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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

道の駅 にらさき (2019年10月25日)(山梨県韮崎市) 

10月25日

1泊2日の山梨旅行。
2日目の韮崎市。

穴山小学校をあとにして、向かった先は.............道の駅 にらさき。



本当は、初日の昨日に立ち寄る予定だったのをうっかり忘れちゃって.........
何せ、昨日は車を擦って、左前フェンダーに大きな傷を付けちゃったりして
ちょっと落ち込んでいたからねぇ(笑)。


山梨県内には、21ヶ所の道の駅があるらしい。
せっかく韮崎市にいるんだから、『道の駅 にらさき』にも立ち寄らなきゃ!!

      20191025道の駅にらさき01


      20191025道の駅にらさき02


しかし、相変わらずの雨。

平日だし、雨も降ってるからあまり来場者は居ません。
駐車場も空いている。

      20191025道の駅にらさき03



テントが張られていると言うことは
土日祝日には、ちょっとした催事やイベントもあるのかな?
なんて思っていたら................

      20191025道の駅にらさき04


どうやら、喫煙所と軽く休憩出来るスペースとして
利用されているみたいです。

      20191025道の駅にらさき05



こちらが情報エリア。

      20191025道の駅にらさき06

周辺観光地のパンフレットが置かれています。


道の駅のスタンプもこちらに置かれています。

      20191025道の駅にらさき07



その奥が飲食エリア。

      20191025道の駅にらさき08

軽い食事が出来るようです。




そして、物産販売所。


地域の名産品。

      20191025道の駅にらさき09


      20191025道の駅にらさき10


      20191025道の駅にらさき13




そして、地元産の野菜。

      20191025道の駅にらさき11


      20191025道の駅にらさき12

キャベツとレタスが安かったから
しっかり買って帰ります。


道の駅の切符もレジで購入出来ます。


こちらが道の駅の切符。

      20191025道の駅にらさき14


      20191025道の駅にらさき15



そして、道の駅のスタンプ。

      20191025道の駅にらさき16


道の駅の切符とスタンプ。
また一つ増えました。



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2019/12/15 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................穴山小学校 (2019年10月25日)(山梨県韮崎市) 

10月25日

1泊2日の山梨旅行。
その2日目、清里から韮崎市へと向かいます。


昨日、ほぼ一日韮崎市を巡っていましたが
当初の予定から行きそびれてしまった廃校があり
急遽、韮崎市へと向かいました。

向かった先は................韮崎市立穴山小学校。


穴山小学校の詳しい沿革は不明です。
現地に創立百周年の記念碑があったので、
そちらに沿革が記されていて、参考になりました。

敷地には、明治11年の校舎新築記念として植樹した
『ヒイラギ』の木があるそうです。


明治6年泉竜寺を仮校舎として穴山小学校が開設する。
明治11年藤村様式の新校舎が竣工する。
明治25年高等科を併置する。
大正11年現在地に校舎を新築し移転。
昭和16年火災により校舎消失。
昭和18年新校舎竣工。
昭和22年学制改革により穴山小学校と改称する。(昭和26年まで穴山中学校を併設する)
昭和26年新府中学校が開設され、穴山小学校単独となる。
昭和29年韮崎市立穴山小学校と改称する。
平成2年藤井小学校、中田小学校、穴山小学校が統合し
新たに韮崎市立北東小学校が開校する。
穴山小学校は廃校となる。


と、このような沿革となるようです。




こちらが、正門跡。

      20191025穴山小学校01


石造りの古い門柱です。

      20191025穴山小学校02



廃校後、校舎は解体されてしまったようです。

      20191025穴山小学校03



敷地の一部に『穴山町ふれあいホール』と言う施設が平成9年に建てられてそうです。

      20191025穴山小学校04

いわゆる、地域のコミュニティセンターですね。


体育館は健在と言うか、その姿を遺しています。

      20191025穴山小学校05



雨の廃校。

      20191025穴山小学校06



校庭は水たまり状態。

      20191025穴山小学校07



体育館の前に、国旗掲揚ポール。

      20191025穴山小学校08



カマボコ屋根の体育館。

      20191025穴山小学校09

時代を感じさせる形ですね。
昔は体育館の屋根って言う言ったら、
このカマボコ屋根が定番だったんだよねぇ。


体育館の前には碑が並ぶ。

創立百周年の記念碑。

      20191025穴山小学校12



その裏面。
刻まれているのは沿革でした。

      20191025穴山小学校10




こちらは、『穴山小学校閉校之碑』

      20191025穴山小学校11

一応、閉校記念の碑なんだから『記念』って言う二文字が欲しいよね。


こちらは経緯度標柱。

      20191025穴山小学校13

山梨県の小学校では、よく見かけます。



タイムカプセルの碑。

      20191025穴山小学校14

埋められたのは1972年のようです。
2000年に開ける と碑文が刻まれている。
もう開封されちゃったんでしょね。



こちらは、校歌の碑。

      20191025穴山小学校15



こちらは、明治百年の記念碑。

      20191025穴山小学校17


体育館は明治百年の記念で建てられたもののようです。



石膏の像。

      20191025穴山小学校16



朝礼台。

      20191025穴山小学校18



校庭には遊具も残る。

      20191025穴山小学校19


      20191025穴山小学校20


      20191025穴山小学校21


      20191025穴山小学校22



校庭の片隅には小さな碑。

      20191025穴山小学校23



卒業生の作詞者であり、童謡詩人である『権藤はなよ』の碑です。

      20191025穴山小学校24




明治11年の校舎新築記念として植樹した『ヒイラギ』の木。

      20191025穴山小学校25


      20191025穴山小学校26


校舎は無くなっても、このヒイラギの木は
いつまでも、この地に残る事でしょう。





2019/12/15 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................円野小学校 (2019年10月24日)(山梨県韮崎市) 

10月24日

10月24日〜25日の1泊2日で清里方面へ旅行に出かけました。

初日の24日。
この日は、韮崎市を中心に巡ります。


中田小学校をあとにして、向かった先は.............韮崎市立円野小学校。


円野小学校の沿革も事前にネットでは調べる事は出来ませんでしたが
現地に建てられていた閉校記念碑によれば..............

明治6年      第一大学区第四十三番中学区第七十番公立小学円井学校として設置される。
明治8年      円野村設立により円野小学校と改称する。
明治9年      校舎を下円井区大字下河原に新築し移転する。
明治20年     円野尋常小学校と改称する。
明治33年     円野尋常高等小学校と改称する。
明治40年     釜無川が未曾有の洪水により校舎流失。
明治41年     現在地に校舎を新設し移転。
昭和22年     学制改革により円野村立円野小学校と改称する。
昭和29年     韮崎町、穂坂村、藤井村、清哲村、神山村、大草村、竜岡村、                          旭村、中田村、穴山村、円野村が合併して韮崎市が発足。
         韮崎市立円野小学校と改称する。
昭和53年     円野小学校、清哲小学校、神山小学校が統合して、
         新たに韮崎市立北西小学校が開校。
         円野小学校は廃校となる。


と、このような沿革となっているようです。




ふぇんすの奥にあるのはかつての門柱。

      20191024円野小学校01

でも、この場所が正門跡だったようではなさそうで
後から、この場所に移設されたようです。



石造りの古い門柱。

      20191024円野小学校02



表札は文字がカスれたのか?
はたまた消されたのか?
校名は残っていない。

      20191024円野小学校03



こちらも廃校後、校舎はかいたいされ、現在は更地状態。

      20191024円野小学校04



グランドとして利用されているのか?
雑草がないと言うことは、それなりに管理されているようです。

      20191024円野小学校05



そのグランド(?)の一部に、それっぽい場所がある。

      20191024円野小学校06



近づいてみると、碑がありますね。

      20191024円野小学校07




円野小学校之記念碑

      20191024円野小学校10

いわゆる廃校記念碑ですね。(学校跡碑の方が正解かも?)



嬉しいことに、裏面には沿革が刻まれています。

      20191024円野小学校11



こちらは、二宮像。

      20191024円野小学校08



      20191024円野小学校09




タイムカプセルと記された小さな碑。

      20191024円野小学校12

この下に埋められているんでしょうね。



こちらは元標と記されている。

      20191024円野小学校13




よくみると、夜間照明施設も完備されている。

      20191024円野小学校14

やっぱり、グランドとし利用されているようですね。
ちょっぴり荒れ気味に見えるのは、今年の大きな台風のせいでしょうか?




誰もいないグランドを びいすけ は気ままに徘徊。

      20191024円野小学校15

それを見守る もっちゃん 。



近くにあまり民家は無いから、犬の散歩コースでは無いようだけど
匂いが気になる びいすけ 。

      20191024円野小学校17

野生の動物でも出てくるんでしょうか?





先ほどの門柱の脇には、土に埋もれかけたローラー。

      20191024円野小学校16

赤茶色に錆び付いているのが、古さを物語る。

一体、いつからこの場所で野ざらしになっていたんだろう...................



2019/12/10 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

新府城址 (2019年10月24日)(山梨県韮崎市) 

10月24日


10月24日〜25日の1泊2日で清里方面へ旅行に出かけました。

初日の24日。
この日は、韮崎市を中心に巡ります。


祖母石分校をあとにして、向かった先は.............新府城址。


新府城は、韮崎市中田町にかつてあった日本の城郭です。
昭和48年(1973年)に『新府城跡』として国の史跡に指定されており、
保存のため公有地化されました。
本丸跡地には藤武稲荷神社が建立されています。

武田氏最後の城。武田勝頼が築いた戦国時代末期の城郭跡で築城するも、
織田勢に攻められ、わずか68日で勝頼自らが火を放った悲運の城と言われています。
釜無川を直下に見下ろす断崖の独立した丘陵上に石垣を用いず、
土塁と堀により築城されていた武田氏を代表する甲州流築城術の集大成となる城です。

築城は、天正9年(1581年)から開始され、穴山信君(穴山梅雪)が築城を提案し、
普請をしたのは真田昌幸とされています。
また、その補佐として原貞胤(原隼人祐貞胤)が担当したとされています。
石垣は使われない平山城で、本曲輪・二の曲輪・東の三の曲輪・西の三の曲輪・
帯曲輪などにより構成され、丸馬出し・三日月堀・枡形虎口などの防御施設を持っていたとされています。
その年の年末には勝頼が躑躅ヶ崎館から新府城へ移住しています。

翌、天正10年(1582年)、勝頼は信濃での木曾義昌の謀反を鎮圧するため諏訪へ出兵しますが、
織田・徳川連合軍に阻まれて帰国します。織田軍はさらに甲斐国へ進軍し、
勝頼は3月には小山田信茂の岩殿城に移るために、新府城に火をかけてしまいます。
勝頼は岩殿城に向かう途中に笹子峠(大月市)で信茂の謀反にあい、
天目山(甲州市)へ追い詰められ自害。武田一族は滅亡してしまいます。

武田氏滅亡の後、甲斐国は徳川氏と小田原北条氏との領地争いの舞台となり
徳川勢は新府城を本陣に能見城など七里岩台上の城砦に布陣し、
対して北条氏は都留郡を制圧し、若神子城に本陣を置くと同様に周辺の城砦に布陣し
徳川勢と対峙しますが、徳川・北条同盟が成立し北条氏は甲斐から撤兵することになります。
こうして甲斐は徳川氏が領することになります。
徳川氏は甲府の躑躅ヶ崎館を本拠とし、やがて甲府城が築城されます。
甲府城下町が形成されますが、秀吉の命により徳川氏は関東に移封されてしまいます。
その後、関が原の戦いを経て甲斐は再び徳川氏が領し、
甲府城が甲斐の政治的中心地となり、新府城は廃城となってしまいます。


まぁ、なんとも悲しい歴史と言うか、やっぱりたった68日間と言えども
新府城は武田の城、勝頼の城だと思います。



新府城の縄張り図。

      新府城縄張り図
 
          (余湖さんのHPよりお借りしました。)



県道沿いに建つ『新府城跡』の碑。

      20191024新府城址01




社号標と付いでは無いけれど、近くに建つ案内板。

      20191024新府城址02



案内板にも縄張り図が記載されています。

      20191024新府城址03



本来は、いきなり本丸に向かうのではなく
三の丸、二の丸と巡っていくのが攻城のセオリーですが
今回は時間の関係本丸へと向かいます。

神社へと続く石段を上って行きます。
意外に急傾斜の石段。
結構、脚にきます。

      20191024新府城址04


石段半ばにある朱の鳥居。

      20191024新府城址05


鳥居に掲げられた神額。

      20191024新府城址06

本丸に鎮座するのは藤武神社と称するようです。



びいすけ は、元気一杯。

      20191024新府城址07



一緒に石段を上がる人間は、息が上がります。

      20191024新府城址08



石段の先には藤武神社の社殿。

      20191024新府城址09

でも今回の目的は神社ではない。
軽くお詣りをしたら、拝殿と神楽殿の間の虎口へと向かいます。



本丸虎口。

      20191024新府城址10


      20191024新府城址11



本丸には、新府城の説明板。

      20191024新府城址12


      20191024新府城址13


      20191024新府城址14



説明板を読みふけっていると、足元に居たはずの びいすけ が居ない。

あれっ、、、、!


本丸広場で背中を擦り付け
『うげっ、うげっ』と奇声を発しています。

      20191024新府城址15



本丸広場の標柱前にて。

      20191024新府城址16



実は、この本丸広場で、静岡県から来た城好きのオジさんに出会い

『どちらから?』           「私は千葉の佐倉から。」
『佐倉って、佐倉城の佐倉?』     「そうです、佐倉城址のある佐倉市です。」
『本佐倉城もあるんですよね? いつか行って見たいんですよね』と、
地元佐倉城の話で盛り上がり、話し込んでしまいした。

今まで小さな城郭を含め300以上の城郭に訪れましたが
こんな感じで人と会って話すことなどありませんでした。
城好きには各々が贔屓にしているHPがあるようで
私の場合は 余湖さんのHP ですが、このオジさんは ちえぞーさんのHP と言う事でした。





本丸の土塁。

      20191024新府城址17



本丸をぐるっと一周するように土塁が張り巡らされている。

      20191024新府城址18


この本丸は思ってたいじょうに広い。
二の丸、三の丸は今回見ていないから、言い切れないけれど
勝頼が織田・徳川の甲斐侵攻に備えて、
武田の本拠地を甲府の躑躅ヶ崎館から移した背景には
やはり、多くの兵を収容できる城である必要があったのでしょうね。

      20191024新府城址19


      20191024新府城址20



この広大な城をたった68日間しか居城とする事が出来なかった武田氏の悲運。
戦国時代は如何に激動だったかを思い知らされる。

      20191024新府城址21


駐車場の車に戻るには、この急な石段を下って行きます。

      20191024新府城址22

転け無いように気をつけましょう。



今回、時間の関係で本丸周辺しか見る事ができなかったけれど
またいつか、時間を作って訪れることにしよう。
そのときは、白山城址、能見城址を合わせて訪れたいものです。


2019/12/09 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................韮崎小学校祖母石分校 (2019年10月24日)(山梨県韮崎市) 

10月24日

10月24日〜25日の1泊2日で清里方面へ旅行に出かけました。

初日の24日。
この日は、韮崎市を中心に巡ります。


清哲小学校をあとにして、向かった先は.............韮崎市立韮崎小学校祖母石分校。


『祖母石』と書いて『うばいし』と読むそうです。

祖母石分校は、

昭和22年      城前寺を仮教室にし、韮崎町立韮崎小学校祖母石分校を開校。
昭和24年      新校舎完成。現在地へ移転する。
昭和29年      韮崎町、穂坂村、藤井村、清哲村、神山村、大草村、竜岡村、旭村、中田村、
          穴山村、円野村が合併して韮崎市が発足。
          韮崎市立韮崎小学校祖母石分校と改称する。
昭和34年      台風7号の襲来により校舎流出。
昭和35年      再建新築工事が完成。
昭和38年      本校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっています。

祖母石分校そのものの情報が乏しく、その場所さえ分かりませんでした。
いつものように、『祖母石』と言う地名を頼りに
祖母石公民館にあたりを付け、とりあえず向かって見ます。


こちらが、祖母石公民館。

      20191024祖母石分校01

学校跡らしき雰囲気は感じられるけれど確証は無い。
門柱や、二宮像、廃校記念碑、学校跡碑と言ったモノがあれば良いんですが
そういった類のものは一切ありません。


公民館の敷地でお弁当を広げていた御老人がいたので、訊いて見たら
『地元の人間ではないので分からない』と言われちゃいました。

      20191024祖母石分校02

確かに、地元民じゃ無いと分からない。


そうしているうちに軽トラックが一台入ってきて、
御老人が隣の家の中に入っていった。
すぐさま追いかけてその御老人に尋ねてみると
この場所が祖母石分校跡で間違い無いとの事でした。


分校跡地を探し出したけれど
残念ながら学校遺構が全く残っていない。


おそらく校庭跡と思われる広場。

      20191024祖母石分校03


      20191024祖母石分校04



旧道沿いのフェンスに沿って立ち並ぶ桜の木が
唯一の分校の面影を残しているようです。

      20191024祖母石分校05


      20191024祖母石分校06



敷地にある遊具類は先ほどの御老人の話では、
分校時代の遊具では無いそうです。

      20191024祖母石分校07



確かに廃校から既に56年。
半世紀以上が経っていますからね。

      20191024祖母石分校08


小学校の分校の規模ではちょっと大きすぎる気もするが
ひょっとしたら分校時代の朝礼台?

      20191024祖母石分校09


そんな淡い期待を抱いたりして..............
おそらく、地元の御年配の方しか記憶の中にない祖母石分校。
あと数年もしたら、そんな分校の存在さえも
忘れ去られてしまうのかもしれませんね.............。







2019/12/09 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................清哲小学校 (2019年10月24日)(山梨県韮崎市) 

10月24日

10月24日〜25日の1泊2日で清里方面へ旅行に出かけました。

初日の24日。
この日は、韮崎市を中心に巡ります。


若宮八幡宮をあとにして、向かった先は.............韮崎市立清哲小学校


清哲小学校の詳しい沿革も不明です。
昭和53年に清哲小学校、円野小学校、神山小学校の3校が統合して
新たに韮崎市立北西小学校が開校して
清哲小学校は廃校となりました。

いずれにしても他の小学校同様、
明治期に創設された歴史ある小学校だと思われます。

ちなみに校名の『清哲』とは、明治7年に発足した清哲村から由来します。
水上村・青木村・折居村・樋口村が合併して清哲村となりました。
水上村の『氵』、青木村の『青』、折井村の『折』、樋口村の『口』
それぞれの村の漢字を部主として組み合わせた『清哲』という造語が
村名になったそうです。。




廃校後、校舎は解体されて、
跡地は清哲会館と言う地域の公民館になっています。


清哲会館入口。

      20191024清哲小学校01



この辺りが正門跡になるんでしょうか?
残念ながら門柱は残されていない。

      20191024清哲小学校02



正門跡の脇、フェンス沿いに清哲小学校関連の碑が建ち並ぶ。


こちらは、創立百周年記念碑。

      20191024清哲小学校05

今まで巡ってきた他の廃校同様で、韮崎市の創立百周年記念碑は、ほぼ形が共通。


裏面には沿革らしきモノが刻まれているようですが
正直言って、読めない。

      20191024清哲小学校06



こちらは、閉校記念碑。

      20191024清哲小学校07




こちらは、『郷土愛』と刻まれた碑。

      20191024清哲小学校08



広い敷地の一角に建つ清哲会館。

      20191024清哲小学校03



清哲小学校の校舎も、こんな感じで建っていたのだろうか?

      20191024清哲小学校04



校庭の端のフェンス沿いには古い桜の木が並ぶ。

      20191024清哲小学校09



この風景は学校跡を十分に感じさせてくれる。

      20191024清哲小学校10



だれも居ない校庭跡で戯れる もっちゃん と びいすけ 。

      20191024清哲小学校11


      20191024清哲小学校12


      20191024清哲小学校13


ヒソヒソと内緒話?
『お父さんがオヤツくれるよ!』なんて言ったのでしょうか?

      20191024清哲小学校14


一目散にダッシュで、こちらに向かって来ます(笑)。

      20191024清哲小学校15



ネコでも見かけたのか?
やたらと周りを気にする びいすけ。

      20191024清哲小学校16



とにかく、この辺りが気になるようです。

      20191024清哲小学校17



ちょっと先には忠魂碑。

      20191024清哲小学校18

やっぱり、古き歴史のある小学校だったようです。


ここまて、巡ってきた4つの廃校。
いずれも詳しい沿革が分からず残念と言えば残念です。




2019/12/08 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...................若宮八幡神宮 (2019年10月24日)(山梨県韮崎市) 

10月24日

10月24日〜25日の1泊2日で清里方面へ旅行に出かけました。

初日の24日。
この日は、韮崎市を中心に巡ります。


倭文神社をあとにして、向かった先は.............若宮八幡宮。


若宮八幡宮は、韮崎市

 
若宮八幡宮は韮崎市若宮に鎮座する神社です。

創建は仁和年間(885年~897年)と伝えられ、元は七里岩上にありましたが、
天正11年の大雨による山崩れで破壊され、天正13年に現在の場所へ柱立てをし、
棟上をしたとされています。

かつて、河原部村(かわらべむら)と言われた地に鎮座し、
その河原部村の氏神、通称「かわらべさん」として親しまれてきたそうです


御祭神は、大鷦鷯命(第十六代仁徳天皇)。



 
社号標。

      20191024若宮八幡宮01



神社社頭。

      20191024若宮八幡宮02



手水鉢。

      20191024若宮八幡宮03



吐出口は定番の龍。

      20191024若宮八幡宮04



定めの記された板。

      20191024若宮八幡宮05

これは何と言うんでしょうね?



参道の狛犬。

      20191024若宮八幡宮06


      20191024若宮八幡宮07



石段の途中にある随身門。

      20191024若宮八幡宮08


向かって左側の随身ぞうの矢大神。

      20191024若宮八幡宮09


そして、右側の左大臣。

      20191024若宮八幡宮10


    

こちらが、拝殿。

      20191024若宮八幡宮11



拝殿に掲げられた扁額。

      20191024若宮八幡宮12

社号ではなく、御祭神の仁徳天皇と記されています。



向拝の彫刻。

      20191024若宮八幡宮13



別アングルからの拝殿。

      20191024若宮八幡宮14


      20191024若宮八幡宮15



見づらいけれど、本殿。

      20191024若宮八幡宮16



こちらでも、しっかりと参拝いたします。

      20191024若宮八幡宮17



境内社の金刀比羅神社。

      20191024若宮八幡宮18



末社の祠も建ち並ぶ。

      20191024若宮八幡宮19


      20191024若宮八幡宮20



こちらは、神楽殿。

      20191024若宮八幡宮21



招霊木。

      20191024若宮八幡宮23



その説明板。

      20191024若宮八幡宮22



随身門脇に置かれた鬼瓦。

      20191024若宮八幡宮24



「鶴亀松」の碑。

      20191024若宮八幡宮25

以前は鳥居前に「鶴亀松」と言う、300年以上の樹齢を誇る2本のクロマツがありました。
市の天然記念物に指定されていましたが、平成27年の年末に枯死してしまいました。



そして、こちらが若宮八幡宮の御朱印。

通常版。

      20191024若宮八幡宮26



天皇即位の限定版。

      20191024若宮八幡宮27


授与所にて拝受いたしました。



2019/12/08 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...................倭文神社 (2019年10月24日)(山梨県韮崎市) 

10月24日

10月24日〜25日の1泊2日で清里方面へ旅行に出かけました。

初日の24日。
この日は、韮崎市を中心に巡ります。


武田八幡宮をあとにして、向かった先は.............倭文神社。


倭文神社は、韮崎市穂坂町に鎮座する神社です。

甲斐国所在の延喜式内社二十社の一つで、
甲斐国志には倭文神社降宮大明神とあるそうです。

穂坂総社とされ、宮久保、柳平、三ツ沢三村の産神で
郷中最も格式の高い神社であったそうです。
穂坂町の御牧の役人や妻女たちが織った倭文織りの守護神で、
産婦の守護神としても崇敬厚い神社であるそうです。


御祭神は天羽槌雄命。
    天棚機姫命。



神社社頭。

      20191024倭文神社01



鳥居に掲げられた神額。

      20191024倭文神社02

こちらには、『降宮大明神』とある。


由緒の記された説明板。

      20191024倭文神社03

実は、『倭文』と書いて『しずり』と読むらしい。
いやぁ、知らなかったから、『わぶんじんじゃ』だと思っていました(笑)。




鳥居背後の狛犬。

      20191024倭文神社04


      20191024倭文神社05



こちらにも随身門。

      20191024倭文神社06

韮崎の神社には随身門が多いような気がするけれど、気のせい?


向かって左の随身像、矢大神。

      20191024倭文神社07



向かって右の随身像、左大臣。

      20191024倭文神社08



随身門の先に見えるは拝殿。

      20191024倭文神社09



拝殿正面。

      20191024倭文神社10



別アングルからの拝殿。

      20191024倭文神社11


      20191024倭文神社12



そして、こちらが本殿。

      20191024倭文神社13



拝殿の屋根には神紋。

      20191024倭文神社14



こちらが神楽殿。

      20191024倭文神社15



神楽殿の屋根にも神紋。

      20191024倭文神社16



厳かな雰囲気の中で もっちゃん と びいすけ が参拝しています。

      20191024倭文神社17



そして、こちらが倭文神社の御朱印。

      20191024倭文神社18

ちなみに、こちらは普段は無人の神社。
本務社の若宮八幡宮にて拝受いたしました。



2019/12/07 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...................武田八幡神社 (2019年10月24日)(山梨県韮崎市) 

10月24日

10月24日〜25日の1泊2日で清里方面へ旅行に出かけました。

初日の24日。
この日は、韮崎市を中心に巡ります。


神山小学校をあとにして、向かった先は.............武田八幡宮。


武田八幡宮は、韮崎市神山町に鎮座する神社です。


社伝によれば、弘仁13年(882年)に宇佐神宮、または石清水八幡宮の分霊を勅命によって勧請し、
地名から武田八幡宮と称したのが草創とされるそうです。
清和天皇の頃に奉幣と社領の寄進が行なわれた後、
武田信義が武田八幡宮を氏神とし、社頭の再建などを行ったとされています。

歴代の甲斐国司も造営を行なったとされ、
戦国時代には甲斐守護・武田晴信(後の信玄)が
天文10年(1542年)に大檀主として
嫡子・武田義信とともに再建したとされ、
この造営は国主となった晴信の最初の事業であり、
苗敷山穂見神社(韮崎市旭町)の別当・阿闍梨栄真が
小旦那として再建に携わったということです。


御祭神は、誉田別命。
     足仲津彦命
     息長足姫命
     武田武大




神山小学校の跡地は武田の里駐車場。
その一角には、こんな案内板が建っています。

      20191024武田八幡宮01



そして、隣接する道路には武田八幡宮の二の鳥居が建っています。

      20191024武田八幡宮02




二の鳥居からまっすぐ伸びる道を300mほど進めば武田八幡宮です。

      20191024武田八幡宮03



こちらは、三の鳥居になるようです。

      20191024武田八幡宮04

この鳥居の背後には随身門。



随身門の脇には説明板。

      20191024武田八幡宮05



説明板の背後には御神木。

      20191024武田八幡宮06
      20191024武田八幡宮07
   20191024武田八幡宮08



手水舎。

      20191024武田八幡宮09




随身門の随身像。
向かって左側の矢大神。

      20191024武田八幡宮11



向かって右側の左大臣。

      20191024武田八幡宮12



随身門をくぐれば、急な石段。

      20191024武田八幡宮13



石段を上った先には社殿と思いきや
そこには神楽殿。

      20191024武田八幡宮14



こちらが、その神楽殿。

      20191024武田八幡宮24



社殿はさらにその先。
もうちょっと石段を上がりましょう。

       20191024武田八幡宮15




こちらが、拝殿。

       20191024武田八幡宮16



別アングルからの拝殿。

       20191024武田八幡宮17


      20191024武田八幡宮18



そして、こちらが本殿。

      20191024武田八幡宮19




本殿の手前が若宮八幡神社。
  
      20191024武田八幡宮20



本殿の鬼瓦。

      20191024武田八幡宮21

本当に鬼がいる。



本殿の説明板。

      20191024武田八幡宮10



こちらが、若宮八幡神社。

      20191024武田八幡宮22




若宮八幡神社の説明板。

      20191024武田八幡宮23




こちらは、本殿背後の御神木。

      20191024武田八幡宮25
      20191024武田八幡宮26




拝殿脇の由緒の記された石碑。

      20191024武田八幡宮27



境内の祠。

      20191024武田八幡宮28



こちらが社務所(授与所)ですが、普段は無人の神社ですから閉まっています。

      20191024武田八幡宮29



武田八幡宮のすぐ近くに為朝神社も鎮座しています。

      20191024武田八幡宮30



小さな案内で白山城址を案内しています。

      20191024武田八幡宮31



白山城址の説明板。

      20191024武田八幡宮32


こんなのを見たら、ほっとけません。
この時点では、白山神社にも向かう気満々。

なぜ、城に向かうのかって?
答えは簡単、そこに城があるからです!!
なんて思っていましたが.................



この看板を見たら、一気に意欲がそげました。

      20191024武田八幡宮33


獣避けのフェンスの向こうを進んで白山城址に至ります。
鉄のフェンスの向こうです。
入り口には『熊注意』の看板。
いや〜、今回はパスいたしましょう(笑)。


言う事で、為朝神社へと足を伸ばします。


こちらが為朝神社。

      20191024武田八幡宮35




      20191024武田八幡宮34





      20191024武田八幡宮36



そして、こちらが武田八幡宮の御朱印。

      20191024武田八幡宮37


本務社の若宮八幡宮にて拝受いたしました。



2019/12/07 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................神山小学校 (2019年10月24日)(山梨県韮崎市) 

10月24日

この日は、山梨県に出かけました、

山梨県と言っても広い。
今回は、韮崎市を中心に北杜市の一部にも立ち寄ってきました。

南宮大神社をあとにして、向かって先は...............韮崎市立神山小学校。


神山小学校の詳しい沿革も不明です。

おそらく明治期に創設された歴史ある小学校だと思われます。
昭和53年に神山小学校、円野小学校、清哲小学校が統合され、
新たに韮崎市立韮崎北西小学校が開校して、
神山小学校は廃校となりました。


こちらが神山小学校の正門跡。

      20191024神山小学校01

石造りの門柱が神山小学校の歴史を感じさせます。


正門脇の掲示板。

      20191024神山小学校02



廃校から既に41年。校舎は解体されています。
体育館は地域の体育館として残されたのでしょうか?

      20191024神山小学校03


しかしながら、昭和40年代とか50年代に建てられた体育館って
かまぼこ屋根に建物が多いけど、こちらは立派な直方体。

ひょっとしたら、校舎跡に建てられたのかもしれない。



びいすけ の立っている辺りのアスファルトの敷地は
神山小学校の校地であるけれど、現在は武田の里駐車場。

      20191024神山小学校04

すぐ近くには武田八幡宮もあって、この辺りは武田氏発祥の地でもあるらしい。



駐車場の一角に建つ、神山小学校の校歌の碑。

      20191024神山小学校05



裏面に沿革が刻まれていないかと期待したけれど
裏面にも校歌が刻まれている。

校歌の碑の脇に建つのは、経緯度の標柱。

      20191024神山小学校06



体育館の正面玄関。

      20191024神山小学校07

何となくお洒落な感じのする玄関。



玄関の向かい、正門脇の茂みの奥に
隠れるように建つ記念碑。

      20191024神山小学校09

創立百周年の記念碑。
龍岡小学校、大草小学校でも同じような流線型の石碑で
ひょっとしたら、その当時の韮崎市のトレンドだったのかもしれない。
いずれにしても、年季の入った百周年の記念碑。
少なくても、41年前には百周年を迎え終えていたわけだから
140年以上前の創立と言う歴史のある学校になるわけですね。

この記念碑をじっくり見たかったけれど
蜘蛛の巣が茂みにあって、近寄ることはパス。



こちらは、忠魂碑。

      20191024神山小学校08

この忠魂碑がある事自体、神山小学校の長い歴史を彷彿させる。



正門前、細い道路を挟んだ先は一段低くなり
そちらが、校庭だったようです。

      20191024神山小学校10



遊具も何も残されてはいないけれど
校庭跡の雰囲気は感じ取れる。

      20191024神山小学校11


      20191024神山小学校12


      20191024神山小学校15



誰もいない校庭跡。
気ままに闊歩する びいすけ 。

      20191024神山小学校13


      20191024神山小学校14


気ままな闊歩を満喫出来たかな?


2019/12/06 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...................南宮大神社 (2019年10月24日)(山梨県韮崎市) 

10月24日

10月24日〜25日の1泊2日で清里方面へ旅行に出かけました。

初日の24日。
この日は、韮崎市を中心に巡ります。


大草小学校をあとにして、向かった先は.............南宮大神社。

向かったと言っても、大草小学校に隣接しているから
向かったと言う感じはあまりしないんですけどね.....................。


南宮大神社は、韮崎市大草町に鎮座する神社です。

社伝によれば、甲斐源氏の祖である新羅三郎義光が
甲斐任国の時に崇敬して社壇を造営したとされ、
武田太郎信義、その嫡男一条次郎忠頼も篤く崇敬し、
武田一条氏が武川地方に封ぜられると、当社を産土神として崇敬し、
その支族の武川衆諸氏も協力して奉仕したとされています。

御祭神は、建御名方命。



神社社頭。

     20191024南宮大神宮01



説明板。

     20191024南宮大神宮02

説明板と言いながらも、その内容はほとんど由緒書きみたいなモノ。



その先には隋神門(随身門)。

      20191024南宮大神宮03

随身門の在る神社ってなぜか風格を感じてしまいます。


社殿に向かって左側の矢大神。

      20191024南宮大神宮04



社殿に向かって右側の左大臣。

      20191024南宮大神宮05




随身門をくぐれば、その先は拝殿。
    
      20191024南宮大神宮06




手水鉢。

      20191024南宮大神宮07



拝殿正面。

      20191024南宮大神宮08


      20191024南宮大神宮09



別アングルからの拝殿。

      20191024南宮大神宮10


      20191024南宮大神宮11



そして、こちらが本殿。

      20191024南宮大神宮12



こちらは、神楽殿。

      20191024南宮大神宮13



境内社の小さな祠も点在する。

      20191024南宮大神宮14


      20191024南宮大神宮15


      20191024南宮大神宮16




御神木。

    20191024南宮大神宮17
    20191024南宮大神宮18



忠魂碑。

      20191024南宮大神宮19



こちらが、南宮大神社の御朱印。

      20191024南宮大神宮20



普段は無人の神社。
本務社の若宮八幡宮にて拝受いたしました。



2019/12/06 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................大草小学校 (2019年10月24日)(山梨県韮崎市) 

10月24日

この日は、1泊の山梨への旅行。
初日は韮崎市周辺を巡ります。

穂見神社をあとにして、向かった先は..............韮崎市立大草小学校。


と言いながら、穂見神社をでて、用水沿いの狭い道を走っていて、
前方から地元ナンバーの軽自動車。
運転手は御老人。
可能な限り左に寄せてやり過ごすと、その直後にトラックが来た。
どうみても離合は厳しいでしょ?

仕方ないから左にハンドルを切って、ちょっと前に出た瞬間、
左前方でガリガリって嫌な音。
思い切り左前フェンダーをガードレールに擦ってしまい
大きな傷が出来ちゃいました。

テンションが一気に下がったのは言うまでもありません。



気を取り直して、大草小学校へと向かいました。



大草小学校の詳しい沿革も分かりません。
おそらく、龍岡小学校同様、明治期に創設された学校だと思われます。
昭和58年に旧・甘利山小学校と龍岡小学校と大草小学校は統合され
新たに甘利山小学校が開校し、大草小学校は廃校となりました。



おそらく、廃校後に移設されたであろう正門。

      20191024大草小学校01



石造りの古い門柱。

      20191024大草小学校02


      20191024大草小学校03



廃校後、校舎は解体され、新たに大草公民館と甘利児童センターが建てられたようです。


こちらが、大草公民館。

      20191024大草小学校10



公民館の建物裏には、閉校記念碑。

      20191024大草小学校11


  

裏面には校歌が刻まれています。

      20191024大草小学校12



その隣には、緯度経度標。

      20191024大草小学校14


おそらく、公民館の建つ場所に校舎が建っていたんでしょうね。



公民館から一本細い道を挟んだ先には体育館。

      20191024大草小学校13

さらに50mほど先には、統合校である甘利山小学校がある。

統合校として、36年前に新たな敷地を入手して建てられたらしい。。
って言う事は、旧・甘利山小学校は別な場所に在ったってことになる。
でも、色々とネットで調べても分からないんだよなぁ。




そして、こちらが甘利児童センター。

      20191024大草小学校04


      20191024大草小学校05


      20191024大草小学校06



いずれにしても、校庭の敷地の一部に児童センターは建てられたんでしょう。
見た感じ、保育園っぽい建物にも感じてしまうのは気のせい?

      20191024大草小学校09



校庭も何となく保育園の園庭っぽく見えたりもする。

      20191024大草小学校07


      20191024大草小学校08



敷地内の遊具は往時のモノだろうか?

      20191024大草小学校15



こちらは、校庭の隅に建っていた碑。

      20191024大草小学校16

てっきり忠魂碑かと思ったら、『大草小学校創立百周年記念碑』。
そう言えば、龍岡小学校にも同じ形の創立百周年記念碑が在ったのを思い出しました。




敷地の外周のブロック塀には、平成11年に子供たちが造ったレリーフが
各学年ごとに埋め込まれています。


こちらは、1年生の作品。

      20191024大草小学校17



2年生の作品。

      20191024大草小学校18



3年生の作品。

      20191024大草小学校19



4年生の作品。

      20191024大草小学校20



5年生の作品。

      20191024大草小学校21



6年生の作品。

      20191024大草小学校22



敷地のフェンス沿いには、桜の古木。

      20191024大草小学校25

学校跡って言うのが良く分かりますね。 



大草小学校跡は南宮大神社という神社に隣接している
その境界線に設けられたコンクリートの建造物。

      20191024大草小学校23

名前を何と言うのか知らないけれど、ボールを投げて楽しむコンクリートの壁。


昭和49年の卒業生が寄贈したものでした。

      20191024大草小学校24



この時代って王・長嶋の時代ですよね。
未来の王・長嶋を夢見て、この壁にボールを投げていた少年も
今はどうしているんだろうか.....................?


2019/12/05 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

穂見神社 (2019年10月24日)(山梨県韮崎市) 

10月24日

10月24日〜25日の1泊2日で清里方面へ旅行に出かけました。

初日の24日。
この日は、韮崎市を中心に巡ります。


龍岡小学校をあとにして、向かった先は.............穂見神社。



穂見神社は、韮崎市旭町上条南割に鎮座する神社。
式内社論社と比定され、別称は苗敷山権現。

標高1037mの苗敷山(旭山)山頂に本宮が鎮座し、
苗敷山東麓に里宮が鎮座します。

甲斐の国が洪水により湖水と化した時、鳳凰山に住む六度仙人が、
蹴裂明神と力を併せ南山を決削して水を治め平野とし、
里に住む山代王子がこの地を耕し、稲苗を敷き民に米作りの道を教えました。
大唐仙人を国立大明神、山代王子を山代王子権現として、
両神を山頂に祀り苗敷山と称したそうです。

聖武天皇の御代神亀元年(724年)に延喜式内社穂見神社を建立して
春秋稲束と初穂を供えて祭りを行ないました。
中世になり山岳信仰の仏教、修験道との習合が行なわれ、
古義真言宗法善寺(若草町)の末寺 宝生寺(苗敷山)が別当となりました。
穂見神社の本殿と宝生寺の本堂は合体して虚空蔵堂を構え、
本寺仏虚空蔵菩薩と国立大明神、山代王子権現を合祠し苗敷山権現と号したそうです。

明治維新の神仏分離により室生寺は廃寺となり、
仏殿諸堂は解体され多くの仏像は四散してしまったそうです。


祭神は天之底立命・国之常立命・豊受姫命。



社号標。

      20191024穂見神社01



社号標の隣には、穂見神社の案内図。

      20191024穂見神社03



案内板の裏には小さな祠。

      20191024穂見神社02

穂見神社の末社になるんでしょうか?



駐車場が無いから、社号標の在る場所の道路の隅に車を停めて
穂見神社へと向かいます。

      20191024穂見神社04



鳥居。

      20191024穂見神社05



鳥居に掲げられた神額。

      20191024穂見神社06


    

鳥居脇には由緒書き。

      20191024穂見神社07



手水舎。

      20191024穂見神社08



拝殿。

      20191024穂見神社09


      20191024穂見神社10



拝殿正面。

      20191024穂見神社11



拝殿の鬼瓦。

      20191024穂見神社12


      20191024穂見神社13



拝殿向拝。

      20191024穂見神社14



そして、こちらが本殿。

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拝殿前の狛犬。

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神楽殿。

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神輿庫。

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神楽殿の前には以前の社殿に使われていたと思われる鬼瓦。

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さて、実は宮司さんのお宅で御朱印が拝受出来る神社とネットに出ていたので、
てっきり神社の近くに宮司さんがお住まいかと思っていたら
どうやら宮司さんはちょっと離れた所にお住まいで、普段は無人の神社らしい。
宮司さんの連絡先も知らないから、御朱印は無理そうですね。

神社の前にお住いの氏子さんであるご老人に話しを伺うと
この里宮から奥宮まで約2時間の山登りになるらしい。

さすがに、今日はこの後の予定もあるから、奥宮へは行けません。

2時間の山登り..................
ちょっと考えちゃうなぁ。



2019/12/05 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit