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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

小仏の関  (2013年12月16日)(東京都八王子市) 

12月16日 公休日


八王子市には旧甲州街道があります。
その旧甲州街道の駒木野宿にかつての関所跡があります。

実は、その関所は浅川小学校上長房分校のすぐ近くにあり、
せっかく近くに来たのだからと、立ち寄った先は

          小仏の関跡


車を運転して高速の中央道の渋滞情報で
小仏トンネルから何km渋滞ってよく聞きますが
その小仏トンネルの近く、小仏峠を越えさせないための関所が
小仏の関でした。


小仏の関とは

江戸時代、甲州道中でもっとも堅固と言われた関所です。
天正年間(1573から92)に北条氏照が武蔵国と相模国境の要衝として小仏峠の頂上に築いたのがはじまりと言われ、その後麓に下ろされ、更に北条氏滅亡後(1590年)に関東に入った徳川家康によって、現在地に移設され整備されたといわれています。
江戸時代の絵図によると、関所には東西に門が設けられ、敷地の北側に番所が設けられていました。東門の外には川が流れ、駒木野橋が架けられていました。関所周辺には竹矢来が組まれ、川底も深くして通行人の往来を規制していました。
関所の警備は一時三人だったこともありますが、概ね四人体制で専従の関守が置かれていました。関守達は関所付近に屋敷地を貰い、江戸との繋がりも深く、地域の文化を担う文化人でもありました。
全国の関所は、明治2年(1869)の太政官布告により廃止されます。小仏関も例外ではなく、建物は取り壊されてしまいました。現在は建物の前にあった、通行人が手形を置いた手形石と吟味を待っている間に手をついていた手付石が残っています。
明治21年(1888)に甲州街道は小仏峠を通る道から、現在の大垂水を越える道へ路線変更されました。その後旧道を保存しようという気運が高まり、関所跡は昭和3年に国の史跡に指定されました。
現在は旧道の面影を残し、また梅の名所としても知られ、ハイキングの人たちで賑わいます。

                           (八王子市HPより抜粋)



江戸時代、東海道の箱根、中山道の碓氷と並んで「関東の三関」の一つとされた
甲州道中「小仏の関」の関所跡です。

国の史跡に指定されているだけあって
しっかりと立派な説明看板が準備されています。

      20131216小仏の関01



こちらは八王子の教育委員会が建てた説明看板

      20131216小仏の02



さらには、立派な石碑もありました

      20131216小仏の関03



江戸時代に江戸の防衛のため、首都の出入門として
人々の通行を厳しく取り締まったといわれています。
特に「入り鉄砲に出女」は最も警戒され、江戸への武器の持ち込みと、
人質として江戸住まいさせている諸大名の妻妾たちの脱出を厳しく監視したそうで、
関所破りははりつけの極刑に処されるほど、厳重な取り締まりが行われていたそうです。


地面に置かれた二つの自然石は、
一つは手形を置く手形石で、
もう一つは通行人が手を付き頭を下げるための手付石。

      20131216小仏の関04

石碑の前に置かれた自然石は、奥が手形石で手前が手付石。




      20131216小仏の関05


こんな立派な碑もあって、ここはまさしくかつての甲州街道駒野宿。

      20131216小仏の関06


      20131216小仏の関07



かつての関所の建屋があったであろう跡地は削平地。
現在は公園化していて、ちょっとしたベンチもあって
この日も老人ベンチに座って日向ぼっこをしていました。


      20131216小仏の関08


広場(?)の周りに桜の木が何本もあるから
きっと春には綺麗な桜が咲くことでしょう。

      20131216小仏の関09


      20131216小仏の関10


      20131216小仏の関11




自然の地形を利用したと思われる関所跡
今は枯れて水も流れていませんが、
かつては、この川も天然の堀として生かされていたのでしょう。

      20131216小仏の関12


小仏の関は住所で言えば八王子市裏高尾町。
高校の時の同級生がこの近くに住んでいて、
彼の家には高校生の時に何度か遊びに行ったことがあります。
もう数十年前のことで、かつてはまばらに建っていた民家も
今やすっかり様変わりして、多くの民家が建っていて
彼の家がどこにあったか分からなくなっていた。
当時は畑の中にポツンと建っていたからすぐ分かったんだけれど.......

休日だったら、無理してでも人に尋ねて探しても良かったけれど
平日だったから留守な確率は高いので諦めました。
もう何十年も会っていないけれど、元気でやっているのかな?

そんな思いを胸にこの地をあとにすることに................。




 
 
 

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2014/01/01 Wed. 03:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........浅川小学校上長房分校             (2013年12月16日)(東京都八王子市) 

12月16日 公休日


八王子市にはかつて二つの分校がありました。
そのいずれの分校も今は廃校となっています。
その1校である分校跡に立ち寄ってみました。

その分校は

八王子市立浅川小学校上長房分校



上長房分校は


明治6年 当時の神奈川県南多摩郡上椚田村観音堂に原学舎が創設される。
これが後の浅川小学校となります。
上長房分校は、浅川小学校の分校として設立されました。
分校の設立時期は不明です。

明治22年 上椚田村が上長房村と合併し、浅川村となる。
明治26年 神奈川県南多摩郡が東京府に編入されます。
昭和2年 浅川村が町制を施行し、浅川町となります。
昭和18年 東京府が都制を施行し、東京都となります。
昭和34年 浅川町が八王子市に編入し、八王子市立浅川小学校上長房分校となります。

平成16年 児童数が0になり休校。
平成17年 上長房分校が再開する。
平成19年 廃校となる。



こちらが分校跡地。

      20131216浅川小学校上長房小学校01


現在は、地域の方が運営する保育施設の『みどり幼児園』として
分校の施設をそのまま活用されています。

      20131216浅川小学校上長房小学校05

      20131216浅川小学校上長房小学校02


こちらが、かつての校門。
表札廃校外されていました。

      20131216浅川小学校上長房小学校03


内装廃校一部改装されているようですが
廃校当時の校舎をそのまま利用しています。

      20131216浅川小学校上長房小学校04



門のゲートは閉ざされ、鍵も掛かっていたため中に入れないので
ぐるっとひと回り。
と言っても、本当に小さな分校です。


      20131216浅川小学校上長房小学校06


校庭に立つ びいすけ の姿を記録に残したかったのですが、残念。

      20131216浅川小学校上長房小学校07


せめてもの抵抗で、門から身体を乗り出して
撮った1枚がこれ。

      20131216浅川小学校上長房小学校08

分校の子供たちが遊んだ遊具は、今もこの地区の児童たちに
遊具として受け継がれているんですね。
それがせめてもの救いでしょうか……………






2014/01/01 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit