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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

御城印を求めて   《牛久城址》  (2020年2月12日)(茨城県牛久市) 

2月12日

この日は、茨城県牛久市に出かけました。

最近になって知ったのですが.........

牛久市内の城址の御城印が発行されていると知り、
この日は奔走しました。

小坂城、岡見城と御城印を手に入れ、
城址も攻略し更なる御城印を求めます。
JR牛久駅近くにある『芋千』にて、
牛久城、東林寺城の御城印を手に入れます。

     20200212牛久城址27




牛久城址、東林寺城址のいずれも訪れてはいますが
御城印を手にしたからには、城址も再攻略いたしましょう。

と言うことで、先ずは牛久城址へと向かいます。

牛久城址も以前訪れた事があり、これで2回目の訪問となります。
( その時の攻城記は こちら )



牛久城の城域も広く、主郭や二郭と大手門との距離はかなり有る。


こちらが、大手門跡。

     20200212牛久城址01


     20200212牛久城址02


     20200212牛久城址03



大手門近くに鎮座する社。

     20200212牛久城址04

古くから、この場所に鎮座していたようです。



大手門跡から根古屋を抜けて、三の丸近くまで車で侵入する事が出来ます。

     20200212牛久城址05



牛久城址の説明板。

     20200212牛久城址06


     20200212牛久城址29


ここから車を離れ、自分の足で進軍です。

     20200212牛久城址08


大きく口を開けるかのようには待ち構える空堀。

     20200212牛久城址07




空堀に掛かる土橋。
     
     20200212牛久城址09



土橋の先には虎口が待ち構える。
 
     20200212牛久城址11


虎口の土塁。

     20200212牛久城址12




さらに進みます。

     20200212牛久城址10

     20200212牛久城址13


二の丸と本丸を隔てる空堀。

     20200212牛久城址14


     20200212牛久城址15 



右側が二の丸、左側が本丸。

     20200212牛久城址25


     20200212牛久城址26



二の丸の空堀な掛かる土橋。

     20200212牛久城址16



竹藪の先が、二の丸の虎口。

     20200212牛久城址17



こちらが、二の丸曲輪。

     20200212牛久城址18



てっきり、こちらが本丸曲輪だと勘違いして
御城印のバックに写真撮り。

     20200212牛久城址19


     20200212牛久城址20


     20200212牛久城址21


こちらが、本丸虎口。

     20200212牛久城址22


虎口の土塁。

     20200212牛久城址23



自宅に帰ってくるまで、てっきりこちらは二の丸曲輪と勘違いしていました。


     20200212牛久城址24



こちらが、牛久城(址)の御城印。

     20200212牛久城址28


約6年振りに再訪した牛久城址。
連郭式、小田原北条氏の城の特徴を持つ牛久城址。
これぞ戦国時代の山城、関東の土の城。

やっぱり、『土の城は良い』と思うのは私だけ...............?





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2020/03/29 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御城印を求めて   《小坂城址》  (2020年2月12日)(茨城県牛久市) 

2月12日

この日は、茨城県の牛久市に出かけました。

最近、ネットにて得た情報なのですが、
牛久市城跡めぐり運営委員会が主催して
『牛久市城跡めぐり』と称して、御城印を発行しているらしい。

御城印は、いわば城版の御朱印みたいなモノ。
城址巡りを趣味とし、また御朱印巡りを楽しむ物として
黙ってはいられません。

と言う事でこの日は、牛久市内の御城印を求めて奔走します。

最初に久野城の御城印を求めて、
落花生で有名な『味の老舗いしじま』に行くと、
何と定休日。

続いて向かったのは『ヤマイチ味噌』。
こちらで、小坂城と岡見城の御城印を手に入れます。

     20200212小坂城址01


小坂城も岡見城も訪れたことがありますが
せっかく御城印を手に入れたんだから
城址も再攻略いたしましょう。

と言う事で、向かった先は...............小坂城址。


小坂城址に訪れるのは、これで2回目。
( 前回の攻城記は こちら )。

稲敷市(旧・江戸崎町)からつくば市へと続く国道408号線沿いの台地に在る小坂城址。
整備が良くて、遺構も多く残り、土塁や空堀、空堀に架かる土橋、
郭の虎口など、城址巡りの初心者でも
それらの遺構をはっきりと認識出来る整備のされた城址。
マイナーな城址ではありますが、個人的にはお気に入りの城址の一つです。


城址入口に建つ城址碑。

     20200212小坂城址02


     20200212小坂城址03


     20200212小坂城址04


その脇には2枚の説明板。

     20200212小坂城址05


     20200212小坂城址06



こちらは、小坂城址にまつわる逸話の説明板

     20200212小坂城址07


では、小坂城を攻略いたしましょう。



こちらは、四郭。

     20200212小坂城址10



光の加減で見づらいですが、三郭の空堀。

     20200212小坂城址08


三郭の土塁。

     20200212小坂城址28


土塁の奥には、三郭と二郭を隔てる空堀。

     20200212小坂城址09


その空堀に架かる土橋。

     20200212小坂城址11



二郭の虎口。

     20200212小坂城址12



二郭内部。

     20200212小坂城址13


     20200212小坂城址15

  

二郭と主郭の間の空堀。

     20200212小坂城址14



その空堀に架かる土橋(主郭側より)。

     20200212小坂城址16



主郭の虎口。

     20200212小坂城址17



主郭内部。

     20200212小坂城址21



主郭に建つ説明板。

     20200212小坂城址19


この方角に、江戸崎土岐氏の支城である泉城がありました。

     20200212小坂城址20

岡見城との距離は直線でおよそ2kmほどで、
岡見氏はこの小坂城を最前線の守備の要として
土岐氏と幾度となく争っていたようです。



主郭土壇。

     20200212小坂城址23


     20200212小坂城址24

この場所は物見台(櫓台)。
小坂城址で一番高い場所になる。



その土壇から二郭を見下ろしてみます。

     20200212小坂城址22

かなり埋もれているけれど、しっかりと空堀の姿を見ることが出来ます。



その空堀。

     20200212小坂城址25


     20200212小坂城址26



三郭と主郭の間は部分的に空堀が並び、二重空堀になっている。

     20200212小坂城址27

これは見応えありますね。


国道408号線は、ちょくちょく走るから
小坂城址の前をちょくちょく通ってはいるんだけど
城址に立ち寄ったのは約6年振り。
6年前と変わらず、整備が行き届き、
しっかりと管理されている小坂城址。
     
たしか、小坂城址保存会って言うのがあったと思うけど
その活動にあたまが下がります。

     



こちらが、小坂城(址)の御城印。

     20200212小坂城址30

牛久市城跡めぐり運営委員会が主催して行われた『牛久市城跡めぐり』。
茨城県内で初めて御城印を発行したイベント。
イベント終了後も継続的に頒布している御城印。

私にとっても茨城県内の初御城印。
今後の展開に期待です。


2020/03/28 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

鶴ヶ城 (2018年10月29日)(福島県会津若松市) 

10月29日

1泊2日の福島旅行。
その初日は会津若松市にやって来ました。


会津若松市と言えば、城下町。
昔、昔の戦国時代、会津地方は後の会津若松である黒川を本拠とする
戦国大名の蘆名家の領国でした。
蘆名氏は会津守護を自称して勢威を奮いましたが、
天正17年(1589年)、蘆名義広が摺上原の戦いで伊達政宗に大敗して
会津は伊達政宗の支配下に入り、政宗は黒川を新たな本拠としました。

天正18年(1590年)、豊臣秀吉は会津黒川に入って奥州仕置を行ないます。
会津地方及び周辺地域を政宗から没収し、蒲生氏郷を42万石で入部させます。
(後に検地と加増で氏郷は92万石を領有することになります。)

氏郷は黒川を若松と改め、故郷の近江日野から商人や職人を呼び寄せて
武家屋敷を分離させた町割をして、新たな城下町を建設します。
また、黒川城を新たに7層の天守を持つ城を築いて、現在の会津若松の基盤を築きました。

その後、秀吉の命により上杉家(120万石)の領地となりますが
江戸幕府成立後は、再び蒲生家(60万石)の領地となります。

その後、加藤家(40万石)、保科家(23万石)と藩主は変わっていきますが
保科家が会津松平家と改姓し、徳川家と深い繋がりを持っていきます。

武家政治の終焉、徳川時代の終焉の象徴でもある戊辰戦争における
会津若松の悲劇は、こうした時代背景からくるものでしょう。





さて、その会津若松の象徴である鶴ヶ城。

地元では鶴ヶ城(つるがじょう)と言われていますが、
地元以外では会津若松城と呼ばれることが多いそうです。
文献では旧称である黒川城、または単に会津城とされることもあるそうです。
国の史跡としては、若松城跡の名称で指定されているそうです。

郭内(武家屋敷)と町屋敷が外濠で隔てられ、
さらには郭内の内側に内濠を有する梯郭式の平山城です。

1384年、蘆名氏7代当主の蘆名直盛が小田垣の館(東黒川館)という館を造ったのが
若松城のはじまりとされています。
諸説はありますが、15世紀半ば迄には黒川城、とその城下が成立していました。
以後、蘆名氏の城として戦国時代を迎え、蒲生、伊達、上杉、加藤、保科(後の松平)と
変わりゆく城主を見守ってきたのが鶴ヶ城です。


こちらが、鶴ヶ城の縄張り図。

      鶴ヶ城縄張り図

                      (余胡さんのHPよりお借りしました。)


著名な観光地でもあるから、案内板も完備されています。

      20181029鶴ヶ城01



西出丸は現在、有料駐車場。

駐車場と利用するのは勿体ない気もするし
城内に車が頻繁に出入りするのは.....?......と思うけれど
諸般の事情で仕方ない。


西出丸の石垣。

      20181029鶴ヶ城02



西出丸から本丸に向かう土橋。
正面は本丸枡形。

      20181029鶴ヶ城31




本丸枡形の石垣。

      20181029鶴ヶ城03





本丸の隅には、上杉謙信の仮廟所跡

      20181029鶴ヶ城04

      20181029鶴ヶ城05

戦国時代の武将・上杉謙信は天正6年(1578年)に亡くなり、
居城であったかすが春日山城(新潟県上越市)に埋葬されましたが
その後継者である上杉景勝が会津に移封するにあたり
上杉謙信の墓所も鶴ヶ城内のこの辺りの仮殿に安置したそうです。



鐘撞堂

      20181029鶴ヶ城06


時守を置いて昼夜時刻を城下に報じていたお堂。

      20181029鶴ヶ城07



こちらが、本丸天守閣。

      20181029鶴ヶ城08


残念ながら、この天守閣は復興天守閣・

      20181029鶴ヶ城09

現在の日本の城郭で築城時のオリジナルの天守閣が現存するのは12城のみ

弘前城(青森県)
松本城(長野県)
丸岡城(福井県)
犬山城(愛知県)
彦根城(滋賀県)
姫路城(兵庫県)
松江城(島根県)
備中松山城(岡山県)
丸亀城(香川県)
伊予松山城(愛媛県)
宇和島城(愛媛県)
高知城(高知県)

これら12城以外は、残念ながら戦火等により焼失、
あるいは明治6年(1873年)の廃城令で解体されてしまいました。

この鶴ヶ城も復興天守閣で、ないぶは資料館となっています。 



      20181029鶴ヶ城10



天守閣東側で鶴ヶ城のゆるキャラ(?)と記念写真。

      20181029鶴ヶ城11





せっかくだから、復刻天守閣に入場します。

      20181029鶴ヶ城12


天守閣内は資料館となっているため、写真撮影は禁止。

      20181029鶴ヶ城13


展示されている資料には目もくれず、天守閣の最上部を目指します。


天守閣から眺める会津若松市街。

      20181029鶴ヶ城14


      20181029鶴ヶ城15


      20181029鶴ヶ城16


      20181029鶴ヶ城17



天守閣直下。

びいすけ と もっちゃん が下で待っているはずだから
探してみましょう。

      20181029鶴ヶ城18



見~つけた!!

      20181029鶴ヶ城19


      20181029鶴ヶ城20


天守閣から眺める本丸御殿跡。

      20181029鶴ヶ城21



本丸御殿跡

      20181029鶴ヶ城22



その説明版。

      20181029鶴ヶ城23



こちらは、干飯櫓・南走長屋。

      20181029鶴ヶ城24



本丸御殿側からの天守閣。

      20181029鶴ヶ城25




おまけ。

こちらも鶴ヶ城の遺構の一つ。

      20181029鶴ヶ城26



マンホールカードを貰いに行った市役所第2庁舎の手前にあった郭門。

      20181029鶴ヶ城27



みごとな石垣が市街地に残っている。

      20181029鶴ヶ城28


      20181029鶴ヶ城29



こちらが、鶴ヶ城の登閣証。

      20181029鶴ヶ城30

個人的には御朱印と同じものだと扱うことにしています。
実は、これが欲しかったんだぁ。
天守閣前の観光案内所で求めることができます。
てっきり、天守閣内部の売店で求めるものだと思ってました。。

510円払って登らなくても良かったんだ.................

城の御朱印(正確には御朱印じゃ無いけれど)、城と御朱印好きには堪らない!!




鶴ヶ城、じっくりと見学したら、とても1時間程度の時間じゃ巡りきれない。
今回、急ぎ足で巡っちゃったから、いずれ時間をかけて
城下の遺構も含めて、じっくりと見学したいものです。





2018/12/20 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit