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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

菅滝 (2019年6月24日)(福島県郡山市) 

6月24日

6月24日〜25日に1泊2日で福島県に遊びに行って来ました。

初日の24日は、郡山市内を巡ります。
この日訪れた隠津島神社。
郡山市と天栄村を隔てる福良山の山中に鎮座する神社ですが
その境内地の近くを流れる菅川には、こんな滝がありました。

      20190624菅滝01


      20190624菅滝02



猪苗代湖にそそぐ菅川の上流にあり、高さ約7m。

      20190624菅滝03


かつては、隠津島神社の潔ぎ場として
滝行を行う参拝者も居たということです。

      20190624菅滝04


      20190624菅滝05



こちらは、観瀑台。

      20190624菅滝06



観瀑台からは、こんな感じです。

      20190624菅滝07



郡山市(湖南町)から天栄村に抜ける県道。
その県道沿いに流れる菅の滝。

      20190624菅滝08



見た目にも滑め滝で、荒々しさはないけれど
脈々と流れる菅川の清涼さを伝えてくれます。

      20190624菅滝09


       20190624菅滝10


雨上がりで所々ぬかるんでいるから
河原まで降りて行けなくて遠目に眺めるだけだけど
やっぱり山の中の滝は、一服の清涼剤になりますね。




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2019/08/17 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

ふくしま緑の百景 《 隠津島の原生林 》 (2019年6月24日)(福島県郡山市) 

6月24日

6月24日〜25日に1泊2日で福島県に遊びに行って来ました。

初日の24日は、郡山市内を巡ります。
この日訪れた隠津島神社。
福良山の山中に鎮座する神社ですが、この境内周辺の原生林が
福島県の天然記念物に指定されています。



隠津島神社の社号標。

      20190624福島緑の百選09

社号標の右奥に小さな石碑が在ります。
(それは、後でのお楽しみ?)



鳥居。

      20190624福島緑の百選10



拝殿。

      20190624福島緑の百選11


      20190624福島緑の百選12

見ての通り、隠津島神社の境内は緑が映える。



それもそのはず、先ほどの社号標の右奥には
こんな石碑が建てられています。

      20190624福島緑の百選01


『ふくしま緑の百景』の碑です。


ふくしま緑の百景とは、

国際森林年の記念として昭和60年に福島民報社と県緑化推進委員会の主催で
ふるさとの森や樹を見直し、その美しさを守り育てることを目的 として
福島県民の投票により選定されたものです。



ここ、隠津島神社の境内地である福良山の原生林が
ふくしま緑の百選に選定されています。


隠津嶋神社に至る県道も森が深く、緑が濃い。

      20190624福島緑の百選13



隠津島神社の駐車場。

      20190624福島緑の百選02



駐車場の周りも緑で溢れている。

      20190624福島緑の百選03



苔生した参道も周りの木々とベストマッチング。

      20190624福島緑の百選05
      20190624福島緑の百選04



そして、神社社業。

      20190624福島緑の百選06


まさに原生林。

      20190624福島緑の百選07


      20190624福島緑の百選08


これぞ、ふくしま緑の百選ですね。




2019/08/16 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

隠津島神社 (2019年6月24日)(福島県郡山市) 

6月24日

6月24日〜25日に1泊2日で福島県に遊びに行って来ました。

初日の24日は、郡山市内を巡ります。
福良小学校をあとにして、向かった先は......................隠津島神社。


隠津島神社は、郡山市湖南町福良に鎮神社です。

平安時代の『延喜式神名帳』陸奥国安積郡に載る「隠津島神社」に比定される式内社論社で
郡山市(旧・湖南村)から天栄村をつなぐ県道235号線沿いの
福良山の山中に鎮座する神社です。

社伝によれば、平安時代に筑紫国宇佐郡の宗像大社より勧請し、
隠津島神社と号したのが始まりとされています。
社叢(境内の森林)は約15ヘクタールにもおよび、
鬱蒼とした原生林に覆われ、まさに神秘的な雰囲気を有しています。
福島県指定天然記念物であり、『福島県緑の百景』にも選定されています。



御祭神は、市杵島比売命、多岐理毘売命、多岐都比売命。




県道沿いに建つ社号標。

      20190624隠津島神社01

この辺りから道は狭くなり、対向車の不安を感じながら進みます。


社号標の先には一の鳥居。

      20190624隠津島神社02


こちらが一の鳥居。
      
      20190624隠津島神社03

でも、この一の鳥居から社殿まではかなり離れています。



かなり山道を車で走り、やっとの思いで駐車場に車を入れると一安心。



こちらも社号標。

      20190624隠津島神社04



鳥居。

      20190624隠津島神社05


鳥居に掲げられた神額。

      20190624隠津島神社06



緑が深く、何とも言えない雰囲気の参道。

      20190624隠津島神社07

境内周辺は、福島県の天然記念物に指定されている社叢。
欝蒼とした森に囲まれて隠津島神社は鎮座しています。



手水舎。

      20190624隠津島神社08



狛犬。

      20190624隠津島神社09


      20190624隠津島神社10



こちらが拝殿。

      20190624隠津島神社11



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20190624隠津島神社12


別アングルからの拝殿。

      20190624隠津島神社13


      20190624隠津島神社14



境内に建つ由緒書き。

      20190624隠津島神社15


      20190624隠津島神社16



こちらは、別宮である風穴堂。

      20190624隠津島神社17


こちらが蛇神風穴堂。

      20190624隠津島神社18

白蛇を祀っています。


社の下には『風穴』と呼ばれる穴が空いています。

      20190624隠津島神社19



こちらが授与所。

      20190624隠津島神社21

普段は無人の神社。
連絡先の電話番号も記されているけれど、何せ境内地は山の中。
携帯電話も圏外で使えません。

山を下って天栄村で宮司さんと連絡を取ったら
福良山の麓になる湖南町福良地区、福良小学校(跡地)近くに
隠津島神社の社務所があるそうです。
そう言った訳で、今回は御朱印を拝受出来なかったけれど
次回は楽しみに参拝してみたいものです。


2019/08/16 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............福良小学校(2019年6月24日)(福島県郡山市) 

6月24日

6月24日〜25日に1泊2日で福島県に遊びに行って来ました。

初日の24日は、郡山市内を巡ります。
郡山市の旧・湖南村エリアには、平成17年に5つの小学校が統合され
全国でも初めての試みで小中一貫校が誕生しました。
その際に、5つの小学校は廃校になりました。
そんな廃校を巡ります。

向かった先は......................郡山市立福良小学校。


福良小学校は、

明治6年     福良小学校を創設する。
明治9年     第7大学区第9中学区第111番小学福良小学校とする
明治12年     福良小学校と称し、普通科を置く
明治14年     赤津村及び福良村の中浜に分教室を設置する。
明治15年     福良小学校と称し、初等・中等・高等の三科を併置する
明治21年     福良尋常高等小学校と改称する
明治23年     赤津分教室が独立して赤津尋常小学校と称する
明治26年     福良村立福良尋常高等小学校と改称する
昭和22年     学制改革により福良村立福良小学校となる
昭和30年     福良村と中野村・三代村・月形村・赤津村が合併し湖南村が発足。
         湖南村立福良小学校と改称する
昭和40年     湖南町が郡山市と合併して、郡山市立福良小学校と改称する。
昭和52年     校舎を移転し、中浜分校を本校に統合する
平成17年     福良小学校・月形小学校・中野小学校・赤津小学校・三代小学校が統合して
         小中学一貫校である湖南小学校が誕生。
         福良小学校は廃校となる。


と、このような沿革となっています。



こちらが正門。

     20190624福良小学校01


門柱。

     20190624福良小学校02



門柱には、往時の表札。

     20190624福良小学校03



こちらが校舎。

     20190624福良小学校04


別アングル、他アングルからの校舎。

     20190624福良小学校05


     20190624福良小学校06


     20190624福良小学校07


     20190624福良小学校08


     20190624福良小学校09



校舎正面玄関。

     20190624福良小学校10


一際目立つ、国旗掲揚台。

     20190624福良小学校11


こちらは、体育館。

     20190624福良小学校24




探していたモノも在りました。
福良小学校の廃校記念碑です。

     20190624福良小学校12


     20190624福良小学校13


裏面には、しっかりと沿革も刻まれています。

     20190624福良小学校14



校庭には遊具類はほとんど残っていない。
確認できるのは、古タイヤと築山しかない。

     20190624福良小学校15


     20190624福良小学校16



そのせいか? 広く感じる校庭。

     20190624福良小学校17



朽ちかけた百葉箱。

     20190624福良小学校18



朽ち果てたオブジェ。

     20190624福良小学校19

卒業製作か何かでしょう。


野ざらしのローラー。

     20190624福良小学校20



廃校から既に24年経っていますが
花壇はしっかりと管理されているようです。

     20190624福良小学校21


校舎の前には、古びた記念碑。

     20190624福良小学校22



こちらは、明治百周年の記念植樹の碑。

     20190624福良小学校23

そう言えば、僕らの僕らの小さい頃に明治百周年なんて
周りが騒いでいたような記憶が微かに残っています。

考えてみたら、封建社会はその当時の百年前だったんですね。
江戸時代って遥か彼方の出来事かと思っていたら
そんなに昔でもないんですね。






2019/08/15 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

マンホールカードを集めよう! 《 郡山市 》 (2019年6月24日)(福島県郡山市) 

6月24日

6月24日〜25日に1泊2日で福島県に遊びに行って来ました。

初日の24日は、郡山市内を巡ります。

そもそも大正13年に市制を施行し誕生した郡山市。
その後、近隣の町村を編入しながら、昭和
昭和40年に安積町・三穂田村・逢瀬村・片平村・喜久田村
日和田町・富久山町・湖南村・熱海町、田村郡田村町と新設合併し、
現在では、福島県を代表する中核都市となっています。

そんな郡山市では2種類のマンホールカードが発行されていて
1種類は、市街地である郡山市開成にある開成館にて配布されていて
残る1種類は、市街地から離れた猪苗代湖に近い旧・湖南村地区。
現在の郡山市湖南町福良にある湖南公民館で配布されています。


湖南町地区の廃校を巡っている途中ではありますが
湖南公民館の前を通ったので急遽、公民館に立ち寄ってみました。


簡単なアンケートに答えて、マンホールカードを手に入れました。


マンホールカードを手に入れると
見本になったカラーマンホール蓋を見てみたくなります。

残念ながら、湖南町地区では彩色されたカラーマンホール蓋は
実際には設置されておらず、公民館にカラーマンホール蓋は置かれています。

      20190624マンホールカード01


彩色されていないマンホール蓋は公民館前の国道294号の
道路の真ん中に設置されています。

      20190624マンホールカード02



びいすけ と マンホール蓋。

      20190624マンホールカード03



こちらが、郡山市(湖南町バージョン)のマンホールカード。

      20190624マンホールカード04


      20190624マンホールカード05


湖南町地区の下水道は、『特定環境保全公共下水道』と称し
猪苗代湖の水質改善を目的に2002年(平成14年)に共用開始されたモノで
マンホール蓋のデザインは、勇壮な姿の「磐梯山」と天鏡湖と呼ばれる「猪苗代湖」を背景に
馬入新田の湿原に群生する清楚な花「水芭蕉」を表現したものになるそうです。


福島県下のマンホールカード。
これでまた1枚手元に集まりました。








2019/08/15 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............三代小学校(2019年6月24日)(福島県郡山市) 

6月24日

6月24日〜25日に1泊2日で福島県に遊びに行って来ました。

初日の24日は、郡山市内を巡ります。
郡山市の旧・湖南村エリアには、平成17年に5つの小学校が統合され
全国でも初めての試みで小中一貫校が誕生しました。
その際に、5つの小学校は廃校になりました。
そんな廃校を巡ります。

赤津小学校をあとにして、向かった先は......................郡山市立三代小学校



三代小学校は、

明治7年     福良小学校三代分校創設
明治8年     三代分校廃止
         校舎を中地村に置く
明治10年     三代小学校として独立、下等科をおく
明治12年     教育令により、三代小学校と称し、普通小学科をおく
明治15年     三代初中等小学校と改称
明治20年     中野尋常小学校三代分教室という尋常小学科を設置
明治23年     三代尋常小学校として独立
明治26年     小学校例改正。三代村立三代尋常小学校となる。
昭和6年      三代尋常高等小学校となる。
昭和22年     三代村立三代小学校と改称。
昭和30年     町村合併により、湖南村立三代小学校と改称。
昭和40年     市町村合併により、郡山市立三代小学校と改称。
平成17年     廃校になる。

と、このような沿革になっています。



国道294号線から、ちょっと奥に入った所に在った三代小学校。
学校入口には門柱などなく、いきなり建物が現れます。

      20190624三代小学校01



廃校から既に14年。
廃校後には、三代生活改善センターと称する
地域の集会所のような施設だったようですが
現在は、社会福祉法人の特養老人施設となっているようです。

      20190624三代小学校02



見た感じ、全建て替えではなく、校舎の一部を改築して流用しているようです。

      20190624三代小学校03



敷地(校地最奥)の斜面に門柱。

      20190624三代小学校04

おそらく廃校後、こちらに移設したのでしょう。



門柱に残る表札。

      20190624三代小学校06


こちらは、カスれて読めないけれど
併設されていた三代中学校(昭和50年廃校)の表札か?

      20190624三代小学校05



三代小学校の校庭。

      20190624三代小学校07

残念ながら、遊具類などは残っていない。


学校跡地を連想させる桜の木。

      20190624三代小学校08


校庭は、特養施設の駐車場と化しています。

      20190624三代小学校09



現在、新たな建物を建築中で、その工事事務所の裏手に
隠れるように建っていた碑。

見つけました!
閉校(廃校)記念碑。

      20190624三代小学校10


その裏面。

      20190624三代小学校11

特に沿革は刻まれていない。


こちらは、校舎改築記念碑。

      20190624三代小学校12


そして校訓の碑。

      20190624三代小学校13

残念ながら二宮は見当たりませんでした。



小雨が上がった校庭。

      20190624三代小学校14


その校庭の匂いを確かめるかのよいに徘徊する びいすけ 。

      20190624三代小学校15


特養ホーム(?)の敷地になっちゃったから
犬の散歩と言えども勝手には入れないでしょう。

今回だけは大目に見てもらい、早々に引き上げました。



2019/08/14 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............赤津小学校(2019年6月24日)(福島県郡山市) 

6月24日

6月24日〜25日に1泊2日で福島県に遊びに行って来ました。

初日の24日は、郡山市内を巡ります。
郡山市の旧・湖南村エリアには、平成17年に5つの小学校が統合され
全国でも初めての試みで小中一貫校が誕生しました。
その際に、5つの小学校は廃校になりました。
そんな廃校を巡ります。

中野小学校をあとにして、向かった先は......................郡山市立赤津小学校。



赤津小学校は、

明治9年     赤津村蓮蔵寺に赤津小学校が創設される。
明治19年     赤津村北町に校地移転。
明治20年     福良村福良小学校の分校となる。
明治23年     独立認可され赤津尋常小学校となる。
明治41年     赤津村北町裏に校地移転。
昭和2年     高等科を併設する。
昭和22年     学制改革により、赤津村立赤津小学校独立改称する。
昭和29年     東岐季節分校を設置する。
昭和30年     月形・中野・三代・福良・赤津の5カ村は合併して湖南村となる。
         湖南村立赤津小学校と改称する。
昭和40年     湖南村が郡山市と合併して郡山市となる。
         郡山市立立赤津小学校と改称する。
昭和47年     東岐季節分校を廃止する。
平成17年     廃校となる。


と、このような沿革となっています。



こちらが、赤津小学校の正門。

      20190624赤津小学校01



門柱に往時の表札が残っています。

      20190624赤津小学校02


この門柱は、昭和48年に建てられたモノのようですね。

      20190624赤津小学校17



しかし門柱脇には、こんな看板が掲げられています。

      20190624赤津小学校03

廃校後、郡山市と日本大学の共同研究作業施設となったようです。



遠慮がちに、かつ恐る恐る敷地内に入ってみます。
平日の昼間なので、声を掛けてみたけれど誰も居ないようです。

      20190624赤津小学校04


校舎。

      20190624赤津小学校05


      20190624赤津小学校06



校舎正面玄関の庇に当たる部分には
赤津小学校の校名の入った看板と校章が掲げられています。

      20190624赤津小学校07



校庭には、研究施設が適度な間隔で配置されています。

      20190624赤津小学校08

不審者と怪しまれるのも嫌だから、研究施設には近寄らず
望遠レンズで校庭をズームします。


百葉箱。

      20190624赤津小学校09


遊具類。

      20190624赤津小学校10


かなり、草に埋もれ始めています。

      20190624赤津小学校11


      20190624赤津小学校12


      20190624赤津小学校13


      20190624赤津小学校14



学校の位置を示した碑。

      20190624赤津小学校15

この手の緯度・経度を示した碑は
山梨県の廃小学校で多く目にしたような気がします。



こちらは、校訓の碑。

      20190624赤津小学校16

こちらもいずれ、雑草の中に埋もれてしまうでしょう。


大学の研究施設だから、あまり長居は無用。
残念ながら、廃校記念碑や二宮像は確認出来ませんでした。



2019/08/14 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............中野小学校(2019年6月24日)(福島県郡山市) 

6月24日

6月24日〜25日に1泊2日で福島県に遊びに行って来ました。

初日の24日は、郡山市内を巡ります。
郡山市の旧・湖南村エリアには、平成17年に5つの小学校が統合され
全国でも初めての試みで小中一貫校が誕生しました。
その際に、5つの小学校は廃校になりました。
そんな廃校を巡ります。

月形小学校をあとにして、向かった先は......................郡山市立中野小学校。


中野小学校は、

明治6年     旧・6カ村(舟津・舘・横沢・浜路・中地・安佐野)が
          舟津村の洞泉寺を借り受けて校舎とし、6カ村合併組合学校を設立する。
明治8年     組合小学校を分離し、中野村東光寺に中野小学校を設立する。
昭和11年    中野村立中野尋常高等小学校と改称する。
昭和22年    学制改革により、中野村立中野小学校と改称する。
昭和30年    月形・中野・三代・福良・赤津の5カ村は合併して湖南村となり、
          湖南村立中野小学校となる
昭和40年    湖南村が郡山市と合併して郡山市立中野小学校と改称する。
平成17年    廃校となる。

と、このような沿革となっています。



かつての正門。

      20190624中野小学校01



門塀に掲げられた表札は往時のまま。

      20190624中野小学校02



校舎全景。

      20190624中野小学校03



校舎。

      20190624中野小学校08



別アングルから。

      20190624中野小学校09


      20190624中野小学校12



正門近くの一角に碑等が並びます。

      20190624中野小学校04


真ん中にどぉ〜んと、二宮像。

      20190624中野小学校05



その隣には、『中野小学校廃校記念碑』

      20190624中野小学校06



しっかりと沿革ぎ刻まれています。

      20190624中野小学校07



裏面に刻まれているのは校歌。

      20190624中野小学校11



こちらは、中野中学校の記念碑。

      20190624中野小学校10


     


百葉箱。

      20190624中野小学校13



こちらは、体育館。

      20190624中野小学校14



校庭は、さほど広くはなく、遊具等も残されていない。

      20190624中野小学校15


小雨降る校庭で、思い切りオシッコをする びい。

      20190624中野小学校16



中野小学校の前には、福島県指定天然記念物 『大仏のケヤキ』。

      20190624中野小学校17
      20190624中野小学校18

中野小学校の前は東光寺の境内。
沿革にも記しているけれど、
明治8年に東光寺の境内に設立された中野小学校。
百数十年の歴史は、この大ケヤキには勝てないけれど
子供たちの成長を一緒に見てきたんでしょうね。



2019/08/13 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............月形小学校(2019年6月24日)(福島県郡山市) 

6月24日

6月24日〜25日に1泊2日で福島県に遊びに行って来ました。

初日の24日は、郡山市内を巡ります。
郡山市の旧・湖南村エリアには、平成17年に5つの小学校が統合され
全国でも初めての試みで小中一貫校が誕生しました。
その際に、5つの小学校は廃校になりました。
そんな廃校を巡ります。

向かった先は......................郡山市立月形小学校


月形小学校は、
  
明治6年      旧・6カ村(舟津・舘・横沢・浜路・中地・安佐野)舟津村の洞泉寺を借り受けて校舎とし、
           6カ村合併組合学校を設立する。
明治12年     舟津を舟津小学校とし、舘・横沢・浜路が合併して舘小学校を設立する。
明治13年     横沢・浜路が分離して2カ村合併して横沢小学校を設立する。
明治16年     舟津の洞泉寺を借り、安積郡第7番学区初等舟津小学校を設立する。
明治20年     学区改正により第13番学区中野小学校が設立されたので、
           舟津小学校はその分教室となり、舘・横沢・浜路は第44番学区横沢小学校になる。
明治23年     町村制実施に伴い、舟津・舘・横沢・浜路の4カ村を合併して月形となり、
           舟津小学校(舟津・舘)と横沢小学校(横沢・浜路)の2校を設立する。
明治32年     舟津高等小学校・舟津第一尋常小学校の2校を合併して月形尋常高等小学校とし、
           横沢小学校は分教場となる。
昭和3年      横沢字下の宮1852番地に校舎を新築して月形尋常高等小学校とし、
           旧月形尋常高等小学校を舟津分校として1年から5年までを収容する
昭和22年     学制改革により、月形村立月形小学校と改称する。
昭和30年     月形・中野・三代・福良・赤津の5カ村は合併して湖南村となり、
           湖南村立月形小学校となる
昭和40年     湖南村が郡山市と合併して郡山市立月形小学校と改称する。
平成17年     廃校となる。

と、このような沿革となっています。



かつての正門。

       20190624月形小学校01



門柱。

      20190624月形小学校02



門柱には、往時の表札が掲げられています。

      20190624月形小学校03



赤錆で見づらいですが、昭和初期に建てられた門柱のようです。

      20190624月形小学校04



校舎全景。

      20190624月形小学校05



以外に校庭が広い。

      20190624月形小学校06


別アングルからの校舎。

      20190624月形小学校\07


      20190624月形小学校08



校舎正面の玄関。

      20190624月形小学校09



こちらは、体育館。

      20190624月形小学校10


      20190624月形小学校11



校庭には遊具は特に残っていなくて
よく見かけるペイントされた古タイヤが埋まっている。

      20190624月形小学校12



校庭の一角、正門近くに碑が並ぶ。

      20190624月形小学校13



『月形小学校跡碑』。

      20190624月形小学校14

いわゆる、廃校記念碑みたいなモノですね。



こちらは、校歌の碑。

      20190624月形小学校16



そして、こちらは校訓の碑。

      20190624月形小学校17


      
朝礼台がひっくりかえっている。

      20190624月形小学校18

誰かのイタズラでしょうか?



百葉箱。

      20190624月形小学校19


こちらは、白線引き。

      20190624月形小学校20

比較的新しそう。
イベントか何かで使ったまま、片付けられずにいるのでしょう。


明治6年に旧・6カ村の組合小学校として発足し、
数々の統合、分離を繰り返してきた月形小学校。
沿革を見る限りは、旧・6カ村の小学校の本流とも言える小学校。

その流れは全国初の小中一貫校の郡山市立湖南小中学校へと
継がれていったのでしょうね。




2019/08/13 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

丸ポストを探して.............福島・郡山編① (2019年6月24日)(福島県郡山市) 

6月24日

6月24日〜25日に1泊2日で福島県に遊びに行って来ました。

初日の24日は、郡山市内を巡ります。

以前に比べて熱は若干下がりましたが
それでも旅行に行ったりしたら、旅先で赤い丸ポストを探したりしています。


郡山市には4基の丸ポストが現存していると聞き
その内の2基の近くを通るので、丸ポストを探してみました。


最初の1基。
郡山市三穂田町。
三和郵便局前に丸ポストが在る筈ですが...............

      20190624丸ポスト01


あれ?

      20190624丸ポスト02


赤い丸ポストが四角いポストに変わっています。

      20190624丸ポスト03

基礎部のコンクリートも心なしか新しく見える。


郵便局の職員の方に聞いたら、昨年の春に
ポストを入れ替えて、丸ポストは撤去されてしまったそうです。

残念。




2基目の丸ポストは、やはり郵便局前。
郡山市湖南町中野にある中野郵便局前の丸ポスト。


      20190624丸ポスト04


      20190624丸ポスト05


      20190624丸ポスト06


      20190624丸ポスト07


      20190624丸ポスト08


      20190624丸ポスト09

1日の集荷も3回と、ポストとしては有効に使われているようです。



今回、郡山市の丸ポストはここまで。
残り2基は、別の機会にでも探しましょう。


これまでに、

下郷町         1基
南会津町        1基
白河市         2基
猪苗代町①       1基
会津若松市①      2基
猪苗代町②       1基
会津若松市②      3基     



そして、今回の郡山市①としての1基と、
合計 12基の丸ポストに出会いました。

福島県内の丸ポストは76基あるらしい(6月24日現在)
あくまでも資料の上だから、実際には今回のように
撤去されてしまったモノもあるかもしれないけれど、
多くの丸ポストに出会えたら良いなぁ...............。







2019/08/12 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............飯豊和気神社(2019年6月24日)(福島県郡山市) 

6月24日

6月24日〜25日に1泊2日で福島県に遊びに行って来ました。

初日の24日は、郡山市内を巡ります。
向かった先は.....................飯豊和気神社。


飯豊和気神社は、郡山市三穂田町に鎮座する神社です。

飯森山(妙見山の山頂)に鎮座している神社で、
神亀元年(724年)に妙見山(標高:778m)の山頂に創建したと伝えられています。

延喜式神名帳に記載された式内社飯豊和気神社の論社であり
歴代領主からも信仰が厚く、会津藩の藩主・加藤家により社殿が再建され、
寛永20年(1643年)に加藤明成が改易になると、
飯豊和気神社の境内地は二本松藩領に属するようになり、
その後は二本松藩主丹羽家の祈願所として庇護されます。
このように、会津城城主だった加藤家や二本松城主丹羽家から庇護され、
社殿の造営や社地が寄進されています。



神社社頭。

      20190624飯豊和気神社01

社号標が並んでいます。


元々、こちらには八雲神社が鎮座しています。

      20190624飯豊和気神社02



八雲神社の境内に飯豊和気神社の遥拝殿が鎮座しています。

      20190624飯豊和気神社03



以前、鳥居が建っていたと思われる場所の前には大黒天(?)。

      20190624飯豊和気神社04


こちらは、女性の石像でしょうか?

      20190624飯豊和気神社05

米俵の上に座っているようにも見えますが.........。



鳥居。

      20190624飯豊和気神社06


境内の狛犬。

      20190624飯豊和気神社07


      20190624飯豊和気神社08



八雲神社の拝殿前には立派な夫婦杉。

      20190624飯豊和気神社09
      20190624飯豊和気神社10


八雲神社の拝殿。

      20190624飯豊和気神社15



八雲神社の拝殿正面。

      20190624飯豊和気神社11


      20190624飯豊和気神社12


拝殿正面に掲げられた扁額。

      20190624飯豊和気神社13



そして、こちらが飯豊和気神社の遥拝殿。

      20190624飯豊和気神社14


      20190624飯豊和気神社16

遥拝殿があると言うことは、簡単に妙見山の社殿には
登る事も難しいのでしょうか?



境内社。

      20190624飯豊和気神社17


神輿庫。

      20190624飯豊和気神社18



そして、こちらが御朱印。

      20190624飯豊和気神社19

神社前の宮司さん宅にて拝受いたしました。
現在は、書置き版での対応のようです。






2019/08/12 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............字奈己呂和気神社  (2019年6月24日)(福島県郡山市) 

6月24日

6月24日〜25日に1泊2日で福島県に遊びに行って来ました。

初日の24日は、郡山市内を巡ります。
多田野本神社をあとにして、向かった先は.....................字奈己呂和気神社。


字奈己呂和気神社は、郡山市三穂田町八幡に鎮神社です。


社伝によれば、欽明天皇11年(550年?)、安積郡の高旗山山頂に
瀬織津比売命が顕現したので祭祀されたのが始まりと伝わります。

瀬織津比売命は、伊耶那岐命が阿波岐原で禊ぎ祓いした際、
黄泉で受けた穢れより産まれた八十禍津日命と同神で、
伊勢神宮の荒祭宮や廣田神社で祀られている
「天照大御神荒御魂(撞賢木厳之御魂天疎向津比売命)」であり、
世の中の罪穢・禍事を清める神とされています。

大和朝廷への態度が定まらない陸奥国に対して、
瀬織津比売命の神助により平定が成し遂げられるようにと
祈願を込めて祭祀されたとされています。

延暦3年(784年)に高旗山より現在の鎮座地へと遷座したとされています。


御祭神は、瀬織津比売命。



社号標。

      20190624字奈己呂和気神社01


神社社頭。

      20190624字奈己呂和気神社02



ちょっぴり傾いている幟。

      20190624字奈己呂和気神社03

これもご愛嬌。


参道の神橋。

      20190624字奈己呂和気神社04



狛犬。

      20190624字奈己呂和気神社05


      20190624字奈己呂和気神社06



こちらは手水舎ですが、残念なことに屋根が倒れています。

      20190624字奈己呂和気神社07



こちらが拝殿。

      20190624字奈己呂和気神社08


      20190624字奈己呂和気神社09



拝殿正面。

      20190624字奈己呂和気神社10


      20190624字奈己呂和気神社11



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20190624字奈己呂和気神社12



別アングルからの拝殿。

      20190624字奈己呂和気神社13



そして、こちらが本殿。

      20190624字奈己呂和気神社14



境内社。

      20190624字奈己呂和気神社15



神楽殿。

      20190624字奈己呂和気神社16



こちらが社務所。

      20190624字奈己呂和気神社17

この日は閉まっていて無人でした。



郡山市と言っても市街地からはそれなりに離れていて
大宮伊豆神社や菅船神社もそうでしたが、
この辺りの神社の社業は見応えがある。

      20190624字奈己呂和気神社18
      20190624字奈己呂和気神社19


     20190624字奈己呂和気神社20
      20190624字奈己呂和気神社21
      20190624字奈己呂和気神社22

圧倒されます。



こちらが御朱印。

      20190624字奈己呂和気神社23

社務所は閉まっていましたが、偶然にも神社向かいの公民館の駐車場に
数人の男性が居て、話をしたらその中の一人が宮司さんでした。
御朱印をお願いしたら、快く対応していただけました。

ありがとうございました。




2019/08/11 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

多田野本神社 (2019年6月24日)(福島県郡山市) 

6月24日

6月24日〜25日に1泊2日で福島県に遊びに行って来ました。

初日の24日は、郡山市内を巡ります。
菅船神社をあとにして、向かった先は......................多田野本神社。


多田野本神社は、郡山市逢瀬町多田野に鎮座する神社です。


詳しい創建年代は不明ですが、物見ケ岳に火の神を祀ったのが始まりとされ、
その後、山中から現在地に遷座したと伝えられています。

康治2年(1143年)、源義家の家臣である鎌倉権五郎景政が
東北征伐の際に、この地に住んでいた盗賊や大蛇を
ことごとく退治したことに感謝した村民が、
景政やその一族を合わせて祀ったとされています。




御祭神は、火之夜芸速男神、鎌倉権五郎景正。



社号標。

      20190624多田野本神社01



一の鳥居。

      20190624多田野本神社02



一の鳥居に掲げられた神額。

      20190624多田野本神社03



参道の狛犬

      20190624多田野本神社05


      20190624多田野本神社06




朱色の二の鳥居。

      20190624多田野本神社04



二の鳥居に掲げられた神額。

      20190624多田野本神社07





      20190624多田野本神社08



手水舎。

      20190624多田野本神社09



定番の龍の吐出口。

      20190624多田野本神社10



手水舎の先には別な狛犬

      20190624多田野本神社11


      20190624多田野本神社12



こちらが拝殿。

      20190624多田野本神社13



拝殿正面。

      20190624多田野本神社14



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20190624多田野本神社15



別アングルからの拝殿。

      20190624多田野本神社16


      20190624多田野本神社1



そして、こちらが本殿。

      20190624多田野本神社18



境内社。

      20190624多田野本神社19


      20190624多田野本神社20


      20190624多田野本神社21



神楽殿。

      20190624多田野本神社22



社務所とその一角に併設された授与所。

      20190624多田野本神社23

この日は授与所も閉まっていて、宮司さんも不在。
奥さんが対応してくださいましたが
御朱印は宮司さんが不在のため今回は断念です。


境内の一角に設置されていたすべり台。

      20190624多田野本神社24

ちょっぴり、びいすけ もお借りして楽しませてもらいました。



2019/08/11 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............菅船神社 (2019年6月24日)(福島県郡山市) 

6月24日

6月24日〜25日に1泊2日で福島県に遊びに行って来ました。

初日の24日は、郡山市内を巡ります。
大宮伊豆神社をあとにして、向かった先は......................菅船神社。


菅船神社は、郡山市逢瀬町河内に鎮座する神社です。


かつて、この地が荒れていた時代に、
西の湖から神が菅の船で渡ってきて、
この地を救ったと言われ、
その神を祀ったのが始まりと伝えられています。

その後、寛平元年(889年)、当時発見された瑞玉を御神体とし、
伊勢国椿大神社から安積山(額取山)麓の現在地に猿田彦大神を勧請して
『河内明神』としたものが、現在の菅船神社になるそうです。

寛政2年(1790年)二本松藩主 丹羽長貴により社殿が造営され、
天明3年(1783年)に天照皇大神、月夜見大神を相殿勧請され、
菅船神社と改称したそうです。


御祭神は、猿田彦大神、天照皇大神、月夜見大神。




神社社頭。

      20190624菅船神社01

ちょっぴりピントがズレているのもご愛嬌。


朱色の鳥居に掲げられた神額。

      20190624菅船神社02



鳥居脇の狛犬。

      20190624菅船神社03


      20190624菅船神社04



鳥居の先は石段。
頑張って上りましょう。

      20190624菅船神社05



      20190624菅船神社26



石段の途中には手水舎。

      20190624菅船神社06


手水舎から振り返ってみると.........

      20190624菅船神社08

ここまで鳥居を3つくぐって来ました。



まだまだ石段は続きます。

      20190624菅船神社07

四の鳥居も見えます。



四の鳥居の先に現れた隋神門。

      20190624菅船神社09



別アングルから。

      20190624菅船神社10



隋神門に掲げられた扁額。

      20190624菅船神社24



隋神門には、古い奉納額も掲げられています。

      20190624菅船神社11



隋神門の内側には、天狗の面。

      20190624菅船神社12



隋神門脇には、手水舎。

      20190624菅船神社20



こちらが、拝殿。

      20190624菅船神社13



拝殿正面。

      20190624菅船神社14



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20190624菅船神社15



別アングルからの拝殿。

      20190624菅船神社16



      20190624菅船神社17



境内の由緒書き。

      20190624菅船神社18


境内社。

      20190624菅船神社19


      20190624菅船神社21




神楽殿。

      20190624菅船神社22



神輿庫。

      20190624菅船神社23



石段途中にある授与所。

      20190624菅船神社25

この日は閉まっていました。



来た時とは、別なルートを走っていたら
神社から500mほど離れた場所に建っていた社号標。

      20190624菅船神社27



確かに朱色の鳥居近くには社号標が無く
『おかしいな?』と思ってはいたのですが...............

      20190624菅船神社28

こんな離れた場所に在ったんですね。



こちらが、菅船神社の御朱印。

      20190624菅船神社29

朱色の鳥居の手前の宮司さん宅にて拝受いたしました。

2019/08/10 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............大宮伊豆神社(2019年6月24日)(福島県郡山市) 

6月24日

6月24日〜25日に1泊2日で福島県に遊びに行って来ました。

初日の24日は、郡山市内を巡ります。
夏出分校をあとにして、向かった先は......................大宮伊豆神社。



郡山市片平町に鎮座する神社です。

和銅4年(711年)葛城親王が阿尺国按察使兼班田使に任ぜられ、
安積地方を開拓して後の発展の基礎を築き、
後にその偉業を称えるために造営されたそうです。
当時の奥州草別大社と称していたそうです。

鎌倉時代、源頼朝の奥州征伐や泉親衡の乱などの戦功で、
伊東祐長(安積祐長)が安積郡45ヵ村を拝領すると、
祐長は安積伊東氏の祖となり、
故郷の氏神である伊豆山神、箱根大神、三嶋大神を勧請して合祀したそうです。


御祭神は、安積采女命
奥州草別大神
伊豆山神
箱根大神
三嶋大神
葛城親王



神社社頭。

      20190624大宮伊豆神社01



社号標。

      20190624大宮伊豆神社02



こちらも社号標。

      20190624大宮伊豆神社03

こちらの方が社号標としては古い。


一の鳥居前にて。

      20190624大宮伊豆神社04

傘をさしながらの写真だと、構図もイマイチ。
鳥居の頭が切れています。(見苦しい言い訳)(笑)



一の鳥居に掲げられた神額。

      20190624大宮伊豆神社05



鳥居背後の狛犬。

      20190624大宮伊豆神社06


      20190624大宮伊豆神社07



参道の由緒書き。

      20190624大宮伊豆神社08



手水舎。

      20190624大宮伊豆神社09



参道の二の鳥居。

      20190624大宮伊豆神社10



二の鳥居をくぐって参道を進みます。

      20190624大宮伊豆神社11



石段に近づいて行きます。

      20190624大宮伊豆神社12



上り応えのありそうな石段です。

      20190624大宮伊豆神社13



石段の先には随神門。

      20190624大宮伊豆神社14

勝手に格を付けちゃいけないけれど
やっぱり随神門(随身門)の在る神社って、風格があるように見えてしまいます。



こちらが拝殿。

      20190624大宮伊豆神社15



拝殿正面。

      20190624大宮伊豆神社16



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20190624大宮伊豆神社17



別アングルからの拝殿。

      20190624大宮伊豆神社18


そして、こちらが本殿。

      20190624大宮伊豆神社19


本殿も別アングルから。

      20190624大宮伊豆神社20



こちらは、安積山東葛城王賜祠。

      20190624大宮伊豆神社21


その由緒書き。

      20190624大宮伊豆神社22



参道手水舎向かいには、境内社の祖霊社。

      20190624大宮伊豆神社23


      20190624大宮伊豆神社24



境内には、祠も多い。

      20190624大宮伊豆神社25


      20190624大宮伊豆神社26


      20190624大宮伊豆神社27


      20190624大宮伊豆神社28



神輿庫。

      20190624大宮伊豆神社29

境内には神楽殿も在りましたが、なぜか写真の撮り忘れ。


参道の杉並木もこの大宮伊豆神社の見所の一つのようです。

      20190624大宮伊豆神社31
      20190624大宮伊豆神社32
      20190624大宮伊豆神社33

確かに、見応えのある参道です。



こちらが、御朱印。

      20190624大宮伊豆神社34

神社右脇にある宮司さん宅が社務所になりますが
当日は御歳90歳のお婆ちゃんが留守番。他に誰も居ないと言う事で
御朱印を諦めかけていたら、何と、お婆ちゃんが書いてくれると言う事で
ついついお願いしちゃいました。

流石と言うか、達筆です。
ありがとうございました。




2019/08/10 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............河内小学校夏出分校 (2019年6月24日)(福島県郡山市) 

6月24日

6月24日〜25日の1泊2日で福島県に遊びに行って来ました。

今回は福島県と言っても初日に郡山市を巡り
2日目は南会津町から栃木県へと南下するルートです。


朝、5時半に八王子の実家を出発。
あきる野ICから圏央道〜東北道と高速道路を乗り継ぎ郡山ICで降り
向かった先は...............郡山市立河内小学校夏出分校。


夏出分校の詳細な沿革は不明ですが
本校であった河内小学校のHPから抜粋し、加筆すると.........


明治22年町村制施行により、河内村・夏出村が合併し新たな河内村が発足する。
明治23年旧・夏出村の円福寺に河内小学校の分教室が開設される。
昭和11年河内尋常小学校夏出分校と改称する。
昭和22年学制改革により河内村立河内小学校夏出分校と改称する。
昭和30年河内村と多田野村が合併し逢瀬村となる。
逢瀬村立河内小学校夏出分校と改称する。
昭和40年郡山市が逢瀬村を含む安積郡全町村と新設合併を行う。
郡山市立河内小学校夏出分校と改称する。
平成18年休校となる。
平成22年廃校となる。

と、このような沿革となっています。


こちらが、かつての正門。

      20190624夏出分校01



この日は、梅雨らしく郡山も朝からシトシトと雨。
覚悟はしていましたが、雨の日の旅行は少しテンションが下がります。

      20190624夏出分校02


表札も雨に濡れている。

      20190624夏出分校03



分校全景。

      20190624夏出分校04

やたらと、体育館が目立ちます。



校舎。

      20190624夏出分校05


郡山の市街地から離れている自然の豊かな地区の分校と言う割には
校舎は近代的な感じで新しそうに見えます。

      20190624夏出分校06


校舎玄関。

      20190624夏出分校07


別アングルからの校舎。

      20190624夏出分校08



国旗掲揚ポール。

      20190624夏出分校09


こちらが体育館。

      20190624夏出分校10


      20190624夏出分校11


      20190624夏出分校12



校庭。

      20190624夏出分校13


広い校庭だけど、遊具類は一切残っていない。

      20190624夏出分校14

現在は少年野球部等のグランドとして使われているのか
小振りなバックネットが置かれています。



そして、期待していた廃校記念碑や、校歌等の記念碑もない。

      20190624夏出分校15



何か、遺構が無いか?
校庭の奥まで探しに行きましたが、何も無い。

      20190624夏出分校16

雨が降っているから、長居は無用。
さぁ、移動するよぉ〜!!

旅行は始まったばかり、先を急ぎましょう。





2019/08/09 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................熱海小学校中山分校 (2019年4月22日)(福島県郡山市) 

4月22日

4月22日〜23日に会津方面に1泊2日で出かけました。

磐越道の磐梯熱海ICにて高速を降り、国道45号線で中山峠を越えていた時、
中山集落に立ち寄ってみました。
と言うのも、以前に郡山市の廃校を調べていたら、
中山分校なる廃校が在ったのを思い出した。
しかしながら、ネットで調べても詳しくは分からない。
当然、その場所すら分からない。
こう言う時は、現地で訊くしかない。
畑で農作業をしていたオジさんに教えてもらいました。


こちらが、中山分校跡。

       20190422中山分校01


中山分校の詳しい沿革は不明ですが、
明治7年に開校した中山小学校がその始まりとなるようです。

明治41年     高田玉小学校、中山小学校、横川小学校、石筵小学校が統合して
           高川尋常小学校がそうせつされ、中山分教場となる。

昭和22年     学制改革により、熱海町立熱海小学校中山分校と改称する。
昭和40年     熱海町が郡山市と合併して郡山市立熱海小学校中山分校と改称する。
昭和53年     本校に統合され、廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。



廃校後、校舎は解体され、現在は熱海公民館中山分館となっています。

      20190422中山分校0113


       20190422中山分校0102



こちらが、公民館の建物ですが
きっと、往時の校舎もこんな感じで建っていたんでしょうね。

      20190422中山分校0103


      20190422中山分校0104



しかし、公民館の分館って、なかなか聞かないよね?

      20190422中山分校0105



そう言った所が地域性があって面白い。

      20190422中山分校0106


      20190422中山分校0107



公民館の玄関前に小さな門柱。

      20190422中山分校0108

きっと、これは中山分校時代のモノでしょう。



敷地内には、遊具も数基残されている。

      20190422中山分校0109



誰も居ない校庭跡の匂い嗅ぐために徘徊する びいすけ 。

      20190422中山分校0110

その先では、桜の花がお出迎え。


やっぱり、桜の花は学校に似合っている。

      20190422中山分校0111



廃校記念碑かと思ったら違っていた。

      20190422中山分校0112

中山簡易水道記念碑。


水道も整備されていなかった山の中だったんですね。
裏を返せば、それだけ中山峠は難所だったと言うことになるのか?

当初の訪問予定の無かった中山分校。
中山峠の中山集落に存在した分校でした.........................。。






2019/06/22 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

旧・中山宿駅跡の桜 (2019年4月22日)(福島県郡山市) 

4月22日

この日は1泊2日で福島に出掛けました。

朝5時過ぎに八王子の実家を出発。
愛車の助手席には妹の もっちゃん。
そしてリアシートを倒した荷室のバリケンゲージには びいすけ。
いつものメンバーでの福島旅行です。

圏央道のあきる野ICから高速に乗り、圏央道、東北道、磐越道と乗り継ぎ、
磐梯熱海ICにて高速を降り、猪苗代町の山潟地区を目指します。
国道45号線で山越え、中山峠を越えて行く際に、
視界の右手高台に学校跡のような感じの雰囲気がある。
立ち寄ってみると、そこは駅の跡でした。


磐越西線 旧・中山宿駅跡でした。

      20190422旧・中山宿駅01

磐越西線は、福島県郡山市の郡山駅から会津若松駅を経由して、
新潟県新潟市秋葉区の新津駅までを結ぶJR東日本の鉄道路線です。

磐梯熱海~上戸で郡山盆地と猪苗代湖の間にある山間部を走り、
連続勾配区間になっているため、中山宿駅は勾配型スイッチバック駅として
明治31年に開業しました。
長らくスイッチバック駅として存在していましたが、
鉄道が電化されて電車が主力になるとスイッチバックの必要性が薄れ、
開業99年後の平成9年に本線上へ駅が移転され、旧駅は廃止されました。
しかし、現在も保線用の設備が残存していて、ホーム跡も残っていて、
平成27年に旧駅は観光用に整備されて自由に探訪できるようになったそうです。


私は『鉄ちゃん』ではありませんが、廃線とか廃駅とかの言葉には
ノスタルジー(懐古・追憶)を感じてしまうのは何故でしょう。
この地に住んでいたわけでも無いし、かつて訪れたわけでも無いんですけどね。



線路と枕木は無くなってしまったけれど
ホームはしっかりと残っている。

      20190422旧・中山宿駅02


      20190422旧・中山宿駅03


      20190422旧・中山宿駅04



そして、かつての駅前には立派な桜の木。

      20190422旧・中山宿駅05



見事に花を咲かせている。

      20190422旧・中山宿駅06


      20190422旧・中山宿駅07

今年は昨年に比べたら春の到来が遅いのか?
それとも去年の春の到来が早すぎたのか?
昨年もこの時期に会津に旅行に来たんだけど、桜は終わっていた。

今年は、花満開の会津の旅になりそうです。


2019/06/21 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit