09 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 11

び・び・びのびいすけ

丸ポストを探して...............茨城・常陸大宮市編① (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

最近、ご無沙汰気味な丸ポスト探し。

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。
出かけたと言っても、廃校巡りが主体のお出かけ。
特に、丸ポストを意識していませんでしたが
小瀬第一小学校をあとにして、次なる廃校へと移動すると
ものの1〜2分で目の前に赤い丸ポストが現れました。

完全なる偶然な遭遇。
思わず車を路肩に停めて、
びいすけ を連れて車から降り、
カメラを構えます。


常陸大宮市の丸ポスト。
上小瀬地区、瀬賀商店前の丸ポスト。

      20170914丸ポスト01


      20170914丸ポスト02


      20170914丸ポスト03


      20170914丸ポスト04


      20170914丸ポスト05


      20170914丸ポスト06



常陸大宮市には、現在4基の丸ポストが現存しているようです。
そして、茨城県内には76基の丸ポストが現存しているようです。(2017年9月14日 現在)

茨城県の丸ポストは、これまでに

桜川市(真壁)    2基
石岡市        4基
稲敷市        2基
土浦市        6基
龍ヶ崎市       8基
かすみがうら市   1基
行方市        2基
取手市        6基
鹿嶋市        2基
大洗町        9基
茨城町        1基
つくば市       4基


そして、本日 常陸大宮市1基を追加して
合計48基の丸ポストに出会いました。
残り28基になるのかな?


頑張れは、茨城県内の丸ポストの完全制覇も夢じゃない。

いつかは制覇したいなぁ。




スポンサーサイト
2017/10/20 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 小瀬第一小学校 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

常陸大宮市の廃校巡り、その第14弾は...............旧・緒川村立 小瀬第一小学校

小瀬第一小学校は、詳しい沿革は不明ですが
現地に建てられていた碑にはたった2行の沿革。

明治41年小瀬尋常小学校として開校。
平成元年小瀬小学校に統合され廃校。

と、このような沿革です。

まあ、正確には平成元年に小瀬第二小学校と統合して
新たに小瀬小学校が設立され、廃校となったようです。


こちらが、小瀬第一小学校の入口。

      20170914小瀬第一小学校01

緩やかな上り坂。
学校の正門跡って言う感じがヒシヒシと分かります。



敷地は、緒川第一体育館として避難所に指定されています。

      20170914小瀬第一小学校02


こちらが、緒川第一体育館。

      20170914小瀬第一小学校03



小瀬第一小学校の体育館でした。

      20170914小瀬第一小学校04



小瀬第一小学校の校舎は、とっくに解体され
一時期は体育館以外には何も無く、校舎跡も更地でした。

東日本大震災の影響でしょうか?
急遽、市営住宅が建てられました。

      20170914小瀬第一小学校05


一瞬、建売り住宅と勘違いするような、立派な市営住宅。

      20170914小瀬第一小学校06



敷地内には、商工会の支所も建っています。

      20170914小瀬第一小学校07


      20170914小瀬第一小学校08




商工会側の敷地出入り口。

      20170914小瀬第一小学校13

ひょっとしたら、こちらに正門が在ったのか?
でも、そんな風には見えない。


すぐ近くには、石碑群。

      20170914小瀬第一小学校09



旧・緒川村の規格品?
『 小瀬第一小学校跡 』の碑。

      20170914小瀬第一小学校10



スペースの制限だとは思うけれど
たった2行では、小瀬第一小学校の歴史は語れない。

      20170914小瀬第一小学校11



おそらく、正門に使われていた門柱。

      20170914小瀬第一小学校12

表札の文字はカスれていて読めない。



      
これも何かの碑だとは思うけれど判別不能。

      20170914小瀬第一小学校14


敷地内に残る、シンボルツリー。

      20170914小瀬第一小学校15



校地が住宅に変貌していたのには、正直驚きました。
まぁ市営住宅だから、ある意味、敷地の有効活用と言えるかも?
常陸大宮市って、廃校が多いけれど、
跡地を上手く活用していると言えるかもしれない。




2017/10/19 Thu. 12:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

史跡 御留渕 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

旧・緒川村地区の上小瀬にある江畔寺の駐車場には
もう一つの碑が建っていました。

何て読むんだろう?

      20170914御留渕01

最初は読めませんでした。
スマホを使ってネットで調べても、ほとんど情報は無い。
江畔寺のHPを覗いて、何とか判読。
どうやら、『御留渕』と読むらしい。

      20170914御留渕02




御留渕は、
元禄五年(1692年)、水戸光圀公が江畔寺に二泊三日で宿泊参詣に来山し、門前の清流で斎戒沐浴をした。以来その場は御留渕と呼ばれ一般の立入が禁止されたそうです。


碑の建っている場所の背後の河原が
御留渕と言われているらしい。

      20170914御留渕08

フェンスがあって、駐車場から河原へは行けません。
未だに立ち入り禁止?(笑)



江畔寺の境内がちょっぴり高台だから
そこから眺めてみましょう。

      20170914御留渕03


300年前と今では、全く景観も違うでしょう。
取り立てるほどの景観ではなさそう。

      20170914御留渕04



もう一度、駐車場から眺めてみます。

      20170914御留渕05


どうみても、単なる川。

      20170914御留渕06



わざわざフェンスを乗り越える気力も無い(笑)

      20170914御留渕07


昔の景観地が、現在も景観地であるとは限らない。
そんな例は世の中にたくさんあります。

まあ、この御留渕もその一つになるのでしょう。


かつて、この地が景観地であり、水戸光圀公によって
立ち入り禁止にまでなった史跡であったことは
忘れずに憶えておこう...............。



   




2017/10/19 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 氷之沢小学校 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました

常陸大宮市に訪れた最たる目的は、ズバリ!廃校巡り。
昭和から平成と時代は流れ、平成16年に常陸大宮市は誕生しましたが
現在、常陸大宮市内に30近くの廃校となった小学校が在るようです。

その中の1校、旧・美和村に在った 旧・美和村立 氷之沢小学校 に訪れました。

氷之沢小学校は、

昭和13年      現在地に檜沢小学校氷之沢分校を設立。
昭和22年      学制改革により、檜沢村立檜沢の小学校氷之沢分校と改称する。
昭和31年      檜沢村と 嶐郷村が合併し美和村(檜沢嶐郷村から即日改称)が発足。
            美和村立檜沢小学校氷之沢分校と改称する。
昭和32年      独立して美和村立氷之沢小学校となる。
昭和54年      檜沢小学校、上桧沢小学校と合併して新たに檜沢小学校が創立。
            氷之沢小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。


実はこの氷之沢小学校、Wikipediaにも記載されていない廃校(小学校)。
たまたま見かけたblogでその存在を知り、
氷之沢と言う大字を頼りにGoogleマップで調べ
何とか辿り着く事が出来ました。



こちらが、氷之沢小学校。
氷之沢と書いて『ひのさわ』と読むらしい。

      20170914氷之沢小学校02


一応、木造校舎ですが...............
何と無く雰囲気がいつもと違う。

      20170914氷之沢小学校03



よく見たら、窓ガラスが全てトタンで閉鎖されている。

      20170914氷之沢小学校04

これって、どういう事でしょう?


玄関も閉ざされ、この木造校舎は他に流用されていないようです。

      20170914氷之沢小学校05


      20170914氷之沢小学校06



げんざ、氷之沢小学校の敷地には、
地域の公民館的な存在になるのでしょうか?
表郷未来館と言う施設も建てられています。

      20170914氷之沢小学校14


      20170914氷之沢小学校15




閉鎖された(?)木造校舎には、トイレのような建物と
教員の宿舎のような建物が連なっていますが
そちらも閉鎖されています。

      20170914氷之沢小学校07


      20170914氷之沢小学校08




校庭には遊具も無く、一部がゲートボール場となっています。

      20170914氷之沢小学校01


      20170914氷之沢小学校12


      20170914氷之沢小学校13




校庭の隅に在った、氷之沢小学校跡の碑。

      20170914氷之沢小学校09


      20170914氷之沢小学校10


      20170914氷之沢小学校11

簡素な沿革が刻まれています。




      
この木はシンボルツリーだったのでしょうか?

      20170914氷之沢小学校16


Wikipediaにも載っていない氷之沢小学校。
昭和54年に統合された本校である檜沢小学校も
平成22年に嶐郷小学校と統合して廃校となったため
記録や記憶の中からいずれ消え去ってしまう。

少なくても、この地に学び舎が在ったことは憶えておこう...............







2017/10/17 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

三浦杉公園 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は茨城県の常陸大宮市に出かけました。

道の駅みわ をあとにして、車で数百m。
いきなり視界に入ってきた公園の看板。
ついでだから、この公園にも立ち寄っちゃえ〜!

ってことで立ち寄ったのは...............三浦杉公園

      20170914三浦杉公園01



実は、この近くには三浦杉で有名な吉田八幡神社もあり

      20170914三浦杉公02



三浦杉は、吉田八幡神社の長い石段の先に
特に目につく二本の杉の巨木のことです。
これが茨城県指定天然記念物の三浦杉です。
樹齢は800年以上で、幹周囲10m、樹高59m、枝下28mというこの杉は、
久寿2年(1155年)相模国・三浦大介義明が、
下野国・那須野(現在の那須町)に金毛九尾の悪狐退治に行く途中に、
この神社に参拝し、
「我宴護により能く悪狐を護ば此の杉天にそびゆべし」と植えた杉と伝えられています。

当初は、『鎌倉杉』と呼ばれていましたが、
この話を聞いた徳川光圀が、『三浦杉』と命名したそうです。


その吉田八幡神社には駐車場が無く、
吉田八幡神社に訪れる人が
この公園の駐車場を利用するそうです。

      20170914三浦杉公03



吉田八幡神社の駐車場のための公園では決してありません。

      20170914三浦杉公04


園内には菖蒲園があり(って言うか、菖蒲園しかない)。
毎年6月中旬から7月中旬まで1万本以上の花菖蒲が咲き揃うそうです。

      20170914三浦杉公05


9月の中旬。
菖蒲の時期ではないから、当然咲いていません。

      20170914三浦杉公06


時期が時期なら、多くの人が訪れる場所のようです。

      20170914三浦杉公07



四阿も在って、ちょっとした休憩も出来ます。

      20170914三浦杉公08


近所の方々の犬の散歩コースにでもなっているんでしょうか?
矢鱈とクンクンと匂いを嗅ぎ回る びいすけ 。

少しは気分転換になったかな...............?







2017/10/14 Sat. 14:14 | trackback: -- | 本文: -- | edit

道の駅 みわ (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県常陸大宮市に出かけました。


他府県等に出かける際は、ほとんど車での移動になります。
高速道路を利用したり、一般道(通称『した道』)を長時間走ることも多々あります。
そんな時に困るのがトイレ。
人間だけではなくて、お供の びいすけ のトイレタイムもあったりして
道の駅を利用することも多い。

そう言えば地元の千葉県でも、
ここ数年で新しい道の駅がかなりオープンしています。
今までは、JA(農協)の即売所のイメージしか無かったけど
最近の道の駅は、それだけじゃ無いみたい。
24時間駐車場が開いているから、車中泊旅行の重要な場所として利用されたりしています。
そう言えば、道の駅スタンプラリーなるモノも定期的に開催されているようだし。
定年退職を機に、全国の道の駅を巡っている熟年夫婦も居るらしい。

7月の福島旅行の時に旅行・小旅行の際、『道の駅巡り』として
道の駅に立ち寄るのも面白いかな?と思うようになりました。

色々と調べてみると、道の駅は全国に1117ヶ所あるようです。
(2017年9月14日現在)


そんな訳で新たにチャレンジする道の駅巡り、
その第1回目は................道の駅 みわ



『道の駅 みわ』は、茨城県常陸大宮市の国道293号線沿いにありました。

      20170914道の駅 みわ01



この辺りは、旧・美和村。

      20170914道の駅 みわ02


道の駅の名称も、旧・美和村から引用したんでしょうね。


駐車場も二ヶ所あり、普通車なら80台停められるようです。

      20170914道の駅 みわ03


      20170914道の駅 みわ04



こちらの道の駅は、野菜直売所、レストラン、お土産店でも構成されていて
北斗星と言うレストランがオススメみたいです。

      20170914道の駅 みわ05

ちょうど、お昼時だし...............
美味しいモノでもだべましょうかね?



どうやら椎茸がこの辺りの特産品みたいです、

      20170914道の駅 みわ06



レストラン(北斗星)に行ったら、悲しい現実が................

      20170914道の駅 みわ07



テラス席があるから、期待していたら
ペットNGだそうです。

蕎麦が美味しそうだったのになぁ。

      20170914道の駅 みわ08



仕方がないので、隣接するフードコートでファストフードを購入。

離れた場所のテーブルを陣取ってお昼にいたしましょう。

      20170914道の駅 みわ09

本日のお昼は、焼きそば と コロッケ 。



アツアツのコロッケを頬張ります。

美味い!

      20170914道の駅 みわ10

ゴメンね。 びいすけ には揚げ物だけど、あげられないんだ。(オヤジギャグ)


焼きそば も美味しくいただきました。

      20170914道の駅 みわ11



『父さんだけずるい!』と言われそうだから
びいすけ にもオヤツをあげましょう。


チョイあげ の かつおくん 。

      20170914道の駅 みわ12



なかなか売ってないんだから、味わって食べなさいね。

      20170914道の駅 みわ13



想像以上に喰いつきが良い。

      20170914道の駅 みわ14



よっぽど美味いのか?

      20170914道の駅 みわ15



はたまた、単にいやしいだけなのか?(笑)

      20170914道の駅 みわ16


      20170914道の駅 みわ17



そうそう、せっかく立ち寄ったんだから
記念にスタンプを押しましょう!

      20170914道の駅 みわ18

っと、ここでスタンプ帳(ダイソーで買った無地のノート)を
自宅に忘れてきたことに気付きます。

Oh My God!!


お土産店で『道の駅キップ』なるモノが売っていたので
急遽、そちらを記念に購入。



ついでに野菜即売所で買っちゃいました。

      20170914道の駅 みわ19

長ネギ(3本)、きゅうり(5本)、茄子(6本)、ピーマン(15個)
全部で420円。

これって無茶苦茶安くない?

『道の駅みわ.』..............侮れません。




そして、こちらが 『 道の駅みわ 』の記念切符。

      20170914道の駅 みわ20

1枚180円と微妙な値段。


何やら、この切符を集めるコレクターが多いらしい。

      20170914道の駅 みわ21



専用のホルダーも発売されているらしい。
コレクター魂に火をつけられそう...............(笑)





2017/10/14 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 八里小学校小舟分校 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

松之草分校をあとにして、向かった先は...............旧・緒川村立 八里小学校小舟分校


分校跡に残された碑には、簡略な沿革が刻まれていましたが
近隣の町村の歴史的な変遷を考慮すれば...............

小舟分校は、

明治10年      小舟学舎創立。
明治42年      八里尋常小学校小舟分校となる。
昭和22年      学制改革により、八里村立八里小学校小舟分校と改称する。
            小瀬村と八里村が合併し、緒川村が発足。
昭和31年      緒川村立八里小学校小舟分校と改称する。
昭和54年      八里小学校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。



小舟分校の詳しい場所は分かりませんでしたが
地方の農村部、山間部の廃校(分校)が
公民館等の公共施設に転用されている事が多いので、
2ヶ所ばかり当たりを付けて、最初に小舟公民館を訪れてみましたが
分校跡の雰囲気はあるものの、旧・緒川村の統一デザインの石碑が無い!

もう1ヶ所の小舟上集落センターに向かってみました。
実は、この小舟上集落センターの在る場所が
八里小学校小舟分校の跡地でありました。



こちらが、小舟分校の入口。

      20170914小舟分校01

正面の建物は、上小舟集落センターと思いきや、違っていました。


『緒川村農産物加工施設』と看板が掲げられています。

      20170914小舟分校02



しかしながら人気は無く、農産物加工施設としては
現在は機能していそうもない。

      20170914小舟分校03

おそらく、常陸大宮市に統合された際に廃止されたのでしょう。


当初、この場所が小舟分校跡か?否か?
不安でしたが、農産物加工施設の裏手で
旧・緒川村統一規格(?)の碑を見つけた時は嬉しかったなぁ。


碑は、この裏手に隠れるように建っていました。

      20170914小舟分校04



こちらが、『小舟分校跡』の碑。

      20170914小舟分校05



やはり、沿革はたったの3行(笑)。

      20170914小舟分校06



同じ敷地内には、上小舟集落センター。

      20170914小舟分校10



こちらは、地域の公民館的な存在で
現在も有効に利用されているようです。

      20170914小舟分校07



農産物加工施設跡の建物裏の碑がなければ
とても学校跡には見えない小舟分校跡。


一歩譲って、学校跡を彷彿させるのは
この桜の木かもしれません。
     
      20170914小舟分校09


      
昭和の時代に廃校になった八里小学校の分校。
これで4つの分校の全てを訪れる事が出来ました。
しかし、 旧・八里村の学区は広い! と改めて感じました。



2017/10/13 Fri. 13:13 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 八里小学校松之草分校 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

八里小学校をあとにして、向かった先は...............旧・緒川村立 八里小学校松之草分校


分校跡に残された碑には、簡略な沿革が刻まれていましたが
近隣の町村の歴史的な変遷を考慮すれば...............
松之草分校は、

明治23年      松之草小学校として開校。
明治42年      八里尋常小学校松之草分校となる。
昭和22年      学制改革により、八里村立八里小学校松之草分校と改称する。
昭和31年      小瀬村と八里村が合併し、緒川村が発足。
            緒川村立八里小学校松之草分校と改称する。
昭和42年      八里小学校に統合され廃校となる。


と、このような沿革となっているようです。


地元の千葉県から他県の廃校巡りに出かける際は
情報がかなり重要になります。
よく参考にさせていだだいているブログを拝見して
松之草分校は『風車の弥七』のお墓のすぐ近く(隣り)と知っていたので
風車の弥七の墓を目指します。

風車の弥七の墓の隣には、
地域の公民館的な存在の松之草生活改善センター が在りました。


松之草分校跡は『松之草生活改善センター』として活用されているようです。


こちらが松之草分校跡。

      20170914松之草分校01


現在は、地域の公民館的な存在の松之草生活改善センター。

      20170914松之草分校02


その建物。
昭和48年に廃校。
往時の校舎に見えなくもないが、新たに建てられたモノでしょう。

      20170914松之草分校03


松之草生活改善センターの木製の看板(表札)も年季が入ってます。

      20170914松之草分校07


敷地は広くない。

      20170914松之草分校04



当然、校庭も狭く、いかにも里山の分校跡。

      20170914松之草分校05



校庭は、ゲートボール場として利用されているようです。

      20170914松之草分校06


   
校庭の隅には、旧・緒川村の統一規格(?)の碑

      20170914松之草分校08



『松之草分校跡』としっかり刻まれています。

      20170914松之草分校09



側面には沿革。

      20170914松之草分校10


たった3行の沿革も他の廃校と同じです。

      20170914松之草分校11

分校跡を感じさせるのは、この碑だけ。
遊具も二ノ宮像もない。


ただ、感心なのはこの場所がしっかり管理されていると言うこと。
この花壇を見れば、それが分かります。

      20170914松之草分校12



分校跡の向かいの畑の中には、こんな碑が在りました。

      20170914松之草分校13



『弥七とお新の住居跡』

      20170914松之草分校14

どうやら、水戸黄門に登場する『風車の弥七』の事らしい。

あくまでもTVドラマの世界の話かと思っていたら
実在した人物のようです。
と言うか、松之草小八兵衛と言う人がモデルのようです。
水戸黄門(水戸光圀)に仕える身。忍び。
妻の名は「お新」などの共通点があり、
地元では小八兵衛を"弥七のモデル"とみなしたようです。


何と驚くなかれ、松之草分校の隣はこんな状態。

      20170914松之草分校15

すっかり観光地?
おまけに500円徴収されるようです。

この日は平日だから、売店?も休み。
駐車場も閉まっています。

      20170914松之草分校16



県道から、弥七の墓を垣間見ることが出来ます。

      20170914松之草分校17


まぁ、500円払って見学する価値があるのか...............?
正直、分かりません。

一つだけ言えるのは、松之草分校跡は
『風車の弥七』の墓に隣接する松之草生活改善センターだと言うことを
しっかりと覚えておこう...............。




2017/10/13 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 八里小学校 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

常陸大宮市を訪れたのは、ズバリ! 廃校巡り。
常陸大宮市の廃校ツアー。
旧・八里小学校の次に訪れたのは...............移転先である 常陸大宮市立八里小学校


昭和48年にこの地に移転して来た八里小学校は
残念ながら、平成22年に廃校となってしまいました。


八里小学校は、

明治6年      八つの里の各村に学舎を創設。
明治34年     八里尋常高等小学校となる。
昭和22年     学制改革により八里村立八里小学校と改称する
昭和31年     小瀬村と八里村が合併し、緒川村が発足。
           緒川村立八里小学校と改称する。
昭和42年     松之草、入本郷、千田分校を統合する。
昭和48年     現在地に移転する。
昭和54年     小舟分校を統合する。
平成16年     大宮町、山方町、美和村、緒川村、御前村が合併して常陸大宮市となる。
           常陸大宮市立八里小学校と改称する。
平成22年     八里小学校と小瀬小学校が統合して、新たに緒川小学校が創立。
           八里小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。




県道沿いに面した八里小学校。
こちらが正門です。

      20170914八里小学校01


      20170914八里小学校02



正門から敷地内に入ってみます。

      20170914八里小学校03



いきなり視界に入ってくる石碑。
旧・緒川村の統一規格(?)。

      20170914八里小学校04

実は、この地は八里中学校の跡地でもあります。


たった2行の沿革。

      20170914八里小学校05



昭和25年八里中学校開校
昭和48年緒川中学校に統合され廃校。

八里中学校としては、23年しか存在しなかったようです。

      20170914八里小学校06




こちらは、八里小学校の記念碑。

      20170914八里小学校07



閉校記念碑の正面には校歌。

      20170914八里小学校08



裏面には沿革が刻まれています。

      20170914八里小学校09


      20170914八里小学校10



碑の近くには、こんな看板。

      20170914八里小学校11

この下にタイムカプセルが埋められているんですねか。



元々、生徒(児童)が多くなかったのか?
かつて、4つの分校を有した本校の割には校舎はあまり大きくない。

      20170914八里小学校12



校舎全景。

      20170914八里小学校13



びいすけ と 校舎。

      20170914八里小学校14



別アングルからの校舎。

      20170914八里小学校15



玄関の庇に掲げられた校章。

      20170914八里小学校16



正面玄関。

      20170914八里小学校17



廃校時に掲げられた横断幕。

      20170914八里小学校18

廃校から既に7年。
色褪せて読みづらくなってます。




校舎前に置かれた朝礼台。

      20170914八里小学校19



玄関前には、こんな古びたオブジェも飾られています。

      20170914八里小学校20


台座にはめ込まれていたプレート。

      20170914八里小学校21

昭和59年度の卒業生から贈られたモノのようです。


小学校の遊具の定番。
古タイヤ。

      20170914八里小学校22



校庭を徘徊する びいすけ 。

      20170914八里小学校23


      20170914八里小学校24



コンクリートのフェンスに、卒業製作で描かれた作品。

      20170914八里小学校25

雑草に隠れて良く見えない。



かつて、明治の初期に8つの里に創設された小学校。
昭和の後半に統合されて、1つの小学校となり
平成の時代を20年も過ぎると、残された唯一の小学校も廃校となりました。
八つの里は今でも村の名前は変われど、残っている。
でも小学校だけは、無くなってしまいました...............。










2017/10/12 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 旧・八里小学校跡 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

目的は、常陸大宮市に点在する廃校巡り。
八里小学校入本郷分校をあとにして、向かった先は............... 旧・緒川村立 旧・八里小学校跡

旧が二つ並びますが、旧・緒川村時代に移転した八里小学校の跡地と言うことになります。


そもそも八里小学校は、明治6年に近隣の八つの里の各村に学舎を創設されたことから始まります。

八つの里の村とは、小舟村・小瀬沢村・大岩村・油河内村・松之草村・吉丸村・入本郷村・千田村で
明治22年に八つの村が合併して八里村が誕生しました。

明治34年     八里尋常高等小学校となる。
昭和22年     学制改革により八里村立八里小学校と改称する
昭和31年     小瀬村と八里村が合併し、緒川村が発足。
           緒川村立八里小学校と改称する。
昭和42年     松之草、入本郷、千田分校を統合する。
昭和48年     現在地に移転する。
昭和54年     小舟分校を統合する。
平成16年     大宮町、山方町、美和村、緒川村、御前村が合併して常陸大宮市となる。
           常陸大宮市立八里小学校と改称する。
平成22年     八里小学校と小瀬小学校が統合して、新たに緒川小学校が創立。
           八里小学校は廃校となる。

と、このような沿革になっています。

すなわち、八里小学校が明治34年から昭和48年まで
この地に在ったことになります。
この地の前に訪れた千田分校や入本郷分校、
このあとに訪れる予定の松之草分校の子供たちも
分校が廃校後、この場所を学び舎として机を並べていたんですね、




以前は、洒落たデザインの玄関を有した木造の校舎が
この地に建っていたと言うことですが
平成19年に解体されて更地になってしまったようです。

      20170914 旧・八里小学校01



何もな〜い! と思っていたら、 びいすけ の背後に何かある!?

      0170914 旧・八里小学校02



望遠レンズでググッと寄ってみましょう。

      0170914 旧・八里小学校03

石碑が並んでいるようです。



近づいてみましょう。

      0170914 旧・八里小学校04



『八里小学校跡』の碑。

      0170914 旧・八里小学校05



同じデザインのものを千田分校、入本郷分校でも見ました。
どうやら、旧・緒川村時代の統一デザインのようですね。

      0170914 旧・八里小学校06



八つの里の各校の統合先であるのに、
沿革は、やはりたったの3行。

      0170914 旧・八里小学校07



旧・校地で使用されていた門柱かと思ったら、違っていた。

      0170914 旧・八里小学校08

『創立十五周年記念塔』とあります。
いわゆる記念碑ですね。


昭和38年建立と記されています。

      0170914 旧・八里小学校09

おそらく、戦後の学制改革で新制小学校として生まれ変わった
八里村立八里小学校が誕生(創立)して15年の記念でしょう。



こちらも何かの記念碑だとは思うけれど正体不明。

      0170914 旧・八里小学校10



結局、旧・八里小学校の足跡を残すモノはこれらのみ。
ある方のブログを読んだら、木造校舎の裏手には保育園も在ったらしい。

今は、完全な更地。

      0170914 旧・八里小学校11


      0170914 旧・八里小学校12


      0170914 旧・八里小学校13


      0170914 旧・八里小学校14



ひょっとしたら、この木なんかはシンボルツリーとして
この学び舎の卒業生の中には、瞼に焼き付けている人も居るのかな?

      0170914 旧・八里小学校15






旧・八里小学校から200mほどの距離に在る古びた建物。

      0170914 旧・八里小学校16

旧・八里郵便局。


この郵便局の前に、なぜか二ノ宮像?

      0170914 旧・八里小学校17



ひょっとしたら、旧・八里小学校の二ノ宮像?

      0170914 旧・八里小学校18

淡い期待を持って近隣の方々に話を聞いたら...............
この二ノ宮像は、旧・八里小学校のモノではない!!との事でした。


う〜む、残念。



2017/10/11 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 八里小学校入本郷分校 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

常陸大宮市の廃校巡りに出かけたのですが
常陸大宮市は大宮町、山方町、美和村、緒川村、御前村が
平成16年に合併して誕生した市です。
いわゆる平成の大合併ですが、この時期から全国的に学校の統廃合が加速的に進み、
常陸大宮市でもかなりの小学校が廃校となりました。

常陸大宮市が誕生する以前にも、旧緒川村では廃校が多く
八里小学校には、かつて4つの分校が在りましたが
いずれも昭和の時代に廃校となってしまいました。

千田分校をあとにして、向かった先は...............旧・緒川村立 八里小学校入本郷分校


分校跡に残された碑(標柱)には、簡略な沿革が刻まれていましたが
近隣の町村の歴史的な変遷を考慮すれば...............
入本郷分校は、

明治33年      八里第三小学校入本郷分校として開校。
明治42年      八里尋常小学校入本郷分校と改称する。
昭和22年      学制改革により、八里村立八里小学校入本郷分校と改称する。
昭和31年      小瀬村と八里村が合併し、緒川村が発足。
            緒川村立八里小学校入本郷分校と改称する。
昭和42年      八里小学校に統合され、廃校となる。

と、このような沿革を歩んだようです。


分校の場所は分かりませんでしたが
公民館か何かに流用されていると予測して
入本郷集落にある入本郷公民館に向かいました。

ちょうど、この辺りは稲刈りのシーズン。
台風18号も数日後に本州に上陸する?なんて予報もあり
稲刈りをされている農家の方が多い。
公民館前の田圃稲刈りをしていた御老人に聞いてみたら
入本郷公民館が入本郷分校跡になるとの事でした。



入本郷分校の入口。

      20170914入本郷分校01

反対側にも入口はありますが、こちらの狭い道の方が
分校の通学路っぽい(笑)。



反対側の入口から入れは、こんな感じで
里山の分校跡っぽく見えます。

      20170914入本郷分校03

奥に見えるのが、公民館。
往時の校舎は解体され、公民館が建てられました。


こちらが公民館。

      20170914入本郷分校04



狭い校庭。

      20170914入本郷分校02


    
その校庭の片隅にひっそりと碑が建っています。

      20170914入本郷分校05



『入本郷分校跡』の碑。

      20170914入本郷分校06


      20170914入本郷分校07

こちらの碑にも沿革は3行に集約されていました。
もっと多くの歴史が在ったと思うんだけどなぁ。


分校の校庭の片隅に、台地に上がる石段がありました。

      20170914入本郷分校08

鳥居が見えるから神社のようです。


せっかくだから、上がってみましょう。

      20170914入本郷分校09



石段を上りきった先には、拝殿。

      20170914入本郷分校10



神額(扁額)には鹿島神社の文字。

      20170914入本郷分校11

集落の信仰の象徴だったのでしょう。
それ故に、鹿島神社の境内下に分校が建てられたのでしょう。


台地から見下ろすと、県道までそれなりの高さ。

      20170914入本郷分校12


山奥とも言え、この入本郷の集落にもかつての学舎があり、
明治初期に遡れば、入本郷村と呼ばれていた地区。
鹿島神社の境内下であり、そこはかつての集落の中心とも言える場所だったかもしれない...............。






2017/10/10 Tue. 15:15 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 八里小学校千田分校(2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

常陸大宮市に出かけたのは、ズバリ! 廃校巡り。
常陸大宮市の廃校ツアー、その第7弾。

たまたま立ち寄った長倉城址をあとにして、
向かった先は...............旧・緒川村立 八里小学校千田分校


分校跡に残された碑(標柱)には、簡略な沿革が刻まれていましたが
近隣の町村の歴史的な変遷を考慮すれば...............

千田分校は、

明治23年      八里村(旧・千田村域)に千田小学校として開校。
明治42年      八里尋常小学校の分校となる。
昭和22年      学制改革により、八里村立八里小学校千田分校と改称する。
昭和31年      小瀬村と八里村が合併し、緒川村が発足。
            緒川村立八里小学校千田分校と改称する。
昭和42年      八里小学校に統合され廃校となる。

とこのような沿革を歩んだようです。




こちらが、千田分校の入口。

      20170914千田分校01



分校の校舎は解体され、跡地は地域の公民館的な存在である
『千田田園都市センター』として活用されています。

      20170914千田分校02


      20170914千田分校03



分校入口の脇に建つ記念碑(標柱)。

      20170914千田分校04




『千田分校跡』と刻まれています。

      20170914千田分校05


平成3年に当時の緒川村の教育委員会によって建立されたようです。

      20170914千田分校06



碑(標柱)の限られたスペースの関係か?
たった3行の沿革。

      20170914千田分校07

たった3行では、その歴史の重さは表せない。




千田田園都市センターの玄関前に建つ石碑。

      20170914千田分校08

刻まれた文字は朽ちて判読不可。


千田分校跡の碑以外は、学校遺構はない千田分校跡。

      20170914千田分校09


対向車との離合に苦労する狭い道を車を走らせて到着出来た千田分校。
確かに山深き地ではあるが、確かにこの地に学舎が存在していました。
それを確認出来て良かった...............。









2017/10/10 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

長倉城址 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

長倉小学校をあとにして、次なる廃校を目指して
車を走らせた直後に、こんな案内標識を見つけました。

      20170914長倉城址01

『長倉城址...............?』
標識の色合いから言って新しい。
ましてや、城址と聞いたら城好きは素通り出来ません。
当初の予定にはありませんでしたが、
急遽立ち寄ったのは...............長倉城址


長倉城は、

佐竹宗家八代・行義の第二子・義綱が文保元年(1317年)に
この地に築城して初代長倉氏と称しました。
以来十四代・義興までの二百八十年間、
佐竹の門閥として興亡の歴史に刻まれた城です。

文禄四年(1595年) 義興が柿岡に移封され廃絶後、
斉昭の命により天保9年(1838年)松平頼位が本丸下の館に居住し、
代々城址を治めて明治維新を迎えました。
城跡は東西約330メートル、南北約300メートル、
本丸跡の標高約130メートル、四囲に天険を利用した山城でした。


さすがに、茨城県の県央から北部になると佐竹氏の名を耳にします。
佐竹氏と言うと『南方三十三館の仕置き』や、秀吉の小田原征伐の際
いち早く参陣したと言う経緯もあり、小田原北条家のファンとしては
何と無く好きになれない武家でした。
とは言え、城郭好きなら戦国時代の佐竹氏は切り離せられないんだよなぁ。


こちらが、長倉城の縄張り図

      長倉城縄張り図

                           ( 余胡さんのHPからお借りしました )




蒼泉寺の駐車場に車を置き、境内脇の登城路を進みます。

      20170914長倉城址02



案内標識をもあり、道を間違えることはない。

      20170914長倉城址03

この案内標識の背後が長倉陣屋跡のようです。


この先が長倉城址。

      20170914長倉城址04



説明板と標柱が見えて来ました。

      20170914長倉城址05



以前は無かったらしい説明板。
平成15年に建てられたらしい。

      20170914長倉城址06




御前山村が合併で無くなる前に慌てて建てたとも言われています(笑)。

      20170914長倉城址07


実は、この辺りは長倉城址の入口と言っても良い。
この先の比高40mほどの台地(山)が主郭になるらしい。

いくらか涼しくなって来たとは言え、9月の中旬。
まだまだ残暑を危惧する時期。
当然、山には雑草が生い茂り、行く手をはばみます。

      20170914長倉城址08


      20170914長倉城址09



この奥に竪堀があるらしいが
とても確認出来る状態ではありません。

      20170914長倉城址10


とにかく、城址巡りにはまだまだ不向きな季節。
早々に撤収することにいたしました。



蒼泉寺の境内から眺める長倉城址。

      20170914長倉城址11


残念ですが、遺構に近づくことも無理って言うか
雑草の生い茂る中を びいすけ を引き連れて
藪漕ぎしながら進軍する勇気はありません(笑)

雑草が枯れる時期に、いつかリベンジマッチしなくっちゃ!







2017/10/09 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 長倉小学校 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市の廃校巡りに出かけました。


常陸大宮市の廃校ツアー、その第6弾。
伊勢畑小学校をあとにして、向かった先は...............常陸大宮市立長倉小学校


長倉小学校は、

明治6年      長倉村に長倉小学校が創立される。
           蒼泉寺を仮校舎として野田に分校を置く。
明治8年      正覚寺に移動する。
明治18年     長倉尋常小学校と改称する。
           長倉宿寺家山に校舎を新築する。
明治25年     長倉尋常高等小学校と改称する。
大正11年     現在地に校舎を新築移転。野田分校を廃止する。
昭和22年     学制改革により、長倉村立長倉小学校と改称する。
昭和31年     長倉村が御前山村に吸収合併されて御前山村となる。
           御前山村立長倉小学校と改称する。
平成16年     大宮町、山方町、美和村、緒川村、御前山村が合併して常陸大宮市となる。
           常陸大宮市立長倉小学校と改称する。
平成21年     長倉小学校が野口小学校、伊勢畑小学校と合併して新たに御前山小学校が創立される
           長倉小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、長倉小学校の正門。

      20170914長倉小学校01


      20170914長倉小学校02


      20170914長倉小学校03


長倉小学校は歴史の在った学校だから、
年代物の門柱と思いきや、平成9年にOBから寄贈されたモノのようです。

      20170914長倉小学校17



正門付近から見た校舎。

      20170914長倉小学校04


      20170914長倉小学校20



敷地内に入ると、すぐ視界に入る記念碑。

      20170914長倉小学校05


閉校(廃校)記念碑かと思ったら違っていました。
長倉小学校の校訓の碑でした。

      20170914長倉小学校18



こちらが、校舎。

      20170914長倉小学校06


      20170914長倉小学校07


      20170914長倉小学校11


校舎の前には記念碑。

      20170914長倉小学校08



探していた碑(閉校記念碑)です。
正面は校歌が刻まれています。

      20170914長倉小学校09


裏面には、沿革が刻まれています。

      20170914長倉小学校10

考えてみたら、ここまでに6校の廃校に訪れましたが
いずれの校地には、閉校記念碑(学校跡の碑)が残されていました。
常陸大宮市って、廃校に優しい街?って言うか
古き歴史を重んじる街なんですね。



こちらが、体育館。

      20170914長倉小学校12


近所の悪ガキの悪戯か?
窓ガラスが何枚か割られています。

      20170914長倉小学校13



校庭の隅に在った百葉箱。

      20170914長倉小学校14



こちらは、児童たちの卒業製作のモノですね。

      20170914長倉小学校15



同じく、校庭の一角に在った、長倉小学校の緯度・経度を示した標柱。

      20170914長倉小学校19



丸ポスト好きには見たくない光景。

      20170914長倉小学校21

教材用の丸ポストが朽ちて倒れていました。



校庭の一画は、ゲートボール場。

      20170914長倉小学校16

半世紀以上前の児童たちが、この場所で興じるのでしょうか?



そして、正門脇のこのシンボルツリーが、その姿を見守っているんでしょう。

      20170914長倉小学校22






2017/10/08 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 伊勢畑小学校 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。


旧・野口小学校跡をあとにして、向かった先は...............常陸大宮市立伊勢畑小学校


伊勢畑小学校は、

明治6年      下伊勢畑村に時習小学校が創立される。
明治22年     上伊勢畑村・下伊勢畑村・檜山村が合併して伊勢畑村が発足。
           下伊勢畑尋常小学校と改称する。
明治41年     伊勢畑尋常小学校と改称する。
大正7年     伊勢畑尋常高等小学校と改称する。
昭和22年     学制改革により.伊勢畑村立伊勢畑小学校と改称する。
昭和30年     伊勢畑村と野口村と合併し御前山村が発足。
           御前山村立伊勢畑小学校と改称する。
平成16年     大宮町、山方町、美和村、緒川村、御前村が合併して常陸大宮市となる。
           常陸大宮市立伊勢畑小学校と改称する。
平成21年     長倉小学校、野口小学校と合併して新たに御前山小学校が創立。
           伊勢畑小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、伊勢畑小学校の正門。

      20170914伊勢畑小学校01



コンクリート製の門柱には、往時の表札が掲げられています。

      20170914伊勢畑小学校02



門柱の陰に隠れるように建つ記念碑。

      20170914伊勢畑小学校03



伊勢畑小学校の閉校記念碑です。

      20170914伊勢畑小学校04


碑の台座には、在りし日の伊勢畑小学校の写真(石板)も飾られている。

      20170914伊勢畑小学校09



裏面には沿革が刻まれています。

      20170914伊勢畑小学校05

ネットの時代でも、なかなか廃校になった小学校の沿革は
調べることも苦労しますから、記念碑に沿革が残されていると重宝します。



碑の隣には、以前何かが置かれていた区画跡。

      20170914伊勢畑小学校10

ひょっとしたら、二ノ宮像がこの場所に置かれていたのでしょうか?




校庭と校舎。

      20170914伊勢畑小学校06



校舎を別アングルから。

      20170914伊勢畑小学校08


      20170914伊勢畑小学校11


      20170914伊勢畑小学校12






こちらは体育館。

      20170914伊勢畑小学校13


      20170914伊勢畑小学校14


      20170914伊勢畑小学校07


 
校庭の隅に建っている何かの碑。    

      20170914伊勢畑小学校18

石板の文字は掠れていて判読不明。

   

     
校舎前の花壇。

      20170914伊勢畑小学校15



花は無いけれど、平成3年に小平賞を受賞したらしい。

      20170914伊勢畑小学校16

ところで、『小平賞』って何?(笑)



校庭の真ん中に防火水槽。

      20170914伊勢畑小学校17

きっと廃校後、校庭に防火水槽が作られたんでしょう。
地域の避難場所でもある伊勢畑小学校跡。

廃校後、敷地や施設が他に流用される事が多い常陸大宮市の小学校。
他に流用されて敷地内に入る事が出来なくなるのもツマらないけれど、
全く他に流用されてなさそうな伊勢畑小学校です。
それはそれで寂しいモノです。
      



2017/10/07 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 旧・野口小学校跡 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。


常陸大宮市の廃校ツアー、その第四弾は...............旧・御前山村立 旧・野口小学校


野口小学校は、平成21年に長倉小学校、伊勢畑小学校と合併して廃校になりましたが
明治6年に創設された歴史のある小学校でした。
廃校となった野口小学校の近くにある内原農村集落センターのある場所が
以前、野口小学校の在った場所だと知り、訪ねてみました。

      20170914旧・野口小学校跡01



同じ敷地の中には、民間の工場もあるようです。

      20170914旧・野口小学校跡02



画面中央の小さな建物が、農村集落センター。

      20170914旧・野口小学校跡03



そして、隣には木造校舎。

      20170914旧・野口小学校跡04

実は、この木造校舎は現在、工場として使われているようです。


敷地内には、こんな碑が建っています。

      20170914旧・野口小学校跡05



こちらの碑にも、簡単ながら野口小学校の沿革が刻まれています。

      20170914旧・野口小学校跡06

こちらの碑の沿革によれば...............

明治24年      野口尋常小学校は、野口2011番地(佐伯神社境内)に増築移転した。
明治31年      高等科が併置され、野口尋常高等小学校となった。
昭和16年      野口尋常高等小学校は、野口国民学校と改称された。
昭和22年      学制改革により、那珂郡野口村立野口小学校となった。
昭和30年      町村合併により、東茨城郡御前山村立野口小学校となる。
昭和40年      野口小学校は野口1337番地(元野口中学校跡)に移転し、
            新築落成式を挙行した。


すなわち、明治24年から昭和40年まで約61年間
この地に野口小学校が在ったことになります。



解体されることなく、民間の工場としてその姿を残す木造校舎。

      20170914旧・野口小学校跡07


かなり変貌してしまったとは思えるが
今でも学校校舎を彷彿させてくれます。

      20170914旧・野口小学校跡08


      20170914旧・野口小学校跡09


      20170914旧・野口小学校跡10



地元の方から話を伺う機会があり、校庭の一部は宅地化され
現在は民家が建っています。

      20170914旧・野口小学校跡11


佐伯神社の境内であった?鎮守の杜の脇には
ソーラーパネルが敷かれています。

      20170914旧・野口小学校跡12



この辺りまで校地だったようです。

      20170914旧・野口小学校跡13

でも、雑草が生い茂ってソーラーパネルの効果も半減していないのかな?






2017/10/06 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 野口小学校 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

常陸大宮市の廃校ツアー、その第三弾は...............常陸大宮市立野口小学校



野口小学校は、

明治6年      野口平村に野口平小学校を創設。
同  年      野口村に野口小学校を創設。
明治10年     野口小学校を旧・時雍館跡に移転。
明治18年     野口小学校を村上宿に移転。
明治19年     野口尋常小学校と改称する。
明治23年     野口平小学校を野口尋常小学校に併合して
           野口尋常小学校分教場と改称する。
明治24年     野口尋常小学校を佐伯神社隣に移転。
明治31年     野口尋常高等小学校と改称する。
昭和22年     学制改革により、野口村立野口小学校と改称する。
昭和30年     伊勢畑村と野口村が合併し、御前山村が発足。
           御前村立野口小学校と改称する。
昭和40年     現在地に移転。
平成16年     山方町、美和村、緒川村とともに、大宮町と合併して常陸大宮市発足。
           常陸大宮市立野口小学校と改称する。
平成21年     野口小学校、伊勢畑小学校、長倉小学校が合併して御前山小学校が誕生。
           野口小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、野口小学校の正門。

      20170912野口小学校01



表札の残された門柱。

      20170912野口小学校02



現在、野口小学校跡は常陸大宮市教育支援センターとして活用されているようです。

      20170912野口小学校03



敷地内に入って、すぐ目に止まる立派な碑。

      20170912野口小学校04



閉校記念碑です。

      20170912野口小学校05

裏側には詳しい沿革が刻まれていました。



こちらが、校舎。

      20170912野口小学校06


校舎は2棟あり、こちらの校舎は現在、使われていないようです。

      20170912野口小学校07



立派な時計も正しい時刻を指していない。

      20170912野口小学校08



こちらが、もう1棟の校舎。

      20170912野口小学校09



こちらは、庇に新たな看板が掲げられています。

      20170912野口小学校10



校舎前の一角。

百葉箱を発見。

      20170912野口小学校11



遊具も数台残っていました。

      20170912野口小学校12


      20170912野口小学校13



経緯度標。

      20170912野口小学校14

野口小学校の緯度・経度が示されています。



茂みの中に二ノ宮像を発見。

      20170912野口小学校15


      20170912野口小学校16



野口小学校の地は、江戸時代の水戸藩の郷校である時雍館の跡でもあります。

      20170912野口小学校17

郷校とは、藩が設けた庶民のための学問所で、
水戸藩では文化元年(1804)、小川(現:小美玉市)に稽医館を開校したのを初めとして、
安政4年(1857)開校の馬頭郷校まで15校が開設されました。
歴代藩主の中でもとりわけ第9代藩主 徳川斉昭は教育に力を注ぎ、
藩士とその師弟の教育機関として藩校「弘道館」を創設し、
また領民の教育機関として郷校を積極的に設立しました。その中の1校が時雍館でした。

      20170912野口小学校18


      20170912野口小学校19

そう言った意味で言えば、この地はこの地区の教育野口発祥の地でもある訳です。



校舎裏には体育館。

      20170912野口小学校20



体育館に隣接しているのは幼稚園跡。

      20170912野口小学校21

地方の小学校には、幼稚園や保育園が併設されている事が多い。
そして、小学校と同時期に廃園になる事が多い。



校庭を覗き込むと、校庭の先に靄(?)がかかっている。

      20170912野口小学校22

ちょうど那珂川の辺りに靄が発生しているようです。



使われなくなった朝礼台。

      20170912野口小学校23

いい感じで赤茶の錆が浮いている。


ボールの的当て。

      20170912野口小学校24

穴が開いてるし...............(笑)



この時点では、まだまだ曇り空。

      20170912野口小学校25

朝の7時過ぎだけど、何となく暗い。


那珂川の霞? はたまた靄?
なかなか晴れてはくれそうもない。

      20170912野口小学校26


      20170912野口小学校27

校庭の隅に立つこの木は、きっとシンボルツリーだったのだろう。


歴史のある小学校が、歴史のある地で
数年前に静かに幕を降ろしたんですね..............................。




2017/10/05 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 大場小学校 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

常陸大宮市と言えば、平成16年に大宮町、山方町、美和村、緒川村、御前村が合併して
常陸大宮市が誕生しましたが旧・町村時代の廃校を含めると
30校近い小学校の廃校があります。

題して常陸大宮市廃校ツアー、
その第二弾...............常陸大宮市立大場小学校


大場小学校は、

明治8年      石山小学校出張所を小野村に設置。
           同時期に三美村に三美小学校を創立
明治22年     小場村・小野村・三美村が合併し大場村が誕生。
明治41年     大場第二尋常小学校と大場第三尋常小学校を合併して、
           大場第二小学校を創立する。
大正8年      大場第二尋常高等小学校と改称。
同  年      大場尋常高等小学校と改称する。
昭和22年     学制改革により、大場村立大場小学校と改称する。
昭和30年     大宮町、玉川村、大場村、静村の一部、世喜村の一部が合併して大宮町となる。
           大宮町立大場小学校と改称する。
平成16年     大宮町、山方町、美和村、緒川村、御前村が合併して常陸大宮市となる。
           常陸大宮市立大場小学校と改称する。
平成25年     大宮西小学校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、大場小学校の正門です。

      20170914大場小学校01



誇らし気に、大場小学校の表札が掲げられています。

      20170914大場小学校02



正門の先には、閉校記念碑。

      20170914大場小学校03


      20170914大場小学校04



大場小学校の校舎。

      20170914大場小学校05


      20170914大場小学校06


      20170914大場小学校07


      20170914大場小学校08



廃校から4年。
校舎にある時計の時刻は、かなりズレている。

      20170914大場小学校09



玄関の庇に掲げられた校章。

      20170914大場小学校10



現在、大場小学校の校舎は『泉坂下遺跡』の調査事務所として使われています。

      20170914大場小学校11


さらには、『ひたまる25』と言うスポーツ施設として活用されています。

      20170914大場小学校12



校庭には、あるべきはず(?)の遊具がない。

      20170914大場小学校17


さほど広くはない校庭ですが、何となく広く感じたりもします。

      20170914大場小学校18




校庭の隅っこに怪し気な建物。

      20170914大場小学校13



正面に回ってみるとJAの施設のようです。

      20170914大場小学校14

この施設の中で栽培をしているようです。



校舎前の碑。
『 たくましく 豊かな子 』

      20170914大場小学校15

子供たちには、そう育ってもらいたいモノです。



花壇はきちんと植栽されて管理されているようです。

      20170914大場小学校16


      
      

校舎の裏側回ってみます。

      20170914大場小学校19

昭和3年に建てられた校舎。
正面から見ると立派に見えるが、裏手に回るとそれなりの古さを感じます。



こちらが体育館。

      20170914大場小学校20

この体育館が『ひたまる25』として活用されているようです。


校歌を用いたオブジェ。

      20170914大場小学校21



卒業製作の一品でしょうか?

      20170914大場小学校22



朝日に映ゆる御前山...............

そんな歌詞を目にすると、かつてはこの辺りが大場村で
御前山村は隣だったはず...............
でも、この地から那珂川の対岸にある御前山はランドマーク的な存在だったのでしょう。


2017/10/04 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 小場小学校 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

個人的な連休初日。

最近、歳のせいか?
遠出をした翌日はゆっくりしたい!と言う願望が強く
連休初日に遠出をして、翌日はゆっくり休む。
そんな行動が理想的だと思うようになりました。

そんな訳で、この日は茨城県の常陸大宮市に出かけました。


茨城県の常陸大宮市は、廃校の宝庫。
平成16年に大宮町、山方町、美和村、緒川村、御前村が合併して常陸大宮市が誕生しましたが
旧・町村時代の廃校を含めると30校近い小学校の廃校があります。

題して、常陸大宮市廃校ツアー。
その最初となる廃校は...............常陸大宮市立小場小学校



小場小学校は

明治6年      小場村に小場小学校が創立される。
明治22年     小場村・小野村・三美村が合併し大場村が発足する。
           大場尋常高等小学校となる。
明治26年     大場第一尋常小学校となる。
大正8年      小場尋常高等小学校と改称する。
昭和22年     学制改革により、大場村立小場小学校と改称する。
昭和30年     大宮町、玉川村、大場村、静村の一部、世喜村の一部が合併して大宮町となる。
           大宮町立小場小学校と改称する。
平成16年     大宮町、山方町、美和村、緒川村、御前村が合併して常陸大宮市となる。
           常陸大宮市立小場小学校と改称する。
平成22年     村田小学校に統合され廃校となる。


と、このような沿革となっています。



こちらが小場小学校の正門。

      20170914小場小学校01



廃校から7年。
門柱には、まだ小場小学校の表札が掲げられています。

      20170914小場小学校02



現在、施設を流用して学童保育園が運営されています。

      20170914小場小学校03



以前は別な場所に在ったようですが、
こちらに移転してきたのが平成2年。
その時に、この門柱は建てられたモノのようです。

      20170914小場小学校04



門柱脇の茂みの中に在った小場小学校跡の碑。

      20170914小場小学校05




いわゆる廃校記念碑。
表側には校歌。

      20170914小場小学校06



裏面には沿革が刻まれています。

      20170914小場小学校07



敷地内に入り、緩やかな坂を上がって行くと、視界には体育館が入って来ます。

      20170914小場小学校08


体育館の隣が校舎。

      20170914小場小学校09


      20170914小場小学校10


      20170914小場小学校11



朝の7時前だけど、既に数台の車があります。

      20170914小場小学校12

別に悪い事をしている訳でなく、単純に見学をしているだけですが
犬連れだとどうしても気が引けてしまいます。



校舎の前に建つ、小場小学校の校訓の碑。

      20170914小場小学校14

『 健康 』『 勤勉 』『 協和 』


裏面には、碑を建立した際の協賛者の一覧。

      20170914小場小学校13

いわゆる、寄付をされた方々ですね。



校庭は一段下がった場所になります。
      
      20170914小場小学校15



校庭から眺める校舎。

      20170914小場小学校16



広い校庭には、遊具さえも残っていない。

      20170914小場小学校17



逆に何も無いから、かえって広く感じてしまうのか?

      20170914小場小学校18



廃校記念碑は在ったものの、二ノ宮像も無いし
広い校庭には遊具さえも無い。
学童保育園になっているものの、校庭で遊ぶ児童は居ないんだろうか?
そんな事を思いながら、この地をあとにするのでありました...............。



2017/10/03 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

丸ポストを探して...............長野県・軽井沢町編② (2017年8月22日)(長野県軽井沢町) 

8月22日 公休日

中之条・軽井沢旅行の2日目。

長野県内には290基の丸ポストが現存し
軽井沢町には22基の丸ポストが現存しているようです。


今回、軽井沢の追分宿に訪れた時に
赤い丸ポストを見つけました。


旧・中山道の追分宿。
亀田屋商店前の丸ポスト。

      20170822丸ポスト軽井沢01


      20170822丸ポスト軽井沢02


      20170822丸ポスト軽井沢03


      20170822丸ポスト軽井沢04


      20170822丸ポスト軽井沢05



この日は丸ポスト探しに来たわけではありませんが
追分宿の丸ポストの他に数基の丸ポストを見かけましたが
軽井沢の町は交通規制が敷かれ、とても路上に車を停めて
丸ポストを画像に残すなどと出来ません。
いずれの機会にでもまたチャレンジしてみましょう。

昨年の12月に軽井沢の丸ポストを2基確認して
本日、1基の丸ポストを確認。
都合、3基の丸ポストを確認しています。

軽井沢町の現存する丸ポストは22基(2017年8月22日現在)。
残りは19基。

さて、軽井沢町の丸ポストの制覇は、いつになることでしょう...............?





2017/09/28 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit