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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

鶴舞城址 (2013年11月19日)(千葉県市原市) 

11月19日  公休日


この日は公休日。
千葉県市原市方面へ足を伸ばしてみました。


池和田城址から3kmほど離れた鶴舞の市街地に幕末の城郭跡があると聞き
訪れたのが  鶴舞城址


鶴舞城は

慶応3年(1867)徳川慶喜が大政奉還により将軍職を返納し隠居すると、
徳川宗家を継いだ16代家達は慶応4年(1868)70万石を与えられ
駿河府中藩を立藩しました。
このため、駿河・遠江両国の諸大名の領地替えが行われ、
遠江浜松6万石の井上正直は、明治2年(1869)に、藩領長南宿に到着し、
上総埴生郡矢貫村の浄徳寺に仮藩庁を構えました。
そして城地を求め、原野桐木原の開墾に着手し、鶴舞城の築城を開始しました。
しかし版籍奉還をして鶴舞藩知事に任ぜられました。
明治3年(1870)、城が完成する前に廃藩置県となったため、
築城工事は途中で中止されて、鶴舞藩庁となったと言われています。

時代は流れ、鶴舞藩は鶴舞県、木更津県、千葉県と行政区が変遷し
鶴舞藩庁も鶴舞小学校の敷地となってしまいました。



鶴舞小学校の敷地内にある城址碑


      20131119鶴舞城址01


      20131119鶴舞城址02


      20131119鶴舞城址03



実はこの城址碑
正面から見ると 鶴舞城本丸之跡 と記されていますが
側面は 元鶴舞小学校跡地 とも記されています。


      20131119鶴舞城址04

現・鶴舞小学校の地に元・鶴舞小学校跡 って
どういう事なんだろう.....?



鶴舞城址の遺構は、ほとんど残されていなくて
鶴舞小学校の敷地内に僅かに残る土塁と
その脇にある井戸跡ぐらいと寂しい限りです。


こちらが、その土塁


      20131119鶴舞城址05



鶴舞藩大井戸跡の碑


      20131119鶴舞城址06


そして、こちらが大井戸


      20131119鶴舞城址07



立ち入られないように鎖でガードされた木
これも舞鶴藩時代のものでしょうか....?


      20131119鶴舞城址08



僅かに残る土塁を別アングルから眺めてみます。


      20131119鶴舞城址09


      20131119鶴舞城址10



城址碑(本丸跡碑)の脇に立つ 舞鶴藩庁跡地 の説明看板。

老中 井上正直 の銅像です。


      20131119鶴舞城址11


      20131119鶴舞城址12


おそらく城郭の一角であったであろう、鶴舞保育所の前の銅像


江戸幕府の老中であり、鶴舞城主でもありました。


      20131119鶴舞城址13


      20131119鶴舞城址14


      20131119鶴舞城址15


      20131119鶴舞城址16


徳川幕府の崩壊、そして明治新政府による新しい政治という
時代の流れの中で、この井上正直も翻弄させられた一人なのかもしれない。


鶴舞小学校のHPによれば
明治3年に完成した鶴舞藩庁の建物は、
明治6年にそっくりそのまま、鶴舞小学校の建物となったらしい。

なるほど!

鶴舞城址碑の側面に、元鶴舞小学校跡 と記されていた理由がわかりました、







保育所と舞鶴小学校(本丸跡地)の間にある紅葉の木が
やけに色づいていたのが印象的でした


      20131119鶴舞城址17


      20131119鶴舞城址18


静かに、そしてゆっくりと
この上総の鶴舞の地にも秋は通り過ぎようてしているようです..........。




 
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2013/12/04 Wed. 17:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

池和田城址 (2013年11月19日)(千葉県市原市) 

11月19日 公休日


この日は公休日。
千葉県市原市方面へ足を伸ばしてみました。

小湊鉄道上総鶴舞駅から1kmぐらいの距離の場所に
中世の城郭があると聞き、訪れたのは……

池和田城址

池和田城址を探すのにもちょっと苦労しました。
と言うのも、情報を参考にしたサイトの管理者が
思い切り場所を間違え、苦労したと書かれていたのに
同じ間違いをして、この標柱に辿り着くまでに苦労しちゃいました。(笑)


      20131119池和田城址01


      20131119池和田城址02


そもそも池和田城は

鎌倉時代、相模の豪族・三浦氏の一族であった和田正治が築城したと言われています。
武田信長が真里谷城・庁南城を築いた康正2年(1456)頃には、
上総武田氏の支城であった。
大永年間(1521-28)以後、多賀氏が居城した。
天文7年(1538)の第一次国府台合戦、
永禄7年(1564)第二次国府台合戦で、
多賀越中守高明は里見軍として参戦したが、
第二次国府台合戦で戦死し、北条氏政に攻められ落城した。

天正18年(1590)小田原征伐の頃は内藤大和守が城主であったが、
浅野長政らの軍勢に攻められ落城し、以後廃城となった言われています。








実は、この地に辿り着く直前に
標柱のすぐ近くに静岡ナンバーの車が停まりました。

なんと、池和田城址を見学に静岡県から来られた方達でした。
おまけにチワワと一緒に来ていて、
チワワを抱き抱えて城址巡りをしているらしい。

そもそも平日で、決して観光地と言えないマイナーな城址で
人に出会う事などない。

事実、100以上の城巡りをして来たけれど
単純に城巡りをしている人に出会ったことは皆無に等しい。
ましてや、そんな場所に犬連れで来る人間は私の他には居ないと思っていたけれど
世の中には私以外にもモノ好きはいるんですね(笑)。


そんな訳で3人と2頭の登城と相成りました。


      20131119池和田城址03



こちらは古井戸。


      20131119池和田城址04



こちらが主郭。

びいすけ の背後の社が天神社。


      20131119池和田城址05


      20131119池和田城址06


主郭の天神社の周りには高さ1mほどの土塁が確認出来ます。


      20131119池和田城址07


      20131119池和田城址08


おそらく、地元の方が作られた看板。
こういった手作り感も味があります。

      20131119池和田城址09


主郭でチワワ連れのお二方にお別れして、城内を探索します。


主郭奥に足を伸ばしましたが、これと言った遺構も見当たらなかったので
城址をぐるっと一回りするすることに.......。


      20131119池和田城址10



標柱のある登城口まで戻ってきました。


      20131119池和田城址11


      20131119池和田城址12


      20131119池和田城址13



こちらは、外曲輪


この辺りは民家もあって、さすがに民家の敷地内には入れません。

民家のえ前の土塁と空堀


      20131119池和田城址14



池和田城址の主郭のある台地を見上げます


      20131119池和田城址15



台地の周りには上総地区に多いヤグラ(横穴式墓穴)が見受けられます


      20131119池和田城址16



晩秋の上総台地
台地の片隅に自生する野生の柿の実がやけに印象的でした


      20131119池和田城址17



さぁ、池和田城址はこれくらいにして
次なる城址を目指しましょう..............



 
2013/12/04 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit