥牧野城址19


城好きな人であれば、このあたりから『ム、ム、ム......』と好奇心をそそられそうです。


城郭遺構は少ないですが、相模・甲斐両国の国境近くで
小田原北条氏の秋山川に沿った道志地区の要所として機能していた奥牧野城
主郭は意外に広く、いざという時には軍勢を駐留させることも出来たでしょう。
こんな山奥でも戦国時代には要所だったとは意外と言えば意外。




車を停めた林道入口へと戻ります。

秋山川の支流に沿って静寂な中、川の流れを耳にしながら戻ります。

      20140602奥牧野城址20



時折、水の流れの音が激しくなり
おそらく眼下には滝があるんじゃないかと思うのだけれど
絶壁で、下に降りる道はなく、視界も悪い。

滝の近くまで行ければ、少しは涼めるのかもしれないけれど
額に汗を浮かべながら、駐車場に戻るのでありました...............


2014/06/30 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............桜井小学校阿寺沢分教場                        (2014年6月2日)(山梨県上野原市) 

6月2日  公休日

この日は山梨県上野原市廃校巡りに出かけました。


平成17年に北都留郡上野原町と南都留郡秋山村が合併して
新たに上野原市が発足しました。
旧・秋山村には、かつては3つの小学校がありました。
そして、そのうちの1校である桜井小学校には
本校とは別に2つの分教場があったことを知りました。
せっかく近くに来たのだから、その分教場も訪れることにいたしました。


訪れたのは..........................

         旧・秋山村立 桜井小学校安寺沢分教場

安寺沢分教場は

明治5年     桜井学校の支校として設立。
明治20年    秋山第二尋常小学校安寺沢分教場と改称する。
明治25年    桜井尋常小学校安寺沢分教場と改称する。
昭和22年    秋山村立桜井小学校安寺沢分教場と改称する。
昭和47年    本校に統合され、廃校となる

       と。このような沿革となっています。


桜井小学校で地元の人に聞いた情報を頼りに安寺沢分教場を目指します

この安寺沢分教場もかなり山あいに入った場所にありました。
旧・秋山村の秋山温泉から、細い舗装路で山あいに入っていきます。
4kmほど走って現れる安寺沢集落の最奥にありました。


こちらが「、安寺沢分校の入口。


      20140602桜井小学校安寺沢分教場01

廃校から42年「、正門というか門柱はありません。
って言うか、元々無かったのかも知れません。


現在は、 『安寺沢ふれあいいきいきサロン』 として、
地域の高齢者のふれあいの場になっています。


      20140602桜井小学校安寺沢分教場02

確か、井戸分校もふれあいきいきサロンだったなぁ...........


井戸分校と違って、こちらは往時の校舎をそのまま利用しているようです。

こちらが、校舎


      20140602桜井小学校安寺沢分教場04


      20140602桜井小学校安寺沢分教場14


      20140602桜井小学校安寺沢分教場08


      20140602桜井小学校安寺沢分教場11



廃校後は地域の公民館として、校舎をそのまま使用していたみたいです。
玄関には 『秋山村中央公民館 安寺沢分室』と看板が掲げられています。


      20140602桜井小学校安寺沢分教場03

平成17年に秋山村は上野原町と合併して上野原市になったのですが
旧村名の看板をそのまま掲げているのは、秋山村へのこだわりなんでしょうか....?



校庭はゲートボール場となっています。

      20140602桜井小学校安寺沢分教場05


      20140602桜井小学校安寺沢分教場06



この地域には、もう子供たちはいないのだろうか?
はたまた、あまりにも古すぎて危険だからなのか?
唯一残っている遊具のブランコは使われないように支柱にくくりつけてあります。


      20140602桜井小学校安寺沢分教場07



ここでは見るべきものは、やっぱりこの校舎ぐらいなんだろうか?


      20140602桜井小学校安寺沢分教場10


      20140602桜井小学校安寺沢分教場12


      20140602桜井小学校安寺沢分教場13


      20140602桜井小学校安寺沢分教場15


      20140602桜井小学校安寺沢分教場09


本当は、校舎の中も覗いてみたかったけれど
誰もいなかったし、鍵も掛かっていたし..............

ちょっぴり心残りもあったけれど、この地をあとにすることにしました。


しかし、廃校から42年経ってもしっかり利用できる木造建築
当然メンテナンスも大変だろうけど、日本の建築技術はやっぱりすごい.................。


 
2014/06/29 Sun. 14:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............桜井小学校 小和田分教場                       (2014年6月2日)(山梨県上野原市) 

6月2日  公休日

この日は山梨県上野原市廃校巡りに出かけました。


平成17年に北都留郡上野原町と南都留郡秋山村が合併して
新たに上野原市が発足しました。
旧・秋山村には、かつては3つの小学校がありました。
そして、そのうちの1校である桜井小学校には
本校とは別に2つの分教場があったことを知りました。
せっかく近くに来たのだから、その分教場も訪れることにいたしました。

訪れたのは............................

          旧・秋山村立 桜井小学校小和田分教場



小和田分教場は

明治25年    桜井尋常小学校の小和田分教場として設立
昭和22年    秋山村立桜井小学校小和田分教場と改称
昭和41年    本校に統合され、廃校となる       

   と、このような沿革となっています。


桜井小学校で地元の方に聞いた情報を頼りに
小和田地区を目指します。
県道沿いにある電気屋さんの近くと言うことで
まずは電気屋さんを探し、電気屋さんのご主人に場所を教えてもらいました。
電気屋さんのご主人の話では、分教場はこの地区の1年生が通っていたそうです。
2年生からは本校に通うことになっていて
ご主人も1年間、分教場のお世話になったそうです。


電気屋さんから教えられた場所へ歩いていきます。


赤い屋根の建物がどうやら分教場のようです


      20140602桜井小学校小和田分教場15


      20140602桜井小学校小和田分教場01



こちらが小和田分教場


      20140602桜井小学校小和田分教場02

こじんまりとした敷地にこじんまりとした校舎。
廃校から既に48年の月日が経っていますが
校舎は当時のまま、逆に管理も十分にされていないようで
廃墟に近い形になっています。


      20140602桜井小学校小和田分教場04


長い年月雨風にさらされ、風雪に耐えてきたようですが
十分な修繕もされず、朽ちかけてきたようです。


      20140602桜井小学校小和田分教場05




ガラスも割れ、見るからに廃墟(?)って感じがします。


      20140602桜井小学校小和田分教場08


      20140602桜井小学校小和田分教場07


ここなんか、かなりヤバイ!!


      20140602桜井小学校小和田分教場10



あっ! 断っておきますけど、
決して廃墟マニアではありませんから.................
単なる、廃小学校が好きなだけですから.、あしからず。


とは言いつつも、ガラスもなく、戸板もないから
簡単に中が覗けちゃうんですけど..........


      20140602桜井小学校小和田分教場09


      20140602桜井小学校小和田分教場06

確かに教室の雰囲気は残っていますね




校庭にポツンと倒れているバスケットゴール。
とても48年前のものには見えないから
地域の子供たちの遊び場として一時期使われていたようです。


      20140602桜井小学校小和田分教場03


でも、遊具はないから単なる小さな広場だったようです。

廃校の碑も二ノ宮像もなく、門柱や表札も残っていない。
聞いていなければとても学校跡には見えません。


バスケットゴール以外何もない校庭
 

      20140602桜井小学校小和田分教場11



そのバスケットゴールの前でくつろぐ びいすけ 。


      20140602桜井小学校小和田分教場12


      20140602桜井小学校小和田分教場13


      20140602桜井小学校小和田分教場14


電気屋さんのご主人の話では、いつ倒れるか分からないから
本当は市の方で解体してもらいたいと思っているらしい。

地域で愛されたであろう学校が、こんな形で朽ち果てて行く..........
何となく、寂しい気もします。

公民館とか集会所とか管理して残す形はあったような気がすんですが.......
まぁ、こればっかりは地域の考え方があるから難しいようですね................。





2014/06/29 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............桜井小学校                                 (2014年6月2日)(山梨県上野原市) 

6月2日 公休日

この日は山梨県上野原市廃校巡りに出かけました。


平成17年に北都留郡上野原町と南都留郡秋山村が合併して
新たに上野原市が発足しました。
旧・秋山村には、かつては3つの小学校がありました。
押し寄せる少子化と過疎化の波をモロに受け
平成13年に3校を統合して新たに秋山小学校を開設。
3校は廃校となっています。

と言うことで、続いて訪れたのは..............

         旧・秋山村立 桜井小学校


桜井小学校は

明治8年    真福寺に借様学校が創立。(桜井小学校の発祥)
          安寺沢に支校を設置する(後の安寺沢分教場)
明治20年    秋山第二尋常小学校と称す
明治25年    桜井尋常小学校と改称する
          小和田に分教場を設置する
昭和22年    秋山村立桜井小学校と改称する
昭和41年    小和田分教場を統合する
昭和47年    安寺沢分教場を統合する
平成13年    栗谷小学校、浜沢小学校と統合し、
          新たに秋山小学校は設立され廃校となる


         と、このような沿革です。


旧・秋山村から都留市へと抜ける県道沿いに桜井小学校はありました。


こちらが桜井小学校正門


      20140602桜井小学校01


石造りの古い門柱

左側の門柱には掠れていますが  『秋山村立』 の文字。


      20140602桜井小学校14
 


そして、右側の門柱には 『秋山小学校』 の文字。


      20140602桜井小学校13



あれ~?
ここは『桜井小学校』じゃなかったっけ.....?

たまたま、この廃校にいた地元の人に訪ねてみたら
平成13年に栗谷小学校、桜井小学校、浜沢小学校が合併し
栗谷小学校の校地に新たに秋山小学校が開校されることになりました。
校舎を新設するにあたり、その工事期間中を桜井小学校の施設を使用していたということです。

なるほど!
そういうことだったのね




こちらが校舎
校地は県道沿いに細長く、校舎の背後はお寺が隣接するという狭さ
校庭(運動場は細い路地を挟んだ反対側にありました。


      20140602桜井小学校02


      20140602桜井小学校11



こちらが、その校庭(運動場)


      20140602桜井小学校09


遊具もしっかり残っていました。


      20140602桜井小学校10



校舎の前に建つ校歌の碑


      20140602桜井小学校05



そして隣には二ノ宮像


      20140602桜井小学校06


      20140602桜井小学校07


こんな感じで並んでいました。

      20140602桜井小学校08



こちらが体育館


      20140602桜井小学校04



体育館の前には桜井小学校校舎完成の碑。


      20140602桜井小学校03


やはり、この地区でも小学校は地域のランドマークであったようです。

 
鉄筋の校舎が完成した記念に建てられた碑で
桜井小学校の沿革も記されています。
廃校前の記念碑なので沿革には廃校のことは記されていませんが
廃校になった桜井小学校がここにあった証であります。


      20140602桜井小学校12




この記念碑の沿革には2つの分教場のことも記されており
そんな分教場があったこともこの碑を見るまでは知りませんでした。

さきほど秋山小学校のことを教えてくれた地元の方に
2つの分教場のことも教えてもらいました。

せっかくだから、分教場も訪れてみることにいたしましょう.....................。


2014/06/28 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............浜沢小学校                                  (2014年6月2日)(山梨県上野原市) 

6月2日 公休日

この日は山梨県上野原市廃校巡りに出かけました。


平成17年に北都留郡上野原町と南都留郡秋山村が合併して
新たに上野原市が発足しました。
旧・秋山村には、かつては3つの小学校がありました。
押し寄せる少子化と過疎化の波をモロに受け
平成13年に3校を統合して新たに秋山小学校を開設。
3校は廃校となっています。

と言うことで、最初に訪れたのは..............

          旧・秋山村立 浜沢小学校


浜沢小学校は

明治8年    浜沢学校として学校創立
明治20年    秋山第一尋常小学校の分教場となる。
昭和22年    秋山村立栗谷小学校浜沢分校と改称する。
平成元年    秋山村立浜沢小学校として栗谷小学校より分離独立
平成13年    栗谷小学校,桜井小学校,浜沢小学校が統合され
          秋山小学校が発足するため、閉校となる


と、このような沿革となっています。


旧・秋山村のはずれ、都留市に近い県道沿いに浜沢小学校はありました。


      20140602浜沢小学校01


こちらが、沢松小学校正門


      20140602浜沢小学校02



石造りの門柱

向かって右側の門柱には  秋山村立

      20140602浜沢小学校03



そして、左側の門柱には 浜沢小学校 の表札


      20140602浜沢小学校04



門柱は平成2年のモノのようです。


      20140602浜沢小学校20



校庭から眺めた正門

      20140602浜沢小学校07



浜沢小学校の校舎全景


      20140602浜沢小学校05


      20140602浜沢小学校08



別なアングルから


      20140602浜沢小学校23



こちらが体育館


      20140602浜沢小学校06



こちらが、校舎の正面玄関


      20140602浜沢小学校11




玄関に掲げられた表札


      20140602浜沢小学校10




玄関に掲げられた校章


      20140602浜沢小学校09



校舎前には、開校記念碑。

明治8年に開校した地元の学校が、栗谷小学校の分校となり
長年、単独光としての独立を望んでいた地元民の思いが
文面として刻まれています。


      20140602浜沢小学校12



石碑はもう一基あり、昭和57年に完成したこの校舎の記念碑です。


      20140602浜沢小学校13



そして、ここにも緯度・経度の記された校碑がありました。

本当に山梨県下の小学校にはこの校碑が多い。


      20140602浜沢小学校14



雑草に覆われた遊具類


      20140602浜沢小学校15


      20140602浜沢小学校16


      20140602浜沢小学校17


      20140602浜沢小学校18


      20140602浜沢小学校19


この状態だと、近隣の子供たちも、もうここでは遊んでいないようですね。


体育館の1階部分は駐車場だったようですが
今は廃品の倉庫っと言うか、
不要になってしまった椅子等が無造作に積まれています。


      20140602浜沢小学校21



体育館の前にひっそりと置かれていた遊具


      20140602浜沢小学校22

確か、私の小さい頃にこんな遊具で遊んだ記憶があります。


平成元年に本校から独立し、分校から単独校へ分離独立し
地域の名を冠して開校した浜沢小学校。
独立開校から12年、そんな住民の心の中の思いとは裏腹に
少子化と過疎化の波の中、残念ながら廃校となってしまいました。

あの開校記念碑の文面を読んじゃったから
余計に地域の方々の無念さがわかるような気がします

廃校記念碑が無かったのは、そんな経緯もあるのだろうか...........?


 

 
2014/06/27 Fri. 00:03 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............棡原小学校井戸分校跡                         (2014年6月2日)(山梨県上野原市) 

6月2日 公休日

この日は山梨県上野原市廃校巡りに出かけました。


平成17年に北都留郡上野原町と南都留郡秋山村が合併して
新たに上野原市が発足しました。
旧・上野原町の山間部にあたる地区にあった小学校は
押し寄せる少子化と過疎化の波をモロに受け
平成23年に4校、平成24年に2校、平成26年に1校、廃校となっています。

その内の1校である棡原小学校にあった廃校記念碑に記された沿革には
かつて、尾続、井戸、沢渡と3校の分校があったようです。
以前、偶然にも沢渡分校は見つけることが出来ました。
残りの2校の分校跡も探しちゃえ!って言うことで訪れたのは..............

      旧・上野原町立 棡原小学校井戸分校跡

井戸分校は

明治37年    棡原学校の分教場として設立。
明治20年    小学校学校令改正により、棡原尋常小学校井戸分教場と改称する   
昭和22年    学制改革により、棡原村立棡原小学校井戸分教場と改称する。
昭和30年     棡原村・西原村・島田村・大鶴村・巌村・甲東村・大目村と合併し、
          上野原町が発足。上野原町立棡原小学校井戸分校と改称する。  
昭和42年    本校と統合し廃校となる。

      と、このような沿革となっています。


そもそも、この井戸分校の存在そのものを今朝まで知りませんでした。

朝一で訪れた棡原小学校の廃校記念碑を見て、その存在を知ったものの
所在地など詳細は全く不明。

と、言うことで上野原市役所内にある教育委員会で廃校跡を教えてもらいました。


棡原地区から山あいに旧・藤野町(現・神奈川県相模原市)に向かう狭い県道を走り、
井戸集落の片隅に井戸分校跡はありました。


この坂を上れば、かつての分校。


      20140602棡原小学校井戸分校01



坂を上れば、こんな感じ。


      20140602棡原小学校井戸分校02



こちらも廃校から既に41年。
校舎は取り壊され、新しい建物が建てられて、
現在は ふれあいセンター として活用されています。


      20140602棡原小学校井戸分校03


      20140602棡原小学校井戸分校05


      20140602棡原小学校井戸分校06



ふれあいセンターの玄関前には、子供用のバスケットゴール。
でも、これは明らかに41年前のモノじゃない。


      20140602棡原小学校井戸分校04




こちらが、かつての校庭。


      20140602棡原小学校井戸分校07


現在は、ゲートボール場となっているようですが
あまり活用されてもいないようです。


      20140602棡原小学校井戸分校14


      20140602棡原小学校井戸分校08



廃校記念碑や二ノ宮像と言った学校遺構も全くなく
此処がかつての分校跡と言うのは、言われなければ分かりません。



しいて挙げれは、このアングル。
校庭脇の坂道に桜の木。

この坂道を子供たちが校舎に向けて駆け上がって行った.........


      20140602棡原小学校井戸分校09

そんな風景を想像していると、ちょっぴり楽しくなったりします。



校庭跡。
桜の木の木陰でちょっぴり涼む びいすけ 。

      20140602棡原小学校井戸分校10


      20140602棡原小学校井戸分校15



何を見ているのか?


      20140602棡原小学校井戸分校11


ひょっとしたら、父さんのそんな想いを共有しようと
居るはずもない子供たちを探しているのだろうか?


      20140602棡原小学校井戸分校12


      20140602棡原小学校井戸分校13


そんな事を思いながら、この地をあとにすることにしました..............。





2014/06/26 Thu. 17:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............棡原小学校尾続分校跡                         (2014年6月2日)(山梨県上野原市) 

6月2日 公休日。

この日は山梨県上野原市廃校巡りに出かけました。


平成17年に北都留郡上野原町と南都留郡秋山村が合併して
新たに上野原市が発足しました。
旧・上野原町の山間部にあたる地区にあった小学校は
押し寄せる少子化と過疎化の波をモロに受け
平成23年に4校、平成24年に2校、平成26年に1校、廃校となっています。

その内の1校である棡原小学校にあった廃校記念碑に記された沿革には
かつて、尾続、井戸、沢渡と3校の分校があったようです。
以前、偶然にも沢渡分校は見つけることが出来ました。
残りの2校の分校跡も探しちゃえ!って言うことで訪れたのは..............

       旧・上野原町立 棡原小学校尾続分校跡


尾続分校は

明治37年    棡原学校の分教場として設立。
明治20年    小学校学校令改正により、棡原尋常小学校尾続分教場と改称する   
昭和22年    学制改革により、棡原村立棡原小学校尾続分教場と改称する。
昭和30年     棡原村・西原村・島田村・大鶴村・巌村・甲東村・大目村と合併し、
          上野原町が発足。上野原町立棡原小学校尾続分校と改称する。  
昭和42年    本校と統合し廃校となる・

      と、このような沿革となっています。


そもそも、この尾続分校の存在そのものを今朝まで知りませんでした。

朝一で訪れた棡原小学校の廃校記念碑を見て、その存在を知ったものの
所在地など詳細は全く不明。

と、言うことで上野原市役所内にある教育委員会で廃校跡を教えてもらいました。


こちらが、尾続分校跡。


      20140602棡原小学校尾続分校01


校門は既にありませんが、
遠目から見ても学校跡っぽく見えます。


      20140602棡原小学校尾続分校02



校舎は既に取り壊され、現在は尾続集会所として
新たな建物が建てられています。


      20140602棡原小学校尾続分校08


      20140602棡原小学校尾続分校06


      20140602棡原小学校尾続分校07



教育委員会の方の話では、まだ当時の建物が残っているとのことでしたが
さすがに昭和42年の廃校、今から41年前の話なので
この集会所の建物は、明らかに41年前の遺構には見えません。

おそらく、この倉庫(小屋?)が当時のモノでしょう。


      20140602棡原小学校尾続分校05




倉庫(小屋?)の前の遊具。

こちらは鉄棒。


      20140602棡原小学校尾続分校04



そして、ジャングルジムと滑り台


      20140602棡原小学校尾続分校03



廃校記念碑や二ノ宮像などの此処が学校跡だと言うことを彷彿させてくれるモノは
ほとんど残されていません。

      20140602棡原小学校尾続分校11


      20140602棡原小学校尾続分校10


ただ、狭い敷地に子供たちの遊具が残されています。

先ほどの鉄棒やジャングルジム以外にもブランコがあったり、


      20140602棡原小学校尾続分校09


こんな滑り台があったりと、
残された遊具の数は敷地の割りには多いような気がします。


      20140602棡原小学校尾続分校12



フェンスに囲まれた雰囲気は学校跡を彷彿させますが
やっぱり門がないから、今一つ。


      20140602棡原小学校尾続分校13


せめて、門柱が残っていれば良かったのにと思うのは
私だけなんだろうか.....................?





2014/06/26 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............沢松小学校                                (2014年6月2日)(山梨県上野原) 

6月2日 公休日

この日は山梨県上野原市廃校巡りに出かけました。


平成17年に北都留郡上野原町と南都留郡秋山村が合併して
新たに上野原市が発足しました。
旧・上野原町の山間部にあたる地区にあった小学校は
押し寄せる少子化と過疎化の波をモロに受け
平成23年に4校、平成24年に2校、平成26年に1校、廃校となっています。


大目小学校をあとにして、次に訪れたのは.................................

          上野原市立沢松小学校


沢松小学校は

明治7年   学校創立。小学沢松学校と称す。
明治8年   四方津村・川合村・八ッ沢村・松留村が合併して巌村となる。
明治20年  四方津小学校と合併して、巌尋常小学校となる。
明治25年  小学校令改正により分離独立して、沢松尋常小学校となる。
昭和22年  学制改革により、巌村立沢松小学校と改称する。
昭和30年  巌村が町村合併により上野原町となり
       、上野原町立立沢松小学校と改称する。
平成17年  上野原町が秋山村と合併して上野原市が発足
        上野原市立沢松小学校と改称する。  
平成23年  甲東小学校、大目小学校、四方津小学校と合併し
        西小学校が発足、廃校となる


    と、このような沿革となっています 。




こちらが、沢松小学校正門

      20140602沢松小学校02



石造りのごつい門柱には沢松小学校の表札

      20140602沢松小学校01



沢松小学校全景

      20140602沢松小学校08


こちらが旧校舎

      20140602沢松小学校03


鉄筋校舎と体育館

      20140602沢松小学校04



逆アングルからの校舎
新・旧の校舎が並んでいます

      20140602沢松小学校18




校庭に残されている遊具

      20140602沢松小学校05



      20140602沢松小学校06



この木製の器具は何かと思っていたら
どうやら逆上がりの補助具のようですね。


      20140602沢松小学校07



校庭の隅、校舎の脇には沢松小学校のシンボルだったのだろうか?
立派な楠の木(?)が立ってます。

      20140602沢松小学校10



そして、玄関前には二ノ宮像もありました。


      20140602沢松小学校11


      20140602沢松小学校12



廃校記念碑はありませんでしたが
開校百周年の記念碑。


      20140602沢松小学校13


まさか、この碑を建てた時には、廃校になるとは
予想もしていなかったでしょうね。



そして、ここにもありました。
山梨県下の小学校では良く見かけるモノ。
それは、緯度経度の記された校碑。


      20140602沢松小学校15



そして、こちらが大正2年の校舎建築記念碑。


      20140602沢松小学校16



その時に建てられた校舎は既に解体されてありませんが
記念碑と当時の写真が校舎の裏にひっそりと飾られていました。


      20140602沢松小学校17




沢松小学校の校庭。


      20140602沢松小学校14



フェンスには『笑顔あふれる沢松』の文字。


      20140602沢松小学校19

でも、笑顔を振りまく子供たちは、もう此処には居ません。


せめて、この仔の笑顔を代わりに振りまきましょう。


      20140602沢松小学校09


びいすけ の笑顔が、この地区の子供たちの健康と健やかな成長を
願って止みません.....................。




2014/06/25 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............大目小学校                                 (2014年6月2日)(山梨県上野原市) 

6月2日 公休日

この日は山梨県上野原市廃校巡りに出かけました。


平成17年に北都留郡上野原町と南都留郡秋山村が合併して
新たに上野原市が発足しました。
旧・上野原町の山間部にあたる地区にあった小学校は
押し寄せる少子化と過疎化の波をモロに受け
平成23年に4校、平成24年に2校、平成26年に1校、廃校となっています。


甲東小学校をあとにして、次に訪れたのは............................

          上野原市立大目小学校


大目小学校は

明治6年     大野村に大野学校が創立。
          犬目村に犬目学校が創立
明治8年    犬目村・大野村が合併して大目村となる。
明治19年    小学校令により大野尋常小学校、犬目尋常小学校と改称。
昭和3年    両校が統合し、大目尋常小学校を新設。
昭和22年    学制改革により大目村立大目小学校と改称。
昭和30年    大目村が近隣の町村と合併し上野原町が発足。
         上野原町立大目小学校と改称する。 
平成17年   上野原町が秋山村と合併し上野原市が発足。
         上野原市立大目小学校と改称。
平成23年   大目小学校、甲東小学校、沢松小学校、四方津小学校が統合、
         新たに西小学校が発足するために廃校となる。

   と、このような沿革となっています。



大目小学校のある大目地区も上野原の山間部。
正式には山間部と言うか、中央高速の談合坂SAは
それなりに高台にあるのですが、さらに高台にある集落が犬目。
そして犬目集落から少し下れば、大野地区。
その両地区の中間点にあたる処にあるのが、大目小学校。


こちらが大目小学校。

錆びれた、バスの停留所の看板が
何気に廃校には似合います。


      20140602大目小学校01



大目小学校正門。
ゲートはしっかりと閉ざされています。


      20140602大目小学校02


誰も居ませんが、一応、『失礼しま〜す!』と大きな声をかけて
中に入ってみます。


      20140602大目小学校03




こちらが大目小学校の校舎全景


      20140602大目小学校16



こちらが別アングルからの校舎


      20140602大目小学校10



校舎の正面玄関


      20140602大目小学校14



玄関に掲げられた表札


      20140602大目小学校15



玄関の軒天の校章


      20140602大目小学校13


玄関脇には二ノ宮像


      20140602大目小学校11


      20140602大目小学校12






体育館前、駐車場の一画に、廃校記念碑

『古城に建つ大目小学校』


古城って言う言葉にやられました。


      20140602大目小学校04


      20140602大目小学校05



廃校記念碑の裏面には大目小学校の沿革が刻まれています。


      20140602大目小学校06



こちらは、大目小学校の校歌の碑


      20140602大目小学校07



こちらにもありました。
山梨県下の小学校には何故かこの緯度と経度が記された碑が多い。


      20140602大目小学校08



校庭に残された遊具たち


      20140602大目小学校09

      20140602大目小学校17

      20140602大目小学校18



かつての正門でしょうか?
県道からはちょっぴり奥まった場所ですが、
石造りの年季の入った門柱です。


      20140602大目小学校19



門柱には上野原市立大目小学校の表札
平成17年以降に造られたモノでしょう。


      20140602大目小学校20



廃校記念碑にも記されていたけれど
大目小学校は城址に建てられたようですが
その古城についての情報がありません。
現地でiPhoneで検索してみたけれど、出てこない.............

確かに、こんな土橋があったりして、城址の雰囲気は溢れています。

      20140602大目小学校21


後で上野原市の教育委員会の方に聞いていたけれど
古城についての文献も無く、伝承も詳しくは解らないとのことでした。

ただ近くに古城温泉があるから、それにちなんだのでしょうか...........?


確かに昔の城跡が学校になるというパターンは多い。
そして、その学校も廃校にというパターンもあるわけでして
今後、そのパターンが増えていくんだろうなぁ........................。




2014/06/24 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............甲東小学校跡                               (2014年6月2日)(山梨県上野原市) 

6月2日 公休日

この日は山梨県上野原市廃校巡りに出かけました。


平成17年に北都留郡上野原町と南都留郡秋山村が合併して
新たに上野原市が発足しました。
旧・上野原町の山間部にあたる地区にあった小学校は
押し寄せる少子化と過疎化の波をモロに受け
平成23年に4校、平成24年に2校、平成26年に1校、廃校となっています。


和見分校をあとにして、次に訪れたのは..........................

          上野原市立甲東小学校跡




甲東小学校は

明治6年    野田尻村に野田学校が開設される。
         桑久保村に桑窪学校が開設される。
         芦垣村、和見村にそれぞれ桑窪学校の分教場が設置される。
明治8年    野田尻村、桑久保村、芦垣村、和見村が合併して甲東村となる。
明治19年   小学校令により野田尋常小学校、桑窪尋常小学校と改称。
明治22年   野田尋常小学校を甲東尋常小学校第1教場、
         桑窪尋常小学校を甲東尋常小学校第2教場と改称。
明治35年   芦垣分教場が第2教場に統合される。      
昭和22年   学制改革により甲東村立甲東小学校と改称。
昭和30年   甲東村が近隣の町村と合併し上野原町が発足。
         上野原町立甲東小学校と改称。
平成17年   上野原町が秋山村と合併し上野原市が発足。
         上野原市立甲東小学校と改称。
平成23年   甲東小学校、大目小学校、沢松小学校、四方津小学校が統合、
         新たに西小学校が発足するために廃校となる。

   と、このような沿革となっています。



こちらが、甲東小学校の正門。


      20140602甲東小学校01



廃校から3年。
石造りの門柱には、甲東小学校の表札。


      20140602甲東小学校02


      20140602甲東小学校05



反対側の門柱には、昭和48年に完成した校舎の記念の文字。


      20140602甲東小学校03


      20140602甲東小学校04




しかし、残念ながらその校舎は既に解体されてしまって
跡形もありません。


      20140602甲東小学校06


現在、甲東小学校跡地は 甲東ふれあいセンター として新たな建物も建てられ、
地域の公民館的な役割を担っているようです。


      20140602甲東小学校13


      20140602甲東小学校12



写真を撮っていると、いきなり びいすけ がゴロ〜ん。


      20140602甲東小学校09


確かに気持ち良さそうな芝生が生えています。


      20140602甲東小学校10


      20140602甲東小学校11



校庭の隅には、山梨県下の小学校ではお馴染みの校碑。


      20140602甲東小学校07



この地に紛れもなく、甲東小学校があった証しです。


      20140602甲東小学校08




見た感じ、まだまだ新しそうな百葉箱。


      20140602甲東小学校14



かつての校庭は、スクールバスの駐車場となっており、
旧・甲東小学校の学区の子供たちが、ここからバスに乗って
西小学校へ通っているようです。


      20140602甲東小学校15




こちらは、裏門に当たるのか?
正門とは逆方向にある校門。
やっぱり、位置的に裏門になるのかな?


      20140602甲東小学校16




石造りの門柱は、正門より年季が入っていそう。
ひょっとしたら、昔はこちらが正門だったのかも?


      20140602甲東小学校17



校舎もないし、廃校記念碑もない。
二ノ宮像もないし、校庭には遊具も残っていないから、
次なる廃校へ移動することにいたしました。


移動の途中、中央道(下り)談合坂SAの隣に
平和中学校なるモノがナビに映しだされた。
何気に前を通り過ぎると、校門には別な表札が掲げられていた。


      20140602甲東小学校19


      20140602甲東小学校18


『えっ! 甲東小学校って?』

ここにも、甲東小学校がありました。

摩訶不思議..............




とりあえず、門は閉ざされていますが..............
誰も居る気配はありませんが............................

一応、『失礼しま〜す!』と大きな声をかけて、中に入ります。



山梨県下に多い、緯度経度の記された校碑を見る限り
ここは平和中学校だったようです。


      20140602甲東小学校20



広い校庭。
そして、ひとまわり大きく感じる校舎。

中学校の匂い(実際には臭わないけれど)がプンプン


      20140602甲東小学校22


ただ、校庭には中学校には似つかない遊具。


      20140602甲東小学校21


      20140602甲東小学校23


後で、上野原市役所にある教育委員会の方に聞いたら
甲東小学校は平成23年に閉校したけれど
平成22年から1年間、この平和中学校跡地を校舎として使用していたそうです。

なるほど、先に訪れた廃校跡地に遊具が全く残されていなかったのも
こう言った理由だったんですね。




2014/06/23 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............西小学校和見分校                             (2014年6月)(山梨県上野原市) 

6月2日 公休日

この日は山梨県上野原市廃校巡りに出かけました。


平成17年に北都留郡上野原町と南都留郡秋山村が合併して
新たに上野原市が発足しました。
旧・上野原町の山間部にあたる地区にあった小学校は
押し寄せる少子化と過疎化の波をモロに受け
平成23年に4校、平成24年に2校、平成26年に1校、廃校となっています。


大鶴小学校をあとにして次に訪れたのは..............

          上野原市立西小学校和見分校


和見分校は

明治6年    桑久保村に桑窪学校が開設され、和見村に桑窪学校の分教場が設置される。
明治8年    野田尻村、桑久保村、芦垣村、和見村が合併して甲東村となる。
明治19年   小学校令により桑窪尋常小学校和見分教場と改称。
明治22年   甲東尋常小学校和見分教場と改称。
昭和22年   学制改革により甲東村立甲東小学校和見分教場と改称。
昭和30年   甲東村が近隣の町村と合併し上野原町が発足。
         上野原町立甲東小学校和見分校と改称。
平成17年   上野原町が秋山村と合併し上野原市が発足。
         上野原市立甲東小学校和見分校と改称。
平成23年   高東小学校、大目小学校、沢松小学校、四方津小学校が統合、
         新たに西小学校が発足、
         上野原市立西小学校和見分校となる。
平成26年   本校に統合され、廃校となる。

   と、このような沿革となっています。


かつての和味村、現・上野原市の和見地区。
山深き上野原市のさらに奥地になります。


和見集落はこんな感じの所です。

      20140602和見分校16



この坂を上った先が和見分校

      20140602和見分校01



近代的なデザインである校舎。

でも山奥の分校だからこじんまりとした校舎です。


      20140602和見分校02


      20140602和見分校08




廃校記念碑はありませんでしたが、校庭の一角に校碑が建っています。
小学校の緯度経度が記された校碑。

なぜか、山梨県下の小学校にはこの校碑が多い。

      20140602和見分校03


廃校時には上野原市立西小学校の分校でしたが
その歴史のほとんどが甲東小学校の分校だったから
甲東小学校和見分校の遺構が多い。


      20140602和見分校04


いずれ、廃校になる予定だったから、西小学校に名称を変えても
諸々の書き直し、訂正は充分じゃなかったみたいです。



こちらは、校舎の玄関。

      20140602和見分校05



玄関の表札も 甲東小学校和見分校 のままでした。


      20140602和見分校13



猫の額と言うわけじゃないですが、お世辞にも広いとは言えない校庭には
数ヶ月前まで、子供たちが遊んでいた遊具。


      20140602和見分校06


      20140602和見分校07


      20140602和見分校09


      20140602和見分校10



校庭で何かを見つめる びいすけ 。


      20140602和見分校11



      20140602和見分校12




視線の先には、誰も遊ばなくなった子供用のバスケットボールのゴール。


      20140602和見分校14



そして、ゴールの前に転がっているボール。
なぜかさみしげな感じがしました。


      20140602和見分校15


さすがに、このボールで遊ばせる気にはなりませんでした。



廃校時には、5名の児童しか居なかった和見分校。
静かに137年間の歴史の幕を下ろしたようです。






2014/06/22 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............大鶴小学校                                (2014年6月2日)(山梨県上野原市) 

6月2日 公休日

この日は山梨県上野原市廃校巡りに出かけました。


平成17年に北都留郡上野原町と南都留郡秋山村が合併して
新たに上野原市が発足しました。
旧・上野原町の山間部にあたる地区にあった小学校は
押し寄せる少子化と過疎化の波をモロに受け
平成23年に4校、平成24年に2校、平成26年に1校、廃校となっています。


棡原小学校をあとにして、続いて訪れたのは............................

     上野原市立大鶴小学校


大鶴小学校は

明治5年    大倉村・大曽根村・大椚村・鶴川村が合併して大鶴村となる。
明治7年    大鶴村(旧・大倉村域)に大倉学校創立
         大鶴村(旧・鶴川村域)に鶴川学校創立
         大鶴村(旧・大椚村域)に大椚学校創立
明治20年   3校が閉校し、上野尋常小学校曾根分校が新設される
明治22年   曾根分校閉校し、大鶴尋常小学校が新設される
昭和22年   大鶴村立大鶴小学校とt改称。
昭和30年   大鶴村が上野原市に編入合併し、上野原町立大鶴小学校と改称
平成17年   上野原町が秋山村と合併し上野原市発足
         上野原市立大鶴小学校と改称。
平成24年   上野原小学校と統合し廃校となる。

        と、このような沿革となっています



こちらが大鶴小学校正門

      20140602大鶴小学校01


廃校から2年が建っていますが
石造りの門柱には、表札が掲げられています。

      20140602大鶴小学校03



時刻は朝の7時30分。
偶然にも、スクールバスがやって来ました。

      20140602大鶴小学校02

校門前が、スクールバスの乗り場。
統合された上野原小学校まで通うようです。


バスを見送った後、改めて正門前で一枚、パチリ☆

      20140602大鶴小学校21



では、校内に入ってみましょう。


校舎全景。

      20140602大鶴小学校20


ここにもありました。
校舎前に廃校の記念碑が建っていました。

      20140602大鶴小学校05


      20140602大鶴小学校06


こちらも裏面には沿革が刻まれています。

      20140602大鶴小学校07




こちらは、校舎改築の記念碑。


      20140602大鶴小学校14

この記念碑を建てた時には、廃校になるなんて思ってもいなかったんだろうなぁ。

改築記念碑の隣には二ノ宮像。
やっぱり小学校には、これがなくっちゃ!


      20140602大鶴小学校12


      20140602大鶴小学校13


      20140602大鶴小学校16


こちらは、校舎正面玄関。


      20140602大鶴小学校17



そして、玄関の庇には校章。


      20140602大鶴小学校09



側面から見る校舎。


      20140602大鶴小学校10



特別教室に使われていたのでしょうか?
旧・校舎。


      20140602大鶴小学校11



そして、こちらが体育館。


      20140602大鶴小学校15




こちらは、校庭。


      20140602大鶴小学校08




校庭の隅には、かつての遊具が残されています。


      20140602大鶴小学校04

      20140602大鶴小学校18


      20140602大鶴小学校19


隣接していた保育園も数年前に廃園となり、
子供たちに遊ばれることは無くなったようです。





おまけ

大鶴小学校の隣は、上野原市役所大鶴出張所

木造2階立てのこの建物は、旧・大鶴村役場の建物

      20140602大鶴小学校22

この建物だけでも味がある。

木製の大鶴主張所の看板も何となく粋を感じてしまいます。

      20140602大鶴小学校23


隠れた上野原の穴場と言ったところでしょうか.....................










2014/06/21 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............棡原小学校                                 (2014年6月2日)(山梨県上野原市) 

6月2日 公休日

この日は山梨県上野原市廃校巡りに出かけました。


平成17年に北都留郡上野原町と南都留郡秋山村が合併して
新たに上野原市が発足しました。
旧・上野原町の山間部にあたる地区にあった小学校は
押し寄せる少子化と過疎化の波をモロに受け
平成23年に4校、平成24年に2校、平成26年に1校、廃校となっています。


最初に訪れたのは..............上野原市立棡原小学校



棡原小学校は

明治7年     棡原村に棡原学校として創設。
           井戸、尾続、沢渡に分教場を設置する。
明治20年    小学校学校令改正により、棡原尋常小学校と改称する   
昭和22年    学制改革により、棡原村立棡原小学校と改称する。
昭和30年     棡原村・西原村・島田村・大鶴村・巌村・甲東村・大目村と合併し、
          同年発足した上野原町に編入し、上野原町立棡原小学校と改称する  
昭和42年    尾続、井戸、沢渡分校を統合する
平成17年    上野原町が秋山村と合併し、上野原市が発足。
          上野原市立棡原小学校と改称する。
平成24年    上野原小学校に統合され廃校となる。

      と、このような沿革です。

明治7年の開校から137年で歴史の幕を降ろした棡原小学校
廃校となって2年経ちますが、県道沿いには未だ看板が建っています。


      20140602棡原小学校01



こちらが正門

      20140602棡原小学校02



門柱には表札が残っていました。

      20140602棡原小学校03


      20140602棡原小学校04



校庭に入って、棡原小学校を眺めてみます。

      20140602棡原小学校05



棡原小学校校舎全景。

      20140602棡原小学校06


校庭の隅に、探しているものを見つけました。

やっぱり、廃校の記念碑がなくっちゃ!

      20140602棡原小学校07


それにしても立派な廃校の碑。
写真を石に彫っちゃうなんて、すごい技術。


      20140602棡原小学校08



裏面には沿革も刻まれていて、大変参考になりました。
冒頭の沿革は、こちらより引用いたしました。

      20140602棡原小学校09


沢渡分校の事は知っていたけれど、
尾続分校、井戸分校の事は知らなかったから
大変参考になりました。

(ネットでは、上野原の廃校の情報が少なくて.......)

Wikipediaにも載っていません。





こちらが体育館。

      20140602棡原小学校10



体育館前の水飲み場。

      20140602棡原小学校11



使われなくなった蛇口。

水飲み場は、ヒビが入って水漏れしています。

      20140602棡原小学校12


遊具も撤去され、がら〜んとした校庭。
少年野球の練習グランドとして利用されているようです。
なんとなく味気ない気がします。

      20140602棡原小学校13




校舎正面玄関に掲げられた表札。

      20140602棡原小学校14


そして、校章。

      20140602棡原小学校15


校舎の裏にはプール。

      20140602棡原小学校16

夏がもうすぐやって来ますが、
このプールが使われる事は、おそらくないでしょう。



約1年振りに訪れた上野原。
かつては長寿の村だった棡原。
老人は長生きしたようですが、若い世代が増えず
少子化と過疎化の波をモロに被ってしまったようです。
なんとも皮肉としか言いようがない..............。

分校を3校も持っていた棡原小学校。
本校と分校を合わせれば、かなりの子供たちの学び舎だったのだろう。

137年間、ご苦労様でした。





2014/06/20 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............田伏小学校                                 (2014年5月24日)(茨城県かすみがうら市) 

5月24日 公休日

この日は茨城県かすみがうら市の城址巡りをしていました。
もともと旧・出島村には3校の廃校があったのですが、
たまたま偶然にも、その内の1校である出島村立志士庫小学校西成井分校を見つけて
気分を良くした勢いで、残りの2校も探してみることにしました。

3校目の廃校は..............旧・出島村立 田伏小学校


田伏小学校は

明治10年   田伏村に田伏小学校創立
明治19年  坂尋常小学校に統合。
明治22年  田伏村が坂村と合併し、佐賀村が誕生。
明治23年  佐賀村立佐賀尋常小学校仮教場として開設
明治25年  佐賀第二尋常小学校として開校する
明治26年  佐賀村立田伏尋常小学校と改称
昭和22年  佐賀村立田伏小学校と改称
昭和30年  近隣の6村が合併して出島村が誕生。
        出島村立田伏小学校と改称
昭和53年  出島村立佐賀小学校に統合され、廃校となる。

と、このような沿革です。




こちらが、田伏小学校跡。
現在は公園になっていますが、公園の案内板も錆びついていて
公園名もわからない状態です。
微かながら、.......農村公園と読めます。

      20140524田伏小学校01


かつての正門跡でしょうか?

      20140524田伏小学校02



小学校時代の遺構の遊具なのか?
はたまた、公園となった時に設置されたものなのか?

      20140524田伏小学校03


週末の土曜日ですが、遊びに来る子供たちも居ないようです。

      20140524田伏小学校04


廃校から既に36年。
背後の建物は小学校時代の校舎なのかはわかりませんが、
この場所から見た感じ、それっぽく見えたりします。

      20140524田伏小学校05


      20140524田伏小学校06


      20140524田伏小学校07


      20140524田伏小学校08




敷地の片隅に残された廃校の記念碑。

      20140524田伏小学校09


      20140524田伏小学校10


記念碑の裏には田伏小学校の沿革刻まれています。

      20140524田伏小学校13




噴水のついた池。
今はこう言った人工池は見かけませんが
往時は噴水の水も勢いよく吹き出していたのでしょう。

      20140524田伏小学校11


廃校の碑と池のある場所
遠目から眺めるとこんな感じです。

      20140524田伏小学校14


廃校跡地(建物)は現在、田伏農村集落センターとして再利用されています。
この建物は往時の校舎なのか................?
結局わからないままでした.

ただ、廃校記念碑の沿革では
明治26年 此ノ地に新校舎建設時されているから
明治時代の建物じゃなさそうだから................ね?

      20140524田伏小学校12


時刻も17:00近くなり、陽も傾き始めてきた。

      20140524田伏小学校15


もう一度、正門の前で田伏小学校を眺めてみた。
再び訪れることはおそらくないだろう。

しっかりと脳裏に焼き付けて、この地をあとにすることにした.................。




 
2014/06/19 Thu. 17:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............柏崎小学校                                (2014年5月24日)(茨城県かすみがうら市) 

5月24日 公休日

この日は茨城県かすみがうら市の城址巡りをしていました。
もともと旧・出島村には3校の廃校があったのですが、
たまたま偶然にも、その内の1校である出島村立志士庫小学校西成井分校を見つけて
気分を良くした勢いで、残りの2校も探してみることにしました。


2校目の廃校は.........................旧・出島村立 柏崎小学校



柏崎小学校は

明治11年    柏崎村に柏崎小学校創立
明治22年   柏崎村が近隣の村々と合併し、安飾村が発足。
         安飾第一尋常小学校柏崎分教場となる
明治25年   安飾第二尋常小学校として独立する

     ↑
    この間の詳細不明
     ↓

昭和30年   安村が近隣の村々と合併し、出島村が発足。
         出島村立柏崎小学校と改称。
昭和44年   出島村立安飾小学校に統合され、廃校となる。

ざっとですが、このような沿革を経ています。



柏崎集落の中心とも言える場所にあった柏崎小学校
現在は『柏崎コミュニティセンター』となり、地域に公民館として活用されているようです。


      20140524柏崎小学校跡01



かつての正門
石造りの門柱が残されています。

      20140524柏崎小学校跡02


柏崎小学校跡地全景

      20140524柏崎小学校跡05


廃校後、一時期は『柏崎農業公園』とされていたようですが
案内看板は錆だらけ............
かろうじて文字が読み取れます。

      20140524柏崎小学校跡04




廃校敷地内の奥の遊具
柏崎小学校時代の遺構でしょうか........?

      20140524柏崎小学校跡06


      20140524柏崎小学校跡07


      20140524柏崎小学校跡08



比較的新しい建物。
廃校時の校舎ではなく、建て替えられたものです。

      20140524柏崎小学校跡12


平成6年に建て替えられたようです。
でももう20年近く経つんですね...........

      20140524柏崎小学校跡09



廃校の敷地内の片隅には消防倉庫が建てられています。
このパターンも多いですね。

      20140524柏崎小学校跡13



消防倉庫脇に建つ石碑

      20140524柏崎小学校跡10


左側の石碑は学校関連の石碑。

柏崎小学校設立時の寄付金が記された記念碑。

      20140524柏崎小学校跡11





      20140524柏崎小学校跡03

廃校から既に45年
この地に学校が無くなって、かなりの年月が経ちました。
廃校の記念碑もなく、校舎もすでに建て替えられて
学校だった証しは残された門柱と寄付金の記念碑のみ。

敷地内にポツンと置いてあった子供用の自転車。
この自転車に乗っている子供はちょっぴり離れた学校に通うことになるんだろうなぁ...........



2014/06/19 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

宍倉城址  (2014年5月24日)(茨城県かすみがうら市) 

5月24日 公休日

この日は茨城県かすみがうら市城址巡りに出かけました。

笠松城址、志筑城址、戸崎城址と巡り、
最後に訪れたのは..............

         宍倉城址



宍倉城は

1429~1440年の頃は野田遠江守の所轄でしたが、
後の1501~1503年には、小田氏家臣の菅谷隠岐守貞次が城主となり、
周辺を統治していました。
しかし佐竹氏の南進政策によって徐々に小田氏の勢力は衰退していき、
1573年、佐竹氏に攻め込まれると菅谷氏は佐竹氏に降伏。
以降は佐竹氏に従いますが、
佐竹氏の秋田移封に伴って宍倉城も廃城となりました。


こちらが宍倉城の縄張り図

      宍倉城縄張り図

          ( 余胡くんのホームページ よりお借りしました )


こちらが、県道118号線からの城址入口。
近くには駐車スペースがないため、
かなり離れた空き地に停めました。


      20140524宍倉城址01
 

      20140524宍倉城址21


この細い路地を150mほど歩けば宍倉城址となります。

      20140524宍倉城址22




住宅街を抜けると、いきなり一気に雰囲気は様変わりします。
この先が土橋。

      20140524宍倉城址02



土橋を渡って反対側から眺めてみます。

      20140524宍倉城址03


茂みの奥に空堀が広がりますが、よく見えません。

      20140524宍倉城址04




主郭虎口
それっぽい雰囲気が漂います。

      20140524宍倉城址05



虎口に建つ城址の説明看板

      20140524宍倉城址06


その脇には城址の標柱

      20140524宍倉城址07


      20140524宍倉城址08




こちらが主郭。
そのほとんどが耕地され完全な畑。

      20140524宍倉城址09



麦の穂がたわわに実っています。

      20140524宍倉城址10



主郭の北西端に鎮座する城ノ内稲荷神社

      20140524宍倉城址11


稲荷神社背後の空堀

      20140524宍倉城址12



広くて深い空堀
下草も刈られていて、『すごい!』の一言に尽きます

      20140524宍倉城址13


主郭から空堀へ移動しようと試みますが
麦畑の中に入っていくのはちょっぴり躊躇、
さらに麦畑の奥は茂みがあって、やむなく断念

左側が二郭、右側が主郭となります。

      20140524宍倉城址17


主郭の城塁
この辺りは帯曲輪が耕地化されて改変されてしまったようです。

      20140524宍倉城址14


こちらが往時の登城口でしょうか.....?
横矢のかかった上り道。
右側の土壇をぐるっと回って主郭方面へと続きます


      20140524宍倉城址15


      20140524宍倉城址16



その道を主郭へ向かって進んで行けば、堀切
空堀沿いに主郭虎口へと続きます

      20140524宍倉城址18



茂みで空堀も画像では見えません。
(近寄って肉眼だとわかるんですがねぇ.......)


      20140524宍倉城址19


この右側も空堀なんですが........
やっぱり画像じゃ確認できませんね

      20140524宍倉城址20


それなりに城域の広い宍倉城址ですが
主郭と主郭背後の空堀以外はあまり見所がないような気がします。
主郭虎口手前の土橋や空堀
もうちょっと手入れ(草刈り・伐採等)がなされていれば
それなりに見応えがあるんだけれど............

文化財の保護に力を入れている『かすみがうら市』の
今後の対応に期待いたしましょう......................









2014/06/18 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............志士庫小学校西成井分校                       (2014年5月24日)(茨城県かすみがうら市) 

5月24日 公休日

この日は茨城県かすみがうら市の城址巡りに出かけました。
戸崎城址を跡にして、次なる城址へ向けて、
県道141号線を宍倉方面へ移動していました。
西成井地区を走っていると、畑の中に木造校舎を発見。
急いでUターン。
畑で農作業をしていた御婦人(要はオバちゃん)に話を聞くと、
かつての分校跡だと言うことです。
これは素通り出来ません。
と言うことで立ち寄った先は............................

     旧・出島村立 志士庫小学校西成井分校


西成井分校は

明治時代に西成井村に創設された西成井小学校が源となります。

明治22年   町村制の施行により、宍倉村、西成井村、上軽部村が合併して
         志士庫村が発足。西成井尋常小学校と改称。
大正12年   西成井尋常小学校が志士庫尋常小学校に統合され
          志士庫尋常小学校西成井分校となる。
昭和21年    志士庫小学校西成井分校と改称。
昭和30年   志士庫村が近隣6村の合併で出島村となり、
         出島村立志士庫小学校西成井分校と改称。
昭和46年   本校に統合され、廃校となる。

      と、このような沿革を経ているようです。



こちらが、西成井分校の正門。


      20140524志士庫小学校西成井分校01



石造りの門柱は表札が外されています。
廃校から既に43年の月日が流れているから仕方の無いことです。


      20140524志士庫小学校西成井分校02


      20140524志士庫小学校西成井分校03



校庭から眺める分校。

      20140524志士庫小学校西成井分校04


      20140524志士庫小学校西成井分校05




木造の小さな校舎ですが、多少の手が加わっていますが
廃校時の面影をかなり残しています。

現在、この校舎は 志士庫地区第二公民館 として利用されています。


      20140524志士庫小学校西成井分校07


      20140524志士庫小学校西成井分校08

クリーム色と白のツートンカラーが意外に映えます。




校庭の隅には、かつての遊具。
現在も地区の子供たちの遊具として使われているようです。


      20140524志士庫小学校西成井分校06


      20140524志士庫小学校西成井分校09


      20140524志士庫小学校西成井分校11



公園としても利用されているのでしょうか?
明らかに、後から作られた門があります。


      20140524志士庫小学校西成井分校10


      20140524志士庫小学校西成井分校15





もう一度、木造校舎を眺めてみます。



いやぁ、やっぱり雰囲気は良い。

    
びいすけ とのショットもサマになる気がします。
(単なる親バカ? 『笑』)


      20140524志士庫小学校西成井分校12


      20140524志士庫小学校西成井分校13


      20140524志士庫小学校西成井分校14



偶然とは言え、素晴らしいモノに出会えた気がします。

そう言えば、以前Wikipediaで旧・出島村には3つの小学校が廃校になったと書かれていた。
こうなりゃ、残りの2校も探しちゃいましょうか..............?(笑)






2014/06/17 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

戸崎城址  (2014年5月24日)(茨城県かすみがうら市) 

5月24日 公休日

この日は茨城県かすみがうら市城址巡りに出かけました。

霞ヶ浦近く、戸崎地区にある 戸崎城址 に訪れました。


戸崎城は

築城年代は定かではありませんが、応仁年間(1467年~1469年)の頃に
戸崎氏によって築かれたと言われています。

戸崎氏は小田城城主・小田氏の家臣であり、
戸崎城は天正元年(1573年)戸崎大膳長俊が城主の時に
佐竹氏の攻撃を受けて落城したと言われています。
文献等に戸崎城主として出てくるのは、宍倉城と同じく菅谷氏で、
永禄7年(1564年)頃は菅谷次郎左衛門が城主であったとされています。

落城後は文禄4年(1595年)には佐竹氏の家臣飯塚兵部少輔が城主であったが、
佐竹氏の秋田転封に伴い、戸崎城は廃城となったとされています。



こちらが、戸崎城の縄張り図。


      戸崎城址縄張り図

        ( 余胡くんのホームページ  よりお借りいたしました)



この看板が城址への目印ですが、
ここに至るまでちょっぴり道に迷いました。


      20140524戸崎城址14

この先、300mほどで主郭となります。


こちらが、主郭の坂虎口。
この坂の上が主郭になります。

      20140524戸崎城址01


この坂虎口は戸崎城址の代名詞?
多くの城郭サイトでも、戸崎城址と言えばこのアングルが紹介されます。

      20140524戸崎城址02


坂虎口を逆アングル(下側)から見ると、こんな感じ。

      20140524戸崎城址18


虎口手前に建つ説明看板。

      20140524戸崎城址03


いきなりですが、主郭(本丸)にいざ!突入!!

      20140524戸崎城址04



主郭は100m×30mくらいの広さ。
耕地されて畑と化しています。


      20140524戸崎城址08



主郭の一番奥まった所に石積みが1基。
何かを祀っているようです。

      20140524戸崎城址05


主郭の城塁。さらにその下には帯曲輪。
しかし、雑草で分かりづらい。

      20140524戸崎城址06



主郭から眼下の蓮畑を眺めてみます。
蓮畑と言うよりは、単なる水田にしか見えない。


      20140524戸崎城址07




主郭と天神との間の空堀。
畑として整地されています。

      20140524戸崎城址09


この空堀が戸崎城址の最大の見所。

      20140524戸崎城址10



天神側から見た空堀。

      20140524戸崎城址19



こちらが二の丸

畑の中に標柱が建っていますが、
文字もかすれて、辛うじて二の丸跡と読めます。

      20140524戸崎城址11


      20140524戸崎城址12



二の丸の空堀。


      20140524戸崎城址13


少し引いて眺めてみると、土橋もハッキリわかります。

      20140524戸崎城址20


二郭下側の郭。
一説によれば、馬出し曲輪とも言われています。

      20140524戸崎城址21


馬出し曲輪の近くで野良ネコ(?)に遭遇。
ネコを見て大興奮の びいすけ 。
そして、毛を逆立てて威嚇するネコ。

      20140524戸崎城址15


城址の台地を下れば、明光ヶ池
かつての水堀だったのでしょうか?

      20140524戸崎城址16


以前は水田だった二郭下。
電柱のはある辺りは埋められて、道路の拡張工事がされていました。

しかし、二郭城塁と腰曲輪は健在です。


      20140524戸崎城址17


台地一帯が城域だった戸崎城。
しかし、主郭、二郭を残すのみで民家として宅地化されて
その広い城郭の多くがなくなってしまったようです。
かつては出島村、そして霞ヶ浦町、更には、かすみがうら市と変わって行く中で
この戸崎城址はこのままの形で、後世に残していって欲しいものです。






2014/06/16 Mon. 17:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........上大津東小学校菅谷分校                        (2014年5月24日)(茨城県土浦市) 

5月24日 公休日

この日は茨城県のかすみがうら市の城址巡りに出かけました。

かすみがうら市に隣接する土浦市
かつての分校跡があると言うことで訪れてみました。

訪れたのは..............

     土浦市立上大津東小学校菅谷分校跡


菅谷分校は

大正4年 上大津村菅谷に上大津東尋常小学校菅谷分校創設。
昭和22年 上大津村立上大津東小学校菅谷分校と改称。
昭和29年 上大津村が土浦市と合併、土浦市立上大津東小学校菅谷分校と改称。
昭和61年 分校が土浦市立菅谷小学校として分離独立するために廃校となる。

と、ざっとこんな沿革を経ています。


現在、分校跡は新たな建物が建って
菅谷町集落センターとして活用されています。


      20140524上大津東小学校菅谷分校跡11



こちらが、分校跡。

      20140524上大津東小学校菅谷分校跡01



地域の公民館のような施設となっています。


      20140524上大津東小学校菅谷分校跡03



かつての分校跡の名残り。
子供たちが遊んだ鉄棒。

      20140524上大津東小学校菅谷分校跡02



さして広くはない校庭の端には、遊具も残されているようです。

      20140524上大津東小学校菅谷分校跡04


ブランコの奥にお堂が見えますが、敷地内に(隣接しているのだろうけど境界線がハッキリしない)
徳満寺と言う小さな無住職のお寺があります。

こちらが、徳満寺の本堂。

      20140524上大津東小学校菅谷分校跡08


徳満寺の石塔。

      20140524上大津東小学校菅谷分校跡09


集落センターの建物の裏手が、かつての正門。
石造りの門柱が時代を感じさせます。


      20140524上大津東小学校菅谷分校跡06



そして、正門脇にひっそりと廃校の石碑が建っています。


      20140524上大津東小学校菅谷分校跡05


      20140524上大津東小学校菅谷分校跡07


 
校庭の隅には、分校のランドマークで有ったであろう一本の木。


      20140524上大津東小学校菅谷分校跡10


この木が分校に通う地域の子供たちの成長を見守っていたのでしょう。


都会とは言えないけれど、周辺が開発されて住民も増え
子供たちも増え、分校から独立して新たに菅谷小学校が出来た地区。

時代は少子化と極端な地域の格差で過疎化が進む地区もあります。
菅谷地区がそのような地区にならない事を心秘かに願います..............。



2014/06/16 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit