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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

再訪・ 洲崎神社 (2018年12月19日)(千葉県館山市) 

12月19日


この日は、館山市に出かけました。

本来ならば、坂田熊野神社にて、時間的にも厳しい状態でしたが
ちょっとだけアクセルを踏む右足に力を入れて、洲崎神社を目指します。


洲崎神社に訪れるのは、これで2回目。
(前回の訪問記は こちら )


陽も傾き始め、そろそろ陽も暮れるという頃に須之崎神社に到着。


こちらが、旧・社号標。

      20181219洲崎神社01


   

そして、こちらが現在の社号標。

      20181219洲崎神社02


鳥居前にて。

      20181219洲崎神社03

こちらの鳥居は二の鳥居になるようです。



二の鳥居辺りから見る洲崎神社全景。

      20181219洲崎神社04

長い石段の先に社殿があります。
周りの木々が良い感じに色付いています。
館山って夏のイメージが強いけれど、秋から初冬のこの時期も
夕陽の淡いオレンジ色が、なかなか良いものですね。



こちらは、手水舎。

      20181219洲崎神社05



隋神門。

      20181219洲崎神社06



館山湾に沈む夕陽を見たいから、急いで石段を上がりましょう。

      20181219洲崎神社07


石段を上がりきれば、目の前には拝殿。

      20181219洲崎神社08



こちらが、拝殿。

      20181219洲崎神社09



拝殿正面。

      20181219洲崎神社10



拝殿正面の扁額。

      20181219洲崎神社11



こちらでも、しっかりと参拝する びいすけ 。

      20181219洲崎神社12



拝殿前からの館山湾。

      20181219洲崎神社13

ゆっくりと陽が沈んでいきます。


黒潮踊る太平洋を一望し、富士の霊峰を望む風光明媚な洲崎神社。
その展望エリアへと移動します。

      20181219洲崎神社14


あいにく、富士山は見えないけれど
ゆっくりと沈んでいく夕陽をじっくりと見る事ができました。

      20181219洲崎神社15


雲がなくて視界さえ良ければ
この方向に富士山が見えるんですけどね。

      20181219洲崎神社16




石段を下って、一の鳥居を目指します。


海岸近くの一の鳥居。

      20181219洲崎神社17



社殿のある御手洗山を振り返って見ます。

      20181219洲崎神社18

いつの間にか、月も浮かんでいます。



御手洗山。

      20181219洲崎神社21



先ほどの展望エリアの鳥居が見えました。

      20181219洲崎神社22



二のとりいからさらに海側に進めば、長さ約2.5mの御神石。

      20181219洲崎神社19

竜宮から奉納された二つの石のうちの一つとされ、
もう一つは対岸の横須賀市の安房口神社にあると言うことです。


館山湾をバックに、はいポーズ。
パチリ☆。

      20181219洲崎神社20


     


こちらが、洲崎神社の御朱印。

      20181219洲崎神社23

こちらの神社も普段は宮司さんが常駐されていません。

南房総市の富浦愛宕神社の兼務社となっています。
書き置きの御朱印が隋神門の中に置かれています。
そちらを拝受いたしました。


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2019/02/04 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

坂田熊野神社 (2018年12月19日)(千葉県館山市) 

12月19日

この日は、館山市に出かけました。

鶴谷八幡宮をあとにして、向かった先は....................坂田熊野神社。


坂田熊野神社は、館山市坂田に鎮座する神社です。
『坂田』と書いて、『ばんだ』と読むそうです。


坂田熊野神社の由緒等は不詳。
こちらも、南房総市の富浦愛宕神社の兼務社の1社になっています。



御祭神は、熊野大神。



こちらが、神社社頭。

      20181219坂田熊野神社01



奥に鳥居が見えます。

      20181219坂田熊野神社02



鳥居前にて。
   
      20181219坂田熊野神社03



手水舎。

      20181219坂田熊野神社04



石段を上っていきます。

      20181219坂田熊野神社05



コンパクトな社殿。

      20181219坂田熊野神社06



社殿正面。

      20181219坂田熊野神社07


社殿正面の扁額。

      20181219坂田熊野神社08



別アングルからの社殿。

      20181219坂田熊野神社09


      20181219坂田熊野神社10


びいすけ もしっかりと参拝。

      20181219坂田熊野神社11




社殿に隣接するのは、境内社(?)。

      20181219坂田熊野神社12



こちらも境内社。
朱色であるから稲荷神社のようです。

      20181219坂田熊野神社13



小さな石祠も鎮座しています。

      20181219坂田熊野神社14



こちらは小ぶりながら、神楽殿(?)。

      20181219坂田熊野神社15



古い手水鉢。

      20181219坂田熊野神社16



神仏習合の色濃い一画。

      20181219坂田熊野神社17


地域の集会場のような雰囲気が漂う社務所。
当然、無人です。

      20181219坂田熊野神社19


12月ですが、水仙の花も咲き始めています。

      20181219坂田熊野神社18

房総半島が水仙のメッカだと言うことを思い出しました。



南房総市の富浦愛宕神社の兼務社。
この日、富浦愛宕神社の宮司さんには会えなかったから
御朱印はしばらくお預け? になりそうです。






      





2019/02/04 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り................鶴谷八幡宮 (2018年12月19日)(千葉県館山市) 

12月19日

この日は、館山市に出かけました。

船形山諏訪神社をあとにして、向かった先は....................鶴谷八幡宮。


鶴谷八幡宮は、館山市八幡に鎮座する神社です。


平安時代初期に国府近くの三芳村府中(現在の南房総市)に
安房国総社として創建されたのが始まりです。

鎌倉時代に入ると総社信仰が衰微し、代わって源氏の影響で八幡神信仰が高まったため、
総社から改変され八幡宮となり、当初の位置から遷座したとされています。
康応2年(1390年)には、安西八幡宮と称していたようです。

中世には里見氏、江戸時代には徳川幕府の崇敬を受け、
社殿奉納や社領寄進を受けています。
明治6年(1873年)には郷社、昭和15年(1940年)には県社に列せられ、
創建1000年を迎えた昭和51年(1976年)に鶴谷八幡宮と改称しています。

また、鶴谷八幡宮は関東の三鶴八幡と呼ばれ、関東地方を代表する八幡神社です。
三鶴のうち二つは鎌倉の鶴岡八幡宮、ここ館山の鶴谷八幡宮で異論はありませんが、
後の一つは諸説あり、富津市の鶴峯八幡宮、市原市の鶴峯八幡宮が挙げられています。



御祭神は、品陀和気命(応神天皇)
     帯中津彦命(仲哀天皇)
     息長帯姫命(神功皇后)



こちらが社号標。

      20181219鶴谷八幡宮01



そして、一の鳥居。

      20181219鶴谷八幡宮02

流石に安房国総社だけあって、立派な鳥居。



一の鳥居の神額。

      20181219鶴谷八幡宮03


さすが、安房国総社。
境内のペット立ち入り禁止です。

      20181219鶴谷八幡宮04

ごめん! びいすけ 。
大人しく車の中で待っていて!


参道を進みます。

      20181219鶴谷八幡宮05



二の鳥居が見えてきました。

      20181219鶴谷八幡宮06



二の鳥居の脇には例の掲示板。
『定』って言うやつです。

      20181219鶴谷八幡宮07


『定』にも、犬の立ち入り禁止と謳っている。

      20181219鶴谷八幡宮08

実は、『定』に犬禁止っていうニュアンスの事が書かれているのを初めて見ました。



さらに先をすすめば、社殿が見えてきます。

      20181219鶴谷八幡宮09



参道の狛犬。

      20181219鶴谷八幡宮10


      20181219鶴谷八幡宮11



手水舎。

      20181219鶴谷八幡宮12



こちらが、拝殿。

      20181219鶴谷八幡宮13


 
拝殿正面。

      20181219鶴谷八幡宮14



拝殿向拝の彫刻。

      20181219鶴谷八幡宮15

安房を代表する彫物大工「初代後藤義光」の彫刻です。



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20181219鶴谷八幡宮16



こちらの鶴谷八幡宮の拝殿の特筆すべきは天井の彫刻。

      20181219鶴谷八幡宮17


      20181219鶴谷八幡宮18


拝殿向拝の天井一面に施された龍の彫刻は「百態の龍」と呼ばれ、
初代後藤義光の慶応二年(1866年)52歳の時の作品で、
初代後藤義光の代表作と言われています。
「百態の龍」は義光、江戸の後藤豊次郎とその門人との合作とされ、
鏡天井の中央の大きな龍と五十五龍とで構成されています。
義光は多くの作品を残していますが、房州で初代義光の天井彫刻があるのは
こちらの鶴谷八幡宮だけとされています。




別アングルからの拝殿。

      20181219鶴谷八幡宮19


      20181219鶴谷八幡宮20



そして、こちらが本殿。

      20181219鶴谷八幡宮21



拝殿前の天水桶。

      20181219鶴谷八幡宮22



天水桶と奉納酒。

      20181219鶴谷八幡宮23



こちらは、安房神社の遥拝所。

      20181219鶴谷八幡宮24

流石は、安房国の総社。
そして、やはり安房神社は安房国の一ノ宮なんですね。


鶴峰八幡宮にも神事として、筒粥神事が執り行われるようです。

      20181219鶴谷八幡宮25

毎年、1月14日から15日にかけて行う、その年の農作物の豊凶を占う儀式です。
袖ケ浦市の国勝神社や飽富神社も同じような神事を行うから
房総半島では、このような神事が多いみたいですね。



境内社の若宮八幡宮。

      20181219鶴谷八幡宮26



こちらは、神輿殿でしょうか?

      20181219鶴谷八幡宮27



こちらは、御仮屋。

      20181219鶴谷八幡宮28

祭りの日に神輿を一時的に納める建物になります。

ひっそりと鎮座する石祠。

      20181219鶴谷八幡宮29



こちらが、社務所。

      20181219鶴谷八幡宮30

授与所も兼ねていて、御朱印はこちらで拝受できます。



社務所前の御神木(?)。

      20181219鶴谷八幡宮31
      20181219鶴谷八幡宮32



参道脇の忠魂碑。

      20181219鶴谷八幡宮33


      20181219鶴谷八幡宮34



なぜか、水田三喜男氏の銅像まである。

      20181219鶴谷八幡宮35

房総の名士であり、政治家。
明治38年(1905年)に千葉県安房郡曽呂村(現在の鴨川市)生まれ。
館山市よりむしろ生まれ故郷の鴨川市の方が知名度が高いかも?
城西大学の創立者で第65代、第66代、第71代、第72代、第75代の大蔵大臣。




こちらが、鶴谷八幡宮の御朱印。

      20181219鶴谷八幡宮36


社務所にて拝受いたしました。


2019/02/03 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り....................船形山諏訪神社 (2018年12月19日)(千葉県館山市) 

12月19日

この日は、館山市に出かけました。


愛宕神社をあとにして、向かった先は.................船形山諏訪神社。


船形山諏訪神社は、館山市船形に鎮座する神社です。

養老元年(717年)行基菩薩が信濃の諏訪大社を勧請したと伝えられ、
船形地区の鎮守である船形山諏訪神社は、
崖観音で有名な「船形山 大福寺」に隣接しています。


実は、諏訪神社は平成29年3月の上旬に火の手が上がり、
貴重な彫刻が施された社殿や保管されていた古文書等が全焼してしまいました。

火災の原因は放火。
火災の際、近くにいた住居不定、60代の男が非現住建造物等放火の疑いで逮捕されました。
「ライターを使って、落ち葉に火をつけた。逮捕されたかった」などと供述していたそうです。

何とも呆れた理由です。



御祭神は、建御名方命。


こちらが、社号標。

      20181219諏訪神社01



社頭。

      20181219諏訪神社02



鳥居。

      20181219諏訪神社03


参道を進み、石段の先を目指します。

      20181219諏訪神社04



いしだんを上った先には手水舎。

      20181219諏訪神社05


本来は、社殿がで〜んっと構えていたはずが................

      20181219諏訪神社06

前述の放火により、社殿はありません。



社殿の前にあった(はずの)狛犬。

      20181219諏訪神社22


護るべき社を失った狛犬。

      20181219諏訪神社07



この崖を背後に見事な社殿が在った筈なのに................

      20181219諏訪神社08


見るも無残な境内。

      20181219諏訪神社09


かろうじて残った境内社?

      20181219諏訪神社10

でも立ち入り禁止のゲートの先。


こちらは、天水桶。

      20181219諏訪神社11

火災の時の為のものですが、役にはたたなかったようです。



現在は、社務所の一角を仮拝殿(仮宮)としています。

      20181219諏訪神社12


      20181219諏訪神社13


      20181219諏訪神社14



復興祈願の幟もはためいています。

      20181219諏訪神社15



境内の記念碑。

      20181219諏訪神社16


参道の石祠。

      20181219諏訪神社17



こちらは、参道の碑。

      20181219諏訪神社18



境内から眺める館山湾。

      20181219諏訪神社19



館山湾は、別名を鏡ヶ浦と称し、日本百景に選ばれた景勝地。

      20181219諏訪神社20


その百景の風景を眺めることのできた古社だったんですが...................
重ね重ね、放火で社殿が消失してしまったことは、残念で仕方がない。

そして、一日も早い復興を願うしかない。



こちらが、船形山諏訪神社の御朱印。

      20181219諏訪神社21


書き置き版ですが、仮宮にて拝受いたしました。






2019/02/03 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............畑小学校 (2017年11月25日)(千葉県館山市) 

11月25日

この日は、房総半島の南端の館山市に出かけました。


道の駅 白浜野島崎 をあとにして、向かった先は...............館山市立畑小学校(跡)


畑小学校の詳しい沿革は良く分かりません。
従って、創立時期は不明ですが、
昭和47年に児童数の減少により
豊房小学校に統合され廃校となったそうです。


こちらが、畑小学校の入り口。

      20171125畑小学校01

おそらく、この辺りに門柱が建っていたのでしょう。


廃校から、既に45年。
校舎はとっくに解体され、現在は空き地になっています。

      20171125畑小学校02



残念ながら、ここが学校だったとは分かりづらい。

      20171125畑小学校03



学校遺構が全く残っていません。

      20171125畑小学校04



元々は、神社の敷地内だったのか?

      20171125畑小学校05



学校跡地に神社が隣接しています。

      20171125畑小学校06



学校跡地の一角には消防倉庫。

      20171125畑小学校07

廃校跡にはよくあるパターンです。



道から神社に上る石段。

      20171125畑小学校11


石段を上りながら、振り返ると...............

      20171125畑小学校08

確かに、山間部の小さ学校だったのが分かります。


石段わ上りきれば、長尾三神社。

      20171125畑小学校09



拝殿前から校地を見てみます。

      20171125畑小学校10


  
Wikipediaにも載っていない畑小学校。    
はたして、この小学校の事を知っているのはどれだけ居るのだろう...............?




2018/01/14 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............神戸小学校 (2017年11月25日)(千葉県館山市) 

11月25日

この日は、房総半島南端の館山市に出かけました。

安房神社をあとにして、向かった先は...............館山市立神戸小学校


神戸小学校は、

明治7年布沼小学校(東光寺)、犬石小学校(金蓮寺)、佐野小学校(千葉院)が設置される
明治12年布沼小学校を藤栄寺に移転し、藤原小学校と改称する。
明治20年犬石小学校を大成尋常小学校と改称する。
藤原小学校を洲宮尋常小学校と改称する。
明治22年大成尋常小学校を現在地に移転し、佐野小学校を統合する。
大正2年大成尋常小学校を廃し、神戸村尋常高等小学校を設立して洲宮分校を置く
昭和22年学制改革により神戸村立神戸小学校と改称する。
昭和29年神戸村が西岬村、豊房村、富崎村、九重村、館野村とともに館山市に編入する。
館山市立神戸小学校と改称する。
昭和36年洲の宮分校を本校に統合する。
平成29年富崎小学校と統合し小中一貫校(房南学園館山市立房南小学校)が開校。
神戸小学校は廃校となる。


と、このような沿革となっているようです。



こちらが、神戸小学校の正門。

      20171125神戸小学校01



こちらも同じ敷地内に『房南こども園』と言う幼稚園が併設されています。

      20171125神戸小学校02

ちなみに、幼稚園はまだ閉園とはなっていないようです。


正門から入った正面には花壇。

      20171125神戸小学校03


その右手前方に平屋建ての建物。

      20171125神戸小学校04


神戸小学校玄関と書かれています。

      20171125神戸小学校05



小学校の玄関と言うことですが、
見た感じ幼稚園の建物に見えなくもない。

      20171125神戸小学校06



別アングルから。

      20171125神戸小学校07


玄関と書かれた建物の奥に二階建ての校舎。

      20171125神戸小学校08



敷地内の際奥に、別な二階建ての建物。

      20171125神戸小学校09


      
その建物の2階の窓ガラスに貼り紙。

      20171125神戸小学校10


      20171125神戸小学校11


      20171125神戸小学校12


3分割に写真を撮りましたが

『 ありがとう神戸小学校 ふるさとに響け 感謝と歴史のハーモニー 』

このような文面となっています。
どうやら、こちらが神戸小学校の校舎だったようですが
現在は、南房こども園 の園舎となっているようです。



中庭に建つ標柱。

      20171125神戸小学校13

こちらにも館山市市制50周年記念の碑が在りました。



こちらは、体育館。

      20171125神戸小学校14


校庭。

      20171125神戸小学校15



校庭に残る遊具類。

      20171125神戸小学校16


      20171125神戸小学校17


      20171125神戸小学校18


      20171125神戸小学校19


      20171125神戸小学校20


      20171125神戸小学校21


      20171125神戸小学校22


      20171125神戸小学校23



朝礼台。

      20171125神戸小学校24



校庭の隅に建つ倉庫。

      20171125神戸小学校25



そして、プール。

      20171125神戸小学校26



校庭に立ってマジマジと校舎を眺めてみます。

      20171125神戸小学校27


      20171125神戸小学校28



今年の春に廃校となった神戸小学校。
明治の初めに出来た3つの小学校を礎とし、歴史のある学校でした。

残念ながら、二ノ宮像も廃校記念碑もありませんでしたが
地域に根を張っていた小学校だったようです。



2018/01/13 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............《 安房神社 》 (2017年11月25日)(千葉県館山市) 

11月25日

この日は、房総半島南端の館山市に出かけました。


富崎漁港をあとにして、向かった先は...............安房神社



房総半島南部は、昔は安房の国と呼ばれていました。
その安房の国の一宮である安房神社。
かつては(江戸時代まで)洲崎神社が安房の国の一宮だったようですが
現在は安房神社が安房の国の一宮となっているようです。
まぁ、色々な大人の事情ってやつがあるんでしょう。


こちらが、安房神社の社号標。

      20171125安房神社01



こちらが鳥居。

      20171125安房神社02



神額は掲げられていませんが、かなり大きな鳥居。

      20171125安房神社03



まっすぐに伸びた参道。

      20171125安房神社04



案内図も完備。

      20171125安房神社05

周辺の観光案内も載っているから、
安房神社も重要な観光資源の一つのようですね。


参道を歩いていると、目に入った看板。

      20171125安房神社06

ペットNG。

まっ、まずい!

急いで車に戻り、 びいすけ には申し訳ないけど
車の中で留守番してもらいましょう。


気を取り直して、再び安房神社へと向かいます。

      20171125安房神社07



こちらの鳥居をくぐって、境内に入ります。

      20171125安房神社08


こちらが、授与所。
御朱印はこちらで貰えます。

      20171125安房神社09


昨今の御朱印ブーム(しっかり、ブームに乗っかっちゃってますけどね。)
御朱印を求める人も多く、番号札を貰って順番待ち。

      20171125安房神社10


その間に参拝しちゃいましょう。


こちらは、手水舎。

      20171125安房神社11



安房神社の由緒書き。

      20171125安房神社12



こちらが、拝殿。

      20171125安房神社13



拝殿に掲げられた扁額。

      20171125安房神社15



拝殿奥に掲げられた扁額。

      20171125安房神社16


安房神社の提灯。

      20171125安房神社17



ちょうど七五三のお詣りで拝殿内に何人もの人がいたので
邪魔にならないように別アングルからの拝殿。

      20171125安房神社18


      20171125安房神社19



こちらが、本殿。

      20171125安房神社28



本殿脇には、神饌所。

      20171125安房神社20

神饌所とは、元々は神様に奉じる食事を作る建物だそうです。


本殿脇の大イチョウ。

      20171125安房神社21

かなり枯れ落ちているはいるけれど、見事な黄金色。



こちらは御仮屋。

      20171125安房神社22

かつては例祭の際に、出祭してきた近郷の神社の神輿を納めるための建物でした。



こちらは、御神木。

      20171125安房神社23



そして、こちらは下の宮。

      20171125安房神社24



分社である厳島社。

      20171125安房神社25


さすが、安房の国の一宮。
コンパクトながらも立派な社が揃っている。      



こちらが、安房神社の御朱印。

      20171125安房神社29



そう言えば、御朱印関連のブログを見ると、
全国の一宮を巡って参拝している方もいるようです。
やっぱり一宮って別格なのだろうか...............?






2018/01/12 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

鮪延縄船・安房節発祥の地 (2017年11月25日)(千葉県館山市) 

11月25日

この日は、房総半島南端の館山市に出かけました。

廃校になった富崎小学校のある富崎は古くは富崎村と言う漁村でした。

富崎小学校の裏手の海岸沿いを歩いていると
何やら碑が在りました。

      20171125安房節発祥の地01



碑の前で一枚、パチリ☆。

      0171125安房節発祥の地02



安房節の歌碑。

      0171125安房節発祥の地03


碑文には、鮪延縄漁法の由来と安房節。

      0171125安房節発祥の地04

安房節って鰹節みたいなモノかと思っていたら
鮪延縄漁の時に船頭が唄っていた唄なんですね。



こちらは石井治郎氏の碑。

      0171125安房節発祥の地05

どうやら、安房節を後世に残そうと尽力をされた方らしい。



そして、『 鮪延縄船 安房節発祥の地 』の碑。

      0171125安房節発祥の地06



碑の背後には太平洋。

      0171125安房節発祥の地07



遠くに見えるのは洲崎地区。

      0171125安房節発祥の地08



洲崎が東京湾の入江にあたるから、
この辺りはちょうど東京湾との境界線。

      0171125安房節発祥の地09


      0171125安房節発祥の地10




碑の在る場所からちょっと歩けば、富崎漁港。

      0171125安房節発祥の地11


漁港の駐車場には他府県ナンバーの車が多く
遠くから釣りに来ているようです。
何艘かの釣り船が港に帰港しています。

      0171125安房節発祥の地12


いっぱい釣れたのかな?

      0171125安房節発祥の地13



漁港からちょっと歩くと、岩場の海岸。

      0171125安房節発祥の地14


      0171125安房節発祥の地15


      0171125安房節発祥の地16


最近、館山市でもこの富崎の町をPRしているみたいで
城山公園で富崎のポスターを見たような気がします。
時間が有れば、もうちょっと富崎の町並みを散策したんだけれど
この後も予定はテンコ盛り。

この近くに犬連れで海の幸が楽しめるお店が有れば
また来てみたいなぁ。
今度、じっくり調べてみよう...............。







2018/01/11 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............富崎小学校 (2017年11月25日)(千葉県館山市) 

11月25日

この日は房総半島南端の館山市に出かけました。


道の駅 南房パラダイス をあとにして、向かった先は...............館山市立富崎小学校


富崎小学校は

明治7年      布良村の龍樹院に布良小学校が開校。
           相浜村に仮校舎にて相浜小学校が開校。
明治20       年布良・相浜両校を統合し布良尋常小学校と改称する
明治22年     布良村、相浜村が合併して富崎村が発足。
           富崎小学校と改称する。
昭和22年     学制改革により富崎村立富崎小学校と改称
昭和29年     富崎村が西岬村、豊房村、神戸村、九重村、館野村とともに館山市に編入する。
           館山市立富崎小学校と改称する。
平成24年     児童数の減少により休校となる。
平成29年     神戸小と統合し小中一貫校(房南学園館山市立房南小学校)が開校。
           富崎小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。



こちらが、富崎小学校の正門。

      20171125富崎小学校01


門柱に残る富崎小学校の表札。

      20171125富崎小学校02


反対側の門柱には、富崎幼稚園の表札。

      20171125富崎小学校03

同じ敷地内に小学校と幼稚園があると言うのは
地方に多いですね。



門柱は昭和55年度の卒業生の寄贈品なんですね。

      20171125富崎小学校31



敷地内に入るとすぐ目に留まる案内板。。
地域の避難場所になっています。

      20171125富崎小学校04



避難場所の案内板の背後はプール。

      20171125富崎小学校05


正門からは緩やかなスロープ。
フェンスには卒業製作品の子供たちの絵。

      20171125富崎小学校06

海に近いから、魚の絵が多い。


スロープ下には大きな碑。

      20171125富崎小学校07


碑文は『神田君碑』。

      20171125富崎小学校08

神田吉右衛門と言う人を讃えた碑のようです。



碑脇には二ノ宮像。

      20171125富崎小学校09


      20171125富崎小学校10


      20171125富崎小学校11



校舎の壁面に掲げられた校章。

      20171125富崎小学校12



校庭側に移動してみましょう。



休校から5年後の今年の春に廃校になった校舎。

      20171125富崎小学校13


色んな角度から校舎を眺めてみます。

      20171125富崎小学校14


      20171125富崎小学校15


      20171125富崎小学校16


      20171125富崎小学校17



こちらは体育館。

      20171125富崎小学校18


校庭を闊歩する びいすけ 。

      20171125富崎小学校19


      20171125富崎小学校28


何気にマーキング。

      20171125富崎小学校29

気になる匂いでもあるのかな?



びいすけ の背後の木の奥に碑があるようです。

      20171125富崎小学校20



富崎小学校の校歌の碑でした。

      20171125富崎小学校22


裏面には、富崎小学校の応援歌。

      20171125富崎小学校21



最初は、何か分からなかったオブジェ?
よく見ると、横になった人魚に見える。

      20171125富崎小学校23



校庭の花壇。
舟の形をしているところが面白い。
さすが、海に近い小学校です。

      20171125富崎小学校24


校庭に残る遊具。

      20171125富崎小学校25


      20171125富崎小学校26



国旗掲揚ポール。

      20171125富崎小学校27



校舎の壁には、卒業製作品の絵。    

      20171125富崎小学校30



数年前から、休校中の小学校として、その存在は知っていましたが
地元の反対もあって、廃校ではなく休校扱いになっていましたが
残念ながら廃校となってしまいました。

明治の時代から富崎と言う漁村に在った小学校は
休校から復帰する事なく、その役目を終えてしまいました。



2018/01/10 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

道の駅 《 南房パラダイス 》 (2017年11月25日)(千葉県館山市) 

11月25日

この日は、房総半島南部の館山市に出かけました。

館山市の洲崎地区から相浜地区へと房総フラワーラインを走ります。


最近は、遠出をしたりすると道の駅に立ち寄ることにしています。
房総フラワーラインの途中にも道の駅があるから立ち寄りましょう。

と言うことで、立ち寄ったのは...............道の駅 南房パラダイス

      20171125道の駅南房パラダイス01


      20171125道の駅南房パラダイス02



駐車場に車を停めて、道の駅を探索いたしましょう。

      20171125道の駅南房パラダイス03



こちらが道の駅 南房パラダイス の施設。

      20171125道の駅南房パラダイス04

手前が売店エリア。
奥の建物がレストラン。


こちらはレストラン。

      20171125道の駅南房パラダイス05

2階が温泉施設になっているようです。


元々は『アロハガーデンたてやま』と言う施設の一部が道の駅になっているようです。

      20171125道の駅南房パラダイス06


とりあえず、道の駅のエリアを確認しましょう。

      20171125道の駅南房パラダイス07



こちらが、物産館。

      20171125道の駅南房パラダイス08


道の駅の定番である農産物は無く、お土産品中心のお店。

      20171125道の駅南房パラダイス09


      20171125道の駅南房パラダイス10


      20171125道の駅南房パラダイス11


店内に見慣れないポスター

      20171125道の駅南房パラダイス12

どうやら、千葉県と栃木県の一部の道の駅で
試験的に道の駅カードなるモノが販売されているらしい。
昨今のダムカード人気にあやかっての事だろうとは思うけれど
一枚250円で販売って、高くない?

道の駅の切符(一枚180円)でも高いなぁって思うんですけど...............



こちらが、道の駅のスタンプコーナー。

      20171125道の駅南房パラダイス13



道の駅の切符は、なぜか アロハガーデンたてやま のチケット売り場で売っています。

      20171125道の駅南房パラダイス14



レストラン前の椰子の木。

      20171125道の駅南房パラダイス15



いかにも南国ムードを盛り上げます。

      20171125道の駅南房パラダイス16



こちらが道の駅の切符。

      20171125道の駅南房パラダイス17


      20171125道の駅南房パラダイス18


そしてスタンプ。

      20171125道の駅南房パラダイス19



アロハガーデンたてやま に付随している道の駅だから
農産物等の特産品を期待して訪れると、ちょっぴりガッカリする道の駅。

あくまでも アロハガーデンたてやま と言うテーマパークの
おまけの施設と考えておいた方が良いかも...............


2018/01/09 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

日本の道百選 《房総フラワーライン 》 (2017年11月25日)(千葉県館山市⇆千葉県南房総市) 

11月25日

この日は、房総半島南部の館山市に出かけました。

館山市の洲崎地区を車で走っていると
こんな看板が目に入ってきた。

      20171125房総フラワーライン02

そういえば、以前テレビで、タイの3輪車(トゥクトゥク)で
日本の道百選を走って、『日本の道百選』の碑を探すって言う番組がありました。
あの番組を見て、『おもしろそ〜っ!』って思ってました、


日本の道百選は、道の日の制定を記念して、
1986年度及び1987年度に、旧・建設省と「道の日」実行委員会により制定された、
日本の特色ある優れた104本の道路の事です。
百選と言いながら、104の道路を選定しているところが面白い。


そして、こちらが始点になる『房総フラワーライン』は、
館山市伊戸〜相浜間の6.6kmが、旧建設省と「道の日」実行委員会により制定されました。
毎年1月に、館山市などの関係団体が主催する館山若潮マラソンが開催されており、
県内外から数千人のランナーが参加するイベント道路にもなっていることから
四季の草花とマラソンの道と言うことで、昭和61年に選定されました。

      20171125房総フラワーライン01



何度か、この道を走っていますが
この看板は初めて目に留まりました。

せっかくだから、百選の碑も探しちゃいましょう。
      

道路沿いにもフラワーラインの看板。


      20171125房総フラワーライン07

逆光だから、上手く撮れない。
どうしても暗くなってしまう。
やっぱり、写真は難しい(笑)。

      20171125房総フラワーライン08


      20171125房総フラワーライン09


      20171125房総フラワーライン10





しばらく走っていると、前方に道の駅が見えて来ます。

      20171125房総フラワーライン03



道の駅の駐車場脇にモニュメント(碑)発見!

      20171125房総フラワーライン05



百選のプレートも在りました。

      20171125房総フラワーライン06



11月のこの時期は、フラワーラインと言えども花は咲いていない。

      20171125房総フラワーライン04

春になれば菜の花が咲いて綺麗なんだよなぁ。



日本の道百選の碑(プレート)探しの旅も
意外に面白そう。
ハマっちゃうかも...............?







 
2018/01/08 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............館山市立西小学校 (2017年11月25日)(千葉県館山市) 

11月25日

この日は、館山市に出かけました。

洲崎分校をあとにして、向かった先は...............館山市立西小学校



館山市立西小学校は

明治7年      井戸村に伊戸小学校設置
明治8年      川名小学校設置
明治22年     塩見村、波左間村を含めた近隣の14の村が合併して
           西岬村が誕生する。
明治42年     伊戸・川名両校合併して西小学校と称す
昭和22年     学制改革により西岬村立西小学校と改称する。
昭和29年     西岬村が富崎村、豊房村、神戸村、九重村、館野村とともに館山市に編入。
           館山市立西小学校と改称する
昭和37年     洲崎分校を廃し本校に統合する。
昭和57年     東小学校と西小学校が統合して新たに西岬小学校として開校する。
           西小学校は廃校となる。


と、このような沿革になっているようです。




こちらが、西小学校跡。

      20171125西小学校01



敷地に建つ看板。
現在は西岬公民館の分館になっています。

      20171125西小学校02


てっきり、西小学校の校舎を公民館に流用していると思っていました。

      20171125西小学校03


      20171125西小学校04


ところが、新たに公民館として建てられたモノでした。

      20171125西小学校05



公民館の玄関前には、館山市市制50周年の碑。

      20171125西小学校06

確か、西岬東公民館にも在りましたね。



敷地内をぐるっと見て回りましたが
西小学校の遺構は全く残っていない。

      20171125西小学校07


でも、この立派な木は西小学校時代のモノ。

      20171125西小学校08


たまたま、公民館に来られたお婆さんと話をすることが出来ました、
公民館とは逆方向の山側に木造の校舎が建っていたのだけれど
それを解体して、道路側に公民館を建てたらしい。


そして、この2本の椰子の木(?)の奥に
やはり木造の講堂が建っていたと言うことです。

      20171125西小学校09

でも温暖な房総半島南端の学校には、校庭に椰子の木とか蘇鉄とか
南国っぽい木が多い。



フェンス沿いに立ち並ぶ桜の木。

      20171125西小学校10

大きさから言ったら、廃校後に植えられたモノなのか?



敷地内には公民館のたしかなく、学校跡っぽく見えなくもないけれど
道路から見上げると、学校跡っぽく見える。

      20171125西小学校11


せめて、門柱とかが残っていれば...............


この場所も、いずれは学校跡だと言うことさえも
忘れ去られてしまうんだろうなぁ。


2018/01/08 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............館山市立西小学校洲崎分校 (2017年11月25日)(千葉県館山市) 

11月25日

この日は館山市に出かけました。
洲崎地区にある洲崎神社を訪れたあとは
近隣の情報収集。
実は、洲崎地区にはかつて小学校の分校が在りました。
ただし、詳細は不明。場所も分からない。
こう言う時は、現地で初老の方に訊いてみるのも一つの手。

当初は、公民館的な施設が分校跡地ではないか?と当たりを付け
洲崎地区会館を訪ねてみると、そこは洲崎神社の敷地内。
社務所の隣の建物。どうやら違うみたい。
隣接する養老寺には、保育園が併設されている。
そちらが分校跡地かと思いきや、そちらも違っているように見える。

たまたま、農作業に出かけるため歩いていたお婆さんを発見。
訪ねてみると、そのお婆さんはリアルにその分校に通っていたらしい。
当時の小学生が言うんだから場所は間違いない。
分校跡地は洲崎神社から300mほど離れた場所に在りました。

と言うことで訪れたのは...............館山市立西小学校洲崎分校


洲崎分校の詳細は不明ですが
この洲崎地区は明治期には洲崎村であったことから
おそらく明治期に小学校として設立された、
もしくは位置的に川名小学校の分校として設立されたのかもしれません。

本校であった西小学校が明治42年に井戸小学校と川名小学校が合併して
西小学校となった経緯から、その後に分校として設置されたかもしれません。
いずれにしても、設立時期は不明です。
昭和37年に本校である西小学校に統合されて洲崎分校は廃校となりました。


こちらが洲崎分校跡地。

      20171125州崎分校01


先ほどのお婆さんの話では、
病院の寮として利用される予定だったらしい。

確かに、それらしい表札は残っています。

      20171125州崎分校02


現在は全くの更地。

      20171125州崎分校03


何やら碑らしきモノが残っていましたが
はたして何なのか?
文字も判別出来ず、正体不明。

      20171125州崎分校04


廃校から既に55年。
跡地は民間に払い下げられ、寮地になり
学校跡を彷彿させるモノは全く無い。

      20171125州崎分校05


      20171125州崎分校06


      20171125州崎分校07



半世紀以上も前の事だし、元々洲崎集落もさほど大きくなく
どうやら住んでいる人もそんなに多くは無いようです。
きっと、この場所に分校が在った事を知っている人は
いずれ居なくなってしまうだろう。
何となく淋しいですね...............。



2018/01/07 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............《 洲崎神社 》 (2017年11月25日)(千葉県館山市) 

11月25日

この日は、館山市に出かけました。

東小学校をあとにして、向かった先は...............洲崎神社


洲崎神社は、千葉県館山市洲崎の御手洗山に鎮座する神社です。
御手洗山は標高110mメートル。
洪波万里・黒潮踊る太平洋を一望し、
富士の霊峰、大島の御神火を指呼の間に望む
風光明媚な山稜で、地元の人達には神社山として親しまれています。

平安時代末期の1180年、石橋山の合戦に敗れ、
房総半島に逃れてきた源頼朝が参詣し、
源氏の再興を祈願したとされています。


県道沿いに建つ社号標。

      20171125洲崎神社01

『安房之国一宮』と記されています。

一宮とは、令制国の一宮を指すことが多く、
ある地域の中で最も社格の高いとされる神社のことです。
江戸時代まで、房総半島南部は安房の国と呼ばれ
洲崎神社は江戸時代まで安房之国の一宮とされていたようです。

明治期にどういった経緯が在ったのか分かりませんが
現在の安房国の一宮は安房神社とされているようです。


こちらは、旧・社号標。

      20171125洲崎神社02


洲崎神社は洲崎地区の観光資源の一つでもあるようで
周辺を含めた観光案内図も完備されています。

      20171125洲崎神社03



こちらが一の鳥居。

      20171125洲崎神社04


      20171125洲崎神社05


鳥居には大注連縄。

      20171125洲崎神社07



なぜか、その大注連縄には久那戸大神の名が...............。

      20171125洲崎神社06


  
一の鳥居をくぐって境内に入ります。


すぐ目に留まるのが、子宝蘇鉄。

      20171125洲崎神社08

房総半島には蘇鉄が多い。



手水舎。

      20171125洲崎神社09



洲崎神社の由縁書の碑。

      20171125洲崎神社10



こちらは、随身門。

      20171125洲崎神社11



随身門とは聞き慣れない言葉ですが、
神社の門の中で、門の左右に随身(随神)と言う守り神を安置した門のことを
「随身門」と言うそうです。

      20171125洲崎神社14


      20171125洲崎神社15




実は、この洲崎神社は社務所があるものの
神職が他の神社と兼務していて、神職は常駐していません。
従って、御朱印は半紙に書置きしたものが、
この随身門の左側に置かれています。

      20171125洲崎神社12


書置きだから、拝参日は記入されていません。
そのため筆ペンも置かれていて、自分で記入することになります。

      20171125洲崎神社13



御朱印も手に入れた事だし、じっくりと洲崎神社を参拝いたしましょう。



      
随身門先には長い石段。
この石段は『厄祓坂』と呼ばれています。

      20171125洲崎神社16


      20171125洲崎神社17



石段を上りきった先には拝殿。

      20171125洲崎神社18



拝殿に掲げられた扁額。

      20171125洲崎神社19

『安房國一宮 洲崎大明神』
ここまで書かれると、たった1枚の扁額ですが
尊厳さを感じます。

そう思うと、拝殿の見た目もまた違った感覚に感じます。

      20171125洲崎神社20



拝殿の正面は東京湾。

      20171125洲崎神社21

拝殿から石段、そして鳥居の先には紺碧の海。



拝殿左側には遊歩道。
しばらく歩けば、富士見鳥居。

      20171125洲崎神社22


      20171125洲崎神社23



富士見鳥居と言うだけあって、富士山の眺望は良い。

      20171125洲崎神社24


      20171125洲崎神社25



こちらが、洲崎神社の御朱印。

      20171125洲崎神社26

力強い文字。
大相撲の番付表に出てきそうな書体。
味のある御朱印です。
半紙の書置きなのが残念です。
ちなみに日付は私が付け足しました。



2018/01/06 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............館山市立東小学校 (2017年11月25日)(千葉県館山市) 

11月25日

この日は、館山市に出かけました。

Wikipediaによれば、館山市には6校の廃小学校があるようです。
その内の1校である館山市立東小学校に訪れました。


東小学校は、

明治7年      塩見村に塩見小学校設置。
           波左間村に波佐間小学校を設置
明治22年     塩見村、波左間村を含めた近隣の14の村が合併して
           西岬村が誕生する。
明治39年     塩見・波佐間両校を合併して東小学校と称す。
昭和22年     学制改革により西岬村立東小学校と改称する。
昭和29年     西岬村が富崎村、豊房村、神戸村、九重村、館野村とともに館山市に編入。
           館山市立東小学校と改称する。
昭和57年     東小学校と西小学校が統合して新たに西岬小学校として開校する。
           東小学校は廃校となる。


と、このような沿革となっているようです。



こちらが東小学校の正門。

      20171125東小学校01



昭和47年に廃校になった小学校の正門の門柱。

      20171125東小学校02

表札は、館山市営西岬市民体育館となっています。


地域の避難場所に指定されているようです。

      20171125東小学校03



正門から敷地内に入ると、すぐ左手に建つ碑。

      20171125東小学校04



太田新四郎たる人物の顕彰碑のようです。

      20171125東小学校05

碑文には昭和47年の東小学校廃校に伴い碑を改修したようです。
また、碑文によれば小学校校舎は公民館として流用されることになったようです。


正門を過ぎると、目の前には一本の木。

      20171125東小学校06

子供たちは、この木の横を走りながら通学したのでしょうか?



校庭の一部に杭が打たれ、立ち入り禁止?

      20171125東小学校07



こちらが校舎。

      20171125東小学校08

現在は、公民館として利用されているようです。


      20171125東小学校09



こちらが体育館。

      20171125東小学校10

げんざは、西岬市民体育館となっています。


校庭の杭は一部分。
おそらく、芝生の養生で車の乗り入れを規制しているのでしょう。

      20171125東小学校11



芝生がしっかり管理されているから
芝生を闊歩する びいすけ も気持ち良さそう。

      20171125東小学校12



と、来れば...............
当然こうなります。

      20171125東小学校13


      20171125東小学校14

気持ち良さそうに背中をスリスリ。


体育館前に建つ記念碑。

      20171125東小学校15


廃校記念碑かと思ったら、
館山市の市制施行50周年記念の碑でした。

      20171125東小学校16



校庭の芝生の中に立つ1本の木。

      20171125東小学校17


この木も正門近くの木同様、シンボルツリーとして
子供たちの記憶に残っているのだろう。

      20171125東小学校18


廃校から35年。
房総半島のほぼ先端とも言える地域に在った学校は
公民館と体育館として今もその姿を見て残していました...............。




2018/01/05 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

関東の富士見百景 《 房総半島(館山市)からの富士 》 (2017年11月25日)(千葉県館山市) 

11月25日

この日は、房総半島の館山市に出かけました。

城址巡りで訪れた館山城址である城山公園。
実は、こちらは『関東の富士見百景』の地でありました。


城山公園から眺める館山湾。

      20171125房総半島(館山市)からの富士01

この館山湾は、別名『鏡ヶ浦』と称し、
日本百景に選定された地でもあります。


城山公園でもあり、館山城址でもある。

      20171125房総半島(館山市)からの富士02



そして、『恋人の聖地』でもある。

      20171125房総半島(館山市)からの富士03



さらには、関東の富士見百景の地でもあります。

      20171125房総半島(館山市)からの富士04

北条海岸で探していた『関東の富士見百景』の碑は
この城山公園の展望台に在りました。
文字が擦れて読みづらいけれど、銘板には
『房総半島(館山市)からの富士山』と刻まれています。

この地に碑はあったんですね。
北条海岸でいくら探しても見つからないわけです。



城山公園からの眺望。

      20171125房総半島(館山市)からの富士05




館山湾(鏡ヶ浦)の先には富士山。

      20171125房総半島(館山市)からの富士06



なかなか画像では見づらいようですが
富士山が見えます。

      20171125房総半島(館山市)からの富士07


      20171125房総半島(館山市)からの富士08


個人的に富士山とは相性が悪くて、
富士山の景勝地で晴天に恵まれると言う機会が少ない。
そう言う意味では、この日はラッキー。

最近、良くない事が続いていたから
多少は運気が良くなってきたのかな...............?(笑)




2018/01/05 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

城山公園 (2017年11月25日)(千葉県館山市) 

11月25日

この日は、房総半島の館山市に出かけました。


館山市にある館山城址。
戦国大名の里見氏の居城でしたが、
1614年(天正8年)「里見義康」が当主の時に里見氏は改易され、
館山藩は取り潰しとなり、廃城となりました。

かつての館山城は、公園として整備されて城山公園と呼ばれるようになりました。
館山市街の南側丘陵に位置し、公園内には、椿・梅・桜・ツツジ等の花木が小径をうずめ、
季節に合わせて見事に咲き誇るそうです。

山頂には天守からの眺めが楽しめる三層四階天守閣様式の館山城(八犬伝博物館)、
中腹の館山市立博物館本館と併せて歴史の散策が楽しめるそうです。
また、頂上付近には万葉集にも詠まれた植物を小径に集めた万葉の径や、
桜・楓・松・梅などを配植し、白砂利の枯山水、小流れなどを設けた日本庭園と茶室があり、
茶会等に利用されているようです。


館山城を見学がてら、城山公園を散策いたしましょう。


公園入口にある園内案内図。

      20171125城山公園01


      20171125城山公園02



その脇には千葉県内では見慣れた碑。

      20171125城山公園03

房総の魅力500選の碑。


館山城跡でもある城山公園。
当然、麓から復興天守閣が見えます。

      20171125城山公園04




この復興天守閣が、館山市のランドマークと言ってもいい。
市街地からもその雄姿を眺める事が出来ます。

      20171125城山公園05

近くを通る度に気になってました。



鹿島堀跡に建つ句碑。

      20171125城山公園06

歌人 利田正男 の作のようです。



埋め戻された鹿島堀は、今は芝生広場。

      20171125城山公園07


いきなり、転がって背中をスリスリ。
ローリングに夢中になる びいすけ 。

      20171125城山公園08



城山の頂上にある復興天守閣を目指しましょう。

      20171125城山公園09


なぜか、ブロックの上を歩く びいすけ 。

      20171125城山公園10


テレビのCMで『小蝿がぽっとん』って言うのがあったけど
まさにその状態(笑)。

      20171125城山公園11


遊歩道の途中にあった何かのオブジェ。

      20171125城山公園12

立ち入り禁止のロープが張られているから近寄れません。



二の丸の千畳敷に建つ句碑。

      20171125城山公園13

『はらからの碑』と銘板には刻まれています。


すぐ近くには、『小高景郎詩碑』

      20171125城山公園30

民謡 里見節 が刻まれています。
こんな民謡があったんですね。



詩碑の背後の本丸には復興天守閣。

      20171125城山公園14



館山市のランドマークであり、
この城山公園のランドマークでもある復興天守閣。

      20171125城山公園16



本丸跡は芝生広場。
匂い嗅ぎに夢中になる びいすけ 。

      20171125城山公園18



気になる匂いがあるのか?
例の如く、いきなりごろ〜んと転がり背中をスリスリ...............。

      20171125城山公園19


      20171125城山公園20



本丸に建つ城址碑。

      20171125城山公園17



本丸の海側にも別な城址碑。

      20171125城山公園15

背後には館山湾(鏡ヶ浦)。
鏡ヶ浦は日本百景にも選ばれている景勝地。



そして、ここにもこんな碑。

      20171125城山公園21

海岸が綺麗に見える場所は、恋人の聖地になっちゃうのかな?



館山湾の遥か先には、秀麗富士山。

      20171125城山公園22



二の丸跡周辺には日本庭園がありますが
犬連れには敷居が高いから遠慮します。


二の丸奥の尾根伝いを散策します。

      20171125城山公園23



尾根伝いの道は、中世の山城の雰囲気が満載。

      20171125城山公園24



こんな堀切があったりする。

      20171125城山公園25



でも四阿があったりして、公園なのは間違いない。

      20171125城山公園26


四阿の向かいには梅園。

      20171125城山公園27


中には万葉の径と言う散策路があるらしい。
でも、今回はパス。

      20171125城山公園28



さらに下った先には、里見氏八遺臣の墓。

      20171125城山公園29

この八遺臣が里見八犬伝のモデルになったと言われています。


単なる公園ではなく、歴史を学び、感じ取る事が出来る城山公園。
やっぱり、この城山公園こそが館山市のランドマークなんだなぁと思わせてくれます。



2018/01/04 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

館山城址 (2017年11月25日)(千葉県館山市) 

11月25日

この日は、館山市に出かけました。

予定外の北条海岸に立ち寄ったりしましたが
当初の目的地である 館山城址 に到着です。


館山城は、1580年(天正8年)に里見義頼によって築城されました。
館山城主である里見氏は清和源氏の流れをくむ名族で、
戦国時代、里見氏六代義尭の代には安房・上総・下総の三国57万石を
所領とするほどの全盛期を迎えました。

しかし、1538年(天文7年)里見義尭は小田原の北条氏康と国府台で戦って敗れ、
里見氏七代義弘も1564年(永禄7年)北条氏康・氏政父子と再び国府台で戦って敗れました。
 
里見氏八代義頼の本拠地は岡本城でしたが北条軍に攻められ、
支城の久留里城・佐貫城なども危うくなったため、
1588年(天正16年)新たに館山城の築城工事に着工しました。
1590年(天正18年)に完成すると同時に館山城に本拠を移しました。
しかし、里見氏の宿敵である小田原の北条氏が豊臣秀吉によって滅亡し、
里見義康は小田原への参陣が遅かったことを責められ、
秀吉によってその領地は安房一国9万2千石に減封されてしまいました。

里見義康は1600年(慶長5年)の関ヶ原の合戦で東軍の徳川秀忠に加勢したため3万石を加増。
里見氏十代忠義も当初は徳川幕府に重んじられていましたが、
1614年(慶長19年)妻の祖父である小田原城主大久保忠隣の改易に巻き込まれ、
徳川幕府の外様大名取り潰し政策の犠牲となって
里見氏は改易され、館山藩は取り潰しとなり安房一国を没収されてしまいます。
館山城は廃城となり、破却されてしまいました。

後の1781年(天明元年)に、稲葉正明が館山藩主となって館山に入りましたが
城を再建することはなく、2代正武が城の麓に館山陣屋を構えて、
そこを新たな政庁としました。


館山城は標高72mの城山(根古屋山)の岩壁を切り削って築かれた要害堅固な城で、
山麓には堀をめぐらしていました。
現在、館山城跡は城山公園として整備され、
山頂広場には昭和57年に三層四階の模擬天守が建てられました。
天守内部は館山市立博物館の分館と模擬天守なり、
館内には江戸時代の文豪である滝沢馬琴がその半生をかけて書き上げた
『南総里見八犬伝』に関する多くの資料を展示しているそうです。



駐車場から遊歩道を歩くと、すぐ目に留まる標柱。

      20171125館山城址01


      20171125館山城址02


城山の麓は公園整備に伴い、かなり改変されています。
そのため、城郭遺構はあまり残っていないようです。


駐車場近くの鹿島堀跡。

      20171125館山城址03

堀は廃城の際に埋め戻されてしまったそうです。


それでも城下の御霊山と呼ばれる場所には、
このような空堀と土塁が残っています。

      20171125館山城址04



公園造成時に造られた遊歩道を上がって行くと、二郭(二の丸)。

      20171125館山城址05




そして、この先は主郭(本丸)。

      20171125館山城址06



主郭(本丸)に建つ復興天守閣。

      20171125館山城址07

実は、館山市立博物館の分館。


城址碑のオブジェ。

      20171125館山城址08

復興天守閣と言えども、こう言うモノがあると様になる。


山城だけあって、眺望に長ける。
眼下に広がる館山の城下。

      20171125館山城址10

数百年前も、こんな感じで城下町が広がっていたんでしょう。


そして、海原の先には富士山。

      20171125館山城址09

里見の歴代の城主もこの富士山を眺めていたのだろう。



本丸の復興天守閣。
      
      20171125館山城址12

澄み渡った青空に白亜の天守閣が映えます。


本丸の標柱。

      20171125館山城址11



そして、本丸に建つ城址碑。

      20171125館山城址13



しかし、疑問が...............

      20171125館山城址14

館山城跡なら分かるが、なぜ里見城跡?


城址碑の前には、狛犬ならぬ里見の千力猿。

      20171125館山城址15



本丸の一角には、浅間神社。

      20171125館山城址16


      20171125館山城址17




本丸のピーク削平の残土で埋め立てられたとされる二郭(二の丸)の通称『千畳敷』。

      20171125館山城址18


所々に土塁も残っています。

      20171125館山城址19



尾根沿いに降って行けば、里見家八遺臣の墓。

      20171125館山城址20


里見氏十代忠義が倉吉で病死すると、
倉吉の大岳院にある主君の墓前で8人の家臣が殉死しました。
その遺骨は館山城の麓に分骨され、この地に眠っています。

      20171125館山城址21



この八遺臣が『南総里見八犬伝』のモデルになったそうです。

      20171125館山城址22



二の丸から八遺臣の墓に至る尾根沿いの登城路。

      20171125館山城址23



この登城路が一番、中世の山城の雰囲気を醸し出しているような気がします。

      20171125館山城址24


数年前から、『訪れよう! いつか訪れよう! 』と思っていた館山城址。
南総里見八犬伝の所縁の城でもあり、
安房の戦国大名里見氏の最後の城でもある。

遺構が少なくて残念な気もするけれど
雄大な富士山の姿も見ることが出来る。
戦国時代には、立派な城だったんだろうなぁ...............。



2018/01/03 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

北条海岸 (2017年11月25日)(千葉県館山市) 

11月25日

この日は、房総半島の先端とも言える館山市に出かけました。


久しぶりの快晴。
雲一つない晴れ間。
せっかく館山市に向かっているんだから
当初の予定にはありませんでしたが
館山市の北条海岸に立ち寄ってみました。

      20171125北条海岸01


時期的なのか?
はたまた護岸工事でも行うのか?
砂浜には杭が打たれていて、立ち入り禁止?

      20171125北条海岸02


      20171125北条海岸03



北条海岸は館山市の中でも屈指の海水浴場。
駐車場もそれなりに完備され、遊歩道も整備されていて
散歩に訪れる人も多いようです。

      20171125北条海岸04



遊歩道を散策していると、小さな桟橋を発見。

      20171125北条海岸05



桟橋の先端まで行ってみます。


この先は立ち入り禁止。

      20171125北条海岸06



実は、この北条海岸は富士山の景勝地でもある。

      20171125北条海岸07

関東の富士見百景でも《房総半島(館山市)からの富士》として
この北条海岸もその一部として選定されています。
特に夕陽の富士山は絶景だと言われています。


かすかに見える富士山。

      20171125北条海岸08

個人的に富士山とはあまり相性が良くないみたいですが
この日は何とか富士山を拝むことが出来ました。

ひょっとしたら、関東の富士見百景の碑も、この北条海岸にあるのでは?
そんな期待を胸に、北条海岸の散策は続きます。


遊歩道の終点(館山駅側からみたら始点?)に何かの碑を発見!

      20171125北条海岸09


『関東の富士見百景の碑』かと思いきや、残念。

      20171125北条海岸10

放魚祭記念碑でした。


ガラスのモニュメント。

      20171125北条海岸11



今度こそ、『関東の富士見百景の碑』と思いきや...............

      20171125北条海岸13

『恋人の聖地』のプレート。

最近、この『恋人の聖地』ってヤツが増えている。
そんなに聖地がいっぱい有ってどうするの?(笑)。


この南国ムードの雰囲気が、『恋人の聖地』たる所以なのだろうか?

      20171125北条海岸12


  
結局、『関東の富士見百景』の碑は見つかりませんでした。
でも久しぶりに富士山が見れたから良しとしましょう。


  




2018/01/02 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

矢尻の井戸 (2017年2月27日)(千葉県館山市) 

2月27日 公休日

この日は、房総半島の勝浦から鴨川、南房総、館山と出かけました。

館山の洲崎灯台をあとにして、向かった先は...............矢尻の井戸


源頼朝にまつわる伝説、伝承は数多くあります。


源頼朝が伊豆から安房へ逃れてきたときの上陸地は鋸南町勝山地区の竜島ですが、
洲崎に上陸したという説もあります。
それが洲崎の台地の下にある臥島だと言われ、
臥竜島・竜島の別名もあるとされています。

矢尻の井戸は、上陸した頼朝が飲み水がないため、岩間に矢尻を突き立てたところ、
そこから清水が湧いたという伝説の場所だそうです。
また洲崎の頼朝伝説は、ほかに頼朝の上陸を助けた漁師に平島の名字を与えたと言うものや、
頼朝に鍋の穴を綿で塞いで食事を供して綿鍋の姓をもらったという伝説があるようです。
地名でも、洲崎神社に参詣した頼朝が、笠を松に掛けて「あれ見よう笠掛けて」といったことから、
頼朝が見た集落を「見様{みよ}=漂」、立っていた集落を「笠掛{かさげ}」
と言われるようになったという伝説もあるそうです。




洲崎灯台から徒歩でも5分ぐらいの距離。
房総フラワーライン(県道257号線)沿いに何やら石標のが見えます。

      20170227矢尻の井戸02


      20170227矢尻の井戸01


     
石碑に近寄って見ると...............

      20170227矢尻の井戸03



ここにも頼朝上陸地の碑がありました。

      20170227矢尻の井戸04


      20170227矢尻の井戸05



そして、上陸地の碑の手前50mほどの所に何かがあります。

      20170227矢尻の井戸06

こちらが、『矢尻の井戸』のようです。


井戸の前には標柱。

      20170227矢尻の井戸07

『凛々と湧く頼朝矢尻の井戸水』と刻まれています。


こちらが、矢尻の井戸。

      20170227矢尻の井戸08



コンクリートの井戸だから、とても頼朝の時代の井戸には見えません。

      20170227矢尻の井戸09

危険防止の為の枠がはめられています。
中を覗き込んでみたけれど、暗くてよく見えない。

しかし、とても凛々と湧き出る井戸には見えない。
この辺りが伝説たる由縁と言った所でしょうか?


近くには、矢尻の井戸の記念碑。

      20170227矢尻の井戸10

『源は同じ流れぞ岩清水 せきあげてたべ雲の上まで』と刻まれています。

これは、洲崎明神に参拝した頼朝が詠んだと伝えられています。


碑の裏面には、頼朝を助け鎌倉幕府成立に貢献した
郷土の先人を讃える旨の碑文が刻まれています。

      20170227矢尻の井戸11


確かに、鋸南町に上陸したにしろ、館山(洲崎)に上陸したにしろ、
房総の人々の協力無くして、頼朝の復活は無かったであろう。
千葉氏や東氏の功績はあったにしろ、
この房総の地に逃げ延びることが出来たから
後の源氏の繁栄があったんだろうなぁ。


2017/03/27 Mon. 15:15 | trackback: -- | 本文: -- | edit