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び・び・びのびいすけ

廃校を訪ねて...............犢橋小学校柏井分校跡                          (2014年2月16日)(千葉県千葉市) 

2月16日 公休日


花島公園をあとにして、向かった先は

       㸿橋(こてはし)小学校柏井分校跡


ちょっと分かり辛い場所である柏井分校跡。
正直、迷いました。

『えっ! こんな狭い道を行くの?
まして、未舗装だし....、ちょっと雪が残ってるし........』

と、ボヤきながら辿り着いた柏井分校跡。


      20140214柏井分校跡04

現在、分校跡は南柏井公園となっています。


かつて分校だった証。
千葉市が建てた説明看板。

      20140214柏井分校跡01



      20140214柏井分校跡03

説明看板によれば

明治31年(1898年)、泉蔵寺におかれた柏井分教場が
昭和5年(1930年)に、この地に移りました。
昭和22年(1947年)教育制度が改められ、
柏井分教場は柏井分校と名前が変更されました。
分校では、1年生から3年生までの子供が学び、
4年生以上は犢橋小学校に通いました。
昭和43年(1968年)、花見川団地内に千葉市立花見川第二小学校ができ、
分校で学んでいた子供達は花見川第二小学校に通うことになりました。
それにともない柏井分校は廃止され、70年もの長い歴史を閉じました。 


このような沿革が記されています。


分校時代の写真。  

      20140214柏井分校跡02



残念ながら、校舎はすでに解体されてしまっていて
往時の面影を残す学校遺構は殆んど残されていません。

一部、遊具も設置されていますが、
あきらかに公園化された時に設置されたものでしょう。


      20140214柏井分校跡05


かつての校庭跡と思われる場所にそびえる一本の樹。

      20140214柏井分校跡06


幹もしっかりしているから、往時のモノでしょう。

      20140214柏井分校跡07



きっと、この樹の周りを子供達は走り回っていたことでしょう。




ぐるっと公園内をひと回りしてみましたが
廃校記念碑のようなものもなく、
ここがかつての分校跡だということは
公園の入口の例の説明看板を見ない限りわからないでしょう。


この道はかつての通学路。
この地区の児童たちはこの道を歩いて、この分校に通ってきたのでしょう。

      20140214柏井分校跡09






      20140214柏井分校跡08


雪が残る公園の芝生に、傾きかけた冬の陽射しがちょっと眩しい。
その眩しさを感じながら、この地をあとにすることにした...........。






 
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2014/02/28 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

花島公園   (2014年2月16日)(千葉県千葉市) 

2月16日 公休日


2月14日の夜から記録的な降雪で関東近県には、
かなりの被害が起きたようです。

幸いと言っていいのか?
表現が難しいのですが、今回千葉県は早めに雪から雨に変わったため
対した被害もなく、出勤日の14日は無事に帰ることが出来、
15日も無事に出勤出来ました。


そして、16日、17日は個人的な連休。
当初16日は茨城県の桜川市(旧・真壁町)に遠征する予定でしたが
関東近県に記録的に大雪が降った後だから
ここは大人しく近場で びいすけ と遊ぼうと変更。
お隣の千葉市の 花島公園 に出掛けました。

      20140216花島公園01


ここ花島公園は以前から、一度訪れたかった公園。

公園の有料駐車場に車を停めて、案内板で諸々確認をして
さあ、散策開始です。

      20140216花島公園02



まずは、渓流園に向かいましょう。

      20140216花島公園03


雨で雪が溶けて流れたのと、関係者の尽力による除雪で
思ったほど雪はありませんでした。

      20140216花島公園04



こちらは噴水池

      20140216花島公園05



噴水池に流れ行く渓流(って言っても人工ですが.....)は、まだ雪景色。

      20140216花島公園07



この日は陽射しが暖かい。
この調子では残雪も一気に溶けるでしょう

      20140216花島公園08



びいすけ が野良猫を発見!!

      20140216花島公園09



最初は背中を逆立てて『シャー』と威嚇していた猫も
背中を丸めて大人しくなりました。

      20140216花島公園10



いつもと違う びいすけ
今日は猫を追いかけようとか、ちょっかいを掛ける素振りもなく
さっきまでの猫に対する興味がうせてしまったようです。

      20140216花島公園11

公園の散歩もいつもこうだと良いんですが.............




噴水池から谷津池、中島池と散策は続きます。



この橋の向こうが八津池。

      20140216花島公園12


この橋の向こうが中島池。

      20140216花島公園13


さらに、奥へ奥へと進み、花見川沿いに出ました。


花見川はもともと、現在の花見川区犢橋町など旧千葉郡内を水源として
東京湾(江戸湾)に注ぐ小さな川に過ぎませんでした。

江戸時代に度重なる印旛沼の氾濫を鑑み、
時の将軍、徳川吉宗(8代将軍)が享保の改革の一環として
印旛沼から江戸湾(東京湾)への掘割工事を行い、
水路を設けると言うものだったが、それは失敗に終わりました。

10代将軍・家治の天明元年(1781年)に工事は再び行われたが
またもや失敗に終わりました。

12代将軍・家慶の天保の改革の一貫で、工事は再開され
幕府は5名の大名に命じ、下総国平戸村(現・八千代市平戸)から
検見川村(現・千葉市花見川区検見川)の海岸までを水路で結び、
印旛沼の水を江戸湾(東京湾)に落とすことでありました。

9割方完成した工事でしたが、花島観音下(現・千葉市花見川区花島町)の渓谷では、
アシ(葦)やカヤ(茅)の根、または木根の繊維からなる腐食土が堆積した軟弱泥のため、
工事が難航し、やがて中止となりました。

時代は流れ..............
戦後になり新たな設計で放水路が起工され、
1969年に現在の印旛放水路が完成した。

印旛沼側の掘割工事により開削された疏水路部分である「新川」と、
東京湾側の自然河川である「花見川」とを合わせて「印旛放水路」と呼んでいます。



      20140216花島公園14


そんな歴史を持った花見川沿いに散策路があるので
川沿いに散策します。

      20140216花島公園15


この辺りは、お花見広場。
確かに名前の通り桜の木が多く、
花見の頃は多くの人が来るのでしょう。

      20140216花島公園16

      20140216花島公園17



上流に向かって歩き、行き止まりでUターン。
今度は下流に向かって散策は続きます。

      20140216花島公園18


画像の中心あたりに見える台地が花島観音

      20140216花島公園19


川沿いを歩いて花島観音までやって来ました。


公園の案内板によれば、
この花島観音一帯も花島公園の一角のようです。


花島観音に隣接する 天津神社

      20140216花島公園20


こちらが鳥居。

      20140216花島公園21


こちらが拝殿。

      20140216花島公園22


そして境内の片隅の石碑群。

      20140216花島公園23



同じ敷地内に天津神社と花島観音があるので
境界線がイマイチわかりません。

花島観音は正式には、正式には天福寺 。
真言宗豊山派の寺で山号を花島山と言います。


花島観音には千葉県指定文化財の
木造十一面観音立像が安置されています。
秘仏のために、33年に一度公開されるそうです。
次回の公開は2034年とのことです。



こちらが鐘楼。

      20140216花島公園24

      20140216花島公園25


そして、こちらが観音堂。

      20140216花島公園26


こちらは仁王門。

      20140216花島公園27


仁王門には、なぜなのか?
幾つもの『わらじ』が飾られています。

      20140216花島公園28

毎年4月に縁日が開かれ、門前で『わらじ』が売られるそうです。
足が丈夫になるようにと、それを仁王門に結びつけるそうです。

どうやら、その名残りのようですね。



花島観音から花島公園の ふれあいの広場(芝生公園)に移動します。

芝生公園には、まだ一部雪が残っていました。

      20140216花島公園29


      20140216花島公園30



芝生広場の片隅は梅園。

10数本(?)の梅の木が蕾を膨らませ
春の到来を待っているようです。

      20140216花島公園31


ちょっと早い気もしますが、一輪、また一輪と
小さな花を咲かせているようです。

      20140216花島公園32


二週連続で降った雪に掻き回された関東地方でしたが
小さな一歩の梅一輪。
すこしづつ春は近づいているようです。



2014/02/27 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

今日の散歩@残雪の佐倉城址公園 (2014年2月12日) 

2月12日 公休日

この数日間は大変な思いをしました。

2月8日は出勤日(日勤)。
45年振り(?)に東京に大雪が降った日でもありました。

18:00に仕事を終え、帰宅を急ぎ
日暮里駅で京成電車に乗ろうとしたのが19時少し前。
ホームは人が溢れ、京成電鉄は雪のため遅延で電車は来ない。
1時間近くホームで電車を待っていたけれど、
やがて『ポイントが凍結して電車が運行出来ない。
千葉までならJR総武線各駅停車が動いているので
秋葉原から振替乗車をお願いします』と言う旨のアナウンスが流れました。

急いで秋葉原に移動し(って言っても山手線も雪でノロノロ運転)
秋葉原で総武線に乗って、船橋までたどり着き、京成電鉄の運転状況を確認するも
未だ京成線は復旧の見込みなし。
船橋駅前のカプセルホテル、サウナ、漫画喫茶、ネットカフェを探すものの
どこも満員で空きがなく、習志野、千葉のカプセルホテルに電話をしまくるものの
やっぱり、いずれもこの日は満員。
とりあえず、JR総武線だけは動いていたのでノロノロ運転の電車に乗り
JR千葉駅に深夜の0:30過ぎにたどり着いたものの、そこから先が問題。
内房線、外房線、そして総武本線はいずれも運転見合わせ
そして復旧の見込みは未定。
タクシーも駅構内にはいないし、来る気配さえない。

総武本線が復旧するのをひたすら信じ、千葉駅の地下でコンクリートの床に座って
膝を抱え、寒さに震えながらひたすら待った.........。

実は翌日9日は9:30分から翌10日の10:00まで24時間の夜勤。
この日はなんとか帰らなければ、 びいすけ は54時間近くの留守番となり、
ご飯もさることながら(まぁ、2日くらいご飯はなくても死なないとは思うけれど)
心配なのは飲み水とウンチ。
室内でおしっこはするものの、ウンチは室内ではしない。
8日の朝6:40分過ぎから10日の12時過ぎまでの約54時間のウンチなしは辛いだろう。
そんな思いがあったから、なんとか帰りたかったけれど.........
朝まで待ったけれど総武本線は復旧しませんでした。

人生で初めて帰宅難民と言う経験をしてしまいました。

夜が明けて9日の6:00過ぎ、かろうじて動いている総武線各駅停車に乗って出勤に向かいます。

職場についてすぐ行ったのは八王子の実家の妹へ電話。
妹の もっちゃん に無理を言って、京成線が復旧したら
佐倉の びいすけ の元に行ってもらって世話をしてもらうことにしました。
夕刻の18:00頃、 びいすけ の元に着いたとメールが入って一安心。

10日の明け、速攻で家に帰り、約54時間ぶりに びいすけ の顔を見て一安心。

駐車場の雪かきを管理人さんと行って、これで車も出せるからと安心していたら.....

11日、朝起きたら雪が降っていた。それも千葉地方だけ......!?
せっかくの休みでしたが、外にも出られず連休の一日は過ぎ去ってしまいました。



長くなりました。

連休2日目である12日。
曇り空ではあるけれど、 びいすけ と散歩に出かけました。

向かった先は   佐倉城址公園


      20140212佐倉城址公園01

ほぼ一面の銀世界


菖蒲園もすっかり雪景色

      20140212佐倉城址公園02




姥ヶ池も凍っています

      20140212佐倉城址公園03


姥ヶ池の隣の梅園の梅はこの寒さの中で一輪の花を咲かせています。

      20140212佐倉城址公園04



本丸は8日と11日の雪ですっかり雪原状態

      20140212佐倉城址公園05


長靴もこの深さまで埋もれます

      20140212佐倉城址公園17


誰かが作った雪だるまが本丸の中央にありました。

      20140212佐倉城址公園16




平日だし、曇り空だし、公園内は雪がまだまだ残っているから
こんな日に佐倉城址公園にくる人はまず居ません。
ましては、雪多く残る本丸跡には誰も来ません。

それでも一応、安全確認(誰も居ない、こっちに向かって居ない)して
びいすけ のリードをフリーにしてみます。
(ロングリードは車の中に入れっぱなしで忘れてしまいました。)

フリーになった開放感か?
はたまた、大雪で結果的に長時間留守番させられた反動か?
それとも前日(11日)も降雪で外出出来なかった反動か?

寒いのが苦手だから、雪も苦手だと思った びいすけ が
思いのほか残雪の本丸跡を走り回ります。

      20140212佐倉城址公園06

      20140212佐倉城址公園07



いやぁ、気持ち良さそうに走ってますねぇ。

      20140212佐倉城址公園08


雪だるまを華麗なコーナーワークですり抜け
適度な円弧を描き、何周も本丸跡を力走します。

      20140212佐倉城址公園09


      20140212佐倉城址公園10


      20140212佐倉城址公園11


      20140212佐倉城址公園12


      20140212佐倉城址公園13


      20140212佐倉城址公園14


ひとしきり、走ってくれて びいすけ も満足そう。

      20140212佐倉城址公園15

そんな満足そうな顔をみれて良かったぁ。


本丸から二の丸、三の丸と抜けて帰途につきます。

二の丸も残雪多く、散策路も雪が残り
一本の筋の中を転ばないように歩きます。

      20140212佐倉城址公園18


三の丸も同じ状態。

      20140212佐倉城址公園19


三の丸空堀辺りで、一部分土が見えて来て
まだまだ城址公園は雪多し。

空堀も雪がしっかり残っています。

      20140212佐倉城址公園20

雪に覆われた空堀が、その曲線美を白く映し出し
雪の佐倉城址公園もなかなかイケてるなぁと思った瞬間。

雪はもういらないけど、こんな景色も良いもんだと思ったりした
今日の佐倉城址公園の散歩でした..........。


2014/02/26 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

飯積の大杉  (2014年2月7日)(千葉県印旛郡酒々井町) 

2月7日 公休日


私の住む佐倉市の隣は印旛郡酒々井町。
昨年3月にアウトレットモールが出来て、ちょっぴり有名になった町。

車で酒々井アウトレットの近くを走ると、ナビに気になるポイントが表示される。
それがず~と気になっていた。

八街市のカインズホームへ行く途中、そこへ立ち寄ってみました。


立ち寄った先は..........飯積の大杉


今でこそ酒々井町に属する飯積地区。
江戸初期には泉村と呼ばれ、その後飯積村となり
明治22年に酒々井町に編入された。

2014年1月1日現在の人口は90人と言う酒々井町の中でも
どちらかと言うと外れの集落になる地区。

近くにアウトレットモールが出来たこともあって、
周辺には新しい道路が出来て変貌が見え始めてはいるものの
旧道沿いに 飯積の大杉はありました。



こちらは、伊豆神社。

      20140207i飯積の大杉01

実は飯積の大杉は、この伊豆神社の境内にあり
伊豆神社の御神木となっています。


本殿の裏手のちょっぴり段になった辺りに大杉はあります。

      20140207i飯積の大杉02


こちらが、拝殿。

      20140207i飯積の大杉03

      20140207i飯積の大杉04



そして、こちらが本殿。
覆本殿のため、全然それらしく見えません。

      20140207i飯積の大杉05



境内(本殿裏)にあった女人講の石碑。
神仏を祀り参詣する同行者の集まりを講(こう)といい、
伊勢講、秋葉講、山の神講など、さまざまな講がある。
女人講(にょにんこう)は女性どうしが集まる信仰の場であるとともに、
日常生活の情報を交換する場でもあったと言うことです。

この石碑、よぉ〜く見ると、文政二年と刻まれています。
って言うことは、西暦だと1819年。
今から約200年前の物になるようです。

      20140207i飯積の大杉06


そして、その奥には飯積の大杉。

      20140207i飯積の大杉07


さすが、大杉と言うだけあって、幹周りもそれなりにある。

      20140207i飯積の大杉08


まさに、どぉ〜んって言う感じで威圧感も感じます。

      20140207i飯積の大杉09


覆本殿の前には、酒々井町が建てた説明看板。

      20140207i飯積の大杉10

説明板によれば

伊豆神社の境内にある大杉は目通り径4.3m、
地元の伝承では樹齢700年(推定樹齢450年)の巨木です。
酒々井町では最大の杉として昭和46(1971)年に町の指定文化財となっています。

と記されています。

また、近くの古道には飯積村時代の古い道標があるらしい。


位置関係はこんな感じ。
説明看板があって、その背後に覆本殿。
さらに背後に飯積の大杉。

      20140207i飯積の大杉11



せっかくだから、古道の道標を探しに周辺を散策してみました。

大杉から歩いてすぐに、こんな場所がありました。

      20140207i飯積の大杉12


飯積の泉って........

確か、泉村が飯積村に変わったと思ったんだけど、
これって洒落? 単なる語呂合わせ?(笑)

iPhoneでネットで調べてみると

飯積区の中心にある泉で、伊豆神社の南側に当たります。
この場所の地名も泉といいます。
飯積の地名由来と伝わっています。

と出てきました。


酒々井町でも、この場所を整備しているようです。

      20140207i飯積の大杉13


      20140207i飯積の大杉14

      20140207i飯積の大杉15



これが泉?
お世辞でも綺麗な湧き水とは言えません(笑)。

      20140207i飯積の大杉16


おそらく、この周辺をちょっとした公園にでもするのでしょうか?
ちょっとした高台から見下ろせば、
いかにも公園化のため、整備工事中って言う感じです。

      20140207i飯積の大杉17


四阿も建設中。

      20140207i飯積の大杉18


肝心の道標は、周辺を歩き回ったのですが
結局見つけられず..............。

      20140207i飯積の大杉19


      20140207i飯積の大杉20


東関東自動車道周辺の里山風景を眺めながら
伊豆神社まで戻りました。

道標探しで何だかんだと、それなりに歩いて
びいすけ にとっても充分な散歩になった気がします。


2014/02/25 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

しろい七福神⑦  薬王寺    《弁財天》                            (2014年2月6日)(千葉県白井市) 

2月6日 公休日

個人的な連休2日目。

この日は朝から、しろい七福神巡りをして来ました。


しろい七福神は

延命寺 《大黒天
西輪寺 《福禄寿
来迎寺 《布袋尊》
長楽寺 《恵比寿》
佛法寺 《寿老人》
秋本寺 《毘沙門天》
薬王寺 《弁財天》

と、7つのお寺に七福神が祀られています。



秋本寺をあとにして向かった先は
清戸地区の    薬王寺


この石段を上った先が薬王寺。

すでに、この地点からしろい七福神の幟が立ち並び
それらしい雰囲気を醸し出しています。

      20140206しろい七福神⑦薬王寺01


こちらが、本堂。
石段を上り切ると、いきなり目の前に現れます。

      20140206しろい七福神⑦薬王寺04


      20140206しろい七福神⑦薬王寺05

どうやら、石段は山門とは逆の入口だったようです。

しかし、山門側から入ってくると、二頭の柴犬に思い切り吠えられます。
どうやら、このお寺の飼い犬のようで盛んに吠えていました。




本堂には山号の入った山額が掲げられています。


      20140206しろい七福神⑦薬王寺14

青龍山 薬王寺と言うのが、正式名称のようです。




こちらの薬王寺には、千葉県の指定文化財があるようです。

      20140206しろい七福神⑦薬王寺06




この薬王寺には、しろい七福神の弁財天が祀られています。

弁財天とは
唯一の女神で、知恵財宝、愛嬌縁結びの徳があるといわれます。
インドの水の神、音楽の神、知恵の神。
本来の姿は、八臂で金剛杵・弓矢・刀などを持ち、水の恵みを与え、
河の怒りをもって水を供給してくれる五穀豊穣の神様でもある。
中世以降では、琵琶を抱える姿が多くなり、音楽や芸能、弁舌の神様となったそうです。





弁財天は境内の片隅に鎮座していました。

こちらが、弁財天。

      20140206しろい七福神⑦薬王寺02


      20140206しろい七福神⑦薬王寺03

この辺りで、先ほどの2頭の柴犬が びいすけ の気配を察してか?
まぁ吠えまくること。 (正直、うるさくて参りました。)


本堂から離れ、境内奥へと移動します。


こちらは、青龍山清戸薬師堂

      20140206しろい七福神⑦薬王寺07


      20140206しろい七福神⑦薬王寺08



薬王堂の裏手には、石像群とさらに奥へと導く上り道がありました。

      20140206しろい七福神⑦薬王寺09



上っていくと、虎口らしき場所を発見。

      20140206しろい七福神⑦薬王寺10



さらに奥には空堀らしきものもあったりして.........

      20140206しろい七福神⑦薬王寺11


木立を抜けると、郭のような削平地。

ひょっとして、ここは城址?

      20140206しろい七福神⑦薬王寺12



そんな事を思いながら、本堂の方へ戻ります。


先程の薬王堂裏手の石碑群。

こちらにも、しっかり十九夜塔があって
この地の信仰の深さを物語っているようです。

      20140206しろい七福神⑦薬王寺13


境内に戻ると、再び柴犬2頭の吠える声。
これまた半端なく、『何事?』と人が現れた。
おそらく住職の奥さんであろうご婦人と立ち話。
かつての城址かと思っていたら、ご婦人の話によれば
この寺の創建については不詳であるが、
言い伝えによれば大同年間(806年 - 810年)という。

いやぁ、由緒ある古刹なんですね。


この薬王寺で、しろい七福神も全て巡り終えることが出来ました。
延命寺の大黒天と秋本寺の毘沙門天は拝観で来なかったけれど、
個人的には長楽寺の三面大黒天で代用しちゃおっと(笑)。

これで七福神が宝船に乗って、私と びいすけ の元に
幸をいっぱい届けてくれることを期待いたしましょう。


2014/02/24 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

しろい七福神⑥  秋本寺    《毘沙門天》                            (2014年2月6日)(千葉県白井市) 

2月6日 公休日

2月6日 公休日

個人的な連休2日目。

この日は朝から、しろい七福神巡りをして来ました。


しろい七福神は

延命寺 《大黒天
西輪寺 《福禄寿
来迎寺 《布袋尊》
長楽寺 《恵比寿》
佛法寺 《寿老人》
秋本寺 《毘沙門天》
薬王寺 《弁財天》

と、7つのお寺に七福神が祀られています。


佛法寺をあとにして、向かった先は
白井地区にある   秋本寺


秋本寺は
寺伝によると下総国臼井荘在住の秋元太郎左衛門尉勝光という武士が、
下総国中山にて日蓮聖人の説法を聞き感銘をうけ建てた法華経堂が寺院化したものが起源だとされている。
起源を知る資料としては、1280年(弘安3年)に身延山の日蓮によって書かれた「秋元御書」という文書が
法華経寺に残されている。

嘉元元年(1303年)に日豊上人によって開山され、
寛文5年(1665年)8月には中興日教上人が本堂を建立した。
現在の本堂は1975年(昭和50年)に建立された。

秋元太郎左衛門尉は鎌倉幕府御家人で、
出自は上総国周准郡秋元郷発祥の藤原氏道兼流とされている。
高野山文書には「幕府奉行人秋元太郎左衛門尉」と記されている。
また、秋元氏は富木常忍と親戚関係の間柄で、
曽谷教信や大田乗明の両家とも親交が深かったことから日蓮宗を信仰するようになったとみられる。

白井市には、白井市前市長を務めた秋本氏をはじめ「秋本」を称する旧家が多くあるが、
この寺を創建した秋元太郎左衛門尉に由来するという。

                           (Wikipediaより引用)




こちらが秋本寺の山門


      20140206しろい七福神⑥秋本寺01


実は、この秋本寺は境内に保育園(白井保育園)があるため
園児の安全を考えてでしょうか?
山門に備えられたゲートはしっかり閉まっていました。


犬連れだし、ゲートも閉まっているし........
少し気が引けましたが、大きな声で『お邪魔しま~す』と声を掛け
中に入ってみました。


山門をくぐって突き当りが本堂

      20140206しろい七福神⑥秋本寺02



こちらが、その本堂

      20140206しろい七福神⑥秋本寺05




秋本寺には、しろい七福神の毘沙門天が祀られています。


毘沙門天は

インド出身の神様。
仏教四天王の一人。多聞天とも言われており、
さらに金毘羅の別名もあり、
招福利財・融通招福の神として広く親しまれています。


秋本寺の毘沙門天は毘沙門堂に祀られています。
これが、毘沙門堂

      20140206しろい七福神⑥秋本寺03


当然、犬は中には入れません。
おまけに扉は閉ざされているし......

毘沙門堂前で、はいポーズ。

      20140206しろい七福神⑥秋本寺04


毘沙門堂の向かいにある白井保育園。

      20140206しろい七福神⑥秋本寺06

平日だから、保育園の園児が園庭で遊んでいたら
犬連れは顰蹙ものかな?と思ってたけれど
園児が居なくて良かったぁ......
時間的にお昼寝の時間だったのだろうか.......?


境内って言うか、園庭の片隅に使われていない丸ポストが何げに置かれています。
でも赤のままで残せば良いのに.......
銀色のポストって、何か違和感。
ポストは赤いものだって園児に教える教材になるのになぁ....

      20140206しろい七福神⑥秋本寺07



そして、こちらは秋元太郎左衛門尉遺蹟の碑

      20140206しろい七福神⑥秋本寺08



毘沙門天を拝観出来なかったのは残念ですが
とりあえず、しろい七福神の秋本寺は完了。

しろい七福神も残すはあと1つ。

さぁ、ラスト・スパートいたしましょう..........


 
2014/02/23 Sun. 18:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

しろい七福神⑤  佛法寺    《寿老人》                            (2014年2月6日)(千葉県白井市) 

2月6日 公休日

個人的な連休2日目。

この日は朝から、しろい七福神巡りをして来ました。


しろい七福神は

延命寺 《大黒天
西輪寺 《福禄寿
来迎寺 《布袋尊》
長楽寺 《恵比寿》
佛法寺 《寿老人》
秋本寺 《毘沙門天》
薬王寺 《弁財天》

と、7つのお寺に七福神が祀られています。


大日神社をあとにして、しろい七福神巡りは続きます

このあと向かったのは復地区にある 佛法寺


北総線沿いに走る国道464号線からちょっと入ったところに
ひっそりと佛法寺はありました。

こちらは佛法寺の山門

      20140206しろい七福神⑤佛法寺01


奥に見えるのが本堂

      20140206しろい七福神⑤佛法寺02


本堂に掲げられた山額
山号は長命山

この寺院の正式名称は 長命山佛法寺 と言うんですね。

      20140206しろい七福神⑤佛法寺07




境内には、木魚に頬を寄せるお地蔵さん。
やっぱり、白井市の何軒かの寺院ではお地蔵さんに拘っていると言うか
いろんな表情のお地蔵さんを境内に置いているようです。

      20140206しろい七福神⑤佛法寺03


こちらの佛法寺にも白井市指定の文化財があるようです

      20140206しろい七福神⑤佛法寺04



こちらには、しろい七福神の寿老人が祀られています。


寿老人とは
中国出身の神で、不老不死の霊薬を所持しているといわれています。
人々の健康と長寿の神様として、広く崇敬されています。



本堂の脇に鎮座する寿老人

      20140206しろい七福神⑤佛法寺05


      20140206しろい七福神⑤佛法寺06


境内の池にあった鹿威し(ししおどし)
しっかり凍りついていました。

      20140206しろい七福神⑤佛法寺08

今年は例年より寒い気がするって思っていたけれど
本当に寒いんだ.......



これで、しろい七福神のうち五福神を巡ったことになります。
残すはあと二つ。

次なる七福神へ向かいましょう...........。



2014/02/23 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

大日神社   (2014年2月6日)(千葉県白井市) 

2月6日 公休日

この日は個人的な連休2日目。

朝からしろい七福神巡りをしていました。


根地区にある長楽寺を訪れ、周辺を散策していた時
長楽寺に隣接する 大日神社 に立ち寄ってみました。


(って言うか、最初に長楽寺と間違えてしまったのが大日神社でした)



こちらが大日神社

      20140206大日神社15



神社の入口には説明版。

説明版によれば、
1677年(延宝5年)9月15日、元七次村村社として鎮座
1875年(明治8年)周辺の村が合併して、根村と改称。根村村社となる。
1913年(大正3年)白井村発足。白井村村社となる。

非常に由緒ある神社のようです。
  
      20140206大日神社12


入口には村社だった証しの石柱が建っています。

      20140206大日神社13



こちらが大日神社の鳥居

      20140206大日神社01


      20140206大日神社04



神額にも大日神社の文字がしっかりと記されています。

      20140206大日神社05



鳥居の脇には大きな岩のようなオブジェ?
まさか、オブジェではないとは思うけれど.....
でもそれは狛犬。
それも3対の狛犬。

(特に神社巡りが趣味ではありませんが.........)
これまで多くの神社に訪れましたが、こんな狛犬は初めて。
珍しい狛犬の姿です。

      20140206大日神社02


      20140206大日神社03


こちらが拝殿

      20140206大日神社06


拝殿の前で、はいポーズ。

      20140206大日神社07



(親バカですが......)
拝殿の前では、びいすけ も凛々しい顔つきをしているようです。(笑)

      20140206大日神社08



こちらが本殿

      20140206大日神社09



大日神社の境内には、八幡天神の社もあります

      20140206大日神社10


      20140206大日神社11



携帯をぐるっと一回りしてみると
こんな石像もありました

聖徳太子の石碑。
これって一体なんだろう?

      20140206大日神社14


ここに来る前に立ち寄った富塚地区の西輪寺には聖徳太子の像があるようだし、
以前訪れた神々廻地区の鳥見神社の境内脇には、この石碑と同じような
聖徳太子の石碑があった。

ひょっとしたら聖徳太子伝説、聖徳太子信仰っていうのが
この白井市周辺にはあったのだろうか..........?

そんなことを思いながらも、しろい七福神巡りは続きます.............。



 
2014/02/22 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

しろい七福神④  長楽寺    《恵比寿》                            (2014年2月6日)(千葉県白井市) 

2月6日 公休日


個人的な連休2日目。

この日は朝から、しろい七福神巡りをして来ました。


しろい七福神は

延命寺 《大黒天
西輪寺 《福禄寿
来迎寺 《布袋尊》
長楽寺 《恵比寿》
佛法寺 《寿老人》
秋本寺 《毘沙門天》
薬王寺 《弁財天》

と、7つのお寺に七福神が祀られています。


折立の来迎寺をあとにして向かった先は

根地区にある  長楽寺


ここが長楽寺の参道

      20140206しろい七福神④長楽寺13
   


そして、こちらが山門

      20140206しろい七福神④長楽寺01



奥に見えるのが本堂
そして、本堂に至る参道には しろい七福神 の赤い幟がはためいています。

      20140206しろい七福神④長楽寺02


本堂に掲げられた長楽寺の額

      20140206しろい七福神④長楽寺07





この長楽寺には、しろい七福神の恵比寿が祀られています。


恵比寿とは
日本の神様で、漁業、商売繁盛の神として、信仰されています。
日本古来の神様でご神名は小彦名命(疱瘡神社)。
海の守護と商売繁盛、医療医薬、庶民救済の神として、崇敬されています。


こちらが恵比寿が祀られているお堂。
本堂脇にあります。

      20140206しろい七福神④長楽寺03

生憎、お堂は閉まっていましたが、『一礼』して中を覗かせてもらいました。



こちらが恵比寿像

      20140206しろい七福神④長楽寺04


      20140206しろい七福神④長楽寺05




こちらは、大黒天
本堂の左脇、恵比寿とは反対側の脇のお堂に祀られています
こちらも『一礼』して拝見させていただきました。

      20140206しろい七福神④長楽寺08



しろい七福神の大黒天は延命寺となっています

実は延命寺では大黒天を拝むことが出来なかったので
こちらで大黒天を拝むことが出来てラッキーでした。


      20140206しろい七福神④長楽寺09



この長楽寺の大黒天は 三面大黒天 と言って
正面が大黒天 右面が毘沙門天 左面が弁財天という代物。

      20140206しろい七福神④長楽寺10



長楽寺にも白井市の指定文化財が保存されているようです。

      20140206しろい七福神④長楽寺06



指定文化財の像よりもこちらの鐘楼の方が私好み。

      20140206しろい七福神④長楽寺11



この鐘は一体どんな音色で鳴り渡っているんでしょうか?

      20140206しろい七福神④長楽寺12


気になると言えば気になりますが..........


そんなことを気にしながら長楽寺周辺の散策は続きます.........。


 
2014/02/21 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

しろい七福神③  来迎寺    《布袋尊》                            (2014年2月6日)(千葉県白井市) 

2月6日  公休日

個人的な連休2日目。

この日は朝から、しろい七福神巡りをして来ました。

しろい七福神は

延命寺 《大黒天
西輪寺 《福禄寿
来迎寺 《布袋尊》
長楽寺 《恵比寿》
佛法寺 《寿老人》
秋本寺 《毘沙門天》
薬王寺 《弁財天》

と、7つのお寺に七福神が祀られています。

富塚地区の西輪寺をあとにして、向かった先は
折立地区の       来迎寺



何故だか、この『来迎寺』とう言葉と言うか、
文字に反応してしまう自分がいます。

元を正せば、生まれ育ったのは愛知県知立市。
知立市でも外れの方に住んで居て、通った小学校が来迎寺小学校。
小学校の学区も大字小字の世界で言えば八橋、牛田、来迎寺。
私は八橋に住んでいましたが、八橋も牛田も来迎寺も馴染みのある地名。
当然、来迎寺って言う地区には来迎寺と言うお寺も有りました。
確か、小学校に隣接していたお寺だったと思います。

そんな、遥か遠い昔の記憶があるから
この歳になっても『来迎寺』の文字を見ると、ドキッとしてしまいます。


こちらが来迎寺の参道。


      20140206しろい七福神③来迎寺01



そして、来迎寺の山門

      20140206しろい七福神③来迎寺02


山門をくぐってすぐに、お地蔵さんの像があります。
こちらは横たわっています

      20140206しろい七福神③来迎寺03

西輪時のお地蔵さんは箒を持っていたし
こちらの来迎寺のお地蔵さんは横たわっている。
ひょっとしたら、白井市のお寺のいくつかは、
このお地蔵さんがいろんなポーズをしている像を境内に置いているのだろうか?



本堂前には白井市の建てた説明看板。

こちらにも、いくつかの指定文化財があるようです。

      20140206しろい七福神③来迎寺04



こちらは、白井市の指定文化財である来迎寺の公孫樹(いちょう)

      20140206しろい七福神③来迎寺05

この公孫樹は言い伝えで、元禄十四年(1701年)、
来迎寺を含む当時の折立村が大火災になった時に焼け残ったそうで
『火伏せの公孫樹』と呼ばれ、村人の厚い信仰を得たそうです。



こちらが、来迎寺の本堂。

      20140206しろい七福神③来迎寺06




この来迎寺には、しろい七福神の布袋尊が祀られています。

布袋尊は
笑門来福、夫婦円満、子授けの神様として信仰されています。
中国出身の禅僧で、唯一実在した人物。
その容姿から知恵を授け、福徳と円満な暮らしを与えてくると言われています。


こちらが、来迎寺の布袋尊
本堂の脇に大きなお腹の布袋尊が鎮座しています。

      20140206しろい七福神③来迎寺07


随分と貫禄のある布袋尊です(笑)

      20140206しろい七福神③来迎寺08



本堂をちょっと角度を変えて眺めてみると、こんな感じ。

      20140206しろい七福神③来迎寺09


山門脇の石碑群
いくつかの十九夜塔の碑もあります。

      20140206しろい七福神③来迎寺10


同じく、石碑群
こちらは道祖神だろうか?

      20140206しろい七福神③来迎寺11


この折立の地も信仰深い土地柄のようですね。


さて、次なる七福神に会いに行きましょう..............。


 
 
 
 
2014/02/20 Thu. 18:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

しろい七福神②  西輪寺    《福禄寿》                            (2014年2月6日)(千葉県白井市) 

2月6日 公休日

個人的な連休2日目。

この日は朝から、しろい七福神巡りをして来ました。

しろい七福神は

延命寺 《大黒天
西輪寺 《福禄寿》
来迎寺 《布袋尊》
長楽寺 《恵比寿》
佛法寺 《寿老人》
秋本寺 《毘沙門天》
薬王寺 《弁財天》

と、7つのお寺に七福神が祀られています


平塚の延命寺をあとにして、向かった先は
富塚地区の     西輪寺

この西輪寺の場所が良く分からず、辿り着くのにちょっぴり苦労しました。
(ナビの案内通りに行くと道が無い!)


苦労して辿りついた西輪寺。


山門前の案内看板。
こちらの西輪寺には、木造の聖徳太子の像があるようです。
(ちなみに、白井市の指定文化財です。)

      20140206しろい七福神②西輪寺02


こちらが西輪寺の山門。

しっかりと、しろい七福神の幟が立っています。

      20140206しろい七福神②西輪寺04

      20140206しろい七福神②西輪寺03


こちらの西輪寺には、しろい七福神の福禄寿が祀られています。


福禄寿は
長寿・幸福の徳を持ち、招徳人望の神様として信仰されています。
ご神名は伊装諾尊。長寿の神ですが、
一般には人々の幸福、授かる財物、人々の寿命を司る神様として親しまれています。


境内の片隅にある福禄寿の像。

      20140206しろい七福神②西輪寺05

      
      20140206しろい七福神②西輪寺10


やっぱり、こうやって実物があると、
七福神巡りをしているんだなぁと言う実感が沸きます。



こちらが本堂。

      20140206しろい七福神②西輪寺07



本堂の脇にある、このお堂は太子堂。

      20140206しろい七福神②西輪寺06


      20140206しろい七福神②西輪寺08

この中に咲ほどの説明看板に記されていた聖徳太子像があるのでしょうか?



山門脇のお地蔵さん。
このお寺の小坊主のようにも見えますね。

      20140206しろい七福神②西輪寺09

毎日、一生懸命に掃き掃除をしているのでしょうか?

境内は苔むした箇所もあり、苔の茶緑の境内がちょっと印象的でした。

さぁ、次なる七福神会いに行きましょう。


2014/02/20 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

しろい七福神①  延命寺    《大黒天》                            (2014年2月6日)(千葉県白井市) 

2月6日  公休日


個人的な連休。
特に予定もない連休。
(まあ、お金もありませんが...........)

今年になってからハマっている七福神巡り。

地元・佐倉市の七福神を制覇し、
お隣の印西市の旧・印旛村地区の印旛七福神を制覇し、
先日、同じく印西市の印西七福神も制覇しました。

同じ北総地区には、かつての市町村単位で七福神があったようで、
白井市にも しろい七福神 なるものがあるようです。

と言うことで、この日は しろい七福神巡りをしてみました。


しろい七福神は

延命寺 《大黒天》
西輪寺 《福禄寿》
来迎寺 《布袋尊》
長楽寺 《恵比寿》
佛法寺 《寿老人》
秋本寺 《毘沙門天》
薬王寺 《弁財天》

と、7つのお寺に七福神が祀られています。



そもそも七福神とは、福徳の神として信仰される七神で、
一般に大黒天、恵比寿、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋尊を言います。
福神の信仰は古くからありましたが、室町時代以降に一般化し、
江戸時代後半に特に盛んになりました。
仏教の七難即滅七福即生の思想を受け、
七福神をお参りすると七 つの災難が除かれ、
七つの幸福が授かるといわれております。




と言う訳で、最初に向かったのは平塚地区にある 延命寺

実は、この延命寺。
以前訪れた、鳥見神社《白井 平塚》や白井第二小学校平塚分校跡のすぐ近く。
目と鼻の先と言った距離になります。


こちらが、延命寺山門。

      20140206しろい七福神①延命寺01


赤い しろい七福神 の幟の旗がやけに眩しい。

      20140206しろい七福神①延命寺02


説明看板によれば、この延命寺には観音堂や十九夜塔などの
千葉県指定や白井市指定の文化財があるようです。

      20140206しろい七福神①延命寺03


白井市なのに印西大師の札所となっているようです。

      20140206しろい七福神①延命寺04


こちらが観音堂。
千葉県の指定文化財です。

      20140206しろい七福神①延命寺05

      20140206しろい七福神①延命寺13




こちらが鐘楼(梵鐘)。
個人的には観音堂より、こちらの鐘楼(梵鐘)の方が
文化財っぽく見えてしまうのですが........

気のせい?

      20140206しろい七福神①延命寺06


この延命寺には、しろい七福神の大黒天が祀られています。


大黒天は
インド出身の神様。
梵語で摩訶迦羅(マハーカーラ)。
マハー(大いなる)カーラ(黒)を漢訳して大黒天または大黒神といい、
仏教に採りいれられ、悪鬼と戦う勇猛な護法の軍神となる。
もともとは甲を付け、右手に鉾、左手に宝塔を持ち邪鬼か岩座の上にたっていた。
鎌倉時代から室町時代にかけて、字音が大黒と大国が同じ事から、
出雲大社の大国主命と結びつき、現在のような打ちでの小槌を持ち、
大きな袋を担ぎ、福徳円満な純和風な大黒天となったとされています。


こちらが本堂。

      20140206しろい七福神①延命寺07


実は、延命寺の大黒天は本堂内に祀られていて
正月の元旦〜7日まで公開されているらしい。

      20140206しろい七福神①延命寺08

本堂は閉まっていて、外からは開かず中を伺い見ると言う事が出来なかった。
もっとも びいすけ 連れだから、本堂内には入れませんが...........。

そんな訳で、大黒天を見ることは出来ませんでした。




こちらが十九夜塔
印西市の指定文化財です

      20140206しろい七福神①延命寺09

十九夜塔は月待ち塔とも呼ばれ、日本の民間信仰の一種です。
特定の月齢の夜に集まり、月待行事を行った講中で、
供養の記念として造立した塔です。

月待行事とは、十五夜、十六夜、十九夜、二十二夜、二十三夜などの
特定の月齢の夜、「講中」と称する仲間が集まり、飲食を共にしたあと、
経などを唱えて月を拝み、悪霊を追い払うという宗教行事です。

この地には、十九の月齢の夜に集まって悪霊を追い払っていたんですね。

      20140206しろい七福神①延命寺10


      20140206しろい七福神①延命寺11

手賀沼開拓時に開拓民が集まって、苦難を追い払うために
そして、一族の繁栄を祈願していたのでしょう。





こちらは延命寺の名の入った鬼瓦

      20140206しろい七福神①延命寺12


こういった瓦まで用意出来るとは、かなりの由緒ある古刹なんでしょう。


残念ながら、大黒天は拝観できませんでしたが
仮に拝観出来ても、 びいすけ との2ショットは無理だったので
せめて境内の片隅にでも、石像の大黒天があれば良いのに........

そんな事を思うのは、犬連れで七福神巡りをする私だけなんだろうな............。


2014/02/19 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

印西八景④   《光堂の雪景》  (2014年2月2日)(千葉県印西市) 

2月2日 公休日


この日は印西七福神巡りをしていました。

最後の七福神巡りの泉倉寺の前の道路に
こんな古びた木製の案内板がありました。

      20140202印西八景 観音堂01

そう言えば、宝珠院観音堂って確か印西八景だったはず。
そんな事を思い出し、iPhoneてチエック。

間違いない。

光堂の雪景 というタイトルで印西八景に選定されている。


印西八景とは

大六天の手賀沼
長楽寺の晩鐘
光堂の雪景
こすもす大橋の夕映
利根川の朝霧
木下公園の貝層
小林牧場の櫻花
結縁寺の彼岸花

いわゆる印西市の中で四季折々の風光明媚な場所を
印西市観光協会が指定したものです。

 
      印西八景
      印西八景2




道路の反対側にある案内の碑は文字もかすれ、判読するのも難解。


      20140202印西八景 観音堂02


かろうじて、光堂はこちら(→)だと分かります。
いわゆる道しるべってやつですね。

     20140202印西八景 観音堂03


道しるべに案内され、民家の間の狭い道を歩いて行きます。

      20140202印西八景 観音堂04


100mほど歩くと視界が開けて来ます。

      20140202印西八景 観音堂05


ここが印西八景。
光堂の雪景です。

      20140202印西八景 観音堂06


光堂と呼ばれるこの建物、正式には宝珠院観音堂。

      20140202印西八景 観音堂07


      20140202印西八景 観音堂08


      20140202印西八景 観音堂09

印西市の建てた標柱には、重要文化財と記されています。


それもそのはず、茅葺き屋根のこの建物は、
なんと! 国指定の重要文化財。

      20140202印西八景 観音堂10


雪でも積もっていれば、絵になるのですが
この日は生憎の曇り空。

      20140202印西八景 観音堂11


誰が詠んだかわかりませんが、光堂の脇には句碑がポツンと建ってます。

      20140202印西八景 観音堂12

ふりし世は ふりし寂けさ 降る木の実
正一

正一って言う作者は誰なんでしょう?




こちらは、観音杉。
樹齢は不明ですが、それなりの年代を経ている。
とにかく幹も太くて立派な杉の木です。

      20140202印西八景 観音堂13


境内にある土塁。
(ひょっとしたら、単なる土壇かもしれないけれど)

      20140202印西八景 観音堂14


室町時代に建てられたと言う宝珠院観音堂(光堂)。
確かに、建物以外にもその雰囲気は感じとれます。

こちらの土壇も土塁にみえるんだけどなぁ。

      20140202印西八景 観音堂15


来た時と同じように、民家の間の小径を歩いて戻ります。

      20140202印西八景 観音堂16


宝珠院と言うお寺はもう無くなってしまい、
現在は泉倉寺が観音堂を管理しているようです。


北総台地の片隅にこんな穴場が有ったとは.........

印西市も奥が深い..........。






おまけ

2月4日に千葉県にちょっびり雪が降りました。
2月6日の朝に再び訪れたら、
わずかに(本当に微かにですが.....)雪が残っていました。

      20140206雪の観音堂01


      20140206雪の観音堂02

      20140206雪の観音堂03


これで、印西八景 光堂の雪景

ちょっと無理があるかなぁ?(笑)



さらに追伸。
2月8日、10日、14日と千葉県には雪が降りましたが
さすがにチェーンを装着してまで訪れる気は湧きませんでした。
って、チェーン持ってないし(笑)。


2014/02/18 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

印西七福神⑧   泉倉寺   《毘沙門天》                             (2014年2月2日)(千葉県印西市) 

2月2日 公休日

この日は午後から印西七福神巡りをして来ました。


印西七福神は

   宝泉院    (福禄寿)
   三宝院    (恵比寿)
   上町観音堂  (寿老人)
   厳島神社   (弁財天)
   長楽寺    (大黒天)
   最勝院    (布袋尊)
   観音寺    (弁財天)
   泉倉寺    (毘沙門天)

 と七福神ですが、弁財天が重複しているため8ヶ所巡りとなります。


これまでに7ヶ所を巡って、残すはあと1つ


と言うことで訪れたのは和泉地区にある  泉倉寺




こちらが泉倉寺の山門

      20140202いんざい七福神⑧02


      20140202いんざい七福神⑧01


奥に見えるのが本堂

      20140202いんざい七福神⑧03



こちらの泉倉寺には印西七福神の毘沙門天が祀られています


毘沙門天は
インド出身の神様。
仏教四天王の一人。多聞天とも言われており、
さらに金毘羅の別名もあり、
招福利財・融通招福の神として広く親しまれています。



こちらが毘沙門天

      20140202いんざい七福神⑧04


      20140202いんざい七福神⑧05


      20140202いんざい七福神⑧06




こちらが本堂

      20140202いんざい七福神⑧07


こちらは、泉倉寺の由緒が記された石碑。

      20140202いんざい七福神⑧08


本堂の隣には木造の別院(?) 
     
      20140202いんざい七福神⑧09


こちらの建物には千葉県指定文化財の 木造延命地蔵菩薩 が祀られているようです。

こちらが、その説明看板。

      20140202いんざい七福神⑧10


本堂の裏にも、こんな標柱が建っていました。

      20140202いんざい七福神⑧11


印西市って、文化財に対する意識が高いって言うか、
説明看板や標柱もしっかり準備され、好感が持てます。
先代からの大切な遺産をしっかりと後世に伝えていこうとする姿勢。
そういう考え方が好きだなぁ。


これで印西七福神も全て巡る事が出来ました。

あとは、七福神が宝の舟に乗って私と びいすけ の前に現れ、
幸を届けてくれるのを期待しています。



2014/02/17 Mon. 17:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

印西七福神⑦   観音寺   《弁財天》                             (2014年2月2日)(千葉県印西市) 

2月2日  公休日


この日は午後から印西七福神巡りをして来ました。


印西七福神は

   宝泉院    (福禄寿)
   三宝院    (恵比寿)
   上町観音堂  (寿老人)
   厳島神社   (弁財天)
   長楽寺    (大黒天)
   最勝院    (布袋尊)
   観音寺    (弁財天)
   泉倉寺    (毘沙門天)

 と七福神ですが、弁財天が重複しているため8ヶ所巡りとなります。


これまでに6ヶ所を巡って、残すはあと2つ


と言うことで訪れたのは浦部地区にある 観音寺


ここが観音寺の山門

      20140202いんざい七福神⑦16


      20140202いんざい七福神⑦15



そして、こちらが本堂

      20140202いんざい七福神⑦14


本堂脇には説明版

印西市の指定文化財の 弁財天鋳銅鰐口 があるようです

      20140202いんざい七福神⑦11


そして、同じく印西市の指定文化財の 弥陀一尊武蔵版碑 があるようです。

       20140202いんざい七福神⑦13


      20140202いんざい七福神⑦12

おそらく本堂に大事に保管されている、それらの文化財よりも
私の目を奪ったのは仁王門

      20140202いんざい七福神⑦18


      20140202いんざい七福神⑦06


      20140202いんざい七福神⑦07


金網の隙間から仁王像を眺めてみました。

      20140202いんざい七福神⑦04


      20140202いんざい七福神⑦05


ここ観音寺には、七福神の弁財天が祀られています


弁財天とは
唯一の女神で、知恵財宝、愛嬌縁結びの徳があるといわれます。
インドの水の神、音楽の神、知恵の神。
本来の姿は、八臂で金剛杵・弓矢・刀などを持ち、水の恵みを与え、
河の怒りをもって水を供給してくれる五穀豊穣の神様でもある。
中世以降では、琵琶を抱える姿が多くなり、音楽や芸能、弁舌の神様となったそうです。


仁王門の脇に弁財天は鎮座しています



どうやら、池の真ん中に弁財天があるようです

      20140202いんざい七福神⑦17


      20140202いんざい七福神⑦01


こちらが弁財天

      20140202いんざい七福神⑦02


      20140202いんざい七福神⑦03


仁王門をくぐって、石段を登れば現世観音菩薩堂

せっかくだから、石段を登ってみましょう。

      20140202いんざい七福神⑦08



石段の上でハイポーズ


      20140202いんざい七福神⑦09



そこから何が見えるのかな?

      20140202いんざい七福神⑦10


この現世観音菩薩堂から登り道を登った先には
浦部の鳥見神社があります。
実は昨年の鳥見神社巡りの時に間違って(場所が分からず迷って)、
この観音寺周辺を徘徊しておりました(笑)



さてさて、印西七福神も残すはあと一つ。
最後の七福神に会いに行きましょう...........。。



 



2014/02/17 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

印西七福神⑥   最勝院   《布袋尊》                             (2014年2月2日)(千葉県印西市) 

2月2日  公休日


この日は個人的な連休二日目。
前日は静岡県まで遠征して、夜遅く帰ってきたため
久しぶりの朝寝坊。午前中はゆっくりとしていました。


午後から 印西七福神巡り に出かけました。

印西七福神は

   宝泉院    (福禄寿)
   三宝院    (恵比寿)
   上町観音堂  (寿老人)
   厳島神社   (弁財天)
   長楽寺    (大黒天)
   最勝院    (布袋尊)
   観音寺    (弁財天)
   泉倉寺    (毘沙門天)

 と七福神ですが、弁財天が重複しているため8ヶ所巡りとなります。


これまでに5ヶ所を巡って、残すはあと3つ


本日最初に訪れたのは、発作地区の  最勝院


こちらが最勝院。
詳しくはわかりませんが、現在は廃寺にでもなっているのでしょうか?

      20140202いんざい七福神⑥03


本堂のような建物がありますが、本堂ではありません

      20140202いんざい七福神⑥09


発作地区の集会所になっています

      20140202いんざい七福神⑥08



この最勝院には印西七福神の 布袋尊 が祀られています

布袋尊は
笑門来福、夫婦円満、子授けの神様として信仰されています。
中国出身の禅僧で、唯一実在した人物。
その容姿から知恵を授け、福徳と円満な暮らしを与えてくると言われています。



こちらが布袋尊
境内(?)の片隅に布袋尊は鎮座していました         

      20140202いんざい七福神⑥01


      20140202いんざい七福神⑥02



墓地ぐらいしか敷地内にはなく、
見所もないので、周辺を散策してみました。


隣接するのは大杉神社。

北総地区には寺院と神社が隣接しているのが多い。

大杉神社の石碑群(十九夜塔)。

      20140202いんざい七福神⑥04



こちらが大杉神社
鳥居がやけに新しいと思っていたら......

      20140202いんざい七福神⑥05


昨年の5月に建立されたものでした。

      20140202いんざい七福神⑥06



小さな神社の境内には、ここにも石碑群。

      20140202いんざい七福神⑥07


北総地区、特に印西、白井、柏地区っていうのは信仰心が厚いのか?
庚申塔や十九夜塔が多い。

信仰心の薄いって言うか、全く無い私にとっては
全く縁のない世界って言うか、違った文化だから新鮮に見えてきたりする。

印旛沼や手賀沼を開拓してこの地に根を張った先住の人たちは
きっとその信仰心が生きるための心の支えだったのだろうか.......?


そんなことを考えながらこの地をあとにして
次なる七福神へと向かうのであった............。






2014/02/16 Sun. 16:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

横浜中華街で晩ご飯 (2014年2月1日)(神奈川県横浜市) 

2月1日 公休日


東名高速清水ICから一路、東京方面を走ります。

夕方に静岡市を出たから、横浜青葉ICに着く頃にはいい時間。
夜の帳もすっかり降り、晩ご飯の時間です。

さすがに、昼間はお腹いっぱいでも19時を過ぎれば
何か食べたくなります。

と言う事で、向かった先は

横浜中華街


中華街には、店内ワンコOKの店もあるようですが
何せ今は千葉県人(生まれは愛知県人)。
横浜には詳しくないので、知ってる店しか行きません。

      20140201横浜中華街03


      20140201横浜中華街04


店外って言うか、歩道に1組のテーブルがあり
ここならワンコOKのお店。

      20140201横浜中華街05

確かに、2月の寒空の下、
外での食事は辛いかな?って思っていたら
常連のMっちゃんの顔でしょうか?
はたまた、中国の旧正月(春節)が近いからなのか?

たまたま、お客さんが一人も居なくて
この日は、店内ワンコOKとなりました。

      20140201横浜中華街02

一応、気を使って極力テーブルの下に待機させますが
お店の匂いに反応する びいすけ 。



漢字のメニューを見て、さぁ今日は何を食べましょう。

      20140201横浜中華街01


何が来るのかなぁ?

早く来ないかなぁ?

      20140201横浜中華街06



『チョロチョロしなくていいから、テーブルの下で大人しくしていなさい!』

      20140201横浜中華街07


頼んだ料理が運ばれてきました。

      20140201横浜中華街08



びいすけ用に頼んだ鳥の手羽先。
味の付いた衣は私が食べ、お肉の部分は びいすけ のお腹の中へ………。

      20140201横浜中華街09


こちらは、黒酢の酢豚。

      20140201横浜中華街10



海老春巻き。

      20140201横浜中華街11



水餃子。

      20140201横浜中華街12


このあと、特製海老炒飯も来ましたが
こちらは食べるのに夢中で画像無し。

お店からサービスで杏仁豆腐も出て来ましたが
こちらは勢いよく食べてしまって、画像無し。



『お父さんたちだけ、いっぱい食べてズルい。』

テーブルの下から びいすけ がそんな事を言ってるような視線。

      20140201横浜中華街13


さぁ、お腹もいっぱいになったから
帰ることにいたしましょう。

Mっちゃんを送り届け、自宅に帰り着いたのは23時過ぎ。
今日も一日お疲れ様でした。

2014/02/16 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

駿府城址 《駿府公園》 (2014年2月1日)(静岡県静岡市) 

2月1日 公休日


POCKETをあとにして向かった先は

      駿府城址


せっかく静岡市に来たのだから、せめて城址の一つぐらい見て帰りたいな。
そんな個人的な欲望に勝てず、訪れてみました。

本当は徳川家康の墓所である久能山東照宮(久能城址)や蒲原城址と
行きたい所はあるんだけれど、それは次回の楽しみに取って置きましょう。


駿府城はご存知、徳川家康が築いた城。

もっと詳しく調べて見ると.......


14世紀に室町幕府の駿河守護に任じられた今川氏によって、
この地には今川館が築かれ今川領国支配の中心地となっていた。
今川氏は隣接する甲斐国の武田氏、相模国の後北条氏と同盟を結び領国支配を行ったが、
16世紀には甲斐を中心に領国拡大を行っていた武田氏との同盟関係が解消され、
武田氏の駿河侵攻により今川氏は駆逐され、城館は失われた。

今川領国が武田領国化されると支配拠点のひとつとなるが、
武田氏は1582年(天正10年)に織田・徳川勢力により滅亡し、
甲斐・駿河の武田遺領は三河の徳川家康が領有した。
徳川氏時代に駿府城は近世城郭として築城し直され、この時に初めて天守が築造されたという。
その後1590年(天正18年)には、豊臣政権による後北条氏滅亡に伴う家康の関東移封が行われ、
徳川領国と接する駿府城には豊臣系大名の中村一氏が入城する
(甲斐の甲府城にも、同様に豊臣系大名が配置されている)。

江戸時代初期、家康は徳川秀忠に将軍職を譲り、
大御所となって江戸から駿府に隠居した。
ただし名目上は家康の子の頼宣による駿府藩50万石、ということになっている。
このとき駿府城は天下普請によって大修築され、
ほぼ現在の形である3重の堀を持つ輪郭式平城が成立した。
天守台は、石垣天端で約55m×48mという城郭史上最大の天守台であった。
しかし1607年(慶長12年)に、完成直後の天守や本丸御殿などが城内からの失火により焼失した。
その後直ちに再建されたが、1610年(慶長15年)再建時の天守曲輪は、
7階の天守が中央に建つ大型天守台の外周を隅櫓・多聞櫓などが囲む特異な構造となった。

1616年(元和2年)に駿府城で家康が没するまでの大御所政治時代、
駿府は江戸と並ぶ政治・経済の中心地として大いに繁栄した。

                    (Wikipedia より引用)



こちらが駿府城の縄張り図   ( 余湖くんのHP よりお借りいたしました)

     駿府城縄張り



縄張り図では三の丸堀まで描かれていますが
現在、そのほとんが埋められてしまっています。

かつてのこの地区の中心地にあった駿府城址。
その三の丸には静岡県庁が建ったり、市民体育館が建っていたりと
かなり変革をしていますが、二の丸堀より内側は駿府城公園として整備され
現在に至っています。

ちなみにこの駿府城は(財)日本城郭協会が 日本100名 の一つに選定しています。




さて、その駿府城址ですが市街地にある城址のため車で行くとちょっと不便。
と言うのも近隣には公共施設の駐車場しかなく
この日は土曜日。かろうじて体育館の有料駐車場に車を入れることができました。

帯域感のある辺りはかつての三の丸。

二の丸堀に架かる橋を渡り、北御門から場内に入ります。

      20140201駿府城址01


こちらが北御門跡。

近世に(家康の隠居時)改修されたから、その当時の石垣。
中世の白が多い関東ではあまり見慣れない石垣は立派です。

      20140201駿府城址03


      20140201駿府城址04


北御門からの二の丸掘

      20140201駿府城址41


      20140201駿府城址42


北御門から城内に入ります。


縄張り図ではありませんが、現在の駿府城公園の案内図

      20140201駿府城址05


公園として憩いのひととき
紅葉山庭園前の広場

      20140201駿府城址06


ここは、かつての二の丸
現在は紅葉山庭園前の広場として広く解放されています。

      20140201駿府城址07


      20140201駿府城址08



二の丸堀の土塁

      20140201駿府城址09


土塁は堀沿いの周遊路(散策路)となっています。

      20140201駿府城址10


こちらは、駿府城の説明看板

      20140201駿府城址11





こちらが本丸跡

城址碑(本丸跡碑)と徳川家康公の像

      20140201駿府城址12


      20140201駿府城址13



家康公の左腕には鷹

鷹狩りが好きだった家康公らしい像です。

      20140201駿府城址14


      20140201駿府城址15



家康公の像に隣接して家康公お手植えの蜜柑の木があります。

      20140201駿府城址16


      20140201駿府城址17



さらにその脇には、徳川恒孝(徳川宗家第十八代当主)書の東照神君御遺訓の碑があります。

      20140201駿府城址18


人の一生は重荷を負て遠き道を行くが如し。
急ぐべからず。
不自由を常と思へば不足なし。
心に望おこらば困窮したる時を思ひ出すべし。
堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思へ。
勝つ事ばかり知りて、負くる事を知らざれば害その身に到る。
己を責めて人を責むるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり



う~ん、考えさせられますね........

さすが、天下を取った徳川家康が遺した言葉。
徳川家の家訓でもあります。




本丸から二の丸へ向けてさらに散策(散歩)は続きます。

      20140201駿府城址19



この先に、二の丸東御門 巽櫓があります。

      20140201駿府城址20


東御門 巽櫓を眺めます
この場所からは、まだちょっと距離があります。


ゆっくり歩いてみましょう。

      20140201駿府城址21



東御門 巽櫓の前には本丸堀。

かつて駿府城は三の丸堀、二の丸掘、本丸掘と3重の堀で囲まれた城郭でした。

三の丸堀と本丸掘はほとんどが埋められてしまいましたが
この本丸掘は、発掘・復元されたものです。

本丸堀(内堀)はこの一部のみ復元されています。

      20140201駿府城址22


こちらが本丸堀の説明版。

      20140201駿府城址23



二の丸から本丸堀を眺めてみます

      20140201駿府城址24



二の丸にある駿府城公園の碑

      20140201駿府城址25



こちらが復元・東御門 

枡形も立派。

枡形とは
枡状の四角い形に土塁や石垣を配置して、その一辺に開けられた開口部から出入りし、
四角い空間のなかのもう一辺から郭内に入るように、
最初の入口を入った敵は、郭の入口との間にある空間(桝形)で、
四方から攻撃にさらされるように、防備を強化した虎口


      20140201駿府城址26


      20140201駿府城址27


東御門に架かる橋

      20140201駿府城址28


      20140201駿府城址30



橋から眺める二の丸掘

      20140201駿府城址29



二の丸掘前にて
背後に見えるのは巽櫓
そしてさらに奥に見えるビルが静岡県庁。

      20140201駿府城址31



再び、城内に戻ります

二の丸にある駿府城下町の絵図の碑

これを見ていると、いかに駿府城下が繁栄していたかがわかります。

      20140201駿府城址32



二の丸堀沿いには土塁の散策路があり、
双葉葵の小路なんてお洒落な名前がついています。

      20140201駿府城址33


双葉葵の小路をぐいぐいとリードを引っ張り、先を急ぐ びいすけ 。

      20140201駿府城址34



こちらが水路。
本丸堀(内堀)と二の丸堀(中堀)は水路で結ばれており、
本丸堀の水位を一定に保つような構造になっていたそうです。

      20140201駿府城址35


      20140201駿府城址36


説明板にもしっかり堀と水路の関係について記載されています

      20140201駿府城址37



こちらは復元された本丸堀。
しっかり水路に繋がっています。

      20140201駿府城址38




ぐるっと駿府城址を散策したから、そろそろ帰りましょう。
体育館の駐車場に戻ります。

来た道を戻るように二の丸から北御門へと向かいます


現在は駿府城公園となっている駿府城址。
静岡市民の憩いの場となっているようです。

ワンコの散歩で訪れる人も多いようで
この日も何頭かのワンちゃんに会いました。

      20140201駿府城址02


      20140201駿府城址39


      20140201駿府城址40



市街地にある駿府城址。
正直たいしたことがないと思っていたけれど
やっぱり徳川家康の隠居城だけあって見ごたえはありました
ただ遺構が少ないと言えば少なく、それが残念と言えば残念。

ただ市街地にある城址だけど、駿府城公園としてその敷地が残されていることは
本当に喜ばしいことだと思ったりもします。
三の丸跡地には県庁があったり、市民体育館があったりと
下手すれば城址そのものが、開発という名の下で堀も埋められ
石垣も崩されて跡形もなくなっていたかもしれない.........

家康の隠居城でもあり、三河の戦国大名だった家康が
関東に進出(秀吉の策略によするが後にり江戸へ移封)する直前まで
駿河の地の拠点とした駿府城。

またいつか訪れてみたいものです...........。


 
 
 


2014/02/15 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

POCKET (2014年2月1日)(静岡県静岡市) 

2月1日 公休日

お腹いっぱい状態で食べ放題と言う魅力的な言葉を堪能出来ず
不満足な状態てイチゴ園をあとにしようとした。

しかし、なぜか びいすけ が帰りたがらない。
どうやら隣の敷地が気になるようです。


隣の敷地はドッグラン。
正確にはドッグランのあるドッグカフェ。

お腹もいっぱいで正直、コーヒーも遠慮したい雰囲気では有りますが
ドッグランにいるワンコが気になるのか?
びいすけ はその気満々。

仕方ないなぁと立ち寄ったのは ドッグカフェ POCKET

      20140201POCKET16


      20140201POCKET05


ドッグランのあるドッグカフェ。
ドッグカフェ利用者は別料金でドッグランを利用出来ますが
ドッグランのみの利用は出来ないと言うシステムのようです。


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仕方ないから、お腹いっぱいですが、ここはアイスコーヒー。

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びいすけ にはオリジナルのクッキーを頼んでみました。

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『クッキー食べるぅ?』 って
食べない訳が無い!(笑)

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こちらは、ドッグランエリア。

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この日はジャックラッセルテリアのイベントがあったようで
多くのジャックが居ました。

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びいすけ が気になっていたのは、ジャック?

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でも、近寄るジャックには興味を示さず
相変わらずのマイペース。

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決して広いとは言いづらいドックランの隅から隅まで
匂いの確認でもするつもりなのか?

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時に、ノッシノッシと歩き回り
時に、クンクンと歩き回るびいすけ。

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どうやら、カフェが気になるようです。

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カフェのテラスはいい匂いがするのでしょうか?
やたらとテラスの匂いを嗅いでいました。

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さぁ、ドッグランとドッグカフェの匂いもいっぱい嗅いだから
そろそろ出発いたしましょう。

次なる目的地は、父さんの趣味に付き合ってもらいましょう。

2014/02/14 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

久能山でイチゴ狩り    (2014年2月1日)(静岡県静岡市) 

2月1日 公休日


三保の松原をあとにして、向かった先は久能山。

静岡県の久能山と言えば、有名なのは東照宮。
そして、もう一つ有名なのは石垣イチゴ。

ペット入園可のイチゴ園があると聞き、
数日前に予約をして訪れたのは........

いちごランド マサミ

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久能街道(別名 いちごライン)沿いの駐車場に車を入れ、
いそいそと受付に急ぎます。

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イチゴ狩りもシーズン突入のようです。
今日は予約客しか利用出来ないようです。

予約しておいて良かったぁ。

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案内されたのはNo.5のビニールハウス。
実は、イチゴ園の受付(売店)から、車で斜面のハウスまで送ってもらいました。

30分間の食べ放題。
時間になったら、歩いて受付まで戻るって言うシステム。
けっこう、大雑把ですね(笑)。

こちらがビニールハウス。

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今まで何度かイチゴ狩りには来ていますが
いずれも(って言うか1軒しか行ってないけれど)高苗床式のイチゴ園。

こういった低苗床式は初めてだから、ちょっぴり不安。

びいすけ、頼むからオシッコだけはしないでね(笑)。



ハウス一棟貸し切り状態。
イチゴ全部食べちゃいますか?(笑)

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ところが、1番食べさせたい びいすけ が中々食べません。

昨年辺りから、イチゴだけでは食べなくなってしまい
コンデンスミルクが付いていないと食べなくなりました。

贅沢な犬!

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イチゴをあまり食べない びいすけ をMっちゃんに任せて
イチゴに専念する父さん。

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しかしながら、1時間半前に食べた、マグロ丼、カキフライ、アジフライ。桜えびのかき揚げは
意外に手強く、ご飯とイチゴは別腹と信じていましたが
今日から、その考えは改める事に致しました。


でも、大きなイチゴを見つけると、ついついもいでしまいます。


びいすけ 食べるぅ〜?

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でも、食べません。
イチゴに見向きもしません。

贅沢なやつ!(笑)

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この日は小春日和。
ハウスの中は暑いから、ついつい外で佇んでしまいます。

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この日の教訓と言うか反省。

イチゴ狩りの前にご飯を食べるのはやめましょう。


今日は一つ賢くなりました..............

2014/02/13 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit