FC2ブログ

12 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 02

び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

佐倉七福神巡り⑤  毘沙門天 《甚大寺》 (2014年1月1日)(千葉県佐倉市) 

1月1日 公休日

この日は佐倉七福神巡りをしてみました。

七福神とは、福徳の神として信仰される七神、
一般に大黒天、恵比寿、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋尊をいいます。
福神の信仰は古くからありましたが、室町時代以降に一般化し、
江戸時代後半に特に盛んになりました。
仏教の七難即滅七福即生の思想を受け、
七福神をお参りすると七 つの災難が除かれ、
七つの幸福が授かるといわれています。


嶺南寺をあとにして、向かった先は  甚大寺 


甚大寺は
天台宗比叡山・延暦寺の末寺です。
建立は、1615年に佐倉藩主、本尊は十一面世音菩薩です。
堀田家の菩提寺として知られ、金毘羅尊、不動明王、毘沙門天、仁王尊、
健康を願うお身ぬぐい観音が奉られています
。毎月10日は、招福祈願の縁日が開かれます
。佐倉市の重要文化財に指定されています。
甚大寺は佐倉藩主歴代の菩提寺です。


この甚大寺には佐倉七福神の毘沙門天が祀られています

って、毘沙門天って松林寺とダブっていないか?
などと野暮な詮索はやめましょう(笑)


こちらが甚大寺。
実は嶺南寺から歩いて100m足らずの距離。
この辺り半径100m足らずに3件の七福神があるということです

       20140101七福神巡り28



本堂内に毘沙門天が祀られているようですが
犬連れで本堂内には入れないので、境内の例の立て看板、
そう、佐倉七福神会の立て看板を探します。

      20140101七福神巡り29


こちらには境内にも毘沙門天の石像があり、こちらを参拝。

      20140101七福神巡り30


甚大寺の由緒が記された説明看板
佐倉市の指定文化材だけあって、しっかりと管理されているようです

      20140101七福神巡り31



こちらが本堂

      20140101七福神巡り32



本堂裏には歴代の佐倉城主である堀田氏の墓があります。

堀田氏の菩提寺である所以ですね

この堀田氏の墓所は千葉県の指定文化財となっています

      20140101七福神巡り33


こちらが堀田正倫の墓

堀田正倫は
江戸時代末期の大名。
明治時代の伯爵。
下総佐倉藩第6代(最後)の藩主。正俊系堀田家10代当主。

第5代藩主で幕末の老中・堀田正睦の四男。
安政6年(1859年)、父が井伊直弼との政争に敗れて失脚したため、
家督を譲られて藩主となった。
幕府に対する忠誠心は父譲りなのか、慶応4年(1868年)の鳥羽・伏見の戦い後、
徳川慶喜に対して朝廷から討伐令が下ると、上洛して慶喜の助命と徳川宗家の存続を嘆願したが、
新政府から拒絶されただけでなく、京都に軟禁状態にされた。
このため、藩主不在となった佐倉藩は危機を迎えたが、
家老の平野縫殿が新政府軍に与して大多喜藩に出兵したため、何とか改易は免れた。

明治維新後は知藩事となった。
廃藩置県後は東京に移住し、日本の文化活動推進に貢献した。
明治17年(1884年)に伯爵に叙される。
明治23年(1890年)、佐倉に戻って私立の農事試験場設立や
佐倉中学校(現佐倉高等学校)維持発展に寄与するなど地域の発展に尽力した。

                      (Wikipedia より抜粋)

いわば、わが町佐倉をこよなく愛し、
佐倉のために私財を投じて尽力された人物なんですね

      20140101七福神巡り34


      20140101七福神巡り35



こちらが、堀田正睦の墓


堀田正睦は
江戸時代末期の大名・老中首座。
下総佐倉藩の第5代藩主。正俊系堀田家9代当主。


      20140101七福神巡り36


      20140101七福神巡り37



こちらが、堀田正俊の墓


堀田正俊は

江戸時代前期から中期の大名。
3代将軍家光の老中として活躍した佐倉藩主・堀田正盛の三男。
幼い頃に春日局の養子となった。
父と春日局の遺領を継ぎ大名となる。
江戸幕府の老中・大老。上野安中藩主。後に下総古河藩の初代藩主となる。
4代将軍家綱の死去にあたり綱吉を擁立し、
綱吉が5代将軍に就任する功績を挙げた。

正俊系堀田家初代当主。

      20140101七福神巡り38


      20140101七福神巡り39




堀田正俊から数えて5代目になる堀田正亮が佐倉城主(佐倉藩主)になってから
幕末までの122年間を堀田氏が佐倉藩主として君臨していました。

それだけに、この堀田氏歴代の墓所は重みがあるというか
この辺り一帯だけがちょっと違った雰囲気がありました

      20140101七福神巡り40


      20140101七福神巡り41


とりあえず、これで佐倉七福神の5ヶ所を巡ったことになります


さて、次なる七福神へと向かいましょう..................


 

スポンサーサイト



2014/01/20 Mon. 17:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

佐倉七福神巡り④  弁財天 《嶺南寺》 (2014年1月1日)(千葉県佐倉市) 

1月1日 公休日

この日は佐倉七福神巡りをしてみました。

七福神とは、福徳の神として信仰される七神、
一般に大黒天、恵比寿、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋尊をいいます。
福神の信仰は古くからありましたが、室町時代以降に一般化し、
江戸時代後半に特に盛んになりました。
仏教の七難即滅七福即生の思想を受け、
七福神をお参りすると七 つの災難が除かれ、
七つの幸福が授かるといわれています。



寿老人のある宗園寺をあとにして向かったのは   嶺南寺


嶺南寺は
寛永19年(1642年)に当時の信濃松本藩主、堀田加賀守正盛の佐倉移封と共に
松本より佐倉に移り建立されました。
本尊は「釈迦牟尼佛」で開山は陽南良雪大和尚です。
本堂内には閻魔大王を安置しています。
境内には作家・吉川英治の母方である山川家の墓があります


そして、この嶺南寺には佐倉七福神の弁財天が祀られています。

弁財天とは
唯一の女神で、知恵財宝、愛嬌縁結びの徳があるといわれます。
インドの水の神、音楽の神、知恵の神。
本来の姿は、八臂で金剛杵・弓矢・刀などを持ち、水の恵みを与え、
河の怒りをもって水を供給してくれる五穀豊穣の神様でもある。
中世以降では、琵琶を抱える姿が多くなり、音楽や芸能、弁舌の神様となったそうです。



こちらが、嶺南寺。

実は宗園寺の真向かいにあります。
宗園寺からは約5mの距離。徒歩0分(5秒足らず)です。



こちらが、嶺南寺

      20140101七福神巡り21


      20140101七福神巡り22


こちらも弁財天は本堂の中
びいすけ を連れて中へは入れません

ギリギリOK と思われる境内の入口
佐倉七福神会の立て看板で参拝気分。

      20140101七福神巡り23



この辺りが、犬連れでの参拝の限界。
参拝客がいなければ、もうちょっと本堂よりまで行けるかもしれませんが
世の中には犬嫌いな人も居ますからねぇ.........

      20140101七福神巡り24


とりあえず、これで 毘沙門天、大黒天、福禄寿、弁財天と四福神の参拝が完了。

次なる七福神を目指しましょう...........



 

2014/01/20 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit