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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

御城印を求めて   《牛久城址》  (2020年2月12日)(茨城県牛久市) 

2月12日

この日は、茨城県牛久市に出かけました。

最近になって知ったのですが.........

牛久市内の城址の御城印が発行されていると知り、
この日は奔走しました。

小坂城、岡見城と御城印を手に入れ、
城址も攻略し更なる御城印を求めます。
JR牛久駅近くにある『芋千』にて、
牛久城、東林寺城の御城印を手に入れます。

     20200212牛久城址27




牛久城址、東林寺城址のいずれも訪れてはいますが
御城印を手にしたからには、城址も再攻略いたしましょう。

と言うことで、先ずは牛久城址へと向かいます。

牛久城址も以前訪れた事があり、これで2回目の訪問となります。
( その時の攻城記は こちら )



牛久城の城域も広く、主郭や二郭と大手門との距離はかなり有る。


こちらが、大手門跡。

     20200212牛久城址01


     20200212牛久城址02


     20200212牛久城址03



大手門近くに鎮座する社。

     20200212牛久城址04

古くから、この場所に鎮座していたようです。



大手門跡から根古屋を抜けて、三の丸近くまで車で侵入する事が出来ます。

     20200212牛久城址05



牛久城址の説明板。

     20200212牛久城址06


     20200212牛久城址29


ここから車を離れ、自分の足で進軍です。

     20200212牛久城址08


大きく口を開けるかのようには待ち構える空堀。

     20200212牛久城址07




空堀に掛かる土橋。
     
     20200212牛久城址09



土橋の先には虎口が待ち構える。
 
     20200212牛久城址11


虎口の土塁。

     20200212牛久城址12




さらに進みます。

     20200212牛久城址10

     20200212牛久城址13


二の丸と本丸を隔てる空堀。

     20200212牛久城址14


     20200212牛久城址15 



右側が二の丸、左側が本丸。

     20200212牛久城址25


     20200212牛久城址26



二の丸の空堀な掛かる土橋。

     20200212牛久城址16



竹藪の先が、二の丸の虎口。

     20200212牛久城址17



こちらが、二の丸曲輪。

     20200212牛久城址18



てっきり、こちらが本丸曲輪だと勘違いして
御城印のバックに写真撮り。

     20200212牛久城址19


     20200212牛久城址20


     20200212牛久城址21


こちらが、本丸虎口。

     20200212牛久城址22


虎口の土塁。

     20200212牛久城址23



自宅に帰ってくるまで、てっきりこちらは二の丸曲輪と勘違いしていました。


     20200212牛久城址24



こちらが、牛久城(址)の御城印。

     20200212牛久城址28


約6年振りに再訪した牛久城址。
連郭式、小田原北条氏の城の特徴を持つ牛久城址。
これぞ戦国時代の山城、関東の土の城。

やっぱり、『土の城は良い』と思うのは私だけ...............?





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2020/03/29 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御城印を求めて   《岡見城址》  (2020年2月12日)(茨城県牛久市) 

2月12日

この日は、茨城県の牛久市に出かけました。

最近、牛久市内の城址の御城印が発行されていると知り、この日は奔走しました。

『ヤマイチ味噌』で、小坂城と岡見城の御城印を手に入れます。
小坂城も岡見城も訪れたことがありますが
せっかく御城印を手に入れたんだから
先ずは小坂城址も再攻略いたします。
更には岡見城址へと足を伸ばします。


岡見城址に訪れるのは、これで2回目。
( 前回の攻城記は こちら )

 

びいすけ の背後の森が岡見城址。

     20200212小坂城址29


では、岡見城へ進軍いたしましょう。




こちらが、登城口。

     20200212岡見城址01



竹藪の間の登城路を進みます。

     20200212岡見城址02



所々、倒木があって行手を遮ります。

     20200212岡見城址03


お世辞にも手入れが行き届いているとは言えない。
かろうじて、空堀が確認出来る。

     20200212岡見城址04



主郭へと足を進めるが、やはり倒木や竹藪が邪魔になる。

     20200212岡見城址05


主郭の土塁。

     20200212岡見城址08


主郭内部。
完全な藪状態。

     20200212岡見城址06



進軍する気が失せて来ます(笑)。

     20200212岡見城址07

まあ、過去に一度来ているし、この先何も無い事も知っているから
素直にこの場から撤収いたします(笑)。



先ほどの土塁の奥には、埋もれかけている空堀。

     20200212岡見城址09


     20200212岡見城址10



こんな祠も建っています。

     20200212岡見城址11



空堀に沿って進軍します。

     20200212岡見城址12


     20200212岡見城址13


     20200212岡見城址14


     20200212岡見城址15



空堀の先にちょっと拓けた場所になり
そこには城址碑と供養塔が並ぶ。

     20200212岡見城址16



岡見城址の碑。

     20200212岡見城址17


     20200212岡見城址18


     20200212岡見城址19



岡見家代々の供養塔。

     20200212岡見城址20



供養塔脇の土塁。

     20200212岡見城址21

土塁の奥は主郭になるけど、完全な藪状態。



土塁に沿って奥に進めば、虎口が現れます。

     20200212岡見城址22



虎口の先は、やはり藪状態。

     20200212岡見城址23


岡見氏の本城なんだけど、支城である小坂城址に比べ
整備が行き届いていない。残念です。



こちらが、岡見城(址)の御城印。

     20200212岡見城址24


牛久市の御城印巡り、まだまだ続きますよぉ〜!


2020/03/28 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御城印を求めて   《小坂城址》  (2020年2月12日)(茨城県牛久市) 

2月12日

この日は、茨城県の牛久市に出かけました。

最近、ネットにて得た情報なのですが、
牛久市城跡めぐり運営委員会が主催して
『牛久市城跡めぐり』と称して、御城印を発行しているらしい。

御城印は、いわば城版の御朱印みたいなモノ。
城址巡りを趣味とし、また御朱印巡りを楽しむ物として
黙ってはいられません。

と言う事でこの日は、牛久市内の御城印を求めて奔走します。

最初に久野城の御城印を求めて、
落花生で有名な『味の老舗いしじま』に行くと、
何と定休日。

続いて向かったのは『ヤマイチ味噌』。
こちらで、小坂城と岡見城の御城印を手に入れます。

     20200212小坂城址01


小坂城も岡見城も訪れたことがありますが
せっかく御城印を手に入れたんだから
城址も再攻略いたしましょう。

と言う事で、向かった先は...............小坂城址。


小坂城址に訪れるのは、これで2回目。
( 前回の攻城記は こちら )。

稲敷市(旧・江戸崎町)からつくば市へと続く国道408号線沿いの台地に在る小坂城址。
整備が良くて、遺構も多く残り、土塁や空堀、空堀に架かる土橋、
郭の虎口など、城址巡りの初心者でも
それらの遺構をはっきりと認識出来る整備のされた城址。
マイナーな城址ではありますが、個人的にはお気に入りの城址の一つです。


城址入口に建つ城址碑。

     20200212小坂城址02


     20200212小坂城址03


     20200212小坂城址04


その脇には2枚の説明板。

     20200212小坂城址05


     20200212小坂城址06



こちらは、小坂城址にまつわる逸話の説明板

     20200212小坂城址07


では、小坂城を攻略いたしましょう。



こちらは、四郭。

     20200212小坂城址10



光の加減で見づらいですが、三郭の空堀。

     20200212小坂城址08


三郭の土塁。

     20200212小坂城址28


土塁の奥には、三郭と二郭を隔てる空堀。

     20200212小坂城址09


その空堀に架かる土橋。

     20200212小坂城址11



二郭の虎口。

     20200212小坂城址12



二郭内部。

     20200212小坂城址13


     20200212小坂城址15

  

二郭と主郭の間の空堀。

     20200212小坂城址14



その空堀に架かる土橋(主郭側より)。

     20200212小坂城址16



主郭の虎口。

     20200212小坂城址17



主郭内部。

     20200212小坂城址21



主郭に建つ説明板。

     20200212小坂城址19


この方角に、江戸崎土岐氏の支城である泉城がありました。

     20200212小坂城址20

岡見城との距離は直線でおよそ2kmほどで、
岡見氏はこの小坂城を最前線の守備の要として
土岐氏と幾度となく争っていたようです。



主郭土壇。

     20200212小坂城址23


     20200212小坂城址24

この場所は物見台(櫓台)。
小坂城址で一番高い場所になる。



その土壇から二郭を見下ろしてみます。

     20200212小坂城址22

かなり埋もれているけれど、しっかりと空堀の姿を見ることが出来ます。



その空堀。

     20200212小坂城址25


     20200212小坂城址26



三郭と主郭の間は部分的に空堀が並び、二重空堀になっている。

     20200212小坂城址27

これは見応えありますね。


国道408号線は、ちょくちょく走るから
小坂城址の前をちょくちょく通ってはいるんだけど
城址に立ち寄ったのは約6年振り。
6年前と変わらず、整備が行き届き、
しっかりと管理されている小坂城址。
     
たしか、小坂城址保存会って言うのがあったと思うけど
その活動にあたまが下がります。

     



こちらが、小坂城(址)の御城印。

     20200212小坂城址30

牛久市城跡めぐり運営委員会が主催して行われた『牛久市城跡めぐり』。
茨城県内で初めて御城印を発行したイベント。
イベント終了後も継続的に頒布している御城印。

私にとっても茨城県内の初御城印。
今後の展開に期待です。


2020/03/28 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景 《 大宝八幡 》 (2020年2月10日)(茨城県下妻市) 

2月10日 茨城百景 《 大宝八幡 》

この日は、茨城県の下妻市に出かけました。

この日参拝に訪れた大宝八幡宮。

南北朝時代の大宝城跡でもあり、
昭和25年に選定された茨城百景の地でもあります。

茨城百景は、昭和25年に選定された茨城県内の100ヶ所の景勝地。
その茨城百景の選定地には、茨城百景の碑が建てられています。
数年前から、茨城百景に訪れ、その碑を探すのも楽しみの一つにしています。

茨城百景は、下妻市には2ヶ所あり、その一つが大宝八幡宮。





社号標。

     20200210大宝八幡宮01



大宝八幡宮の大鳥居。

     20200210茨城百景大宝八幡03



大鳥居脇の由緒書き。

     20200210大宝八幡宮05



随身門。

     20200210大宝八幡宮07



多くの狛犬に出迎えられる参道。

     20200210大宝八幡宮13



こちらが拝殿。

     20200210大宝八幡宮17



拝殿正面に掲げられた扁額。

     20200210大宝八幡宮20



国の文化財に指定されている本殿。

     20200210大宝八幡宮24


     20200210大宝八幡宮29


境内の詳細や、大宝城址については、別記事を参照してもらいましょう。



さて、肝心の茨城百景の碑ですが、
大宝八幡宮の境内には在りません。



こちらが、茨城百景の碑。

     20200210茨城百景大宝八幡01


     20200210茨城百景大宝八幡02

大宝駅から大砲八幡宮へ向かう道沿いの民家の陰に
隠れるように建っていました。


『茨城百景 大宝八幡宮』。
簡素な記事になりますが、これにて完了。




2020/03/25 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

大宝城址  (2020年2月10日)(茨城県下妻市) 

2月10日

この日は、茨城県の下妻市に出かけました。


この日、参拝に訪れた大宝八幡宮。
実は、大宝八幡宮を含む台地一帯が、
南北朝時代の大宝城跡になります。

大宝城は、貞永元年(1232年)に小山氏の一族である下妻長政が築城しました。
以後、代々下妻氏の持ち城でした。
南北朝時代、下妻政泰は南朝方に与し、
小田城・関城・下妻城と共に南朝方の拠点の城となりました。
このため、足利尊氏の重臣である高師冬にしばしば攻められていました。
そして康永2年(1343年)、小笠原貞宗の大軍によって攻められ、
大宝城は落城し、下妻氏も滅亡してしまいました。

城域は広く、大宝小学校の敷地~大宝八幡宮の境内にかけての台地一帯が
その城域にあたります。
宅地化がすすみ、また小学校の建設などにより、
城の遺構はかなり隠滅し、大宝保育園や大宝八幡宮の裏手に残る土塁を
微かに確認できるほど、遺構は少なくなってしまいました。




こちらが、大宝城の概略図。

     大宝城址縄張り図

    ( 余湖さんのHPよりお借りしました )





大宝八幡宮の社号標の奥に建つ標柱。

     20200210大宝城址01

  

『大宝城跡』の標柱です。

     20200210大宝城址02



社号標の奥、一の鳥居脇の土塁。
鳥居に向かって右側の土塁になります。

     20200210大宝城址03


見事な土塁。

     20200210大宝城址04



郭内から見る土塁。

     20200210大宝城址06



その土塁は長く伸びている。

     20200210大宝城址07



反対側の土塁。

     20200210大宝城址05



大宝小学校の手前。
縄張り図(概略図)でHの位置あたり。

     20200210大宝城址08


     20200210大宝城址09



大宝城跡の説明板も建つ。

     20200210大宝城址10


台地下部にも建つ標柱。

     20200210大宝城址11

こちらの標柱はかなり古いもの。



大宝駅前から、大宝八幡宮へ向かう道沿いの民家の庭先に建つ城址碑。

     20200210大宝城址12



こちらは、大宝八幡宮本殿裏手に建つ小さな看板。

     20200210大宝城址14


大宝八幡宮の本殿裏手に建つ、『下妻政康公』の碑。

     20200210大宝城址15

昭和18年(1943年)に建立されたモノ。


その近くには、『贈正四位下妻政康忠死之地』の碑

     20200210大宝城址16

こちらは、昭和6年(1931年)に建立されました。


康永2年(1343)11月22日に大宝城は落城し、
城主・下妻政康は討死したと言われています。



こちらは、大宝八幡宮の本殿裏手の最奥。
あじさい園のある辺り。

     20200210大宝城址17


この辺りが、大宝城址で遺構が多い場所になる。

     20200210大宝城址18



大宝保育園の裏手の土塁。

     20200210大宝城址19


     20200210大宝城址20


     20200210大宝城址21


     20200210大宝城址22


     20200210大宝城址23


     20200210大宝城址24
  

     20200210大宝城址25


少し気になったのは、
昨年の台風の影響だったのか?
重機が入って整備をした直後なのか?
ひょっとしたら、整備と言う名の元に
城址の一部が改変されてしまっているのでは...............?

あじさい園辺りをかなりいじっていたんじゃないか?
そんな風に感じてしまったのは、気のせいだろうか............?



2020/03/25 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............大宝八幡宮   (2020年2月10日)(茨城県下妻市) 

2月10日  

この日は、茨城県の下妻市に出かけました。

駒城址をあとにして、向かった先は......................大宝八幡宮。

大宝八幡宮は、下妻市大宝に鎮座する神社です。

創建は大宝元年(701年)で、藤原時忠が常陸国河内郡へ下向の際、
東国平定のための鎮護の神として「宇佐八幡宮(現・宇佐神宮)」を勧請して
創建したとされています。
下妻市周辺の総鎮守であり、「関東最古の八幡さま」を称する古社です。
敷地内には南北朝時代に大宝城があったため、
境内自体が大宝城跡として国の史跡に指定されており、
本殿は戦国時代の下妻城主多賀谷氏による再建が現存していて、
国の重要文化財に指定されています。
古くは「大宝寺」「大宝寺八幡宮」などと称されたように、
神仏習合のもとで多大な崇敬を集めたそうです。
平将門や源頼朝の伝承などが残る地域を代表する大社です。

御祭神は、誉田別命、足仲彦命、気長足姫命。




社号標。

     20200210大宝八幡宮01



一の鳥居。

     20200210大宝八幡宮02



二の鳥居。

     20200210大宝八幡宮03



順番で言えば三の鳥居になる大鳥居。

     20200210大宝八幡宮04


鳥居脇に建つ由緒書き。

     20200210大宝八幡宮05



この大宝八幡宮の敷地は、南北朝時代の大宝城跡でもあります。

     20200210大宝八幡宮06



では、参道を進みましょう。


随身門。

     20200210大宝八幡宮07



随身像ではなく、仁王像がお出迎え。

     20200210大宝八幡宮08


     20200210大宝八幡宮09

このあたりが、神仏習合時代の色が濃い。


随身門脇にも由緒書き。

     20200210大宝八幡宮48



随身門をくぐれば、何対もの狛犬が現れる。

     20200210大宝八幡宮10


     20200210大宝八幡宮12



狛犬の中に一匹の犬。

   20200210大宝八幡宮13



由緒ある古社ですが、犬NGでは無い。

     20200210大宝八幡宮49

要は、いかに飼い主がマナーを守って参拝出来るかだと思います。
大宝八幡宮の寛大さに感謝です。



手水舎。

     20200210大宝八幡宮14



定番の龍の吐出口。

     20200210大宝八幡宮15



水盤脇には七福神の乗った宝船。

     20200210大宝八幡宮16



こちらが拝殿。

     20200210大宝八幡宮17



拝殿前の狛犬。

     20200210大宝八幡宮18


     20200210大宝八幡宮19




拝殿正面に掲げられた扁額。

     20200210大宝八幡宮20



別アングルからの拝殿。

     20200210大宝八幡宮21


     20200210大宝八幡宮22



そして、こちらが本殿。

     20200210大宝八幡宮23


     20200210大宝八幡宮24


本殿は国の文化財に指定されているようです。

     20200210大宝八幡宮29




若宮八幡宮。

     20200210大宝八幡宮26

源頼朝が奥州征伐平定の日、鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請して創建されたそうです。



若宮八幡宮の前には神馬舎。
 
     20200210大宝八幡宮25



黒鳥神社。
          
     20200210大宝八幡宮27



祖霊殿。

     20200210大宝八幡宮28


     

関東最古の八幡宮と言われるだけあって境内社も多い。

     20200210大宝八幡宮30


     20200210大宝八幡宮31


     20200210大宝八幡宮32


     20200210大宝八幡宮33


     20200210大宝八幡宮34


     20200210大宝八幡宮47


     20200210大宝八幡宮35



こちらは、東門。

     20200210大宝八幡宮36



神楽殿。

     20200210大宝八幡宮37



寳物殿。

     20200210大宝八幡宮38


さざれ石。

     20200210大宝八幡宮39


記念碑。

     20200210大宝八幡宮40


祖霊殿近くの蛙の像。

     20200210大宝八幡宮41


 
ここにも七福神。
大宝七福神。

     20200210大宝八幡宮42



境内には立派な土俵もあります。

     20200210大宝八幡宮43



鐘楼。

     20200210大宝八幡宮44

これも神仏習合の名残りでしょう。



太古石。

     20200210大宝八幡宮45



何故か、窯も置かれている。

     20200210大宝八幡宮46



     
御神木。

      20200210大宝八幡宮50
     20200210大宝八幡宮51


こちらが、授与所。

     20200210大宝八幡宮52

御朱印は、こちらで頒布されています。



そして!こちらが大宝八幡宮の御朱印。

     20200210大宝八幡宮53


2020/03/24 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

駒城址  (2020年2月10日)(茨城県下妻市) 

2月10日

この日は、茨城県の下妻市に出かけました。

大木分教場をあとにして、向かった先は...............駒城址。


駒城は、南北朝時代に中御門少将・藤原実寛により築城されたとされています。
東西120メートル、南北180メートルの方形で、
周囲は沼に囲まれていたとされています。
藤原実寛は小田氏や結城氏らとともに南朝方に属しました。
つくば市の小田城、関城町の関城、下妻市の大宝城とともに、
南朝側の常陸国における重要な戦略的拠点でしたが、
1340年、北朝側の高師冬の猛攻にあって落城しました。

現在、城跡の大部分が宅地や耕地となっています



こちらが、駒城址の概略図。

     駒城址縄張り図

    ( 余湖さんのHPよりお借りしました )



城址の脇をアスファルトの道路が走る。

     20200210駒城址01



鎖に囲まれた一環に一際目立つ説明板。

     20200210駒城址02



駒城址の説明板です。

     20200210駒城址03


近くには、標柱も建つ。

     20200210駒城址04

文言は、『茨城県指定文化財 史跡 駒城跡』



鎖を越えて中に入れば、城址碑。

     20200210駒城址05


     20200210駒城址06



東西120メートル、南北180メートルの方形てあるが
現存する部分はそれよりも狭い。

     20200210駒城址07



遺構も少ない。

     20200210駒城址10


     20200210駒城址11





こちらが土塁のようにも見える土壇。

     20200210駒城址8


     20200210駒城址12



北側の空堀。

     20200210駒城址09



城跡と言うよりは、単なる森と言ったほうが適切か?

     20200210駒城址13

説明板や標柱、城址碑が無ければ、とても城址には見えない。
残念と言うか、今一歩、満足感が無い。
まあ、こればっかりは仕方が無いんだけど.............



2020/03/23 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.............. 上妻小学校大木分教場  (2020年2月10日)(茨城県下妻市) 

2月10日

この日は、茨城県の下妻市に出かけました。

砂沼をあとにして、向かった先は.........上妻小学校大木分教場。

大木分教場は、明治6年に創設された大木小学校が
その始まりとされています。



明治6年     大木小学校創立。
明治34年    大木小学校を上妻尋常高等小学校の分教場とする。
昭和22年    学制改革により、上妻村立上妻小学校大木分教場と改称。
昭和34年    本校に統合して大木分教場は廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。




大木集落の幹線道路沿いにある分教場跡地。

     20200210大木分校01


現在は、『大木農村集落センター』として地域の集会所のような施設となっています。

     20200210大木分校09



廃校から既に60年。
校舎はとっくに解体され、
赤い屋根の農村集落センターが建てられています。

     20200210大木分校02



最初は、分教場時の建物(校舎)かと思いましたが
考えたら60年前に廃校の分教場。
とても60年+αの建物には見えません。

     20200210大木分校03


     20200210大木分校04



廃校記念碑かと思ったら、大きく『大木農村集落センター』と刻まれた碑。

     20200210大木分校05



敷地内に残る桜の古木が2本。
分教場時代のモノでしょう。

     20200210大木分校06


     20200210大木分校07

アスファルトで固められてしまった敷地ですが
分校時は土の地面を子供達が走り回っていたのでしょう。



定番の消防倉庫は見当たりませんでしたが
古紙回収、保管用の倉庫が置かれていました。

     20200210大木分校08

地方の廃校跡だと、地域の資源ゴミの回収場所に利用されることも多い。
この大木分校も集会所としての顔を持ち、
資源ゴミの回収場所としての顔も持つ分教場跡地でした。  


   



2020/03/23 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景 《 砂沼 》  (2020年2月10日)(茨城県下妻市) 

2月10日

この日は、茨城県の下妻市に出かけました。

多賀谷城址をあとにして、
向かった先は...............茨城百景  《 砂沼 》


茨城県には『茨城百景』と言う、昭和25年に選定された
県内100ヶ所の景勝地があります。
下妻市には、茨城百景の選定地が2ヶ所あり、
その一つが『砂沼』になります。

そもそも『砂沼』とは、周囲6km・面積55ha、
満水時の水深約3mの農業用ため池です。
しかしながら、平成22年に砂沼湖として、
日本のため池百選にも選ばれているらしい。

周辺は「砂沼広域公園」として整備されています。
かつてはプールもありましたが、
施設の老朽化で平成30年廃止されました。
カモ類の絶好の生息地であり、
コガモ・マガモ・カルガモなどが良く見られるそうです。 



砂沼の看板。

     20200210砂沼01

茨城百景とは記されているけれど
目的はこれじゃない。

探すのは、茨城百景の碑。



こちらが砂沼。

     20200210砂沼02



沼沿いにぐるっと一周できる遊歩道が整備されているみたいです。

     20200210砂沼03

一周、約6km。
根性があれば、1時間ちょいで回って来れるとは思うけれど
今日は、その根性がない。
とりあえずは、湖畔に建っているとされる茨城百景の碑を探します。


遊歩道沿いに案内看板を発見。

     20200210砂沼04



そして、その近くに茨城百景の碑を見つけました。

     20200210砂沼05


     20200210砂沼06



とりあえず、これで目的の50%は達成。
砂沼の遊歩道を軽く散策してみましょう。

     20200210砂沼07




ベンチを見つけだから、ちょっぴり『もぐもぐタイム』といたしましょう。

     20200210砂沼11


     20200210砂沼08



『待て!』からの.........

     20200210砂沼09


『良し!!』。

     20200210砂沼10


     

「下妻市観光交流センターさん歩の駅サン・SUNさぬま」
(なんで、こんなに長い名称なんでしょう?)
のテラス席は、恋人の聖地としてPR中。

     20200210砂沼12

そう言えば、この手の『恋人な聖地』って増えたよね。



恋人の聖地に長居をすることもなく
砂沼の湖畔を散策します。

     20200210砂沼13


     20200210砂沼15


     20200210砂沼16



今年は暖冬だから少ないのか?
期待していた水鳥の姿はあまり無い。

     20200210砂沼14


天気が良いから、筑波山もはっきり見える。

     20200210砂沼17



この風景が、茨城百景なんだろうなぁ...............



2020/03/22 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

多賀谷城址  (2020年2月10日)(茨城県下妻市) 

2月10日

この日は、茨城県の下妻市に出かけました。

宗任神社をあとにして、、向かった先は.............多賀谷城址。

多賀谷城は、常陸国関郡下妻庄に在ったことから別名を下妻城と称しますが、
多賀谷氏の居城であったことから多賀谷城と呼ぶのが一般的なようです。

康正元年(1455年)から多賀谷氏家が下妻荘に築城を開始し、
6年後の寛正2年(1461年)完成したとされ、
下妻荘を含む関三十三郷と大名の地位を得ました。

15世紀中頃は東西両館からなり、
東館を本丸とする2廓の単純な構造でした。
その後、多賀谷氏の勢力拡大に伴い城を北方向へ拡張していき、
16世紀から17世紀初頭の多賀谷氏7代・多賀谷重経の頃には、
城は館沼によって東西に分断され、
沼の東側に本城(本丸)・中城(二の丸)・三の丸・北城・南館(姫曲輪)を、
沼の西側に西城を置き、城域は南北1500m×東西900mと言う広大なモノでした。

この時代の下妻は常陸国西部最大の都市であり、
城郭・城下町の規模や充実度の面でも優れ、
その下妻に君臨する多賀谷氏は、常陸国屈指の存在でもあったようです。



こちらが、多賀谷城の縄張り図。

     多賀谷城址縄張り図

   ( 余湖さんのHPからお借りしました。 )



広大な広さを誇った多賀谷城址。
城郭は広大で旧・真壁郡下妻町の領域がすっぽりと収まるほどであり、
1950年代までは曲輪・濠・土塁跡が残っていたと言う事です。
1961年(昭和36年)に始まった都市計画事業を経て、
現在では、多賀谷城跡公園内にわずかに痕跡を残すのみとなってしまいました。


こちらが、その多賀谷城跡公園。

     20200210多賀谷城址01


     20200210多賀谷城址02



せめてもと、多賀谷城跡公園でその痕跡を探します。

     20200210多賀谷城址03


 
さすがに市街地に整備されて出来た公園。
なかなか、城跡の痕跡は見つかりません。
    
     20200210多賀谷城址04


     20200210多賀谷城址05


     20200210多賀谷城址06


     20200210多賀谷城址07


     20200210多賀谷城址08



公園の隅っちょ。
ちょっとした土壇があります。

     20200210多賀谷城址09



土壇の前には『多賀谷城本丸跡』と記された標柱。

     20200210多賀谷城址10



石段を挟んだ先には、『多賀谷城本丸跡』の説明板。

     20200210多賀谷城址11


     20200210多賀谷城址12



この土壇周辺が僅かに痕跡を残す場所のようです。

     20200210多賀谷城址13


     20200210多賀谷城址14


     20200210多賀谷城址15


     20200210多賀谷城址16


土壇の脇には平和塔。

     20200210多賀谷城址17

第二次世界大戦の戦没者慰霊の塔ですね。
かつての下妻の城郭は昭和の時代になっても
この地区のランドマークだったんですね。





2020/03/22 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

江連用水旧溝宮裏両樋  (2020年2月10日)(茨城県下妻市) 

2月10日  

この日は、茨城県の下妻市に出かけました。

参拝に訪れた宗任神社。
そちらで、兼務社を含めた10社の御朱印を頂きましたが
さすがに10体の御朱印を書いて頂くのに
それなりの時間が掛かると言うことで、
宮司さんから、『待つ間に是非見て欲しい』とも言われ
ちょっぴり覗きに行ったのが............... 江連用水旧溝宮裏両樋。

江連用水旧溝宮裏両樋は、栃木県真岡市上江連を水源とし、
鬼怒川と小貝川に挟まれた地域のかんがい用として
明治33年に設けられた分水施設です。

かつて、江連用水には多数のレンガ水門が存在しましたが、
現存するのはこの水門のみとなってしまいました。

レンガ造りの東西二つの水門と、湾曲する擁壁が一体となっており、
上流からの水を等分して下流に流すことができる構造になっています

農業施設の文化財としては、かなり珍しいものだと言う事です。



宗任神社の裏参道口に建つ説明板。

     20200210江連用水旧溝宮03


     20200210江連用水旧溝宮04



こちらが、その『江連用水旧溝宮裏両樋』。

     20200210江連用水旧溝宮05



記念の顕彰プレートの碑も建ち並ぶ。

     20200210江連用水旧溝宮06


     20200210江連用水旧溝宮07



レンガ造りの水門。

     20200210江連用水旧溝宮13


     20200210江連用水旧溝宮11


このような水門が2基左右に並んで分水しています。

     20200210江連用水旧溝宮08


     20200210江連用水旧溝宮09



水門の上の びいすけ 。

     20200210江連用水旧溝宮12



ちょっぴり、びびり顔(笑)

     20200210江連用水旧溝宮10



やっぱり、この位置の方が びいすけ は、落ち着くみたい。

     20200210江連用水旧溝宮02



水門の下流。

     20200210江連用水旧溝宮01

穏やかな流れです。



実際に流れている水量が少なくて、今イチ感が否めない。
農繁期の水量が多い時であれば、それなりに凄さを感じるのだろうか.........?








2020/03/21 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............宗道神社   (2020年2月10日)(茨城県下妻市) 

2月10日

この日は、茨城県の下妻市に出かけました。

蚕養小学校をあとにして、向かった先は...............宗道神社。


宗道神社は、下妻市宗道に鎮座する神社です。

創建年は不詳ですが、寛永年間(1624年〜1645年)の建立と伝えられ、
京都の八坂神社より遷宮したとされています。
江戸時代は天王宮、天王社と呼ばれていたそうです。

御祭神は、建速須佐男命。



社号標。

     20200210宗道神社01



神社社頭。

     20200210宗道神社02



参道には二の鳥居、さらには三の鳥居が並ぶ。

     20200210宗道神社03 

   

手水舎。

     20200210宗道神社04



拝殿。

     20200210宗道神社05


拝殿正面。

     20200210宗道神社06


拝殿正面に掲げられた扁額。

     20200210宗道神社07



別アングルからの拝殿。

     20200210宗道神社08


     20200210宗道神社09



そして、こちらが本殿。

     20200210宗道神社10



そして、 びいすけ も参拝。

     20200210宗道神社11



境内社。

     20200210宗道神社12


     20200210宗道神社13


神楽殿。

     20200210宗道神社14


御輿庫。

     20200210宗道神社15



境内の大欅。

     20200210宗道神社22
     20200210宗道神社23

どうやら、この大欅は天然記念物に指定されているらしい。



その記念碑と由緒書きの碑。

     20200210宗道神社16


こちらは、秋篠宮悠仁親王誕生記念の碑。

     20200210宗道神社17



忠魂碑。

     20200210宗道神社18

地域のランドマーク的な場所だったんですね。



境内の片隅には、宗道河岸址の碑

     20200210宗道神社19


     20200210宗道神社20

多賀谷氏の旧家臣であった内田五右衛門が上河岸を開設したようであり、
その後、森氏が中河岸、浅野氏が下河岸を開設し、
大正2年に常総鉄道が開通するまで隆盛を極めたそうです。

真壁、下館、遠くは笠間方面からの年貢米や味噌、しょう油、
薪炭、土器(甕類)などの物資がここから江戸に積み出され、
江戸からもさまざまな物や文化が流入し、
隆盛時には数十隻の高瀬舟が往来したそうです。



こちらが社務所ですが、普段は無人の神社のようです。

     20200210宗道神社21



そして、こちらが宗道神社の御朱印。

     20200210宗道神社24

本務社の宗任神社にて拝受いたしました。



2020/03/20 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............蚕養小学校   (2020年2月10日)(茨城県下妻市) 

2月10日

この日は、茨城県の下妻市に出かけました。

淡島神社をあとにして、向かった先は...............下妻市立蚕養小学校。



蚕養小学校は、

明治6年   豊田郡鯨村に呑舟学校が開設。
       鯨村華蔵院をもってこれに充てる。
明治22年   蚕養尋常小学校てなり華蔵院を仮校舎とする。
明治44年   現在地に移転する。
大正9年   蚕養尋常高等小学校と改称する
昭和22年   学生改革により、蚕養村立蚕養小学校と改称する。
昭和30年   宗道村、蚕飼村、大形村が合併して千代川村が発足。
       千代川村立蚕養小学校と改称する。
平成18年   千代川村が下妻市に編入される。
       下妻市立蚕養小学校と改称する。
平成26年   宗道小学校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっています。
 
  

淡島神社、甲神社からもいずれも徒歩圏内にある蚕養小学校。
淡島神社の狭い境内に車を停めて、徒歩で向かいます。


県道沿いの正門。

     20200210蚕養小学校01



コンクリート製の門柱には鋳鉄製の表札が残る。

     20200210蚕養小学校02



蚕養小学校校舎。

     20200210蚕養小学校03


     20200210蚕養小学校04



別アングルから。

     20200210蚕養小学校05


     20200210蚕養小学校06


     20200210蚕養小学校07


     20200210蚕養小学校08



校舎正面玄関。

     20200210蚕養小学校10



玄関の庇に掲げられた校章。

     20200210蚕養小学校11




校舎の前には、『蚕養小学校学び舎の碑』。

     20200210蚕養小学校15

いわゆる、廃校記念碑の類いになりますね。



裏面には校歌が刻まれています。

     20200210蚕養小学校14="450" height="298" />




こちらも校歌の碑。

     20200210蚕養小学校17

結果的に、校歌の碑がダブっちゃったんですね。




残念ながら二宮像はありませんでした。
その代わりにこんな像が校舎が前に残っています。

     20200210蚕養小学校16




     



鉄筋校舎とは別に、小さいながらも木造の校舎が残っていました。

     20200210蚕養小学校12


     20200210蚕養小学校13



校庭。

     20200210蚕養小学校18


     20200210蚕養小学校09



校庭に残された遊具類。

     20200210蚕養小学校19


     20200210蚕養小学校20


     20200210蚕養小学校21

 
     20200210蚕養小学校22


     20200210蚕養小学校23




校庭の隅には大イチョウ。

     20200210蚕養小学校24


     20200210蚕養小学校25

蚕養小学校の歴史を見届けてきた大イチョウ。



こちらも負けず劣らず立派な樹。
これこそ、シンボルツリーと呼ぶに相応しい。

     20200210蚕養小学校26
     20200210蚕養小学校27



敷地から細い道を一本挟んで体育館。

     20200210蚕養小学校28


     20200210蚕養小学校29


体育館の前には朽ちた百葉箱。

     20200210蚕養小学校30


そして、その脇には緯度経度な座標が刻まれたプレート。

      20200210蚕養小学校31
   
明治初期に創設された蚕養小学校。
歴史のある学校だった蚕養小学校。
廃校から既に5年の月日が流れてしまいました。
この緯度経度の示す場所には学び舎は無くなってしまいました。









2020/03/20 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............淡嶋神社   (2020年2月10日)(茨城県下妻市) 

2月10日

この日は、下妻市に出かけました。

甲神社から10mほどの距離。
歩いて移動するのが苦ではない距離。
そんな距離に鎮座している淡嶋神社に訪れました。


淡嶋神社は、下妻市大園木に鎮座する神社です。


創建時期等由緒は不明ですが、宗任神社の兼務社となっています。

御祭神も不明ながら、おそらく他の淡島(淡嶋)神社同様、少彦名神と思われます。



社号標。

     20200210淡島神社01




神社社頭。

     20200210淡島神社02



鳥居に掲げられた神額。

     20200210淡島神社03



境内の一角にまとめられた祠や石仏。

     20200210淡島神社04



その中には手水鉢もありました。

     20200210淡島神社05



こちらが拝殿。

     20200210淡島神社06



拝殿正面に掲げられた扁額。

     20200210淡島神社07



何故か、拝殿側面には鐘が掲げられています。

     20200210淡島神社08

何となくお寺っぽく感じたりもする。
神仏習合の名残りが濃いですね。



別アングルからの拝殿。

     20200210淡島神社09



そして、本殿。

     20200210淡島神社10



びいすけ も参拝。

     20200210淡島神社11



広くはない境内。
社殿脇には立派な御神木。

  20200210淡島神社12
     20200210淡島神社13



そして、こちらが淡嶋神社の御朱印。

      20200210淡島神社14


本務社の宗任神社にて拝受いたしました。





2020/03/19 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............甲神社   (2020年2月10日)(茨城県下妻市) 

2月10日

この日は、下妻市に出かけました。

吉沼八幡神社をあとにして、向かった先は.............甲神社。

甲神社は、下妻市大園木に鎮座する神社です。


創建時期は不明ですが、
全九年の役で敗れた阿部貞任・宗任を阿部大明神として厚く祀っていましたが、
後に阿部宗任着用の青竜逆角一分の甲胄を鯨の鎧神社(後の香取神社)と
こちらの(大園木の)甲神社に祀ったのが始まりとされています。


御祭神は、阿部宗任、経津主命。



社号標。

     20200210甲神社01



神社社頭。

     20200210甲神社02



由緒の記された碑。

     20200210甲神社03



手水鉢。

     20200210甲神社04



参道の狛犬。

     20200210甲神社05


     20200210甲神社06



拝殿。

     20200210甲神社07



拝殿正面。

     20200210甲神社08


     20200210甲神社11



拝殿正面に掲げられた扁額。

     20200210甲神社09



さらに拝殿奥にも別な扁額。

     20200210甲神社10


     
別アングルからの拝殿。

     20200210甲神社12


     20200210甲神社13



そして、こちらが本殿。

     20200210甲神社14

こちらも覆屋の本殿です。



びいすけ も参拝。

     20200210甲神社15



本殿裏手に並ぶ祠。

     20200210甲神社16


     20200210甲神社17



御神木。

   20200210甲神社18
      20200210甲神社19


     20200210甲神社20
     20200210甲神社21
     20200210甲神社22



社務所かと思ったら違ってました。

     20200210甲神社23

大園木生活改善センター。

地域の公民館みたいなものでしょうか?
きっと祭礼の時には氏子さん達が集まるんでしょうね。




そして、こちらが御朱印。

     20200210甲神社24


本務社の宗任神社にて拝受いたしました。

2020/03/19 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............吉沼八幡神社   (2020年2月10日)(茨城県つくば市) 

2月10日

この日は、茨城県の常総市&下妻市に出かけました。

と、言いながらちょっと足を伸ばして小貝川を渡ってつくば市に移動します。
つくば市と言っても、限りなく下妻市に近い吉沼地区。
向かった先は...............吉沼八幡神社。

吉沼八幡神社は、つくば市吉沼に鎮座する神社です。
 
創建は平安時代後期の寛治元年(1087)源義家が後三年の役で征奧の際、
旅宿した跡に誉田別命を祀り創建されたと伝えられています。

御祭神は、誉田別命(応神天皇)



社号標。

      20200210吉沼八幡神社01



神社社頭。

      20200210吉沼八幡神社02



社頭に建つ碑。

      20200210吉沼八幡神社03

吉沼八幡神社の本殿と覆屋は、
茨城県の文化財に指定されているようです。



鳥居。

      20200210吉沼八幡神社04



鳥居に掲げられた神額。

      20200210吉沼八幡神社05



手水舎。

      20200210吉沼八幡神社06



参道と拝殿。

      20200210吉沼八幡神社07



参道の獅子山。

      20200210吉沼八幡神社08


      20200210吉沼八幡神社09

 

そして、こちらが拝殿。

      20200210吉沼八幡神社10



拝殿正面。

      20200210吉沼八幡神社11



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20200210吉沼八幡神社12



その脇には奉納扁額。

      20200210吉沼八幡神社13



別アングルからの拝殿。

      20200210吉沼八幡神社14


      20200210吉沼八幡神社15



そして、本殿。

      20200210吉沼八幡神社16



本殿脇には説明板。

      20200210吉沼八幡神社17


覆屋の隙間から中を覗いてみます。

      20200210吉沼八幡神社18



確かに見事な彫刻の本殿です。

      20200210吉沼八幡神社19




びいすけ も参拝。

      20200210吉沼八幡神社20



境内社も多い。

      20200210吉沼八幡神社21


      20200210吉沼八幡神社22


      20200210吉沼八幡神社23


      20200210吉沼八幡神社24


      20200210吉沼八幡神社25



板碑も建ち並ぶ。

      20200210吉沼八幡神社26


     20200210吉沼八幡神社28


     20200210吉沼八幡神社27




忠魂碑。

     20200210吉沼八幡神社30     

古くは、地域のランドマーク的な存在だったようですね。



こちらは、以前の御神木の跡(切り株)でしょうか?

      20200210吉沼八幡神社29


      
現在の御神木。

      20200210吉沼八幡神社31
      20200210吉沼八幡神社32


      20200210吉沼八幡神社33
      20200210吉沼八幡神社34
      20200210吉沼八幡神社35



こちらが社務所ですが、普段は無人の神社のようです。

      20200210吉沼八幡神社36



そして、こちらが御朱印。

      20200210吉沼八幡神社37


本務社の宗任神社にて拝受いたしました。





2020/03/18 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............小保川厳島神社神社   (2020年2月10日)(茨城県常総市) 

2月10日

この日は、茨城県の常総市&下妻市に出かけました。

若宮戸鹿島神社をあとにして、向かった先は...............小保川厳島神社。


明応二年(1493年)、江州竹生島神社の心霊を分祀して
創建したとされています。

御祭神は、市杵島姫命。


神社社頭。

     20200210厳島神社01



鳥居には何やら藁を束ねたモノが飾られています。

     20200210厳島神社02

これは何でしょう?
不勉強なので、分かりません。



参道の由緒書き。

     20200210厳島神社03



拝殿。

     20200210厳島神社04


手水鉢。

     20200210厳島神社05



拝殿前の狛犬。

     20200210厳島神社06


     20200210厳島神社07



拝殿正面。

     20200210厳島神社08



拝殿正面に掲げられた扁額。

     20200210厳島神社09



別アングルからの拝殿。

     20200210厳島神社10


     20200210厳島神社11



そして、こちらが本殿。

     20200210厳島神社12



びいすけ も参拝します。

     20200210厳島神社13



本殿裏手には、祠が幾つか鎮座しています。

     20200210厳島神社14


     20200210厳島神社15


こちらは、二十三夜塔。

     20200210厳島神社16


御輿庫でしょうか?

     20200210厳島神社17



どちらか言うと、小さな神社。
社務所も在りません。

こちらが、厳島神社の御朱印。

     20200210厳島神社18


本務社の宗任神社にて拝受いたしました。


2020/03/17 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............若宮戸鹿島神社   (2020年2月10日)(茨城県常総市) 

2月10日

この日は、茨城県の常総市&下妻市に出かけました。

桑原神社をあとにして、向かった先は...............若宮戸鹿島神社。

若宮戸鹿島神社は、常総市若宮戸に鎮座する神社です。

正和二年(1313年)の常陸国鹿島郡鹿島神宮の神霊を分解祀して
創建したとされています。


御祭神は、武甕槌命





社号標。

      20200210鹿島神社01



その脇には記念碑。
  
      20200210鹿島神社02


鹿島神社と対をなす、境内社・八雲神社の社号標。

      20200210鹿島神社03



神社社頭。

      20200210鹿島神社04


  
鳥居。

      20200210鹿島神社05



鳥居脇の狛犬。

      20200210鹿島神社06


      20200210鹿島神社07



由緒書き。

      20200210鹿島神社08



二の鳥居。

      20200210鹿島神社09



手水舎。

      20200210鹿島神社10



こちらが拝殿。

      20200210鹿島神社11



拝殿正面。

      20200210鹿島神社14



拝殿正面に掲げられた。

      20200210鹿島神社12

『鹿島社』とありますね。



その脇には奉納扁額。

      20200210鹿島神社13



別アングルからの拝殿。

      20200210鹿島神社15


      20200210鹿島神社16



そして、こちらが本殿。

      20200210鹿島神社17



びいすけ も参拝。


      20200210鹿島神社18



こちらは境内社。

      20200210鹿島神社19


      20200210鹿島神社20


      20200210鹿島神社21


      20200210鹿島神社22


参道。

        20200210鹿島神社23
      20200210鹿島神社24


        20200210鹿島神社25
      20200210鹿島神社26


こちらが御朱印。

      20200210鹿島神社27


本務社の宗任神社にて拝受いたしました。


2020/03/17 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............桑原神社   (2020年2月10日)(茨城県常総市) 

2月10日

この日は、茨城県の常総市&下妻市に出かけました。

阿部神社をあとにして、向かった先は..................桑原神社。


桑原神社は、常総市国生に鎮座する神社です。

創祀年代は不詳。
社伝によると宝亀三年(772年)三月、当地を開拓した下総国司従四位下桑原王が
その祖神を、守護神として祀ったのが起源とされています。

当初は、現在地の東方の鬼怒川を見渡す本屋敷という台地に鎮座していたが
住民居住区の移動に伴い、延宝六年(1678年)現在地に遷座したという。

御祭神は、豊城入彦命、天熊人、稚彦命、大山咋命。



社号標。

     20200210桑原神社01

延喜式内と記されているのは、式内社としてのこだわりでしょうか?



神社社頭。

     20200210桑原神社02



鳥居に掲げられた神額。

     20200210桑原神社03


『平将門公史跡』とあるが
将門とはどのような関連があるんでしょう?

     20200210桑原神社04

調べてみると.........

昌泰年間(898年~901年)に、平将門の父である平良将が、
桑原神社の鎮座していた字本屋敷に下総国亭を置き、政治の拠点としたそうです。
平将門も父親の平良将と共に本屋敷を拠点とし、当社を崇敬したてされています。



碑の脇には由緒書き。

     20200210桑原神社05



参道。

     20200210桑原神社06


表参道の先に小さな社。

     20200210桑原神社07


えっ! これが桑原神社?

     20200210桑原神社08

と思ったら違ってました。


社の左側。
90°展開すれば社殿が見えます。

     20200210桑原神社09



手水舎。

     20200210桑原神社10



定番の龍の吐出口。

     20200210桑原神社11



拝殿。

     20200210桑原神社12


拝殿前の狛犬。

     20200210桑原神社13


     20200210桑原神社14



拝殿正面。

     20200210桑原神社15



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20200210桑原神社16



別アングルからの拝殿。

     20200210桑原神社17


     20200210桑原神社18



そして、こちらが本殿。

     20200210桑原神社19



びいすけ も参拝。

     20200210桑原神社20



境内社。

     20200210桑原神社21


     20200210桑原神社22


     20200210桑原神社23


     20200210桑原神社24



社務所と思ったら、国生農村集落センター。

     20200210桑原神社25

神社の敷地内にあるから、地域の公民館だけど
祭礼の際には社務所を兼るんでしょうね。


そして、こちらが御朱印。

     20200210桑原神社26

本務社の宗任神社にて拝受いたしました。




2020/03/16 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............阿部神社   (2020年2月10日)(茨城県常総市) 

2月10日

この日は、茨城県の常総市&下妻市に出かけました。

朝、5時半に家を出て、通勤時間帯の渋滞を避けたかってのですが、やっぱり早朝の16号は甘くない。
柏市辺りでは、かなり渋滞にハマりました。

渋滞にハマりながらも、向かった先は...............阿部神社。


阿部神社は、常総市豊田に鎮座する神社です。

下総国豊田郡に勢力を強めていた石毛荒四郎平政幹(常陸大掾平重幹の第三子)が
全九年の役で源頼義・義家父子に従い、戦の功を挙げます。
康平五年(1062年)凱旋した政幹は、
討ち取った阿部貞任・宗任を領内に埋葬し、
阿部大明神として厚く祭祀の礼を奉じたのがその始まりとされています。


御祭神は、阿部貞任、阿部宗任。



豊田小学校の脇に鎮座する阿部神社。
一の鳥居。

     20200210阿部神社01



二の鳥居。

     20200210阿部神社02



参道の狛犬。

     20200210阿部神社03


     20200210阿部神社04



手水舎。

     20200210阿部神社05


拝殿。

     20200210阿部神社06

一部パステルグリーンのトタンの壁面が印象的。



拝殿正面。

     20200210阿部神社07



拝殿正面に掲げられた扁額。

     20200210阿部神社08



別アングルからの拝殿。

     20200210阿部神社09


     20200210阿部神社10



そして、こちらが本殿。

     20200210阿部神社11



拝殿脇には、史跡の碑。

     20200210阿部神社13

阿部大明神は、この地を支配した豊田氏代々の尊祟を受けていましたが
豊田氏が多賀谷氏と戦を起こすようなると
宗道に鎮座する宗任神社へは参拝にいけなくなったため
阿部大明神は、『御代之宮(みがわりのみや)』と称されるようになったと言うことです。





びいすけ も参拝。

     20200210阿部神社12



拝殿脇には由緒が記された説明板。

     20200210阿部神社14



境内社。

     20200210阿部神社15


     20200210阿部神社16


     20200210阿部神社17


     20200210阿部神社18



境内の御神木。
      
     20200210阿部神社19
   20200210阿部神社20


別アングルから。

      20200210阿部神社21
     20200210阿部神社22


そして、こちらが阿部神社の御朱印。

     20200210阿部神社23



本務社の宗任神社にて拝受しました。




2020/03/16 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit