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び・び・びのびいすけ

廃校を訪ねて..........羽鳥小学校  (2017年7月21日)(福島県岩瀬郡天栄村)  

7月21日

福島旅行の2日目。

明神滝をあとにして、向かった先は...............天栄村立羽鳥小学校



羽鳥小学校は、明治25年に創立した湯本尋常小学校の分教場が
その始まりのようです。

明治44年     辰目沢分教場開設
昭和22年     学制改革により、湯本村立湯本小学校辰目沢分教場と改称。
昭和30年     牧本村・湯本村・大里村と広戸村の一部が合併して天栄村が発足。
天栄村立     湯本小学校辰目沢分校と改称する。
昭和39年     湯本小学校より独立、天栄村立羽鳥小学校となる 。
平成14年     湯本小学校に統合され、廃校となる。

と、このような沿革となっています。



天栄村から下郷町へと繋ぐ国道118号線沿いに
廃校となった羽鳥小学校は在りました。


こちらが、羽鳥小学校の正門。

      20170721羽鳥小学校01


コンクリートブロック製の門柱。

      20170721羽鳥小学校02


表札は、しっかりと残っていました。

      20170721羽鳥小学校03



正門辺りからの羽鳥小学校の全景。

      20170721羽鳥小学校04

体育館がやけに目立ちます。
画面の真ん中よりちょっと右の水色の建物が校舎のようです。


こちらが、その校舎。

      20170721羽鳥小学校05

意外や意外。
木造の平屋建ての校舎でした。

廃材が積まれていた校庭の状態から
てっきり、鉄筋の校舎を解体したあとだと思っていたら
木造の校舎が残っていたんですね。


雪が深く、冬の寒さが厳しいことが
校舎の窓から出ているストーブの煙突で容易に計り知れます。

      20170721羽鳥小学校06



校舎の壁に掲げられた時計

      20170721羽鳥小学校24



体育館とプール。

      20170721羽鳥小学校07



プール脇の大きな木。
こちらが、シンボルツリーだったのかな?

      20170721羽鳥小学校08



校庭を徘徊する びいすけ 。

      20170721羽鳥小学校09


      20170721羽鳥小学校10



校庭の隅に記念碑を発見!。

      20170721羽鳥小学校12



碑の正面には、校歌と簡素な沿革が刻まれています。

      20170721羽鳥小学校11


      
裏面には、羽鳥小学校の卒業生一覧。

      20170721羽鳥小学校13



校庭に残る遊具類。

      20170721羽鳥小学校15


      20170721羽鳥小学校16


      20170721羽鳥小学校17



雲梯は、雑草に埋もれています。

      20170721羽鳥小学校18



小さなジャングルジムも雑草に埋もれています。

      20170721羽鳥小学校19


こちらの 棒あがり(?) も雑草の中。

      20170721羽鳥小学校20



校庭には、こんなモノもありました。

      20170721羽鳥小学校21

放射能計。


福島県って被災地なんだなぁと改めて考えさせられます。

      20170721羽鳥小学校22

果たして、この数値が良い数値なのか?
はたまた悪い数値なのか?

それには触れないでおきましょう。


正門近くの白樺の木。

      20170721羽鳥小学校23

小学校に白樺の木とは珍しい。
ひょっとしたら、こちらがシンボルツリーだったのかな?



     



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2017/08/20 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........羽鳥小学校黒沢分校  (2017年7月21日)(福島県岩瀬郡天栄村)  

7月21日 公休日

福島県の旅行の2日目。

レジーナの森を11時に出発して、
最初に向かった先は...............天栄村立羽鳥小学校黒沢分校


黒沢分校は、元々は湯本小学校の季節分校として設立されましたが
湯本小学校辰目沢分校が羽鳥小学校として独立した際に
羽鳥小学校の分校になったようです。


昭和28年黒沢季節分校開設
昭和29年黒沢分校開設
昭和30年天栄村立湯本小学校黒沢分校と改称する。
昭和39年辰目沢分校が独立して羽鳥小学校となり
天栄村立羽鳥小学校黒沢分校と改称する。
平成14年羽鳥小学校が湯本小学校に統合され黒沢分校も廃校となる。

と、このような沿革となっています。



黒沢集落の奥。
かなり山深い場所に、黒沢分校は在りました。

      20170721羽鳥小学校黒沢分校01



木造に小さな校舎。

      20170721羽鳥小学校黒沢分校02


      20170721羽鳥小学校黒沢分校03
     

      20170721羽鳥小学校黒沢分校04



なぜか玄関が開いている。

      20170721羽鳥小学校黒沢分校05

誰か居るのか?
声を掛けてもだれも居る気配はありません。


恐る恐る中に入ってみると...............

      20170721羽鳥小学校黒沢分校06

道路工事の看板の山。

どうやら、土木工事会社の倉庫となっているようです。



倉庫となっていてもやっぱりココは、かつての分校の校舎。
給食室も有ったようです。

      20170721羽鳥小学校黒沢分校07



理科の実験用機材も残ってました。

      20170721羽鳥小学校黒沢分校08


廃虚マニアでもないし、『荒らし』でも無いので
早々に校舎内から引き上げます。


しかしながら校舎の周りは、かなり雑草が伸びてきています。

      20170721羽鳥小学校黒沢分校09


      20170721羽鳥小学校黒沢分校10



こちらは裏口って言うか、通用口だったのでしょう。

      20170721羽鳥小学校黒沢分校11



なぜか、校庭にポツンと椅子が置かれている。

      20170721羽鳥小学校黒沢分校12


工事関係者が置いたモノでしょう。
雨風に打たれ、いつしかこの椅子も朽ちていくのでしょう。

雑草に覆われながら、校舎もいつか朽ちていくのだろうか...............?





2017/08/19 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........旭田小学校中妻分校  (2017年7月20日)(福島県会津郡下郷町)   

7月20日

7月20日〜21日に福島県の南会津方面に出かけました。

題して、南会津・下郷町の廃校巡り。

その第10弾は................下郷町立旭田小学校中妻分校


中妻分校は、現地の廃校(閉校)記念碑に刻まれた沿革を参考に
この地域の変遷をかんがみて

明治6年     弥五島小学校中妻分教場設置。
明治7年     中妻小学校設置。
明治36年    中妻尋常小学校と改称。
大正3年     旭田小学校中妻分教場となる。
昭和22年    学制改革により旭田村立旭田小学校中妻分教場と改称する。
昭和30年    旭田村が楢原町、江川村と合併して下郷町が誕生。
          下郷町立旭田小学校中妻分校と改称する。
平成17年    本校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。



こちらが中妻分校の正門。

      20170720旭田小学校中妻分校01



コンクリート製の門柱。

      20170720旭田小学校中妻分校02



表札もセメントのプレート。

      20170720旭田小学校中妻分校03



校舎は平屋建ての木造校舎。

      20170720旭田小学校中妻分校04


      20170720旭田小学校中妻分校06




現在は、学び舎・ポッポ館 と言うアトリエ(?)として利用されているようです。

      20170720旭田小学校中妻分校05

どうやら、ここのアトリエ主は東京八王子から こちらにアトリエをオープンをしたらしい。
そういえば、敷地内に八王子ナンバーの車が停まっていたっけ。


低学年(1〜3年生)が通った分校のようです。

     
背を伸ばして窓ガラスの中を覗きこむと
教室に各学年が区分けされています。

      20170720旭田小学校中妻分校08


      20170720旭田小学校中妻分校09


教室の一部を体育館としていたようです。

      20170720旭田小学校中妻分校10




こちらは、倉庫でしょうか?
それともトイレ?
外からじゃよく判りません。

      20170720旭田小学校中妻分校07



校舎の壁面に掲げられた時計。

      20170720旭田小学校中妻分校11

時刻が思い切りズレてるし...............


校庭整備用にローラー。

      20170720旭田小学校中妻分校12



校庭の隅には、閉校記念碑。

      20170720旭田小学校中妻分校13


裏には沿革が刻まれています。

      20170720旭田小学校中妻分校14



雑草の中に埋もれつつある遊具。

      20170720旭田小学校中妻分校15

ブランコよりも手前の洗濯物干しの方が生活感があって気になっちゃいます(笑)。


雑草に埋れかけた鉄棒。

      20170720旭田小学校中妻分校16


ここでも びいすけ は敷地内を徘徊。

      20170720旭田小学校中妻分校17

まるで、ドッグランにでも来たと思っているのかな?



青空に伸びる国旗掲揚ポール。

      20170720旭田小学校中妻分校18

でも、校旗が掲げられ
風にはためく事は、もう無いんだよね.................。





2017/08/14 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........楢原小学校弥五島分校 (2017年7月20日)(福島県会津郡下郷町) 

7月20日

7月20日〜21日に福島県の南会津方面に出かけました。

題して、南会津・下郷町の廃校巡り。

その第9弾は................下郷町立楢原小学校弥五島分校


弥五島分校も詳しい沿革は解りません。

現地に在った記念碑には、簡素ながらも
明治5年8月2日 弥五島小学校創設
昭和54年3月31日 楢原小学校弥五島分校として本校舎に統合のため閉校

と刻まれています。
元々は弥五島小学校として創設されましたが
楢原小学校のHPによれば、

『昭和32年 大内分校は江川小の、弥五島分校は楢原小の分校となる』

と記載されていることから、
いつの時代かはわかりませんが、
以前は江川小学校の分校になっていたようです。

昭和32年下郷町立楢原小学校弥五島分校となる。
昭和54年本校に統合されて廃校となる。

と、簡素ながらもこのような沿革となるようです。



こちらが弥五島分校正門。

      20170720楢原小学校弥五島分校01


表札は、分教場となっています。

      20170720楢原小学校弥五島分校02



こちら側の門柱の表札は外されています。

      20170720楢原小学校弥五島分校03

おそらく、本校であった楢原小学校の名が刻まれていたのでしょう。



小ぶりながらも二階建ての木造校舎。

      20170720楢原小学校弥五島分校04



赤い屋根に茶色い壁面。

      20170720楢原小学校弥五島分校05

下郷町の廃校の木造校舎に多い配色です。


比較的、綺麗な校舎。

      20170720楢原小学校弥五島分校06


保存状態も良いようです。

      20170720楢原小学校弥五島分校07



それもそのはずです。
現在は、民間に貸し出されていて、
川田太鼓工房 弥五島会館となっています。

      20170720楢原小学校弥五島分校08

この日は開いていませんでしたが、
和太鼓の練習場として利用されているようです。


逆光で碑文が暗く読みづらいですが、閉校(廃校)記念碑。

      20170720楢原小学校弥五島分校09

下郷地区最古の小学校だったらしい。
確かに明治5年創設とは...............

明治5年に明治政府から教育令が出されて直ぐに創設された学校な訳ですね。



      20170720楢原小学校弥五島分校10

1979年(昭和54年)建立と刻まれているから
廃校の時に建立されたんですね。
下郷町の他の分校の記念碑は、平成になってからの建立が多いから
それだけ、この弥五島地区って言うのは小学校に思い入れがあったんでしょうね。




そして、見つけました!

下郷町って言うか、福島県で初めて見かけた二ノ宮像。

      20170720楢原小学校弥五島分校11

なぜか、ここまで二ノ宮像には出会えなかったんだよなぁ。



残念なことに、二ノ宮像はあったのに遊具類は無し。



校庭跡を徘徊する びいすけ 。

      20170720楢原小学校弥五島分校12


      20170720楢原小学校弥五島分校13



空は澄み渡り、真夏の陽射しの南会津地方。


隣接するお寺との境界には古い桜の木。

      20170720楢原小学校弥五島分校14

春には立派な花を咲かせることでしょう。


ただ、陽射しの強いこの時期。
葉桜の木の下は絶好の陽よけとなっています。

      20170720楢原小学校弥五島分校15


弥五島分校の桜も満開の頃に見に来たいなぁ。




2017/08/13 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........江川小学校大内分校 (2017年7月20日)(福島県会津郡下郷町) 

7月20日 公休日

7月20日〜21日に福島県の南会津方面に出かけました。

南会津の下郷町には20近くの廃校があります。
題して、下郷町廃校巡り。
その第8弾は...............下郷町立江川小学校大内分校


大内分校の沿革もよく分かりません。
楢原小学校のHPには一部記載されていますが
当初は楢原小学校の分校だったようですが、
やがて江川小学校の分校となったようです。
本校である江川小学校のHPを見ても沿革が記載されていないので
詳しいことは解りません。

楢原小学校のHPを参照すると、

『明治20年 豊成・栄富・戸赤・大内の各校を簡易小学校と改称する。』

との記載がありますので、
明治20年以前に大内小学校として開設されていたようです。




明治20年      豊成・栄富・戸赤・大内の各校を簡易小学校と改称する。
明治35年      近隣の簡易小学校4校(豊成、栄富、戸赤、大内)を合併して
            楢原尋常小学校と総称し、各々を分教室とする。
昭和22年      学制改革により、楢原町立檜原小学校大内分教場となる。
昭和30年      楢原町が旭田村、江川村と合併して下郷町が誕生。
            下郷町立楢原小学校大内分校と改称する。
昭和32年下郷町立江川小学校大内分校となる。
平成17年本校に統合されて廃校ぬなる。

と、このような沿革となっているようです。



実は、この大内分校は下郷町では1番メジャーな観光地である
『大内宿』の一角に在ります。

メインストリートとでも言う日光街道(下野街道)の藁葺き古民家から
ちょっと奥に入った場所に在りました。

      20170720江川小学校大内分校01


今回の廃校巡りで珍しく感じてしまう近代的な校舎。

      20170720江川小学校大内分校02


      20170720江川小学校大内分校03


ここに来るまでに巡ってきた廃校は殆どが古い木造校舎でした。
こちらは、見た感じが軽量鉄骨の校舎のようです。

重要伝統的建造物群保存地区である大内宿。
その宿場町に在った小学校だから、
かなり校舎には期待をしていたんですが
ちょっぴり、ガッカリ感は否めません。

      20170720江川小学校大内分校04



こちらは、プールと体育館。

      20170720江川小学校大内分校05


      20170720江川小学校大内分校06

そういえは、プールを見るのは下郷町の廃校では初めてかも?



校舎前に建つ『創立百周年記念碑』。

      20170720江川小学校大内分校07



校庭は意外に広い。

      20170720江川小学校大内分校08


      20170720江川小学校大内分校09



遊具もそれなりに残っています。

      20170720江川小学校大内分校10


      20170720江川小学校大内分校11


      20170720江川小学校大内分校12



校庭からの大内分校の全景。

      20170720江川小学校大内分校13



江戸時代から続く藁葺き屋根の古民家が
重要伝統的建造物群保存地区として保存されているのに
明治期に創設された小学校が廃校になってしまった。

時代流れと言ってしまえば、それまでだけど
何とも因果な時代のようです...............。







2017/08/11 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........楢原小学校中山分校  (2017年7月20日)(福島県会津郡下郷町) 

7月20日 公休日

7月20日〜21日に福島県の南会津方面に出かけました。

題して、南会津・下郷町の廃校巡り。

その第7弾は................下郷町立楢原小学校中山分校



中山分校も詳しい沿革が不明です。
統合先の楢原小学校のHPにも中山分校については余り触れておらず
創立時期や楢原小学校の分校になった時期等は不明です。
ただ、中山集落のある中山峠が会津城下へと続く下野街道の難所であり
古くから人の往来もあり、それなりに人が住んで居たことを考えれば
それなりの歴史があった学校だったのではないでしょうか?

しかしながら、平成5年に休校となり、
平成17年に本校に統合される形で廃校になりました。



下野街道沿いに中山分校は在ります。

      20170720楢原小学校中山分校01



木造平屋建ての校舎。

赤い屋根に茶色い壁は、この地方のお約束?

      20170720楢原小学校中山分校02


      20170720楢原小学校中山分校03


      20170720楢原小学校中山分校04


      20170720楢原小学校中山分校05




廃校後は、中山古民具館として活用されていたのでしょう。

      20170720楢原小学校中山分校06

現在はしっかりと施錠され、倉庫のような使われ方をしているようです。



校舎前には朽ちた児童用の椅子。

      20170720楢原小学校中山分校07

錆びた金属パイプだけになっています。



お世辞でも広いとは言えない校庭。

      20170720楢原小学校中山分校08

でも山間部の小さな分校ではちょうど良い広さ。

残念ながら、廃校記念碑など無く、遊具も残っていません。

      20170720楢原小学校中山分校09


敷地の隅には、一里塚の碑。

      20170720楢原小学校中山分校10

まさしく、下野街道の遺構。

この先にある大内宿がスポットを浴びちゃったけれど
この地も下野街道の一部。


学校が在るほどの集落だったのに、
真夏の平日の昼間だから仕方ないかも知れないけれど、
今は人も見かけない集落なんですね。


ちょっぴり、寂しいものです。





2017/08/09 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........楢原小学校戸赤分校  (2017年7月20日)(福島県会津郡下郷町)   

7月20日  公休日

7月20日〜21日に福島県の南会津方面に出かけました。

題して、南会津・下郷町の廃校巡り。

その第6弾は................下郷町立楢原小学校戸赤分校



三ツ井分校からさらに山の奥へと進んで行くと
山桜で有名な戸赤集落に辿り着きます。
その戸赤集落に戸赤分校が在ります。


戸赤分校の詳しい沿革も良く解りません。
現地に在った閉校(廃校)記念碑に沿革が刻まれていることを期待しましたが
残念ながら沿革の記載は無し。

本校である楢原小学校のHPには

『明治20年 豊成・栄富・戸赤・大内の各校を簡易小学校と改称する。』

と記載されていることから、
明治の初めに創立されたものだと推測されます。


明治20年      豊成・栄富・戸赤・大内の各校を簡易小学校と改称する。
明治35年      近隣の簡易小学校4校(豊成、栄富、戸赤、大内)を合併して
            楢原尋常小学校と総称し、各々を分教室とする。
昭和22年      学制改革により、楢原町立檜原小学校戸赤分教場となる。
昭和30年      楢原町が旭田村、江川村と合併して下郷町が誕生。
            下郷町立楢原小学校戸赤分校と改称する。
平成11年      休校となる。
平成17年      本校に統合されて廃校になる。

と、このような沿革になるようです。



こちらが、戸赤分校の正門。

      20170720 楢原小学校戸赤分校01



割と新しい門柱。

      20170720 楢原小学校戸赤分校02



校名のプレート(表札)も健在。

      20170720 楢原小学校戸赤分校03


      20170720 楢原小学校戸赤分校04



こちらが、戸赤分校の校舎。

      20170720 楢原小学校戸赤分校05


      20170720 楢原小学校戸赤分校07


      20170720 楢原小学校戸赤分校08


      20170720 楢原小学校戸赤分校15

廃校後、「戸赤自然体験あそびの学校」として活用されているから
てっきり建て替えられた建物かと思っていたら、
平成4年に新たに建てられた校舎と言うことです。

平成の時代に木造で校舎を新築するなんて
木造校舎が多く残る地らしい粋な計らいです。


楢原小学校の校章もしっかり玄関の上の壁に掲げられています。

      20170720 楢原小学校戸赤分校06

たまたま、こちらに居らした管理人のおばちゃんに話をしたら
この日は10数人の子供たちが泊まりに来て、
近くの川で水遊びをするらしい。
慌ただしく動き回っていました。


玄関脇に置かれたモニュメント。
『友情』とか言うタイトルだったのでしょうか?

      20170720 楢原小学校戸赤分校16

無造作に置かれ、用具の中に埋もれているような感じでした。



校庭に目を移すと...............

あらまぁ、すごい事になっている。

      20170720 楢原小学校戸赤分校09



ちょうど分校前の川の護岸工事をしていて
その工事の資材置き場と工事事務所となっています。

      20170720 楢原小学校戸赤分校10


      20170720 楢原小学校戸赤分校11


邪魔にならないように、工事関係者の方の許可を頂いて
校庭跡を探索します。

工事事務所の脇に石碑を発見!

      20170720 楢原小学校戸赤分校12



閉校(廃校)記念碑です。

      20170720 楢原小学校戸赤分校13

裏面に沿革が刻まれているのを期待しましたが
残念!
この碑の建立にあたっての寄付をされた方の名簿になっていました。




唯一残っていた遊具。

      20170720 楢原小学校戸赤分校14

しかし、残された遊具が鉄棒だけって...............
下郷町にはこのパターンが多くない?

何となく寂しい気がするのは...............気のせい?






2017/08/07 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........楢原小学校三ツ井分校  (2017年7月20日)(福島県会津郡下郷町) 

7月20日  公休日

7月20日〜21日に福島県の南会津方面に出かけました。

題して、南会津・下郷町の廃校巡り。

その第5弾は................下郷町立楢原小学校三ツ井分校



三ツ井分校の詳細は不明と言うか
統合された本校である楢原小学校のHPにもほとんど記載されておらず
詳しい内容は解りません。


ただ、現地に在った閉校(廃校)記念碑によれば

明治7年     志源行村下等小学校設置。
大正9年     楢原小学校三ツ井分教場となる。
昭和45年    楢原小学校に統合されて廃校となる。

とだけ記載されています。

詳しく推挙すれば

明治7年     志源行村下等小学校設置。
大正9年     楢原尋常小学校三ツ井分教場になる
昭和22年    学制改革により楢原町立楢原小学校三ツ井分教場と改称する。
昭和30年    楢原町が旭田村、江川村と合併して下郷町が誕生。
          下郷町立楢原小学校三ツ井分校と改称する。
昭和45年    本校に統合され廃校となる。

と、このような沿革になるのでしょう。





両脇が藪の狭い舗装路を上った先に、三ツ井分校は在りました。

     20170720楢原小学校三ツ井分校01



赤い屋根に茶色い壁。
木造校舎です。

     20170720楢原小学校三ツ井分校02



訪れた時期が悪いのだろうか?
普段から使用されていないから、管理もされてなく
雑草が伸び放題。

     20170720楢原小学校三ツ井分校03



玄関までは辿り着けますが...............

      20170720楢原小学校三ツ井分校04



その先は、かなり藪状態。

      20170720楢原小学校三ツ井分校05



私の後を付いてくる びいすけ は、雑草に隠れちゃう(笑)。

      20170720楢原小学校三ツ井分校06



やっぱり、このアングルが一番かな?

      20170720楢原小学校三ツ井分校07



敷地の一角には、閉校(廃校)記念碑。

      20170720楢原小学校三ツ井分校08


      20170720楢原小学校三ツ井分校09



この三ツ井分校にも桜の木が多い。
ちょっとした桜の穴場なのかもしれない。

      20170720楢原小学校三ツ井分校10



携帯電話のアンテナなのか?
大きな支柱が気になります。

      20170720楢原小学校三ツ井分校11



雑草が生い茂り、校舎周りの探索は諦めましたが
時期を選べばもっと見応えがあるかも知れない。

遊具等も確認出来ず、ちょっぴり残念でした。




2017/08/06 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........楢原小学校栄富分校 (2017年7月20日)(福島県南会津郡下郷町) 

7月20日 公休日

7月20日〜21日に福島県の南会津方面に出かけました。

題して、南会津・下郷町の廃校巡り。

その第4弾は................下郷町立楢原小学校栄富分校


いつもは、廃校を探すのに結構苦労したりしますが
今回は、事前の調査とナビ係をしてくれる『もっちゃん』が居たから
スムーズに辿り着くことが出来ました。


栄富分校も豊成分校同様、多くの変遷を経て
廃校に至ったようです。
HPに記載された本校である楢原小学校の沿革を参考に紐解くと
明治6年に創立された倉谷村下等小学校がその礎となるようです。

明治6年      倉谷村下等小学校を松庵寺に設置する。
明治13年     栄富小学校と改称する。
明治20年    栄富簡易小学校と改称する。
明治35年    近隣の簡易小学校4校(豊成、栄富、戸赤、大内)を合併して
          楢原尋常小学校と総称し、各々を分教室とする。
昭和22年    学制改革により、楢原町立檜原小学校栄富分教場となる。
昭和30年    楢原町が旭田村、江川村と合併して下郷町が誕生。
          下郷町立楢原小学校栄富分校と改称する。
昭和41年    本校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。


こちらが、栄富分校の入り口。
おそらく、かつては門柱があったのだろうが、現在は無い。

      20170720楢原小学校栄富分校01


緩やかな坂を上がった先に小学校が在るってパターンは多い。

      20170720楢原小学校栄富分校02



坂を上った先に木造校舎が現れます。

      20170720楢原小学校栄富分校03


      20170720楢原小学校栄富分校04


      20170720楢原小学校栄富分校07



平屋建てですが、赤い屋根に茶色い壁。

      20170720楢原小学校栄富分校05

これぞ、木造校舎の王道ですね。



校庭には、トラックが置かれていました。

      20170720楢原小学校栄富分校06

現在は、建設会社の資材倉庫として利用されているようです。



      

校舎の脇に石碑を発見!。
廃校記念碑かと思ったら違っていました。

      20170720楢原小学校栄富分校08


      20170720楢原小学校栄富分校09



創立百周年の記念碑ですね。

      20170720楢原小学校栄富分校10



裏面には沿革が刻まれていますが
楢原小学校のHPに記載された沿革とは若干違うようです。

      20170720楢原小学校栄富分校11


古タイヤが遊具として埋められていましたが
伸びてきた雑草に隠れて、見つけにくい。

      20170720楢原小学校栄富分校12


古びた鉄棒。

      20170720楢原小学校栄富分校13



廃校から既にかなりの年月を経てますが
木造校舎も一応健在。
下郷町の廃校は木造校舎が残っていることが多いから
廃校巡りも楽しくなりますね。



2017/08/05 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............楢原小学校豊成分校 (2017年7月20日)(福島県南会津郡下郷町) 

7月20日 公休日

7月20日〜21日にかけて、福島県下郷町近辺に出かけました。

下郷町には20近くの廃校があり、今回は下郷町の廃校巡りがメインの旅行。
その下郷町の廃校巡りの第3弾。

下郷町立楢原小学校豊成分校 です。



本校であった楢原小学校のHPによれば、
豊成分校は、明治7年に創設された楢原村下等小学校がその礎となるようです。

明治7年     楢原村下等小学校を円福寺に設置する。
明治13年    豊成小学校と改称する。
明治20年    豊成簡易小学校と改称する。
明治35年    近隣の簡易小学校4校(豊成、栄富、戸赤、大内)を合併して
          楢原尋常小学校と総称し、各々を分教室とする。
昭和22年    学制改革により、楢原町立檜原小学校豊成分教場となる。
昭和30年    楢原町が旭田村、江川村と合併して下郷町が誕生。
          下郷町立楢原小学校豊成分校と改称する。
昭和54年    本校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。




こちらが豊成分校の正門。

      20170720楢原小学校豊成分校01

正門と言ってもコンクリートブロック製。
歴史のある(?)学校の割には簡素な感が否めない。




校地に入って、びっくり。

      20170720楢原小学校豊成分校02

目の前に大きな桜の木が現れます。

地元でも有名な桜。
ソメイヨシノの古木としては南会津地方最大らしい。



桜の木の間から見える、小さな木造校舎。

      20170720楢原小学校豊成分校03


      20170720楢原小学校豊成分校04


      20170720楢原小学校豊成分校05


      20170720楢原小学校豊成分校06



こちらが閉校記念碑。

      20170720楢原小学校豊成分校07


      20170720楢原小学校豊成分校08



それにしても立派な桜の木です。

      20170720楢原小学校豊成分校09



『氏合わせ』の桜と名付けられているようです。

      20170720楢原小学校豊成分校10



校庭には古びた鉄棒。

      20170720楢原小学校豊成分校11

残された遊具はこれしかない。



福島県には桜の名所が数多くあるけれど
この地はあまり知れ渡ってないようです。

      20170720楢原小学校豊成分校12

この見事な桜の木。
訪れるには、春の桜の時期が最高だったようですね。

その頃にまた来たいなぁ...............。







2017/08/03 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit