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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

丸ポストを探して.............茨城・石岡編                   (2013年2月23日)(茨城県石岡市) 

2月23日 公休日


今年になってからハマっている丸ポスト探し


茨城県には84基の丸ポストが現存していると言われています


石岡市には4基の丸ポストが現存していると言われています。


せっかく石岡市に来ているのだから
石岡市の丸ポストも制覇しちゃいましょう!!


っていうことで石岡市の丸ポスト探しです。


まずは1基目

  石岡市の北の外れ(実は遠かったぁ.....)
  旧八郷町の大増地区にある大増郵便局の前の丸ポスト



      20130223石岡丸ポスト04


      20130223石岡丸ポスト05


      20130223石岡丸ポスト06


この郵便局、いや、もとい、丸ポストの正面にある山は
それらしい雰囲気を出していて、城址の雰囲気満載。
食指を伸ばしたくなりますが、
時間がないのと、資料もないので断念

自宅に帰ってから調べてみたら、大増城址らしい。

いつの日か攻略しちゃいましょう





続いて2基目

 こちらも旧八郷町の恋瀬小学校正面の大見屋商店前の丸ポスト


      20130223石岡丸ポスト07


      20130223石岡丸ポスト08


      20130223石岡丸ポスト09




さらには3基目


  これまた旧八郷町園部地区にある園部郵便局前の丸ポスト


      20130223石岡丸ポスト10


      20130223石岡丸ポスト11


      20130223石岡丸ポスト12




最後の4基目


これまた旧八郷町の東成井地区、永井製菓前の丸ポスト


      20130223石岡丸ポスト13


      20130223石岡丸ポスト14


      20130223石岡丸ポスト15




これで石岡市の4基の丸ポスト全て制覇。

よくよく見ると、いずれも旧八郷町時代の遺産では.....?
旧石岡市には1基もないじゃん(笑)


平成の大合併で八郷町はなくなってしまったけれど
しっかりと丸ポストは残してくれたようです..........





こちらはおまけ



柿岡城址である柿岡小学校の校庭に置かれていた丸ポスト。

残念ながら現役ではなく、飾り物のようですが
しっかりと子供たちに昭和の歴史を残してくれているようです。



      20130223石岡丸ポスト03


      20130223石岡丸ポスト01


      20130223石岡丸ポスト02

 
 
 
 
 
 
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2013/03/09 Sat. 12:00 | trackback: -- | 本文: 0edit

柿岡城址  (2013年2月23日)(茨城県石岡市) 

2月23日 公休日


真壁の町をあとにして向かった先は
峠を走り抜け、ひと山(加波山を)超えた先の石岡市


石岡市にある柿岡城址に行ってきました。


柿岡城とは

  建久3年(1192年)柿岡時知(時家とも言われています)によって築かれました。
  源頼朝が鎌倉に幕府を開いた時期にあたり
  常陸国守護・八田知家の十男・小田時知がこの地に住んで、
  柿岡氏を名乗ったことに始まります。

  戦国時代末期には柿岡氏は衰退し
  武蔵国岩槻城主・太田資正の次男・梶原政景の居城となりましたが、
  永禄12(1569年)に佐竹氏は小田氏治の小田城を攻め落とし、
  梶原政景が小田城へ移った為、真壁房幹が城主となりました。

  その真壁氏も文禄4年(1595年)に大島城へ移り、
  長倉城主・長倉義興が城主となるが慶長5年(1600年)に長倉義興が没すると
  国分盛重が城主となります。
  しかし、慶長7年(1602年)佐竹義宣は出羽国久保田に転封となり、
  国分氏も出羽へ移りました。

  慶長19年(1614年)立花宗茂の弟直次が五千石で入封しますが
  元和7年(1621年)種次の時、筑後国三池に転封します。
  さらには、元和9年(1623年)稲葉正勝が五千石で入封しますが
  寛永9年(1632年)相模国小田原に転封し、その後は天領となりました。


そんな歴史を歩んできた柿岡城ですが
現在はその城址のほとんど、が石岡市立柿岡小学校となっています。
そのため、遺構の多くは無くなってしまったと言われています。


廃城の多くがいろんな形で転用されていることが多いのですが
神社・仏閣の場合なら、さほど問題はない(こともないけれど.......)
学校関係に転用されてしまっていると、なかなか見学も容易ではありません。

今日みたいに学校が休日の日を狙っていかないと(笑)

もっとも、最近の学校は警備関係もうるさくなって
休日だと門が閉まっていて中に入れないって言う音も多いですが........


それなりの地方都市に行けば、学校の校庭が開放(?)されていることもあるので
ほんの少し気が楽ですが、やはり犬連れでは気が張ります(笑)




こちらが柿岡小学校の入口


      20130223柿岡城址01


      20130223柿岡城址03



坂を上って敷地内に入るとすぐに
城址の石碑と説明版があります。


      20130223柿岡城址02



小学校周辺が城址にあたるため、周辺を散策します。


小学校の裏手というか、隣接するシルバー人材センター入口。
向かって右手方向に善慶寺があり土塁が善慶寺に向かって残っています。


      20130223柿岡城址04


      20130223柿岡城址05


      20130223柿岡城址06



こちらは柿岡小学校の校庭奥の土手
いかにも城塁っていう感じがします。


      20130223柿岡城址07


小学校の建つ台地周辺には古くからの民家も多く
きっと由緒ある家なんでしょう。

長屋門も立派です。

      20130223柿岡城址08


      20130223柿岡城址09



校庭の脇から稲荷神社への参道口があります。
右手の高台が柿岡小学校の校庭です。


      20130223柿岡城址10


参道を上っていくと、いつの間にか校庭に入ってしまいます。
体育館の脇を通り、体育館の裏手にある稲荷神社。

このあたりが主郭跡と言われているようです。


      20130223柿岡城址11



稲荷神社の脇にあるプールの奥にある土塁。


      20130223柿岡城址12



土塁に登って、奥まで歩いていくと、空堀が現れます。 


      20130223柿岡城址13


      20130223柿岡城址14



小学校周辺には。シルバー人材センター、やさと中央保育園があり
かつては中学校や八郷町役場の支所(?建っていたりと
この周辺は、かなり建替え等の工事もあり、遺構の多くが破壊されたと言われています。
期待はしていなかったのですが、残されていた遺構を見ることもでき
ちょっぴり得した気分です。


今はこの柿岡城址のある場所は石岡市となっていますが
2005年(平成17年)10月1日 新治郡八郷町と対等合併して、石岡市となる。
すなわち、以前は八郷町で、その八郷町時代に町の文化財に指定されています。
しかしながら、石岡市となった現在、
石岡市の文化財としては指定されていないようです。

対等合併と言いながらも、旧八郷町の指定文化財って言うのは
どこかに忘れ去られているような気がします。


平成の大合併で多くの市町村が吸収されたり、対等合併と言う名のもとに
その歴史を終え、旧市町村名が消滅しました。

市や町の名前は無くなったり、変わったりしても
文化財は無くなったりしないものだと思っています。


願わくば、このままの形で後世に残していただきたいものです...........






 
 
 

2013/03/09 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: 0edit