FC2ブログ

08 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 10

び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

廃校を訪ねて...............岩島第二小学校 (2019年8月22日)(群馬県吾妻郡東吾妻町) 

8月22日

8月22日〜23日に1泊2日で群馬県〜長野県に遊びに行って来ました。

群馬県と言っても広い。
今回は、吾妻地区の東吾妻町を中心に巡ります。

岩下菅原神社をあとにして、向かった先は.............旧・吾妻町立 岩島第二小学校。


岩島第二小学校も詳しい沿革は分かりません。

開校したのは明治34年。
平成11年に岩島第一小学校と統合して新たに岩島小学校が誕生して、
岩島第二小学校は廃校となりました。



こちらが、かつての正門跡。

      20190822岩島第二小学校01

残念ながら、門柱は在りません。
しかしながら、びいすけ の背後に見える校舎は、
木造校舎ではありませんか!!



こちらが、その木造校舎。

      20190822岩島第二小学校02



校舎の前に、重機やら資材が置かれているのが気になります。

      20190822岩島第二小学校03


      20190822岩島第二小学校04



ひょっとして、解体されてしまうのか?

      20190822岩島第二小学校05

作業服を着たオジさんに聞いてみたら
一時的に資材を置かせて貰っているだけで
解体するとかの予定は無いそうです。

ホッとひと安心。


今まで、多くの廃校を訪ねてきましたが
やはり、木造校舎を目の当たりにするとテンションは違います。

      20190822岩島第二小学校06



正直言ってかなり、テンションが上がります。

      20190822岩島第二小学校07

ですから、先人のブログを拝見して訪ねてみたら
そこに在るはずの木造が解体されて無くなっていると
テンションは思い切り下がります。


いずれ、この岩島第二小学校の校舎も解体されてしまうのでしょうか?



敷地内を散策してみましょう。

      20190822岩島第二小学校08


      20190822岩島第二小学校09



校舎の前には校歌の碑。

      20190822岩島第二小学校10


残念ながら、廃校記念碑や学校跡碑、二宮像もありませんでした。



敷地内の一角に建つ説明板。

      20190822岩島第二小学校11

岩島第二小学校の敷地には『おまき桜』と言う桜があるらしい。

エドヒガンザクラの古木で例年4月中旬ごろに満開になるそうです。
このおまき桜は推定樹齢250年、樹高22m、根元回り約6m。
東吾妻町の天然記念物に指定されているそうです。

この地域は古くから麻づくりが盛んで、
桜が咲く頃に種を蒔くと立派な麻が育つことから
『おまき桜』と呼ばれてきたそうです。


こちらが、『おまき桜』。

      20190822岩島第二小学校12



遊具も残されていない校庭。
その校庭の一角は、ゲートボール場。

      20190822岩島第二小学校13

なぜか、そのゲートボール場の片隅に置かれたローラーが
学校跡を思い切り連想させる岩島第二小学校でした...............。



スポンサーサイト



2019/09/18 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............岩島第一小学校 (2019年8月22日)(群馬県吾妻郡東吾妻町) 

8月22日

8月22日〜23日に1泊2日で群馬県〜長野県に遊びに行って来ました。

群馬県と言っても広い。
今回は、吾妻地区の東吾妻町を中心に巡ります。

東吾妻町の廃校ツアーは、まだまだ続きます。
2年前にこの辺りを車で走った時に見かけた廃校。
国道145線沿いにいきなり現れた廃校でした。
事前に下調べもしてなかったし、先を急いでいたから
その時は素通りしてしまいましたが、今回は一応下調べ済み。

向かった先は...............旧・吾妻町立岩島第一小学校。


下調べはしたものの、岩島第一小学校の詳しい沿革は分かりませんでした。

何人かのblogで紹介されていましたが
明治41年開校、平成11年に岩島第二小学校と統合して
閉校となったことしか分かりません。


廃校から既に20年。
おそらく、この辺りにかつての正門が在ったのでしょう。

      20190822岩島第一小学校01



廃校後、一時期は八ッ場ダムの工事関係の事務所として使われていたようです。

      20190822岩島第一小学校02



木造モルタル造りの二階建校舎。

      20190822岩島第一小学校03


      20190822岩島第一小学校04


      20190822岩島第一小学校05

首都圏周辺の学校に比べてもコンパクトな校舎。
元々の児童数の違いなんでしょう。


校舎前のブロンズ像。

      20190822岩島第一小学校06

『 かしこく たくましく 』校訓でしょうか?



校舎側面から。

      20190822岩島第一小学校07



校庭側に回ってみましょう。

      20190822岩島第一小学校08



雑草に覆われた校庭。

      20190822岩島第一小学校09



校舎の前の木々は校舎を覆うように伸び
独特な雰囲気を出している。

      20190822岩島第一小学校10


      20190822岩島第一小学校11



その雑草の上で、ゴロ〜んと横になり
背中をスリスリする びいすけ 。

      20190822岩島第一小学校12


      20190822岩島第一小学校13


よっぽど気持ちが良いのだろうか?





校庭には記念碑等もなく、
唯一残っているのは、古タイヤの遊具。

      20190822岩島第一小学校14


      20190822岩島第一小学校15



廃校記念碑、二宮像、ブランコ等の遊具類
廃校で見かける多くの遺構が全く無いけれど
ここは、紛れもなく小学校でした................。






2019/09/16 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............坂上小学校須賀尾分校(2019年8月22日)(群馬県吾妻郡東吾妻町) 

8月22日

8月22日〜23日に1泊2日で群馬県〜長野県に遊びに行って来ました。

群馬県と言っても広い。
今回は、吾妻地区の東吾妻町を中心に巡ります。

大柏木教場をあとにして、向かった先は.................旧・吾妻町立 坂上小学校須賀尾教場


須賀尾教場は、

明治7年     須賀尾小学校が開校する。
明治23年    坂上尋常小学校須賀尾分教場なる。
明治26年    再び独立して、菅生尋常小学校となる。
明治42年    坂上高等尋常小学校西分教場となる。
昭和22年    学制改革により、坂上村立坂上小学校西分校となる。
昭和30年    坂上村が原町、太田村、岩島村と合併し、改めて原町が発足。
         独立して原町立須賀尾小学校となる。
昭和31年    原町が吾妻町と名称を変えだことにより、
         吾妻町立須賀尾小学校と改称する。
昭和47年    統合して吾妻町立坂上小学校須賀尾教場となる。
昭和49年    坂上小学校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっています。


須賀尾教場も情報はなく、事前に須賀尾地区の公民館等にアタリをつけ
訪れたのが、須賀尾公民館。

これまたズバリ的中。


こちらが、須賀尾教場の正門跡。

      20190822須賀尾分校01


コンクリート製の門柱。

      20190822須賀尾分校02



その門柱には須賀尾小学校時代の表札が残っている。

      20190822須賀尾分校03







敷地奥の一段高い場所に建つ公民館。

      20190822須賀尾分校06



往時の校舎ではなく、建て替えられたものでしょう。

      20190822須賀尾分校07



公民館前には『須賀尾小学校跡』の碑。

      20190822須賀尾分校08


裏面には簡略ながら沿革も刻まれています。

      20190822須賀尾分校09


坂上小学校の分教場はほぼ同じような沿革を歩んできたようですね。




『須賀尾小学校跡』の碑よりも、敷地内の匂いが気になる びいすけ 。

      20190822須賀尾分校10



校庭。

      20190822須賀尾分校04


      20190822須賀尾分校05



校庭に残る遊具類。

      20190822須賀尾分校11


      20190822須賀尾分校12


      20190822須賀尾分校13


      20190822須賀尾分校14



匂い嗅ぎから、もっちゃん の傍らへと進む びいすけ 。

      20190822須賀尾分校15


何だかんだと言いながらも、もっちゃん が大好きな びいすけ でした。
2019/09/14 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............坂上小学校大柏木教場(2019年8月22日)(群馬県吾妻郡東吾妻町) 

8月22日

8月22日〜23日に1泊2日で群馬県〜長野県に遊びに行って来ました。

群馬県と言っても広い。
今回は、吾妻地区の東吾妻町を中心に巡ります。



大戸関所跡をあとにして、向かった先は...............吾妻町立坂上小学校大柏木教場


大柏木教場は、

明治7年     大柏木小学校が開校する。
明治20年    大柏木尋常小学校となる。
明治23年    坂上尋常小学校大柏木分教場なる。
明治26年    再び独立して、萩生尋常小学校となる。
明治34年    この地に校舎を新設して移転する。
明治42年    坂上高等尋常小学校北分教場となる。
昭和22年    学制改革により、坂上村立坂上小学校北分校となる。
昭和30年    坂上村が原町、太田村、岩島村と合併し、改めて原町が発足。
         独立して原町立大柏木小学校となる。
昭和31年    原町が吾妻町と名称を変えだことにより、
         吾妻町立大柏木小学校と改称する。
昭和47年    統合して吾妻町立坂上小学校大柏木教場となる。
昭和49年    坂上小学校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっています。


これまた、他の教場とほぼ同じ同じような沿革。
しかしながら、これらの教場の譲歩はほとんど無く
いつものように、ヤフーマップやGoogleマップで
大字である大柏木と言う集落の公民館や集会所にアタリをつけます。
あとは、現地に行って、違ってもいたら聞きまくる。
そんな形で、今回は大柏木集落の中にある
大柏木公民館にアタリをつけて向かいます。

今回は意外に的中率が高く、大柏木公民館が教場跡でした。



かつての教場に至る石畳。

      20190822大柏木分校01


こちらが正門跡。

      20190822大柏木分校02



残念ながら門柱は無いけれど、それらしき雰囲気はある。

      20190822大柏木分校03


校庭跡。

      20190822大柏木分校04


山あいの小さな学校だったようで、敷地はそんなに広くは無い。

      20190822大柏木分校05


      20190822大柏木分校06


敷地のフェンス周りの木々が学校跡っぽい雰囲気を醸し出しています。

      20190822大柏木分校07


      20190822大柏木分校08



昭和49年に廃校。
今から45年前の事だから、校舎は既に解体され
新しく公民館が建てられました。

      20190822大柏木分校09



何故か、公民館のテラスにパイプ椅子。

      20190822大柏木分校10

学校跡を意識しているのか?(笑)


校庭には遊具も残っていなかったけれど
唯一、学校跡を確認させてくれたのが、こちらの碑。

      20190822大柏木分校11


裏面には、沿革も記されています。

      20190822大柏木分校12


そんな事は御構いなしに、フェンス沿いに匂い嗅ぎの徘徊をする びいすけ 。

      20190822大柏木分校13


その傍らには、ローラー。

      20190822大柏木分校14

紛れもなく学校跡でした。




2019/09/14 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............坂上小学校萩生教場(2019年8月22日)(群馬県吾妻郡東吾妻町) 

8月22日

8月22日〜23日に1泊2日で群馬県〜長野県に遊びに行って来ました。

群馬県と言っても広い。
今回は、吾妻地区の東吾妻町を中心に巡ります。


坂戸教場をあとにして、向かった先は.........旧・吾妻町立坂上小学校萩生教場


萩生教場は、明治初期に萩生村に開校ささた萩生小学校がその祖とされています。

明治7年     萩生村宮ノ下に萩生学校が開校する。
明治20年    萩生尋常小学校となる。
明治23年    坂上尋常小学校萩生分教場なる。
明治26年    再び独立して、萩生尋常小学校となる。
明治34年    この地に校舎を新設して移転する。
明治42年    坂上高等尋常小学校南分教場となる。
昭和22年    学制改革により、坂上村立坂上小学校南分校となる。
昭和30年    坂上村が原町、太田村、岩島村と合併し、改めて原町が発足。
         独立して原町立萩生小学校となる。
昭和31年    原町が吾妻町と名称を変えだことにより、
         吾妻町立萩生小学校と改称する。
昭和47年    統合して吾妻町立坂上小学校萩生教場となる。
昭和49年    坂上小学校に統合され廃校となる。


と、このような沿革となっています。


とは言え、萩生教場(萩生小学校、萩生分校)については、
情報がなく場所も分かりませんでした。
いつものように、Googleマップで小字である萩生地区の公民館等を探し
そちらにアタリを付けて、あとは現地で探す!と言ったパターン。

『萩生区民会館』と言う地域の集会所にアタリを付けて
訪れてみると、大正解。
こちらが萩生教場跡でした。



正門跡は無かったけれど、見るからに校庭のような広い敷地に。

      20190822萩生分校01


      20190822萩生分校02



その一部はゲートボール場として利用されているようです。

      20190822萩生分校13


      20190822萩生分校03


広い敷地には、芝生のように雑草も生えているけれど
適度に手入れはされているようです。

      20190822萩生分校04



こちるが、萩生区民会館

      20190822萩生分校05


      20190822萩生分校06

かつては、この辺りに校舎が建っていたんでしょう。



校庭の片隅で見つけました!

      20190822萩生分校07



『萩生小学校の跡』碑です。

      20190822萩生分校08



裏面には沿革も刻まれています。

      20190822萩生分校09

大変、参考になりました。



その脇には、二宮像。

      20190822萩生分校10


      20190822萩生分校11



昭和31年の校舎改築時に合わせて建立されたモノのようです。

      20190822萩生分校12


      
区民会館の建物の脇には古い下駄箱。

      20190822萩生分校14



そして、ゲートボール場の脇には、フレームだけの椅子。

      20190822萩生分校15

これらは、学校遺構になるのか?


フェンス脇に無造作に置かれたローラー。

      20190822萩生分校16


こちらは、校庭の片隅に建つ顕彰碑。

      20190822萩生分校17



校庭跡に残る遊具類。

      20190822萩生分校18


      20190822萩生分校19


      20190822萩生分校20



こちらでも、ちょっぴりテンションの高い びいすけ 。

      20190822萩生分校21



草の匂いを嗅ぎながらの闊歩。

      20190822萩生分校22


それは、やがて競歩のようになり、いつしか小走り等なります。

      20190822萩生分校23


そして、疲れたのか?
草の感触を味わいながら『伏せ』の態勢。

      20190822萩生分校24


おそらく、寝そべって背中をスリスリしたいのだろうが
生憎、先程までの小雨で地面はしっかりと濡れている。

      20190822萩生分校25


      20190822萩生分校26

さすがに体が濡れるのは嫌なのか?
今日は大人しく伏せ状態。

さぁ、次なる場所へと移動いたしましょう。






2019/09/13 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............坂上小学校大戸教場 (2019年8月22日)(群馬県吾妻郡東吾妻町) 

8月22日

8月22日〜23日に1泊2日で群馬県〜長野県に遊びに行って来ました。

群馬県と言っても広い。
今回は、吾妻地区の東吾妻町を中心に巡ります。

密岩神社をあとにして、向かった先は.........吾妻町立坂上小学校大戸教場


大戸教場の沿革については不明です。
ただ、明治期にこの辺りが大戸村と称していた事から
明治初期に開設されたと思われます。
そもそも、この地区には、本宿村、大戸村、萩生村、大柏木村、須賀尾村があり
それぞれの向かってに小学校が在ったようです。
明治22年に本宿村、大戸村、萩生村、大柏木村、須賀尾村が合併し
坂上村が誕生しました。やがて、各校は坂上尋常小学校の分教場となったようです。
そして、昭和30年に坂上村が原町、太田村、岩島村と合併し、
改めて新しい原町が発足、翌年の昭和31年に原町が吾妻町と名称を変えました。
その際に、各校が独立します。
その際に、坂上小学校大戸分教場は吾妻町と大戸小学校と改称しますが
昭和47年に坂上小学校に統合され、大戸教場となります。
そして、他の教場と同じように昭和49年に本校に統合されて廃校になりました。

とまあ、こんな沿革だったようです。


数年前にまで、木造の校舎が残っていたようですが
現在は、解体されてしまいました。
廃校後、婦人服の服飾メーカーの縫製工場として利用されていたようですが
そちらも撤退されてしまい、地域の公民館として再利用していたようです。
いくつかのブログでも木造校舎が紹介されていたので
楽しみにしていたのですが、残念です。

( こんな感じの校舎だったようです。 憧憬の刻


こちらが正門跡。

      20190822大戸小学校01


正門の門柱はコンクリート製。

      20190822大戸小学校02


      20190822大戸小学校03



左右いずれの門柱にも、往時の表札が残っていました。

      20190822大戸小学校04


      20190822大戸小学校05



数年前までは、木造の校舎が残っていましたが
今は、解体されて何も無い。

      20190822大戸小学校06


      20190822大戸小学校07


      20190822大戸小学校08



正門脇の立派な桜が、学校跡を彷彿させてくれます。

      20190822大戸小学校09

この桜が地元では、ちょっぴり有名らしい。


校舎が解体されてしまったから、学校遺構が殆ど無い。
一時期、民間の縫製工場として利用されていたからか?
遊具類もないし、一連の学校関連の記念碑の類いもない。


唯一の学校遺構?

      20190822大戸小学校10

敷地の一部が、ゲートボール場として利用されているのでしょう、



フェンス沿いに匂いを嗅ぐ びいすけ 。

      20190822大戸小学校11

まるで、ドッグランの時の行動。



雨も一瞬、上がったようなのでカッパを脱がしてみます。

      20190822大戸小学校13



この日初めて履いた赤いゴムの靴。

      20190822大戸小学校12

よっぽど気に入ったのか?
いつもと雰囲気が違う。


そして、軽快に校庭(跡)を走り回る びいすけ 。

      20190822大戸小学校14



最近は、ドッグランに行かないし(行っても走らないし.........)
走る姿にはご無沙汰だった びいすけ 。

      20190822大戸小学校15


この日は、いつもと違う。

      20190822大戸小学校16


      20190822大戸小学校17



何たって、跳んでるし!!

      20190822大戸小学校18

びいすけ 10歳の激走です。



楽しそうな顔してるし。

      20190822大戸小学校19

いやぁ、久々のびいすけ の力走姿。


違った意味で、この大戸教場の事は忘れることがなくなりそうです。




2019/09/12 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.............本埜第二小学校 (2019年8月2日)(千葉県印西市) 

8月2日

この日は、富里市から印西市へと移動。
印西市には、今年の春に3校の小学校が廃校になりました。
その中の1校である、本埜第二小学校に行ってみました。

印西市立本埜第二小学校は、

明治6年      将監新田の密蔵院を仮校舎に定め、将監小学校が創立。

明治24年     埜原村松木新田20番地に校舎を新築。
村立埜原尋常小学校と改称する。
大正2年      埜原村と本郷村が合併し、本埜村発足。
本埜村立本埜尋常小学校と改称する。
昭和22年     学制改革により、本埜村立本埜第二小学校と改称する、

平成22年     本埜村、印旛村、印西市が合併し、新たな印西市となる。
           印西市立本埜第二小学校と改称する。
平成31年     本埜第一小学校と統合して新たに本埜小学校が開校する。
           (校地は本埜第一小学校を流用。)
           本埜第二小学校は、廃校となる。

と、このような沿革となっています。




こちらが、本埜第二小学校の正門。

      20190802本埜第二小学校01



門柱には表札。

      20190802本埜第二小学校02


正門の先には掲示板。

      20190802本埜第二小学校36





正門脇。
校舎側面〜裏側より。

      20190802本埜第二小学校03



こちらが、正門脇。
校舎側面〜正面側。

      20190802本埜第二小学校04



校舎。

      20190802本埜第二小学校05



別アングルからの校舎。

      20190802本埜第二小学校07

なぜか、草の上で戯れる びいすけ 。



さらに別アングルから。

      20190802本埜第二小学校08


      20190802本埜第二小学校09



やっぱり、こちらでも戯れる びいすけ 。

      20190802本埜第二小学校10



よっぽど気持ちが良いんだろうか?

      20190802本埜第二小学校11



校舎の玄関はモダン的なデザイン。

      20190802本埜第二小学校12


校舎に掲げられた文言。

      20190802本埜第二小学校13

子供たは、輝いていたのだろうか?




そして、こちらが体育館。

      20190802本埜第二小学校06


      20190802本埜第二小学校33



体育館と校舎の間には、国旗掲揚ポール。

      20190802本埜第二小学校34


正門脇のシンボルツリー。

      20190802本埜第二小学校14
      20190802本埜第二小学校15
      20190802本埜第二小学校16

よく見ると、その根元には碑などが建ち並ぶ。



沿革の碑。

      20190802本埜第二小学校17



古いせいもあってか?
裏面の碑文は良く見えない。

      20190802本埜第二小学校20




こちらは、二宮像。

      20190802本埜第二小学校18


      20190802本埜第二小学校19



こちらが、校歌の碑。

      20190802本埜第二小学校21


校庭の隅には、従軍記念碑。

      20190802本埜第二小学校22

この地からも多くの人が戦地に赴いたようです。

この地にこの碑が在ると言う事は、
この学校が、古くから地域のランドマーク的な存在だったのでしょう。



歴代の正門脇門柱が並べられていました。

      20190802本埜第二小学校24


その説明が記された碑。

      20190802本埜第二小学校23


      

校庭。

      20190802本埜第二小学校25

時期的に雑草だけど緑に覆われています。


その草の上を闊歩する びいすけ 。

      20190802本埜第二小学校26



校庭に残る遊具類。

      20190802本埜第二小学校27


      20190802本埜第二小学校28


      20190802本埜第二小学校29


      20190802本埜第二小学校30



朝礼台。

      20190802本埜第二小学校31



百葉箱。

      20190802本埜第二小学校32



そして、この地にもありました。

      20190802本埜第二小学校35

体育館脇の校庭の隅。
ひっそりと置かれた防災倉庫。


この倉庫を使用するような災害が起きませんように.........
そっと祈って今日は帰りましょう。




2019/09/05 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............................瑞沢小学校 (2019年7月11日)(千葉県長生郡睦沢町) 

7月11日 瑞沢小学校

この日は、いすみ市の廃校巡りの後、足を伸ばして睦沢町へ。

平成30年に廃校になった睦沢町立瑞沢小学校を訪ねてみました。


瑞沢小学校の詳しい沿革ネットで調べてもよく分かりません。

この辺りは、その昔(明治22年〜)瑞沢村と称していたことから、
(土睦村と瑞沢村が合併して睦沢村が誕生しています)
明治初期に創設された学校ではないかと推測されます。

平成30年に土睦小学校と統合し、新たに睦沢小学校が誕生し
瑞沢小学校は廃校となりました。

最近は、統合校などのHPにも沿革が載らないことが多い。
母校の歴史が気にならないのかなぁ?




こちらが瑞沢小学校正門。

      20190711瑞沢小学校01


コンクリートの塀には、校名の表札。

      20190711瑞沢小学校02


      20190711瑞沢小学校03



こちらが、校舎。

      20190711瑞沢小学校06




校舎正面。

      20190711瑞沢小学校04



正面玄関の庇には校章。

      20190711瑞沢小学校05



校舎のななめまえ、駐車場の一画に
記念碑等がまとめられていました。

      20190711瑞沢小学校07



二宮像。

      20190711瑞沢小学校08


      20190711瑞沢小学校09



校歌の碑。

      20190711瑞沢小学校10



瑞沢小学校跡碑。

      20190711瑞沢小学校11



そして、児童たちの作品。

      20190711瑞沢小学校12


      20190711瑞沢小学校13

この一画に、瑞沢小学校が凝縮されています。



スロープを挟んだ反対側には忠魂碑。

      20190711瑞沢小学校14

やっぱり、歴史のある学校だったようです。




別アングルからの校舎。

      20190711瑞沢小学校15


      20190711瑞沢小学校16


      20190711瑞沢小学校17


      20190711瑞沢小学校18


      20190711瑞沢小学校19



こちらが体育館。

      20190711瑞沢小学校20



そして、校庭。

      20190711瑞沢小学校21


      20190711瑞沢小学校22


      20190711瑞沢小学校23



校庭の片隅には、朝礼台。

      20190711瑞沢小学校24


オブジェ。

      20190711瑞沢小学校25



遊具類。

      20190711瑞沢小学校26


      20190711瑞沢小学校27


      20190711瑞沢小学校28



後で判ったのですが...............

この日は7月11日。
実は、この瑞沢小学校跡地を睦沢町が賃貸先を公募していて
地域の未活用不動産を活かし国内に13の宿泊施設を運営している会社と
平成30年4月1日から平成45年3月31日までの15年間の賃貸契約を結んだそうです。

そして、『kitみずさわ』と言う学校教室をいかした客室や
多くの懐かしい雰囲気を持つ多目的室、体育館、グラウンドを利用する合宿宿泊施設へとなり、
令和元年7月13日にオープンするという事でした。

でも、オープン2日前だけど、そんな雰囲気は無かったなぁ...................。







2019/09/01 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........................千町小学校萩原分校 (2019年7月11日)(千葉県いすみ市) 

7月11日

この日は、いすみ市に出かけました。


今年の春(平成31年)に廃校になった、いすみ市立千町小学校。
その千町小学校には、かつて分校がありました。

昭和39年に廃校となった分校、
旧・夷隅町立 千町小学校萩原分校 を探し、訪ねてみました。


萩原分校は、


明治7年     荻原村に荻原小学校が創立される。
明治12年    萩原小学校と須賀谷小学校が合併して能実小学校と称する。
        萩原村に分校を置く。
明治14年    能実小学校を須賀小学校と萩原小学校に分離する。
明治29年     荻原小学校を明徳尋常小学校(荻原地区)と改称 


明治30年代   千町地区には松丸・能実・神置・小高を学区とする松丸尋常高等小学校(明治27年〜),
                         須賀谷・小又井を学区とする盛徳尋常小学校,
        荻原を学区とする明徳尋常小学校の三校を有していました。


明治39年    三校合併し,千町尋常高等小学校を創立
        明徳尋常小学校を荻原分教場とする。
昭和22年   学制改革により、千町村立千町小学校萩原分校と改称する。
昭和29年   千町村が中川村,国吉町と合併して夷隅町が誕生。
        夷隅町立千町小学校萩原分校と改称
昭和39年   荻原分校が本校に統合されて廃校となる。
       (当時,分校児童1~4年生55名)


と、このような沿革となっています。



沿革は分かっているものの、分校の場所はよく分からない。
いつもように、分校名の『萩原』を頼りに
萩原集落の公民館、集会所に当たりを付けて向かいます。
向かった先は、『萩原区農村公園』


こちらが、萩原区農村公園。

      20190711萩原分校01

隣家の御老人に話を伺うと、この場所がかつての萩原分校でした。
確かに、分校跡らしい雰囲気は感じられる。


ただし、この建物は廃校後建てられたものらしい。

      20190711萩原分校02


敷地内に入ってみます。
往時の校舎もこんな感じで建っていたんでしょう。

      20190711萩原分校03


      20190711萩原分校05


      20190711萩原分校06




敷地の一角には遊具が置かれているけれど
とても昭和30年代の遺構にはみえない。

      20190711萩原分校04



農村公園として整備された時に設置されたのでしょう。

      20190711萩原分校07


      20190711萩原分校08



残念なことに記念碑の類い、二宮像、忠魂碑等
学校跡を彷彿させる物は残っていない。



この井戸は、分校時から使われていたものでしょう。

      20190711萩原分校09



お約束とも言える消防倉庫。

      20190711萩原分校10


小さな分校跡には、消防倉庫が敷地内に建っていることが多い。
まぁ、ひとつのpsたーんですが、
そのパターンに見事にハマっていた萩原分校。

辿り着けて良かった.......................




2019/08/31 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............................千町小学校 (2019年7月11日)(千葉県いすみ市) 

7月11日

この日は、いすみ市に出かけました。

今年の春、いすみ市の千町小学校が廃校になりました。
千町小学校関連で3つの廃校があるという事で
この日はいすみ市の廃校巡り。

本丸である、いすみ市立千町小学校に訪れました。


千町小学校は、


明治7年     松丸村の寺院(現:西福寺)に松丸小学校が創立される。
         須賀谷村と小又井村に須賀谷小学校が創立される。
         荻原村に荻原小学校が創立される。
明治12年     萩原小学校と須賀谷小学校が合併して能実小学校と称する。
         萩原村に分校を置く。
明治14年    能実小学校を須賀と萩に分離する。
明治19年    須賀谷小学校が大上小学校(現睦沢町)と合併する。
明治22年    須賀谷小学校と大上小学校と分離して盛徳尋常小学校(須賀谷地区)と改称する。
明治29年     荻原小学校を明徳尋常小学校(荻原地区)と改称 


明治30年代   千町地区には松丸・能実・神置・小高を学区とする松丸尋常高等小学校(明治27年〜),
                        須賀谷・小又井を学区とする盛徳尋常小学校,
         荻原を学区とする明徳尋常小学校の三校を有していました。


明治39年    三校合併し,千町尋常高等小学校を創立
        明徳尋常小学校を荻原分教場とする。
昭和22年    学制改革により、千町村立千町小学校と改称する。
昭和29年    千町村が中川村,国吉町と合併して夷隅町が誕生。
        夷隅町立千町小学校と改称
昭和39年    荻原分校が本校に統合されて廃校となる。
       (当時,分校児童1~4年生55名)
昭和47年    新校舎が建築されて、校地移転 。
平成17年    夷隅町・岬町・大原町が合併していすみ市誕生。
        いすみ市立千町小学校と改称する。
平成31年    夷隅小学校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、千町小学校の正門。

      20190711千町小学校01



正門越しの校舎。

      20190711千町小学校02


      20190711千町小学校03


正門側の正面玄関。

      20190711千町小学校04


庇には校章。

      20190711千町小学校05


そして、感謝の横断幕。

      20190711千町小学校06



中庭の二宮像。

      20190711千町小学校07


      20190711千町小学校08



校庭側からの校舎。

      20190711千町小学校09


      20190711千町小学校10



別アングルから。

      20190711千町小学校11


      20190711千町小学校12


      20190711千町小学校13


      20190711千町小学校26



こちらは、体育館。

      20190711千町小学校14



広い校庭。

      20190711千町小学校15



廃校からたった3ヶ月半。
すでに雑草に覆われ始めている。

      20190711千町小学校25




校庭に残る遊具類。

      20190711千町小学校16


      20190711千町小学校17


      20190711千町小学校18


      20190711千町小学校19


      20190711千町小学校20


      20190711千町小学校21



校庭にポツンと朝礼台。

      20190711千町小学校22



朝礼台の前に置かれたオブジェ。

      20190711千町小学校23



なぜか?  校舎の前に並んでいる椅子。

      20190711千町小学校24





お約束とも言える防災倉庫。

      20190711千町小学校27

体育館の前に目立たないように置かれていました。



残念ながら、廃校記念碑はありませんでした。


こうしてまた一つ、地域に長い時間の中で統廃合を経て
歴史を刻んで来た学校が廃校になってしまいました。





2019/08/31 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............................旧・千町小学校跡 (2019年7月11日)(千葉県いすみ市) 

7月11日

この日は、いすみ市に出かけました。

いすみ市は、平成17年に夷隅町、岬町、大原町が合併して誕生しました。
そのいすみ市で、今年の3月(平成31年)に千町小学校が廃校になりました。

実は、その千町小学校関連で3つの廃校がいすみ市には存在します。
今回、その3つの廃校を巡ります。

最初に訪れたのは................旧・夷隅町立 旧・千町小学校跡


千町小学校は、

明治7年     松丸村の寺院(現:西福寺)に松丸小学校が創立される。
         須賀谷村と小又井村に須賀谷小学校が創立される。
         荻原村に荻原小学校が創立される。
明治12年    萩原小学校と須賀谷小学校が合併して能実小学校と称する。
         萩原村に分校を置く。
明治14年    能実小学校を須賀と萩に分離する。
明治19年    須賀谷小学校が大上小学校(現睦沢町)と合併する。
明治22年    須賀谷小学校と大上小学校と分離して盛徳尋常小学校(須賀谷地区)と改称する。
明治29年    荻原小学校を明徳尋常小学校(荻原地区)と改称 


明治30年代   千町地区には松丸・能実・神置・小高を学区とする松丸尋常高等小学校(明治27年〜),
                        須賀谷・小又井を学区とする盛徳尋常小学校,
        荻原を学区とする明徳尋常小学校の三校を有していました。


明治39年   三校合併し,千町尋常高等小学校を創立
        明徳尋常小学校を荻原分教場とする。
昭和22年   学制改革により、千町村立千町小学校と改称する。
昭和29年   千町村が中川村,国吉町と合併して夷隅町が誕生。
        夷隅町立千町小学校と改称
昭和39年   荻原分校が本校に統合されて廃校となる。
       (当時,分校児童1~4年生55名)
昭和47年   新校舎が建築されて、校地移転 。
平成17年   夷隅町・岬町・大原町が合併していすみ市誕生。
        いすみ市立千町小学校と改称する。
平成31年   夷隅小学校に統合されて廃校となる。

と言う沿革となっていますが、今回訪れたのは、旧・千町小学校跡。
沿革で言う所の昭和47年に移転するまで校地とされていた所です。

数年前に、いすみ市に来た時、偶然この校地の前を通ったのですが
『千町保育園前』と言う交差点にいかにも学校跡地っぽい場所がありました。
後ほど調べたら、どうやら千町小学校の跡地のようでした。

そのうちに行こう! と思いながら、ズルズルと月日が経ってしまいました。



こちらが、千町小学校跡。

      20190711旧・千町小学校01

如何にも学校跡っぽいですね。


正門に至るスロープ。

      20190711旧・千町小学校02

これまた、学校っぽい。


以前調べた時は、『つどいの家』と言う施設だったような気がしましたが
近年、『いすみ市土着菌完熟堆肥センター』になったようです。

      20190711旧・千町小学校03



こちらが正門跡。

      20190711旧・千町小学校04



門柱の表札。

      20190711旧・千町小学校05

『つどいの家』としても利用されているようですね。



実は、小学校が移転後、敷地は千町保育園として利用されていたよですが
保育園もいつしか閉園となり、『つどいの家』として利用されたようです。

この建物は、保育になった時に建てられたもので
千町小学校の校舎ではないそうです。

      20190711旧・千町小学校06


      20190711旧・千町小学校07


昭和の時代、特に40年〜50年代。
鉄筋校舎が普及する前の学校の校舎に見えるんだけどねぇ。

      20190711旧・千町小学校08


      20190711旧・千町小学校09


残念ながら、学校遺構は全く残っていない。

      20190711旧・千町小学校10


保育園として再利用されていた割には遊具類も残っていない。


ここから数百m離れた場所に千町小学校が在るから、
この場所が千町小学校だった事も憶えている人も少なくなっているんだろうなぁ。








2019/08/30 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り.....................住吉神社 (2019年7月11日)(千葉県長生郡長生村) 

7月11日

この日は、いすみ市に出かけました。

いすみ市に向かう途中、長生村の住吉神社に立ち寄ってみました。
長生村の住吉神社に来るのは、これで2回目。
御朱印を頂ける神社と言う事で、昨年の春に一度参拝に来ています。
( その時の記事は こちら

その時は、宮司さんにお会いする事が出来なくて、御朱印も拝受出来ず
いずれ改めてと思っていたら、いつのまにか1年の月日が流れ、
時代も平成から令和に変わってしまいました。


こちらが、社号標。

      20190711住吉神社01



神社社頭の鳥居。

      20190711住吉神社02



参道。

      20190711住吉神社03


手水舎。

      20190711住吉神社04



そして、拝殿。

      20190711住吉神社05


      20190711住吉神社06

しっかりと参拝いたします。



こちらは、御神木。

      20190711住吉神社07
      20190711住吉神社08



お近くにお住まいの宮司さん宅にて御朱印を拝受いたしました。

      20190711住吉神社09



こちらが、御朱印。

      20190711住吉神社10


以前、電話した時は男性が応対してくれたので
その方が宮司さんだと思っていたら息子さんだそうで、
その方のお母様が宮司さんでした。

あまり、御朱印は書かないと言う事らしく
大変貴重な御朱印をありがとうございました。





2019/08/30 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............睦岡小学校戸田分校 (2019年7月8日)(千葉県山武市) 

7月8日

この日は、山武市に出かけました。

昭和30年代後半から40年代初頭、旧・山武町に在った分校が
3校廃校になりました。

今回、その3校を探し訪ねてみる事にしました。

苦労しながらも2校を探す事ができ、残るは1校。
何とか探す事が出来た木原分校跡をあとにして、
向かった先は...............旧・山武町立 睦岡小学校戸田分校。


戸田分校は、

明治7年      戸田小学校創立。
明治26年      戸田小学校を除く近隣3校が合併して、睦岡尋常小学校が発足する。
明治41年      睦岡尋常小学校に統合され、分教場となる。
昭和22年      学制改革により、睦岡村立睦岡小学校戸田分校と改称する。
昭和30年      睦岡村が日向村と合併して山武町が誕生。
          山武町立睦岡小学校戸田分校と改称する。
昭和38年      本校に統合され、廃校となる。

と、このような沿革となっています。


戸田分校も情報がなくm頼りは分校の名である『戸田』。
山武市戸田集落の公民館、集会所に当たりをつけます。

候補は2つ。
1つは中上戸田集会所。

まずは、そちらに向かいます。
確かに集会所は廃校跡っぽく見える。
でも遺構が無いから、確信が持てない。
近くに歩いている人もいないから、またまた人を探します。
御年配の人に会えないかな〜っと思いながら民家の脇を通り過ぎると
農具の手入れをしていたオジさん発見!!

そのオジさんに訊いてみたら、違っていた。
そして、オジさんは分校の場所を教えてくれました。

中上戸田集会所から1kmほど離れた所にある中戸田下公民館。
こちらが、戸田分校跡地でした。
そして、当たりを付けていたもう1ヶ所の場所でもありました。



こちらが、戸田分校跡地。

      20190708戸田分校01

この緩やかなスロープが如何にも学校っぽい。


そして、ありました。
門柱です。

      20190708戸田分校02


対の門柱。
もう一方は半分折れていて、無残な状態。

      20190708戸田分校03



いっしゅん、往時の校舎かと思いましたが
隣家のオバちゃんの話では、公民館として建てられたものらしい。

      20190708戸田分校04


てっきり、校舎だと思っていたから、
実は、いろんなアングルで写真を撮っていました(笑)。

      20190708戸田分校05


      20190708戸田分校06


      20190708戸田分校07


      20190708戸田分校08



敷地の片隅にポツンと建つ建物。

      20190708戸田分校09

そうです、お約束とも言えるあの建物。


消防倉庫でした〜(笑)。

      20190708戸田分校10



門柱のすぐ側に残る桜の木。

      20190708戸田分校11

これも分校時代のモノでしょう。



何とか、昭和30年代後半から昭和40年代前半に廃校となった分校を
探し当て訪れる事が出来ました。
やっぱり、廃校巡りは楽しいものです。



2019/08/29 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............日向小学校木原分校 (2019年7月8日)(千葉県山武市) 

7月8日

この日は、山武市に出かけました。

昭和30年代後半から40年代初頭、旧・山武町に在った分校が
3校廃校になりました。

今回、その3校を探し訪ねてみる事にしました。

無事、辿り着けた森分校をあとにして、向かった先は...............旧・山武町立 日向小学校木原分校。



木原分校は、

明治7年     木原村に木原小学校が開校する。
明治37年     日向高等小学校が創立。
明治41年     日向尋常高等小学校に統合され、木原分校となる
昭和22年     学制改革により日向村立日向小学校木原分校に改称する。
昭和39年     日向村が、睦岡村と合併して山武町が発足。
         山武町立日向小学校木原分校に改称する。
昭和43年     本校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっています。



これまた、木原分校の情報はほとんどない。
分校名の『木原』を頼りに木原集落の公民館、
集会所に当たりを付けて、木原集落に向かいます。

当たりを付けたのは、木原共同館。
でもそこに行くと、建物はなく完全な更地。
これじゃ分からないから、誰かに聞かなくちゃ!

周辺を車で走り回り、たまたま歩いていたおばあちゃんに
声をかけて訊いてみると、どうやら別の場所らしい。
高台に分校は有ったらしいが、校舎も解体されて何もなくなり
荒地になって道も無くなってしまったらしい。

さらに別なオジさんに訊いたら、
何とそのオジサさんが、廃校跡まで案内してくれました。



こちらが、木原分校跡地。

      20190708木原分校01


この台地の頂部に分校は在ったそうです。

      20190708木原分校02



元々、借地で分校時には地主さんから借りていたそうです。

      20190708木原分校03



廃校後、地主さんに返却されましたが、特に他に転用もせず
そのまま荒れ果ててしまったそうです。

      20190708木原分校04



この辺りに、台地に上がっていく道が在ったそうです。

      20190708木原分校05

道もなく、尾根を渡るように斜面を登ってみます。



台地頂部。
ここに、木原分校が在りました。

      20190708木原分校06



確かに削平地ではあるけれど、ブッシュ状態。
とても、学校跡地には見えない。

      20190708木原分校07




しかし、台地頂部だから、ちょっぴり見晴らしは良い。
分校跡地の台地下部には太陽光発電のソーラーパネルが並んでいる。

      20190708木原分校08



そして、周りは緑豊かな自然。

      20190708木原分校09


きっと、分校に通っていた子供たちも、こんな風景を毎日見ていたんだろう.....................。




2019/08/29 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............日向小学校森分校 (2019年7月8日)(千葉県山武市) 

7月8日

この日は、山武市出かけました。

山武市には、昭和30年代後半から昭和40年代始めにかけて
廃校となった分校が3校あります。

今では、山武市と呼ばれていますが、
その当時は山武町と呼ばれていました。

その中の1校である、旧・山武町立 日向小学校森分校 を探してみました。


たまたま、山武市の市街地の方へ足を伸ばしていたので
山武市役所に隣接する山武市教育委員会立ち寄って
廃校となった3校の事を尋ねますが、
おそらく廃校後に生まれ育った年代者が
職員のため、当時の事を知る人が居なくて、情報は得られませんでした。
こう言う時は、まず地域の公民館、集会所に当たりを付けて現地へと向かいます。


向かった先は...............旧・山武町立 日向小学校森分校。


森分校は、

明治6年      森村に森学校として創立される。
明治22年     矢部村、森村、椎崎村、木原村、大木村が合併して日向村が発足。
明治25年     森尋常小学校と改称する。
明治41年     日向尋常高等小学校森分校となる。
昭和22年     学制改革により日向村立日向小学校森分校と改称する。
昭和30年     日向村と睦岡村が合併して山武町が発足。
          山武町立日向小学校森分校と改称する
昭和41年     本校に統合されて廃校となる


昭和56年     校舎解体される。

となっています。


詳しい場所は分からないから、分校名の『森』を頼りに
山武市の森地区へと向かいます。
当たりを付けたのは、森地区にある『本郷生活研修センター』。

コレがズバリ、大正解でした。


こちらが、森分校跡地。

      20190708森分校01


昭和56年に校舎は解体され、本郷生活研修センターが建ちました。

      20190708森分校02



きっと、分校の校舎もこんな感じで建っていたのでしょう。

      20190708森分校03


      20190708森分校04


      20190708森分校05



敷地の一角に建つ石碑。

      20190708森分校06

『学びのふるさと』と刻まれています。


森分校跡碑です。
裏面には沿革が刻まれています。

      20190708森分校07

冒頭の一文。

『 伝えんとして由縁を記す 』と刻まれている。


いやぁ、泣かせる文言ですね。
でも、この刻まれた沿革は役に建ちました。

      20190708森分校08


碑の脇に建つのは、三峯神社。

      20190708森分校09

正確には、鎮座すると言った方が良いでしょう。


おそらく、分校時に使われていた井戸。

      20190708森分校10


そして、お約束とも言える消防倉庫。

      20190708森分校11


とにかく3校の廃校の一つに無事辿り着けました。
良かったぁ..............................。




2019/08/28 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............豊岡小学校 (2019年7月8日)(千葉県山武市) 

7月8日

この日は、富里市から山武市へ出かけました。
今年の春に廃校になってしまった山武市立豊岡小学校へ行ってきました。



豊岡小学校は、

明治20年     古和尋常小学校設置が許可される
          元金尾・山室小学校の一部を引き継ぎ開校する。
明治22年     豊岡尋常小学校開校。
大正元年     大蔵尋常小学校と合併 
         金尾龍ノ口に移転認可
大正2年      金尾441(現在地)に校地移転
昭和22年     学制改革により、豊岡村立豊岡小学校と改称する。
昭和30年     豊岡村が松尾町、太平村と合併し新たな松尾町となる。
         松尾町立豊岡小学校と改称する。
平成18年     松尾町が山武町、成東町、蓮沼村と合併して山武市が誕生。
          山武市立豊岡小学校と改称する。
平成31年     松尾小学校と統合して廃校となる

と、このような沿革となっています。



こちらが、豊岡小学校の正門。

      20190708豊岡小学校01



門柱にはシンプルな校名だけの表札。

      20190708豊岡小学校02



正門脇には掲示板。

      20190708豊岡小学校03

そこには、廃校時の児童たちの集合写真が飾られていました。


正門は閉ざされていたので、フェンス沿いに移動します。


古くからの小学校で目にする事が多い忠魂碑。

      20190708豊岡小学校04

豊岡小学校も歴史のある小学校なんですね。


以前の教職員の駐車場出入り口。

      20190708豊岡小学校05

工事車両の出入り口となっています。

工事の方に話を訊いたら、校舎を改築して保育園にするらしい。
そのための工事を進めているらしい。


工事の邪魔にならないように、工事関係者に一声かけて
豊岡小学校を見学させてもらいます。



校庭から眺める校舎。

      20190708豊岡小学校06


      20190708豊岡小学校07



別アングルから。

      20190708豊岡小学校08


      20190708豊岡小学校09


      20190708豊岡小学校10



校舎正面玄関。

      20190708豊岡小学校11



その庇上部には、豊岡小学校の校章。

      20190708豊岡小学校12



こちらは、体育館。

      20190708豊岡小学校13


      20190708豊岡小学校14



それなりの広さの校庭。

      20190708豊岡小学校15



校庭の片隅には、百葉箱。

      20190708豊岡小学校16



校庭に残る遊具類。

      20190708豊岡小学校17


      20190708豊岡小学校18


      20190708豊岡小学校19


      20190708豊岡小学校20


      20190708豊岡小学校21


      20190708豊岡小学校22



最近は見かける事も少なくなったトーテムポール。

      20190708豊岡小学校23



正門脇には校地を寄贈された方の記念碑。

      20190708豊岡小学校24



こちらは、創立百周年記念碑。

      20190708豊岡小学校25


裏面には沿革が刻まれています。

      20190708豊岡小学校26



こちらは、校歌の碑。

      20190708豊岡小学校27



そして、校歌の碑の側にはオブジェ。

      20190708豊岡小学校28

緯度・経度が刻まれていて、校地の場所を明記しています。


来年度になるのか?
はたまた数年後になるのか?
いずれにしても、保育園に転用される豊岡小学校。
廃校後すぐに転用が決まり、解体されずに済みそうで良かった...............。








2019/08/27 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............塩原小学校新湯分校(2019年6月25日)(栃木県那須塩原市市) 

6月25日

福島県旅行の2日目。
福島県から栃木県へと南下しなからの移動。

日光市から那須塩原市へとやって来ました。

辿り着いた先は...............旧・塩原町立 塩原小学校新湯分校。



これまた、超マイナーな廃校です。
この分校の存在を知ったのはつい最近。
4月に訪れた 上塩原小学校 の事を調べていて
たまたま覗いた 塩原小中学校 のHPの沿革に
こちらの分校の記載がありました。


新湯分校は、

昭和22年塩原町立塩原小学校新湯分校として開校する。
昭和43年本校に統合されて、廃校となる。

と、たった2行の沿革ですが
間違い無く新湯分校はその名を塩原小学校の沿革の中に残しています。

塩原温泉郷の中でも、再奥に当たる奥塩原新湯温泉に作られた分校。
おそらく新湯温泉の温泉宿の子女が通った分校だったのでしょう。
僅か、21年間の分校だったんですね。


こちらが、分校跡。

      20190625新湯分校01


近くの民家の方に訊いたら、建物は往時の校舎で
屋根を貼り替えたらしい。

      20190625新湯分校02



現在は、地域の公民館として利用されています。

      20190625新湯分校03


確かに、山の分校のイメージにぴったり。

      20190625新湯分校04



校庭もそれなりのヒロさがあります。

      20190625新湯分校05


      20190625新湯分校06


校舎に隣接するこの建物は、教員用の宿舎だったそうです。

      20190625新湯分校07

先生は、この分校で寝食共にしていたんですね。



廃校のお約束?
消防倉庫が敷地内にありました。

      20190625新湯分校08


塩原小中学校のHPを覗かなければ、その存在を知らなかった新湯分校。
間違いなく、その存在を確認いたしました。






2019/08/23 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............三依小学校上三依分校 (2019年6月25日)(栃木県日光市) 

6月25日

福島県旅行の2日目。
南会津町から国道121号を南下して栃木県を移動します。
栃木県の北端の日光市。
平成の大合併前までは塩谷郡の旧・藤原町。

平成26年に三依小学校が廃校になりましたが(三依小学校の記事は こちら )、
かつて、三依小学校には幾つかの分校がありました。
その中の一つ、三依小学校上三依分校を探してみました。


上三依分校の情報も乏しく、その存在を知ったのはWikipediaの記事と
三依小学校の沿革からでした。
上三依分校の名を初めて目にするのは大正12年です。
三依村立三依尋常小学校が、三依村立三依尋常高等小学校と改称し、
その際に五十里、上三依、横川の3校が分教場となったようです。

昭和22年     学制改革により、三依村立三依小学校上三依分校と改称する。
昭和30年     三依村が藤原町との合併により、藤原町立三依小学校上と改称する。
昭和36年     三依小学校五十里分校が川治小学校に統合される。
昭和41年     三依小学校上三依分校を本校に統合する。

と、このような沿革となっているようです。


上三依分校の情報も乏しく、その存在を知ったのはWikipediaの記事と
三依小学校の沿革からでした。
そもそも、分校の場所も分からず、もう行き当たりバッタリ。
上三依と言う地名を頼りに、野岩鉄道の『上三依塩原温泉口』駅周辺、
そして、国道121号線沿いの上三依集落にて御老人を探して尋ねます。

上三依集落で尋ねた御老人が、何と上三依分校の出身者。
その方の話では、分校も二つ在って、いわゆる廃校じゃの分校(新校舎)と
それ以前の分校(旧・分校)の二つ。
その御老人は旧・分校の出身で、御老人の甥御さん(それなりに歳を召されています)は、
新分校の出身らしい。
旧・分校は、今は道も無くなって上手く場所を説明出来ないと言う事で
新分校の場所を教えてもらいました。

実は、この御老人の家が地主さんで、三依分校に土地を貸していたらしい。
あるいみ、ラッキーな出会いでした。

廃校後、校舎は解体して、畑に転用したらしい。
野岩鉄道の工事の際に、工事事務所に貸していたらしく
その事務所として使っていたプレハブ小屋が残っているらしい。



こちらが、三依分校跡。

      20190625上三依分校01


確かに、畑。

      20190625上三依分校94


      20190625上三依分校05



そして、プレハブ小屋が在る。

      20190625上三依分校02


      20190625上三依分校03

学校跡地の雰囲気は全く無い。
当然、廃校遺構も全く無い。


敷地の端に残る木々は、分校時からこの場所にあったのだろうか?

      20190625上三依分校06


この場所も忘れ去られることは間違い無い。
こうやって無名な廃校跡は、
人々の記憶の中から忘れ去られていくんだろうなぁ.......................。



2019/08/23 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............横川小学校(2019年6月25日)(栃木県日光市) 

6月25日       

6月24日〜25日に1泊2日で福島県に遊びに行って来ました。

その2日目。
南会津町を駆け巡り、当初の予定は無事消化。
福島県から栃木県へと抜けて帰途に着きます。

ただ、そのまま帰っても能が無いので
栃木県内でも何ヶ所か立ち寄って帰ります。

南会津町の旧舘岩村域から国道352号で田島町域に向かい
国道121号に合流したら、そのまま南下。
県境の山王峠を越えて、栃木県へと向かいます。

県境になる山王トンネルを抜けると、栃木県日光市。
平成の大合併前は、藤原町でした。

国道121号線沿いに在った、旧・藤原町立 横川小学校 に立ち寄ってみました。


と、言っても横川小学校の情報も乏しい。
ただ、三依小学校の沿革に度々登場していたので
その沿革を知る事が出来ました。


明治11年 三依小学校の横川分校として設立される。
明治26年     三依村立三依尋常小学校横川分校となる。
大正12年     三依村立三依尋常高等小学校横川分校と改称する。
昭和22年     学制改革により、三依村立三依小学校横川分校と改称する。
昭和26年     三依小学校横川分校が独立し、三依村立横川小学校となる。
昭和30年     三依村が藤原町との合併により、三依村立横川小学校と改称する。
平成2年三依小学校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。



しかしながら、その横川小学校あとの場所が分からない。
仕方がないので、トンネルを出て日光市に入ると右側にある
『横川パーキング』の売店のオバちゃんに訊いて、その場所を教えて貰いました。



こちらが、横川小学校の正門跡。

     20190625横川小学校01

校舎は既に解体されてしまっているので
この正門跡だけじゃ、通り過ぎてしまいます。


こちらが、その敷地。

     20190625横川小学校02



廃校後、校舎は解体されたとは聞いていましたが
何も残っていない更地。

     20190625横川小学校03


その更地を匂い嗅ぎで闊歩する びいすけ 。

     20190625横川小学校04


     20190625横川小学校07


     20190625横川小学校08




敷地の端から端を見渡しても、学校遺構は見当たらない。

     20190625横川小学校05



古タイヤが3本転がっていました。

     20190625横川小学校06

その内の1本がペンキで塗られていたから
ひょっとしたら遊具の一部だったのだろうか?



正門から入ってすぐ左の藪の中。
入った時には気付かなかったけれど、
そこには、校歌の碑が建っていました。

     20190625横川小学校09



そして、校歌の碑の前には、
正門から外された表札が置かれていました。

     20190625横川小学校10

そこには、『栃木県塩谷郡 藤原町立横川小学校』と記されています。


ほとんど、ペンキも掠れてしまい文字が読めない看板。

     20190625横川小学校11

藤原町の看板です。


何とか、校歌の碑と校名の記された表札を見つける事が出来て良かった。
ここが横川小学校跡地だと言う事を改めて認識出来ました。




2019/08/22 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............上郷小学校(2019年6月25日)(福島県南会津郡南会津町) 

6月25日     

6月24日〜25日に1泊2日で福島県に遊びに行って来ました。

その2日目は、南会津町を駆け巡ります。

道の駅 番屋 をあとにして、向かった先は..................南会津町立上郷小学校。


上郷小学校は、明治6年に旧舘岩村熨斗戸地区に学制の発布により、
祖となる小学校が開設されたことが始まりとされています。

明治6年      熨斗戸地区に最初の小学校設立。
明治10年     森戸地区に移転し校舎を新築する。
明治15年     森戸小学校に改称する。
明治20年     森戸簡易小学校に改称する。
明治24年     舘岩尋常小学校森戸分教室に改称する。
明治25年     舘岩尋常小学校森戸本校に改称する。
昭和16年     舘岩尋常小学校上郷分校と改称する。
昭和22年     学制改革により舘岩村立舘岩小学校上郷分校と改称する。
昭和37年     舘岩小学校より独立して舘岩村立上郷小学校となる。
平成18年     舘岩村が田島町、伊南村、南郷村と合併し、南会津町が発足。
           南会津町立上郷小学校と改称する。
平成20年     舘岩小学校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、上郷小学校の正門。

      20190625上郷小学校01



門柱。

      20190625上郷小学校02



門柱に残る往時の表札。

      20190625上郷小学校03

意外に新しい。
それもそのはず、平成18年に舘岩村から南会津に変わったから
その時に作られた表札の筈。
まだ13年しか経っていない。



校舎全景。

      20190625上郷小学校04


別アングルから。

      20190625上郷小学校05


      20190625上郷小学校06


      20190625上郷小学校07


      20190625上郷小学校08




国旗掲揚ポール。

      20190625上郷小学校09




校舎の玄関の壁には上郷小学校の校章。

      20190625上郷小学校10




玄関には木製の表札。

      20190625上郷小学校11

よく見ると、舘岩村立上郷小学校と記されています。
2000年(平成12年)の卒業生から贈られたもののようです。





こちらは、南会津町立上郷小学校の表札。

      20190625上郷小学校12

こちらが実際に玄関に掲げられていたのでしょう。



校舎内を覗いてみると、
上郷小学校の頭文字を取った『あいうえお作文』。

      20190625上郷小学校13



こちらは、体育館。

      20190625上郷小学校14



校庭の石碑。
こちらは、校訓の碑。

      20190625上郷小学校15


創立十周年の記念碑。

      20190625上郷小学校16

残念ながら、廃校記念碑はありませんでした。



校庭に残る遊具類。

      20190625上郷小学校17


      20190625上郷小学校18


      20190625上郷小学校19


      20190625上郷小学校20



現在は、パターゴルフ(?)と言うんでしょうか?
(ゲートポールとはちょっと違っているようですが.......)
ちょうど、近隣の御老人達が集まって興じていました。

      20190625上郷小学校21

邪魔をしないように、校庭を歩きます。



なぜか、もっちゃん の後ろを付いて回る びいすけ 。

      20190625上郷小学校22

久しぶりに、一緒に居るからなのか?
はたまた、今日はオヤツをいっぱい貰えるからなのか?

こればっかりは、 びいすけ に訊かないと分かりませんね(笑)。





2019/08/21 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit