05 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 07

び・び・びのびいすけ

井野城址 (2013年6月12日)(千葉県佐倉市) 

6月12日 公休日


宮の杜公園の隣にある高台の台地

宮の杜2号緑地の看板が掲げられています。


      20130612井野城址18
 


台地の上には 八社大神 が鎮座しています。


      20130612井野城址02


      20130612井野城址03



八社大神 の本殿


      20130612井野城址11





実は、この 八社大神 の奥がかつての 井野城址 です。
八社大神 の由来の説明版にしっかりと記載されています。


       20130612井野城址01


このような文面が記されていました。


    室町時代後期の井野周辺は関東に勢力を築いていた垣武平氏の
    流れをくむ千葉氏の勢力下にあり、
    印旛沼に面した臼井城を千葉氏の一族である原氏が納めているこの地に
    臼井城の支城として井野城を築いたと想定されている






八社大神 入口の土塁


      20130612井野城址04



井野城址は城郭としては珍しい構造で
土塁の内側の主郭の建っていた部分が深く掘りこまれていることです
。主郭が平屋であったとしたならば、周辺から建物が見えなかったと思えるほど
土塁の内側は深く掘り下げられています。
いわゆるすり鉢状態と言ったほうが適切かもしれません。


      20130612井野城址05



多少の形状の変化はあるものの、方形に近い形状で
主郭周りに土塁が張りめぐされ、内部が掘り下げられています


      20130612井野城址06


      20130612井野城址07



主郭内部に降り立ち、土塁を眺めてみると
高さは2m~3m近くあります


      20130612井野城址08


      20130612井野城址09


      20130612井野城址10




緑地公園化された時に、主郭周りのかつての横堀が
緑地内の散策路になっているようです。


      20130612井野城址12


      20130612井野城址13


      20130612井野城址14


      20130612井野城址15




散策路からもフェンス越しに主郭の様子が伺えます。
この場所からも掘り下げられた主郭がはっきりと判ります。


      20130612井野城址16


      20130612井野城址17



ユーカリが丘周辺の開発で2000年頃、このあたりはすっかり様相が変わったようです。
本来は周辺の丘陵の中に、この井野城址は隠れるかのように
周りから内部を伺えないような構造をしていた主郭。

宮の杜2号緑地として幸いにも今の時代にも形を残すことができた井野城址。

このままの形で、いつまでも残して欲しいものです............。



 
 
 
スポンサーサイト
2013/06/30 Sun. 13:00 | trackback: -- | 本文: 0edit

宮の杜公園 (2013年6月12日)(千葉県佐倉市) 

6月12日 公休日



佐倉市ユーカリが丘。
山万という会社がこの地域を開発し、モノレールまで作ってしまった新興住宅地。

そのユーカリが丘を走るモノレールの「中学校駅」近くに
宮の杜公園があります。

たまたま近くを車で走っていたら
ナビに 宮の杜公園 なる表示がひょっこり現れた。

普段は滅多に通らない道だから
こういう、ちょっとした新しい発見が気になる性格

ちょっぴり立ち寄ってみました。

 
      20130612宮の杜公園01



このあたりは、宮の杜1号緑地として自然が残されているようです。


      20130612宮の杜公園02



と言いながらも、公園の真ん前は立派なマンションが建っています。
こんな立派なマンションに住めたらいいなぁ.....
ロト6が当たらないかなぁ........(笑)


      20130612宮の杜公園03



10台ほどが停められる駐車場も完備されています。


      20130612宮の杜公園04



駐車場から公園を見渡すとこんな感じ。
雰囲気の良さそうな公園です。


      20130612宮の杜公園05


      20130612宮の杜公園06



広場には佐倉市と歴史的交流のあるオランダ風車のモニュメントと風車の遊具設置され、
公園のランドマーク的シンボルとして親しまれているようです。


      20130612宮の杜公園07



広場の片隅には公園の案内看板が建っていました。
どうやら池もあってなかなか良さそうな公園です。


      20130612宮の杜公園08



遊歩道を下りながら改めて公園全体を眺めてみます。


      20130612宮の杜公園09



公園脇の高台の台地の斜面には
こんなお洒落な表示が.......


      20130612宮の杜公園10



芝生広場で草の匂いを確認する びいすけ
ロングリードを車の中に忘れてきてしまって、ちょっぴり後悔。


      20130612宮の杜公園11



白ツメ草の広がる広場で びいすけ も嬉しそうな顔をしています。


      20130612宮の杜公園12


      20130612宮の杜公園13


      20130612宮の杜公園14




公園内にある調整池は 錦が池 


      20130612宮の杜公園15


      20130612宮の杜公園16




錦が池側から見た公園全景

やっぱり、公園前のマンションはす凄い
こんなところに住める人が羨ましい。


後で知ったのですが、マンション左の高台は 井野城址 でした。


      20130612宮の杜公園17



錦が池の遊歩道。

錦が池は葦が茂る野鳥の宝庫のようです

びいすけ が何かを見つけて、1点に注目しています。


      20130612宮の杜公園18



びいすけ の視線の先には、ツガイのカルガモ。


      20130612宮の杜公園19



今にも飛び出していきそうで、必死にリードを抑えていました(笑)


      20130612宮の杜公園20


目の前をカルガモが歩いていく公園。
いやぁ、自然の宝庫って素晴らしい。

そんなに大きな公園じゃないけれど
毎日の朝・夕の散歩なら最適でしょう

この近くに住んでいる人が、ちょっぴり羨ましく思えてきます........。



 
2013/06/30 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: 0edit

廃校を訪ねて.........志津小学校青菅分校                  (2013年6月12日)(千葉県佐倉市) 

6月12日 公休日


佐倉市の新興住宅外のユーカリが丘。
モノレールも走っていて、佐倉市の中では一歩進んだ街。

そんなユーカリが丘のちょっと奥に
旧志津小学校青菅分校があります

(正確には旧志津小学校青菅分校跡)


実は、兼ねてから廃墟スポットとしてネットでは知れ渡っています。
そして、存在そのものは知っていましたが
こんな場所にあるとは思いませんでした。

と言うのも、佐倉ラベンダーランドのすぐ近くで
たまたま通った道沿いに、一瞬見えた古めかしい小さな校舎。
急いでUターン。
それらしい建物をスマホでネット検索........

「間違いない!! これが旧志津小学校青菅分校だ!!」と確認。


急遽、見学と相成りました。
 


消防倉庫の奥に見えるのが 旧志津小学校青菅分校


      20130612青菅分校01



右側の建物は跡から建てられたこの地域の公民館。


      20130612青菅分校02



こちらが 旧志津小学校青菅分校 の校舎全景


      20130612青菅分校03



正面玄関です


      20130612青菅分校04



玄関のガラス越しに中を覗いてみます。

(ガラスが反射して画像だとよく見えません)


      20130612青菅分校05

分校と言うだけあって、そんなに大きくありません。




ここで、旧志津小学校青菅分校の歴史を.........


明治36年に志津北尋常小学校の青菅分教場が、現分校跡の西方に設立され、
青菅・先崎地区の児童が通学しました。
昭和20年後半からの志津地区(現ユーカリが丘を含む)の人口増加に伴い、
昭和30年に志津村立志津小学校の第二分校として校舎を新築されました。

現在、この地に立つ校舎はこの昭和30年に建てられたものです。
昭和36年第一分校が上志津小学校として独立する時、
第二分校は、「佐倉市立志津小学校青菅分校」と改称されました。
昭和52年3月に志津小学校青菅分校は廃校になりました。

しかしながら、廃校から36年近くなりますが、
この地域の方々のお陰で廃校時の原型を保っているそうです。

                  (佐倉市民ハイキングクラブHP より抜粋)





確かに建てられてから57年の歴史の重みというか風格のある校舎です。


      20130612青菅分校06





ちいさな分校跡だから校庭もさほど広くはありません。


      20130612青菅分校13


      20130612青菅分校07


      20130612青菅分校08


      20130612青菅分校09




こうやって眺めてみると、味のある校舎に見えてしまいます。

ひょっとして、そんなことを感じるのは私だけ.......?


      20130612青菅分校10


      20130612青菅分校11


      20130612青菅分校12


中学3年まで愛知県の田舎で育った私の小学校時代は
小さな小学校で学びました。
幸いなことに廃校にはならず、現在も地域の児童の学び舎として健在しています。

4年ほど前に一度、その母校に訪れてみましたが
すっかり変貌していてちょっぴり残念な思いをしました。


この旧志津小学校青菅分校の卒業生は
今でもこうして、かつての学び舎が当時の形で残っていて
本当に羨ましく思えてきてしまいます..........。


 
 
 
2013/06/29 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: 2edit

佐倉ラベンダーまつり  (2013年6月12日)(千葉県佐倉市) 

6月12日 公休日


台風3号が温帯性低気圧に変わり
その影響もあるのか?
この日は曇り空

雨が降るかもしれないし、遠出もしんどいし、
近場で良いところはないかと、ネットで検索していたら
6月8日から地元佐倉市で「ラベンダー祭り」が開催されているようで
それじゃぁっていうことで、出かけてみることにしました。

実は、昨年もこの ラベンダー祭り を見に来ました。


会場は先崎の佐倉ラベンダーランド


      20130612佐倉ラベンダーまつり09



今年もラベンダーが迎えてくれました。


      20130612佐倉ラベンダーまつり01


      20130612佐倉ラベンダーまつり06


      20130612佐倉ラベンダーまつり07




平日のこの日は、ガラガラ
ましてや、この曇り空
関係者以外、人はいません(笑)


      20130612佐倉ラベンダーまつり02


でも、こういったイベントは嫌いじゃないけれど
人が多いって言うのは苦手。
ましてや犬連れとなると、「遠慮」って言う2文字が頭をよぎります。



他の見物客が来る前に、ラベンダーを堪能しちゃいましょう。


      20130612佐倉ラベンダーまつり03


      20130612佐倉ラベンダーまつり04


      20130612佐倉ラベンダーまつり05


      20130612佐倉ラベンダーまつり08


      20130612佐倉ラベンダーまつり12


      20130612佐倉ラベンダーまつり13


      20130612佐倉ラベンダーまつり14


      20130612佐倉ラベンダーまつり17


      20130612佐倉ラベンダーまつり10


      20130612佐倉ラベンダーまつり11


      20130612佐倉ラベンダーまつり15


      20130612佐倉ラベンダーまつり16



今年も何とか、ここ佐倉ラベンダーランドで
充分にラベンダーを堪能できました。

雨が降らなくて良かったぁ.......。


 
 
 
 
 
 
2013/06/28 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: 0edit

布川城址 (2013年6月11日)(茨城県北相馬郡利根町) 

6月11日 公休日



茨城県の北相馬郡の利根町にある 布川城址 に立ち寄ってみました
 

千葉県道・茨城県道4号千葉竜ヶ崎線の千葉県我孫子市から
利根川に架かる栄橋を渡って利根町に入ると
県道沿いに徳満寺があり、その徳満寺のある台地が主郭となり
利根町の利根町役場のある台地が二郭となっています。



布川城は南北朝時代に豊島左兵衛尉頼貞により築かれたと言われています。
戦国時代末期になると、小田原北条氏の配下となり
利根川の水運の監視を行っていた王であると言われています。

天正18年(1590)秀吉の小田原攻めの際、城主・豊島貞継は北条方として小田原城に入り、
弟・頼重が留守を務めるが、秀吉軍の浅野長政に降伏し、忍城攻めに参陣し、戦死する。
しかし、そのおかげで北条氏配下でありながら滅亡は免れます。
豊島明重が跡を継ぐが、徳川家康から改めて1700石を与えられ、
富岡(神奈川県横浜市)に移封されました。
関東にその領地を得た家康は常陸に勢力を持つ佐竹氏対策として
布川城に松平信一が5000石で配します。
関ヶ原の戦いの後、松平信一は35000石で土浦城主となり、
布川城は廃城となったということです。








県道沿いの徳満寺の入口に布川城址標柱が建っています



      20130611布川城址17






さらには、徳満寺の境内の入口には立派な石碑が建っています


      20130611布川城址03



境内の駐車場に車を停めて
布川城址の散策開始です。


境内には布川城址の説明看板があります



      20130611布川城址01


      20130611布川城址02




こちらは徳満寺の参道
急勾配の石段を上がれば、立派な山門が待っています


      20130611布川城址04


      20130611布川城址05




境内の奥にある土壇の前に見覚えのある石碑が......


      20130611布川城址06


茨城百景の石碑です

「茨城百景 大利根の展望」
徳満寺の山門前に建てられていたそうですが
現在はこちらに移されています。


      20130611布川城址13


本堂裏手の土壇
かつての物見台跡かもしれませんが
現在は墓石が並んでいます。


      20130611布川城址12





徳満寺の山門あたりから眺める利根川の眺望はかなり良かったようですが
現在は、その眺望も失われているようです。


徳満寺の本堂の裏手には琴平神社が有り
徳満寺と琴平神社は空堀で隔たれ
土橋が設けられています。


どうも画像だとよく見えませんが......

これが空堀 


       20130611布川城址07



こちらが土橋。


      20130611布川城址16



土橋を降りれば馬出し

馬出しから土橋を見上げます


      20130611布川城址09




こちらが馬出し


      20130611布川城址11



土橋を渡った先は琴平神社
ここも、かつては城郭の一部でした。


      20130611布川城址08



さらに奥に進むと石段を下りて、かつての堀底。
振り返れば、立派な鳥居が建っています。


      20130611布川城址15



堀底道を挟んで二郭跡に建つ利根町の町役場


      20130611布川城址14


近くにある旧利根中学校のある辺り(現在は日本ウェルネススポーツ大学)も
かつての城郭で、かなりの広さを持ち合わせています。


この布川城址
こんな場所にあるとは知りませんでした。


実は、つくば方面に遊びに行くときは
千葉県道・茨城県道4号千葉竜ヶ崎線を走り
龍ケ崎から牛久を抜けて、つくばに行っていました。

何度となく、この布川城址の前を素通りしていたことになります。

もっと早くこの布川城址を知っていれば
千葉県道・茨城県道4号千葉竜ヶ崎線も違った印象で
車を走らせていたかもしれない............






2013/06/27 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: 0edit

丸ポストを探して ..........茨城・取手編                   (2013年6月11日)(茨城県取手市) 

6月11日 公休日


茨城県内に84基現存すると言われる現役の丸ポスト。(2013年4月19日現在)


取手市には6基の丸ポストが現存するということで
丸ポストを探しに出かけてみました。


取手市は昔からっていうか、30年以上前から知っていましたが
常磐線のイメージしかなく、わざわざ訪れるっていうことはありませんでした。
国道6号線の通過点っていうことで、
その昔、何度かバイクツーリングで通ったことがありました。

今回 Google Map でを見てみたら
記憶の中の取手市が広くなっている.....?

いろいろ調べてみたら、取手市も平成の大合併に関与しておりました。
2005年に北相馬郡藤代町との合併で、その面積は大きくなっていたようです。




そんな取手市の最初の1基は、
旧藤代町の宮和田地区。
服部商店 前の丸ポスト。
 

      20130611取手丸ポスト01


      20130611取手丸ポスト02


      20130611取手丸ポスト03


      20130611取手丸ポスト04





2基目の丸ポストは、同じく旧藤代町の藤代地区。
元ふくなが酒店 脇の丸ポスト。 


      20130611取手丸ポスト05


      20130611取手丸ポスト06


      20130611取手丸ポスト07


      20130611取手丸ポスト08





続いては、同じく旧藤代町の清水地区。
藤代清水郵便局前の丸ポスト。


      20130611取手丸ポスト09


      20130611取手丸ポスト10


      20130611取手丸ポスト11


      20130611取手丸ポスト12


ここまでが旧藤代町の丸ポスト。





ここから先は元来の取手市の丸ポスト。

取手市新町。
こうのすタバコ店 前の丸ポスト。


      20130611取手丸ポスト13


      20130611取手丸ポスト14


      20130611取手丸ポスト15


      20130611取手丸ポスト16



続いては取手二丁目
取手市商工会館 前の丸ポスト


      20130611取手丸ポスト17


      20130611取手丸ポスト18


      20130611取手丸ポスト19


      20130611取手丸ポスト20



最後の1基は、同じく取手二丁目
寺田医院 前の丸ポスト


      20130611取手丸ポスト21


      20130611取手丸ポスト22


      20130611取手丸ポスト23


      20130611取手丸ポスト24


これで、取手市の丸ポストも制覇。



茨城県には84基の丸ポストが現役で現存していると言われています
(2013年4月19日現在)


これまでに

桜川市(真壁)    2基
石岡市        4基
稲敷市        2基
土浦市        6基
龍ヶ崎市       8基
かすみがうら市   1基
行方市        2基


そして、本日、取手市6基制覇いたしました。
合計31基制覇した事になります。

茨城県内の丸ポスト、あと53基。

完全制覇目指して頑張っちゃおうかな......?(笑)




  
 
2013/06/26 Wed. 03:00 | trackback: -- | 本文: 0edit

高井城址 (2013年6月11日)(茨城県取手市) 

6月11日 公休日




北総のドッグランで遊んだあとに向かった先は........


    高井城址



茨城県取手市の外れって言うかつくばみらい市との境界となる
小貝川近くに高井城址はあります。


高井城の築城時期は不明ですが、信太小次郎重国が信太郡から移り住み築城し、
相馬氏を名乗ったと言われています。
高井城主は代々相馬氏を称し、天正年間に高井下総守直将がはじめて高井氏を称した。
高井胤永のときに北条氏側につき、天正十八(1590)年の小田原の役で没落した。
胤永の三男・胤正の子孫が横瀬伊勢守保広を名乗って
江戸時代前期まで居住したが、その後、広瀬氏と改め帰農し、
高井は廃城になったと言われています。




現在の高井城址は 高井城址公園 として一部整備され開放されています。



こちらが 高い城址公園 の入り口
この坂を下っていくと左手に駐車場があり
右手の小高い台地が城址となります。 


     20130611高井城址20


こちらが 高井城址公園

背後の台地が主郭となります

      20130611高井城址01



かつての水堀跡は湿生植物の園地となり、
(と言っても管理が不十分で雑草の生い茂った湿地帯となっています)
その一角に、ひっそりと城址碑が建っています。


      20130611高井城址02



これが、その水堀跡


      20130611高井城址03





これが登城路

向かって右側が二郭、左が主郭となります。


      20130611高井城址04




登城路を上った先には、立派な説明看板が建っています。


      20130611高井城址05


      20130611高井城址06




こちらが主郭虎口


      20130611高井城址07


      20130611高井城址08



主郭虎口の土塁。
高さもあり物見台の役割をしていたかもしれません。


      20130611高井城址09


      20130611高井城址10


      20130611高井城址11





こちらが主郭。 
この辺りは、枯れ落ち葉の雑木林っていう雰囲気ですが
公園という割には荒れていて、雑草の生い茂るところが多い。


      20130611高井城址12





主郭の下方には犬走りがぐるっと取り巻いています。

犬走りに佇む犬(びいすけ)


      20130611高井城址13



主郭直下の枡形を、さらに下から見上げてみるとこんな感じ。


      20130611高井城址14





四郭に建つ妙見神社。
歴代の高井城主である相馬氏は千葉氏の一族であり
千葉氏ゆかりの城郭には必ずと言っていいほど、
この妙見神社があります。


      20130611高井城址15



石造りの鳥居にはしっかりと 妙見八幡宮 の神額が飾られています。


      20130611高井城址16



こちらが本殿


      20130611高井城址17


本殿の神紋は九曜星
確かに妙見神社の神紋は九曜星ですが
ここは千葉氏ゆかりの地にある妙見神社
千葉氏の家紋である月星紋だと良かったのに.........

      20130611高井城址18





四郭あたりは民家が多く高井集落となっています。
往時の面影はかなり失われていますが
民家の周りにこんな土塁があったりして
かつての武家屋敷の面影(?)がを感じたりしてしまいます。


     20130611高井城址19




高井城址の斜め前の台地も城郭の雰囲気が満載でしたが
私有地ということで立ち入り禁止。

偶然なのか?

その立派なお宅の門柱には広瀬という表札がかかっていた。
江戸時代前期に帰農した高井城主の末裔なんだろうか..........?


 


 
 
 
2013/06/25 Tue. 20:00 | trackback: -- | 本文: 0edit

北総花の丘公園ドッグラン (2013年6月12日)(千葉県印西市) 

6月11日 公休日


個人的な連休 初日。


この個人的な連休直前に台風3号が発生し
天候も危ういということだったので
出かけることは諦めていましたが
前日に温帯性低気圧に変わり、天候も変わり
どうやら激しい雨ではなくなったようだ。

それならば、ちょっと茨城の取手の方に足を伸ばしてみよう。
そして、その前に軽くドッグランっていうことで
北総花の丘公園へ立ち寄ってみました。





ドッグランに入るなり、 びいすけ 恒例の儀式
マーキングからの行動開始です


      20130611北総01



おしっこをしている姿を見られて怒っているのか....?
不機嫌そうな顔(笑)


      20130611北総08



続いてドッグランの臭いの確認


      20130611北総04




平日のこの日はボルソイ系のワンちゃんが3頭いて
久しぶりに大きな子たちと一緒のランとなりました。


どうやら びいすけ はこの子が気になるようです


      20130611北総02


      20130611北総03



相手にしてもらえないので
別なワンちゃんに近寄っていきます。


      20130611北総05



でもワンプロするには、ちょっと大きすぎるみたい。


      20130611北総07


      20130611北総06


      20130611北総10



でも諦めたのか?
それとも別な子を探すのか?
はたまた、いつものように一人の時間を楽しむのか......?


      20130611北総11



そんな時、背後に1頭のワンちゃんが.......


      20130611北総09



どうやら びいすけ のことが気になるようです


      20130611北総12


びいすけ もその気なのか?


      20130611北総13


      20130611北総14


しばし、このワンちゃんと遊んだりして
何だかんだとお昼近くまでドッグランで遊んでいました。


さあ休日は、まだまだこれから........

次の場所に移動いたしましょう。


 
 
 
 
2013/06/25 Tue. 09:00 | trackback: -- | 本文: 0edit

カインズホームドッグラン (2013年6月10日)(千葉県佐倉市) 

6月10日 夜勤明け


この日は夜勤明け

半年に1回の職場の健康診断ということもあって
8:00に早上がりをして、指定の産業医で健康診断を受け
12:00前に自宅へ戻ってきた。

約30時間の留守番をしていた びいすけ のうんち散歩と
30時間ぶりのご飯を与え、ほっと一息をつきます。

年を重ねてくると、夜勤明けは体力が持たない。
まだまだ若いと思っていても体は正直なようです(笑)

こんな時に便利と言うか、使い勝手がいいのが
カインズホームのドッグラン。
利用時間は1時間だし、自宅からも空いていれば車で10分もかからない。

という訳で、フラストレーションの貯まり気味の びいすけ を連れて
カインズホームのドッグランへ行ってきました。


      20130610カインズドッグラン 01


      20130610カインズドッグラン 02


店内の受付で手続きを済ませランに入場。

このドッグランは先着5頭が入場できるというシステム

私たちが入場すると既に1頭のワンちゃんがいました。
尻尾の先が白い........おや?

よくよく見ると、ビーグルでした。


2歳のビーグル ココアちゃん(♀)


      20130610カインズドッグラン 04


      20130610カインズドッグラン 05


実は、ココアちゃんと会うのはこれで2回目。
確か、昨年の秋だったと思うけれど
やはりこのカインズホームで会いました。

その時はドッグランではなく、店内入口でした。


お久しぶりですね
仲良くして下さいね



飼い主の願いも虚しく.......

びいすけ が ココアちゃん に近寄らない


      20130610カインズドッグラン 03



      20130610カインズドッグラン 06



びいすけ が匂いを嗅ぎに近寄ると........

ココアちゃん 一気に尻尾が下がります


      20130610カインズドッグラン 07


      20130610カインズドッグラン 08




どうも難しいようですね
まあ、焦りませんから、次に会ったときにでも
一緒に遊んでもらえることを期待いたしましょう。




ミニチュアDAXの子が入って来たりしましたが
どうやら、 びいすけ のテンションは今一歩。


      20130610カインズドッグラン 09


      20130610カインズドッグラン 10


      20130610カインズドッグラン 11



どうしても単独での行動が多くなってしまいます。


      20130610カインズドッグラン 12



恒例の おしっこ
マーキングには余念がありません。


      20130610カインズドッグラン 13


そうこうしているうちに、ココアちゃんはタイムアップ。
(このドッグランは1時間しか利用できません)


しばらくすると1頭の柴犬がやって来ました。


      20130610カインズドッグラン 14



1歳半の柴犬 いちごちゃん(♀)


最近の傾向ですが、どうも びいすけ は柴系のワンちゃんが好みのようです。
体高が会うのか? 結構、ワンプロをしたりします。


      20130610カインズドッグラン 15



今日もワンプロを! と期待しましたが
ワンプロに発展せず、残念。


でも仲良く並んでいたりして、いちごちゃんとは相性が良いみたいです。


      20130610カインズドッグラン 16



って言うか、 びいすけ が一方的にお気に入りのようですが.......


      20130610カインズドッグラン 17



しばらくして、ドッグランに近寄る女性が........

よくよく見ると、いつも拝見しているブロガーの ゆきさん でした。


先日のブログを拝見していたのですが
コメントも書けなくて、少し胸を痛めていました。

色々と話をさせていただいて、お元気そうで少し安心しました。


どうやら いちごちゃん とはお馴染みさんのようで
世間は狭いなぁ~と感じながらも、
同じ市内だから必然といえば必然かもしれない。


びいすけ に新しい友達が出来たようで
ほんのちょっぴり嬉しい一日でした...........。




 
 
  
 
2013/06/24 Mon. 22:00 | trackback: -- | 本文: 0edit

激走 羽黒山公園 (2013年6月3日)(茨城県行方市) 

6月3日 公休日



麻生城址は公園整備されて羽黒山公園として生まれ変わっています。


公園整備の際、城郭の要である主郭、二郭部分はかなり改変されて
城郭としての遺構はかなり湮滅されてしまったようです。


      20130603激走羽黒山公園01



しかしながら、かつての主郭、及び二郭部分は芝生広場として整備され
子供たちに解放されているようです。


      20130603激走羽黒山公園02



二郭の片隅にはこんな遊具も設置されています。


      20130603激走羽黒山公園03

平日の月曜日
それも西陽の時間帯の夕暮れ
この公園に訪れる人もいなく、私たちの貸切状態のようです

ロングリードに付け替え、人がいないのを確認して
二郭広場で遊んでみました。


ロングリードで自由感を感じたのか?
芝生広場を疾走します。

      20130603激走羽黒山公園04



どういうタイミングでスイッチが入るのか?

最近の びいすけ は、よく判りません.....?


      20130603激走羽黒山公園05




でも、そんなの関係ない

走れ~ びいすけ!!


      20130603激走羽黒山公園06



ドッグランでなかなか走らない びいすけ
でも城址であった公園の芝生広場では走る.......?(笑)


      20130603激走羽黒山公園07



広い郭内を全力疾走。


      20130603激走羽黒山公園08



本当は飛行犬でも撮れれば良かったんですが
何せカメラマンとしての腕が未熟ですから.......


      20130603激走羽黒山公園09



やがて、走り疲れたのか?
私の方に近寄ってきます。


      20130603激走羽黒山公園10



どうしたのかな?


      20130603激走羽黒山公園11



と、思っていたら.......

芝生の匂いを確認?


      20130603激走羽黒山公園12




そして、いきなりゴロ~ン。


      20130603激走羽黒山公園13



背中が痒いの?


      20130603激走羽黒山公園14



そして、いきなり起き出して...... 


      20130603激走羽黒山公園15




また、ゴロ~ン。


      20130603激走羽黒山公園16


      20130603激走羽黒山公園17



またまた、ハッと起き出し......


      20130603激走羽黒山公園18


私がどこにいるか確認。


こんな仕草が可愛くて仕方ありません....(完全な親バカです)(笑)


      20130603激走羽黒山公園19





西陽もかなり強くなってきました。

近くの大王崎公園は霞ヶ浦に沈む夕陽の景勝地。
ならば、ここ羽黒山公園も高台だからきっと夕陽も綺麗だろう.....

そう思って夕陽を眺めに行ったら、時間はまだ早かった。
おまけに木々が邪魔して夕陽が見えない.......


       20130603激走羽黒山公園20


      20130603激走羽黒山公園21


      20130603激走羽黒山公園22



きっと冬場だったら太陽の角度も低くなるし
夕陽の時間帯も早くなる。

本当は日没まで、この場所にいたかったんだけれど
ここからじゃ家までかなりの時間が掛かる。
残念な気もするけれど、
また改めて霞ヶ浦に沈む夕陽を眺めに来ることにしよう.....。



 
 
2013/06/24 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: 0edit

麻生城址 《羽黒山公園》 (2013年6月3日)(茨城県行方市) 

6月3日 公休日


麻生陣屋跡から向かった先は.........


   麻生城址



麻生陣屋跡から300mほど離れた位置に小高い台地があります。
現在は羽黒山公園として一般解放されていますが
この台地一帯が麻生城址となります。


平安時代末期、常陸大掾氏の一族・吉田忠幹が行方の地に郡司として入って
居城を築き、その地より行方平四郎を名乗り、行方氏と称することになりました。
その子・行方景幹は源義経に従い、源平合戦に活躍したが、屋島の戦いで戦死。
元暦元年(1184年)、行方景幹の所領は景幹の四子に分与され
長子・為幹は行方、二子・高幹は島崎、三子・家幹は麻生、四子・幹政は玉造を配した。
彼らはそれぞれの地名を名乗り行方氏、島崎氏。麻生氏、玉造氏と称し、
地頭として「行方四頭」と呼ばれました。

三子・家幹が築城したのが麻生城の始まりとされています。
戦国時代になると、常陸大掾家の統制力が弱くなり、
この四氏もやがて自家の勢力を伸ばすためにお互いに争うようになってきます。
麻生17代・麻生常安は東に領地を接する同族の島崎義幹と敵対し、
麻生・吉田・永山で激しい戦闘を繰り広げ、
天正12年(1584)麻生城は落城し麻生氏も滅んだ。
その後、島崎義幹がこの麻生城を支配したが、
天正19年(1591年)、佐竹氏の「南方三十三館の仕置」により
島崎氏も滅亡し、この地は佐竹氏の支配となり、麻生城は廃城となりました。

佐竹氏が秋田へ移封された後、この地は新庄氏の領地となりますが
新庄氏は麻生城より300m離れた地に陣屋を置き、
麻生城は再び使用されることなく今日に至っています。





現在の麻生城址は羽黒山公園として整備され
駐車場も完備され、アクセスは問題なし。
駐車場の脇にはこんな建物が.......

実はこれ トイレ です(笑)
いかにも城址っていう感じが判ります。


      20130603麻生城址22



陽射し(西陽)が強くて、うまく撮れていませんが
こちらが麻生城址の説明看板。


      20130603麻生城址21


説明看板の建つ辺りは腰曲輪跡
公園整備の際に改変されてしまっているかもしれませんが
それなりに土塁も残っています。


      20130603麻生城址20


      20130603麻生城址19




こちらは主郭に通じる登城路。
こちらにも土塁は残っていますが
公園整備の際にかなりいじられているかもしれません。


      20130603麻生城址14


      20130603麻生城址17


      20130603麻生城址18



土塁を眺めながら上っていくと、やがて虎口が現れます。


      20130603麻生城址13


      20130603麻生城址12


      20130603麻生城址11



こちらが主郭跡


      20130603激走羽黒山公園02






ぐるっと麻生城址のある台地を一周してみます。

麻生城址遠景


      20130603麻生城址16


      20130603麻生城址15




再び城址に戻り、駐車場から見て主郭とは反対側
土壇の脇の空堀を目指します。


実は、この空堀こそが麻生城址の見所
十分と言える遺構です。

空堀は三重に張り巡され、頑固な守備を誇ったようです。


      20130603麻生城址10



この空堀は横矢が掛かっています。
画像で横矢が確認できるかな?


      20130603麻生城址09



こちらも横矢が掛かった空堀。


      20130603麻生城址07





土壇から見下ろす空堀


      20130603麻生城址08




こちらの空堀は深く広い。


      20130603麻生城址05


      20130603麻生城址03




とにかく、三重に張られた空堀に感動(ちょっと大袈裟かな?)(笑)


      20130603麻生城址04



この空堀が竪堀へと続いていきます。
この先に竪堀があります。


      20130603麻生城址06



こちらは竪堀
斜面を一直線に下っています


      20130603麻生城址02


      20130603麻生城址01

 
 
 
常々、中世の山城の魅力は土の芸術だと思っています。
しれは土塁であったり、空堀であったりしますが
この麻生城址は三重の空堀に尽きます。

もともと麻生氏の居城でしたが、
佐竹氏の支配下になった戦国時代に改変されたのかもしれないけれど
私の中では魅力のある城址の一つに加わりました...........。


 
 
 

2013/06/23 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: 0edit

麻生陣屋跡  (2013年6月3日)(茨城県行方市) 

6月3日 公休日




小高城址を跡にして向かった先は


   麻生陣屋跡 


陣屋とは


一般的に3万石以下の城を持たない大名が陣屋を持った、
また上級旗本も知行地に陣屋を構えた。
さらに大藩の家老の所領地である知行所の政庁が置かれた屋敷も含まれる。
飛地を所領に持つ大名が、現地の出張所として陣屋を設置することもあった。
また、箱館奉行所や長崎奉行所なども陣屋として扱われることがある。
さらには幕府直轄領地である支配所に置かれた代官所を含む場合もある。

陣屋に藩庁を置く大名のことを無城大名あるいは陣屋大名と呼んだ。
無城大名が城主格大名へ昇格した場合、国許の陣屋を城に転換することは許されず、
実際には城門の構築を許されるのみであった。

                   ( Wikipedia より抜粋)



行方市の麻生(旧麻生町)はかつて行方景幹の三子・家幹が麻生の地に
麻生城を築き、麻生氏と称しこの地を統治していましたが
佐竹氏に「南方三十三館の仕置」により麻生氏は滅亡してしまいました。
麻生城については別な形で触れたいと思いますが
中世に築かれた麻生城の東方300mのところに麻生陣屋跡は位置しています。

摂津高槻(現在の大阪府高槻市)に所領を持っていた新庄直頼は
元々は近江・浅井氏の家臣であったが、浅井氏滅亡後、織田信長の家臣となり、
信長の死後は豊臣秀吉に仕え、摂津高槻城3万石を領していました。
関ヶ原の戦いで西軍(豊臣方)に属したため、
戦後改易され、身柄は会津藩主・蒲生秀行の預かりとなり、
慶長9年(1604年)に赦免され、常陸麻生3万石を与えられて
常陸麻生藩を立藩しました。

第3代藩主・新庄直好は継嗣が無く、養子の新庄直時を嗣子としていたが、
万治3年(1660年)に62歳という高齢になってから実子の新庄直矩が生まれました。
しかし直好は寛文2年(1662年)に死去してしまい、
3歳の幼児に後を継がせるわけにもいかず、直時がそのまま後を嗣いだ。
延宝2年(1674年)、直矩が15歳に成長すると、直時から直矩に家督が譲られた。
このとき、隠居した直時に藩領から鹿島郡内7000石が分与され、
麻生藩は2万石余となります。
ところが2年後の延宝4年(1676年)に直矩は17歳で急死してしまい、
直矩には継嗣が無いことから、江戸幕府より改易されてしまいます。

しかし幕府は、7000石の旗本となっていた前藩主の直時に、
その旗本領に3000石を加増して常陸国行方、新治郡内1万石の所領を与えて再勤を認め、
麻生藩は再興しました。

以後、新庄氏の支配で麻生の地は明治時代を迎えることになります。


外様大名として関東の領地を配した新庄氏(麻生藩)ですが
こういった幕府への配慮もあり、
麻生城の東方300mのところに陣屋を構えたのかもしれません。





麻生陣屋は現在の麻生小学校にあったと言われています。


      20130603麻生陣屋跡01
 


平日の午後(って言うか夕方)
授業も終わっているし、児童がいないのを確認して
犬の散歩を装いながら、敷地内を見学させてもらいます。

学校が城郭跡だとなかなか躊躇する機会が多く
曜日や時間帯も考慮しないといけないので
大変といえば大変です...........。


      20130603麻生陣屋跡11




小学校の中にはこんな説明看板が建っています。


      20130603麻生陣屋跡10


      20130603麻生陣屋跡09


大変だとは言いながらも、城郭遺構は全く残されていないと
事前にネットで調べていたので、説明看板をじっくり読んで撤収。


      20130603麻生陣屋跡08







麻生小学校の斜め前には、
麻生藩主・新庄氏の家老を務めた畑氏の居宅兼役所があります。
行方市の指定文化財として登録されているようです。


      20130603麻生陣屋跡07


      20130603麻生陣屋跡06


      20130603麻生陣屋跡05



こちらが表門(通称 赤門)


      20130603麻生陣屋跡04


      20130603麻生陣屋跡03


残念ながらこの日は休館日。
門は閉ざされ、中に入ることはできませんでした。


      20130603麻生陣屋跡02




麻生の地は15代・直敬までの267年間、新庄氏が納めてきました
関東内に配置された外様の小藩で、一度の移封もなく、
明治の廃藩を迎えた麻生藩は、特異な存在であったとも言えます。

常陸大掾氏の一族・吉田忠幹が行方の地に郡司として入って
この地方を納めてきてから始まった行方市の歴史
この足で歩き、見て巡り、肌で感じてみると結構面白いものです。

常陸大掾氏の一族、そして佐竹氏一族。
さらには佐竹氏が秋田へ移封後の行方・鹿島地区
この地区にハマってしまいそうです..............。


 

2013/06/22 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: 0edit

小高城址 (2013年6月3日)(茨城県行方市) 

6月3日 公休日



芹沢城址をあとにして、向かった先は


   小高城址



平安時代末期、常陸大掾氏の一族・吉田忠幹が行方の地に郡司として入って居城を築き、
その地より行方平四郎を名乗り、行方氏と称することになりました。
その子・行方景幹は源義経に従い、源平合戦に活躍したが、屋島の戦いで戦死。
元暦元年(1184年)、行方景幹の所領は景幹の四子に分与され
長子・為幹は行方、二子・高幹は島崎、三子・家幹は麻生、四子・幹政は玉造を配した。
彼らはそれぞれの地名を名乗り行方氏、島崎氏。麻生氏、玉造氏と称し、
地頭として「行方四頭」と呼ばれた。

その後、長子・為幹は鎌倉時代初期、この小高の地に居城を移して小高氏を名乗った。

天正十九年(1591年)、佐竹義宣の鹿島・行方両郡の大掾氏一族らいわゆる「南方
三十三館」の諸将を太田城に招いて殺害した。(南方三十三館の仕置)
小高氏も滅ぼされ、小高城には佐竹氏の家臣が城将として配されたが、
慶長七年(1602年)、佐竹氏の秋田移封によって廃城となったとされています。



そんな歴史を持つ小高城址。
この説明看板の場所にたどり着くまでが大変でした。
ナビでおおよその位置を検討して走り回っても見つからない。
諦めかけた時に、道路沿いの畑の前に建つこの看板を見つけた時は
ホッとひと安心しました。
 

      20130603小高城址23



説明看板の前で写真を撮って、いざ 小高城址へ!!


      20130603小高城址22



実はこの説明看板が建つ辺りも城郭の一部
四郭にあたります。

四郭から三郭(中城)へと畑の中の道を歩いていきます。


      20130603小高城址21



四郭と三郭(中城)を隔てる空堀も今は埋められて畑となっています。


      20130603小高城址19



この辺りは、三郭(中城)
正面の林の中が二郭(内御城)になります。


      20130603小高城址20



この奥が二郭(内御城)

森の奥へと向かいます。


      20130603小高城址18




森に入ると、いきなり大きな空堀が現れます。


      20130603小高城址17



さらに進むと分岐点が現れます
向かって右手が二郭(内御城)へと続く登城路
向かって左が堀底道。主郭(万台)へと続きます。


      20130603小高城址16



こちらが二郭(内御城)の虎口


      20130603小高城址15


      20130603小高城址14



二郭も現在は畑となっています。


      20130603小高城址13



二郭を取り巻く土塁。
高さは2mほどあるのでしょうか?
しっかりと現在に残されています。


      20130603小高城址12



主郭へと続く堀底道を進み、主郭へと向かいます。


      20130603小高城址11




とにかく、この堀底道はすごいの一言。
よくぞここまで、この時代に残してくれたと言いたいくらいです。


      20130603小高城址10


      20130603小高城址09



画像では明るく感じますが、深い堀底道でうっすらと暗く
差し込む陽が幻想的です。


      20130603小高城址08


      20130603小高城址07



こちらは主郭虎口。
坂虎口になっています。


      20130603小高城址06


      20130603小高城址04


      20130603小高城址03




主郭は藪状態。
とてもこの中に入っていく勇気はありません(笑)。


      20130603小高城址05



主郭内部から見た虎口。


      20130603小高城址01




虎口から見た主郭登城路。


      20130603小高城址02





正直、あまり期待していない城址でしたし
なかなか見つける(たどり着く)まで苦労した城址でした。
見つからなければ(たどり着かなければ)、それはそれでいいや!
な~んて思っていましたが、この城址に来て大正解。

ただ広いだけの城址かと思っていましたが
しっかりと二郭、主郭周辺に城郭遺構が残されていて
この小高城址を訪れることが出来て、本当に良かったなと思います........。


 
 
 
 
2013/06/21 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: 2edit

芹沢城址  (2013年6月3日)(茨城県行方市) 

6月3日 公休日


茨城県の行方市
旧玉造町の芹沢城址に立ち寄ってみました。



城址近くに 誠 の文字の看板。

どこかで見たことがあるような...........


そうです。 新選組の御旗。そのまんまの看板の横に

  新選組を創った男

    芹澤 鴨
    平間重助

   ゆかりの地      と書かれています。


      20130603芹沢城址20



どうやら、この辺りは新選組ゆかりの地のようです。



立て看板にも 芹澤 鴨 生家 の案内で導かれていきます。


      20130603芹沢城址19





こちらが 芹澤 鴨 の生家


      20130603芹沢城址18



生家の前には立派な説明看板が建っています。


      20130603芹沢城址17

実は、数年前かな?
香取慎吾主演でNHKの大河ドラマ 新選組 が放映された頃、
芹澤鴨 の出生地と言うことで、この辺りも町興しに頑張っていたそうです。




芹沢城址は、その芹澤鴨の生家近くにあります。
一説には、芹澤鴨の生家の裏山が城址ということですが
どうやらそれは間違いのようで、この辺り一帯がかつての芹沢城であったということです。


こちらは芹澤家が建てたと言われる城址碑。


      20130603芹沢城址16


      20130603芹沢城址15



城址碑の脇には芹沢城の由来が記された石碑が建っています。


      20130603芹沢城址14



さらには、こんな説明看板も建っています。


      20130603芹沢城址13


      20130603芹沢城址12



そもそも芹沢城は大掾氏の芹沢氏が築城した城であると言われています。
芹沢氏は元々の大掾氏宗家の多気義幹の次男・茂幹を祖としています。
茂幹の曾孫・幹文は足利氏より相模国高座郡芹沢(神奈川県座間市)に
所領を与えられ、芹沢氏を称したと言われています。

幹文から4代後の良忠は、至徳二年(1385)に府中城(茨城県石岡市)の
大掾氏宗家(多気義幹から宗家を継いだ馬場大掾氏)より
行方郡に所領を得て、館を構えた。
これが芹沢城であります。

天正十八年(1590)の秀吉の小田原攻めに際して、
大掾氏一族は北条氏に与して豊臣秀吉のもとに参陣しなかったため、
その所領は常陸に勢力を持つ佐竹氏に奪われることになります。
天正十九年(1591)に鹿島・行方両郡の大掾氏一族らいわゆる「南方三十三館」の諸将を
佐竹氏の太田城に招いて殺害した。
このとき芹沢城主。・芹沢国幹は病と称して艱難を逃れたと言われます。

佐竹氏はすかさず鹿島・行方両郡の平定に乗り出すが、
芹沢城に対しては手を出さなかったと言われています。
芹沢氏が佐竹氏と関係をもっていたためとも、
両郡攻略の軸にしようと考えていたためとも言われ。
芹沢国幹は、佐竹氏より咎めを受けることがなかったことを苦とし、
城を放棄してこの地を去ったと言われ、
この時に芹沢城は廃城となったものと思われます。

その後。芹沢国幹は宍戸城主・秋田実季に仕え、
嫡男・芹沢通幹のときに水戸藩に召し抱えられ、
芹沢の地に知行を与えられて代々居住したと言われます。
そしてその子孫が、新撰組初代局長として知られる芹沢鴨だと言われています。

すなわち、芹沢城主であった芹沢氏の末裔が新選組の初代局長だということです。


不勉強であった私はてっきり新選組局長=近藤勇しかなくて
この地に来て初めて知りました........






 

芹沢城は城郭遺構はほとんど消失しているようです。

この辺りが主郭があった場所と推定されますが
現在は畑と化しています。


      20130603芹沢城址11


      20130603芹沢城址10



こちらが、かつての登城路でしょうか?
切り通しの坂を登った先は虎口のように見えてします


      20130603芹沢城址09




芹沢生家の裏
おそらく、この奥に土塁と堀があるとのことですが
完全な私有地なので立ち入ることはできません。


      20130603芹沢城址08




ちょうど、犬の散歩に来ていた近所の方にお会いして
色々話をさせていただくと.......

近くの大宮神社の辺りが、かつての城の雰囲気が残っていると言われ
大宮神社へ足を向けてみました。


      20130603芹沢城址07



こちらが、その大宮神社


      20130603芹沢城址06



長い石段を登れば、その先は本殿


      20130603芹沢城址05


石段の脇は城址っぽい雰囲気満載。



      20130603芹沢城址04


      20130603芹沢城址03


      20130603芹沢城址02
   
 


確かに神社の境内の奥というか、脇に
土塁が申し訳なさそうに残っていました。


      20130603芹沢城址01




どうやら、この地は芹沢城址と言うより
芹澤鴨の出生地、新選組ゆかりの地と言うことで
旧玉造町も力を入れていたようで、確かに由緒ある地だとは思うけれど
城郭ファンとしてはちょっぴりピントがずれちゃっている気がしてしまいます.....。

 
 
 
 
 

2013/06/20 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: 0edit

丸ポストを探して...........茨城・行方編                  (2013年6月3日)(茨城県行方市) 

6月3日 公休日


茨城県内に84基現存すると言われる現役の丸ポスト。(2013年4月19日現在)


行方市には2基の丸ポストが現存するということで
丸ポストを探しに出かけてみました。


行方市って言うのも馴染みが薄い。


行方市は、2005年(平成17年)9月2日に
行方郡麻生町・玉造町・北浦町が合併し発足したということです。



2基の丸ポストの内、最初の1基は旧玉造町の玉造乙地区
松沢書店前の丸ポスト


      20130603行方丸ポスト01


      20130603行方丸ポスト02


      20130603行方丸ポスト03


      20130603行方丸ポスト04




残りの1基は同じく旧玉造町の井上地区
関野商店前の丸ポスト


      20130603行方丸ポスト05


      20130603行方丸ポスト06


      20130603行方丸ポスト07


      20130603行方丸ポスト08
 
 

これで、行方市の丸ポストも制覇




茨城県には84基の丸ポストが現役で現存していると言われています
(2013年4月19日現在)


これまでに

桜川市(真壁)    2基
石岡市        4基
稲敷市        2基
土浦市        6基
龍ヶ崎市       8基
かすみがうら市   1基



そして、本日、行方市2基制覇いたしました。
合計25基制覇した事になります。

茨城県内の丸ポスト、あと59基。

完全制覇目指して頑張っちゃおうかな......?(笑)




 
2013/06/19 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: 0edit

歩崎森林公園 (2013年6月3日)(茨城県かすみがうら市) 

6月3日 公休日


かすみがうら市の丸ポストを探し終え、
霞ヶ浦大橋を渡って行方市へと移動しようと思っていたら
道路に「← 歩崎森林公園」なる看板を見つけた。


森林公園なら びいすけ の散歩にちょうど良い。


ましてや、せっかく近くに来ているにだから
立ち寄ってみるのも良いだろう........


そんな訳で立ち寄った先は


 歩崎森林公園 



      20130601歩崎森林公園28


駐車場奥には手を握る男の子と女の子のモニュメントが......

男女仲良く手を取って、ここで遊んで! という意味でしょうか.....?


      20130601歩崎森林公園27


細かいことは気にしないで.........

森林公園内の散策開始です。


数日前に関東地方は梅雨入りしたはずなのに
この日は晴天。うっすら汗ばむ陽気です。

森林の木漏れ陽も春の陽射しとは、ちょっぴり違うようです。


      20130601歩崎森林公園26



こちらは芝生広場


      20130601歩崎森林公園25



木製のこんな遊具が設けられています。


      20130601歩崎森林公園24



広場の脇を人工の川が流れ、橋が架かっていたりして
それなりの雰囲気を醸し出しています。


      20130601歩崎森林公園23


      20130601歩崎森林公園22



森林公園だから、いわゆる起伏のある丘陵(山)を利用して
アップダウンのある周遊路が設けられています。


      20130601歩崎森林公園21




高台には大きな(長い)滑り台が......


      20130601歩崎森林公園20


      20130601歩崎森林公園19


どうやら50mある滑り台のようです。


      20130601歩崎森林公園18



滑り台に行きたがる びいすけ


      20130601歩崎森林公園17


危ないから 「ダメ~!!」って言いながら
周りを確認。

今日は月曜日。平日です。
平日の昼間。
こんなところに遊びに来る人は殆んどいない........


いい年して、 びいすけ を抱えて50mの滑り台を滑っちゃいました。
お尻が痛かったぁ(笑)


      20130601歩崎森林公園16





こんな虎口みたいな切り通しがあって、
「ここは城址か?」と思って切り通しを抜け、畑を超えると
目の前はこんな風景が........


      20130601歩崎森林公園15


      20130601歩崎森林公園14


「え? 天守閣? こんなところに城址ってあったっけ? 」


近寄ってみると

かすみがうら市立郷土資料館 でした。
あいにく月曜日が休館日のため、内には入れませんでしたが
擬似天守閣には、ちょっぴり驚かされました。
おまけにしっかりとした城門まであるし.......(笑)


      20130601歩崎森林公園31


      20130601歩崎森林公園30


      20130601歩崎森林公園29





森林公園の近くに 歩崎観音 や 展望台 や 記念碑 があるということで
散策ついでに足を伸ばしてみることにしました。



こちらが 歩崎観音

歩崎観音とは通称で、正式には 長禅寺 と言うらしい。


      20130601歩崎森林公園13



境内にはいろいろな記念碑が建っています。

こちらが 「米」記念碑


映画「米」ロケ地撮影記念碑で、
1957年に製作された東映映画(今井正監督)で、
霞ヶ浦周辺の貧農生活をリアリズムに描いた作品のようです。


      20130601歩崎森林公園12



茨城県の景勝地ではお馴染み
茨城百景の石柱

どうやら 歩崎の眺望 として、この地域が選ばれているようです


      20130601歩崎森林公園11



また、こんな説明看板も建っています


      20130601歩崎森林公園10


      20130601歩崎森林公園09


説明看板によると、ここ 歩崎 は

茨城県指定の文化財の第1号でもあり、
「名勝 歩崎(あゆみざき)」として選定されているようです。
展望台からは、行方台地、天王崎、鹿島の森、浮島や稲敷台地まで一望できるそうです。




説明看板の少し奥に、その展望台があります。


      20130601歩崎森林公園08



確かに、展望台からの眺望は抜群です。


      20130601歩崎森林公園07


      20130601歩崎森林公園06


展望台の眼下には、歩崎公園が見えます。


この展望台は、歩崎公園の施設の一部のようです。


      20130601歩崎森林公園05




展望台から振り返った風景

歩崎観音の境内が、こじんまりとまとまっているのが判ります。


      20130601歩崎森林公園04


歩崎観音の周辺は城址の雰囲気が溢れ
個人的には気に入ってしまいました。

ちょうど、歩崎観音から歩崎公園へと下っていく道ですが
古道と言うか、かつての参道であったのか?
土塁や虎口のように見えたりして.........

自宅に戻ってきてから、思わずネットでいろいろ調べてしまいました。


      20130601歩崎森林公園03



特に、この切通しには思わず感動モノでした。


     20130601歩崎森林公園02


      20130601歩崎森林公園01



今まで知らなかったモノに出会えた喜び。

そういった感情がこの 歩崎 の地にはありました。


歩崎。

個人的にはとても気に入った場所となりました................。



 
 
 


2013/06/18 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: 0edit

丸ポストを探して..........茨城・かすみがうら編              (2013年6月3日)(茨城県かすみがうら市) 

6月3日 公休日


茨城県内に84基現存すると言われる現役の丸ポスト。(2013年4月19日現在)


かすみがうら市には1基のみ現存するということで
丸ポストを探しに出かけてみました。


かすみがうら市って........?
馴染みが薄いようですが、平成の大合併で
平成17年(2005年)、新治郡霞ヶ浦町と千代田町が合併して出来た市です。


という訳で、現存する丸ポストは旧霞ヶ浦町の田伏地区。
田伏郵便局前の丸ポスト


      20130603かすみがうら丸ポスト01


      20130603かすみがうら丸ポスト02


      20130603かすみがうら丸ポスト03


      20130603かすみがうら丸ポスト04



これでかすみがうら市の丸ポストも制覇




茨城県には84基の丸ポストが現役で現存していると言われています
(2013年4月19日現在)


これまでに

桜川市(真壁)    2基
石岡市        4基
稲敷市        2基
土浦市        6基
龍ヶ崎市       8基

そして、本日、かすみがうら市1基制覇いたしました。
合計23基制覇した事になります。

茨城県内の丸ポスト、あと61基。

完全制覇目指して頑張っちゃおうかな......?(笑)





2013/06/17 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: 0edit

長山城址 (2013年6月3日)(茨城県潮来市) 

6月3日 公休日

個人的な3連休の最終日。


この日は朝から茨城県の霞ヶ浦周辺に出かけた。

国道51号線をひた走り、香取市を抜け、
潮来市から国道365線を走りかすみがうら市を目指していた。

潮来市に差し掛かった頃、
どこか適当な公園はないか?
びいすけ と私の おしっこ のできる場所を探していた。

ハンドルを握る私の目の前に

「→ かすみの郷公園」という看板が目に入った。

当然、右折。
かすみの郷公園に立ち寄ることにしました


      20130603長山城址02



トイレに立ち寄り、 びいすけ もおしっこを済ませ
公園を眺めると、グランド以外にこれといったものはない。
どうやら運動公園のようなので、早々に撤収することにした。

公園を出て、反対側の台地の中腹に何やら説明看板らしきものがある。

こうなると気になる性分。

看板を覗きに行くと..........

なんとこの辺りは長山城址ということである。


      20130603長山城址16


ラッキー!!
偶然にして城址にたどり着いてしまったようです。


慌てて、スマホで縄張り図を確認。
長山城址の散策となりました。


      20130603長山城址15


      20130603長山城址17



まずは城址をぐるっと1周します。
(って言うか、登城口がわからず、結果的に1周する羽目に.......)

長山城址遠景


      20130603長山城址14



かつては、この辺りは水堀の跡。
現在は水田となっています。

左側の台地が城址となります。


      20130603長山城址13



さきほどの、かすみの郷公園のグランドは
長山城址の三郭にあたるようです。


      20130603長山城址12


公園整備時に造られた道路によって
長山城址は分断されてしまったようです。

道路の右側が二郭、主郭部分にあたり
道路の左側が三郭にあたります。


      20130603長山城址01



やっと見つけた登城路
堀切から城内へと入っていきます。


      20130603長山城址08


とにかく、この堀切がすごい。

大堀切と言ったほうが適切かもしれません。


      20130603長山城址11



二郭から見下ろす 大堀切

画像ではそのスケールが伝わるのだろうか....?


      20130603長山城址10


      20130603長山城址09


大堀切を主郭方面へと向かいますが
行く手を倒木が遮ります。 


      20130603長山城址07




主郭虎口


      20130603長山城址06



残念ながら主郭は一面の破状態

主郭への侵入は断念です。



主郭から見下ろす堀切? 空堀?


      20130603長山城址05


      20130603長山城址03



この先が本来の登城路のようだが、とにかく藪状態がすごい。
反対側から登ってくれば坂虎口が確認できるようですが......諦めました。


      20130603長山城址04


自宅に帰ってきてから、この長山城についてネットで調べてみた。



長山城は、鎌倉時代中期に常陸平氏大掾氏の庶流・行方氏の小高幹平の次子・知幹が
築城し、小高知幹は長山氏を名乗った。
7代宗幹の時、上杉禅秀の乱(応永23(1416)年)では、
本宗家・大掾満幹に従って戦功をたて、
しだいにその勢力を増してきた。
大永2(1522)年10代幹綱の時、同族の嶋崎安国に攻められ長山城は落城した。
その時に幹綱の子、政幹は佐竹義篤のもとに逃れ、その保護を受けた。
嶋崎氏が長山領との境の川を夜渡り、長山城を攻めたことから、
この川を「夜越(よろこし)川」と呼ぶようになったと言われています。
 




偶然見つけた長山城址
事前の下調べも全くなく、行き当たりばったり状態の登城でしたが
大堀切等の城郭遺構もしっかり残っていて見ごたえは十分。

ただ、この時期なので、下草が多いのなんの.......。
下草の枯れている冬場に来たら、また違った印象を受けるかもしれない。

牛堀町時代に町指定史跡にされ管理されてきた長山城址。
2001年(平成13年)に牛堀町が潮来市に編入されたけれど
この長山城址は潮来市の指定文化財とされていない。

こういう合併って有りなんだろうか?

おそらく、これ以上きちんと管理されていくことはないだろう..........。


下草の枯れた頃、冬の時期にでも
また訪れてみたいと思っています。




 



 
 
 
 
 
2013/06/17 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: 0edit

フィラリア対策  (2013年6月2日) 

6月2日  公休日


先月、八王子の実家近くの病院でフィラリア検査を行いました
その時に一緒に採血した血液検査の結果が届き
ALTの数値が若干低い(検査結果12、標準参考値18~93)
異常は無しとの診断でホッとしている びいすけ父さん です。


毎月1日はフィラリア予防の投薬の日と決めてはいたものの
前日にうっかり忘れ、この日の投薬となりました。


今年もチュアブルタイプのこの薬のお世話になります。


      20130602フィラリア対策01


      20130602フィラリア対策02



この日の晩ごはんは、トッピングなし。


      20130602フィラリア対策03



フィラリア予防薬がトッピング(笑)


      20130602フィラリア対策04




「待て!」だよ~


      20130602フィラリア対策05



「よ~し!!」


ごはんに飛びつく びいすけ


      20130602フィラリア対策06



美味しそうに食べる びいすけ


      20130602フィラリア対策07



以前に比べ、食べるスピードが遅くなったというか
以前は飲み込むように食べていたのが
最近はカリ、カリッと音を立て
食感を楽しむかのように食べています。


      20130602フィラリア対策08


      20130602フィラリア対策09


      20130602フィラリア対策10



ごはんも薬も完食。

これでとりあえず1ヶ月間は、フィラリア予防ができそうです。



 
 
 
2013/06/16 Sun. 12:00 | trackback: -- | 本文: 0edit

北総花の丘公園ドッグラン  (2013年6月2日)(千葉県印西市) 

6月2日 公休日

3連休2日目。


この日は天気予報では午後から雨が降るということだった。


午後から雨が降るんだったら、遠出は出来ないし
近場で無難に遊ぶんだったら...................

と、向かった先は 北総花の丘公園ドッグラン。


雨が降ってきたら、すぐ帰ればいいや
そんな考えで、10時過ぎにドッグランに到着。


この日は日曜日。
同じ考えの方も多いようで
ドッグランに到着すると、既に数頭のワンちゃん達が遊んでいた。


      20130602北総17



4月14日以来の久しぶりの北総のドッグラン。
いつの間にか、こんなお山も出来ていました。


      20130602北総06





いつものように、まずはランの臭いの確認に余念がない びいすけ


      20130602北総21



この日は同犬種のビーグルは残念ながらいませんでした。
もっとも、なかなか北総のドッグランでビーグルに会うことはありませんが......

誰かお気に入りのワンコでも探しているのか?


      20130602北総24


珍しく、自分から近寄って匂いの確認に行ったりします。


      20130602北総25

この子は違うようです


この子?


      20130602北総20


      20130602北総19

この子も違うようです(笑)




今日は何頭か気になる子がいるようです。


ラン内を徘徊する びいすけ


      20130602北総14


      20130602北総13


      20130602北総10


      20130602北総23



気になる子を見つけては近寄っていきます。


      20130602北総18


      20130602北総12


      20130602北総11




この子とは、ちょっぴり遊んだりして......


       20130602北総22


       20130602北総15


       20130602北総16




中でも、一番気になったのはこの子のようです。


スタンダードプードルとゴールデンのMIXの女の子
確か、名前は ビビちゃん って言っていたような.......
(間違っていたらごめんなさい)

実は今日出会うのは2回目。
前回も気にはなっていたようですが、遊びの輪に入っていけない びいすけ
前回は気にはなるものの、遠巻きに見ているだけでした。


      20130602北総05


      20130602北総04


      20130602北総03


      20130602北総02


      20130602北総01









ひとしきりドッグランで遊んだから
どうやら疲れてしまったようです。


      20130602北総09


      20130602北総08


      20130602北総07



いつ降り出すか? 
曇り空を気にしておりました。

一瞬、冷たいものがポツリポツリと落ちてきましたが
気がつけば、太陽も顔を覗かせ
うっすら額に汗が浮かんでくる状態。

なんだかんだと2時間近く
気がついたら腕時計の針は12時近くを指しておりました。


どうやら、 びいすけ も満足してくれたようです....?

って言うか、満足してくれたと私は信じたい..........(笑)


 
 
 
 
2013/06/16 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: 0edit