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び・び・びのびいすけ

びいすけとお父さんと時々もっちゃん

茨城百景  《 水の里安中 》   (2016年11月12日)(茨城県稲敷郡美浦村) 

11月12日  公休日

この日は、茨城県の行方市周辺の茨城百景巡りに出かけました。


茨城百景とは、茨城県観光審議会によって昭和25年に選出された
茨城有数の景勝地が100ヶ所網羅されています。
時代の移り変わりにより、形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。
ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。

実は、私もその一人であり、最近になって茨城百景を追いかけることにいたしました。


そんな訳で、向かった先は...............茨城百景 水の里 安中


こちらの茨城百景の碑は、事前にネットで調べていたら、
安中地区多目的研修センターの門近くに在ると言う事なので
安中地区多目的研修センターを目指します。


安中地区多目的研修センターに到着。

      20161112茨城百景 水の里安中01

画面中央、研修センターの敷地斜面に石碑が見えます。



近寄ってみましょう。

      20161112茨城百景 水の里安中02



石碑の下部は草に覆われていますが、
『 茨城百景 水の里安中 』の碑です。

      20161112茨城百景 水の里安中03


      20161112茨城百景 水の里安中04


水の里と言う事だが、この辺りは一面の田園風景が広がる長閑な所。

      20161112茨城百景 水の里安中08

さほど霞ケ浦から離れていないから、この辺りも干拓された地なのだろうか?


それよりも気になったのは、安中地区多目的研修センター。

      20161112茨城百景 水の里安中05

入口の門構えが、まるで学校跡のようにも見える。


門柱もそれっぽく見えなくもない。

      20161112茨城百景 水の里安中06



研修センターの奥に建っているシルバー人材センターの建物は
校舎のようにも見えなくもない。

      20161112茨城百景 水の里安中07

この日は、土曜日でシルバー人材センターも休み。
研修センターにも誰も人が居なくて確認出来ず、詳細は不明。
敷地内をぐるっと見て回ったけど、廃校遺構らしきモノは無いから
気のせいかなぁ...............?



研修センターの敷地の斜面には、2つの祠。      

      20161112茨城百景 水の里安中09


      20161112茨城百景 水の里安中10

地域の信仰の対象だったようです。



百景の碑の近くは、コレと言ったモノ、見処は無さそうです。


茨城百景は包括地でもあるから、水の里安中の包括地
(丈六薬師,陸平の貝塚,馬掛一斗落,馬掛不動尊,
不動浦,大山弁天の鼻,弁天山)の中から
馬掛不動尊に行ってみることにしました。

しかし、この馬掛不動尊の場所がよく分からない。

自転車に乗っていた老人に場所を聞いて、何とか辿り着きます。


この石段を上った先に馬掛不動尊はあるらしい。

      20161112茨城百景 水の里安中11


石段手前に碑が在りました。

      20161112茨城百景 水の里安中12


良く見ると...............

『茨城四十五景 馬掛不動尊』 の碑でした。

      20161112茨城百景 水の里安中13

この地は、茨城百景の包括地であるけれど
茨城四十五景の地でもあるんですね。


石段を元気良く駆け上がる びいすけ 。

      20161112茨城百景 水の里安中14


石段を上った先には、お堂が在ります。

      20161112茨城百景 水の里安中15



これが馬掛不動尊。

      20161112茨城百景 水の里安中16


      20161112茨城百景 水の里安中17



馬掛不動尊の背後の山(台地)は、馬掛城址らしい。
確かに、お堂の脇から台地に上って行く登城路らしきものがあるけれど
奥は薮状態で、中に入って行く気にはなれない。

      20161112茨城百景 水の里安中18


馬掛不動尊の在る場所は高台だから、霞ケ浦の眺望が良い筈なんですが
残念ながら繁った木々が邪魔をして、霞ケ浦を望めない。


仕方がないので、台地を下り、霞ケ浦の湖畔へと向かいます。

時刻も陽が陰り出す頃になり、馬掛不動尊の台地が陽を遮り
若干、暗めの画像ですが...............

霞ケ浦の湖畔。

      20161112茨城百景 水の里安中19


      20161112茨城百景 水の里安中20


      20161112茨城百景 水の里安中21


これが、私 と びいすけ にとって水の里になるのかな?

『茨城百景 水の里安中』、これにて制覇といたしましょう。




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2016/12/04 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 古渡の湖畔 》   (2016年11月12日)(茨城県稲敷市) 

11月12日 公休日

この日は、茨城県の霞ケ浦周辺の茨城百景巡りに出かけました。


茨城百景とは、茨城県観光審議会によって昭和25年に選出された
茨城有数の景勝地が100ヶ所網羅されています。
時代の移り変わりにより、形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。
ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。

実は、私もその一人であり、最近になって茨城百景を追いかけることにいたしました。


そんな訳で、向かった先は...............茨城百景 古渡の湖畔


古くは古渡村。
その後、桜川村になり、平成の大合併で稲敷市の古渡になった古渡地区。

実は、古渡に来るのは、これで2回目。
以前は、古渡城址に訪れて( その時の記事は こちら )
茨城百景の碑は確認済み。
迷わずに百景の碑に辿り着けました。

      20161112茨城百景 古渡の湖畔01


      20161112茨城百景 古渡の湖畔02



茨城百景の碑の在る辺りは、旧・R125沿い。

      20161112茨城百景 古渡の湖畔03

小野川を渡る新しいバイパスと橋(新古渡橋)が出来て
車はバイパスを通ってしまうけれど
古くからの民家が立ち並ぶ地区です。


近年建て替えられた古渡橋。

      20161112茨城百景 古渡の湖畔04

この橋を境界線にして、上流(画面左側)が小野川。
下流(画面右側)が霞ケ浦となります。



真新しい橋なのに、心無い盗人にプレートは剥がされています。

      20161112茨城百景 古渡の湖畔05

3年前にはあったのになぁ。

上流の小野川域を眺めてみましょう。

      20161112茨城百景 古渡の湖畔06



太陽が小野川の水面に反射してちょっぴり眩しい。

      20161112茨城百景 古渡の湖畔07



こちらが、霞ケ浦に流れ込む小野川。

      20161112茨城百景 古渡の湖畔08



流れはゆっくりとしています。

      20161112茨城百景 古渡の湖畔09



古渡橋の下流域、霞ケ浦の方へと足を向けてみます。

      20161112茨城百景 古渡の湖畔10


      20161112茨城百景 古渡の湖畔11



3年前は、ほとんど車が通らなかったけれど
それなりにこの橋を渡る車があるようです。

      20161112茨城百景 古渡の湖畔12



午前中に曇っていた空も青い空に変わっている。

      20161112茨城百景 古渡の湖畔13



穏やかな霞ケ浦。

      20161112茨城百景 古渡の湖畔14


冬ともなれば、湖畔を吹きさらす風も冷たく感じるでしょう。

      20161112茨城百景 古渡の湖畔15


      20161112茨城百景 古渡の湖畔16


長閑な霞ケ浦の湖畔。
古渡の湖畔でした...............。




2016/12/03 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 夢の浮島 》   (2016年11月12日)(茨城県稲敷市) 

11月12日  公休日

この日は、茨城県の行方市周辺、及び霞ケ浦周辺の茨城百景巡りに出かけました。


茨城百景とは、茨城県観光審議会によって昭和25年に選出された
茨城有数の景勝地が100ヶ所網羅されています。
時代の移り変わりにより、形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。
ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。

実は、私もその一人であり、最近になって茨城百景を追いかけることにいたしました。


そんな訳で、舞台を稲敷市に移し向かった先は...............茨城百景 夢の浮島


浮島は古くから霞ヶ浦の中に浮かぶ島だったことから
『浮島』と呼ばれるようになりました。
しかし、霞ケ浦沿岸の干拓によりいつしか陸続きになりました。
霞ケ浦の南東、和田岬から妙岐の鼻(浮島湿原)辺りまでを『浮島』と称していたようです。
和田岬の先端には和田公園があり、手軽にデイキャンプが出来ます。
( 和田公園の記事は こちら

また、妙岐の鼻は浮島の外れにあり、
どこまでも続く湿原は野鳥の宝庫で、
バードウオッチングのメッカとなっています。
( 妙岐の鼻の記事は こちら

確か、和田公園の駐車場近くに『浮島』の立派な看板があったので、
百景の碑も近くにあるんじゃないかと思い、和田公園に向かいます。


こちらが、和田公園駐車場隣の『浮島』の看板。

      20161112茨城百景 夢の浮島01

周辺を探して見ますが、百景の碑は見つかりません。



せっかくだから、和田公園周辺を散策してみましょう。

      20161112茨城百景 夢の浮島02


      20161112茨城百景 夢の浮島03



霞ケ浦沿いの道。

      20161112茨城百景 夢の浮島04



一見、サイクリングロードのように見えるけれど
車も通れる市道。
車に気をつけて歩きましょう。

      20161112茨城百景 夢の浮島05


霞ケ浦の湖畔には野鳥も多い。
杭に珍しい野鳥が止まっていると思ったら...............

      20161112茨城百景 夢の浮島06

黒いビニールでした。(笑)




霞ケ浦の湖畔の景観を眺めながら、和田公園周辺をぐるっと周ってみます。

      20161112茨城百景 夢の浮島07


      20161112茨城百景 夢の浮島08


      20161112茨城百景 夢の浮島09


      20161112茨城百景 夢の浮島10


      20161112茨城百景 夢の浮島11


      20161112茨城百景 夢の浮島12


      20161112茨城百景 夢の浮島13


      20161112茨城百景 夢の浮島14




こちらには、『浮島公園』の看板。

      20161112茨城百景 夢の浮島15


      20161112茨城百景 夢の浮島16

でも、ここは『和田公園』の一画。外周路になります。
この『浮島公園』って間違いじゃないの?



和田公園の中に、1頭のワンちゃんが、こちらを窺っています。

      20161112茨城百景 夢の浮島17



よく見ると、首輪が付いていない。

      20161112茨城百景 夢の浮島18

野良犬?


こちらを窺いながら、少しづつ近寄って来ますが
こちらが近寄っていくと逃げて行きます。
何回か近寄ってみたんですが、繰り返し。

どんな経緯があって野良犬(?)になってしまったかは判らないけれど
保護されて、しっかりとした里親に引き取られる事を願うばかりです。



野良犬(?)くんとは逆の方向へと歩く びいすけ 。

      20161112茨城百景 夢の浮島19



見つからない百景の碑も気になりますが
先ほどの野良犬くんも気になるけど、どうする事も出来ない。

      20161112茨城百景 夢の浮島20

元気で生き延びてくれ! と心の中で思うしかない。


ちょっぴり、足取りも重くなっちゃったから
駐車場に戻りましょう。

      20161112茨城百景 夢の浮島21





しかしながら、探している茨城百景の碑が見つかりません。



iPhoneの登場です。

茨城百景の碑を追いかけている方々のブログをチェックしてみると
やはり、多くの人が和田公園近くを探して見つけられなくて挫折しているようです。

数少ない情報の中から、旧桜川村役場から県道に向かう途中に在ると判り、
旧・桜川村役場(現・稲敷市役所桜川支所)周辺を車で走り回ります。


集落の手前で、何やら石碑っぽいモノを発見。

      20161112茨城百景 夢の浮島22



探していた、『茨城百景 夢の浮島』の碑です。

      20161112茨城百景 夢の浮島23



何とか見つける事が出来ました。

びいすけ と百景の碑。

      20161112茨城百景 夢の浮島24




しかし、現在の浮島の代名詞である『和田公園』から約3.5kmの距離。
これじゃあ、なかなか見つかりません。

      20161112茨城百景 夢の浮島25



確かに浮島は干拓されて陸続きになったと言う事ですが
裏を返せば、茨城百景制定時の昭和25年とか26年では
この辺りは霞ケ浦の畔りだったと言う事なんだろうか?

      20161112茨城百景 夢の浮島26



百景の碑の建つ台地の脇を小さな川が流れているけれど
その川は霞ケ浦の湖畔の名残りなんだろうか...............?

      20161112茨城百景 夢の浮島27



川沿いの遊歩道。
ここもひょっとしたら霞ケ浦の湖面だったかも知れない。

      20161112茨城百景 夢の浮島28


そんな事を思いながら、川沿いの遊歩道を歩いていると
時代の流れを改めて痛感してしまいます。






2016/12/02 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 水郷麻生 》   (2016年11月12日)(茨城県行方市) 

11月12日  公休日

この日は、茨城県の行方市、及び霞ケ浦周辺の茨城百景巡りに出かけました。


茨城百景とは、茨城県観光審議会によって昭和25年に選出された
茨城有数の景勝地が100ヶ所網羅されています。
時代の移り変わりにより、形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。
ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。

実は、私もその一人であり、最近になって茨城百景を追いかけることにいたしました。

そんな訳で、西蓮寺をあとにして向かった先は...............茨城百景 水郷麻生



『茨城百景 水郷麻生』の碑は、
霞ケ浦湖畔の八坂神社の境内に在るとの事なので
八坂神社を目指します。

こちらが八坂神社。

       20161112茨城百景 水郷麻生01


湖畔にある神社で敷地はさほど広くはない。
1612年に麻生藩主となった新庄氏が、
麻生藩の総鎮守として建立したと言われています。

       20161112茨城百景 水郷麻生04




しかしながら、この八坂神社は全国的にも珍しい祭りで有名らしい。
『麻生祗園馬出し祭』と呼ばれる祭りは、行方市の無形文化財に指定されているようです。

       20161112茨城百景 水郷麻生02



八坂神社の境内で馬と神輿が勇ましい戦いを繰り広げた後、
神輿が霞ヶ浦の中で揉まれると言う祭りらしい。

この狭い境内を馬と神輿が絡まると言うのか?

       20161112茨城百景 水郷麻生03

確かに細長い境内は、馬が走るには都合が良い。

       


境内の一画に建つ『茨城百景』の碑。

       20161112茨城百景 水郷麻生05


       20161112茨城百景 水郷麻生06



百景の碑のすぐは近くに建つ碑。

       20161112茨城百景 水郷麻生07

『茨城45景當選記念塔』と刻まれています。


この八坂神社の在る地は『茨城百景』でありますが
『茨城45景』の地でもあるようです。

ちなみに『茨城45景』とは、
昭和10年に茨城新聞社が創立45周年を記念して行った事業で、
県民投票によって選ばれた45カ所の景勝地と言うことらしい。
昭和10年って、今から80年以上も前の話。


80年前と変わっていないんだろうか?

       20161112茨城百景 水郷麻生08



麻生の地の霞ケ浦の湖畔を大王崎と言うらしい。

       20161112茨城百景 水郷麻生09

そもそも、『麻生祇園馬出し祭り』では馬をヤマタノオロチ、
神輿をスサノオに見立てていると言われています。
八坂神社の祭神は須佐之男命(スサノオノミコト)であることから
馬と神輿が戦うことによってヤマタノオロチとスサノオの戦いを表しているとされています。

しかし、元々は八坂神社の祭神は牛頭天王と呼ばれる祭神でしたが
明治政府の神仏分離令により、牛頭天王の『天王』が天皇と同じ読みのため、
スサノオが八坂神社の祭神となったと言うことらしい。
そして、八坂神社が鎮座する地名を牛頭天王から天王崎と呼ぶようになったらしい。



拝殿前にて。

       20161112茨城百景 水郷麻生10


こちらが拝殿。

       20161112茨城百景 水郷麻生11



八坂神社に因んだもう一つの指定文化財。
獅子頭の標柱。

       20161112茨城百景 水郷麻生12

『麻生祇園馬出し祭り』では、昭和20年頃まで、船材の厚板で船大工が頑丈に作った神輿に
獅子頭を奉収して、しめ縄を幾重にも巻き付けました。
御幣を先頭に、子供たちが神輿を担ぎ、家々の庭先で荒々しく叩きつけ、
家庭から疫病を防ぎ、災厄を免れるよう雄叫びをあげて走ったそうです。
毎年、これを繰り返し、獅子の下顎と両耳は欠落しまったそうです。

今では『麻生祇園馬出し祭り』の際に拝殿に飾られるそうです。



麻生八坂神社の境内には句碑が多い。

      20161112茨城百景 水郷麻生13


      20161112茨城百景 水郷麻生14


      20161112茨城百景 水郷麻生15




霞ケ浦の湖畔に隣接しているから
八坂神社からサイクリングロードを挟んで、すぐに湖畔なります。

      20161112茨城百景 水郷麻生16




かつては、湖水浴場だった浜辺。

      20161112茨城百景 水郷麻生17

この景観が茨城百景に選定されたんでしょうね


そして、『麻生祇園馬出し祭り』では、
この浜辺に神輿が揉まれているそうです。

      20161112茨城百景 水郷麻生18


      20161112茨城百景 水郷麻生19


機会があったら、『麻生祇園馬出し祭り』も見に来れたらいいなぁ。



2016/11/30 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 西連寺 》   (2016年11月12日)(茨城県行方市) 

11月12日  公休日

この日は、茨城県の行方市周辺の茨城百景巡りに出かけました。


茨城百景とは、茨城県観光審議会によって昭和25年に選出された
茨城有数の景勝地が100ヶ所網羅されています。
時代の移り変わりにより、形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。
ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。

実は、私もその一人であり、最近になって茨城百景を追いかけることにいたしました。

そんな訳で、向かった先は...............茨城百景 西蓮寺



西蓮寺は、延暦元年(782年)に創建と伝えらる古刹で、天台宗の寺院です。
山号は尸羅慶台上山。
院号は曼珠院。
本尊は薬師如来。

西蓮寺は、数多くの文化財を持っています。
その一つである仁王門は、天文12年(1543年)建立されたものです。
当初は楼門として造られ、寛政2年(1790年)山門に造り替えられ、
更には、再び仁王門に改められて現在に至っているそうです。

また、西蓮寺の大銀杏は茨城県の指定天然記念物に指定されていて、
樹齢1,000年といわれる大木です。
秋の黄葉は見応えがあり、境内が銀杏の黄葉で覆われ、
多くの人がその黄金色の絨毯を眺めに来るそうです。

そして、西蓮寺のもう一つの重要文化財は相輪橖です。
比叡山延暦寺の相輪橖、日光輪王寺の相輪橖、そして西蓮寺の相輪橖が
日本三相輪橖と呼ばれているそうです。



本堂裏の駐車場に車を停めて西蓮寺に向かいます。

      20161112茨城百景 西連寺01




この先が本堂。

      20161112茨城百景 西連寺03



こちらが、本堂。

      20161112茨城百景 西連寺04


本堂に掲げられた扁額。

      20161112茨城百景 西連寺05

院号の『曼殊院』。



なぜか、七福神の幟。

      20161112茨城百景 西連寺02

どうやら常陸七福神と言うモノがあり、その内の一つらしい。




境内でひときわ目を張る大銀杏。

      20161112茨城百景 西連寺07

黄葉の時期にはまだ早く、完全な緑色の世界。
半月以上早かったか...............?



実は大銀杏早かったか1本だけじゃなく、2本在る。

      20161112茨城百景 西連寺06

前掲の大銀杏は2号。
      


そして、こちらが1号。

      20161112茨城百景 西連寺08

いずれにしても、推定樹齢約1000年と言うからとにかくデカい。


大銀杏の脇には鐘楼。

      20161112茨城百景 西連寺09

これがまた、いい雰囲気。



大銀杏と鐘楼がマッチング。

      20161112茨城百景 西連寺10

これで大銀杏が色付いていれば最高ですね。




こちらは、常行堂

      20161112茨城百景 西連寺11

西蓮寺では、伝統行事である常行三昧会が9月24日~30日に執り行われます。
寛治年間(1087~94)に地元の長者が比叡山より移したものとされ、
西蓮寺の末寺、門徒寺の僧侶が常行堂に集まり、7日7夜にわたって堂内を廻りながら
独特の節回しで立行誦経する大法要です。
『常陸高野』と呼ばれるように、この法要は『仏立て』と言われ、
宗旨の別もなく、近郷近在はもとより遠隔地から新仏の供養に参詣人が訪れるそうです。






こちらは、薬師堂。

      20161112茨城百景 西連寺14

西蓮寺の本尊である薬師如来の説明板

      20161112茨城百景 西連寺12


薬師如来は奥の収納庫に安置されているらしい。

      20161112茨城百景 西連寺13


      



国指定重要文化財の相輪橖。

      20161112茨城百景 西連寺15


ソウリンの説明板。

      20161112茨城百景 西連寺16

相輪橖は元寇(弘安の役)の戦勝を祈念して、
弘安十年(1287)に建立したものとして伝えられているそうです。




こちらは、西蓮寺の説明板(案内板)

      20161112茨城百景 西連寺17



説明板の正面が山百合の里の入口。

      20161112茨城百景 西連寺18

山全体に自生する山百合が7月の中旬~下旬に咲くらしい。
今回は時季外れなのでパスしましょう。

また、9月下旬には約10万本の彼岸花が見頃となるらしい。
これは、来年の見頃の時期は要チェックですね。


背後のスダジイ(?)

      20161112茨城百景 西連寺25

幹が折れちゃっているけど、これもかなりの古木だったはず。



こちらが国指定重要文化財の仁王門。

      20161112茨城百景 西連寺19


      20161112茨城百景 西連寺20



正面から眺めると、それなりの風格があります。

      20161112茨城百景 西連寺21



仁王門に掲げられた扁額。

      20161112茨城百景 西連寺22

カスれた文字が長い年月を感じさせてくれます。


仁王門の脇に建つ石碑。

      20161112茨城百景 西連寺23

てっきり『茨城百景』の碑かと思ったら違っていました。



茨城百景の碑を探していると、
仁王門前の売店(?)には、こんなモノが...............

      20161112茨城百景 西連寺24

確かに西蓮寺は七福神の一つらしいが、確か『寿老人』のはず?
これって、『大黒天』だし(笑)。



さらに、仁王門の先の参道を歩いていると石碑を発見!

      20161112茨城百景 西連寺29

でもこれも探している『茨城百景』の碑ではない。
なかなか、茨城百景の碑は見つかりません。



諦めて移動をしていると、西蓮寺の仁王門から距離にして1kmほど。
西蓮寺から下って来て、県道183号との合流点近く。

画面の真ん中辺りに石碑が見えます。

      20161112茨城百景 西連寺26



探していた『茨城百景 西蓮寺』の碑。

      20161112茨城百景 西連寺27


      20161112茨城百景 西連寺28


さすがに、こんな場所にあるとは思いませんでした。
なぜ、西蓮寺の敷地内とか、参道入口に建てなかったんだろう...............?


石碑の隣は、廃路線になったバス停だから
バスを使って西蓮寺に訪れる人に
分かりやすいようにしていたのだろうか...............?

ちょっぴり疑問です。






2016/11/29 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 高須崎の一本松 》   (2016年11月12日)(茨城県行方市) 

11月12日  公休日

この日は、茨城県の行方市周辺並びに霞ケ浦周辺の茨城百景巡りに出かけました。


茨城百景とは、茨城県観光審議会によって昭和25年に選出された
茨城有数の景勝地が100ヶ所網羅されています。
時代の移り変わりにより、形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。
ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。

実は、私もその一人であり、最近になって茨城百景を追いかけることにいたしました。


そんな訳で、向かった先は...............茨城百景 高須崎の一本松



霞ケ浦の湖畔近くに、『 茨城百景 高須崎の一本松 』はありました。

ヤフーマップにも載っているし、近くに行けば案内板もあるので
迷うことなく、辿りつけます。

こちらが、高須崎の一本松。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉01


こちらが説明板。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉02




実は、これは2代目の松。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉03

全国で有名な松の巨木、古木が被害に遭って枯れてしまったように
ここ、高須崎の一本松も松食い虫の被害に遭い、枯れてしまいました。

そもそも高須崎の一本松は、関東の二大銘木と言われたそうです。
ちなみにもう一つの銘木は鎌倉の鶴岡八幡宮の大銀杏だそうです。
天に昇るといわれる竜が湖岸で水を呑んでいるような樹相が素晴らしく、
多くの歴史の偉人たちに愛されたのが高須崎の一本松でした。
昭和27年に茨城県天然記念物に指定されましたが、
昭和51年に松食虫に被害を受けて枯渇してしまい、
昭和55年に県文化財の指定を解除されてしまいました。
樹齢900年、根元周り8m、樹高約7m、東西南北23mあったと記録され
大変、立派な松だったようです。

昭和58年に高須の一本松の根元に生えていた二代目と、
高須地区の松ぼっくりを集めて育てて、
初代の形状に似た二股の苗木が植樹されたそうです。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉06




高須崎の一本松は、
歴史上の偉人(?)との接点と言うか、逸話が多い。


その昔、源義家が永承6(1051)年の前九年の役で陸奥の豪族阿部氏の平定に向かう途中、
鹿島神宮に戦勝祈願をするために霞ヶ浦を渡る時に暴風雨に遭い、
高須崎で足留めを食らってしまいました。
その時に義家が歌を詠んだところ、不思議と暴風雨がやみ、
波間に1本の小松が漂っていたものを植樹したものが、
後の『高須崎の一本松』だと言われています。

その時に詠んだと言われているのが...............

『ちはやぶる 鹿島の神の 授け松
なほ 万代も 君は栄えん』

源義家は、別名を八幡太郎義家と呼び、
河内源氏の流れを汲み、源頼朝の祖先にあたります。



そして、水戸藩2代目藩主である水戸光圀。
(水戸の黄門様の方が有名ですが...............)
光圀公は領内巡視の際にこの地に立ち寄りました。
一本松の雄大な姿にいたく感動したらしく、
この巡視以降、松の世話をする松守を置いて、
毎年水戸藩より松の肥料代を出していたと言われています。


さらには、水戸藩九代藩主、徳川斉昭がこの地に立ち寄り
やはり、この高須崎の一本松をいたく気に入り、
『この松を手入れして大事にしなさい』と三十両を出したと言われています。
斉昭公は、領内を巡視し水戸八景を選定して若い藩士の教育の為に
八景の地を歩かせて藩の状況などを知らしめようとしたりと、水戸藩の名藩主でありました。




石碑も幾つかあります。
 
『高須崎古松碑』と刻まれた石碑。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉04



こちらの石碑は徳川光圀と徳川斉昭が詠んだ和歌が刻まれた歌碑。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉05

『高須崎 波にゆらるる一ツ松
さぞや山路の 恋しかるらん 』
(水戸藩二代藩主 徳川光圀の和歌)

『つたえ聞く 何も高須の一つ松
波にこえぬる 緑みすらし 』
(水戸藩九代藩主 徳川斉昭の和歌)




車が通れる道からは、こんな感じ。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉07



茨城百景の碑は、フェンス沿いに建っています。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉09




『 茨城百景 高須崎の一本松 』の碑。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉08

車で来た場合、最初に視界に入ってくるから見つけやすい。



  
最奥にあるのが、こちら。
高須の一本松と勘違いする『いろはもみじ』

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉10

木の前に石碑が建っているから勘違いしやすいらしい。
実は、私もその1人(笑)。



この石碑は徳川斉昭がポンと出した三十両の一部で建てられたらしい。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉11


      20161112茨城百景 高須崎の一本杉12


敷地そのものは広くなく、
そして主役であるはずの一本松は、
とうの昔に枯れてしまったけれど、
この高須崎には、思いもよらぬ逸話が後世に残されているようです...............。




2016/11/28 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 歩崎 》   (2016年11月12日)(茨城県かすみがうら市) 

11月12日 公休日

この日は、茨城県の行方市周辺の茨城百景巡りに出かけました。


茨城百景とは、茨城県観光審議会によって昭和25年に選出された
茨城有数の景勝地が100ヶ所網羅されています。
時代の移り変わりにより、形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。
ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。

実は、私もその一人であり、最近になって茨城百景を追いかけることにいたしました。


そんな訳で、向かった先は..............茨城百景 歩崎


歩崎は、かすみがうら市に在りますが、行方市とは霞ケ浦の対岸。
霞ケ浦大橋を渡ればあっと言う間に到着します。
実は、何年か前に『歩崎』に来た事があり、( その時の記事は こちら
その時に『茨城百景』の碑も確認しているから
碑のある場所には迷わずに行けるはず。

そもそも出島半島突端部の、歩崎という呼称は
三又沖を航行中の船が暴風によって沈没寸前になった時、
船主が大声で「南無観世音菩薩」と唱えると観音様が水上を歩き、
船を近くの崎に無事着岸させたという伝説に因みます。
以来、人々は、「観音様が歩いて着いた崎」いうことから
この地を歩崎と呼ぶようになったそうです。




歩崎森林公園の駐車場にクルマを停め、隣接する歩崎観音へ向かいます。

この辺りは、ハイキングコースになっているようで、案内板も完備。

      20161112茨城百景 歩崎01



北参道から歩崎観音に入って行きましょう。

      20161112茨城百景 歩崎02


この先が歩崎観音。

      20161112茨城百景 歩崎03



北参道は、本堂の裏手から境内に入る形になっています。

      20161112茨城百景 歩崎04


こちらが、本堂。

      20161112茨城百景 歩崎05



本堂に掲げられた扁額。

      20161112茨城百景 歩崎06



こちらが鐘楼。

      20161112茨城百景 歩崎07



そして、仁王門。

      20161112茨城百景 歩崎08

歩崎観音はお世辞にも広いとは言えない境内に
コンパクトに配置されています。




境内と言って良いのか?
仁王門前の敷地に在る、映画『米』の記念碑。

      20161112茨城百景 歩崎09

映画『米』は、昭和32年3月に公開された日本映画で、
封建的な因習の残る農村の人間たちの生活を、
霞ヶ浦の美しい田園風景と共に描いた、今井正監督のカラー映画です。
因みに第31回キネマ旬報の第1位を受賞した作品です。

残念ながら私は未だに観ていませんが...............。



『米』記念碑の脇には、急な石段。
こちらは、正面参道のようです。

      20161112茨城百景 歩崎10

見るからに登るのが大変そうです。



仁王門前の敷地内の一角に建つ『茨城百景 歩崎』の碑。

      20161112茨城百景 歩崎11


      20161112茨城百景 歩崎12



碑のある場所の奥は、ちょっぴり高台になっていて
四阿もあり、展望台になっています。

      20161112茨城百景 歩崎13



百景の碑の近くに建つ説明板。

      20161112茨城百景 歩崎14

歩崎は、茨城県指定の名勝。
茨城県が指定している名勝は5ヶ所しかなく
その内の一つです。



展望台から眺める霞ケ浦。

      20161112茨城百景 歩崎15


      20161112茨城百景 歩崎16

確かに、風光明媚な景色です。



逆光だから、暗くて見づらいですが...............

霞ケ浦をバックに びいすけ をパチリ☆。

      20161112茨城百景 歩崎17


      20161112茨城百景 歩崎18


展望台からは、霞ケ浦。
そして、眼下には歩崎公園。
やっぱり高台の展望台は眺望が良い。




高台の歩崎観音から台地を下ってみます。

      20161112茨城百景 歩崎19



城址を思わせる切通し。

      20161112茨城百景 歩崎20



切通しの道は西参道でした。

      20161112茨城百景 歩崎21



境内への急な石段は表参道でした。

      20161112茨城百景 歩崎22



東西南北が世の常。
北参道が在って、対局の表参道(南?)が在って、
西参道が在れば...............

当然、東参道も在る訳です(笑)。

      20161112茨城百景 歩崎23


いやぁ、小さな観音に4つの参道。
歩崎観音、侮れません。



2016/11/27 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 観音馬場 》   (2016年11月12日)(茨城県行方市) 

11月12日  公休日

この日は、茨城県の行方市周辺の茨城百景巡りに出かけました。


茨城百景とは、茨城県観光審議会によって昭和25年に選出された
茨城有数の景勝地が100ヶ所網羅されています。
時代の移り変わりにより、形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。
ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。

実は、私もその一人であり、最近になって茨城百景を追いかけることにいたしました。

そんな訳で、化蘇沼稲荷神社をあとにして、向かった先は...............茨城百景 観音馬場


観音馬場は、観音寺の本堂から仁王門へと続く参道は観音馬場と呼ばれ、
桜の名所でもあるそうです。
実は、観音寺の本堂のある辺りが小幡城址の主郭跡と言うことで、
今年の7月1日にすぐ近くまで来ていたのですが...............
その時は、この地が茨城百景だとは知りませんでした。
( その時の記事は こちら


仁王門の先に茨城百景の碑がある事は事前に調べてあったので、
迷う事なく『茨城百景 観音馬場』の碑を見つけました。


      20161112茨城百景 馬場観音01


      20161112茨城百景 馬場観音02



北浦村時代の標柱。
朽ち果てて、倒れていました。

      20161112茨城百景 馬場観音03

文字もかすれていて、観音寺........と何とか一部ですが読み取れます。



茨城百景の碑の近くに建つ小さな碑。

      20161112茨城百景 馬場観音04

かつての『三本松の跡地』の碑。



碑の脇の高台に三本松が立っていたのでしょう。

      20161112茨城百景 馬場観音05


      20161112茨城百景 馬場観音06



この先が仁王門。

      20161112茨城百景 馬場観音07

真っ直ぐな参道。
これが『観音馬場』と言われた由縁なんだろう。



こちらが仁王門。

      20161112茨城百景 馬場観音08


      20161112茨城百景 馬場観音09



暗がりの中を覗き込むと、こちらを睨みつける仁王像。

      20161112茨城百景 馬場観音10


      20161112茨城百景 馬場観音11



仁王門の脇には土塁。

      20161112茨城百景 馬場観音12


ちょうど、仁王門が虎口のような感じです。

      20161112茨城百景 馬場観音13




こちらが観音堂。

      20161112茨城百景 馬場観音14

7月に来た時は此処まで来て、本堂の駐車場に引き返しちゃったんだよなぁ。


その脇の新しいお堂には、茨城県指定文化財の如意輪観音坐像が祀られています。

      20161112茨城百景 馬場観音15


      20161112茨城百景 馬場観音16


      20161112茨城百景 馬場観音17



観音堂の在る辺りには、石碑や石仏が多い。

      20161112茨城百景 馬場観音18


      20161112茨城百景 馬場観音19


      20161112茨城百景 馬場観音20


      20161112茨城百景 馬場観音21




さらに参道を歩き、観音寺の本堂へと進みます。


観音寺の寺号碑。

      20161112茨城百景 馬場観音22



本堂の手前。

      20161112茨城百景 馬場観音23

7月に来た時は紫陽花の花が咲き乱れていたけれど
この時期の境内は閑散としています。


境内にある大シイの樹。

      20161112茨城百景 馬場観音24

北浦村の天然記念物に指定され、それを行方市が引き継いでいます。
樹齢は約500年と言う事らしい。


小幡城址の碑。

      20161112茨城百景 馬場観音25


先ほどの三本松についても触れています。

      20161112茨城百景 馬場観音26

高須崎の一本松同様、松食い虫の被害に遭って枯れてしまったようですが
双方の松は、この鹿行(鹿島・行方)地区では有名だったらしい。



さらにその先は旧・要小学校。
小幡城址の二郭になります。

      20161112茨城百景 馬場観音27


虎口の土塁。

      20161112茨城百景 馬場観音28


      20161112茨城百景 馬場観音29


      20161112茨城百景 馬場観音30



まさか、3ヶ月の間に再訪するとは思わなかったけれど
茨城百景 観音馬場、これにて制覇です。





2016/11/26 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 化蘇稲荷神社 》   (2016年11月12日)(茨城県行方市) 

11月12日  公休日

この日は、茨城県の行方市周辺の茨城百景巡りに出かけました。


茨城百景とは、茨城県観光審議会によって昭和25年に選出された
茨城有数の景勝地が100ヶ所網羅されています。
時代の移り変わりにより、形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。
ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。

実は、私もその一人であり、最近になって茨城百景を追いかけることにいたしました。

そんな訳で、この日最初に向かったのは...............茨城百景 化蘇沼稲荷


化蘇沼稲荷とは、北浦村(現:行方市)内宿に在る化蘇沼稲荷神社のことで
文明10年(1478)の創建と伝えられています。
「関取稲荷」の別名があり、古くから豊作祈願の行事として奉納相撲が行われることで有名です。
この相撲は取り組む力士を田と畑に見立て、
勝ったほうの作物(稲作か畑作か)が豊作になるといわれています。
天保年間(1830~1844年)に江戸相撲で活躍した当町出身の鹿島灘鰐右衛門(四代目秀ノ山親方)が
奉納相撲をしたことで一段と盛んになったということです。
 
現在も毎年8月25日の夏祭りにこの相撲が氏子地区対抗戦の形で行われ、人気を呼んでいます。
夏祭りには、このほか巫女舞が奉納されます。
当番地区内の小学6年生の女子が雅楽に合せて古式ゆかしく舞うもので、
昭和21年から行われているそうです。


県道184号線を旧・武田小学校方面から北上すると
右カーブの先に鳥居が見えてきます。
 
      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社01



鳥居の脇にひっそりと建つ茨城百景の碑。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社02



裏面には昭和25年5月選定と刻まれています。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社03



思いのほか、簡単に見つかった茨城百景の碑。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社04



真新しい木の鳥居は、東日本大震災で石造りの鳥居が崩壊してしまったために
新しく作り直されたモノらしい。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社05



この道を真っ直ぐに行けば、化蘇沼稲荷神社。
いわゆる参道です。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社06


参道の両脇には古い桜の木々。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社07

春は桜の名所かも知れない。


参道からは、筑波山も見えたりして
なかなか風光明媚な場所にようです。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社08


参道の奥は、化蘇沼稲荷神社。
石造りの二の鳥居が出迎えてくれます。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社09



鳥居脇の説明板。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社10

今でこそ行方市ですが、茨城百景が選定された昭和25年当時は武田村。
昭和30年に北浦村となり、平成9年に北浦町。
平成17年に行方市と変遷しています。



鳥居前にて一枚パチリ。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社11


こちらが拝殿。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社12


拝殿前のお稲荷さんと一枚パチリ。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社13


何やら、不思議な像。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社14

どうやら寸津比古(きつひこ)・寸津比売(きつひめ)の彫刻らしい。



像の脇には説明板。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社15

説明板には、常陸風土記の行方の芸都(きつ)の里の話が書かれています。
要約すれば...............

昔、この辺りを芸都(きつ)の里と呼び、寸津比古、寸津比売と言う二人の国栖(くず)が居ました。
寸津比古は、倭武天皇の巡幸を前にして、命に逆らい、はなはだ無礼な振る舞いをしたので、
剣の一太刀で討たれてしまいました。
寸津比売は、恐れをなして白旗をかかげて道端にひれ伏し、天皇を迎えました。
それを見た天皇は憐れみ、その家をお許しになられました。
更に乗輿を進め、小抜野の仮宮に行かれるときに、寸津比売は、姉妹をともに引き連れ、
雨の日も風の日も、真の心を尽くして朝夕に仕えました。
天皇姿をお喜びになり愛しくなったことから、
この野をうるはしの小野と呼ぶようになったと言うことです。



常陸の国は常陸国風土記から常世の国とも呼ばれていて、
その語源は「面積はすこぶる広大で、境界もまたはるかに遠く、
土壌は肥えに肥え、原野はゆたかなうえにも豊かです。
耕し墾かれた処と海山の幸にめぐまれて、人々は心やすらかに満足し、
家々は充ち足りて賑わっていました。
いわゆる、海の宝庫・陸の宝蔵、膏したたる物産の楽土である
ゆえに、常世の国と言われた」 と伝わっているようです。

常陸の国って奥が深いかも?





境内でひときわ目立つ巨木。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社16

この巨木(古木)はモミの木で、幹回り約4m、樹高約16m、樹齢は約360年と言われていて、
北浦村(現:行方市)の天然記念物に指定されているようです。


行方市教育委員会の説明板。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社17



別アングルから見ても、やっぱり大きい。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社18


北浦村時代の標柱。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社19



こちらの樹は、今の平成天皇が皇太子の時に植えられた楠木らしい。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社20



本殿のさらに奥には、土俵。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社21

この場所で夏祭りに際に奉納相撲が行われます。
化蘇沼稲荷神社は別名「関取稲荷」といわれるようで、昔から相撲が盛んだったようです。


古くは三宿と呼ばれ(武田、内宿、両宿)賑わいをみせていたようです。
特にこの化蘇沼稲荷神社は江戸中期以降、参拝者が増え
境内には9軒の茶屋が誕生したそうです。
「お江戸見たけりゃ武田へおいで、武田三宿江戸勝り」
と人々が唄うまでになったそうです。

現在の長閑なこの地区からは、とても考えられませんね。


2016/11/25 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 牛久沼 》   (2016年10月7日)(茨城県つくば市) 

10月7日 公休日

茨城県には、昭和25年に制定された『茨城百景』なるモノがあります。

茨城百景とは、茨城県観光審議会によって昭和25年に選出された茨城有数の景勝地が100ヶ所網羅されています。
時代の移り変わりにより、形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。
ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。

実は、私もその一人であり、最近になって茨城百景を追いかけることにいたしました。


『 茨城百景 龍ヶ崎観音 』をあとにして向かった先は...............茨城百景 牛久沼


牛久沼と言うと、牛久市と思いがちですが
『 茨城百景 牛久沼 』の茨城百景の碑は、旧・茎崎町であるつくば市の泊崎太子堂に在ると言うことで
泊崎太子堂へと向かいました。

泊崎太子堂は、弘法大師(空海)がこの地を訪れ千座護摩を修めたところに建てられたと伝えられています。
昔から縁結びと長寿にご利益があるされていて、別名、弘法大師堂とも呼ばれています。
今ではここにお参りすると長患いせずに人生の最後を迎えられるとして
多くの人々の信仰を集めています。
牛久沼を見下ろす高台にあり、風光明媚な場所です。
大師堂の参道には「茨城百景 牛久沼」の碑があります。
大師堂のある場所は、つくば市の最南端となります。

また、弘法大師が訪れたこの地には、弘法の七不思議と言う伝説が残されています。

1、駒の足跡(こまのあしあと)。
駒(馬)に乗って弘法大師が現れ、小川に架かる石橋を渡ったときに
足跡が残ったとされる。
2、木瓜(ぼけ)。
弘法大師がこの地を訪れる際通った山道の木瓜は、
それ以来、実をつけなくなったという。
3、逆松(さかさまつ)。
弘法大師が持っていた松の杖が根付いたものとされる。
4、硯水(すずりみず)。
弘法大師が字を書くときに使ったとされる湧き水。
5、独鈷藤(とっこふじ)。
大師堂の藤の節が独鈷の形に似ていることからその名がつけられた。
6、五葉の杉(ごようのすぎ)。
大師堂にあった杉の木の葉が5枚の葉をつけていたとされています。
7、法越(のっこし)。
弘法大師が、馬に乗って川を渡った場所が法越で、
以来その場所には藻が生えなくなった。

現在、駒の足跡と逆さ松が大師堂にあり、硯水は失われていたが、
大師堂の近くに再現されました。それらも以外は残念ながら現存していません。


こちらが泊崎太子堂の入り口。

つくば市の観光案内図と弘法の七不思議の説明看板が建っています。

      20161007茨城百景牛久沼01


正面に見えるお堂が泊崎太子堂。

      20161007茨城百景牛久沼02


参道には、弘法大師の像と茨城百景の碑。

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『 茨城百景 牛久沼 』の碑。

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弘法の七不思議の『逆松』と『駒の足跡』

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高台に建っている泊崎太子堂。

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泊崎太子堂の扁額。

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太子堂の建っている高台は削平地。

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かつては泊崎城が在った場所らしい。



太子堂背後の牛久沼。

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この風景が茨城百景。

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この日は晴れているから、青空に牛久沼が映えています。

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泊崎太子堂の近くに、こんな看板。
どうやら、弘法の七不思議の一つ『硯水』が近くにあるようです。

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せっかくだから、探してみましょう。



此所か? と思ったら違っていた。

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七浦弁財天でした。

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七浦弁財天は、牛久沼の湖畔に鎮座していました。

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七浦弁財天に隣接する泊崎弁財天。

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何故だか、弁天様が多い。

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そもそも弁財天は、泉や島や港湾の入り口などに、弁天社や弁天堂として数多く祀られていたり、
弁天島や弁天池など地名として残っていることもあるから、
いずれにしても海や湖や川などの水に関係していることが多いみたいです。



肝心の『硯水』は見つかりません。

いつの間にか、牛久沼の湖畔に来てしまいました。

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さらに、歩くこと5分。

やっと『硯水』を見つけました。

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伝説の湧水のようですが、残念ながら枯れる寸前のようです。

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『 茨城百景 牛久沼 』は、包括地点として
泊崎、大師堂、岡見城址、小川芋銭の遺蹟、釣場、猟場金龍寺を有しています。

泊崎や太子堂は旧・茎崎町(現・つくば市)であり、
岡見城址、小川芋銭の遺蹟は牛久市にあたる。
涸沼の例もあるから、ひょっとしたら牛久市側にも百景の碑があるんだろうか?







2016/11/04 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit