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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

大多喜城址 (2013年4月22日)(千葉県夷隅郡大多喜町) 

4月22日 公休日



大多喜町に丸ポストを探しに行ったついでに
大多喜城址に立ち寄ってみました。

って言うか、本来の目的はこちらの方が主でしたが......


大多喜城は


大永元年(1521年)に真里谷信清が「小田喜城」として築いたのがはじまりとされる。
以前は小田喜城は同町内の根古谷城のことであり、
今日の大多喜城は徳川家康によって大多喜の地を支配した本多忠勝が
築城したものと考えられてきたが、近年の発掘によって現在の城の地下に
大規模な城の遺構が遺されていることが明らかとされて、
小田喜城と大多喜城とが完全に重なる訳ではない

(戦国期には裏山である栗山が城の一部に使われていたが、
江戸期には栗山は除かれてやや麓側に縄張りが移動されている)ものの、
現在では信清の小田喜城を元にして後の大多喜城が築かれたものと考えられている。

天文13年(1544年)に、里見氏の武将正木時茂によって真里谷氏は城を奪われて、
以後時茂・信茂・憲時の3代に渡って正木氏が支配して、上総国東部支配の拠点とされた。
だが、天正9年(1581年)に里見義頼との内紛によって憲時が殺害されると、
同城には里見氏の代官が派遣されたという。

天正18年(1590年)、里見氏が惣無事令違反を理由に上総国を没収されると、
同国は徳川家康に与えられ、その配下の勇将・本多忠勝が城主となり、
大多喜藩10万石が成立した。
忠勝は里見氏の北上を防止するために突貫工事を行い、
3層4階の天守を持つ近世城郭へと大改築を行い、ふもとに城下町の建設を行った。
これが今日の大多喜城である。


                               (wikipedia より抜粋)



ちなみに、家康の有能な家臣である本多忠勝をNHK大河ドラマに!
そんな町興しの盛り上がりが、今、大多喜町では起きているようです。


さぁ、大多喜城の攻略です



まずは、大多喜城址の石碑の前で記念写真(笑)


      20130422大多喜城址01



こちらは大多喜水道跡。
最後の大多喜藩主・松平正質の時代に作られました

大多喜町の飲料水が悪いため大多喜城下柳原地区の商家で
大地主の小高半左衛門が明治2年(1869年)に作った水道です。
現在の水道ができるまで約80年間利用された千葉県最古の水道らしい。


      20130422大多喜城址02




大多喜城の縄張り図


      20130422大多喜城址03



上の丸下の空堀


      20130422大多喜城址04



この階段を上れば上の丸


      20130422大多喜城址05


      20130422大多喜城址06



びいすけ も上の丸が気になるのでしょうか?


      20130422大多喜城址07




上の丸


      20130422大多喜城址08



大きな梵鐘もあります


      20130422大多喜城址09



こちらは、二の丸の堀切


      20130422大多喜城址10



こちらは、二の丸跡
現在は小さな公園となっています


      20130422大多喜城址11




さて、いよいよ本丸に突入です

本丸の復刻土塀


      20130422大多喜城址12



こちらは復刻天守閣

3層の復刻天守閣


      20130422大多喜城址13



本丸跡地に建つ城址碑


      20130422大多喜城址14



わずかに土塁も残っています


      20130422大多喜城址15



復刻天守閣
実は 県立中央博物館大多喜城分館

〔房総の城と城下町〕をテーマに刀や鎧、衣装等を展示しています

200円で中に入れますが、当然ワンコはNG
中の見学は諦めました。


      20130422大多喜城址16



復刻天守閣には2種類の家紋の入った瓦が用いられています

 
      20130422大多喜城址17



一つは 本多家 の家紋    「丸に立葵」
もう一つは 松平家 の家紋  「三つ扇」 


こちらが 松平家 の三つ扇 


      20130422大多喜城址18



本丸から三の丸跡地になる大多喜高校へ下っていきます

土塁がしっかりと残っています


      20130422大多喜城址19


      20130422大多喜城址20




大多喜高校敷地内(駐車場)にある大井戸


      20130422大多喜城址21


こちらは大多喜高校入口にある薬医門
大多喜城の唯一の現存建築物です

明治の廃藩置県で一度、民間に払い下げ(売却)されたものが
この場所に移築されたものです


      20130422大多喜城址22


      20130422大多喜城址23



薬医門の説明看板


      20130422大多喜城址24



薬医門近くには見事な土塁も残されています


      20130422大多喜城址25



三の丸、二の、本丸のある台地をぐるっと散策してみます

天然の外堀となる夷隅川

 
大多喜城の本丸下を流れるこの川は、
城主が江戸時代に魚を獲ることを禁止したので御禁止川(おとめがわ)と呼ばれた。
城主が参勤交代で江戸に召される際には、御禁止川の「むらさき鯉」を檜のたらいに入れて、
生きたまま将軍家に献上したと言われています。


      20130422大多喜城址26








大多喜城については諸説ありますが
ここまで散策してきた城郭は本多忠勝によって築城された
近世の大多喜城に当たると言われています。

正木氏領地時代の中世の大多喜城(小多喜城)は
隣接する栗山に城郭遺構が多く残されていることから
栗山が中世の大多喜城址(小多喜城址)とする説もあるようです

大多喜城の無料駐車場の奥に栗山へと続くハイキングコースが有り
栗山を散策してみました。



      20130422大多喜城址27


      20130422大多喜城址28



城郭遺構の堀切
確かに城郭跡の形跡はしっかりと残されています


      20130422大多喜城址29



こちらも立派な堀切


      20130422大多喜城址30



尾根沿いの明らかに人の手の入った削平地
おそらく、曲輪跡でしょう。

野鳥観察小屋が建っていました


      20130422大多喜城址31



野鳥観察小屋の脇の土塁


      20130422大多喜城址32




写真では見づらいですが......

木橋

現在修復中のようですが、しっかりと横堀も残されています


      20130422大多喜城址33


栗山も広く、すべてを回るのは時間的に無理があるので
このあたりで断念。


再び、近世の大多喜城の外郭を巡ります





こちらは復刻大手門


      20130422大多喜城址35


実はこの大手門
おそらく観光用に大多喜駅前にあるのですが
本来の大手門の位置ではありません(笑)

説明看板にもこの地ではないことが明記されています


      20130422大多喜城址34



本来の大手門跡は線路を挟んで駅の真裏

この先が大手門跡


      20130422大多喜城址36


こちらが大手門跡

      20130422大多喜城址37


      20130422大多喜城址38


大手門の奥、5郭にあたる郭には八幡神社が鎮座しています


      20130422大多喜城址39


      20130422大多喜城址40




近世・大多喜城の大手口
しっかりと横矢がかかっていて、いかにも登城路っていう感じですね。


      20130422大多喜城址41



兼ねてから訪れたいと思っていた大多喜城址
やっと訪れることができました

徳川四天王の一人、本多忠勝によって繁栄の礎を築いた城下町・大多喜
今回はじっくりと小江戸風情を残す町並みを散策できなかったけれど
またいつの日か、時間をじっくりかけて訪れてみたいものです

願わくば、ここ大多喜を舞台にした本多忠勝のNHK大河ドラマが
企画・制作され、放映されること期待しています.............。



 
 
 

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2013/05/01 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: 0edit