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び・び・びのびいすけ

廃校を訪ねて............... 野口小学校 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

常陸大宮市の廃校ツアー、その第三弾は...............常陸大宮市立野口小学校



野口小学校は、

明治6年      野口平村に野口平小学校を創設。
同  年      野口村に野口小学校を創設。
明治10年     野口小学校を旧・時雍館跡に移転。
明治18年     野口小学校を村上宿に移転。
明治19年     野口尋常小学校と改称する。
明治23年     野口平小学校を野口尋常小学校に併合して
           野口尋常小学校分教場と改称する。
明治24年     野口尋常小学校を佐伯神社隣に移転。
明治31年     野口尋常高等小学校と改称する。
昭和22年     学制改革により、野口村立野口小学校と改称する。
昭和30年     伊勢畑村と野口村が合併し、御前山村が発足。
           御前村立野口小学校と改称する。
昭和40年     現在地に移転。
平成16年     山方町、美和村、緒川村とともに、大宮町と合併して常陸大宮市発足。
           常陸大宮市立野口小学校と改称する。
平成21年     野口小学校、伊勢畑小学校、長倉小学校が合併して御前山小学校が誕生。
           野口小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、野口小学校の正門。

      20170912野口小学校01



表札の残された門柱。

      20170912野口小学校02



現在、野口小学校跡は常陸大宮市教育支援センターとして活用されているようです。

      20170912野口小学校03



敷地内に入って、すぐ目に止まる立派な碑。

      20170912野口小学校04



閉校記念碑です。

      20170912野口小学校05

裏側には詳しい沿革が刻まれていました。



こちらが、校舎。

      20170912野口小学校06


校舎は2棟あり、こちらの校舎は現在、使われていないようです。

      20170912野口小学校07



立派な時計も正しい時刻を指していない。

      20170912野口小学校08



こちらが、もう1棟の校舎。

      20170912野口小学校09



こちらは、庇に新たな看板が掲げられています。

      20170912野口小学校10



校舎前の一角。

百葉箱を発見。

      20170912野口小学校11



遊具も数台残っていました。

      20170912野口小学校12


      20170912野口小学校13



経緯度標。

      20170912野口小学校14

野口小学校の緯度・経度が示されています。



茂みの中に二ノ宮像を発見。

      20170912野口小学校15


      20170912野口小学校16



野口小学校の地は、江戸時代の水戸藩の郷校である時雍館の跡でもあります。

      20170912野口小学校17

郷校とは、藩が設けた庶民のための学問所で、
水戸藩では文化元年(1804)、小川(現:小美玉市)に稽医館を開校したのを初めとして、
安政4年(1857)開校の馬頭郷校まで15校が開設されました。
歴代藩主の中でもとりわけ第9代藩主 徳川斉昭は教育に力を注ぎ、
藩士とその師弟の教育機関として藩校「弘道館」を創設し、
また領民の教育機関として郷校を積極的に設立しました。その中の1校が時雍館でした。

      20170912野口小学校18


      20170912野口小学校19

そう言った意味で言えば、この地はこの地区の教育野口発祥の地でもある訳です。



校舎裏には体育館。

      20170912野口小学校20



体育館に隣接しているのは幼稚園跡。

      20170912野口小学校21

地方の小学校には、幼稚園や保育園が併設されている事が多い。
そして、小学校と同時期に廃園になる事が多い。



校庭を覗き込むと、校庭の先に靄(?)がかかっている。

      20170912野口小学校22

ちょうど那珂川の辺りに靄が発生しているようです。



使われなくなった朝礼台。

      20170912野口小学校23

いい感じで赤茶の錆が浮いている。


ボールの的当て。

      20170912野口小学校24

穴が開いてるし...............(笑)



この時点では、まだまだ曇り空。

      20170912野口小学校25

朝の7時過ぎだけど、何となく暗い。


那珂川の霞? はたまた靄?
なかなか晴れてはくれそうもない。

      20170912野口小学校26


      20170912野口小学校27

校庭の隅に立つこの木は、きっとシンボルツリーだったのだろう。


歴史のある小学校が、歴史のある地で
数年前に静かに幕を降ろしたんですね..............................。




2017/10/05 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 大場小学校 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

常陸大宮市と言えば、平成16年に大宮町、山方町、美和村、緒川村、御前村が合併して
常陸大宮市が誕生しましたが旧・町村時代の廃校を含めると
30校近い小学校の廃校があります。

題して常陸大宮市廃校ツアー、
その第二弾...............常陸大宮市立大場小学校


大場小学校は、

明治8年      石山小学校出張所を小野村に設置。
           同時期に三美村に三美小学校を創立
明治22年     小場村・小野村・三美村が合併し大場村が誕生。
明治41年     大場第二尋常小学校と大場第三尋常小学校を合併して、
           大場第二小学校を創立する。
大正8年      大場第二尋常高等小学校と改称。
同  年      大場尋常高等小学校と改称する。
昭和22年     学制改革により、大場村立大場小学校と改称する。
昭和30年     大宮町、玉川村、大場村、静村の一部、世喜村の一部が合併して大宮町となる。
           大宮町立大場小学校と改称する。
平成16年     大宮町、山方町、美和村、緒川村、御前村が合併して常陸大宮市となる。
           常陸大宮市立大場小学校と改称する。
平成25年     大宮西小学校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、大場小学校の正門です。

      20170914大場小学校01



誇らし気に、大場小学校の表札が掲げられています。

      20170914大場小学校02



正門の先には、閉校記念碑。

      20170914大場小学校03


      20170914大場小学校04



大場小学校の校舎。

      20170914大場小学校05


      20170914大場小学校06


      20170914大場小学校07


      20170914大場小学校08



廃校から4年。
校舎にある時計の時刻は、かなりズレている。

      20170914大場小学校09



玄関の庇に掲げられた校章。

      20170914大場小学校10



現在、大場小学校の校舎は『泉坂下遺跡』の調査事務所として使われています。

      20170914大場小学校11


さらには、『ひたまる25』と言うスポーツ施設として活用されています。

      20170914大場小学校12



校庭には、あるべきはず(?)の遊具がない。

      20170914大場小学校17


さほど広くはない校庭ですが、何となく広く感じたりもします。

      20170914大場小学校18




校庭の隅っこに怪し気な建物。

      20170914大場小学校13



正面に回ってみるとJAの施設のようです。

      20170914大場小学校14

この施設の中で栽培をしているようです。



校舎前の碑。
『 たくましく 豊かな子 』

      20170914大場小学校15

子供たちには、そう育ってもらいたいモノです。



花壇はきちんと植栽されて管理されているようです。

      20170914大場小学校16


      
      

校舎の裏側回ってみます。

      20170914大場小学校19

昭和3年に建てられた校舎。
正面から見ると立派に見えるが、裏手に回るとそれなりの古さを感じます。



こちらが体育館。

      20170914大場小学校20

この体育館が『ひたまる25』として活用されているようです。


校歌を用いたオブジェ。

      20170914大場小学校21



卒業製作の一品でしょうか?

      20170914大場小学校22



朝日に映ゆる御前山...............

そんな歌詞を目にすると、かつてはこの辺りが大場村で
御前山村は隣だったはず...............
でも、この地から那珂川の対岸にある御前山はランドマーク的な存在だったのでしょう。


2017/10/04 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 小場小学校 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

個人的な連休初日。

最近、歳のせいか?
遠出をした翌日はゆっくりしたい!と言う願望が強く
連休初日に遠出をして、翌日はゆっくり休む。
そんな行動が理想的だと思うようになりました。

そんな訳で、この日は茨城県の常陸大宮市に出かけました。


茨城県の常陸大宮市は、廃校の宝庫。
平成16年に大宮町、山方町、美和村、緒川村、御前村が合併して常陸大宮市が誕生しましたが
旧・町村時代の廃校を含めると30校近い小学校の廃校があります。

題して、常陸大宮市廃校ツアー。
その最初となる廃校は...............常陸大宮市立小場小学校



小場小学校は

明治6年      小場村に小場小学校が創立される。
明治22年     小場村・小野村・三美村が合併し大場村が発足する。
           大場尋常高等小学校となる。
明治26年     大場第一尋常小学校となる。
大正8年      小場尋常高等小学校と改称する。
昭和22年     学制改革により、大場村立小場小学校と改称する。
昭和30年     大宮町、玉川村、大場村、静村の一部、世喜村の一部が合併して大宮町となる。
           大宮町立小場小学校と改称する。
平成16年     大宮町、山方町、美和村、緒川村、御前村が合併して常陸大宮市となる。
           常陸大宮市立小場小学校と改称する。
平成22年     村田小学校に統合され廃校となる。


と、このような沿革となっています。



こちらが小場小学校の正門。

      20170914小場小学校01



廃校から7年。
門柱には、まだ小場小学校の表札が掲げられています。

      20170914小場小学校02



現在、施設を流用して学童保育園が運営されています。

      20170914小場小学校03



以前は別な場所に在ったようですが、
こちらに移転してきたのが平成2年。
その時に、この門柱は建てられたモノのようです。

      20170914小場小学校04



門柱脇の茂みの中に在った小場小学校跡の碑。

      20170914小場小学校05




いわゆる廃校記念碑。
表側には校歌。

      20170914小場小学校06



裏面には沿革が刻まれています。

      20170914小場小学校07



敷地内に入り、緩やかな坂を上がって行くと、視界には体育館が入って来ます。

      20170914小場小学校08


体育館の隣が校舎。

      20170914小場小学校09


      20170914小場小学校10


      20170914小場小学校11



朝の7時前だけど、既に数台の車があります。

      20170914小場小学校12

別に悪い事をしている訳でなく、単純に見学をしているだけですが
犬連れだとどうしても気が引けてしまいます。



校舎の前に建つ、小場小学校の校訓の碑。

      20170914小場小学校14

『 健康 』『 勤勉 』『 協和 』


裏面には、碑を建立した際の協賛者の一覧。

      20170914小場小学校13

いわゆる、寄付をされた方々ですね。



校庭は一段下がった場所になります。
      
      20170914小場小学校15



校庭から眺める校舎。

      20170914小場小学校16



広い校庭には、遊具さえも残っていない。

      20170914小場小学校17



逆に何も無いから、かえって広く感じてしまうのか?

      20170914小場小学校18



廃校記念碑は在ったものの、二ノ宮像も無いし
広い校庭には遊具さえも無い。
学童保育園になっているものの、校庭で遊ぶ児童は居ないんだろうか?
そんな事を思いながら、この地をあとにするのでありました...............。



2017/10/03 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

ペニーレイン つくば店 (2017年6月26日)(茨城県つくば市) 

6月27日 公休日

この日は、朝早くから茨城県の桜川市に出かけていました。

廃校を巡ったり、茨城百景の碑を探していたり...............
気が付いたら時刻は14時近くになろうとしている。
考えたら、朝ご飯はコンビニおにぎりで済ませたけれど
お昼ご飯をどうしよう?

とは言いつつも、磯部や岩瀬辺りのお店も知らないし
流石にコンビニおにぎりやコンビニ弁当は2回も続くのは芸がない。

車を飛ばせば、1時間でつくばに行ける。
つくばと言えば、あそこでしょう?

と言うことで、向かった先は...............PENNY LANE つくば店



      20170629 ペニーレイン01


      20170629 ペニーレイン02



PENNY LANEに来るのも久しぶり。

ペット同伴可の店内に入ろうとしたら、
お客が誰も居ない。

      20170629 ペニーレイン03

一瞬、定休日かと思いました。


どうやら、5月の中旬あたりから、芝生の養生のために
6月末まで、ドッグランを閉鎖しているらしい。
そのせいか?
平日の15時。

食事時間は過ぎても、teaタイム。
午後のひとときを過ごす人もいないようです。

      20170629 ペニーレイン04


ちょっと遠慮がちに、店内のど真ん中のテーブルを陣取ります。

      20170629 ペニーレイン05



オーダーは決めて(決まって)いますが、
一応、メニューのチェックを致しましょう。

      20170629 ペニーレイン06



やっぱり、いつものハンバーグ(笑)。

      20170629 ペニーレイン07



びいすけ には、ワンちゃんケーキをオーダーしました。

      20170629 ペニーレイン08



父さんの頼んだハンバーグよりも先に
びいすけ のケーキが運ばれて来ました。

ケーキを見たら、テンションハイな びいすけ 。

『頂戴!』のポーズ。

      20170629 ペニーレイン09



ケーキに飛びつく びいすけ 。

      20170629 ペニーレイン10



父さんのパンが運ばれて来ました。

      20170629 ペニーレイン11



続いて、ハンバーグの登場。

      20170629 ペニーレイン12


      20170629 ペニーレイン13


ライスは地元の北条米。

      20170629 ペニーレイン14

これまた旨し。
お代わりも自由だから、ライスもパンもお代わりしちゃいました。
美味しく完食いたしました。




ハンバーグの付け合わせの人参。

      20170629 ペニーレイン15



デミグラスソースのない所を選んで、びいすけ に...............

      20170629 ペニーレイン16

ケーキだと思って食べる びいすけ 。



『ゴメン、ゴメン。』

今度はちゃんとケーキをあげましょう。

      20170629 ペニーレイン17



身を乗り出して、ケーキに飛びつく びいすけ 。

      20170629 ペニーレイン18



行儀は良くないけれど...............

細かくなってスプーンですくいづらくなって来たから
皿ごといっちゃう?(笑)

      20170629 ペニーレイン19


      20170629 ペニーレイン20

あっと言う間に、お皿は綺麗になってしまいました(笑)。


ご馳走様でした。
一人と一匹、大変満足させていただきました。








2017/07/22 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景 謡曲桜川の桜と富谷観音 《名勝 桜川 》《 磯部桜川公園》(2017年6月26日)(茨城県桜川市) 

6月26日 公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。

桜川市には、『茨城百景 謡曲桜川の桜と富谷観音』と言う景勝地があります。

とりあえず、富谷観音 には足を伸ばしてみたから
これにて完了! と思っていたら、どうやら富谷観音よりも
『桜川』の方が景勝地としては秀でたものがあるようで
『名勝 桜川』と言われるほどだから、素通りは出来ません。
ましてや、茨城百景の碑もあると言う。

と言う事で訪れたのは...............名勝 桜川


『名勝 桜川』は,茨城が誇る桜の名所です。
桜川の桜は,「西の吉野,東の桜川」と並び称されるほど有名で、
平安時代にはすでに多くの人に知られていたそうです。
中でも磯部桜川公園では、天然記念物に指定された11種類の貴重な桜に出会えるそうです。
桜川の桜は、東北産の白山桜が中心で、梅鉢桜・桜川匂・薄毛桜・白雲桜・初見桜・樺匂
青桜・青毛桜・源氏桜・大和桜・初重桜などがあるそうです。
また、水戸藩藩主の水戸光圀公は、水戸の川沿いに桜川のサクラを移植し、
その川を「桜川」と名付けるほど,「桜川のサクラ」がお気に入りだったようです。

室町時代に世阿弥元清が著わした謡曲「桜川」は、
この桜川沿岸の悲話から題材をとったものと言われています。
人買いの手に渡った我が子を探し求めてこの地に来た母が、
磯部寺の僧の弟子になっていた我が子と巡り会う、という話で、
この磯部寺は磯部神社の境内にあったと伝えられています。
水戸光圀公や笠間藩主牧野貞喜らも桜川に度々訪れており、
光圀はこの桜を水戸へ移植して、そばの川を桜川と名付けたという逸話が残されています。
また、将軍・家綱は隅田川堤へ、将軍・吉宗は小金井堤へ桜川の桜を移植させたそうです。




こちらが、『磯部・桜川公園』

      20170626 名勝 桜川01

すなわち、名称 桜川 の地です。


公園入口近くに、立派な説明板。

      20170626 名勝 桜川02



それなりに広そうな公園だから、案内板でしっかりチェック致しましょう。

      20170626 名勝 桜川03



陽射しが強くなって来たけれど、頑張って散策してみましょう。

      20170626 名勝 桜川04



おっと、その前に水分補給も忘れずに。

      20170626 名勝 桜川05



桜の名所だけあって、桜の木が多い。

公園内の遊歩道の両脇にも桜の木があり
生い茂った桜の葉が、適度な日除けとなってくれます。

      20170626 名勝 桜川06



石碑を発見!

こちらは、旧・岩瀬町に住んでいた女流歌人 植田多喜子氏 の歌碑のようです。

      20170626 名勝 桜川07


公園内は芝生の養生をしているのか?
場所によってはロープが張られ、立ち入り出来ない箇所もあるけれど
芝生は、かなり気持ち良さそう。

      20170626 名勝 桜川08



芝生に腹ばいになる びいすけ 。

      20170626 名勝 桜川09



嫌な予感を感じた瞬間...............

お得意のローリングが始まりました。

      20170626 名勝 桜川10


      20170626 名勝 桜川11

『うげっ! うげっ!』と奇声を発しながら
気持ち良さそうに、芝生の上をのたうち回る びいすけ 。



さて、散策を続けましょう。
この公園内のどこかに茨城百景の碑があるはず...............

      20170626 名勝 桜川14



茨城百景の碑を探していたら
こんなモノが目にとまりました。

      20170626 名勝 桜川16

オッ! オリエンテーリングのポスト。
この磯辺・桜川公園もオリエンテーリングのコースの一部になっているんですね。


しばらく進むと、視界に石碑が入って来ました。

      20170626 名勝 桜川15


      
数日前の『富谷観音』の記事に載せてしまいましたが
茨城百景 謡曲桜川の桜と富谷観音 の碑です。

      20170626茨城百景 富谷観音20


包括地の 磯部月山寺 も記されています。

      20170626茨城百景 富谷観音21

茨城百景の地に百景の碑が建つ。
これがまさしく王道。
離れた地に石碑を建てても意味が無いはず。



さらに、公園内(名勝 桜川)の散策を続けましょう。

      20170626 名勝 桜川17



ロープで規制された芝生広場に入ります。

      20170626 名勝 桜川18



新たな石碑発見!

      20170626 名勝 桜川19


大正13年に当時の内務省に認定された 『名勝 桜川』の碑。

      20170626 名勝 桜川20



そして、名勝 桜川 の碑の傍らには、石倉翠葉の句碑。

      20170626 名勝 桜川21

明治時代の俳人・文学者で、岩瀬町出身の石倉翠葉は、
当時衰退の危機にあった「桜川のサクラ」を再興しようと、
弱冠20歳にして『櫻川事蹟考』を出版して、「桜川のサクラ」の顕揚に尽力しました。

石倉翠葉による『櫻川事蹟考』の出版と、そのための調査が礎となり、
大正時代になると史跡名勝天然記念物調査員が桜川の調査に訪れます。
桜川には大変貴重な桜が多いことから、大正13年「名勝桜川」として国の指定を受けることとなりました。

この句碑は、桜川の名勝、特別天然記念物の指定を受けることに
結果的に貢献した石倉翠葉の功績を讃えるモノなんですね。



芝生広場には、多くの桜があります。

      20170626 名勝 桜川22



この桜の1本、1本が貴重なモノなんですね。

      20170626 名勝 桜川23



立ち入りをロープで規制している理由がわかりました。

      20170626 名勝 桜川24


春になれば、素晴らしい光景になるんでしょう。


今は葉桜だから、感動も盛り上がりも今一歩なんですけどね...............

      20170626 名勝 桜川25


さて、名勝 桜川もそれなりに堪能出来たから
そろそろ遅くなったお昼ご飯にでもしましょうか...............?


2017/07/21 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............岩瀬小学校富谷分校(2017年6月26日)(茨城県桜川市) 

6月26日 公休日

この日は、茨城県桜川市に出かけました。

富谷観音で知られる富谷山の麓に、昭和59年に廃校になった分校があります。
その分校は...............旧・岩瀬町立岩瀬小学校富谷分校



富谷分校は
明治7年に富谷村に創設された富谷小学校がその祖とされているようです。

明治19年に近隣の3校(富谷、亀岡、門毛)が統合され、南飯田小学校となる。
明治22年市町村自治制により村名改正し、南飯田小学校は北那珂尋常小学校と改称する。
明治23年富谷分教場を設置。
明治26年北那珂尋常高等小学校富谷分教場と改称する。
昭和22年学制改革により、北那珂村立北那珂小学校富谷分教場と改称する。
昭和30年町村合併により、岩瀬町立南飯田小学校富谷分校と改称する。
昭和50年南飯田小学校から岩瀬小学校に移籍され岩瀬町立岩瀬小学校富谷分校と改称する。
昭和60年本校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。
(南飯田小学校HP、岩瀬小学校HPより参照)

本校が変わる分校とは珍しい。



こちらが、富谷分校の正門。

      20170626 富谷分校01

残念ながら、門柱には表札が残っていませんでした。



分校跡地は、現在『富谷生活改善センター』と言う名称の
地域のコミュニティセンターとして活用されているようです。

      20170626 富谷分校02

残念ながら校舎も解体され、新しい建物に変わっています。



建物の隣には、立派な石碑。

      20170626 富谷分校03

生活改善センターの建設記念碑ですが、碑文には富谷分校について触れています。


こちらの碑文では、富谷分校の開設が明治29年となっています。
南飯田小学校のHPとは、開設時期が違うようですね。


それよりも驚いたのは、碑に立てかけられた朽ちた標柱。

      20170626 富谷分校04

富谷城址の標柱です。

ひょっとして、ここが富谷城址の中心部?

実は、この後に富谷城址にも行く筈だったんですが
調べていた富谷城址の位置は間違っている?
これは、一度じっくり調べ直そう。



校庭に残る僅かな遊具類。

      20170626 富谷分校05


      20170626 富谷分校06


      20170626 富谷分校07



なぜか、遊具(ブランコ)の脇に一対の門柱。

      20170626 富谷分校08



明らかに門の位置じゃないし。

      20170626 富谷分校09

別な場所(裏門)にでも在ったモノを移設したんでしょうか?



校庭に設置されたバスケットゴール。

      20170626 富谷分校10

この錆具合いが歴史を感じさせます。



生活改善センターの建物が建っている辺りに校舎が在ったのでしょう。
校庭も分校という割には狭くはない。

      20170626 富谷分校11


      20170626 富谷分校12


お約束とも言える、敷地内に建つ消防倉庫。

      20170626 富谷分校13



校舎の裏手は一段高くなっていて、城塁に見えなくもない。

      20170626 富谷分校14



その高台へと向かう導線は、まるで郭へと続く虎口のようにも見える。

      20170626 富谷分校15


やっぱり、ここが富谷城址の中心部なんだろうか?


かつての城郭が役所や学校の敷地になるって言うパターンも多いからねぇ。
ちょっびり、いや、かなり気になります.................(笑)



2017/07/20 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

関東の富士見百景  《 富谷山ふれあい公園 》 (2017年6月26日)(茨城県桜川市) 

6月26日  公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。


富谷観音の近くには、富谷山ふれあい公園があります。

富谷山ふれあい公園は、約40本の八重桜(ぼたん桜)が植樹されていて、
ソメイヨシノの開花が終わる頃から入れ替わるように咲始め、
4月中旬~下旬頃に見頃を迎えるそうです。
また富谷山ふれあい公園は、高台にあるため市内を一望することが出来、
天気の良い日には、富士山も望むことが出来るそうです。
その眺望から国土交通省の選定した「関東の富士見百景」に選ばれてます。


さて、その関東の富士見百景ですが、
平成17年に、国土交通省関東地方整備局が主催して選定した、
富士山への良好な眺望が得られる128景233地点です。

関東と言いながらも、信越地方の長野県が入っていたり
百景と言いながらも、128景233地点と100以上だし...............

とは言いながらも、実は「関東の富士見百景」も追いかけていたりする。
でも、なぜか富士山とは相性が悪く富士見百景に来ても、
まともに富士山が見えたことがないことが多い。

この日も朝から曇り空。
つくば市辺りで小雨に降られ、
小雨も止み、晴れ間が広がったものの、西方向は雲が厚い。

期待はしないけど、せっかく「関東の富士見百景」の地の近くに居るんだから
立ち寄らないわけには参りません。


富谷観音からも歩いて行けそうなので
頑張って歩きましょう。

      20170226富谷山ふれあい公園01


      20170226富谷山ふれあい公園02



アスファルトの上り坂を歩きます。

      20170226富谷山ふれあい公園03


アスファルトの道の終点が富谷山ふれあい公園。

芝生の綺麗な公園です。

      20170226富谷山ふれあい公園04



芝生を闊歩する びいすけ 。

      20170226富谷山ふれあい公園05

何となく嫌な予感。


と、思ったら予感的中!

芝生でローリングする びいすけ 。

      20170226富谷山ふれあい公園06


      20170226富谷山ふれあい公園07


      20170226富谷山ふれあい公園08



思い切り転げ回って満足したのか?
再び、芝生広場を闊歩する びいすけ 。

      20170226富谷山ふれあい公園09


      20170226富谷山ふれあい公園10


      20170226富谷山ふれあい公園11



芝生広場の奥には四阿。

      20170226富谷山ふれあい公園12



そして、四阿の先にはお目当の石碑。

      20170226富谷山ふれあい公園13

これぞ、『関東の富士見百景の碑』

石碑にはプレートが埋め込まれています。

      20170226富谷山ふれあい公園14

このプレートを探しに来たと言っても過言ではない。


予想通り...............
富士山方向の雲が厚く、富士山は見えない。

      20170226富谷山ふれあい公園15

まあ、想定の範囲です。



この場所は景観に長けている場所の証し。

こんなモノも設置されています。

      20170226富谷山ふれあい公園19


      20170226富谷山ふれあい公園16


足を指定された方向にしてこの場所に立てば...............


目の前には筑波山。

      20170226富谷山ふれあい公園17



そして、こちらが吾国山。

      20170226富谷山ふれあい公園18


      

別方向にも、同じようなモノが...............

      20170226富谷山ふれあい公園20



こちらは、富士山の位置を示していましたが
残念ながら厚い雲。

      20170226富谷山ふれあい公園21



額にうっすら汗をかくくらいに、陽射しが当たるようになって
茨城県南部は良い天気になったんだけどねぇ。

      20170226富谷山ふれあい公園22


      20170226富谷山ふれあい公園23


芝生広場から富谷観音に戻る途中に展望台があるらしい。
せっかくだから、展望台に向かいましょう。

      20170226富谷山ふれあい公園24



こちらが展望台。

      20170226富谷山ふれあい公園25



馬鹿と煙は高い所に上りたがる。

      20170226富谷山ふれあい公園26

さあ、びいすけ。
上ろうか?(笑)


こちらが展望台最上部。

      20170226富谷山ふれあい公園27



富谷山の高い所に在る展望台だから、かなり景観は良い。

      20170226富谷山ふれあい公園28

おそらく、富谷山で一番の景観の場所でしょう。



残念ながら、こちらでも 富士山は見えません。

      20170226富谷山ふれあい公園29


一応、270mmのズームにしても
見えないモノは見えない!!

      20170226富谷山ふれあい公園30


筑波山はバッチリなんだけどね。

      20170226富谷山ふれあい公園31



まあ、関東の富士見百景の地を訪れて、まともに富士山を拝めることが出来たのは
皆無という言っていい程だから、コレも日頃の行いのせい?


いつか、カラッと晴れた快晴で、雲ひとつ無い空の下
雄大な富士山を眺めてみたいものです。



2017/07/19 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............坂戸小学校大泉分校(2017年6月26日)(茨城県桜川市) 

6月26日 公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。


桜川市の廃校巡り。
その第4弾は...............旧・岩瀬町立坂戸小学校大泉分校 です。



こちらが、大泉分校の正門。

      20170626大泉分校01


      20170626大泉分校02



石造りの門柱には大正4年建立と刻まれています。

      20170626大泉分校03


      20170626大泉分校04



門柱が残っている大泉分校ですが、校舎は解体され、
その跡地には新たな建物が建てられ、
現在は『大泉農村集落センター』として活用されています。

      20170626大泉分校05



正門脇には、大泉分校跡地の碑。

      20170626大泉分校06


平成10年に、分校が廃校となって15年となり地元の有志がこの碑を建立したらしい。

      20170626大泉分校07



碑の裏面には沿革も刻まれています。

      20170626大泉分校08



その記載によれば...............


明治7年大泉村金性寺に富谷小学校大泉分教場が設置される。
明治9年大泉小学校として独立する。
明治19年飯岡尋常小学校と合併し、飯岡尋常小学校大泉分教場となる。
明治23年村名変更により西那珂尋常小学校大泉分教場と改称する。
明治25年西那珂第一尋常小学校大泉分教場と改称する。
明治26年西那珂尋常高等小学校大泉分教場と改称する。
大正14年町制施行により、岩瀬尋常高等小学校大泉分教場と改称する。
昭和21年学制改革により、岩瀬町立岩瀬第一小学校大泉分教場と改称する。
昭和30年町村合併により、岩瀬町立坂戸小学校大泉分校と改称する。
昭和58年本校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。



廃校から34年。
校庭には往時のモノと思われる遊具も残されています。

      20170626大泉分校09


      20170626大泉分校10


      20170626大泉分校11




何気なく校庭の一角に足を向けると、そこにも校門が在りました。

      20170626大泉分校12


こちらの門柱には、分校名の入った表札が残っていました。

      20170626大泉分校13

ひょっとしたら、こちらが正門だったかもしれませんね。



その門柱の脇には、お約束の消防倉庫。

      20170626大泉分校14



こちらは、往時のシンボルツリー?

      20170626大泉分校15



校庭跡。

      20170626大泉分校16


おそらく、近隣の子供たちの遊び場になっているのだろうけれど、
少子化の時代。その子供たちもこの地域には居るのだろうか?

      20170626大泉分校17


独立した小学校としては、10年の歴史しかなく
ほとんどが分校として子供たちを見守り、学び舎として送り出した大泉分校。

100年以上の歴史のある分校でした...............。




2017/07/17 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............坂戸小学校下泉分校(2017年6月26日)(茨城県桜川市) 

6月26日 公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。


桜川市の廃校巡り。
その第3弾は...............旧・岩瀬町立坂戸小学校下泉分校 です。


下泉分校も、全く詳細不明。
坂戸小学校のHPの沿革に、長方分校、大泉分校と一緒に
昭和58年に本校である坂戸小学校に統合されて廃校になりました。

設立時期はおろか、その所在地も分かりませんでした。

300を超える廃校、旧校地巡りをした経験から
公民館とかコミュニティセンターに当たりをつけ、
下泉公民館が学校跡地と予想して訪ねてみましたが、大ハズレ。

たまたま自転車で通りかかった農家のオバちゃんに尋ねたら、
全く別な場所を教えてくれました。


こちらが、下泉分校跡地。

      20170626下泉分校01

石造りの門柱がしっかり残っていました。


正門前がスクールバス乗り場になっているようです。

      20170626下泉分校02



門柱には往時の表札がしっかり残っています。

      20170626下泉分校03



門柱の裏側には建立時期が刻まれていたようですが
文字が風化して判読出来ません。

      20170626下泉分校04



敷地内には、小ぶりな木造の建物。

      20170626下泉分校05

てっきり往時の校舎かと思っていたら、隣に住む方に訊いてみたら
校舎を取り壊した後に建てたモノらしい。

特に名称は無いようで、選挙の時に投票所として利用されているらしい。



校門の脇には桜の木。

      20170626下泉分校06


そして桜の木の下には、オブジェの残骸?

      20170626下泉分校11

ひょっとしたら、二ノ宮像の台座だったのかな?



こちらは、校庭端のシンボルツリー。

      20170626下泉分校07


      20170626下泉分校08



シンボルツリーの下は雑草に覆われ、こんな残骸も顔を覗かせています。

      20170626下泉分校09

『なかよし』と言うことは、子供な像が乗っていたのでしょうか?


こちらも残骸。
ひょっとして、像の足の基台部分?

      20170626下泉分校10


     
廃校記念碑も遊具もなく、どことなく駐車場にさえ見えてしまう校庭。

      20170626下泉分校12



詳しい沿革も分からない下泉分校ですが、
その存在は、分校跡としてしっかりと確認できました...............。



2017/07/16 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............坂戸小学校長方分校 (2017年6月26日)(茨城県桜川市) 

6月26日 公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。

桜川市を訪れた最たる目的は、桜川市の廃校巡り。
と言っても、平成17年に真壁町と岩瀬町と大和村が合併して誕生したのが桜川市。
その旧・岩瀬町域の廃校を巡ります。

桜川市の廃校巡りの第二弾。
旧・岩瀬町立坂戸小学校長方分校 です。



長方分校の詳しい沿革は不明です。
統合された本校である坂戸小学校のHPを見ても
昭和58年に、当時3校在った分校(長方分校、下泉分校、大泉分校)が
本校である坂戸小学校に統合されたと言う記述しかなく
創立時期等は不明です。



こちらが、長方分校跡。

      20170626長作分校01


廃校から既に34年。
校舎は解体され、新たに『長方南区中泉農村集落センター』の建物が建てられ
地域のコミュニティセンターとして活用されているようです。

      20170626長作分校02



何やら、 びいすけ が建物の1点に注視しています。

      20170626長作分校03



どうやら、縁台の下に猫がいるようです。

      20170626長作分校04



さほど大きな分校ではなかったようで、敷地もそんなに広くはない。
残念ながら門柱や二ノ宮像、遊具等の遺構も無い。

唯一、学校跡を彷彿させるのがこちら。

      20170626長作分校05



この場所に1983年にタイムカプセルを埋めたようですが
30年後の2013年に掘り起こしたようです。

      20170626長作分校06



学校とは関連なさそうな歌碑(句碑)。

      20170626長作分校07

作者もよく分からない。



廃校跡のお約束?
敷地の一角には、消防倉庫。

      20170626長作分校08



敷地をぐるっと囲む石垣は、分校時代のモノ。

      20170626長作分校09



廃校記念碑かと思ったら、農村集落センターの碑。

      20170626長作分校10



先ほどの猫が気になる びいすけ 。

      20170626長作分校11


あぶないから、上っちゃダメですよ。

      20170626長作分校12

そんな注意書きも、今やカスれて読めない。


石垣沿いに、スクールバスのバス停。

      20170626長作分校13

ここからスクールバスに乗って坂戸小学校に通っているんですね。


タイムカプセルを掘り起こして、開封してるしまっても
その場所に碑を残す。
何となく、卒業生のこだわりを感じた長方分校でした...............。






2017/07/15 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

ちょっと寄り道 (2017年6月26日)(茨城県桜川市) 

6月26日 公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。

桜川市の旧・大和村域にある西大和小学校青木分校をあとにして、
次なる分校を目指し、車で移動中に、JR水戸線の踏切手間で
こんな光景が視界に入って来ました。

      20170626ちょっと寄り道01

何やら、説明板も建てられ、何かの文化財のようです。


車を路肩の空き地に停め、チェックです。
(気になる説明板や標柱、石碑は素通り出来ない性格です。)(笑)


どうやら、二宮尊徳の偉業に顕彰碑が建てられた経緯が記されていました。

      20170626ちょっと寄り道02

要約すると...............

江戸時代の天保年間(1830年〜1844年)に荒廃した青木村を再建した二宮尊徳の偉業を讃えて、
明治31年にゆかりの地に村民たちが建立した碑です。


二宮尊徳って、二ノ宮(二宮)金次郎の事でしょ?
昭和の時代には、全国の多くの小学校には、
薪を背負い、歩きながら本を読む姿の二ノ宮像が建てられました。



二宮尊徳の事を調べてみると...............

二宮尊徳は、江戸時代後期の経世家、農政家、思想家です。

足柄平野の栢山村(小田原市)の比較的裕福な農家の長男として誕生しました。
幼少時から教養のある父に教育を受け、一方では優しい母の慈愛を存分に得て、幸せに育ちました。
しかし、不幸にして異常天候のため酒匂川の氾濫が度重なり、荒廃した田畑の回復もかなわず、
父母は心身疲労で相次いで死去、一家離散という事態に陥りました。

金次郎は伯父万兵衛の家に預けられますが、逆境にもめげず卓越した才能を発揮します。
作業の合間に、稲の捨て苗や菜種を空き地に植えて収穫し、
「積小為大(小を積んで大となす)」の経済原理を体得します。
そして、毎年その収益を増やして田畑を買い戻し、成人後間もなく「わが家の再興」に成功しました。

その後、その手法を生かし、発展させて近親者の家政再建、
若党として仕えた小田原藩家老服部家の財政の建て直し、
窮乏藩士救済のための金融互助組織「五常講」を設立、
さらに藩の年貢徴収用の斗枡の改良統一も達成します。
やがて、そのすぐれた発想と実践力が藩主大久保忠真から見込まれ、
財政難に苦しむ藩主の身内である旗本の野州(栃木県)桜町領の財政再建を託されます。

尊徳はこれを契機に村おこし、国づくりの仕事に邁進することになります。
桜町領再建は苦節10年の難事業でしたが、その成功はたちまち近隣の注目を集め、
諸領諸村からの仕法の要請が相次ぎ、復興事業や飢饉救済に多忙を極めます。
晩年には幕臣に取り立てられ、日光神領をはじめ一部幕府領の再建に総力をあげて取り組みますが、
かたわら優れた弟子たちを介して、諸家、諸領の復興指導も続けました。
安政3年、70歳でその生涯を終えるまで、報徳仕法の手ほどきを受けた地域は600か村に達したといわれています。



青木村(現:桜川市青木)は江戸時代初期から幕府領で、1708年(宝永5年)旗本川副氏の知行地となりました。
青木堰は古くから村の水田を潤してきた重要な施設でしたが、河川が急流であるため増水のたびに流され、
多大な改修費を要していました。
知行1500石余の小旗本であった川副氏は、やがて改修ができなくなり、
堰は壊れたまま放置されるようになりました。
その結果、水不足が慢性化し、米の収穫量は激減しました。

1831 年(天保2年)、青木村の名主である館野勘右衛門他37名は
村の救済を農政家である二宮尊徳に頼みました。
尊徳は、1833年(天保4年)、青木村復興事業の一つとして青木堰の建設に着手し、
元禄期に比べ工期も短く費用も半分以下に抑えるという他に例を見ない工法により青木堰を完成させました。



要するに、荒廃した青木村を二宮尊徳が再建したと言う事です。




この奥に顕彰碑があるようです。

      20170626ちょっと寄り道03

しかし、何故鳥居があるの?



こちらが、顕彰碑。

      20170626ちょっと寄り道04


      20170626ちょっと寄り道05

尊徳を祀る二宮神社が小田原とか、日光にあるから
顕彰碑が信仰の対象になっているのか?



小さな祠も数個在り、この地は信仰が厚い地なのかもしれない。

      20170626ちょっと寄り道06



道路沿いの、この一画だけが森のようになっていて
それらしい雰囲気がある。

      20170626ちょっと寄り道07


      20170626ちょっと寄り道08


      20170626ちょっと寄り道09



時代モノの赤錆びた遊具もあり、
昔から子供たちの遊び場でもあったようです。

      20170626ちょっと寄り道10



何やら、別な石碑を発見!

      20170626ちょっと寄り道11




よく見ると、『北関東自動車道開通記念碑』となっている。

      20170626ちょっと寄り道12

確かに、すぐ近くを高速道路が走っている。



高速道路建設にあたり、先祖代々から受け継いだ土地を提供した方の名が刻まれています。

      20170626ちょっと寄り道13

二宮尊徳の尽力によって豊潤な地と化した青木村でしたが
高速道路の建設で、仕方なく土地を手放した人もいるのでしょう。



それよりも個人的に気になったのが こちら 。

      20170626ちょっと寄り道14

コレって、オリエンテーリングのポストだよね?

っていうことは、この地区にオリエンテーリングのコースがある事になる。

今では、人気がなく、競技人口も少なくなってしまったオリエンテーリング。
過去(かなり昔の話ですが...............)何度かチャレンジしたけど、意外に楽しかった。
気軽に散歩、散策の延長として野山を駆け回ることになるから
びいすけ と、一緒に歩いたら楽しそう。

数年前から、そんなことを考えていました。


今年は、オリエンテーリングにもチャレンジしようかな...............?


2017/07/14 Fri. 14:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............大和西小学校青木分校跡 (2017年6月26日)(茨城県桜川市) 

6月26日 公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけ、滝を見たり
茨城百景の碑を探したり、
加波山の中腹にある花の入公園を散策したりしていますが
本来の目的は、桜川市の廃校巡り。

その、第1弾は...............旧・大和村立大和西小学校青木分校


桜川市は、平成の大合併で平成17年の10月に
旧・真壁町、旧・岩瀬町、旧・大和村が合併して誕生した市です。


青木分校についての情報は乏しく、ネットで調べても
昭和42年に本校である旧・大和村立西大和小学校に統合されて
廃校になりました。

詳しい場所も分からないから、とりあえず目星を付けて
あとは現地で確認です。
Google mapで、桜川市青木周辺の航空写真で
それらしい跡地を探します。
一応、候補らしきモノを見つけ、現地で確認です。

その内の一つ、青木農村地区センター。

      20170626青木分校06

見た感じ、それっぽい。
300校以上の廃校、廃校跡を見てきたから
ちょっぴり自信があったんだけど...............

なかなか人が通らない中、自転車に乗った初老の男性を発見!

青木分校の事を訊ねたら、思い切り違う場所だった。




青木農村集落センターから100ほど離れたJA倉庫がある場所が
旧・大和村立大和西小学校青木分校跡でした。

      20170626青木分校01



廃校舎を倉庫に利用しているわけではなく
思い切り、倉庫。

      20170626青木分校02




見たまんま、倉庫。

      20170626青木分校03



先ほどの初老の男性の話では...............

まだ、廃校になる前に青木分校は放火で焼失してしまったらしい。
分校を建て直す費用と生徒数のバランスを考えて廃校にしたらしい。

      20170626青木分校04



複雑な大人の事情で廃校になり、跡地にはJAの倉庫が建てられたと言うことです。

      20170626青木分校05




せっかく探し当てた青木分校跡ですが、
学校遺構は全く残っていないし、分校の面影も無い。
確かに有効活用されているようだが、廃校の経緯を聞いたから
何と無く後味が悪い。

せめて記念碑の1本も建っていれば
少しはまた違った印象になったと思うのですが...............

ちょっぴり不完全燃焼状態なのは残念です...............。



2017/07/14 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

花の入公園 (2017年6月26日)(茨城県桜川市) 

6月26日 公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。


旧・筑波鉄道の樺穂駅跡をあとにして、向かった先は...............花の入公園



花の入公園は、 加波山中腹の自然の地形を活かして造られた公園で、
芝生の広場、四阿、遊歩道、石彫モニュメント、アスレチックなどが整備されています。


だいたいの位置はわかっていたんだけど、ナビには載っていない。
(ホンダ車の純正ナビって、そう言う事が多いと思うのは私だけ?)
ちょっぴり迷いながらも花の入公園に無事到着です。

      20170626花の入公園01


公園案内図で散策路を確認します。

      20170626花の入公園02



1985年に開催された.『つくば科学万博』のタイパビリオン(タイ友好交流センター)が
移築され,自由に見学することができます。
このタイ友好交流センターは,タイ政府が友好記念として桜川市(旧・大和村)に寄付したもので、
異国情緒豊な建物が印象的です。

      20170626花の入公園03


      20170626花の入公園04


      20170626花の入公園05



こちらは、日タイ交流記念の碑。

      20170626花の入公園06


      20170626花の入公園07

旧・大和村の名誉村民である総合病院の院長の延島市郎さんは、
昭和39年までの5年間で73人のタイ人留学生の保証人を引き受けました。
その功績を讃え、日本とタイの友好の証しとして
延島氏の故郷である旧・大和村に建物が寄贈されたと言うことです。



花の入公園は、加波山の自然を生かした公園。
そんなに広くはないけれど、ちょっとした森林公園。
森の中の散策路もあり、軽散歩も出来ます。

      20170626花の入公園08


ロングリードを車の中に忘れちゃったけど、 びいすけ のペースで歩きましょう。

      20170626花の入公園09


      20170626花の入公園10


      20170626花の入公園11


      20170626花の入公園12



四阿も二ヶ所設置され、休憩も出来ます。

      20170626花の入公園13



何と言っても1番のオススメは、なだらかな斜面の芝生広場。

      20170626花の入公園14


      20170626花の入公園15



芝生にゴロリン。
背中をスリスリ。

      20170626花の入公園16

お気に入り(?)の芝生では、びいすけ の恒例行事?


ムクッと起き上がり、背中をプルプルプル〜ゥ。

      20170626花の入公園17



アスレチックっぽい遊具も設置され、小さな子供も遊べます。

      20170626花の入公園18



そして、石の町『真壁』のお膝元。
石造りの動物のモニュメントも多い。

      20170626花の入公園19


      20170626花の入公園20


      20170626花の入公園21


      20170626花の入公園22


      20170626花の入公園23


      20170626花の入公園24


      20170626花の入公園25


      20170626花の入公園26


つくば辺りで、降っていた雨も桜川市に来たら上がり
この花の入公園に来た頃には陽が射して来た。

梅雨の合間の晴れ?


お日様が顔を覗かせれば、気分も晴れてくる。

さてさて、桜川市の廃校巡りと行きましょう...............



2017/07/13 Thu. 16:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景 《 伝正寺と加波足尾 》②  (2017年6月26日)(茨城県桜川市) 

6月26日  公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。



昨年から始めた、『茨城百景』巡り。

百景の石碑を探しながら、景勝地を巡る...............
はたまた、景勝地を巡りながら、石碑を探す...............

実はこれが意外に楽しく、ハマってしまいました。


そもそも『茨城百景』とは、茨城県観光審議会によって昭和25年に選定されたモノで
茨城有数の景勝地が100ヶ所網羅されています。
いわゆる、昭和25年当時の茨城県下の景勝地になります。
当然、時代の移り変わりにより、形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。

ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。


以前、茨城百景 《 伝正寺と加波足尾 》の碑は、
桜川市にある筑波鉄道の廃線跡の旧・真壁駅跡で見つけましたが
(正確には、『茨城百景 伝正寺と真壁城址』の碑)
どうやら、お隣の駅にあたる旧・樺穂駅にも、茨城百景の碑があるらしいと言うことで
探しにやって来ました。



鉄道の線路(軌道)は撤去されていますが
ホーム跡は健在。

      20170626茨城百景 加波山②01

サイクリングロードになっていますが、
廃線のホーム跡の面影は残っています。



ホーム跡の木々の間の雑草の茂った辺りに石碑か在る?

      20170626茨城百景 加波山②02


曇り空(千葉から車でいどうちゅな雨が降ったりして天候は安定していない)で
薄暗い上に、木々に間でさらに暗い。

      20170626茨城百景 加波山②03



おまけにツタが絡まるように、石碑も雑草に覆われて見づらい。

      20170626茨城百景 加波山②04



近づいて確認すると、『茨城百景』の文字が確認できる。

      20170626茨城百景 加波山②05


加波山 足尾山 の文字も読める。

      20170626茨城百景 加波山②06



これが、『茨城百景 加波山 足尾山』の碑。

      20170626茨城百景 加波山②07


      20170626茨城百景 加波山②08


考えてみたら、旧・真壁駅は伝正寺に近く、
まだ自動車が普及していない昭和25年当時は
筑波鉄道が唯一の交通手段であり、
真壁駅前に『茨城百景 伝正寺』の碑を建てたのでしょう。

また、加波山は樺穂駅が最寄りの駅となるため
こちらに『茨城百景 加波山』の碑を建てたのでしょう。






ホーム跡から見える加波山。

      20170626茨城百景 加波山②09




ふと視界に入った、ホーム跡の雑草の中に小さな碑。

      20170626茨城百景 加波山②11

よく見ると、『かばほのさくら』と刻まれています。

樺穂の桜 と言う意味でしょう。


旧・筑波鉄道の駅跡には古い桜の木が多く残されている。

      20170626茨城百景 加波山②12


鉄道も無くなり、誰も訪れることも無くなった旧・樺穂駅跡。

忘れさられた桜の木々と、茨城百景の碑がポツンと残された姿は
やけに印象的でした...............





2017/07/13 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

白井不動の滝   (2017年6月26日)(茨城県桜川市) 

6月26日  公休日


この日は、茨城県桜川市に出かけました。

主たる目的は、桜川市(旧・大和村域、旧・岩瀬町域)の廃校巡り。
たまたま、前日の25日に雨が降っていたから、
わずかな期待を持って、桜川市(旧・真壁町域)にある 白井不動の滝
立ち寄ってみました。



こちらが、白井不動の滝への入り口。

      20170626白井不動の滝01

右手の下り坂を進みます。


白井不動の滝は民家のすぐ脇。

斜面に建てられたお不動さんのすぐ奥(裏手と言う表現が適切か?)の川が
一気に落ち込む形の滝となっています。

      20170626白井不動の滝02

他の方のHP等で拝見すると、このお不動さんのある場所も
個人の私有地になるらしい。



お不動さんの石段手前からは、こんな感じで流れ落ちる様が確認できます。

      20170626白井不動の滝03



橋を渡った先は、民家の庭先になってしまうので
橋の上から眺めてみましょう。

      20170626白井不動の滝04



肉眼では上手く確認出来ない。

      20170626白井不動の滝05



270mmの望遠にて。

      20170626白井不動の滝06



お不動さんへ向かう導線から見るのと、あまり変わらない。

      20170626白井不動の滝07



足元に気をつけながら、河原に降りてみます。


正面から。

      20170626白井不動の滝08

白井不動の滝は2段になっている俗に言う段瀑。
上下2段を合わせると約10mほどの滝。

この日は、水量が少なく、上段の滝がイマイチ確認しづらい。



やっぱり、滝も構図が重要。

      20170626白井不動の滝09


      20170626白井不動の滝10


      20170626白井不動の滝11


      20170626白井不動の滝12


この時点での時刻は7時30分頃。

平日の朝早く、民家の庭先近くの河原に
犬連れの怪しいオジさんが居る! と通報されるのも嫌だから
適度に切り上げます。



お不動さんのさらに上の台地には鳥居があって、祠もある。

      20170626白井不動の滝13


      20170626白井不動の滝14


こちらは、弁財天のようです。

弁才天は、もともと河川の神=水の神という性格があるため
水辺に祀られる事が多い。
こちらの弁財天もこの滝があるから、祀られたのかも知れない。


先人の方のHP等を拝見すると、水量はもっと有ったみたい。
雨の翌日で、ちょっぴり期待していたから、
水量か少なくて、ちょっぴり残念でした。




2017/07/12 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........紫尾小学校 酒寄分校  (2017年2月6日)(茨城県桜川市) 

2月6日  公休日

この日は茨城県の桜川市に出かけました。


羽鳥分校をあとにして、向かった先は...............旧・真壁町立紫尾小学校 酒寄分校


酒寄分校も、なかなか情報もなく、
詳しい沿革もわかりません。

ただ、不思議なのは旧・真壁町立紫尾小学校の分校でありながら
昭和55年に真壁小学校に統合されて廃校になっていますが、
本来なら、本校である紫尾小学校に統合されるのが
自然な成り行きだと思うんだけど...............


詳しい場所も分からず、車で酒寄地区を徘徊して(かなり徘徊しました。)
偶然(探していたから、偶然じゃないか?)視界に入ってきた風景。

      20170206酒寄分校01



そうです。紛れもなく酒寄分校の正門です。

      0170206酒寄分校02


背の低い門柱。

      0170206酒寄分校03


門柱には、古い表札が埋め込まれています。

      0170206酒寄分校04



もう片方の門柱には寄贈者の名が埋め込まれています。

      0170206酒寄分校05



校舎は解体されていて、跡形もない。

      0170206酒寄分校06


しかしながら、学校跡地の雰囲気は満載。

      0170206酒寄分校07


いかにも分校と言うコンパクトな敷地。
びいすけ も、はいポーズ☆パチリ。

      0170206酒寄分校08


      0170206酒寄分校09



バスケットボールのリング。

      0170206酒寄分校10

分校時代のモノでしょうか?



子供たちがボールをぶつけていたであろう板。

      0170206酒寄分校11



なぜか、校庭跡に転がっていたボール。

      0170206酒寄分校12



遊具として残っている鉄棒。

      0170206酒寄分校13

年季(古さ)から言って、分校時代のモノと思われます。



敷地の外周をとりまく桜の木々。

      0170206酒寄分校14



この辺りは学校跡地を彷彿させます。

      0170206酒寄分校15



敷地の一角にある藤棚。

      0170206酒寄分校16



酒寄分校の名を残すモノは、門柱の表札のみ。
酒寄分校より20年前に廃校になった羽鳥分教場に記念碑が在ったことを思うと
酒寄分校の碑が無いのは、やっぱり残念だなぁ。





2017/03/11 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........紫尾小学校羽鳥分教場  (2017年2月6日)(茨城県桜川市) 

2月6日  公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。

旧・真壁町立紫尾小学校羽鳥分教場


羽鳥分教場は、

明治6年      羽鳥村に羽鳥小学校誕生。
明治13年     羽鳥小学校創立。
明治23年     紫尾尋常小学校に合併され、紫尾尋常小学校羽鳥分教場となる。
昭和22年     学制改革により、紫尾村立紫尾小学校羽鳥分教場と改称する。
昭和29年     紫尾村・谷貝村・樺穂村と合併し、新たな真壁町が発足。
           真壁町立紫尾小学校羽鳥分教場と改称する。
昭和33年     真壁小学校に併合され、廃校となる。

と、このような沿革となっています。


今から60年近く前に廃校となった羽鳥分教場。
現在、その敷地は地域の公民館(羽鳥会館)として活用されています。


何せ、今から60年近く前(正確には59年前)に廃校になっているから
あまり期待はしていませんでした。

しっかりと、その敷地には門柱が残っていました。

      20170206羽鳥分教場01



石造りの古い門柱。

      0170206羽鳥分教場02



良く見ると、昭和10年に造られたモノのようです。

      0170206羽鳥分教場03



もう片方の門柱には、寄贈者の名が刻まれていますが
風化して読み取ることは出来ませんでした。

      0170206羽鳥分教場04

   

石造りの門柱に桜の木。
そして背後には分校の校舎っぽくみえる建物。

      0170206羽鳥分教場05




雰囲気は満載ですが、残念ながら建物は校舎ではありません。
何せ、60年近く前の廃校ですから、建て替えられています。

      0170206羽鳥分教場06



いかにも、廃校跡地に建てられた公民館って感じです。
      
      0170206羽鳥分教場07


      0170206羽鳥分教場08



敷地境界のフェンス沿いに建てられた碑。

      0170206羽鳥分教場09



『羽鳥分教場跡 碑』と刻まれています。

      0170206羽鳥分教場10



碑の正面に廻ってみましょう。

      0170206羽鳥分教場11



沿革も刻まれた、平成4年に建てられた碑。
こちら側には『羽鳥分教場之跡』と刻まれています。

      0170206羽鳥分教場12


驚くことに、この碑には両側面にも碑文が刻まれています。

      0170206羽鳥分教場13


      0170206羽鳥分教場14


      0170206羽鳥分教場15

ぎっしりと並べられた碑文を読むと、
いかに羽鳥分教場が地元に愛されていたのかが分かるような気がします。


今や廃校跡地の定番。
消防倉庫。

      0170206羽鳥分教場16


地域の集会所であり、リサイクル資源の保管所でもあるから
敷地の一角にはコンテナに入った空き瓶や空き缶が積まれていたりして
お世辞にも良いロケーションばかりでは無い。

しかしながら、この門柱と桜の木のアングルは
何故か気に入ってしまいました。

      0170206羽鳥分教場17


分教場の遺構は、石造りの門柱しかないけれど
4面にいっぱい碑文が刻まれた記念碑を見ると
分教場が、この地域のランドマークだったのが敏感に感じ取れ
愛された学校だったんだなと思わずにはいられません。


2017/03/10 Fri. 15:15 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........大和西小学校高久分校  (2017年2月6日)(茨城県桜川市) 

2月6日  公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。

桜川市を訪れた最たる目的は『真壁のひなまつり』でしたが
桜川市には、数校の廃校があるので、廃校巡りも堪能しました。

桜川市の廃校巡りの第一弾。

旧・大和村立大和西小学校高久分校 です。



大和西小学校高久分校は

大正2年      大国尋常小学校高久分校として設立される。
昭和22年     学制改革により、大国村立大国小学校高久分校ど改称する。
昭和29年     大国村が雨引村と合併して大和村が誕生。
           大和村立大和西小学校と改称する。
昭和41年     本校と統合し、高久分校は廃校どなる。

と、このような沿革となっています



今から51年前に廃校となった高久分校。
この場所も探すのに苦労しました。

とりあえず、高久地区の公民館、集会所の3ヶ所にアタリを付け、
順番に回ります。
しかしながら、どちらもそれっぽい雰囲気。
決め手になったのが、こちらの門柱。

      20170206高久分校01



この門柱を見て、こちらが高久分校だと確信しましたが
念のために、たまたま近隣に住む初老の男性に訊いてみたら
こちらが分校跡地だという事でした。

      20170206高久分校02


石造りの門柱。
大正7年に設置されたモノのようです。

      20170206高久分校03



校舎はとっくに解体されて、現在は建て替えられ、
『中根ふるさとコミュニティセンター』として利用されています。

      20170206高久分校04


      20170206高久分校05



敷地そのものがそんなに広くないから
分校時の校舎もこんな感じで建っていたのでしょう。

      20170206高久分校06



敷地内の遊具類。

果たして、50年前のモノだろうか?

      20170206高久分校07


      20170206高久分校08


      20170206高久分校09


      20170206高久分校10



学校跡地の証し(?)とも言える桜の木。
隣に置かれた焼却炉は分校時代のモノだろうか?

      20170206高久分校11



敷地の一角には消防倉庫。

      20170206高久分校12

消防倉庫や防災倉庫は、廃校跡地の定番とも言えます。



門柱は残っているけれど、表札は無いし
高久分校の名を残すモノは何もない。
せめて、廃校記念碑とか学校跡地の碑があれば...............

ちょっぴり、残念。



2017/03/10 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景 《 雨引観音 》   (2017年2月6日)(茨城県桜川市) 

2月6日  公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。


五所駒瀧神社をあとにして、向かった先は...............茨城百景 雨引観音

昭和25年に制定された茨城百景。
そもそも、 つ茨城県観光審議会が選定した100の景勝地です。

桜川市にある雨引観音も茨城百景に選定されています。



雨引観音は正式には雨引山楽法寺と名称で、
中国から帰化した法輪独守居士が587年に開山したと伝えられる古刹です。
聖武天皇、光明皇后の帰依が厚く、その後、弘法大師によって真言宗の道場となりました。
現在は安産子育ての霊場として広く知られる関東屈指のお寺です。
桜の名所でもあり、また6月には「あじさい祭」も開かれます。


『 茨城百景 雨引観音 』の碑は、雨引観音の門前辺りにあるのかと思えば、
それが、また遠く離れた場所に在りました。

旧・筑波鉄道雨引駅跡に在りました。

      20170206茨城百景 雨引観音01



『 茨城百景 雨引観音 』の碑です。

      20170206茨城百景 雨引観音02

良く良く考えてみたら、茨城百景が制定された昭和25年当時は
まだまだ車社会ではなく、鉄道を利用する時代だったんですね。
その為、駅前とか駅のホームに百景の碑が建っていたんですね。


旧・雨引駅にも旧・真壁駅同様、立派な桜の木が多い。

      20170206茨城百景 雨引観音03


雨引駅は、筑波鉄道の廃線後、つくばりんりんロードの
雨引休憩所となっています。

      20170206茨城百景 雨引観音04



ホームの形態は往時のままですね。

      20170206茨城百景 雨引観音05


      20170206茨城百景 雨引観音06



雨引駅から数キロ先。
曲がりくねった道を走り、雨引観音の駐車場に到着。

それなりの高さだから、駐車場からの景観は良い。

      20170206茨城百景 雨引観音07


      20170206茨城百景 雨引観音08



では、雨引観音を探索いたしましょう。


いきなり、視界に入った看板。

      20170206茨城百景 雨引観音09

引き綱(リード)を離すな=ノーリードにするな!と言うことは
基本的には犬連れOKなんですね。
ちょっぴり安心。

社寺仏閣によつては、敷地内ペット禁止なんて言うのもあるからね。



それでは、正面から入りましょう。


立派な薬医門の脇に建つ寺号標。

      20170206茨城百景 雨引観音10



そして薬医門の反対側の脇には、物凄く大きな石灯籠。

      20170206茨城百景 雨引観音11

びいすけ と比較してみると、少しは大きさが分かるかな?


そして、立派な立派な薬医門。

      20170206茨城百景 雨引観音12

実は、この門は真壁城の薬医門。
真壁城が廃城後に移築されたらしい。


城門に相応しい、重厚な門です。

      20170206茨城百景 雨引観音13


      20170206茨城百景 雨引観音14



石段を上って行きましょう。

      20170206茨城百景 雨引観音15

この石段は俗に厄除けの石段と言われ、
一段一段登るごとに「南無観世音菩薩」と称号を唱えて登れば、
145段を登りつめた時、厄が落ちると言われているそうです。

正式には、磴道(とうどう)と言うらしい。



石段途中に見える鐘楼堂。

      20170206茨城百景 雨引観音16


      20170206茨城百景 雨引観音17



石段からちょっぴり脇に逸れれば、子安地蔵堂。

      20170206茨城百景 雨引観音18


      20170206茨城百景 雨引観音19



石段を上って辿り着いた仁王門。

      20170206茨城百景 雨引観音20


      20170206茨城百景 雨引観音21


仁王門の扁額。

      20170206茨城百景 雨引観音22



石段途中で見かけた椎の巨木。

      20170206茨城百景 雨引観音38


『宿椎』と言うらしい。

      20170206茨城百景 雨引観音37




さらに石段を上りきれば、雨引観音の本堂(観音堂)です。

      20170206茨城百景 雨引観音23


      20170206茨城百景 雨引観音24


扁額もズバリ、『観音堂』。

      20170206茨城百景 雨引観音25

そのまんまだし(笑)。


雨引観音の歴史の書かれた説明板。

      20170206茨城百景 雨引観音26


由緒書きの碑。

      20170206茨城百景 雨引観音27



こちらは、東照宮。

      20170206茨城百景 雨引観音29


      20170206茨城百景 雨引観音28


      
こちらは、多宝塔。

      20170206茨城百景 雨引観音30


      20170206茨城百景 雨引観音31

ネットで近隣の大きな寺院を調べてみると
この地域には三重塔のような多宝塔が在る寺院が多いようです。
地元ではあまり見かけないから、ちょっぴり新鮮に感じたりします。



こちらは、奥の院(客殿)。

      20170206茨城百景 雨引観音32




そして、六角堂

      20170206茨城百景 雨引観音33


六角堂の本尊は薬師如来。

      20170206茨城百景 雨引観音34



本坊前の見晴台(展望台)。

      20170206茨城百景 雨引観音35


さすがに景観は良い。

      20170206茨城百景 雨引観音36



時代(月日)が流れて、雨引観音の仏閣が建て変わっても
この場所から眺める景観は、きっと変わらないんだろうなぁ。
この不変さこそ、茨城百景の名に相応しいと感じたりします。







      

2017/03/09 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

五所駒滝神社  (2017年2月6日)(茨城県桜川市) 

2月6日 公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。

真壁氏累代墓地及び墓碑群をあとにして、向かった先は...............五所駒瀧神社


まぁ、向かったと言っても、すぐ隣なんですけどね(笑)。




五所駒瀧神社は、
創建は1014年(長和3年)、三条天皇の御代と伝えられます。
真壁富士権現山の山懐に一条の瀧があり、地元の村人らが、
五穀豊穣を願ってこの瀧の近くに祠を祀ったのが始まりと言われています。
村人からは明神様としてあがめられ、この瀧に馬がたびたび現れたことから
駒下瀧と呼ばれるようになり、この祠も駒下瀧明神と呼ばれるようになったそうです。
1172年(承安2年)、初代真壁城主・真壁六郎長幹が駒下瀧明神を真壁の総社としました。
地元では厄除けの神社として知られています。
五所駒瀧神社の祭礼は、「真壁祇園祭」とも呼ばれ、
京都の祇園京都の祇園祭とはルーツの違う祭礼で、独自の伝統を持っています。
また、同じく「かったて祭」は、権現山の神様に火を奉納する祭りで、
多くの氏子らが松明をもって権現山に登る独自の祭りです。




五所駒瀧神社の入口には、こんな石碑。

      20170206五所駒瀧神社01

『千年の風』

俳優の川津祐介氏の寄稿による碑文です。




こちらは、『百世清風』の碑。

      0170206五所駒瀧神社02

『百世清風』とは「高麗国王が中国・南宋の学者、朱子に求めた書」で、
「永遠に続く清い国づくり」を願う心を示したものだそうです。

なぜか、風にまつわる碑が多い?





一の鳥居の脇に建つ社号標。

      0170206五所駒瀧神社03

こちらには、 『 祈願所 五所神社 』となっています。




こちらが、一の鳥居。

      0170206五所駒瀧神社04


割と新しく見える神額も『五所神社』の表記。

      0170206五所駒瀧神社05

あれ?
『五所駒瀧神社』じゃなかったっけ?



五所駒瀧神社は『真壁のひなまつり』の会場でもあるようです。

      0170206五所駒瀧神社06



参道に木々が茂り、厳かな雰囲気が漂います。

      0170206五所駒瀧神社07

画像だと木洩れ陽が強くて、そんな風には見えないけれど
曇りの日ならば、違った感じに映るんだろうなぁ。



参道には石碑類が多い。


こちらは、『駒鳴石』。

      0170206五所駒瀧神社08

この神社の社より芦毛の駒が現れ出て、石を踏み嘶いたと言われ
その蹄の跡が残った岩だと伝えられているそうです。



こちらは、二の鳥居。

      0170206五所駒瀧神社09


こちらの神額には『五所駒瀧神社』の文字。

      0170206五所駒瀧神社10



『千年の森』の碑。

      0170206五所駒瀧神社11

五所駒瀧神社は、1014年の創建。すなわち1000年を超える歴史を持ち
その境内や周辺の森は1000年の森ど呼ばれているそうです。
まさに、鎮守の森と言ったところです。


さらに参道を進めば、三の鳥居。

      0170206五所駒瀧神社12



こちらの神額は、『五所駒瀧神社』と読むのだろうか...............?

      0170206五所駒瀧神社13

達筆すぎて(?)判読不明。



こちらは『さざれ石』。

      0170206五所駒瀧神社14

日本の国家『君が代』にも出てくる『さざれ石』。
あの『さざれ石』は、岐阜県春日村にある天然記念物の石ですが
こちらにも、『さざれ石』がありました。

まぁ、『さざれ石』は、漢字で表すと『細石』となり
細かい小さな石と言う意味です。

君が代では、細かい小さな石が長い年月をかけて、
巌という大きな石になるまでの大きな年月を示すものとして
引き合いにされているようです。




こちらは、百度石。

      >0170206五所駒瀧神社15

算盤の珠のように、リングが動くようになっていて
お百度参りの時に回数を数えていくのでしょう。



やがて、目の前に現れる拝殿。

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拝殿に掲げられた神額。

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そして、境内。

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深い森に囲まれ、陽射しも遮られ、季節柄冷んやりとします。
その冷んやり感が、厳かな感覚を高めます。

まさにパワースポット、ここに在り!



こちらの建物は、神輿の格納庫。

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毎年旧暦6月13日~15日に催される『祇園祭り』に使われる神輿が保管されています。



『景勝地 五所駒瀧神社』と記された社号標。

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確かに景勝地と呼ぶに相応しい場所かもしれない。

素朴な疑問なんですが...............

なぜ、この五所駒瀧神社が茨城百景の包括地に入らなかったんだろう?



おっと、忘れていた。
肝心の『真壁のひなまつり』のひな人形ですが、
藁葺きの屋根の社務所に飾られています。


さすがに、 びいすけ を連れて社務所の庭に入って行くのには気が引けましたが
せっかくだから、声を掛けて中に入ります。

こちらが、ひな人形。

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びいすけ は、ここまで。



父さんは、さらに一歩、また一歩踏み込んで...............。

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目的のひな人形も見たことだし、
ゆっくり参道を歩きながら、駐車場に戻りましょう。

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参道脇で見つけた案内板。

      0170206五所駒瀧神社24

五所駒瀧神社は、富士権現山の登山口でもあるようです。
残念ながら、現在は整備中?


イノシシの被害もあるようなので、電流ワイヤーが敷かれ、立ち入り禁止。

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知らずに突き進んでいたら、感電しちゃったかもしれません。
あ〜くわばら、くわばら(笑)。


2017/03/08 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit