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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

麻賀多神社 <佐倉市鏑木町> (2013年1月27日)(千葉県佐倉市) 

1月27日 公休日




海隣寺を出たあとに向かったのは
当初の目的地、麻賀多神社 <佐倉 鏑木町>です。



鳥居前にて


      20130127麻賀多神社 鏑木01


      20130127麻賀多神社 鏑木02




鳥居に掲げられている神額

しっかりと 麻賀多神社 と記されています。


      20130127麻賀多神社 鏑木05




ここは佐倉城址公園(佐倉城)の近くにあり、
佐倉城址公園に散歩に行くときに立ち寄ったりしています。


佐倉七福神の 福禄寿 と 恵比寿 のある場所で
実は、元旦の日にも七福神巡りで立ち寄った所です。


先程も触れましたが......
佐倉城に近いということもあって、
って言うか、佐倉城の大手門のすぐ近くにあったため
歴代の佐倉城主(佐倉藩主)の城地鎮護・佐倉藩総鎮守の神として崇敬され
古くから地元の人々から「まかたさま」と親しまれ、崇敬されてきたお社です。


毎年秋(10月第二金・土・日)に開催される 佐倉秋祭り は
大神輿がこの麻賀多神社から繰り出されます。

佐倉市民である私も毎年この祭りは楽しみにしています。

そんないきさつもあって、この麻賀多神社だけは別格な思いがあります。


そもそも、麻賀多神社の総社はこの鏑木町の麻賀多神社だと思っていました。










麻賀多神社の御由緒が書かれた説明版


      20130127麻賀多神社 鏑木03




拝殿前にて


      20130127麻賀多神社 鏑木04




拝殿の神額

    
      20130127麻賀多神社 鏑木06



こちらが本殿


      20130127麻賀多神社 鏑木07




本殿脇の御神木

樹齢800年の大銀杏です。


      20130127麻賀多神社 鏑木08



こちらは神紋

三つ巴 と 麻


      20130127麻賀多神社 鏑木09



千葉県は古来、麻の産地であり「総国・ふさのくに」の総は麻を表しております。
その中にある印旛地方は下総国成立以前は印旛国であり、
朝廷より国造(くにのみやつこ)が派遣されておりました。
その国造に多一族の伊都許利命が就任してたとの記録が先代舊事本紀に記載されております。
その国造が代々祀ってきたのが当社であり、
「麻の国で多氏が賀す神の社」と訓読みすることが出来ます。
鎮座地の「佐倉 」という地名も「麻の倉」が転じてと言われており、
佐倉地方が古代物流の中心的地位を占めていたことが判ります。


            (麻賀多神社 佐倉・鏑木町のHPより抜粋)


神紋に麻が使われているのは、そのような理由によるもののようです。






      20130127麻賀多神社 鏑木10



<成田・台方>、<成田・船形>、<佐倉・岩名>、そしてここ鏑木町と
4つの麻賀多神社を見てきたけれど、
地元ということもあるし、佐倉祭りの発祥の地でもあるし
贔屓目に見ちゃうかもしれないけれど、
ここ<佐倉・鏑木町>の麻賀多神社が一番立派に見えてしまうのは
私だけなのだろうか..........?


 
 
 
 
 
 
 
2013/02/10 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: 0edit

海隣寺 (2013年1月27日)(千葉県佐倉市) 

1月27日 公休日



岩名の麻賀多神社に散歩に行って
そのまま帰るの芸がないから、散歩の延長。

鏑木町の麻賀多神社に向かう途中
市役所の隣に千葉氏ゆかりの海隣寺があると聞き
立ち寄ってみることにしました。


岩名の麻賀多神社から市役所方面に歩いている途中
長屋門のある民家を発見。


      20130127海隣寺01


長屋門は、日本列島の伝統的な門形式の一つで
近世諸大名の武家屋敷門として発生した形式で、江戸時代に多く建てられました。
諸大名は、自分の屋敷の周囲に、家臣などのための長屋を建て住まわせていたが、
その一部に門を開いて、一棟とした物が長屋門の始まりです。
また郷村武士の家格をもつ家や、
苗字帯刀を許された富裕な農家・庄屋でも長屋門は作られた。
更に明治以後は他の富農の家屋敷にも作られるようになった。

司馬遼太郎の随筆によれば、江戸時代の格式としては
冠木門(サの字門)よりも上であり、
献金など多大な貢献を受けた場合にのみ民間には許されたという。

すなわち、長屋門のある家って、それなりの由緒ある家か、
多大な献金ができる裕福な家って言う事で
羨ましい限りです.......


どうやら、佐倉市の岩名地区には長屋門のある民家が多いそうです。






さて、散歩は順調に.......
市役所を過ぎ、海隣寺の看板が現れました。


      20130127海隣寺02




こちらが海隣寺の山門

古びた感じが、いかにも時代を感じさせるいい雰囲気です。


      20130127海隣寺03


山号は 千葉山 海隣寺 と言うそうです


      20130127海隣寺04



境内には、海隣寺の説明看板が建っています。


      20130127海隣寺05



海隣寺は千葉氏の菩提寺で元々は千葉市馬加(まくわり)(現・千葉市幕張)にありましたが、
千葉氏が居城を千葉城(亥鼻城)から本佐倉城に移すと現在の酒々井町に移り
その後、千葉氏が鹿島台に鹿島城(現・佐倉城)に移すと
この地に移ってきたと言われています。


      20130127海隣寺06


      20130127海隣寺08



千葉氏の家紋

月星(九星に半月)


      20130127海隣寺07



この千葉氏の家紋が何故か格好良く思えてきて
個人的には気に入っています。

でも、なかなかこの家紋に出会えないのが実情でして........


今度じっくり、千葉氏の足跡を追って
残されている家紋を探してみようかな............?



 
 
 
 
 
2013/02/09 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: 0edit

麻賀多神社 <佐倉市岩名> (2012年1月27日)(千葉県佐倉市) 

1月27日 公休日




印旛沼周辺にあるという麻賀多18社

成田市    2社

     成田市台方
     成田市船形

佐倉市   11社

     佐倉市鏑木町
     佐倉市大蛇町
     佐倉市岩名
     佐倉市大佐倉
     佐倉市飯田
     佐倉市飯野
     佐倉市江原新田
     佐倉市太田
     佐倉市城
     佐倉市高崎
     佐倉市大篠塚

富里市    2社

     富里市新橋
     富里市中沢

酒々井町   2社

     酒々井町新堀
     酒々井町下台

八千代市   1社

     八千代市神野


今年の目標に 麻賀多18社制覇(?)と言う御旗を掲げました(笑)


色々調べていると、自宅から徒歩圏内
いわゆる散歩の延長で行けるところも数箇所有り
散歩を兼ねて、 びいすけ と訪れてみました。


まずは、京成佐倉駅北口からほど近い 麻賀多神社 岩名 へ行ってみました。




左手の森は、麻賀多神社の手前にある八幡神社の境内


      20130127麻賀多神社 岩名01



この民家の隣のこんもりとした森が麻賀多神社。


      20130127麻賀多神社 岩名02




この奥に鳥居と拝殿があります。


      20130127麻賀多神社 岩名03



鳥居は朱色


      20130127麻賀多神社 岩名05


こちらが拝殿
こじんまりとしていて、拝殿というか本殿ですね。


      20130127麻賀多神社 岩名06



裏に回って拝殿を見るとこんな感じ。


      20130127麻賀多神社 岩名07



佐倉って年代物の樹木が多く
こちらにも樹齢200年の杉やスダジイが立っています。


      20130127麻賀多神社 岩名04



樹齢200年のスダジイの前にて


      20130127麻賀多神社 岩名08




麻賀多神社の隣は公園


      20130127麻賀多神社 岩名09
      

      20130127麻賀多神社 岩名10



成田の台方や船形の麻賀多神社と違って
こちらは本当にこじんまりとしています。

宮台の新興住宅街の一角となっていますが
以前はきっと何もないところだったのでしょう。

村の鎮守さんといった表現がぴったりと言うか
こじんまりさがそんな感じを醸し出しますが
何となく住宅街にあるので歴史ある麻賀多神社だとは思うのだけれど
何となく場違いな気がしまくもない。

そんなことを感じてしまった、佐倉市岩名の麻賀多神社でした..........。


 
 
 
 
 
 
 
 
2013/02/08 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: 0edit

田久里砦 (2013年1月26日)(千葉県佐倉市) 

1月26日 公休日



臼井八景を制覇(?)したあと、
洲崎砦跡(八幡台第一公園)からちょっぴり足を伸ばし
臼井城の出城である 田久里砦跡 へ立ち寄ってみました。


臼井城には、宿内砦、洲崎砦、稲荷台砦、仲台砦、田久里砦と
5つの砦を持っていたと言われています。


宿内砦以外の砦はいずれも宅地化の開発の波に飲まれ
見事なまでに遺構がなくなっています。


この田久里砦も宅地化によって、現在はその姿を見ることはできません。


砦跡は公園となって、説明看板が建っています。



      20130126 田久里砦01



千葉一族(原氏)の居城であった故に
妙見社があったようで、妙見社の祠が公園の片隅に祀られています。


      20130126 田久里砦02


      20130126 田久里砦03



現在は、 長谷津児童公園 という公園になっています。


      20130126 田久里砦05



完全な児童公園ですが、遊んでいる子供達は居ません。


      20130126 田久里砦04



民家と民家の間のわずかな空間(通路)に
往時の面影が残っているようです。

      
      20130126 田久里砦06



城塁か?、はたまた土塁跡でしょうか?



      20130126 田久里砦07


      20130126 田久里砦08


      20130126 田久里砦09





石仏が建っている辺りは、虎口に見えてしまうのですが......


      20130126 田久里砦10


      20130126 田久里砦11



開発で無くなってしまったものは仕方がない。

こういう形で、過去にこの地には、こんなものがあったんだよ!って、
記念碑とか石碑、説明看板が建っていることが嬉しく思います。


首都圏のベッドタウンとして昭和40年代に一気に開発されてきた佐倉市。
充分な調査もされず、史跡としての価値観など判らないまま
開発という波に飲まれて失った文化遺産も多い。

願わくば、これ以上失われた遺産が増えないことを祈るばかりです。


ところで、昨年5月末に発掘・調査終了予定の城城址は
未だにフェンスに囲まれているようですが........

どうなっちゃったんでしょう......?


 
 
 
 
 
 
 

2013/02/07 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: 0edit

洲崎晴嵐 臼井八景第八景 (2013年1月26日)(千葉県佐倉市) 

1月26日 公休日


臼井八景は印旛沼周辺の風景のうち、臼井城跡付近から眺めた八つの勝景を、
中国の瀟湘八景にならって選び出したものである。
これは臼井城主の子孫にあたる臼井秀胤(号は信斎)と、
円応寺二十四世住職の玄海(号は宋的)とによって
元禄十一年(1698)につくられたと言われています。

第一景 舟戸夜雨(ふなとやう)      船戸大橋近く
 第二景 遠部落雁(とうべのらくがん)  西印旛沼自転車道路沿い
 第三景 飯野暮雪(いいのぼせつ)    西印旛沼自転車道路沿い
 第四景 師戸帰帆(もろときはん)     船戸大橋近く
 第五景 瀬戸秋月(せとしゅうげつ)   西印旛沼自転車道路沿い
 第六景 城嶺夕照(じょうれいせきしょう)臼井城址(臼井城公園)
 第七景 光勝晩鐘(こうしょうばんしょう) 光勝寺
 第八景 洲崎晴嵐(すざきせいらん)   八幡台第一公園


その臼井八景を制覇しようと、印旛沼まで出かけてきました。



臼井八景制覇シリーズ(?)第8弾


    洲崎晴嵐




      20130126 洲崎晴嵐01


      20130126 洲崎晴嵐02



ふき払い雲も嵐もなかりけり 洲崎によする波も静かに



      洲崎台は現在の八幡台一丁目にあたる場所で、
      以前は印旛沼を見下す景観のよい高台であった。
      昔臼井城のあった頃、ここは北の要所として砦が築かれていたといわれる。
      住宅地に造成されるまでは、このあたりの丘陵は一面の広い松林となっていた。
      また沼辺に耕地が開拓される前は、
      この洲崎台下(八幡下)まで印旛沼の水が寄せ、
      そこには長い洲が広がっていた。
      その砂浜の上では、鴎や鷺が翼をひろげて休み、
      岸辺の浅瀬には魚やエビがたくさん住んでいた。
      晴嵐とは、晴れた日に吹きわたる山風のことであり,
      前掲の歌にある嵐は靄を意味している。
      洲崎台に山風が吹き、山の霞も湖面の靄も払われてすっかり晴れ渡ってきた、
      八幡下の洲崎に寄せる波も静かで、すばらしい風景がひろがっている。
      沼辺には白鷺の姿があり、松林は風に鳴って琴の音のように聞えてくる。
      日中の静けさのなかで、明るく晴れ渡った洲崎の眺めは
      まことに見事なものである、と歌はその情景を詠んでいる。


                 (現地 説明看板より抜粋)



この地は、かつて臼井城の出城である洲崎砦があったところ。
現在は八幡台一号公園となっています。

宅地化の波を諸に受け、遺構は全く言っていいほど残されていません。

せめて石碑ぐらい残してくれれば良いのに.......



      20130126 洲崎晴嵐03



説明看板の建っている公園からは全く印旛沼を見ることができません。

坂道を少し下っていくと.......
印旛沼が見えてきます。


      20130126 洲崎晴嵐04



道路からちょっぴり脇に入り、
高台に登れば、印旛沼を眺められます。


      20130126 洲崎晴嵐05


      20130126 洲崎晴嵐06


      20130126 洲崎晴嵐07




400年ほど前に和歌と一緒につくられた臼井八景。
時は流れても、印旛沼は今尚、往時の面影を残していることだろう。

臼井八景を全部廻って改めて佐倉っていい町だと感じてしまった。


少しづつ佐倉の魅力を味わっていこうと、
改めて思ったりもした今日この頃です.............。




   
 
 
 
 


 
 
2013/02/06 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: 0edit

光勝晩鐘 臼井八景第七景 (2013年1月26日)(千葉県佐倉市) 

1月26日 公休日


臼井八景は印旛沼周辺の風景のうち、臼井城跡付近から眺めた八つの勝景を、
中国の瀟湘八景にならって選び出したものである。
これは臼井城主の子孫にあたる臼井秀胤(号は信斎)と、
円応寺二十四世住職の玄海(号は宋的)とによって
元禄十一年(1698)につくられたと言われています。


 第一景 舟戸夜雨(ふなとやう)      船戸大橋近く
 第二景 遠部落雁(とうべのらくがん)  西印旛沼自転車道路沿い
 第三景 飯野暮雪(いいのぼせつ)    西印旛沼自転車道路沿い
 第四景 師戸帰帆(もろときはん)     船戸大橋近く
 第五景 瀬戸秋月(せとしゅうげつ)   西印旛沼自転車道路沿い
 第六景 城嶺夕照(じょうれいせきしょう)臼井城址(臼井城公園)
 第七景 光勝晩鐘(こうしょうばんしょう) 光勝寺
 第八景 洲崎晴嵐(すざきせいらん)   八幡台第一公園


その臼井八景を制覇しようと、印旛沼まで出かけてきました。


臼井八景制覇シリーズ(?)第7弾


     光勝晩鐘



      20130126 光勝晩鐘01


      20130126 光勝晩鐘03



けふも暮れぬあはれ幾世をふる寺の 鐘やむかしの音に響くらん   


      その昔、臼井村の夕暮れ時に、光勝寺で撞く梵鐘の音は
      般々として湖岸に響き渡り、
      その鐘声は里の人々に日暮れの時刻を知らせるとともに
      村人に心の安らぎを与えていた。
      今日も日が暮れて光勝寺の鐘が鳴っている。
      幾年月を経た古寺であるが、
      鐘の音だけは今も昔のままに響き渡っている。      
      と歌の作者は湖畔の夕景を詠んでいる。


              (現地 説明看板より抜粋)



      20130126 光勝晩鐘04


一遍上人の像


      20130126 光勝晩鐘02



山号は 臼井山 光勝寺 のようです。

      
      20130126 光勝晩鐘05



こちらは本堂。


      20130126 光勝晩鐘06



高台にある光勝寺ですが
往時と比べ木々も生い茂り
印旛沼の視界はよくありません。

墓地のある高台から背伸びして
やっと印旛沼を望むことができました。


      20130126 光勝晩鐘07



冬のこの時期ではありますが、
日暮れには、まだまだ早く
梵鐘も聞こえてきません。

聞くことはできなかったけれど
数百年経った今でも、その梵鐘は本当に変わらないのだろうか.......?


 
 
 
 
 
 
 
 
2013/02/05 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: 0edit

城嶺夕照 臼井八景第六景 (2013年1月26日)(千葉県佐倉市) 

1月26日 公休日


臼井八景は印旛沼周辺の風景のうち、臼井城跡付近から眺めた八つの勝景を、
中国の瀟湘八景にならって選び出したものである。
これは臼井城主の子孫にあたる臼井秀胤(号は信斎)と、
円応寺二十四世住職の玄海(号は宋的)とによって
元禄十一年(1698)につくられたと言われています。


 第一景 舟戸夜雨(ふなとやう)      船戸大橋近く
 第二景 遠部落雁(とうべのらくがん)  西印旛沼自転車道路沿い
 第三景 飯野暮雪(いいのぼせつ)    西印旛沼自転車道路沿い
 第四景 師戸帰帆(もろときはん)     船戸大橋近く
 第五景 瀬戸秋月(せとしゅうげつ)   西印旛沼自転車道路沿い
 第六景 城嶺夕照(じょうれいせきしょう)臼井城址(臼井城公園)
 第七景 光勝晩鐘(こうしょうばんしょう) 光勝寺
 第八景 洲崎晴嵐(すざきせいらん)   八幡台第一公園


その臼井八景を制覇しようと、印旛沼まで出かけてきました。


臼井八景制覇シリーズ(?)第6弾


      20130126 城嶺夕照01



いく夕べ 入日を峯に送るらん むかしの遠くなれる古跡   



     永久二年(1114)に千葉常兼の三男常康が初めて臼井の地を治めて以来、
     十六代臼井久胤までの約四百五十年間、臼井氏は永くこの地の領主であった。
     その後臼井城は原氏や徳川家康の武将酒井家次の居城となったが、
     文禄三年(1593)の火事によって、この台地にあった城郭は焼失してしまった。
     臼井八景は、それからおよそ百年後の元禄期に作られたものである。
     臼井久胤の玄孫にあたる臼井八景の作者は、夕映えの美しい城跡の嶺に立って、
     自分の祖先が臼井城の城主であった頃の遠い昔を偲びながら、
     感慨深く前掲の歌を作り上げたものである。
     城跡の近くには、往時の土塁や空掘の一部が今でも昔のままに残っている。
     本丸跡の発掘調査により、十五世紀の中国・明時代の陶磁器の破片や、
     城が火事になった時の焼け米などが発見されている。
     北側の山裾には、第六代城主臼井興胤が
     1339年に創建した瑞満湖山円応寺がある。
     また空掘の近くには,文明十一年(1479)に臼井城を攻めて討死にした
     大田道灌の弟・図書の墓がある。


                (現地 説明看板より)






ご存知、ここは臼井城址
かつて臼井城があったところ。


二の丸跡の広場では、少年たちがサッカーに興じています。



      20130126 城嶺夕照02



本丸跡からの印旛沼の風景


      20130126 城嶺夕照03


      20130126 城嶺夕照04


      20130126 城嶺夕照05


      20130126 城嶺夕照06




本丸跡広場にて、芝生で転がる びいすけ


      20130126 城嶺夕照07


      20130126 城嶺夕照08


      20130126 城嶺夕照09


      20130126 城嶺夕照10



これでこの地に来るのは4回目になるのだろうか?

いつ来ても、この臼井城址は雰囲気があって良いところ。
印旛沼の眺望も良いし、臼井八景の一つに選ばれたのもわかるような気がする。

この地が、開発という名のもとに宅地化されなくて
本当に良かったと思う...............。


 

 



 
 
 
 
   
 

 
 
2013/02/04 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: 0edit

瀬戸秋月 臼井八景第五景 (2013年1月26日)(千葉県佐倉市) 

1月26日 公休日



臼井八景は印旛沼周辺の風景のうち、臼井城跡付近から眺めた八つの勝景を、
中国の瀟湘八景にならって選び出したものである。
これは臼井城主の子孫にあたる臼井秀胤(号は信斎)と、
円応寺二十四世住職の玄海(号は宋的)とによって
元禄十一年(1698)につくられたと言われています。


 第一景 舟戸夜雨(ふなとやう)      船戸大橋近く
 第二景 遠部落雁(とうべのらくがん)  西印旛沼自転車道路沿い
 第三景 飯野暮雪(いいのぼせつ)    西印旛沼自転車道路沿い
 第四景 師戸帰帆(もろときはん)     船戸大橋近く
 第五景 瀬戸秋月(せとしゅうげつ)   西印旛沼自転車道路沿い
 第六景 城嶺夕照(じょうれいせきしょう)臼井城址(臼井城公園)
 第七景 光勝晩鐘(こうしょうばんしょう) 光勝寺
 第八景 洲崎晴嵐(すざきせいらん)   八幡台第一公園


その臼井八景を制覇しようと、印旛沼まで出かけてきました。


臼井八景制覇シリーズ(?)第5弾



     瀬戸秋月



      20130126 瀬戸秋月01


      20130126 瀬戸秋月02



もろこしの 西の湖かくやらん には照る浪の 瀬戸の月影 

   
 
      晴れわたった秋の夜、
      向う岸にある瀬戸村の空高く澄んだ月が冴え渡り、
      その名月が印旛沼の水に映えて、きらきらと光り輝いている。
      清らかな風が静かな水面を渡ってゆくと、
      湖面の月影は流れるようにさざ波に漂って見える風景の美しさで有名な、
      もろこし(中国)の西湖も、名月の夜はきっとこのように見事な情景であろう、と
      臼井八景の作者は、未だ見ぬ中国の名勝に想いを寄せながら、
      瀬戸の秋月を上の歌に詠んでいる。
      (歌の"には"は波の静かで平らな水面の意)瀬戸はこの場所から見ると、
      印旛沼の右手一番奥まった対岸に位置し、
      以前は佐倉市(土浮)から瀬戸へ渡し舟が通っていたが、
      印旛沼が北と西に分断されてからは、瀬戸は佐倉市と地つづきになった。
      その瀬戸村も今は印旛村となり、現在瀬戸は同村の中心地となっている。
      臼井八景のうち、遠部落雁や光勝晩鐘などの光景は、この地から失われてしまったが、
      三百年前に八景の作者が臼井の岸辺から愛でた、瀬戸秋月は、
      今でもこの辺りから湖上に美しく眺めることができる。


                          (現地 説明看板より抜粋)
     



      20130126 瀬戸秋月03


      20130126 瀬戸秋月04


      20130126 瀬戸秋月05


      20130126 瀬戸秋月06


      20130126 瀬戸秋月07


      20130126 瀬戸秋月08


      20130126 瀬戸秋月09


      20130126 瀬戸秋月10



この説明看板が建っている辺りは、かつて臼井の町に住んでいた時
一番近い印旛沼の沼辺でした。

毎年、開催される佐倉市の花火大会の時もこの辺りに来ていた。

8年前に椎間板ヘルニアの手術をしたあと、リハビリと称して
この辺りは散歩に出歩いてきたものでした。

もっとも昼間だったので、名月を眺めることはありませんでしたが.......

いつの日か、その名月とやらを見てみたい......
そんな気がしてなりません。



 

 

 

2013/02/03 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: 0edit

師戸帰帆 臼井八景第四景 (2013年1月26日)(千葉県佐倉市) 

1月26日 公休日


臼井八景は印旛沼周辺の風景のうち、臼井城跡付近から眺めた八つの勝景を、
中国の瀟湘八景にならって選び出したものである。
これは臼井城主の子孫にあたる臼井秀胤(号は信斎)と、
円応寺二十四世住職の玄海(号は宋的)とによって
元禄十一年(1698)につくられたと言われています。

 第一景 舟戸夜雨(ふなとやう)      船戸大橋近く
 第二景 遠部落雁(とうべのらくがん)  西印旛沼自転車道路沿い
 第三景 飯野暮雪(いいのぼせつ)    西印旛沼自転車道路沿い
 第四景 師戸帰帆(もろときはん)     船戸大橋近く
 第五景 瀬戸秋月(せとしゅうげつ)   西印旛沼自転車道路沿い
 第六景 城嶺夕照(じょうれいせきしょう)臼井城址(臼井城公園)
 第七景 光勝晩鐘(こうしょうばんしょう) 光勝寺
 第八景 洲崎晴嵐(すざきせいらん)   八幡台第一公園


その臼井八景を制覇しようと、印旛沼まで出かけてきました。


臼井八景制覇シリーズ(?)第4弾



    師戸帰帆



      20130126 師戸帰帆01


      20130126 師戸帰帆02




もろ人の 諸戸の渡り行く舟の ほのかに見えて かえる夕ぐれ 



      印旛沼の晴れた日の暮れ方、
      風が止んで波が静まり、鏡のようになった広い湖面には、
      向う岸の山並が青墨色にくっきりと映し出されている。
      その中を、もろもろの人を乗せた渡し舟が、
      臼井の渡船場から対岸の諸戸(現、印旛村師戸)へゆったりと渡ってゆく。
      光勝寺の夕べの鐘が鳴って、漁師の白帆舟も三々五々、師戸の河岸へ帰ってゆく。
      三百年前の元禄時代、円応寺のそばに住んでいた「臼井八景」の作者は、
      この辺りの湖岸から師戸へ帰る帆舟を眺めながら、
      一幅の絵のような美しい情景を楽しんでいた。
      そして、もろもろの人と師戸の人を掛けて、
      その秀景を前掲の歌に詠んでいる。


                   (現地 説明看板より抜粋)

 




      20130126 師戸帰帆03




対岸に見える台地は師戸城址


      20130126 師戸帰帆04



この辺りは風もなく、水面も静かなもの


      20130126 師戸帰帆05


      20130126 師戸帰帆06


      20130126 師戸帰帆07



水が怖い びいすけ もさざ波さえ無ければ平気なようです。


      20130126 師戸帰帆08


      20130126 師戸帰帆09




大きな水鳥を発見!

雁の種類の鳥でしょうか?


      20130126 師戸帰帆10



意外に自然がいっぱい残されている印旛沼。

かつては水質指標は悪化し、手賀沼とワーストを争っていたが
かなり改善されてきたんだろう。

野鳥のいる風景。
そんな姿をいつまでも残してもらいたいものです..........。



 


 
 
2013/02/02 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: 0edit

飯野暮雪 臼井八景第三景 (2013年1月26日)(千葉県佐倉市) 

1月26日 公休日





臼井八景は印旛沼周辺の風景のうち、臼井城跡付近から眺めた八つの勝景を、
中国の瀟湘八景にならって選び出したものである。
これは臼井城主の子孫にあたる臼井秀胤(号は信斎)と、
円応寺二十四世住職の玄海(号は宋的)とによって
元禄十一年(1698)につくられたと言われています。


 
 第一景 舟戸夜雨(ふなとやう)      船戸大橋近く
 第二景 遠部落雁(とうべのらくがん)  西印旛沼自転車道路沿い
 第三景 飯野暮雪(いいのぼせつ)    西印旛沼自転車道路沿い
 第四景 師戸帰帆(もろときはん)     船戸大橋近く
 第五景 瀬戸秋月(せとしゅうげつ)   西印旛沼自転車道路沿い
 第六景 城嶺夕照(じょうれいせきしょう)臼井城址(臼井城公園)
 第七景 光勝晩鐘(こうしょうばんしょう) 光勝寺
 第八景 洲崎晴嵐(すざきせいらん)   八幡台第一公園


その臼井八景を制覇しようと、印旛沼まで出かけてきました。


臼井八景制覇シリーズ(?)第3弾



     飯野暮雪


      20130126 飯野暮雪01



ふり積る夕べを見ぬ人に かくと いいのの ことの葉もなし   

 
       
     飯野の台地は、昔は樹木のうっそうと茂った人気のない寂しい丘であった。
     印旛沼の湖面へ突き出たこの高台に、雪の降り積もる夕暮の風景は、
     まことに風情のあるものであった。
     前掲の歌は「飯野」と「言ひの」の掛詞を使いながら、
     雪の降る飯野の夕景を詠んだものである。
     趣の深い、この美しい眺めを見たことのない人に、
     飯野の雪景色はこんなに見事ですよ、と話しても、
     そのすばらしさを言い尽す言葉がみつからない、と謳っている。
     

                     (現地 説明看板より抜粋)




説明看板の背後にそびえる飯野の台地
この辺りは、かつての湖畔荘跡
現在はオートキャンプ場になっています。


      20130126 飯野暮雪09



同じく、飯野の台地。
この辺りは 野鳥の森

その昔、飯野城があった場所だったと伝承に残されているようです。


      20130126 飯野暮雪10



印旛沼を眺めます。

遥か対岸には師戸城址の台地が見えます。



      20130126 飯野暮雪02


      20130126 飯野暮雪03


      20130126 飯野暮雪04


      20130126 飯野暮雪05


      20130126 飯野暮雪06


      20130126 飯野暮雪07


      20130126 飯野暮雪08



実は、この日の午後
北総地区には、一時、雪が降ってきました
積もるほどでもないし、降るというか雪が舞ったという表現が適切でしょうか?

沼辺には冷たい風が雪を呼んだのだろうか?

いくら夕暮れの雪景色が素晴らしいからと言っても
雪が降ったら大変。
首都圏じゃ交通機関に影響も出ちゃうし.........

雪はいらないけれど、夕日が沼辺をオレンジ色に染めていく.....
そんな飯野の印旛沼も見てみたい.........



 
 
 
 
2013/02/01 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: 0edit