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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

御城印を求めて.....................多古城     (2020年5月28日)(千葉県香取郡多古町) 

5月28日

この日は、多古町に出かけました。

多古町を訪れた最たる理由は、御城印。
当初は5月の連休辺りに頒布される予定でしたが
新型コロナウイルスの拡大防止の緊急非常事態宣言が発令されて
頒布予定が大きくズレ込み、緊急非常事態宣言解除解除されて
やっと頒布される事になりました。

頒布先の 道の駅『多古あじさい館』 にて手に入れました。

     20200528多古城址01

御城印を手に入れたのなら、攻城しなければ御城印を手に入れた意味がない。
あくまでも登城記念、訪城記念ですからね。

と言うことで、向かった先は...............多古城址。


志摩城に訪れるのは、これで2回目。
( 前回の訪城記は こちら )


多古小学校背後の台地。
台地へ至る導線は前回から6年経ち
かなり改変され、大きなスーパーや住宅も建つようになった。

しかしながら、城址である台地は荒れた耕地のままでした。

     20200528多古城址02


     20200528多古城址03



近くにスーパーや幼稚園、住宅が建ち
多古城に一部が整備されたようです。

何やら、前方に看板があります。

     20200528多古城址04



以前は無かった説明板。

     20200528多古城址05

『多古城と千葉氏』について触れています。


この説明板は、多古城の空堀跡の前に建っています。

     20200528多古城址06




以前は、この空堀に気が付かなかったんだよなぁ。

     20200528多古城址07



きっと、この空堀も説明板設置時に整備されたんでしょうね、

     20200528多古城址08


     20200528多古城址09

耕地化されて、遺構が無いと思っていた多古城址。
空堀が確認出来て良かった。


こちらが御城院。

     20200528多古城址10


千葉県下でも、まだ館山城や稲村城など未入手な御城印が増えてきて
改めて城址巡りが楽しくなりそうです。


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2020/07/04 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御城印を求めて.....................志摩城     (2020年5月28日)(千葉県香取郡多古町) 

5月28日  

この日は、多古町に出かけました。

多古町を訪れた最たる理由は、御城印。
当初は5月の連休辺りに頒布される予定でしたが
新型コロナウイルスの拡大防止の緊急非常事態宣言が発令されて
頒布予定が大きくズレ込み、緊急非常事態宣言解除解除されて
やっと頒布される事になりました。

頒布先の 道の駅『多古あじさい館』 にて手に入れました。

     20200528志摩城址01



御城印を手に入れたのなら、攻城しなければ御城印を手に入れた意味がない。
あくまでも登城記念、訪城記念ですからね。

と言うことで、向かった先は...............志摩城址。


志摩城に訪れるのは、これで2回目。
( 前回の訪城記は こちら )



志摩城は築城時期、主な城主は不明とされています

現在の多古町はその昔、千田荘と称し、平安時代末期には千葉氏の領地でありました。
千葉氏の一族、円城寺氏らの所領と思われ、その一族の城館だったものと思われます。

室町時代には、鎌倉公方足利成氏と関東管領上杉氏との争いで、千葉一族が分裂します。
関東管領上杉氏側に付いた千葉宗家の千葉胤直。
鎌倉公方足利成氏側に付いた一門の原胤房、馬加康胤に本拠の亥鼻城を急襲され、
千田荘に逃れ父・胤直は志摩城に逃れ、子・胤宣は多古城に逃れました。
しかし原胤房、馬加康胤に攻められ多古城も志摩城も落城してしまいます。
千葉宗家の千葉胤直・胤宣父子は自刃し、この千田荘で千葉宗家は滅びてしまいます

志摩城のその後、そして廃城の時期等、詳細は不明とされています。


城址は現在、農業公園として整備されていましたが
最近は、その農業公園も荒廃してきた雰囲気が漂います。

農業公園に駐車場の一角に建つ説明板。

     20200528志摩城址02



以前は下草も刈られ、城塁のようにみえましたが
現在は下草も伸び、単なる土手にようにしか見えない。

     20200528志摩城址03


     20200528志摩城址04


     20200528志摩城址05



台地にある城址は耕地化され、遺構らしきものは少ない。
と言うか、ほとんど無い。

     20200528志摩城址06



城址には、八幡神社(八幡大神)が鎮座し、
そこには城址の標柱が建つ。

     20200528志摩城址07


     20200528志摩城址08


     20200528志摩城址09



そして、僅かながら土塁とおぼしき土壇がある。

     20200528志摩城址10


     20200528志摩城址12



千葉宗家終焉の地というけれど、畑と化した志摩城址。

     20200528志摩城址11


下総の歴史の舞台でもあったわけだから、
きちんとした形で残って欲しかった..................。




こちらが、志摩城の御城印。

     20200528志摩城址13

千葉宗家の家紋、月星紋が泣かせます。




2020/07/03 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御城印を求めて.....................並木城     (2020年5月28日)(千葉県香取郡多古町) 

5月28日 

この日は、多古町に出かけました。

星宮大神をあとにして、向かった先は...............並木城址。


並木城址は南並木城址とも呼ばれ、
多古町南並木地区の台地の南端に占地する戦国・中世城郭であり、
1330年代から戦国期末まで城郭として利用されていました。
南側に主郭を配し、土塁と空堀に囲まれています。
主郭の北側には折れを伴った(横矢を配した)土塁と
二重空堀が良好な遺構として残されています。

城主等、詳細は不明ですが北総を動乱に巻き込んだ南北朝の争いの時代の
千葉宗家である千葉胤直・胤宣親子の拠点であった多古城の出城だったとされています。


こちらが、並木城の縄張り図。

     並木城縄張り図

    ( 余湖さんのHPからお借りしました。 )



並木城の御城院は、道の駅 『多古あじさい館』で入手出来ます。

     20200528並木城址01


     20200528並木城址02

当初は、5月6日から販売予定でしたが、
新型コロナウイルス拡散防止の緊急非常事態宣言が発令されていた関係で
緊急非常事態宣言の解除まで、販売が延期されていました。

実は、2月に猪鼻城(千葉城)の御城印を求めて猪鼻城に行った時
並木城保存会の方と話す機会があって、
その時に並木城の御城印の発行の話を聞いていました。
本当に楽しみにしていました。

並木城の御城印、ゲットです!!



御城印を手にしたら、いざ! 並木城へ!!


南並木地区の台地にある並木城。
南並木集落から台地へと上がって行きます。

     20200528並木城址03


城址への案内板も設置されています。

     20200528並木城址04

保存会の方々のご尽力ですね。


二郭は、畑として耕地されている。

     20200528並木城址05



二郭南端に何かが見えます。

     20200528並木城址13



そこには城址の標柱が建っている。

     20200528並木城址06


     20200528並木城址07



標柱の背後には空堀と土塁。

     20200528並木城址08



その空堀と土塁には横矢が掛かっている。

     20200528並木城址09


     20200528並木城址10


     20200528並木城址12



さらには、その奥にも空堀と土塁。

     20200528並木城址11

これが二重空堀なんですね。



二重空堀の先は土橋。
主郭虎口から振り返って見た土橋。

     20200528並木城址25



空堀側からの土橋。

     20200528並木城址26




主郭。

     20200528並木城址15

主郭も耕地化されている。


主郭南端。
眼下には腰郭。

     20200528並木城址16


     20200528並木城址17



腰郭に降りてみましょう。

     20200528並木城址18



おそらく、以前は藪状態だったとおもわれる空堀。

     20200528並木城址19


その空堀も整備されて歩き易くなっている。

     20200528並木城址20


腰郭へと下る空堀は、この先立ち入り禁止。

     20200528並木城址21

いつか、この先も整備されて進軍出来るようになるんだろうか?



改めて堀底道で記念写真。

     20200528並木城址22



腰郭側から二重空堀方向へと空堀内を進みます。

     20200528並木城址23


     20200528並木城址24



この辺りの空堀はかなり整備されている。

     20200528並木城址27


     20200528並木城址28


やっぱり、並木城の見所は、二重空堀を含めた、土塁と空堀に尽きるようですね。



並木城遠景。

     20200528並木城址29



こちらが、並木城の御城印。

     20200528並木城址30

この並木城の他に、志摩城、多古城と合計3種の御城印が発行されました。
多古町もなかなかやるなぁ!と思いながら、今回いずれも入手しましたが
それらは、また次の機会にでも..,............




2020/07/02 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御城印を求めて   《 佐倉城 》 (2020年5月27日)(千葉県佐倉市) 

5月27日

この日は夜勤明け。

習志野市の菊田神社をあとにして、向かって先は...............佐倉城址。


先日、臼井のAEONの中の本屋で佐倉城の御城印を手に入れました。

    20200527佐倉城01


    20200527佐倉城02


これまで、何度も びいすけを連れて佐倉城址には散歩に出かけました。
今更ながらと思いながらも、御城印を手に入れたからには
登城(訪城)しない訳にはいきません。
いつもは自宅から徒歩で向かいますが、今日は菊田神社から車での訪問。
大手側の駐車場に車を停め、大手から攻城します。

    20200527佐倉城03



大手口から三の丸に至る散策路沿いに建つ説明板。

    20200527佐倉城04



いざ、佐倉城への登城です。

    20200527佐倉城05



先ほどの説明板には佐倉城の縄張り図。

    20200527佐倉城06



三の丸門跡近くの城址公園の看板。

    20200527佐倉城07



そのすぐ隣には、三の丸門跡の説明板。

    20200527佐倉城08



染井吉野の木々が立ち桜の名所である三の丸跡。

    20200527佐倉城09



こちらは二の丸門跡。

    20200527佐倉城10



土塁。

    20200527佐倉城11



二の丸広場。
    20200527佐倉城12



テンションの高い びいすけ 。
二の丸広場で転がり、背中をスリスリ。

    20200527佐倉城13



ご機嫌な笑顔です。

    20200527佐倉城14


    20200527佐倉城15



本丸への土橋。

    20200527佐倉城16

残念ながら、本丸の空堀は雑草や木々が伸び切り
依然と比べると見応えが失せてしまった。



本丸の土塁。

    20200527佐倉城18



本丸広場。

    20200527佐倉城19



こちらでも、転がって背中をスリスリ。

    20200527佐倉城20



よほど背中が痒いのか?
はたまた、気持ちが良いのだろうか?

    20200527佐倉城21



そう言えば、小さい頃からこの本丸広場は びいすけ のお気に入りの場所でした。
いつも、こんな感じで腹這いになっていたっけ。

    20200527佐倉城22



本丸の一画は、天守跡。

    20200527佐倉城23


『跡』と言うだけあって、天守の姿や形はない。
説明板がなければ、天守跡とは思えない。

     a href="https://blog-imgs-137.fc2.com/b/i/i/biisuke0822/2020053121032349d.jpg" target="_blank">20200527佐倉城42



いつ頃からだろうか?
以前は無かったが、いつの間にか、こんな碑が建っている。

    20200527佐倉城24


    20200527佐倉城25



天守跡と言っても石垣も無く、単なる土壇。

    20200527佐倉城26


    20200527佐倉城27


    20200527佐倉城28



本丸広場をぐるっと取り巻くように土塁が走る。
その土塁の上から。

    20200527佐倉城29


     20200527佐倉城30



本丸から二の丸、そして馬出し空堀へと向かいます。

     20200527佐倉城31



馬出し空堀。

     20200527佐倉城32



緑が映えて、この時期が1番見応えがあるかもしれない。

     20200527佐倉城33


     20200527佐倉城34


     20200527佐倉城35



国立歴史博物館(歴博)の建つ椎木曲輪から姥ヶ池へと下って行きます。

     20200527佐倉城36



姥ヶ池。

     20200527佐倉城37



池には蓮の花が咲いている。

     20200527佐倉城38



姥ヶ池から坂を上がって大手へと向かいます。
坂の途中には三の丸の空堀。
     20200527佐倉城39


     20200527佐倉城40

やっぱり、佐倉城は土の城でもあるから
空堀が遺構として残っていることは意義がある。


こちらが、佐倉城の御城印。

     20200527佐倉城41

徒歩圏内の散歩コースでもある佐倉城址。
その佐倉城の御城印が出来たのは地元民としても嬉しい限り。

上総の佐是城から始まり、千葉城、大多喜城、臼井城、佐倉城と
千葉県内の御城印のある城址も増えてきた。
多古地区の並木城、志摩城、多古城、上総の池和田城、
館山(安房)の館山城、稲村城と御城印も随時発行されて行く。

城郭巡りもブームになるんだろうか...............?





2020/06/27 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御城印を求めて   《臼井城》  (2020年5月19日)(千葉県佐倉市) 

5月19日

この日は、公休日。
4月14日から新型コロナウイルス対策の勤務シフトになり
夜勤、明け、公休、公休と言う勤務サイクルが続き
今日、明日と連休です。

天気も良く無いし、車でパァ〜っと買い物に行って
そのついでに、どこかの公園ででも軽く散歩をして帰ろうと
びいすけ を連れて、臼井のAEONに買い物に出かけました。

そう言えば、臼井のAEONの1階の本屋で『臼井城』の御城印が
4月25日から販売される事になっていましたが
新型コロナウイルスの感染拡大の非常事態宣言が発令され
発売が延期され、いつになるか?分からない状態でした。
せっかくAEONに行くのだから、情報を仕入れましょう。

     20200519臼井城01



発売時期が未定だと言う事でしたが、何と販売されていました。

     20200519臼井城02

『えっ!?』と思いながらも、
当然『1枚下さい!』と購入いたしました。

ちなみに、同じく発売延期になっていた『佐倉城』の御城印も発売されていました。


御城印を手に入れたからには、攻城しなくっちゃ!
臼井城址には何度か訪れていますが、
御城印を手にして攻城しない訳にはいきません。
びいすけ の散歩も兼ねて、現在は臼井城址公園となっている臼井城へと訪れました。


臼井城は臼井氏の居城として知られています。
文明11年(1479年)には、太田道灌の率いる上杉方に攻められ、
7カ月におよぶ篭城の末に落城してしまいましたが、
このときに道灌の甥の太田資忠らが討ち死にしてしまいました。
現在も臼井城の土塁の上に資忠の墓が残されています。

その後、千葉氏の家臣、原胤貞が城主を務め、
永禄9年(1566年)には上杉謙信に攻められる(臼井城の戦い)など、
何度も合戦の舞台となっています。
1590年(天正18年(1590年)、秀吉の小田原征伐により原氏が滅ぼされ、
豊臣側に接収され、酒井家次が封じられました。
慶長9年(1604年)に酒井家次の高崎移封にされると廃城となりました。
現在は城址の一部が整備され、臼井城址公園となっています。





城址公園の入口に建つ城址碑。

     20200519臼井城03



今にも雨が降りそうな天気。
さすがに誰も居ません。

     20200519臼井城04



二の丸の芝生広場を我が者顔で闊歩する びいすけ。

     20200519臼井城05


     20200519臼井城06



二の丸奥の空堀。
この辺りはあまり手入れが行き届いていないから
雑草が生い茂っている。

     20200519臼井城34



こちらは、二の丸と本丸を隔てる空堀。

     20200519臼井城07



二の丸と本丸とは、土橋で繋がっている。

     20200519臼井城08



土橋の上から。

     20200519臼井城09




土橋側からの本丸虎口の土塁。

     20200519臼井城10


     20200519臼井城11



本丸側からの虎口の土塁。

     20200519臼井城12


     20200519臼井城13



本丸。

     20200519臼井城14



本丸から眺める空堀。

     20200519臼井城15



本丸広場を闊歩する びいすけ 。

     20200519臼井城16



本丸から眺める印旛沼。

     20200519臼井城17


     20200519臼井城18


     20200519臼井城20


     20200519臼井城19



本丸広場にて。

     20200519臼井城21


     20200519臼井城22



本丸から搦手口へと向かいます。

     20200519臼井城27



こちらが搦手口の登城口。

     20200519臼井城28


再び、本丸へと向かいます。

     20200519臼井城29


登城路からの腰曲輪。
そこには、土壇もある。

     20200519臼井城30



再びの本丸。

     20200519臼井城23


本丸の一角には祠も建つ。

     20200519臼井城24



祠の先には腰曲輪。

     20200519臼井城25



腰曲輪に降りてみました。


先程、搦手口から見た土壇。

     20200519臼井城26 




こちらが、太田資忠の墓。

    20200519臼井城31



三郭の土塁の上に建てられています。

     20200519臼井城32



二郭城塁に建つ社。
左が古峯神社、右が道祖神社。
     20200519臼井城33



そして、こちらが臼井城の御城印。

     20200519臼井城35

多古町の3つの城址の御城印や館山城や稲村城の御城印も発行されて
千葉県内の御城印も増えてきた。
御城印を求めて城郭巡り。
楽しみが増えてきました。


2020/06/20 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御城印を求めて   《下小池城》  (2020年3月18日)(茨城県稲敷郡阿見町) 

3月18日

この日は、御城印を求めて、茨城県の阿見町に出かけました。


御城印は、阿見町の『だんごの やまだ』で手に入れ、
向かった先は...............下小池城址。


     20200318下小池城01




下小池城址は以前、訪れた事があります。
( その時の攻城記は こちら )

     20200318下小池城02




下小池城の城の歴史については不明ですが
北条氏傘下の土岐氏によって天正期に築城されたと推測されます。

敵対する牛久城主・岡見氏や佐竹氏・多賀谷氏に対抗するための境目の城であったとされ、
天正十八年(1590年)、秀吉の小田原征伐の際の江戸崎城落城とともに
下小池城も落城したとされています。

     20200318下小池城03



阿見町が建てた説明板。

     20200318下小池城04


     20200318下小池城05



下小池城址の一部は、小池城跡公園として整備されています。

     20200318下小池城06



三郭の空堀。

     20200318下小池城07


     20200318下小池城08


     20200318下小池城09


  

こちらは、二郭の空堀。

     20200318下小池城10



二郭虎口。

     20200318下小池城12



二郭内部から、虎口の土塁。

     20200318下小池城11


     20200318下小池城13



二郭。

     20200318下小池城14




主郭虎口。

     20200318下小池城15



主郭空堀。

     20200318下小池城16


     20200318下小池城17



主郭。

     20200318下小池城18


     20200318下小池城19


     20200318下小池城20


主郭周辺は、相変わらず下草が多い。
もう少し整備されていれば、言うことは無いんですが............

     20200318下小池城21


     20200318下小池城22


     20200318下小池城23



こちらが、下小池城の御城印。

     20200318下小池城24


牛久市、阿見町と順に御城印が頒布され、
龍ケ崎市でも御城印のイベントが計画されていたようですが
昨今の新型コロナウイルスの感染防止のためのイベントの自粛で中止になってしまったようです。
一日も早くコロナウイルスが終息して、龍ケ崎市の城郭の御城印のイベントが
開催されるのを期待するところです。


2020/04/25 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御城印を求めて   《塙城》 (2020年3月18日)(茨城県稲敷郡阿見町) 

3月18日

この日は御城印を求めて土浦市、そして阿見町へと出かけました。


土浦城址(亀城公園)をあとにして、阿見町へと向かいます。
先ずは、御城印の頒布先である団子の山田屋にて御城印を手に入れます。

     20200318塙城01



御城印を手にした後に向かった先は................塙城址。


塙城址には、以前に訪れた事があります。
(その時の攻城記は こちら



塙城の築城時期等、詳細は不明ですが、
江戸崎城主である土岐氏の支城とされています。
館野氏が城主であったという伝承もありますが、
城址には土塁や空堀などの遺構が確認出来、
それらの遺構は土岐氏時代のものだとされています。




塙城の登城路入口。

     20200318塙城02



以前は無かった城址の案内看板。

     20200318塙城03

手作り感が満載でちょっぴり微笑ましい。


こちらは、阿見町の説明板。

     20200318塙城04



それでは、塙城へ進軍いたしましょう。


以前は、この先へと進みましたが、現在は立入禁止。

     20200318塙城05



その代わりに矢印の看板が立てられ、順路を導いてくれます。

     20200318塙城06



下草などを刈り、順路も整備され、
以前と比べるとかなり手入れが行き届いています。

     20200318塙城07



以前は雑草に覆われていた空堀も
今はその姿をハッキリと確認出来ます。

     20200318塙城08


     20200318塙城09


     20200318塙城10



矢印の看板に導かれ堀底道を上って行きます。

     20200318塙城11


     20200318塙城12



稲荷神社。

     20200318塙城13

千葉氏関連の城郭に妙見神社が鎮座するように
土岐氏関連の城郭には稲荷社が鎮座する。
五穀豊穣を祈い、屋敷神として祀られているようです。


前回は、下草等の雑草に覆われ、この稲荷社辺りで進軍を断念しましたが
今はかなり整備され、先に進むのに躊躇しなくて済みます。



稲荷社のある辺りは二郭になります。

     20200318塙城18


     20200318塙城17


     20200318塙城16




ニ郭の土塁もしっかりと確認できる。

     20200318塙城14



先程の立入禁止を進めば、この虎口に辿り着くのでしょうか?

     20200318塙城15




空堀。

     20200318塙城19




この先は主郭。

     20200318塙城20



土塁。

     20200318塙城21



二郭から主郭への虎口。

     20200318塙城22



主郭の空堀。

     20200318塙城23



塙城の搦手口の登城口。

     20200318塙城24



この台地が塙城。

     20200318塙城25



この登城路を進めば、直接主郭へと続く。

     20200318塙城26

おそらく、後世に作られた登城路ではないのだろうか?




こちらが、塙城の御城印。

     20200318塙城27



茨城県下の御城印、頒布される城郭が着々と増えてきています。
城好きにはたまりません。


2020/04/24 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御城印を求めて   《土浦城》  (2020年3月18日)(茨城県土浦市) 

3月18日  

この日は、茨城県の土浦市に出かけました。

ここ1〜2ヶ月で茨城県下に於いて、数種類の御城印が発行されています。
元々は牛久市の牛久市城跡めぐり運営委員会(LOCAL ACTIVATE)が始めたイベントで
牛久市内の4つの城郭の御城印を発行したのが始まりです。
その後、阿見町の城郭で3種、そして土浦市でも御城印が発行されることになりました。

今回、土浦市・阿見町の御城印巡りに奔走いたしました。

その第1弾。
土浦市の土浦城です。


土浦城には、以前訪れた事があります。
( その時の記事は こちら )


土浦城は、室町時代の永享年間(1429年〜1441年)に
常陸守護、八田知家の後裔である豪族の小田氏に属する若泉三郎が築いたとされています。
永正13年(1516年)に小田氏の部将・菅谷勝貞が若泉五郎右衛門を滅ぼし、
その家臣が城に入りました。
その後、菅谷氏が勝貞、政貞、範政の三代にわたって土浦城を守り、
戦国時代に佐竹氏が勢力を広げると、佐竹によって本拠の小田城を追われた小田守治が入城しました。
戦国時代が終わると、土浦は結城城の結城秀康のものになり、
小田氏はその家臣になり、代わって多賀谷村広が城代を務めます。
慶長6年(1601年)に結城秀康が越前国に転封になると、
藤井松平氏の松平信一が土浦城に入ります。
信一と子の信吉が、現在の城のおよその形を作ったとされています。
以後、土浦城には西尾氏、朽木氏、土屋氏、松平氏と城主が代わり
明治6年に、太政官符令で土浦城は廃止されました。

幅の広い二重の堀で守る平城であり、土浦が度々水害に遭っているが、
その際にも水没することがなく、水に浮かぶ亀の甲羅のように見えたことから
亀城とも呼ばれました。

土浦城址は、現在『亀城公園』として、桜の名所でもあり、
土浦市民の憩いの場となっています。


城址(亀城公園)に隣接する土浦市立博物館。

     20200318土浦城01

現在、こちらでは『土浦城展』が開催されています(〜5月6日)
この土浦城展に合わせて、土浦城の御城印が頒布される事になったようです。


御城印は、博物館の受付で頒布されています。

     20200318土浦城02

御城印も手に入れました。


では、土浦城を攻略いたしましょう。

     20200318土浦城21



太鼓櫓門

     20200318土浦城03

何と言っても、この門が土浦城の象徴と言っても過言では無い。



太鼓櫓門の前には、土浦城址の碑。

     20200318土浦城04



太鼓櫓門の先は、本丸跡。

     20200318土浦城05


     20200318土浦城06


     20200318土浦城08


     20200318土浦城20



本丸跡に建つ西櫓(復元)。

     20200318土浦城09


     20200318土浦城07




こちらは、東櫓(復元)     

     20200318土浦城12


     20200318土浦城13



本丸土塁。

     20200318土浦城14


     20200318土浦城11


     20200318土浦城15


     20200318土浦城16



本丸土塁からの水堀。

     20200318土浦城17


こちらは二の丸の水堀。

     20200318土浦城18


     20200318土浦城19



こちらが、御城印。

     20200318土浦城22


『土浦城展』が開催されなかったら、
発行(頒布)されなかったかもしれない土浦城の御城印。
とりあえず、手に入れる事が出来ました。



2020/04/23 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御城印を求めて   《大多喜城址》  (2020年3月7日)(千葉県夷隅郡大多喜町) 

3月7日  

この日は、大多喜町に出かけました。

熊野神社をあとにして、向かった先は...............大多喜城址。

実は、3月1日から大多喜城の御城印が頒布される事になりました。
佐是城址、猪鼻城址に次いで千葉県内で3番目の御城印になります。
元々、城址巡りが好きでしたし、最近は御朱印巡りにどっぷりハマり、
その二つを足したようなモノが御城印。
御朱印ブームにあやかってか?
最近は御城印を頒布する自治体の観光協会も増えてきました。
これはもう集めるしかないですね。



と言う事で、先ずは大多喜城の御城印の頒布先である『観光本陣』へと向かいます。

御城印もゲットです。

     20200307大多喜城址24

御朱印と違って、実際に登城しなくても御城印は手に入ります。
ましてや、以前に大多喜城址に訪れたことはありますが
( その時の記事は こちら )
御城印だけ手に入れ、城は攻略しない。
それでは城好きの名がすたります。

それでは、大多喜城を攻略いたしましょう。



駐車場に車を停めて...............


登城路に建つ城址碑。

     20200307大多喜城址01


     20200307大多喜城址02



NHKの大河ドラマの勧誘の幟。

     20200307大多喜城址03

数年前から続くこの活動。実ると良いですね。



説明板の一部。

     20200307大多喜城址04

縄張り図が載っています。


大多喜城は、別名を大滝城とも書きますが、
最初は小田喜城(おだきじょう)と名づけられたようです。
戦国時代の1521年に真里谷信清が小田喜城を築城したのが始まりとされています。
真里谷朝信が小田喜城主だった1544年に、里見義堯の家臣・正木時茂((正木時綱子)が、
真里谷朝信を討って、小田喜城を居城としました。
その後、正木信茂、正木憲時と続きますが、
1574年、里見義堯の死後は里見義弘に従っています。
しかし、北条氏政の支援を受けた里見義頼が反乱を起こし、
里見義弘に従っていた正木憲時・太田康資などは家臣らに殺害されてしまいます。

その後、小田喜城(大喜多城)には、里見義頼の家臣が城代として入りますが
里見義頼の長男・里見義康は、1590年の小田原攻めの際に、
独自に行動したことから惣無事令違反に問われ、
秀吉の命にて、上総国を没収され安房4万石に減封されてしまいます。
その上総国を拝したのが駿河から関東に移封された徳川家康です。
家康は江戸城に入城すると、徳川四天王の一人である本多忠勝を
10万石で大多喜城主に命じました。
その背景には、安房の里見氏への牽制も含めたものです。
そして、この時に大多喜城の大改修を行ったとされています。
3層4階の天守を持つ近世城郭へと大改築を行い、
麓に城下町の建設を行い、以後、この城は大多喜藩の拠点として
幕末まで重要な役割を果たしてきました。



ニの丸付近の空堀。

     20200307大多喜城址05



二の丸。

     20200307大多喜城址09

現在は、二の丸公園となっています。


そして、二の丸公園の奥には梵鐘があります。

     20200307大多喜城址06




こちらが、その梵鐘。

     20200307大多喜城址07

この梵鐘は、煩悩を断って悟った無上の境地を弔うために、
大多喜城下の人々が托鉢し、金銭の施しを受け、
藤原勝行によって造られたモノらしい。



二の丸の竪堀。

     20200307大多喜城址08


大多喜城の復興天守閣は、近世大多喜城の本丸跡に城郭様式で建設した
県立中央博物館大多喜城分館。
いわゆる、歴史的博物館です。

コロナ騒ぎで、この時期は臨時に休館となっていましたが
『房総の城と城下町展』が開催されていたようです。

     20200307大多喜城址22


     20200307大多喜城址10



こちらが、本丸跡に建つ復興(模擬)天守閣。

     20200307大多喜城址11


     20200307大多喜城址12


     20200307大多喜城址13


     20200307大多喜城址14



本丸奥に残る土塁。

     20200307大多喜城址15



二の丸の井戸。

     20200307大多喜城址16


二の丸跡に建つ千葉県立大多喜高校の校庭には
大多喜城の井戸が残っています。

     20200307大多喜城址17



二の丸の大多喜高校から見上げる復興天守閣。

     20200307大多喜城址18



大多喜高校の敷地内には、大多喜城の薬医門も残る。

     20200307大多喜城址19


     20200307大多喜城址20



大多喜高校内に残る土塁。

     20200307大多喜城址21



こちらが、大多喜城の御城印。  

   20200307大多喜城址23



猪鼻城、大多喜城と続いて発行された御城印。
いずれも復興天守閣(歴史博物館)の建つ近世の城址。
この流れから行くと、次に御城印が発行(頒布)されるのは
館山城か久留里城になるんだろうか?




2020/04/19 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御城印を求めて   《佐是城址》  (2020年3月7日)(千葉県市原市) 

3月7日  

この日は、大多喜町に出かけました。
でも、大多喜町に向かう前に市原市でちょっと寄り道。

以前、訪れたことのある市原市の佐是城(址)で
( その時の記事は こちら )
御城印が頒布されていると知り、訪れてみました。


市原市佐是にある幸福禅寺周辺が佐是城跡とされています。

     20200307佐是城址01


佐是城は、真里谷武田氏の支城です。
伝承によれば、元々の創築は、鎌倉時代に佐是禅師円阿が館を構えたとされ
真里谷武田信興の弟である三郎国信が天文年間(1532~55年)にこの地に分封され、
佐是城を築いたとされています。
その後、国信の子孫は、1552年の椎津合戦で籠城軍と参陣し討死したと伝えられる。
その後の佐是城主武田氏の事績は不明であるが、現在残る遺構からは、その後も城は改修されたと考えられている。




光福禅寺へと上がる虎口
いわゆる堀之内から内曲輪へと向かう虎口の標柱。

     20200307佐是城址02


     20200307佐是城址03



その虎口。

     20200307佐是城址04



土塁のように見える土壇。
実は、前方後円墳。

     20200307佐是城址05



幸福禅寺の境内入口近くに建つ説明板。

     20200307佐是城址06

佐是城址について記されていて、縄張り図も記載されているけれど
カスれて読みづらい。



すぐ近くには、縄張り図が記された佐是城址の碑。

     20200307佐是城址07



幸福禅寺の墓地側の山門付近の土塁。

     20200307佐是城址08



墓地の中の土塁。

     20200307佐是城址09


     20200307佐是城址19



こちらは、幸福禅寺の本堂。

     20200307佐是城址10



佐是城の御城印は、こちらの幸福禅寺にて頒布されています。

     20200307佐是城址11

どうやら、千葉県初の御城印と言う事です。


幸福禅寺の境内に建つ、佐是城の碑。

     20200307佐是城址12

『佐是城内戦国末期の館跡』となっています。


境内奥の羅漢の森。
実は、こちらは櫓台跡。

     20200307佐是城址13


     20200307佐是城址14


     20200307佐是城址15


     20200307佐是城址16



櫓台の下方にも、もう一つの櫓台跡。

     20200307佐是城址17



この佐是城址、特に幸福禅寺の敷地内には二重櫓台跡が
一つの見所となっています。

     20200307佐是城址18



実は、ここまでは佐是城址のほんの一部。
城域は広く、三郭、二郭、そして主郭は幸福禅寺から離れた場所になる。
主郭を目指して進みます。

     20200307佐是城址20



二郭近くに建つ城址の標柱。

     20200307佐是城址21


     20200307佐是城址22



この標柱の右奥が主郭へと繋がっている。

     20200307佐是城址23

前回、行きそびれてしまったため、今回は主郭目指して進軍します。



しかし、前日の雨で泥濘んだ道を進みます。
空堀も泥濘んでいる。

     20200307佐是城址24


主郭への登城路から見下ろす空堀。

     20200307佐是城址31



主郭虎口。

     20200307佐是城址30



主郭の虎口の先には、説明板。

     20200307佐是城址27


     20200307佐是城址25


     20200307佐是城址26



整備(?)されていると思われるのはココまで。

     20200307佐是城址28

この先は竹藪状態。


コレ以上先は、今日は断念。

     20200307佐是城址29





こちらは、明(妙)性印。

     20200307佐是城址32

以前、こちらが主郭と勘違いしていました。
今は、立ち入り禁止のロープが張られています。


こちらが、佐是城の御城印。

     20200307佐是城址33

幸福禅寺にて、拝受いたしました。




2020/04/17 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御城印を求めて   《亥鼻城》 (2020年2月18日)(千葉県千葉市中央区) 

2月18日

この日は、千葉市に出かけました。

最近、御城印なるものがにわかに脚光を浴びるようになってきました。
昨今の御朱印ブームにあやかり、町興しの一環で
御城印を頒布すると言う事も多いようです。

実は、千葉市中央区の亥鼻城址。
復興天守ではありませんが、小田原城を参考にして
昭和42年に模擬天守閣が建てられました。
その亥鼻城址の御城印が、この2月15日から頒布される事になりました。

地元(千葉県)だし、城好きだし、御朱印好きだし、
何と言っても千葉一族の城の御城印。
手に入れない訳にはいかないでしょ?

と言う事で、亥鼻城址にやって来ました。



こちらが亥鼻城。

     20200218亥鼻城01



立派な天守閣ですが復刻版。
いや、小田原城を参考にして建てられたから
厳密には復刻天守閣ではない。

     20200218亥鼻城02



千葉市立郷土博物館として建てられたもの。

     20200218亥鼻城03


     20200218亥鼻城22




その亥鼻城の御城印が2月15日から頒布される事になりました。

     20200218亥鼻城05



千葉市立郷土博物館の目の前にある『いのはな亭』で頒布されています。

     20200218亥鼻城04



『いのはな亭』にて亥鼻城の御城印を手に入れました。

     20200218亥鼻城06


     20200218亥鼻城07


千葉市立郷土博物館の建つ亥鼻城の主郭。

     20200218亥鼻城08



千葉常胤がお出迎え。

     20200218亥鼻城09



この千葉常胤の騎馬像は、千葉市市制80周年と政令指定都市移行10年を記念して
平成13年に建立されました。

     20200218亥鼻城10



亥鼻城址は、現在『亥鼻公園』と称した歴史公園となっています。

     20200218亥鼻城11



公園内には亥鼻城時代の土塁も残っています。

     20200218亥鼻城12



千葉開府800年記念碑

     20200218亥鼻城13


  
亥鼻城の守護神として鎮座していつ神明社。

     20200218亥鼻城15



その社号標。

     20200218亥鼻城14



手水鉢。

     20200218亥鼻城16

なぜか、破損したバラバラになった灯籠が手水鉢の中に入っている。



神明社。

     20200218亥鼻城17



境内の一角に『亥鼻城址碑』。

     20200218亥鼻城18


     20200218亥鼻城19



この辺りにも土塁の一部が残っている。

     20200218亥鼻城20



千葉開府850年記念碑。

     20200218亥鼻城21

昭和51年に建立されました。




こちらが、亥鼻城の御城印。

     20200218亥鼻城23


千葉氏の家紋の月星紋と九曜紋が泣かせますね。


2020/04/07 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御城印を求めて   《東林寺城址》  (2020年2月12日)(茨城県牛久市) 

2月12日

この日は、茨城県鹿嶋市牛久市に出かけました。

最近になって知ったのですが.........

牛久市内の城址の御城印が発行されていると知り、この日は奔走しました。

小坂城、岡見城と御城印を手に入れ、
城址も攻略し更なる御城印を求めます。
JR牛久駅近くにある『芋千』にて、
牛久城、東林寺城の御城印を手に入れます。
そして、牛久城を再攻略し、東林寺城址へと向かいます。

東林寺城址も以前に訪れた事がある城址です。
( その時の攻城記は こちら )



東林寺城址は、その名の如く 東林寺のある背後の台地が城域の城になります。
牛久城の北西に位置し、牛久沼に半島状に伸びた台地の南端に築かれていました。



その城郭の一部である東林寺は曹洞宗の寺院です。

     20200212東林寺城址01


     20200212東林寺城址02



山門。

     20200212東林寺城址03



本堂。

     20200212東林寺城址04



本堂の扁額。

     20200212東林寺城址05




本堂の裏手の墓地の一角に、東林寺城址から出土された五輪塔があります。

     20200212東林寺城址06


     20200212東林寺城址10


     20200212東林寺城址07



東林寺城址には城址碑や城址の説明板と言った類いのモノは無く
東林寺城址を示すモノは、この五輪塔の説明板のみ。

     20200212東林寺城址08



墓地の奥には、土壇。

     20200212東林寺城址09



墓地造成時に改変されているかとは思うけれど
土塁のようにも見える。

     20200212東林寺城址11



東林寺の墓地を抜けて、台地頂部を移動します。
東林寺の敷地奥の台地が三郭になります。


三郭から二郭への土橋。

     20200212東林寺城址12

空堀も一部分残っているけど、野生化していて藪状態。



二郭。

     20200212東林寺城址13

二郭を含め、東林寺城址の郭跡の多くは耕作化され、
畑となっています



残念ながら主郭のある台地先端は削られ、隠滅してしまいました。
二郭先端からの牛久沼の眺望。

     20200212東林寺城址14

対岸の台地が牛久城址になるようです。



三郭。

     20200212東林寺城址15


三郭の多くも耕作化され畑と化しています。

     20200212東林寺城址16


     20200212東林寺城址17



前回は三郭の先(四郭)には行かなかったので
今回は、四郭に向けて進軍いたしましょう。

     20200212東林寺城址18



三郭と四郭を隔てる空堀があり、土塁もあります。

     20200212東林寺城址19


空堀に掛かる土橋。

     20200212東林寺城址20



空堀は、それなりの深さはあるけれど、雑草や木々が伸びて藪状態。

     20200212東林寺城址21



この時期で、この状態ならば、夏の時期には凄い事になっているだろう。

     20200212東林寺城址22



土橋の上から眺める三郭の土塁。

     20200212東林寺城址23


     20200212東林寺城址24



土塁の一部は櫓台のような土台となっていて
その頂部には、祠が祀られている。

     20200212東林寺城址25

この辺りの土塁は見応えがありますね。



こちらが、東林寺城(址)の御城印。

     20200212東林寺城址26


この日、駆け足で『小坂城址』『岡見城址』『牛久城址』『東林寺城址』と巡ったけど久しぶりに城址巡りをしたと言う満足感に満たされました。

御城印巡りも悪く無いですね。




2020/03/30 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御城印を求めて   《牛久城址》  (2020年2月12日)(茨城県牛久市) 

2月12日

この日は、茨城県牛久市に出かけました。

最近になって知ったのですが.........

牛久市内の城址の御城印が発行されていると知り、
この日は奔走しました。

小坂城、岡見城と御城印を手に入れ、
城址も攻略し更なる御城印を求めます。
JR牛久駅近くにある『芋千』にて、
牛久城、東林寺城の御城印を手に入れます。

     20200212牛久城址27




牛久城址、東林寺城址のいずれも訪れてはいますが
御城印を手にしたからには、城址も再攻略いたしましょう。

と言うことで、先ずは牛久城址へと向かいます。

牛久城址も以前訪れた事があり、これで2回目の訪問となります。
( その時の攻城記は こちら )



牛久城の城域も広く、主郭や二郭と大手門との距離はかなり有る。


こちらが、大手門跡。

     20200212牛久城址01


     20200212牛久城址02


     20200212牛久城址03



大手門近くに鎮座する社。

     20200212牛久城址04

古くから、この場所に鎮座していたようです。



大手門跡から根古屋を抜けて、三の丸近くまで車で侵入する事が出来ます。

     20200212牛久城址05



牛久城址の説明板。

     20200212牛久城址06


     20200212牛久城址29


ここから車を離れ、自分の足で進軍です。

     20200212牛久城址08


大きく口を開けるかのようには待ち構える空堀。

     20200212牛久城址07




空堀に掛かる土橋。
     
     20200212牛久城址09



土橋の先には虎口が待ち構える。
 
     20200212牛久城址11


虎口の土塁。

     20200212牛久城址12




さらに進みます。

     20200212牛久城址10

     20200212牛久城址13


二の丸と本丸を隔てる空堀。

     20200212牛久城址14


     20200212牛久城址15 



右側が二の丸、左側が本丸。

     20200212牛久城址25


     20200212牛久城址26



二の丸の空堀な掛かる土橋。

     20200212牛久城址16



竹藪の先が、二の丸の虎口。

     20200212牛久城址17



こちらが、二の丸曲輪。

     20200212牛久城址18



てっきり、こちらが本丸曲輪だと勘違いして
御城印のバックに写真撮り。

     20200212牛久城址19


     20200212牛久城址20


     20200212牛久城址21


こちらが、本丸虎口。

     20200212牛久城址22


虎口の土塁。

     20200212牛久城址23



自宅に帰ってくるまで、てっきりこちらは二の丸曲輪と勘違いしていました。


     20200212牛久城址24



こちらが、牛久城(址)の御城印。

     20200212牛久城址28


約6年振りに再訪した牛久城址。
連郭式、小田原北条氏の城の特徴を持つ牛久城址。
これぞ戦国時代の山城、関東の土の城。

やっぱり、『土の城は良い』と思うのは私だけ...............?





2020/03/29 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御城印を求めて   《岡見城址》  (2020年2月12日)(茨城県牛久市) 

2月12日

この日は、茨城県の牛久市に出かけました。

最近、牛久市内の城址の御城印が発行されていると知り、この日は奔走しました。

『ヤマイチ味噌』で、小坂城と岡見城の御城印を手に入れます。
小坂城も岡見城も訪れたことがありますが
せっかく御城印を手に入れたんだから
先ずは小坂城址も再攻略いたします。
更には岡見城址へと足を伸ばします。


岡見城址に訪れるのは、これで2回目。
( 前回の攻城記は こちら )

 

びいすけ の背後の森が岡見城址。

     20200212小坂城址29


では、岡見城へ進軍いたしましょう。




こちらが、登城口。

     20200212岡見城址01



竹藪の間の登城路を進みます。

     20200212岡見城址02



所々、倒木があって行手を遮ります。

     20200212岡見城址03


お世辞にも手入れが行き届いているとは言えない。
かろうじて、空堀が確認出来る。

     20200212岡見城址04



主郭へと足を進めるが、やはり倒木や竹藪が邪魔になる。

     20200212岡見城址05


主郭の土塁。

     20200212岡見城址08


主郭内部。
完全な藪状態。

     20200212岡見城址06



進軍する気が失せて来ます(笑)。

     20200212岡見城址07

まあ、過去に一度来ているし、この先何も無い事も知っているから
素直にこの場から撤収いたします(笑)。



先ほどの土塁の奥には、埋もれかけている空堀。

     20200212岡見城址09


     20200212岡見城址10



こんな祠も建っています。

     20200212岡見城址11



空堀に沿って進軍します。

     20200212岡見城址12


     20200212岡見城址13


     20200212岡見城址14


     20200212岡見城址15



空堀の先にちょっと拓けた場所になり
そこには城址碑と供養塔が並ぶ。

     20200212岡見城址16



岡見城址の碑。

     20200212岡見城址17


     20200212岡見城址18


     20200212岡見城址19



岡見家代々の供養塔。

     20200212岡見城址20



供養塔脇の土塁。

     20200212岡見城址21

土塁の奥は主郭になるけど、完全な藪状態。



土塁に沿って奥に進めば、虎口が現れます。

     20200212岡見城址22



虎口の先は、やはり藪状態。

     20200212岡見城址23


岡見氏の本城なんだけど、支城である小坂城址に比べ
整備が行き届いていない。残念です。



こちらが、岡見城(址)の御城印。

     20200212岡見城址24


牛久市の御城印巡り、まだまだ続きますよぉ〜!


2020/03/28 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御城印を求めて   《小坂城址》  (2020年2月12日)(茨城県牛久市) 

2月12日

この日は、茨城県の牛久市に出かけました。

最近、ネットにて得た情報なのですが、
牛久市城跡めぐり運営委員会が主催して
『牛久市城跡めぐり』と称して、御城印を発行しているらしい。

御城印は、いわば城版の御朱印みたいなモノ。
城址巡りを趣味とし、また御朱印巡りを楽しむ物として
黙ってはいられません。

と言う事でこの日は、牛久市内の御城印を求めて奔走します。

最初に久野城の御城印を求めて、
落花生で有名な『味の老舗いしじま』に行くと、
何と定休日。

続いて向かったのは『ヤマイチ味噌』。
こちらで、小坂城と岡見城の御城印を手に入れます。

     20200212小坂城址01


小坂城も岡見城も訪れたことがありますが
せっかく御城印を手に入れたんだから
城址も再攻略いたしましょう。

と言う事で、向かった先は...............小坂城址。


小坂城址に訪れるのは、これで2回目。
( 前回の攻城記は こちら )。

稲敷市(旧・江戸崎町)からつくば市へと続く国道408号線沿いの台地に在る小坂城址。
整備が良くて、遺構も多く残り、土塁や空堀、空堀に架かる土橋、
郭の虎口など、城址巡りの初心者でも
それらの遺構をはっきりと認識出来る整備のされた城址。
マイナーな城址ではありますが、個人的にはお気に入りの城址の一つです。


城址入口に建つ城址碑。

     20200212小坂城址02


     20200212小坂城址03


     20200212小坂城址04


その脇には2枚の説明板。

     20200212小坂城址05


     20200212小坂城址06



こちらは、小坂城址にまつわる逸話の説明板

     20200212小坂城址07


では、小坂城を攻略いたしましょう。



こちらは、四郭。

     20200212小坂城址10



光の加減で見づらいですが、三郭の空堀。

     20200212小坂城址08


三郭の土塁。

     20200212小坂城址28


土塁の奥には、三郭と二郭を隔てる空堀。

     20200212小坂城址09


その空堀に架かる土橋。

     20200212小坂城址11



二郭の虎口。

     20200212小坂城址12



二郭内部。

     20200212小坂城址13


     20200212小坂城址15

  

二郭と主郭の間の空堀。

     20200212小坂城址14



その空堀に架かる土橋(主郭側より)。

     20200212小坂城址16



主郭の虎口。

     20200212小坂城址17



主郭内部。

     20200212小坂城址21



主郭に建つ説明板。

     20200212小坂城址19


この方角に、江戸崎土岐氏の支城である泉城がありました。

     20200212小坂城址20

岡見城との距離は直線でおよそ2kmほどで、
岡見氏はこの小坂城を最前線の守備の要として
土岐氏と幾度となく争っていたようです。



主郭土壇。

     20200212小坂城址23


     20200212小坂城址24

この場所は物見台(櫓台)。
小坂城址で一番高い場所になる。



その土壇から二郭を見下ろしてみます。

     20200212小坂城址22

かなり埋もれているけれど、しっかりと空堀の姿を見ることが出来ます。



その空堀。

     20200212小坂城址25


     20200212小坂城址26



三郭と主郭の間は部分的に空堀が並び、二重空堀になっている。

     20200212小坂城址27

これは見応えありますね。


国道408号線は、ちょくちょく走るから
小坂城址の前をちょくちょく通ってはいるんだけど
城址に立ち寄ったのは約6年振り。
6年前と変わらず、整備が行き届き、
しっかりと管理されている小坂城址。
     
たしか、小坂城址保存会って言うのがあったと思うけど
その活動にあたまが下がります。

     



こちらが、小坂城(址)の御城印。

     20200212小坂城址30

牛久市城跡めぐり運営委員会が主催して行われた『牛久市城跡めぐり』。
茨城県内で初めて御城印を発行したイベント。
イベント終了後も継続的に頒布している御城印。

私にとっても茨城県内の初御城印。
今後の展開に期待です。


2020/03/28 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

鶴ヶ城 (2018年10月29日)(福島県会津若松市) 

10月29日

1泊2日の福島旅行。
その初日は会津若松市にやって来ました。


会津若松市と言えば、城下町。
昔、昔の戦国時代、会津地方は後の会津若松である黒川を本拠とする
戦国大名の蘆名家の領国でした。
蘆名氏は会津守護を自称して勢威を奮いましたが、
天正17年(1589年)、蘆名義広が摺上原の戦いで伊達政宗に大敗して
会津は伊達政宗の支配下に入り、政宗は黒川を新たな本拠としました。

天正18年(1590年)、豊臣秀吉は会津黒川に入って奥州仕置を行ないます。
会津地方及び周辺地域を政宗から没収し、蒲生氏郷を42万石で入部させます。
(後に検地と加増で氏郷は92万石を領有することになります。)

氏郷は黒川を若松と改め、故郷の近江日野から商人や職人を呼び寄せて
武家屋敷を分離させた町割をして、新たな城下町を建設します。
また、黒川城を新たに7層の天守を持つ城を築いて、現在の会津若松の基盤を築きました。

その後、秀吉の命により上杉家(120万石)の領地となりますが
江戸幕府成立後は、再び蒲生家(60万石)の領地となります。

その後、加藤家(40万石)、保科家(23万石)と藩主は変わっていきますが
保科家が会津松平家と改姓し、徳川家と深い繋がりを持っていきます。

武家政治の終焉、徳川時代の終焉の象徴でもある戊辰戦争における
会津若松の悲劇は、こうした時代背景からくるものでしょう。





さて、その会津若松の象徴である鶴ヶ城。

地元では鶴ヶ城(つるがじょう)と言われていますが、
地元以外では会津若松城と呼ばれることが多いそうです。
文献では旧称である黒川城、または単に会津城とされることもあるそうです。
国の史跡としては、若松城跡の名称で指定されているそうです。

郭内(武家屋敷)と町屋敷が外濠で隔てられ、
さらには郭内の内側に内濠を有する梯郭式の平山城です。

1384年、蘆名氏7代当主の蘆名直盛が小田垣の館(東黒川館)という館を造ったのが
若松城のはじまりとされています。
諸説はありますが、15世紀半ば迄には黒川城、とその城下が成立していました。
以後、蘆名氏の城として戦国時代を迎え、蒲生、伊達、上杉、加藤、保科(後の松平)と
変わりゆく城主を見守ってきたのが鶴ヶ城です。


こちらが、鶴ヶ城の縄張り図。

      鶴ヶ城縄張り図

                      (余胡さんのHPよりお借りしました。)


著名な観光地でもあるから、案内板も完備されています。

      20181029鶴ヶ城01



西出丸は現在、有料駐車場。

駐車場と利用するのは勿体ない気もするし
城内に車が頻繁に出入りするのは.....?......と思うけれど
諸般の事情で仕方ない。


西出丸の石垣。

      20181029鶴ヶ城02



西出丸から本丸に向かう土橋。
正面は本丸枡形。

      20181029鶴ヶ城31




本丸枡形の石垣。

      20181029鶴ヶ城03





本丸の隅には、上杉謙信の仮廟所跡

      20181029鶴ヶ城04

      20181029鶴ヶ城05

戦国時代の武将・上杉謙信は天正6年(1578年)に亡くなり、
居城であったかすが春日山城(新潟県上越市)に埋葬されましたが
その後継者である上杉景勝が会津に移封するにあたり
上杉謙信の墓所も鶴ヶ城内のこの辺りの仮殿に安置したそうです。



鐘撞堂

      20181029鶴ヶ城06


時守を置いて昼夜時刻を城下に報じていたお堂。

      20181029鶴ヶ城07



こちらが、本丸天守閣。

      20181029鶴ヶ城08


残念ながら、この天守閣は復興天守閣・

      20181029鶴ヶ城09

現在の日本の城郭で築城時のオリジナルの天守閣が現存するのは12城のみ

弘前城(青森県)
松本城(長野県)
丸岡城(福井県)
犬山城(愛知県)
彦根城(滋賀県)
姫路城(兵庫県)
松江城(島根県)
備中松山城(岡山県)
丸亀城(香川県)
伊予松山城(愛媛県)
宇和島城(愛媛県)
高知城(高知県)

これら12城以外は、残念ながら戦火等により焼失、
あるいは明治6年(1873年)の廃城令で解体されてしまいました。

この鶴ヶ城も復興天守閣で、ないぶは資料館となっています。 



      20181029鶴ヶ城10



天守閣東側で鶴ヶ城のゆるキャラ(?)と記念写真。

      20181029鶴ヶ城11





せっかくだから、復刻天守閣に入場します。

      20181029鶴ヶ城12


天守閣内は資料館となっているため、写真撮影は禁止。

      20181029鶴ヶ城13


展示されている資料には目もくれず、天守閣の最上部を目指します。


天守閣から眺める会津若松市街。

      20181029鶴ヶ城14


      20181029鶴ヶ城15


      20181029鶴ヶ城16


      20181029鶴ヶ城17



天守閣直下。

びいすけ と もっちゃん が下で待っているはずだから
探してみましょう。

      20181029鶴ヶ城18



見~つけた!!

      20181029鶴ヶ城19


      20181029鶴ヶ城20


天守閣から眺める本丸御殿跡。

      20181029鶴ヶ城21



本丸御殿跡

      20181029鶴ヶ城22



その説明版。

      20181029鶴ヶ城23



こちらは、干飯櫓・南走長屋。

      20181029鶴ヶ城24



本丸御殿側からの天守閣。

      20181029鶴ヶ城25




おまけ。

こちらも鶴ヶ城の遺構の一つ。

      20181029鶴ヶ城26



マンホールカードを貰いに行った市役所第2庁舎の手前にあった郭門。

      20181029鶴ヶ城27



みごとな石垣が市街地に残っている。

      20181029鶴ヶ城28


      20181029鶴ヶ城29



こちらが、鶴ヶ城の登閣証。

      20181029鶴ヶ城30

個人的には御朱印と同じものだと扱うことにしています。
実は、これが欲しかったんだぁ。
天守閣前の観光案内所で求めることができます。
てっきり、天守閣内部の売店で求めるものだと思ってました。。

510円払って登らなくても良かったんだ.................

城の御朱印(正確には御朱印じゃ無いけれど)、城と御朱印好きには堪らない!!




鶴ヶ城、じっくりと見学したら、とても1時間程度の時間じゃ巡りきれない。
今回、急ぎ足で巡っちゃったから、いずれ時間をかけて
城下の遺構も含めて、じっくりと見学したいものです。





2018/12/20 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit