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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

廃校を訪ねて............... 長田小学校 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

常陸大宮市の廃校巡り、その第15弾は...............旧・山方町立 長田小学校


長田小学校の詳しい沿革は不明ですが
こちらの前に訪れた塩田小学校閉校記念碑の中に
そのヒントはありました。

長田小学校は、

明治22年に設立された塩田村立尋常小学校のぶんが始まりのようです。

明治25年     独立して塩田第二尋常小学校と改称する。
昭和22年     学制改革により、塩田村立塩田第二小学校と改称する。
昭和30年     塩田村の一部(長沢・ら長田・照田の一部)が山方町に編入され
           山方町立長田小学校と改称する。
平成15年     野上小学校、小貫小学校と合併して新たに山方南小学校が開校。
           長田小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。


長田小学校の敷地は現在、NPO法人『おさだの杜』として
障害者の自立支援及び就労支援のための施設となっているようです。

さすがに犬連れで敷地内に入るのはマズイと思い
県道沿いの正門前から敷地内を覗きます。

こちらが正門。

      20170914長田小学校01


      20170914長田小学校02

正門の門扉の奥に何やら石碑が見えます。
どうやら、廃校(閉校)記念の碑のように見えます。




門には、往時の表札が掲げられています。

      20170914長田小学校03

この表札は卒業製作と言うか、卒業記念の品。
さすがに簡単に撤去は出来ないでしょう。




先ほどの碑を近くで見たくて、
受付で見学をさせて貰いたいとお願いしたら
心良く許可をいただきました。

さすがに、犬連れはマズイかと思っていたら
『犬連れで廃校を巡っているなら構いませんよ!』
と暖かいお言葉。もう、感謝です。


遠慮がちに石碑の近くへと向かいます。

      20170914長田小学校04



正面から見れば、長田小学校跡の碑。

      20170914長田小学校10


      20170914長田小学校11



裏面に沿革が刻まれているのを期待しましたが
残念!

校訓と校歌が刻まれていました。

      20170914長田小学校12



そして、その隣に建っている小さな石碑。

      20170914長田小学校13

長田小学校の百周年記念の碑です。



裏面には、『50年タイムカプセル』と刻まれています。

      20170914長田小学校14

この下にタイムカプセルが埋まっているんですね。
50年後のお楽しみも、あと7年。




あまり、敷地内をウロチョロも出来ないので
先ずは、校舎を激写(?)

別アングルにしたり、 びいすけ を入れたりして
ささっさぁ〜とシャッターを押しまくり(笑)。

      20170914長田小学校05


      20170914長田小学校06


      20170914長田小学校08


      20170914長田小学校09


      20170914長田小学校15


せっかくだから、校舎壁面の校章も激写(笑)。

      20170914長田小学校16



広い校庭だけど、ぱっと見て
『これは!』って言うモノモノ無さそうです。

      20170914長田小学校17


      20170914長田小学校18


      20170914長田小学校19



校庭の隅に建っていた、緯度・経度の標柱。

      20170914長田小学校20

意外に、常陸大宮市の小学校って、
この手の緯度・経度を示す標柱や碑が多い気がします。
気のせいかなぁ?



正門近くの校庭には、聳えるシンボルツリー。

      20170914長田小学校21



枝の陰になって、ちょっと見づらいけれど
正門の表札の上には、『 旧・長田小学校 』の案内板。

      20170914長田小学校22

きちんと、旧・長田小学校と明記している辺りに
旧・山方町のこだわりを感じたりします。




二ノ宮像を密かに期待したけれど、何処にもありませんでした。
意外に、茨城県内で二ノ宮像を見かける機会は少ないのかも?
常陸大宮市でも15校の廃校を巡って、1校にしか二ノ宮像は無かった。
茨城県内では、流行らなかったのかなぁ?

まぁ、民間に貸し出しされている廃校となると
なかなか敷地内にも立ち入れないから
こんな感じで、見学させてもらったことに感謝しなくては...............




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2017/10/21 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 小瀬第一小学校 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

常陸大宮市の廃校巡り、その第14弾は...............旧・緒川村立 小瀬第一小学校

小瀬第一小学校は、詳しい沿革は不明ですが
現地に建てられていた碑にはたった2行の沿革。

明治41年小瀬尋常小学校として開校。
平成元年小瀬小学校に統合され廃校。

と、このような沿革です。

まあ、正確には平成元年に小瀬第二小学校と統合して
新たに小瀬小学校が設立され、廃校となったようです。


こちらが、小瀬第一小学校の入口。

      20170914小瀬第一小学校01

緩やかな上り坂。
学校の正門跡って言う感じがヒシヒシと分かります。



敷地は、緒川第一体育館として避難所に指定されています。

      20170914小瀬第一小学校02


こちらが、緒川第一体育館。

      20170914小瀬第一小学校03



小瀬第一小学校の体育館でした。

      20170914小瀬第一小学校04



小瀬第一小学校の校舎は、とっくに解体され
一時期は体育館以外には何も無く、校舎跡も更地でした。

東日本大震災の影響でしょうか?
急遽、市営住宅が建てられました。

      20170914小瀬第一小学校05


一瞬、建売り住宅と勘違いするような、立派な市営住宅。

      20170914小瀬第一小学校06



敷地内には、商工会の支所も建っています。

      20170914小瀬第一小学校07


      20170914小瀬第一小学校08




商工会側の敷地出入り口。

      20170914小瀬第一小学校13

ひょっとしたら、こちらに正門が在ったのか?
でも、そんな風には見えない。


すぐ近くには、石碑群。

      20170914小瀬第一小学校09



旧・緒川村の規格品?
『 小瀬第一小学校跡 』の碑。

      20170914小瀬第一小学校10



スペースの制限だとは思うけれど
たった2行では、小瀬第一小学校の歴史は語れない。

      20170914小瀬第一小学校11



おそらく、正門に使われていた門柱。

      20170914小瀬第一小学校12

表札の文字はカスれていて読めない。



      
これも何かの碑だとは思うけれど判別不能。

      20170914小瀬第一小学校14


敷地内に残る、シンボルツリー。

      20170914小瀬第一小学校15



校地が住宅に変貌していたのには、正直驚きました。
まぁ市営住宅だから、ある意味、敷地の有効活用と言えるかも?
常陸大宮市って、廃校が多いけれど、
跡地を上手く活用していると言えるかもしれない。




2017/10/19 Thu. 12:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 八里小学校小舟分校 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

松之草分校をあとにして、向かった先は...............旧・緒川村立 八里小学校小舟分校


分校跡に残された碑には、簡略な沿革が刻まれていましたが
近隣の町村の歴史的な変遷を考慮すれば...............

小舟分校は、

明治10年      小舟学舎創立。
明治42年      八里尋常小学校小舟分校となる。
昭和22年      学制改革により、八里村立八里小学校小舟分校と改称する。
            小瀬村と八里村が合併し、緒川村が発足。
昭和31年      緒川村立八里小学校小舟分校と改称する。
昭和54年      八里小学校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。



小舟分校の詳しい場所は分かりませんでしたが
地方の農村部、山間部の廃校(分校)が
公民館等の公共施設に転用されている事が多いので、
2ヶ所ばかり当たりを付けて、最初に小舟公民館を訪れてみましたが
分校跡の雰囲気はあるものの、旧・緒川村の統一デザインの石碑が無い!

もう1ヶ所の小舟上集落センターに向かってみました。
実は、この小舟上集落センターの在る場所が
八里小学校小舟分校の跡地でありました。



こちらが、小舟分校の入口。

      20170914小舟分校01

正面の建物は、上小舟集落センターと思いきや、違っていました。


『緒川村農産物加工施設』と看板が掲げられています。

      20170914小舟分校02



しかしながら人気は無く、農産物加工施設としては
現在は機能していそうもない。

      20170914小舟分校03

おそらく、常陸大宮市に統合された際に廃止されたのでしょう。


当初、この場所が小舟分校跡か?否か?
不安でしたが、農産物加工施設の裏手で
旧・緒川村統一規格(?)の碑を見つけた時は嬉しかったなぁ。


碑は、この裏手に隠れるように建っていました。

      20170914小舟分校04



こちらが、『小舟分校跡』の碑。

      20170914小舟分校05



やはり、沿革はたったの3行(笑)。

      20170914小舟分校06



同じ敷地内には、上小舟集落センター。

      20170914小舟分校10



こちらは、地域の公民館的な存在で
現在も有効に利用されているようです。

      20170914小舟分校07



農産物加工施設跡の建物裏の碑がなければ
とても学校跡には見えない小舟分校跡。


一歩譲って、学校跡を彷彿させるのは
この桜の木かもしれません。
     
      20170914小舟分校09


      
昭和の時代に廃校になった八里小学校の分校。
これで4つの分校の全てを訪れる事が出来ました。
しかし、 旧・八里村の学区は広い! と改めて感じました。



2017/10/13 Fri. 13:13 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 八里小学校松之草分校 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

八里小学校をあとにして、向かった先は...............旧・緒川村立 八里小学校松之草分校


分校跡に残された碑には、簡略な沿革が刻まれていましたが
近隣の町村の歴史的な変遷を考慮すれば...............
松之草分校は、

明治23年      松之草小学校として開校。
明治42年      八里尋常小学校松之草分校となる。
昭和22年      学制改革により、八里村立八里小学校松之草分校と改称する。
昭和31年      小瀬村と八里村が合併し、緒川村が発足。
            緒川村立八里小学校松之草分校と改称する。
昭和42年      八里小学校に統合され廃校となる。


と、このような沿革となっているようです。


地元の千葉県から他県の廃校巡りに出かける際は
情報がかなり重要になります。
よく参考にさせていだだいているブログを拝見して
松之草分校は『風車の弥七』のお墓のすぐ近く(隣り)と知っていたので
風車の弥七の墓を目指します。

風車の弥七の墓の隣には、
地域の公民館的な存在の松之草生活改善センター が在りました。


松之草分校跡は『松之草生活改善センター』として活用されているようです。


こちらが松之草分校跡。

      20170914松之草分校01


現在は、地域の公民館的な存在の松之草生活改善センター。

      20170914松之草分校02


その建物。
昭和48年に廃校。
往時の校舎に見えなくもないが、新たに建てられたモノでしょう。

      20170914松之草分校03


松之草生活改善センターの木製の看板(表札)も年季が入ってます。

      20170914松之草分校07


敷地は広くない。

      20170914松之草分校04



当然、校庭も狭く、いかにも里山の分校跡。

      20170914松之草分校05



校庭は、ゲートボール場として利用されているようです。

      20170914松之草分校06


   
校庭の隅には、旧・緒川村の統一規格(?)の碑

      20170914松之草分校08



『松之草分校跡』としっかり刻まれています。

      20170914松之草分校09



側面には沿革。

      20170914松之草分校10


たった3行の沿革も他の廃校と同じです。

      20170914松之草分校11

分校跡を感じさせるのは、この碑だけ。
遊具も二ノ宮像もない。


ただ、感心なのはこの場所がしっかり管理されていると言うこと。
この花壇を見れば、それが分かります。

      20170914松之草分校12



分校跡の向かいの畑の中には、こんな碑が在りました。

      20170914松之草分校13



『弥七とお新の住居跡』

      20170914松之草分校14

どうやら、水戸黄門に登場する『風車の弥七』の事らしい。

あくまでもTVドラマの世界の話かと思っていたら
実在した人物のようです。
と言うか、松之草小八兵衛と言う人がモデルのようです。
水戸黄門(水戸光圀)に仕える身。忍び。
妻の名は「お新」などの共通点があり、
地元では小八兵衛を"弥七のモデル"とみなしたようです。


何と驚くなかれ、松之草分校の隣はこんな状態。

      20170914松之草分校15

すっかり観光地?
おまけに500円徴収されるようです。

この日は平日だから、売店?も休み。
駐車場も閉まっています。

      20170914松之草分校16



県道から、弥七の墓を垣間見ることが出来ます。

      20170914松之草分校17


まぁ、500円払って見学する価値があるのか...............?
正直、分かりません。

一つだけ言えるのは、松之草分校跡は
『風車の弥七』の墓に隣接する松之草生活改善センターだと言うことを
しっかりと覚えておこう...............。




2017/10/13 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 八里小学校入本郷分校 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

常陸大宮市の廃校巡りに出かけたのですが
常陸大宮市は大宮町、山方町、美和村、緒川村、御前村が
平成16年に合併して誕生した市です。
いわゆる平成の大合併ですが、この時期から全国的に学校の統廃合が加速的に進み、
常陸大宮市でもかなりの小学校が廃校となりました。

常陸大宮市が誕生する以前にも、旧緒川村では廃校が多く
八里小学校には、かつて4つの分校が在りましたが
いずれも昭和の時代に廃校となってしまいました。

千田分校をあとにして、向かった先は...............旧・緒川村立 八里小学校入本郷分校


分校跡に残された碑(標柱)には、簡略な沿革が刻まれていましたが
近隣の町村の歴史的な変遷を考慮すれば...............
入本郷分校は、

明治33年      八里第三小学校入本郷分校として開校。
明治42年      八里尋常小学校入本郷分校と改称する。
昭和22年      学制改革により、八里村立八里小学校入本郷分校と改称する。
昭和31年      小瀬村と八里村が合併し、緒川村が発足。
            緒川村立八里小学校入本郷分校と改称する。
昭和42年      八里小学校に統合され、廃校となる。

と、このような沿革を歩んだようです。


分校の場所は分かりませんでしたが
公民館か何かに流用されていると予測して
入本郷集落にある入本郷公民館に向かいました。

ちょうど、この辺りは稲刈りのシーズン。
台風18号も数日後に本州に上陸する?なんて予報もあり
稲刈りをされている農家の方が多い。
公民館前の田圃稲刈りをしていた御老人に聞いてみたら
入本郷公民館が入本郷分校跡になるとの事でした。



入本郷分校の入口。

      20170914入本郷分校01

反対側にも入口はありますが、こちらの狭い道の方が
分校の通学路っぽい(笑)。



反対側の入口から入れは、こんな感じで
里山の分校跡っぽく見えます。

      20170914入本郷分校03

奥に見えるのが、公民館。
往時の校舎は解体され、公民館が建てられました。


こちらが公民館。

      20170914入本郷分校04



狭い校庭。

      20170914入本郷分校02


    
その校庭の片隅にひっそりと碑が建っています。

      20170914入本郷分校05



『入本郷分校跡』の碑。

      20170914入本郷分校06


      20170914入本郷分校07

こちらの碑にも沿革は3行に集約されていました。
もっと多くの歴史が在ったと思うんだけどなぁ。


分校の校庭の片隅に、台地に上がる石段がありました。

      20170914入本郷分校08

鳥居が見えるから神社のようです。


せっかくだから、上がってみましょう。

      20170914入本郷分校09



石段を上りきった先には、拝殿。

      20170914入本郷分校10



神額(扁額)には鹿島神社の文字。

      20170914入本郷分校11

集落の信仰の象徴だったのでしょう。
それ故に、鹿島神社の境内下に分校が建てられたのでしょう。


台地から見下ろすと、県道までそれなりの高さ。

      20170914入本郷分校12


山奥とも言え、この入本郷の集落にもかつての学舎があり、
明治初期に遡れば、入本郷村と呼ばれていた地区。
鹿島神社の境内下であり、そこはかつての集落の中心とも言える場所だったかもしれない...............。






2017/10/10 Tue. 15:15 | trackback: -- | 本文: -- | edit