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び・び・びのびいすけ

茨城百景 《 鷲尾山と三浦杉 》 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は茨城県の常陸大宮市に出かけました。

常陸大宮市には、廃校巡りが目的で訪れましたがら
せっかく茨城県に来ているんだから、茨城百景の一つでも
立ち寄ってみないと常陸大宮市に来た意味が無い。

と言うわけで、久しぶりに訪れた茨城百景。

茨城百景 鷲尾山と三浦杉



茨城百景のタイトルでもある三浦杉。

久寿2年(1155年)、相模国の三浦大介義明が勅命により下野国・那須野へ
九尾の狐退治に行く途中で吉田八幡神社に植えた杉のことです。
「われ冥護により よく武運を果し 心願を成就せば この杉 天にそびえよ」
(神のご加護により、武士としての使命を果たし、願いが叶うなら、この杉、天にそびえよ。)
と言ったそうです。
そして、見事に悪狐を退治することが出来ました。
ちなみに、その場所が那須の殺生石のある場所になるそうです。
当初は、この杉を『鎌倉杉』と呼んでいたそうですが、
水戸藩主・水戸光圀が『三浦杉』と改称したそうです。




こちらが『三浦杉』のある吉田八幡神社。

      20170914鷲尾山と三浦杉01

吉田八幡神社は、大同2年(807年)に創建されました。
当初は「八幡神社」としていましたが、
徳川光圀公が「吉田神社」と改め、
昭和12年に「吉田八幡神社」と改称されました。


参道に続く鳥居。

      0170914鷲尾山と三浦杉02


参道には鬱蒼と巨木の杉が立ち並びます。

      0170914鷲尾山と三浦杉03



こちらが、二の鳥居。

      0170914鷲尾山と三浦杉04



そして、鳥居の扁額(神額)。

      0170914鷲尾山と三浦杉05



二の鳥居をくぐって、さらに石段を上れば
明らかに周りの杉の木とは違うオーラを発する杉の巨木。
これが、三浦杉。

      1234


吉田八幡神社の本殿へと続く石段の手前に柵があり
一般客は、これ以上先へは進めません。
どうやら、三浦杉の枯れ枝が落下して怪我をしないようにとの理由らしい。

一応、吉田八幡神社の本殿は、常陸大宮市の指定文化財になっているから
どんな感じなのか?
見てみたかったなぁ...............。

      0170914鷲尾山と三浦杉07



柵の位置から見上げる三浦杉。
石段右側の三浦杉。

      0170914鷲尾山と三浦杉08



石段左側の三浦杉。

      5678



パノラマとはいかないけれど
何枚かに分けて撮ってみました。

           0170914鷲尾山と三浦杉12
        0170914鷲尾山と三浦杉11
      0170914鷲尾山と三浦杉10




根元には手書きの看板。

      0170914鷲尾山と三浦杉13



石碑もありますが、柵があって近寄れない。

      0170914鷲尾山と三浦杉14



吉田八幡神社の近くに、茨城百景の碑が在ると言うことなので、
参道を下って行きます。

      0170914鷲尾山と三浦杉15


      0170914鷲尾山と三浦杉16



周辺を探し回って、碑を見つけました。

      0170914鷲尾山と三浦杉17



こちらが、茨城百景の碑。

『 茨城百景 鷲子山と三浦杉 』

      0170914鷲尾山と三浦杉18



吉田八幡神社から、バイパスを渡り、旧道との交差点に
茨城百景の碑は在りました。

      0170914鷲尾山と三浦杉19



この場所には、他にも碑が建っています。

      0170914鷲尾山と三浦杉22



小田野宿の碑。

      0170914鷲尾山と三浦杉20

この辺りは宿場町だったようです。


そう言われれば宿場町の雰囲気がしなくも無い

      0170914鷲尾山と三浦杉21


でも林業関係の会社が何件もあるようだから
宿場町っていうよりは林業に従事する人の村って言うのが
正直、正解かもしれない。


鷲子山は何処にあるのか分かりませんが
茨城百景 鷲子山と三浦杉、これにて完結です。




     
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2017/10/15 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景 謡曲桜川の桜と富谷観音 《名勝 桜川 》《 磯部桜川公園》(2017年6月26日)(茨城県桜川市) 

6月26日 公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。

桜川市には、『茨城百景 謡曲桜川の桜と富谷観音』と言う景勝地があります。

とりあえず、富谷観音 には足を伸ばしてみたから
これにて完了! と思っていたら、どうやら富谷観音よりも
『桜川』の方が景勝地としては秀でたものがあるようで
『名勝 桜川』と言われるほどだから、素通りは出来ません。
ましてや、茨城百景の碑もあると言う。

と言う事で訪れたのは...............名勝 桜川


『名勝 桜川』は,茨城が誇る桜の名所です。
桜川の桜は,「西の吉野,東の桜川」と並び称されるほど有名で、
平安時代にはすでに多くの人に知られていたそうです。
中でも磯部桜川公園では、天然記念物に指定された11種類の貴重な桜に出会えるそうです。
桜川の桜は、東北産の白山桜が中心で、梅鉢桜・桜川匂・薄毛桜・白雲桜・初見桜・樺匂
青桜・青毛桜・源氏桜・大和桜・初重桜などがあるそうです。
また、水戸藩藩主の水戸光圀公は、水戸の川沿いに桜川のサクラを移植し、
その川を「桜川」と名付けるほど,「桜川のサクラ」がお気に入りだったようです。

室町時代に世阿弥元清が著わした謡曲「桜川」は、
この桜川沿岸の悲話から題材をとったものと言われています。
人買いの手に渡った我が子を探し求めてこの地に来た母が、
磯部寺の僧の弟子になっていた我が子と巡り会う、という話で、
この磯部寺は磯部神社の境内にあったと伝えられています。
水戸光圀公や笠間藩主牧野貞喜らも桜川に度々訪れており、
光圀はこの桜を水戸へ移植して、そばの川を桜川と名付けたという逸話が残されています。
また、将軍・家綱は隅田川堤へ、将軍・吉宗は小金井堤へ桜川の桜を移植させたそうです。




こちらが、『磯部・桜川公園』

      20170626 名勝 桜川01

すなわち、名称 桜川 の地です。


公園入口近くに、立派な説明板。

      20170626 名勝 桜川02



それなりに広そうな公園だから、案内板でしっかりチェック致しましょう。

      20170626 名勝 桜川03



陽射しが強くなって来たけれど、頑張って散策してみましょう。

      20170626 名勝 桜川04



おっと、その前に水分補給も忘れずに。

      20170626 名勝 桜川05



桜の名所だけあって、桜の木が多い。

公園内の遊歩道の両脇にも桜の木があり
生い茂った桜の葉が、適度な日除けとなってくれます。

      20170626 名勝 桜川06



石碑を発見!

こちらは、旧・岩瀬町に住んでいた女流歌人 植田多喜子氏 の歌碑のようです。

      20170626 名勝 桜川07


公園内は芝生の養生をしているのか?
場所によってはロープが張られ、立ち入り出来ない箇所もあるけれど
芝生は、かなり気持ち良さそう。

      20170626 名勝 桜川08



芝生に腹ばいになる びいすけ 。

      20170626 名勝 桜川09



嫌な予感を感じた瞬間...............

お得意のローリングが始まりました。

      20170626 名勝 桜川10


      20170626 名勝 桜川11

『うげっ! うげっ!』と奇声を発しながら
気持ち良さそうに、芝生の上をのたうち回る びいすけ 。



さて、散策を続けましょう。
この公園内のどこかに茨城百景の碑があるはず...............

      20170626 名勝 桜川14



茨城百景の碑を探していたら
こんなモノが目にとまりました。

      20170626 名勝 桜川16

オッ! オリエンテーリングのポスト。
この磯辺・桜川公園もオリエンテーリングのコースの一部になっているんですね。


しばらく進むと、視界に石碑が入って来ました。

      20170626 名勝 桜川15


      
数日前の『富谷観音』の記事に載せてしまいましたが
茨城百景 謡曲桜川の桜と富谷観音 の碑です。

      20170626茨城百景 富谷観音20


包括地の 磯部月山寺 も記されています。

      20170626茨城百景 富谷観音21

茨城百景の地に百景の碑が建つ。
これがまさしく王道。
離れた地に石碑を建てても意味が無いはず。



さらに、公園内(名勝 桜川)の散策を続けましょう。

      20170626 名勝 桜川17



ロープで規制された芝生広場に入ります。

      20170626 名勝 桜川18



新たな石碑発見!

      20170626 名勝 桜川19


大正13年に当時の内務省に認定された 『名勝 桜川』の碑。

      20170626 名勝 桜川20



そして、名勝 桜川 の碑の傍らには、石倉翠葉の句碑。

      20170626 名勝 桜川21

明治時代の俳人・文学者で、岩瀬町出身の石倉翠葉は、
当時衰退の危機にあった「桜川のサクラ」を再興しようと、
弱冠20歳にして『櫻川事蹟考』を出版して、「桜川のサクラ」の顕揚に尽力しました。

石倉翠葉による『櫻川事蹟考』の出版と、そのための調査が礎となり、
大正時代になると史跡名勝天然記念物調査員が桜川の調査に訪れます。
桜川には大変貴重な桜が多いことから、大正13年「名勝桜川」として国の指定を受けることとなりました。

この句碑は、桜川の名勝、特別天然記念物の指定を受けることに
結果的に貢献した石倉翠葉の功績を讃えるモノなんですね。



芝生広場には、多くの桜があります。

      20170626 名勝 桜川22



この桜の1本、1本が貴重なモノなんですね。

      20170626 名勝 桜川23



立ち入りをロープで規制している理由がわかりました。

      20170626 名勝 桜川24


春になれば、素晴らしい光景になるんでしょう。


今は葉桜だから、感動も盛り上がりも今一歩なんですけどね...............

      20170626 名勝 桜川25


さて、名勝 桜川もそれなりに堪能出来たから
そろそろ遅くなったお昼ご飯にでもしましょうか...............?


2017/07/21 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景 《 謡曲桜川の桜と富谷観音 》①(2017年6月26日)(茨城県桜川市) 

6月26日 公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。


昨年から追いかけている『茨城百景』。
桜川市には、『茨城百景 謡曲桜川の桜と富谷観音』と言う景勝地が選定されており、
富谷観音に茨城百景の碑が在るということで、富谷観音に訪れてみました。


九十九折りの山道(舗装路)を巧みな(?)ハンドル捌きで車を走らせ
富谷山の頂上近くにある富谷観音にやって来ました。

      20170626茨城百景 富谷観音01


富谷観音は、正式には『施無畏山宝樹院小山寺』と言います。
富谷山に在る観音様という事で富谷観音と呼ばれているのが通称となってしまったようです。

その歴史は古く、天平7年(735年)に聖武天皇の勅願により、
行基を開基として創立されたと伝えられています。
仁王門、本堂、三重塔などで構成された、桜川市を代表する古刹です。
開運・安産・子育てに御利益がある三重の塔は国の重要文化財に指定されています。

この三重塔は相輪の銘によると、寛正6年(1465)に多賀谷朝経が大旦那となり、
大工宗阿弥家吉とその息子によって建立されたものだと言うことです。



富谷観音の入口。

      20170626茨城百景 富谷観音02



それでは、敷地内を散策いたしましょう。

      20170626茨城百景 富谷観音03



桜川市の観光スポットでもあるから、案内板や説明板も多い。

      20170626茨城百景 富谷観音04


      20170626茨城百景 富谷観音05



こちらが、仁王門。

      20170626茨城百景 富谷観音06

立派な風格。



仁王門(山門)の扁額。

      20170626茨城百景 富谷観音07


      20170626茨城百景 富谷観音08



仁王像。
向かって右側だから、開口の阿形像。

      20170626茨城百景 富谷観音09



向かってや左側。口を結んだ吽形像。

      20170626茨城百景 富谷観音10



仁王門をくぐり、石段を上って本堂へと参りましょう。

      20170626茨城百景 富谷観音11



こちらが、本堂。

      20170626茨城百景 富谷観音12


別アングルから。

      20170626茨城百景 富谷観音13


本堂に掲げられた額。

      20170626茨城百景 富谷観音14



そして扁額。

      20170626茨城百景 富谷観音15

朱色の本堂が富谷観音の尊厳さを引き立てている感じがします。




鐘楼。

      20170626茨城百景 富谷観音16



境内には、桜川市で天然記念物の大杉。

      20170626茨城百景 富谷観音17

樹齢700年以上と言われています。



そして、国指定文化財(昔の国宝)の三重塔。

      20170626茨城百景 富谷観音18


      20170626茨城百景 富谷観音19



境内をくまなく探しましたが、茨城百景碑は見つかりませんでした。

後でネットで調べたら、どうやら富谷山の麓。
富谷観音へと続く参道近くに在るようです。

詳しい場所はよく分かりませんが
いつかまた、探しに行きたいと思います。


『茨城百景 謡曲桜川の桜と富谷観音』 の碑は、磯部・桜川公園にもあるそうです。


こちらが、その碑。

      20170626茨城百景 富谷観音20


      20170626茨城百景 富谷観音21


こちらの碑には『浪曲桜川と富谷観音 磯部月山寺』となっている。


本当は、この碑じゃないんだよなぁ。
やっぱり富谷観音の碑じゃないと。

いつか、リベンジしなくちゃ!




2017/07/18 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景 《 伝正寺と加波足尾 》②  (2017年6月26日)(茨城県桜川市) 

6月26日  公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。



昨年から始めた、『茨城百景』巡り。

百景の石碑を探しながら、景勝地を巡る...............
はたまた、景勝地を巡りながら、石碑を探す...............

実はこれが意外に楽しく、ハマってしまいました。


そもそも『茨城百景』とは、茨城県観光審議会によって昭和25年に選定されたモノで
茨城有数の景勝地が100ヶ所網羅されています。
いわゆる、昭和25年当時の茨城県下の景勝地になります。
当然、時代の移り変わりにより、形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。

ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。


以前、茨城百景 《 伝正寺と加波足尾 》の碑は、
桜川市にある筑波鉄道の廃線跡の旧・真壁駅跡で見つけましたが
(正確には、『茨城百景 伝正寺と真壁城址』の碑)
どうやら、お隣の駅にあたる旧・樺穂駅にも、茨城百景の碑があるらしいと言うことで
探しにやって来ました。



鉄道の線路(軌道)は撤去されていますが
ホーム跡は健在。

      20170626茨城百景 加波山②01

サイクリングロードになっていますが、
廃線のホーム跡の面影は残っています。



ホーム跡の木々の間の雑草の茂った辺りに石碑か在る?

      20170626茨城百景 加波山②02


曇り空(千葉から車でいどうちゅな雨が降ったりして天候は安定していない)で
薄暗い上に、木々に間でさらに暗い。

      20170626茨城百景 加波山②03



おまけにツタが絡まるように、石碑も雑草に覆われて見づらい。

      20170626茨城百景 加波山②04



近づいて確認すると、『茨城百景』の文字が確認できる。

      20170626茨城百景 加波山②05


加波山 足尾山 の文字も読める。

      20170626茨城百景 加波山②06



これが、『茨城百景 加波山 足尾山』の碑。

      20170626茨城百景 加波山②07


      20170626茨城百景 加波山②08


考えてみたら、旧・真壁駅は伝正寺に近く、
まだ自動車が普及していない昭和25年当時は
筑波鉄道が唯一の交通手段であり、
真壁駅前に『茨城百景 伝正寺』の碑を建てたのでしょう。

また、加波山は樺穂駅が最寄りの駅となるため
こちらに『茨城百景 加波山』の碑を建てたのでしょう。






ホーム跡から見える加波山。

      20170626茨城百景 加波山②09




ふと視界に入った、ホーム跡の雑草の中に小さな碑。

      20170626茨城百景 加波山②11

よく見ると、『かばほのさくら』と刻まれています。

樺穂の桜 と言う意味でしょう。


旧・筑波鉄道の駅跡には古い桜の木が多く残されている。

      20170626茨城百景 加波山②12


鉄道も無くなり、誰も訪れることも無くなった旧・樺穂駅跡。

忘れさられた桜の木々と、茨城百景の碑がポツンと残された姿は
やけに印象的でした...............





2017/07/13 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景 《 雨引観音 》   (2017年2月6日)(茨城県桜川市) 

2月6日  公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。


五所駒瀧神社をあとにして、向かった先は...............茨城百景 雨引観音

昭和25年に制定された茨城百景。
そもそも、 つ茨城県観光審議会が選定した100の景勝地です。

桜川市にある雨引観音も茨城百景に選定されています。



雨引観音は正式には雨引山楽法寺と名称で、
中国から帰化した法輪独守居士が587年に開山したと伝えられる古刹です。
聖武天皇、光明皇后の帰依が厚く、その後、弘法大師によって真言宗の道場となりました。
現在は安産子育ての霊場として広く知られる関東屈指のお寺です。
桜の名所でもあり、また6月には「あじさい祭」も開かれます。


『 茨城百景 雨引観音 』の碑は、雨引観音の門前辺りにあるのかと思えば、
それが、また遠く離れた場所に在りました。

旧・筑波鉄道雨引駅跡に在りました。

      20170206茨城百景 雨引観音01



『 茨城百景 雨引観音 』の碑です。

      20170206茨城百景 雨引観音02

良く良く考えてみたら、茨城百景が制定された昭和25年当時は
まだまだ車社会ではなく、鉄道を利用する時代だったんですね。
その為、駅前とか駅のホームに百景の碑が建っていたんですね。


旧・雨引駅にも旧・真壁駅同様、立派な桜の木が多い。

      20170206茨城百景 雨引観音03


雨引駅は、筑波鉄道の廃線後、つくばりんりんロードの
雨引休憩所となっています。

      20170206茨城百景 雨引観音04



ホームの形態は往時のままですね。

      20170206茨城百景 雨引観音05


      20170206茨城百景 雨引観音06



雨引駅から数キロ先。
曲がりくねった道を走り、雨引観音の駐車場に到着。

それなりの高さだから、駐車場からの景観は良い。

      20170206茨城百景 雨引観音07


      20170206茨城百景 雨引観音08



では、雨引観音を探索いたしましょう。


いきなり、視界に入った看板。

      20170206茨城百景 雨引観音09

引き綱(リード)を離すな=ノーリードにするな!と言うことは
基本的には犬連れOKなんですね。
ちょっぴり安心。

社寺仏閣によつては、敷地内ペット禁止なんて言うのもあるからね。



それでは、正面から入りましょう。


立派な薬医門の脇に建つ寺号標。

      20170206茨城百景 雨引観音10



そして薬医門の反対側の脇には、物凄く大きな石灯籠。

      20170206茨城百景 雨引観音11

びいすけ と比較してみると、少しは大きさが分かるかな?


そして、立派な立派な薬医門。

      20170206茨城百景 雨引観音12

実は、この門は真壁城の薬医門。
真壁城が廃城後に移築されたらしい。


城門に相応しい、重厚な門です。

      20170206茨城百景 雨引観音13


      20170206茨城百景 雨引観音14



石段を上って行きましょう。

      20170206茨城百景 雨引観音15

この石段は俗に厄除けの石段と言われ、
一段一段登るごとに「南無観世音菩薩」と称号を唱えて登れば、
145段を登りつめた時、厄が落ちると言われているそうです。

正式には、磴道(とうどう)と言うらしい。



石段途中に見える鐘楼堂。

      20170206茨城百景 雨引観音16


      20170206茨城百景 雨引観音17



石段からちょっぴり脇に逸れれば、子安地蔵堂。

      20170206茨城百景 雨引観音18


      20170206茨城百景 雨引観音19



石段を上って辿り着いた仁王門。

      20170206茨城百景 雨引観音20


      20170206茨城百景 雨引観音21


仁王門の扁額。

      20170206茨城百景 雨引観音22



石段途中で見かけた椎の巨木。

      20170206茨城百景 雨引観音38


『宿椎』と言うらしい。

      20170206茨城百景 雨引観音37




さらに石段を上りきれば、雨引観音の本堂(観音堂)です。

      20170206茨城百景 雨引観音23


      20170206茨城百景 雨引観音24


扁額もズバリ、『観音堂』。

      20170206茨城百景 雨引観音25

そのまんまだし(笑)。


雨引観音の歴史の書かれた説明板。

      20170206茨城百景 雨引観音26


由緒書きの碑。

      20170206茨城百景 雨引観音27



こちらは、東照宮。

      20170206茨城百景 雨引観音29


      20170206茨城百景 雨引観音28


      
こちらは、多宝塔。

      20170206茨城百景 雨引観音30


      20170206茨城百景 雨引観音31

ネットで近隣の大きな寺院を調べてみると
この地域には三重塔のような多宝塔が在る寺院が多いようです。
地元ではあまり見かけないから、ちょっぴり新鮮に感じたりします。



こちらは、奥の院(客殿)。

      20170206茨城百景 雨引観音32




そして、六角堂

      20170206茨城百景 雨引観音33


六角堂の本尊は薬師如来。

      20170206茨城百景 雨引観音34



本坊前の見晴台(展望台)。

      20170206茨城百景 雨引観音35


さすがに景観は良い。

      20170206茨城百景 雨引観音36



時代(月日)が流れて、雨引観音の仏閣が建て変わっても
この場所から眺める景観は、きっと変わらないんだろうなぁ。
この不変さこそ、茨城百景の名に相応しいと感じたりします。







      

2017/03/09 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景 《 伝正寺と加波足尾 》   (2017年2月6日)(茨城県桜川市) 

2月6日  公休日

この日は茨城県の桜川市、旧・真壁町に出かけました。
真壁に来た最たる目的は、『真壁のひなまつり』ですが
車を停めたのは、つくばりんりんロードの真壁休憩所の駐車場。

つくばりんりんロードは、かつて土浦駅と岩瀬駅を結んでいた路線である筑波鉄道の廃線跡で
真壁休憩所は、真壁駅が在った所です。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址01


実は、この旧・真壁駅の構内に茨城百景の碑が建っています。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址02


こちらが、茨城百景の碑。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址03


      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址04

昭和25年に制定された茨城百景では
『伝正寺と加波足尾』の筈?
こちらの碑は『伝正寺と真壁城址』になっている。

いつから変わったんだろう(笑)。


真壁休憩所は、真壁駅の面影を残しています。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址05


      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址06



では、茨城百景を巡りましょう。
本来の『茨城百景 伝正寺と加波足尾』だと包括地区が
真壁城址,加波山神社となっています。


まずは、伝正寺。

伝正寺は、「どっこい真壁の伝正寺」で知られているそうですが
全く知らなかった...............。
1268年、真壁城主・真壁時幹が法心禅師(真壁平四郎)のために建てた寺だそうです。
初代真壁藩主・浅野長政の菩提寺としても有名で、
境内には長政夫妻の墓や浅野本家最後の城主・長勲夫妻の石像があるそうです。


ところが、伝正寺に来てびっくり⁉️。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址07

参道には通行止めの看板。


山門は朽ち果て、雑草が茂り荒廃している。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址08


別な導線があるのかと、回りこんでみると
今度はこんな看板。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址09

どうやら、東日本大震災でかなりのダメージを受けたようです。

とは言っても、あれからもうすぐ6年が経つ。
まだ復旧作業をしているの? と思いながら敷地内に入ってみると...............

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址10



確かに本堂や鐘楼は工事中。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址11

境内には大小様々な石碑類が横倒しになっていました。
まだまだ復旧作業が完了するには時間が必要なようです。



伝正寺は諦め、真壁城址に移動しましょう。


真壁城址は以前訪れたことがあります。
前回はじっくり探索したので、今回は主郭(本丸)周辺をさらっと回ってみます。


二の丸にある真壁城址の看板。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址12


      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址13


この日は風が強かった。

元々、筑波の山から吹きさらす風が強いのか?
いつになく、 びいすけ の耳が揺れています。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址14



加波山をバックに一枚。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址15


二の丸の土塁と空堀。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址16




本丸にて。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址17


説明板の縄張り図。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址18


本丸には二基の城址碑。

こちらは古い方の城址碑。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址19

『真壁城址』と刻まれています。


こちらは、平成6年に建てられた新しい城址碑。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址20

こちらには『真壁城跡』と刻まれています。
実は、この年(平成6年)に真壁城は国指定史跡に登録されました。
その記念に新たに建てられたのでしょう。



本丸と二の丸に架かる土橋。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址21



そして、本丸の土塁。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址22


確か、前回訪れたのが2013年。
今から5年前。
あの当時も発掘調査と史跡公園整備事業が進められていたけれど
未だに調査は終わっていないようです。

伝正寺の復旧作業と言い、真壁城址の発掘調査と言い
果たして何年も掛けて行うものなんだろうか?

ひょっとしたら地域性なのかな?などと思いながらも
茨城百景『伝正寺と真壁城址』(?)これにて制覇です。




2017/03/06 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 岡堰 》   (2017年1月31日)(茨城県取手市) 

1月31日  公休日

この日は、廃校巡りに茨城県の取手市に出かけました。

廃校巡りのついでに、城址巡りや茨城百景巡りもしたりして...............。


岡城址からほど近い小貝川。
この小貝川に茨城百景があると言うことで
訪れたのは...............茨城百景 岡堰



岡堰は、江戸時代幕府が成立し、
寛永年間(1624〜1644)に関東郡代となった伊奈半十郎忠治は、
洪水を防ぐために鬼怒川と小貝川を分離しました。
そして現在の取手市戸田井付近の台地を切り開き、
利根川と合流する今のような流路が出来上がりました。
河川の改修事業は、利根川を銚子沖に付け替える東遷事業の一環として行われたもので、
小貝川は鬼怒川と切り離されることで、川筋が一定になります。
そして、寛永7年(1630)に設けられたのが岡堰です。
作られた堰は、水田に水を供給する農業用水路に生まれ変わりました。

岡堰は、上流の福岡堰、下流の豊田堰と共に、関東の三大堰の一つとされています。


岡台地の岡神社(岡城址)から歩いて小貝川の堤防に着きました。

      20170131岡堰01


堤防にどぉ〜んどお建っている茨城百景の碑。

      20170131岡堰02


『 茨城百景 岡堰 』の碑です。

      20170131岡堰03

以前は堤防の入口、民家に脇に建っていたようですが
現在は、堤防の上に移設されたようです。



百景の碑の前には小貝川。

      20170131岡堰06


      20170131岡堰04


中洲に見えるのが、旧・岡堰。

      20170131岡堰05


茨城百景が制定された昭和25年には、まだこちらの岡堰が活用されていましたが
平成8年に新・岡堰が完成し、旧・岡堰はほとんどが解体されてしまいました。    

旧・岡堰があった中ノ島には、岡堰の一部が残されています。

      20170131岡堰07

現在は中ノ島公園となっている中ノ島。
以前は、農暇期の小貝川の水量が少ない時期にしか渡ることが出来ませんでしたが
現在は中ノ島へ渡る橋も出来、簡単に渡ることが出来るようになりました。


旧・岡堰を別アングルから。

      20170131岡堰08


岡堰の一部。
煉瓦が時代を感じさせます。

      20170131岡堰09


中ノ島から眺める小貝川。

      20170131岡堰10


      20170131岡堰11

これこそが、茨城百景なんですね。



こちらが、平成8年に完成した新・岡堰。

      20170131岡堰17


      20170131岡堰12



中ノ島公園には、こんな像があります。

      20170131岡堰13


間宮林蔵の像。

      20170131岡堰14

対岸の旧・伊奈町が間宮林蔵の生まれ育った地。
旧・伊奈町(現在のつくばみらい市)には、間宮林蔵の生家や墓もあるそうです。


こちらは、『間宮倫宗先生發祥地』の碑。

      20170131岡堰15

正確には対岸の町なんだけどね(笑)。

ちなみに倫宗(ともむね)は本名で、林蔵は通称らしい。
でも、通称の『間宮林蔵』の方が一般的ですねー。



中ノ島公園の芝生広場。
何となく嫌な予感はしていたんですが...............

      20170131岡堰16

やっぱり、芝生でローリング。

どうせなら、枯れ芝生の時期じゃなくて
青々とした芝生の上でローリングして欲しいなぁ。

っていうことは、芝生も青々とする時期に
また来ないといけないなぁ................




 



2017/03/01 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 大利根の展望② 》   (2017年1月31日)(茨城県取手市) 

1月31日  公休日

この日は、取手市の廃校巡りに出かけました。


取手市の小文間地区にある小文間小学校をあとにして
次なる廃校に向おうとしていましたが、
小文間公民館の前で、こんな地図を見かけました。

      20170131利根川の眺望②01

『 昔・今 小文間街道マップ 』

小文間地区の名所等が記されている地図です。


その地図に 旧・茨城百景、茨城百景 の記載がある。

『こんな所に茨城百景ってあったっけ?』

素朴な疑問が頭をよぎります。
もし本当に茨城百景ならば、素通りは出来ません。
と言うことで地図の案内を頼りに、その茨城百景なる場所に向かってみました。


県道11号線の馬坂近くに、茨城百景があります。

      20170131利根川の眺望②02


こちらが、その茨城百景の碑。

      20170131利根川の眺望②03



碑には『 茨城百景 大利根の展望 』と刻まれています。

      20170131利根川の眺望②04

あれっ?
『 茨城百景 大利根の展望 』って、確か利根町の布川にある徳満寺の境内に碑がなかったっけ?


よ〜く考えてみたら、茨城百景って包括地区があるから
こちらの茨城百景は包括地区の面足神社からの利根川の展望のようです。
涸沼の時も茨城百景の碑は2ヶ所に在ったから
この場所に在ってもおかしくはない。


この階段を上がっていけば、面足神社。

      20170131利根川の眺望②05

ここまで来て、その展望を確認しないわけにはいきません。


テンポ良く、階段を上がって行く びいすけ 。

      20170131利根川の眺望②06



面足神社の鳥居脇が拓けていて、展望が利く。
ここが 茨城百景 大利根の展望 です。

      20170131利根川の眺望②07



こちらが、面足神社の鳥居。

      20170131利根川の眺望②08


鳥居に掲げられた神額。

      20170131利根川の眺望②09


鳥居脇には、利根川や印旛沼に近い集落に多い庚申塔と二十三夜塔。

      20170131利根川の眺望②10



面足神社の参道。
正面が面足神社の拝殿。

      20170131利根川の眺望②11



こちらが、拝殿。

      20170131利根川の眺望②12



拝殿に掲げられた神額。

      20170131利根川の眺望②13



拝殿脇にも庚申塔や二十三夜塔。

      20170131利根川の眺望②14



鳥居から県道へと続く未舗装の道には、こんな説明板。

      20170131利根川の眺望②16

説明板によれば、面足神社は通称『大六天』と呼ばれていたらしい。
確かに大六天は茨城百景の包括地区になっている。

      20170131利根川の眺望②17




この辺りが、旧・茨城百景の地。

      20170131利根川の眺望②18

県道が拡張された時に、ひょっとしたら百景の碑を移転したのかな?


確かに木々が邪魔して、利根川の眺望は今一歩。

      20170131利根川の眺望②19



思いもしない場所で、偶然見つけた『茨城百景』と百景の碑。
なんか、すごく得した気分です。




2017/02/25 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 水の里安中 》   (2016年11月12日)(茨城県稲敷郡美浦村) 

11月12日  公休日

この日は、茨城県の行方市周辺の茨城百景巡りに出かけました。


茨城百景とは、茨城県観光審議会によって昭和25年に選出された
茨城有数の景勝地が100ヶ所網羅されています。
時代の移り変わりにより、形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。
ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。

実は、私もその一人であり、最近になって茨城百景を追いかけることにいたしました。


そんな訳で、向かった先は...............茨城百景 水の里 安中


こちらの茨城百景の碑は、事前にネットで調べていたら、
安中地区多目的研修センターの門近くに在ると言う事なので
安中地区多目的研修センターを目指します。


安中地区多目的研修センターに到着。

      20161112茨城百景 水の里安中01

画面中央、研修センターの敷地斜面に石碑が見えます。



近寄ってみましょう。

      20161112茨城百景 水の里安中02



石碑の下部は草に覆われていますが、
『 茨城百景 水の里安中 』の碑です。

      20161112茨城百景 水の里安中03


      20161112茨城百景 水の里安中04


水の里と言う事だが、この辺りは一面の田園風景が広がる長閑な所。

      20161112茨城百景 水の里安中08

さほど霞ケ浦から離れていないから、この辺りも干拓された地なのだろうか?


それよりも気になったのは、安中地区多目的研修センター。

      20161112茨城百景 水の里安中05

入口の門構えが、まるで学校跡のようにも見える。


門柱もそれっぽく見えなくもない。

      20161112茨城百景 水の里安中06



研修センターの奥に建っているシルバー人材センターの建物は
校舎のようにも見えなくもない。

      20161112茨城百景 水の里安中07

この日は、土曜日でシルバー人材センターも休み。
研修センターにも誰も人が居なくて確認出来ず、詳細は不明。
敷地内をぐるっと見て回ったけど、廃校遺構らしきモノは無いから
気のせいかなぁ...............?



研修センターの敷地の斜面には、2つの祠。      

      20161112茨城百景 水の里安中09


      20161112茨城百景 水の里安中10

地域の信仰の対象だったようです。



百景の碑の近くは、コレと言ったモノ、見処は無さそうです。


茨城百景は包括地でもあるから、水の里安中の包括地
(丈六薬師,陸平の貝塚,馬掛一斗落,馬掛不動尊,
不動浦,大山弁天の鼻,弁天山)の中から
馬掛不動尊に行ってみることにしました。

しかし、この馬掛不動尊の場所がよく分からない。

自転車に乗っていた老人に場所を聞いて、何とか辿り着きます。


この石段を上った先に馬掛不動尊はあるらしい。

      20161112茨城百景 水の里安中11


石段手前に碑が在りました。

      20161112茨城百景 水の里安中12


良く見ると...............

『茨城四十五景 馬掛不動尊』 の碑でした。

      20161112茨城百景 水の里安中13

この地は、茨城百景の包括地であるけれど
茨城四十五景の地でもあるんですね。


石段を元気良く駆け上がる びいすけ 。

      20161112茨城百景 水の里安中14


石段を上った先には、お堂が在ります。

      20161112茨城百景 水の里安中15



これが馬掛不動尊。

      20161112茨城百景 水の里安中16


      20161112茨城百景 水の里安中17



馬掛不動尊の背後の山(台地)は、馬掛城址らしい。
確かに、お堂の脇から台地に上って行く登城路らしきものがあるけれど
奥は薮状態で、中に入って行く気にはなれない。

      20161112茨城百景 水の里安中18


馬掛不動尊の在る場所は高台だから、霞ケ浦の眺望が良い筈なんですが
残念ながら繁った木々が邪魔をして、霞ケ浦を望めない。


仕方がないので、台地を下り、霞ケ浦の湖畔へと向かいます。

時刻も陽が陰り出す頃になり、馬掛不動尊の台地が陽を遮り
若干、暗めの画像ですが...............

霞ケ浦の湖畔。

      20161112茨城百景 水の里安中19


      20161112茨城百景 水の里安中20


      20161112茨城百景 水の里安中21


これが、私 と びいすけ にとって水の里になるのかな?

『茨城百景 水の里安中』、これにて制覇といたしましょう。




2016/12/04 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 古渡の湖畔 》   (2016年11月12日)(茨城県稲敷市) 

11月12日 公休日

この日は、茨城県の霞ケ浦周辺の茨城百景巡りに出かけました。


茨城百景とは、茨城県観光審議会によって昭和25年に選出された
茨城有数の景勝地が100ヶ所網羅されています。
時代の移り変わりにより、形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。
ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。

実は、私もその一人であり、最近になって茨城百景を追いかけることにいたしました。


そんな訳で、向かった先は...............茨城百景 古渡の湖畔


古くは古渡村。
その後、桜川村になり、平成の大合併で稲敷市の古渡になった古渡地区。

実は、古渡に来るのは、これで2回目。
以前は、古渡城址に訪れて( その時の記事は こちら )
茨城百景の碑は確認済み。
迷わずに百景の碑に辿り着けました。

      20161112茨城百景 古渡の湖畔01


      20161112茨城百景 古渡の湖畔02



茨城百景の碑の在る辺りは、旧・R125沿い。

      20161112茨城百景 古渡の湖畔03

小野川を渡る新しいバイパスと橋(新古渡橋)が出来て
車はバイパスを通ってしまうけれど
古くからの民家が立ち並ぶ地区です。


近年建て替えられた古渡橋。

      20161112茨城百景 古渡の湖畔04

この橋を境界線にして、上流(画面左側)が小野川。
下流(画面右側)が霞ケ浦となります。



真新しい橋なのに、心無い盗人にプレートは剥がされています。

      20161112茨城百景 古渡の湖畔05

3年前にはあったのになぁ。

上流の小野川域を眺めてみましょう。

      20161112茨城百景 古渡の湖畔06



太陽が小野川の水面に反射してちょっぴり眩しい。

      20161112茨城百景 古渡の湖畔07



こちらが、霞ケ浦に流れ込む小野川。

      20161112茨城百景 古渡の湖畔08



流れはゆっくりとしています。

      20161112茨城百景 古渡の湖畔09



古渡橋の下流域、霞ケ浦の方へと足を向けてみます。

      20161112茨城百景 古渡の湖畔10


      20161112茨城百景 古渡の湖畔11



3年前は、ほとんど車が通らなかったけれど
それなりにこの橋を渡る車があるようです。

      20161112茨城百景 古渡の湖畔12



午前中に曇っていた空も青い空に変わっている。

      20161112茨城百景 古渡の湖畔13



穏やかな霞ケ浦。

      20161112茨城百景 古渡の湖畔14


冬ともなれば、湖畔を吹きさらす風も冷たく感じるでしょう。

      20161112茨城百景 古渡の湖畔15


      20161112茨城百景 古渡の湖畔16


長閑な霞ケ浦の湖畔。
古渡の湖畔でした...............。




2016/12/03 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 夢の浮島 》   (2016年11月12日)(茨城県稲敷市) 

11月12日  公休日

この日は、茨城県の行方市周辺、及び霞ケ浦周辺の茨城百景巡りに出かけました。


茨城百景とは、茨城県観光審議会によって昭和25年に選出された
茨城有数の景勝地が100ヶ所網羅されています。
時代の移り変わりにより、形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。
ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。

実は、私もその一人であり、最近になって茨城百景を追いかけることにいたしました。


そんな訳で、舞台を稲敷市に移し向かった先は...............茨城百景 夢の浮島


浮島は古くから霞ヶ浦の中に浮かぶ島だったことから
『浮島』と呼ばれるようになりました。
しかし、霞ケ浦沿岸の干拓によりいつしか陸続きになりました。
霞ケ浦の南東、和田岬から妙岐の鼻(浮島湿原)辺りまでを『浮島』と称していたようです。
和田岬の先端には和田公園があり、手軽にデイキャンプが出来ます。
( 和田公園の記事は こちら

また、妙岐の鼻は浮島の外れにあり、
どこまでも続く湿原は野鳥の宝庫で、
バードウオッチングのメッカとなっています。
( 妙岐の鼻の記事は こちら

確か、和田公園の駐車場近くに『浮島』の立派な看板があったので、
百景の碑も近くにあるんじゃないかと思い、和田公園に向かいます。


こちらが、和田公園駐車場隣の『浮島』の看板。

      20161112茨城百景 夢の浮島01

周辺を探して見ますが、百景の碑は見つかりません。



せっかくだから、和田公園周辺を散策してみましょう。

      20161112茨城百景 夢の浮島02


      20161112茨城百景 夢の浮島03



霞ケ浦沿いの道。

      20161112茨城百景 夢の浮島04



一見、サイクリングロードのように見えるけれど
車も通れる市道。
車に気をつけて歩きましょう。

      20161112茨城百景 夢の浮島05


霞ケ浦の湖畔には野鳥も多い。
杭に珍しい野鳥が止まっていると思ったら...............

      20161112茨城百景 夢の浮島06

黒いビニールでした。(笑)




霞ケ浦の湖畔の景観を眺めながら、和田公園周辺をぐるっと周ってみます。

      20161112茨城百景 夢の浮島07


      20161112茨城百景 夢の浮島08


      20161112茨城百景 夢の浮島09


      20161112茨城百景 夢の浮島10


      20161112茨城百景 夢の浮島11


      20161112茨城百景 夢の浮島12


      20161112茨城百景 夢の浮島13


      20161112茨城百景 夢の浮島14




こちらには、『浮島公園』の看板。

      20161112茨城百景 夢の浮島15


      20161112茨城百景 夢の浮島16

でも、ここは『和田公園』の一画。外周路になります。
この『浮島公園』って間違いじゃないの?



和田公園の中に、1頭のワンちゃんが、こちらを窺っています。

      20161112茨城百景 夢の浮島17



よく見ると、首輪が付いていない。

      20161112茨城百景 夢の浮島18

野良犬?


こちらを窺いながら、少しづつ近寄って来ますが
こちらが近寄っていくと逃げて行きます。
何回か近寄ってみたんですが、繰り返し。

どんな経緯があって野良犬(?)になってしまったかは判らないけれど
保護されて、しっかりとした里親に引き取られる事を願うばかりです。



野良犬(?)くんとは逆の方向へと歩く びいすけ 。

      20161112茨城百景 夢の浮島19



見つからない百景の碑も気になりますが
先ほどの野良犬くんも気になるけど、どうする事も出来ない。

      20161112茨城百景 夢の浮島20

元気で生き延びてくれ! と心の中で思うしかない。


ちょっぴり、足取りも重くなっちゃったから
駐車場に戻りましょう。

      20161112茨城百景 夢の浮島21





しかしながら、探している茨城百景の碑が見つかりません。



iPhoneの登場です。

茨城百景の碑を追いかけている方々のブログをチェックしてみると
やはり、多くの人が和田公園近くを探して見つけられなくて挫折しているようです。

数少ない情報の中から、旧桜川村役場から県道に向かう途中に在ると判り、
旧・桜川村役場(現・稲敷市役所桜川支所)周辺を車で走り回ります。


集落の手前で、何やら石碑っぽいモノを発見。

      20161112茨城百景 夢の浮島22



探していた、『茨城百景 夢の浮島』の碑です。

      20161112茨城百景 夢の浮島23



何とか見つける事が出来ました。

びいすけ と百景の碑。

      20161112茨城百景 夢の浮島24




しかし、現在の浮島の代名詞である『和田公園』から約3.5kmの距離。
これじゃあ、なかなか見つかりません。

      20161112茨城百景 夢の浮島25



確かに浮島は干拓されて陸続きになったと言う事ですが
裏を返せば、茨城百景制定時の昭和25年とか26年では
この辺りは霞ケ浦の畔りだったと言う事なんだろうか?

      20161112茨城百景 夢の浮島26



百景の碑の建つ台地の脇を小さな川が流れているけれど
その川は霞ケ浦の湖畔の名残りなんだろうか...............?

      20161112茨城百景 夢の浮島27



川沿いの遊歩道。
ここもひょっとしたら霞ケ浦の湖面だったかも知れない。

      20161112茨城百景 夢の浮島28


そんな事を思いながら、川沿いの遊歩道を歩いていると
時代の流れを改めて痛感してしまいます。






2016/12/02 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 水郷麻生 》   (2016年11月12日)(茨城県行方市) 

11月12日  公休日

この日は、茨城県の行方市、及び霞ケ浦周辺の茨城百景巡りに出かけました。


茨城百景とは、茨城県観光審議会によって昭和25年に選出された
茨城有数の景勝地が100ヶ所網羅されています。
時代の移り変わりにより、形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。
ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。

実は、私もその一人であり、最近になって茨城百景を追いかけることにいたしました。

そんな訳で、西蓮寺をあとにして向かった先は...............茨城百景 水郷麻生



『茨城百景 水郷麻生』の碑は、
霞ケ浦湖畔の八坂神社の境内に在るとの事なので
八坂神社を目指します。

こちらが八坂神社。

       20161112茨城百景 水郷麻生01


湖畔にある神社で敷地はさほど広くはない。
1612年に麻生藩主となった新庄氏が、
麻生藩の総鎮守として建立したと言われています。

       20161112茨城百景 水郷麻生04




しかしながら、この八坂神社は全国的にも珍しい祭りで有名らしい。
『麻生祗園馬出し祭』と呼ばれる祭りは、行方市の無形文化財に指定されているようです。

       20161112茨城百景 水郷麻生02



八坂神社の境内で馬と神輿が勇ましい戦いを繰り広げた後、
神輿が霞ヶ浦の中で揉まれると言う祭りらしい。

この狭い境内を馬と神輿が絡まると言うのか?

       20161112茨城百景 水郷麻生03

確かに細長い境内は、馬が走るには都合が良い。

       


境内の一画に建つ『茨城百景』の碑。

       20161112茨城百景 水郷麻生05


       20161112茨城百景 水郷麻生06



百景の碑のすぐは近くに建つ碑。

       20161112茨城百景 水郷麻生07

『茨城45景當選記念塔』と刻まれています。


この八坂神社の在る地は『茨城百景』でありますが
『茨城45景』の地でもあるようです。

ちなみに『茨城45景』とは、
昭和10年に茨城新聞社が創立45周年を記念して行った事業で、
県民投票によって選ばれた45カ所の景勝地と言うことらしい。
昭和10年って、今から80年以上も前の話。


80年前と変わっていないんだろうか?

       20161112茨城百景 水郷麻生08



麻生の地の霞ケ浦の湖畔を大王崎と言うらしい。

       20161112茨城百景 水郷麻生09

そもそも、『麻生祇園馬出し祭り』では馬をヤマタノオロチ、
神輿をスサノオに見立てていると言われています。
八坂神社の祭神は須佐之男命(スサノオノミコト)であることから
馬と神輿が戦うことによってヤマタノオロチとスサノオの戦いを表しているとされています。

しかし、元々は八坂神社の祭神は牛頭天王と呼ばれる祭神でしたが
明治政府の神仏分離令により、牛頭天王の『天王』が天皇と同じ読みのため、
スサノオが八坂神社の祭神となったと言うことらしい。
そして、八坂神社が鎮座する地名を牛頭天王から天王崎と呼ぶようになったらしい。



拝殿前にて。

       20161112茨城百景 水郷麻生10


こちらが拝殿。

       20161112茨城百景 水郷麻生11



八坂神社に因んだもう一つの指定文化財。
獅子頭の標柱。

       20161112茨城百景 水郷麻生12

『麻生祇園馬出し祭り』では、昭和20年頃まで、船材の厚板で船大工が頑丈に作った神輿に
獅子頭を奉収して、しめ縄を幾重にも巻き付けました。
御幣を先頭に、子供たちが神輿を担ぎ、家々の庭先で荒々しく叩きつけ、
家庭から疫病を防ぎ、災厄を免れるよう雄叫びをあげて走ったそうです。
毎年、これを繰り返し、獅子の下顎と両耳は欠落しまったそうです。

今では『麻生祇園馬出し祭り』の際に拝殿に飾られるそうです。



麻生八坂神社の境内には句碑が多い。

      20161112茨城百景 水郷麻生13


      20161112茨城百景 水郷麻生14


      20161112茨城百景 水郷麻生15




霞ケ浦の湖畔に隣接しているから
八坂神社からサイクリングロードを挟んで、すぐに湖畔なります。

      20161112茨城百景 水郷麻生16




かつては、湖水浴場だった浜辺。

      20161112茨城百景 水郷麻生17

この景観が茨城百景に選定されたんでしょうね


そして、『麻生祇園馬出し祭り』では、
この浜辺に神輿が揉まれているそうです。

      20161112茨城百景 水郷麻生18


      20161112茨城百景 水郷麻生19


機会があったら、『麻生祇園馬出し祭り』も見に来れたらいいなぁ。



2016/11/30 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 西連寺 》   (2016年11月12日)(茨城県行方市) 

11月12日  公休日

この日は、茨城県の行方市周辺の茨城百景巡りに出かけました。


茨城百景とは、茨城県観光審議会によって昭和25年に選出された
茨城有数の景勝地が100ヶ所網羅されています。
時代の移り変わりにより、形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。
ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。

実は、私もその一人であり、最近になって茨城百景を追いかけることにいたしました。

そんな訳で、向かった先は...............茨城百景 西蓮寺



西蓮寺は、延暦元年(782年)に創建と伝えらる古刹で、天台宗の寺院です。
山号は尸羅慶台上山。
院号は曼珠院。
本尊は薬師如来。

西蓮寺は、数多くの文化財を持っています。
その一つである仁王門は、天文12年(1543年)建立されたものです。
当初は楼門として造られ、寛政2年(1790年)山門に造り替えられ、
更には、再び仁王門に改められて現在に至っているそうです。

また、西蓮寺の大銀杏は茨城県の指定天然記念物に指定されていて、
樹齢1,000年といわれる大木です。
秋の黄葉は見応えがあり、境内が銀杏の黄葉で覆われ、
多くの人がその黄金色の絨毯を眺めに来るそうです。

そして、西蓮寺のもう一つの重要文化財は相輪橖です。
比叡山延暦寺の相輪橖、日光輪王寺の相輪橖、そして西蓮寺の相輪橖が
日本三相輪橖と呼ばれているそうです。



本堂裏の駐車場に車を停めて西蓮寺に向かいます。

      20161112茨城百景 西連寺01




この先が本堂。

      20161112茨城百景 西連寺03



こちらが、本堂。

      20161112茨城百景 西連寺04


本堂に掲げられた扁額。

      20161112茨城百景 西連寺05

院号の『曼殊院』。



なぜか、七福神の幟。

      20161112茨城百景 西連寺02

どうやら常陸七福神と言うモノがあり、その内の一つらしい。




境内でひときわ目を張る大銀杏。

      20161112茨城百景 西連寺07

黄葉の時期にはまだ早く、完全な緑色の世界。
半月以上早かったか...............?



実は大銀杏早かったか1本だけじゃなく、2本在る。

      20161112茨城百景 西連寺06

前掲の大銀杏は2号。
      


そして、こちらが1号。

      20161112茨城百景 西連寺08

いずれにしても、推定樹齢約1000年と言うからとにかくデカい。


大銀杏の脇には鐘楼。

      20161112茨城百景 西連寺09

これがまた、いい雰囲気。



大銀杏と鐘楼がマッチング。

      20161112茨城百景 西連寺10

これで大銀杏が色付いていれば最高ですね。




こちらは、常行堂

      20161112茨城百景 西連寺11

西蓮寺では、伝統行事である常行三昧会が9月24日~30日に執り行われます。
寛治年間(1087~94)に地元の長者が比叡山より移したものとされ、
西蓮寺の末寺、門徒寺の僧侶が常行堂に集まり、7日7夜にわたって堂内を廻りながら
独特の節回しで立行誦経する大法要です。
『常陸高野』と呼ばれるように、この法要は『仏立て』と言われ、
宗旨の別もなく、近郷近在はもとより遠隔地から新仏の供養に参詣人が訪れるそうです。






こちらは、薬師堂。

      20161112茨城百景 西連寺14

西蓮寺の本尊である薬師如来の説明板

      20161112茨城百景 西連寺12


薬師如来は奥の収納庫に安置されているらしい。

      20161112茨城百景 西連寺13


      



国指定重要文化財の相輪橖。

      20161112茨城百景 西連寺15


ソウリンの説明板。

      20161112茨城百景 西連寺16

相輪橖は元寇(弘安の役)の戦勝を祈念して、
弘安十年(1287)に建立したものとして伝えられているそうです。




こちらは、西蓮寺の説明板(案内板)

      20161112茨城百景 西連寺17



説明板の正面が山百合の里の入口。

      20161112茨城百景 西連寺18

山全体に自生する山百合が7月の中旬~下旬に咲くらしい。
今回は時季外れなのでパスしましょう。

また、9月下旬には約10万本の彼岸花が見頃となるらしい。
これは、来年の見頃の時期は要チェックですね。


背後のスダジイ(?)

      20161112茨城百景 西連寺25

幹が折れちゃっているけど、これもかなりの古木だったはず。



こちらが国指定重要文化財の仁王門。

      20161112茨城百景 西連寺19


      20161112茨城百景 西連寺20



正面から眺めると、それなりの風格があります。

      20161112茨城百景 西連寺21



仁王門に掲げられた扁額。

      20161112茨城百景 西連寺22

カスれた文字が長い年月を感じさせてくれます。


仁王門の脇に建つ石碑。

      20161112茨城百景 西連寺23

てっきり『茨城百景』の碑かと思ったら違っていました。



茨城百景の碑を探していると、
仁王門前の売店(?)には、こんなモノが...............

      20161112茨城百景 西連寺24

確かに西蓮寺は七福神の一つらしいが、確か『寿老人』のはず?
これって、『大黒天』だし(笑)。



さらに、仁王門の先の参道を歩いていると石碑を発見!

      20161112茨城百景 西連寺29

でもこれも探している『茨城百景』の碑ではない。
なかなか、茨城百景の碑は見つかりません。



諦めて移動をしていると、西蓮寺の仁王門から距離にして1kmほど。
西蓮寺から下って来て、県道183号との合流点近く。

画面の真ん中辺りに石碑が見えます。

      20161112茨城百景 西連寺26



探していた『茨城百景 西蓮寺』の碑。

      20161112茨城百景 西連寺27


      20161112茨城百景 西連寺28


さすがに、こんな場所にあるとは思いませんでした。
なぜ、西蓮寺の敷地内とか、参道入口に建てなかったんだろう...............?


石碑の隣は、廃路線になったバス停だから
バスを使って西蓮寺に訪れる人に
分かりやすいようにしていたのだろうか...............?

ちょっぴり疑問です。






2016/11/29 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 高須崎の一本松 》   (2016年11月12日)(茨城県行方市) 

11月12日  公休日

この日は、茨城県の行方市周辺並びに霞ケ浦周辺の茨城百景巡りに出かけました。


茨城百景とは、茨城県観光審議会によって昭和25年に選出された
茨城有数の景勝地が100ヶ所網羅されています。
時代の移り変わりにより、形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。
ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。

実は、私もその一人であり、最近になって茨城百景を追いかけることにいたしました。


そんな訳で、向かった先は...............茨城百景 高須崎の一本松



霞ケ浦の湖畔近くに、『 茨城百景 高須崎の一本松 』はありました。

ヤフーマップにも載っているし、近くに行けば案内板もあるので
迷うことなく、辿りつけます。

こちらが、高須崎の一本松。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉01


こちらが説明板。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉02




実は、これは2代目の松。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉03

全国で有名な松の巨木、古木が被害に遭って枯れてしまったように
ここ、高須崎の一本松も松食い虫の被害に遭い、枯れてしまいました。

そもそも高須崎の一本松は、関東の二大銘木と言われたそうです。
ちなみにもう一つの銘木は鎌倉の鶴岡八幡宮の大銀杏だそうです。
天に昇るといわれる竜が湖岸で水を呑んでいるような樹相が素晴らしく、
多くの歴史の偉人たちに愛されたのが高須崎の一本松でした。
昭和27年に茨城県天然記念物に指定されましたが、
昭和51年に松食虫に被害を受けて枯渇してしまい、
昭和55年に県文化財の指定を解除されてしまいました。
樹齢900年、根元周り8m、樹高約7m、東西南北23mあったと記録され
大変、立派な松だったようです。

昭和58年に高須の一本松の根元に生えていた二代目と、
高須地区の松ぼっくりを集めて育てて、
初代の形状に似た二股の苗木が植樹されたそうです。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉06




高須崎の一本松は、
歴史上の偉人(?)との接点と言うか、逸話が多い。


その昔、源義家が永承6(1051)年の前九年の役で陸奥の豪族阿部氏の平定に向かう途中、
鹿島神宮に戦勝祈願をするために霞ヶ浦を渡る時に暴風雨に遭い、
高須崎で足留めを食らってしまいました。
その時に義家が歌を詠んだところ、不思議と暴風雨がやみ、
波間に1本の小松が漂っていたものを植樹したものが、
後の『高須崎の一本松』だと言われています。

その時に詠んだと言われているのが...............

『ちはやぶる 鹿島の神の 授け松
なほ 万代も 君は栄えん』

源義家は、別名を八幡太郎義家と呼び、
河内源氏の流れを汲み、源頼朝の祖先にあたります。



そして、水戸藩2代目藩主である水戸光圀。
(水戸の黄門様の方が有名ですが...............)
光圀公は領内巡視の際にこの地に立ち寄りました。
一本松の雄大な姿にいたく感動したらしく、
この巡視以降、松の世話をする松守を置いて、
毎年水戸藩より松の肥料代を出していたと言われています。


さらには、水戸藩九代藩主、徳川斉昭がこの地に立ち寄り
やはり、この高須崎の一本松をいたく気に入り、
『この松を手入れして大事にしなさい』と三十両を出したと言われています。
斉昭公は、領内を巡視し水戸八景を選定して若い藩士の教育の為に
八景の地を歩かせて藩の状況などを知らしめようとしたりと、水戸藩の名藩主でありました。




石碑も幾つかあります。
 
『高須崎古松碑』と刻まれた石碑。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉04



こちらの石碑は徳川光圀と徳川斉昭が詠んだ和歌が刻まれた歌碑。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉05

『高須崎 波にゆらるる一ツ松
さぞや山路の 恋しかるらん 』
(水戸藩二代藩主 徳川光圀の和歌)

『つたえ聞く 何も高須の一つ松
波にこえぬる 緑みすらし 』
(水戸藩九代藩主 徳川斉昭の和歌)




車が通れる道からは、こんな感じ。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉07



茨城百景の碑は、フェンス沿いに建っています。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉09




『 茨城百景 高須崎の一本松 』の碑。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉08

車で来た場合、最初に視界に入ってくるから見つけやすい。



  
最奥にあるのが、こちら。
高須の一本松と勘違いする『いろはもみじ』

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉10

木の前に石碑が建っているから勘違いしやすいらしい。
実は、私もその1人(笑)。



この石碑は徳川斉昭がポンと出した三十両の一部で建てられたらしい。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉11


      20161112茨城百景 高須崎の一本杉12


敷地そのものは広くなく、
そして主役であるはずの一本松は、
とうの昔に枯れてしまったけれど、
この高須崎には、思いもよらぬ逸話が後世に残されているようです...............。




2016/11/28 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 歩崎 》   (2016年11月12日)(茨城県かすみがうら市) 

11月12日 公休日

この日は、茨城県の行方市周辺の茨城百景巡りに出かけました。


茨城百景とは、茨城県観光審議会によって昭和25年に選出された
茨城有数の景勝地が100ヶ所網羅されています。
時代の移り変わりにより、形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。
ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。

実は、私もその一人であり、最近になって茨城百景を追いかけることにいたしました。


そんな訳で、向かった先は..............茨城百景 歩崎


歩崎は、かすみがうら市に在りますが、行方市とは霞ケ浦の対岸。
霞ケ浦大橋を渡ればあっと言う間に到着します。
実は、何年か前に『歩崎』に来た事があり、( その時の記事は こちら
その時に『茨城百景』の碑も確認しているから
碑のある場所には迷わずに行けるはず。

そもそも出島半島突端部の、歩崎という呼称は
三又沖を航行中の船が暴風によって沈没寸前になった時、
船主が大声で「南無観世音菩薩」と唱えると観音様が水上を歩き、
船を近くの崎に無事着岸させたという伝説に因みます。
以来、人々は、「観音様が歩いて着いた崎」いうことから
この地を歩崎と呼ぶようになったそうです。




歩崎森林公園の駐車場にクルマを停め、隣接する歩崎観音へ向かいます。

この辺りは、ハイキングコースになっているようで、案内板も完備。

      20161112茨城百景 歩崎01



北参道から歩崎観音に入って行きましょう。

      20161112茨城百景 歩崎02


この先が歩崎観音。

      20161112茨城百景 歩崎03



北参道は、本堂の裏手から境内に入る形になっています。

      20161112茨城百景 歩崎04


こちらが、本堂。

      20161112茨城百景 歩崎05



本堂に掲げられた扁額。

      20161112茨城百景 歩崎06



こちらが鐘楼。

      20161112茨城百景 歩崎07



そして、仁王門。

      20161112茨城百景 歩崎08

歩崎観音はお世辞にも広いとは言えない境内に
コンパクトに配置されています。




境内と言って良いのか?
仁王門前の敷地に在る、映画『米』の記念碑。

      20161112茨城百景 歩崎09

映画『米』は、昭和32年3月に公開された日本映画で、
封建的な因習の残る農村の人間たちの生活を、
霞ヶ浦の美しい田園風景と共に描いた、今井正監督のカラー映画です。
因みに第31回キネマ旬報の第1位を受賞した作品です。

残念ながら私は未だに観ていませんが...............。



『米』記念碑の脇には、急な石段。
こちらは、正面参道のようです。

      20161112茨城百景 歩崎10

見るからに登るのが大変そうです。



仁王門前の敷地内の一角に建つ『茨城百景 歩崎』の碑。

      20161112茨城百景 歩崎11


      20161112茨城百景 歩崎12



碑のある場所の奥は、ちょっぴり高台になっていて
四阿もあり、展望台になっています。

      20161112茨城百景 歩崎13



百景の碑の近くに建つ説明板。

      20161112茨城百景 歩崎14

歩崎は、茨城県指定の名勝。
茨城県が指定している名勝は5ヶ所しかなく
その内の一つです。



展望台から眺める霞ケ浦。

      20161112茨城百景 歩崎15


      20161112茨城百景 歩崎16

確かに、風光明媚な景色です。



逆光だから、暗くて見づらいですが...............

霞ケ浦をバックに びいすけ をパチリ☆。

      20161112茨城百景 歩崎17


      20161112茨城百景 歩崎18


展望台からは、霞ケ浦。
そして、眼下には歩崎公園。
やっぱり高台の展望台は眺望が良い。




高台の歩崎観音から台地を下ってみます。

      20161112茨城百景 歩崎19



城址を思わせる切通し。

      20161112茨城百景 歩崎20



切通しの道は西参道でした。

      20161112茨城百景 歩崎21



境内への急な石段は表参道でした。

      20161112茨城百景 歩崎22



東西南北が世の常。
北参道が在って、対局の表参道(南?)が在って、
西参道が在れば...............

当然、東参道も在る訳です(笑)。

      20161112茨城百景 歩崎23


いやぁ、小さな観音に4つの参道。
歩崎観音、侮れません。



2016/11/27 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 観音馬場 》   (2016年11月12日)(茨城県行方市) 

11月12日  公休日

この日は、茨城県の行方市周辺の茨城百景巡りに出かけました。


茨城百景とは、茨城県観光審議会によって昭和25年に選出された
茨城有数の景勝地が100ヶ所網羅されています。
時代の移り変わりにより、形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。
ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。

実は、私もその一人であり、最近になって茨城百景を追いかけることにいたしました。

そんな訳で、化蘇沼稲荷神社をあとにして、向かった先は...............茨城百景 観音馬場


観音馬場は、観音寺の本堂から仁王門へと続く参道は観音馬場と呼ばれ、
桜の名所でもあるそうです。
実は、観音寺の本堂のある辺りが小幡城址の主郭跡と言うことで、
今年の7月1日にすぐ近くまで来ていたのですが...............
その時は、この地が茨城百景だとは知りませんでした。
( その時の記事は こちら


仁王門の先に茨城百景の碑がある事は事前に調べてあったので、
迷う事なく『茨城百景 観音馬場』の碑を見つけました。


      20161112茨城百景 馬場観音01


      20161112茨城百景 馬場観音02



北浦村時代の標柱。
朽ち果てて、倒れていました。

      20161112茨城百景 馬場観音03

文字もかすれていて、観音寺........と何とか一部ですが読み取れます。



茨城百景の碑の近くに建つ小さな碑。

      20161112茨城百景 馬場観音04

かつての『三本松の跡地』の碑。



碑の脇の高台に三本松が立っていたのでしょう。

      20161112茨城百景 馬場観音05


      20161112茨城百景 馬場観音06



この先が仁王門。

      20161112茨城百景 馬場観音07

真っ直ぐな参道。
これが『観音馬場』と言われた由縁なんだろう。



こちらが仁王門。

      20161112茨城百景 馬場観音08


      20161112茨城百景 馬場観音09



暗がりの中を覗き込むと、こちらを睨みつける仁王像。

      20161112茨城百景 馬場観音10


      20161112茨城百景 馬場観音11



仁王門の脇には土塁。

      20161112茨城百景 馬場観音12


ちょうど、仁王門が虎口のような感じです。

      20161112茨城百景 馬場観音13




こちらが観音堂。

      20161112茨城百景 馬場観音14

7月に来た時は此処まで来て、本堂の駐車場に引き返しちゃったんだよなぁ。


その脇の新しいお堂には、茨城県指定文化財の如意輪観音坐像が祀られています。

      20161112茨城百景 馬場観音15


      20161112茨城百景 馬場観音16


      20161112茨城百景 馬場観音17



観音堂の在る辺りには、石碑や石仏が多い。

      20161112茨城百景 馬場観音18


      20161112茨城百景 馬場観音19


      20161112茨城百景 馬場観音20


      20161112茨城百景 馬場観音21




さらに参道を歩き、観音寺の本堂へと進みます。


観音寺の寺号碑。

      20161112茨城百景 馬場観音22



本堂の手前。

      20161112茨城百景 馬場観音23

7月に来た時は紫陽花の花が咲き乱れていたけれど
この時期の境内は閑散としています。


境内にある大シイの樹。

      20161112茨城百景 馬場観音24

北浦村の天然記念物に指定され、それを行方市が引き継いでいます。
樹齢は約500年と言う事らしい。


小幡城址の碑。

      20161112茨城百景 馬場観音25


先ほどの三本松についても触れています。

      20161112茨城百景 馬場観音26

高須崎の一本松同様、松食い虫の被害に遭って枯れてしまったようですが
双方の松は、この鹿行(鹿島・行方)地区では有名だったらしい。



さらにその先は旧・要小学校。
小幡城址の二郭になります。

      20161112茨城百景 馬場観音27


虎口の土塁。

      20161112茨城百景 馬場観音28


      20161112茨城百景 馬場観音29


      20161112茨城百景 馬場観音30



まさか、3ヶ月の間に再訪するとは思わなかったけれど
茨城百景 観音馬場、これにて制覇です。





2016/11/26 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 化蘇稲荷神社 》   (2016年11月12日)(茨城県行方市) 

11月12日  公休日

この日は、茨城県の行方市周辺の茨城百景巡りに出かけました。


茨城百景とは、茨城県観光審議会によって昭和25年に選出された
茨城有数の景勝地が100ヶ所網羅されています。
時代の移り変わりにより、形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。
ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。

実は、私もその一人であり、最近になって茨城百景を追いかけることにいたしました。

そんな訳で、この日最初に向かったのは...............茨城百景 化蘇沼稲荷


化蘇沼稲荷とは、北浦村(現:行方市)内宿に在る化蘇沼稲荷神社のことで
文明10年(1478)の創建と伝えられています。
「関取稲荷」の別名があり、古くから豊作祈願の行事として奉納相撲が行われることで有名です。
この相撲は取り組む力士を田と畑に見立て、
勝ったほうの作物(稲作か畑作か)が豊作になるといわれています。
天保年間(1830~1844年)に江戸相撲で活躍した当町出身の鹿島灘鰐右衛門(四代目秀ノ山親方)が
奉納相撲をしたことで一段と盛んになったということです。
 
現在も毎年8月25日の夏祭りにこの相撲が氏子地区対抗戦の形で行われ、人気を呼んでいます。
夏祭りには、このほか巫女舞が奉納されます。
当番地区内の小学6年生の女子が雅楽に合せて古式ゆかしく舞うもので、
昭和21年から行われているそうです。


県道184号線を旧・武田小学校方面から北上すると
右カーブの先に鳥居が見えてきます。
 
      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社01



鳥居の脇にひっそりと建つ茨城百景の碑。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社02



裏面には昭和25年5月選定と刻まれています。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社03



思いのほか、簡単に見つかった茨城百景の碑。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社04



真新しい木の鳥居は、東日本大震災で石造りの鳥居が崩壊してしまったために
新しく作り直されたモノらしい。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社05



この道を真っ直ぐに行けば、化蘇沼稲荷神社。
いわゆる参道です。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社06


参道の両脇には古い桜の木々。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社07

春は桜の名所かも知れない。


参道からは、筑波山も見えたりして
なかなか風光明媚な場所にようです。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社08


参道の奥は、化蘇沼稲荷神社。
石造りの二の鳥居が出迎えてくれます。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社09



鳥居脇の説明板。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社10

今でこそ行方市ですが、茨城百景が選定された昭和25年当時は武田村。
昭和30年に北浦村となり、平成9年に北浦町。
平成17年に行方市と変遷しています。



鳥居前にて一枚パチリ。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社11


こちらが拝殿。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社12


拝殿前のお稲荷さんと一枚パチリ。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社13


何やら、不思議な像。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社14

どうやら寸津比古(きつひこ)・寸津比売(きつひめ)の彫刻らしい。



像の脇には説明板。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社15

説明板には、常陸風土記の行方の芸都(きつ)の里の話が書かれています。
要約すれば...............

昔、この辺りを芸都(きつ)の里と呼び、寸津比古、寸津比売と言う二人の国栖(くず)が居ました。
寸津比古は、倭武天皇の巡幸を前にして、命に逆らい、はなはだ無礼な振る舞いをしたので、
剣の一太刀で討たれてしまいました。
寸津比売は、恐れをなして白旗をかかげて道端にひれ伏し、天皇を迎えました。
それを見た天皇は憐れみ、その家をお許しになられました。
更に乗輿を進め、小抜野の仮宮に行かれるときに、寸津比売は、姉妹をともに引き連れ、
雨の日も風の日も、真の心を尽くして朝夕に仕えました。
天皇姿をお喜びになり愛しくなったことから、
この野をうるはしの小野と呼ぶようになったと言うことです。



常陸の国は常陸国風土記から常世の国とも呼ばれていて、
その語源は「面積はすこぶる広大で、境界もまたはるかに遠く、
土壌は肥えに肥え、原野はゆたかなうえにも豊かです。
耕し墾かれた処と海山の幸にめぐまれて、人々は心やすらかに満足し、
家々は充ち足りて賑わっていました。
いわゆる、海の宝庫・陸の宝蔵、膏したたる物産の楽土である
ゆえに、常世の国と言われた」 と伝わっているようです。

常陸の国って奥が深いかも?





境内でひときわ目立つ巨木。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社16

この巨木(古木)はモミの木で、幹回り約4m、樹高約16m、樹齢は約360年と言われていて、
北浦村(現:行方市)の天然記念物に指定されているようです。


行方市教育委員会の説明板。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社17



別アングルから見ても、やっぱり大きい。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社18


北浦村時代の標柱。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社19



こちらの樹は、今の平成天皇が皇太子の時に植えられた楠木らしい。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社20



本殿のさらに奥には、土俵。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社21

この場所で夏祭りに際に奉納相撲が行われます。
化蘇沼稲荷神社は別名「関取稲荷」といわれるようで、昔から相撲が盛んだったようです。


古くは三宿と呼ばれ(武田、内宿、両宿)賑わいをみせていたようです。
特にこの化蘇沼稲荷神社は江戸中期以降、参拝者が増え
境内には9軒の茶屋が誕生したそうです。
「お江戸見たけりゃ武田へおいで、武田三宿江戸勝り」
と人々が唄うまでになったそうです。

現在の長閑なこの地区からは、とても考えられませんね。


2016/11/25 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 牛久沼 》   (2016年10月7日)(茨城県つくば市) 

10月7日 公休日

茨城県には、昭和25年に制定された『茨城百景』なるモノがあります。

茨城百景とは、茨城県観光審議会によって昭和25年に選出された茨城有数の景勝地が100ヶ所網羅されています。
時代の移り変わりにより、形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。
ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。

実は、私もその一人であり、最近になって茨城百景を追いかけることにいたしました。


『 茨城百景 龍ヶ崎観音 』をあとにして向かった先は...............茨城百景 牛久沼


牛久沼と言うと、牛久市と思いがちですが
『 茨城百景 牛久沼 』の茨城百景の碑は、旧・茎崎町であるつくば市の泊崎太子堂に在ると言うことで
泊崎太子堂へと向かいました。

泊崎太子堂は、弘法大師(空海)がこの地を訪れ千座護摩を修めたところに建てられたと伝えられています。
昔から縁結びと長寿にご利益があるされていて、別名、弘法大師堂とも呼ばれています。
今ではここにお参りすると長患いせずに人生の最後を迎えられるとして
多くの人々の信仰を集めています。
牛久沼を見下ろす高台にあり、風光明媚な場所です。
大師堂の参道には「茨城百景 牛久沼」の碑があります。
大師堂のある場所は、つくば市の最南端となります。

また、弘法大師が訪れたこの地には、弘法の七不思議と言う伝説が残されています。

1、駒の足跡(こまのあしあと)。
駒(馬)に乗って弘法大師が現れ、小川に架かる石橋を渡ったときに
足跡が残ったとされる。
2、木瓜(ぼけ)。
弘法大師がこの地を訪れる際通った山道の木瓜は、
それ以来、実をつけなくなったという。
3、逆松(さかさまつ)。
弘法大師が持っていた松の杖が根付いたものとされる。
4、硯水(すずりみず)。
弘法大師が字を書くときに使ったとされる湧き水。
5、独鈷藤(とっこふじ)。
大師堂の藤の節が独鈷の形に似ていることからその名がつけられた。
6、五葉の杉(ごようのすぎ)。
大師堂にあった杉の木の葉が5枚の葉をつけていたとされています。
7、法越(のっこし)。
弘法大師が、馬に乗って川を渡った場所が法越で、
以来その場所には藻が生えなくなった。

現在、駒の足跡と逆さ松が大師堂にあり、硯水は失われていたが、
大師堂の近くに再現されました。それらも以外は残念ながら現存していません。


こちらが泊崎太子堂の入り口。

つくば市の観光案内図と弘法の七不思議の説明看板が建っています。

      20161007茨城百景牛久沼01


正面に見えるお堂が泊崎太子堂。

      20161007茨城百景牛久沼02


参道には、弘法大師の像と茨城百景の碑。

      20161007茨城百景牛久沼03



『 茨城百景 牛久沼 』の碑。

      20161007茨城百景牛久沼04



弘法の七不思議の『逆松』と『駒の足跡』

      20161007茨城百景牛久沼05


高台に建っている泊崎太子堂。

      20161007茨城百景牛久沼06



泊崎太子堂の扁額。

      20161007茨城百景牛久沼07



太子堂の建っている高台は削平地。

      20161007茨城百景牛久沼08

かつては泊崎城が在った場所らしい。



太子堂背後の牛久沼。

      20161007茨城百景牛久沼09



この風景が茨城百景。

      20161007茨城百景牛久沼10



この日は晴れているから、青空に牛久沼が映えています。

      20161007茨城百景牛久沼11



泊崎太子堂の近くに、こんな看板。
どうやら、弘法の七不思議の一つ『硯水』が近くにあるようです。

      20161007茨城百景牛久沼12

せっかくだから、探してみましょう。



此所か? と思ったら違っていた。

      20161007茨城百景牛久沼13


七浦弁財天でした。

      20161007茨城百景牛久沼14



七浦弁財天は、牛久沼の湖畔に鎮座していました。

      20161007茨城百景牛久沼15


七浦弁財天に隣接する泊崎弁財天。

      20161007茨城百景牛久沼16


何故だか、弁天様が多い。

      20161007茨城百景牛久沼17

そもそも弁財天は、泉や島や港湾の入り口などに、弁天社や弁天堂として数多く祀られていたり、
弁天島や弁天池など地名として残っていることもあるから、
いずれにしても海や湖や川などの水に関係していることが多いみたいです。



肝心の『硯水』は見つかりません。

いつの間にか、牛久沼の湖畔に来てしまいました。

      20161007茨城百景牛久沼18



さらに、歩くこと5分。

やっと『硯水』を見つけました。

      20161007茨城百景牛久沼19



伝説の湧水のようですが、残念ながら枯れる寸前のようです。

      20161007茨城百景牛久沼20


『 茨城百景 牛久沼 』は、包括地点として
泊崎、大師堂、岡見城址、小川芋銭の遺蹟、釣場、猟場金龍寺を有しています。

泊崎や太子堂は旧・茎崎町(現・つくば市)であり、
岡見城址、小川芋銭の遺蹟は牛久市にあたる。
涸沼の例もあるから、ひょっとしたら牛久市側にも百景の碑があるんだろうか?







2016/11/04 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 龍ケ崎観音 》   (2016年10月7日)(茨城県龍ヶ崎市) 

10月7日 公休日

茨城県には、昭和25年に制定された『茨城百景』なるモノがあります。

茨城百景とは、茨城県観光審議会によって昭和25年に選出された茨城有数の景勝地が100ヶ所網羅されています。
時代の移り変わりにより、形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。
ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。

実は、私もその一人であり、最近になって茨城百景を追いかけることにいたしました。


と言う事で、この日は茨城百景巡りに出掛けました。


『 茨城百景 大利根の展望 』をあとにして、向かった先は...............茨城百景 龍ヶ崎観音


龍ヶ崎観音は、安産や子育ての観音様として古くから多くの人に親しまれています。
本尊は安産聖観世音菩薩です。

平安の昔、京の都及びその周辺諸国では難産に苦しむ人が多くいました。
天皇は弘法大師空海(774年~835年)に勅して、この難を除かんと欲しました。
大師はこの危難を救う為に、自ら彫刻の志を起こし、観世音菩薩の尊像を成就しました。
日光山を開山した勝道上人(735年~817年)の高弟蓮雪法印は、
これを憂い、大師に乞うて観世音菩薩の尊像を東国に移し、
この地に安置して建立されたのが、龍泉寺(龍ヶ崎観音)の始まりであります。


時は移り、天正年間(1573年~1592年)になると、
龍ヶ崎城主土岐胤倫公の息女、虎姫(お福の方)は、
江戸崎城主である兄、治綱公の嫡男頼英公のもとへ嫁ぎ懐妊します。
しかし、十月十日の臨産に至りますが、出産の気配は無く身体は苦しみ、
医薬を尽くしても効果はありませんでした。
これを聞いた江戸崎不動院住持の慈眼大師天海(後に上野寛永寺を開山)は、
龍泉寺より尊像を請来し、17日間城内にて安産の秘法を修して、
やがて虎姫は玉の様な御男子をご出産されたそうです。
土岐氏はこれを喜び、御堂を造立し、お福の方にちなんで、
東福山水天院の号を比叡山延暦寺より賜ったと伝えられます。



こちらが、龍泉寺の山門。

      20161007茨城百景龍ケ崎観音01


山門の扁額。

      20161007茨城百景龍ケ崎観音02

山号である、『東福山』が確認出来ます。



境内と言うか駐車場。

      20161007茨城百景龍ケ崎観音03


時期的なのか?
七五三の幟が多い。

      20161007茨城百景龍ケ崎観音04



茨城百景の碑は、境内に片隅に建てられています。

      20161007茨城百景龍ケ崎観音05



こちらが、『 茨城百景 龍ヶ崎観音 』の碑。

      20161007茨城百景龍ケ崎観音06



こちらが本堂。

      20161007茨城百景龍ケ崎観音07

ちょうど、安産祈願を行っているようで、何人かの人が本堂から出入りしていました。

邪魔になるといけないので、早々に本堂前から撤収します。


本堂脇の小さなお地蔵さん。

      20161007茨城百景龍ケ崎観音08



見る人が見れば分かるお地蔵さん。
不幸にして、生まれてくる事が出来なかった魂を弔うお地蔵さん。

      20161007茨城百景龍ケ崎観音09

正面のお堂の中で熱心にお参りしていた女性の姿を見て
思わず、場違いな場所に来てしまった...............。
場違いな場所に犬を連れて来てしまった...............。

そんな後悔と言うか、懺悔感に支配され
その場から離れる事しか頭に浮かばなかった。

早々にこの場を撤収することにしました。


『 茨城百景 龍ヶ崎観音 』...............個人的にはとても百景ではありませんでした…



2016/11/03 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 大利根の展望 》   (2016年10月7日)(茨城県北相馬郡利根町) 

10月7日  公休日

茨城県には、昭和25年に制定された『茨城百景』なるモノがあります。

茨城百景とは、茨城県観光審議会によって昭和25年に選出された茨城有数の景勝地が100ヶ所網羅されています。
時代の移り変わりにより、形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。
ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。

実は、私もその一人であり、最近になって茨城百景を追いかけることにいたしました。


と言う事で、この日は茨城百景巡りに出掛けました。

まず最初に訪れたのは...............茨城百景 大利根の展望

百景の周辺に景勝地などが固まっている地区においては、
包括風景としてそれらも合わせて選定しているようです。

大利根の展望は包括地点として、
大利根橋、小文間大六天、小文間城址、戸田井橋、布川栄橋、徳満寺、来見寺が含まれます。


『茨城百景 大利根の展望』の碑は、徳満寺の境内に在ります。


こちらが、徳満寺。

山門下になります。

      20161007茨城百景利根川の展望01

車は、この山門下のスペースに停めると良いでしょう。


県道4号線側の入り口。
徳満寺の寺号標。

      20161007茨城百景利根川の展望02

こちら側にも駐車場があるけれど、幼稚園が隣接しているから
出し入れにちょっぴり不便。

この徳満寺は、戦国時代の布川城跡でもあります。

      20161007茨城百景利根川の展望11

城址巡りを趣味としている身ですから、当然『布川城址』として
この徳満寺に訪れたことが有りますし、
茨城百景の碑の存在も確認しています。



徳満寺の山門

      20161007茨城百景利根川の展望03

実は、茨城百景の碑は元々、この山門脇に建っていたらしい。
山門の建て替え時に、碑は移動されたらしい。



こちらは、客殿。

      20161007茨城百景利根川の展望04


そして、こちらが地蔵堂(本堂)。

      20161007茨城百景利根川の展望05



肝心の茨城百景の碑は、客院脇に移設されています。

      20161007茨城百景利根川の展望06



こちらが、『 茨城百景 大利根の展望 』の碑。

      20161007茨城百景利根川の展望07



こちらに、百景の碑の移設に関して記載されています。

      20161007茨城百景利根川の展望08



百景の碑の側には、小林一茶の句碑。

      20161007茨城百景利根川の展望09


さらにその横には、星野一楽の句碑。

      20161007茨城百景利根川の展望10



徳満寺からは、木々が茂って利根川の眺望は拓けていません。
昭和25年当時は、山門から利根川の流れが眺められたのでしょうか...............?


県道沿いに歩き、千葉県との県境でもある栄橋辺りに来てみます。


こちらが徳満寺遠景。
布川城址遠景でもあります。

      20161007茨城百景利根川の展望12


県道が布川城を分断しているのが分かります。

      20161007茨城百景利根川の展望13



栄橋からの利根川。(下流域)

      20161007茨城百景利根川の展望14


      20161007茨城百景利根川の展望15


栄橋からの利根川(上流域)。

      20161007茨城百景利根川の展望16


この利根川の眺望が『茨城百景』そのものなんだろうなぁ...............。




2016/11/02 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit