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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

大平新城址 (2013年12月3日)(静岡県沼津市) 

12月3日 公休日

この日は、静岡県沼津市経由で伊豆方面へ出かけてみました。

なかなか千葉の方からでは、そうそう簡単には来れないから
沼津の城址巡りをしてきました。

沼津城址をあとにして、向かった先は

大平新城址



大平新城とは

築城時期は不明ですが、韮山城と戸倉城の繋の城として小田原北条氏が築いたとされています。
狩野川を抑え、尾根沿いには獅子浜城へ通じているなど、
北条氏にとっては北伊豆を掌握するための重要な城塞であったとされています。
1581年に戸倉城が武田氏に奪われた際に武田氏を抑えるための要の城として修築がされたらしい。
最初は遠山民部が城将を務めたが、後に戸倉城を追われた北条氏光が城主となり武田氏に備えた。
1590年、秀吉の小田原攻めで北条氏が没落すると同時に廃城となったと言われています。



沼津市と言っても、沼津市のはずれにあたる
ちょうど、清水町、三島市、函南町に挟まれた辺りで
戸倉城址もそれなりに近いようですが、
そちらはいずれ機会があれば訪れることにいたしましょう。

そんな沼津市のはずれの大平地区の円教寺の裏山一帯が
大平新城のあった所と言われているようです。



こちらが圓教寺


      20131203大平新城址29


      20131203大平新城址30


圓教寺の境内奥に沼津市が建てた説明版がありました。


      20131203大平新城址01




でも水に濡れて文字が滲んでよく読めません


      20131203大平新城址02



説明版の脇を通り過ぎ、墓地の脇の登城路から城址を目指します。


      20131203大平新城址03

そもそも墓地のあるあたりが大平新城の二郭だったと言われれています。



この道の奥が三郭。


      20131203大平新城址04


三郭にはしっかりと説明版、城址碑と並んで建てられています


こちらが説明版 大平郷土史研究会が建てられたものです


      20131203大平新城址05



      20131203大平新城址08

この説明板によれば

大平新城は別名 富南城 と呼ばれていたらしい。
源頼朝の義経討伐の際に築城されたらしいことが記されています
どうもこの大平新城については諸説あるようで
沼津市のHPの解説とはちょっと違っているようですが......
どれが正しいかは、平成のこの時代になっては知る由もありません。

ここは地元の研究会の説を信じることにいたしましょう。




こちらは 奥アルプス大平会 が建てた城址碑


      20131203大平新城址06

こちらには
   富南城 大平新城
   初代城主 遠山民部 と記されています



石碑の背後には木製の碑(?)
城址碑と同じ内容が記されています。
おそらく、この城址碑の前に建てられていたものでしょう.....


      20131203大平新城址07




この案内板、城址碑の建てられている嬢塁を上がれば主郭


      20131203大平新城址09



こちらが主郭


      20131203大平新城址10


主郭には、こんな竪堀があります


      20131203大平新城址11



一瞬、虎口かとも思いましたが
下から覗き込んでみると、土や枯れ葉で埋もれてはいますが
明らかに竪堀跡です。


      20131203大平新城址12



主郭城塁


      20131203大平新城址13



こちらは三郭
主郭を眺めます
城塁には先程の説明版、城址碑が確認できます

      20131203大平新城址14



三郭の奥には大平古城へと至る山道があります

現在はハイキングコースとなっているようです。
とりあえず、行けるところまで行ってみることにします。


一部、急な斜面もあったりして
踏み跡道はあるものの、ロープを伝って登ったりします。


      20131203大平新城址15


『徳川おまん』 って........
あの徳川家康の側室で水戸徳川藩の徳川頼房の母の『お万の方』? 


     20131203大平新城址16


七面堂手前にて

奥に見えるのが七面堂
右斜面は櫓台と思える土壇

      20131203大平新城址18



こちらが七面堂


      20131203大平新城址17


こちらが櫓台

      20131203大平新城址19



登ってみると、草茫茫の荒地。


      20131203大平新城址20



櫓を降りて、さらに進むと
別な物見台に到着。


      20131203大平新城址21


こちらがその物見台。
狼煙台として使われていたようです。

      20131203大平新城址22


尾根伝いにさらに進んでいくと
幅2mもない尾根が続き、両脇は深い谷


      20131203大平新城址23


ピークの一番上
この辺りが眺望も見頃か....?


      20131203大平新城址24



この先を進んでも、こんな細い尾根を歩くだけのようなので
ここら辺で撤収、下山することにしました。


      20131203大平新城址25



主郭に戻って、城塁に沿って圓教寺へ下ります。


主郭脇にある浅間神社。

      20131203大平新城址26


      20131203大平新城址27

由来署によると、北条四郎時政(源頼朝の妻、北条政子の父親)がこの地に建てたらしい。

元々、伊豆の地は鎌倉時代の執権北条氏の発祥の地であり
この地に勢力を持っていたのは頷ける。

そこの小田原北条氏の始祖、北条早雲が伊豆に居を構えたから
話がごちゃごちゃして話が分かりづらくなります。(笑)



圓教寺の脇には農家の方が収穫し忘れたのか?
数個の柿がポツンと寂しそうに冬の到来を迎えたようです

      20131203大平新城址28


大平新城から大平古城を抜けて獅子ヶ浜城へと続く
小田原北条氏の要の導線になるようで
数百年前の山の中の古道があるようですが
時代は平成の世
このあと、車で大移動といたしましょう。

獅子ヶ浜城へと向かうことにいたします............




 

 
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2013/12/23 Mon. 18:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

沼津城址 《三枚橋城址》 (2013年12月3日)(静岡県沼津市) 

12月3日 公休日

この日は、静岡県沼津市経由で伊豆方面へ出かけてみました。


沼津市内を走る国道1号線。
昔の東海道です。
その国道1号線が市内中心部を走る沼津市ですが
JR沼津駅南側一帯、国道1号線沿いにかつては城が建っていました。

それが沼津城址です。
その沼津城も、かつては同じ場所にあった三枚橋城跡に建てられたものです。

すなわち、沼津城を語る上では、
三枚橋城はなくてはならないものとなります。




三枚橋城とは

天正7年(1579年)武田勝頼により築城された。永禄12年(1569年)、甲斐武田氏と相模北条氏との甲相同盟が破綻し、駿河・伊豆国境付近が緊張した際に北条氏により砦が築かれていたが、その跡地に建設された。御館の乱により敵対することになった北条氏に対する、武田氏の駿河・伊豆国境の最前線の拠点である。城将は高坂源五郎(春日昌元)、曽根昌長、堀内政豊等。武田氏滅亡の直前の天正10年(1582年)2月29日、近傍の武田氏の城戸倉城が北条氏の攻撃により落城したことを受け、守備兵が動揺し自落した。

天正18年(1590年)3月津軽為信は小田原征伐で東下する途上の豊臣秀吉にこの城で謁見し所領を安堵される。

慶長6年(1601年)に大久保治右衛門忠佐が城主となったが、慶長18年(1613年)忠佐死去後は大久保家断絶となり、翌慶長19年(1614年)に廃城となる。

旧国道1号沿いに位置していたが、今日では当時の姿を偲ばせるものはほとんどない。但し石垣等の遺構が見つかっていることから、武田氏滅亡後も整備が続けられ使用されたようである。

なお、同地付近での建築工事時に見つかった石垣用の石が、沼津リバーサイドホテル前、アゴラ沼津前、沼津城本丸址で見ることができる。

                     (Wikipedia より引用)







そして、沼津城とは

安永6年(1777年)に、水野忠友が2万石で沼津に城地を与えられ、廃城後荒れていた三枚橋城の跡地に築城。梯郭式平山城で狩野川に隣接して本丸、その北西に二の丸三ノ丸が造られていた。天守に相当する三層の櫓を本丸に建て、二の丸に御殿を置いた。最終的には、水野家8代の5万石の城下町として栄えた。

一時期沼津兵学校が置かれたものの、明治5年には東京に移転し、明治6年廃城令を待たずして破却されることになった。敷地は民間に払い下げられ、度重なる大火や道路の新設、堀の埋め立て等を経て、城郭は失われた。現在は大手町という地名が残るだけであるが、本丸跡は中央公園として整備され「沼津城本丸址」の碑が建つ。ここまでほぼ完全に破壊された城も珍しいといわれるが、数少ない現存する遺構として、市内の光長寺辻之坊山門が、城門(中庭門とも)が移築されたものと伝えられている。また、市内香貫の民家に奥座敷があったとの事だが、現在では取り壊されている。
                         (Wikipedia より引用)


市内の中心部と言うこともあって
沼津城址は、ほとんどその姿を残さず、
城郭遺構も皆無の状態です。



狩野川沿いに面した沼津城址。
かつての外郭として川廓がありました。
そして外郭沿いに旧・東海道がありました。

      20131203沼津城址01


      20131203沼津城址02



沼津城址の本丸(主郭)は現在、中央公園となっています。

      20131203沼津城址03



公園の一角に沼津城址の説明看板と城址碑が建っています。


      20131203沼津城址04


      20131203沼津城址05


こちらが城址碑。

      20131203沼津城址06

      20131203沼津城址07


かつての本丸跡も、今やコンクリートやアスファルトで固められた広場。

      20131203沼津城址08


季節柄なのか?
敷き詰められたインターロックの敷石も
何故か、寒々しさを感じます。

やっぱり、中世の城には土が似合う。

      20131203沼津城址09



この公園には何も無さそうなので、
ぐるっと周辺を散策します。



静岡銀行敷地内にある復元石垣。
沼津城の発掘調査の際、沼津城の下から出てきたらしい。

      20131203沼津城址10


もっと大きいかと思っていたら
意外に小さかった。

      20131203沼津城址11


この歩道を写真上方面に歩けは
大手町の交差点。
かつての大手門があった所と言われているようです。

      20131203沼津城址12


敷石の敷かれた旧・東海道を歩き、中央公園の裏手に出ました。
同じ本丸跡ですが、一段低くなっていて
ひょっとしたら、かつての堀跡なのかなぁ?

      20131203沼津城址13


      20131203沼津城址14

でも、ここまで改変されてしまうと、当時の姿を偲ぶことも
思い描くこともできません。

地方都市の開発、都市計画による区画整備等々によって
見事なまでに破壊されてしまった典型的な見本とも言えます。

ただ、残念なのはすぐ近くにあるアーケードの商店街も
今一歩、活気が無いように見えたのは気のせいなんだろうか?
世の中はアベノミクスと騒いで(?)いるようだが
本当に景気は良くなっていくのだろうか?

沼津の街に、まだまだ先の見えない日本の姿がオーバーラップして
しまったような気がしました。

 






2013/12/23 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit