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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

塚原卜伝の墓 (2013年6月29日)(茨城県鹿嶋市) 

6月29日  公休日



塚原城址を出たあとに鹿島城址を目指して車を走らせた。

ほどなくして、こんな看板を見かけた。



      20130629塚原卜伝の墓09



剣聖 塚原卜伝の墓.......? 


誰.....?


地元では有名な剣豪らしい。

そして、どうやら観光地のようでもある。
ナビにも史跡マークがしっかり標記されていた。

それなら、せっかく近くに来たのだから
素通りするのも芸がない。

ちゃっかり立ち寄ってみました。





実は、この地に来るまで、塚原卜伝のことは全く知りませんでした........。



塚原卜伝 (つかはらぼくでん)


鹿島神宮の神官で大掾氏の一族・鹿島氏の四家老の一人である
卜部覚賢(吉川覚賢)の子として常陸国鹿島に生まれる。
幼名は朝孝。時期は不明だが後に塚原安幹の養子となる。
同時に諱を高幹(たかもと)とした。
塚原氏の本姓は平氏で、鹿島氏の分家である。

実父からは鹿島古流(鹿島中古流とも)を、
義父からは天真正伝香取神道流をそれぞれ学んだ。
『関八州古戦録』『卜伝流伝書』によれば
、松本政信の奥義「一の太刀」も養父の安幹から伝授されたという
(松本から直接学んだという説、卜伝自身が編み出したとする説もある)。
やがて武者修行の旅に出て、己の剣術に磨きをかけた。
『卜伝百首』の後にある加藤信俊(相模守)による序では、
39度の合戦、19度の真剣勝負に臨みながら一度も負傷しなかったと記述されている。
生涯に斬って捨てた剣士の数は、記録に残っているだけでも212人である。
よく知られている真剣勝負に川越城下での梶原長門との対決がある。

                            (Wikipedia より抜粋)



看板に導かれるように右折して狭い道に入ると
何度か案内看板が出ていて迷うことなく、目的地にたどり着けます。




卜伝の墓は旧・梅香寺跡地。

以前はこの地に梅香寺があったようですが、現在はお寺もなく
地元の方々の墓石の奥に卜伝の墓があります。


 
      20130629塚原卜伝の墓01


      20130629塚原卜伝の墓02




この道を登った台地の上に卜伝の墓石があります。


      20130629塚原卜伝の墓03




墓石の前には鹿嶋市が建てた説明看板があります。


      20130629塚原卜伝の墓04


この看板を読んで、地元では有名な剣豪であったことを知りました
(地元だけではなく、その道の人には有名らしい)





こちらが卜伝の墓石


      20130629塚原卜伝の墓05


      20130629塚原卜伝の墓06




卜伝の墓のある鹿嶋市須賀地区は田園が広がる、のどかな地のようです。


      20130629塚原卜伝の墓07



かつては、ここに梅香寺と言うお寺が建っていたのでしょう.......


      20130629塚原卜伝の墓08




鹿島神宮の近くに卜伝の像があるというので
せっかくだから、ついでに立ち寄ってみました。

鹿詰児童公園にこんな仰々しい看板が建っていました。


      20130629塚原卜伝の墓10


      20130629塚原卜伝の墓11




公園の片隅に朴伝の石碑が建っています。


      20130629塚原卜伝の墓12





そして、これが目的の 塚原卜伝の像


      20130629塚原卜伝の墓13


      20130629塚原卜伝の墓14





どうやら、この地は茨城百景にも選ばれているらしい
お馴染みの石碑もしっかり建っていました。


      20130629塚原卜伝の墓15



どうやら鹿嶋市は平成19年から5年間の計画で
塚原卜伝を題材にしたNHKの大河ドラマ制作のキャンペーンを行ったらしいが
今のところ、その成果は出ていないようですね。


もし、NHKの大河ドラマに塚原卜伝が採用されたら
時間のある限り、見てみたいと思う今日このごろです..............。




 
 
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2013/07/15 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: 2edit