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び・び・びのびいすけ

館山城址 (2017年11月25日)(千葉県館山市) 

11月25日

この日は、館山市に出かけました。

予定外の北条海岸に立ち寄ったりしましたが
当初の目的地である 館山城址 に到着です。


館山城は、1580年(天正8年)に里見義頼によって築城されました。
館山城主である里見氏は清和源氏の流れをくむ名族で、
戦国時代、里見氏六代義尭の代には安房・上総・下総の三国57万石を
所領とするほどの全盛期を迎えました。

しかし、1538年(天文7年)里見義尭は小田原の北条氏康と国府台で戦って敗れ、
里見氏七代義弘も1564年(永禄7年)北条氏康・氏政父子と再び国府台で戦って敗れました。
 
里見氏八代義頼の本拠地は岡本城でしたが北条軍に攻められ、
支城の久留里城・佐貫城なども危うくなったため、
1588年(天正16年)新たに館山城の築城工事に着工しました。
1590年(天正18年)に完成すると同時に館山城に本拠を移しました。
しかし、里見氏の宿敵である小田原の北条氏が豊臣秀吉によって滅亡し、
里見義康は小田原への参陣が遅かったことを責められ、
秀吉によってその領地は安房一国9万2千石に減封されてしまいました。

里見義康は1600年(慶長5年)の関ヶ原の合戦で東軍の徳川秀忠に加勢したため3万石を加増。
里見氏十代忠義も当初は徳川幕府に重んじられていましたが、
1614年(慶長19年)妻の祖父である小田原城主大久保忠隣の改易に巻き込まれ、
徳川幕府の外様大名取り潰し政策の犠牲となって
里見氏は改易され、館山藩は取り潰しとなり安房一国を没収されてしまいます。
館山城は廃城となり、破却されてしまいました。

後の1781年(天明元年)に、稲葉正明が館山藩主となって館山に入りましたが
城を再建することはなく、2代正武が城の麓に館山陣屋を構えて、
そこを新たな政庁としました。


館山城は標高72mの城山(根古屋山)の岩壁を切り削って築かれた要害堅固な城で、
山麓には堀をめぐらしていました。
現在、館山城跡は城山公園として整備され、
山頂広場には昭和57年に三層四階の模擬天守が建てられました。
天守内部は館山市立博物館の分館と模擬天守なり、
館内には江戸時代の文豪である滝沢馬琴がその半生をかけて書き上げた
『南総里見八犬伝』に関する多くの資料を展示しているそうです。



駐車場から遊歩道を歩くと、すぐ目に留まる標柱。

      20171125館山城址01


      20171125館山城址02


城山の麓は公園整備に伴い、かなり改変されています。
そのため、城郭遺構はあまり残っていないようです。


駐車場近くの鹿島堀跡。

      20171125館山城址03

堀は廃城の際に埋め戻されてしまったそうです。


それでも城下の御霊山と呼ばれる場所には、
このような空堀と土塁が残っています。

      20171125館山城址04



公園造成時に造られた遊歩道を上がって行くと、二郭(二の丸)。

      20171125館山城址05




そして、この先は主郭(本丸)。

      20171125館山城址06



主郭(本丸)に建つ復興天守閣。

      20171125館山城址07

実は、館山市立博物館の分館。


城址碑のオブジェ。

      20171125館山城址08

復興天守閣と言えども、こう言うモノがあると様になる。


山城だけあって、眺望に長ける。
眼下に広がる館山の城下。

      20171125館山城址10

数百年前も、こんな感じで城下町が広がっていたんでしょう。


そして、海原の先には富士山。

      20171125館山城址09

里見の歴代の城主もこの富士山を眺めていたのだろう。



本丸の復興天守閣。
      
      20171125館山城址12

澄み渡った青空に白亜の天守閣が映えます。


本丸の標柱。

      20171125館山城址11



そして、本丸に建つ城址碑。

      20171125館山城址13



しかし、疑問が...............

      20171125館山城址14

館山城跡なら分かるが、なぜ里見城跡?


城址碑の前には、狛犬ならぬ里見の千力猿。

      20171125館山城址15



本丸の一角には、浅間神社。

      20171125館山城址16


      20171125館山城址17




本丸のピーク削平の残土で埋め立てられたとされる二郭(二の丸)の通称『千畳敷』。

      20171125館山城址18


所々に土塁も残っています。

      20171125館山城址19



尾根沿いに降って行けば、里見家八遺臣の墓。

      20171125館山城址20


里見氏十代忠義が倉吉で病死すると、
倉吉の大岳院にある主君の墓前で8人の家臣が殉死しました。
その遺骨は館山城の麓に分骨され、この地に眠っています。

      20171125館山城址21



この八遺臣が『南総里見八犬伝』のモデルになったそうです。

      20171125館山城址22



二の丸から八遺臣の墓に至る尾根沿いの登城路。

      20171125館山城址23



この登城路が一番、中世の山城の雰囲気を醸し出しているような気がします。

      20171125館山城址24


数年前から、『訪れよう! いつか訪れよう! 』と思っていた館山城址。
南総里見八犬伝の所縁の城でもあり、
安房の戦国大名里見氏の最後の城でもある。

遺構が少なくて残念な気もするけれど
雄大な富士山の姿も見ることが出来る。
戦国時代には、立派な城だったんだろうなぁ...............。



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2018/01/03 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

滝田城址  (2017年3月9日)(千葉県南房総市) 

3月9日 公休日

この日は、南房総市に出かけました。

増間七滝の『前蔵引の滝』の滝をあとにして、
向かった先は...............滝田城址

今回、南房総市の来た最たる目的は、この滝田城址の攻略。
実は過去2回、近くに来て居ながら時間が足りなくなって
断念したことがあります。
山城だと言うこと、かなり広い城域だとネットで調べてはいましたか
実際に自分の足で歩いて、かなり広い城址だと改めて実感しました。


滝田城の築城年代は定かではありませんが、
里見義豊の妹婿である一色九郎が城主をつとめた記録があります。
里見氏の内部分裂である『天文の内訌』により、義豊が里見義尭によって安房を追われると、
義豊の妹婿である一色氏の滝田城も攻められ落城してしまいました。
諸説があるようですが、落城後に廃城となったと言う説と、
落城後、里見義堯が本拠としたとする説があるようです。

また滝田城は、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』で里見義実の居城のモデルとなった城としても有名です。
そのため城址には『伏姫と八房の像』が建てられています。



こちらが、滝田城の縄張り図。

      滝田城址縄張り図

( 余胡さんのHP からお借りしました。)



県道88号線を走っていると、案内標識が出ていて
迷わずに滝田城址へと来ることが出来ます。

      20170309滝田城址64


実は、コレが曲者だったりします。
と言うのは、滝田城の登城路は2ヶ所あります。

一つは、城好き、城マニアにとっては王道とでも言うべきか?
定石とでも言うべきか?
大手口からの登城。
こちらは遺構を確認しながら、登城出来ます。

もう一つは、搦め手口側の登城路。
こちらが曲者です。
県道からの案内では、こちらに辿り着いてしまいます。


実は、そのことを知らずに、案内標識に導かれるまま
駐車場に来てしまいました。
駐車場にはトイレも完備。

しっかりとした説明板、案内図もあります。

      20170309滝田城址02


      20170309滝田城址01
  

      20170309滝田城址03

滝田城址として整備されている割には、案内図が簡素化されていて
縄張り図もない。
結果的には、ハイキングコースの案内板と言った感じです。


大手口から登城するのが、本来の意味では正解ですが
そんなことも知らずに、『いざ!登城!』と張り切ります。

      20170309滝田城址04


山城だから、仕方がないけれど、イキナリの上り。

      20170309滝田城址05


ちょっぴり息を切らしながら、上って行きます。

      20170309滝田城址06


城郭の遺構らしきモノもないまま、尾根に到着。
尾根伝いに移動します。

      20170309滝田城址07


尾根に切られた堀切。

      20170309滝田城址08

ここで、搦め手口からの進入を阻止するのでしょう。


さらに、尾根伝いに進みます。

      20170309滝田城址09


      20170309滝田城址10



主郭虎口だと思い切り勘違い。

      20170309滝田城址11

この時はまだ、登城路が二つあって、
搦め手口から登城しているとは知りませんでした。


主郭かと思ったら、そこは展望台跡。
以前は展望台が在って、見晴らしが良かったようですが
現在は撤去されてしまったようです。


展望台の一角には、伏姫と八房の像。

      20170309滝田城址12


この像も見たかったモノの一つ。

      20170309滝田城址13


像の台座には『翔天』の文字。

      20170309滝田城址14


      20170309滝田城址15



一見、天守台跡のように見えるけれど、
ここが展望台跡。

      20170309滝田城址16


滝田城の説明板。

      20170309滝田城址17


木製の滝田城址の標柱は朽ちて倒れているのを
展望台の基礎には立て掛けてありました。

      20170309滝田城址18


      20170309滝田城址19


ここで引き返して駐車場に戻ってしまう人もいるようですが
滝田城址の真骨頂はこの先。
尾根伝いにさらに先へと進みます。

なだらかな上り勾配の尾根を200mほど進むと
やがて上り階段。

      20170309滝田城址20


この階段の向こうには何がある?

       20170309滝田城址21


上りきった先は、ちょっとした削平地。
そこは台地頂部。
そんなに広くはなく、居住性はありません。

櫓台でした。

       20170309滝田城址22


櫓台には、小さな祠が祀られています。

       20170309滝田城址23

( 鉄塔もあるけどね。)


櫓台と言うだけあって、見晴らしは良い。

       20170309滝田城址24


櫓台は『八幡台』とも言うらしい。

      20170309滝田城址25

あの小さな祠は八幡宮なんですね。


八幡台から一段下ったところが主郭(本丸)。

      20170309滝田城址26


      20170309滝田城址30


それなりの広さを有する削平地。

      20170309滝田城址27


主郭には礎石が残されており、居館が在ったことを推測させます。

      20170309滝田城址28



こちらが、主郭の虎口。

      20170309滝田城址29


      
主郭から登城路を根古屋まで下って行きましょう。

ここからが、滝田城址の真骨頂です。

      20170309滝田城址31



主郭のすぐ下には曲輪。

      20170309滝田城址32

一瞬、二郭かと思ったら、二郭は別な場所に...............



こちらが二郭(二の丸)。

      20170309滝田城址33


      20170309滝田城址34


二郭には、土壇のような土塁もあります。

      20170309滝田城址35



二郭からさらに下って行くと、幾つもの曲輪があります。

      20170309滝田城址36



こちらは武者溜

      20170309滝田城址37


書いて字のごとく、兵が居留できるような削平地。
と言っても、それなりの広さ。
とても数百人の兵が居留できるわけではありません。

      20170309滝田城址38


      20170309滝田城址39


      20170309滝田城址40


      20170309滝田城址41



武者溜の奥には見晴台。

      20170309滝田城址42



さらに下って行けば、虎口。

      20170309滝田城址43



下(大手口)から上がって来ると、右カーブの虎口。

      20170309滝田城址44

なかなか、防御性も兼ねた虎口です。



さらに下って行けば、腰曲輪。

      20170309滝田城址45

本当に登城路の脇に曲輪が多い。


腰曲輪から下を覗くと、更に別な腰曲輪があるのが分かります。

      20170309滝田城址46



一段下った先の腰曲輪。

      20170309滝田城址47



主郭から、数多くの曲輪、腰曲輪を眺めながら
馬場まで降りきりました。

      20170309滝田城址48


馬場の登城路側の土塁。

      20170309滝田城址53


馬場から登城路を振り返ってみます。

      20170309滝田城址49

いかにも山城って言う感じの登城路です。




馬場は、本当に広い削平地。

      20170309滝田城址50


この広さであれば、それなりの数の兵が居留出来そうです。

      20170309滝田城址51


そして、馬場の奥には物見台。

      20170309滝田城址52

平群川沿いの街道を監視していたのでしょう。

      

馬場から一気に根古屋まで下って行きます。

こちらが、大手口の登城路の入口。

      20170309滝田城址54


やはり、害獣対策でフェンスが張られ、
出入りする扉にはロープで簡易的に施錠しています。

      20170309滝田城址55

要は、大手口から登城する人は、勝手にロープを解いて、
出入りしたら、また結び直して下さいって言うことです。


一応、大手口にも車が5〜6台停められるスペースはありますが
フェンスの関係なんでしょう、
表向きにはこちらの登城口を案内していないみたいです。

      56



こちらは根古屋地区。

      20170309滝田城址57


畑には菜の花が満開の時期を過ぎて、ちょっぴり枯れ始めています。

      20170309滝田城址58


      20170309滝田城址59



さて、駐車場に戻るにはどうしょう?

もう一度、大手口から登城して主郭まで行き
尾根伝いに移動して、展望台跡から搦め手口を下って行く元気はありません。

さすがに、この山の頂部まで行って、反対側に降りる気力もありません。

      20170309滝田城址60



県道をトボトボ歩きながら、案内標識を探しましょう。

      20170309滝田城址61


15分ほど歩いて、駐車場はもうすぐそこ。


駐車場手前には、里見桜。

      20170309滝田城址62

上総・安房の国に栄華を誇った里見氏ですが、
江戸時代になると徳川家康に里見氏10代当主、里見忠義は安房を没収され、
伯耆倉吉3万石に転封となりました。
その8年後、29歳の若さで亡くなりました。

里見氏の所縁の地と言うことで交流のある倉吉市の有志が苗木を育て、
館山に送られ、南房総市の有志らにより植えられたそうです。

      20170309滝田城址63


無事、駐車場に戻り一息つきましたが
滝田城址に1時間半以上居たことになります。
思った以上に疲れたけれど、見応えのある城址でした。






     
2017/04/07 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit