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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

本日の朝食(?)  趣味のひもの 魚水  (2017年2月27日)(千葉県鴨川市) 

2月27日 公休日

この日は、勝浦・鴨川方面へ出かけました。

勝浦から曇り空を睨めっこしながら、国道128号線を鴨川方面へと走ります。


道の駅を探していたら、干物のお土産屋さんに『づけ丼 600円』なんて看板が見えた。
思わず、左ウインカー。
駐車場に車を入れると、視界に入るのはテラス席。

ここは鴨川市。国道128号線沿いにある 趣味の干物 魚水

      20170227魚水01


ここなら、犬連れでも大丈夫そう。

一応、確認してみます。


テラス席ならワンコOKです。

      20170227魚水02


      20170227魚水03
      



お店の入り口に貼られていた食事のメニュー。

      20170227魚水04

それなりに種類があって悩みますが、
チョイスしたのは、『とろサバ定食』。800円也(税別)。


しばらく待つと、『とろサバ定食』が運ばれて来ます。

      20170227魚水05

一目見て、びっくり。
サバの大きいこと。

一口食べてみて、脂が乗って旨し!!

サバも大きくて、食べ応えあり。
(男性には、サバの大きさから推すると、ご飯の量が少ないかも?)



テーブルの下から視線を感じます(笑)。


大丈夫。お前にもあげるから安心して。

      20170227魚水06



アジは食べないけれど、なぜかサバは食べる びいすけ 。

      20170227魚水07

特に皮が好きだから、皮を中心にあげましょう。
(決して身の部分をケチってあげない訳ではありません)




結構食べ応えのあった『とろサバ定食』。
普段は朝ご飯は食べない生活をしているけれど
こんな朝ご飯だったら、アリだな。

犬連れOKの新しいお店を開拓出来たようで
こちら方面に来る楽しみが一つ増えました。






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2017/03/25 Sat. 15:15 | trackback: -- | 本文: -- | edit

長狭七福神  大山寺   (2016年3月1日)(千葉県鴨川市) 

3月1日  公休日

個人的な連休初日。

この日は、鴨川市に出かけました。

平塚分校を跡にして、向かった先は...............大山寺


大山寺は、大山不動尊とも呼ばれていますが、
正式には『高倉山 大山寺』と呼ぶようです。
奈良時代に良弁僧正が開山したという大山寺は、高倉山の中腹にあり、
境内からは、長狭平野や鴨川市街が一望できます。
不動堂は方5間の密教堂で、入母屋造り、銅板葺。
堂内には厨子、棟札、良弁僧正が神奈川県の大山寺の不動明王像と同木で作ったと伝えられる
千葉県指定の木造不動明王坐像及び両脇侍立像などがあります。
建築年代は棟礼から江戸時代末期の享和2年(1802)と推定され、
建物自体は江戸時代中期の建築様式を忠実に伝えているそうです。

伊勢原市の大山寺の大山不動尊、成田市の成田山新勝寺の成田不動尊と並んで、
関東三大不動尊の一つといわれてる高倉山大山寺ですが
実は、長狭七福神の一つでもあります。

昨年、鴨川市の廃校巡りに来た時に『長狭七福神』の存在を知りました。
その日は時間が無くて、七福神すべてを回れませんでした。

と言うわけで、長狭七福神巡りの続きです。



七福神は、のどかな田園風景がどこか懐かしく感じられ、
美味しいお米「長狭米」の産地として知られている長狭地区の
七つの寺院を巡ります。
狭街道脇を流れる「加茂川」の本流は、「龍の姿」とし、
七つ以上の橋を渡り「七難即滅・七副即生」をいただきます。
そもそも長狭地区とは、主基(すき)・吉尾・大山の3つの地区からなり、
その長狭地区の七つの寺院を巡るのが長狭七福神です。

長狭七福神は

大山寺 恵比寿
白滝山不動教会 大黒天
長安寺 毘沙門天
方廣寺 弁財天
安國寺 福禄寿
真福寺 寿老人
龍江寺 布袋尊 となっています。



大山寺の沿革が記された説明板。

      20160301大山寺01

しかし、長狭七福神については触れていない。




こちらが仁王門。

      20160301大山寺02


      20160301大山寺03



仁王門をくぐれば、急傾斜の長い石段。

      20160301大山寺04


元気に駆け上がる びいすけ 。

      20160301大山寺05

この日は、朝早くから動いているのに元気な びいすけ 。
ひょっとして、疲れ知らず?(笑)



こちらが本堂。

      20160301大山寺06



ついつい、扁額に目が行ってしまいます。

      20160301大山寺07

実は、扁額よりも正面に飾られた波の伊八作の龍の彫り物が有名らしい。
知らなかったから、じっくり見てくるのを忘れちゃった。



狛犬の前の犬。

      20160301大山寺08


こちらが、鐘楼。

      20160301大山寺11



思わず、鐘を突いてみたくなります(笑)。

      20160301大山寺12




さて、本題の長狭七福神を探しましょう。

      20160301大山寺09


昨年秋に他の長狭七福神の寺院を訪れた時は
赤い幟が立っていて、すぐさま見つける事が出来たけど
こちらには、赤い幟がなさそう。


大きな銀杏の脇のお堂に鎮座しているのかな?
などと思ったけど、お堂はもぬけの殻。

      20160301大山寺10


  
長狭七福神の恵比寿がこの大山寺にあるはずだから
それらしき像を探します。

まさか? と思い、本堂に入ってみます。


幟も何もないけれど、右側の像が竿を持っているから  
これが恵比寿かなぁ?

      20160301大山寺14



そういう事にして、本堂ギリギリまで びいすけ に寄ってもらい
長狭七福神の恵比寿 ゲット!

      20160301大山寺15


本堂の中を覗くと、天井絵図。
寛政11年(1799年)に「狩野洞水」が描いたモノらしいです。

      20160301大山寺13


この本堂の中は、厳かな雰囲気が満載。
それだけ、歴史のある寺だと言うわけですね。

確かに、関東の三大不動尊と言うだけあるなぁ。
でも、七福神巡りをしている身としては、長狭七福神に関する案内板や
看板と言った類のモノがないから、満足度は低い。

本当は、この日に残りの七福神(5ヶ所)を回る予定でしたが
陽が延びて来たとは言え、時刻は16時を回りこの日はタイムアウト。

長狭七福神巡り、まだまだ完遂せず。
次回に期待することにいたしましょう。




2016/03/26 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

大山千枚田    (2016年3月1日)(千葉県鴨川市) 

3月1日 公休日

個人的な連休の初日。

この日は、鴨川市へ出かけました。


主基斎田址公園をあとにして、向かった先は...............大山千枚田



大山千枚田は、鴨川の中山間に位置し、
房総半島のほぼ真ん中にあり、東京から一番近い棚田として知られています。
平野の田圃と違って耕地整理が遅れたことが、
この美しい棚田を現代に残すことになったようです。
嶺岡の山並みの麓である面積約4ヘクタールの急傾斜地に、
階段のように連なる大小375枚の田圃が大山千枚田です。

大山千枚田は日本で唯一雨水のみで耕作を行っている天水田であり、
そのような場所では動植物も貴重なものが多く生息しているそうです。
棚田は、多面的機能を持っていて、これを守ることが洪水などの災害を防止したり、
貴重な生態系や環境の保全になっているようです。

ちなみに、大山千枚田は『日本の棚田百選』に選ばれています。


里山の広がる狭い道を登っていくと、大山千枚田。
駐車場も20台位まではOK。

駐車場に建っている説明板。
 
      20160301大山千枚田01


      20160301大山千枚田02


      20160301大山千枚田03


棚田の中には入れないから
駐車場から、道沿いに歩いて棚田を眺めます。

      20160301大山千枚田04


確かに、一枚、一枚は小さな田圃ですが
大規模に区画整理された田圃と違って、畦道が描く曲線が美しい。

      20160301大山千枚田05


      20160301大山千枚田06



棚田の見晴らしの良い広場(展望台?)には記念碑。

      20160301大山千枚田07


      20160301大山千枚田08



展望台からも棚田を眺めてみましょう。

      20160301大山千枚田09



本当は、黄金色に実った稲穂が風になびく秋が一番見頃かもしれないけれど
棚田に水を張るこの時期も良い。

      20160301大山千枚田10


      20160301大山千枚田11


      20160301大山千枚田12



大山千枚田の看板をバックにパチリ☆。

      20160301大山千枚田13


      20160301大山千枚田14



やっぱり、弧を描く田圃の曲線美が堪らない。

      20160301大山千枚田15


昨年の秋に近くまで来たのに、時間がなくなって(車両規制)しまい
訪れることが出来なかった大山千枚田。

今度は田植えが終わった頃に、また来てみよう...............。




2016/03/25 Fri. 16:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

主基斎田址公園   (2016年3月1日)(千葉県鴨川市) 

3月1日 公休日

個人的な連休初日。

この日は鴨川市へ出かけました。


金山城址をあとにして、向かった先は...............主基斎田址公園


主基斎田は、明治天皇の即位後最初の新嘗祭である大嘗祭に
斎田として選ばれた場所です。
大嘗祭に用いられる新穀は卜定された悠紀と主基の2ヶ所の斎田から献上されます。

明治4年の大嘗祭では、悠紀斎田が甲斐国巨摩郡に、
主基斎田が安房国長狭郡北小町村字仲ノ坪の6反歩に卜定されました。

明治22年に北小町村を含む5ヶ村の合併の際に大嘗祭にちなみ由基村とされ、
大正4年に主基村と改称されました。
現在はその栄誉を記念して碑が建立され、
主基斎田址公園として整備されています。



長狭街道(県道34号線)を鴨川市内から保田方面に向かって車を走らせていると
右手方向に『主基斎田址公園』の案内看板が目に留まります。

昨年、長狭街道を走っていて、気になっていました。


案内に従って進んで行くと、やがて田圃の中に
一画だけ、ポツンと島になったような高台があります。

      20160301主基斎田址公園01

その島のような台地が主基斎田址公園です。


こちらが、主基斎田址公園。

      20160301主基斎田址公園02

思いの外、小さな公園です。

      20160301主基斎田址公園03


一応、主基斎田址だから、標柱も建てられています。

      20160301主基斎田址公園04


      20160301主基斎田址公園05



主基斎田についての説明板も用意されています。

      20160301主基斎田址公園06



広くない公園に背の高い碑。

      20160301主基斎田址公園07

公園入口から見たら碑は裏になる。

表に回ってみると、
『 明治天皇大嘗祭御斎田主基之地』と刻まれています。

      20160301主基斎田址公園09

まさしく、主基斎田の碑 です。



その隣には、何やら変な形をした碑。

      20160301主基斎田址公園08


こちらも正面に回ってみると..............................

      20160301主基斎田址公園10

お米の形をしていたんですね。

『長狭米 日本の米作り百選 』と刻まれています。

長狭米については、最近知ったんですが
長狭米は、鴨川市の長狭地区で生産されたコシヒカリの事なんですね。
嶺岡山系は蛇紋岩が多く、湧き出る水にも豊富にミネラルを含んでいるため、
長狭の土地の重粘土質の水田から穫れるお米は、土質、水、気候など恵まれた自然の中で育ち、
江戸時代より美味しいお米の産地とされていたようです。
長狭米は、平成2年に「日本の米つくり百選」に選ばれています。
その記念碑なんですね。


公園そのものは、非常に狭い。
広く見積もっても15m×20mほど。

      20160301主基斎田址公園11


散歩とか言ったレベルの行動が当てはまらない公園。

      20160301主基斎田址公園12



公園に隣接する田圃は今も長狭米を作っているんでしょう。

      20160301主基斎田址公園13


田植えの時期までひと休みと言ったところでしょうか。

      20160301主基斎田址公園14


田圃の中に忘れさられたかのように、ポツンと佇む公園。

      20160301主基斎田址公園15

記念碑のための公園と言った方が適切か?
公園とは名ばかり。
公園の二文字に騙された(?)感がしなくでもない。

まぁ、美味しいお米の産地でもあるから
コレはこれで良しとしておきましょう。



2016/03/25 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

金山城址   (2016年3月1日)(千葉県鴨川市) 

3月1日 公休日

個人的な連休初日。

この日は、鴨川市に出かけました。


金山ダムに車を置いて、向かった先は...............金山城址



金山城は、伝承によれば平安時代に長狭六郎の居城であったとされています。
長狭六郎は伊豆から安房に落ち延びてきた源頼朝を襲撃しましたが
失敗して殺されてしまいました。
その後、室町時代には東条氏の城となりましたが、
里見義実に攻められて落城、その後は里見方の城となったと言われています。


こちらが、金山城の縄張り図

      金山城址縄張り図
 
          ( 余胡くんのお城のページ よりお借りしました )




金山ダムから片道1車線の細い道をトボトボ歩いて下り、
トンネルを二つ抜けます。

二つ目のトンネルを抜けた先の二叉路には
こんな碑が建っています。

      20160301金山城址01


金山城址の碑です。

      20160301金山城址02



ここから先は、しばらく平坦路。

      20160301金山城址03


やがて、道は登りとなって行きます。


上り坂の途中にある城址標柱。

      20160301金山城址04

かなり年季が入っていて、文字も擦れて判別出来ません。


更に上りは続きます。

      20160301金山城址05


次第に道は細くなって、車ではキツイだろうなぁ。
やっぱり金山ダムに車を置いて来たのは正解だったようです。

      20160301金山城址06


さすがに上りに疲れを感じた頃、
目の前に現れた虎口。

      20160301金山城址07

岩を削って作った虎口。
圧巻です。


別アングルから。

      20160301金山城址08



虎口の先は広い削平地。

      20160301金山城址09

四郭になるようです。
まるでグランドのように広い曲輪。

真ん中の人が通った跡が道のようになっていますが
それ以外は藪状態。


四郭の奥には主郭へと続く登城路。

      20160301金山城址10

主郭目指して、登城路を登ります。


こちらが、三郭虎口。

      20160301金山城址11



三郭。

      20160301金山城址12



こちらは、二郭虎口。

      20160301金山城址13



二郭。

      20160301金山城址14



主郭はもうすぐ。
ここを登り切れば主郭です。

      20160301金山城址15



ちょっぴり息が上がってきたけど、主郭に到着。

こちらが主郭虎口。

      20160301金山城址16


主郭に鎮座している祠。

      20160301金山城址17

不便な場所にある祠ですが、定期的にお詣りされる方がいるようです。

榊の木やお供え物も在りました。

      20160301金山城址18


金山城に由縁のある末裔の方々が定期的に来られているのでしょうか?

      20160301金山城址19


      20160301金山城址20



祠背後の土塁。

      20160301金山城址22


土塁の上はちょっとした展望台。
物見の役目をしていたかもしれません。

      20160301金山城址21


      

しかし、何と言っても金山城址の一番の見所は
岩を削って作り上げた四郭の虎口。

虎口の上部にアタックしてみましたが
導線は細尾根。

      20160301金山城址23

びいすけ と一緒じゃ危ないし、
落っこちても馬鹿らしいからアタック中止。


車は金山ダムに停めてあるから
車まではかなり歩くことになる。

まだまだ元気な内に戻ることにいたしましょう。

遺構そのものは少ないし、舗装されているとは言え
林道(?)をかなり歩くから、大変だったけど
ちょっびり満足した金山城址の攻略でした...............。




     



2016/03/24 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

金山ダム  《 金山湖 》  (2016年3月1日)(千葉県鴨川市) 

3月1日 公休日

個人的な連休初日。
この日は、鴨川市に出かけました。

小笠原陣屋跡をあとにして、向かった先は...............金山ダム

金山ダムは、農業用の用水用のダムとして昭和27年から14年の歳月をかけて、
昭和41年完成したダムです。
賀茂川水系の金山川を堰き止め、農業用水を確保するために活用しています。

ダムで堰き止められた貯水池は金山湖と呼ばれ、
人造湖になります。


鴨川市内から鴨川有料道路へと向かい、
有料道路手前を右折。1車線ちょっとの狭い道を登って行きます。

しばらくすると、トンネル手前で二叉路。
左へ行けば、金山城址。(金山城址については明日にでも触れたいと思います。)
ここは右に進路を取り、トンネルを二つくぐれば金山ダムに到着します。


ダム湖の赤い吊り橋の手前にちょっとした空き地があり、
そこに車を停めましょう。



車から降りて、周りを散策いたしましょう。

      20160301金山ダム01


駐車したスペースに在る説明板。

      20160301金山ダム02

金山ダムや金山湖については、あまり触れずに
金山城址について触れています。
鴨川市の観光資源としては、金山城址の方が位置付けかま高いみたい。



ダム越しに眺める金山城址。

      20160301金山ダム03



しっかりと標柱も建てられています。

      20160301金山ダム04



標柱のさきに見える山が金山城址です。

      20160301金山ダム05



金山ダムの吊り橋。

      20160301金山ダム06


せっかくだから、吊り橋を渡ってみましょう。

      20160301金山ダム07



吊り橋から眺める金山湖。
お世辞にも綺麗だとは言えない。

      20160301金山ダム08



吊り橋から眺める金山城址。

      20160301金山ダム09



金山湖の水位はかなりあるようです。

      20160301金山ダム10



3台ほど停められるスペースには先着車。

      20160301金山ダム11


よく見たら、久留里城址資料館の車。

      20160301金山ダム12

金山城址の調査にでも来たのだろうか?



金山城址へ向かう途中に眺める金山ダム。

      20160301金山ダム13


      20160301金山ダム14



自宅へ帰ってから、ネットで知り得た情報なんですが
実は、金山ダムはそれなりに有名な心霊スポットらしい。

稲川淳二に紹介されて有名になったのが金山ダム。
女性が殺害されたと言われており、ダム周辺にあるトンネルでは
赤い服を着た女性の霊がよく目撃されているらしい。(本当かよ?)

またダムに架かる赤い橋では、若いカップルが自殺を試みたのだが
男性だけ助かったそうで、それ以来男性がこの橋を通ると
引きずり込もうと女性の霊が現れるようになったと言う事らしい。


ひょっとして、トンネルってここだよね?

      20160301金山城址24


赤い服の女性が写ってなくて良かったぁ...............。




2016/03/23 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

小笠原陣屋跡  (2016年3月1日)(千葉県鴨川市) 

3月1日  公休日

個人的な連休初日。

この日は、鴨川市に出かけました。

清澄山をあとにして、向かった先は...............小笠原陣屋跡


小笠原陣屋は、大里(だいり)陣屋とも呼ばれ、
信濃小笠原氏の一族の小笠原信喜が延享4年に上総天羽・安房長狭郡内において1,200石を与えられ、
併せて2,000石となり、これ以降に長狭郡内に陣屋を構えたとされています。
その後、天明7年には7,000石の旗本となりました。
陣屋は加茂川に面した段丘上にあり、100m×150mと言う敷地だったそうです。



こちらが、小笠原陣屋の縄張り図。

      小笠原陣屋縄張り図

          ( 余胡くんのお城のページ よりお借りしました。)


縄張り図に記載されている正法寺近くに車を停めて
小笠原陣屋跡へと向かいます。

      20160301小笠原陣屋01


この辺りも、ひょっとしたら陣屋の一画だったのかもしれない。
と言うのも、なぜか堀跡にように見えてしまいます。

      20160301小笠原陣屋02


正法寺の裏手には土塁。
そして、裏手の田圃がかつての堀跡のように見えてしまいます。

      20160301小笠原陣屋03



小笠原陣屋跡の遠景。

      20160301小笠原陣屋04

赤い屋根が真福寺。



こちらが真福寺。

      20160301小笠原陣屋05


真福寺の本堂。

      20160301小笠原陣屋07



真福寺の本堂脇の池。

      20160301小笠原陣屋06



これも、かつての堀跡かもしれない。

      20160301小笠原陣屋08



本堂の裏手は、ちょっぴり高台になった削平地。
現在は、墓地の一部となっています。

      20160301小笠原陣屋09


さらに、その奥は果樹園と竹藪ですが個人の敷地のようで
迂闊には入って行けません。

      20160301小笠原陣屋10


高台の墓地から本堂へと下る道。

      20160301小笠原陣屋11

なぜか、登城路と虎口のような気がします。




真福寺に隣接する大里神社。

      20160301小笠原陣屋12


      20160301小笠原陣屋13


      20160301小笠原陣屋14

拝殿の背後は一段高くなった削平地。
しかし、完全な藪状態。
まるで、中世の城郭跡のように見えてしまいます。



大里神社脇の水田は、堀跡のように見えます。

      20160301小笠原陣屋15


田圃をぐるっと回って、大里神社の背後に攻め込んでみましょう。

      20160301小笠原陣屋16


背後から見た水田は、まさに堀跡のように見えてしまう。

      20160301小笠原陣屋17

裏を返せば、後世に水堀を耕作したのではないでしょうか?


大里神社の背後から、削平地(おそらく郭跡)に向かう導線は
私有地のため立ち入り禁止。

      20160301小笠原陣屋18



覗き込む感じでは、真福寺の墓地の背後の竹藪らしきモノが見える。

      20160301小笠原陣屋19


中に入って行きたいと言う衝動に駆られますが
そこは、ぐっと抑えて...............

台地をぐるっと一周してみましたが、
いずれも民家の背後になってしまうため
これ以上の探索は無理でした。

陣屋跡と言うよりは真福寺背後の削平地を見る限り
中世の城郭跡と言った方が適切かもしれません。
余胡さんのホームページの記載によれば、
元々、この地には金山城の出城が在ったと言う事らしい。

旗本であった小笠原氏が、たまたまこの地に在った中世の城郭跡に
陣屋を構えたのかもしれませんね。





2016/03/22 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

大山倍達記念碑  (2016年3月1日)(千葉県鴨川市) 

3月1日  公休日

個人的な連休初日。

この日は、鴨川市に出かけました。


鴨川市の清澄山に訪れました。
天富神社、清澄寺と訪問いたしましたが、
実は清澄山に来たのには、もう一つ目的がありました。

たまたまネットで見かけたのが、清澄山が大山倍達の修行の地だと言うこと。


そうです、清澄山の清澄寺の近くに珍しい碑が建っています。
それは...............大山倍達記念碑




ご存知、大山倍達は極真空手の創始者。


清澄山は、日蓮宗開祖の日蓮聖人を始め、
僧侶の修行地としても知られています。
そんな清澄山に、極真空手創始者「空手バカ一代」で知られる
大山倍達氏も修行されていました。

昭和20年代前半に、弟子とともに清澄山に篭り英気を養い、
日々の鍛錬に励んだそうです。
そして、大山倍達が修行し鋭気を養った場所には記念碑が建てられており、
極真空手の門下生や倍達氏に縁のある方々が訪れているそうです。


記念碑のある台地は、この先。

      20160301大山倍達記念碑01

清澄山バス停前。
展望台入り口と言う標柱が建っているから分かりやすい。


石段を上がって行くと、やがて削平地。

      20160301大山倍達記念碑02

ここが展望台のようです。
奥に四阿があります。

四阿の手前に立派な石碑があります。



こちらが、その石碑。

      20160301大山倍達記念碑03



大山倍達記念碑 です。

      20160301大山倍達記念碑04

空手を習っていた訳ではないが
子供の頃、『空手バカ一代』と言う漫画を読んで
大山倍達の事は知っていた。
素手で牛を倒したり、ビール瓶を空手チョップで割ったりと
逸話(?)ながら、凄い人だと思ってました。

そう言えば、修行のため山に篭り、眉を片方剃って
人に会わないように(山を降りられないように)して
修行をしていたんじゃなかったっけ。

それが、清澄山だったんですね。
(もし、違っていたらごめんなさい。)



展望台と言うように、眺望が良い。
鴨川の海がはっきりと見えます。

      20160301大山倍達記念碑05

この風景を眺めながら、大山倍達は修練したんだろうなぁ。


なぜか意味もなく、その場で正拳突きを一発、空を切るようにして
気分にひたってみました。



清澄寺の参拝客用の駐車場に車を停めたから
バス停から駐車場まで5分ほど歩きます。

駐車場の向かいにあるコミュニティセンターにこんな看板。

      20160301大山倍達記念碑06

確か、清澄寺の旭が森に『初日の出 日本一』の標柱が在った。

初日の出が日本一早いと言うことなんですね。



ただ、気になるのは小さな伏字(?)のような但し書き。

      20160301大山倍達記念碑07


普通に人が住める山では...............


この但し書きには、思わず笑っちゃいました。




2016/03/22 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

清澄寺 (2016年3月1日)(千葉県鴨川市) 

3月1日  公休日

個人的な連休初日。

この日は、鴨川市へ出かけました。

清澄山の天富神社の境内に富士山を身に来ましたが
残念ながら、その姿は眺めることが出来ませんでした。

せっかく清澄山に来たのだからと、立ち寄ったのは...............清澄寺


当初は、清澄寺に立ち寄る予定はありませんでした。
しかしこんな案内板を見ちゃうと、ついつい足を向けちゃいたくなります。

      20160301清澄寺01


千年杉...............? 250m先なら近いじゃん。
軽い気持ちで矢印の方向へ足を運んでみると...............

清澄寺の仁王門が視界に飛び込んで来ました。

      20160301清澄寺02



仁王門の扁額。

      20160301清澄寺03



どことなく、お茶目な感じのする仁王像。

      20160301清澄寺04

一瞬、おぼっちゃまくん に見えたりして...............

『 クリクリ〜...............? 』(笑)



冗談はさておき、

清澄寺はおよそ1200年の昔、"不思議法師"と名付けられた僧侶が
千光を発する柏の木で虚空蔵菩薩の仏像を彫り、
その仏像の前で21日間修行をしたことに始まりまるそうです。

承和3年(836)、天台宗比叡山延暦寺の中興の祖慈覚大師円仁師がこの地を訪れ、
その仏像の前で21日間の修行をしました。
それ以来、天台宗のお寺となり次第に栄えていったそうです。

また、日蓮宗の開祖である日蓮聖人が12歳の時に小湊からこちらに入り、
道善法師に師事し出家得度されたそうです。
日蓮聖人はさらに各宗の奥義を学び、建長5年(1253)、32歳の時に旭が森で
立教開宗の第一声をあげたそうです。

室町~江戸期には度重なる火災と戦により、清澄寺は衰退と復興を繰り返します。
近世になり、大正時代に日蓮聖人の銅像が完成したことでお参りの信者さんが増え、
真言宗智山派と日蓮宗との間で改宗の話し合いがもたれたそうです。

昭和24年、日蓮宗に改宗し宗門直轄の大本山として現在に至っているそうです。

      20160301清澄寺05

宗教には詳しくないし、信心深くないのであまり良く分からないけど
とにかく、由緒あるお寺のようです。


そんなお寺にイヌを連れて入っていいのか?

      20160301清澄寺06

不安がよぎるけど、千年杉は門の先。

とぼけて、境内に入ります。
本堂他を左に確認しながら千年杉にまっしぐら。


こちらが千年杉。

      20160301清澄寺10


近くまでは行けないようになっているから
その大きさが比較出来ないけど、立派な巨木です。

      20160301清澄寺08



千年杉の説明板。

      20160301清澄寺07



ここにも在りました。
『 房総の魅力 500選』の碑。      

      20160301清澄寺09





千年杉の後へ進めば、旭が森。

      20160301清澄寺11


     
あちらに見えるのが、日蓮聖人の像らしい。

      20160301清澄寺13



せっかくだから、上がってみましょう。

      20160301清澄寺14



日蓮聖人の像のにて。

      20160301清澄寺15



どうやら、この地は 初日の出日本一 ? らしい。

どういうこと?
初日の出が日本で一番最初に見れるってことかな?

      20160301清澄寺16



『初日の出日本一』の標柱の裏には、
何やら書かれています。

      20160301清澄寺17



こちらは、旭が森の隣の削平地。

      20160301清澄寺18



どうしても郭に見えてしまうのは悲しい性(笑)。

      20160301清澄寺19




絶対、これは堀切にしか見えないし...............

      20160301清澄寺20



見事な切り通しだし...............

      20160301清澄寺21

まぁ、室町から江戸期→いわゆる戦国の時代に幾多の戦による火災で衰退したとされているから
自衛の防御のための要害化したのかもしれないなぁ。




当初は遠慮がちに びいすけ を連れて境内を歩いていましたが
境内で『犬の糞はお持ち帰り下さい』の貼り紙を見て、
犬連れを気にするのをやめました。

境内で写真撮りまくり〜。

こちらご本堂。

      20160301清澄寺22



明徳3年(1392年)の 銘の入った古梵鐘。

      20160301清澄寺23



こちらは鐘楼堂。

      20160301清澄寺24

梵鐘は平成7年のモノらしい。



祖師堂。

      20160301清澄寺25


宝物殿の中門。
正保4年(1647)建立らしい。

      20160301清澄寺26

千葉県指定有形文化財に指定されているらしい。



そして、こちらが観音堂。

      20160301清澄寺27


かなり駆け足でぐるっと回ったような気がするけど
それでも小一時間近く、この清澄寺にいたような気がします。


まぁ、個人的に熱心な仏教徒ではないし、
取り留めて信心する宗派も無いし、
著名な僧侶を崇拝するわけでもないけれど、
日蓮聖人が修行した古刹に訪れたことは、
貴重な体験の1ページとしておきましょう。






2016/03/21 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

清澄山天富神社  《関東の富士見100景 》  (2016年3月1日)(千葉県鴨川市) 

3月1日  公休日

個人的な連休初日。

この日は、朝早く家を出て勝浦市並びに鴨川市に出かけました。

勝浦市の『かつうらビッグひな祭り』を見学してしたあとに鴨川市へと足を伸ばしました。

多少の雲はあるものの、青空が広がり快晴に近い天気。
ひょっとしたら、房総半島からでも富士山を眺めることが出来るかも知れない。
富士山の眺望なら、富士見百景でしょう。
関東には、『関東の富士見100景』なるモノが存在しているらしい。
そして、鴨川市にもそれがあるらしい。


『関東の富士見100景』とは、富士山への良好な眺望を得られる地点を選定し、
周辺の景観の保全や活用への支援を通じて、美しい地域づくりの推進を目的として
国土交通省が平成17年に選定を実施しました。
百景と言うことですが、実際には富士山への良好な眺望が得られる128景233地点となっています。

その中の一つ、鴨川市清澄山にある天富神社にやって来ました。

看板が示すように、天富神社の境内が関東の富士見百景と言うことです。

      20160301富士見百景 清澄山天富神社境内01


清澄山の頂部とは言わないが、
セリ上がった台地(?)の頂部に天富神社は在るようです。

鳥居をくぐって参道を登ります。

      20160301富士見百景 清澄山天富神社境内02


      20160301富士見百景 清澄山天富神社境内03



台地に残されたヤグラあと。
中世の横穴式墳墓であるヤグラは鎌倉地方で良く見かけられますが
相模湾(東京湾)を挟んだ対岸の房総半島の安房地方でも見かけます。

      20160301富士見百景 清澄山天富神社境内04


元々、鎌倉時代の武士の墓とも言われるヤグラ。
この辺りも中世の城郭だったのだろうか?


前夜、地元の佐倉ではうっすら雪が降ったようですが
清澄山に降ったようで、うっすらと芝生が白くなっている。

石段も凍って滑りやすい。気をつけよう。

      20160301富士見百景 清澄山天富神社境内05


こちらが、天富神社。

      20160301富士見百景 清澄山天富神社境内06



思ったよりも狭い境内。

削平地の郭に見えてしまうのは、城郭ファンの性(さが)?

      20160301富士見百景 清澄山天富神社境内07


こちらが、本殿。
軽くお詣りをしておきましょう。

      20160301富士見百景 清澄山天富神社境内08


本殿に対座するように...............


関東の富士見100景 の石碑って言うか、
記念碑って言うか、プレート。

      20160301富士見百景 清澄山天富神社境内09


      20160301富士見百景 清澄山天富神社境内10


見覚えのあるプレート。

      20160301富士見百景 清澄山天富神社境内11



本来なら、本殿に対座する方向、即ち、記念碑の延長上に富士山が見えるはずなんだけど

残念ながら、この日はその姿を眺めることが出来ませんでした。

      20160301富士見百景 清澄山天富神社境内14

こればっかりは天候に左右されてしまうから仕方がない。
晴れていても、ちょっとした雲があっても見えないし、
ガスってしまって見えなくなることあるからね。



そもそも富士山の景勝地って言うことは他の眺望も長けているってことになります。

鴨川市内の眺望。

      20160301富士見百景 清澄山天富神社境内12


遥か先には、うっすらと三浦半島も見える。

      20160301富士見百景 清澄山天富神社境内13


富士山は見えなくても、やっぱり眺望の良い所なんですね。



2016/03/20 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

四万木不動滝  (2015年10月23日)(千葉県鴨川市) 

10月23日 公休日

この日は鴨川市に出かけました。


主基小学校をあとにして、向かった先は...............四万木不動滝



四万木不動滝は、
清澄を越えて県道から山道に入り、奥深い竹と杉の林の中にあり、
まさに"秘境"といった景色です。
高さ10m、幅8mで、水量の多いときには二つに分かれ右が雄滝、左が雌滝と呼ばれています。 
上流は深い渓谷となり、初夏の新緑と初冬の紅葉の頃は、美しい瀑布と共に情緒あふれる景色が楽しめるそうです。


とにかく、四万木不動滝のある不動堂までは県道から1kmほど山あいに入ります。
一応、舗装された道はあるのですが、とにかく狭い。
対向車とのすれ違いも不可能な狭さ。
幸い、平日の午後3時過ぎ。
房総半島の山奥にこんな時間に訪れるモノ好きはそんなに居ない。
対向車に出会うことなく、不動堂まで辿りつけました。


こちらが、不動堂。

      20151023四万木不動滝15


四万木不動滝は、ここからさらに300mほど歩きます。

      20151023四万木不動滝01


この辺りは、四万木不動滝自然園地と言うらしい。

      20151023四万木不動滝02


丁寧に道案内も用意されています。

      20151023四万木不動滝03



この階段を降りて行けば、四万木不動滝。

      20151023四万木不動滝04



観瀑台から眺める四万木不動滝。

      20151023四万木不動滝05



紅葉の時期になれば、色付いた木々の間に白い滝の流れを見ることが出来そうです。

      20151023四万木不動滝06



さらに下って、滝壺近く行ってみましょう。


久しく雨も降っていないから、水量は少なめのようです。

      20151023四万木不動滝07


      20151023四万木不動滝08



房総半島の滝は、
水量が少ないとか、水が濁っているとか
あまり良い評価はないようですが
この四万木不動滝は水の流れがきれい。

      20151023四万木不動滝09



正直、あまり期待はしていなかったのですが
良い意味で期待を裏切ってくれました。

      20151023四万木不動滝10


      20151023四万木不動滝11


      20151023四万木不動滝12



滝の周りの木々が紅葉で色付いてきたら
もっと絵になるかもしれない。

      20151023四万木不動滝13


      20151023四万木不動滝14



あまりメジャーではない滝巡り。
ましてや、房総半島の奥にある余り知れ渡っていない滝。

一応、県道には何ヶ所か案内は出ているものの、全国にある名瀑と比べたら
それはもうマイナーな滝。
でも、そう言ったマイナーな滝を見て、ちょっとだけ得した気分です。

知らなかったのですが、この辺りは山蛭の生息地でもあるらしい。
やっぱり滝は山蛭の居なくなる紅葉の季節が良いみたいですね。








2015/11/19 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........主基小学校  (2015年10月23日)(千葉県鴨川市) 

10月23日 公休日

この日は鴨川市に出かけました

真福寺をあとにして、向かった先は.........鴨川市立主基小学校



主基小学校の詳しい沿革は良く分かりません

明治7年に開校したようですが
平成21年      吉尾小学校、大山小学校、主基小学校の3校が統合して
            小中一貫教育の長狭学園が新設されて廃校となりました。


そして、廃校後は一時期、鴨川市より施設を貸与されて
文理開成高校の通信制・日本語学科の校舎として利用されていたようですが、
文理開成高校が経営破綻して、現在は文理開成高校も引き払ってしまったようです。



こちらが正門。

      20151023主基小学校15


門柱には白いカバーが掛けられています。
カバー残る下には主基小学校と記されているのか?
はたまた、文理開成高校と記されているのでしょうか?

      20151023主基小学校16


正門から足を一本踏み入れれば、すぐ校舎。

      20151023主基小学校17


敷地内に入ってみます。


校舎全景。

      20151023主基小学校01



そして体育館。

      20151023主基小学校02




校庭にポツンと残る百葉箱。

      20151023主基小学校03



かつての正門跡。
門柱だけが残っています。

      20151023主基小学校05




校庭に残る遊具類。

      20151023主基小学校04


      20151023主基小学校06


      20151023主基小学校07


      20151023主基小学校09






長狭街道に掛かる横断歩道橋は直接校庭に入れるようになっていたようです。

      20151023主基小学校08




     
校庭の隅に建つ石碑類。

廃校記念碑かと思ったら、日露戦争戦勝碑。

      20151023主基小学校10



別アングルからの校舎。

      20151023主基小学校11


      20151023主基小学校12


三本もある旗掲揚ポール。

      20151023主基小学校13



校舎の前にある鉄棒。

      20151023主基小学校14




他の鴨川市内残る小学校同様に敷地内に幼稚園がありましたが
小学校の廃校と時期を同じくして、廃園となったようです。

園庭には、パンダの遊具が残されています。


なぜか、恐る恐る近寄る びいすけ 。

      20151023主基小学校18


      20151023主基小学校19



広い校庭。

      20151023主基小学校20

休みの日には、近所の子供たちが遊びに来ると
、主基小学校の隣にある駐在所のお巡りさんが言っていたけど
今日は金曜日。
誰も居ません。


フェンス沿いに建つ避難場所の案内。

      20151023主基小学校21

主基小学校ではなく、文理開成高校となっています。


敷地内に建つ、ちょっと変わった建物。

      20151023主基小学校23




どこかの工場や研究所の受付みたいな感じですが
実は公民館。

      20151023主基小学校22


駐在さんの話では、主基小学校の具体的な再利用、再活用の話がないから
いずれ、主基小学校の敷地そのものが大山小学校のように地域の公民館として利用されていくんじゃないか?
そんな形が一番無難だし、体育館も含め地域で有効活用していってもらいたいものです。




    



2015/11/18 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

長狭七福神② 《 寿老人 》   真福寺   (2015年10月23日)(千葉県鴨川市) 

10月23日  公休日

この日は鴨川市に出かけました。

大山小学校をあとにして、次なる目的地への移動中、
またまた、長狭七福神の赤い幟を見つけた。

う〜む、見かけちゃったら素通り出来ないな...............


と言うことで、急遽立ち寄った先は............長狭七福神 真福寺



長狭七福神は、のどかな田園風景がどこか懐かしく感じられ、
美味しいお米「長狭米」の産地として知られている長狭地区の七つの寺院を巡ります。
狭街道脇を流れる「加茂川」の本流は、「龍の姿」とし、
七つ以上の橋を渡り「七難即滅・七副即生」をいただきます。
そもそも長狭地区とは、主基(すき)・吉尾・大山の3つの地区からなり、
その長狭地区の七つの寺院を巡るのが長狭七福神です。

長狭七福神は

大山寺 恵比寿
白滝山不動教会 大黒天
長安寺 毘沙門天
方廣寺 弁財天
安國寺 福禄寿
真福寺 寿老人
龍江寺 布袋尊 となっています。




こちらが、真福寺の入口。

      20151023真福寺01


見る限り、山門や寺号標が入口にない。


その代わり、境内には万葉の歌碑が建てられていふます。

      20151023真福寺02


そして、その脇には、説明碑。

『 たちこもの抄 』と言う歌碑らしい。

      20151023真福寺03

長狭郡の上丁丈部与呂麻呂の作で、

出立の騒ぎの中で見せた妻の心は忘れることができない。

と言う意味らしい。





こちらも誰かの歌碑のようですが
誰の歌碑なのか分かりませんでした。

      20151023真福寺04



こちらが本堂。

      20151023真福寺08



本堂に掲げられた扁額。

      20151023真福寺07



お目当ての七福神。

      20151023真福寺05


寿老人です。

      20151023真福寺06


鴨川の地で見つけた長狭七福神。
とりあえず、二ヶ所を制覇。

毎年、1月に七福神巡りをしているけれど
残り5ヶ所は年明けにでも制覇することにいたしましょう。








2015/11/17 Tue. 17:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........大山小学校  (2015年10月23日)(千葉県鴨川市) 

10月23日 公休日

この日は鴨川市に出かけました。

長安寺をあとにして向かった先は...............鴨川市立大山小学校



大山小学校は

明治7年に開校した3校がその始まりとされています。

明治7年      金束村、平塚村、奈良林村に小学校が開校される。
明治22年     町村制の施行により、平塚村、嶺岡西牧、金束村、古畑村、
           佐野村、釜沼村、奈良林村が合併して大山村誕生。
明治39年     3校が合併して大山尋常小学校と改称する。
明治41年     奈良林分校を廃し、平塚は分教場となる。
昭和22年     学制改革により、大山村立大山小学校と改称する。
昭和30年     吉尾村、主基村、大山村か合併して長狭町が誕生。
           長狭町立大山小学校と改称する。
昭和46年     鴨川町、江見町、長狭町が合併して鴨川市が誕生。
           鴨川市立大山小学校と改称する。
平成21年     大山小学校、吉尾小学校、主基小学校が統合し
           小中一貫教育の長狭学園が誕生して廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、大山小学校の正門。

      20151023大山小学校18


門柱には、大山小学校とは違う表札。

      20151023大山小学校19

実は大山小学校は廃校後、大山公民館として活用されています。



正門から中に入れば、目の前は体育館。

      20151023大山小学校20


何やら、体育館の入口に人が居て受付をしています。


近づいてみると、こんなポスターが目に入りました。

      20151023大山小学校22


どうやら、近くにある大山千枚田でイベントがあるようで
こちらがその臨時駐車場兼送迎バス乗り場のようです。

このあとに、大山千枚田にも行くつもりでしたが
この時間は、もう車両規制が入っているようで
有料の送迎バスでしか行けないようです。
さすがに、バスには びいすけ は乗れないから、諦めるしかない。



ならば、じっくりと大山小学校を見学させてもらいましょう。


正門脇に建てられた石碑。

      20151023大山小学校14



こちらが、廃校記念碑。

      20151023大山小学校12

    
裏面には、沿革が刻まれています。

      20151023大山小学校15

やはり、廃校の記念碑には廃校になるまでの
その長き歴史を振り返ってみる為にも、沿革が刻まれていると嬉しいな。



こちらは、校歌の碑。

      20151023大山小学校13



そして、『同窓の丘』の碑。

      20151023大山小学校16


      20151023大山小学校17




校庭は、この日の大山千枚田のイベントの臨時駐車場のため
白線で区間されていました。

      20151023大山小学校09


      20151023大山小学校10



校庭の隅にある怪しげな金属の物体。

      20151023大山小学校04



何かと思ったら、電子基準点らしい。

      20151023大山小学校05

電子基準点?
何それ?
調べてみると...............

電子基準点は、測量における基準点、観測点の一つであり、
2015年現在、日本全国に1224地点存在します。
高さは、およそ5mの金属製でできています。
GPS(人工衛星)の電波を受けて正確な測量をおこなうために、
国土地理院が設置したらしい。





同じく、校庭の隅にある百葉箱。

      20151023大山小学校06



校庭に残る遊具類。

      20151023大山小学校08


      20151023大山小学校03



校舎全景。

      20151023大山小学校07


      
こちらは別なアングルからの校舎。

      20151023大山小学校21

    



校庭側から眺める体育館。

      20151023大山小学校11



校庭で芝生と戯れる びいすけ 。

      20151023大山小学校23

どうも、犬のこの習性は理解出来ない。
楽しいのかなぁ?



校舎の奥にある通用門。

      20151023大山小学校01



こちらの表札もしっかりと変わっています。

      20151023大山小学校02




公民館として姿を残した大山小学校。
色々と調べてみると、大山千枚田の近くには大山小学校平塚分校も在ったらしい。
平塚分校跡地にもいずれ機会があれば訪れてみよう。



2015/11/17 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

長狭七福神① 《 毘沙門天 》   長安寺   (2015年10月23日)(千葉県鴨川市) 

10月23日 公休日

この日は鴨川市に出かけました。


吉尾小学校のフェンスにこんな看板が立て掛けられてました。

      20151023長安寺01



また、吉尾小学校の前を走る長狭街道にもこんな看板が建っています。

      20151023長安寺02


こんなモノを見ちゃうと、知らない振りは出来ない。
七福神フリークを自称する者としては、素通りする訳にはいきません。

と言うことで、急遽立ち寄った先は...............長狭七福神 長安寺




長狭七福神は、のどかな田園風景がどこか懐かしく感じられ、
美味しいお米「長狭米」の産地として知られている長狭地区の七つの寺院を巡ります。
狭街道脇を流れる「加茂川」の本流は、「龍の姿」とし、
七つ以上の橋を渡り「七難即滅・七副即生」をいただきます。
そもそも長狭地区とは、主基(すき)・吉尾・大山の3つの地区からなり、
その長狭地区の七つの寺院を巡るのが長狭七福神です。

長狭七福神は

大山寺 恵比寿
白滝山不動教会 大黒天
長安寺 毘沙門天
方廣寺 弁財天
安國寺 福禄寿
真福寺 寿老人
龍江寺 布袋尊 となっています。




こちらが、長安寺の入口。

      20151023長安寺04



寺号標の近くには、こんな手書きの看板が建てられてます。

      20151023長安寺03



こちらが山門。

      20151023長安寺05



ちょうどこの日は境内の植木の手入れの日のようで
数人の植木職人さんがキビキビと動いていました。



山門に掲げられた扁額。

      20151023長安寺06

山号は『冨川山』だから、山号ではないようですね。



こちらが本堂。

      20151023長安寺10

植木屋さんの軽トラが邪魔って言えば邪魔だけど、
今日の目的は本堂じゃないから気にしない。


本堂の扁額。

こちらは、しっかり『長安寺』となってます。

      20151023長安寺09




本日の長安寺の目的はこちら。

      20151023長安寺08

スバリ、長狭七福神の毘沙門天。

お堂は鍵がかけられ、中には入れませんが
ガラス越しに中が覗けます。


ガラスが反射して、ちょっぴり見づらいですが
長狭七福神の毘沙門天です。

      20151023長安寺07

こんな感じで飾られている方が、犬連れで七福神巡りをする者にはありがたい。
かえっ、秘仏が何かで本堂の中に入らないといけないような場合は
ちょっぴり考えちゃいます。


こちらが梵鐘。

      20151023長安寺15









長安寺の山門からたにを挟んで対面に祠が見えます。

      20151023長安寺11



気になるから、足を伸ばしてみると稲荷神社でした。

      20151023長安寺12


正式な神社名(社号)は分からないけれど
地元で大切にされている稲荷社のようです。

狛犬ならぬ、狛狐(?)が個性的。

      20151023長安寺13

柴犬に見えなくもない。


この稲荷社と長安寺の山門、そしてその先の本堂は一直線。

      20151023長安寺14


何か関連でもあるのだろうか?
それとも宗教的な謂れでもあるのだろうか?


そんな事を考えながら、長安寺をあとにするのでありました...............。





2015/11/16 Mon. 17:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........吉尾小学校  (2015年10月23日)(千葉県鴨川市) 

10月23日 公休日

この日は鴨川市に出かけました。

曽呂尋常小学校分教場跡を跡にして、向かった先は...............鴨川市立吉尾小学校


吉尾小学校の詳しい沿革は分かりません。

平成21年吉尾小学校、大山小学校、主基小学校の3校が統合して
新たに小中一貫教育の長狭学園が新設されて廃校となりました。




こちらが吉尾小学校の正門。

      20150123吉尾小学校01



現在は、長狭こども園として長狭幼稚園と長狭保育園の施設として活用されているようです。

      20150123吉尾小学校02



さすがに、幼稚園や保育園では敷地内に入れるのにも抵抗があるし
仮に許可を求めても、まず入らせてはもらえません。

ここは、フェンス越しに吉尾小学校の雰囲気を確認いたしましょう。


長狭街道沿いに建つ吉尾小学校。
フェンスぞいに建っている避難場所の案内には、
かつて吉尾小学校だった証しが残されています。

      20150123吉尾小学校03



長狭街道沿いにある校門。
以前はこちらも使用されていたかと思いますが、 現在はゲートが閉められています。

      20150123吉尾小学校04



門柱には、吉尾小学校の表札。

      20150123吉尾小学校05


      20150123吉尾小学校06

正門の表札は変わっていましたが、こちらの門の表札はそのまま。
このあたりが、学校関係者のささやかな抵抗でしょうか?




ゲート越しに校内を眺めてみます。



鉄筋コンクリートの校舎。

      20150123吉尾小学校07



その隣には体育館。

      20150123吉尾小学校08


体育館の玄関の庇に掲げられた吉尾小学校の校章。
思い切り望遠で寄ってみました。

      20150123吉尾小学校09


      20150123吉尾小学校10



こちらが校庭。

      20150123吉尾小学校11



校門の脇に二ノ宮像がありました。

      20150123吉尾小学校12



ゲートから身を乗り出してみましたが正面じゃないから表情が今一歩。

      20150123吉尾小学校13



こちらはシンボルツリーになるのか?
校庭の片隅にあるイチョウ。
良い感じで色付き始めています。

      20150123吉尾小学校14



再び、正門前にて

      20150123吉尾小学校15


正門前の道路から。

      20150123吉尾小学校16


このアングルが一番校舎らしく見えますね。


敷地内に入れなかったから、学校遺構を確認出来ませんでした。
何より廃校記念碑があるのか? 無いのか?
それも確認出来ず、残念と言えば残念。

でも同じ教育施設、教育機関として再利用されていることは喜ばしいことです。

少子化の波はまだまだ収まりません。
いつまでも、吉尾小学校が長狭こども園として残ってくれることを期待しています...............。






2015/11/16 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............曽呂尋常小学校分教場  (2015年10月23日)(千葉県鴨川市) 

10月23日 公休日

この日は鴨川市に出かけました。


曽呂小学校をあとにして、向かった先は...............曽呂尋常小学校跡


県道89号線を曽呂小学校から県道89号線を長狭街道に向けて車を走らせていると
やがて、こんな看板が目に止まります。

      20151023曽呂尋常小学校分教場01



何やら仰々しい看板ですが、曽呂尋常小学校分教場跡の看板です。

      20151023曽呂尋常小学校分教場02


看板の案内に誘われて、敷地内に足を踏み入れます。

      20151023曽呂尋常小学校分教場03



こちらが、曽呂尋常小学校分教場跡。

      20151023曽呂尋常小学校分教場09


他の方のブログを拝見して、かなり老朽化した木造校舎だとは知っていましたが
確かに..............................思わず言葉が出ない。

      20151023曽呂尋常小学校分教場10

ここで、曽呂尋常小学校分教場跡について触れましょう。


廃校となった本校である曽呂小学校の沿革とリンクさせてみると
曽呂尋常小学校は明治7年に創立された小学校が始まりとされています。

明治7年      小学校創立。のちに西尋常小学校となる。
明治42年     上尋常小学校、宮尋常小学校、西尋常小学校を統合し、
           曽呂小学校が開校する。西尋常小は分教場となる。
昭和22年     学制改革により、曽呂村立曽呂小学校の分教場となる
昭和30年     江見町、太海村、曽呂村が合併して、新たな江見町となる。
           江見町立曽呂小学校の分教場となる(?)
昭和46年     鴨川町、江見町、長狭町が合併して鴨川市誕生。
           鴨川市立曽呂小学校西分校と改称する。
昭和48年     本校に統合して廃校とする

と、このような沿革になるようです。

世間一般では、曽呂尋常小学校分教場と読んでいるようですが
廃校時には、鴨川市立曽呂小学校西分校と言うのが正式校名だったようです。




敷地内には、こんな記念碑。

      20151023曽呂尋常小学校分教場04


      20151023曽呂尋常小学校分教場05


      20151023曽呂尋常小学校分教場06


      20151023曽呂尋常小学校分教場07


      20151023曽呂尋常小学校分教場08

記念碑には、このように記されています。



村の中央までは程遠いので、低学年の児童は本校に通う事ができず、
4年生までは分教場で授業を受ける事に成っていた。

1年から4年までの40人に満たない児童が1つの教室で
1人の先生に教わったのだから、なつかしい想い出は多い。

(水田三喜男自伝「蕗のとう」より)

水田三喜男がこの分教場に通ったのは、明治末から大正初めにかけてである。
本校(曾呂尋常小学校)までは6キロもあるので、
周辺の子供たちはこの分教場へ通学したのであった。

この分教場は1874年、全国的にみてもきわめて早い時期に、
この地域で開校した4つの小学校の1つで、1967年の廃校まで、
90年の長きにわたって郷土の多くの人々を育んだ。

水田三喜男の父信太郎は、1909年曾呂村の村長として、
3つの小学校(上尋常小学校、宮尋常小学校、西尋常小学校)を
曾呂尋常小学校に1本化することに尽力し、県下の各町村に先駆けて近代的校舎を建設、
人々の信頼を得た。この時、本校は上に、分教場は西に置かれた。

曾呂の地が生み、終世この地を愛してやまなかった水田三喜男(1905年~1976年)は
第2次世界大戦後、新憲法による第1回総選挙で衆議院議員に初当選、
以来30年間、連続当選13回、戦後日本の復興に心血を注いだ。
7度に渡る大蔵大臣として、国民生活の安定と日本経済の高度成長のために働く一方、
義務教育費の国庫負担、私学助成など、日本の教育の再生、復興に力を注いだ。

1965年、国と社会に有用な人材育成のために、学校法人城西大学を創立、
政治家としての責務を果たす傍ら、「学問による人間形成」を建学の理念として、
大学の初代理事長および学長の任に当たった。1976年、71歳の若さで急逝した。

この地に生まれ、この分教場で学んで大きく成長した人間水田三喜男の遺徳を偲び、
郷土の人々との変わる事の無い心の交流を祈念して、この碑を建立する。

学校法人城西大学理事長

城西国際大学学長 水田宗子




学校法人城西大学は1965年埼玉県坂戸市に城西大学の創立に続き、
新たに1992年千葉県東金市に城西国際大学を創立した。

2006年には鴨川市に同大学観光学部を開設し、
創立者の故地にその教育への志と夢と情熱とを根づかせようと努めている。

この碑と分教場の近くにあり、2005年に復元された水田三喜男生家は
国の文化財に登録され、多くの見学者が訪れる。







碑は、シンボルツリーとも言えるイチョウの脇に
ひっそりと建てられていました。

      20151023曽呂尋常小学校分教場17


廃校後、しばらくは地域の公民館として使われていたようです。

      20151023曽呂尋常小学校分教場18



大蔵大臣を務め城西大学の創立者の水田三喜男さんが
この学び舎で学んだ児童の一人であることから
元・鴨川市長の本多利夫氏が代表を務める「曽呂尋常小学校分教場再生保存を願う有志一同」と言う有志が
保存に向けて精力的に活動されているとのことです。



しかしながら、明治7年に建てられたとされているこの校舎。
老朽化は進み、危険と言えば危険。
一応、内部には入れない(入らない)ようにロープが張られています。

      20151023曽呂尋常小学校分教場14


      20151023曽呂尋常小学校分教場15




保存されていると言えども老朽化は否めない。
     
とりあえず、明治7年に建てられた木造校舎をじっくり眺めます。

      20151023曽呂尋常小学校分教場12



静寂さの中に、この空間だけ時間が止まっていた感じがします。

      20151023曽呂尋常小学校分教場13



こちらは、同じ木造でも後から増築されたモノでしょうか?
気持ち新しい感じがします。

      20151023曽呂尋常小学校分教場11      



以前は校庭も草が刈られ、しっかりと管理されていた感じがするのですが、
季節柄か? 雑草も伸び始めています。

      20151023曽呂尋常小学校分教場16



恐る恐る、ロープまで行き、中を覗いてみましょう。

      20151023曽呂尋常小学校分教場19

(基本は廃墟マニアではないので、中を覗くなんてことはしないんですけどね。)



窓ガラスが無いのは外から見ても分かるけど
床もかなりヤバそう。

      20151023曽呂尋常小学校分教場20



所々、朽ち果てて抜けている箇所もある。

      20151023曽呂尋常小学校分教場21


確かに危険って言えば危険。


でも、ここまできちゃうと、中々手を入れられず
こんな風になっちゃったと言うのが現実なんでしょうか?


上手く保存出来れば、上手く保存されて行けばいいんですが...............。






県道脇には、秋の代名詞 コスモス。

      20151023曽呂尋常小学校分教場22


ちょっぴり旬は過ぎてしまった感もあるけれど
秋の里山にはコスモスが似合う。

      20151023曽呂尋常小学校分教場23



さて、次なる場所へと移動いたしましょう。




2015/11/15 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........曽呂小学校   (2015年10月23日)(千葉県鴨川市) 

10月23日 公休日

この日は鴨川市へ出かけました。


金杖の滝をあとにして、向かった先は...............鴨川市立曽呂小学校


曽呂小学校は、詳しい沿革はよく分かりませんが
ネットで調べてみると、明治7年に創設された3つの小学校が始まりとされています。
その小学校は、のちに上尋常小学校、宮尋常小学校、西尋常小学校と改称されます。

明治7年      この地区に上尋常小学校、宮尋常小学校、西尋常小学校が開校する。
明治42年    上尋常小学校、宮尋常小学校、西尋常小学校を統合し、
          曽呂小学校が開校する。西尋常小は分教場となる。
昭和22年    学制改革により、曽呂村立曽呂小学校と改称する。
昭和30年    江見町、太海村、曽呂村が合併して、新たな江見町となる。
          江見町立曽呂小学校と改称する。
昭和46年    鴨川町、江見町、長狭町が合併して鴨川市誕生。
          鴨川市立曽呂小学校と改称する。
昭和48年    分教場を本校に統合して廃校とする
平成27年    太海小学校、江見小学校、曽呂小学校が統合して、
          新たに江見小学校が開校して廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。

こちらが、曽呂小学校の正門。

      20151023曽呂小学校01



平成2年に建てられた門柱。

      20151023曽呂小学校02


表札もしっかり残されています。

      20151023曽呂小学校03


      20151023曽呂小学校26





正門から敷地内に入ると、すぐ目に止まるコンクリートの塊。

      20151023曽呂小学校04



何かと思ったら、交通安全運動の自転車競技会の優秀な成績を讃える碑。

      20151023曽呂小学校05



数個あると言うことは、
曽呂小学校はかなり自転車競技に力を入れていたようです。

      20151023曽呂小学校06





正門脇の花壇。

『鴨川市花いっぱい運動』と書かれていますが
廃校となった今では、手入れをする人もいなくて雑草が伸び放題。


      20151023曽呂小学校07



校庭の片隅にそびえるシンボルツリー。

      20151023曽呂小学校08



曽呂小学校の敷地内(と言うか隣接していますが)には曽呂幼稚園があり、
小学校の閉校に併せて、幼稚園も閉園となったようです。




こちらは、曽呂小学校の校歌の碑。

      20151023曽呂小学校10



裏には、曽呂小学校の沿革が刻まれていますが、
たったの4行。
本当はもっと変遷があったはずなのに...............。

      20151023曽呂小学校15



こちらが、廃校記念碑。

      20151023曽呂小学校11


      20151023曽呂小学校12

『 曽呂っ子の 命磨きし学び舎は
この地にありて 永遠に残れる 』

いつまでも、この地を忘れないで欲しいなぁ。





校庭に残る遊具類。


定番の古タイヤ

      20151023曽呂小学校09


ブランコ

      20151023曽呂小学校13


鉄棒

      20151023曽呂小学校14




百葉箱もしっかり残ってました。

      20151023曽呂小学校16


これで二ノ宮像があれば、言うことないんですが、
残念ながら二ノ宮像は見つかりませんでした。




こちらが校舎

      20151023曽呂小学校19


      20151023曽呂小学校22



校舎に掲げられた曽呂小学校の校章。

      20151023曽呂小学校20




こちらは体育館。

      20151023曽呂小学校17



そして校庭。

      20151023曽呂小学校21



海に近い鴨川の市街地から、嶺丘山地を挟んでかなり山あいの曽呂の地。

校庭の隅に、まさかの椰子の木(?)、ソテツ(?)の木には驚かされます。

      20151023曽呂小学校18




校舎の前で、はいポーズ、☆パチリ。

      20151023曽呂小学校23



朝礼台でも、はいポーズ、☆パチリ。

      20151023曽呂小学校24

     

なぜか、校舎の前にコスモスの花。
誰も手入れをしていないのに...............

      20151023曽呂小学校25

ひょっとして、去年の種が芽生えたのだろうか?


ひょっとしたら、毎年この場所に可憐な花を咲かせてくれるのだろうか...............?




2015/11/14 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

金杖の滝  (2015年10月23日)(千葉県鴨川市) 

10月23日 公休日

この日は鴨川市へ出かけました。


旧・江見小学校をあとにして、次なる廃校を目指し
江見から曽呂方面へと続く県道西江見停車場線を走ります。
1車線の対面通行も厳しい狭い県道にこんな看板が現れました。

      20151023金杖の滝01

『滝』と聞いたら、素通りは出来ません。

すぐさま100mほど上った先の空き地(?)に車を止め
看板の場所まで戻ります。

      20151023金杖の滝02


落差23mって、房総一の滝じゃない?

周りを見渡しますが、それらしい滝は無い。

車も走って来ない静寂な山道(県道)。
普通なら滝か落ちる水の音が聞こえるのですが、それも無い。


ふと、看板の先に目を向けると...............

      20151023金杖の滝03


おそらく、これが『金杖の滝』なんだろう。

      20151023金杖の滝04

残念なことに、滝は枯れて見る姿も無惨です。


少し歩いて(結局は車を停めた場所になりますが...............)取水口を覗いてみます。

      20151023金杖の滝05

上流の川は枯れていて、これじゃあ滝に水は流れて来ない訳が分かりました。



県道上には不動明王の石宮が祀ってあります。
おそらく、この滝にまつわるモノでしょう。

      20151023金杖の滝06

明治18年11月建立の不動明王像。
古い歴史のある滝であるようです。







あとで、この『金杖の滝』について調べてみた。

曽呂の高鶴山のふもとにある農業用堰が、山口堰(別名・畑の堰)であり、
ここから流れ落ちるのが、この『金杖の滝』です。
別名『山口滝』とも言うらしい。
農業用ダムが水脈のため、普段は水量が少なく仕方ないとのことです。
真っ白な飛瀑を見たければ、雨上がりに訪れればいいらしい。

なるほど、隠れた房総の幻の滝と言ったところでしょうか...............?




2015/11/13 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........江見小学校  (2015年10月23日)(千葉県鴨川市) 

10月23日 公休日

この日は鴨川市に出かけました。


太海小学校をあとにして、向かった先は...............鴨川市立 旧・江見小学校



江見小学校は、

明治7年      西江見村の浄照寺に西江見小学校を創設。
明治12年      青木小学校を統合。
明治22年     町村制施行により西江見村、東江見村、青木村、内遠野村、真門村、
           仁我浦村が合併して江見村が誕生する。
明治25年    江見尋常小学校と改称する。
昭和8年     江見村が町制施行して江見町となる。
昭和22年    学制改革により、江見町立江見小学校と改称する。
昭和46年    鴨川町、江見町、長狭町が合併して鴨川市が誕生する。
          鴨川市立江見小学校と改称する。
平成27年    江見小学校、太海小学校、曽呂小学校が統合して、
          新たに江見小学校が創設され廃校となる。


と、このような沿革となっています。


敢えて、『旧・江見小学校』としたのは、新たな江見小学校小学校が別な場所に新設されたから
そちらと間違えないようにするためですが
この御時世、統合して新たな小学校が開校する場合、
今までの設備を流用するって言うパターンが多い中、
鴨川市は立派です。新しく学校を建てちゃうんだから。


と言うことで、こちらが旧・江見小学校。


正門です。

      20151023江見小学校01



3月まで現役の小学校。
門柱には、まだ校名が掲げられています。

      20151023江見小学校02


      20151023江見小学校03




正門脇には真新しい石碑。

      20151023江見小学校04

江見小学校と江見幼稚園の廃校、廃園記念碑です。


こちらの江見小学校も敷地内に幼稚園が在ったようです。



裏面には、江見小学校の沿革が刻まれています。

      20151023江見小学校05



校舎全景。

      20151023江見小学校06


      20151023江見小学校07



逆アングルから。

      20151023江見小学校08



こちらは体育館。

      20151023江見小学校09



そして、校庭。

      20151023江見小学校10


      20151023江見小学校11




校舎の前には、二ノ宮像。

      20151023江見小学校12



やっぱり、廃校には廃校記念碑と二ノ宮像がなくっちゃ!

      20151023江見小学校13



二ノ宮像の脇には百葉箱。

      20151023江見小学校14



校庭に残された遊具類。

      20151023江見小学校15


      20151023江見小学校16


      20151023江見小学校17




こちらにも、椰子の木? ソテツの木?

      20151023江見小学校18



房総半島南端の海が近いからなのか?
南国とは言えないけれど、南国の雰囲気は十分。

      20151023江見小学校19



何気に校舎の窓ガラスに『江見小学校 閉校』の文字。

      20151023江見小学校20


きっと、地元の人たちは閉校になって、やるせない気分でいるんだろうなぁ。


特に、何かに再利用されているわけでもなく
現在は、中庭に消防倉庫としてコンテナが置かれています。

      20151023江見小学校21


さて、この旧・江見小学校。
学校としての役割を終え、この先どのような形で再活用されて行くのだろうか?
公民館とか無難な線で落ち着くのだろうか...............?










2015/11/12 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit