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び・び・びのびいすけ

廃校を訪ねて............西畑小学校宇筒原分校  (2014年4月7日)(千葉県夷隅郡大多喜町) 

4月7日 公休日

この日は御宿海岸を目指して、朝早く自宅を出たものの
市原市、大多喜町の廃校巡りという道草をしていました。

大多喜町も近年の少子化により、多くの廃校があります。

田代分校をあとにして、訪れたのは........

         大多喜町立西畑小学校宇筒原分校


宇筒原分校は

明治7年   宇筒原村に小学校が設置される
明治22年  宇筒原村が近隣の村々と合併し西畑村が発足
        宇筒原尋常小学校と改称
明治41年  西畑高等小学校と合併し、西畑尋常小学校宇筒原分教場となる。
昭和22年  西畑村立西畑小学校宇筒原分校と改称
昭和29年  西畑村が旧・大多喜町と合併し大多喜町立西畑小学校宇筒原分校と改称
平成5年   本校と統合し廃校となる  
 


いすみ鉄道西畑駅から山あいに向かう県道沿いの台地に
宇筒原分校はありました。


現在は、その分校跡をオートキャンプ場として民間企業が活用しているようです。



      20140407宇筒原分校跡13



キャンプ場の看板の脇には宇筒原分校の標柱が建っています。


      20140407宇筒原分校跡15



かなり年季の入った標柱。
文字もかすれていて、かろうじて読めるといった代物です。


      20140407宇筒原分校跡14






こちらが宇筒原分校。

一瞬、木造校舎かと思いましたが........違いました。

平屋建てですが、一応鉄筋建ての校舎です。

 
      20140407宇筒原分校跡01




狭いながらも校庭跡はオートキャンプ場となっているので
芝生はとってもいい感じ。


      20140407宇筒原分校跡02


      20140407宇筒原分校跡03


ゴロ~んと転がると気持ちいいのか?
またまた びいすけ は芝生と戯れます。


      20140407宇筒原分校跡08


      20140407宇筒原分校跡09



校庭に残されていた子供たちが遊んだ遊具。


      20140407宇筒原分校跡04


      20140407宇筒原分校跡05



校舎全景

手前の茶色い建物はキャンプ場のバンガロー。


      20140407宇筒原分校跡06




こちらがバンガロー。


      20140407宇筒原分校跡07



校舎の反対側に回ってみます。


      20140407宇筒原分校跡10



こちらが正面玄関。


      20140407宇筒原分校跡11



看板は意外に新しい。
とても廃校から20年経った物には見えません。

廃校後に新たに制作されたモノなのか....?


      20140407宇筒原分校跡12


田代分校の看板を意識してのモノなのか.....?
真新しい看板にはちょっぴり興醒め。
廃校跡のキャンプ場って言うのも売りにしているからなのか?

確かに廃校記念碑などもなく、二ノ宮金次郎の像もない。
学校遺構としては、古びた遊具類と学校入口にあった標柱ぐらい.....

明治7年に設立された小学校らしさがなんとなく感じきれなかった。
そんな気がした宇筒原分校でした........................。





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2014/04/30 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.............西畑小学校田代分校   (2014年4月7日)(千葉県夷隅郡大多喜町) 

4月7日 公休日

この日は御宿海岸を目指して、朝早く自宅を出たものの
市原市、大多喜町の廃校巡りという道草をしていました。

大多喜町も近年の少子化により、多くの廃校があります。

会所分校をあとにして、訪れたのは........

          大多喜町立西畑小学校田代分校


田代分校は

明治7年   田代村に小学校が設置される
明治22年  田代村が近隣の村々と合併し西畑村が発足
        田代尋常小学校と改称
明治41年  西畑高等小学校と合併し、西畑尋常小学校田代分教場となる。
昭和22年  西畑村立西畑小学校田代分校と改称
昭和29年  西畑村が旧・大多喜町と合併し大多喜町立西畑小学校田代分校と改称
平成5年   本校と統合し廃校となる  
 


こちらが、田畑分校。


      20140407田代分校01



県道沿いに田畑分校はありました。
目の前は弓木神社。
バス停も分校前にあります。
どうせなら、 田畑分校前 とか 田畑分校跡 と言ったバス停にすればいいのに。


      20140407田代分校02



こちらが、田代分校の木造校舎。


      20140407田代分校03


この地区の1年生〜3年生がこの分校で学び、
4年生からは本校に通学していたそうです。



手前の建物は増築したもののようです。

      20140407田代分校05


分校時の講堂だったのか?
はたまた、廃校後に地域の集会場として増築されたモノなのか?
正直言って判りません。不明です。


      20140407田代分校06



校庭の桜の木は、学び舎としての役目を終えた今でも
綺麗な花を咲かせています。


      20140407田代分校04


      20140407田代分校07



廃校記念碑や二ノ宮金次郎の像が無いか?
周りを探してみましたが、ありませんでした。


鎖の掛けられた校門の裏に残っていた表札。


『千葉営林署 中野貯木場』と辛うじて読み取れます。


      20140407田代分校08

田代分校には、中野貯木場の門を再利用して使用していたのでしょうか?



こちらは、木造校舎の裏手。
やはり、年月は隠せません。


      20140407田代分校09

廃校から20年も経っているのだから、仕方がないと言うしかない。



こちらが正面玄関。


      20140407田代分校11




玄関に掲げられた看板が、やはり田代分校の歴史を感じさせます。


      20140407田代分校10



明治7年に創立され、生田の変遷を経て
最後は西畑小学校田代分校となり、
創立から119年でその歴史を終えた小学校。


今でこそ大多喜町ではあるけれど
かつては田代村と呼ばれた山あいの集落。
この廃校のように、この辺りは時間の流れが緩やかなように感じてしまう。


      20140407田代分校12


      20140407田代分校13



役目は終えても木造校舎として形を残し
そして地元の人たちにはここで学んだという思い出を残してくれているようです



2014/04/29 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............老川小学校会所分校  (2014年4月7日)(千葉県夷隅郡大多喜町) 

4月7日 公休日

この日は御宿海岸を目指して、朝早く自宅を出たものの
市原市、大多喜町の廃校巡りという道草をしていました。

大多喜町も近年の少子化により、多くの廃校があります。

老川小学校をあとにして、訪れたのは........大多喜町立老川小学校会所分校


会所分校は

昭和22年    老川小学校会所分校として設立。
平成13年    本校と統合され廃校。

養老渓谷のさらに奥、山あいの集落にできた分校でしたが
時代の流れとでも言うべきか?
少子化の影響で廃校となったそうです。
ちなみに廃校時の児童数は11名だったそうです。


こちらが会所分校。
昭和22年に建てられた木造校舎。

      20140407会所分校跡01


平成13年に廃校となりましたが、校舎は取り壊されることもなく
地元の方々の尽力で保存され、土、日曜、祝日限定ですが
『手打そば もみの木庵』として、美味しい蕎麦を提供しているようです。


      20140407会所分校跡02


平日のこの日は、当然営業はしていません。

ひょっとしたら、平日はフェンスに施錠され、
敷地内に入れないのかも知れませんが
たまたまこの日は、東京電力(?)の電気工事が行われていて
敷地内が作業車の駐車場となっていたため、敷地内に入らせていただきました。


      20140407会所分校跡10



そんなに広くはない校庭ですが、校庭の端に行って校舎全体を眺めてみます。


      20140407会所分校跡03


      20140407会所分校跡04



校庭の端、フェンス沿いに何本もの桜の木が
見てとばかりに咲き誇ってます。


      20140407会所分校跡05


      20140407会所分校跡06


こちらが、本来の玄関のようです。


      20140407会所分校跡07


校舎前に 廃校の碑 や 二ノ宮金次郎の像 が無いか?
探してみましたが、見つかりませんでした。


      20140407会所分校跡08


      20140407会所分校跡09



      20140407会所分校跡11


      20140407会所分校跡12


養老渓谷の粟又の滝から、更に山奥に入った小さな集落の会所地区。
きっと、この会所分校はランドマークのような存在だったのでしょう。

地元の人々に愛され、『手打そば もみの木庵』として、新しい活路が見出された会所分校。
いつまでもこの地にその姿を残して欲しいものです。



2014/04/28 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........老川小学校  (2014年4月7日)(千葉県夷隅郡大多喜町) 

4月7日 公休日


この日は御宿海岸を目指して、朝早く自宅を出たものの
市原市、大多喜町の廃校巡りという道草をしていました。

大多喜町も近年の少子化により、多くの廃校があります。

最初に訪れたのは........大多喜町立老川小学校



老川小学校は明治6年に設立された大田代学校、
明治8年に設立された筒森学校がその前身とされています

明治22年    老川村が発足。
          老川尋常小学校が設立される
昭和29年     旧・大多喜町、総元村、西畑村、上瀑村、老川村が合併し、
          現在の大多喜町が誕生。
          大多喜町立老川小学校となる 

平成25年    西畑小学校と統合し廃校となる。
          西畑小学校は西小学校となる。




県道の旧道沿いにある老川小学校。
旧道沿いに車を停めて、老川小学校に向かったら裏門でした。


      20140407老川小学校01

どうやら、体育館の裏手のようです。




ちなみに、こちらが体育館の正面。


      20140407老川小学校14


体育館の壁面に飾られていた、老川小学校の校章。


      20140407老川小学校13



気を取り直して........


こちらが正門です。


      20140407老川小学校08



校門には老川小学校の表札がまだ残されています。


      20140407老川小学校07



校門をくぐればこんな風景


      20140407老川小学校09



敷地内に入って驚いたのは、校舎がモダンなデザイン。


これが、老川小学校の校舎です。


      20140407老川小学校02


木造のバンガローのような校舎。

      20140407老川小学校03


実は、このモダンなデザインの校舎は
平成12年に、会所分校の閉校に合わせて新築したまだ新しい建物です。
校舎だけでなく、家具にも木材を使用した温もりのある学校で、
文科省のホームページでも「木材を活用した学校づくり」の先進例として取り上げられ、
県建築文化賞も受賞した校舎です。


モダンな木造校舎の見学に来られる人も多かったようで
校舎には、こんな貼り紙もされていたようです。


      20140407老川小学校18


校舎はこんな感じです。
渡り廊下にも木材が使われているし、
下駄箱も当然、木製です。

本当に至る所に木材が使われています。


      20140407老川小学校12




廃校の碑を探してみましたが、見つけられませんでした。
こちらは、老川小学校の校歌の碑。

      20140407老川小学校11



校庭の片隅に取り残された百葉箱。


      20140407老川小学校06



子供たちが遊んだ遊具のタイヤの山。

登ってご機嫌な びいすけ。

      20140407老川小学校04


同じく遊具の鉄棒。

何故か? びいすけ は芝生にゴロりん。
枯れ芝生にゴロ〜んと転がるのが好きみたい。


      20140407老川小学校15


広い校庭。
でも誰もいない。
子供たちがここを走り回ると言う日常的な風景は
もう見ることは出来ません。


      20140407老川小学校10



こんなに立派な校舎があると言うのに..............。


      20140407老川小学校05

よくよく考えてみたら、平成12年に完成した木造の新校舎。
それが平成25年に廃校となった。
たった13年しか、その目的に利用されていない。

なんか、非常に勿体ない気もします。




この風景がいつまでも残されてくれればいいなぁ。

      20140407老川小学校16


      20140407老川小学校17



現在、大多喜町は老川小学校跡地を有効活用するため
地域住民の意見を聴きながら、廃校跡を利用して地域の活性化に結びつく
有効な利用計画等を幅広く募集しているそうです。

この素敵な校舎を利用して新たな、そして素敵なものに結びつけば........



そう願わずにはいられません..........。




2014/04/27 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

菜の花 と びいすけ と そして......小湊鉄道   (2014年4月7日)(千葉県市原市) 

4月7日 公休日


月出小学校をあとにして、大多喜町方面に車を走らせていた。

快調に県道を走っていると、道路脇にこんな看板を見つけた。

      01





『菜の花駐車場.......? 何だそれ?』

とりあえずUターン。
駐車場に車を入れたけど、菜の花なんて何処にもない!
きっと近くに菜の花畑があるんだ!と勝手に解釈し、
道路を横断し、周辺を歩いてみます


『あった〜!!』


      20140407菜の花と小湊電鉄02

ちょっぴり遠い気もするけど、鮮やかな黄色のカーペットです。

      20140407菜の花と小湊電鉄03





さっそく、菜の花畑を目指します。


菜の花畑では、菜の花をバックに びいすけ を撮ります。


      20140407菜の花と小湊電鉄04


確かに、房総半島の春って言ったら、菜の花のイメージもある。


      20140407菜の花と小湊電鉄05


      20140407菜の花と小湊電鉄06


案内板に沿って、遊歩道を歩きます。


      20140407菜の花と小湊電鉄07


      20140407菜の花と小湊電鉄08


      20140407菜の花と小湊電鉄09



菜の花畑に怪しげな集団。
明らかに高級一眼デジカメに三脚。


      20140407菜の花と小湊電鉄10


      20140407菜の花と小湊電鉄11



もしや..............?


      20140407菜の花と小湊電鉄19

はい、正解です。

撮り鉄の方々です。


そういえば、菜の花と小湊鉄道って言うのも
房総半島の春の風物詩で、雑誌とかで良く見かけます。

皆さん、菜の花と小湊鉄道を撮りに来たんだ!



ここは便乗。
邪魔にならないポジションを探して、電車を待ちます。


      20140407菜の花と小湊電鉄18


ポジションはこの位置に決定。
あとは、電車の到着を待つのみ。


      20140407菜の花と小湊電鉄12



周りが騒がしくなり..............


      20140407菜の花と小湊電鉄13


小湊鉄道の到着です。


      20140407菜の花と小湊電鉄14



連写モードで構えていましたが、さすがの小湊鉄道。
運転手さんもサービス精神旺盛。
わざとゆっくり走ってくれました。


      20140407菜の花と小湊電鉄15


びいすけ の脇をゆっくり通過していく小湊鉄道をファインダー越しに眺め、
何とも言えない快感を感じました。


      20140407菜の花と小湊電鉄16


      20140407菜の花と小湊電鉄17


なんとなく一瞬ですが、
『鉄ちゃん』の気持ちが分かったような気がした。

や、や、やばい!
これって『鉄ちゃん』への入口なのかなぁ..............?(笑)






2014/04/26 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............月出小学校  (2014年4月7日)(千葉県市原市) 

4月7日  公休日

この日は御宿海岸に行くと決め、自宅を出たものの
途中、市原市で道草。
どうせ道草してるんだから、1つ立ち寄るのも、2つ立ち寄るのも同じようなもの。
さらに3つ立ち寄るのも同じでしょうと、高滝ダムをあとにして、
向かった先は..............市原市立月出小学校



月出小学校は

詳しい沿革は船いですが
明治6年   東漸寺を仮校舎として創立
昭和22年   中学校を併設し、小中一貫校となる
昭和42年   中学校を加茂中学校に統合
平成19年   里見小学校に統合し廃校となる


創立から134年、明治、大正、昭和、そして平成と4つの時代に
1049名の卒業生を送り出したそうです。




こちらが月出小学校の正門



      20140407月出小学校01



校門はかなり年代物


      20140407月出小学校07


かろうじて読み取れますが
秋田次郎左衛門 という方の寄贈された物のようです。


      20140407月出小学校08



廃校から7年。
表札は取り外せれずに残っていました。


      20140407月出小学校02


      20140407月出小学校03




校庭の正門脇には

『月出小学校 想いでの碑』 

と記された廃校記念碑が建っていました。


      20140407月出小学校04


      20140407月出小学校05



こちらが校舎。

廃校後はイベント等に利用されているようで
1階の正面玄関あたりが回収されたようです。

この日も3月21日~5月11日までの52日間開催される
「中房総国際芸術祭いちはらアート×ミックス」の会場となっていました。


      20140407月出小学校06


      20140407月出小学校11




校庭の隅にある百葉箱
上部が朽ちかけています。

      20140407月出小学校09



子供たちが遊んだ遊具類


      20140407月出小学校10


      20140407月出小学校12




廃校の碑の傍らには桜の木。


      20140407月出小学校14



やっぱり、廃校にも桜の花は似合います。


      20140407月出小学校15


でも、もうこの桜の花の下には
真新しいランドセルを背負った新入生は現れないんだよね.........

今日が全国的に入学式の多い日だけに、やっぱり淋しいものです。











2014/04/25 Fri. 17:06 | trackback: -- | 本文: -- | edit

高滝ダム    (2014年4月7日)(千葉県市原市) 

4月7日  公休日

市原市の旧・内田小学校から次なる目的地への移動中に

→高滝ダム と言う案内を見かけた。


数日前にテレビでお天気キャスター(?)の石原良純が
ダム湖の桜も穴場と言っていたのを思い出した。

高滝湖は昨年の秋に訪れた事があるけれど
高滝ダムは未だ行ったことが無い。

それじゃって事で立ち寄ったのは 高滝ダム


高滝ダム(たかたきダム)は、千葉県市原市の二級河川・養老川に建設されたダム。
堤高24.5メートルの重力式コンクリートダムで、
千葉県営の多目的ダムである。ダム湖の名称は高滝湖(たかたきこ)。
房総半島中部を貫流する養老川はしばしば氾濫して流域に被害を与えていたが、
十分な河川改修が施されていなかったため、流域住民からは本格的改修が望まれていた。
これに加え、京葉工業地帯発展に伴う人口増に対応すべく、
利根川以外の河川水源開発も必要とされるようになり、多目的ダムの建設計画が立てられた。

1958年(昭和33年)に建設候補地選定が行われ、
1970年(昭和45年)4月から実施計画調査が開始。
1974年(昭和49年)4月より建設事業が始まり、
     調査開始から20年後の1990年(平成2年)4月に完成した。

            (Wikipediaより抜粋)


こちらが高滝ダム。


      20140407高滝ダム01


      20140407高滝ダム02



ダムのすぐ脇には、小さな公園。
説明看板も用意されていて、ダムの生い立ちが記されています。


      20140407高滝ダム03



このダムで養老川を堰き止め、出来たのが高滝湖。


      20140407高滝ダム04


逆アングルからの高滝ダム。


      20140407高滝ダム05


      20140407高滝ダム06


公園には、ピークをちょっと過ぎた桜の花。
満開に近い状態で、まさに見頃は今。


      20140407高滝ダム07


      20140407高滝ダム08


      20140407高滝ダム09


ダムは車で通る事もできます。
って言うか、ダムが道路としても機能しています。


      20140407高滝ダム10


そして、ダムには近隣の小学校の児童たちが描いた絵が飾られています。

いずれも、平成21年の作品。
しかしながら、その小学校は平成25年に廃校となってしまいました。


こちらは、里見小学校の児童たちの作品。


      20140407高滝ダム11

そう言えば、里見小学校には水車があったのを思い出しました。





こちらは、白鳥小学校の児童たちの作品。


      20140407高滝ダム12





こちらは、高滝小学校の児童たちの作品。


      20140407高滝ダム13




こちらは、富山小学校の児童たちの作品。


      20140407高滝ダム14


いずれも、廃校となってしまった今では、
何と表現したら良いのか?
上手い言葉が見つかりませんが、ちょっぴり淋しさも感じます。



ちなみにダムの欄干に描かれた絵は加茂中学校の生徒たちの作品です





対岸からの逆アングルの高滝ダム。


      20140407高滝ダム15



里見小学校、白鳥小学校、高滝小学校、富山小学校。
いずれも学校はなくなっても、児童たちのこのダムへの想いは
この絵画たちによって、ずっと残されて行くことでしょう。





2014/04/25 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........旧内田小学校  (2014年4月7日)(千葉県市原市) 

4月7日 公休日


この日は御宿海岸まで出掛けようと、朝早く(6時)に自宅を出ました。

最終目的地は、御宿海岸ですが
佐倉から千葉市内を抜け、市原市、大多喜町と抜けて行くルートになるので
先ずは、市原市で道草。

全国的に4月7日は入学式が行われています。
入学式の当日、二度と入学式が行われることのない廃校を
回ってみるのも面白いんじゃないかと
立ち寄った先は、旧・内田小学校跡


内田小学校は正確には廃校ではなく、
校地を移転したために、旧・校地に旧・校舎が残っています。




明治6年   石川・高砂・堀越・奥野小学校設立
明治20年  内田高等尋常小学校と改称

大正3年 宿174番地の新校舎に移る

昭和16年 内田国民学校と改称
昭和22年 内田村立内田小学校と改称
昭和29年 南総町立内田小学校と改称
昭和40年 島田20番地に移転(旧内田中校舎)


昭和40年に学校が移転して、校舎は残されていました。

こちらが、旧・内田小学校の校舎。


      20140407旧内田小学校05



学校移転後、民間に売却され一時期工場になった旧校舎でしたが、
その後、校舎の一棟が火災で消失してしまったそうです。
残った一棟は工務店の作業所として最近まで使われていたそうです。

一時期、解体話も持ち上がり、解体寸前の校舎でしたが、
地域の方々の努力により現状が保たれています。
と、言うのも最近再び売却の話が持ち上がり、
それを知った卒業生や地域の方が立ち上がり、貴重な校舎を残そうと努力を続けているそうです。
5年後に買い取るという地主さんとの約束で校舎を借り、地域の交流センターを目指し、
現在は建物の修復と各種のイベントを開催しているとのことでした。 


      20140407旧内田小学校06



現在は、内田未来楽校と言う名称で
地域の交流センターとなっています。

未来を楽しむ.......
粋なネーミングですね。


      20140407旧内田小学校13






大正3年に建てられた木造校舎。

所々に手は加えられているものの、木造校舎のいい味を出しています。

      20140407旧内田小学校07


      20140407旧内田小学校08


このアングルは、まさに昭和の小学校の雰囲気満載。


      20140407旧内田小学校09


      20140407旧内田小学校10


この場所が、この形でいつまでも残されればいいなぁと、
ついつい思ってしまいます。


地元の有志、卒業生の想いが、いつか実になるといいですね。


      20140407旧内田小学校11


      20140407旧内田小学校12



学校遺構は全くと言っていいほど残っていなくて
唯一、その雰囲気を残しているのが、この看板。

      20140407旧内田小学校14


      20140407旧内田小学校15






ちなみに、こちらが現在の内田小学校。
数百m離れた場所に昭和40年に移転してきました。

      20140407旧内田小学校01


      20140407旧内田小学校02



内田中学校跡地に建てられた内田小学校。
校門脇には、内田中学校の碑が建っていました。


      20140407旧内田小学校03


      20140407旧内田小学校04


旧・内田小学校の木造校舎。
良いモノを見せてもらいました..............。



2014/04/24 Thu. 17:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.........酒々井小学校墨分校跡 (2014年4月6日)(千葉県印旛郡酒々井町) 

4月6日 公休日


墨泉光院をあとにして、酒々井町にあるもう一つの分校跡へと向かいました。
先ほど、詳しい場所を聞いたので何とか迷わずに辿り着けました。

訪れたのは..............酒々井町立酒々井小学校墨分校跡


この墨分校のことは、殆ど詳しい情報はネットでは入手出来ませんでした。
しかし、先ほど詳しい場所を聞いたおじさんの話では

元々、借地に分校を建てていて現在も私有地であり
土地の所有者がその敷地を貸しているとのことです。
分校時の校舎も一部手を加えて改装しているけれど残っていて、
敷地内には学校跡の記念碑もあるらしい。

これは期待大です。



ちょうど、分校跡のすぐ前で現在お住まいになられている方と会いました。
一言お断りをして(許可をいただいて)、敷地内に入らせていただきました。


こちらが、墨分校。
赤い屋根の建物が、かつての校舎です。


      20140406墨分校跡01


こちらが、墨分校の記念の石碑。

やはり、意外に大きい。

      20140406墨分校跡02


      20140406墨分校跡03




石碑の裏には沿革が刻まれています


      20140406墨分校跡07



明治6年   墨村東伝院を仮校舎として、墨小学校が創立。
明治18年  尾上校と合併し、この地に移転増築し、公立墨小学校と称した
明治41年  町立酒々井尋常小学校に合併され、済分校となる。

      ここで1・2年生約1700名が学び、巣立っていった

昭和54年  本校と統合し閉校となる 


どうやら、閉校となった時期は岩橋分校と同じのようです。





正面から見た旧校舎。

近寄ってみたかったんですが、現在は民家として活用されています。
此処で生活をしている人がいるわけだから
近寄って覗き込むのも失礼にあたります。


若干、遠目ですが、木造校舎はそれなりの時代の経過を感じさせ、
月日の流れを感じます。


      20140406墨分校跡04


      20140406墨分校跡05


      20140406墨分校跡06


この土地の所有者が、旧校舎を取り壊さず
生活をするための最低限の改修をしていただいたおかげで
こうやって貴重なモノを眺めることが出来ました。


現在お住まいの方は、平成元年から此処に住んでいるとのことです。

いつまでも、大切にこの校舎を残していただきたいものです。







 
2014/04/24 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

墨泉光院  (2014年4月6日)(千葉県印旛郡酒々井町) 

4月6日 公休日

岩橋分校をあとにして、墨地区へ移動。
もう一つの分校を探していました。

なかなか、分校跡地が見つからないので
たまたま車を停めた民家の人に声を掛けて教えて頂いた。

そのついでに、この近くにあると思われる『りゅうがい城』の事を聞いたら

『知らないけれど、酒々井町で城って言ったら本佐倉城だよ』と言われ
城の話題で盛り上がってしまった。

(この時、車で留守番の びいすけ は吠えまくり、
でも城の話題は尽きない中年の二人でした。)(笑)



たまたま千葉氏の月星紋と七曜紋の話をしたら
どうやら、その方は千葉一族所縁の人らしく、
名前は『千葉』ではないけれど、
家紋は『月星紋』らしい。

そして、近くに『月星紋』のあるお堂があると教えていただきました。

その方にお礼を言って、速攻で訪れたのは.......墨泉光院



墨泉光院(すみ せんこういん)は

水流山泉光院、本佐倉にあった真言宗文殊寺(廃寺)の末寺、本尊は大日如来。
かつては客殿・庫裏・妙見堂などが建っていたと伝わります。
現在、お堂には千葉氏の守護神である妙見尊像が安置されています。

(酒々井町観光ナビ より引用)
   

こちらが観光ナビ。


      20140406墨泉光院01


酒々井町ってこういう所が進んでいるんだけど
iPhoneだと、そのままじゃQRコードが読み取れないから、使えない..............。



この石段の上が泉光院。

      20140406墨泉光院02


こちらが、泉光院。

確かに小さなお堂です。

      20140406墨泉光院03


      20140406墨泉光院07



お堂(本堂)の屋根に何やらあります。

      20140406墨泉光院04



まさしく、『月星紋』。
これを探して、色んな神社やお寺を回っているのに、
意外な所で意外な形で出会いました。


      20140406墨泉光院05



本堂の扁額。
何と読むのか?
私には判りません。(涙!)


      20140406墨泉光院13





猫の額と言っていいほど狭い境内には
珍しい銀杏がまるで御神木のように祀られています。

      20140406墨泉光院06


      20140406墨泉光院08

オハツキイチョウ(お葉つき銀杏)とは、葉に小ぶりの果実(ギンナン)が直接付くもので
大変珍しいものです。
しかしすべての葉に果実が付くわけではないので、
よく観察しないと気が付きません。

現在、天然記念物に指定されているオハツキイチョウは全国で60か所弱、
県内では2か所(富津市竹岡、神崎町神崎)のみで、
大変貴重な発見となっています。





古い石仏や石碑も苔むして、風化も感じられ
ある意味、いい味を出しています。

      20140406墨泉光院09


      20140406墨泉光院10


      20140406墨泉光院11



印西市や白井市、いわゆる北総の地で良く見かける十九夜塔。
この地でも盛んに講が開かれていたようです。

      20140406墨泉光院12




思いがけない『月星紋』との出会いにちょっと興奮。
いやぁ、さすが千葉氏の本城、本佐倉城のあった町。
酒々井町も侮れないないですなぁ..............。








2014/04/23 Wed. 17:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit