FC2ブログ

10 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 12

び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

廃校を訪ねて..................佐城小学校 (2019年10月7日)(茨城県東笠間市) 

10月7日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

飯田ダムをあとにして、向かった先は............笠間市立佐城小学校。


左城小学校は、
その前身は、明治31年に開校した寺崎小学校と
明治6年に開校した高田小学校とされています。

昭和51年     寺崎小学校と高田小学校が統合して新たに左城小学校が開校する。
平成27年     笠間小学校に統合されて廃校となる。

と、沿革となっています。



県道沿いに建つ正門。

      20191007佐城小学校01



残念ながら、表札は既に外されている。      

      20191007佐城小学校03



昭和52年建立の門柱。

      20191007佐城小学校04

開校の翌年に建てられたんですね。


廃校後、敷地は公立幼稚園となりましたが
近年、民間の幼稚園になったようです。



門柱脇には、閉校記念碑。

      20191007佐城小学校05

沿革も刻まれています。



裏面には、こんな碑文。

      20191007佐城小学校10

確かに、この場所に佐城小学校が在りました。



その隣には碑が並ぶ。

『さしろっ穂』の碑。

      20191007佐城小学校06


校歌の碑。

      20191007佐城小学校07



全国花いっぱいコンクールの入賞記念の碑。

      20191007佐城小学校08



校訓の碑。

      20191007佐城小学校09



こちらが敷地内の建物。
幼稚園の建物です。

      20191007佐城小学校11


こちらが体育館。

      20191007佐城小学校12



幼稚園の前のブロンズ像。

      20191007佐城小学校13

幼稚園には似合わない。
左城小学校時代のモノでしょう。



体育館前にもブロンズ像。

      20191007佐城小学校14



校庭。

      20191007佐城小学校15



残念ながら遊具類は残っていない。

      20191007佐城小学校16



このひは、シルバーの方々が草刈りをしていました。

      20191007佐城小学校17

じっくりと敷地内を見て行きたかったんだけど
流石に平日の幼稚園の敷地内。
犬連れの怪しそう(?)なおじさんがウロウロしていると
パトカーが赤橙回して来ちゃいそうだから.................

早々に撤収いたしました。



スポンサーサイト



2019/11/21 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................高田小学校 (2019年10月7日)(茨城県東笠間市) 

10月7日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。
朝早くから、笠間市内の廃校を巡っています。

笠間市の廃校巡り、その第5弾は..............笠間市立高田小学校。


高田小学校の情報は乏しく、当初は沿革もわかりませんでした。
笠間小学校のHPに統廃合された各校の流れが記載されていたの参考になりなした。


明治6年     瑞穂小学校として開校。
明治13年     福田小学校となる。
明治17年     初等福田小学校となる。
明治19年     大橋尋常小学校福田分教場となる。
明治34年     大池田第三尋常小学校となる。
昭和22年     学制改革により、大池田村立大池田第三小学校と改称する。
昭和30年     大池田村が笠間町・南山内村・北山内村と合併し、改めて笠間町が発足。
          笠間町立高田小学校と改称する。
昭和33年     笠間町が市制施行で笠間市となる。
          笠間市立高田小学校と改称する。
昭和51年     寺崎小学校と統合して、新たに笠間市立左城小学校が開校する。
          高田小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。


とは言え、情報が乏しいので、その場所すらわからず、
いつものように、それらしき場所にあたりを付けて訪れてみます。

      20191007高田小学校01

今回は、高田公民館にあたりをつけてみました。


遠目からでも見た感じ、学校跡っぽく見える。

      20191007高田小学校05



この雰囲気は、学校跡っぽい。

      20191007高田小学校02




門柱が残っていれば、確定なんだけど..............

      20191007高田小学校04

置かれていたのは、『作業中』の看板とカラーコーン。



ざっとみて、学校遺構は残されてはいないようです。

      20191007高田小学校03



こちらが、公民館の建物。

      20191007高田小学校06

公民館の裏手が地域のゴミ捨て場になっていて
たまたまゴミ捨てに来た中年女性に訊いてみたら高田小学校の跡ということです。
ただし、他の場所から嫁に来た方のようで、高田小学校のことは知らず無いけれど
御主人が高田小学校の卒業生だったそうです。



廃校後、校舎は解体され公民館が建ち
その後、敷地も造成されて運動場(グランド)が造られたようです。



元々の校地は駐車場になってしまったのでしょうか?

      20191007高田小学校07


      20191007高田小学校08


      20191007高田小学校09



せめて、記念碑が残っていれば.............


公民館の前の古い桜の木が、学校跡を彷彿させてくれるだけ。

      20191007高田小学校10



こちらが、高田運動公園。

      20191007高田小学校11


      20191007高田小学校12


      20191007高田小学校13



そして高田公民館の隣には、例の消防倉庫。

      20191007高田小学校14

やっぱり、犬の顔............
いや、ペンギンの顔に見えなくもないな(笑)。



2019/11/20 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................大橋小学校 (2019年10月7日)(茨城県東笠間市) 

10月7日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。


東小学校をあとにして、向かった先は..............笠間市立大橋小学校。


大橋小学校は、

明治6年      吉田神社拝殿を仮校舎にして處仁小学校として開校する。
          その後、大橋小学校と称する。
明治15年      権現台に校舎を建設移転。
          西茨城郡第一学区大橋小学校と称する。
明治17年      中等大橋小学校と称する。
明治19年      大橋尋常小学校と改称する。
明治22年      大橋村が池野辺村・福田村・飯田村が合併し大池田村が発足。
           大池田尋常小学校と改称する。
明治34年      池野辺分校、飯田分校が独立。
           大池田第一尋常小学校と改称する。
明治44年       現在地に校地移転。
明治45年       高等科を設置し、大池田尋常高等小学校と改称する。
昭和22年       学制改革により、大池田村立第一小学校と改称する。
昭和30年       大池田村が笠間町・南山内村・北山内村と合併し、改めて笠間町が発足。
           笠間町立大橋小学校と改称する。
昭和33年       笠間町が市制施行で笠間市となる。
           笠間市立大橋小学校と改称する。
昭和58年       池野辺小学校と統合し、新たに笠間市立東小学校が誕生。
           大橋小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。


こちらが、大橋小学校の正門。

      20191007大橋小学校01

正門奥に見えるには消防倉庫。


こちらが、大橋小学校の校舎。

      20191007大橋小学校02

昭和58年の廃校だから、もう既に36年が経っているが
校舎は解体される事なく、その姿を残している。


別アングルからの校舎。

      20191007大橋小学校03


      20191007大橋小学校04


廃校後、敷地は大橋公民館として利用され
校舎も公民館として活用されている。

      20191007大橋小学校05




      20191007大橋小学校06



校舎の2階の庇に掲げられている校章。

      20191007大橋小学校07



校庭。

      20191007大橋小学校08



芝生は綺麗に刈り上げられ、
ゲートボール場としても利用されているようです。

      20191007大橋小学校09



その校庭の一角に碑が並ぶ。

      20191007大橋小学校10



こちらが、『笠間市立大橋小学校跡』碑。

      20191007大橋小学校11

前面には、校歌の板碑も置かれている。
裏面には沿革も刻まれています。
大変参考になりました。




創立百周年の記念碑。

      20191007大橋小学校12

『彰往考来』(しょうおうこうらい)。

過去をあきらかにして未来を考えるという意味です。



こちらは卒業製作のモニュメント。

      20191007大橋小学校13

昭和50年度の卒業生の作品のようです。



違う年度のモノもありました。

      20191007大橋小学校14



廃校には定番の消防倉庫。

      20191007大橋小学校15

やっぱり犬の顔に見えちゃうんだけどなぁ(笑)。



2019/11/19 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................東小学校 (2019年10月7日)(茨城県東笠間市) 

10月7日

この日は、笠間市に出かけました。

池野辺小学校をあとにして、向かった先は...............笠間市立東小学校。

東小学校は、明治6年に創立された大橋小学校と
明治8年に創立された池野辺小学校がその前身になります。

昭和58年大橋小学校・池野辺小学校を統合して笠間市立東小学校として開校する。
平成27年笠間小学校に統合されて廃校となる。

と、簡単ながらこのような沿革となっています。


こちらが東小学校の正門。

      20191007東小学校01



立派な門柱には、東小学校の表札。

      20191007東小学校02



反対側(向かって左側)には、校章が掲げられていました。

      20191007東小学校03



この門は、創立五周年の記念として、
昭和62年に建立されたモノのようです。

      20191007東小学校34



正門脇に脇から敷地内に入ります。



鉄筋コンクリート3階建の校舎。

      20191007東小学校04



校庭からの校舎。 

      20191007東小学校05



校舎全景。

      20191007東小学校06



別アングルからの校舎。

      20191007東小学校07


      20191007東小学校08



校舎玄関。

      20191007東小学校09



玄関の庇に掲げられた校章。

      20191007東小学校10



国旗掲揚ポール。

      20191007東小学校11



こちらは、体育館。

      20191007東小学校12



校庭に残る遊具類。

      20191007東小学校13


      20191007東小学校14


      20191007東小学校16


      20191007東小学校17


      20191007東小学校18


      20191007東小学校19


      20191007東小学校20


      20191007東小学校21


      20191007東小学校22



校庭隅の築山。

      20191007東小学校23


      20191007東小学校24




なぜか、校内に土俵もある。

      20191007東小学校25




校庭の隅、でも正門からすぐ目に入る場所には
東小学校閉校記念碑。

      20191007東小学校26

表面には沿革が刻まれている。


そして、裏面には校歌が刻まれている。

      20191007東小学校27



その脇には、校訓の碑が並ぶ。

      20191007東小学校28



校庭は、雑草も少なく、砂が多くて走りやすそう。

      20191007東小学校29



なんて思っていたら、突然走り出した びいすけ 。

      20191007東小学校30


考えることは同じか?

      20191007東小学校31


暫し、簡易ドッグラン。

      20191007東小学校32


気持ち良さそうに走って、こちらに戻ってくる びいすけ 。

      20191007東小学校33

東小学校を堪能してくれたかな?





2019/11/19 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................池野辺小学校 (2019年10月7日)(茨城県東笠間市) 

10月7日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

来栖小学校をあとにして、向かった先は...............笠間市立池野辺小学校。


池野辺小学校は、

明治8年     杉崎小学校池野辺分教場として創設され、
         後に独立して池野辺小学校となる。
明治17年     大橋小学校池野辺分校となる。
明治18年     初等池野辺小学校となる。
明治20年     大橋小学校に統合される。
明治25年     大池田尋常小学校池野辺分校となる。
明治34年     大池田第二尋常小学校となる。
昭和22年     学制改革により、大池田村立第二小学校と改称する。
昭和30年     大池田村が笠間町・南山内村・北山内村と合併し、改めて笠間町が発足。
         笠間町立池野辺小学校と改称する。
昭和33年     笠間町が市制施行で笠間市となる。笠間市立池野辺小学校と改称する。
昭和58年     大橋小学校と統合した新たに笠間市立東小学校が誕生。
         池野辺小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。




こちらが池野辺小学校の正門。

      20191007池野辺小学校01



石造りの門柱の正門。

      20191007池野辺小学校02

残念ながら池野辺小学校の表札は既に無い。



廃校後校舎は解体されて、敷地は池野辺公民館として利用されています。

      20191007池野辺小学校03



学校跡地を意識して建てたのか?
公民館の建物も校舎っぽく見えなくも無い。

      20191007池野辺小学校04


      20191007池野辺小学校05



校庭跡。

      20191007池野辺小学校06



残念ながら、遊具類も無い。

      20191007池野辺小学校07



実際はそんなに広くはないけれど
何も無い分だけ、広く感じてしまう。

      20191007池野辺小学校14



唯一、遊具と言えるのが地面に埋められた古タイヤ。

       20191007池野辺小学校09

小学校の校庭には定番なモノ。



正門脇に建つ、『池野辺小学校跡』の碑。

      20191007池野辺小学校08

碑には沿革が刻まれていて、大変参考になりました。



校庭の水飲み場跡。

      20191007池野辺小学校10

蛇口も取り外されています。



校庭のフェンス沿いには桜の木々。

      20191007池野辺小学校11



春には綺麗な花を咲かせる事でしょう。

      20191007池野辺小学校12



廃校から既に36年。

      20191007池野辺小学校13

毎年色付くこの銀杏の木も、
きっと今年も黄色い風景を醸し出すのでしょう。





2019/11/18 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................来栖小学校 (2019年10月7日)(茨城県東笠間市) 

10月7日

この日は、笠間市に出かけました。

訪れたのは...................笠間市立来栖小学校。



来栖小学校の詳しい沿革は分かりません。
昭和55年に開校した笠間市立南小学校のHPによれば
明治8年5月17日創立と言うことです。
また、笠間小学校のHPには、
各校が笠間小学校に統合されていくまでの
各校の変遷が記載されていましたので
そちらを参考にすると.............


明治8年      来栖小学校開校。
明治12年     連合・来栖小学校(飯合、下稲田地区と連合)となる。
明治18年     来栖小学校となる。
明治19年     北吉原尋常小学校分教場となる。
明治22年     南山内尋常小学校分教場となる。
明治25年     来栖尋常小学校となる。
昭和22年     学制改革により南山内村立南山内小学校来栖分校と改称する。
昭和30年     南山内村が笠間町・大池田村・北山内村と合併し、改めて笠間町が発足。
         笠間町立来栖小学校となる。
昭和33年     笠間町が市制施行で笠間市となる。笠間市立来栖小学校と改称する。
昭和57年     南小学校、笠間小学校に分割されて廃校となる。

と、このような沿革となるようです。


廃校後、敷地は来栖公民館として利用されているようです。



来栖小学校時代の正門。

      20191007来栖小学校01

石造りの門柱が建っています。


現在は公民館の表札が掲げられています。

      20191007来栖小学校02


見づらいと言うか、ピントがボケていて読めませんが
大正12年に建立されたモノのようです。

      20191007来栖小学校03



校舎はとっくに解体されて、
跡地には公民館の建物と消防倉庫が建てられています。

      20191007来栖小学校04


残念ながら、遊具類はない。

      20191007来栖小学校05


      20191007来栖小学校06


      20191007来栖小学校07


      20191007来栖小学校08



おそらく、公民館と建物が建っている辺りに校舎が建っていたのでしょうね。

      20191007来栖小学校09



敷地の一角に建つ校歌の碑。

      20191007来栖小学校10

しかし、ピンぼけで碑文が読めない(判読出来ない)。



創立百周年で建てられたモノのようです。

      20191007来栖小学校11


消防倉庫の裏手に、石碑っぽいのがあるけれど
かつての中庭の石か何かだろうか?

      20191007来栖小学校13



こちらが消防倉庫。

      20191007来栖小学校12

廃校には定番と言うか、
学校跡地には消防倉庫や防災倉庫が置かれているのが多い。


この消防倉庫、 犬の顔のように見えてしまったのは気のせいでしょうか.........?




2019/11/18 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................圷小学校 (2019年10月2日)(茨城県東茨城郡城里町) 

10月2日

この日は、茨城県の城里町に出かけました。


那珂西城址をあとにして、向かった先は.............城里町立圷小学校


圷小学校の詳しい沿革は不明ですが、圷小学校の学区は
平成17年に城里町が誕生する以前は、旧・桂村でした。
その旧・桂村域を学区とする岩船小学校、圷小学校、北方小学校の3校が
平成23年に統合して城里町立桂小学校が誕生して
圷小学校は廃校となりました。

廃校後、跡地の再利用を色々と検討した結果、特別養護老人ホームとして
利用されることとなり、平成31年に特別養護施設が開設されました。

通常、他の施設に流用される際は、校舎をリノベーションするなりして
開設されることが多いけれど、こちらは、校庭跡に立派な施設を建設したようです。



圷小学校時代の校門。

      20191002圷小学校01



この場所に門が在ったのかは判らないけれど、石造りの門柱。

      20191002圷小学校02

背後の建物が新しく建てられた特養施設。



その全容。

      20191002圷小学校03


      20191002圷小学校04


      20191002圷小学校05



この一画にも門柱が置かれています。

      20191002圷小学校06



表札が残っているから、正門に使われていた門柱でしょう。

      20191002圷小学校07


昭和48年に、創立百周年の記念に建立されたモノのようです。

      20191002圷小学校08

と言うことは、明治6年に創設された歴史のある学校だったんですね。



敷地の片隅、雑草に隠れるように置かれた二宮像。

      20191002圷小学校09


      20191002圷小学校10




こちらは、圷小学校の校舎。

      20191002圷小学校11


立派な特養施設の建物奥に隠れるように残っていました。

      20191002圷小学校12

先ずは、取り壊されずに済んで良かった。



校舎の前の芝生で戯れる びいすけ 。

      20191002圷小学校13



校舎玄関。

      20191002圷小学校14



どうやら、校舎は茨城県埋蔵文化財センター収蔵庫として利用されているようです。

      20191002圷小学校15

それで解体されなかったようですね。



『希望』と記された台座。

      20191002圷小学校16

おそらくブロンズ像が建っていたのだと思うんだけど...................



こちらは、オブジェのようです。

      20191002圷小学校17

横に転がっている球体は、碑の上部のくぼみに乗っていたのでしょうか?




こちらは、体育館。

      20191002圷小学校18



フェンスに描かれた子供たちの絵。

      20191002圷小学校19

卒業制作のひとつでしょう。



雑草に埋もれかけている校訓の碑。

      20191002圷小学校20

『強く 正しく 美しく』
遠い昔に忘れ去ってしまった言葉のようで
今の私には禁句だったりして.....................(笑)





2019/11/13 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................小松小学校 (2019年10月2日)(茨城県東茨城郡城里町) 

10月2日

この日は、茨城県の城里町に出かけました。

小松寺をあとにして、向かった先は...............城里町立小松小学校。


小松小学校は、

明治6年      小松寺に参天小学校を開設する。
明治22年      石塚尋常小学校より分離し、小松尋常小学校と改称する。
昭和22年      学制改革により、小松村立小松小学校と改称する。
昭和30年      小松村が石塚村、西郷村と合併して常北町が誕生。
          常北町立小松小学校と改称する。
平成17年      常北町が七会村、桂村と合併して城里町が誕生。
          城里町立小松小学校と改称する。
平成23年      青山小学校、古内小学校と統合して常北小学校が開校。
          小松小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。




県道に面した校門。

      20191002小松小学校01



石造りのごっつい門柱。

      20191002小松小学校02



その門柱には表札も健在。

      20191002小松小学校03



どうやら、昭和59年に建立されたモノのようです。

      20191002小松小学校04



この門の先にも、もう一つ石造りの門がありました。

      20191002小松小学校05



敷地内に入ります。



校舎。

      20191002小松小学校06



別アングルから。

      20191002小松小学校07


      20191002小松小学校08



      20191002小松小学校10



校舎前の中庭(?)には、碑や像が並ぶ。


二宮像。

      20191002小松小学校11


      20191002小松小学校12



シンプルな碑文。

      20191002小松小学校13

こう言う表現って好きだなぁ。



校歌の碑。

      20191002小松小学校14


ブロンズ像。

      20191002小松小学校15



経緯度標。

      20191002小松小学校16


頌徳碑。

      20191002小松小学校17



こちらは、体育館。

      20191002小松小学校09


      20191002小松小学校18




校庭。

      20191002小松小学校19


      20191002小松小学校20


      20191002小松小学校21



校庭に残る遊具類。

      20191002小松小学校22


      20191002小松小学校23


      20191002小松小学校24


      20191002小松小学校25


      20191002小松小学校26


      20191002小松小学校27


      20191002小松小学校28



校庭の隅には。子供たちの卒業製作品。

      20191002小松小学校29


      20191002小松小学校30




校庭の一角は、わくわくランド。

      20191002小松小学校31



池があって、植物や水生生物を観察できたんんですね。

      20191002小松小学校32


さすが、明治初期に開校した伝統のある小学校。
二宮像もあったし、学校跡碑もあって、見所のあった小学校でした。





2019/11/11 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................古内小学校 (2019年10月2日)(茨城県東茨城郡城里町) 

10月2日

この日は、茨城県の城里町に出かけました。

上古内鹿島神社をあとにして、
向かった先は........城里町立古内小学校。


古内小学校の詳しい沿革は分かりませんが
校内に残っていた創立百周年の記念碑の碑文によれば
明治8年、時沢に太古山尋常小学校として開校したようです。

平成23年に青山小学校、小松小学校と統合して常北小学校が開校し、
古内小学校は廃校となる。

と、言った簡略な沿革となってしまいます。


こちらが正門。

      20191002古内小学校01



石造りの門柱。

      20191002古内小学校02


昭和19年に建立されたモノのようです。

      20191002古内小学校19



校舎。

      20191002古内小学校03



校舎全景。

      20191002古内小学校04


      20191002古内小学校05



別アングルから。

      20191002古内小学校06


      20191002古内小学校07



こちらは、体育館。

      20191002古内小学校08



そして、こちらが校庭。

      20191002古内小学校09



校庭に残る遊具類。

      20191002古内小学校10


      20191002古内小学校11


      20191002古内小学校12



朝礼台。

      20191002古内小学校13



ちょうど体育館前の校庭の隅に台座もなく直接地面に置かれた像。

      20191002古内小学校14

なんとなく二宮像に見えなくもないが
ちょっと違う気がする。


でも背中に背負子があるんだよなぁ。

      20191002古内小学校15



校舎前には『大志』と言うタイトルの像。

      20191002古内小学校16



校歌の碑。

      20191002古内小学校17



こちらは『美しい心』の碑。

      20191002古内小学校18

創立百周年の記念碑です。


この碑の裏面の碑文に創立時期が記されていました。
136年と言う歴史を誇った古内小学校。
その歴史もいずれ忘れ去られてしまうんでしょうか.........?








2019/11/09 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................小勝小学校 (2019年10月2日)(茨城県東茨城郡城里町) 

10月2日

この日は、茨城県の城里町の廃校巡りに出かけました。

向かった先は..............旧・七会村立 小勝小学校。


平成2年に廃校となった小勝小学校を探すのに苦労しました。
結局、分からないので、地元の商店のおばちゃんに訊いて辿り着けることが出来ました。

小勝小学校の詳しい沿革は不明です。
従って創設時期等も不明ですが、明治期にこの辺りは小勝村と称していて
明治22年に近隣の七つの村が合併して七会村となりました。
その辺りを考慮すれば、おそらく明治期に創設された学校ではなかろうかと推測されます。

しかしながら、平成2年に小塩小学校と統合して新たに七会村立東小学校が発足すると
小勝小学校は廃校となりました。


こちらが、小勝小学校跡。

      20191002小勝小学校01




何やら、高台の上に立派な建物がありますが
これは校舎じゃありません。

      20191002小勝小学校02


先程この場所を教えていただいたおばちゃんの話では
校舎は解体されて、その跡地に診療所が建てられたそうです。



そうです。
こちらは、国保診療所と言う医療施設となっていたようです。

      20191002小勝小学校03



しかしながら、ネットで『城里町国保診療所』でググってみると
どうやら、国保診療所も同じ小勝地区に新しく立派なモノが出来たようで
こちらは、いわゆる廃病院と言った状況でしょうか..................?

      20191002小勝小学校04



敷地内に残る『夕焼け小焼け』の碑。

      20191002小勝小学校05


学校遺構はこれ以外には残っておらず
普通の人が見たら、この場所が学校跡とは想像しづらい。

  

高台の校地に残る桜の木。

     20191002小勝小学校06



そして、眼下には削平地。

      20191002小勝小学校07

おそらく校庭だったのでしょう。


その削平地に降りてみました。

診療所の駐車場に利用されていたから、アスファルトで覆われているけれど
この桜の木は、校庭のシンボルツリーだったのでしょう。

      20191002小勝小学校08


せめて、この場所に二宮像とか廃校記念碑、
学校跡碑が残っていれば.............

そんな事を思ってしまうのは、私だけなんだろうか................?







2019/11/08 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて 《番外編》 ....................... 小塩小学校校舎 (2019年10月2日)(茨城県東茨城郡城里町) 

10月2日

この日は、茨城県の城里町の廃校巡りをしていました。

平成2年に廃校になった小塩小学校をあとにして、
同じく平成2年にその子塩小学校と統合して廃校となった小勝小学校を探している時に
小塩郵便局の隣に気になる建物を見つけた。

      20191002小塩小校舎01

どう見ても、一般の民家には見えない。


昔の役場?
はたまた、学校の校舎か?

非常に気になるのだが、この場所の住所は、城里町小塩。
いわゆる小塩集落。昔の住所であれば、七会村小塩になる。
って言うことは、少なくても小勝小学校って言うことは無い。


実は、気になったものの本命の小勝小学校を探すために小勝集落へと移動しました。


なかなか、小勝小学校が見つからないので
県道に面した商店で店番のおばちゃんに訊いてみた。
小勝小学校の場所は分かったものの、先ほどの建物が気になる。
おばちゃんに訊いてみると.....................

なんと、先ほど訪れた小塩小学校の校舎を記念に残そうと
郵便局の隣に移設したという事です。


なるほど、そういう事だったのね。


慌てて、郵便局方向へUターン。
塩子小学校校舎へと戻ります。

      20191002小塩小校舎02



ここでも、いろんなアングルで写真を撮っちゃいます。

      20191002小塩小校舎03


      20191002小塩小校舎04


      20191002小塩小校舎05


      20191002小塩小校舎06


      20191002小塩小校舎07


      20191002小塩小校舎08


塩子小学校そのものが、昭和22年に校舎が焼失してしまい
昭和24年に校舎を建て直したという事ですが
この校舎は昭和24年に建てられたモノだろうか?

木造の校舎ではあるけど、とても終戦直後(4年後)の建物には見えない。
昭和の40年代ぐらいに建てられたモノなんだろうか?

いずれにしても。こうやって木造校舎を残すと言う
地元の方々の配慮に敬服いたします。






2019/11/07 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................小塩小学校 (2019年10月2日)(茨城県東茨城郡城里町) 

10月2日

この日は、茨城県の城里町の廃校巡りに出かけました。

城里町は、平成17年に常北町と七会村と桂村が合併して誕生しましたが、
合併前の旧・七会村域の廃校を巡ります。

七会西小学校をあとにして、向かった先は.........旧・西会村立 小塩小学校


小塩小学校は、

明治6年     民家を借用して、塩子小学校開設。
明治27年     新校舎完成に伴い、校地移転。
大正13年     現在地に移転。
昭和22年     火災により校舎焼失。

昭和24年     新校舎建設。
         七会村立塩子小学校として開校。
平成2年     小勝小学校と統合して七会村立東小学校が開校。
         小塩小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。




こちらが、小塩小学校の正門。

      20191002 小塩小学校01


      20191002 小塩小学校02



赤い屋根の可愛らしい校舎(?)

      20191002 小塩小学校03




実はこの時、この建物は廃校になった校舎だと思っていました。

      20191002 小塩小学校04



そんなわけで、色んなアングルから写真に収めていました。

      20191002 小塩小学校05


      20191002 小塩小学校06


      20191002 小塩小学校07


      20191002 小塩小学校08

後で判ったのですが、この建物は廃校後に建てられたモノらしい。
それでは塩子小学校の校舎は解体されてしまったのでしょうか?

これも後で判ったのですが、別な場所に移転されていたようです。



塩子小学校の敷地跡は、『塩子生活改善センター』と言う施設になりました。




正門近くに建つ碑。

      20191002 小塩小学校09



概略ながら、塩子小学校の沿革と
碑の建立に寄付をされた方々の名前が連なっていました。

      20191002 小塩小学校10



こちらは、校歌の碑。

      20191002 小塩小学校11



敷地の一部はご老人たちの社交場であるゲートボール場として利用されたいたようです。

      20191002 小塩小学校12

でも実際は、どうなんでしょうか?
ゲートボール場と言ってもどれだけの方々が利用しているのでしょう?


こちらの建物は、塩子小学校時の給食センター。

      20191002 小塩小学校14

ここから、塩子小学校の子供たちの給食が作られたいたようです。
ひょっとしたら、統合した小勝小学校の子供達の給食も作られていたのでしょうか?


雑草の中に埋もれかけている遊具。

      20191002 小塩小学校15

廃校から29年。
この場所で遊ぶ子供たちも居なくなってしまったのでしょうか?




2019/11/07 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................七会西小学校 (2019年10月2日)(茨城県東茨城郡城里町) 

10月2日

この日は、茨城県の城里町に出かけました。

平成17年に常北町と七会村と桂村が合併して誕生したのが城里町です。
そんな城里町にも少子化の波は押し寄せ、
平成23年に多くの小学校が統合されました。
今回、その統合で廃校になった小学校を巡ってみました。

城里町の廃校巡り、その第2弾は.............城里町立七会西小学校。



七会西小学校は、

昭和24年     七会小学校徳蔵分教場、大網分教場、赤沢分教場を統合して、
          徳蔵分教場隣接地に七会村立徳蔵小学校を開校する。
平成2年      小塩小学校と小勝小学校が合併し七会村立東小学校が開校するのに合わせて
          七会村立七会村立西小学校と改称する。
平成4年      校地を隣接地に移転する。
平成17年      七会村が常北町、桂村と合併して城里町が誕生。
          城里町立七会西小学校と改称する。
平成23年      七会東小学校と統合して七会小学校が誕生。
          七会西小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。


隣接地には、前身である七会村立西小学校の敷地がある。
西小学校跡地から100mも歩けば、校門が見えてくる。

      20191002七会西小学校01



こちらが、正門。

      20191002七会西小学校02



石造りの門柱。

      20191002七会西小学校03


廃校からすでに7年。
表札も残っている。

      20191002七会西小学校04



平成4年に建立された門柱。

      20191002七会西小学校05

校舎移転時のモノですね。



こちらが、校舎。

      20191002七会西小学校06



ちょっと凝ったデザイン。

      20191002七会西小学校07


      20191002七会西小学校08



校舎全景。

      20191002七会西小学校09


      20191002七会西小学校10



玄関庇に掲げられた校章。

      20191002七会西小学校11



こちらは、体育館。

      20191002七会西小学校24



校庭。

      20191002七会西小学校12


      20191002七会西小学校13



校庭に残る遊具類。

      20191002七会西小学校14


      20191002七会西小学校15


      20191002七会西小学校16


      20191002七会西小学校17



朝礼台。

      20191002七会西小学校18

雑草と同化しようとしているのか?


校舎竣工記念碑。

      20191002七会西小学校19



校歌の碑。

      20191002七会西小学校20



校訓でしょうか?
『絆』の碑。

      20191002七会西小学校21



経緯度標も在りました。

      20191002七会西小学校22



少女のブロンズ像。

      20191002七会西小学校23

こちらの碑文が校訓でしょうか?



校庭に残るシンボルツリー。

      20191002七会西小学校25

この地には27年しか学校は存在しませんでしたが
この木はいつまでもこの地に残っていて欲しい...................




2019/11/06 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................旧・七会村立 西小学校 (2019年10月2日)(茨城県東茨城郡城里町) 

10月2日

この日は、茨城県の城里町に出かけました。

平成17年に七会村と常北町、桂村が合併し城里町が誕生しました。
いわゆる平成の大合併ですが、全国の合併市町村では少子化、財政面の合理化、その他諸々の事情で、
合併前の自治体単位で小学校が統合されると言うパターンが多くみられます。

城里町もその一つで、旧・七会村地区でも七会小学校の1校だけとなってしまったようです。
今回、城里町の廃校を巡るべく、先ずは七会地区にやって来ました。


城里町廃校巡り、その第1弾は.................旧・七会村立 西小学校。


西小学校は、昭和24年に開校した徳蔵小学校がその前身ですが
そのルーツは昭和24年に統合された徳蔵分教場、大網分教場、赤沢分教場ですが
それらの創設時期等は不明です。
明治22年に徳蔵村、小塩村、小勝村、大網村、真端村、上赤沢村、
下赤沢村の7村が合併して七会村が誕生した経緯から、
おそらく明治期に開校した学校ではなかろうかと推測されます。


昭和24年     七会小学校徳蔵分教場、大網分教場、赤沢分教場を統合して、
          徳蔵分教場隣接地に七会村立徳蔵小学校を開校する。
平成2年      小塩小学校と小勝小学校が合併し七会村立東小学校が開校するのに合わせて
          七会村立七会村立西小学校と改称する。
平成4年      校地を隣接地に移転する。

と、このような沿革となっています。



こちらが、正門。

      20191002 旧西小学校01


石造りの古い門柱。

      20191002 旧西小学校02



その門柱に残る表札。

      20191002 旧西小学校03


『あれっ?! 表札が違う...............』


実は、当初『城里町立七会西小学校』を探して、
この地にやって来ました。
お目当ての『城里町立七会西小学校』は別な場所。
と言っても田舎の細い道を一本挟んだ向かい側。

沿革で触れたように、平成4年までこの地は『七会村立 西小学校』でした。


そもそも、校舎の老朽化で校地を移転し、校舎を新しくしました。
従って、旧・校舎は解体され、更地となっています。

      20191002 旧西小学校14
  

      20191002 旧西小学校05



現在は、ゲートボール場として利用されているようです。

      20191002 旧西小学校06


      20191002 旧西小学校07


      20191002 旧西小学校08



ゲートボール場の管理棟。

      20191002 旧西小学校11



敷地内に七会西小学校のプールも造られたようです。

      20191002 旧西小学校12



敷地内に残る桜の木々。

      20191002 旧西小学校09



その根元には、隠れるように校歌の碑が在りました。

      20191002 旧西小学校10



徳蔵寺に隣接する西小学校跡。
この辺りは、その昔 徳蔵城があった場所でもあるらしい。
城郭遺構は残っていないけれど、
西小学校跡に至る動線は、何と無くそれっぽく見えちゃうんだよなぁ。

      20191002 旧西小学校13


肝心の、七会西小学校は目と鼻の先。
そちらに移動いたしましょう。








2019/11/06 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................永井小学校 (2019年9月21日)(茨城県土浦市) 

9月21日

この日は。土浦市に出かけました。

山ノ荘小学校をあとにして、向かった先は............旧・山ノ荘村立 永井小学校。


永井小学校は、

明治8年     永井小学校が開校。
昭和22年    学制改革により、山ノ荘村立永井小学校と改称する。
昭和27年    永井小学校、小野小学校が統合し、山ノ荘村立山ノ荘小学校が開校する。
        永井小学校は廃校となる。


と、簡単ですがこのような沿革となっています。


沿革が簡単なだけ情報も乏しく、永井小学校の場所は当初は分かりませんでした。
この日お会いした日枝神社の宮司さんに、永井小学校の場所を教えていただき
『今はゲートボール場だけど、最近はだれも使っていない』と言うその場所を探しますが、
どうも間違えてしまったようで、改めて農作業していたおじさんに聞いて
やっと辿り着いた永井小学校跡。



廃校から既に67年。
校舎どころか門柱も残っていない。

おそらく、この辺りが校門だったのでしょう。

      20190921永井小学校01



遠くから見たら門柱に見えた碑。
学校跡碑かと期待したのですが.................

      20190921永井小学校02



どうやら、頌徳碑のようです。

      20190921永井小学校03



日枝神社の宮司さんのお話の通り、ゲートボール場になっている。

      20190921永井小学校05

でも、使われている気配はない。
雑草もかなり生い茂っている。



オリエンテーリングのポストもあるから
オリエンテーリングのコースにもなっていたようです。

      20190921永井小学校06


ゲートボール場だから、用具を納める小屋もある。

      20190921永井小学校07



ゲートボール場の反対側は草が茂り藪に近い。

      20190921永井小学校08


      20190921永井小学校10



いずれにしても、明治期に開校した学校で、
そのまま昭和20年代に廃校になった学校だから
敷地はそんなに広くはない。

      20190921永井小学校04


      20190921永井小学校09


      20190921永井小学校11


Google マップでは、『永井ゲートボール場』と表記されるから
いつの頃からかは知らないが、ゲートボール場として認知されているんだろう。


でも、ここが永井小学校だったなんて、
地元のそれなりの年代の人しか知らないだろう。

この場所もいつしか忘れ去られていくんだろうなぁ...................



2019/11/04 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................山ノ荘小学校 (2019年9月21日)(茨城県土浦市) 

9月21日

この日は、茨城県の土浦市に出かけました

土浦市は平成18年に旧新治村を編入しましたが
平成30年春に、旧・新治t村域の3小学校が統合され
廃校となってしまいました。

今回、その廃校を巡ってきました。

土浦市の廃校ツアー、次なる廃校は............土浦市立山ノ荘小学校。



山ノ荘小学校は、

明治5年     学制が発布。沢辺小学校が開校。
明治8年     永井小学校が開校。
明治16年     小野小学校が開校。
明治41年     沢辺小学校が廃校。沢辺小学校の児童は小野小学校へ通学。
大正8年      沢辺の児童は、斗利出小学校へ通学、
昭和27年     永井小学校、小野小学校が統合し、山ノ荘村立山ノ荘小学校が開校する。
昭和30年     町村合併により、新治村が成立。新治村立山ノ荘小学校となる。
平成18年     新治村が土浦市に合併し土浦市となる。
         土浦市立山ノ荘小学校とな改称する。
平成30年     児童数の減少により、市内の藤沢小学校・斗利出小学校・新治中学校と合併して
         「新治学園義務教育学校」が開校する。
         山ノ荘小学校は閉校となる。
         66年の歴史に幕を下ろす。閉校時の児童数は86人。

と、このような沿革となっています。





こちらが、山ノ荘小学校の正門。

      20190921山ノ荘小学校01


左右の門柱にはそれぞれ表札が残る。

      20190921山ノ荘小学校02


      20190921山ノ荘小学校03



こちらは、校舎側の校門。

      20190921山ノ荘小学校04

石造りの古い門柱ですが表札はない。
かつては、こちらが正門だったようですが
駐車場もあるから、近年は通用門として利用されていたんでしょう。



校舎全景。

      20190921山ノ荘小学校05



別アングルからの校舎。

      20190921山ノ荘小学校06


      20190921山ノ荘小学校08


      20190921山ノ荘小学校09



校舎正面玄関。

      20190921山ノ荘小学校10



その庇に掲げられた校章。

      20190921山ノ荘小学校11



校舎前の国旗掲揚ポール。

      20190921山ノ荘小学校12



鉄筋コンクリートの校舎の脇には木造の平屋建ての建物。

      20190921山ノ荘小学校13

以前は校舎として利用されていたんでしょう。
今は倉庫か何かに利用されていたようです。


その壁面。

      20190921山ノ荘小学校14


      20190921山ノ荘小学校15


      20190921山ノ荘小学校16




こちらは、体育館。

      20190921山ノ荘小学校07


      20190921山ノ荘小学校17



体育館の玄関前に二宮像。

      20190921山ノ荘小学校18

でも、びいすけ は、芝生にスリスリと転がっている。



気持ちよさそうに背中を芝生に擦りつけている。

      20190921山ノ荘小学校19



こちらが、二宮像。

      20190921山ノ荘小学校20


      20190921山ノ荘小学校21




校庭。

      20190921山ノ荘小学校22



校庭に残る遊具類。

      20190921山ノ荘小学校23


      20190921山ノ荘小学校24


      20190921山ノ荘小学校25



古くて危険防止のために撤去された遊具は、
校庭の隅にまとめて置かれている。

      20190921山ノ荘小学校26



トーテムポール。

      20190921山ノ荘小学校27



百葉箱。

      20190921山ノ荘小学校28



朝礼台。

      20190921山ノ荘小学校29


水飲み場。

      20190921山ノ荘小学校30



校庭隅には頌徳碑。

      20190921山ノ荘小学校31



古くて文字がよく読めない何かの記念碑。

      20190921山ノ荘小学校32



校訓の碑。

      20190921山ノ荘小学校33



その碑を取り囲むように並べられたレンガのブロック。

      20190921山ノ荘小学校34

昭和60年の卒業生の作品。




こちらも、卒業制作品。

      20190921山ノ荘小学校35


      20190921山ノ荘小学校36


      20190921山ノ荘小学校37





こちらは、閉校記念のパネル。

      20190921山ノ荘小学校38
      
在校生たちの、それぞれの思いが貼り出されています。



校庭の一角には、シンボルツリー。

      20190921山ノ荘小学校39

多くの子供たちがこの木を見ながら通ったんでしょう。


山ノ荘小学校は、沢辺小学校、小野小学校、永井小学校の流れを汲み
地域のその歴史を引き継いできたから、やっぱり廃校は残念ですね。



2019/11/03 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................小野小学校 (2019年9月21日)(茨城県土浦市) 

9月21日

この日は、土浦市に出かけました。


この日訪れた小野に鎮座している日枝神社。
この日枝神社の境内にかつての小野小学校があったという事です。
      
      20190921小野小学校01



小野小学校は、

明治16年     日枝神社境内に小野小学校開校。
明治41年     沢辺小学校が廃校となり、その児童が小野小学校に通学する。
昭和22年     学制改革により、山ノ荘村立小野小学校と改称する。
昭和27年     永井小学校、小野小学校が統合し、新たに山ノ荘村立山ノ荘小学校が設立
          小野小学校は廃校となる。

と、このような沿革だったようです。



こんかい、日枝神社の宮司さんとお会いして
小野小学校の事をお訊きして、
校地だった場所を教えていただきました。


称号標近く、参道入口の右側。
丁度、社号標から県道を挟んだ更地の場所が
かつての小野小学校の校地でした。

      20190921小野小学校02



参道入口。

      20190921小野小学校03



参道右側。
ここがかつての小野小学校。
この場所に校門が有ったのだろうか?

      20190921小野小学校04



校地。

      20190921小野小学校05



昭和27年廃校だから、当然往時の校舎は解体済み。
現在は更地状態。

      20190921小野小学校07


      20190921小野小学校09



日枝神社の宮司さんの話では、
4月の流鏑馬祭りの際に、馬の待機所として使用しているけれど
普段は特に何にも利用していないそうです。

      20190921小野小学校08



廃校遺構(学校遺構)を探したけれど
流石に何もない。

      20190921小野小学校10



いっしゅん、朝礼台に見えたけれど.................

      20190921小野小学校11

危険防止で井戸を覆う枠と言うか蓋のようなものでした。



この木は、小野小学校がここに在った時から、
この場所にあったのだろうか?

      20190921小野小学校12



その木の根元から改めて校地を眺めます。

      20190921小野小学校13


廃校から既に60年以上の月日が流れている。
その内、ここが学校跡だったことも、忘れられちゃうんだろうなぁ。



2019/11/03 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................山ノ荘小学校沢辺分教場 (2019年9月21日)(茨城県土浦市) 

9月21日

この日は、茨城県の土浦市に出かけました。

土浦市は平成18年に旧新治村を編入しましたが
平成30年春に、旧・新治村域の3小学校が統合され
廃校となってしまいました。

今回、その廃校を巡ってきましたが、
旧・新治村時代にも廃校になった学校があります。
その廃校を訪れてみました。

訪れたのは...................旧・新治村立 山ノ荘小学校沢辺分教場。


沢辺分教場はの詳しい沿革は分かりませんが
明治5年に開校した沢辺小学校がその祖となるようです。
沢辺小学校は明治41年に廃校となりましたが
児童は小野小学校へと通いました。
その小野小学校も昭和27年に永井小学校と統合し
新たに山ノ荘村立山ノ荘小学校が開校します。
その分教場として沢辺分教場は設置されました。

昭和33年、本校の山ノ荘小学校に統合されて
沢辺分教場は廃校となりました。



沢辺 分教場の詳しい情報は、ほとんどありません。
従ってその場所もわksりませんでした。
いつものように、沢辺と言う字を頼りに
Googleマップの航空写真でそれらしき場所を探し
沢辺地区にある『沢辺生活改善センター』にあたりを付けて訪れます。

こちらが、沢辺生活改善センター。

      20190921沢辺分教場01

石造りの門がある。


それらしい、桜の木と国旗掲揚ポールもある。

      20190921沢辺分教場02

このじてんでは、ここが沢辺分教場跡だと確信し、
周辺の写真を撮りながら、学校遺構が無いか?
そんなことを考えていました。


そんな時に、1だいの軽トラックがやって来ました。
軽トラックに乗って来たおばちゃんに訊いてみると、
沢辺分教場はここでは無く、数百m離れた分教場跡を教えてくれました。


散歩を兼ねて、徒歩で5分ほど離れた分教場へと向かいます。



こちらが、沢辺分教場跡。

      20190921沢辺分教場03


先程のおばちゃんには、『ブランコが有るぐらいで、
他には何もないよ』と言われていましたが
確かに更地になっている。

      20190921沢辺分教場04


      20190921沢辺分教場05


わずかに残る遊具類。
でも廃校から60年に月日がたっているから
これらの遊具は廃校後に設置されたものでしょう。

      20190921沢辺分教場06


      20190921沢辺分教場07


      20190921沢辺分教場08


敷地の一角には小さなプレハブの建物。
地域の倉庫になっているようです。

      20190921沢辺分教場09



敷地内に学校遺構が無いか? 探してみましたがざんねんながら、
それらは見つかりませんでした。

分教場跡の隣は蕎麦畑。

      20190921沢辺分教場10

蕎麦の花が満開。
でも蕎麦の花ってこの時期にさくんだっけ?


その隣が芝生畑(?)

      20190921沢辺分教場11

そう言えば、茨城県のこの辺りは芝生の栽培が盛んな所。
隣接するつくば市にも芝生の畑(?)が多かった。
そんな事を思い出したりして、この場所をあとにしました。





2019/11/02 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................斗利出小学校 (2019年9月21日)(茨城県土浦市) 

9月21日

この日は、茨城県の土浦市に出かけました

土浦市は平成18年に旧新治村を編入しましたが
平成30年春に、旧・新治t村域の3小学校が統合され
廃校となってしまいました。

今回、その廃校を巡ってきました。

土浦市の廃校ツアー、その第2弾は...............土浦市立斗利出小学校。


斗利出小学校は、

明治8年     高岡学校が設立。
明治19年    高岡小学校と改称。
明治25年    斗利出小学校と改称。
昭和22年    学制改革により、斗利出村立斗利出小学校と改称。
昭和30年    藤沢村、斗利出村、山ノ荘村が合併して新治村が誕生。
        新治村立斗利出小学校と改称する。
平成18年    新治村が土浦市に編入され、土浦市となる。
        土浦市立斗利出小学校と改称する。
平成30年    児童数の減少に伴い、斗利出小学校・山ノ荘小学校・新治中学校と統合して
        「新治学園義務教育学校」となる。そして斗利出小学校は廃校となる。


と、このような沿革となっています。

こうして斗利出小学校は143年の歴史に幕を閉じました。
最終の児童数は58人だったそうです。



校門。

      20190921斗利出小学校01

門の幅からも、車は入って来れない。
児童の通学用に使われていた校門でしょう。
実質的な正門のようですね。


門柱というか、コンクリートの塀には、表札が残っています。

      20190921斗利出小学校02



こちらは、門扉の広い校門。

      20190921斗利出小学校03

奥に校舎の玄関が見えるから、こちらが正門でしょう。


門柱も古い石造り。

      20190921斗利出小学校04



こちらが、校舎正面玄関。

      20190921斗利出小学校05



玄関脇には、記念碑。

      20190921斗利出小学校33

      

玄関側(?)の校舎。

      20190921斗利出小学校06



こちらは、校庭側の校舎。

      20190921斗利出小学校07


  
ちょっとお洒落な校舎。

      20190921斗利出小学校08



私たちの子供の頃は鉄筋の校舎って、箱型だったから
ある意味、新鮮です。

      20190921斗利出小学校09


      20190921斗利出小学校10



別アングルからの校舎。

      20190921斗利出小学校11


      20190921斗利出小学校12



      20190921斗利出小学校17


      20190921斗利出小学校18


      20190921斗利出小学校24


      20190921斗利出小学校26





校舎の壁面には校章。

      20190921斗利出小学校13



校舎前の国旗掲揚ポール。

      20190921斗利出小学校14


こちらは、体育館。

      20190921斗利出小学校15


校庭。

      20190921斗利出小学校16



校庭に残る遊具類。

      20190921斗利出小学校19


      20190921斗利出小学校20


      20190921斗利出小学校21


      20190921斗利出小学校22


      20190921斗利出小学校23



      20190921斗利出小学校25




校庭奥にも小さな校門。

      20190921斗利出小学校27


百葉箱。

      20190921斗利出小学校28



朝礼台。

      20190921斗利出小学校29



校舎前の花壇奥で発見!

      20190921斗利出小学校30

二宮像と創立百周年記念碑。



二宮像のアップです。

      20190921斗利出小学校31



校歌の碑。

      20190921斗利出小学校32



方位計。

      20190921斗利出小学校34



こちらは、廃校の記念のモニュメント。

      20190921斗利出小学校35

校歌が刻まれています。


廃校のお約束?

      20190921斗利出小学校36

ここにも、防災倉庫が設置されています。


平成30年に廃校になった斗利出小学校。
校舎がオリジナリティー溢れる小学校でした。




2019/11/01 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................藤沢小学校 (2019年9月21日)(茨城県土浦市) 

9月21日

この日は、茨城県の土浦市に出かけました

土浦市は平成18年に旧新治村を編入しましたが
平成30年春に、旧・新治t村域の3小学校が統合され
廃校となってしまいました。

今回、その廃校を巡ってきました。

土浦市の廃校ツアー、その第1弾は...............土浦市立藤沢小学校。


藤沢小学校は、

明治8年     藤沢村に藤沢小学校が創設される。
         上坂田村に坂田小学校が創設される。
明治10年    藤沢小学校が藤沢村神宮寺に移転する。
明治19年    2校を合併し上坂田尋常小学校となり、上坂田村成就寺に移転する。
明治23年    藤沢村、大畠村、上坂田村、下坂田村、虫掛村が合併し、藤沢村となる。
        藤沢尋常小学校と改称する。
明治26年    藤沢尋常小学校と下坂田尋常小学校に分離し、
        藤沢尋常小学校は藤沢村神宮寺に移転する。
明治30年    下坂田尋常小学校より虫掛尋常小学校が分離する。
明治33年    藤沢尋常高等小学校と改称する。
昭和14年    下坂田尋常高等小学校が藤沢尋常高等小学校に統合される。
昭和22年    学制改革により、藤沢村立藤沢小学校と改称する。
昭和30年    藤沢村、斗利出村、山ノ荘村が合併して新治村が誕生。
        新治村立藤沢小学校と改称する。
平成18年    新治村が土浦市に編入され、土浦市となる。
        土浦市立藤沢小学校と改称する。
平成30年    児童数の減少に伴い、斗利出小学校・山ノ荘小学校・新治中学校と統合して
        「新治学園義務教育学校」が開校する。そして藤沢小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、藤沢小学校の正門。

      20190921藤沢小学校01


門柱。

      0190921藤沢小学校02



この門柱は昭和53年に建立されたモノですね。

      0190921藤沢小学校03



正門をくぐり、敷地内に入ります。


校舎。

      0190921藤沢小学校04


別アングルからの校舎。

      0190921藤沢小学校05


      0190921藤沢小学校06


      0190921藤沢小学校07


      0190921藤沢小学校08


      0190921藤沢小学校09


      0190921藤沢小学校10




校舎正面玄関。

      0190921藤沢小学校11



その玄関の庇。

      0190921藤沢小学校12


一際目立つ、校章。

      0190921藤沢小学校13



校舎の前には国旗掲揚ポール。

      0190921藤沢小学校14



こちらは、体育館。

      0190921藤沢小学校15



校庭。

      0190921藤沢小学校16



校庭に残る遊具類。

      0190921藤沢小学校17


      0190921藤沢小学校18



百葉箱。

      0190921藤沢小学校19



朝礼台。

      0190921藤沢小学校20



経緯度柱。

      0190921藤沢小学校21



久しぶりに見る廃校記念碑。

      0190921藤沢小学校22

最近は茨城県下の廃校巡りが多いけれど
なぜか、茨城県の廃校では廃校記念碑を見かける機会が少ない。



その隣には、校歌の碑。

      0190921藤沢小学校23



草に隠れて見逃しそうな創立百周年の記念碑。

      0190921藤沢小学校24



こちらは、卒業製作のモノでしょうか?

      0190921藤沢小学校25

タイルに子供たちの名前が刻まれています。



こちらも、卒業製作らしきオブジェ。

      0190921藤沢小学校26


      0190921藤沢小学校27



廃校のお約束?
校庭の片隅には防災倉庫。

      0190921藤沢小学校28



でも、やっぱり画になるのは桜の木。
校庭の片隅の桜の木。

      0190921藤沢小学校29

これこそ、藤沢小学校の証し。
まさに、こういうのを『シンボルツリー』って言うんですね。






2019/11/01 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit