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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

小見川陣屋跡   (2013年2月10日)(千葉県香取市) 

2月10日 公休日



小見川城址を出たあとに、向かった先は.......


小見川陣屋跡


小見川陣屋跡は安房・里見氏の家臣・正木時忠が、
粟飯原氏の居城、小見川城を攻めるときに
この地に築造したものが始めと言われています。

江戸時代になると、1724年、内田正親がここに陣屋を置いたという。
内田氏は1万石の所領であり、内田藩として明治になって廃藩置県が行われるまで
13代に渡って陣屋支配が続いたと言われています。


そもそも 陣屋 とは.........


陣屋とは、元々は平安時代に宮中警護をする衛士の詰所のことであった。
これに由来し、現代において旅館・温泉の名称に「陣屋」を使用するものもある
(例として鶴巻温泉の元湯・陣屋など)。
鎌倉時代には合戦における兵士の臨時軍営を陣屋と呼んだ。
また、地頭の役所を陣屋とも呼んでいた。
近世には民政上の拠点を指す意味が強くなり、
幕藩体制における政庁兼居所・蔵を意味する言葉となった。

一般的に3万石以下の城を持たない大名が陣屋を持った、
また上級旗本も知行地に陣屋を構えた。
さらに大藩の家老の所領地である知行所の政庁が置かれた屋敷も含まれる。
飛地を所領に持つ大名が、現地の出張所として陣屋を設置することもあった。
また、箱館奉行所や長崎奉行所なども陣屋として扱われることがある。
さらには幕府直轄領地である支配所に置かれた代官所を含む場合もある。

陣屋に藩庁を置く大名のことを無城大名あるいは陣屋大名と呼んだ。
無城大名が城主格大名へ昇格した場合、国許の陣屋を城[1]に転換することは許されず、
実際には城門の構築を許されるのみであった。

                             (Wikipediaより抜粋)





実は、この小見川陣屋跡は小見川中央小学校の敷地内にあります。
敷地内といっても校庭のど真ん中で.........


私が育ったのは愛知県の知立市。
通ったのは来迎寺小学校。
時代の違いはあるけれど、当時の来迎寺小学校にはフェンスなるものがありませんでした。
誰でも自由に入れ、休日には近隣の子供達は小学校の敷地内のブランコや
滑り台で遊んでいたものでした。

あの顔からかなりの年月ガ経ち、おかしな人間も増え
最近の小学校は勝手に出入りすることができなくなりました。

ここは大人の対応で........

休日だから無理かなと思っていたら
たまたま、体育館でPTAの催し物が開催されていて
終了した頃に関係者に声をかけて、中に入ることをOKしてもらいました。



      20130211小見川陣屋01


      20130211小見川陣屋02


      20130211小見川陣屋03


こんな感じで、石碑・標柱はグランドのど真ん中に建っています。
残念ながら、土塁等の遺構は全く残されていません。



石碑の前からの校舎風景。


      20130211小見川陣屋04




校舎前には説明版が建っています。


      20130211小見川陣屋05


      20130211小見川陣屋06


      20130211小見川陣屋07


      20130211小見川陣屋08


      20130211小見川陣屋09





校舎前(説明版前)から見た石碑の風景。


やっぱり、校庭のど真ん中にあるのって異様な風景です(笑)


      20130211小見川陣屋10



でも、こういう史跡を見ながら学び、育っていく環境って
ある意味羨ましい........

古きを学び、新しきを知る
そんな聡明な人間に育っていって欲しいなぁ。

小見川中央小学校の生徒諸君!!
多いに学びなさいね(笑)




   


 



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2013/02/27 Wed. 20:37 | trackback: -- | 本文: 0edit

小見川城址 <小見川城山公園>                      (2013年2月10日)(千葉県香取市) 

2月10日 公休日


佐原の町で ちょび家 と別れたあとに向かった先は


小見川城址



小見川へ向かう、県道259線沿いに走るJR成田線。
景観の良い沿線には人がいっぱい。
いずれも蒸気機関車(SL)が目的の 撮り鉄くん たちみたいです。
もう少しすれば、この沿線沿いを蒸気機関車が走るようです。



小見川城址は現在、『城山公園』として整備されています。

駐車場に車を停め、城址を散策です。


      20130211小見川城址26


      20130211小見川城址01



二郭への登城口


      20130211小見川城址11


こちらが二郭。

さすがに城山公園として整備されているから
広い芝生広場となっています。


      20130211小見川城址03


      20130211小見川城址04


二郭から見た、小見川市街地の遠景


      20130211小見川城址02


2006年3月27日に近隣の市町村(佐原市、小見川町、山田町、栗源町)が合併して
現在の香取市が成立しました。
それ以前は、千葉県香取郡小見川町。

さらに歴史を遡れば...........

鎌倉時代には千葉氏の勢力下に有り、
その一族である粟飯原朝秀がこの地に城を築きました。
それが小見川城です。

戦国期に入ると安房・里見氏による下総侵攻が始まり、
里見氏家臣・正木時忠によって小見川城も攻撃を受けました。

1590年、秀吉の小田原攻めの際、
千葉氏と共に織田原北条側についた粟飯原氏。
秀吉軍の攻撃を受け、小見川城は落城しました。
徳川家康が天下を取ると、松平家忠が居城としたが、
結局、慶長六年(1601年)に廃城となったと言われています。





しばらくすると..........


『ポォ~、ポォ~』と遠くから汽笛の音。
どうやら蒸気機関車が近づいているようです。

急いで高台を探します。

二郭の奥に物見台があったので、急いで移動。


      20130211小見川城址05


この竹やぶの下を蒸気機関車が走っていますが
視界が悪くて蒸気機関車は見えません。


      20130211小見川城址06


かろうじて、灰色の煙だけが見えます。


      20130211小見川城址07


      20130211小見川城址08


木々の間を蒸気機関車が走り去っていきますが
写真では上手く写っていませんねぇ。

せっかくのシャッターチャンスを逃してしまったようです。


      20130211小見川城址09






物見台から見た、二郭の土塁


      20130211小見川城址10


 

二郭から主郭への土橋。
植垣でよく見えませんが、土橋の脇には深い空堀があります。


      20130211小見川城址12



これが、その空堀。


      20130211小見川城址13




主郭の石碑の前にて


      20130211小見川城址14



主郭は狭い

って言うか、主郭の多くの部分が浄水場として掘削されてしまい
現在残されているのは、ほんの一部。

城山公園としてかろうじて残されています。
 

      20130211小見川城址15




その残されているわずかな遺構である、土塁。


      20130211小見川城址16


      20130211小見川城址17




二郭と主郭の間にある空堀に降りてみました。

この位置からだと土橋もはっきり見えます。


      20130211小見川城址18



主郭下の腰曲輪。


      20130211小見川城址19


      20130211小見川城址20

この腰曲輪は、浄水場の脇を奥まで伸びていますが
竹やぶが進行を妨げ、攻略断念。





さきほど登った物見台。


      20130211小見川城址21





二郭から切り通しの道を挟んだ高台
こちらも以前の城郭の一部だと思いますが
公園化の整備でかなり弄られているようです。


城山公園整備の記念碑。


      20130211小見川城址22


この高台には天満宮があります。
ひょっとしたら往時は、このあたりが三郭だったのでしょうか.....?


      20130211小見川城址23


      20130211小見川城址24


      20130211小見川城址25



小見川城址の裏には小見川高校もあり、
おそらく小見川高校の敷地も城郭の一部だったと思われます。

せっかく城山公園という名前までついて
後世に残そうとされていますが浄水場、そして小見川高校と
城郭の一部を開発されてからでは、ちょっと遅かったかな?

小見川町時代に文化財として保存されることになった小見川城址。
香取市となった現在、このままの形で残されていくことを期待しています..........。



 
 
 
 
 



2013/02/27 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: 0edit