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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

8種混合ワクチン  (2013年12月16日) 

12月16日 公休日


毎年12月に8種混合ワクチンを接種しています。


この日八王子に行く最大の用事は びいすけ のワクチン摂取でした。

本当は午前中にささっとワクチンを済ませたかったんですが
そうすると午後からそんなに無理が出来ないので
逆に午前中に行きたいところに立ち寄って
夕方からの診察時間(16:00~)に病院へ行ってみました。

千葉県に住んでいますが、昨年までのは
毎月、一週間ほど八王子の実家に遊びいいくという生活を続けていたので
逆に実家近くの信頼の置ける獣医さんを びいすけ の主治医としていました。

幸いなことに、ここ2年病気らしい病気もしていないので
最近はフィラリアの検査とワクチン摂取がメインのお世話となっていますが.......




妹のもっちゃんからは、獣医さんが引っ越したとは聞いていました。
と言っても以前の場所から100mぐらい、南大沢の駅方向に行ったところ。


こちらが移転先の いまい動物病院

      20131216ワクチン01


城址巡りや丸ポスト探しをしていたので
午前中の診察に間に合わず、午後(16:00~19:00)の夕暮れ迫る時間の診察となりました


午後の診察の第一番だから、待ち時間は無し


毎年、獣医さんからワクチンの案内のハガキが届きます
今年の案内には爪切りと肛門絞りのサービス付き。

簡単な検診を兼ねて爪切りから開始です

      20131216ワクチン03


肛門絞り

      20131216ワクチン02



そして検診

      20131216ワクチン04



あっという間にワクチンも完了

      20131216ワクチン05





どこにも異常はないし、本日はこれにて終了

待合室で会計を待ちます。

      20131216ワクチン06


さあ、会計も終わったから、帰りましょう

      20131216ワクチン07


このあと、久しぶりに実家に顔を出そうかと思ったけれど
妹のもっちゃんは外出していて帰りが遅いらしい。

3人いる妹の多摩市に住む長妹の家に立ち寄って、
夕方の首都高速の渋滞時間を避け
22:00すぎに佐倉の自宅へ舞い戻りました。

今日も朝からHardな一日でした.............

 






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2014/01/05 Sun. 17:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廿里古戦場跡 (2013年12月16日)(東京都八王子市) 

12月16日 公休日


八王子城址の近く。
都道61号線から高尾街道に合流してJR高尾駅方面に向かう途中に
小田原北条氏と武田信玄が争った古戦場があります。

先日、愛川町にある 三増古戦場跡 に訪れた時に
武田信玄と小田原北条氏の因縁の争いが
幾度とこの地方であったことを知り、立ち寄ったのは………

廿里古戦場跡


廿里古戦場(とどりこせんじょう)は、

戦国時代の1569年(永禄12年)10月1日に武田軍と後北条軍とが戦った古戦場。十十里原古戦場、十々里古戦場とも書く。現在の八王子市廿里町、廿里山(戸取山・鳥取山とも)の南側。現在は、独立行政法人森林総合研究所・多摩森林科学園(サクラの遺伝子保存や森林・林業に関する試験研究機関)がある付近。

後北条氏の本拠・小田原城攻撃に向かう武田信玄率いる甲州勢2万は碓井峠を越え、北条方の支城を攻撃しながら南下し、滝山城の北、拝島に陣を敷いた。一方、武田軍の別動隊で岩殿城主・小山田信茂隊1千は小仏峠から侵入した。これに対し、北条氏照は、家臣の横地監物、中山勘解由、布施出羽守ら2千の兵を派遣し、1569年(永禄12年)10月1日、廿里防塁跡で小山田軍を迎撃したが、待ち伏せの奇計を謀った小山田隊に敗北を喫したとされる。この後、武田軍により、滝山城は三の丸まで攻め込まれたが、かろうじて落城は免れた。北条方は小仏峠からの侵入を予想しておらず、意表をつかれたという。また、加住丘陵を利用した滝山城は南からの攻撃に弱点があることが明らかとなり、小仏峠を睨んだ強力な防衛拠点の構築を急ぎ、急峻な深沢山に八王子城を築き、本拠を滝山城から移転したという。

                               (Wikipedia より引用)
                          




       20131216廿里合戦跡01


『廿里』と書いて『とどり』と読むそうです。

      0131216廿里合戦跡02



残念ながら、現在は独立行政法人森林総合研究所・多摩森林科学園の敷地となっているため
自由気ままに見学する訳にはいかないようです。

      0131216廿里合戦跡03


こちらが、多摩森林科学園。
この日は月曜日で休園日でした。

      0131216廿里合戦跡04

落ち葉の掃き掃除をさしていた、女性職員の方に聞いたら

園内に犬は入れない。
古戦場の事は何も知らない。

と、つれない返事でした。



この台地の奥が古戦場跡なんですけどねぇ………。

      0131216廿里合戦跡05




仕方ないので周辺を散策します。

道路を挟んだ反対側の台地にも、それらしい雰囲気は残ります。

とは、言っても中世の遺構ではなく
近世に改変されたものだとは思いますが………。

      0131216廿里合戦跡06


      0131216廿里合戦跡08


      0131216廿里合戦跡09



こちらは削平地。
住宅地に改変された時のものなのか?
はたまた、この地で『もののふ』たちが争った跡なのか?

      0131216廿里合戦跡07



かつて、この地で武田信玄と戦った北条氏照、そして小田原北条氏。
関東制覇を成し遂げたものの、秀吉によって滅亡された北条氏。
そして織田信長によって滅亡へと追いやられた甲斐・武田氏。

つわものどもの夢の跡

ともにこの地で天下を取ろうという野望を抱いた武者(むさ)が争った。
しかし、その野望はいずれも儚い夢だったようです..............。



 
 
 


2014/01/05 Sun. 06:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

小田野城址 (2013年12月16日)(東京都八王子市) 

12月16日 公休日



八王子の丸ポストを探し、陣馬街道から打越町へ移動するために
都道61号線を走っていると、どこかで見かけたような風景に出会った
と言うか、トンネルをくぐった......。

確か..........
このトンネルの上に城址があったような気がする。

トンネルを抜けた先で住宅街に入り、公園を発見

間違いない!! 
ここは城址だ!


とういうことで立ち寄った先は.......小田野城址




小田野城は

八王子城(1587年(天正15年)頃築城)とほぼ同時期に、八王子城主・北条氏照の家臣である小田野源太左衛門が築城したと伝えられる。「武蔵名所図会」では小田野氏の居館跡であるという。1978年(昭和53年)に八王子市教育委員会の実施した「深沢遺跡及び小田野城遺跡予備調査」でその実在が確認された。1590年(天正18年)の八王子城攻撃の直前、小田野城は上杉景勝の軍勢と大激戦の末、攻め落とされたとも伝わる。その後、小田野源太左衛門は小田源左衛門と改姓して水戸徳川家に仕官した。1983年(昭和58年)八王子城の一部として国の指定史跡となる。

                            (Wikipedia より引用)



こちらが織田の城址の縄張り図    (余湖くんのHP よりお借りいたしました)


      小田野城址縄張り図







こちらが、城山トンネル
このトンネルの上が小田野城址になります。

      20131216小田野城址13


実は、このトンネルは当初は建設予定がありませんでした。
都道61号線を建設する際、当初は山を切り崩す予定でした。
城址保存の運動が起こり、急遽トンネルを作って城址を保存することにしたそうです。
なんともいい話です。



小田野城址に隣接する観栖寺台公園内に設置されている説明看板

八王子城の出城として追加で国指定史跡にされたそうです。

      20131216小田野城址17



説明版に記された縄張り図
こちらはちょっと見づらいですね。

      20131216小田野城址20



小田野城址の入口にある郭
出枡形の機能を有していたと言われていますが
今いち、枡形を感じ取れませんでした。

確かにこうして画像で確認すると
枡形に見えなくもない


      20131216小田野城址01


      20131216小田野城址04

 
      20131216小田野城址02


      20131216小田野城址03



こちらは土橋


     20131216小田野城址18





こちらは、主郭城塁
主郭は思った以上に広い

      20131216小田野城址05


主郭北側の土壇
台地の削平の残り部部が北側の土塁として活用されていたようです

この土壇を天守台か物見台として活用したのでしょうか.....?

      20131216小田野城址06



数羽のカラスに専有されていた主郭
広い主郭の枯れ落ち葉の中を
サクサクと歩きながら匂いチェックする びいすけ

      20131216小田野城址07


明らかに人の手の入った削平地なのが良くわかります。
100m×50mほどの広さがある主郭

      20131216小田野城址08



南側より主郭全体を眺めてみます。
奥に見えるのが北側の土塁と土壇

      20131216小田野城址09


こちらは南側の土塁

      20131216小田野城址10



こちらは北側の土塁

      20131216小田野城址11



腰曲輪沿いに歩いて台地を下ってみます

腰曲輪から見た主郭のある台地

      20131216小田野城址12




車では数十秒でトンネルで台地を超えてしまいます
歩いて台地を超え、トンネルの反対側に来た形になります。

トンネルの反対側の入口近くにはこんな標柱も建っています。

      20131216小田野城址14


      20131216小田野城址15


      20131216小田野城址16



この標柱の先を進めば、先ほどの腰曲輪にぶつかります。


結局、腰曲輪まで戻り、ぐるっと主郭から公園に戻り
小田野城址をあとにすることにいたします。

しかし、小田野城址と観栖寺台公園を隔てる、この谷戸も見応えがあります。
かつては谷戸の一画に池もあったようで
さながら天然の水掘としての役目もあったかもしれない。


      20131216小田野城址19


八王子城の出城として認知された小田野城址。
一説には築城途中であったとも言われています。

主郭の広さを見ても、八王子城主・北条氏照は
この小田野城にかなりの入れ込みがあったのかもしれない。

都道造成で跡形もなく消えてしまわないで、本当に良かった………。



2014/01/05 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit