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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

本日のお泊り@マッキントッシュ (2019年)() 

10月24日

10月24日〜25日の1泊2日で清里方面へ旅行に出かけました。

初日の24日。この日も駆け巡りました。
清里のある北杜市の手前の韮崎市の廃校、神社を巡り
そして、北杜市へ移動。
北杜市では、ダムカードを貰いに行き、旧・須玉町地区の廃校を2校巡り
一日を十分に堪能して本日の宿屋に向かいます。

ビーグルを飼っている身としては、清里はビーグルの聖地とも言えるでしょう。
と言うのも、マッキントッシュがあるからです。

清里で泊まるなら、やっぱりマッキンですね。
という事で本日の宿泊先は...............マッキントッシュ。

      20191024マッキン01


      20191024マッキン02


      20191024マッキン03



マッキンにお世話になるのは、これで3回目。
でも前回から、かなりの月姫が経ち、お久しぶりになります。

      20191024マッキン04


      20191024マッキン05



今回のお部屋は3階の303号室。

      20191024マッキン06


      20191024マッキン07


      20191024マッキン08



室内はこんな感じです。

      20191024マッキン09



びいすけがベットの上で暴れ回る(?)前にベットにカバーを掛けて................


さぁ、どうぞ!!

      20191024マッキン10


      20191024マッキン11


      20191024マッキン12



夕食は19時から。
それまで2時間以上あるから............

軽く(?)、『お疲れさん!』の乾杯。

      20191024マッキン13



『僕のは無いんですか?』

      20191024マッキン14

はい、君のはありません!(きっぱり)。



先ずは、乾杯です。

      20191024マッキン15



可哀想だから、びいすけ は、晩御飯にしましょう。

      20191024マッキン16


『待て!』

      20191024マッキン17



からの『良し!』

      20191024マッキン18



この日も、朝早かったから
ご飯を食べてお腹いっぱいになったら、ベットに移動。

      20191024マッキン19


もう寝る態勢に入っています(笑)。

      20191024マッキン20



夕食前にお風呂に入って、またまた軽くビールを飲んだりしていると
時刻は19時になりました。


楽しみな夕食の時間です。



前菜。

      20191024マッキン21



本日のスープ。
ジャガイモのポタージュスープ。

      20191024マッキン22



シーフードグラタン。

      20191024マッキン23

これが、超美味い。



メインディッシュのビーフストロガノフ。
   
      20191024マッキン24


      20191024マッキン25

これまた美味。
どちらかと言うと肉料理が苦手ですが、
美味しくいただきました。



サラダ。
      20191024マッキン26


テーブルの下でおこぼれを待つ びいすけ 。

      20191024マッキン27

ごめん、ごめん。
今日はお肉も食べちゃったから...............


デザートです。
   
      20191024マッキン28


      20191024マッキン29

本日もしっかり完食。
美味しくいただきました。



部屋に戻って、テレビを見ていると
びいすけ の鼾が聞こえてくる。

      20191024マッキン30

      
      20191024マッキン31

今日も一日動き回ったから、疲れちゃったんだね。
おやすみ...............


この日は、22時過ぎにいつのまにか寝落ちしていました。



明けて25日。
この日、関東では大雨で凄い事になってしまいましたが
清里でも朝から雨。

びいすけ の朝の散歩も軽く済ませ
かと言って、コレと言ってすることもないから、
再びベットに潜り込みます。


しっかりと二度寝をして7時半過ぎに起きて、8時からの朝食に備えます。

する事もないから、早めにパッキングして
早めにチェックアウトして、早めに帰るのもてかも?
何せ1日中雨が降るって言う天気予報だからねぇ。
(この時点で、我が地元の佐倉市で高崎川が氾濫するなんて想像もしていませんでした。)



8時になり、朝食の時間です。
まぁ、旅行中の宿泊先の食事も楽しみの一つですからねぇ。


林檎ジュース。

      20191024マッキン32


  
フルーツ。

      20191024マッキン33



サラダ。

      20191024マッキン34



ピザトースト。

      20191024マッキン35

マッキンの朝食といったらピザトースト。
そして、コレがまた美味。



テーブルの下でおこぼれを待つ可愛いヤツ。

      20191024マッキン38



仕方がないから、ピザトーストの耳とチーズを千切ってあげちゃいます。

      20191024マッキン39

今日だけだよ。


   
デザート。
 
      20191024マッキン36



紅茶でシメとなります。

      20191024マッキン37

意外にボリュームあって、充実した朝食。
お腹いっぱいです。




外は雨。
意外に雨足も強い。

散歩に出るわけにもいかず、部屋の中でぼお〜っとしています。

      20191024マッキン40


      20191024マッキン41



チェックアウトは10時だけど、この雨で高速が通行止めになっても嫌だし、
つい先日まで中央道は台風19号の影響で八王子←→大月 間が通行止めだったし、
当初は小淵沢方面へ足を延ばす計画だったけど、
清里から韮崎市へと向かって帰る事にしよう。

と言う事で9時にチェックアウト。


久しぶりのマッキン。
以前に比べマッキンビーグルも少なくなって、
現在は6頭になっちゃったらしい。

少し淋しい気もするけれど、これも時の流れ。

お世話になりました。
また遊びに来ます。





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2019/12/12 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................多麻小学校 (2019年10月24日)(山梨県北杜市) 

10月24日

10月24日〜25日の1泊2日で清里方面へ旅行に出かけました。

初日の24日。
この日は、韮崎市を中心に巡り、その後に北杜市へと移動します。


岩下小学校をあとにして、向かった先は.............旧・須玉町立 多麻小学校。



多麻小学校もネットで調べても、創立時期等の詳細は不明でしたが、
現地の校歌の碑に簡略した沿革が記載されていました。

校名の由来となった多麻村の沿革も一緒に紐解けはば.............


明治23年     豊田村と東向村が合併して多麻村となる。
         中小倉に民家を借りて尋常小学校とした。
大正4年      現在地に校舎を新築して開校。
大正5年      高等科を設置して多麻尋常高等小学校となる。
昭和22年     学制改革により多麻村立多麻小学校と改称する。
昭和30年     多麻村が若神子村、穂足村、津金村と合併して須玉町となる。
         須玉町立多麻小学校と改称する。
昭和60年     旧・須玉町の6つの小学校(江草小学校、津金小学校、岩下小学校、
         穂足小学校、多麻小学校、若神子小学校)が統合して、旧・若神子小学校敷地に
         新たに須玉町立須玉小学校が開校し、多麻小学校は廃校となる。

と、このような沿革になるようです。





こちらが、かつての正門。

      20191024多麻小学校01



石造りの門柱は健在ですが、表札はありません。

      20191024多麻小学校02



多麻小学校は廃校後、校舎は解体され
その敷地は、多麻公民館として活用されているようです。

      20191024多麻小学校03


      20191024多麻小学校04



その公民館。

      20191024多麻小学校05


      20191024多麻小学校06



校庭は、地域のグランドとして利用されているのか?

      20191024多麻小学校07

思ったほど荒れてはいないようです。

公民館の建物から数十m離れた所に建つ校歌の碑。

      20191024多麻小学校08



実は、この校歌の碑の裏面に沿革が刻まれています。

      20191024多麻小学校09

たいへん参考になりました。




公民館脇には忠魂碑。

      20191024多麻小学校10




野ざらしに置かれているローラー。

      20191024多麻小学校11



敷地のフェンス沿いには古い桜の木が並ぶ。

      20191024多麻小学校12



校庭の奥には赤茶色に錆びた朝礼台。

      20191024多麻小学校13




雑草もなく、適度に管理されている(と思われる)校庭跡。

      20191024多麻小学校14



残念ながら遊具類は残っていない。

      20191024多麻小学校15


      20191024多麻小学校16


学校遺構は、門柱と校歌の碑と朝礼台ぐらいしか残っていない。
二宮像を期待したんだけど....................

でも沿革が刻まれた校歌の碑があったから、良しとしなくちゃね。


2019/12/12 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................岩下小学校 (2019年10月24日)(山梨県北杜市) 

10月24日

10月24日〜25日の1泊2日で清里方面へ旅行に出かけました。

初日の24日。
この日は、韮崎市を中心に巡り、その後に北杜市へと移動します。


塩川ダムをあとにして、向かった先は.............旧・須玉町立 岩下小学校。



岩下小学校もネットで調べても、創立時期等の詳細は不明でしたが、
現地にあった記念碑に簡略な沿革が刻まれていました。

岩下小学校は明治6年に開校した江草小学校の分校として
明治8年に開校しました。
明治11年に分校は廃止されますが、地元の強い要望に寄り
明治12年に第一大学区第四十三番中学区第百二十六番小学 岩下小学校として開校します。

明治25年     岩下尋常小学校と改称
昭和22年     学制改革により、江草村立岩下小学校と改称する。
昭和31年     江草村が須玉町に編入され、須玉町立岩下小学校と改称する。

昭和60年に旧・須玉町の6つの小学校(江草小学校、津金小学校、岩下小学校、
穂足小学校、多麻小学校、若神子小学校)が統合して、旧・若神子小学校敷地に
新たに須玉町立須玉小学校が開校し、岩下小学校は廃校となりました。


廃校後、建物の一部は岩下公民館として活用され
また、敷地の多くの部分は民間会社の太陽光発電の研究施設となっているようです。




こちらが、かつての正門跡付近。

      20191024岩下小学校01

背後は、往時の校舎と思われる木造校舎。
現在は、民間会社が使用しています。



こちらの建物が岩下公民館。

      20191024岩下小学校02

岩下小学校の講堂だったのでしょうか?



公民館出入り口。

      20191024岩下小学校03



公民館の庭先に記念碑が建つ。

      20191024岩下小学校04

岩下小学校の創立百周年記念碑。


裏面に簡略された沿革が刻まれているようですが
石の腐食が激しくて読み辛い。

      20191024岩下小学校05

でも解らなかった沿革がおぼろげに解ってきた。


その脇には校歌の碑。

      20191024岩下小学校06




もう一つ校歌の碑。

      20191024岩下小学校07

こちらには2番と3番の歌詞が刻まれている。




公民館になっている校舎(講堂?)の背面。

      20191024岩下小学校08



古い机が野ざらしで放置。

      20191024岩下小学校09



下駄箱と階段。

      20191024岩下小学校10

校舎から移動して来たら、ここで靴を履き替えていたんでしょうか?



手前が公民館、奥が民間会社。

      20191024岩下小学校11

校舎は、こんな感じで往時から並んでいたんでしょうね。



残念ながら、校庭へはフェンスがあって門扉も閉まっていて、
中に入ることはできません。

      20191024岩下小学校12


民間会社が太陽光発電の実験か、もしくは測定等で校庭を使用しているようですが
この日は平日だけど、誰もいない。

ひょっとしたら、今はもう使われていない研究施設なのかもしれませんね。
いずれにしても、山奥の無人の建物。
怪しまれても嫌なので、早々に撤収いたしました。






2019/12/11 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

ダムカードを集めよう!.....................《 塩川ダム 》 (2019年10月24日)(山梨県北杜市) 

10月24日

10月24日〜25日の1泊2日で清里方面へ旅行に出かけました。

初日の24日。
この日は、韮崎市を中心に巡り、その後に北杜市へと移動します。


円野小学校をあとにして、向かった先は.............塩川ダム。



山梨県内には6つのダムでダムカードの配布をしています。
北杜市にある塩川ダムもその一つ。

せっかく、北杜市まで来たんだから
塩川ダムに寄らないと言う選択肢はない。

実は、まだダムカードを集めていない時に
塩川ダム周辺の廃校巡りでこの近くまで来たことはあったんですけどね。
以前訪れた場所に何年か振りに訪れてみるのも、結構楽しかったりする。




塩川ダムは、山梨県北杜市の富士川水系塩川に建設されたダムです。
洪水調節・不特定利水・灌漑・上水道・発電を目的とした
高さ79mの重力式コンクリートダムで山梨県営の多目的ダムです。

昭和45年に県費を投じて山梨県が予備調査を開始し、
昭和50年より国庫補助実施計画調査に着手してます。
しかしながら、その調査やダム建設に関わる補償問題等により長い年月を重ね、
平成元年より本格的な建設工事に着手し、平成9年より湛水を開始。
平成10年に完成を迎えました。




こちらが、塩川ダム管理事務所。

      20191024塩川ダム01

塩川ダムのダムカードはこちらで配布されています。



玄関のインターフォンで『ダムカード下さい!』って言うと
係りの女性が玄関まで持って来てくれました。

ダムカード、ゲットです。

      20191024塩川ダム02



塩川ダムは、管理事務所のすぐ脇。
せっかくだから、ダムをじっくり見学いたしましょう。


ダム堤体近くの塩川ダムの碑。

      20191024塩川ダム03



天端近くには、平成10年に建てられた完成記念碑。

      20191024塩川ダム04



塩川ダム堤体(上流側)。

      20191024塩川ダム05



ダムによって堰き止められて出来た人造湖は『みずがき湖』。

      20191024塩川ダム06



先日の雨台風だった台風19号の影響か?
ダム湖の水は土砂含んでいて濁っている。

      20191024塩川ダム07



   
ダム天端。

      20191024塩川ダム08




信州峠に至る県道が天端を走るために、
時折車も走って来るので気をつけましょう。

      20191024塩川ダム09



ダム下流側。

      20191024塩川ダム10



先日の台風19号貯水量が多いのか?
はたまた、近づく台風22号に備えてになるにでしょうか?
下流に放流しています。

      20191024塩川ダム11


      20191024塩川ダム13



管理事務所から車で みずがき湖をグルッと一周します。


ちょうど塩川ダムの対岸。
この場所はちょっとして展望エリアになっている。

      20191024塩川ダム14

天気が良ければ、そしてもう少し冷え込んで来て
周りの木々が色付き始めたら見応えがあるんだろうなぁ。



こちらは、みずがき湖ビジターセンターからの眺望。

      20191024塩川ダム15

11月の中旬ぐらいになれば、きっと紅葉真っ盛りなんでしょうね。




こちらが、塩川ダムのダムカード。

      20191024塩川ダム16


      20191024塩川ダム17


山梨県のダムカード、これで2枚目。
あと4つ。4枚でコンプリート。

機会があれば、その4つのダムにも訪れたいモノです。


2019/12/11 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................円野小学校 (2019年10月24日)(山梨県韮崎市) 

10月24日

10月24日〜25日の1泊2日で清里方面へ旅行に出かけました。

初日の24日。
この日は、韮崎市を中心に巡ります。


中田小学校をあとにして、向かった先は.............韮崎市立円野小学校。


円野小学校の沿革も事前にネットでは調べる事は出来ませんでしたが
現地に建てられていた閉校記念碑によれば..............

明治6年      第一大学区第四十三番中学区第七十番公立小学円井学校として設置される。
明治8年      円野村設立により円野小学校と改称する。
明治9年      校舎を下円井区大字下河原に新築し移転する。
明治20年     円野尋常小学校と改称する。
明治33年     円野尋常高等小学校と改称する。
明治40年     釜無川が未曾有の洪水により校舎流失。
明治41年     現在地に校舎を新設し移転。
昭和22年     学制改革により円野村立円野小学校と改称する。
昭和29年     韮崎町、穂坂村、藤井村、清哲村、神山村、大草村、竜岡村、                          旭村、中田村、穴山村、円野村が合併して韮崎市が発足。
         韮崎市立円野小学校と改称する。
昭和53年     円野小学校、清哲小学校、神山小学校が統合して、
         新たに韮崎市立北西小学校が開校。
         円野小学校は廃校となる。


と、このような沿革となっているようです。




ふぇんすの奥にあるのはかつての門柱。

      20191024円野小学校01

でも、この場所が正門跡だったようではなさそうで
後から、この場所に移設されたようです。



石造りの古い門柱。

      20191024円野小学校02



表札は文字がカスれたのか?
はたまた消されたのか?
校名は残っていない。

      20191024円野小学校03



こちらも廃校後、校舎はかいたいされ、現在は更地状態。

      20191024円野小学校04



グランドとして利用されているのか?
雑草がないと言うことは、それなりに管理されているようです。

      20191024円野小学校05



そのグランド(?)の一部に、それっぽい場所がある。

      20191024円野小学校06



近づいてみると、碑がありますね。

      20191024円野小学校07




円野小学校之記念碑

      20191024円野小学校10

いわゆる廃校記念碑ですね。(学校跡碑の方が正解かも?)



嬉しいことに、裏面には沿革が刻まれています。

      20191024円野小学校11



こちらは、二宮像。

      20191024円野小学校08



      20191024円野小学校09




タイムカプセルと記された小さな碑。

      20191024円野小学校12

この下に埋められているんでしょうね。



こちらは元標と記されている。

      20191024円野小学校13




よくみると、夜間照明施設も完備されている。

      20191024円野小学校14

やっぱり、グランドとし利用されているようですね。
ちょっぴり荒れ気味に見えるのは、今年の大きな台風のせいでしょうか?




誰もいないグランドを びいすけ は気ままに徘徊。

      20191024円野小学校15

それを見守る もっちゃん 。



近くにあまり民家は無いから、犬の散歩コースでは無いようだけど
匂いが気になる びいすけ 。

      20191024円野小学校17

野生の動物でも出てくるんでしょうか?





先ほどの門柱の脇には、土に埋もれかけたローラー。

      20191024円野小学校16

赤茶色に錆び付いているのが、古さを物語る。

一体、いつからこの場所で野ざらしになっていたんだろう...................



2019/12/10 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................中田小学校 (2019年10月24日)(山梨県韮崎市) 

10月24日

10月24日〜25日の1泊2日で清里方面へ旅行に出かけました。

初日の24日。
この日は、韮崎市を中心に巡ります。


新府城址をあとにして、向かった先は.............韮崎市立中田小学校。


中田小学校は、現地に在った閉校記念碑に刻まれた沿革によれば

明治6年      中条村中央に第一大学区第四十三番中学区
          第四十五番小学 中条学校として改称する。
明治8年      中条村と小田川村が合併して中田村が発足。
          中田学校と改称する。
明治20年     学令改革により中田学校は廃止され、中条区は高麗尋常小学校、
         小田川区は孔丘尋常小学校に分類される。
明治22年     再び中田尋常小学校が開校する。
大正9年      高等科を設置し、中田尋常高等小学校となる。
昭和22年     学制改革により中田村立中田小学校と改称する。
昭和29年     韮崎町、穂坂村、藤井村、清哲村、神山村、大草村、竜岡村、
         旭村、中田村、穴山村、円野村が合併して韮崎市が発足。
         韮崎市立中田小学校と改称する。
平成2年     藤井小学校、中田小学校、穴山小学校が統合されて
         新たに韮崎市立北東小学校が開校。
         中田小学校は廃校となる。

と、このようになっています。



かつての正門跡。

     20191024中田小学校01


  
地域の避難場所に指定されています。

     20191024中田小学校02



廃校後、校舎は解体され跡地は、新たに公民館が建てられ、
中田公民館として活用されています。

     20191024中田小学校03



公民館の建物の前にはこれと言ったモノは無い。
唯一、それらしきモノは、経緯度の記された標柱。

     20191024中田小学校07



敷地の多くの部分は仮囲いされている。
と言うのも、新たに体育館が建設工事中。

     20191024中田小学校05


工事現場の仮囲いされた敷地の中に、
記念碑らしき石碑が並んでいる。
工事関係者にお断りをして、敷地内の石碑を確認します。

     20191024中田小学校06



その一つ。
閉校記念碑。

     20191024中田小学校08



嬉しいことに、裏面には詳しい沿革が刻まれています。

     20191024中田小学校10

いやぁ、大変参考になりました。


こちらは、創立百周年記念碑。

     20191024中田小学校09



こちらの裏面にも簡略な沿革が刻まれていました。

     20191024中田小学校11

逆に、校歌が刻まれていないのが珍しく感じてしまいます。


こちらは、戦没者の碑のようですね。

     20191024中田小学校12


敷地の一部は公園としてりようされいたのか?
ベンチも置かれているけれど、
工事のダンプカーや重機車が出入りするからか、
厚い鉄板が敷かれいる。

     20191024中田小学校04

遊具らしきモノは無さそうです。


子供たちがボールを投げて遊んでいたコンクリート製の塀。

     20191024中田小学校13



側面には『新府技能◯組合.........』と刻まれているけれど
一部が落書きで読み取れない。

     20191024中田小学校14


こんな所にも不届き者がいる。
落書きをして何が楽しいんだろう?
悲しい人たちですね。



2019/12/10 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

新府城址 (2019年10月24日)(山梨県韮崎市) 

10月24日


10月24日〜25日の1泊2日で清里方面へ旅行に出かけました。

初日の24日。
この日は、韮崎市を中心に巡ります。


祖母石分校をあとにして、向かった先は.............新府城址。


新府城は、韮崎市中田町にかつてあった日本の城郭です。
昭和48年(1973年)に『新府城跡』として国の史跡に指定されており、
保存のため公有地化されました。
本丸跡地には藤武稲荷神社が建立されています。

武田氏最後の城。武田勝頼が築いた戦国時代末期の城郭跡で築城するも、
織田勢に攻められ、わずか68日で勝頼自らが火を放った悲運の城と言われています。
釜無川を直下に見下ろす断崖の独立した丘陵上に石垣を用いず、
土塁と堀により築城されていた武田氏を代表する甲州流築城術の集大成となる城です。

築城は、天正9年(1581年)から開始され、穴山信君(穴山梅雪)が築城を提案し、
普請をしたのは真田昌幸とされています。
また、その補佐として原貞胤(原隼人祐貞胤)が担当したとされています。
石垣は使われない平山城で、本曲輪・二の曲輪・東の三の曲輪・西の三の曲輪・
帯曲輪などにより構成され、丸馬出し・三日月堀・枡形虎口などの防御施設を持っていたとされています。
その年の年末には勝頼が躑躅ヶ崎館から新府城へ移住しています。

翌、天正10年(1582年)、勝頼は信濃での木曾義昌の謀反を鎮圧するため諏訪へ出兵しますが、
織田・徳川連合軍に阻まれて帰国します。織田軍はさらに甲斐国へ進軍し、
勝頼は3月には小山田信茂の岩殿城に移るために、新府城に火をかけてしまいます。
勝頼は岩殿城に向かう途中に笹子峠(大月市)で信茂の謀反にあい、
天目山(甲州市)へ追い詰められ自害。武田一族は滅亡してしまいます。

武田氏滅亡の後、甲斐国は徳川氏と小田原北条氏との領地争いの舞台となり
徳川勢は新府城を本陣に能見城など七里岩台上の城砦に布陣し、
対して北条氏は都留郡を制圧し、若神子城に本陣を置くと同様に周辺の城砦に布陣し
徳川勢と対峙しますが、徳川・北条同盟が成立し北条氏は甲斐から撤兵することになります。
こうして甲斐は徳川氏が領することになります。
徳川氏は甲府の躑躅ヶ崎館を本拠とし、やがて甲府城が築城されます。
甲府城下町が形成されますが、秀吉の命により徳川氏は関東に移封されてしまいます。
その後、関が原の戦いを経て甲斐は再び徳川氏が領し、
甲府城が甲斐の政治的中心地となり、新府城は廃城となってしまいます。


まぁ、なんとも悲しい歴史と言うか、やっぱりたった68日間と言えども
新府城は武田の城、勝頼の城だと思います。



新府城の縄張り図。

      新府城縄張り図
 
          (余湖さんのHPよりお借りしました。)



県道沿いに建つ『新府城跡』の碑。

      20191024新府城址01




社号標と付いでは無いけれど、近くに建つ案内板。

      20191024新府城址02



案内板にも縄張り図が記載されています。

      20191024新府城址03



本来は、いきなり本丸に向かうのではなく
三の丸、二の丸と巡っていくのが攻城のセオリーですが
今回は時間の関係本丸へと向かいます。

神社へと続く石段を上って行きます。
意外に急傾斜の石段。
結構、脚にきます。

      20191024新府城址04


石段半ばにある朱の鳥居。

      20191024新府城址05


鳥居に掲げられた神額。

      20191024新府城址06

本丸に鎮座するのは藤武神社と称するようです。



びいすけ は、元気一杯。

      20191024新府城址07



一緒に石段を上がる人間は、息が上がります。

      20191024新府城址08



石段の先には藤武神社の社殿。

      20191024新府城址09

でも今回の目的は神社ではない。
軽くお詣りをしたら、拝殿と神楽殿の間の虎口へと向かいます。



本丸虎口。

      20191024新府城址10


      20191024新府城址11



本丸には、新府城の説明板。

      20191024新府城址12


      20191024新府城址13


      20191024新府城址14



説明板を読みふけっていると、足元に居たはずの びいすけ が居ない。

あれっ、、、、!


本丸広場で背中を擦り付け
『うげっ、うげっ』と奇声を発しています。

      20191024新府城址15



本丸広場の標柱前にて。

      20191024新府城址16



実は、この本丸広場で、静岡県から来た城好きのオジさんに出会い

『どちらから?』           「私は千葉の佐倉から。」
『佐倉って、佐倉城の佐倉?』     「そうです、佐倉城址のある佐倉市です。」
『本佐倉城もあるんですよね? いつか行って見たいんですよね』と、
地元佐倉城の話で盛り上がり、話し込んでしまいした。

今まで小さな城郭を含め300以上の城郭に訪れましたが
こんな感じで人と会って話すことなどありませんでした。
城好きには各々が贔屓にしているHPがあるようで
私の場合は 余湖さんのHP ですが、このオジさんは ちえぞーさんのHP と言う事でした。





本丸の土塁。

      20191024新府城址17



本丸をぐるっと一周するように土塁が張り巡らされている。

      20191024新府城址18


この本丸は思ってたいじょうに広い。
二の丸、三の丸は今回見ていないから、言い切れないけれど
勝頼が織田・徳川の甲斐侵攻に備えて、
武田の本拠地を甲府の躑躅ヶ崎館から移した背景には
やはり、多くの兵を収容できる城である必要があったのでしょうね。

      20191024新府城址19


      20191024新府城址20



この広大な城をたった68日間しか居城とする事が出来なかった武田氏の悲運。
戦国時代は如何に激動だったかを思い知らされる。

      20191024新府城址21


駐車場の車に戻るには、この急な石段を下って行きます。

      20191024新府城址22

転け無いように気をつけましょう。



今回、時間の関係で本丸周辺しか見る事ができなかったけれど
またいつか、時間を作って訪れることにしよう。
そのときは、白山城址、能見城址を合わせて訪れたいものです。


2019/12/09 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................韮崎小学校祖母石分校 (2019年10月24日)(山梨県韮崎市) 

10月24日

10月24日〜25日の1泊2日で清里方面へ旅行に出かけました。

初日の24日。
この日は、韮崎市を中心に巡ります。


清哲小学校をあとにして、向かった先は.............韮崎市立韮崎小学校祖母石分校。


『祖母石』と書いて『うばいし』と読むそうです。

祖母石分校は、

昭和22年      城前寺を仮教室にし、韮崎町立韮崎小学校祖母石分校を開校。
昭和24年      新校舎完成。現在地へ移転する。
昭和29年      韮崎町、穂坂村、藤井村、清哲村、神山村、大草村、竜岡村、旭村、中田村、
          穴山村、円野村が合併して韮崎市が発足。
          韮崎市立韮崎小学校祖母石分校と改称する。
昭和34年      台風7号の襲来により校舎流出。
昭和35年      再建新築工事が完成。
昭和38年      本校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっています。

祖母石分校そのものの情報が乏しく、その場所さえ分かりませんでした。
いつものように、『祖母石』と言う地名を頼りに
祖母石公民館にあたりを付け、とりあえず向かって見ます。


こちらが、祖母石公民館。

      20191024祖母石分校01

学校跡らしき雰囲気は感じられるけれど確証は無い。
門柱や、二宮像、廃校記念碑、学校跡碑と言ったモノがあれば良いんですが
そういった類のものは一切ありません。


公民館の敷地でお弁当を広げていた御老人がいたので、訊いて見たら
『地元の人間ではないので分からない』と言われちゃいました。

      20191024祖母石分校02

確かに、地元民じゃ無いと分からない。


そうしているうちに軽トラックが一台入ってきて、
御老人が隣の家の中に入っていった。
すぐさま追いかけてその御老人に尋ねてみると
この場所が祖母石分校跡で間違い無いとの事でした。


分校跡地を探し出したけれど
残念ながら学校遺構が全く残っていない。


おそらく校庭跡と思われる広場。

      20191024祖母石分校03


      20191024祖母石分校04



旧道沿いのフェンスに沿って立ち並ぶ桜の木が
唯一の分校の面影を残しているようです。

      20191024祖母石分校05


      20191024祖母石分校06



敷地にある遊具類は先ほどの御老人の話では、
分校時代の遊具では無いそうです。

      20191024祖母石分校07



確かに廃校から既に56年。
半世紀以上が経っていますからね。

      20191024祖母石分校08


小学校の分校の規模ではちょっと大きすぎる気もするが
ひょっとしたら分校時代の朝礼台?

      20191024祖母石分校09


そんな淡い期待を抱いたりして..............
おそらく、地元の御年配の方しか記憶の中にない祖母石分校。
あと数年もしたら、そんな分校の存在さえも
忘れ去られてしまうのかもしれませんね.............。







2019/12/09 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................清哲小学校 (2019年10月24日)(山梨県韮崎市) 

10月24日

10月24日〜25日の1泊2日で清里方面へ旅行に出かけました。

初日の24日。
この日は、韮崎市を中心に巡ります。


若宮八幡宮をあとにして、向かった先は.............韮崎市立清哲小学校


清哲小学校の詳しい沿革も不明です。
昭和53年に清哲小学校、円野小学校、神山小学校の3校が統合して
新たに韮崎市立北西小学校が開校して
清哲小学校は廃校となりました。

いずれにしても他の小学校同様、
明治期に創設された歴史ある小学校だと思われます。

ちなみに校名の『清哲』とは、明治7年に発足した清哲村から由来します。
水上村・青木村・折居村・樋口村が合併して清哲村となりました。
水上村の『氵』、青木村の『青』、折井村の『折』、樋口村の『口』
それぞれの村の漢字を部主として組み合わせた『清哲』という造語が
村名になったそうです。。




廃校後、校舎は解体されて、
跡地は清哲会館と言う地域の公民館になっています。


清哲会館入口。

      20191024清哲小学校01



この辺りが正門跡になるんでしょうか?
残念ながら門柱は残されていない。

      20191024清哲小学校02



正門跡の脇、フェンス沿いに清哲小学校関連の碑が建ち並ぶ。


こちらは、創立百周年記念碑。

      20191024清哲小学校05

今まで巡ってきた他の廃校同様で、韮崎市の創立百周年記念碑は、ほぼ形が共通。


裏面には沿革らしきモノが刻まれているようですが
正直言って、読めない。

      20191024清哲小学校06



こちらは、閉校記念碑。

      20191024清哲小学校07




こちらは、『郷土愛』と刻まれた碑。

      20191024清哲小学校08



広い敷地の一角に建つ清哲会館。

      20191024清哲小学校03



清哲小学校の校舎も、こんな感じで建っていたのだろうか?

      20191024清哲小学校04



校庭の端のフェンス沿いには古い桜の木が並ぶ。

      20191024清哲小学校09



この風景は学校跡を十分に感じさせてくれる。

      20191024清哲小学校10



だれも居ない校庭跡で戯れる もっちゃん と びいすけ 。

      20191024清哲小学校11


      20191024清哲小学校12


      20191024清哲小学校13


ヒソヒソと内緒話?
『お父さんがオヤツくれるよ!』なんて言ったのでしょうか?

      20191024清哲小学校14


一目散にダッシュで、こちらに向かって来ます(笑)。

      20191024清哲小学校15



ネコでも見かけたのか?
やたらと周りを気にする びいすけ。

      20191024清哲小学校16



とにかく、この辺りが気になるようです。

      20191024清哲小学校17



ちょっと先には忠魂碑。

      20191024清哲小学校18

やっぱり、古き歴史のある小学校だったようです。


ここまて、巡ってきた4つの廃校。
いずれも詳しい沿革が分からず残念と言えば残念です。




2019/12/08 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................神山小学校 (2019年10月24日)(山梨県韮崎市) 

10月24日

この日は、山梨県に出かけました、

山梨県と言っても広い。
今回は、韮崎市を中心に北杜市の一部にも立ち寄ってきました。

南宮大神社をあとにして、向かって先は...............韮崎市立神山小学校。


神山小学校の詳しい沿革も不明です。

おそらく明治期に創設された歴史ある小学校だと思われます。
昭和53年に神山小学校、円野小学校、清哲小学校が統合され、
新たに韮崎市立韮崎北西小学校が開校して、
神山小学校は廃校となりました。


こちらが神山小学校の正門跡。

      20191024神山小学校01

石造りの門柱が神山小学校の歴史を感じさせます。


正門脇の掲示板。

      20191024神山小学校02



廃校から既に41年。校舎は解体されています。
体育館は地域の体育館として残されたのでしょうか?

      20191024神山小学校03


しかしながら、昭和40年代とか50年代に建てられた体育館って
かまぼこ屋根に建物が多いけど、こちらは立派な直方体。

ひょっとしたら、校舎跡に建てられたのかもしれない。



びいすけ の立っている辺りのアスファルトの敷地は
神山小学校の校地であるけれど、現在は武田の里駐車場。

      20191024神山小学校04

すぐ近くには武田八幡宮もあって、この辺りは武田氏発祥の地でもあるらしい。



駐車場の一角に建つ、神山小学校の校歌の碑。

      20191024神山小学校05



裏面に沿革が刻まれていないかと期待したけれど
裏面にも校歌が刻まれている。

校歌の碑の脇に建つのは、経緯度の標柱。

      20191024神山小学校06



体育館の正面玄関。

      20191024神山小学校07

何となくお洒落な感じのする玄関。



玄関の向かい、正門脇の茂みの奥に
隠れるように建つ記念碑。

      20191024神山小学校09

創立百周年の記念碑。
龍岡小学校、大草小学校でも同じような流線型の石碑で
ひょっとしたら、その当時の韮崎市のトレンドだったのかもしれない。
いずれにしても、年季の入った百周年の記念碑。
少なくても、41年前には百周年を迎え終えていたわけだから
140年以上前の創立と言う歴史のある学校になるわけですね。

この記念碑をじっくり見たかったけれど
蜘蛛の巣が茂みにあって、近寄ることはパス。



こちらは、忠魂碑。

      20191024神山小学校08

この忠魂碑がある事自体、神山小学校の長い歴史を彷彿させる。



正門前、細い道路を挟んだ先は一段低くなり
そちらが、校庭だったようです。

      20191024神山小学校10



遊具も何も残されてはいないけれど
校庭跡の雰囲気は感じ取れる。

      20191024神山小学校11


      20191024神山小学校12


      20191024神山小学校15



誰もいない校庭跡。
気ままに闊歩する びいすけ 。

      20191024神山小学校13


      20191024神山小学校14


気ままな闊歩を満喫出来たかな?


2019/12/06 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

穂見神社 (2019年10月24日)(山梨県韮崎市) 

10月24日

10月24日〜25日の1泊2日で清里方面へ旅行に出かけました。

初日の24日。
この日は、韮崎市を中心に巡ります。


龍岡小学校をあとにして、向かった先は.............穂見神社。



穂見神社は、韮崎市旭町上条南割に鎮座する神社。
式内社論社と比定され、別称は苗敷山権現。

標高1037mの苗敷山(旭山)山頂に本宮が鎮座し、
苗敷山東麓に里宮が鎮座します。

甲斐の国が洪水により湖水と化した時、鳳凰山に住む六度仙人が、
蹴裂明神と力を併せ南山を決削して水を治め平野とし、
里に住む山代王子がこの地を耕し、稲苗を敷き民に米作りの道を教えました。
大唐仙人を国立大明神、山代王子を山代王子権現として、
両神を山頂に祀り苗敷山と称したそうです。

聖武天皇の御代神亀元年(724年)に延喜式内社穂見神社を建立して
春秋稲束と初穂を供えて祭りを行ないました。
中世になり山岳信仰の仏教、修験道との習合が行なわれ、
古義真言宗法善寺(若草町)の末寺 宝生寺(苗敷山)が別当となりました。
穂見神社の本殿と宝生寺の本堂は合体して虚空蔵堂を構え、
本寺仏虚空蔵菩薩と国立大明神、山代王子権現を合祠し苗敷山権現と号したそうです。

明治維新の神仏分離により室生寺は廃寺となり、
仏殿諸堂は解体され多くの仏像は四散してしまったそうです。


祭神は天之底立命・国之常立命・豊受姫命。



社号標。

      20191024穂見神社01



社号標の隣には、穂見神社の案内図。

      20191024穂見神社03



案内板の裏には小さな祠。

      20191024穂見神社02

穂見神社の末社になるんでしょうか?



駐車場が無いから、社号標の在る場所の道路の隅に車を停めて
穂見神社へと向かいます。

      20191024穂見神社04



鳥居。

      20191024穂見神社05



鳥居に掲げられた神額。

      20191024穂見神社06


    

鳥居脇には由緒書き。

      20191024穂見神社07



手水舎。

      20191024穂見神社08



拝殿。

      20191024穂見神社09


      20191024穂見神社10



拝殿正面。

      20191024穂見神社11



拝殿の鬼瓦。

      20191024穂見神社12


      20191024穂見神社13



拝殿向拝。

      20191024穂見神社14



そして、こちらが本殿。

      20191024穂見神社15



拝殿前の狛犬。

      20191024穂見神社16


      20191024穂見神社17



神楽殿。

      20191024穂見神社18



神輿庫。

      20191024穂見神社19


  

神楽殿の前には以前の社殿に使われていたと思われる鬼瓦。

      20191024穂見神社20


      20191024穂見神社21


さて、実は宮司さんのお宅で御朱印が拝受出来る神社とネットに出ていたので、
てっきり神社の近くに宮司さんがお住まいかと思っていたら
どうやら宮司さんはちょっと離れた所にお住まいで、普段は無人の神社らしい。
宮司さんの連絡先も知らないから、御朱印は無理そうですね。

神社の前にお住いの氏子さんであるご老人に話しを伺うと
この里宮から奥宮まで約2時間の山登りになるらしい。

さすがに、今日はこの後の予定もあるから、奥宮へは行けません。

2時間の山登り..................
ちょっと考えちゃうなぁ。



2019/12/05 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................龍岡小学校 (2019年10月24日)(山梨県韮崎市) 

10月24日

この日は、山梨県に出かけました、

山梨県と言っても広い。
今回は、韮崎市を中心に北杜市の一部にも立ち寄ってきました。

前日の夜、千葉の佐倉市を移動。
八王子の実家に向かいますが、何と首都高速が大々的に通行止め。
いつもなら首都高速7号線を走り、錦糸町料金所から両国JCT、
箱崎JCT、江戸橋JCT、竹橋JCT、三宅坂JCTと走り、
首都高速4号線から中央道に移動しますが、
この日ふ、内閣府主催の天皇即位関連の祝賀会が開催され、
各国の要人の警護のため、首都高速では都心部を通過出来ない。
湾岸線に迂回するものの大渋滞。大井JCTからC2を走らされ
慣れない道を走り、どっと疲れました。


朝、5時半に八王子の実家を出発。
助手席に 妹のもっちゃん リヤシートの荷台に ケージに入った びいすけ 。
2人と1匹の山梨旅行の始まりです。

最初に向かった先は...............韮崎市立龍岡小学校。



龍岡小学校の沿革は分かりません。

おそらく明治期に創設された歴史ある小学校だったと思われます。
昭和58年に甘利小学校、大草小学校、龍岡小学校が統合して、
新たに韮崎市立甘利小学校が開校となり、
龍岡小学校は廃校となりました。



こちらが、正門跡。

      20191024龍岡小学校01



門柱。

      20191024龍岡小学校02

特に門柱には表記もない。



もう1本の門柱は、10mほど離れた場所に移動。

      20191024龍岡小学校03



そちらの門柱には、表札がしっかりと残っていました。

      20191024龍岡小学校04



廃校から既に36年。

      20191024龍岡小学校05




校舎は解体され、平成2年に龍岡体育館が建てられました。

      20191024龍岡小学校06


      20191024龍岡小学校07



校庭は、地域のご老人たちの社交場。
ゲートボール場としても使われているようで
この日も10人近いご老人が集まっていました。

      20191024龍岡小学校08



敷地の一角には、公民館も建てられています。

      20191024龍岡小学校09



正門脇の植え込みの一角に石碑が並んでいました。

      20191024龍岡小学校10



見ずらいですが、龍岡小学校の閉校記念碑。

      20191024龍岡小学校11



裏面に沿革が刻まれているかと期待しましたが
裏面には校歌が刻まれていました。

      20191024龍岡小学校12



こちらは、創立百周年の記念碑。

      20191024龍岡小学校13


      20191024龍岡小学校14

ひょっとしたら、この碑の裏に沿革が刻まれていたかもしれないが
碑の前に大きな蜘蛛の巣があって、碑に近づくのを躊躇してしまいました。



そして、二宮像。

      20191024龍岡小学校15


      20191024龍岡小学校16



少し離れた場所に建つ碑。

      20191024龍岡小学校17

殉国と言った単語が確認できるから忠魂碑のようなモノでしょう。
忠魂碑って、歴史のある小学校に残っている事が多いから
龍岡小学校も歴史のある学校だったみたいですね。



残念ながら遊具類は残っていなくて
子ども達の憩いの場ではなさそうです。
やっぱり、ご老人たちに優先されているみたいですね。



そんな中で見つけたオブジェ。

      20191024龍岡小学校18


卒業記念に子供たちが造作ったものでしょう。
廃校から36年。
おそらく4〜50年経ったものでしょう。
これを作った子供たちも、きっといい大人になっているんですね。
2019/12/04 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

鉾田八幡宮 (2019年10月7日)(茨城県笠間市) 

10月7日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。


笠間市の稲田地区。
この稲田の地に茨城百景の一つである、『稲田御房西念寺』があります。
実は、西念寺の駐車場に車を停めて、西念寺に向かっていたら
どうやら、道を一本間違えたというか、敢えて参道を通らずに
それっぽい道を選んで進んでみました。

      20191007鉾田八幡宮01



しばらく進むと、社号標が現れました。

      20191007鉾田八幡宮02

『鉾田八幡宮』とあります。

あれっ!?
西念寺目指していたら、神社だし...........
鉾田八幡宮って、ここは鉾田市じゃなくて笠間市だし.............


思わず、突っ込みたくなる展開。


せっかくだから、お参りして行きましょう。


ネットで調べても、この鉾田八幡宮について詳しくは載っていません。
創建時期や御祭神と言ったいわゆる由緒って言うものが分かりません。

八幡宮って言うくらいだから
おそらく御祭神は、応神天皇もしくは八幡太郎義家あたりだと推測するのですが...........




鳥居。

      20191007鉾田八幡宮03


鳥居に掲げられた神額。

      20191007鉾田八幡宮04



参道。

      20191007鉾田八幡宮05



そして、こちらが社殿。

      20191007鉾田八幡宮06



真ん中に置かれた鏡。

      20191007鉾田八幡宮07



境内社。

      20191007鉾田八幡宮08


      20191007鉾田八幡宮09


      20191007鉾田八幡宮10


      20191007鉾田八幡宮11



そして、無名な祠。

      20191007鉾田八幡宮12



周りは深い森。
っていうか、城址の雰囲気が漂う。

      20191007鉾田八幡宮13



神社の奥は、空堀跡に見える堀底道。

      20191007鉾田八幡宮14



こんな道が奥まで続いている。

      20191007鉾田八幡宮15


頭の中に疑問符が浮かびながら、自宅に帰って『余湖さんのHP』で調べてみたら
稲田城の一部かもしれない。
西念寺あたりが城址という事らしいから、
稲田城址って言うのが意外に正解なのかもしれない。


2019/11/29 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

丸ポスト探し.............茨城・笠間編 (2019年10月7日)(茨城県笠間市) 

10月7日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。


笠間市には3基の丸ポストが現在するとされています。

ならば、その丸ポスト探してしまいましょう。



まずは、1基目の丸ポスト。

笠間市笠間の工芸の丘。
その休憩所近くに建つ丸ポスト。

     20191007丸ポスト笠間01


     20191007丸ポスト笠間02


     20191007丸ポスト笠間03


     20191007丸ポスト笠間04


      20191007丸ポスト笠間05


      20191007丸ポスト笠間06


この工芸の丘の場所がよくわからなくて、
って言うか、似たような施設が隣接していて、駐車場の場所がよく分からず
グルグルと近隣を回っていて、意外に探し当てるのに時間がかかってしまいました。



2基目の丸ポストは、笠間稲荷神社近く。

参道口にほど近いメイン通り。
通り沿いの喫茶店『繪馬』前の丸ポスト。

      20191007丸ポスト笠間07


      20191007丸ポスト笠間08


      20191007丸ポスト笠間09


      20191007丸ポスト笠間10


      20191007丸ポスト笠間11






そして、3基目の丸ポスト。

笠間稲荷神社の絵馬殿隣、
ちょうど社務所前の駐車場の一角に建つ丸ポスト。

      20191007丸ポスト笠間12



丸ポストの在る場所は笠間稲荷神社の境内地になってしまうから
犬連れでは入れません。
残念ながら びいすけ もここまで 。

      20191007丸ポスト笠間13


      20191007丸ポスト笠間14


      20191007丸ポスト笠間15


工芸の丘はちょっと離れているけれど、
2基目と3基目の丸ポストは本当に近い場所に置かれています。

これで、笠間市の丸ポスト3基制覇。


茨城県内で現像する丸ポストは73基と言われています(2019年10月7日現在

これまでに、
桜川市(真壁)    2基
石岡市        4基
稲敷市        2基
土浦市        6基
龍ヶ崎市       8基
かすみがうら市   1基
行方市        2基
取手市        6基
鹿嶋市        2基
大洗町        9基
茨城町        1基
つくば市       4基
常陸大宮市      1基
小美玉市       1基
城里町         2基

そして本日、笠間市の3基を制覇して、合計54基の丸ポストに出会ってきました。
残すは、あと19基。

茨城県内の丸ポスト制覇に向けて頑張ってみましょう。



2019/11/28 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

大石邸跡 (2019年10月7日)(茨城県笠間市) 

10月7日

この日は茨城県の笠間市に出かけました。


笠間市で探していた茨城百景。
その一つである『笠間稲荷と左白山』の碑の建つ笠間稲荷駐車場の隣に
大石内蔵之助邸址がありました。

      20191007大石家跡01


      20191007大石家跡02



大石内蔵之助って赤穂浪士でしょ?
兵庫の方に住んでいたんじゃないの?

素朴な疑問が浮かびます。


忠臣蔵で知られる赤穂藩、浅野家の家老である大石内蔵之助。
その曽祖父・良勝(よしかつ)と祖父の良欽(よしたか)が住んでいた屋敷跡になります。

浅野家は、元和8年(1622年)に笠間藩53500石の藩主となりました。
城下町の整備に尽力し、当時、笠間城のあった佐白山山頂付近で行っていた政務を
佐白山麓公園付近に下屋敷を建てて移し、 より城下町に近い場所で政務を行うことで
城下町の発展を促しました。
浅野家は、正保2年(1645年)に赤穂へと国替えとなりましたが
その後も家老屋敷として使われたそうです。


なるほど、実際には大石内蔵之助は住んでいなかったようですね。
確かに『大石邸址』とありますが『大石内内蔵之助邸址』とはなっていない。

      20191007大石家跡03



でも、大石邸址の敷地内に大石内蔵之助の像が建っている。

      20191007大石家跡04


      20191007大石家跡05

まぁ、これもいわゆる大人の事情って言うやつだろう。
細かいことは気にしないでおこう。



浅野家と大石家と笠間市の関係の説明板。

      20191007大石家跡06

確かに、今日笠間市に来て初めてその関係を知りました。
死なない人って、結構多いんじゃないのかな?




この辺りに屋敷が建っていたんでしょうか?

      20191007大石家跡07



敷地の奥は私有地のため立ち入り禁止。

      20191007大石家跡08



大石邸址として解放しているエリアには板碑も建てられている。

      20191007大石家跡09


      20191007大石家跡10


おもいがけず、赤穂藩で有名な浅野家と
赤穂浪士で有名な大石家と笠間市との由縁を知る事ができ
今日は一つ勉強になりました................。




2019/11/26 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................箱田小学校 (2019年10月7日)(茨城県東笠間市) 

10月7日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

金剛寺をあとにして、向かった先は.............笠間市立箱田小学校。


箱田小学校は、

明治6年      石井村と箱田村の共同で石井校として開校する。
明治22年     町村制か実施され、八ヶ村をもって北山内村を編成。
          北山内村尋常小学校として発足。
明治42年     現在地に北山内第一尋常小学校として創立。
昭和22年     学制改革により北山内村立第一小学校と改称する。
昭和30年     北山内村が笠間町・大池田村・南山内村と合併し、改めて笠間町が発足。
          笠間町立箱田小学校と改称する。
昭和33年     笠間町が市制施行で笠間市となる。笠間市立箱田小学校と改称する。
平成27年     笠間小学校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっています。




こちらが、箱田小学校の正門。

      20191007箱田小学校01


石造りの古い門柱。

      20191007箱田小学校02



表札は平成8年度の卒業生の寄贈品。

      20191007箱田小学校03

卒業生の寄贈品だから、廃校になったからと言って
無下に扱えませんから、このまま掲げられるんでしょうね。



こちらは、校舎脇の校門。

      20191007箱田小学校04

通用門として使われていたのか?



こちらも石造りの門柱。

      20191007箱田小学校05


      20191007箱田小学校06



昭和24年に校舎の新築記念に建立されたモノのようです。

      20191007箱田小学校07



正門からの校舎。

      20191007箱田小学校08

校舎前に碑が建っています。



その碑は、校歌の碑。

      20191007箱田小学校09



第28回卒業記念に建てられたモノですね。

      20191007箱田小学校27



玄関には、凝った表札?
それともモニュメント?

      20191007箱田小学校28



玄関庇には校章。

      20191007箱田小学校21



正門脇には、閉校記念碑。

      20191007箱田小学校10

裏面には沿革も刻まれていて、参考になりました。



その隣には、校訓の碑。

      20191007箱田小学校29




さらに、その奥には二宮像。


      20191007箱田小学校11


      20191007箱田小学校12






こちらが校舎。

      20191007箱田小学校13


 
別アングルからの校舎。

      20191007箱田小学校14


      20191007箱田小学校15


      20191007箱田小学校16


      20191007箱田小学校17




校舎とシンボルツリー。

      20191007箱田小学校18



校舎全景。

      20191007箱田小学校19



校舎前の国旗掲揚ポール。

      20191007箱田小学校20



校庭。

      20191007箱田小学校22


  

残念ながら、校庭には遊具類は残っていない。

      20191007箱田小学校23




朝礼台。

      20191007箱田小学校24




水飲み場。

      20191007箱田小学校25



なぜか、校庭に土俵がある。

      20191007箱田小学校26






こちらが、体育館。

      20191007箱田小学校31



体育館の脇に建つ碑。

      20191007箱田小学校30

『男の友情』の歌碑。

笠間市で生まれた作詞家・高野公男の功績を称えた碑。
作曲家・船村徹とのコンビで名曲を作ったらしい。
確か、『男の友情』の碑って、栃木県の『道の駅しおや』にも在ったような気がする。




そして、場違いな獣の捕獲用の檻。

      20191007箱田小学校32

ここに猪でも来るのだろうか。


傍らには、捕獲用の檻が数基置かれている。

      20191007箱田小学校33


笠間市も野生動物による農作物の被害が多いのだろうか?
数年前まで学校だった場所に、捕獲用の檻が置かれるなんて............

ちょっぴり、いや、かなり衝撃的でした。


2019/11/23 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

開運花の寺めぐり 2番 金剛寺 (2019年10月7日)(茨城県笠間市) 

10月7日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。


寺崎小学校をあとにして、向かった先は.............金剛寺。


金剛寺は、真言宗豊山派の寺院で、
正式には、箱田山 地蔵院 金剛寺と称します。

創建は鎌倉時代の承久年間(1219年~1222年)に賀海和尚が開山したのが始まりとされ、
その後一時衰退しますが文明9年(1477年)笠間城城主である藤原(笠間)出雲守朝貞が霊夢により
金剛寺を再建したことにより、笠間三ヵ寺の1つとして寺運が隆盛します。
江戸時代に入ると住職が離れた為に次第に衰退し、
明治4年(1871年)に廃寺となり、明治24(1891年)に再び再興したそうです。


平成17年の春、茨城県の北西部の城里町・常陸大宮市・那珂市・笠間市の寺院八ヶ寺が
宗旨を超えて、十二支の守り本尊と花めぐりのコースとして始めた「開運 花の寺めぐり」の
第2番の寺院でもあり、丑寅年(虚空蔵菩薩)を守り本尊として安置しています。


『 開運 花の寺 2番 』の金剛寺の看板。

      20191007金剛寺01



金剛寺門前。

      20191007金剛寺02


      20191007金剛寺22

      20191007金剛寺04



山門。

      20191007金剛寺05



鐘楼。

      20191007金剛寺06



本堂。

      20191007金剛寺07



本堂の扁額。

      20191007金剛寺08



鐘楼と銀杏。

      20191007金剛寺09
      20191007金剛寺10



別アングルからの銀杏。

      20191007金剛寺11
      20191007金剛寺12



開運 花の寺めぐり の案内板。

      20191007金剛寺13



花の寺と称するだけあって、境内には多くの植物がある。
中でも金剛寺の花の代表格である 枝垂れ桜。

      20191007金剛寺15



春に咲く つつじ。

      20191007金剛寺14


そして、今のこの時期は コスモス。

      20191007金剛寺23




こちらが、花の寺のスタンプ台。

      20191007金剛寺17


専用のパンフレットの台紙があるのですが
御朱印用の半紙に押してみます。

      20191007金剛寺18




こちらが寺務所。
御朱印はこちらで拝受いたします。

      20191007金剛寺19




こちらが金剛寺の御朱印。


御本尊の御朱印。

      20191007金剛寺21


花の寺の御朱印。

      20191007金剛寺20


開運 花の寺めぐり もやっとこれで二つ目。
結願目指して頑張っちゃいましょう。



2019/11/23 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................佐城小学校 (2019年10月7日)(茨城県東笠間市) 

10月7日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

飯田ダムをあとにして、向かった先は............笠間市立佐城小学校。


左城小学校は、
その前身は、明治31年に開校した寺崎小学校と
明治6年に開校した高田小学校とされています。

昭和51年     寺崎小学校と高田小学校が統合して新たに左城小学校が開校する。
平成27年     笠間小学校に統合されて廃校となる。

と、沿革となっています。



県道沿いに建つ正門。

      20191007佐城小学校01



残念ながら、表札は既に外されている。      

      20191007佐城小学校03



昭和52年建立の門柱。

      20191007佐城小学校04

開校の翌年に建てられたんですね。


廃校後、敷地は公立幼稚園となりましたが
近年、民間の幼稚園になったようです。



門柱脇には、閉校記念碑。

      20191007佐城小学校05

沿革も刻まれています。



裏面には、こんな碑文。

      20191007佐城小学校10

確かに、この場所に佐城小学校が在りました。



その隣には碑が並ぶ。

『さしろっ穂』の碑。

      20191007佐城小学校06


校歌の碑。

      20191007佐城小学校07



全国花いっぱいコンクールの入賞記念の碑。

      20191007佐城小学校08



校訓の碑。

      20191007佐城小学校09



こちらが敷地内の建物。
幼稚園の建物です。

      20191007佐城小学校11


こちらが体育館。

      20191007佐城小学校12



幼稚園の前のブロンズ像。

      20191007佐城小学校13

幼稚園には似合わない。
左城小学校時代のモノでしょう。



体育館前にもブロンズ像。

      20191007佐城小学校14



校庭。

      20191007佐城小学校15



残念ながら遊具類は残っていない。

      20191007佐城小学校16



このひは、シルバーの方々が草刈りをしていました。

      20191007佐城小学校17

じっくりと敷地内を見て行きたかったんだけど
流石に平日の幼稚園の敷地内。
犬連れの怪しそう(?)なおじさんがウロウロしていると
パトカーが赤橙回して来ちゃいそうだから.................

早々に撤収いたしました。



2019/11/21 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

ダムカードを集めよう! .............飯田ダム (2019年10月7日)(茨城県笠間市) 

10月7日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

大井神社をあとにして、向かった先は..............飯田ダム。



飯田ダムは、平成3年に完成した茨城県土木部が管理する県営ダムです。
堤高33.0mの重力式コンクリートダムで、
茨城県内の那珂川水系の支流である涸沼川流域に建設された唯一の補助多目的ダムで、
涸沼川の治水と笠間市への利水を目的にしています。
ダムによって形成された人造湖は笠間湖(かさまこ)と命名されています。



飯田ダムに到着です。

ダムの説明板前にて。

      20191007飯田ダム03



飯田ダムをぐるっと一周するハイキングコースもあるようです。

      20191007飯田ダム04

さすがに、一周4.8kmの散歩はキツイからパスですね。


飯田ダムの碑。

      20191007飯田ダム05



こちらは、飯田ダム完成記念碑。

      20191007飯田ダム06


こちらは、笠間湖の碑。

      20191007飯田ダム07



駐車場から眺めるダム堤体。

      20191007飯田ダム08



ダム天端。
『飯田川』の表示。

      20191007飯田ダム09



『飯田ダム』の表示。

      20191007飯田ダム10



それでは、天端を歩いてみましょう。

      20191007飯田ダム11


      20191007飯田ダム15


      20191007飯田ダム16


      20191007飯田ダム17




こちらが、ダム上流。
笠間湖です。

      20191007飯田ダム12


      20191007飯田ダム13


      20191007飯田ダム14


      20191007飯田ダム26





こちらが、ダム下流です。

      20191007飯田ダム18


      20191007飯田ダム19


      20191007飯田ダム20


      20191007飯田ダム21


      20191007飯田ダム22


      20191007飯田ダム23




さて、肝心のダムカードですが、飯田ダム管理事務所で配布されています。



こちらが飯田ダム管理事務所。

      20191007飯田ダム01



飯田ダムのガムカード、戴きました!

      20191007飯田ダム02




こちらが、飯田ダムのダムカード。

      20191007飯田ダム24


      20191007飯田ダム25


先日(10月2日)、城里町の藤井川ダムに訪れましたが
その時に、この飯田ダムのすぐ近くを通過していたことを
後で地図を見たら知りました。

どうやら、この近くには笠間市の『飯田ダム』、城里町の『藤井川ダム』
水戸市の『楮川ダム』と、ダムカードを配布しているダムがあるようです。

楮川ダムもいずれ訪れることにいたしましょう。







2019/11/21 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................高田小学校 (2019年10月7日)(茨城県東笠間市) 

10月7日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。
朝早くから、笠間市内の廃校を巡っています。

笠間市の廃校巡り、その第5弾は..............笠間市立高田小学校。


高田小学校の情報は乏しく、当初は沿革もわかりませんでした。
笠間小学校のHPに統廃合された各校の流れが記載されていたの参考になりなした。


明治6年     瑞穂小学校として開校。
明治13年     福田小学校となる。
明治17年     初等福田小学校となる。
明治19年     大橋尋常小学校福田分教場となる。
明治34年     大池田第三尋常小学校となる。
昭和22年     学制改革により、大池田村立大池田第三小学校と改称する。
昭和30年     大池田村が笠間町・南山内村・北山内村と合併し、改めて笠間町が発足。
          笠間町立高田小学校と改称する。
昭和33年     笠間町が市制施行で笠間市となる。
          笠間市立高田小学校と改称する。
昭和51年     寺崎小学校と統合して、新たに笠間市立左城小学校が開校する。
          高田小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。


とは言え、情報が乏しいので、その場所すらわからず、
いつものように、それらしき場所にあたりを付けて訪れてみます。

      20191007高田小学校01

今回は、高田公民館にあたりをつけてみました。


遠目からでも見た感じ、学校跡っぽく見える。

      20191007高田小学校05



この雰囲気は、学校跡っぽい。

      20191007高田小学校02




門柱が残っていれば、確定なんだけど..............

      20191007高田小学校04

置かれていたのは、『作業中』の看板とカラーコーン。



ざっとみて、学校遺構は残されてはいないようです。

      20191007高田小学校03



こちらが、公民館の建物。

      20191007高田小学校06

公民館の裏手が地域のゴミ捨て場になっていて
たまたまゴミ捨てに来た中年女性に訊いてみたら高田小学校の跡ということです。
ただし、他の場所から嫁に来た方のようで、高田小学校のことは知らず無いけれど
御主人が高田小学校の卒業生だったそうです。



廃校後、校舎は解体され公民館が建ち
その後、敷地も造成されて運動場(グランド)が造られたようです。



元々の校地は駐車場になってしまったのでしょうか?

      20191007高田小学校07


      20191007高田小学校08


      20191007高田小学校09



せめて、記念碑が残っていれば.............


公民館の前の古い桜の木が、学校跡を彷彿させてくれるだけ。

      20191007高田小学校10



こちらが、高田運動公園。

      20191007高田小学校11


      20191007高田小学校12


      20191007高田小学校13



そして高田公民館の隣には、例の消防倉庫。

      20191007高田小学校14

やっぱり、犬の顔............
いや、ペンギンの顔に見えなくもないな(笑)。



2019/11/20 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit