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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

御城印を求めて.....................並木城     (2020年5月28日)(千葉県香取郡多古町) 

5月28日 

この日は、多古町に出かけました。

星宮大神をあとにして、向かった先は...............並木城址。


並木城址は南並木城址とも呼ばれ、
多古町南並木地区の台地の南端に占地する戦国・中世城郭であり、
1330年代から戦国期末まで城郭として利用されていました。
南側に主郭を配し、土塁と空堀に囲まれています。
主郭の北側には折れを伴った(横矢を配した)土塁と
二重空堀が良好な遺構として残されています。

城主等、詳細は不明ですが北総を動乱に巻き込んだ南北朝の争いの時代の
千葉宗家である千葉胤直・胤宣親子の拠点であった多古城の出城だったとされています。


こちらが、並木城の縄張り図。

     並木城縄張り図

    ( 余湖さんのHPからお借りしました。 )



並木城の御城院は、道の駅 『多古あじさい館』で入手出来ます。

     20200528並木城址01


     20200528並木城址02

当初は、5月6日から販売予定でしたが、
新型コロナウイルス拡散防止の緊急非常事態宣言が発令されていた関係で
緊急非常事態宣言の解除まで、販売が延期されていました。

実は、2月に猪鼻城(千葉城)の御城印を求めて猪鼻城に行った時
並木城保存会の方と話す機会があって、
その時に並木城の御城印の発行の話を聞いていました。
本当に楽しみにしていました。

並木城の御城印、ゲットです!!



御城印を手にしたら、いざ! 並木城へ!!


南並木地区の台地にある並木城。
南並木集落から台地へと上がって行きます。

     20200528並木城址03


城址への案内板も設置されています。

     20200528並木城址04

保存会の方々のご尽力ですね。


二郭は、畑として耕地されている。

     20200528並木城址05



二郭南端に何かが見えます。

     20200528並木城址13



そこには城址の標柱が建っている。

     20200528並木城址06


     20200528並木城址07



標柱の背後には空堀と土塁。

     20200528並木城址08



その空堀と土塁には横矢が掛かっている。

     20200528並木城址09


     20200528並木城址10


     20200528並木城址12



さらには、その奥にも空堀と土塁。

     20200528並木城址11

これが二重空堀なんですね。



二重空堀の先は土橋。
主郭虎口から振り返って見た土橋。

     20200528並木城址25



空堀側からの土橋。

     20200528並木城址26




主郭。

     20200528並木城址15

主郭も耕地化されている。


主郭南端。
眼下には腰郭。

     20200528並木城址16


     20200528並木城址17



腰郭に降りてみましょう。

     20200528並木城址18



おそらく、以前は藪状態だったとおもわれる空堀。

     20200528並木城址19


その空堀も整備されて歩き易くなっている。

     20200528並木城址20


腰郭へと下る空堀は、この先立ち入り禁止。

     20200528並木城址21

いつか、この先も整備されて進軍出来るようになるんだろうか?



改めて堀底道で記念写真。

     20200528並木城址22



腰郭側から二重空堀方向へと空堀内を進みます。

     20200528並木城址23


     20200528並木城址24



この辺りの空堀はかなり整備されている。

     20200528並木城址27


     20200528並木城址28


やっぱり、並木城の見所は、二重空堀を含めた、土塁と空堀に尽きるようですね。



並木城遠景。

     20200528並木城址29



こちらが、並木城の御城印。

     20200528並木城址30

この並木城の他に、志摩城、多古城と合計3種の御城印が発行されました。
多古町もなかなかやるなぁ!と思いながら、今回いずれも入手しましたが
それらは、また次の機会にでも..,............




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2020/07/02 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

星宮神社     (2020年5月28日)(千葉県香取郡多古町) 

5月28日

この日は、多古町に出かけました。

常盤小学校をあとにして、道の駅 『多古あじさい館』に向かう途中、
ナビに鳥居のマーク。
気になる神社が道沿いに鎮座していた。
ナビには『星宮大神』とある。
かつての妙見神社が星宮神社と改号した例もある、
ひょっとして、妙見神社?
やっぱり気になるから、ちょっぴり覗いていきましょう。


星宮大神は、多古町川島に鎮座する神社です。


旧川島町の鎮守でもある「星宮大神」。
元和2年(1616年)勧請で、もとは七島妙見と呼ばれていたとされています。
社には羽子板に巻子を付けた珍しい奉納物が天井に隙間なく貼り付けられており、
往時の繁栄を物語っています。
これはこの村に生まれ、江戸に住んだ鈴木勘左衛門、及び、東暁と号した絵師による功績と言われています。

と、ここまではあるサイトからの情報です。
一方、千葉県の神社庁のHPを見てみると
由緒どころか御祭神も不明。
おそらく明治以前の神仏習合時には、
妙見菩薩を御本尊とする妙見堂だった筈。
とすれば、天御中主が御祭神となるのでしょうか...............?


神社社頭。

     20200528星宮神社01



鳥居に掲げられた神額。

     20200528星宮神社02



手水舎。

     20200528星宮神社03



こちらも手水鉢?

     20200528星宮神社04

石灯籠の基台のように見えなくもない。




参道。

     20200528星宮神社05



拝殿。

     20200528星宮神社06



拝殿正面。

     20200528星宮神社07



拝殿正面に掲げられた扁額。

     20200528星宮神社08



別アングルからの拝殿。

     20200528星宮神社09


     20200528星宮神社10



そして、こちらが本殿。

     20200528星宮神社11



拝殿前の天水桶。

     20200528星宮神社12



拝殿前の狛犬。

     20200528星宮神社13


     20200528星宮神社14



びいすけ も参拝。

     20200528星宮神社15

    

境内社・天満宮。

     20200528星宮神社16



中には、菅原道真公?

     20200528星宮神社17



境内には、土壇もある。

     20200528星宮神社18

いにしえの古墳跡なのか?


土壇頂部には、古峯神社。

     20200528星宮神社19



適度な日陰で苔生した境内。

     20200528星宮神社20



苔生した参道が味わい深い神社。

      20200528星宮神社21
    20200528星宮神社22
  20200528星宮神社23

千葉宗家終焉の地である多古町ある星宮神社、かつての妙見宮。
残念ながら、千葉氏の家紋である月星紋や九曜紋は見かけられなかったけど
苔生した境内は、それなりのモノを感じました。



2020/07/01 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.....................常盤小学校     (2020年5月28日)(千葉県香取郡多古町) 

5月28日

この日は、多古町に出かけました。

松崎神社をあとにして、向かった先は.........多古町立常盤小学校


常盤小学校は、明治6年に創設された松崎小学校がその前身のようです。

松崎小学校の開校から145年。
令和2年3月に多古第一小学校に統合され廃校になりました。

常盤小学校の詳しい沿革は確認出来ていません。
詳しい沿革がひょっとしたら、創立百周年の記念碑の裏面に
刻まれていたかもしれないけれど
じっくりとみてなかったから、気が付かなかったかもしれません。



常盤小学校正門。

     20200528常盤小学校01



門柱には、多古町立常盤中学校の表札が残っています。

     20200528常盤小学校02

どうやら、この地は常盤中学校の跡地でもあったようですね。
戦後の学制令でこの地に中学校が併設されたんでしょうね。


正門脇に並ぶ石碑群。

     20200528常盤小学校03



その中には、常盤中学校の跡碑が在りました。

     20200528常盤小学校06


その脇には、常盤小学校の閉校記念碑。

     20200528常盤小学校04



裏面には、沿革が刻まれています。

     20200528常盤小学校05

じっくり読まなかったんだけど、
こちらの沿革は、創立百周年以降のモノですね。



こちらは、創立百周年の記念碑。

     20200528常盤小学校07

裏面を確認しなかったんだけど、
こちらの裏面に、開校からの沿革か刻まれていたのかな?


閉校記念碑の隣には二宮像。

     20200528常盤小学校10


     20200528常盤小学校11




こちらは定礎の碑。

     20200528常盤小学校08

定礎って建物の基礎にあるのが多いけど
この碑は、校庭のフェンス沿いに建てられている。
(この中に、図面とか入っているのかなぁ?)



正門の先。

     20200528常盤小学校09

おそらく中学校跡になるのでしょう。



肝心の常盤小学校は正門の脇。
校舎の手前にはプールがある。

     20200528常盤小学校12



常盤小学校の校舎。

     20200528常盤小学校13



別アングルからの校舎。

     20200528常盤小学校15


     20200528常盤小学校16


     20200528常盤小学校17


     20200528常盤小学校18


     20200528常盤小学校19


     20200528常盤小学校21




校舎の壁面に掲げられた時計。

     20200528常盤小学校20

廃校からまだ2ケ月。
時間はバッチリ合っている。



こちらは、体育館。

     20200528常盤小学校22



校庭。

     20200528常盤小学校23


     20200528常盤小学校24


     20200528常盤小学校33
 


校庭の遊具。

     20200528常盤小学校25


     20200528常盤小学校26


     20200528常盤小学校27


     20200528常盤小学校28


     20200528常盤小学校29


     20200528常盤小学校30



校庭の端に設けられた国旗掲揚ポール。

     20200528常盤小学校31



校庭に置かれた朝礼台。

     20200528常盤小学校32



そして、敷地の片隅には防災倉庫。

     20200528常盤小学校34

廃校の定番とも言えますね。



3月末で廃校となった常盤小学校。

新型コロナウイルスへの対応の影響を受け、
急きょ3月2日から春休みまでの臨時休校を決定したことから、
2月28日が常磐小全校児童にとって最後の授業となってしまったそうです。

3月14日に閉校式が行われたようですが、
児童不在の閉校式だったらしく、
子供たちの事を思うと、本当に残念ですね。


2020/06/30 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

松崎神社     (2020年5月28日)(千葉県香取郡多古町) 

5月28日

この日は、多古町に出かけました。

六所大神をあとにして、向かった先は...............松崎神社。


松崎神社は、多古町東松崎に鎮座する神社です。

宝亀3年(772年)の創建とされ、五穀および歌舞音曲の神々として、
古くから人々の信仰を集めています。
延暦16年(797年)に征夷大将軍・坂上田村麻呂が蝦夷征伐の途中に参拝、戦勝を祈願したとされ、
このとき、鏡1面及び征矢を献じ、木鼓1箇を奉納したと伝えられています。
その後の戦乱により、鏡と征矢は失われましたが、木鼓は現在も社宝として保存されているそうです。

弘仁年間(810年〜824年)に諸国行脚の僧空海が参拝し、携えてきた公孫樹の杖を
上下逆さまに地中に挿し「後世まで繁盛せよ」と念じて立ち去ったという伝説があり、
社殿前には周囲約6メートルの古木「空海の逆さ公孫樹」があります。

平忠常の乱(1028年〜1030年)で兵火にかかり、
建久2年(1191年)に再興され、旧号を「坂東稲荷本宮」と称しました。
北条氏や里見氏などの武将の尊敬が篤く、徳川家康も朱印地30石を寄進したそうです。
明治2年(1869年)に社号を「松崎神社」に改号しました。

御祭神は、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
     邇邇芸命(ににぎのみこと)
     大宮比売命(おおみやひめのみこと)



神社社頭。

     20200528松崎神社01



二の鳥居。

     20200528松崎神社02



参道。

     20200528松崎神社03



参道の狛犬。
 
     20200528松崎神社04


     20200528松崎神社05



拝殿。

     20200528松崎神社06



拝殿正面。

     20200528松崎神社07



拝殿正面に掲げられた扁額。

     20200528松崎神社08


     20200528松崎神社09



別アングルからの拝殿。

     20200528松崎神社10



そして、こちらが本殿。

     20200528松崎神社11



別アングルからの拝殿と本殿。

     20200528松崎神社12



びいすけ も参拝します。

     20200528松崎神社13



境内社・白髭神社。

     20200528松崎神社14



境内社・子安神社。

     20200528松崎神社15



境内社・古峰神社。

     20200528松崎神社16



小さな祠も点在します。

     20200528松崎神社17


     20200528松崎神社18


     20200528松崎神社19



境内の板碑。

     20200528松崎神社20



境内には北条塚古墳の説明板も建つ。

     20200528松崎神社21



実は、本殿の背後は北条塚古墳。

     20200528松崎神社22



この土壇が古墳です。

     20200528松崎神社23



古墳頂部から見下ろす、松崎神社の本殿。

     20200528松崎神社24



こちらが、空海の『逆さ公孫樹』の説明板。

     20200528松崎神社25



そして、こちらがその『逆さ公孫樹』。

     20200528松崎神社26     
     20200528松崎神社27



こちらは、社務所。

     20200528松崎神社28

立派は社務所ですが、閉まっています。
どうやら、普段は無人の神社のようです。



境内の御神木。

      20200528松崎神社29
     20200528松崎神社30


       20200528松崎神社31
     20200528松崎神社32


昔は、成田山に肩を並べるほどの信仰を集めたと言われる松崎神社ですが
今は、ひっそりと北総の台地に鎮座している。
稲荷神社の扁額が未だに掲げられているけれど
神使いの狐は見当たらず、『?』と思ってしまう。
祭礼の時に訪れたら、また違った一面が覗けるのかもしれない..................。





2020/06/29 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

六所大神   (2020年5月28日)(千葉県香取郡多古町) 

5月28日

個人的な連休初日。

新型コロナウイルス拡散防止の緊急非常事態宣言が解除されてから初めての個人的な休日。
久しぶりの遠出と言う訳ではないけれど、この日は多古町に出かけました。

多古町のとある神社に向かって車を走らせていると
県道沿いに建つ社号標が目に止まった。

『六所大神 延喜式内』と社号標には記されている。

     20200528六所大神01

そう言えば、多古町に六所大神と言う神社の名を聞いたことがあるような気がした。
多古町の神社リストかなるかで見たような気もする。


六所大神は、多古町北中に鎮座する神社です。

第54代・仁明天皇の承和年中(834年~848年)に物部小事の子孫で、
陸奥鎮守将軍に任ぜられていた物部匝瑳連熊猪が、
中村の郷の郷社として創建したとされています。
社号の由来は、六大神を祀ることからくるとされています。

御祭神は、伊弉諾尊(イザナギノミコト)
     伊弉冉尊(イザナミノミコト)
     天照皇大神(アマテラスオオカミ)
     素戔嗚尊(スサノオノミコト)
     月読尊(ツクヨミノミコト)
     蛭子尊(ヒルコノミコト)



神社社頭。

     20200528六所大神02



鳥居に掲げられた神額。

     20200528六所大神03



社殿へと続く参道。

     20200528六所大神04



参道の両脇には杉の古木が立ち並ぶ。

     20200528六所大神05
     20200528六所大神06
     20200528六所大神07



二の鳥居。

     20200528六所大神08



二の鳥居に掲げられた神額。

     20200528六所大神09



手水舎。

     20200528六所大神10



拝殿。

     20200528六所大神11



拝殿正面。

     20200528六所大神12



拝殿正面に掲げられた扁額。

     20200528六所大神14



向拝。

     20200528六所大神13



別アングルからの拝殿。

     20200528六所大神15


     20200528六所大神16



そして、こちらが本殿。

     20200528六所大神17



拝殿前の狛犬。

     20200528六所大神18


     20200528六所大神19



拝殿前の天水桶。

     20200528六所大神20



びいすけ も参拝します。

     20200528六所大神21



境内社・宇賀神社。

     20200528六所大神22



境内社・雄健神社。

     20200528六所大神23



境内の板碑。

     20200528六所大神24

     20200528六所大神35

『南無妙法蓮華経』と刻まれた板碑。
神仏習合の名残りですね。



こちらは、大東亜戦争の碑。

     20200528六所大神25



昭和天皇の御成婚を記念して建てられた表忠碑。

     20200528六所大神26




杉の古木に囲まれた境内。

     20200528六所大神27
     20200528六所大神28


     20200528六所大神29
     20200528六所大神30


     20200528六所大神31
     20200528六所大神32
     20200528六所大神33



境内の由緒書き。

     20200528六所大神34



こちらが、社務所のようです。

     20200528六所大神36

正面に掲げられた扁額には、『飯高』と書かれている。
隣接する匝瑳市の飯高に関連しているのでしょうか?

いずれにしても、普段は無人の神社のようです。


社号標には、『延喜式内』と記されているけれど
ネットで調べてみると、その真偽は定かでは無さそうです。
いわゆる、式内社のことを意味していると思うんだけど
式内社は、平安時代に編纂された延喜式神名帳に記載されている神社の事。
式内社を巡っては、いろんな神社で論争を交わしているみたいだから
真偽が不明って言うのは、まあ良くある話でしょうね。





2020/06/28 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御城印を求めて   《 佐倉城 》 (2020年5月27日)(千葉県佐倉市) 

5月27日

この日は夜勤明け。

習志野市の菊田神社をあとにして、向かって先は...............佐倉城址。


先日、臼井のAEONの中の本屋で佐倉城の御城印を手に入れました。

    20200527佐倉城01


    20200527佐倉城02


これまで、何度も びいすけを連れて佐倉城址には散歩に出かけました。
今更ながらと思いながらも、御城印を手に入れたからには
登城(訪城)しない訳にはいきません。
いつもは自宅から徒歩で向かいますが、今日は菊田神社から車での訪問。
大手側の駐車場に車を停め、大手から攻城します。

    20200527佐倉城03



大手口から三の丸に至る散策路沿いに建つ説明板。

    20200527佐倉城04



いざ、佐倉城への登城です。

    20200527佐倉城05



先ほどの説明板には佐倉城の縄張り図。

    20200527佐倉城06



三の丸門跡近くの城址公園の看板。

    20200527佐倉城07



そのすぐ隣には、三の丸門跡の説明板。

    20200527佐倉城08



染井吉野の木々が立ち桜の名所である三の丸跡。

    20200527佐倉城09



こちらは二の丸門跡。

    20200527佐倉城10



土塁。

    20200527佐倉城11



二の丸広場。
    20200527佐倉城12



テンションの高い びいすけ 。
二の丸広場で転がり、背中をスリスリ。

    20200527佐倉城13



ご機嫌な笑顔です。

    20200527佐倉城14


    20200527佐倉城15



本丸への土橋。

    20200527佐倉城16

残念ながら、本丸の空堀は雑草や木々が伸び切り
依然と比べると見応えが失せてしまった。



本丸の土塁。

    20200527佐倉城18



本丸広場。

    20200527佐倉城19



こちらでも、転がって背中をスリスリ。

    20200527佐倉城20



よほど背中が痒いのか?
はたまた、気持ちが良いのだろうか?

    20200527佐倉城21



そう言えば、小さい頃からこの本丸広場は びいすけ のお気に入りの場所でした。
いつも、こんな感じで腹這いになっていたっけ。

    20200527佐倉城22



本丸の一画は、天守跡。

    20200527佐倉城23


『跡』と言うだけあって、天守の姿や形はない。
説明板がなければ、天守跡とは思えない。

     a href="https://blog-imgs-137.fc2.com/b/i/i/biisuke0822/2020053121032349d.jpg" target="_blank">20200527佐倉城42



いつ頃からだろうか?
以前は無かったが、いつの間にか、こんな碑が建っている。

    20200527佐倉城24


    20200527佐倉城25



天守跡と言っても石垣も無く、単なる土壇。

    20200527佐倉城26


    20200527佐倉城27


    20200527佐倉城28



本丸広場をぐるっと取り巻くように土塁が走る。
その土塁の上から。

    20200527佐倉城29


     20200527佐倉城30



本丸から二の丸、そして馬出し空堀へと向かいます。

     20200527佐倉城31



馬出し空堀。

     20200527佐倉城32



緑が映えて、この時期が1番見応えがあるかもしれない。

     20200527佐倉城33


     20200527佐倉城34


     20200527佐倉城35



国立歴史博物館(歴博)の建つ椎木曲輪から姥ヶ池へと下って行きます。

     20200527佐倉城36



姥ヶ池。

     20200527佐倉城37



池には蓮の花が咲いている。

     20200527佐倉城38



姥ヶ池から坂を上がって大手へと向かいます。
坂の途中には三の丸の空堀。
     20200527佐倉城39


     20200527佐倉城40

やっぱり、佐倉城は土の城でもあるから
空堀が遺構として残っていることは意義がある。


こちらが、佐倉城の御城印。

     20200527佐倉城41

徒歩圏内の散歩コースでもある佐倉城址。
その佐倉城の御城印が出来たのは地元民としても嬉しい限り。

上総の佐是城から始まり、千葉城、大多喜城、臼井城、佐倉城と
千葉県内の御城印のある城址も増えてきた。
多古地区の並木城、志摩城、多古城、上総の池和田城、
館山(安房)の館山城、稲村城と御城印も随時発行されて行く。

城郭巡りもブームになるんだろうか...............?





2020/06/27 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

星神社    (2020年5月19日)(千葉県佐倉市) 

5月19日

この日は、買い物に行った臼井のAEON内の本屋で
臼井城の御城印を手に入れる事が出来、臼井城にも立ち寄ってみました。
本当は、不要不急の外出を自粛要請されている御時世ですが
飼い犬の散歩で城址公園を散歩。
ついでに臼井城の三の丸跡に鎮座する星神社に参拝してきました。


星神社は、佐倉市臼井田に鎮座する神社です。

千葉氏第三代当主・千葉介常兼の三男である臼井六郎常康が
永久年間 (1113年〜1118年)に臼井城に居を構えた時に
その守護神として 城内の鬼門である北東の地に創建したと伝えられています。
千葉氏が信仰した妙見菩薩は、古来から北極星や北斗七星を神格化したもので、
千葉氏やその縁 のある一族はこれを守護神として信仰し
その城郭の鬼門(北東)には妙見神社を建立しました。
臼井氏滅亡後は、 臼井の守護社となり、明治期の神仏分離令により
現在の星神社と称するようになりましたが、臼井妙見社とも呼ばれています。

御祭神は、天御中主命。




私の中では、臼井城とセットになっている星神社。
これで何回目の参拝となるんだろう。


神社社頭。

     20200519星神社01

噂によると、東日本大震災の時に倒壊してしまい
新たに建てられたモノらしい。


鳥居に掲げられた神額。

     20200519星神社02



手水舎。

     20200519星神社03



境内に社号標のように置かれた神額。

     20200519星神社04

こちらが、倒壊した鳥居に掲げられていたモノなんだろうか?



こちらが、拝殿

     20200519星神社05



拝殿正面。

     20200519星神社06



拝殿正面に掲げられた扁額。

     20200519星神社07



拝殿正面の鬼瓦。

     20200519星神社08

そこには、月星紋。
千葉氏の家紋である月星紋が神紋となっています。


拝殿屋根にも月星紋。

     20200519星神社09



別アングルからの拝殿。

     20200519星神社10



そして、こちらが本殿。

     20200519星神社11



本殿屋根にも月星紋。

     20200519星神社12



そして、本殿の鬼瓦にも月星紋。

     20200519星神社13



びいすけ も参拝します。

     20200519星神社15



境内社・子安神社。

     20200519星神社16



神楽殿。

     20200519星神社17



境内には板碑も多く建ち並ぶ。

     20200519星神社18


     20200519星神社19



境内の御神木。

      20200519星神社20
     20200519星神社21


      20200519星神社22
     20200519星神社23


久しぶりに見た星神社の月星紋。
思い起こせば、初めて月星紋を見つけた時は
物凄く興奮したのを思い出した。
御朱印目的じゃなく、単純に月星紋や九曜紋を探して
千葉氏関連の神社や寺院を巡った事を思い出しました。



2020/06/21 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御城印を求めて   《臼井城》  (2020年5月19日)(千葉県佐倉市) 

5月19日

この日は、公休日。
4月14日から新型コロナウイルス対策の勤務シフトになり
夜勤、明け、公休、公休と言う勤務サイクルが続き
今日、明日と連休です。

天気も良く無いし、車でパァ〜っと買い物に行って
そのついでに、どこかの公園ででも軽く散歩をして帰ろうと
びいすけ を連れて、臼井のAEONに買い物に出かけました。

そう言えば、臼井のAEONの1階の本屋で『臼井城』の御城印が
4月25日から販売される事になっていましたが
新型コロナウイルスの感染拡大の非常事態宣言が発令され
発売が延期され、いつになるか?分からない状態でした。
せっかくAEONに行くのだから、情報を仕入れましょう。

     20200519臼井城01



発売時期が未定だと言う事でしたが、何と販売されていました。

     20200519臼井城02

『えっ!?』と思いながらも、
当然『1枚下さい!』と購入いたしました。

ちなみに、同じく発売延期になっていた『佐倉城』の御城印も発売されていました。


御城印を手に入れたからには、攻城しなくっちゃ!
臼井城址には何度か訪れていますが、
御城印を手にして攻城しない訳にはいきません。
びいすけ の散歩も兼ねて、現在は臼井城址公園となっている臼井城へと訪れました。


臼井城は臼井氏の居城として知られています。
文明11年(1479年)には、太田道灌の率いる上杉方に攻められ、
7カ月におよぶ篭城の末に落城してしまいましたが、
このときに道灌の甥の太田資忠らが討ち死にしてしまいました。
現在も臼井城の土塁の上に資忠の墓が残されています。

その後、千葉氏の家臣、原胤貞が城主を務め、
永禄9年(1566年)には上杉謙信に攻められる(臼井城の戦い)など、
何度も合戦の舞台となっています。
1590年(天正18年(1590年)、秀吉の小田原征伐により原氏が滅ぼされ、
豊臣側に接収され、酒井家次が封じられました。
慶長9年(1604年)に酒井家次の高崎移封にされると廃城となりました。
現在は城址の一部が整備され、臼井城址公園となっています。





城址公園の入口に建つ城址碑。

     20200519臼井城03



今にも雨が降りそうな天気。
さすがに誰も居ません。

     20200519臼井城04



二の丸の芝生広場を我が者顔で闊歩する びいすけ。

     20200519臼井城05


     20200519臼井城06



二の丸奥の空堀。
この辺りはあまり手入れが行き届いていないから
雑草が生い茂っている。

     20200519臼井城34



こちらは、二の丸と本丸を隔てる空堀。

     20200519臼井城07



二の丸と本丸とは、土橋で繋がっている。

     20200519臼井城08



土橋の上から。

     20200519臼井城09




土橋側からの本丸虎口の土塁。

     20200519臼井城10


     20200519臼井城11



本丸側からの虎口の土塁。

     20200519臼井城12


     20200519臼井城13



本丸。

     20200519臼井城14



本丸から眺める空堀。

     20200519臼井城15



本丸広場を闊歩する びいすけ 。

     20200519臼井城16



本丸から眺める印旛沼。

     20200519臼井城17


     20200519臼井城18


     20200519臼井城20


     20200519臼井城19



本丸広場にて。

     20200519臼井城21


     20200519臼井城22



本丸から搦手口へと向かいます。

     20200519臼井城27



こちらが搦手口の登城口。

     20200519臼井城28


再び、本丸へと向かいます。

     20200519臼井城29


登城路からの腰曲輪。
そこには、土壇もある。

     20200519臼井城30



再びの本丸。

     20200519臼井城23


本丸の一角には祠も建つ。

     20200519臼井城24



祠の先には腰曲輪。

     20200519臼井城25



腰曲輪に降りてみました。


先程、搦手口から見た土壇。

     20200519臼井城26 




こちらが、太田資忠の墓。

    20200519臼井城31



三郭の土塁の上に建てられています。

     20200519臼井城32



二郭城塁に建つ社。
左が古峯神社、右が道祖神社。
     20200519臼井城33



そして、こちらが臼井城の御城印。

     20200519臼井城35

多古町の3つの城址の御城印や館山城や稲村城の御城印も発行されて
千葉県内の御城印も増えてきた。
御城印を求めて城郭巡り。
楽しみが増えてきました。


2020/06/20 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

山梨香取神社   (2020年3月30日)() 

3月30日

東金市に御朱印巡りに出かけたこの日、
東金市からちょっぴり足を伸ばし、千葉市の今井神社に出かけました。
そして、その帰り道に四街道市の山梨香取神社に立ち寄りました。

山梨香取神社は、四街道市山梨に鎮座する神社です。

山梨香取神社の創建時期等、ネットで調べてみましたが
由緒等、詳細は不明です。

御祭神は、経津主神。


先日、四街道物井にある園福寺を訪れた時、近くを車で走り、
ナビに表示されていて、気になったけれど急いでいたので、
素通りをしたのが、こちらの神社。

狭い集落の道を走り、辿り着いた香取神社。
この石段の先に鎮座しています。

     20200330香取神社01


石段を上がれば、そこには鳥居。

     20200330香取神社03



鳥居脇の手水鉢。

     20200330香取神社02



こちらが、社殿。

     20200330香取神社05



社殿正面。

     20200330香取神社06



社殿正面に掲げられた扁額。

     20200330香取神社04


別アングルからの社殿。

     20200330香取神社07


     20200330香取神社11



社殿前の狛犬。

     20200330香取神社09


     20200330香取神社10



びいすけ も参拝。

     20200330香取神社08


     
境内には小さな祠が点在する。

     20200330香取神社12


こちらは、石仏。

     20200330香取神社13

神仏習合の名残りでしょう。



板碑も境内に建ち並ぶ。

     20200330香取神社14


鳥居脇の碑。

     20200330香取神社15

『大日本は神国なり』
戦時中に建てられた碑なのだろうか?

こちらの香取神社について調べてみたけれど、
詳細は分からない。

四街道市内には3つの香取神社があるようです。
一つは、こちらの山梨香取神社。
もう一つは、栗山香取神社。(こちらは訪問済み)
そして、残る一つは鹿渡香取神社。

この際だから、鹿渡の香取神社にも機会があったら訪れてみよう。



2020/05/09 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

天照皇大神社   (2020年3月27日)(千葉県四街道市) 

3月27日

この日は、千葉市の今井神社に参拝し、その帰り道に四街道市に立ち寄りました。
物井の園福寺をあとにして、向かった先は............... 天照皇大神社。


実は、園福寺の駐車場に隣接していたのが、天照皇大神社でした。


天照皇大神社は、四街道市物井に鎮座する神社です。

大正元(1912)年に村内の、氏神を含む五社(大宮・朝日・大日・香取・八幡神社)を、
熊野神社である当社を存続させて合祀と改称を行ない、天照皇大神社と改称しました。
御祭神は、天照皇大神。



神社社頭。

     20200327天照皇大神社01

この石段の先に拝殿が鎮座しています。


手水舎。

     20200327天照皇大神社02



拝殿前の狛犬。

     20200327天照皇大神社03


     20200327天照皇大神社04



こちらが拝殿。

     20200327天照皇大神社05



拝殿正面。

     20200327天照皇大神社06



拝殿正面に掲げられた扁額。

     20200327天照皇大神社07



別アングルからの拝殿。

     20200327天照皇大神社08


     20200327天照皇大神社09



びいすけ も参拝します。

     20200327天照皇大神社11



そして、こちらが本殿。

     20200327天照皇大神社12


境内の由緒書き。

     20200327天照皇大神社13



由緒書き脇に置かれた手水鉢。

     20200327天照皇大神社14



境内社。

     20200327天照皇大神社15



境内の御神木。

     20200327天照皇大神社16
     20200327天照皇大神社17
     20200327天照皇大神社18



     20200327天照皇大神社19
     20200327天照皇大神社20
     20200327天照皇大神社21



弥生3月、花の季節。
天照皇大神社之境内の桜も咲いている。

     20200327天照皇大神社22


     20200327天照皇大神社23


あと、ちょっとで満開ですね。


残念ながら社務所もなく、普段は無人の神社。
佐倉市臼井の八幡社の管理されている神社のようです。




2020/05/03 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

神門神社   (2020年3月24日)(千葉県佐倉市) 

3月24日

この日出かけた千葉市からの帰り道。
馬渡の八坂神社をあとにして、向かって先は...............神門神社。


神門神社は、佐倉市神門に鎮座する神社です。


ネットで色々と調べてみたのですが、
神門神社の創建時期や由緒はわかりませんでした。


国道51号線沿いに鎮座する神門神社。
神門交差点からも近く、51号線を通るたびに見える
この鳥居の一部が気になっていました。

     20200324神門神社01


初めて、その鳥居をマジマジと見ることが出来ました。

     20200324神門神社02


手水舎。

     20200324神門神社03



拝殿。

     20200324神門神社04



そして、こちらが本殿。

     20200324神門神社05



びいすけ も参拝。

     20200324神門神社06



神社としての敷地は広くなく、境内も狭い。
それでも境内社は鎮座しています。

     20200324神門神社07


     20200324神門神社08


     20200324神門神社09


小さな祠も建ち並ぶ。

     20200324神門神社10



こちらは、御輿庫。

     20200324神門神社11

かつての神門村の鎮守であったとされる神門神社。
その由緒が不明なのが、残念です。


2020/04/29 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

馬渡八坂神社   (2020年3月24日)(千葉県佐倉市) 

3月24日

この日は、千葉市に出かけました。

その帰り道、国道51号線沿い、佐倉市馬渡の八坂神社に立ち寄ってみました。


馬渡八坂神社は、佐倉市馬渡に鎮座する神社です。

創建年代は不詳ですが、大日本知名辞典』によれば
馬渡は「千葉より佐倉に往来する大路之を貫き、
馬渡を以て駅付けとする」とあり、
江戸時代には、馬渡宿と称し街道の宿場町として栄え、
他村より早く開けた土地でありました。
その宿場の南北に一貫する大路を見下ろす東南の丘山に
社殿は鎮座しています。

御祭神は、須佐之男命、天照皇大神



神社社頭。

     20200324馬渡八坂神社01



鳥居に掲げられた神額。

     20200324馬渡八坂神社02



手水舎。

     20200324馬渡八坂神社03


定番の龍の吐出口。

     20200324馬渡八坂神社04



参道。

     20200324馬渡八坂神社05

急な石段を上った先が拝殿。



元気良く駆け上がっていく びいすけ 。

     20200324馬渡八坂神社06



石段を上りきれば、狛犬がお出迎え。

     20200324馬渡八坂神社07


     20200324馬渡八坂神社08



拝殿正面。

     20200324馬渡八坂神社09



別アングルからの拝殿。

     20200324馬渡八坂神社10


     20200324馬渡八坂神社11



そして、こちらが本殿。

     20200324馬渡八坂神社12



びいすけ も参拝。

     20200324馬渡八坂神社13



境内社。

     20200324馬渡八坂神社14


     20200324馬渡八坂神社15


     20200324馬渡八坂神社16


板碑。

     20200324馬渡八坂神社17


社務所は境内には無く、無人の神社です。
千葉市の稲荷神社の兼務社のようですが、
残念ながら、御朱印の対応はされていないようです。

隣接する敷地に地域の集会所があり、
祭礼の時には社務所代わりになるのでしょう。
     




2020/04/28 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

瀧蔵神社   (2020年3月24日)(千葉県千葉市中央区) 

3月24日

この日は、千葉市中央区にある千葉寺を訪れました。


千葉寺の境内に、神社が鎮座していました。

創建年代は不詳ですが、「稿本千葉県誌」には「高瀧神社」として
名社の一社に記載され、戦前まで村社に列格していたそうです。
千葉寺の龍権とも称されていて、千葉氏5守護神(曽場鷹大明神、堀内牛頭天王、
結城の神明、御達報の稲荷大明神、千葉寺の龍権)の一つとされています。


御祭神は、海津見神。



神社社頭。

     20200324瀧蔵神社01



狛犬。

     20200324瀧蔵神社02


     20200324瀧蔵神社03



社殿。

     20200324瀧蔵神社07



社殿正面

     20200324瀧蔵神社05

千葉氏の家紋である月星紋、九曜紋が一際目立ちます。




     20200324瀧蔵神社06


びいすけ も参拝。

     20200324瀧蔵神社04



境内社。

     20200324瀧蔵神社08


     20200324瀧蔵神社09


元々は、神仏習合の時代に千葉寺の境内に鎮座していた神社。
現在は、寒川神社が兼務されている神社のようです。

まあ、寒川神社も九曜紋の残る千葉氏関連の神社だから
ある意味、寒川神社が兼務することは間違いはないですね。


2020/04/28 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

蘇我小学校発祥の地   《 福正寺 》   (2020年3月24日)(千葉県千葉市中央区) 

3月24日

この日は千葉市中央区にある今井神社に出かけました。

以前から今井神社の近くに寺院の前を車で通っていましたが
非常に気になる寺院です。

その寺院は、福正寺。

福正寺は、千葉市中央区今井にある寺院です。
浄土釋氏斎蓮廣譽春源嘉善が開山となり、薬師山高巌院福秀寺と号して開山しました。
元禄13年(1700年)に西山本門寺21世日意上人が宗旨を改めて開山したとされています。

山号は、富士山。
正式には、富士山福正寺と称すようです。



福正寺山門。

     20200324福正寺01


     20200324福正寺02



山門の扉には気になる紋。

     20200324福正寺03

この紋が先日より気になっていました。



九星に月紋。

     20200324福正寺04

千葉氏の家紋である九曜紋には、星が一つ多い。
確かに十曜紋。
そして、真ん中に月紋。

真ん中の月が三日月になっていれば、三日月と九曜紋。
千葉一族の家紋の一つである。



とりあえず、寺院は敷居が高いので
びいすけ は、ここまで。
車の中で待機してもらいましょう。




手水舎。

     20200324福正寺05

 

本堂。

     20200324福正寺06


     20200324福正寺07



本堂正面に掲げられた扁額(山号)。

     20200324福正寺08



本堂の鬼瓦。

     20200324福正寺09



こちらにも、同じ紋。

     20200324福正寺10


     20200324福正寺11


     20200324福正寺12


     20200324福正寺13


     20200324福正寺14



天水桶にも同じ紋。

     20200324福正寺15

やはり、千葉氏関連の寺院なんだろうか?




鐘楼。

     20200324福正寺16



鐘楼脇に、古い鐘が置かれていました。

     20200324福正寺17



鐘楼の奥に、何かの碑が在るようです。

     20200324福正寺18


近付いて見て、びっくり!

     20200324福正寺19

何と、『蘇我小学校発祥の地』の碑です。


裏面の碑文から、明治6年に創設された今井小学校の跡地のようです。

     20200324福正寺20

調べてみると、蘇我小学校はいつから蘇我小学校と称するようになったのかは不明ですが
昭和22年の学制改革時には、千葉市立蘇我小学校と称していたようです。
また、昭和28年に現在の場所に移転したそうです。
それ以前は、現在の蘇我中学校の敷地に明治48年から昭和28年まで在ったそうです。
そして、明治48年に移転するまでこの地に今井小学校が在ったようです。


御住職の奥様と話す事ができ、色々と訊いてみた所
千葉氏とは関わりがないとの事で、元々の寺紋だと言う事らしい。

また、蘇我小学校(今井小学校)については、
旧・本堂を校舎代わりにしていたらしい。

いずれにしても、偶然にも蘇我小学校(今井小学校)跡地を見つけてしまった。
これも何かの縁だと思い、御朱印を拝受出来ればと訊いてみたら、
御朱印の応対はされていないとの事。

誠に残念です。


2020/04/27 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

今井神社   (2020年3月24日)(千葉県千葉市中央区) 

3月24日

この日は、公休日。

3月19日から、夜勤、明け、公休日、夜勤、明け、公休日.........
こんなシフトが続き、月末まで3日おきの休みとなっています。
しかしながら、仮眠無しの17時間拘束の夜勤を終え
明けで帰ってくるとフラフラ状態。
結局、取れなかった睡眠を貪るように爆睡して
公休日を迎えますが、寝溜めをしても動きはイマイチ。
結局、昼までウダウダしていて、
出かけるにしても近場となってしまいます。


昼過ぎに自宅を出て、向かった先が...............今井神社。


先日、ある方のブログを拝見して、今井神社の御朱印を目にしました。
今井神社の御朱印は、何種類かを拝受していますが
私の拝受していない御朱印を見かけて、ぜひ拝受してみたいものだと
おそらく、社務所は閉まっていて、無人であろうかとは思うけれど
万が一でも開いていればシメたもの。

期待を胸に出かけてみました。



神社社頭。

     20200324今井神社01



手水舎。

     20200324今井神社02



参道。

     20200324今井神社03


二の鳥居。

     20200324今井神社04



拝殿。

     20200324今井神社05



拝殿正面。

     20200324今井神社06



拝殿正面に掲げられた扁額。

     20200324今井神社07



びいすけ も参拝。

     20200324今井神社08



さて、社務所ですが...............

     20200324今井神社09

やはり、閉まっていて無人。


一応、書置きの御朱印が置かれているので
システムに沿って拝受いたします。

     20200324今井神社10


猫の七福神の御朱印も頒布されているようですが
この日は、この赤龍の御朱印が置かれていました。

1日、15日に来れれば良いんですが
休みがなかなか合わないし、御朱印も先着順限定と言う事らしいので
なかなか希望する御朱印を拝受するのは難しそうですね。




2020/04/26 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

再訪 馬渡分校   (2020年3月20日)(千葉県佐倉市) 

3月20日

この日、千葉市の今井神社に出かけ
その帰り道、馬渡分校に立ち寄ってみました。


馬渡分校に訪れるのは、これで2回目。
( 前回の訪問記は、 こちら )



正門跡。

     20200320馬渡分校01


     20200320馬渡分校02


以前訪れた時には、表札は何も掲げられて無かったけれど
今は、『馬渡公園』の表札が嵌っている。

     20200320馬渡分校03


     20200320馬渡分校04


     20200320馬渡分校05



廃校後、一時期は馬渡保育園として木造の校舎も活用されていましたが
保育園も、すぐそばに移転し校舎は解体されてしまいました。

現在は、前述の通り 『馬渡公園』となっています。

     20200320馬渡分校06


以前訪れた時に、見落としたのか?
はたまた、後日に建立されたのか?
ある方のブログを拝見したら、学校跡碑が載っていました。

     20200320馬渡分校07



こちらが、その碑。

     20200320馬渡分校08


     20200320馬渡分校09

碑文によれば、校舎が解体されたのは、平成24年。
当然、解体後にこの碑が建てられたわけだから
少なくても平成24年以降に建てられたことになる。


前回訪れたのは、平成25年。
解体して1年経つか経たないかの時期だったのでしょう。

7年前の写真を見ると、
碑の建つ場所には、遊具が置かれていたようですね。


今思えば、7年前にあと1年早く訪れていたら
この場所に校舎が建っていたんだろう。

     20200320馬渡分校10


     20200320馬渡分校11


     20200320馬渡分校12


     20200320馬渡分校13


でも、学校跡地の碑を確認出来たから
再訪したのも正解だった気がします。





2020/04/26 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御城印を求めて   《下小池城》  (2020年3月18日)(茨城県稲敷郡阿見町) 

3月18日

この日は、御城印を求めて、茨城県の阿見町に出かけました。


御城印は、阿見町の『だんごの やまだ』で手に入れ、
向かった先は...............下小池城址。


     20200318下小池城01




下小池城址は以前、訪れた事があります。
( その時の攻城記は こちら )

     20200318下小池城02




下小池城の城の歴史については不明ですが
北条氏傘下の土岐氏によって天正期に築城されたと推測されます。

敵対する牛久城主・岡見氏や佐竹氏・多賀谷氏に対抗するための境目の城であったとされ、
天正十八年(1590年)、秀吉の小田原征伐の際の江戸崎城落城とともに
下小池城も落城したとされています。

     20200318下小池城03



阿見町が建てた説明板。

     20200318下小池城04


     20200318下小池城05



下小池城址の一部は、小池城跡公園として整備されています。

     20200318下小池城06



三郭の空堀。

     20200318下小池城07


     20200318下小池城08


     20200318下小池城09


  

こちらは、二郭の空堀。

     20200318下小池城10



二郭虎口。

     20200318下小池城12



二郭内部から、虎口の土塁。

     20200318下小池城11


     20200318下小池城13



二郭。

     20200318下小池城14




主郭虎口。

     20200318下小池城15



主郭空堀。

     20200318下小池城16


     20200318下小池城17



主郭。

     20200318下小池城18


     20200318下小池城19


     20200318下小池城20


主郭周辺は、相変わらず下草が多い。
もう少し整備されていれば、言うことは無いんですが............

     20200318下小池城21


     20200318下小池城22


     20200318下小池城23



こちらが、下小池城の御城印。

     20200318下小池城24


牛久市、阿見町と順に御城印が頒布され、
龍ケ崎市でも御城印のイベントが計画されていたようですが
昨今の新型コロナウイルスの感染防止のためのイベントの自粛で中止になってしまったようです。
一日も早くコロナウイルスが終息して、龍ケ崎市の城郭の御城印のイベントが
開催されるのを期待するところです。


2020/04/25 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

福田城址  (2020年3月18日)(茨城県稲敷郡阿見町) 

3月18日

この日は、御城印を求めて茨城県の阿見町にやって来ました。


阿見町の団子屋さん(だんごのやまだ)で御城印を手に入れます。

     20200318福田城01


向かった先は、福田城址。



福田城は、築城時期等詳細は不明ですが、
元々は上杉氏の城であったという事ですが
後には岡見氏の城となり、さらに天正年間になると、
江戸崎城の土岐氏の城館となったとされています。



こちらが、福田城の縄張り図。

      20200318福田城25

   ( 余湖さんのHPよりお借りしました )




台地下部より眺める高照寺の建つ台地。

     20200318福田城02

高照寺も福田城の一部とされています。



高照寺脇の切り通し。

     20200318福田城03



その両脇の土壇。

     20200318福田城04


     20200318福田城06




竹林に覆われ見づらいが、奥に空堀らしきものも見て取れる。

     20200318福田城05



この奥が高照寺。

     20200318福田城07

こちらは北参道口のようです。



高照寺山門。

     20200318福田城08

こちらが表参道になるようです。


この辺りは城址っぽい雰囲気。

     20200318福田城09



境内。

     20200318福田城10


     20200318福田城12


     20200318福田城13


高照寺本堂。

     20200318福田城14



本堂の扁額。

     20200318福田城15



境内に建つ高照寺の説明板。

     20200318福田城11

こちらの説明板に福田城について記されています。




高照寺の向かいにある阿弥陀堂。

     20200318福田城16



福田城址の一角である古城と呼ばれる地区。
その地区の民家と民家の間の細い道を進むと鳥居が現れる。

     20200318福田城17



鳥居の背後は土塁。

     20200318福田城18



その土塁の上には稲荷社が鎮座しています。

     20200318福田城19

稲荷社が在ると言うことは、江戸崎・土岐氏の城郭の証になるようです。



土塁の先は削平地。

     20200318福田城20

おそらく郭跡でしょう。


そして、その奥には竹藪。

     20200318福田城21



さらに、その奥には空堀。

     20200318福田城22



横矢の掛かった空堀。

     20200318福田城23

福田城址の1番の見所かもしれない。


こちらが、福田城の御城印。

     20200318福田城24

全国的にも無名で、さほど広大でもない城郭だけど
こうやって御城印が出来ると、うれしく感じるのは
やっぱり城好きなんだからでしょうね。



2020/04/24 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御城印を求めて   《塙城》 (2020年3月18日)(茨城県稲敷郡阿見町) 

3月18日

この日は御城印を求めて土浦市、そして阿見町へと出かけました。


土浦城址(亀城公園)をあとにして、阿見町へと向かいます。
先ずは、御城印の頒布先である団子の山田屋にて御城印を手に入れます。

     20200318塙城01



御城印を手にした後に向かった先は................塙城址。


塙城址には、以前に訪れた事があります。
(その時の攻城記は こちら



塙城の築城時期等、詳細は不明ですが、
江戸崎城主である土岐氏の支城とされています。
館野氏が城主であったという伝承もありますが、
城址には土塁や空堀などの遺構が確認出来、
それらの遺構は土岐氏時代のものだとされています。




塙城の登城路入口。

     20200318塙城02



以前は無かった城址の案内看板。

     20200318塙城03

手作り感が満載でちょっぴり微笑ましい。


こちらは、阿見町の説明板。

     20200318塙城04



それでは、塙城へ進軍いたしましょう。


以前は、この先へと進みましたが、現在は立入禁止。

     20200318塙城05



その代わりに矢印の看板が立てられ、順路を導いてくれます。

     20200318塙城06



下草などを刈り、順路も整備され、
以前と比べるとかなり手入れが行き届いています。

     20200318塙城07



以前は雑草に覆われていた空堀も
今はその姿をハッキリと確認出来ます。

     20200318塙城08


     20200318塙城09


     20200318塙城10



矢印の看板に導かれ堀底道を上って行きます。

     20200318塙城11


     20200318塙城12



稲荷神社。

     20200318塙城13

千葉氏関連の城郭に妙見神社が鎮座するように
土岐氏関連の城郭には稲荷社が鎮座する。
五穀豊穣を祈い、屋敷神として祀られているようです。


前回は、下草等の雑草に覆われ、この稲荷社辺りで進軍を断念しましたが
今はかなり整備され、先に進むのに躊躇しなくて済みます。



稲荷社のある辺りは二郭になります。

     20200318塙城18


     20200318塙城17


     20200318塙城16




ニ郭の土塁もしっかりと確認できる。

     20200318塙城14



先程の立入禁止を進めば、この虎口に辿り着くのでしょうか?

     20200318塙城15




空堀。

     20200318塙城19




この先は主郭。

     20200318塙城20



土塁。

     20200318塙城21



二郭から主郭への虎口。

     20200318塙城22



主郭の空堀。

     20200318塙城23



塙城の搦手口の登城口。

     20200318塙城24



この台地が塙城。

     20200318塙城25



この登城路を進めば、直接主郭へと続く。

     20200318塙城26

おそらく、後世に作られた登城路ではないのだろうか?




こちらが、塙城の御城印。

     20200318塙城27



茨城県下の御城印、頒布される城郭が着々と増えてきています。
城好きにはたまりません。


2020/04/24 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御城印を求めて   《土浦城》  (2020年3月18日)(茨城県土浦市) 

3月18日  

この日は、茨城県の土浦市に出かけました。

ここ1〜2ヶ月で茨城県下に於いて、数種類の御城印が発行されています。
元々は牛久市の牛久市城跡めぐり運営委員会(LOCAL ACTIVATE)が始めたイベントで
牛久市内の4つの城郭の御城印を発行したのが始まりです。
その後、阿見町の城郭で3種、そして土浦市でも御城印が発行されることになりました。

今回、土浦市・阿見町の御城印巡りに奔走いたしました。

その第1弾。
土浦市の土浦城です。


土浦城には、以前訪れた事があります。
( その時の記事は こちら )


土浦城は、室町時代の永享年間(1429年〜1441年)に
常陸守護、八田知家の後裔である豪族の小田氏に属する若泉三郎が築いたとされています。
永正13年(1516年)に小田氏の部将・菅谷勝貞が若泉五郎右衛門を滅ぼし、
その家臣が城に入りました。
その後、菅谷氏が勝貞、政貞、範政の三代にわたって土浦城を守り、
戦国時代に佐竹氏が勢力を広げると、佐竹によって本拠の小田城を追われた小田守治が入城しました。
戦国時代が終わると、土浦は結城城の結城秀康のものになり、
小田氏はその家臣になり、代わって多賀谷村広が城代を務めます。
慶長6年(1601年)に結城秀康が越前国に転封になると、
藤井松平氏の松平信一が土浦城に入ります。
信一と子の信吉が、現在の城のおよその形を作ったとされています。
以後、土浦城には西尾氏、朽木氏、土屋氏、松平氏と城主が代わり
明治6年に、太政官符令で土浦城は廃止されました。

幅の広い二重の堀で守る平城であり、土浦が度々水害に遭っているが、
その際にも水没することがなく、水に浮かぶ亀の甲羅のように見えたことから
亀城とも呼ばれました。

土浦城址は、現在『亀城公園』として、桜の名所でもあり、
土浦市民の憩いの場となっています。


城址(亀城公園)に隣接する土浦市立博物館。

     20200318土浦城01

現在、こちらでは『土浦城展』が開催されています(〜5月6日)
この土浦城展に合わせて、土浦城の御城印が頒布される事になったようです。


御城印は、博物館の受付で頒布されています。

     20200318土浦城02

御城印も手に入れました。


では、土浦城を攻略いたしましょう。

     20200318土浦城21



太鼓櫓門

     20200318土浦城03

何と言っても、この門が土浦城の象徴と言っても過言では無い。



太鼓櫓門の前には、土浦城址の碑。

     20200318土浦城04



太鼓櫓門の先は、本丸跡。

     20200318土浦城05


     20200318土浦城06


     20200318土浦城08


     20200318土浦城20



本丸跡に建つ西櫓(復元)。

     20200318土浦城09


     20200318土浦城07




こちらは、東櫓(復元)     

     20200318土浦城12


     20200318土浦城13



本丸土塁。

     20200318土浦城14


     20200318土浦城11


     20200318土浦城15


     20200318土浦城16



本丸土塁からの水堀。

     20200318土浦城17


こちらは二の丸の水堀。

     20200318土浦城18


     20200318土浦城19



こちらが、御城印。

     20200318土浦城22


『土浦城展』が開催されなかったら、
発行(頒布)されなかったかもしれない土浦城の御城印。
とりあえず、手に入れる事が出来ました。



2020/04/23 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit