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び・び・びのびいすけ

びいすけとお父さんと時々もっちゃん

天王崎公園  (2016年11月12日)(茨城県行方市) 

11月12日 公休日

この日は、茨城県の行方市、及び霞ケ浦周辺の茨城百景巡りに出かけました。

茨城百景の『水郷 麻生』の碑の在る麻生八坂神社に隣接する
天王崎公園に立ち寄ってみました。


霞ケ浦の湖畔に在る 天王崎公園。
広い芝生広場が気持ち良さそうです。

      20161112天王崎公園01


とは言いながら、前日降った雨で一部の芝生もグチャグチャと濡れている。
気を付けないと、ぬかるみに足を突っ込んでしまい、靴がビチョビチョになってしまいます。

      20161112天王崎公園02

画像で見る限りでは、そんな風には見えないんだけどねぇ。



『天王崎』の看板。

      20161112天王崎公園03

隣接する 麻生八坂神社 のかつての祭神が牛頭天王だった事から
この辺りは『天王崎』と呼ばれるようになったそうです。


霞ケ浦湖畔のなかなか風光明媚な場所です。

      20161112天王崎公園04


      20161112天王崎公園05



生憎の曇り空で、ちょっぴり残念。

      20161112天王崎公園06



青い空と霞ケ浦だったら、もっと画になっていたでしょう。

      20161112天王崎公園07



足元を気にしながら、公園内を散策します。

      20161112天王崎公園08



びいすけ は芝生の濡れ具合よりも、芝生の匂いが気になるようです。

      20161112天王崎公園09



『 おいで〜!』と声をかけると、小走りに走って来ます。

      20161112天王崎公園10

従順な所は『お利口さん!』と褒めてあげたい(笑)。



芝生広場を歩き終え、湖畔の遊歩道(サイクリングロード?)を歩きます。

      20161112天王崎公園11



湖畔からは、けたたましいエンジン音。

      20161112天王崎公園12



ラジコンのボートが甲高いエンジン音を鳴らし
水辺をカッ飛んでいます。

      20161112天王崎公園13



どうやら、こちらの方が操作しているみたいです。

      20161112天王崎公園14


暫し、ラジコンのボートの動きを眺めていました。

      20161112天王崎公園16



一方、 びいすけ は大人しくベンチで待機。

      20161112天王崎公園15


     
しているかと思えば、匂いをクンクン。

      20161112天王崎公園17



そこへ、一艘のモーターボートがラジコンボートの方へ走って行きます。

      20161112天王崎公園18

どうやら、かなり離れた場所でラジコンボートの制御が出来なくなってしまったみたい。
急いで回収に向かったようです。


何か、見ては行けないモノを見てしまったような雰囲気。


びいすけ、そろそろ車に戻ろうか?

      20161112天王崎公園19



因みに、ラジコンボートは無事回収出来たようです。

      20161112天王崎公園20

ラジコン機材をいっぱい載せた、他府県ナンバーの1BOX車が何台も停まっていたから
ここは、ラジコンボートのメッカなのかも知れない。




ここ大王崎は『水郷筑波国定公園』の『大王崎園地』らしい。

      20161112天王崎公園21



こちらが大王崎のランドマーク。
『風の塔』

      20161112天王崎公園22


実は、公衆トイレだったりする。

      20161112天王崎公園23

一応、展望台のある塔なんだけど
ゲートは閉められ、展望台には上がれないようになっています。



霞ケ浦の対岸に沈む夕陽の美しい場所らしいが
夕陽の時間帯にはまだまだ早い。

時刻もお昼を回ったばかり。

さて、この後は何処へ行こうかな...............?



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2016/12/01 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 水郷麻生 》   (2016年11月12日)(茨城県行方市) 

11月12日  公休日

この日は、茨城県の行方市、及び霞ケ浦周辺の茨城百景巡りに出かけました。


茨城百景とは、茨城県観光審議会によって昭和25年に選出された
茨城有数の景勝地が100ヶ所網羅されています。
時代の移り変わりにより、形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。
ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。

実は、私もその一人であり、最近になって茨城百景を追いかけることにいたしました。

そんな訳で、西蓮寺をあとにして向かった先は...............茨城百景 水郷麻生



『茨城百景 水郷麻生』の碑は、
霞ケ浦湖畔の八坂神社の境内に在るとの事なので
八坂神社を目指します。

こちらが八坂神社。

       20161112茨城百景 水郷麻生01


湖畔にある神社で敷地はさほど広くはない。
1612年に麻生藩主となった新庄氏が、
麻生藩の総鎮守として建立したと言われています。

       20161112茨城百景 水郷麻生04




しかしながら、この八坂神社は全国的にも珍しい祭りで有名らしい。
『麻生祗園馬出し祭』と呼ばれる祭りは、行方市の無形文化財に指定されているようです。

       20161112茨城百景 水郷麻生02



八坂神社の境内で馬と神輿が勇ましい戦いを繰り広げた後、
神輿が霞ヶ浦の中で揉まれると言う祭りらしい。

この狭い境内を馬と神輿が絡まると言うのか?

       20161112茨城百景 水郷麻生03

確かに細長い境内は、馬が走るには都合が良い。

       


境内の一画に建つ『茨城百景』の碑。

       20161112茨城百景 水郷麻生05


       20161112茨城百景 水郷麻生06



百景の碑のすぐは近くに建つ碑。

       20161112茨城百景 水郷麻生07

『茨城45景當選記念塔』と刻まれています。


この八坂神社の在る地は『茨城百景』でありますが
『茨城45景』の地でもあるようです。

ちなみに『茨城45景』とは、
昭和10年に茨城新聞社が創立45周年を記念して行った事業で、
県民投票によって選ばれた45カ所の景勝地と言うことらしい。
昭和10年って、今から80年以上も前の話。


80年前と変わっていないんだろうか?

       20161112茨城百景 水郷麻生08



麻生の地の霞ケ浦の湖畔を大王崎と言うらしい。

       20161112茨城百景 水郷麻生09

そもそも、『麻生祇園馬出し祭り』では馬をヤマタノオロチ、
神輿をスサノオに見立てていると言われています。
八坂神社の祭神は須佐之男命(スサノオノミコト)であることから
馬と神輿が戦うことによってヤマタノオロチとスサノオの戦いを表しているとされています。

しかし、元々は八坂神社の祭神は牛頭天王と呼ばれる祭神でしたが
明治政府の神仏分離令により、牛頭天王の『天王』が天皇と同じ読みのため、
スサノオが八坂神社の祭神となったと言うことらしい。
そして、八坂神社が鎮座する地名を牛頭天王から天王崎と呼ぶようになったらしい。



拝殿前にて。

       20161112茨城百景 水郷麻生10


こちらが拝殿。

       20161112茨城百景 水郷麻生11



八坂神社に因んだもう一つの指定文化財。
獅子頭の標柱。

       20161112茨城百景 水郷麻生12

『麻生祇園馬出し祭り』では、昭和20年頃まで、船材の厚板で船大工が頑丈に作った神輿に
獅子頭を奉収して、しめ縄を幾重にも巻き付けました。
御幣を先頭に、子供たちが神輿を担ぎ、家々の庭先で荒々しく叩きつけ、
家庭から疫病を防ぎ、災厄を免れるよう雄叫びをあげて走ったそうです。
毎年、これを繰り返し、獅子の下顎と両耳は欠落しまったそうです。

今では『麻生祇園馬出し祭り』の際に拝殿に飾られるそうです。



麻生八坂神社の境内には句碑が多い。

      20161112茨城百景 水郷麻生13


      20161112茨城百景 水郷麻生14


      20161112茨城百景 水郷麻生15




霞ケ浦の湖畔に隣接しているから
八坂神社からサイクリングロードを挟んで、すぐに湖畔なります。

      20161112茨城百景 水郷麻生16




かつては、湖水浴場だった浜辺。

      20161112茨城百景 水郷麻生17

この景観が茨城百景に選定されたんでしょうね


そして、『麻生祇園馬出し祭り』では、
この浜辺に神輿が揉まれているそうです。

      20161112茨城百景 水郷麻生18


      20161112茨城百景 水郷麻生19


機会があったら、『麻生祇園馬出し祭り』も見に来れたらいいなぁ。



2016/11/30 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 西連寺 》   (2016年11月12日)(茨城県行方市) 

11月12日  公休日

この日は、茨城県の行方市周辺の茨城百景巡りに出かけました。


茨城百景とは、茨城県観光審議会によって昭和25年に選出された
茨城有数の景勝地が100ヶ所網羅されています。
時代の移り変わりにより、形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。
ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。

実は、私もその一人であり、最近になって茨城百景を追いかけることにいたしました。

そんな訳で、向かった先は...............茨城百景 西蓮寺



西蓮寺は、延暦元年(782年)に創建と伝えらる古刹で、天台宗の寺院です。
山号は尸羅慶台上山。
院号は曼珠院。
本尊は薬師如来。

西蓮寺は、数多くの文化財を持っています。
その一つである仁王門は、天文12年(1543年)建立されたものです。
当初は楼門として造られ、寛政2年(1790年)山門に造り替えられ、
更には、再び仁王門に改められて現在に至っているそうです。

また、西蓮寺の大銀杏は茨城県の指定天然記念物に指定されていて、
樹齢1,000年といわれる大木です。
秋の黄葉は見応えがあり、境内が銀杏の黄葉で覆われ、
多くの人がその黄金色の絨毯を眺めに来るそうです。

そして、西蓮寺のもう一つの重要文化財は相輪橖です。
比叡山延暦寺の相輪橖、日光輪王寺の相輪橖、そして西蓮寺の相輪橖が
日本三相輪橖と呼ばれているそうです。



本堂裏の駐車場に車を停めて西蓮寺に向かいます。

      20161112茨城百景 西連寺01




この先が本堂。

      20161112茨城百景 西連寺03



こちらが、本堂。

      20161112茨城百景 西連寺04


本堂に掲げられた扁額。

      20161112茨城百景 西連寺05

院号の『曼殊院』。



なぜか、七福神の幟。

      20161112茨城百景 西連寺02

どうやら常陸七福神と言うモノがあり、その内の一つらしい。




境内でひときわ目を張る大銀杏。

      20161112茨城百景 西連寺07

黄葉の時期にはまだ早く、完全な緑色の世界。
半月以上早かったか...............?



実は大銀杏早かったか1本だけじゃなく、2本在る。

      20161112茨城百景 西連寺06

前掲の大銀杏は2号。
      


そして、こちらが1号。

      20161112茨城百景 西連寺08

いずれにしても、推定樹齢約1000年と言うからとにかくデカい。


大銀杏の脇には鐘楼。

      20161112茨城百景 西連寺09

これがまた、いい雰囲気。



大銀杏と鐘楼がマッチング。

      20161112茨城百景 西連寺10

これで大銀杏が色付いていれば最高ですね。




こちらは、常行堂

      20161112茨城百景 西連寺11

西蓮寺では、伝統行事である常行三昧会が9月24日~30日に執り行われます。
寛治年間(1087~94)に地元の長者が比叡山より移したものとされ、
西蓮寺の末寺、門徒寺の僧侶が常行堂に集まり、7日7夜にわたって堂内を廻りながら
独特の節回しで立行誦経する大法要です。
『常陸高野』と呼ばれるように、この法要は『仏立て』と言われ、
宗旨の別もなく、近郷近在はもとより遠隔地から新仏の供養に参詣人が訪れるそうです。






こちらは、薬師堂。

      20161112茨城百景 西連寺14

西蓮寺の本尊である薬師如来の説明板

      20161112茨城百景 西連寺12


薬師如来は奥の収納庫に安置されているらしい。

      20161112茨城百景 西連寺13


      



国指定重要文化財の相輪橖。

      20161112茨城百景 西連寺15


ソウリンの説明板。

      20161112茨城百景 西連寺16

相輪橖は元寇(弘安の役)の戦勝を祈念して、
弘安十年(1287)に建立したものとして伝えられているそうです。




こちらは、西蓮寺の説明板(案内板)

      20161112茨城百景 西連寺17



説明板の正面が山百合の里の入口。

      20161112茨城百景 西連寺18

山全体に自生する山百合が7月の中旬~下旬に咲くらしい。
今回は時季外れなのでパスしましょう。

また、9月下旬には約10万本の彼岸花が見頃となるらしい。
これは、来年の見頃の時期は要チェックですね。


背後のスダジイ(?)

      20161112茨城百景 西連寺25

幹が折れちゃっているけど、これもかなりの古木だったはず。



こちらが国指定重要文化財の仁王門。

      20161112茨城百景 西連寺19


      20161112茨城百景 西連寺20



正面から眺めると、それなりの風格があります。

      20161112茨城百景 西連寺21



仁王門に掲げられた扁額。

      20161112茨城百景 西連寺22

カスれた文字が長い年月を感じさせてくれます。


仁王門の脇に建つ石碑。

      20161112茨城百景 西連寺23

てっきり『茨城百景』の碑かと思ったら違っていました。



茨城百景の碑を探していると、
仁王門前の売店(?)には、こんなモノが...............

      20161112茨城百景 西連寺24

確かに西蓮寺は七福神の一つらしいが、確か『寿老人』のはず?
これって、『大黒天』だし(笑)。



さらに、仁王門の先の参道を歩いていると石碑を発見!

      20161112茨城百景 西連寺29

でもこれも探している『茨城百景』の碑ではない。
なかなか、茨城百景の碑は見つかりません。



諦めて移動をしていると、西蓮寺の仁王門から距離にして1kmほど。
西蓮寺から下って来て、県道183号との合流点近く。

画面の真ん中辺りに石碑が見えます。

      20161112茨城百景 西連寺26



探していた『茨城百景 西蓮寺』の碑。

      20161112茨城百景 西連寺27


      20161112茨城百景 西連寺28


さすがに、こんな場所にあるとは思いませんでした。
なぜ、西蓮寺の敷地内とか、参道入口に建てなかったんだろう...............?


石碑の隣は、廃路線になったバス停だから
バスを使って西蓮寺に訪れる人に
分かりやすいようにしていたのだろうか...............?

ちょっぴり疑問です。






2016/11/29 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

高須崎公園  (2016年11月12日)(茨城県行方市) 

11月12日 公休日

この日は、行方市と霞ケ浦周辺の茨城百景巡りに出かけました。

行方市からかすみがうら市へと繋ぐR354を走っていると
『道の駅 たまつくり』『霞ケ浦ふれあいランド』の向かい側に
広い芝生の公園が視界に入って来ます。
以前から一度立ち寄りたいと思っていたのが 高須崎公園

高須崎の一本松からも近くて、駐車場も完備。
これは立ち寄らない訳にはいきません。


駐車場に車を停めて、高須崎公園の散策開始です。

      20161112高須崎公園01



公園に施された周遊路を歩きます。

      20161112高須崎公園02



今回はロングリードを装着。

      20161112高須崎公園03


びいすけ の好きなように歩かせます。

      20161112高須崎公園04



軽快であり、かつ力強くロングリードを引っ張りながら先を急ぐ びいすけ 。

      20161112高須崎公園05


あっと言う間にR354に着いてしまいました。
この看板が気になっていたんだよなぁ。

      20161112高須崎公園06



R354の側道を少し歩き、霞ケ浦大橋の手前で湖畔へと向かいます。

      20161112高須崎公園07



相変わらず、ロングリードを引っ張り、先へ先へと進む びいすけ。

      20161112高須崎公園08



霞ケ浦の湖畔。

      20161112高須崎公園09



霞ケ浦大橋をバックに一枚、パチリ☆。

      20161112高須崎公園10



湖畔のこの辺りは、適度に草も枯れて
散策するにはちょうど良い。

      20161112高須崎公園11


      20161112高須崎公園12



再び、高須崎公園の戻ります。

湖畔側の入口には、『高須』の看板。

      20161112高須崎公園13



高須崎公園では、『自然公園大会』が開催されたらしい。
その記念碑。

      20161112高須崎公園14



高須崎は『水郷つくば国定公園』の一部。
この辺りは、『高須崎園地』と呼ぶらしい。

      20161112高須崎公園15



再び、高須崎公園内の遊歩道を歩きます。

      20161112高須崎公園16



なぜか、四阿に向かって力強く進む びいすけ 。

      20161112高須崎公園17



と、言うことで四阿で休憩。


頑張って歩いたご褒美です。

      20161112高須崎公園18


『欲しい〜?』って...............

      20161112高須崎公園19

要らない訳がない(笑)。


当然、こうなります。

      20161112高須崎公園20



再び、散策の開始。

      20161112高須崎公園21



広い芝生の高須崎公園ですが...............

      20161112高須崎公園22

実は、その敷地の多くがグランドゴルフ場となっています。



平日ですが、平均年齢の高い男女が、グランドゴルフに興じています。

      20161112高須崎公園23

それ故に、芝生の中を歩いて行くのは少し、いや、かなり躊躇してしまいます。


グランドゴルフに興じる方々の邪魔にならないように
隅っこを遠慮がちに歩いたり...............

      20161112高須崎公園24


遊歩道を大きな顔して歩いたり...............

      20161112高須崎公園25



犬連れで散歩するには、ちょっぴり不向きな公園かもしれないなぁ。





2016/11/28 Mon. 16:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 高須崎の一本松 》   (2016年11月12日)(茨城県行方市) 

11月12日  公休日

この日は、茨城県の行方市周辺並びに霞ケ浦周辺の茨城百景巡りに出かけました。


茨城百景とは、茨城県観光審議会によって昭和25年に選出された
茨城有数の景勝地が100ヶ所網羅されています。
時代の移り変わりにより、形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。
ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。

実は、私もその一人であり、最近になって茨城百景を追いかけることにいたしました。


そんな訳で、向かった先は...............茨城百景 高須崎の一本松



霞ケ浦の湖畔近くに、『 茨城百景 高須崎の一本松 』はありました。

ヤフーマップにも載っているし、近くに行けば案内板もあるので
迷うことなく、辿りつけます。

こちらが、高須崎の一本松。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉01


こちらが説明板。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉02




実は、これは2代目の松。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉03

全国で有名な松の巨木、古木が被害に遭って枯れてしまったように
ここ、高須崎の一本松も松食い虫の被害に遭い、枯れてしまいました。

そもそも高須崎の一本松は、関東の二大銘木と言われたそうです。
ちなみにもう一つの銘木は鎌倉の鶴岡八幡宮の大銀杏だそうです。
天に昇るといわれる竜が湖岸で水を呑んでいるような樹相が素晴らしく、
多くの歴史の偉人たちに愛されたのが高須崎の一本松でした。
昭和27年に茨城県天然記念物に指定されましたが、
昭和51年に松食虫に被害を受けて枯渇してしまい、
昭和55年に県文化財の指定を解除されてしまいました。
樹齢900年、根元周り8m、樹高約7m、東西南北23mあったと記録され
大変、立派な松だったようです。

昭和58年に高須の一本松の根元に生えていた二代目と、
高須地区の松ぼっくりを集めて育てて、
初代の形状に似た二股の苗木が植樹されたそうです。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉06




高須崎の一本松は、
歴史上の偉人(?)との接点と言うか、逸話が多い。


その昔、源義家が永承6(1051)年の前九年の役で陸奥の豪族阿部氏の平定に向かう途中、
鹿島神宮に戦勝祈願をするために霞ヶ浦を渡る時に暴風雨に遭い、
高須崎で足留めを食らってしまいました。
その時に義家が歌を詠んだところ、不思議と暴風雨がやみ、
波間に1本の小松が漂っていたものを植樹したものが、
後の『高須崎の一本松』だと言われています。

その時に詠んだと言われているのが...............

『ちはやぶる 鹿島の神の 授け松
なほ 万代も 君は栄えん』

源義家は、別名を八幡太郎義家と呼び、
河内源氏の流れを汲み、源頼朝の祖先にあたります。



そして、水戸藩2代目藩主である水戸光圀。
(水戸の黄門様の方が有名ですが...............)
光圀公は領内巡視の際にこの地に立ち寄りました。
一本松の雄大な姿にいたく感動したらしく、
この巡視以降、松の世話をする松守を置いて、
毎年水戸藩より松の肥料代を出していたと言われています。


さらには、水戸藩九代藩主、徳川斉昭がこの地に立ち寄り
やはり、この高須崎の一本松をいたく気に入り、
『この松を手入れして大事にしなさい』と三十両を出したと言われています。
斉昭公は、領内を巡視し水戸八景を選定して若い藩士の教育の為に
八景の地を歩かせて藩の状況などを知らしめようとしたりと、水戸藩の名藩主でありました。




石碑も幾つかあります。
 
『高須崎古松碑』と刻まれた石碑。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉04



こちらの石碑は徳川光圀と徳川斉昭が詠んだ和歌が刻まれた歌碑。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉05

『高須崎 波にゆらるる一ツ松
さぞや山路の 恋しかるらん 』
(水戸藩二代藩主 徳川光圀の和歌)

『つたえ聞く 何も高須の一つ松
波にこえぬる 緑みすらし 』
(水戸藩九代藩主 徳川斉昭の和歌)




車が通れる道からは、こんな感じ。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉07



茨城百景の碑は、フェンス沿いに建っています。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉09




『 茨城百景 高須崎の一本松 』の碑。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉08

車で来た場合、最初に視界に入ってくるから見つけやすい。



  
最奥にあるのが、こちら。
高須の一本松と勘違いする『いろはもみじ』

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉10

木の前に石碑が建っているから勘違いしやすいらしい。
実は、私もその1人(笑)。



この石碑は徳川斉昭がポンと出した三十両の一部で建てられたらしい。

      20161112茨城百景 高須崎の一本杉11


      20161112茨城百景 高須崎の一本杉12


敷地そのものは広くなく、
そして主役であるはずの一本松は、
とうの昔に枯れてしまったけれど、
この高須崎には、思いもよらぬ逸話が後世に残されているようです...............。




2016/11/28 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 化蘇稲荷神社 》   (2016年11月12日)(茨城県行方市) 

11月12日  公休日

この日は、茨城県の行方市周辺の茨城百景巡りに出かけました。


茨城百景とは、茨城県観光審議会によって昭和25年に選出された
茨城有数の景勝地が100ヶ所網羅されています。
時代の移り変わりにより、形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。
ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。

実は、私もその一人であり、最近になって茨城百景を追いかけることにいたしました。

そんな訳で、この日最初に向かったのは...............茨城百景 化蘇沼稲荷


化蘇沼稲荷とは、北浦村(現:行方市)内宿に在る化蘇沼稲荷神社のことで
文明10年(1478)の創建と伝えられています。
「関取稲荷」の別名があり、古くから豊作祈願の行事として奉納相撲が行われることで有名です。
この相撲は取り組む力士を田と畑に見立て、
勝ったほうの作物(稲作か畑作か)が豊作になるといわれています。
天保年間(1830~1844年)に江戸相撲で活躍した当町出身の鹿島灘鰐右衛門(四代目秀ノ山親方)が
奉納相撲をしたことで一段と盛んになったということです。
 
現在も毎年8月25日の夏祭りにこの相撲が氏子地区対抗戦の形で行われ、人気を呼んでいます。
夏祭りには、このほか巫女舞が奉納されます。
当番地区内の小学6年生の女子が雅楽に合せて古式ゆかしく舞うもので、
昭和21年から行われているそうです。


県道184号線を旧・武田小学校方面から北上すると
右カーブの先に鳥居が見えてきます。
 
      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社01



鳥居の脇にひっそりと建つ茨城百景の碑。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社02



裏面には昭和25年5月選定と刻まれています。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社03



思いのほか、簡単に見つかった茨城百景の碑。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社04



真新しい木の鳥居は、東日本大震災で石造りの鳥居が崩壊してしまったために
新しく作り直されたモノらしい。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社05



この道を真っ直ぐに行けば、化蘇沼稲荷神社。
いわゆる参道です。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社06


参道の両脇には古い桜の木々。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社07

春は桜の名所かも知れない。


参道からは、筑波山も見えたりして
なかなか風光明媚な場所にようです。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社08


参道の奥は、化蘇沼稲荷神社。
石造りの二の鳥居が出迎えてくれます。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社09



鳥居脇の説明板。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社10

今でこそ行方市ですが、茨城百景が選定された昭和25年当時は武田村。
昭和30年に北浦村となり、平成9年に北浦町。
平成17年に行方市と変遷しています。



鳥居前にて一枚パチリ。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社11


こちらが拝殿。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社12


拝殿前のお稲荷さんと一枚パチリ。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社13


何やら、不思議な像。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社14

どうやら寸津比古(きつひこ)・寸津比売(きつひめ)の彫刻らしい。



像の脇には説明板。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社15

説明板には、常陸風土記の行方の芸都(きつ)の里の話が書かれています。
要約すれば...............

昔、この辺りを芸都(きつ)の里と呼び、寸津比古、寸津比売と言う二人の国栖(くず)が居ました。
寸津比古は、倭武天皇の巡幸を前にして、命に逆らい、はなはだ無礼な振る舞いをしたので、
剣の一太刀で討たれてしまいました。
寸津比売は、恐れをなして白旗をかかげて道端にひれ伏し、天皇を迎えました。
それを見た天皇は憐れみ、その家をお許しになられました。
更に乗輿を進め、小抜野の仮宮に行かれるときに、寸津比売は、姉妹をともに引き連れ、
雨の日も風の日も、真の心を尽くして朝夕に仕えました。
天皇姿をお喜びになり愛しくなったことから、
この野をうるはしの小野と呼ぶようになったと言うことです。



常陸の国は常陸国風土記から常世の国とも呼ばれていて、
その語源は「面積はすこぶる広大で、境界もまたはるかに遠く、
土壌は肥えに肥え、原野はゆたかなうえにも豊かです。
耕し墾かれた処と海山の幸にめぐまれて、人々は心やすらかに満足し、
家々は充ち足りて賑わっていました。
いわゆる、海の宝庫・陸の宝蔵、膏したたる物産の楽土である
ゆえに、常世の国と言われた」 と伝わっているようです。

常陸の国って奥が深いかも?





境内でひときわ目立つ巨木。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社16

この巨木(古木)はモミの木で、幹回り約4m、樹高約16m、樹齢は約360年と言われていて、
北浦村(現:行方市)の天然記念物に指定されているようです。


行方市教育委員会の説明板。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社17



別アングルから見ても、やっぱり大きい。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社18


北浦村時代の標柱。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社19



こちらの樹は、今の平成天皇が皇太子の時に植えられた楠木らしい。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社20



本殿のさらに奥には、土俵。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社21

この場所で夏祭りに際に奉納相撲が行われます。
化蘇沼稲荷神社は別名「関取稲荷」といわれるようで、昔から相撲が盛んだったようです。


古くは三宿と呼ばれ(武田、内宿、両宿)賑わいをみせていたようです。
特にこの化蘇沼稲荷神社は江戸中期以降、参拝者が増え
境内には9軒の茶屋が誕生したそうです。
「お江戸見たけりゃ武田へおいで、武田三宿江戸勝り」
と人々が唄うまでになったそうです。

現在の長閑なこの地区からは、とても考えられませんね。


2016/11/25 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

小幡城址  (2016年7月1日)(茨城県行方市) 

7月1日 公休日

この日は、茨城県の行方市に出かけました。

行方市へは、廃校を巡るのが目的でしたが
訪れた要小学校に隣接するお寺が城址と言うことで
訪れたのは...............小幡城址


茨城県の小幡城址と言えば、茨城町の小幡城址が有名なようですが
そちらとは違い、こちらは行方市(旧・北浦町)の小幡城址です。


小幡城は
玉造城主3代景政の子、辰幹がこの地に分地され小幡氏を名乗り、
居館を営んだことに始まると言われているようです。



こちらが、小幡城の縄張り図

      小幡城址縄張り図


余胡さんのHP(余胡くんのお城のページ)からお借りしました。



小幡城の主郭である観音寺。
紫陽花の花が綺麗に咲いていました。

      20160701小幡城址01


      20160701小幡城址02


      20160701小幡城址03



観音寺の本堂。

      20160701小幡城址04



本堂脇に、近年建てられたと言う城址碑。

      20160701小幡城址05


      20160701小幡城址06


      20160701小幡城址07

小幡城については詳しい文献等が無く、不明な部分が多いようですが
城址碑の碑文によれば...............

1464年に完成した小幡城ですが、1578年に佐竹軍に敗れ
1591年に佐竹軍、武田軍、行方軍に攻められ落城したとされているようです。



かつてこの観音寺には三本松と言う松の巨木があり
茨城百景にも選ばれた景勝地でもあったようです。

      20160701小幡城址08

残念ながら、巨木の松は昭和39年に枯れ、伐採されてしまったそうです。



観音寺は小幡城の主郭でありましたが、すっかり改変し
遺構もほとんど無くなり、かろうじて城郭を彷彿させるのは
境内にある鐘楼の建つ土壇と二郭である要小学校との境界にある土塁ぐらいらしい。


こちらが、鐘楼の建つ土壇。

      20160701小幡城址09



物見台の跡だと言われているようです。

      20160701小幡城址10



境内にある大シイの樹。

      20160701小幡城址11

行方市の天然記念物に指定され、樹齢は約500年とされています。


大シイのある辺りも土壇となっています。

      20160701小幡城址12

こちらは土塁跡の名残りかもしれません。



こちらは、主郭と二郭を隔てる土塁。

      20160701小幡城址13


二郭虎口(?)

      20160701小幡城址14

虎口と言うよりは、観音寺から要小学校へ抜ける通用口となってます。



こちらは、三郭。
観音寺の観音堂のあるエリア。
観音寺の墓地でもあり、土塁のような土壇が幾つか確認出来ますが
墓地造成時に造られた後世のモノかもしれません。


      20160701小幡城址15


      20160701小幡城址16


      20160701小幡城址18



こちらが観音堂。

      20160701小幡城址19



背後には立派な土塁が確認出来ます。

      20160701小幡城址17

      

こちらのお堂には、茨城県指定文化財の如意輪観音坐像が祀られています。

      20160701小幡城址20




実は、観音寺は縦に長い敷地となっていて
さらにこの先に仁王門がらあるらしい。
知らなくて、この観音堂辺りが観音寺の最奥だと思い、
主郭である本堂に引き返してしまいました。
仁王門から本堂へと続く道は観音馬場と呼ばれ、桜の名所でもあるらしい。

桜の季節にまた来ようかな?



2016/07/24 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.............要小学校 (2016年7月1日)(茨城県行方市) 

7月1日  公休日

この日は、茨城県の潮来市と行方市に出かけました。

潮来市では主に公園巡り、行方市では主に廃校巡りをいたしました。

津澄小学校をあとにして、向かった先は...............行方市立要小学校



要小学校は

明治9年        餘戸小学校として開校する。
明治20年       山田小学校小幡分教場となる。
明治22年       要尋常小学校として独立する。
明治29年       要尋常高等小学校と改称する。
昭和22年       学制改革により要村立要小学校と改称する
昭和30年       要村、武田村、津澄村が合併して北浦村となる。
             北浦村立要小学校と改称する。
平成9年        北浦村が町制施行により北浦町となり
             北浦町立要小学校と改称する。
平成17年       麻生町、玉造町、北浦町が合併して行方市となり、
             行方市立要小学校と改称する。
平成28年       要小学校、武田小学校、津澄小学校が合併して新たに北浦小学校が開校。
             要小学校は廃校となる。


と、このような沿革となっています。




こちらが、要小学校の正門。

      20160701要小学校01


      20160701要小学校02


こちらが、校舎。

      20160701要小学校03


      20160701要小学校04


      20160701要小学校05



校舎正面玄関。

      20160701要小学校06



玄関脇には、石碑類と二ノ宮像。

      20160701要小学校07


石碑の一つは校歌の碑。

      20160701要小学校08


そして、もう一つの石碑は『創立百周年記念碑』。

       20160701要小学校10



そして二ノ宮像。

       20160701要小学校11


       20160701要小学校12



残念ながら、こちらの要小学校にも廃校記念碑はありませんでした。
どうも茨城県の廃校には廃校記念碑が建てられているのが少ない気がします。



廃校遺構の一つ、百葉箱。

       20160701要小学校13



そして、日時計。

      20160701要小学校14



こちらは体育館。

      20160701要小学校27



校庭に目を移してみましょう。

      20160701要小学校15


なぜか、遊具類が多い。

      20160701要小学校16


      20160701要小学校17


      20160701要小学校18


      20160701要小学校19


      20160701要小学校20


      20160701要小学校21


      20160701要小学校22


      20160701要小学校23



タイヤを積み上げた遊具は珍しい。

      20160701要小学校24


      20160701要小学校25



校舎全景。

      20160701要小学校26


ここ数年で行方市の小学校は、かなりの数が廃校となりました。
時代の流れと言ってしまえばそれまでですが
この要小学校もその流れに飲み込まれてしまったようです。

実は、この要小学校のある辺りは、かつての城跡であったらしい。
隣接するお寺が主郭にあたり、要小学校は二郭であったらしい。
そちらの城址については、また明日にでも改めて...............。











2016/07/23 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.............津澄小学校 (2016年7月1日)(茨城県行方市) 

7月1日  公休日

この日は、茨城県の潮来市で公園巡りをした後、
行方市の廃校巡りを行いました。

山田小学校跡(北浦幼稚園)をあとにして、
向かった先は...............行方市立津澄小学校


津澄小学校は

昭和38年      北浦村立山田小学校,同繁昌小学校を統一し,
            敷地を旧中学校の跡地に定め,北浦村立津澄小学校として発足する。 
            当分,山田,繁昌両分教室を置く。
平成9年        北浦村が町制施行により北浦町となり
            北浦町立津澄小学校と改称する。
平成17年     麻生町、玉造町、北浦町が合併して行方市となり、
            行方市立津澄小学校と改称する。
平成28年      要小学校、武田小学校、津澄小学校が合併して新たに北浦小学校が開校。
            津澄小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。




こちらが、津澄小学校の正門。

      20160701津澄小学校01


門柱の表札は掲げられたまま。

      20160701津澄小学校02


正門から中に入ると、ロータリー兼駐車場。

正門脇のロータリーの一画に建つ顕彰碑。

      20160701津澄小学校03

昭和62年に建てられたモノ?
それにしては、古めかしくて碑文も読めない。



こちらは、校訓でしょうか?

      20160701津澄小学校04

『 心豊かにたくましく 』


更に、気になる石碑。

      20160701津澄小学校05

『 昭和二十五年三月 津澄中学校第三回卒業記念 』と刻まれています。


確かに、津澄小学校は中学校跡に建てられたと記されていますが
昭和25年に卒業記念に植樹されたモノなんですね。

      20160701津澄小学校06



体育館、そしてそれを繋ぐ渡り通路。

      20160701津澄小学校07


通路の先は、当然本校舎。

      20160701津澄小学校08



校舎全景。

      20160701津澄小学校09



別アングルにて。

      20160701津澄小学校10



更に別アングル。

      20160701津澄小学校11



こちらは体育館。

      20160701津澄小学校12



廃校記念碑を探しますが、ありません。
代わりにと言っていいのか? 校歌の碑。

      20160701津澄小学校13



二ノ宮像はしっかりと在りました。

      20160701津澄小学校14


      20160701津澄小学校15



百葉箱も健在。

      20160701津澄小学校16



隣には日時計。

      20160701津澄小学校17




校庭に目を移してみましょう。


廃校に合わせて建てられたボードのようです。

      20160701津澄小学校18

ありがとう津澄小 と書かれています。



こちらは、フェンスに貼られた横断幕。

      20160701津澄小学校19

感謝の気持ちが伝わります。



ポツンと取り残された朝礼台。

      20160701津澄小学校20



使われなくなった遊具類。

      20160701津澄小学校21


      20160701津澄小学校22


      20160701津澄小学校23


      20160701津澄小学校24


      20160701津澄小学校25


      20160701津澄小学校26


      20160701津澄小学校27


      20160701津澄小学校28



校庭奥の通用門。

      20160701津澄小学校29


      20160701津澄小学校30



校舎をバックに一枚。

      20160701津澄小学校31



気が付けば、向日葵の花の季節になっているんですね。

      20160701津澄小学校32



繁昌小学校と山田小学校が統合して開校した津澄小学校。
これら3校跡を順に見てくる事が出来ました。

移りゆく時代の流れに、はかなくも消え去って行く小学校。
これらの小学校がこの地に存在していたことを忘れないようにしておこう。


2016/07/22 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.............山田小学校 (2016年7月1日)(茨城県行方市) 

7月1日  公休日

この日は、茨城県の行方市にも出掛けました。

繁昌小学校跡地のあとにして、向かった先は...............旧・北浦村立山田小学校



山田小学校の詳しい沿革は不明です。

名前の由来である山田村が明治22年に吉川村・繁昌村・中根村と合併して
津澄村が発足したことから、おそらく明治22年以前に開校していたものと思われます。

昭和38年 繁昌小学校と統合して、新たに津澄小学校が設立され
繁昌小学校と共に廃校となりました。


実は、この山田小学校を探すのが一苦労。
ネットで調べても、山田小学校の事は繁昌小学校と一緒に廃校になった事しか分からない。
何処に在ったのか? 現在はどうなっているのか?
現地(行方市北浦町山田)近辺でご老人に聞けばいいや...............
と思っていたら、それなりに暑い日。 昼前で歩いているご老人が居ない!
って言うか、老人どころか歩いている人が居ない...............

結局、困った時の役所。
行方市の北浦支所にお世話になりました。
しかし、市役所の職員の方も若い方が多く、昭和30年代の事は分からない。
職員OBの方に電話で確認して頂き、なんとか辿り着くことが出来ました。


で、辿りついたのがこちら。

      20160701山田小学校01

旧・北浦村立山田小学校の入口(正門)。



現在、山田小学校跡は北浦幼稚園となっています。

      20160701山田小学校02



さすがに、幼稚園、保育園の類いは敷地内には入れません。
ましてや、犬連れだから余計に気を使います。


フェンスの境界から中を覗き込みますが、
『安心して下さい。怪しい者ではありません(笑)』

      20160701山田小学校08


      20160701山田小学校07


フェンス越しに園庭(校庭跡)を確認します。

往時のモノか否か?
判別はできないけれど、遊具類。

      20160701山田小学校05


      20160701山田小学校06


隣接する八坂神社側からだとフェンスが無いので
敷地内にはいれそうですが、平日の午後。
ちょうど幼稚園児もお昼寝の時間でしょう。

さすがに敷地内に入って行く勇気はありません。
今日が日曜日だったら良かったのに...............。

      20160701山田小学校03


とは言いながらも遊具類は気になるのでしっかりカメラに収めます。

      20160701山田小学校04

こちらの遊具は、いかにも幼稚園って感じだから
後から設置されたモノでしょう。



廃校跡地にはお約束(?)とも言える消防倉庫。

      20160701山田小学校09

敷地の端にしっかりと在りました。


      

裏手に回れば、幼稚園の駐車場。

校庭跡より一段高くなっているから、かつての校舎跡でしょう。

      20160701山田小学校10


      20160701山田小学校11



更地になって砂利が敷かれているけれど
明らかな削平地。なだらかなスロープで校庭に降りられる。
いかにも校舎跡って感じです。

      20160701山田小学校12



スロープ脇には3本の国旗掲揚ポール。

      20160701山田小学校14

幼稚園で国旗を掲げる事ってそんなに無いと思うので
山田小学校時代の遺構じゃないのかな?



このアングルが、校庭跡=学校跡って感じがするから
一番のポジションかもしれない。

      20160701山田小学校13



敷地内をじっくり探索出来なかったから、遺構が確認出来ませんでした。
まぁ、見た感じ、廃校記念碑や二ノ宮像も無さそうだし...............。

正直、廃校から53年の月日が経ち、ネットで調べても
ほとんどヒットしない北浦村立山田小学校。
見つける事が出来て良かったと思うことにしよう。



2016/07/21 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit