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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

マンホールカードを集めよう! 茨城県県鉾田市 (2019年12月25日)(茨城県鉾田市) 

12月25日

この日は、茨城県の鉾田市に出かけました。

鉾田市に出かけた目的は三つあり、その一つは茨城百景。
残りの二つのうち、一つはマンホールカードです。

鉾田市では今年(2019年)の8月よりマンホールカードの配布を始めてました。
じつは、それを知ったのは、つい最近。
もっと早く知っていれば、今年の秋に鉾田市に行った時に、
ちょっと足を伸ばせば、マンホールカードの配布場所に行けたんですけどね。


と言うことで、向かった先は...............鉾田市役所。

      20191225マンホールカード01


最近は、日曜祭日の配布をするために、観光協会とか観光案内所で
マンホールカードを配布するパターンが増えていますが
元々は、市役所の下水道課等で配布せていたのがマンホールカード。

鉾田市のばあ、鉾田市役所の市民課でマンホールカードを配布しています。
要は、住民票を交付している部署。
銀行の受付のような整理券発券機で整理券を取って
番号を呼ばれたら、手続きをする。
実は、これが意外に時間が掛かる。
とにかく、順番待ちが長い。
他所の市町村なら、すぐに貰えるのに、この日は5分以上の順番待ち。

もうちょっと、上手く対応出来ないモノでしょうか?

      20191225マンホールカード02



とりあえず、マンホールカード、ゲットです。

      20191225マンホールカード03



そして、マンホールカードの見本となったマンホール蓋はと言うと
市役所の敷地内に設置されていました。

      20191225マンホールカード04


こちらが、カラーマンホール蓋。

      20191225マンホールカード05


マンホールカードと一緒にパチリ☆。

      20191225マンホールカード06


びいすけ と一緒にパチリ☆。

      20191225マンホールカード11



そして、究極のコラボ。

      20191225マンホールカード07


      20191225マンホールカード08



こちらが鉾田市のマンホールカード。

      20191225マンホールカード09


      20191225マンホールカード10

デザインは、市章を中央に配置し、市の花木鳥を周りに配置したデザインです。
カードのベースとなる水色は、ラムサール条約に登録された涸沼と
太平洋(鹿島灘)、霞ヶ浦(北浦)の水辺をイメージし、
市の花『ひまわり』、市の木『桜』、市の鳥『ウグイス』をあしらい、
朝日が昇る様子をモチーフにしているそうです。





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2020/01/29 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景 《 無量寿寺 》   (2019年12月25日)(茨城県鉾田市) 

12月25日

この日は、茨城県の鉾田市に出かけました。

秋に鉾田市の廃校を巡りましたが、その時に近くを通りながら
行きそびれた場所が幾つかあり、今回それらに訪れてみました。

向かった先は...............無量寿寺。

無量寿寺はここ数年追いかけている『茨城百景』の一つです。
昭和25年に茨城県内の100の景勝地が『茨城百景』として選定されました。
選定された景勝地には、茨城百景の碑が建てられています。
(中には、碑が無くなってしまった景勝地もあります)


無量寿寺は、大同元年(807)、平城天皇の勅願所として建立されました。
当初は「無量寺」と称していました。
承久3年(1221)、笠間の稲田草庵(西念寺)より鹿島神宮へ参詣する親鸞聖人が
廃寺同様になっていたこの寺に3年間住み、念仏と布教に当たったと言われています。

親鸞聖人は、阿弥陀仏を自ら刻んで本尊とし、浄土真宗の教えを広めたことから、
「親鸞聖人ゆかりの寺」といわれています。
親鸞聖人が3年間の布教を終えてこの地を去るにあたり、
弟子である順信房にこの寺を譲り後を託します。
その時に「無量寿寺」と改称したとされています。



こちらが無量寿寺の山門。

      20191225無量寿寺01

山門って言うと、もっと違った形だと思ったりするけど
寺院の表門を総称して「山門」と呼ばれるらしい。



山門前の掲示板。

      20191225無量寿寺02


そして、説明板。

      20191225無量寿寺03



お目当ての茨城百景の碑は、山門脇に在りました。

      20191225無量寿寺04


      20191225無量寿寺05



敷地内に入ると、すぐ目に入るのは、忠魂碑。

      20191225無量寿寺06

終戦直後、この地区のランドマーク的な存在だったのでしょうね。



本堂に続く石段。

      20191225無量寿寺07



石段を上った先には、薬医門(?)。

      20191225無量寿寺08

こちらが、通称『大門』と言われている門。


そして、門の先には本堂が見えます。

      20191225無量寿寺09



無量寿寺には、国や県の文化財に指定されているモノが多い。

      20191225無量寿寺10



手水舎。

      20191225無量寿寺11



茅葺きの本堂。

      20191225無量寿寺12

こちらは、茨城県の指定文化財。



別アングルから。

      20191225無量寿寺13




向拝の彫刻。

      20191225無量寿寺14



僅かな隙間から覗き込んだ本殿内部。

      20191225無量寿寺15



鐘楼。

      20191225無量寿寺16



境内の親鸞聖人像。

      20191225無量寿寺17



こちらは、慈愛の像。

      20191225無量寿寺18



こちらが、親鸞聖人お手植えとされる菩提樹。

      20191225無量寿寺19

こちらも茨城県の天然記念物に指定されています。


こちらも天然記念物に指定された斑入銀杏。

      20191225無量寿寺20


そして、境内の見事な大樹。

      20191225無量寿寺21
      20191225無量寿寺22

神社の場合、御神木って言うんだけど
寺院の場合は、何て言うんだろう?



寺務所に声を掛けて、御朱印をお願いしたら
住職さんが不在で対応できないとの事でした。

せっかくだし、茨城百景の地だからと御朱印を望んだのですが
不在であれば仕方がない。

これも縁なんですね。


2020/01/29 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................串挽小学校 (2019年9月15日)(茨城県鉾田市) 

9月15日

この日は、茨城県の鉾田市へ出かけました。

平成17年に鉾田町と大洋村と旭村が合併して誕生した鉾田市ですが
平成28年に5校、平成31年に7校と数年間で12校の小学校が廃校となりました。
その鉾田市の廃校を巡ります。

鉾田市廃校ツアー、その最終章...............鉾田市立串挽小学校。



串挽小学校は、

明治10年     地蔵院敷地を借用して串挽小学校を開校する。
明治25年     秋津第三尋常小学校となる。
明治25年     秋津第二尋常小学校と改称する。
大正5年      現在地に移転する。
昭和22年     学制改革により.秋津村立串挽小学校と改称する。
昭和30年     秋津村が鉾田町、徳宿村、新宮村、巴村と合併して、新たな鉾田町となる。
         鉾田町立串挽小学校と改称する。
平成17年     鉾田町が大洋村、旭村と合併して鉾田市となる。
         鉾田市立串挽小学校と改称する。
平成31年     近隣の7小学校が統合して鉾田市立鉾田南小学校が開校する。
         串挽小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。





こちらが、串挽小学校の正門。

      20190915串挽小学校01


門柱には表札も残る。

      20190915串挽小学校02

どうやら、幼稚園も併設されていたようですね。




校舎。

      20190915串挽小学校03


別アングルから。

      20190915串挽小学校04


      20190915串挽小学校05


      20190915串挽小学校06


      20190915串挽小学校07


      20190915串挽小学校08



校舎前の国旗掲揚ポール。

      20190915串挽小学校09



こちらが、体育館。

      20190915串挽小学校10


      20190915串挽小学校11



校庭。

      20190915串挽小学校12



校庭に残る遊具類。

      20190915串挽小学校13


      20190915串挽小学校14


      20190915串挽小学校15


      20190915串挽小学校16




朝礼台。

      20190915串挽小学校17



ブロンズ像。

      20190915串挽小学校18


校訓の碑。

      20190915串挽小学校19


校歌の碑。

      20190915串挽小学校20


残念ながら二宮像はありませんでした。

これで、鉾田市の廃校(小学校)12校を巡ってみましたが
ほとんどの学校に廃校記念碑や学校跡碑と言う碑が見かけられなかった。
地元に愛された小学校のはずなのに.................

一度に多くの学校が廃校になったから
行政で補助するにしても予算採りが難しかったのだろうか...............?





2019/10/28 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

烟田城址  (2019年9月15日)(茨城県鉾田市) 

9月15日

この日は、茨城県の鉾田市に出かけました。
鉾田市ては廃校を巡っていましたが、
訪れた新宮小学校は烟田城址の主郭だったようです。

烟田城は、徳宿氏の庶流である烟田氏の居城です。
大掾氏の庶流で鹿島氏の一族の更に分流に当たります。
烟田氏の祖である烟田幹秀は徳宿秀幹の次男であるとされています。

鎌倉時代に徳宿氏2代秀幹の次男である朝秀は、
烟田村他3ヶ村に分封されて烟田氏の祖となりました。

その後、烟田氏は鹿島郡北部の有力豪族となり、
南北朝の動乱や小山の乱(14世紀末)に活躍しました
室町時代には、鹿島氏を惣領家とする一門として鹿島氏に従って活躍しましたが
1486年に、徳宿氏が水戸城主・江戸通雅に攻められ、
徳宿城は落城して徳宿氏は滅び、援軍として参戦した烟田入道父子も討死しました。

大正18年(1590年)小田原の役の際、城主・烟田通幹は佐竹氏に従って小田原へ参陣。
しかし、翌1591年の「南方三十三館の仕置き」により、
他の鹿行地区の領主共々、佐竹義宣に誘殺されてしまいます。
その直後、烟田城は佐竹勢に攻められ、徹底抗戦するも落城してしまいます。
こうして、鎌倉時代より続く烟田氏は滅亡してしまいました。




こちらが、烟田城の縄張り図。

      20190915烟田城址01

( 余湖さんのHPにてお借りしました。)



小学校正門へと続く道。
かつての登城路だったのだろうか?

      20190915烟田城址02


この辺りから、城址の雰囲気を感じ取れる。

      20190915烟田城址0



横矢がった曲がり角には、社が残る。

      20190915烟田城址26


縄張り図によれば、権天神と言うらしいが
祠も草と同化しちやいそうな状態。

      20190915烟田城址27




こちらは、台地下から氷川神社へ続く道。

      20190915烟田城址04


主郭へと続くから搦手口の登城路かも知れない。

      20190915烟田城址05


少し登れば削平地。

      20190915烟田城址06


氷川神社裏手に出ました。

      20190915烟田城址07



氷川神社裏手の空堀。

      20190915烟田城址08


      20190915烟田城址09


祠のあるこの辺りは崖近く。

      20190915烟田城址10


眺望は良い。
ひょっとしたら、物見台だったかも知れない。

      20190915烟田城址11



氷川神社の裏手から、新宮小学校の体育館にかけて
わずかであるが土塁が残っています。

      20190915烟田城址13



その土塁の近くに立つ説明板。

      20190915烟田城址14



こちらが、その土塁。

      20190915烟田城址15


      20190915烟田城址16



      20190915烟田城址19


      20190915烟田城址20





主郭に鎮座するのは氷川神社。

      20190915烟田城址17


      20190915烟田城址18




こちらは、西光院。

      20190915烟田城址21



新宮小学校に隣接する寺院。
こちらの境内奥にも土塁や空堀が残ると言う事です。

      20190915烟田城址22



墓地奥の土塁。

      20190915烟田城址23



この先に空堀があるのですが、薮状態で進めません。

      20190915烟田城址24




境内の土塁。

      20190915烟田城址25



城址の中心部である主郭が新宮小学校になった際に
かなり改変されてしまったようで、遺構そのものは少なくて
見所はそう多くはない。
でも、鹿行地区の歴史を語る上で、重要な位置付けになる烟田氏。
その烟田氏の居城として見逃せない城郭だと思います。





2019/10/27 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................新宮小学校 (2019年9月15日)(茨城県鉾田市) 

9月15日

この日は、茨城県の鉾田市へ出かけました。

平成17年に鉾田町と大洋村と旭村が合併して誕生した鉾田市ですが
平成28年に5校、平成31年に7校と数年間で12校の小学校が廃校となりました。
その鉾田市の廃校を巡ります。

鉾田市廃校ツアー、その第11弾は................鉾田市立新宮小学校。

新宮小学校は、

明治22年     烟田十王地に新宮尋常小学校を開校する。
明治25年     新宮第一尋常小学校と改称する。
明治44年     現在地に移転。
大正6年      新宮尋常高等小学校と改称する
昭和22年     学制改革により、新宮村立新宮小学校と改称する。
昭和30年     新宮村が鉾田町、徳宿村、巴村、秋津村と合併し新たな鉾田町となる。
          鉾田町立新宮小学校と改称する。
平成17年     鉾田町が大洋村、旭村と合併して鉾田市となる。
           鉾田市立新宮小学校と改称する。
平成31年     近隣の7小学校が統合し、鉾田市立鉾田南小学校が開校。
          新宮小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。





こちらが、新宮小学校の正門。

      20190915新宮小学校01



コンクリートの門柱に表札。

      20190915新宮小学校02



校舎。

      20190915新宮小学校03



別アングルからの校舎。

      20190915新宮小学校04


      20190915新宮小学校05


校舎正面玄関。

      20190915新宮小学校06


正面玄関の庇には校章。

      20190915新宮小学校07



こちらは、体育館。

      20190915新宮小学校08


校庭。

      20190915新宮小学校09



校庭に残る遊具類。

      20190915新宮小学校10


      20190915新宮小学校11


      20190915新宮小学校12


      20190915新宮小学校13



遊具に隠れるように置かれた朝礼台。

      20190915新宮小学校14


校庭には、こんな看板塔も建っています。
表面は、『たのしい学校』

      20190915新宮小学校15


裏面は、『綺麗な学校』。

      20190915新宮小学校16


校舎の前にはブロンズ像。

      20190915新宮小学校17

一瞬、二宮像かと見間違えました。
残念ながら、二宮像はありませでした。


子供たちの卒業記念の製作と思われるオブジェ。

      20190915新宮小学校18


なぜか、校庭に鳥居。

20190915新宮小学校19

      
実は、新宮小学校の建つ台地は、かつての烟田城址。
その烟田城址の主郭に当たる地に新宮小学校がある。
校庭脇に鎮座するのは氷川神社。

烟田城址については、別な機会に触れたいと思います。


城郭が廃城となり、明治期に学校の敷地となる。
これはよくあるパターン。
最近は、城郭から小学校や中学校へと変貌した学校が
廃校になると言うパターンが多い。

これも時代の流れでしょうか.............?





2019/10/26 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................鉾田小学校 (2019年9月15日)(茨城県鉾田市) 

9月15日

この日は、茨城県の鉾田市へ出かけました。

平成17年に鉾田町と大洋村と旭村が合併して誕生した鉾田市ですが
平成28年に5校、平成31年に7校と数年間で12校の小学校が廃校となりました。
その鉾田市の廃校を巡ります。

鉾田市廃校ツアー、その第10段は................鉾田市立鉾田小学校。



鉾田小学校の詳しい沿革は分かりません。
明治7年の開校から144年になる今年(平成31年)の春、
近隣の7校が統合して、新たに鉾田市立鉾田南小学校が開校し、
鉾田小学校は廃校となりました。



こちらが、正門。

      20190915鉾田小学校01



この石が門柱として置かれているようですね。

      20190915鉾田小学校02



校舎。

      20190915鉾田小学校03



別アングルから。

      20190915鉾田小学校15


      20190915鉾田小学校16



校庭からの校舎。

      20190915鉾田小学校04


      20190915鉾田小学校05


      20190915鉾田小学校06


      20190915鉾田小学校07


      20190915鉾田小学校08



校舎前の国旗掲揚ポール。

      20190915鉾田小学校09


校舎正面玄関。

      20190915鉾田小学校10


      20190915鉾田小学校11



玄関の表札。
      20190915鉾田小学校12



玄関の庇には校章。

      20190915鉾田小学校13


      20190915鉾田小学校14




校舎前には、二宮像もありました。

      20190915鉾田小学校17


      20190915鉾田小学校18



こちらは、ブロンズ像。

      20190915鉾田小学校19



校訓の碑。

      20190915鉾田小学校20



百葉箱。

      20190915鉾田小学校21



こちらは、体育館。

      20190915鉾田小学校22



校庭に残る遊具類。

      20190915鉾田小学校23


      20190915鉾田小学校24


      20190915鉾田小学校25


      20190915鉾田小学校26



これも、台風15号の強風の影響でしょうか?

      20190915鉾田小学校27

バスケットゴールが倒れていました。



鉾田小学校の建つ台地は、文教地区になるのか?
近くには、鉾田南中学校、鉾田第一高等学校、
鉾田第二高等学校と学校が建ち並ぶ。

文教地区の唯一の小学校が廃校とは.........
複雑な思いですね。



2019/10/25 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景 《 北浦の景観と水郷鉾田 》(2019年9月15日)(茨城県鉾田市) 

9月15日

この日は、茨城県の鉾田市に出かけました。

数年前から追っかけているって言うか、
機会があれば訪れることにしている『茨城百景』。

その『茨城百景』が、ここ鉾田市にもあるという事で
茨城百景の碑を探しに来ました。


『茨城百景』は、昭和25年に茨城県観光審議会が選定した
茨城県内の100の景勝地のことです。
選定された景勝地には、『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探して百景の地を巡っている人もいるようです。
まぁ、私もその一人になるんですが..................

鉾田市の茨城百景は、『北浦の景観と水郷鉾田』という名称で
包括風景として『烟田城址』が指定されています。


碑のある場所は、おおよそ分かるのですが
なかなか行きづらい場所にあるようです。


この建物の建つ敷地内にあるそうです。

      20190915茨城百景01

そうです。学校です。


茨城県立鉾田第二高等学校の敷地内にあるそうです。

      20190915茨城百景02


廃校ならいざしれず、現役の高校だと、中々敷地内には入りづらい。

      20190915茨城百景03



事務室に声を掛けようと、中に入るも
この日は日曜日で事務室には人が居ない。

部活で登校している高校生に、声を掛けて中に入ります。
ネットの情報では、体育館裏のがけ近くに在ると言う。


体育館の裏手の崖。
フェンスの向こうに碑がありました。

      20190915茨城百景04


      20190915茨城百景05


残念ながら、碑は崖側が正面になり、碑文が読めません。

      20190915茨城百景07



しかし、独特な形状。
そして、側面に刻まれた茨城県知事の名前。

      20190915茨城百景06

これが茨城百景の碑で間違いないでしょう。



さて、その景観ですが................

      20190915茨城百景08

      20190915茨城百景09


茨城百景が選定されたのは、昭和25年。

その当時は、この場所から眺める鉾田の町並みも
今とは違っていただろうし、北浦の眺望も違っていたでしょう。

高台の場所だから、ちょっぴり期待しちゃったけど、
時代の流れは否めない。仕方のない事ですね。







2019/10/24 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

鉾神社 (2019年9月15日)(茨城県鉾田市) 

9月15日

この日は茨城県の鉾田市に出かけました。

鉾田市にある12の廃校を巡るべく鉾田市内を廻っていますが
せっかくだから神社も巡っちゃいましょう!!

って事で、訪れたのは..................鉾神社。


鉾神社は、鉾田市鉾田に鎮座する神社です。

創建は天正4年(1576年)とされ、鉾田城主・田山東市正保胤が
行方郡小牧村(現・行方市小牧)の鉾神社より分霊勧請したのが始まりとされています。
天正19年(1591年)、佐竹氏により城主滅亡により荒廃してしまいました。
江戸時代になり、寛文四年(1672年)に再興し、
弘化三年(1846年)に改修されているそうです。



御祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)
 武甕槌命(たけみかずちのみこと)
 日本武尊命(やまとたけるのみこと)


ネットで他の方の参拝記を読むと、皆さん道に迷られたようですが
かく言う私も、しっかり道に迷い、同じ道を三度通ると言う始末。
住宅街の中にある神社だとは知っていましたが
辿り着くのに、こんなに苦労するとは思いませんでした。


この鳥居を見つけた時は、ちょっとだけ感動(笑)。

      20190915鉾神社01



手水舎。

      20190915鉾神社02


定番の龍の吐出口。

      20190915鉾神社03


住宅街だから、そんなに敷地は広くはない。
境内の参道を進みます。

      20190915鉾神社04


狛犬。

      20190915鉾神社05


      20190915鉾神社06


二の鳥居。

      20190915鉾神社07


二の鳥居に掲げられた神額。

      20190915鉾神社08



こちらが、拝殿。

      20190915鉾神社09


拝殿正面。

      20190915鉾神社10


      20190915鉾神社11


拝殿正面に掲げられた扁額。

      20190915鉾神社12



別アングルからの拝殿。

      20190915鉾神社13


      20190915鉾神社14



こちらが、本殿。

      20190915鉾神社15



逆アングルから。

      20190915鉾神社16



拝殿正面に飾られた提灯。

      20190915鉾神社17


拝殿前には、さざれ石。

      20190915鉾神社18



境内社。

      20190915鉾神社19


      20190915鉾神社20


      20190915鉾神社21



小さな祠も建ち並ぶ。

      20190915鉾神社22



板碑。

      20190915鉾神社23


      20190915鉾神社24


宝物殿(?)

      20190915鉾神社25


こちらは神輿庫。

      20190915鉾神社26


こちらが社務所(授与所)。

      20190915鉾神社27


普段は開いているはずの社務所が、この日は閉まっていて無人。
どうやら、神職さんは外出されているようですね。

御朱印のいただける神社という事だったので、楽しみにしていましたが
この日は、御朱印は無理のようでした。

またの機会に期待いたしましょう。



2019/10/24 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................野友小学校 (2019年9月15日)(茨城県鉾田市) 

9月15日

この日は、茨城県の鉾田市へ出かけました。

平成17年に鉾田町と大洋村と旭村が合併して誕生した鉾田市ですが
平成28年に5校、平成31年に7校と数年間で12校の小学校が廃校となりました。
その鉾田市の廃校を巡ります。

鉾田市廃校ツアー、その第9段は................鉾田市立野友小学校。


野友小学校は、

明治23年     秋津村野友の花蔵院を仮校舎として
          秋津尋常小学校野友分校として創立される。
明治25年     秋津第二尋常小学校と改称する。
明治35年     高等科が設置され、秋津尋常高等小学校と改称する。
昭和22年     学制改革により、秋津村立野友小学校と改称する。
昭和30年     秋津村が鉾田町、徳宿村、巴村、新宮村と合併して新たな鉾田町となる。
          鉾田町立野友小学校と改称する。
平成17年     鉾田町が大洋村、旭村と合併して鉾田市となる。
          鉾田市立野友小学校と改称する。
平成31年     近隣の7小学校が統合されて、鉾田市立鉾田南小学校が誕生する。
          野友小学校は廃校となる。


と、このような沿革となっています。



こちらが正門。

      20190915野友小学校01



コンクリート製の門柱には表札が残っています。

      20190915野友小学校02



正面玄関。

      20190915野友小学校03


      20190915野友小学校04



校舎全景。

      20190915野友小学校05



別アングルから。

      20190915野友小学校06


      20190915野友小学校07


      20190915野友小学校08


      20190915野友小学校09


      20190915野友小学校26




校舎に掲げられた校章。

      20190915野友小学校10



こちらは、体育館。

      20190915野友小学校11



校庭。

      20190915野友小学校12



台風15号の被害は、こちらにも。

      20190915野友小学校13

敷地内の木の枝が折れてしまったようです。



校庭に残る遊具類。

      20190915野友小学校14


      20190915野友小学校15


      20190915野友小学校16


      20190915野友小学校17



校庭の端っこには、こんな小さなステージもありました。

      20190915野友小学校18



今では見かけるこのが少なくなったトーテムポール。

      20190915野友小学校24



朝礼台。

      20190915野友小学校25



創立百周年記念碑。

      20190915野友小学校19



この下にはタイムカプセルが埋められているようです。

      20190915野友小学校20



頌徳碑。

      20190915野友小学校27




校地周辺の森を使ってフィールドアスレチックの遊具もあり
それが表彰されたみたいです。
その記念碑。

      20190915野友小学校21


      20190915野友小学校22


せっかく表彰された学校なのに、その遊具類で遊ぶ子供たちも
ここには通わなくなってしまったんですね。
寂しいものです。








2019/10/23 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................当間小学校 (2019年9月15日)(茨城県鉾田市) 

9月15日

この日は、茨城県の鉾田市へ出かけました。

平成17年に鉾田町と大洋村と旭村が合併して誕生した鉾田市ですが
平成28年に5校、平成31年に7校と数年間で12校の小学校が廃校となりました。
その鉾田市の廃校を巡ります。

鉾田市廃校ツアー、その第8段は................鉾田市立当間小学校。


当間小学校は、

明治26年     旧・廃寺を小学校にあて、茨城県鹿島郡巴第三尋常小学校として開校する。
昭和22年     学制改革により、巴村立第三小学校となる。
昭和30年     巴村が鉾田町、徳宿村、秋津村、新宮村と合併して新たな鉾田町となる。
         鉾田町立巴第三小学校と改称する。
昭和45年     鉾田町立当間小学校と改称する。
平成17年     鉾田町が大洋村、旭村と合併して鉾田市となる。
         鉾田市立当間小学校と改称する。
平成31年     近隣の7小学校が統合されて、鉾田市立鉾田南小学校が誕生する。
         当間小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。




こちらが、当間小学校の正門。

      20190915当間小学校01



コンクリートの門柱。

      20190915当間小学校02



門柱に掲げられた表札。

      20190915当間小学校03



校舎。

      20190915当間小学校04


別アングルから。

      20190915当間小学校05


      20190915当間小学校09


      20190915当間小学校10


      20190915当間小学校11


校舎正面玄関。

      20190915当間小学校12




校舎の窓には、廃校時の貼紙。

      20190915当間小学校06


      20190915当間小学校07


      20190915当間小学校08




こちらが、体育館。

      20190915当間小学校13





校庭。

      20190915当間小学校21



校庭に残る遊具類。

      20190915当間小学校14


      20190915当間小学校15


      20190915当間小学校16


      20190915当間小学校17


      20190915当間小学校22



校舎前には、『とうま 』の碑。

      20190915当間小学校18



碑文は、当時の茨城県知事の直筆みたいですね。

      20190915当間小学校19



こちらは記念碑。

      20190915当間小学校20

残念ながら廃校記念碑でありません。


こちらの小学校も地域の少年野球にグランド(校庭)を解放しているようで
この日も少年野球の試合が行われていて、
10人ほどの父兄がいらっしゃいました。
廃校を犬を連れて歩き回る男は珍しいようで(当たり前ですが.............)
怪訝そうな視線をいっぱい感じました。


決して怪しいものではありませんから......................(笑)




2019/10/22 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................青柳小学校 (2019年9月15日)(茨城県鉾田市) 

9月15日

この日は、茨城県の鉾田市へ出かけました。

平成17年に鉾田町と大洋村と旭村が合併して誕生した鉾田市ですが
平成28年に5校、平成31年に7校と数年間で12校の小学校が廃校となりました。
その鉾田市の廃校を巡ります。

鉾田市廃校ツアー、その第7段は................鉾田市立青木小学校。


青柳小学校の詳しい沿革は不明です。
したがって、その創設時期は分かりません。
平成28年に近隣の5校が統合されて、鉾田市立鉾田北小学校が開校すると
青木小学校は廃校となりました。



こちらが、正門。

      20190915青柳小学校01



石造りの門柱。

      20190915青柳小学校02


門柱に残された表札。

      20190915青柳小学校03



校舎。

      20190915青柳小学校04


別アングルからの校舎。

      20190915青柳小学校05


      20190915青柳小学校06


玄関の窓ガラスには、あいさつの言葉。

      20190915青柳小学校07



校舎前には、二宮像。

      20190915青柳小学校08


      20190915青柳小学校09



こちらは、体育館。

      20190915青柳小学校10



校舎裏手の通用門。

      20190915青柳小学校11

石造りの門柱の古さからすれば、その昔、正門だったのでは?



校庭。

      20190915青柳小学校12

残念ながら、遊具類は残されていませんでした。




創立六十周年記念碑。

      20190915青柳小学校13

昭和39年と刻まれている。すなわち、1964年で60周年。
と言うことは1904年、つまり明治37年の創立と言うことのようですね。


こちらは、校歌の碑。

      20190915青柳小学校14

創立百周年の記念で建てられたようです。



タイムカプセルの碑。

      20190915青柳小学校15

1984年に埋められて、掘り起こすのは2004年。
果たして、掘り起こされたんでしょうか?



校庭に聳える1本の木。

      20190915青柳小学校16


きっと、シンボルツリーだったんでしょうね。







2019/10/21 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................巴第一小学校 (2019年9月15日)(茨城県鉾田市) 

9月15日

この日は、茨城県の鉾田市へ出かけました。

平成17年に鉾田町と大洋村と旭村が合併して誕生した鉾田市ですが
平成28年に5校、平成31年に7校と数年間で12校の小学校が廃校となりました。
その鉾田市の廃校を巡ります。

鉾田市廃校ツアー、その第6段は................鉾田市立巴第一小学校。


巴第一小学校の詳しい沿革は不明です。
校地の所在地が明治期には巴村と称していたことや
後ほど訪問する当間小学校が明治26年に
巴第三尋常小学校と称して創設されたことから推測すると
明治の初めに創立したものと思われます。

平成28年に近隣の5校が統合されて、鉾田市立鉾田北小学校が開校すると
巴第一小学校は廃校となりました。




こちらが、校門。

      20190915巴第一小学校05

古い石造りの門柱ですが、表札は無い。



こちらは、校庭側(?)の校門。

      20190915巴第一小学校01



石造りの門柱。

      20190915巴第一小学校02



こちらには、表札が残っている。

      20190915巴第一小学校03

おそらく、こちらが正門として使われていたんでしょう。



敷地内に入ると.................





こちらも、校舎は解体されていて、ほぼ更地状態。

      20190915巴第一小学校08


      20190915巴第一小学校09


      20190915巴第一小学校10


      20190915巴第一小学校11

校舎も無ければ、記念碑、二宮像、遊具類も無い。



唯一残るのは、体育館。

      20190915巴第一小学校04



      20190915巴第一小学校06


      20190915巴第一小学校07





敷地の片隅に建てられた消防倉庫。

      20190915巴第一小学校12

廃校跡地の定番利用ですね。


ここも、いずれ何かの土地として利用されるのか?
はたまた民間企業に払い下げられたりしちゃうんだろうか?


民間企業の所有地になっちゃったら
もう足を踏み入れることも出来なくなりそうだから
今の内に、びいすけ と一緒に写真に収めちゃいましょう。

      20190915巴第一小学校13


平成28年、3年前に廃校となった小学校5校の内、
これで3校の校舎が取り壊されている。
少しばかり、解体するのが早い気もするが...................
どうなんでしょうね?



2019/10/20 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

主石神社 (2019年9月15日)(茨城県鉾田市) 

9月15日

この日は、茨城県の鉾田市に出かけました。





主石神社は、鉾田市大和田に鎮座する神社です。


社伝によれば、第29代欽明天皇(在位:540年-571年)の時代に創祀されたとのことです。

村人が、成長する石を発見したとされ、その石は4-5尺あまりの大きさとなり、
光を放ったという事です。さらに、そこへ老翁が出現し、
「吾は大山祇神」と名乗って消失したそうです。
村人は、この石を神と崇め、石上に祠を建てて祀ったということです。
この御神石の上に社殿が建てられ、石の成長は続いている、とされています。


御祭神は、大山祇神。



こちらが社号標。

      20190915主石神社01



神社社頭。

      20190915主石神社02



鳥居。

      20190915主石神社03



鳥居に掲げられた神額。

      20190915主石神社04


参道口には、由緒の記された説明板。

      20190915主石神社05



参道には、先日の台風15号で枝が折れ、横たわっています。

      20190915主石神社06


   

ここにも被害が出ているんですね。

      20190915主石神社07



手水舎。

      20190915主石神社11



参道の狛犬。

      20190915主石神社09


      20190915主石神社10




こちらが、拝殿。

      20190915主石神社08


      20190915主石神社12



拝殿正面。

      20190915主石神社13


びいすけ も参拝します。

      20190915主石神社14



別アングルからの拝殿。

      20190915主石神社15



そして、こちらが本殿。

      20190915主石神社16




社殿背後に聳えるは、御神木。

      20190915主石神社17
      20190915主石神社18



その根元には多くの神像(?)が置かれている。

      20190915主石神社19



神社の西側の丘。
古墳か何かだろうか?

      20190915主石神社20



小さな祠も数基祀られている。

      20190915主石神社21



丘の頂部。

      20190915主石神社22

ちょっとした削平地。
まるで郭のようだが、ここは城址ではなさそうです。



鳥居に脇には青面金剛刻像 。

      20190915主石神社23

神仏習合時の名残りですね。


この主石神社。
歴史のある神社ですが、現在は無人の神社。
茨城町の宮ヶ崎鹿島神社が兼務されているらしい。
御朱印も宮ヶ崎鹿島神社で頂けるようなので、
機会があれば拝受させていただければと思っています。



2019/10/19 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................大和田小学校 (2019年9月15日)(茨城県鉾田市) 

9月15日

この日は、茨城県の鉾田市へ出かけました。

平成17年に鉾田町と大洋村と旭村が合併して誕生した鉾田市ですが
平成28年に5校、平成31年に7校と数年間で12校の小学校が廃校となりました。
今回、その鉾田市の廃校を巡ります。

鉾田市廃校ツアー、その第5弾................鉾田市立大和田小学校。



大和田小学校は、

明治8年     学制発布後、松崎旧・寺堂を借用し、
         大和田小学校と称して開校する。
明治19年     鳥栖尋常小学校紅葉分教場として紅葉に移転する。
明治25年     大和田に移転して、巴第二尋常小学校と改称する。
大正9年      児童数増加のため、現在地に移転する。
昭和22年     学制改革により、巴村立巴第二小学校と改称する。
昭和30年     巴村が鉾田町、徳宿村、新宮村、秋津村と合併して新たな鉾田町となる。
         鉾田町立巴第二小学校と改称する。
昭和45年     鉾田町立大和田小学校と改称する。
平成17年     鉾田町が大洋村、旭村と合併して鉾田市となる。
         鉾田市立大和田小学校と改称する。
平成28年     近隣の5小学校が合併して鉾田市立鉾田北小学校が開校する。
         大和田小学校は廃校となる。


と、このような沿革となっています。



県道沿いに建つ校門。

      20190915大和田小学校01

この門柱は石造りだけど、比較的新しい。


当然、表札も新しく見える。

      20190915大和田小学校02



台地へと続く坂道を上っていくと、その先にも校門。

      20190915大和田小学校03



こちらの門柱も比較的新しく見える。

      20190915大和田小学校04



こちらも既に校舎は解体されていて、ほぼ更地状態。

      20190915大和田小学校11


      20190915大和田小学校12




体育館だけが残っている。

      20190915大和田小学校05


      20190915大和田小学校06



その体育館。

      20190915大和田小学校07


      20190915大和田小学校08



体育館の正面玄関の庇には、大和田小学校の校章。

      20190915大和田小学校09



窓には、文字が貼られている。

      20190915大和田小学校10

おそらく、廃校時に貼られたモノでしょうね。



体育館の脇には藤棚。

      20190915大和田小学校13

廃校後、この藤棚に訪れる人は居るのだろうか?


  

藤棚の奥にはシンボルツリー。
 
      20190915大和田小学校14



廃校記念碑、二宮像、百葉箱に朝礼台、そして遊具類。
よく見かける廃校遺構は見かけられないのは残念。

校舎が解体されているということは
いずれ、何かの施設が建てられるのか?
はたまた、民間企業に貸し出されてしまうのでしょうか?



2019/10/18 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................舟木小学校 (2019年9月15日)(茨城県鉾田市) 

9月15日  

この日は、茨城県の鉾田市へ出かけました。

平成17年に鉾田町と大洋村と旭村が合併して誕生した鉾田市ですが
平成28年に5校、平成31年に7校と数年間で12校の小学校が廃校となりました。
その鉾田市の廃校を巡ります。

鉾田市廃校ツアー、その第4段は................鉾田市立舟木小学校。


舟木小学校の詳しい沿革は不明です。
ネットで調べてみましたが、詳しい情報は見つかりませんでした。
明治期にこの辺りは舟木村と称していたことから
明治期に創立された小学校ではないかと思われます。

平成28年春、近隣の5小学校が統合され、新たに鉾田市立鉾田北小学校が開校し
舟木小学校は廃校となってしまいました。




こちらが、舟木小学校の正門。

      20190915舟木小学校01



コンクリート造りの門柱。

      20190915舟木小学校02



門柱には、表札が残っています。

      20190915舟木小学校03



敷地内に入ってびっくり、ほぼ更地です。

      20190915舟木小学校04


      20190915舟木小学校09




2019年9月15日時点でのYahoo!マップの衛星写真では、
しっかりと校舎が映っているんだよなぁ。

      20190915舟木小学校05

ちょっぴり、いや、かなり残念です。



唯一、残っているのがこの体育館。

      20190915舟木小学校06



体育館の前には、記念碑。

      20190915舟木小学校11



校地の中には取り残されたような感じで
ポツンと木が立っている。

      20190915舟木小学校07

シンボルツリーだったのか?



こちらにももう一本。

      20190915舟木小学校10



シンボルツリーをバックに、はいパチリ☆

      20190915舟木小学校12


      20190915舟木小学校13



ほぼ更地の匂い嗅ぎをする びいすけ 。

      20190915舟木小学校08



フェンスに立て掛けられた交通標語。

      20190915舟木小学校14

県道沿いに校地だから、車の往来が多かったのでしょうか?


でも、もう必要がなくなってしまったみたい。
残念と言うか、ちょっびり寂しいですね。


校舎が解体されているということは
いずれ、何かの土地に転用される予定でしょうか?
県道沿いと言う地の利から、民間企業に貸し出されたり
売却してしまうのでしょうか?



2019/10/17 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................徳宿小学校 (2019年9月15日)(茨城県鉾田市) 

9月15日

この日は、茨城県の鉾田市に出かけました。

平成28年に5校、平成31年(今年の春ですね)に7校、
ここ数年で12校の小学校が廃校になってしまった鉾田市。
その鉾田市の廃校を巡ってみました。

鉾田市廃校巡り、その第3弾は.................鉾田市立徳宿小学校。


徳宿小学校の沿革は良く分かりません。
残念なことにネット上には、既に徳宿小学校のHPは無くなってしまい
そちらから沿革を確認することは出来ませんでした。

ただ、鉾田市の歴史を紐解き、色々と遡って行くと、
校地のあるこの辺りは、昭和30年に鉾田町と合併する前は徳宿村でした。
その徳宿村は明治初期より存在していたため、
おそらく明治初期に創設された学校ではないかと推薦されます。

いずれにしても、平成28年3月に、近隣の舟木小学校、
巴第一小学校、大和田小学校、青木小学校と統合して、
新たに鉾田市立鉾田北小学校が誕生しました。
その結果、各校は廃校となりました。


こちらが、徳宿小学校の正門。

      20190915徳宿小学校01



門柱。

      20190915徳宿小学校02


この日は、日曜日。
校庭で正念野球の試合が行われていて、駐車場に多くの人車が停まっていました。
ひょっとしたら、普段は門扉は固く閉ざされているのかも知れません。



校舎玄関。

      20190915徳宿小学校03



校舎の玄関を覗き込むとトロフィーが飾られている。

      20190915徳宿小学校17




校舎。

      20190915徳宿小学校04



別アングルから。

      20190915徳宿小学校05


      20190915徳宿小学校06


      20190915徳宿小学校07



水飲み場。

      20190915徳宿小学校09



足洗い場。

      20190915徳宿小学校08



校舎前の国旗掲揚ポール。

      20190915徳宿小学校10



こちらは体育館。

      20190915徳宿小学校11



中庭(駐車場)から校舎を眺めていると........

      20190915徳宿小学校12



二宮像、発見!!

      20190915徳宿小学校13



二宮像の近く、花壇の前には掲示板。

      20190915徳宿小学校18



掲示板には賞状が飾られています。

      20190915徳宿小学校19


      20190915徳宿小学校20



校舎前には、こんな碑も在りました。

      20190915徳宿小学校14



こちらは『経緯度標』。

      20190915徳宿小学校15

校地の緯度・経度表示って茨城県や山梨県の小学校に多いような気がする。



親子のふくろうの像。

      20190915徳宿小学校16





校庭。

      20190915徳宿小学校21

廃校後、遊具は撤去されてしまったようです。



現在は、少年野球のグランドとして利用されているようです。

      20190915徳宿小学校22


この日も、ここで少年野球の試合が行われるようで
数名のお母さん方が応援に来ていました。



そのお母さん方が木陰で陽射しを避けていた立派な木。

      20190915徳宿小学校23


この木は、徳宿小学校のシンボルツリーだったんでしょうね。




2019/10/16 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

徳宿城址 (2019年9月15日)(茨城県鉾田市) 

9月15日

この日は、茨城県の鉾田市に出かけました。
鉾田市には、この数年で12校の小学校が廃校になってしまいました。
その廃校になった小学校を廻るべく、車で移動していると
こんな案内看板が目に留まりました。

      20190915徳宿城址01

『徳宿城址...........? 知らないなぁ........』

400mの距離なら、すぐそこでしょう?
多分この森、この台地が城址になるんでしょう。

      20190915徳宿城址02

ならば、目の前の城を攻めちゃいましょう。


急いで、余湖さんのHPをチェック。
規模と縄張りを確認します。

こちらが、徳宿城の縄張り図。

      20190915徳宿城址29

       ( 余湖さんのHP からお借りしました )


徳宿城は、平安時代末期に常陸大掾氏の一族である鹿島成幹の子・徳宿親幹によって築かれました。
文明18年(1486年)、第9代の徳宿道幹の頃に水戸城の江戸通雅から攻撃を受け、
激しい攻防戦の末に敗れ、徳宿氏は滅亡し、徳宿城は廃城となったそうです。




縄張り図で言うところの 虎口2近く。
車道沿いになりますが、ここには城址碑が建てられています。

      20190915徳宿城址03


      20190915徳宿城址04


説明板もありました。

      20190915徳宿城址05



この先が、徳宿城址。

      20190915徳宿城址06

いざ、進軍いたしましょう。



狭い上り坂。

      20190915徳宿城址07


この先が主郭虎口。


そして、主郭が現れます。

      20190915徳宿城址12



主郭には、稲荷神社が鎮座しています。

      20190915徳宿城址08

以前は鳥居も建てられていたようですが
倒壊してしまったんでしょうか?


神社脇。
縄張り図で言うところの 虎口3 辺り。

      20190915徳宿城址09



虎口の奥には、宝篋院塔と『徳宿氏事績考碑』。

      20190915徳宿城址10



その碑文。

      20190915徳宿城址11



主郭の古木。

      20190915徳宿城址13
      20190915徳宿城址14
      20190915徳宿城址15



縄張り図で言うところの 虎口1 辺り。

      20190915徳宿城址16

この先は二重空堀。



一つ目の土橋。

      20190915徳宿城址17



土橋から主郭を振り返ってみた虎口。

      20190915徳宿城址19



一つ目の空堀は草木が茂り、藪状態。

      20190915徳宿城址18



さらにその先は、二つ目の土橋。

      20190915徳宿城址20



土橋の先は、倒木や倒竹の難所。

      20190915徳宿城址22



それらを避けて進みます。

      20190915徳宿城址23


      20190915徳宿城址24



抜け出た先は耕作地。
さらに、その先は民家になります。

      20190915徳宿城址25


振り返ってみると、こんな感じ。

      20190915徳宿城址26

ここは、三郭の虎口になるのか?



その場所から右方向へ移動すると、新たな侵入路?
しかし、この藪の中に入っていく勇気はありません。

      20190915徳宿城址27



その近くに祀られている小さな社。

      20190915徳宿城址28

徳宿氏に関するモノなんだろうか?


当初の予定にはなかった徳宿城址。
偶然、現地で知り訪れた城址ですが、久々の城址巡り。

やっぱり城址巡りも楽しいモノです。






2019/10/15 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................諏訪小学校 (2019年9月15日)(茨城県鉾田市) 

9月15日

この日は、茨城県の鉾田市へ出かけました。

平成17年に鉾田町と大洋村と旭村が合併して誕生した鉾田市ですが
平成28年に5校、平成31年に7校と数年間で12校の小学校が廃校となりました。
その鉾田市の廃校を巡ります。

鉾田市廃校ツアー、その第2段は................鉾田市立諏訪小学校。



諏訪小学校は、昭和30年以前に存在していた諏訪村にあった諏訪小学校がその前身のようです。
しかしながら、当初の諏訪小学校は旭村となるため、諏訪小学校は分割されるような形になったようです。

昭和30年     町村合併により、諏訪村は大谷村、夏海村と合併して旭村となり
          諏訪村の一部は鉾田町に編入された。
昭和31年     旧・諏訪小学校の校地、校舎を使用して鉾田町立鉾田第二小学校が開校する。
昭和36年     校舎、講堂を旭村より買収する。
昭和54年     鉾田町立諏訪小学校と改称する。
平成17年     旭村・鉾田町・大洋村が合併して鉾田市となる。
         鉾田市立諏訪小学校と改称する。
平成31年     市内7小学校が統合して新たに鉾田南小学校が開校。
         諏訪小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、正門。

      20190915諏訪小学校01



石作の門柱。

      20190915諏訪小学校02



門柱には、立派な表札。

      20190915諏訪小学校03




県道に面した校庭側。
こちらにも校門があります。

      20190915諏訪小学校04

当初は、こちらが正門だったのでしょう。



それなりの年代を感じさせる石造りの門柱。

      20190915諏訪小学校05

割と新しそうに見える表札が掲げられています。



校舎全景。

      20190915諏訪小学校06



別アングルからの校舎。

      20190915諏訪小学校07


      20190915諏訪小学校08


      20190915諏訪小学校09


      20190915諏訪小学校16



校舎前には、国旗掲揚ポール。

      20190915諏訪小学校10



こちらは、体育館。

      20190915諏訪小学校11



校庭に残る遊具類。

      20190915諏訪小学校12


      20190915諏訪小学校13


      20190915諏訪小学校14


      20190915諏訪小学校15



百葉箱。

      20190915諏訪小学校17



朝礼台。

      20190915諏訪小学校18



創立百周年記念碑。

      20190915諏訪小学校19

この碑によれば、明治22年に旧・諏訪村に創設し、
安房に分教場を設置したのが始まりだそうです。
明治27年に分教場を統合し、この地に移転したそうです。
その後、旧・諏訪村には諏訪小学校と諏訪東小学校の2校が存在しました。
旧・諏訪村は旭村となりますが、昭和30年に旧・諏訪村の安房、柏熊地区が
旧・鉾田町に合併し、旭村存立諏訪小学校は旧・諏訪村竜浜に移転し
この地に鉾田町立鉾田第二小学校を創設したそうです。

明治27年にこの地に校舎を建て移転した日を起点として
平成5年に創立百周年の記念式典を行ったそうです。
色々と複雑な事情があったのですね。



ブロンズ像。

      20190915諏訪小学校20


校訓(?)の碑。

      20190915諏訪小学校21



校庭の隅には忠魂碑。

      20190915諏訪小学校23

歴史のある古い学校にはこの忠魂碑が在ることが多い。
そういった意味では、町村合併で学校が移転したりはしたが
この小学校も歴史のあった学校になる。



県道側のフェンス沿いに並ぶ桜の木。

      20190915諏訪小学校22

この桜の木下を、子供たちが通学する事も無くなってしまったんですね。



2019/10/15 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................大竹小学校 (2019年9月15日)(茨城県鉾田市) 

9月15日

この日は、茨城県の鉾田市に出かけました。

平成17年に鉾田町と大洋村と旭村が合併して誕生した鉾田市ですが
平成28年に5校、平成31年に7校と数年間で12校の小学校が廃校となりました。
その鉾田市の廃校を巡ってみたいと思います。

鉾田市廃校ツアー、その第1段は................鉾田市立大竹小学校。


大竹小学校は、

明治8年     岡堀米の廃寺を利用して大竹小学校を開設
明治9年     白塚宝光院を仮校舎として白塚小学校を開設
明治20年     大竹小学校は汲上小学校の大竹分教場,白塚小学校は新宮尋常小学校分教場となる
明治26年     新宮第二尋常小学校開設
明治44年     現在地に移転。
昭和9年     高等科併置。新宮東尋常小学校と改称
昭和22年     学制改革により、新宮村立新宮東小学校と改称する。
昭和30年     新宮村が鉾田町と合併し鉾田町となる。
         鉾田町立新宮東小学校と改称する。
昭和45年    鉾田町立大竹小学校と改称する
平成17年    旭村・鉾田町・大洋村が合併して鉾田市となる。
         鉾田市立大竹小学校と改称する。
平成31年    市内7小学校が統合して新たに鉾田南小学校が開校。
         大竹小学校は廃校となる。




こちらが、大竹小学校の正門。

      20190915大竹小学校01



半年前までは、子供たちが通っていた小学校。
門中にも表札が残っています。

      20190915大竹小学校02


      20190915大竹小学校03


こちらは、校庭側の門。

      20190915大竹小学校04


かつては、こちらが正門だったのでしょう。
石造りの古い門柱が建っています。

      20190915大竹小学校05


その門柱にも立派な表札が残っています。

      20190915大竹小学校06



こちらが校舎。

      20190915大竹小学校07

鉄筋コンクリートの2階建て。


別アングルからの校舎。

      20190915大竹小学校08


      20190915大竹小学校09


      20190915大竹小学校10


      20190915大竹小学校11




校舎のベランダに掲げられた校章。

      20190915大竹小学校13



校舎前には、国旗掲揚ポール。

      20190915大竹小学校14


二宮像もありました。

      20190915大竹小学校15


      20190915大竹小学校16



こちらは、体育館。

      20190915大竹小学校17


校舎と体育館を繋ぐ渡り廊下。

      20190915大竹小学校18


      20190915大竹小学校19



こちらは、校庭。

      20190915大竹小学校20

何やら、校庭の真ん中に置かれています。


よく見ると、カボチャ。

      20190915大竹小学校21



俗にいう『おばけカボチャ』ですね。

      20190915大竹小学校22

ハロウィンか何かのイベントでも行うのでしょうか?



校庭に残る遊具類。

      20190915大竹小学校23


      20190915大竹小学校24


      20190915大竹小学校25


      20190915大竹小学校26


      20190915大竹小学校27


      20190915大竹小学校28



百葉箱。

      20190915大竹小学校29



朝礼台。

      20190915大竹小学校30



創立百周年の記念碑。

      20190915大竹小学校31



校庭の隅には、頌徳碑。

      20190915大竹小学校32



校庭の匂いを嗅ぎながら徘徊する びいすけ 。

      20190915大竹小学校33


      20190915大竹小学校34



こちらは、併設されていた大竹幼稚園。

      20190915大竹小学校35

大竹幼稚園は、平成17年に廃園になったそうです。



校舎裏手に無造作に置かれた一輪車。

      20190915大竹小学校36

つい、半年前まではこの一輪車で子供たちが遊んでいたのでしょう。
このまま、ここで朽ちていくのでしょうか.........?









2019/10/14 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit