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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

父さんの都内散歩.............矢口の渡し跡 (2019年3月18日)(東京都大田区) 

3月18日

この日は、都内・大田区に出かけました。
蒲田界隈を散歩します。

蒲田駅前から矢口方面へと足を伸ばし、
訪れた東八幡神社。

      20190318矢口の渡し01


      20190318矢口の渡し02


その境内で、こんな碑を見つけました。

      20190318矢口の渡し03

『矢口の渡し跡』の碑。



江戸中期以降、この付近に「矢口の渡し」と呼ばれる渡し場があったそうです。

今でこそ河川が整備されていますが、
『矢口の渡し』の位置は、多摩川の流れの変化に従って変わりました。

昭和24年に多摩川大橋が完成するまで、
この付近が区内で最後の渡船場として利用されていたそうです。





多摩川の堤防から眺める多摩川大橋。
橋の向こう側は神奈川県川崎市。

      20190318矢口の渡し04



ここから1kmほど北に「新田神社」があります。
新田義貞の子である義興 が, 『矢口の渡し』で命を落とし、
この地に埋葬され, その墓前に建てられたのが新田神社と言われています。

新田義興が『矢口の渡し』で討死したといわれる延文3年(1358年)頃の渡し場は,
現在の新田神社付近であったとされ、多摩川は,今より東へ大きく 迂回していたそうです。
渡し場がこの付近になったのは、江戸中期からであるとされています。

      20190318矢口の渡し05


      20190318矢口の渡し06



堤防から河岸に降りて、多摩川の流れに近づいてみましょう。



この場所に『矢口の渡し』の説明板が建っていたのですが
説明板そのものは、破損のため外されていました。

      20190318矢口の渡し07



河川の護岸も整備された多摩川。
古くは旧鎌倉街道の渡しであった『矢口の渡し』。

      20190318矢口の渡し08


      20190318矢口の渡し09


      20190318矢口の渡し10


今では、その面影もないようです..................,。





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2019/05/24 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

甚兵衛の渡し  (2014年10月12日)(千葉県成田市) 

10月12日 公休日

個人的な連休の2日目。
北総のドッグランをあとにして、まっすぐ自宅へ帰るつもりだったのだが
ちょっぴり機が変わり、印旛日医大駅前から旧・印旛沼を抜け
成田市方面に車を走らせました。

向かった先は.........甚兵衛の渡し

甚兵衛」の渡しとは

それは江戸時代前期のことです。
当時、この辺りは佐倉藩の領地で、領民は佐倉藩の重税に苦しんでいました。
義民、佐倉惣五郎は、佐倉藩による重税の過酷さを徳川将軍に直訴した人物です。
当時、将軍に直訴することは死罪にあたり、
直訴した結果、佐倉惣五郎とその家族は死罪になってしまいました。
しかし、佐倉藩の領民は過酷な重税から解放され、惣五郎に感謝し、
彼に縁のある土地に多くの記念碑が建てられました。

甚兵衛の渡しも、その一つです。
甚兵衛という人物は、佐倉惣五郎が江戸に直訴に行く際に、
惣五郎を小舟に載せて印旛沼を渡し、対岸の吉高に送り届けました。
惣五郎は、佐倉藩の厳しい監視を潜り抜けることが出来、江戸へと向かうことが出来ました。

しかし、自分のやったことが佐倉藩に見つかってしまった場合、
甚兵衛は捕まって家族共々投獄されてしまいます。
そうなることを恥じた甚兵衛は、自ら印旛沼に身を投げたと伝えられています。




こちらが、甚兵衛の渡しの標柱。

成田市って文化財に対する認識が高く
こうやって記念碑や標柱を設置してくれています。

      20141012甚兵衛渡し01

この甚兵衛の渡しは、甚兵衛公園としても整備されています。

先ずは、田んぼの脇を通って印旛沼の湖畔に行ってみましょう。


かつて、重い年貢で苦しめられた領民は、新田開拓と言う名の御旗の元に
この地を開拓して水田を拡げて来ました。

昔の印旛沼はもっと広かったと思うけれど
今は、かなり開拓で埋められて水田となっています。


      20141012甚兵衛渡し02



ロングリードの びいすけ 。
匂いをクンクンと嗅ぎながら、
あっちに行ったり、こっちに行ったり。

      20141012甚兵衛渡し03



こちらが、現在の印旛沼。

      20141012甚兵衛渡し04


      20141012甚兵衛渡し05


      20141012甚兵衛渡し006

      20141012甚兵衛渡し07


      20141012甚兵衛渡し08



目の前を小さなボートが過ぎ去って行きます。
きっと漁業関係の人なんだろうなぁ。

対岸が、惣五郎と甚兵衛が渡った吉高の地。

      20141012甚兵衛渡し09





再び、田圃の脇を歩いて行きます。

      20141012甚兵衛渡し11



鷺が何羽も舞い降りていました。

      20141012甚兵衛渡し10





しばらく歩いて、今回の目的の場所に着きました。


しかし、..................。

着いてびっくり。

      20141012甚兵衛渡し12



甚兵衛公園のコスモスを楽しみにしていたのですが、
時期が悪かった。いや、遅かった。

      20141012甚兵衛渡し13


ほとんど、コスモスは散っていて
わずかに咲き残った花を眺めるだけ。


確か毎年10月の10日過ぎあたりが、見頃だと思っていたんふだけれど.........

      20141012甚兵衛渡し14

いやぁ〜、残念。
もっと早く来れば良かったなぁ。





コスモス畑の前に建つ、甚兵衛の供養塔(堂)

周りには数基の石碑も建っています。

      20141012甚兵衛渡し15


こちらが、甚兵衛の碑。

      20141012甚兵衛渡し16


供養塔(堂)の裏にある(R464沿い)にも新しく建てられた甚兵衛の碑があります。

      20141012甚兵衛渡し24


そして周辺には大きな松の木が建ち並びます。

      20141012甚兵衛渡し23



この松の木が立ち並ぶのは、『水神の森』と呼ばれ、成田市史跡に指定されています。

      20141012甚兵衛渡し21


別名、『甚兵衛の森』とも呼ばれ、
昭和58年に 日本の名松百選 に選ばれたということです。

      20141012甚兵衛渡し22



確かに、立派な松が立ち並んでいます。

      20141012甚兵衛渡し25



そして、こんな説明看板も建っています。

      20141012甚兵衛渡し20

この場所は、 県立印旛沼自然公園 でもあるらしい


よくよく調べてみると、正確には 県立印旛手賀自然公園  として
印旛沼・手賀沼地区を包括して区域指定しているようです。

とにかく、 県立印旛沼自然公園 であり、甚兵衛の渡し であり、
水神の森 であり、 甚兵衛の森 であり、 甚兵衛公演 でもある。
う~ん、
何とも、ややこしい....................・




しかし、年月の流れか?
はたまた、酸性雨? それとも大気汚染?
単なる虫食いなのか?

その立派な松が1本伐採されていました。

      20141012甚兵衛渡し18


      20141012甚兵衛渡し19


      20141012甚兵衛渡し17



春には、菜の花が咲き乱れ
秋には、コスモスが咲き乱れる甚兵衛の渡し(甚兵衛公園)

そして、その一画には松の木の景勝地。

これ以上、この松の木が枯れてしまわないこと、
伐採しなければならないことが無いことを願いたい............。








2014/11/06 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

東海道 馬入の渡し   (2014年2月22日)(神奈川県平塚市) 

2月22日 公休日


この日は公休日。

13時に平塚に予定があったので、 八王子の実家で妹の もっちゃん をpick upして
平塚方面へ向かいます。

平塚市には、平塚市民が選んだ『平塚八景』なるものがあります。

平塚八景とは、平塚市民の目線で平塚の代表的な景色・景観等を、
市制施行50周年を記念して、市民の推薦のもとに「平塚八景」として制定しました。
(昭和57年4月1日制定)

その平塚八景の『湘南潮来』が、国道1号線の馬入橋辺りだと知り
訪れてみました。


背後に見えるのが、馬入橋。
情報ではこの辺りと言うことです。

河原にある駐車場に車を停め、散策開始。
早くも びいすけ は匂いクンクンと絶好調。


      20140222平塚馬入の渡01


しかし、大した景観でもないし、
それらしい案内もない。

おまけに びいすけ は河原の匂い嗅ぎに夢中。


      20140222平塚馬入の渡02


少し、上流に向かって散策します。


相模川の土手沿いに少し歩くと、
何やら説明看板があります。


     20140222平塚馬入の渡03

『えっ! 馬入の渡って? 何?』

てっきり、『湘南潮来』の案内板かと思ったら、違ってました。


     20140222平塚馬入の渡06

江戸時代, 幕府は大きな河川に橋をかけることを禁止しました。
そのため, 相模川(馬入川)や多摩川(六郷川)は「渡し船」、
酒匂川は「徒歩(かち)渡し」 などで渡っていました。
相模川には 60以上の渡し場がありました。
大動脈である東海道は「馬入の渡し」と呼ばれ、
幕府が管理し, 周辺村々の負担によって成り立っていたそうです。

馬入川に最初に橋が架けられたのは明治42年(1909)1月です。
船で往来する「馬入の渡し」は現在の馬入橋とほぼ同じ所にあったと言われています。
川の巾は70間(約120m)、渡し舟3艘のほか、平田船2艘、お召船1艘があり、
運行は朝6時から夕6時までで、元禄3年(1690)の渡し賃は一人10文だったと言われています。



こちらは、立派な石碑。


      20140222平塚馬入の渡08


      20140222平塚馬入の渡09


      20140222平塚馬入の渡07




この辺りは、 ふれあい馬入公園 と言うようです。



河原にはサッカーのグランドがあり、
公園内にも、普通のグランドと体育館があるようです。


      20140222平塚馬入の渡10


      20140222平塚馬入の渡12


      20140222平塚馬入の渡13

実は、湘南ベルマーレの練習グランドでのようで、
この日もベルマーレの選手が練習に来ていたようです。
若い女性にサインをせがまれていたようでした。
サッカーは好きですが、Jリーグには余り興味がないのて選手がよくわかりませんでしたが
地元に愛されているチームのようです。


サッカーグランドをバックにパチリ☆。


      20140222平塚馬入の渡04


ついでに少し早いけれど、 もっちゃん が作ってきてくれたオニギリで軽い昼食。
あんまり、食べちゃうと、この後のお楽しみがダメになっちゃいます。


      20140222平塚馬入の渡11


中には入れないけれど、体育館(平塚サンライフアリーナ)も見に行ったりして。
(本当はトイレを借りに行ったんですが.......)


      20140222平塚馬入の渡05




馬入の渡しから、再び堤防沿いに相模川を下流に向かって歩きます。


相模川の河原には菜の花が咲いていました。


      20140222平塚馬入の渡14


少しづつですが、春の兆しが見え始めています。


      20140222平塚馬入の渡15


      20140222平塚馬入の渡16


再び、馬入橋まで来ました。


      20140222平塚馬入の渡17

今でこそ、この橋があるから、相模川を簡単に渡ることが出来ますが
江戸時代はここを渡し船で渡って居たんですね。


今のこの時代は、川を渡る苦労も無く、逆に川で遊ぶ。
そんな時代になったんですね。

水上スキーで楽しんでいる人もいるようです。


      20140222平塚馬入の渡18

時刻もお昼を過ぎ、当初の目的地である『湘南潮来』には辿りつけませんでしたが、
偶然にも『馬入の渡し』なる地に訪れることになったけれど、
これは、これで今回は行き当たりばったりだから、まぁ良しとしましょう。


2014/03/03 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit