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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

利根川河口堰 (2019年5月11日)(千葉県香取郡東庄町) 

5月11日

この日は、香取市の廃校巡りをしていました。
廃校巡りを終え、帰途に着こうとしましたが、
香取市の隣の東庄町で天皇御在位30周年記念のダムカードが手に入る。

せっかくお隣の香取市まで来ているんだから
このまま帰ったんじゃ、もったいない。

という事で、立ち寄った先は…………利根川河口堰。


実は、利根川河口堰は以前訪れた事があります。
その時もしっかりダムカードを貰って帰りました。
(その時の記事は こちら


千葉県と茨城県の県境でもある利根川。

千葉県の東庄町と茨城県の神栖市を繋ぐ利根川大橋。
この利根川大橋が利根川河口堰でもあります。

      20190511利根川河口堰01


利根川河口堰は、昭和46年)1月に竣工した利根川を仕切る堰(河口堰)です。




千葉県側の河口堰下流側より。

      20190511利根川河口堰02



河口堰上流側。

      20190511利根川河口堰03


      20190511利根川河口堰04



280mmの望遠でズームアップ。

      20190511利根川河口堰05



こちらが、利根川河口堰管理事務所。

      20190511利根川河口堰06

ダムカードは、こちらで貰えます。


ダムカードの場合、平日配布が殆どと言えるんですが
こちらの管理事務所では、土日祝日でも警備の方が対応してくれるようです。

無事、ダムカードも頂く事が出来ました。

      20190511利根川河口堰07



管理事務所の前には、利根川河口堰の記念碑。

      20190511利根川河口堰08



こちらが、利根川河口堰の『天皇陛下在位三十周年記念』のダムカード。

      20190511利根川河口堰09


      20190511利根川河口堰10


千葉県下では、こちらの利根川河口堰以外に
北千葉導水路、長柄ダム、東金ダムでも記念のダムカードが貰えるらしい。

頑張って集めちゃおうかな?(笑)。






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2019/07/12 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................旧・府馬小学校 跡(2019年5月11日)(千葉県香取市) 

5月11日

この日は、香取市にやって来ました。

廃校巡りで訪れた 府馬小学校で閉校記念碑の裏面に沿革が刻まれていました。
よく見ると、府馬小学校は昭和63年に移転をしているようだ。
と、言う事は旧・校地はどうなっている?

気になり出すと、抑えきれない悲しい性分(笑)。
探して行ってみるしかないでしょう?


今年の春に廃校となった府馬小学校は、

明治8年      府馬村の修徳院を仮校舎として第36番中学区の府馬小学校を開校する。
明治20年      尋常小学校を設置し、府馬尋常小学校と改称する。
明治28年      高等小学校を併置し、府馬尋常高等小学校と称する。
昭和22年      学制改革により府馬町立府馬小学校と改称する。
昭和29年      府馬町、八都村、山倉村が合併し山田町が発足。
            山田町立府馬小学校と改称する。
昭和63年      山田町府馬3492-4番地(現在地)に移転。
平成18年      山田町、佐原市、小見川町、栗源町が合併して香取市が発足。
            香取市立府馬小学校と改称する。
平成31年      旧・山田町域の小学校を統合して山田小学校が開校。
            府馬小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。
確かに、昭和63年に校地を移転している。
ならば、修徳院なるお寺の近くになる校地を探してみましょう。


修得院の隣には、府馬保育園があり、
そちらが、旧・府馬小学校の校地になります。
まあ、簡単に言えば、『旧・府馬小学校跡地に府馬保育園が出来た』と言うことになります。


こちらが、府馬保育園。

      20190511旧・府馬小学校跡01


その正門になります。

      20190511旧・府馬小学校跡02

この日は、土曜日。
保育園も休みのようで、門扉は固く閉められています。


フェンス越しに眺める保育園。

      20190511旧・府馬小学校跡03

たまたま通りかかった御老人に府馬小学校の事を訊いてみたら
間違いなく、府馬保育園のある場所が旧・府馬小学校の敷地だと言う事です。

但し、旧・府馬小学校の敷地の全てが保育園になった訳ではなく、
その大部分が保育園になりましたが、一部は公園となっているようです。



こちらが、その公園。

      20190511旧・府馬小学校跡04


じゃ〜ん!!

      20190511旧・府馬小学校跡05


公園には、『府馬小学校跡』と記された碑が建っていました。

      20190511旧・府馬小学校跡06


      20190511旧・府馬小学校跡07

間違いなく、この地が昭和63年まで府馬小学校でした。



公園と保育園は、金網のフェンスでは遮られ、中には入れません。

      20190511旧・府馬小学校跡08



公園から眺める保育園。

      20190511旧・府馬小学校跡09


こんな感じで校舎は建っていたんでしょうか?

      20190511旧・府馬小学校跡10


公園そのものは、そんなに広くはない。

      20190511旧・府馬小学校跡11


公園にさっそうと聳えるイチョウの木。

      20190511旧・府馬小学校跡12

きっと、旧・府馬小学校のシンボルツリーだったんだろう..................。






2019/07/11 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............東大社  (2018年4月8日)(千葉県香取郡東庄町) 

4月8日

この日は、香取市周辺の神社の御朱印巡りに出かけました。

東庄町まで足を伸ばし、向かった先は...............東大社


東大社は、東庄町宮本に鎮座する神社です。

第12代景行天皇が皇子日本武尊の東国征討の跡を巡幸した際に、
春臣命に命じて一社を造営し、玉依姫尊を祀って東海の鎮護としたことが始まりとされています。

次回は2030年の予定。なお、当社・雷神社・豊玉姫神社の三社は

東総御神幸三社の1社であり、香取市の豊玉姫神社、旭市の雷大神と共に
20年に1度、銚子市の外川の浜に神輿渡御が執り行われています。
次回は2030年の予定との事です。

御祭神は、玉依毘賣命(たまよりひめのみこと=玉依姫尊)
そして、鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)を相祀しています。

また、雷神社の御祭神である別雷神は玉依姫の子であり、
豊玉姫神社の御祭神である豊玉姫命は玉依姫の姉で、
鵜葺草葺不合尊の母という関係にあります。



こちらが、東大社の社号標。

      20180408東大社01



こちらが、東大社の鳥居。

      20180408東大社02

鳥居の背後には、神社幟。
この日は神社幟立しています。



鳥居に掲げられた神額。

      20180408東大社03



神社幟。

      20180408東大社04

この神社幟は、祭礼の時などに立てられるもの。
次の土曜日(4月14日)が東大社の祭礼のようです。



参道を進み、参拝いたしましょう。

      20180408東大社05



手水舎。

      20180408東大社06



由緒書き。

      20180408東大社07



こちらの説明板は、20年に一度の『式年大神幸祭』について触れています。

      20180408東大社08

この場所から、銚子の外川の浜まで神輿が繰り出されます。



何やら人が集まっています。

      20180408東大社09



次の土曜日の祭礼に向けて、
氏子さんたちが神輿の点検と整備をしています。

      20180408東大社10


      20180408東大社11


      20180408東大社12



社殿(拝殿)前にて。

      20180408東大社



こちらが、拝殿。

      20180408東大社13



拝殿正面。

      20180408東大社14



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20180408東大社15



こちらが、本殿。

      20180408東大社16



拝殿前の狛犬。

      20180408東大社17


      20180408東大社18



社殿脇にも人が集まっています。

      20180408東大社19



どうやら、社殿脇で弓道大会が行われているようです。

      20180408東大社20



静寂な中、弓を射る音が響きます。

      20180408東大社21

邪魔にならないように、
音を立てないように静かに見学します。


拝殿前の天水桶。

      20180408東大社22



神楽殿。

       20180408東大社23


    
こちらは、参集殿?

      20180408東大社24



旧・社務所になるのでしょうか?
不明な建物。

      20180408東大社25



境内社。

      20180408東大社26



本殿裏手には、裏参道の手水舎。

      20180408東大社27



本殿裏手の弓の的。

      20180408東大社28



的の近くにも境内社があるのですが
弓を射っているため近寄れない。

      20180408東大社29


境内に鎮座している野見宿禰の像。

      20180408東大社30

野見宿禰は相撲の始祖と言われているそうです。



そして、その脇には力石。

      20180408東大社31



裏参道の神橋。

      20180408東大社32

裏参道は、鬱蒼と茂った杉木立の道。



境内には、芭蕉の句碑も建てられています。

      20180408東大社33



御神木。

        20180408東大社34
      20180408東大社35



神輿の前にはたくさんの氏子さんが居るけど
肝心の宮司さんが居ない。
氏子さんに訊いてみると、さっきまで居たのだが
どうやら自宅へ戻ってしまったらしい。

氏子さんに宮司さん宅を教えてもらい、
すぐ近くの宮司さん宅を訪れて御朱印をお願いします。



宮司さん宅に貼られていた祭礼のポスター。

      20180408東大社36



こちらが、東大社の御朱印。

      20180408東大社37



祭礼の準備で忙しいなか、ありがとうございました。



2018/05/23 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............神崎神社 (2018年1月9日)(千葉県香取郡神崎町) 

1月9日

初詣に成田市の埴生神社へ出かけたこの日。

せっかく成田まで来たのだから、近隣の神社を巡って御朱印をいただこう。
せんな事から、成田市近郊の御朱印巡りとなりました。

魂生神社(魂生大明神)をあとにして、向かった先は...............神崎神社



神崎神社は、天武天皇の白鳳二年、常陸国と下総国の境の
大浦沼二つ塚より現在の地に遷座したそうです。
旧号を子松神社と称し、平安時代の史書「三代実録」にも記載されており、
以後、六所鎮守・神崎大明神・神崎大社等と称されていましたが、
明治元年以降、神崎神社と改められたそうです。
元亀・天正のころまで神領七百町歩を有し、
徳川時代は代々御朱印二十石を寄せられたそうです。
明治6年に郷社に列せられ、大正10年、県社に昇格しました。
産業守護、交通安全、航空・航海安全の神として広く信仰されています。

七千坪あまりの境内は、神崎森と呼ばれ、山の姿が『ひょうたん』に似ているところから、
『ひさごが丘』『ひょうたん山』『双生山』『双子山』などとも呼ばれています。
常緑の原生林で、学術上も貴重なめずらしい森林植物相をもち、
シイ・ツバキ・クス・カシ・ケヤキ・エノキ・スギなどの大木が、
うっそうと桂冠をなしています。
昭和10年に、神崎神社一帯の森が千葉県の天然記念物に指定されました。

神崎町の北端、利根川をのぞむ小高い神崎森の上にある神崎神社の境内の通称「なんじゃもんじゃの木」は、
水戸光圀公が「この木は何というもんじゃろうか」と自問自答したとされる伝承で有名な樟の木で、
神崎町のシンボルとして神社を訪れる人に親しまれているそうです。


神崎神社の駐車場に車を停めて、いざ参拝!と思ったら
駐車場には、こんな貼り札。

      20180109神崎神社01

『犬を連れての入山禁止』


ならば、社号標の前まで。


こちらが、神崎神社の社号標。

      20180109神崎神社02


鳥居を挟んで反対側にも石柱。
古い社号標かと思ったら、こちらは 神崎の森 の碑でした。

      20180109神崎神社03

しっかりと 千葉県指定 天然記念物 と刻まれています。



こちらが、鳥居。

      20180109神崎神社04

びいすけ は、ここまで。
申し訳ないけれど、駐車場の車の中で留守番をしてもらいます。



改めて、神崎神社の鳥居。

      20180109神崎神社05


鳥居前の狛犬。

      20180109神崎神社06


今さらながらに気づきましたが
左右の狛犬って、口を開いているか?
口を閉じているか?の違いだけだと思ったら
足元も違うんですね。

      20180109神崎神社07


では、参道の石段を上りながら、参拝いたしましょう。


参道に建つ神崎神社の説明板。

      20180109神崎神社08


参道の境内社。

      20180109神崎神社09


さらに続く石段。

      20180109神崎神社10



石段の中腹、こちらにも犬禁止の看板。

      20180109神崎神社11

以前は近隣の方々の犬の散歩コースだったんでしょうか?



石段途中の狛犬。

      20180109神崎神社12



石段を上りきった所に鎮座する狛犬。

      20180109神崎神社13



そして、社殿前の狛犬。



神崎神社には4対の狛犬が鎮座しているようです。

      20180109神崎神社22




石段わ上りきれば、境内。

      20180109神崎神社14



こちらが、拝殿。

      20180109神崎神社15



拝殿前には朱印の拡大版?

      20180109神崎神社16



何と賽銭箱の上にプラケース。
中には書き置きの御朱印が入ってます。

      20180109神崎神社17

初穂料は賽銭箱に入れるシステムになっています。




拝殿前の桶(?)

      20180109神崎神社18

何て言うのか知らないんだよなぁ。


拝殿の鬼瓦。

      20180109神崎神社19


別アングルからの拝殿。

      20180109神崎神社31



こちらが本殿。

      20180109神崎神社20



手水舎。

      20180109神崎神社21



こちらは社務所のようですが、閉まってます。

      20180109神崎神社23



神崎神社の境内には国指定の天然記念物の『なんじゃもんじゃ』の木があります。
こちらは、その碑。

      20180109神崎神社24




そして、 なんじゃもんじゃ の木。

         20180109神崎神社25
         20180109神崎神社26
       20180109神崎神社27




別アングルから。

        20180109神崎神社28
      20180109神崎神社29



1本の木に見えますか
実際には3本の木が、いつの間にか合体してしまったようです。

      20180109神崎神社30


なんじゃもんじゃの木 の説明板。

      20180109神崎神社33

こちらには、神崎神社の大クス として説明されています。
  


    
境内社の地主稲荷。

      20180109神崎神社32


      

境内の摂末社。

      20180109神崎神社34



こちらのお堂は安産子育聖観音。

      20180109神崎神社35



境内には、神崎神社の古い説明板も建っています。

      20180109神崎神社36


本殿近くの藪に、なぜかオリエンテーリングのポスト。

      20180109神崎神社37

この神崎神社の森もオリエンテーリングのコースになっていたんですね。
平成のこの時代、今じゃオリエンテーリングなんてすっかり廃れて忘れ去られている。
でもオリエンテーリング、好きだったなぁ。


こちらが、神崎神社の御朱印。

      20180109神崎神社38

書き置きの御朱印。
せっかく由緒ある神社なのに、書き置きの御朱印って寂しい気もします。

日付は後で書き足して、御朱印帳に貼り付けました。
墨書きの御朱印が欲しかったなぁ。


2018/02/27 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

道の駅 《 多古 》 (2017年12月9日)(千葉県香取郡多古町) 

12月9日

この日は、銚子市に出かけました。


自宅から銚子までは約60km。
車で移動すれば、2時間超のドライブになります。

銚子方面に出かける際に、よく立ち寄る道の駅。
今回も、そちらに立ち寄りました。
立ち寄った先は...............道の駅 多古

      20171209道の駅 多古01


      20171209道の駅 多古02


平成29年12月現在、千葉県内には28ヶ所の道の駅がありますが
こちらの『道の駅 多古』は、平成13年に千葉県では10番目の道の駅として登録されています。


この日は、土曜日ですが朝早い(開店前)ため
訪れる人はまだ少ない。

      20171209道の駅 多古03


駐車場には、道の駅 多古 の案内図。

      20171209道の駅 多古04


道の駅 多古 の施設全景。

      20171209道の駅 多古05


テントでちょっとしたイベントでもするのでしょうか?

      20171209道の駅 多古06


      20171209道の駅 多古07


こちらが物産館である、『あじさい館』。

      20171209道の駅 多古08


オープンの9時になりました。
中に入ってみましょう。
店内には、地元産の野菜が並びます。

      20171209道の駅 多古09


      20171209道の駅 多古10


特産品も棚に並んでいます。

      20171209道の駅 多古11

道の駅の切符は、『あじさい館』のレジで購入出来ます。



こちらがレストラン。

      20171209道の駅 多古12


テラス席もあるようですが...............

      20171209道の駅 多古13


残念ながら、ぺはNG。

      20171209道の駅 多古14



レストランの2階が情報コーナー。

      20171209道の駅 多古15



道の駅のスタンプは、情報コーナーの一角に在りました。

      20171209道の駅 多古16


情報コーナーには、ちょっとした休憩エリアもあります。

      20171209道の駅 多古17
 

あじさい館の裏手には喫煙所。

      20171209道の駅 多古18

こちらにもテラス席があるから、
犬連れは、こちらで休憩かな...............?


道の駅の脇を流れる栗山川。

      20171209道の駅 多古19



毎年、6月の紫陽花の時期になると、栗山川の岸辺には紫陽花の花が咲き誇り、
栗山川には観光船も運行されます。

      20171209道の駅 多古20


たまたま、この日出会ったワンちゃん。

      20171209道の駅 多古21

ビーグルとダルメシアン。
千葉県の流山だったかな?
そちらから遊びにきたそうです。



こちらが、道の駅の切符。

      20171209道の駅 多古22


      20171209道の駅 多古23



こちらが道の駅のスタンプ。

      20171209道の駅 多古24


      20171209道の駅 多古25


今まで、何気に何度かトイレ休憩に利用した道の駅。
じっくり道の駅を探索したことがなかった。
情報コーナーの休憩エリア。
犬連れでは入れないけれど、ちょっとした穴場かもしれない...............。





2018/01/28 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

道の駅 《 発酵の里 こうざき 》 (2017年11月11日)(千葉県神崎町) 

11月11日

茨城県の稲敷市に出かけたこの日。
稲敷市からは、利根川を渡って千葉県に入ります。

利根川沿いに車を走らせていると、こんな看板が視界に入ってきました。

      20171111道の駅 発酵の里 こうざき01


道の駅 発酵の里こうざき。

トイレ休憩も兼ねて立ち寄りましょう。

      20171111道の駅 発酵の里 こうざき02



広い駐車場にある案内板。

      20171111道の駅 発酵の里 こうざき03



駐車場の入口には、発酵食品代表格の味噌樽?

      20171111道の駅 発酵の里 こうざき04



ほとんどの施設には 毘沙門天は入れないけれど
道の駅を探索いたしましょう。

      20171111道の駅 発酵の里 こうざき05



仮設テントが張られたイベント会場。

      20171111道の駅 発酵の里 こうざき06



地元の特産品の農業フェスタのようです。

      20171111道の駅 発酵の里 こうざき07



こちらは、物産展。

      20171111道の駅 発酵の里 こうざき08



びいすけ は外で待機してもらい、
急いで店内を物色します。

      20171111道の駅 発酵の里 こうざき09


銚子漁港が近いと言えば近いから、鮮魚コーナーもある。

      20171111道の駅 発酵の里 こうざき10


でも主役は、地元産の野菜類。

      20171111道の駅 発酵の里 こうざき11



キャベツと大根が安い!

      20171111道の駅 発酵の里 こうざき12

迷わす、お買い上げ〜!



こちらは、レストラン。

      20171111道の駅 発酵の里 こうざき13

小腹が空いたから入りたかったけれど、テラス席が無いからだんねん。



その隣は発酵館。

      20171111道の駅 発酵の里 こうざき14


入口には、やはり発酵食品の代表格の味噌樽が置かれています。

      20171111道の駅 発酵の里 こうざき15



発酵館の入口脇には道の駅のスタンプコーナー。

      20171111道の駅 発酵の里 こうざき16



店内には発酵食品のオンパレード。

      20171111道の駅 発酵の里 こうざき17


      20171111道の駅 発酵の里 こうざき18


      20171111道の駅 発酵の里 こうざき19

《発酵の里こうざき》の名はダテじゃ無い。

道の駅の切符もこちらで販売中。
当然、手に入れました。



発酵館の隣の建物。

      20171111道の駅 発酵の里 こうざき20



なぜか、道の駅にコンビニがある。

      20171111道の駅 発酵の里 こうざき21

まるで、高速道路PA。


コンビニでもちょっくらお買い物。
空いているテーブル席を確保して、小腹を満たしましょう。

      20171111道の駅 発酵の里 こうざき22


パンを食べていると、視線を感じます。

      20171111道の駅 発酵の里 こうざき23



仕方ないなぁ...............
ちょっとだけだよ。

      20171111道の駅 発酵の里 こうざき24



飛び付く びいすけ 。

      20171111道の駅 発酵の里 こうざき25



なぜか、セスナ機まで置いてある。

      20171111道の駅 発酵の里 こうざき26



道の駅 発酵の里こうざき のオリジナルゆるキャラ。

      20171111道の駅 発酵の里 こうざき27

なんじゃもん と言うらしい。



こちらが、発酵館で手に入れた 道の駅の切符。

      20171111道の駅 発酵の里 こうざき28


      20171111道の駅 発酵の里 こうざき29



そして、道の駅 発酵の里こうざき のスタンプ。

      20171111道の駅 発酵の里 こうざき30


考えてみたら、千葉県の道の駅は私にとってまだまだ未開拓。
確か最近の話ですが、君津の方にも新しい道の駅がオープンしたらしい。

千葉県内の道の駅もいっぱい巡ることにしましょう。




2017/12/28 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............多古第二小学校 (2016年7月20日)(千葉県香取郡多古町) 

7月20日 公休日

この人は、栄町、東庄町、匝瑳市と北総地区をぐるっと廻っていました。

匝瑳小学校をあとにして、向かった先は...............多古町立多古第二小学校



多古第二小学校は

明治9年    多古小学校分校として開校。
明治18年   多古小学校より分離。 
         飯笹小学校を統合して中等科小学喜多小学校と改称する。
明治22年   旭尋常小学校と改称する。
明治37年   一鍬田分校を設置する。
明治42年   多古第二尋常小学校と改称する。
昭和22年   学制改革により多古町立多古第二小学校と改称する。
昭和61年   一鍬田分校を統合する。
平成28年   多古第一小学校に統合され廃校となる

と、このような沿革となっています。






こちらが、多古第二小学校の正門(?)

      20160720多古第二小学校01

おそらく、古い石造りの門柱だから
こちら側がかつての正門だったのでしょう。
校舎側から見ると、校庭の奥に位置するから
現在は、どちらかと言うと通用口になるのかな?
駐車場もあるし................。
正面の門扉はしっかり施錠されているけれど
左側の門扉は駐車場の入口だから、開いてるし...............。



駐車場にしっかりと車を停めて、見学いたしましょう。


校庭越しに校舎を眺めます。

      20160720多古第二小学校02


      20160720多古第二小学校03



鉄筋コンクリート二階建の校舎ですが、そんなに大きくはない。

      20160720多古第二小学校04


      20160720多古第二小学校05




      20160720多古第二小学校06



正面玄関。

      20160720多古第二小学校07




玄関庇には、大きな文字で『多古町立多古第二小学校』。

      20160720多古第二小学校06



玄関前の一画。

ここは待望のエリア。
廃校記念碑と二ノ宮像かお出迎え。

      20160720多古第二小学校08



廃校記念碑。

デザイン的に匝瑳小学校のモノと似ています。

      20160720多古第二小学校09



裏面には沿革。
これまた、歴史が分かって親切この上ない。

      20160720多古第二小学校10



こちらは、校歌の碑

      20160720多古第二小学校11



そして、こちらが二ノ宮像。

      20160720多古第二小学校12



この二ノ宮像。
何か雰囲気が違う。

      20160720多古第二小学校13

今まで数多くの二ノ宮像を見てきたけど
こんなに『ずんぐりもっくり』な二ノ宮像は初めて。



卒業記念のオブジェ?

      20160720多古第二小学校14



昭和38年とか39年って書かれているからそれなりに年季が入ってます。

      20160720多古第二小学校15



そして、教材用の丸ポスト。

      20160720多古第二小学校16

北総地区の小学校には、なぜかこの丸ポストが置かれているのが多い。



こちらは、体育館。

      20160720多古第二小学校17




広い校庭。

      20160720多古第二小学校18



そして、校庭には遊具類。

      20160720多古第二小学校19


      20160720多古第二小学校20


      20160720多古第二小学校21


      20160720多古第二小学校22


      20160720多古第二小学校23




びいすけ も古タイヤの上でハイ、ポーズ。

      20160720多古第二小学校24


      20160720多古第二小学校25


      20160720多古第二小学校26



朝礼だ。

      20160720多古第二小学校27



そして、お約束(?)の防災倉庫。

      20160720多古第二小学校28



車止めがあるから、こちらが実際に子供たちが利用した門でしょう。

      20160720多古第二小学校29

コンクリート造りだから、昭和の頃に建てられてモノでしょう。



校庭は、適度に芝生が伸び、適度に刈られている。

      20160720多古第二小学校30

おそらく、グランドゴルフか何かのグランドとして利用されているのでしょう。



時刻も16時を回ったけれど、日も随分と長くなってきた。

      20160720多古第二小学校31


西陽がキツイ季節になってきた。
でもこの芝生が びいすけ は気に入ったようです。

もうちょっと、芝生を堪能させてから帰ることにしよう...............。





2016/08/21 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............東城小学校夏目分校 (2016年7月20日)(千葉県香取郡東庄町) 

7月20日  公休日

この日は、東庄町へと出掛けました。

利根川河口堰をあとにして、
向かった先は...............東庄町立東城小学校夏目分校


夏目分校は

明治9年夏目禅浄院に開校された夏目小学校が始まりとされています。

明治37年東城高等小学校を城山福聚寺に設立されます。
この東城高等小学校が後々の東城小学校となります。
時期は不明ですが、夏目小学校は東城高等小学校の分校となります。

昭和22年     学制改革により、東城村立東城小学校夏目分校となる
昭和30年     町村合併により、東庄町立東城小学校夏目分校と改称する
昭和49年     本校に統合され、夏目分校は60年の歴史を閉じ廃校となる。

と、このような沿革のようです。


実は、この夏目分校。
詳しい資料もなく、東城小学校のHPの沿革に
僅かながらにその存在が示されていますが
詳細は不明です。

どこに在ったかも分かりませんでしたが、
夏目集落で地元のご年配の方に伺ったら
詳しい場所を教えてもらうことが出来ました。

東庄町にある『東庄県民の森』近くにある東庄町児童館が
かつての夏目分校だと言う事です。


県民の森の駐車場側にある入り口。
こちらは児童館の駐車場となっているため
夏目分校時には通用口だったかもしれません。

      20160720夏目分校01



こちらの門柱には、『東庄町児童館』とプレートが組みこまれているから
児童館の駐車場を整備する際に設けられたモノかもしれません。

      20160720夏目分校02



こちらが夏目分校の全景。

      20160720夏目分校03

残念ながら、正面の建物は往時のモノではありません。
東庄町役場の方に訊いたら、夏目分校の廃校後、しばらく施設は
東庄幼稚園の分園(夏目地区の保育所?)として使われていたようです。


      20160720夏目分校04



児童館になって、建物は建て替えられたそうです。

      20160720夏目分校08
      



こちらが正門だったようです。

      20160720夏目分校05


石造りの古い門柱が残っています。

      20160720夏目分校06



じっくり眺めると...............

大正4年と刻まれています。

      20160720夏目分校07



二ノ宮像や廃校記念碑が残っていないか?
じっくり探索したかったんですが、
学校は、もう夏休みに入ったんだろうか?
やたらと児童館には子供たちが多い。

犬連れとしては、気を使います。

まぁ、廃校跡が幼稚園や児童館になっているってパターンもあるから
気を使うパターンも多い。


敷地内の橋の跡?

      20160720夏目分校09

用水が何かが在ったようですが、今は埋められているみたいです。


コンクリートには、『学校橋』(右から左へ読んでくださいね)。

      20160720夏目分校10

学校跡を如実に残す遺構です。


残念ながら、『廃校記念碑』や『学校跡の碑』の類い、
二ノ宮像や校舎建立の記念碑等は全く無い。


かつての校庭跡も綺麗な芝生の広場。

      20160720夏目分校11



この藤棚は昔からあったのだろうか?

      20160720夏目分校12




校庭跡(芝生広場)にある遊具類はどう見ても
今から49年前のモノには見えそうもない。

      20160720夏目分校13



児童館になった時に設置されたモノなんでしょうね。

      20160720夏目分校14


統合先の東城小学校は、ここから1kmほどの所にあるから
この地区の子供たちも通学には苦労しないかとは思うけれど
かつての夏目村、現在の夏目集落に学校が在ったことは忘れずにいよう...............



2016/08/19 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

ダムカードを集めよう  《 利根川河口堰 》 (2016年7月20日) (千葉県香取郡東庄町) 

7月20日  公休日

最近、ハマりだしたダムカード集め。
千葉県の利根川流域にダムカードを配布している場所があると知り
長門川公園から向かった先は...............利根川河口堰


利根川河口堰は、千葉県香取郡東庄町および茨城県神栖市にまたがり、
利根川を仕切る堰(河口堰)です。
昭和40年12月に着工し、昭和46年1月に竣工しました。
総事業費は125億円。常陸川水門と黒部川水門に隣接しています。

総延長835メートルで、2門の調節門、7門の制水門などを擁し、
利根川下流における首都圏の利水上の重要施設として位置づけられています。


河口堰近くにある管理事務所。
ダムカードはこちらで配布されています。

      20160720利根川河口堰01


ちょうどお昼休みでしたが、職員の方が丁寧に応対してくれました。

ダムカードと一緒にもらったファイル。

      20160720利根川河口堰02



こちらが、ダムカード。

      20160720利根川河口堰03




利根川の千葉県側(東庄町)から眺める利根川河口堰。

      20160720利根川河口堰04


      20160720利根川河口堰05



堤防からだと距離があるから、ダムカードと並べても
イマイチ解りづらい。

      20160720利根川河口堰06



望遠レンズでズームアップしてもイマイチ。

      20160720利根川河口堰07



せっかくだから、利根川河口堰の近くへ行ってみましょう。


河口堰手前。
水門で遮っているから、遡上する魚のための水路が設けられています。

      20160720利根川河口堰08


      20160720利根川河口堰09



水門手前で魚用の水路は迂回するように設けられています。

      20160720利根川河口堰10


      20160720利根川河口堰11



この辺りが限界点。
これより先は立ち入り禁止。

      20160720利根川河口堰12


利根川河口堰そのものが利根川大橋として千葉県の東庄町と茨城県の神栖市を結んでいますが
歩いて渡るのはちょっぴり勇気がいりそう。

とりあえず、堤防に戻ります。


堤防には駐車場もあり、記念碑も建っています。

      20160720利根川河口堰13

とは言いながらも、利根川河口堰の記念碑ではなく
天保水滸伝の石碑です。


『利根の川風袂に入れて月に棹さす高瀬舟』と刻まれています。

      20160720利根川河口堰14


こちらの石碑は説明文が刻まれています。
碑文によれば、『利根の川風袂に入れて月に棹さす高瀬舟』と言う石碑の文字は、
田中角栄の書による句碑だそうです。

      20160720利根川河口堰15

実は、この石碑のある駐車場(公園?)は、
1年前に『天保水滸伝』の所縁の地と言う事で訪れていました。


駐車場に隣接する黒部川水門。

      20160720利根川河口堰16

こちらも利根川増水時の黒部川への逆流を防ぐ目的と
黒部川に塩水(海水)が遡上するのを防ぐ役割をしているそうです。

人間の英知とでも言えるのでしょうか。
遥か昔から、利根川の氾濫に悩まされてきたこの地区。
今は、この利根川河口堰によって守られているのでしょう。



改めて、利根川河口堰のダムカード。

      20160720利根川河口堰17


      20160720利根川河口堰18


よ〜く見ると、Ver.2となっています。
もっと早くダムカードの存在を知っていれば
Ver.1のダムカードも手に入ったかもしれないなぁ...............。





2016/08/18 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

偶然見つけた小学校跡  (2016年2月10日)(千葉県香取郡東庄町) 

2月10日 公休日

個人的な連休初日。

この日は香取市の『さわらの雛めぐり』に行き、その足で東庄町の公園を散策いたしました。
東庄町ふれあい公園の駐車場に車を停めて、公園を散策しようとしたら
いきなり、こんな石碑が目に入ってきた。

      20160210旧・神代小学校跡01


旧・神代小学校跡の碑です。

      20160210旧・神代小学校跡02

どうやら、東庄町ふれあい公園の一部は旧・神代小学校の校地だったようです。


碑に刻まれている文面をじっくり読むと...............

明治8年、旧・神代村の北部地区は窪野谷に小学校を創設し窪谷小学校と称する。
また、南部地区は大久保村東徳寺の客殿を仮校舎として創立し、後に上代校と称する。
この2校が後の神代小学校となり、この地に明治31年より昭和54年まで
神代小学校として学び舎が在ったようです。


神代小学校はまだまだ現役の小学校で(廃校ではありません)
神代小学校のHPによれば

明治8年     第1大学区第33番中学校区小学第12校として
          大久保村東徳寺の客殿を仮校舎として開校、後に上代校と称する。
          これと前後して北部地区は窪野谷に小学校を創設し,
          後の校名を窪谷(アコク)小学校と称する。
明治10年    上代校は公立上代校と称する。
明治20年    上代尋常小学校と改称。
明治31年    上代、窪谷の両小学校を統合し,神代村東和田に新校舎を建築移転。
          神代尋常小学校と改称する。
明治31年    神代尋常高等小学校と改称
昭和22年    神代村立神代小学校と改称
昭和30年    笹川町、神代村、橘村、東城村が合併して東庄町が誕生。
          東庄町立神代小学校と改称する。
昭和54年    旧・神代中学校跡地に新校舎を建築して移転する

と、このような沿革のようです。


      20160210旧・神代小学校跡03



ふれあい公園の集会所。

      20160210旧・神代小学校跡04

こんな感じで校舎は建っていたのだろうか?



集会所の前の花壇の花は、神代小学校の児童が植えたそうです。

      20160210旧・神代小学校跡05


こちらが、校庭跡。

      20160210旧・神代小学校跡06

ふれあい公園の多目的広場となり、
この一画はグランドゴルフのコース(コート?)になっているようです。




校庭跡に在る平和の塔の標柱。

      20160210旧・神代小学校跡07

神代小学校に関連するものなのでしょうか?



多目的広場(校庭跡)に立つ桜の木。

      20160210旧・神代小学校跡08

神代小学校時代からの桜の木なのか?
はたまて公園整備時に植えられたものなのか?
微妙な大きさです。



多目的広場の隅にベンチと一緒に並べられた椅子。

      20160210旧・神代小学校跡09

見た感じは、学校の教室にある椅子のようにも見えるんだけどなぁ。
でも学校移転から37年。
37年間雨ざらしって事はないかな?



こちらの一画には錆びて朽ちた椅子。

      20160210旧・神代小学校跡10

やっぱり、神代小学校時代の椅子なのかなぁ?




広い校庭跡。

      20160210旧・神代小学校跡11



ロングリードを着けているから、走れば良いのに走らない びいすけ 。

      20160210旧・神代小学校跡12


この広いグランド(多目的広場=校庭跡)を走れば
気持ち良いと思うんだけどなぁ...............


偶然見つけた小学校跡地。
何か得した気分です。



2016/02/24 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

東庄町ふれあい公園     (2016年2月10日)(千葉県香取郡東庄町) 

2月10日  公休日

個人的な連休初日。

この日は香取市に出掛けました。
香取市からちょっと足を伸ばして東庄町へ。

向かった先は...............東庄町ふれあい公園

      20160210東庄ふれあい公園01


公園案内図を探したけれども見つからない。
その代わりに凄いモノを見つけちゃったけれど
それは、明日にでもアップいたしましょう。


駐車場の隣は広い多目的広場。

      20160210東庄ふれあい公02

その広場の一部は、グランドゴルフのコート(?)となっており
大会も開かれているらしい。



案内板発見!
ピクニック広場、アスレチック広場、ローラーサーキットが、あるらしい。

      20160210東庄ふれあい公03


とりあえず、ピクニック広場に行ってみましょう。

階段を下った先に、芝生広場が見えます。

      20160210東庄ふれあい公04

どうやら、ピクニック広場のようです。


匂いを嗅いで、マーキング。

      20160210東庄ふれあい公05

意外にワンちゃんの散歩コースになっているんでしょうか?


芝生の上を気持ち良く闊歩する びいすけ 。

      20160210東庄ふれあい公06



やっぱり、犬も芝生は気持ち良いみたいです。

      20160210東庄ふれあい公07


芝生広場でウンチをして、軽くなった(?) びいすけ 。
ピクニック広場から里山風景の広がる敷地内を移動します。

      20160210東庄ふれあい公08


      20160210東庄ふれあい公09


      20160210東庄ふれあい公10



こちらは、ローラーサーキットのようです。

      20160210東庄ふれあい公11

要するにローラースケート場のようですね。
但し、利用する人は居ないのか?
雑草が所々に生えていたりします。



高台から覗くローラーサーキット。

      20160210東庄ふれあい公12




こちらが、アスレチック広場。

      20160210東庄ふれあい公13

子供が喜びそうなアスレチックの遊具が設置されています。


滑り台があれば、喜んで(?)上がって行く びいすけ ですが
残念ながら滑り台は在りません。

こんな丸太の上に上がって、はいポーズ ☆パチリ。

      20160210東庄ふれあい公14


      20160210東庄ふれあい公15


      20160210東庄ふれあい公16



こちらの丸太の平均台も軽やかにこなします。

      20160210東庄ふれあい公17



アスレチック広場からは急斜面。

      20160210東庄ふれあい公18


がんばれ! びいすけ 。

      20160210東庄ふれあい公19



斜面を登りきれは、ふれあい公園の脇の出入り口。
駐車場まではまだまだ距離はありますよ。

      20160210東庄ふれあい公20


なんだかんだで、小一時間。
ふれあい公園を散策いたしました。






2016/02/23 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

石出堰親水公園   (2016年2月10日)(千葉県香取郡東庄町) 

2月10日 公休日

個人的な連休初日。

この日は香取市に出掛けました。

『さわらの雛めぐり』を満喫(?)した後は
空腹を満たすために一路、東庄町へ...............

以前から気になっていたお店、『 魚信家 』。

       20160210石出堰親水公園01


お店の前のメニュー看板。

       20160210石出堰親水公園02


お目当は、ズバリ こちら。

       20160210石出堰親水公園03



びいすけ には申し訳ないけれど、車の中で待ってもらいます。


オーダーは当然、どデカちらし。

       20160210石出堰親水公園04


蓋を開けると、こんな感じです。

       20160210石出堰親水公園05

この内容で1080円(税込)は、安い!!

食べ応えもあるし、満足感100%で びいすけ の待つ車に戻りました。



さて、お腹も満たされたことだし、
東庄町に来たのだから、以前から気になっている所に行きましょう。

向かった先は...............石出堰親水公園


      20160210石出堰親水公園06



散策前に案内図で公園の配置をチェック。

      20160210石出堰親水公園07


石出堰親水公園は、東庄町石出地区にある農業用水の「ため池整備」と併せて整備された公園です。
三方を山に囲まれた谷津間にあり、湧水量も多く、園内には子ども達が水に親しむスポット「浅瀬の池」や
「せせらぎ水路」「湿生園」「弁天池」「芝生広場」があり、トイレ・駐車場も完備されています。
湿生園、芝生広場には「四阿(あずまや)」が立ち、自然がいっぱいの憩いの場所となっています。
7月下旬頃まではきれいに咲いた紫陽花を見ることもできるそうです。

元々、1の堰、2の堰、3の堰と堰があったらしいけれど
3の堰を整備して公園としたようです。


紫陽花の季節ではないけれど、園内を散策してみましょう。


駐車場前の芝生広場。

      20160210石出堰親水公園08


芝生広場の奥には『浅瀬の池』。

      20160210石出堰親水公園09



とりあえず、遊歩道をぐるっと廻ってみましょう。

      20160210石出堰親水公園10



こちらが、弁天池。
浮島には、祠があるようです。
弁天様でしょうか?

      20160210石出堰親水公園11


浮島へ渡る赤い橋。

      20160210石出堰親水公園12



こちらは、湿生園。

      20160210石出堰親水公園13



木道が遊歩道とりあえずなっています。

      20160210石出堰親水公園14



四阿も確認出来ます。

      20160210石出堰親水公園15



ロングリードを引っ張り、先へ行きたがる びいすけ 。
歩く気満々のようです。

      20160210石出堰親水公園16


再び、弁天池。
今度は裏側からのショットです。

      20160210石出堰親水公園17



駐車場背後の台地へと上がって行く道がらあります。
遊歩道なんでしょうか?

とりあえず、先へと進んでみましょう。

      20160210石出堰親水公園25


一応、階段とそれらしく整備されているようです。

      20160210石出堰親水公園24

と思っていたら、整備にされているのはこの辺りまで。


やがて、完全な獣道となってしまいます。

      20160210石出堰親水公園23


せっかくだからと、さらに先へと進んでみると...............

土塁のように見える土壇。

      20160210石出堰親水公園22



そして、空堀のように見える窪み。

      20160210石出堰親水公園21



その奥にも空堀に見える窪み。

      20160210石出堰親水公園18

これって、二重空堀?

ひょっとして、ここは何処の城址?
慌てて、iPhoneを取り出し、余胡さんのHPをチェック。
東庄町の城址・城館跡をチェックしたけど、それらしい記述はない。


城跡じゃないのかなぁ?


ここは、竪堀に見えるんだけどなぁ。

      20160210石出堰親水公園19


そして、その近くには土塁っぽい土壇があるんだけどなぁ...............。

      20160210石出堰親水公園20



頭の中に疑問符を掲げながら、芝生広場へ戻ります。

芝生広場の四阿で休憩しましょう。

      20160210石出堰親水公園26


      20160210石出堰親水公園27


頑張って歩いたから、オヤツにしましょうか?

      20160210石出堰親水公園28



一点を注視する びいすけ 。

      20160210石出堰親水公園29



『 良し! 』の一声でパクリ。

      20160210石出堰親水公園30




芝生広場のはずれ辺りまでが3の堰だったようです。

      20160210石出堰親水公園31


こちらは2の堰。
フェンス越しに散策路が設けられ
ぐるっと一周できるようになってます。

      20160210石出堰親水公園32



2の堰をぐるっと一周したら、そろそろ出発しましょうか?
東庄町の気になっていた公園に向かいましょう。



2016/02/22 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

須賀山城址 (2015年5月23日)(千葉県香取郡東庄町、千葉県香取市) 

5月23日 公休日

この日は、東庄町に出かけていました。


『天保水滸伝』の町、笹川をあとにして向かった先は...............須賀山城址


須賀山城は

文治六年(1190年)に千葉常胤の六男、東胤頼により築城されました。
東胤頼は上代前掛城(桜井城)(旭市)より移りました。
その後、建保六年(1218年)に須賀山城との台地続きに森山城を築城して
須賀山城から森山城に移り一族が居城しました。
三代当主、東胤行は承久三年(1221年)に美濃山田庄の地頭として移り、
その後は海上氏が居城としました。戦国期に入り、
千葉胤冨が海上氏に養子として入城いましたが、
弘治三年(1557年)に千葉宗家を継ぎ本佐倉城に移りました。
しかし、胤冨はこの城を境目の城として重視し森山城の外郭として
森山城に取り込む形で須賀山城も改修したようです。
天正年間に入ると東氏、その家臣の原氏が在城し、
宗家千葉氏とともに北条氏の家臣となります。
天正十八年(1590年)、城主の東直胤は小田原城に籠城しましたが、
北条氏滅亡後、森山城とともに廃城になりました。



こちらが、須賀山城の縄張り図

      須賀山城縄張り図

          ( 余胡くんのお城のページ よりお借りしました )




県道266号線を笹川町から南下していると、こんな看板が見えます。

以前、森山城址へ行く際にも、この案内板は目にしたのですが
その時は、時間も無くて素通りしてしまいました。

      20150523須賀山城址01

今回は、こちらの須賀山城址が目的です。

この看板のある場所辺りから眺める須賀山城址。

      20150523須賀山城址02

この須賀山城址のある台地周辺は
知的障害者施設「北総育成園」が隣接していて
そちらの即売所の駐車場をお借りして、登城いたします。


登城路にいきなりの土塁。

      20150523須賀山城址03



いやぁ、これは期待できそうな予感(笑)

      20150523須賀山城址04



登城路を登っていくと、幟が立っています。

『九曜紋』
千葉氏関連の城郭であることの証しですね。

      20150523須賀山城址05

何と、5月23日のこの日は、『須賀山城址祭』のようです。



そう言えば、車を停めた「北総育成園」の駐車場の近くで
賑やかな歓声が聞こえていました。



登城路の先は、右手に腰曲輪。
椎茸の原木が置かれていて、「北総育成園」のキノコ園になっているようです。

      20150523須賀山城址06


さらに、登城路を進みます。

どうやら、この道は須賀山城址の搦手口のようです。

      20150523須賀山城址07



左側の腰曲輪。

      20150523須賀山城址08

やはり、この郭にも椎茸の原木が並んでいます。

この腰曲輪の上には大六天郭があります。



いよいよ、須賀山城址の要の部分へと入ります。

      20150523須賀山城址09




こちらが、大六天郭の虎口。

      20150523須賀山城址10


そして、大六天の祠。

      20150523須賀山城址11


      20150523須賀山城址12



この大六天郭も椎茸の原木が積まれていて
キノコ園と化しているようです。

      20150523須賀山城址13



この先は馬出し郭から主郭へと続きます。

      20150523須賀山城址14



こちらが、馬出し郭。
完全な畑と化しています。

      20150523須賀山城址16



馬出し郭から主郭へと繋ぐ土橋。

      20150523須賀山城址15


      
以前は、この土橋から先は雑草に覆われ、
人を寄せ付けるのを拒んでいるような感じだったらしい。

      20150523須賀山城址17



空堀も下草を綺麗に刈られ、かなり整備されています。

      20150523須賀山城址18


主郭虎口近くに建つ城址説明板(案内板)。

      20150523須賀山城址19

やはり、この説明板先は藪状態であったらしいが
現在は、かなり整備されています。


そして、説明板の隣の城址碑(木板製)も整備に併せて建てられたようです。

      20150523須賀山城址20





ネットで調べたら、こんな記事がありました。


なるほど、須賀山城址保存会の方々と「北総育成園」の方々の尽力によって
荒れ果てていた須賀山城址は見事に蘇ったようです。


確かに主郭虎口から振り向いて、土橋を眺めてみると
綺麗な形で土橋が残されています。

      20150523須賀山城址21



主郭虎口から眺める主郭内部。

      20150523須賀山城址22



主郭虎口の土塁。

      20150523須賀山城址23


主郭中央には一回り大きな幟がありました。

      20150523須賀山城址24


『九曜紋』の下には 『 東氏見参 』

      20150523須賀山城址25

いいねぇ、戦国時代っぽくていいねぇ(笑)。




こちらは、主郭下の腰曲輪。

      20150523須賀山城址26


腰曲輪の先端から台地下を覗いてみると...............

      20150523須賀山城址27

先ほどから賑やかな歓声は、あちらから響いていたんですね。
『北総育成園』の人たちが地元の住民を招いて須賀山城址祭をしているようです。



主郭に戻って、ぐるっと一回りしてみます。

      20150523須賀山城址29
      


主郭の外周を1mほどの高さの土塁が巡っています。

      20150523須賀山城址28

   

土橋から主郭の空堀に降りてみます。

      20150523須賀山城址30

空堀が綺麗に整備されていると、本当に大事にされていると感じます。


往時に比べれば、空堀も土砂が堆積して浅くなっているとは思うけれど
それなりの巾があって、立派な空堀です。

      20150523須賀山城址31


      20150523須賀山城址32



残念なのは、その空堀の先、西郭には導線がないと言うか
完全な藪状態で西郭には進軍できません。


しかたがないので、西郭には車で移動。


ぐるっと台地を回り込んで、西郭にあたる天ノ宮神社。

      20150523須賀山城址33

こちらにも、城址碑(標柱)がありますが、こちらは旧・小見川町(現・香取市)が建てたものです。
実は、須賀山城址は西郭が香取市、主郭や馬出し郭、大六天郭は東庄町になります。


旧・小見川町が建てた説明板。

      20150523須賀山城址34


こちらは、天ノ宮神社の本殿。

      20150523須賀山城址35


神紋は、『九曜紋』。

      20150523須賀山城址36


まさしく、千葉氏関連の城郭に建てられた神社です。

      20150523須賀山城址37



境内に僅かに残る土塁。

      20150523須賀山城址38


旧・小見川町域の須賀山城址は、正直言って遺構がほとんど無く
面白みに欠けてしまいます。

やっぱり、須賀山城址は東庄町側を攻略することをお勧めします。





2015/06/17 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

天保水滸伝の町、笹川を歩く (2015年5月23日)(千葉県香取郡東庄町) 

5月23日 公休日

この日は、東庄町に出かけました。


利根川の下流域にある東庄町。
東庄町は、『天保水滸伝』でも有名な町でもあります。



天保水滸伝は
「利根の川風袂に入れて月に棹さす高瀬舟」
浪曲や講談で有名な「天保水滸伝」は、土地を潤す利根川と共に、昔から語り伝えられてきた東庄が舞台の、笹川繁蔵と飯岡助五郎、二人の侠客の勢力争いの物語です。

「天保水滸伝」のベースとなった物語の舞台は、
大飢饉などで社会不安が増大した天保の時代(1830~44年)。
侠客・笹川繁蔵と飯岡助五郎の確執が緊迫した後、“大利根川の決闘”という紛争に発展。
笹川一家に軍配は上がったものの、やがて繁蔵は助五郎の子分の闇討ちに遭い、
通称ビヤク橋にて絶命してしまう。

そこで親分の仇討を誓った勢力富五郎だったが、
関東取締出役と飯岡一家に追われ、金毘羅山に逃げ込み…。
「勢力富五郎は52日間、捕まらなかったそうです。
金毘羅山に立てこもって、幕府にたてついたわけですが、
この様が梁山泊を舞台にした『水滸伝』と似ていたとされています。

時代が変わって嘉永三年、1850年に江戸の講釈師である宝井琴凌という人がここを訪れた時に、
“大利根川の決闘”のことを調べ、講談として世の中に発表しました。
その時に“水滸伝”というタイトルだったので、それが『天保水滸伝』の始まりになります。
宝井が“水滸伝”を引用した背景には、勢力富五郎が金毘羅山に立てこもったことだけでなく、
“大利根川の決闘”で小勢力の笹川一家が幕府の後ろ盾もある飯岡一家を破ったことにも由来しているそうです。





東庄町を移動していると、『天保水滸伝』に所縁のある地に
ばったりと遭遇したりします。



沼闕城址のある福聚寺の近くには、こんな看板が...............。

      20150523笹川天保水滸伝01


東庄県民の森のつどいの森の更に奥へと続く遊歩道。
『天保水滸伝遺跡遊歩道』と名付けらた遊歩道の終点は
勢力富五郎が立て篭もった金毘羅山でした。

      20150523笹川天保水滸伝02


後世になって、地元の人々が勢力富五郎の碑を建て、
いつしか、勢力山と呼ばれるようになったそうです。

      20150523笹川天保水滸伝03


まるで城郭の郭のような削平地。
この場所に52日間立て篭もっていた場所なのだろうか?

      20150523笹川天保水滸伝04

しかし、この場所は勢力富五郎が自刃した場所です。




続いて、利根川コジュリン公園のすぐ近く。
最初、こちらが利根川コジュリン公園かと勘違いした公園の一角。

ここにも、天保水滸伝の石碑があります。

      20150523笹川天保水滸伝05


『利根の川風袂に入れて月に棹さす高瀬舟』と刻まれています。

      20150523笹川天保水滸伝06

石碑の説明によれば、石碑の文字は田中角栄の書による句碑だそうです。

      20150523笹川天保水滸伝07






続いて、笹川駅近くの諏訪神社に向かいます。
駐車場も完備しているから、笹川町の散策には、こちらの駐車場を利用すると良いでしょう


こちらが諏訪神社

      20150523笹川天保水滸伝32




鳥居の先が境内。

諏訪神社の境内には天保水滸伝遺品館なるものもあります。

      20150523笹川天保水滸伝08


こちらが、天保水滸伝遺品館。
入場料は200円。

      20150523笹川天保水滸伝09

 びいすけ を連れているから中には入れません。
入口脇に掲げられた地図で周辺の所縁の地をチェックします。

      20150523笹川天保水滸伝10


遺品館の隣は、東庄町観光協会。

      20150523笹川天保水滸伝11

こちらでパンフレットを貰うことが出来ます。


観光協会の前には、こんな幟。
どうやら町を挙げて、 天保水滸伝 をPRしているようです。

      20150523笹川天保水滸伝19




まずは諏訪神社の境内を散策いたしましょう。

こちらが神楽殿。

      20150523笹川天保水滸伝12


そして拝殿。

      20150523笹川天保水滸伝13



そして、こちらが土俵。

もともとは飢饉で困窮する農民を救済するために、
繁蔵が花会や奉納相撲を開くために作ったそうです。
諏訪神社には、相撲の神様として有名な野見宿禰命(のみのすくねのみこと)の碑もあります。

      20150523笹川天保水滸伝14

繁蔵が花会や奉納相撲を開くために作った土俵は、
現在、出羽海部屋が使用しているため、日本相撲協会の規定にあわせ、
新たな土俵に様変わりしているそうです。


      20150523笹川天保水滸伝18


諏訪神社の土俵の脇には、相撲の神様として有名な野見宿禰命(のみのすくねのみこと)の碑もあります。

      20150523笹川天保水滸伝15

ちょっぴり、ピンぼけなのはご勘弁願います(笑)。


野見宿禰命の碑の説明板。

      20150523笹川天保水滸伝16



毎年、この地に合宿にやってくる大相撲の出羽海部屋の記念碑。

      20150523笹川天保水滸伝17


そして、こちらが歌手・三波春夫が建立したとされる
三波春夫自筆の『天保水滸伝百三十年の碑』。  

      20150523笹川天保水滸伝33





天保水滸伝遺品館の方に戴いたパンフレット。

      20150523笹川天保水滸伝35


徒歩圏内にある、ゆかりの地のMAPも載っているので
せっかくだから、巡っちゃいましょう。

      20150523笹川天保水滸伝36









諏訪神社から歩いてすぐ、延命寺に向かいます。

こちらが延命寺。

      20150523笹川天保水滸伝20

延命寺には、笹川(岩瀬)繁蔵の墓、平手造酒の墓、勢力富五郎の碑があります。


延命寺の境内に入ってすぐ右側に、墓碑が並んでいます。

      20150523笹川天保水滸伝21

真ん中の大きな碑が、笹川繁蔵の墓碑。
向かって右側が、平手造酒の墓碑。
向かって左側が、勢力富五郎の碑。



笹川繁蔵の墓碑の前には、『天保水滸伝発祥の地』の碑が建っています。

      20150523笹川天保水滸伝22


こちらが、勢力富五郎の碑。

      20150523笹川天保水滸伝23

墓碑は、県民の森の奥にある勢力山にあります。


こちらが、笹川繁蔵の墓碑。

      20150523笹川天保水滸伝25



墓碑の前には、『笹川繁蔵の勝負石の碑』

     20150523笹川天保水滸伝24


     
そして、こちらが平手造酒の墓碑。

      20150523笹川天保水滸伝26

笹川一家の助っ人だった平手造酒。
実は平手造酒の墓碑は、別な場所にもあるらしい。


こちらが、延命寺の本堂。

      20150523笹川天保水滸伝27

思ったよりも小さい。


延命寺の由緒書き。

      20150523笹川天保水滸伝28





延命寺から歩くこと数分。

こちらは八坂神社。
平手造酒は、この近くに住んでいたらしい。

      20150523笹川天保水滸伝31



今は、枯れてしまって二代目となっているが
平手造酒ゆかりの松もあったらしい。

      20150523笹川天保水滸伝29


こちらが、そのゆかりの松。

      20150523笹川天保水滸伝30




八坂神社から歩くこと5分程、道に迷いながらも辿り着いた『平手造酒の塚』。

      20150523笹川天保水滸伝37


塚と言うことですが、実際は墓碑。

      20150523笹川天保水滸伝38

この場所で平手造酒は飯岡勢に斬られたらしい。
すなわち、平手造酒終焉の地と言うことらしい。


     



平手造酒の塚から、諏訪神社の方へ戻ります。

こちらが笹川の花会の場となった 料亭 十一屋跡。
諏訪神社のすぐ近く。

      20150523笹川天保水滸伝34

天保13年(1842年)、笹川須賀山明神の例祭日を利用して、
笹川繁蔵は農民救済のために地元の商人宿・十一屋で
花会(親分衆のみを客とした賭場)を開きました。
繁蔵は関東東海地方で名前の知られる大親分に手当たり次第に回状を送り、
十一屋の花会には、清水次郎長、国定忠治、大前田英五郎なども駆けつけたと伝えています。

現在は廃業して一般の民家となっていますが
門柱の表札にはしっかりと『十一屋』の屋号が掲げられていました。





十一屋から歩くこと、5分程。
現在は建物も無くなっていますが
この辺りが笹川繁蔵の生家(岩瀬家)があったと言われる場所。

      20150523笹川天保水滸伝39


岩瀬家跡から更に住宅地を歩くと、こんな案内板。

      20150523笹川天保水滸伝40



そして、こちらが笹川繁蔵終焉の地。

      20150523笹川天保水滸伝41



この場所(ビヤク橋)で虚無僧に変装した飯岡助五郎の子分3名の闇討ちにあって暗殺されたと言われています。

      20150523笹川天保水滸伝42


一説によれば、繁蔵の遺体は首を切り落とされ、飯岡(現・旭市)に持ち去られてしまいました。
胴体は行方不明となり、持ち去られた首は飯岡助五郎によって、
飯岡の山林に秘密裏に埋葬され「最も大事な客人の墓」と偽って、
自身が死ぬまで香華を絶やさなかったということです。

昭和7年(1932年)8月14日、銚子町(現・千葉県銚子市)が植松町3丁目の道路整備中に、
町有墓地で繁蔵の名が彫られた墓石と利根川に投げ捨てられたといわれていた胴体が発見されました。
首も併せて笹川町に埋葬したいという五十嵐荘太郎・笹川町長(当時)らの申し出を受けた飯岡町では、
助五郎が秘密にしていた首塚を、土地の古老の話をもとに翌昭和8年(1933年)に発見し、首の遺骨を譲渡しました。
同時に助五郎がつけたといわれる繁蔵の戒名「清岩繁勇信士」を刻んだ石碑も発掘されており、
こちらは今も飯岡町定慶寺に残っています。
繁蔵はこうして闇討ち以来86年ぶりに故郷の笹川に戻り、
延命寺の一角に、富五郎と平手造酒の墓石を両脇に控えた場所に葬られたと言うことです。



う〜む、なかなか奥のある逸話(?)です。
墓があると言うことは、笹川繁蔵も飯岡助五郎も実在の人物であったでしょう。

飯岡側から見た『天保水滸伝』、笹川側から見た『天保水滸伝』
いずれも立場が違うから変わってきてしまうけれど、
それぞれの地元の侠客として親しまれて来たんだなぁと感じます。

じっくりと笹川の町を歩いて、一つ見聞が広まった気がして...............

過去幾度と映画化されたと言う『天保水滸伝』。
いつか映画で観てみることにしよう...............。



2015/06/16 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

利根川コジュリン公園 (2015年5月23日)(千葉県香取郡東庄町) 

5月23日 公休日

この日は、東庄町に出かけて来ました。

雲井岬つつじ公園をあとにして、向かった先は...............利根川コジュリン公園

利根川コジュリン公園
利根川近代治水工事発祥の地(東庄町菰敷地先)にある公園で、
利根川子どもサミットにおいて、子どもたちが描いた「利根川の大自然と水に親しむ」という夢を、
国土交通省と東庄町が実現したものです。
公園内には、昔の利根川を再現した「じゃぶじゃぶ池」、「野鳥観察舎」、
「遊歩道」が自然を活かして配置されています。


駐車場完備とHPには載っていましたが
路肩に近い状態の駐車場(3台が限度)にクルマを停めて
コジュリン公園へと向かいます。

この石段を上がれば、堤防。
その堤防の先が『利根川コジュリン公園』となります。

      20150523利根川コジュリン公園01



石段を上がってすぐ目に入ってくるのが、この石碑。

      20150523利根川コジュリン公園02

『発祥の地』?

一体、何の発祥の地なんでしょう?



よくよく、碑を眺めて見ると、 利根川近代治水工事発祥の地 と言うことらしい。

      20150523利根川コジュリン公園03



そしてその隣には、こんなモニュメントが建っています。

      20150523利根川コジュリン公園04


どうやら、利根川治水百周年を記念して建てられたモニュメントのようです。

     20150523利根川コジュリン公園05



こちらが、利根川コジュリン公園の看板兼案内板のようですが
文字やイラストが擦れてしまい、何が書かれているのかも分かりません。

      20150523利根川コジュリン公園06


そしてこちらが、利根川コジュリン公園。

      20150523利根川コジュリン公園07

河川敷に広がる公園で、遊具など無く見た感じ殺風景。


こちらが、野鳥観察舎。

      20150523利根川コジュリン公園08


      20150523利根川コジュリン公園09


実は、このコジュリン公園周辺は野鳥観察のメッカらしい。

公園周辺は葦原が広がり、いかにも野鳥の宝庫といった感じでしょうか?

      20150523利根川コジュリン公園10



立派な超望遠のズームレンズをつけたカメラマン。
アマチュアだとは思うけれど、数時間前にズームレンズが壊れた身としては
羨ましくも思える立派なレンズ。

      20150523利根川コジュリン公園11


野鳥の撮影の邪魔をしては申し訳ないから
コジュリン公園の芝生広場(?)に移動いたしましょう。

      20150523利根川コジュリン公園12


遠目から見ると芝生のように見えるけれど
実際は芝生じゃない。
でも広々として気持ち良さそう。

      20150523利根川コジュリン公園13


10mのロングリードにしているから、適当に徘徊して構わないよ。

      20150523利根川コジュリン公園14


どうやら、カメラを構えていたら、オヤツを貰えると思って
大人しくジッとしている びいすけ 。

      20150523利根川コジュリン公園15


      20150523利根川コジュリン公園16

この顔でカメラの前に居られたら、オヤツをあげないわけにはいきません。



オヤツを貰ったら、徘徊を始める びいすけ 。

      20150523利根川コジュリン公園17


      20150523利根川コジュリン公園18


芝生(?)広場から遊歩道へと移動する びいすけ 。

      20150523利根川コジュリン公園19

黙ってロングリードの びいすけ のあとを付いて行きます。



利根川の河川敷に整備された遊歩道。

      20150523利根川コジュリン公園20



利根川もかなり下流域だから、流れは緩やかです。

      20150523利根川コジュリン公園21


      20150523利根川コジュリン公園22



利根川の流れが緩やかで、おっとりしているので
気持ちまで、おっとりとして来ます。

      20150523利根川コジュリン公園23



のどかなだなぁ〜と感じる、この瞬間。

      20150523利根川コジュリン公園24



なぜ、利根川の河原に井戸の手汲みポンプ?(笑)

      20150523利根川コジュリン公園25



野鳥でも見つけたのか?
遊歩道からいきなりダッシュする びいすけ 。

      20150523利根川コジュリン公園26



何かを捜しているようですが、視界の先には何もありません。

      20150523利根川コジュリン公園27



この石段を上れば、堤防の上。

      20150523利根川コジュリン公園28


利根川コジュリン公園も満喫してくれたようで..............................

次なる場所へと移動いたしましょう。






2015/06/15 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

雲井岬つつじ公園〜東大社 (2015年5月23日)(千葉県香取郡東庄町) 

5月23日 公休日


この日は、東庄町に出掛けました。

沼闕城址をあとにして、向かった先は................ 雲井岬つつじ公園

雲井岬つつじ公園は雲井岬という地名のとおり、
公園の一番奥の切り立った崖が、そこが昔岬だった地形を残し、
利根川を望むことができます。

東大社の神苑であった広大な敷地内には
「おおむらさき」「やまつつじ」「琉球」など約3000本のツツジが植えられ、
大きな株を形成するツツジ群はまるで迷路のようになっています。


つつじの見頃は5月上旬のゴールデンウィークから5月中旬にかけてと言うことなので
ギリギリ間に合うか?と思いながら出かけてみました。

実は、この日に東庄町に出かけた1番の目的は、
ここ『雲井岬つつじ公園』でありました。


公園の駐車場に車を停めて、いざ! 『雲井岬つつじ公園』へと向かいます。

      20150523雲井岬つつじ公園24


ところが、駐車場から歩いてすぐ、ちょっとした赤土の段差で滑って横転。
昨年の8月に痛めた左肩を地面に強打した、左肩に激痛が走り、
思わず涙目。
この『雲井岬つつじ公園』に来る前の沼闕城址でカメラのレンズが壊れるし
この日は、踏んだり蹴ったりの状態です。


肩の痛みが抜けないまま、『雲井岬つつじ公園』 に入ります。


こちらが、『雲井岬つつじ公園』の入口。

      20150523雲井岬つつじ公園01



千葉県内の有名観光地でよく見かける石碑、
『房総の魅力500選』の碑もありました。

      20150523雲井岬つつじ公園02


      20150523雲井岬つつじ公園03



5月中旬まで見頃とネットに書かれていた『雲井岬つつじ公園』のつつじ、
今年は例年より早く散ってしまったのか?

つつじの花が何処にも無い!

      20150523雲井岬つつじ公園09

がちょ〜ん状態。

ちょうど、つつじの剪定をしているおじさんが居たので、話を聞いたら
例年、ゴールデンウィークあたりが見頃らしい。
どっちにしても、訪れるのがちょっぴり遅かったようです。


つつじの木々の奥にある公園の名称にもなっている雲井岬があります。

岬の先端の展望台。

      20150523雲井岬つつじ公園04


      20150523雲井岬つつじ公園05


ここからの眺望が、まるで海を見るような感じと言うか、
太古の昔には、この辺りは海だったと言う事です。

      20150523雲井岬つつじ公園08


      20150523雲井岬つつじ公園07

利根川が見えると言う事ですが、肉眼ではちょっと確認出来ませんでした。



展望台の片隅に鎮座していた句碑。

      20150523雲井岬つつじ公園06






公園脇の民家には、こんな土塁があったりします。

      20150523雲井岬つつじ公園10


そもそも『雲井岬つつじ公園』は、東大社の神苑であったと言われ
東大社に隣接(道路を挟んで)しています。

従って看板もこんな感じ。

      20150523雲井岬つつじ公園11


せっかくだから、東大社にも足を伸ばしてみましょう。


こちらが、裏参道にあたるようです。

      20150523雲井岬つつじ公園12


鬱蒼とした森。
まさに鎮守の森といった感じで厳かな感が強い。

      20150523雲井岬つつじ公園13


こちらが、本殿。

      20150523雲井岬つつじ公園14



そして、拝殿。

      20150523雲井岬つつじ公園15


      20150523雲井岬つつじ公園16



元々、拝殿や本殿は現在の場所にあったようではありません。
もっと境内の鳥居寄りに建っていたようです。

こちらが、その跡地の碑。

      20150523雲井岬つつじ公園17


由緒ある神社で、20年毎に康和4年(1102年)より始まると言われる
銚子高神の浦への式年神幸祭があります。
その祭には雷神社、豊玉姫神社の神輿を前後に従え、
かつての東荘33郷より集まった氏子は時代風俗の仮装にて所作を演じつつ供奉する。
かくて神輿は6里の沿道の奉迎をうけつつ高神の海中に神幸し、
その儀は勇壮盛大であると言われています。


その際に使用される神輿も飾られています。

      20150523雲井岬つつじ公園18


      20150523雲井岬つつじ公園19



東大社の社号標。

      20150523雲井岬つつじ公園20


そして、鳥居。

      20150523雲井岬つつじ公園21


鳥居に掲げられた神額(扁額)。

      20150523雲井岬つつじ公園22


こちらは、御神木のようです。

      20150523雲井岬つつじ公園23


『雲井岬つつじ公園』のツツジの花は堪能出来ませんでしたが
東大社の裏参道の尊厳な雰囲気に何かを感じたのは事実。
いかにもパワースポットだと感じました。

しかしながら、すっ転んで痛めた左肩が痛くて...............

東庄町は、侮れないようです。



2015/06/14 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

沼闕城址 (2015年5月23日)(千葉県香取郡東庄町) 

5月23日 公休日

この日は、東庄町に出掛けました。


東庄町にある東庄県民の森の一部が、沼闕城址であります。


沼闕城は、
鎌倉時代に東六郎胤頼の三男(別の説では海上胤方の七男)である、東盛胤が
築城したとされています。
盛胤は長兄胤行の養子となり、沼闕城を築き居城としていましたが、
その後、三崎庄本庄郷(銚子市本城町)に本城を築いて移っていったとされています。

比較的単純な縄張りの城で、東西に並置された主郭・ニノ郭と主郭南の三ノ郭、
その周囲の帯曲輪から構成されている。
東庄県民の森に隣接する福聚寺が主郭跡とされ、
二ノ郭・三ノ郭は公園化され、東庄県民の森の一部となっています。



こちらが、沼闕城の縄張り図

      沼闕城縄張り図

         ( 余胡くんのお城のページ  よりお借りしました )




東庄県民の森の城山の森が沼闕城の二郭にあたるそうです



こちらがその二郭

      20150523沼闕城址01

遺構らしきモノはほとんど無く、県民の森整備の際に
この辺りはかなり改変されたようです。

      20150523沼闕城址05


この辺りが古城fだったことは、ある程度知れ渡っていたみたいで
古城を詠った句碑があります。

      20150523沼闕城址02


矢田插雲の句碑。

      20150523沼闕城址03


『 麥青し八百年の城あとよ 』
『 二の丸をかこめる堤やみとり 』

この二句が刻まれています。



もう一つの句碑。
こちらの作者はよくわかりませんでした。

      20150523沼闕城址04


      


主郭跡とされる福聚寺の山門。

      20150523沼闕城址06

日本の寺院には珍しい中国の寺院の様な山門です。


こちらの福聚寺は、沼闕城址と言うよりも、鉄牛和尚の墓があるお寺として有名なようです。

      20150523沼闕城址07

福聚寺は、1678年(延宝6年)に
下総国にあった椿海を開拓した禅僧、鉄牛道機の開山により創建された寺です。



こちらが、その鉄牛和尚の墓。

      20150523沼闕城址08


      20150523沼闕城址09


      20150523沼闕城址10




福聚寺の裏手には、僅かながらに遺構が残されています。


鉄牛和尚墓所脇の土塁。

      20150523沼闕城址11


この土塁は、つどいの森の奥へと続いています。
主郭の北側にあたる位置となります。

      20150523沼闕城址12


      20150523沼闕城址13



こちらが、つどいの森。


元々、主郭だった所を県民の森のつどいの森として
遊歩道を整備したようです。

      20150523沼闕城址14



つどいの森と二郭を隔てる竪堀。

      20150523沼闕城址15

かなり雑草が生い茂っていますが、竪堀は谷津へと繋がっているようです。



こちらは、福聚寺の本堂裏手(北側)の腰曲輪。

      20150523沼闕城址17




主郭西側(本堂西側)の空堀。

      20150523沼闕城址16

かなり埋められてしまったようですが、一部のみ残っています。

往時は、それなりの深さと幅があったようですが
現在は雑草が生い茂っていて、流石に降りて行く勇気はありません。

      20150523沼闕城址18



こちらが、本堂前の土塁。
この奥に空堀があったようですが、駐車場を作るために埋められてしまったようです。

      20150523沼闕城址19


つどいの森辺りの土塁の写真を撮っていた時に
カメラのレンズが壊れてしまいました。
ズームレンズの距離調整が手動でできなくなってしまい
(回転リングが空回りしてしまう)
カメラを下に向け、レンズの重みで位置調整をするという使い方になってしまいました。
そんなわけで、これと言った遺構もあまり無いので、
撤収することにいたしましょう。


一部は福聚寺として改変され、一部は県民の森として改変されてしまった沼闕城址。
遺構は少なく城址巡りとしては面白みに欠けるけれど、
なまじっか開発されて城山そのものが湮滅してしまうよりは
県民の森の一部として、後世に残ることを考えれば
それが良かったと思わざるを得ないのかなぁ...............







      

2015/06/13 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

東庄県民の森 (2015年5月23日)(千葉県香取郡東庄町) 

5月23日 公休日

この日は、東庄町に出掛けました。


東庄町のはずれ、旭市に近い北総台地の一画にある 東庄町県民の森 に出掛けました。

千葉県内には、県民の森と称する自然公園が6つあります。

船場県民の森
東庄県民の森
清和県民の森
大多喜県民の森
内浦山県民の森
館山野鳥の森

千葉県のHPによれば、
その内の大多喜県民の森以外の県民の森は
条件付き(殆どがリードを付け、遊歩道限定)ですが
ペットを連れての散歩も可能です。

先日も清和県民の森に行き、豊英大滝を見て来ました。

個人的には、陽射しを遮る木立の中の遊歩道を散策するのが好きで、
わざわざ自宅から約50km離れた東庄県民の森まで遠征しちゃいました。



県民の森の駐車場に車を停め、まずは案内図の確認。

      20150523東庄県民の森02


嬉しいことに、駐車場にあった案内図(案内板)にポストが括り付けられていて
その中には、東庄県民の森のパンフレット。

      20150523東庄県民の森01

こういうのって、初めての場所では重宝できます。


パンフレットの園内案内図を頼りに、東庄県民の森の散策開始です。
      
      20150523東庄県民の森03



こちらが、県民の森の入口。

      20150523東庄県民の森04


      20150523東庄県民の森05



ちょっとした上り坂ですが、 びいすけ は元気いっぱい。

      20150523東庄県民の森06



森林館(管理事務所)前にて

      20150523東庄県民の森07


管理事務所で手書きの園内マップを戴きました。

      20150523東庄県民の森08



園内マップにある展望台(展望塔?)を目指しましょう。

この先に展望塔?があるようです。

      20150523東庄県民の森09



ロングリードにすると、我先に行きたくなる びいすけ。

      20150523東庄県民の森10

まぁ、誰も居ないから、先に行かせても良い。

ロングリードの距離、 びいすけの10m後ろを付いて歩き
台地を上って辿り着いた削平地。

      20150523東庄県民の森11

園内マップだと、ここに展望台(展望塔)が有る筈なのに
それらしい建物、構造物が無い。


周りの木々がなければ台地上部だから見晴らしは良いはずなのですが...............


茂みが気になる びいすけ 。

      20150523東庄県民の森12

何か、野生動物でもいるのでしょうか?


一応、園内マップでは『やまつつじの森』の近く。
雑草混じりの芝生が新緑の季節を感じさせます。

草の香りを楽しむのか?
匂い嗅ぎに余念のない びいすけ 。

      20150523東庄県民の森13




期待した展望塔も無かったから、管理事務所の方に戻ります。


土曜日の朝早く(8時)に来ているから、他の客は誰もいない。

芝生広場が気になったけれど、遊歩道以外はペット進入禁止ってことなので
ここは、グッと我慢。

      20150523東庄県民の森14



芝生広場脇の遊歩道を歩きます。

      20150523東庄県民の森15



しばらくしたら、こんな案内板を発見。

      20150523東庄県民の森16

画面では見辛いですが、『展望台跡』と記されています。
跡と言うことは、今はもう無いと言うことになります。
やっぱり、展望台は無かったのね..............................。


それにしても、芝生広場は気持ち良さそう。
ロングリードで走らせたら、爽快だろうなぁ。

      20150523東庄県民の森17



芝生広場の先は、道路を挟んで『つどいの森』

      20150523東庄県民の森18



つどいの森へは、この石段を上がって行きます。

      20150523東庄県民の森19


何かを気にしながら、一気に駆け上がる びいすけ 。

      20150523東庄県民の森20


      20150523東庄県民の森21

とても付いて行けません。
ロングリードで良かったぁ(笑)。


石段を上った先が、城山の森。

      20150523東庄県民の森22

実は、この城山の森は、沼闕城の二郭にあたります。

(沼闕城については、またいずれの機会に触れるとして...............)


この城山の森はまた台地の上部。
とにかく、視界が開けています。

      20150523東庄県民の森23


城山の森から眺める夏目の堰。

      20150523東庄県民の森24


      20150523東庄県民の森25


そしてこちらが八万石見晴台

かつて、この見晴台の眼下には椿海が広がっていたらしい。
現在は開拓されて水田となっています。

      20150523東庄県民の森26


      20150523東庄県民の森27



見晴台からの眺望。
先ほどの芝生広場。

      20150523東庄県民の森28


そして、こちらがかつての椿海。
現在は水田が広がっています。

      20150523東庄県民の森29



この辺りは、沼闕城の城域。

つどいの森に行ってみましょう。

      20150523東庄県民の森30



この先が、つどいの森。

      20150523東庄県民の森31


      20150523東庄県民の森32


つどいの森をぐるっと一周して、見晴し台へと移動します。。




見晴し台は木々が鬱蒼と茂り、思ったほど視界は拓けていません。
どこが見晴し台なの?思わず思ったほどでした。

      20150523東庄県民の森33




こちらが、お花見広場。
桜の花の名所のようです。

      20150523東庄県民の森34


桜の時期にはきっとたくさんの人が訪れるのでしょうね

このお花見広場の芝生も気持ち良さそう。
びいすけ を遊ばせてみたいけれど、遊歩道以外はペット進入禁止だから
そこはグッと我慢して..............................

千葉県の県民の森は遊歩道を歩く分には良いけれど
気持ち良さそうな芝生広場に入れないだけに
ちょっぴり残念と言うしかないなぁ。




2015/06/12 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...................旧・久我小学校跡                           (2014年10月11日)(千葉県香取郡多古町) 

10月11日  公休日

この日は香取市方面へ出掛けていました。

高萩小学校をあとにして、佐倉市の自宅へと向かいます。
香取市から多古町、芝山町、富里市、酒々井町へと抜けるR296で帰ることにした。

そう言えば、多古町廃校跡ではないけれど、旧・小学校の跡地が有ることを思い出した。

せっかくだからと、立ち寄った先は..................

      多古町立 旧・久我小学校跡




久我小学校は、廃校ではありませんが
現在ある久我小学校は、平成5年に十余三小学校、興新小学校、
久我小学校の3校が統合して
新たに久我小学校として移転して、建てられたモノです。

その沿革は

明治9年     次浦学校創設
明治11年    久賀小学校と改称する
明治17年    高津原附属校興新小学校として独立する
明治20年    久我尋常小学校と改称
          檜木区に分教場を設置する
明治34年    檜木分教場を廃止する
明治44年    十余三に分教場を設置する
昭和22年    学制変革により久賀村立久我小学校と改称する
昭和29年    久賀村が多古町と合併し、多古町立久我小学校と改称する。
平成5年     興新小学校、十余三小学校と統合し、校地移転。
          現在に至る


と、このような沿革となっています。


すなわち、平成5年までこの地に久賀小学校がありました。



こちらが、旧・久我小学校跡地の入口。

      20141014旧・久我小学校跡01

多古町の避難場所に指定されています。

多古町は廃校跡地や旧・校地を避難場所に指定しているから
本当に探しやすい。


こちらが、校門跡。

      20141014旧・久我小学校跡02

古い石造りの門柱が、ポツンと残されています。



この門柱は、昭和7年に建てられたモノのようです。

      20141014旧・久我小学校跡15



校門をくぐって、すぐ目にとまる石碑。
ちょうど、正面に建っています。

      20141014旧・久我小学校跡03


良く良く見れば、久我小学校の創立百周年の記念碑です。

      20141014旧・久我小学校跡04

新しい校地に何故移設しなかったんだろう?



裏面には、久我小学校の沿革が刻まれています。

      20141014旧・久我小学校跡07

多古町の小学校って、独自にHPを開設していないし、
多古町のHPにも詳しいことが載ってないから、こういうのって参考になります。




統合&移転から、かなりの年月が経っているため
当然、校舎は解体されて何もありません。

      20141014旧・久我小学校跡05


      20141014旧・久我小学校跡06





往時を偲ぶ、遊具。

      20141014旧・久我小学校跡08

残されていた遊具は、この鉄棒だけでした。



そして、大きなイチョウの樹。
周りには銀杏が落ちていて、結構臭いがきつかったなぁ。

      20141014旧・久我小学校跡09


こちらには、二本の樹。
きっと小学校があった頃から、
この木はランドマーク的存在だったんだろうなぁ。

      20141014旧・久我小学校跡11



とにかく建物が何もないから、
やたらと広く見えます。

      20141014旧・久我小学校跡12



校舎が何処に建っていたかは、分かりませんが
校庭であったであろう場所は、野球のグランドとなっています。

      20141014旧・久我小学校跡10


      20141014旧・久我小学校跡14



サビついていたローラーがやけに印象的でした。

      20141014旧・久我小学校跡13


 






こちらが、現在の久我小学校。

      20141014旧・久我小学校跡22


      20141014旧・久我小学校跡21





非常に綺麗な校舎です。

      20141014旧・久我小学校跡16


      20141014旧・久我小学校跡17



校舎の前に建つ、二ノ宮像。

      20141014旧・久我小学校跡18



おそらく、旧・校地から移設してきたのでしょう。

      20141014旧・久我小学校跡19



校舎の前に、久我小学校が3校が統合されて、新たに建てられた学校だと
説明板も建てられています。

      20141014旧・久我小学校跡20


平成5年に統合されて、早21年。
もう、これ以上この地区の小学校がなくならないことを
心の奥で願わずにはいられません............。







2014/11/02 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit