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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

小沢城址 (2013年11月23日)(神奈川県愛甲郡愛川町) 

11月23日 公休日

この日は神奈川県の城址巡りをするため相模原市、愛川町に遠征していました。


小沢古城址をあとにして向かった先は......

   400mほど離れたところにある  小沢城址


小沢城は

室町時代後期に武蔵村山党の金子氏がこの地を治め、
その時に小沢城を新たに築き、2つの小沢城が存在するようになったそうです。
1477年にあった長尾景春の乱の際、
相模の領主達はこぞって反乱軍である景春側に加勢したため、
小沢城は太田道灌によって攻め落とされてまいました。
ただその攻め落とされたのが、小沢城なのか、小沢古城なのかは不明のままです。

戦国時代になると、相模国を支配した小田原北条氏の配下となった金子氏が
再びこの地を領地とし、小田原と八王子を結ぶ街道の交通の要衝でもありましたが
秀吉の小田原攻めの際、廃城になったとされています。



愛川町は史跡に対する価値観が高いのでしょうか?
嬉しいことに、こちらの小沢城址にも説明看板が建てられています。


      20131123小沢城址01


しかし、こちらも場所が微妙な位置。
ものすごく見づらい位置に建てられています。


      20131123小沢城址02


      20131123小沢城址03



この坂道が登城路。

さぁ、小沢城址目指して進軍開始!


      20131123小沢城址04


坂を上りながら、振り返れば
やはり相模川の展望が開けます

      20131123小沢城址05


この登城路、適度に斜度があり、
適度に横矢が掛かっていて雰囲気は良い。


      20131123小沢城址06


土塁のような土壇も残っていたりして、期待感を持たせます。


      20131123小沢城址07


      20131123小沢城址08


この日は陽射しもよく、坂道を必死に歩いていると
額にうっすら汗が浮かんでくるような小春日和

ちょっぴり陽射しも毛メラを向ける位置によっては眩しいくらい。


      20131123小沢城址09



こちらが主郭。

残念なことに、小沢城址は主郭は畑に改変され
主郭周辺は開発が進み、宅地化されています。


      20131123小沢城址10



主郭から望む遠景

何かの工事をしているようで
この近隣も色々と開発されていくのだろうか......?


      20131123小沢城址11


主郭に至る切通

向かって左側は民家
向かって右側は往時の土塁跡に見えなくもない。


      20131123小沢城址12


この道を手前側に車を停めたところまで戻ります


城郭遺構がすっかりなくなってしまっているようなので
この道沿いの土壇が遺構っぽく見えてしまいます。


      20131123小沢城址13


      20131123小沢城址14


愛川町に存在する二つの小沢城(小沢城址、小沢古城市)
いずれも開発等によって見所ある城郭遺構が少なく残念ではあるけれど
セットで巡ってみると面白いかもしれません.........。


 
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2013/12/11 Wed. 17:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

小沢古城址 (2013年11月23日)(神奈川県愛甲郡愛川町) 

11月23日 公休日


この日は神奈川県の城址巡りに遠征していました。


相模原市の小松城址を制覇(?)したあとに向かった先は
神奈川県の愛川町にある   小沢古城址



小沢古城は

鎌倉時代初期に武蔵七党の一つで
相模国北部までを支配していた横山党の一族である小沢氏の
居城であったと言われています

愛川町には小沢城というのが2つあり、
すぐ近く(400mほど)に小沢城がのちに築城されたため
こちらの小沢城を区別するために小沢古城と呼ばれているらしい。

小沢氏は同じく横山党の田名氏・小倉氏らと共に
相模川上流一帯を支配していたが、
横山党は1213年に勃発した和田義盛の乱において
和田氏に加勢し敗北し、これにより横山党は没落し、
横山党である小沢氏もこの一帯における支配力が急激に弱まり、
やがて滅亡しました。

室町時代後期になると武蔵村山党の金子氏がこの地を治めます。
その時に小沢城を新たに築き、2つの小沢城が存在するようになったそうです。
1477年にあった長尾景春の乱の際、
相模の領主達はこぞって反乱軍である景春側に加勢したため、
小沢城は太田道灌によって攻め落とされてまいました。
ただその攻め落とされたのが、小沢城なのか、小沢古城なのかは不明のままです。

戦国時代になると、相模国を支配した小田原北条氏の配下となった金子氏が
再びこの地を領地とし、小田原と八王子を結ぶ街道の交通の要衝でもありましたが
秀吉の小田原攻めの際、廃城になったとされています。





高田橋近くの諏訪神社の背後の山が小沢古城址になります。



こちらが諏訪神社。

      20131123小沢古城址02


神社の鳥居の脇の土手、ちょうど微妙な位置に
愛川町が建てた説明看板が建ってます。

      20131123小沢古城址03



こちらが、その説明看板。
建っている位置が微妙な所にあるので
写真に収めるにも一苦労(笑)。


      20131123小沢古城址01



神社の境内には時代を感じさせる大きな木が立っています。


      20131123小沢古城址04


拝殿脇の小さな階段が搭城口。

登城路を登れば、相模川の視界が一気に広がります。
さすがに、相模川を挟んだ交通の要所と言われるだけあります。


      20131123小沢古城址05



登城路を更に進めば、尾根沿いの狭い道となります。

      20131123小沢古城址06


城址の多くが土取りのため破壊され、
山の半分がごっそり削り取られたそうです。

そのためなのか?
尾根沿いに断崖絶壁の箇所も…………
落ちたら一溜まりもありません。

      20131123小沢古城址07


やがて尾根沿いの道は無くなり、藪の中を進軍すると
竹藪にぶつかり、竹藪の先には空堀が現れました。

      20131123小沢古城址08

      20131123小沢古城址10


土塁も確認できました。

      20131123小沢古城址09


背後を山に囲まれ、すり鉢状の小沢古城址。
一説によれば、諏訪神社に隣接する環浄寺が館跡とされています。

確かに環浄寺背後はすり鉢状の削平地があり
それも段状の郭跡に見えなくもない。

      20131123小沢古城址11


こちらは環浄寺の参道。
土塁は往時のものなのだろうか?


    20131123小沢古城址12


      20131123小沢古城址16


こちらは環浄寺。

      20131123小沢古城址13



      20131123小沢古城址14


      20131123小沢古城址15



境内の紅葉が綺麗に色付いていました。


      20131123小沢古城址17


確かに、この位置から眺めると、すり鉢状の台地って分かりますね。


      20131123小沢古城址18


何人かなブログを拝見すると、土取りのため、山の半分以上を削り取られ
遺構は殆ど残されていないと記されているけれども
じっくり探索してみると、意外に見つかったりして…………
それはそれで楽しいものです。
しかし、久しぶりの藪への突入、
びいすけ連れての進軍はきつかったぁ………
汗をシコタマ掻いて、暑かったぁ………。

2013/12/11 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit