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び・び・びのびいすけ

ダムカードを集めよう...............霞ヶ浦(西浦) (2017年10月4日)(茨城県行方市) 

10月4日 公休日

昨年からハマっているダムカード集め。

この日は、茨城県の鹿行地区へと出かけました。
この地区に出かけた目的の一つがダムカード集め。
時間に、今年になって茨城県の霞ヶ浦と北浦でダムカードが発行されました。

正確には、ダムではないから何故ダムカードなの?
素朴な疑問が湧きますが...............

印旛沼でも 北沼 と 西沼 の2種類のダムカードが発行されているから
それと同じだと思えば、納得できる。(納得するしかない)(笑)。


そもそも霞ヶ浦は、
茨城県南東部から千葉県北東部に広がる湖です。
湖沼水質保全特別措置法で指定された湖沼です。
西浦・北浦・外浪逆浦・北利根川・鰐川・常陸川の各水域の総体で、
河川法ではこの範囲を「常陸利根川」と呼び、利根川の支川としています。


北浦と霞ヶ浦は、全く別物だと思っていたら、総称が霞ヶ浦で
今まで霞ヶ浦と思っていたのは西浦のことだったんですね。


霞ヶ浦大橋近く、道の駅 たまつくり の裏手の西浦の湖畔に来ました。

      20171004 ダムカード霞ヶ浦01


霞ヶ浦も広いんだよなぁ。
霞ヶ浦の一部分である西浦も広い。

      20171004 ダムカード霞ヶ浦02


西浦の先には筑波山。

      20171004 ダムカード霞ヶ浦03



湖岸の桟橋。
土浦港から観光帆掛船が来るようです。

      20171004 ダムカード霞ヶ浦04



小さな灯台。

      20171004 ダムカード霞ヶ浦05



湖岸の道には桜並木。

      20171004 ダムカード霞ヶ浦06

春は桜の名所でしょうか?



ふと、視界に入った説明板。

      20171004 ダムカード霞ヶ浦07

昭和13年の6月に、この地方を含め霞ヶ浦界隈にかなり広範囲の洪水があったらしい。
もともと霞ヶ浦界隈は水害に多い地区だったりようです。
その後、霞ヶ浦の流域となる常陸川を改修したようです。



常陸川の改修工事の80周年を記念して建てられた碑。

      20171004 ダムカード霞ヶ浦08



霞ヶ浦の湖岸から、霞ヶ浦ふれあいランド裏手にはちょっとした公園があります。

      20171004 ダムカード霞ヶ浦09


      20171004 ダムカード霞ヶ浦10



芝生広場もあって、ちょっとした犬の散歩にも良い。

      20171004 ダムカード霞ヶ浦11



芝生の匂いを嗅ぎ回る びいすけ もまんざらでは無さそうです。

      20171004 ダムカード霞ヶ浦12


      20171004 ダムカード霞ヶ浦13



さて、肝心のダムカードですが、
霞ヶ浦ふれあいランドの施設の一部である水の科学館の受付でもらえます。

      20171004 ダムカード霞ヶ浦14



ダムカードも無事ゲット!

      20171004 ダムカード霞ヶ浦15



こちらが、霞ヶ浦(西浦)のダムカード。

      20171004 ダムカード霞ヶ浦16


      20171004 ダムカード霞ヶ浦17



実は、霞ヶ浦のダムカード(北浦、西浦)を並べると...............

      20171004 ダムカード霞ヶ浦18

印旛沼のダムカードと同じように、霞ヶ浦全体のイラストとなります。
この辺りも、印旛沼のダムカードの二番煎じ?




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2017/11/05 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

道の駅 たまつくり (2017年10月4日)(茨城県行方市) 

10月4日 公休日

この日は、茨城県の鹿行地区に出かけました。


霞ヶ浦(西浦)のダムカードを貰いに潮来市から
行方市への移動です。
行方市の玉造地区、霞ヶ浦大橋の辺りは色々な施設が建ち並んでいます。
(と言っても3つですが...............)

一つは、霞ヶ浦ふれあいランド
さらには、水の科学館
そして、残るは...............道の駅 たまつくり

      20171004道の駅たまつくり01


      20171004道の駅たまつくり02


霞ヶ浦大橋のすぐ脇にある『道の駅 たまつくり』。

      20171004道の駅たまつくり09



道の駅の切符の存在を知ってから、
出かけた際には、道の駅に立ち寄ろうと思ってます。


この道の駅にも、かなり昔に立ち寄った記憶がありますが
その時はトイレを借りただけ。

      20171004道の駅たまつくり03


今回は、道の駅の一つのウリである即売所。
こちらの道の駅では、『 行方市観光物産館 こいこい 』に寄りましょう。

      20171004道の駅たまつくり04



テラス席が本来は在るのですが、現在工事中。

      20171004道の駅たまつくり05


      20171004道の駅たまつくり06

10月末には、工事も終わってテラス席も利用可能になるそうです。


びいすけ には申し訳ないけれど、中には入れないから
入口近くにリードを括り付け、外で待機してもらいます。


先ずは、目的の一つ。
道の駅 たまつくり のスタンプ。

      20171004道の駅たまつくり07



そして、即売所の物色。
きゅうり と さつまいも が安い。

      20171004道の駅たまつくり08

すぐさま、レジに並びます。
ついでに、道の駅の切符も購入(実はコレが最大の目的だったりして...............)



こちらが、道の駅の切符。

      20171004道の駅たまつくり10


      20171004道の駅たまつくり11



そして、『 道の駅 たまつくり 』のスタンプ。

      20171004道の駅たまつくり12


スタンプラリーをしている訳じゃないけど
道の駅巡り、ハマっちゃいそうです。



2017/11/05 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

天王崎公園  (2016年11月12日)(茨城県行方市) 

11月12日 公休日

この日は、茨城県の行方市、及び霞ケ浦周辺の茨城百景巡りに出かけました。

茨城百景の『水郷 麻生』の碑の在る麻生八坂神社に隣接する
天王崎公園に立ち寄ってみました。


霞ケ浦の湖畔に在る 天王崎公園。
広い芝生広場が気持ち良さそうです。

      20161112天王崎公園01


とは言いながら、前日降った雨で一部の芝生もグチャグチャと濡れている。
気を付けないと、ぬかるみに足を突っ込んでしまい、靴がビチョビチョになってしまいます。

      20161112天王崎公園02

画像で見る限りでは、そんな風には見えないんだけどねぇ。



『天王崎』の看板。

      20161112天王崎公園03

隣接する 麻生八坂神社 のかつての祭神が牛頭天王だった事から
この辺りは『天王崎』と呼ばれるようになったそうです。


霞ケ浦湖畔のなかなか風光明媚な場所です。

      20161112天王崎公園04


      20161112天王崎公園05



生憎の曇り空で、ちょっぴり残念。

      20161112天王崎公園06



青い空と霞ケ浦だったら、もっと画になっていたでしょう。

      20161112天王崎公園07



足元を気にしながら、公園内を散策します。

      20161112天王崎公園08



びいすけ は芝生の濡れ具合よりも、芝生の匂いが気になるようです。

      20161112天王崎公園09



『 おいで〜!』と声をかけると、小走りに走って来ます。

      20161112天王崎公園10

従順な所は『お利口さん!』と褒めてあげたい(笑)。



芝生広場を歩き終え、湖畔の遊歩道(サイクリングロード?)を歩きます。

      20161112天王崎公園11



湖畔からは、けたたましいエンジン音。

      20161112天王崎公園12



ラジコンのボートが甲高いエンジン音を鳴らし
水辺をカッ飛んでいます。

      20161112天王崎公園13



どうやら、こちらの方が操作しているみたいです。

      20161112天王崎公園14


暫し、ラジコンのボートの動きを眺めていました。

      20161112天王崎公園16



一方、 びいすけ は大人しくベンチで待機。

      20161112天王崎公園15


     
しているかと思えば、匂いをクンクン。

      20161112天王崎公園17



そこへ、一艘のモーターボートがラジコンボートの方へ走って行きます。

      20161112天王崎公園18

どうやら、かなり離れた場所でラジコンボートの制御が出来なくなってしまったみたい。
急いで回収に向かったようです。


何か、見ては行けないモノを見てしまったような雰囲気。


びいすけ、そろそろ車に戻ろうか?

      20161112天王崎公園19



因みに、ラジコンボートは無事回収出来たようです。

      20161112天王崎公園20

ラジコン機材をいっぱい載せた、他府県ナンバーの1BOX車が何台も停まっていたから
ここは、ラジコンボートのメッカなのかも知れない。




ここ大王崎は『水郷筑波国定公園』の『大王崎園地』らしい。

      20161112天王崎公園21



こちらが大王崎のランドマーク。
『風の塔』

      20161112天王崎公園22


実は、公衆トイレだったりする。

      20161112天王崎公園23

一応、展望台のある塔なんだけど
ゲートは閉められ、展望台には上がれないようになっています。



霞ケ浦の対岸に沈む夕陽の美しい場所らしいが
夕陽の時間帯にはまだまだ早い。

時刻もお昼を回ったばかり。

さて、この後は何処へ行こうかな...............?



2016/12/01 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 水郷麻生 》   (2016年11月12日)(茨城県行方市) 

11月12日  公休日

この日は、茨城県の行方市、及び霞ケ浦周辺の茨城百景巡りに出かけました。


茨城百景とは、茨城県観光審議会によって昭和25年に選出された
茨城有数の景勝地が100ヶ所網羅されています。
時代の移り変わりにより、形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。
ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。

実は、私もその一人であり、最近になって茨城百景を追いかけることにいたしました。

そんな訳で、西蓮寺をあとにして向かった先は...............茨城百景 水郷麻生



『茨城百景 水郷麻生』の碑は、
霞ケ浦湖畔の八坂神社の境内に在るとの事なので
八坂神社を目指します。

こちらが八坂神社。

       20161112茨城百景 水郷麻生01


湖畔にある神社で敷地はさほど広くはない。
1612年に麻生藩主となった新庄氏が、
麻生藩の総鎮守として建立したと言われています。

       20161112茨城百景 水郷麻生04




しかしながら、この八坂神社は全国的にも珍しい祭りで有名らしい。
『麻生祗園馬出し祭』と呼ばれる祭りは、行方市の無形文化財に指定されているようです。

       20161112茨城百景 水郷麻生02



八坂神社の境内で馬と神輿が勇ましい戦いを繰り広げた後、
神輿が霞ヶ浦の中で揉まれると言う祭りらしい。

この狭い境内を馬と神輿が絡まると言うのか?

       20161112茨城百景 水郷麻生03

確かに細長い境内は、馬が走るには都合が良い。

       


境内の一画に建つ『茨城百景』の碑。

       20161112茨城百景 水郷麻生05


       20161112茨城百景 水郷麻生06



百景の碑のすぐは近くに建つ碑。

       20161112茨城百景 水郷麻生07

『茨城45景當選記念塔』と刻まれています。


この八坂神社の在る地は『茨城百景』でありますが
『茨城45景』の地でもあるようです。

ちなみに『茨城45景』とは、
昭和10年に茨城新聞社が創立45周年を記念して行った事業で、
県民投票によって選ばれた45カ所の景勝地と言うことらしい。
昭和10年って、今から80年以上も前の話。


80年前と変わっていないんだろうか?

       20161112茨城百景 水郷麻生08



麻生の地の霞ケ浦の湖畔を大王崎と言うらしい。

       20161112茨城百景 水郷麻生09

そもそも、『麻生祇園馬出し祭り』では馬をヤマタノオロチ、
神輿をスサノオに見立てていると言われています。
八坂神社の祭神は須佐之男命(スサノオノミコト)であることから
馬と神輿が戦うことによってヤマタノオロチとスサノオの戦いを表しているとされています。

しかし、元々は八坂神社の祭神は牛頭天王と呼ばれる祭神でしたが
明治政府の神仏分離令により、牛頭天王の『天王』が天皇と同じ読みのため、
スサノオが八坂神社の祭神となったと言うことらしい。
そして、八坂神社が鎮座する地名を牛頭天王から天王崎と呼ぶようになったらしい。



拝殿前にて。

       20161112茨城百景 水郷麻生10


こちらが拝殿。

       20161112茨城百景 水郷麻生11



八坂神社に因んだもう一つの指定文化財。
獅子頭の標柱。

       20161112茨城百景 水郷麻生12

『麻生祇園馬出し祭り』では、昭和20年頃まで、船材の厚板で船大工が頑丈に作った神輿に
獅子頭を奉収して、しめ縄を幾重にも巻き付けました。
御幣を先頭に、子供たちが神輿を担ぎ、家々の庭先で荒々しく叩きつけ、
家庭から疫病を防ぎ、災厄を免れるよう雄叫びをあげて走ったそうです。
毎年、これを繰り返し、獅子の下顎と両耳は欠落しまったそうです。

今では『麻生祇園馬出し祭り』の際に拝殿に飾られるそうです。



麻生八坂神社の境内には句碑が多い。

      20161112茨城百景 水郷麻生13


      20161112茨城百景 水郷麻生14


      20161112茨城百景 水郷麻生15




霞ケ浦の湖畔に隣接しているから
八坂神社からサイクリングロードを挟んで、すぐに湖畔なります。

      20161112茨城百景 水郷麻生16




かつては、湖水浴場だった浜辺。

      20161112茨城百景 水郷麻生17

この景観が茨城百景に選定されたんでしょうね


そして、『麻生祇園馬出し祭り』では、
この浜辺に神輿が揉まれているそうです。

      20161112茨城百景 水郷麻生18


      20161112茨城百景 水郷麻生19


機会があったら、『麻生祇園馬出し祭り』も見に来れたらいいなぁ。



2016/11/30 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 西連寺 》   (2016年11月12日)(茨城県行方市) 

11月12日  公休日

この日は、茨城県の行方市周辺の茨城百景巡りに出かけました。


茨城百景とは、茨城県観光審議会によって昭和25年に選出された
茨城有数の景勝地が100ヶ所網羅されています。
時代の移り変わりにより、形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。
ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。

実は、私もその一人であり、最近になって茨城百景を追いかけることにいたしました。

そんな訳で、向かった先は...............茨城百景 西蓮寺



西蓮寺は、延暦元年(782年)に創建と伝えらる古刹で、天台宗の寺院です。
山号は尸羅慶台上山。
院号は曼珠院。
本尊は薬師如来。

西蓮寺は、数多くの文化財を持っています。
その一つである仁王門は、天文12年(1543年)建立されたものです。
当初は楼門として造られ、寛政2年(1790年)山門に造り替えられ、
更には、再び仁王門に改められて現在に至っているそうです。

また、西蓮寺の大銀杏は茨城県の指定天然記念物に指定されていて、
樹齢1,000年といわれる大木です。
秋の黄葉は見応えがあり、境内が銀杏の黄葉で覆われ、
多くの人がその黄金色の絨毯を眺めに来るそうです。

そして、西蓮寺のもう一つの重要文化財は相輪橖です。
比叡山延暦寺の相輪橖、日光輪王寺の相輪橖、そして西蓮寺の相輪橖が
日本三相輪橖と呼ばれているそうです。



本堂裏の駐車場に車を停めて西蓮寺に向かいます。

      20161112茨城百景 西連寺01




この先が本堂。

      20161112茨城百景 西連寺03



こちらが、本堂。

      20161112茨城百景 西連寺04


本堂に掲げられた扁額。

      20161112茨城百景 西連寺05

院号の『曼殊院』。



なぜか、七福神の幟。

      20161112茨城百景 西連寺02

どうやら常陸七福神と言うモノがあり、その内の一つらしい。




境内でひときわ目を張る大銀杏。

      20161112茨城百景 西連寺07

黄葉の時期にはまだ早く、完全な緑色の世界。
半月以上早かったか...............?



実は大銀杏早かったか1本だけじゃなく、2本在る。

      20161112茨城百景 西連寺06

前掲の大銀杏は2号。
      


そして、こちらが1号。

      20161112茨城百景 西連寺08

いずれにしても、推定樹齢約1000年と言うからとにかくデカい。


大銀杏の脇には鐘楼。

      20161112茨城百景 西連寺09

これがまた、いい雰囲気。



大銀杏と鐘楼がマッチング。

      20161112茨城百景 西連寺10

これで大銀杏が色付いていれば最高ですね。




こちらは、常行堂

      20161112茨城百景 西連寺11

西蓮寺では、伝統行事である常行三昧会が9月24日~30日に執り行われます。
寛治年間(1087~94)に地元の長者が比叡山より移したものとされ、
西蓮寺の末寺、門徒寺の僧侶が常行堂に集まり、7日7夜にわたって堂内を廻りながら
独特の節回しで立行誦経する大法要です。
『常陸高野』と呼ばれるように、この法要は『仏立て』と言われ、
宗旨の別もなく、近郷近在はもとより遠隔地から新仏の供養に参詣人が訪れるそうです。






こちらは、薬師堂。

      20161112茨城百景 西連寺14

西蓮寺の本尊である薬師如来の説明板

      20161112茨城百景 西連寺12


薬師如来は奥の収納庫に安置されているらしい。

      20161112茨城百景 西連寺13


      



国指定重要文化財の相輪橖。

      20161112茨城百景 西連寺15


ソウリンの説明板。

      20161112茨城百景 西連寺16

相輪橖は元寇(弘安の役)の戦勝を祈念して、
弘安十年(1287)に建立したものとして伝えられているそうです。




こちらは、西蓮寺の説明板(案内板)

      20161112茨城百景 西連寺17



説明板の正面が山百合の里の入口。

      20161112茨城百景 西連寺18

山全体に自生する山百合が7月の中旬~下旬に咲くらしい。
今回は時季外れなのでパスしましょう。

また、9月下旬には約10万本の彼岸花が見頃となるらしい。
これは、来年の見頃の時期は要チェックですね。


背後のスダジイ(?)

      20161112茨城百景 西連寺25

幹が折れちゃっているけど、これもかなりの古木だったはず。



こちらが国指定重要文化財の仁王門。

      20161112茨城百景 西連寺19


      20161112茨城百景 西連寺20



正面から眺めると、それなりの風格があります。

      20161112茨城百景 西連寺21



仁王門に掲げられた扁額。

      20161112茨城百景 西連寺22

カスれた文字が長い年月を感じさせてくれます。


仁王門の脇に建つ石碑。

      20161112茨城百景 西連寺23

てっきり『茨城百景』の碑かと思ったら違っていました。



茨城百景の碑を探していると、
仁王門前の売店(?)には、こんなモノが...............

      20161112茨城百景 西連寺24

確かに西蓮寺は七福神の一つらしいが、確か『寿老人』のはず?
これって、『大黒天』だし(笑)。



さらに、仁王門の先の参道を歩いていると石碑を発見!

      20161112茨城百景 西連寺29

でもこれも探している『茨城百景』の碑ではない。
なかなか、茨城百景の碑は見つかりません。



諦めて移動をしていると、西蓮寺の仁王門から距離にして1kmほど。
西蓮寺から下って来て、県道183号との合流点近く。

画面の真ん中辺りに石碑が見えます。

      20161112茨城百景 西連寺26



探していた『茨城百景 西蓮寺』の碑。

      20161112茨城百景 西連寺27


      20161112茨城百景 西連寺28


さすがに、こんな場所にあるとは思いませんでした。
なぜ、西蓮寺の敷地内とか、参道入口に建てなかったんだろう...............?


石碑の隣は、廃路線になったバス停だから
バスを使って西蓮寺に訪れる人に
分かりやすいようにしていたのだろうか...............?

ちょっぴり疑問です。






2016/11/29 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

高須崎公園  (2016年11月12日)(茨城県行方市) 

11月12日 公休日

この日は、行方市と霞ケ浦周辺の茨城百景巡りに出かけました。

行方市からかすみがうら市へと繋ぐR354を走っていると
『道の駅 たまつくり』『霞ケ浦ふれあいランド』の向かい側に
広い芝生の公園が視界に入って来ます。
以前から一度立ち寄りたいと思っていたのが 高須崎公園

高須崎の一本松からも近くて、駐車場も完備。
これは立ち寄らない訳にはいきません。


駐車場に車を停めて、高須崎公園の散策開始です。

      20161112高須崎公園01



公園に施された周遊路を歩きます。

      20161112高須崎公園02



今回はロングリードを装着。

      20161112高須崎公園03


びいすけ の好きなように歩かせます。

      20161112高須崎公園04



軽快であり、かつ力強くロングリードを引っ張りながら先を急ぐ びいすけ 。

      20161112高須崎公園05


あっと言う間にR354に着いてしまいました。
この看板が気になっていたんだよなぁ。

      20161112高須崎公園06



R354の側道を少し歩き、霞ケ浦大橋の手前で湖畔へと向かいます。

      20161112高須崎公園07



相変わらず、ロングリードを引っ張り、先へ先へと進む びいすけ。

      20161112高須崎公園08



霞ケ浦の湖畔。

      20161112高須崎公園09



霞ケ浦大橋をバックに一枚、パチリ☆。

      20161112高須崎公園10



湖畔のこの辺りは、適度に草も枯れて
散策するにはちょうど良い。

      20161112高須崎公園11


      20161112高須崎公園12



再び、高須崎公園の戻ります。

湖畔側の入口には、『高須』の看板。

      20161112高須崎公園13



高須崎公園では、『自然公園大会』が開催されたらしい。
その記念碑。

      20161112高須崎公園14



高須崎は『水郷つくば国定公園』の一部。
この辺りは、『高須崎園地』と呼ぶらしい。

      20161112高須崎公園15



再び、高須崎公園内の遊歩道を歩きます。

      20161112高須崎公園16



なぜか、四阿に向かって力強く進む びいすけ 。

      20161112高須崎公園17



と、言うことで四阿で休憩。


頑張って歩いたご褒美です。

      20161112高須崎公園18


『欲しい〜?』って...............

      20161112高須崎公園19

要らない訳がない(笑)。


当然、こうなります。

      20161112高須崎公園20



再び、散策の開始。

      20161112高須崎公園21



広い芝生の高須崎公園ですが...............

      20161112高須崎公園22

実は、その敷地の多くがグランドゴルフ場となっています。



平日ですが、平均年齢の高い男女が、グランドゴルフに興じています。

      20161112高須崎公園23

それ故に、芝生の中を歩いて行くのは少し、いや、かなり躊躇してしまいます。


グランドゴルフに興じる方々の邪魔にならないように
隅っこを遠慮がちに歩いたり...............

      20161112高須崎公園24


遊歩道を大きな顔して歩いたり...............

      20161112高須崎公園25



犬連れで散歩するには、ちょっぴり不向きな公園かもしれないなぁ。





2016/11/28 Mon. 16:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 高須崎の一本松 》   (2016年11月12日)(茨城県行方市) 

11月12日  公休日

この日は、茨城県の行方市周辺並びに霞ケ浦周辺の茨城百景巡りに出かけました。


茨城百景とは、茨城県観光審議会によって昭和25年に選出された
茨城有数の景勝地が100ヶ所網羅されています。
時代の移り変わりにより、形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。
ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。

実は、私もその一人であり、最近になって茨城百景を追いかけることにいたしました。


そんな訳で、向かった先は...............茨城百景 高須崎の一本松



霞ケ浦の湖畔近くに、『 茨城百景 高須崎の一本松 』はありました。

ヤフーマップにも載っているし、近くに行けば案内板もあるので
迷うことなく、辿りつけます。

こちらが、高須崎の一本松。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉01


こちらが説明板。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉02




実は、これは2代目の松。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉03

全国で有名な松の巨木、古木が被害に遭って枯れてしまったように
ここ、高須崎の一本松も松食い虫の被害に遭い、枯れてしまいました。

そもそも高須崎の一本松は、関東の二大銘木と言われたそうです。
ちなみにもう一つの銘木は鎌倉の鶴岡八幡宮の大銀杏だそうです。
天に昇るといわれる竜が湖岸で水を呑んでいるような樹相が素晴らしく、
多くの歴史の偉人たちに愛されたのが高須崎の一本松でした。
昭和27年に茨城県天然記念物に指定されましたが、
昭和51年に松食虫に被害を受けて枯渇してしまい、
昭和55年に県文化財の指定を解除されてしまいました。
樹齢900年、根元周り8m、樹高約7m、東西南北23mあったと記録され
大変、立派な松だったようです。

昭和58年に高須の一本松の根元に生えていた二代目と、
高須地区の松ぼっくりを集めて育てて、
初代の形状に似た二股の苗木が植樹されたそうです。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉06




高須崎の一本松は、
歴史上の偉人(?)との接点と言うか、逸話が多い。


その昔、源義家が永承6(1051)年の前九年の役で陸奥の豪族阿部氏の平定に向かう途中、
鹿島神宮に戦勝祈願をするために霞ヶ浦を渡る時に暴風雨に遭い、
高須崎で足留めを食らってしまいました。
その時に義家が歌を詠んだところ、不思議と暴風雨がやみ、
波間に1本の小松が漂っていたものを植樹したものが、
後の『高須崎の一本松』だと言われています。

その時に詠んだと言われているのが...............

『ちはやぶる 鹿島の神の 授け松
なほ 万代も 君は栄えん』

源義家は、別名を八幡太郎義家と呼び、
河内源氏の流れを汲み、源頼朝の祖先にあたります。



そして、水戸藩2代目藩主である水戸光圀。
(水戸の黄門様の方が有名ですが...............)
光圀公は領内巡視の際にこの地に立ち寄りました。
一本松の雄大な姿にいたく感動したらしく、
この巡視以降、松の世話をする松守を置いて、
毎年水戸藩より松の肥料代を出していたと言われています。


さらには、水戸藩九代藩主、徳川斉昭がこの地に立ち寄り
やはり、この高須崎の一本松をいたく気に入り、
『この松を手入れして大事にしなさい』と三十両を出したと言われています。
斉昭公は、領内を巡視し水戸八景を選定して若い藩士の教育の為に
八景の地を歩かせて藩の状況などを知らしめようとしたりと、水戸藩の名藩主でありました。




石碑も幾つかあります。
 
『高須崎古松碑』と刻まれた石碑。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉04



こちらの石碑は徳川光圀と徳川斉昭が詠んだ和歌が刻まれた歌碑。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉05

『高須崎 波にゆらるる一ツ松
さぞや山路の 恋しかるらん 』
(水戸藩二代藩主 徳川光圀の和歌)

『つたえ聞く 何も高須の一つ松
波にこえぬる 緑みすらし 』
(水戸藩九代藩主 徳川斉昭の和歌)




車が通れる道からは、こんな感じ。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉07



茨城百景の碑は、フェンス沿いに建っています。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉09




『 茨城百景 高須崎の一本松 』の碑。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉08

車で来た場合、最初に視界に入ってくるから見つけやすい。



  
最奥にあるのが、こちら。
高須の一本松と勘違いする『いろはもみじ』

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉10

木の前に石碑が建っているから勘違いしやすいらしい。
実は、私もその1人(笑)。



この石碑は徳川斉昭がポンと出した三十両の一部で建てられたらしい。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉11


      20161112茨城百景 高須崎の一本杉12


敷地そのものは広くなく、
そして主役であるはずの一本松は、
とうの昔に枯れてしまったけれど、
この高須崎には、思いもよらぬ逸話が後世に残されているようです...............。




2016/11/28 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 化蘇稲荷神社 》   (2016年11月12日)(茨城県行方市) 

11月12日  公休日

この日は、茨城県の行方市周辺の茨城百景巡りに出かけました。


茨城百景とは、茨城県観光審議会によって昭和25年に選出された
茨城有数の景勝地が100ヶ所網羅されています。
時代の移り変わりにより、形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。
ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。

実は、私もその一人であり、最近になって茨城百景を追いかけることにいたしました。

そんな訳で、この日最初に向かったのは...............茨城百景 化蘇沼稲荷


化蘇沼稲荷とは、北浦村(現:行方市)内宿に在る化蘇沼稲荷神社のことで
文明10年(1478)の創建と伝えられています。
「関取稲荷」の別名があり、古くから豊作祈願の行事として奉納相撲が行われることで有名です。
この相撲は取り組む力士を田と畑に見立て、
勝ったほうの作物(稲作か畑作か)が豊作になるといわれています。
天保年間(1830~1844年)に江戸相撲で活躍した当町出身の鹿島灘鰐右衛門(四代目秀ノ山親方)が
奉納相撲をしたことで一段と盛んになったということです。
 
現在も毎年8月25日の夏祭りにこの相撲が氏子地区対抗戦の形で行われ、人気を呼んでいます。
夏祭りには、このほか巫女舞が奉納されます。
当番地区内の小学6年生の女子が雅楽に合せて古式ゆかしく舞うもので、
昭和21年から行われているそうです。


県道184号線を旧・武田小学校方面から北上すると
右カーブの先に鳥居が見えてきます。
 
      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社01



鳥居の脇にひっそりと建つ茨城百景の碑。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社02



裏面には昭和25年5月選定と刻まれています。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社03



思いのほか、簡単に見つかった茨城百景の碑。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社04



真新しい木の鳥居は、東日本大震災で石造りの鳥居が崩壊してしまったために
新しく作り直されたモノらしい。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社05



この道を真っ直ぐに行けば、化蘇沼稲荷神社。
いわゆる参道です。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社06


参道の両脇には古い桜の木々。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社07

春は桜の名所かも知れない。


参道からは、筑波山も見えたりして
なかなか風光明媚な場所にようです。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社08


参道の奥は、化蘇沼稲荷神社。
石造りの二の鳥居が出迎えてくれます。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社09



鳥居脇の説明板。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社10

今でこそ行方市ですが、茨城百景が選定された昭和25年当時は武田村。
昭和30年に北浦村となり、平成9年に北浦町。
平成17年に行方市と変遷しています。



鳥居前にて一枚パチリ。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社11


こちらが拝殿。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社12


拝殿前のお稲荷さんと一枚パチリ。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社13


何やら、不思議な像。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社14

どうやら寸津比古(きつひこ)・寸津比売(きつひめ)の彫刻らしい。



像の脇には説明板。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社15

説明板には、常陸風土記の行方の芸都(きつ)の里の話が書かれています。
要約すれば...............

昔、この辺りを芸都(きつ)の里と呼び、寸津比古、寸津比売と言う二人の国栖(くず)が居ました。
寸津比古は、倭武天皇の巡幸を前にして、命に逆らい、はなはだ無礼な振る舞いをしたので、
剣の一太刀で討たれてしまいました。
寸津比売は、恐れをなして白旗をかかげて道端にひれ伏し、天皇を迎えました。
それを見た天皇は憐れみ、その家をお許しになられました。
更に乗輿を進め、小抜野の仮宮に行かれるときに、寸津比売は、姉妹をともに引き連れ、
雨の日も風の日も、真の心を尽くして朝夕に仕えました。
天皇姿をお喜びになり愛しくなったことから、
この野をうるはしの小野と呼ぶようになったと言うことです。



常陸の国は常陸国風土記から常世の国とも呼ばれていて、
その語源は「面積はすこぶる広大で、境界もまたはるかに遠く、
土壌は肥えに肥え、原野はゆたかなうえにも豊かです。
耕し墾かれた処と海山の幸にめぐまれて、人々は心やすらかに満足し、
家々は充ち足りて賑わっていました。
いわゆる、海の宝庫・陸の宝蔵、膏したたる物産の楽土である
ゆえに、常世の国と言われた」 と伝わっているようです。

常陸の国って奥が深いかも?





境内でひときわ目立つ巨木。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社16

この巨木(古木)はモミの木で、幹回り約4m、樹高約16m、樹齢は約360年と言われていて、
北浦村(現:行方市)の天然記念物に指定されているようです。


行方市教育委員会の説明板。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社17



別アングルから見ても、やっぱり大きい。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社18


北浦村時代の標柱。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社19



こちらの樹は、今の平成天皇が皇太子の時に植えられた楠木らしい。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社20



本殿のさらに奥には、土俵。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社21

この場所で夏祭りに際に奉納相撲が行われます。
化蘇沼稲荷神社は別名「関取稲荷」といわれるようで、昔から相撲が盛んだったようです。


古くは三宿と呼ばれ(武田、内宿、両宿)賑わいをみせていたようです。
特にこの化蘇沼稲荷神社は江戸中期以降、参拝者が増え
境内には9軒の茶屋が誕生したそうです。
「お江戸見たけりゃ武田へおいで、武田三宿江戸勝り」
と人々が唄うまでになったそうです。

現在の長閑なこの地区からは、とても考えられませんね。


2016/11/25 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

小幡城址  (2016年7月1日)(茨城県行方市) 

7月1日 公休日

この日は、茨城県の行方市に出かけました。

行方市へは、廃校を巡るのが目的でしたが
訪れた要小学校に隣接するお寺が城址と言うことで
訪れたのは...............小幡城址


茨城県の小幡城址と言えば、茨城町の小幡城址が有名なようですが
そちらとは違い、こちらは行方市(旧・北浦町)の小幡城址です。


小幡城は
玉造城主3代景政の子、辰幹がこの地に分地され小幡氏を名乗り、
居館を営んだことに始まると言われているようです。



こちらが、小幡城の縄張り図

      小幡城址縄張り図


余胡さんのHP(余胡くんのお城のページ)からお借りしました。



小幡城の主郭である観音寺。
紫陽花の花が綺麗に咲いていました。

      20160701小幡城址01


      20160701小幡城址02


      20160701小幡城址03



観音寺の本堂。

      20160701小幡城址04



本堂脇に、近年建てられたと言う城址碑。

      20160701小幡城址05


      20160701小幡城址06


      20160701小幡城址07

小幡城については詳しい文献等が無く、不明な部分が多いようですが
城址碑の碑文によれば...............

1464年に完成した小幡城ですが、1578年に佐竹軍に敗れ
1591年に佐竹軍、武田軍、行方軍に攻められ落城したとされているようです。



かつてこの観音寺には三本松と言う松の巨木があり
茨城百景にも選ばれた景勝地でもあったようです。

      20160701小幡城址08

残念ながら、巨木の松は昭和39年に枯れ、伐採されてしまったそうです。



観音寺は小幡城の主郭でありましたが、すっかり改変し
遺構もほとんど無くなり、かろうじて城郭を彷彿させるのは
境内にある鐘楼の建つ土壇と二郭である要小学校との境界にある土塁ぐらいらしい。


こちらが、鐘楼の建つ土壇。

      20160701小幡城址09



物見台の跡だと言われているようです。

      20160701小幡城址10



境内にある大シイの樹。

      20160701小幡城址11

行方市の天然記念物に指定され、樹齢は約500年とされています。


大シイのある辺りも土壇となっています。

      20160701小幡城址12

こちらは土塁跡の名残りかもしれません。



こちらは、主郭と二郭を隔てる土塁。

      20160701小幡城址13


二郭虎口(?)

      20160701小幡城址14

虎口と言うよりは、観音寺から要小学校へ抜ける通用口となってます。



こちらは、三郭。
観音寺の観音堂のあるエリア。
観音寺の墓地でもあり、土塁のような土壇が幾つか確認出来ますが
墓地造成時に造られた後世のモノかもしれません。


      20160701小幡城址15


      20160701小幡城址16


      20160701小幡城址18



こちらが観音堂。

      20160701小幡城址19



背後には立派な土塁が確認出来ます。

      20160701小幡城址17

      

こちらのお堂には、茨城県指定文化財の如意輪観音坐像が祀られています。

      20160701小幡城址20




実は、観音寺は縦に長い敷地となっていて
さらにこの先に仁王門がらあるらしい。
知らなくて、この観音堂辺りが観音寺の最奥だと思い、
主郭である本堂に引き返してしまいました。
仁王門から本堂へと続く道は観音馬場と呼ばれ、桜の名所でもあるらしい。

桜の季節にまた来ようかな?



2016/07/24 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.............要小学校 (2016年7月1日)(茨城県行方市) 

7月1日  公休日

この日は、茨城県の潮来市と行方市に出かけました。

潮来市では主に公園巡り、行方市では主に廃校巡りをいたしました。

津澄小学校をあとにして、向かった先は...............行方市立要小学校



要小学校は

明治9年        餘戸小学校として開校する。
明治20年       山田小学校小幡分教場となる。
明治22年       要尋常小学校として独立する。
明治29年       要尋常高等小学校と改称する。
昭和22年       学制改革により要村立要小学校と改称する
昭和30年       要村、武田村、津澄村が合併して北浦村となる。
             北浦村立要小学校と改称する。
平成9年        北浦村が町制施行により北浦町となり
             北浦町立要小学校と改称する。
平成17年       麻生町、玉造町、北浦町が合併して行方市となり、
             行方市立要小学校と改称する。
平成28年       要小学校、武田小学校、津澄小学校が合併して新たに北浦小学校が開校。
             要小学校は廃校となる。


と、このような沿革となっています。




こちらが、要小学校の正門。

      20160701要小学校01


      20160701要小学校02


こちらが、校舎。

      20160701要小学校03


      20160701要小学校04


      20160701要小学校05



校舎正面玄関。

      20160701要小学校06



玄関脇には、石碑類と二ノ宮像。

      20160701要小学校07


石碑の一つは校歌の碑。

      20160701要小学校08


そして、もう一つの石碑は『創立百周年記念碑』。

       20160701要小学校10



そして二ノ宮像。

       20160701要小学校11


       20160701要小学校12



残念ながら、こちらの要小学校にも廃校記念碑はありませんでした。
どうも茨城県の廃校には廃校記念碑が建てられているのが少ない気がします。



廃校遺構の一つ、百葉箱。

       20160701要小学校13



そして、日時計。

      20160701要小学校14



こちらは体育館。

      20160701要小学校27



校庭に目を移してみましょう。

      20160701要小学校15


なぜか、遊具類が多い。

      20160701要小学校16


      20160701要小学校17


      20160701要小学校18


      20160701要小学校19


      20160701要小学校20


      20160701要小学校21


      20160701要小学校22


      20160701要小学校23



タイヤを積み上げた遊具は珍しい。

      20160701要小学校24


      20160701要小学校25



校舎全景。

      20160701要小学校26


ここ数年で行方市の小学校は、かなりの数が廃校となりました。
時代の流れと言ってしまえばそれまでですが
この要小学校もその流れに飲み込まれてしまったようです。

実は、この要小学校のある辺りは、かつての城跡であったらしい。
隣接するお寺が主郭にあたり、要小学校は二郭であったらしい。
そちらの城址については、また明日にでも改めて...............。











2016/07/23 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.............津澄小学校 (2016年7月1日)(茨城県行方市) 

7月1日  公休日

この日は、茨城県の潮来市で公園巡りをした後、
行方市の廃校巡りを行いました。

山田小学校跡(北浦幼稚園)をあとにして、
向かった先は...............行方市立津澄小学校


津澄小学校は

昭和38年      北浦村立山田小学校,同繁昌小学校を統一し,
            敷地を旧中学校の跡地に定め,北浦村立津澄小学校として発足する。 
            当分,山田,繁昌両分教室を置く。
平成9年        北浦村が町制施行により北浦町となり
            北浦町立津澄小学校と改称する。
平成17年     麻生町、玉造町、北浦町が合併して行方市となり、
            行方市立津澄小学校と改称する。
平成28年      要小学校、武田小学校、津澄小学校が合併して新たに北浦小学校が開校。
            津澄小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。




こちらが、津澄小学校の正門。

      20160701津澄小学校01


門柱の表札は掲げられたまま。

      20160701津澄小学校02


正門から中に入ると、ロータリー兼駐車場。

正門脇のロータリーの一画に建つ顕彰碑。

      20160701津澄小学校03

昭和62年に建てられたモノ?
それにしては、古めかしくて碑文も読めない。



こちらは、校訓でしょうか?

      20160701津澄小学校04

『 心豊かにたくましく 』


更に、気になる石碑。

      20160701津澄小学校05

『 昭和二十五年三月 津澄中学校第三回卒業記念 』と刻まれています。


確かに、津澄小学校は中学校跡に建てられたと記されていますが
昭和25年に卒業記念に植樹されたモノなんですね。

      20160701津澄小学校06



体育館、そしてそれを繋ぐ渡り通路。

      20160701津澄小学校07


通路の先は、当然本校舎。

      20160701津澄小学校08



校舎全景。

      20160701津澄小学校09



別アングルにて。

      20160701津澄小学校10



更に別アングル。

      20160701津澄小学校11



こちらは体育館。

      20160701津澄小学校12



廃校記念碑を探しますが、ありません。
代わりにと言っていいのか? 校歌の碑。

      20160701津澄小学校13



二ノ宮像はしっかりと在りました。

      20160701津澄小学校14


      20160701津澄小学校15



百葉箱も健在。

      20160701津澄小学校16



隣には日時計。

      20160701津澄小学校17




校庭に目を移してみましょう。


廃校に合わせて建てられたボードのようです。

      20160701津澄小学校18

ありがとう津澄小 と書かれています。



こちらは、フェンスに貼られた横断幕。

      20160701津澄小学校19

感謝の気持ちが伝わります。



ポツンと取り残された朝礼台。

      20160701津澄小学校20



使われなくなった遊具類。

      20160701津澄小学校21


      20160701津澄小学校22


      20160701津澄小学校23


      20160701津澄小学校24


      20160701津澄小学校25


      20160701津澄小学校26


      20160701津澄小学校27


      20160701津澄小学校28



校庭奥の通用門。

      20160701津澄小学校29


      20160701津澄小学校30



校舎をバックに一枚。

      20160701津澄小学校31



気が付けば、向日葵の花の季節になっているんですね。

      20160701津澄小学校32



繁昌小学校と山田小学校が統合して開校した津澄小学校。
これら3校跡を順に見てくる事が出来ました。

移りゆく時代の流れに、はかなくも消え去って行く小学校。
これらの小学校がこの地に存在していたことを忘れないようにしておこう。


2016/07/22 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.............山田小学校 (2016年7月1日)(茨城県行方市) 

7月1日  公休日

この日は、茨城県の行方市にも出掛けました。

繁昌小学校跡地のあとにして、向かった先は...............旧・北浦村立山田小学校



山田小学校の詳しい沿革は不明です。

名前の由来である山田村が明治22年に吉川村・繁昌村・中根村と合併して
津澄村が発足したことから、おそらく明治22年以前に開校していたものと思われます。

昭和38年 繁昌小学校と統合して、新たに津澄小学校が設立され
繁昌小学校と共に廃校となりました。


実は、この山田小学校を探すのが一苦労。
ネットで調べても、山田小学校の事は繁昌小学校と一緒に廃校になった事しか分からない。
何処に在ったのか? 現在はどうなっているのか?
現地(行方市北浦町山田)近辺でご老人に聞けばいいや...............
と思っていたら、それなりに暑い日。 昼前で歩いているご老人が居ない!
って言うか、老人どころか歩いている人が居ない...............

結局、困った時の役所。
行方市の北浦支所にお世話になりました。
しかし、市役所の職員の方も若い方が多く、昭和30年代の事は分からない。
職員OBの方に電話で確認して頂き、なんとか辿り着くことが出来ました。


で、辿りついたのがこちら。

      20160701山田小学校01

旧・北浦村立山田小学校の入口(正門)。



現在、山田小学校跡は北浦幼稚園となっています。

      20160701山田小学校02



さすがに、幼稚園、保育園の類いは敷地内には入れません。
ましてや、犬連れだから余計に気を使います。


フェンスの境界から中を覗き込みますが、
『安心して下さい。怪しい者ではありません(笑)』

      20160701山田小学校08


      20160701山田小学校07


フェンス越しに園庭(校庭跡)を確認します。

往時のモノか否か?
判別はできないけれど、遊具類。

      20160701山田小学校05


      20160701山田小学校06


隣接する八坂神社側からだとフェンスが無いので
敷地内にはいれそうですが、平日の午後。
ちょうど幼稚園児もお昼寝の時間でしょう。

さすがに敷地内に入って行く勇気はありません。
今日が日曜日だったら良かったのに...............。

      20160701山田小学校03


とは言いながらも遊具類は気になるのでしっかりカメラに収めます。

      20160701山田小学校04

こちらの遊具は、いかにも幼稚園って感じだから
後から設置されたモノでしょう。



廃校跡地にはお約束(?)とも言える消防倉庫。

      20160701山田小学校09

敷地の端にしっかりと在りました。


      

裏手に回れば、幼稚園の駐車場。

校庭跡より一段高くなっているから、かつての校舎跡でしょう。

      20160701山田小学校10


      20160701山田小学校11



更地になって砂利が敷かれているけれど
明らかな削平地。なだらかなスロープで校庭に降りられる。
いかにも校舎跡って感じです。

      20160701山田小学校12



スロープ脇には3本の国旗掲揚ポール。

      20160701山田小学校14

幼稚園で国旗を掲げる事ってそんなに無いと思うので
山田小学校時代の遺構じゃないのかな?



このアングルが、校庭跡=学校跡って感じがするから
一番のポジションかもしれない。

      20160701山田小学校13



敷地内をじっくり探索出来なかったから、遺構が確認出来ませんでした。
まぁ、見た感じ、廃校記念碑や二ノ宮像も無さそうだし...............。

正直、廃校から53年の月日が経ち、ネットで調べても
ほとんどヒットしない北浦村立山田小学校。
見つける事が出来て良かったと思うことにしよう。



2016/07/21 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

行方の雛まつり 麻生編 (2016年2月21日)(茨城県行方市) 

2月21日 公休日

個人的な連休2日目。

この日は、茨城県の行方市へ出かけました。


船子城址をあとにして、向かった先は...............行方の雛まつり



この日行方市に訪れたのは、この『行方の雛まつり』が最たる目的でした。


ここ数年、勝浦市の『勝浦ビッグひなまつり』、桜川市の『真壁のひなめぐり』と言った
地域の町興しの成功例を参考にして、各地でひなまつりが行われています。

この行方市も今年でまだ4回目と、歴史は浅いのですが
力を入れているようです。
行方市は、平成17年に麻生町、玉造町、北浦町が合併して誕生した市です。
そのため、『行方の雛まつり』と言っても、旧町域ごとにイベントを行っている様な感じになっています。

今回は、旧町域である麻生地区の雛まつりに訪れました。


麻生陣屋跡近くにある、麻生藩家老屋敷の駐車場に車を停め
麻生の町を探索です。

先ずは、麻生藩家老屋敷。
以前、休館日に訪れて中に入れなかったけれど
今日は開いています。

      20160221行方のひなまつり 麻生編01


ただ、犬連れは入れないと思っていたら
入場OKと言うことなので、遠慮がちに中に入ります。
やっぱり、日曜日。
他の観光客もいるからねぇ。
邪魔にならないように、人が居なくなるまで隅っこにいましょう。

      20160221行方のひなまつり 麻生編02


麻生藩家老屋敷の正面。

      20160221行方のひなまつり 麻生編03

江戸時代、現在の麻生小学校の場所に麻生藩陣屋が在りました。
そして、その周囲に藩士の屋敷が並んでいました。
その一つが藩の家老職を勤めた畑家(現・麻生藩家老屋敷記念館)です。
 
現存する主屋は、安政3年(1856)に火災で焼失し、
翌安政4年に再建されました。
明治23年(1890)福田家の所有となり、
平成3年福田家より 旧麻生町に寄付され、
平成4年に表門を含め修復整備されたそうです。

県内にも数が少ない、上層武家住宅の遺構は
大変貴重なものとなっているようです。



管理事務所の前には、幟が旗めいています。

      20160221行方のひなまつり 麻生編04


      20160221行方のひなまつり 麻生編05



この家老屋敷にもひな人形が飾られています。

      20160221行方のひなまつり 麻生編06


      20160221行方のひなまつり 麻生編07


      20160221行方のひなまつり 麻生編08


      20160221行方のひなまつり 麻生編09


      20160221行方のひなまつり 麻生編10


      20160221行方のひなまつり 麻生編11


      20160221行方のひなまつり 麻生編12




今年の『 行方の雛まつり 』は、きらびやかな衣装をまとった子供たちが
麻生陣屋通りを練り歩く「稚児行列」が20年振りに復活するようです。

      20160221行方のひなまつり 麻生編13

14時から「稚児行列」が始まります。
実は、この時刻に合わせて麻生の町に来た!と言うのが本音なんですけどね。


14時にはちょっと早いから、麻生の町中のひな人形を見て回りましょう。

      20160221行方のひなまつり 麻生編14


麻生の町そのものが、そんなに大きな町じゃないし
旧・麻生町も霞ヶ浦沿岸の村々が明治期に合併して広くなった町だから
商店街そのものも大きくない。

      20160221行方のひなまつり 麻生編15


旧道沿いに麻生陣屋商店街があるんだけど
はっきり言って、お店が少ない。

      20160221行方のひなまつり 麻生編16


必然的にまばらに点在する商店を覗きあるく形になります。

      20160221行方のひなまつり 麻生編17



テント市と称して、コロッケやポテトフライが売っていたりします。

      20160221行方のひなまつり 麻生編18



コロッケを食べながら、ひな人形巡り。

      20160221行方のひなまつり 麻生編19

これが、ひな人形巡りのマイ・ブーム(笑)。



小腹が空いたから、ポテトフライも頂いちゃいます。

      20160221行方のひなまつり 麻生編20

びいすけ に1本あげたことは、内緒にしておこう。



麻生陣屋商店街のお店をガラス越しに覗いて
ひな人形を眺めて行きます。

      20160221行方のひなまつり 麻生編21


      20160221行方のひなまつり 麻生編22




こちらは、今は空き店舗となっている『立良呉服店』のひな人形。

      20160221行方のひなまつり 麻生編23


      20160221行方のひなまつり 麻生編24


      20160221行方のひなまつり 麻生編25

行方市商工会女性部の方々が、お茶を出して 来場者を お・も・て・な・し。



このご時世、後継者の問題や地方都市の場合は過疎等の問題で
商店を廃業されるのも多い。
この麻生陣屋商店街もその傾向が見え隠れ。

商店も少ないけれど、ひな人形を飾っているのは、さらに少ない。

      20160221行方のひなまつり 麻生編26


ざっと、歩いてみたけれど、ひな人形の数が少ないと
どうしてもスケールが小さくなってしまいます。

      20160221行方のひなまつり 麻生編27


      20160221行方のひなまつり 麻生編28



と、言ってる内に、時刻は間もなく14時。

観光客より、地元のひとが多い気がするけれど
稚児行列の出発場所である蓮城院に人が集まってきました。

      20160221行方のひなまつり 麻生編29


稚児行列に合わせて、お囃子を行うようで有志も待機中。

      20160221行方のひなまつり 麻生編30

      20160221行方のひなまつり 麻生編31



14時をちょっと過ぎて、子供たちの登場です。

      20160221行方のひなまつり 麻生編32



この日のために、我が子の晴れ姿を見ようと親御さんも集まって来ます。

      20160221行方のひなまつり 麻生編33


ゆっくりと、稚児行列は歩み出して行きます。

      20160221行方のひなまつり 麻生編34


      20160221行方のひなまつり 麻生編35


      20160221行方のひなまつり 麻生編36

20年振りと言う稚児行列。
ポスターから受け止めるイメージとはちょっと違ったけど
大変、貴重(?)なモノを見せてもらいました。


今年で4回目の『行方の雛まつり』。
毎年、続けていって欲しいなぁ...............。



2016/03/14 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

船子城址 (2016年2月21日)(茨城県行方市) 

2月21日 公休日

個人的な連休2日目。

この日は、茨城県行方市へ出かけました。
本来の目的は別にあるのですが、せっかく行方市に来たのだから
以前から気になっていた何ヶ所かの城址巡りをしました。


島並城址をあとにして、向かった先は...............船子城址



船子城は、足利持氏の乱(1439)で追われた関宿の城主・下河辺義親が
小高地頭を頼って当地に来て船子城を築いたという。(浅間神社 説明版による)

下川辺氏は行方城へ移り、船子城は小高氏の城となったようです。
天正19年(1591)2月、佐竹義宣の南方三十三館主謀殺事件で
小高氏は佐竹義宣に滅ぼされ、船子城は廃城となったようです。



こちらが、船子城の縄張り図。

      船子城址縄張り図

          ( 余胡くんのお城のページ  よりお借りしました )



浅間神社の駐車場に車を停めて、いざ参らん!


先ずは、浅間神社を覗きましょう。

こちらが浅間神社の入り口。

      20160221船子城址01



浅間神社の説明板には、船子城についても触れています。

      20160221船子城址02


東日本大震災で倒壊したのでしょうか?
破損した石造りの鳥居の残骸が転がっています。

      20160221船子城址03



こちらが、新しい鳥居。
木製になっていますね。

      20160221船子城址04


そして、拝殿。

      20160221船子城址05



浅間神社の背後の台地が船子城址と言うことなので
拝殿の背後に回ってみると...............

台地へと続く石段がありました。

      20160221船子城址06


石段の先には小さな祠があり、石段はそこで終わり。
その先は、まるで竪堀のような斜面。

      20160221船子城址07


祠から右に迂回するように登城路があります。
意外に傾斜がきつい。

      20160221船子城址08


頑張って登城路を登って行きます。

      20160221船子城址09



登った先が削平地。
そして、数基の墓石。

      20160221船子城址10


船子城、あるいは下河辺氏に関連する墓石でしょうか?
はたまた、地元の古くからの氏子さんの墓石なのか?

      20160221船子城址11


墓石の前のある削平地から一段下がるように郭が広がっているけれど
そこは既に藪。

      20160221船子城址12


藪を掻き分けて進むと、眼下に堀切がみえます。

      20160221船子城址13

( 画像だと分かり辛いですね )


堀切に降り立ってみても、堀切の奥は藪。

      20160221船子城址14


堀切を超え、次なる郭へと進みますが、
虎口から既に藪状態になっています。

      20160221船子城址15


辛うじて人が歩いた形跡を進みますが、完全な藪状態。
この藪の先へと進む勇気と根性は無くなりました。

      20160221船子城址16


結局、藪に負けて台地の一部しか制覇出来ていません。
過去に攻城された方のHP等を拝見すると、攻略出来なかった先には
更なる堀切が2本も待ち構えているらしい。

藪状態じゃなかったら、頑張ったんだけどなぁ...............

残念ながら、船子城址は不満足状態であとにすることになります。


浅間神社の駐車場脇から眺める船子城址。

      20160221船子城址17



さて、時刻も良い頃合いになってきたので、
当初の目的地に向かいましょう。


2016/03/13 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

島並城址 (2016年2月21日)(茨城県行方市) 

2月21日 公休日

個人的な連休2日目。

この日は、茨城県の行方市へ出かけました。
本来の目的は別にあるのですが、せっかく行方市に来たのだから
以前から気になっていた何ヶ所かの城址巡りをしました。


石神城址をあとにして、向かった先は...............島並城址


島並城は行方氏の支族である島並氏の居城でありました。
是心院という曹洞宗の寺院の裏手が島並城址であるとされています。

是心院は島並城主・島並入道幹家の遺臣・藤崎権右衛門が
亡君の菩提を弔うために天正19年(1591)に建立したとされています。
天正19年、佐竹義宣による南方三十三館領主謀殺事件の起き、
幹家の子、島並左衛門太夫幹国は佐竹氏の家臣になっていたというので、
幹家は他の鹿行郡の領主たちと共に佐竹義宣によって謀殺されてしまい、
島並城はその時落城してしまっととも言われているようです。



こちらが、島並城の縄張り図。

      島並城址縄張り図

          ( 余胡くんのお城のページ  よりお借りしました )



城址の一部である是心院の駐車場に車を置かせてもらい
島並城址の攻略開始です。


こちらが、是心院の山門。

      20160221島並城址01

以前は山門脇に是心院の説明板があり、そちらに島並城についても記載されていたようですが
説明板は撤去されたのか?
はたまた、破損してしまったのか?
見当たりませんでした。

      20160221島並城址02


是心院本堂。

      20160221島並城址03


是心院本堂裏にある墓地の奥が島並城址の主郭となるようです。
是心院そのものは島並城址の二郭のようです。


墓地の入口近くの土塁。

      20160221島並城址04


墓地の右奥に台地を下る道があり、民家へと続いています。
これが本来の登城路かもしれない。
一度台地を下り、登城路を登ってみます。

      20160221島並城址05



左へ行けば二郭である是心院の墓地。
右は三郭へと続きます。

      20160221島並城址06


三郭の手前にある腰曲輪には祠が二基。
すぐ下の民家の方々が建てられたのだろうか?

      20160221島並城址07



三郭下の腰曲輪の虎口。

      20160221島並城址08


腰曲輪には奥まで進みますが、この先は竹藪。
その先は空堀ですが、竹藪の先は断念。

      20160221島並城址09



腰曲輪から左側の斜面を上がれば三郭。
しかし、三郭も竹藪と化しています。

      20160221島並城址10



再び、二郭へと戻ります。
二郭への虎口。

      20160221島並城址11

ひょっとしたら、この虎口は墓地への出入りのために
後世に造られたモノかもしれない。



二郭奥には一段高くなった郭。
これが主郭ということです。

      20160221島並城址12


おそらく、主郭はもっと広かったと思われますが
墓地造成時にかなり削られてしまったようです。

      20160221島並城址13


結果的に縦に細長い主郭。

      20160221島並城址14


      20160221島並城址15


主郭に『 我、見参! 』とばかりに立ち尽くす びいすけ 。

      20160221島並城址16



主郭のさらに奥には四郭があります。

四郭手前の空堀。

      20160221島並城址17


そして土橋。

      20160221島並城址18


土橋の奥は竪堀。
空堀と竪堀を土橋で繋いで四郭へと導いてくれます。

      20160221島並城址19



四郭に建つ鳥居。

      20160221島並城址20


四郭には、ひっそりと小さな社(祠)が祀られています。

      20160221島並城址21

こちらに至る導線はそれなりに整備されているから
この祠に参拝する方がいるのだろう。


是心院の墓地造成で主郭や二郭周辺がかなり改変されたかと思うけれど
中世の城郭の雰囲気を残す島並城址。
是心院の説明板が無くなってしまい、
島並城の事は人知れず状態になっているのだろう。

行方市の教育委員会が城郭の説明板とか標柱でも建ててくれたら
いう事無いんだけどなぁ...............。



2016/03/12 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

石神城址 (2016年2月21日)(茨城県行方市) 

2月21日  公休日

個人的な連休2日目。

この日は、茨城県の行方市へ出かけました。
本来の目的は別にあるのですが、せっかく行方市に来たのだから
以前から気になっていた何ヶ所かの城址巡りをしました。


相賀城址をあとにして、向かった先は...............石神城址

石神城は、
築城時期とは不明ですが、
下河辺忠長が築いたものだと言われているようです。


こちらが「石神城の縄張り図

      石神城址縄張り図

            ( 余胡くんのお城のページ  よりお借りしました )



県道186号線沿いに熊野神社のある台地があります。
その台地の手前にあるちょっとした台地が石神城址になります。

台地下部の民家脇にある登城路を進んで行きます。

      20160221石神城址01


すぐに立派な切り通し。

      20160221石神城址02


切り通しの右奥は畑となっているけど
かつての郭跡。

      20160221石神城址03



切り通しを判断側から見ると、こんな感じ。

      20160221石神城址04



いかにも城郭って感じがします。

      20160221石神城址05


切り通しから奥へと導いていく登城路。
画面では右側の細い道です。

      20160221石神城址06


さらに進んで行けば、腰曲輪が左手にあるのだけれど
行く手を遮る竹林となっています。

      20160221石神城址07

この先に郭跡がありそうな感じですが、
とても竹藪の中を進軍して行く根性が無い。
諦めて、こちら側からの当時は断念。


県道を歩き、民家脇から台地上部へと続く道。
こちらは、後世に造られた道のようです。

      20160221石神城址08


緩やかに左カーブを描く道を歩けば、1件の民家。

民家背後の切岸。
城塁のようにもみえます。

      20160221石神城址09



どうやら、ここが石神城址の主郭跡のようです。

      20160221石神城址10



広大な削平地ですが、今や完全な畑。
主郭跡が耕作されて畑となってしまっていると言う良くあるパターンですね。

      20160221石神城址11



台地左奥の城塁は一部削られてしまっているようです。

      20160221石神城址12


主郭跡は畑以外は完全な藪。
さすがに藪の中へ入って行く元気は無い。

それよりは台地を登ってくる時にチラッと見えた腰曲輪が気になります。


腰曲輪への降り口。

      20160221石神城址13


そして、こちらが腰曲輪。

      20160221石神城址14

ひょっとしたら、ここに八幡神社があったのだろうか?


腰曲輪から主郭へと続く登城路(?)

      20160221石神城址15


冒頭の切り通し意外にこれと言った見所もなく、
遺構もほとんど残っていない。
残念だか車に戻るしか無い。



県道から眺める石神城址。

      20160221石神城址16


物足りなさを感じながらも、次なる城址へと向かうことにいたしましょう。







2016/03/11 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

相賀城址 (2016年2月21日)(茨城県行方市) 

2月21日 公休日

個人的な連休2日目。

この日は、茨城県の行方市へ出かけました。
行方市へ行く途中である香取市でちょっと道草。
さらに茨城県の潮来市でも寄り道をしていました。

潮来市の寄り道も終わり、行方市に入りましたが
当初の予定地へは向かわずに、さらなる寄り道をしてみました。

牛堀第二小学校をあとにして
向かった先は...............相賀城址


相賀城は平安末、逢賀太郎親幹が築いた逢賀城で、
これを室町時代の末期に手賀左近尉義元(相賀入道)が再建し、
相賀城と呼ぶようになったと伝えられています。
伝承によると、相賀入道の婿の彦四郎は、小高氏の軍勢と戦い討死してしまい、
相賀城最後の城主・手賀三郎四郎は佐竹氏に攻められ滅亡したと言われています。
                                   (現地 説明版による)


こちらが、相賀城の縄張り図

      相賀城址縄張り図

            ( 余胡くんのお城のページ よりお借りしました )


県道185号線沿いの行方市根小屋築にある八幡神社のある台地一帯が
相賀城址だと言われています。

こちらが、その八幡神社のある台地下部。
八幡神社の鳥居です。

      20160221相賀城址01


石段を上がって約85m先が八幡神社。

      20160221相賀城址02


石段を上がって行きますが台地の雰囲気は、いかにも城址って感じが満載です。

      20160221相賀城址03


      20160221相賀城址04



最初の石段を上りきるといきなりめの前に大きな横堀が現れます。

      20160221相賀城址05


そして、その横堀の手前にある竪堀。

      20160221相賀城址06



光の加減で下草がいっぱいあるように見えるけど
いまは冬。下草も枯れているから、この機を逃さずに
横堀へと進軍いたしましょう。

      20160221相賀城址07



横堀内部。
まっすぐ進めば、やがて竪堀となり八津へと下って行きます。

      20160221相賀城址08


竪堀手前で右転回。
横矢の掛かった横堀が先へと続いています。

      20160221相賀城址09



こちらが八津へと続く竪堀。

      20160221相賀城址10



横堀をさらに進めばやがて土橋に。
土橋の先は大堀切。

      20160221相賀城址11



土橋の上から横堀を振り返ってみます。
やっぱり、横矢が掛かっているのがはっきり分かります。

      20160221相賀城址12



こちらは、主郭である八幡神社への虎口。

      20160221相賀城址13


      20160221相賀城址14



主郭の八幡神社の説明板。

      20160221相賀城址15


八幡神社の拝殿。

      20160221相賀城址16


八幡神社の境内(主郭)には、小洒落た展望台がありましたが
床部分が壊れていて、立ち入り禁止。

      20160221相賀城址17



境内の土塁。

      20160221相賀城址18


再び、横堀の土橋まで戻ります。
この日アングルの方が土橋は分かりやすいかな?

      20160221相賀城址19



こちらが、主郭と二郭を隔てる大堀切。

      20160221相賀城址20



さらに奥へと進みましょう。

      20160221相賀城址21



余胡さんの縄張り図で言うところの 堀切2 の土橋。

      20160221相賀城址22

この先に右方向に2つの腰曲輪を確認したら
目の前には三郭が現れます。

三郭の虎口。

      20160221相賀城址23


郭奥には小さな祠。

      20160221相賀城址24


居館が設けられていたのでは?とされる三郭。
広い削平地ですが、現在は藪に近い状態。

      20160221相賀城址25



さらに進んで、四郭は今や畑と化しています。

      20160221相賀城址28



畑と化した四郭まで来た目的は、ズバリこれ。

      20160221相賀城址26

やっぱり城址碑とか、標柱や説明板は欠かせない。
我、この城を攻め落としたぞ!って感がするのは私だけ?(笑)



じっくり読んで、城の由来や歴史を自分の知識として吸収します。

      20160221相賀城址27


南北に広がる台地に幾つかの郭を連鎖的に並べ
歩き応えもあり、見事な横堀や大堀切と言う遺構を残し
見応えもある相賀城址。ちょっびり手応えのある相賀城址でした。




     

2016/03/10 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........大田小学校  (2015年9月21日)(茨城県行方市) 

9月21日  公休日

この日は、茨城県の行方市に出かけました。


大和第三小学校をあとにして、
向かった先は...............行方市立太田小学校


太田小学校は

明治10年     八幡村に八幡小学校設立。
明治12年     石神村に石神小学校開設。
          根小村に根小屋小学校開設。
明治22年     町村制施行により石神村、根小屋村、八幡村が合併して太田村誕生。太田村誕生。
          太田尋常小学校石神分教場となる
明治28年     太田第一尋常小学校、 太田第二尋常小学校となる。
明治43年     太田尋常高等小学校となる
大正14年     太田尋常小学校と太田第二尋常小学校が統合する
昭和22年     学制改革により太田村立太田小学校と改称する。
昭和30年     太田村、大和村、小高村、行方村が合併して麻生町が誕生。
          麻生町立太田小学校と改称する。
平成17年     麻生町、玉造町、北浦町が合併して行方市が誕生。
          行方市立太田小学校と改称する。
平成25年     大和第一小学校、大和第二小学校、大和第三小学校、太田小学校が統合し、
          新たに麻生東小学校が発足し、廃校となる。

と、このような沿革となっています。


ナビに案内されて辿りついた太田小学校。

日も暮れかかり、辺りは次第に暗くなって来ます。
それに輪をかけて、暗い気分になってしまいました。



こちらが太田小学校の正門。

      20150921太田小学校01



門柱には、しっかりと太田小学校の名の入った表札が掲げられています。

      20150921太田小学校02



しかしながら、その隣にはこんな看板がありました。

      20150921太田小学校03


『 なに〜! ここもか? 』

どうやら、解体工事が始まってしまったようです。
確かに、重機の唸る音が学校内から聞こえて来ます。


特に、立ち入り禁止とは表示されていないので
邪魔にならないように遠慮がちに見学させてもらいましょう。




こちらが校庭。

      20150921太田小学校04

どうやら校舎は2棟あり、まだ解体されていないようです。



奥の方で重機が独特の音を立てて動いているようです。

      20150921太田小学校05



ズームで寄ってみましょう。(270mm)

      20150921太田小学校06



どうやら、太田小学校。敷地内にあり隣接して建っていた保育園の建物を解体しているようです。

      20150921太田小学校07


プールも底が剥がされ、いずれ解体されてしまうのでしょう。

      20150921太田小学校08



体育館も外部はまだ残っていますが、内部は床が剥がされ
いずれ建物も解体されてしまうのでしょう。

      20150921太田小学校09



校舎はまだ手付かずの状態。

      20150921太田小学校10


いずれ解体されてしまうのか?
それとも校舎は残るのか?

      20150921太田小学校11



校舎前の校庭。

      20150921太田小学校12


      20150921太田小学校13



このサッカーゴールに対座するもう一つのゴール付近では
少年サッカーの活動が行われていて、どうやら立ち入り禁止ではないようです。
でも、少年サッカーと解体工事の邪魔にならない様に心がけましょう。

      20150921太田小学校14




校舎前の朝礼台。

      20150921太田小学校15



校舎前の創立百周年の記念碑。

      20150921太田小学校16


      20150921太田小学校17



裏面には沿革が刻まれています。

      20150921太田小学校18


校庭隅(解体工事脇)の遊具。

      20150921太田小学校19

遊具の多くは解体工事の邪魔になるから撤去されてしまったのだろうか?


ひとしきり、邪魔にならない様にぐるっと回ってみたけれど
二ノ宮像や廃校記念碑はありませんでした。

時間もそれなりにいい時間になってきたので
日暮れで暗くなる前に帰りましょう。

最後に校庭でパチリ☆。

      20150921太田小学校20



大和第三小学校に続いて解体の始まっていた太田小学校。
どこまで解体されるのかは分かりませんが不幸中の幸いとでも言うか、
まだ校舎も解体されてなく、校庭もそれなりに緑が映え
解体工事の看板を見て気落ちしたけれど、救われた気がします。

何事もタイミングとも言うけれど、あと1年早く訪れていれば
きっと違った感想になっていたんだろうなぁ。
残念が2回続くと、『世の中はこんなもんだ』と思ってしまう。
タイミングの悪い人生なのかなぁ...............?







2015/10/08 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........大和第三小学校  (2015年9月21日)(茨城県行方市) 

9月21日  公休日

この日は、茨城県の行方市に出かけました。


大和第二小学校をあとにして、
向かった先は...............行方市立大和第三小学校



大和第三小学校は

明治8年       白浜小学校と称して開校。
明治19年      小学校教育令の改正により、小牧尋常小学校白浜分教場と改称する。
明治22年      町村制施行により、白浜村、杉平村、籠田村、宇崎村、青沼村、小牧村、岡村、
            蔵川村、天掛村、四鹿村、板嶺村、新宮村が合併して大和村誕生。
明治25年      大和第三尋常小学校と改称する。
昭和22年      学制改革により、大和村立大和第三小学校と改称する。
昭和30年      太田村、大和村、小高村、行方村が合併して麻生町が誕生。
            麻生町立大和第三小学校と改称する。
平成17年      麻生町、玉造町、北浦町が合併して行方市誕生。
            行方市立大和第三小学校と改称する。
平成25年      大和第一小学校、大和第二小学校、大和第三小学校、太田小学校が統合し、
            新たに麻生東小学校が発足し、廃校となる。

と、このような沿革となっています。



大和第三小学校に近づくと、明らかに工事関係者と思われる車が
びっしりと小学校の周りに停まっています。

      20150921大和第三小学校01

何か嫌な予感..............................。


この先が大和第三小学校の正門ですが、
嫌な予感は的中。

      20150921大和第三小学校02


何と大和第三小学校(跡地)は工事中。

      20150921大和第三小学校03



校門の門柱には、まだ大和第三小学校の校名の表札が掲げられています。

      20150921大和第三小学校04


関係者の出入りのための通行エリアがカラーコーンで確保されています。

      20150921大和第三小学校05



校門前に貼られていた工事現場の案内図。

      20150921大和第三小学校06


監督官庁の許可証及び確認証。

      20150921大和第三小学校07

これらの許可証から東京にある食品会社が、なめがたファーマーズビレッジという法人にて
「焼き芋ミュージアム」と言う名称の田植えや収穫など土と触れ合う農業体験型テーマパークとして、
大和第三小学校跡地を再利用するようです。


いやぁ、来るのが遅かった。
今年の2月2月行方市の廃校巡りをした時に立ち寄れば良かった。
ひょっとしたら、その時はまだ工事が始まってなかったかもしれない。


工事関係者で溢れ、工事も終盤を迎えているような感じで
とても中に入って行ける雰囲気じゃない。

      20150921大和第三小学校08


指を咥えて、校門前で工事の状況を眺めているしかない。

こちらは、校舎に隣接する新たに建てられた建物のようです。

      20150921大和第三小学校09


校舎は解体せずに、そのまま流用されるみたいです。

      20150921大和第三小学校10



校門脇にある築山?
奥にジャングルジムが残っているようです。

      20150921大和第三小学校11



とにかく、中に入れないから学校遺構が残っているのか?否か?
確認のしようがない。

二ノ宮像は残っているのか?
廃校記念碑はあるのか?

工事が終わって、農業体験型テーマパークがオープンして暫くしたら
そっと確認に来てみようかな..............................。


2015/10/07 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........大和第二小学校  (2015年9月21日)(茨城県行方市) 

9月21日  公休日

この日は、茨城県の行方市に出かけました。


大和第一小学校をあとにして、
向かった先は...............行方市立大和第二小学校



大和第二小学校のHPによれば

明治21年     小牧小学校派出所として開校。
明治22年     小牧小学校分教場と改称。
明治25年     小牧第二尋常小学校と改称。
昭和22年     学制改革により、大和村立大和第二小学校と改称する。
昭和30年     太田村、大和村、小高村、行方村が合併して麻生町が誕生。
           麻生町立大和第二小学校と改称する。
平成17年     麻生町、玉造町、北浦町が合併して行方市が誕生。
           行方市立大和第二小学校と改称する。
平成25年     大和第一小学校、大和第二小学校、大和第三小学校、太田小学校が統合し、
           新。たに麻生東小学校が発足し、廃校となる。

と、このような沿革となっています。




こちらが大和第二小学校の正門

      20150921大和第二小学校01


門柱には、まだ校名の記された表札が残されていました。

      20150921大和第二小学校02


校門をくぐって眺める大和第二小学校の全景。

      20150921大和第二小学校03


      20150921大和第二小学校04



校門脇のイチョウの木。

      20150921大和第二小学校05


どうやら、このイチョウの木は大和第二小学校のシンボルツリーのようです。

      20150921大和第二小学校06



大きなイチョウの木が二本並んでいます。

      20150921大和第二小学校07



では、遠慮がちに校内を見学してみましょう。

ある程度の田舎(?)に来ると小学校に隣接して保育園が設置されている事が多い。
この行方市(旧麻生町)もそのパターンで、かつては大和第二小学校の敷地内に保育園が在ったようです。

保育園跡の脇に咲くキバナコスモス。

      20150921大和第二小学校08


秋を感じますねぇ〜。

      20150921大和第二小学校09



校舎前、木々の中に隠れるようにして鎮座していた二ノ宮像。

      20150921大和第二小学校10


      20150921大和第二小学校11



こちらが校庭。

      20150921大和第二小学校12

ちょうど少年サッカーの練習をしていたので邪魔にならないようにします。




こちらが校舎。

      20150921大和第二小学校13



校舎正面玄関。
庇には校章を取り外した跡がくっきりと残っています。

      20150921大和第二小学校14



校舎玄関前に建つ記念碑(校歌の碑)。

      20150921大和第二小学校15



こちらが体育館。

      20150921大和第二小学校16



校庭に残されている遊具類。

      20150921大和第二小学校17


      20150921大和第二小学校18


      20150921大和第二小学校19



廃校記念碑を探してみましたが見つかりませんでした。
どうやら、こちらの小学校では廃校記念碑を建てなかったようですね。

いつまてこの校舎が残り、体育館が残るか?わからないけれど
もし解体されて、更地になるような事になったら
校庭跡の隅にでも廃校記念碑、又は小学校跡地の碑が建てられたら良いなぁ。






2015/10/06 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit