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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

月星紋を求めて  七百餘所神社  (2014年3月6日)(千葉県八千代市) 

3月6日 公休日


中世の城郭跡を巡るのが好きです。

廃城となった城郭跡を巡っていると、戦国の世に天下取りを目指して
時代を生き抜いてきた武将たちの事をネット等で調べたりします。

個人的に好きなのは、小田原北条氏。

時代と、タイミングさえ間違えなければ
関東一円を制覇、掌握したように、
秀吉に変わって天下を取れたかも知れない。
(まぁ、あくまでも個人的な希望も入っていますけど。)

そんな北条氏と運命を共にして、衰退の道を歩んだ
千葉氏。

千葉県に住んでいるから、贔屓目になっちゃうかもしれないけれど
千葉氏も嫌いじゃない。
自宅から、さほど遠くない本佐倉城も千葉一族の城でした。

佐倉周辺が千葉氏に馴染みが深いと言うこともあって
千葉氏の遺構があると、ついつい興味が湧いてしまいます。


千葉県八千代市には千葉一族の所縁のある神社で
千葉氏の家紋である月星紋の残る神社が八千代市にはあると聞き、
訪れたのは、村上地区にある  七百餘所神社

この珍しい「七百餘所神社」という名前の由来であるが、
米本城落城の際、城主・村上綱清と家臣七百名がここに逃れて
永禄元年(1558年)3月13日に全員自刃したからと伝えられています。

太田道灌が千葉孝胤の臼井城を攻める際、米本城も攻略し
千葉氏の家臣であった米本城主・村上綱清は悲運の死を選んだと言われています。
米本城の訪城記録はこちら



こちらが七百餘所神社。
R16に平行して走る旧道沿いに鎮座しています。


      20140306七百余所神社01



神社入口に掲げられた由緒書。


      20140306七百余所神社02



こちらが鳥居。


      20140306七百余所神社03



神額には、七百餘所神社 の文字がしっかりと記されています。


      20140306七百余所神社04



鳥居の奥に見えるのが拝殿。


      20140306七百余所神社05



鳥居の右脇にある手水舎。
手水鉢には、しっかりと千葉氏の家紋の一つである『九曜』が描かれています。
テンションがちょっぴり上がります。


      20140306七百余所神社06



参道の狛犬。


      20140306七百余所神社07


かなり年季が入っています。
苔生した感じが年月を彷彿させます。


      20140306七百余所神社08



この神社には『村上の神楽』と言われる神楽が伝わっており、
それが八千代市の無形文化財とされているらしい。


      20140306七百余所神社09


こちらが神楽殿。


      20140306七百余所神社23


何と無く、倉庫っぽく見えてしまうのは気のせい?(笑)





こちらが拝殿。


      20140306七百余所神社12

      20140306七百余所神社14


拝殿の社額にも 七百餘所神社 の文字があります。
鳥居の神額、拝殿の社額
こうやってしっかり揃っていると、やっぱり由緒ある神社に見えてきます。


      20140306七百余所神社17



拝殿前の賽銭箱にもしっかりと『九曜』の紋。


      20140306七百余所神社11

      20140306七百余所神社13



そして、拝殿正面の鬼瓦にも『九曜』の紋。


      20140306七百余所神社10



そして、ついに見つけました。

それは拝殿の屋根にありました。

      20140306七百余所神社15


      20140306七百余所神社21

これが有名な千葉市の家紋 『月星紋』。



ここにも『月星紋』はありました。


      20140306七百余所神社16


 
反対側には『九曜』の紋


      20140306七百余所神社18




こちらが本殿。

      20140306七百余所神社19



本殿の屋根の向かって左側には『九曜』の紋


      20140306七百余所神社20



そして向かって左側には『月星紋』


      20140306七百余所神社22


本殿の鬼瓦にも『月星紋』


      20140306七百余所神社31


まさに千葉氏に縁のある神社なんですね



七百餘所神社の境内の裏は竹林。
こんな空堀もありました。

      20140306七百余所神社24



携帯脇には多くの石塔が立ち並んでいます。


      20140306七百余所神社25


      20140306七百余所神社26



天保13年2月と言う事は1842年、
今から172年前のものですね。

      20140306七百余所神社27




こちらは境内


      20140306七百余所神社28



この境内で びいすけ は何かを感じているのだろうか.....?


      20140306七百余所神社29


      20140306七百余所神社30


今から450年ちょっと前に滅亡した千葉氏家臣の村上一族。
しかし、その千葉氏家臣の証は今なおこの地に『月星紋』として残されている。

何となく、歴史の重みを感じてしまうのは私だけだろうか..........?





 

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2014/03/10 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit