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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

廃校を訪ねて...............三島小学校    (2020年5月29日)(千葉県君津市) 

5月29日  

この日は、廃校巡りを中心に富津市に出かけました。
その後、君津市へと移動。
君津市の清和地区の廃校を巡りました。

君津市の清和地区の2つの小学校が今年の春に統合され
いずれも廃校となってしまいました。
訪れたのは、その1校である.........君津市立三島小学校。


三島小学校は、

明治7年     宿原小学校開校
同  年     二入小学校開校
明治36年    三島尋常小学校開校
同  年     高等科設置、三島尋常高等小学校と改称する。
明治41年    現在地に校舎新設、移転。
昭和22年    学制改革により、三島村立三島小学校と改称する。
昭和30年    三島村が秋元村と合併して清和むらとなる。
        清和村立三島小学校と改称する。
昭和45年    清和村が君津町、上総町、小糸町、小櫃村と合併して新たな君津町となる。
        君津町立三島小学校と改称する。
昭和46年    君津町が市制施行して君津市となる。
        君津市立三島小学校と改称する。
令和2年     秋元小学校と合併し、新たに清和小学校が誕生。
         三島小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。




三島小学校正門。

     20200529三島小学校01


フェンスに掲げられた表札。

     20200529三島小学校02


敷地内に入ります。

     20200529三島小学校03


校舎。

     20200529三島小学校04


別アングルから。

     20200529三島小学校05


     20200529三島小学校06


     20200529三島小学校07


     20200529三島小学校08


     20200529三島小学校16


     20200529三島小学校17




校舎前の国旗掲揚ポール。

     20200529三島小学校09



その基台には、三島小学校の校章。

     20200529三島小学校10



校舎落成記念の碑。

     20200529三島小学校11



二宮像。

     20200529三島小学校12


     20200529三島小学校13



校舎前には、教材用の赤い丸ポスト。

     20200529三島小学校25

勿論、現役じゃありません。



鉄筋校舎の奥に平屋建ての木造校舎。

     20200529三島小学校14

何気に百葉箱も在ったりして.........




こちらは、体育館。

     20200529三島小学校15


     20200529三島小学校18



校庭。

     20200529三島小学校19



校庭に遊具は余り残っていない。

     20200529三島小学校20



片隅に建つオリンピックの碑。

     20200529三島小学校24

当然ながら、1964年の東京オリンピック記念。






校庭を闊歩する びいすけ 。

     20200529三島小学校21


     20200529三島小学校22


     20200529三島小学校23


     20200529三島小学校26

誰も居ない校庭に生えてきた雑草の上を歩くのが気持ち良さそう。




雑草に埋もれかけている看板。

     20200529三島小学校27

『三島を愛し、三島に誇りを持ち、三島に生きる子どもたち。』
どうやら、この地域の方々は三島と言う地に、拘りを持っているようにも感じられる。



校庭の片隅に建つ石碑類。

     20200529三島小学校28


     20200529三島小学校29


     20200529三島小学校30


     20200529三島小学校31



校庭の片隅にはステンレスの鈍い輝き。

     20200529三島小学校32

廃校のお約束とも言える防災倉庫。
こちらにも在りました。







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2020/07/10 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............秋元小学校    (2020年5月29日)(千葉県君津市) 

5月29日  

この日は、廃校巡りを中心に富津市に出かけました。
その後、君津市へと移動。
君津市の清和地区の廃校を巡りました。

君津市の清和地区の2つの小学校が今年の春に統合され
いずれも廃校となってしまいました。
訪れたのは、その1校である.........君津市立秋元小学校。

秋元小学校は、

明治7年     市宿小学校、平田小学校を前身として創立。

昭和22年     学制改革により秋元村立秋元小学校と改称する。
昭和30年     秋元村が三島村と合併して清和むらとなる。
         清和村立秋元小学校と改称する。
昭和45年     清和村が君津町、上総町、小糸町、小櫃村と合併して新たな君津町となる。
         君津町立秋元小学校と改称する。
昭和46年     君津町が市制施行して君津市となる。
         君津市立秋元小学校と改称する。
令和2年      三島小学校と合併し、新たに清和小学校が誕生。
         秋元小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。


秋元小学校正門。

     20200529秋元小学校01

門扉の奥に重機が見えます。




以前は石造りの門柱が建っていたのでしょう。

     20200529秋元小学校02

門柱の基台だけが残っていました。




敷地内では、重機がお出迎え。

     20200529秋元小学校03



校庭に鉄板が敷かれ、重機の動線が体育館へと向かっています。

     20200529秋元小学校04

ひょっとして、体育館を解体するんでしょうか?



こちらが、その体育館。

     20200529秋元小学校22



こちらが校舎。

     20200529秋元小学校05


別アングルから。

     20200529秋元小学校07


     20200529秋元小学校08


     20200529秋元小学校09



校舎玄関。

     20200529秋元小学校10



校舎前には国旗掲揚ポール。

     20200529秋元小学校11



その基台には、秋元小学校の校章。

     20200529秋元小学校12



ネットが張られ、立ち入り禁止エリアに在った石碑。

     20200529秋元小学校13



こちらは、秋元中学校跡碑。

     20200529秋元小学校14


     20200529秋元小学校15



こちらが校庭。

     20200529秋元小学校20



校庭の遊具類。

     20200529秋元小学校16


     20200529秋元小学校17


     20200529秋元小学校18


     20200529秋元小学校19



校庭に置かれた朝礼台。

     20200529秋元小学校21




校舎の玄関脇に置かれたテーブル。

     20200529秋元小学校23



そこには『Dream』と書かれた子どもたちの顔が描かれている。

     20200529秋元小学校24

卒業記念の制作品なんだろうか?



玄関のガラスには、『感謝 ありがとうございます』の貼り紙。

     20200529秋元小学校25

お世話になった方々への言葉なんですね。


敷地の一角には、防災倉庫。

     20200529秋元小学校26

以前から在ったモノだとは思うけれど
廃校の定番とも言える防災倉庫。
この場所がお似合いになってしまったようです。




2020/07/09 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............天神山小学校    (2020年5月29日)(千葉県富津市) 

5月29日  

この日は、富津市に出かけました。

竹岡小学校をあとにして、向かった先は...............富津市立天神山小学校

天神山小学校は、

明治6年     不入斗村泉水寺に不入斗小学校設立。
明治7年     梨沢村薬師堂に梨沢小学校が設立。
明治8年     梨沢小学校は不入斗小学校の分校となる。
明治9年     一川小学校と改称する。
明治17年    一川村花輪に校地移転。
明治20年    一川尋常小学校と改称する。
         梨沢分校は、梨沢簡易小学校となる。
明治22年    一川村、相川村、梨沢村、横山村が合併して天神山山村となる。
        天神山尋常小学校と改称する。
        梨沢簡易小学校は天神山尋常小学校の分校となる。
明治25年    梨沢分校は独立して梨沢尋常小学校と改称する。
同.  年    天神山尋常高等小学校と改称する。
明治41年    天神山尋常小学校と改称する。
明治42年    天神山尋常高等小学校と改称する。
        梨沢尋常小学校は天神山尋常高等小学校の分教場となる。
昭和22年    学制改革により天神山村立天神山小学校と改称する。
昭和29年    梨沢分校移転。
昭和30年    天神山村が金谷村、湊村、竹岡村と合併して天羽町となる。
         天羽町立天神山小学校と改称する。
昭和46年     天羽町が富津町、大佐和町と合併し新たな富津町となる。
         富津町立天神山小学校と改称する。
         梨沢分校は本校に統合される。
同   年    富津町が市制施行して富津市となる。
         富津市立天神山小学校と改称する。
令和2年      天神山小学校、竹岡小学校、金谷小学校、湊小学校が合併して
         富津市立天羽小学校が開校(校地は湊小学校跡を流用)。
         天神山小学校は廃校となる。

と言う沿革となっています。



こちらが、正門。

     20200529天神山小学校01



門柱には、金属製の表札が光る。

     20200529天神山小学校02



正門近くの校庭から覗む校舎。

     20200529天神山小学校03



別アングルから。

     20200529天神山小学校04


     20200529天神山小学校05


     20200529天神山小学校06



校舎正面玄関。

     20200529天神山小学校07



校舎に掲げられた横断幕。

     20200529天神山小学校08



こちらは、体育館。

     20200529天神山小学校09



校庭。

     20200529天神山小学校10



校庭の片隅に設置された閉校記念碑。

     20200529天神山小学校11



裏面には、沿革が刻まれている。

     20200529天神山小学校12



校舎前の記念碑。

     20200529天神山小学校13



同じく校舎前に設置された像。

     20200529天神山小学校14



校庭の遊具類。

     20200529天神山小学校15


     20200529天神山小学校16


     20200529天神山小学校17


     20200529天神山小学校18


     20200529天神山小学校19

   
校庭に置かれた朝礼台。

     20200529天神山小学校20



体育館脇には体育倉庫。

     20200529天神山小学校21



こちらの天神山小学校、廃校後は地域の学童保育施設となっているようです。
「クラブフレンズきんこく塾」と言う名称で、社会福祉団体が運営されているようで
この日も、小学校が休校しているのか?
送迎に来る保護者の車が数台出入りし、子供たちも数名居るようでした。




2020/07/07 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............竹岡小学校    (2020年5月29日)(千葉県富津市) 

5月29日  

この日は、富津市に出かけました。

金谷神社をあとにして、向かった先は...............富津市立竹岡小学校

竹岡小学校は、

明治6年     竹ケ岡村の松翁院本堂を仮校舎として開校する。
明治8年     竹ケ岡村の延命寺に移転する。
明治10年     竹ケ岡東小学校と竹ケ岡西小学校に分離する。
明治16年     竹ケ岡東小学校と竹ケ岡西小学校を統合して竹ケ岡小学校と改称する。
明治22年     竹ヶ岡村、萩生村が合併して竹岡村が発足。
明治30年     竹岡村立竹岡尋常高等小学校と改称する。
明治42年     現在地に移転。
昭和22年     学制改革により竹岡村立竹岡小学校と改称する。
昭和30年     竹岡村が金谷村、湊村、天神山村と合併して天羽町となる。
         天羽町立竹岡小学校と改称する。
昭和46年     天羽町が富津町、大佐和町と合併し新たな富津町となる。
          富津町立竹岡小学校と改称する。
同年        富津町が市制施行して富津市となる。
          富津市立竹岡小学校と改称する。
令和2年      竹岡小学校、金谷小学校、天神山小学校、湊小学校が合併して
         富津市立天羽小学校が開校(校地は湊小学校跡を流用)。
         竹岡小学校は廃校となる。 


と言った沿革となっています。



竹岡小学校の正門。

     20200529竹岡小学校01



門柱にはまた表札が残っている。

     20200529竹岡小学校02

廃校からまだ2ヶ月。
これで表札が外されていたら、何とも味気ない。




竹岡小学校 校舎。

     20200529竹岡小学校03



別アングルからの校舎。

     20200529竹岡小学校04


     20200529竹岡小学校05


     20200529竹岡小学校08



校舎と校庭。

     20200529竹岡小学校10



そして、 びいすけ。

     20200529竹岡小学校09


     20200529竹岡小学校11


     20200529竹岡小学校12


     20200529竹岡小学校13



こちらは、体育館。

     20200529竹岡小学校06


     20200529竹岡小学校07



校庭。

     20200529竹岡小学校14



校庭の片隅。

     20200529竹岡小学校18



そこには閉校記念碑が在りました。

     20200529竹岡小学校15



裏面には沿革が刻まれている。

     20200529竹岡小学校16



そして、閉校記念碑の隣には『仲よし』の像。

     20200529竹岡小学校17



校庭の遊具類。

     20200529竹岡小学校19


     20200529竹岡小学校20


     20200529竹岡小学校21


     20200529竹岡小学校22


     20200529竹岡小学校23


     20200529竹岡小学校24




明治6年に開校した歴史のある小学校であった竹岡小学校。
コロナ騒ぎの令和2年の春、ひっそりと廃校になりました。




2020/07/06 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............金谷小学校    (2020年5月29日)(千葉県富津市) 

5月29日

この日は、富津市に出かけました。

令和2年春、すなわち今年の春世の中はコロナ騒ぎで一斉休校、
外出自粛と言われていた時期に
富津市の旧・天羽町エリアでは、4つの小学校が統合されて廃校となりました。

4つの小学校が統合され、新たな小学校が誕生しましたが
今回、その中の3つの小学校に訪れてみました。


最初に訪れたのは、富津市立金谷小学校。



金谷小学校は、

明治6年      華蔵院を仮校舎として金谷小学校開校。
明治17年     校舎新築移転。
明治19年     金谷尋常小学校と改称する。
昭和22年     学制改革により金谷村立金谷小学校と改称する。
昭和30年     金谷村が湊村、天神山村、竹岡村と合併して天羽町となる。
         天羽町立金谷小学校と改称する。
昭和46年     天羽町が富津町、大佐和町と合併し新たな富津町となる。
         富津町立金谷小学校と改称する。
同年       富津町が市制施行して富津市となる。
         富津市立金谷小学校と改称する。
令和2年      金谷小学校、竹岡小学校、天神山小学校、湊小学校が合併して
         富津市立天羽小学校が開校(校地は湊小学校跡を流用)。
         金谷小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。


JR内房線 浜金谷駅の真裏に在る金谷小学校。

こちらが正門。

     20200529金谷小学校01



正門には、表札が残る。

     20200529金谷小学校02



正門から校内に入ります。
目に飛び込んでくるのはシンボルツリー。

     20200529金谷小学校28


椰子の木のあるロータリー。
その背後に校舎。

     20200529金谷小学校03


     20200529金谷小学校04


別アングルから。

     20200529金谷小学校05


     20200529金谷小学校06



校舎と国旗掲揚ポール。

     20200529金谷小学校07



こちらは、体育館。

     20200529金谷小学校08


     20200529金谷小学校09



校庭。

     20200529金谷小学校10


     20200529金谷小学校11


     20200529金谷小学校18



校庭の片隅には、閉校記念碑。

     20200529金谷小学校12


     20200529金谷小学校23



校庭の遊具。

     20200529金谷小学校13


     20200529金谷小学校14


     20200529金谷小学校15


     20200529金谷小学校16


     20200529金谷小学校17




校庭の百葉箱。

     20200529金谷小学校19


朝礼台。

     20200529金谷小学校20



校庭側の通用門。

     20200529金谷小学校21


表札の古さから推測すると
かつては、こちらが正門だったんでしょうか?

     20200529金谷小学校22



通用門から外に出ると、フェンスには子供たちが卒業制作で描いた畳サイズの絵。

     20200529金谷小学校24


     20200529金谷小学校25


     20200529金谷小学校26


     20200529金谷小学校27



廃校時には、全校生徒23人だった金谷小学校。
惜まれつつも147年のその歴史の幕を下ろしました。


2020/07/05 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.....................常盤小学校     (2020年5月28日)(千葉県香取郡多古町) 

5月28日

この日は、多古町に出かけました。

松崎神社をあとにして、向かった先は.........多古町立常盤小学校


常盤小学校は、明治6年に創設された松崎小学校がその前身のようです。

松崎小学校の開校から145年。
令和2年3月に多古第一小学校に統合され廃校になりました。

常盤小学校の詳しい沿革は確認出来ていません。
詳しい沿革がひょっとしたら、創立百周年の記念碑の裏面に
刻まれていたかもしれないけれど
じっくりとみてなかったから、気が付かなかったかもしれません。



常盤小学校正門。

     20200528常盤小学校01



門柱には、多古町立常盤中学校の表札が残っています。

     20200528常盤小学校02

どうやら、この地は常盤中学校の跡地でもあったようですね。
戦後の学制令でこの地に中学校が併設されたんでしょうね。


正門脇に並ぶ石碑群。

     20200528常盤小学校03



その中には、常盤中学校の跡碑が在りました。

     20200528常盤小学校06


その脇には、常盤小学校の閉校記念碑。

     20200528常盤小学校04



裏面には、沿革が刻まれています。

     20200528常盤小学校05

じっくり読まなかったんだけど、
こちらの沿革は、創立百周年以降のモノですね。



こちらは、創立百周年の記念碑。

     20200528常盤小学校07

裏面を確認しなかったんだけど、
こちらの裏面に、開校からの沿革か刻まれていたのかな?


閉校記念碑の隣には二宮像。

     20200528常盤小学校10


     20200528常盤小学校11




こちらは定礎の碑。

     20200528常盤小学校08

定礎って建物の基礎にあるのが多いけど
この碑は、校庭のフェンス沿いに建てられている。
(この中に、図面とか入っているのかなぁ?)



正門の先。

     20200528常盤小学校09

おそらく中学校跡になるのでしょう。



肝心の常盤小学校は正門の脇。
校舎の手前にはプールがある。

     20200528常盤小学校12



常盤小学校の校舎。

     20200528常盤小学校13



別アングルからの校舎。

     20200528常盤小学校15


     20200528常盤小学校16


     20200528常盤小学校17


     20200528常盤小学校18


     20200528常盤小学校19


     20200528常盤小学校21




校舎の壁面に掲げられた時計。

     20200528常盤小学校20

廃校からまだ2ケ月。
時間はバッチリ合っている。



こちらは、体育館。

     20200528常盤小学校22



校庭。

     20200528常盤小学校23


     20200528常盤小学校24


     20200528常盤小学校33
 


校庭の遊具。

     20200528常盤小学校25


     20200528常盤小学校26


     20200528常盤小学校27


     20200528常盤小学校28


     20200528常盤小学校29


     20200528常盤小学校30



校庭の端に設けられた国旗掲揚ポール。

     20200528常盤小学校31



校庭に置かれた朝礼台。

     20200528常盤小学校32



そして、敷地の片隅には防災倉庫。

     20200528常盤小学校34

廃校の定番とも言えますね。



3月末で廃校となった常盤小学校。

新型コロナウイルスへの対応の影響を受け、
急きょ3月2日から春休みまでの臨時休校を決定したことから、
2月28日が常磐小全校児童にとって最後の授業となってしまったそうです。

3月14日に閉校式が行われたようですが、
児童不在の閉校式だったらしく、
子供たちの事を思うと、本当に残念ですね。


2020/06/30 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

蘇我小学校発祥の地   《 福正寺 》   (2020年3月24日)(千葉県千葉市中央区) 

3月24日

この日は千葉市中央区にある今井神社に出かけました。

以前から今井神社の近くに寺院の前を車で通っていましたが
非常に気になる寺院です。

その寺院は、福正寺。

福正寺は、千葉市中央区今井にある寺院です。
浄土釋氏斎蓮廣譽春源嘉善が開山となり、薬師山高巌院福秀寺と号して開山しました。
元禄13年(1700年)に西山本門寺21世日意上人が宗旨を改めて開山したとされています。

山号は、富士山。
正式には、富士山福正寺と称すようです。



福正寺山門。

     20200324福正寺01


     20200324福正寺02



山門の扉には気になる紋。

     20200324福正寺03

この紋が先日より気になっていました。



九星に月紋。

     20200324福正寺04

千葉氏の家紋である九曜紋には、星が一つ多い。
確かに十曜紋。
そして、真ん中に月紋。

真ん中の月が三日月になっていれば、三日月と九曜紋。
千葉一族の家紋の一つである。



とりあえず、寺院は敷居が高いので
びいすけ は、ここまで。
車の中で待機してもらいましょう。




手水舎。

     20200324福正寺05

 

本堂。

     20200324福正寺06


     20200324福正寺07



本堂正面に掲げられた扁額(山号)。

     20200324福正寺08



本堂の鬼瓦。

     20200324福正寺09



こちらにも、同じ紋。

     20200324福正寺10


     20200324福正寺11


     20200324福正寺12


     20200324福正寺13


     20200324福正寺14



天水桶にも同じ紋。

     20200324福正寺15

やはり、千葉氏関連の寺院なんだろうか?




鐘楼。

     20200324福正寺16



鐘楼脇に、古い鐘が置かれていました。

     20200324福正寺17



鐘楼の奥に、何かの碑が在るようです。

     20200324福正寺18


近付いて見て、びっくり!

     20200324福正寺19

何と、『蘇我小学校発祥の地』の碑です。


裏面の碑文から、明治6年に創設された今井小学校の跡地のようです。

     20200324福正寺20

調べてみると、蘇我小学校はいつから蘇我小学校と称するようになったのかは不明ですが
昭和22年の学制改革時には、千葉市立蘇我小学校と称していたようです。
また、昭和28年に現在の場所に移転したそうです。
それ以前は、現在の蘇我中学校の敷地に明治48年から昭和28年まで在ったそうです。
そして、明治48年に移転するまでこの地に今井小学校が在ったようです。


御住職の奥様と話す事ができ、色々と訊いてみた所
千葉氏とは関わりがないとの事で、元々の寺紋だと言う事らしい。

また、蘇我小学校(今井小学校)については、
旧・本堂を校舎代わりにしていたらしい。

いずれにしても、偶然にも蘇我小学校(今井小学校)跡地を見つけてしまった。
これも何かの縁だと思い、御朱印を拝受出来ればと訊いてみたら、
御朱印の応対はされていないとの事。

誠に残念です。


2020/04/27 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............片野小学校 (2020年2月17日)(茨城県石岡市) 

2月17日   

この日は、茨城県の桜川市に出かけ、
その帰りに石岡市に立ち寄りました。

下青柳小学校をあとにして、
向かった先は.........石岡市立片野小学校。


片野小学校の詳細な沿革は不明です。

ただ現地に在った、学校跡の碑に記されたいた内容から
明治8年に創立した小学校のようです。

明治、大正、昭和と時代の変遷の中、
片野村から柿岡町、八郷町と変わり
昭和49年旧・八郷町立柿岡小学校(現:石岡市立柿岡小学校)に統合されて
廃校となりました。




こちらが正門跡。

     20200217片野小学校01



門柱の裏面には何やら刻まれていますが、よく読めない。
何かの記念のようです。

     20200217片野小学校02



こちらは、建立年月日が刻まれているようですが、確認は出来ません。

     20200217片野小学校03



昭和49年に廃校となった片野小学校。

     20200217片野小学校04



廃校から45年。
校舎は解体され、現在は片野公民館となっています。

     20200217片野小学校05



敷地の一角に残る二宮像。

     20200217片野小学校06


     20200217片野小学校07



こちらは、片野小学校跡碑。

     20200217片野小学校08

廃校は、昭和49年ですが、建立されたのは平成6年。



文字が擦れて読みづらいですが、統合記念の碑。

     20200217片野小学校09

こちらは、片野小学校が柿岡小学校に統合された時に作られたんですね。




校庭。

     20200217片野小学校10


     20200217片野小学校13



赤錆びた朝礼台。

     20200217片野小学校11



ポツンと立つバスケットゴール。

     20200217片野小学校12


     20200217片野小学校19




校庭に残る遊具類。

     20200217片野小学校14


     20200217片野小学校15


     20200217片野小学校16


     20200217片野小学校17


     20200217片野小学校18



公民館として利用されているから、敷地内には倉庫も多い。

     20200217片野小学校21

お祭りの御輿でも入っているのだろうか?



そして、お約束とも言える災害倉庫。

     20200217片野小学校22



敷地のフェンス沿いには桜の木。

     20200217片野小学校20


毎年綺麗な花を咲かせているんでしょう。


こちらの前に訪れた廃校跡に、ほとんど遺構が残っていなかったから
正直言って、あまり期待していなかったけれど
二宮像があったり、門柱がしっかり残っていたりと
期待以上の廃校跡でした。






2020/04/05 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............下青柳小学校        (2020年2月17日)(茨城県石岡市) 

2月17日

この日は、茨城県の桜川市、石岡市に出かけました。

足尾神社 里宮をあとにして、向かった先は.........旧・小幡村立下青柳小学校。

下青柳小学校の詳細な沿革は不明で、創立時期等も不明です。

昭和32年旧・小幡村立小幡小学校(現:石岡市立小幡小学校)に統合されて
廃校となったようです。



Wikipedia の茨城県の廃校(小学校)に載っている下青柳小学校。
ネットでいろいろ調べても情報は得られない。
以前、石岡市の教育委員会に問い合わせたら
石岡市下青柳の下青柳田園都市センターが
下青柳小学校跡だと教えてくれました。

それから、2年ほど経ったのでしょうか?
いつか訪れようと思いながら、今日になってしまいました。



正門跡。

     20200217下青柳小学校跡01

今から62年前に廃校になった小学校。
正門跡と言っても往時の門柱などは残っていません。



しかし、正門跡脇の古い桜の木が、学校跡らしさを醸し出してくれます。

   20200217下青柳小学校跡02
    20200217下青柳小学校跡03



とうぜん、校舎もすでに解体されていて、
新たな建物が建てられています。

     20200217下青柳小学校跡04



下青柳田園都市センターという建物。

     20200217下青柳小学校跡05



公民館というよりは研修所っぽい感じの建物。

     20200217下青柳小学校跡06



敷地内に学校遺構が残っていないか?
探してみますが、それっぽいモノは見当たらない。

     20200217下青柳小学校跡07


ゆいいつ、それっぽいものは、植え込みの奥に隠れるように建っていた碑。

     20200217下青柳小学校跡08

残念ながら碑文が読めず、
何の記念碑(?)なのかは確認できず...............



二宮像や学校跡碑、廃校記念碑の類は無い。

     20200217下青柳小学校跡09



遊具も残されいない。

     20200217下青柳小学校跡11


     20200217下青柳小学校跡12



敷地の外周に植えられ、大きく育った桜の木々が
学校跡を感じさせてくれる。

     20200217下青柳小学校跡10

この場所に、この地に、遠い昔学校が在った。
それも紛れもない事実で、忘れ去られている事実です。




2020/04/04 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 旧・葦穂小学校跡    (2020年2月17日)(茨城県石岡市) 

2月17日

この日は茨城県の桜川市に出かけ、その後石岡市経由で帰ってきました。

石岡市にも行きたい所、立ち寄りたい所はいっぱいある。
そんなわけで、向かった先は...............旧・八郷町立 旧・葦穂小学校跡。


始めにお断り。
葦穂小学校は、廃校ではありませんが
明治8年に開校した小屋小学校がその始まりとされています。


明治8年     小屋小学校設立。
明治22年    葦穂尋常小学校と改称する。
明治43年    葦穂尋常高等小学校設立。
        鯨岡に分教場 をおく
昭和22年    学制改革により葦穂村立葦穂第一小学校と改称する。
昭和30年    葦穂村が柿岡町、小幡村、恋瀬村、瓦会村、園部村、林村、小桜村と合併し八郷町が誕生。
        八郷町立葦穂小学校と改称する。
昭和37年    鯨岡分校を統合し、その校地に新校舎建設。葦穂小学校は移転する。

と、昭和37年までの沿革ですが
葦穂小学校は現在の校地とは別な場所に存在していました。



実は、この旧・葦穂小学校についての情報は乏しく
以前、石岡市の教育委員会に問い合わせてみても
詳細を知る方がいなくて分からずじまいでした。

何回かこの近くに来る度に地元の方に聞いたりして
おおよその場所にあたりをつけていました。


その場所は、とある商店の裏にある空き地。
その商店のオバちゃんに尋ねてみると、
間違いなく商店裏の空き地が、旧・葦穂小学校の跡地でした。

     20200217旧葦穂小学校跡01


校舎どころか、学校跡を彷彿させるようなモノが一切無い。

     20200217旧葦穂小学校跡02


     20200217旧葦穂小学校跡03


知らない人が見れば、
とてもこの場所が学校跡だと思う人は居ないでしょう。

     20200217旧葦穂小学校跡04


     20200217旧葦穂小学校跡05


     20200217旧葦穂小学校跡06


せめて、記念碑とかが残っていれば良かったんですけどね。
やっぱり、畑の跡にしか見えませんね。






2020/04/03 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 真壁小学校  (2020年2月17日)(茨城県桜川市) 

2月17日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。

紫尾小学校をあとにして、向かった先は...............桜川市立真壁小学校。

真壁小学校は、

明治6年      旧笠間藩陣屋官舎を借用して真壁小学校が創立される。
明治16年     高等真壁小学校と改称する。
明治25年     真壁町立真壁尋常小学校と改称する。
明治42年     真壁町立真壁尋常高等小学校と改称する。
昭和22年     学制改革により.真壁町立真壁小学校と改称する。
平成17年     真壁町が岩瀬町、大和村と合併して桜川市が誕生。
          桜川市立真壁小学校と改称する。
平成30年     紫尾小学校、真壁小学校、桃山中学校統合して、
         小中一貫校『桃山学園』が発足する。
         真壁小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。




こちらが、真壁小学校の正門のようです。

     20200217真壁小学校01



真壁石を使った門柱。

     20200217真壁小学校02



ポツリ、ポツリと小雨に濡れる門柱。

     20200217真壁小学校03


門柱に残る表札。

     20200217真壁小学校04



廃校は平成30年の3月。
今から約2年前。
校舎はすでに解体され、跡地は更地状態。

     20200217真壁小学校05



     20200217真壁小学校08



校庭跡には、遊具も残されていなくて殺風景。

     20200217真壁小学校09


     20200217真壁小学校13





こちらも校門跡。

     20200217真壁小学校06

こちらには、コミュニティバスのバス停があります。
バス停名は『旧・真壁小学校』となっています。



石造りの古い門柱。

     20200217真壁小学校07

きっと、かつての正門に使われていた門柱なんでしょう。



そして、こちらも校門跡。

     20200217真壁小学校10



4〜5年前に廃校になる前の真壁小学校を見に来た時、
この門の近くまで来た事があります。

     20200217真壁小学校11



昭和61年度の卒業生が建立したモノなんですね。

     20200217真壁小学校12




校舎は解体されて残っていませんが
プールと体育館は残っています。


プールのフェンスの基礎部には、子供達の作ったレリーフが埋め込まれています。

     20200217真壁小学校14


     20200217真壁小学校15



こちらは、体育館。

     20200217真壁小学校16

体育館は、そのまま市民体育館として活用されているようです。



そして、その体育館の中庭に真壁小学校の遺構が移設されています。



二宮像。

     20200217真壁小学校17


     20200217真壁小学校18



タイトルは不明、少年少女の像。

     20200217真壁小学校19



ボールを持つ子供の像。

     20200217真壁小学校20



『むぎ』というタイトルの麦を抱える子供の像。

     20200217真壁小学校21



こちらは、真壁小学校創立百周年記念碑。

     20200217真壁小学校22


     20200217真壁小学校23



こちらの訓辞の碑。

     20200217真壁小学校24



そして、小振りながら『閉校記念碑』。

     20200217真壁小学校25


     20200217真壁小学校26

yしゃり、形の大きさは別として、
『閉校記念碑』、『学校跡碑』と言った類いの碑が在るのと、
無いのとでは、こちらのテンションも変わってくる。

と言うことは、それ以上に卒業生にとっても
受け止め方が変わってくるんだろう。
やっぱり、自分の母校は忘れられないものなんでしょう.................。





2020/04/01 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 紫尾小学校  (2020年2月17日)(茨城県桜川市) 

2月17日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。

椎尾山薬王院をあとにして、向かった先は...............桜川市立紫尾小学校。

紫尾小学校は、

明治7年     椎尾神社妙光寺の境内に広明小学校が創立する
明治8年     椎尾小学校と改称する。
明治16年    中等椎尾小学校と改称する。
明治22年    羽鳥村・椎尾村・東山田村・酒寄村が合併し紫尾村が誕生。
        椎尾尋常小学校と改称し、酒寄分校を設置する。
明治23年    羽鳥分校を設置する。
明治26年    紫尾村立尋常高等小学校と改称する。
昭和22年    学制改革により、紫尾村立紫尾小学校と改称する。
昭和29年    紫尾村が真壁町、谷貝村、樺穂村と合併して新たな真壁町が誕生。
         真壁町立紫尾小学校と改称する。
昭和33年    羽鳥分校が真壁小学校に統合される。
昭和53年    酒寄分校が本校に統合される。
平成17年    真壁町が岩瀬町、大和村と合併して桜川市が誕生。
         桜川市立紫尾小学校と改称する。
平成30年    紫尾小学校、真壁小学校、桃山中学校統合して、
         小中一貫校『桃山学園』が発足する。
         紫尾小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが紫尾小学校の正門。

     20200217紫尾小学校01


門柱には大きな表札が掲げられています。

     20200217紫尾小学校02



紫尾小学校校舎。

     20200217紫尾小学校03



鉄筋コンクリート2階建の校舎。

     20200217紫尾小学校04


     20200217紫尾小学校05



正面玄関。

     20200217紫尾小学校06



正面玄関の庇に掲げられた校章。

     20200217紫尾小学校07



正面玄関に掲げられた表札。

     20200217紫尾小学校08 



この校舎は昭和53年に建てられたモノのようです。

     20200217紫尾小学校09



と言う事は、建ってから43年。
いずれ解体と言うことになってしまい 
その姿を見る事が出来なくなってしまうのだろうか?

     20200217紫尾小学校10


校舎の前庭には二宮像。

     20200217紫尾小学校11


     20200217紫尾小学校12



こちらは、トーテムポール。

     20200217紫尾小学校13

今では見る事も少なくなりました。


そのトーテムポールは、昭和57年度の卒業生の贈り物のようです。

     20200217紫尾小学校14
  


校歌の碑。

     20200217紫尾小学校15



こちらは、昭和44年度と昭和53年度の卒業生の贈り物のようです。

     20200217紫尾小学校16


前庭には、碑やモニュメントが幾つか残っている。

     20200217紫尾小学校17


     20200217紫尾小学校18


     20200217紫尾小学校19


     20200217紫尾小学校20
  


こちらは、体育館。

     20200217紫尾小学校21


     20200217紫尾小学校22



校舎の裏手に広い校庭。

     20200217紫尾小学校23


     20200217紫尾小学校24


     20200217紫尾小学校25



校庭に残る遊具類。

     20200217紫尾小学校26


     20200217紫尾小学校27


     20200217紫尾小学校28


校庭の片隅には朝礼台。

     20200217紫尾小学校33
 

 


校舎と校庭の間には、もう一つ別な校舎。

     20200217紫尾小学校32


こちらは一的には東側になるから東門?

     20200217紫尾小学校29


門柱に残る表札。

     20200217紫尾小学校30


そして、正門との間にもう一つの門。

     20200217紫尾小学校31

石造りの古い門柱だから、こちらがかつての正門だったのでしょう。
     


いずれにしても、この校舎がいつまで残っているのか?
廃校記念碑や学校跡碑が無いから、
出来れば校舎をずっと残しておいて欲しいと思うのは私だけ.........?







2020/04/01 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.............. 上妻小学校大木分教場  (2020年2月10日)(茨城県下妻市) 

2月10日

この日は、茨城県の下妻市に出かけました。

砂沼をあとにして、向かった先は.........上妻小学校大木分教場。

大木分教場は、明治6年に創設された大木小学校が
その始まりとされています。



明治6年     大木小学校創立。
明治34年    大木小学校を上妻尋常高等小学校の分教場とする。
昭和22年    学制改革により、上妻村立上妻小学校大木分教場と改称。
昭和34年    本校に統合して大木分教場は廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。




大木集落の幹線道路沿いにある分教場跡地。

     20200210大木分校01


現在は、『大木農村集落センター』として地域の集会所のような施設となっています。

     20200210大木分校09



廃校から既に60年。
校舎はとっくに解体され、
赤い屋根の農村集落センターが建てられています。

     20200210大木分校02



最初は、分教場時の建物(校舎)かと思いましたが
考えたら60年前に廃校の分教場。
とても60年+αの建物には見えません。

     20200210大木分校03


     20200210大木分校04



廃校記念碑かと思ったら、大きく『大木農村集落センター』と刻まれた碑。

     20200210大木分校05



敷地内に残る桜の古木が2本。
分教場時代のモノでしょう。

     20200210大木分校06


     20200210大木分校07

アスファルトで固められてしまった敷地ですが
分校時は土の地面を子供達が走り回っていたのでしょう。



定番の消防倉庫は見当たりませんでしたが
古紙回収、保管用の倉庫が置かれていました。

     20200210大木分校08

地方の廃校跡だと、地域の資源ゴミの回収場所に利用されることも多い。
この大木分校も集会所としての顔を持ち、
資源ゴミの回収場所としての顔も持つ分教場跡地でした。  


   



2020/03/23 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............蚕養小学校   (2020年2月10日)(茨城県下妻市) 

2月10日

この日は、茨城県の下妻市に出かけました。

淡島神社をあとにして、向かった先は...............下妻市立蚕養小学校。



蚕養小学校は、

明治6年   豊田郡鯨村に呑舟学校が開設。
       鯨村華蔵院をもってこれに充てる。
明治22年   蚕養尋常小学校てなり華蔵院を仮校舎とする。
明治44年   現在地に移転する。
大正9年   蚕養尋常高等小学校と改称する
昭和22年   学生改革により、蚕養村立蚕養小学校と改称する。
昭和30年   宗道村、蚕飼村、大形村が合併して千代川村が発足。
       千代川村立蚕養小学校と改称する。
平成18年   千代川村が下妻市に編入される。
       下妻市立蚕養小学校と改称する。
平成26年   宗道小学校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっています。
 
  

淡島神社、甲神社からもいずれも徒歩圏内にある蚕養小学校。
淡島神社の狭い境内に車を停めて、徒歩で向かいます。


県道沿いの正門。

     20200210蚕養小学校01



コンクリート製の門柱には鋳鉄製の表札が残る。

     20200210蚕養小学校02



蚕養小学校校舎。

     20200210蚕養小学校03


     20200210蚕養小学校04



別アングルから。

     20200210蚕養小学校05


     20200210蚕養小学校06


     20200210蚕養小学校07


     20200210蚕養小学校08



校舎正面玄関。

     20200210蚕養小学校10



玄関の庇に掲げられた校章。

     20200210蚕養小学校11




校舎の前には、『蚕養小学校学び舎の碑』。

     20200210蚕養小学校15

いわゆる、廃校記念碑の類いになりますね。



裏面には校歌が刻まれています。

     20200210蚕養小学校14="450" height="298" />




こちらも校歌の碑。

     20200210蚕養小学校17

結果的に、校歌の碑がダブっちゃったんですね。




残念ながら二宮像はありませんでした。
その代わりにこんな像が校舎が前に残っています。

     20200210蚕養小学校16




     



鉄筋校舎とは別に、小さいながらも木造の校舎が残っていました。

     20200210蚕養小学校12


     20200210蚕養小学校13



校庭。

     20200210蚕養小学校18


     20200210蚕養小学校09



校庭に残された遊具類。

     20200210蚕養小学校19


     20200210蚕養小学校20


     20200210蚕養小学校21

 
     20200210蚕養小学校22


     20200210蚕養小学校23




校庭の隅には大イチョウ。

     20200210蚕養小学校24


     20200210蚕養小学校25

蚕養小学校の歴史を見届けてきた大イチョウ。



こちらも負けず劣らず立派な樹。
これこそ、シンボルツリーと呼ぶに相応しい。

     20200210蚕養小学校26
     20200210蚕養小学校27



敷地から細い道を一本挟んで体育館。

     20200210蚕養小学校28


     20200210蚕養小学校29


体育館の前には朽ちた百葉箱。

     20200210蚕養小学校30


そして、その脇には緯度経度な座標が刻まれたプレート。

      20200210蚕養小学校31
   
明治初期に創設された蚕養小学校。
歴史のある学校だった蚕養小学校。
廃校から既に5年の月日が流れてしまいました。
この緯度経度の示す場所には学び舎は無くなってしまいました。









2020/03/20 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............大須賀小学校第二分教場  (2020年1月30日)(千葉県成田市) 

1月30日  

この日は、成田市に出かけました。

磐裂神社をあとにして、向かった先は......... 旧・大栄町立大須賀小学校第二分教場。

大須賀小学校第二分教場は、明治24年に創立した村田小学校がその始まりとされています。

明治24年  村田耕田寺傍地に村田小学校設立。
明治41年  伊能小学校、桜田小学校、奈土小学校、
       村田小学校が統合され
       新たに大須賀尋常高等小学校が設立される。
       村田小学校は第三分教場となる。
大正2年   第一分教場(旧・伊能小学校)を廃止し、
       第三分教場は、第二分教場と改称する。
昭和22年  学制改革により、大須賀村立大須賀小学校第二分教場と改称する。
昭和30年  大須賀村が町村合併により大栄町となり、
       大栄町立大須賀小学校第二分教場と改称する。
昭和31年  第三分教場(旧・櫻田小学校)が分離独立して、大栄町立櫻田小学校となる
昭和40年  櫻田小学校に統合され、廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。


この第二分教場については、大須賀小学校のHPでその存在を知りましたが詳細は不明。
学区が村田地区だったことから、村田集落にある『ふれあいセンター』に当たりを付けて訪れました。
公民館のような施設。
確かに学校跡の雰囲気はあるけれど、学校遺構がないから確証はない。
近くの民家の御婦人に訊いてみたら違っていました。

第二分教場は、離れた場所にある公園になっていました。



こちらが、第二分教場の正門跡。

      20200130村田分校01



門柱に表札が残っていれば良かったんですが
残念ながら外されていました。

      20200130村田分校02



裏面には、『昭和33 二分学区 城之内工』と刻まれています。

      20200130村田分校03

おそらく、第二分教場 学校区 と言う意味なんでしょう。
城の内 は、元々村田城が近くにあるから城の内とでも呼ばれていたのでしょうか?



こちらは、県道側の公園出入口。

      20200130村田分校04



現在は、村田街区公園と言うみたいです。

      20200130村田分校05



約55年前に廃校となった分教場跡。
当然、校舎は解体されています。

      20200130村田分校06


公園といっても小さな公園。

      20200130村田分校07


      20200130村田分校09


      20200130村田分校10

門柱以外に、学校跡だと彷彿させるモノはない。




遊具もブランコ1基。


さすがに55年以上も前の事ですから
このブランコは、分教場時代のモノではないでしょう。

      20200130村田分校08



公園に残る木々。

      20200130村田分校11


      20200130村田分校12

これらは、ここが分教場の頃から根付いていたモノでしょう。
これらの木々を懐かしむ人もいるんだろうなぁ。


2020/03/11 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.............大須賀小学校第一分教場  (2020年1月30日)(千葉県成田市) 

1月30日

この日は、成田市に出かけました。

成田豊住熊野神社をあとにして、向かった先は......... 旧・大栄町立大須賀小学校第一分教場。

この日、成田市に向かった本命は、
ズバリ、こちらの分教場を訪れることでした。


大須賀小学校第一分教場は、明治15年に創立した奈土小学校がその始まりとされています。

明治15年     奈土昌福寺の敷地を借用して奈土小学校設立
明治41年     伊能小学校、桜田小学校、奈土小学校、村田小学校が統合され、
         新たに大須賀尋常高等小学校が設立される。
         奈土小学校は第二分教場となる。
大正2年     第一分教場(旧・伊能小学校)を廃止し、
         第二分教場は、第一分教場と改称する。
昭和22年    学制改革により、大須賀村立大須賀小学校第一分教場と改称する。
昭和30年    大須賀村が町村合併により大栄町となり、
        大栄町立大須賀小学校第一分教場と改称する。
昭和49年    本校に統合され、廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。



こちらが、正門跡。

     20200130奈土分校01

石造りの古い門柱が残っています。



門柱には表札が掲げられています。

     20200130奈土分校02


よく見ると、『大須賀小学校第一分校』と刻まれています。

     20200130奈土分校03


大須賀小学校のHPを覗くと、沿革には『第一分教場』と記されています。
表札は『第一分校』。
どっちが正しいのか?

こちらでは、HPに重きを置いて、『第一分教場』と表記します。



昭和10年に作られた門柱のようです。

     20200130奈土分校04



今から約45年前に廃校となった第一分教場。
当然、往時の校舎は既に解体されています。

     20200130奈土分校05



跡地には、奈土公民館が建てられています。

     20200130奈土分校06


     20200130奈土分校07


     20200130奈土分校08


     20200130奈土分校09



お約束とでも言うべきか?
敷地の一角には、消防倉庫。

     20200130奈土分校10

廃校跡地の定番活用ですね。


地域の公民館であるから、リサイクルゴミの集積所にもなっているようです。

     20200130奈土分校11

成田市のHPを見ると、本校でもある成田市立大須賀小学校も少子化で
近い内に近隣の他校と統合して、小中一貫校に統合されるようです。
旧・大栄町域も小中一貫校が1校のみになってしまうようです。

寂しいものですね。


2020/03/10 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............旧・岩瀬町立南飯田小学校門毛分校 (2020年1月4日)(茨城県桜川市) 

1月4日

この日は、茨城県の笠間市・桜川市へと出かけました。

二所神社をあとにして、向かった先は......... 旧・岩瀬町立 南飯田小学校門毛分校。




門毛分校は、明治6年12月に創設された門毛小学校がその始まりとされています。

明治6年     門毛村の洞源寺本堂に門毛小学校創立。
明治9年     亀岡村の亀岡小学校の分校となる。
明治19年     南飯田尋常小学校の分教場となる。
明治23年     北那珂尋常小学校の分教場となる。
昭和22年     学制改革により北那珂村立南飯田小学校門毛分校と改称する。
昭和30年     北那珂村が岩瀬町、東那珂村と合併し新たな岩瀬町が発足。
          岩瀬町立南飯田小学校門毛分校と改称する。
昭和60年     本校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっています。




こちらが、正門跡。

      20200104門毛分校01

二所神社からはすぐそこ。
距離にしたら200mぐらいでしょうか?

実は、二所神社には駐車場がなかったので
こちらに車を停めて二所神社に参拝していました。




石造りの古い門柱。
残念ながら、表札は残っていません。

      20200104門毛分校02



この門柱は大正4年に建立されたモノのようです。

      20200104門毛分校03



正面に聳える古木。

      20200104門毛分校04

きっとシンボルツリーだったんでしょうね。




学校関連の石碑かと思ったら違っていました。

      20200104門毛分校05

集会所建築の寄付金の芳名碑でした。


門毛分校は廃校後、門毛多目的集会施設と称する施設となっています。
いわゆる、公民館ですね。
芳名碑が建立されたのは昭和61年。
分校の廃校は昭和60年。

つまり、廃校の翌年に校舎は解体されて
多目的集会所が建てられたんですね。


こちらの碑も学校とは関係ない碑。

      20200104門毛分校06

どうやら、正門の門柱以外には学校遺構は無いようですね。



多目的集会施設の建物。

      20200104門毛分校07



      20200104門毛分校11


      20200104門毛分校10

きっと、往時の分校の校舎もこんな感じで建っていたんでしょう。。




遊具もない校庭跡。

      20200104門毛分校08


勿論、二宮像や廃校記念碑などありません。

      20200104門毛分校09




昨年の秋の対台風で倒れたんでしょうか?
大きな木が切り刻まれています。

     20200104門毛分校12



集会所の前に置かれた錆びついた小さな椅子。

      20200104門毛分校13


      20200104門毛分校14

きっと分校時代の椅子なんでしょうね。


この椅子を見ると、遠い思い出、ここに在り。
そんな事を思ってしまう人がいるんだろうなぁ................



2020/02/10 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............旧・稲田小学校跡 (2020年1月4日)(茨城県笠間市) 

1月4日 

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。
佐志能神社(笠間城址)をあとにして、向かった先は...............笠間市立 旧・稲田小学校跡。


《始めにお断り》

稲田小学校は、現存する小学校で廃校ではありませんが、
かつての稲田小学校だった校地を訪れました。


明治18年(1885年)に旧・稲田小学校が誕生しました。
昭和54年に旧・稲田小学校と福原小学校が統合して、
新たに笠間市立稲田小学校として新校舎を新校地に建設して移転しました。

すなわち、昭和54年までこの地に稲田小学校が在ったと言うことになります。



こちらが、旧・稲田小学校の正門。

      20200104旧・稲田小学校01



石造りの門柱に表札は埋め込み式ではなく、ぶら下げられていたんですね。

      20200104旧・稲田小学校02



正門の先には、大きな2本の木。

      20200104旧・稲田小学校03

シンボルツリーだっんでしょう。


その木の下に碑らしきモノがある。

      20200104旧・稲田小学校04


      20200104旧・稲田小学校08

てっきり、旧・稲田小学校関連の碑だと思ったら
『いなだ保育園』と表札が埋め込まれでいました。


どうやら、校地移転後、この場所は『いなだ保育園』として利用されていたようです。


保育園の園舎。

      20200104旧・稲田小学校05



園庭。

      20200104旧・稲田小学校06


雑草が伸びて、枯れた状態。
園庭が、きちんと管理されていないみたい。

      20200104旧・稲田小学校07


ひょっとしたら、廃園になっているのか?

      20200104旧・稲田小学校16


ネットで笠間市のHPを見ても『いなだ保育園』、『いなだ保育所』では
この住所ではヒットしないようです。


隣接する建物は『稲田公民館』。

      20200104旧・稲田小学校09



公民館の前はゲートボール場。

      20200104旧・稲田小学校10

でも、久しく使われていないようです。


公民館の駐車場がかつての校庭の一部になるのでしょう。

      20200104旧・稲田小学校11


ゲートボール場の脇に、碑がありました。


旧・稲田小学校の校歌の碑です。

      20200104旧・稲田小学校12



昭和49年度の卒業生から贈られたモノのようです。

      20200104旧・稲田小学校13


その近くには、別な碑。

      20200104旧・稲田小学校14



そして、敷地の片隅に申し訳なさそうに建つ消防倉庫。

      20200104旧・稲田小学校15

やっぱり、笠間市の廃校、学校跡には、コレがなくっちゃ!!(笑)。






2020/02/08 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............旧・大原小学校跡 (2020年1月4日)(茨城県笠間市) 

1月4日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

小原神社をあとにして、向かった先は............... 旧・友部町立 旧・大原小学校跡


大原小学校は、廃校ではなく現在は笠間市立大原小学校として現存する小学校です。
明治5年小原小学校として、保呂輪山千手院に仮校舎として創立します。

大正11年     大原尋常小学校となり、この地に校地を移転。小原に分教場を設置する。
昭和22年     学制改革により、大原村立大原小学校と改称する。
昭和30年     大原村が宍戸町、北川根村が合併して友部町となる。
         友部町立大原小学校と改称する。
昭和43年     小原分校を統合する。
昭和45年     新校舎建設、校地を移転する。

その後、平成18年に友部町は岩間町と共に笠間市と合併して
新たな笠間市が誕生します。
大原小学校も笠間市立大原小学校と改称し、今日に至ります。




畑の中にある小さな碑。

      20200104旧・大原小学校01

小原分校でも目にした碑ですね。



碑文は『大原尋常高等小学校跡地之碑』。

      20200104旧・大原小学校02


      20200104旧・大原小学校03

大正11年から昭和45年まで
この地に大原小学校が在ったんですね。


この碑は、平成4年に大原小学校創立120周年を記念して
建立されたモノのようです。

      20200104旧・大原小学校04



碑は建っているものの、周りは畑。

      20200104旧・大原小学校05



しかも、一部は耕作されているものの、殆どが休耕地のようです。

      20200104旧・大原小学校09


      20200104旧・大原小学校10




50年前に移転しているから、校舎はとっくに解体されているけれど
学校跡を全く感じさせない。

      20200104旧・大原小学校06


      20200104旧・大原小学校07


      20200104旧・大原小学校08



学校跡地って、公共の施設とかに転用される事が多いけれど
耕作地になったと言うことは、元々の校地は借地だったんだろうか?

色んなことを考えてしまうけれど、
あの碑が無ければ、誰もこの場所が学校だったなんて思わないでしょう.............。








2020/02/06 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............大原小学校小原分校 (2020年1月4日)(茨城県笠間市) 

1月4日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

来栖神社をあとにして、向かった先は............... 旧・友部町立 大原小学校小原分校

大正10年   大原尋常小学校の分教場として創立される。
昭和22年   学制改革により、大原村立大原小学校小原分校と改称する。
昭和30年   大原村が宍戸町、北川根村が合併して友部町となる。
       友部町立大原小学校小原分校と改称する。
昭和43年   本校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、小原分校の正門跡。

      20200104小原分校01


門柱は年季の入った石造りですが、表札は取り外されていて無い。

      20200104小原分校02



門柱の脇に建つ小さな碑。

      20200104小原分校03

碑文には、『大原村立大原尋常高等小学校 小原分校 小原学校 跡地之碑』と刻まれています。


大正11年から昭和45年まで、
この地が学校跡だったと記されています。

      20200104小原分校04


どうやら、大原小学校の創立120周年の記念事業として
この碑は建てられたモノのようです。

      20200104小原分校05



廃校は今から、約50年前の事。
校舎は既に無い。

      20200104小原分校06



現在は、『小原農村公園』となっています。

      20200104小原分校07



敷地の一角には、地域の集会所。

      20200104小原分校08

こんな感じで、往時は校舎が建っていたんでしょうか?



敷地に残る遊具類。

      20200104小原分校09

分校時代のモノなのか?
はたまた、農村公園になってから設置されたモノなんだろうか?

      20200104小原分校10


      20200104小原分校11


      20200104小原分校12



地面に埋められた古タイヤは小学校の定番遊具。

      20200104小原分校13



これらの古タイヤは、きっと小原分校時代のモノでしょう。

      20200104小原分校14


      20200104小原分校15



山間部に近い農村地区の分校と名が付くけれど
笠間市内の他の廃校と敷地の広さはさほど変わらない。
って言うか、むしろ広く感じたりする。

      20200104小原分校16


少し離れた位置から、びいすけ に声を掛けてみます。

      20200104小原分校17


元気良く、こちらに向かって走って来ます。

      20200104小原分校18


      20200104小原分校19


びいすけ、10歳。
今年の夏には11歳。

まだまだ、元気です!!



2020/02/05 Wed. 14:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit