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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

御城印を求めて   《下小池城》  (2020年3月18日)(茨城県稲敷郡阿見町) 

3月18日

この日は、御城印を求めて、茨城県の阿見町に出かけました。


御城印は、阿見町の『だんごの やまだ』で手に入れ、
向かった先は...............下小池城址。


     20200318下小池城01




下小池城址は以前、訪れた事があります。
( その時の攻城記は こちら )

     20200318下小池城02




下小池城の城の歴史については不明ですが
北条氏傘下の土岐氏によって天正期に築城されたと推測されます。

敵対する牛久城主・岡見氏や佐竹氏・多賀谷氏に対抗するための境目の城であったとされ、
天正十八年(1590年)、秀吉の小田原征伐の際の江戸崎城落城とともに
下小池城も落城したとされています。

     20200318下小池城03



阿見町が建てた説明板。

     20200318下小池城04


     20200318下小池城05



下小池城址の一部は、小池城跡公園として整備されています。

     20200318下小池城06



三郭の空堀。

     20200318下小池城07


     20200318下小池城08


     20200318下小池城09


  

こちらは、二郭の空堀。

     20200318下小池城10



二郭虎口。

     20200318下小池城12



二郭内部から、虎口の土塁。

     20200318下小池城11


     20200318下小池城13



二郭。

     20200318下小池城14




主郭虎口。

     20200318下小池城15



主郭空堀。

     20200318下小池城16


     20200318下小池城17



主郭。

     20200318下小池城18


     20200318下小池城19


     20200318下小池城20


主郭周辺は、相変わらず下草が多い。
もう少し整備されていれば、言うことは無いんですが............

     20200318下小池城21


     20200318下小池城22


     20200318下小池城23



こちらが、下小池城の御城印。

     20200318下小池城24


牛久市、阿見町と順に御城印が頒布され、
龍ケ崎市でも御城印のイベントが計画されていたようですが
昨今の新型コロナウイルスの感染防止のためのイベントの自粛で中止になってしまったようです。
一日も早くコロナウイルスが終息して、龍ケ崎市の城郭の御城印のイベントが
開催されるのを期待するところです。


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2020/04/25 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

福田城址  (2020年3月18日)(茨城県稲敷郡阿見町) 

3月18日

この日は、御城印を求めて茨城県の阿見町にやって来ました。


阿見町の団子屋さん(だんごのやまだ)で御城印を手に入れます。

     20200318福田城01


向かった先は、福田城址。



福田城は、築城時期等詳細は不明ですが、
元々は上杉氏の城であったという事ですが
後には岡見氏の城となり、さらに天正年間になると、
江戸崎城の土岐氏の城館となったとされています。



こちらが、福田城の縄張り図。

      20200318福田城25

   ( 余湖さんのHPよりお借りしました )




台地下部より眺める高照寺の建つ台地。

     20200318福田城02

高照寺も福田城の一部とされています。



高照寺脇の切り通し。

     20200318福田城03



その両脇の土壇。

     20200318福田城04


     20200318福田城06




竹林に覆われ見づらいが、奥に空堀らしきものも見て取れる。

     20200318福田城05



この奥が高照寺。

     20200318福田城07

こちらは北参道口のようです。



高照寺山門。

     20200318福田城08

こちらが表参道になるようです。


この辺りは城址っぽい雰囲気。

     20200318福田城09



境内。

     20200318福田城10


     20200318福田城12


     20200318福田城13


高照寺本堂。

     20200318福田城14



本堂の扁額。

     20200318福田城15



境内に建つ高照寺の説明板。

     20200318福田城11

こちらの説明板に福田城について記されています。




高照寺の向かいにある阿弥陀堂。

     20200318福田城16



福田城址の一角である古城と呼ばれる地区。
その地区の民家と民家の間の細い道を進むと鳥居が現れる。

     20200318福田城17



鳥居の背後は土塁。

     20200318福田城18



その土塁の上には稲荷社が鎮座しています。

     20200318福田城19

稲荷社が在ると言うことは、江戸崎・土岐氏の城郭の証になるようです。



土塁の先は削平地。

     20200318福田城20

おそらく郭跡でしょう。


そして、その奥には竹藪。

     20200318福田城21



さらに、その奥には空堀。

     20200318福田城22



横矢の掛かった空堀。

     20200318福田城23

福田城址の1番の見所かもしれない。


こちらが、福田城の御城印。

     20200318福田城24

全国的にも無名で、さほど広大でもない城郭だけど
こうやって御城印が出来ると、うれしく感じるのは
やっぱり城好きなんだからでしょうね。



2020/04/24 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御城印を求めて   《塙城》 (2020年3月18日)(茨城県稲敷郡阿見町) 

3月18日

この日は御城印を求めて土浦市、そして阿見町へと出かけました。


土浦城址(亀城公園)をあとにして、阿見町へと向かいます。
先ずは、御城印の頒布先である団子の山田屋にて御城印を手に入れます。

     20200318塙城01



御城印を手にした後に向かった先は................塙城址。


塙城址には、以前に訪れた事があります。
(その時の攻城記は こちら



塙城の築城時期等、詳細は不明ですが、
江戸崎城主である土岐氏の支城とされています。
館野氏が城主であったという伝承もありますが、
城址には土塁や空堀などの遺構が確認出来、
それらの遺構は土岐氏時代のものだとされています。




塙城の登城路入口。

     20200318塙城02



以前は無かった城址の案内看板。

     20200318塙城03

手作り感が満載でちょっぴり微笑ましい。


こちらは、阿見町の説明板。

     20200318塙城04



それでは、塙城へ進軍いたしましょう。


以前は、この先へと進みましたが、現在は立入禁止。

     20200318塙城05



その代わりに矢印の看板が立てられ、順路を導いてくれます。

     20200318塙城06



下草などを刈り、順路も整備され、
以前と比べるとかなり手入れが行き届いています。

     20200318塙城07



以前は雑草に覆われていた空堀も
今はその姿をハッキリと確認出来ます。

     20200318塙城08


     20200318塙城09


     20200318塙城10



矢印の看板に導かれ堀底道を上って行きます。

     20200318塙城11


     20200318塙城12



稲荷神社。

     20200318塙城13

千葉氏関連の城郭に妙見神社が鎮座するように
土岐氏関連の城郭には稲荷社が鎮座する。
五穀豊穣を祈い、屋敷神として祀られているようです。


前回は、下草等の雑草に覆われ、この稲荷社辺りで進軍を断念しましたが
今はかなり整備され、先に進むのに躊躇しなくて済みます。



稲荷社のある辺りは二郭になります。

     20200318塙城18


     20200318塙城17


     20200318塙城16




ニ郭の土塁もしっかりと確認できる。

     20200318塙城14



先程の立入禁止を進めば、この虎口に辿り着くのでしょうか?

     20200318塙城15




空堀。

     20200318塙城19




この先は主郭。

     20200318塙城20



土塁。

     20200318塙城21



二郭から主郭への虎口。

     20200318塙城22



主郭の空堀。

     20200318塙城23



塙城の搦手口の登城口。

     20200318塙城24



この台地が塙城。

     20200318塙城25



この登城路を進めば、直接主郭へと続く。

     20200318塙城26

おそらく、後世に作られた登城路ではないのだろうか?




こちらが、塙城の御城印。

     20200318塙城27



茨城県下の御城印、頒布される城郭が着々と増えてきています。
城好きにはたまりません。


2020/04/24 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景   《 桜川堤と亀城公園 》   (2020年3月18日)(茨城県土浦市) 

3月18日

この日は、土浦市に出かけました。

御城印を求めて訪れた土浦城址。
城址の一部は、現在『亀城公園』となっていますが
その亀城公園が茨城百景の一つとなっています。

茨城県は、昭和25年に選定された茨城県内の100ヶ所の景勝地。
その茨城百景の選定地には、茨城百景の碑が建てられています。
数年前から、茨城百景に訪れ、その碑を探すのも楽しみの一つにしています。

土浦市内には、4ヶ所の茨城百景の地がありますが
どうした訳か? そのうちのの3ヶ所で茨城百景の碑が無くなってしまいました。
土浦市のHPでもその件については正式に公表しています)
唯一残っている碑もオリジナルでなく、後日建立されたもののようです。

従って、『茨城百景 桜川堤と亀城公園 』の碑はありません。



土浦市民博物館の横、亀城公園の入口です。

     20200318茨城百景 亀城公園01



ここにも自粛の案内。
『土浦桜まつり』も中止。
新型コロナウイルスの影響ですね。

     20200318茨城百景 亀城公園02


 

亀城公園は土浦城址でもある。

     20200318茨城百景 亀城公園03

江戸時代末期まで現存し、明治初期に廃城となった土浦城。
その土浦城の太鼓櫓門。



太鼓櫓門の前には城址碑。

     20200318茨城百景 亀城公園04



太鼓櫓門の先は本丸跡。

     20200318茨城百景 亀城公園06


     20200318茨城百景 亀城公園07


     20200318茨城百景 亀城公園08


     20200318茨城百景 亀城公園14



西櫓(再建)。

     20200318茨城百景 亀城公園09


東櫓(再建)。

     20200318茨城百景 亀城公園10


本丸土塁から見る水堀。

     20200318茨城百景 亀城公園05


     20200318茨城百景 亀城公園24

     


二の丸跡の芝生広場。

     20200318茨城百景 亀城公園11


     20200318茨城百景 亀城公園12


     20200318茨城百景 亀城公園13




     
茨城県の天然記念物に指定されたシイの木。

       20200318茨城百景 亀城公園17
     20200318茨城百景 亀城公園18

『亀城のシイ』と呼ばれ、
胸高周は約7m、樹高は約16m、枝振り約21m、
樹齢は約500年とされ、県下有数の巨木です。

こちらは、ミニ動物園。

     20200318茨城百景 亀城公園19



檻だけで、何も飼育されていないかと思っていたら
びいすけ が何かに気付いたようです。

     20200318茨城百景 亀城公園20



よく見ると、檻の中には日本猿が居ました。

     20200318茨城百景 亀城公園21



犬猿の仲って言うからね。
近付かない方が無難でしょう。

檻の裏手、本丸土塁の上に移動しても
びいすけ は猿が気になるようです。

     20200318茨城百景 亀城公園22


     20200318茨城百景 亀城公園23




「噴水池」

     20200318茨城百景 亀城公園15


     20200318茨城百景 亀城公園16

     

     

「噴水池」の源になるのか?『亀城の泉』

     20200318茨城百景 亀城公園25



この泉の水が噴水池に流れている。

     20200318茨城百景 亀城公園26


土浦城は広大であり、亀城公園は土浦城の一部。
その城址の一部を茨城百景の地に選定したのに、記念のその碑が無い。
何とも残念ですね。



2020/04/23 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............片野小学校 (2020年2月17日)(茨城県石岡市) 

2月17日   

この日は、茨城県の桜川市に出かけ、
その帰りに石岡市に立ち寄りました。

下青柳小学校をあとにして、
向かった先は.........石岡市立片野小学校。


片野小学校の詳細な沿革は不明です。

ただ現地に在った、学校跡の碑に記されたいた内容から
明治8年に創立した小学校のようです。

明治、大正、昭和と時代の変遷の中、
片野村から柿岡町、八郷町と変わり
昭和49年旧・八郷町立柿岡小学校(現:石岡市立柿岡小学校)に統合されて
廃校となりました。




こちらが正門跡。

     20200217片野小学校01



門柱の裏面には何やら刻まれていますが、よく読めない。
何かの記念のようです。

     20200217片野小学校02



こちらは、建立年月日が刻まれているようですが、確認は出来ません。

     20200217片野小学校03



昭和49年に廃校となった片野小学校。

     20200217片野小学校04



廃校から45年。
校舎は解体され、現在は片野公民館となっています。

     20200217片野小学校05



敷地の一角に残る二宮像。

     20200217片野小学校06


     20200217片野小学校07



こちらは、片野小学校跡碑。

     20200217片野小学校08

廃校は、昭和49年ですが、建立されたのは平成6年。



文字が擦れて読みづらいですが、統合記念の碑。

     20200217片野小学校09

こちらは、片野小学校が柿岡小学校に統合された時に作られたんですね。




校庭。

     20200217片野小学校10


     20200217片野小学校13



赤錆びた朝礼台。

     20200217片野小学校11



ポツンと立つバスケットゴール。

     20200217片野小学校12


     20200217片野小学校19




校庭に残る遊具類。

     20200217片野小学校14


     20200217片野小学校15


     20200217片野小学校16


     20200217片野小学校17


     20200217片野小学校18



公民館として利用されているから、敷地内には倉庫も多い。

     20200217片野小学校21

お祭りの御輿でも入っているのだろうか?



そして、お約束とも言える災害倉庫。

     20200217片野小学校22



敷地のフェンス沿いには桜の木。

     20200217片野小学校20


毎年綺麗な花を咲かせているんでしょう。


こちらの前に訪れた廃校跡に、ほとんど遺構が残っていなかったから
正直言って、あまり期待していなかったけれど
二宮像があったり、門柱がしっかり残っていたりと
期待以上の廃校跡でした。






2020/04/05 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............下青柳小学校        (2020年2月17日)(茨城県石岡市) 

2月17日

この日は、茨城県の桜川市、石岡市に出かけました。

足尾神社 里宮をあとにして、向かった先は.........旧・小幡村立下青柳小学校。

下青柳小学校の詳細な沿革は不明で、創立時期等も不明です。

昭和32年旧・小幡村立小幡小学校(現:石岡市立小幡小学校)に統合されて
廃校となったようです。



Wikipedia の茨城県の廃校(小学校)に載っている下青柳小学校。
ネットでいろいろ調べても情報は得られない。
以前、石岡市の教育委員会に問い合わせたら
石岡市下青柳の下青柳田園都市センターが
下青柳小学校跡だと教えてくれました。

それから、2年ほど経ったのでしょうか?
いつか訪れようと思いながら、今日になってしまいました。



正門跡。

     20200217下青柳小学校跡01

今から62年前に廃校になった小学校。
正門跡と言っても往時の門柱などは残っていません。



しかし、正門跡脇の古い桜の木が、学校跡らしさを醸し出してくれます。

   20200217下青柳小学校跡02
    20200217下青柳小学校跡03



とうぜん、校舎もすでに解体されていて、
新たな建物が建てられています。

     20200217下青柳小学校跡04



下青柳田園都市センターという建物。

     20200217下青柳小学校跡05



公民館というよりは研修所っぽい感じの建物。

     20200217下青柳小学校跡06



敷地内に学校遺構が残っていないか?
探してみますが、それっぽいモノは見当たらない。

     20200217下青柳小学校跡07


ゆいいつ、それっぽいものは、植え込みの奥に隠れるように建っていた碑。

     20200217下青柳小学校跡08

残念ながら碑文が読めず、
何の記念碑(?)なのかは確認できず...............



二宮像や学校跡碑、廃校記念碑の類は無い。

     20200217下青柳小学校跡09



遊具も残されいない。

     20200217下青柳小学校跡11


     20200217下青柳小学校跡12



敷地の外周に植えられ、大きく育った桜の木々が
学校跡を感じさせてくれる。

     20200217下青柳小学校跡10

この場所に、この地に、遠い昔学校が在った。
それも紛れもない事実で、忘れ去られている事実です。




2020/04/04 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 旧・葦穂小学校跡    (2020年2月17日)(茨城県石岡市) 

2月17日

この日は茨城県の桜川市に出かけ、その後石岡市経由で帰ってきました。

石岡市にも行きたい所、立ち寄りたい所はいっぱいある。
そんなわけで、向かった先は...............旧・八郷町立 旧・葦穂小学校跡。


始めにお断り。
葦穂小学校は、廃校ではありませんが
明治8年に開校した小屋小学校がその始まりとされています。


明治8年     小屋小学校設立。
明治22年    葦穂尋常小学校と改称する。
明治43年    葦穂尋常高等小学校設立。
        鯨岡に分教場 をおく
昭和22年    学制改革により葦穂村立葦穂第一小学校と改称する。
昭和30年    葦穂村が柿岡町、小幡村、恋瀬村、瓦会村、園部村、林村、小桜村と合併し八郷町が誕生。
        八郷町立葦穂小学校と改称する。
昭和37年    鯨岡分校を統合し、その校地に新校舎建設。葦穂小学校は移転する。

と、昭和37年までの沿革ですが
葦穂小学校は現在の校地とは別な場所に存在していました。



実は、この旧・葦穂小学校についての情報は乏しく
以前、石岡市の教育委員会に問い合わせてみても
詳細を知る方がいなくて分からずじまいでした。

何回かこの近くに来る度に地元の方に聞いたりして
おおよその場所にあたりをつけていました。


その場所は、とある商店の裏にある空き地。
その商店のオバちゃんに尋ねてみると、
間違いなく商店裏の空き地が、旧・葦穂小学校の跡地でした。

     20200217旧葦穂小学校跡01


校舎どころか、学校跡を彷彿させるようなモノが一切無い。

     20200217旧葦穂小学校跡02


     20200217旧葦穂小学校跡03


知らない人が見れば、
とてもこの場所が学校跡だと思う人は居ないでしょう。

     20200217旧葦穂小学校跡04


     20200217旧葦穂小学校跡05


     20200217旧葦穂小学校跡06


せめて、記念碑とかが残っていれば良かったんですけどね。
やっぱり、畑の跡にしか見えませんね。






2020/04/03 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

加波山神社 八郷拝殿  (2020年2月17日)(茨城県石岡市) 

2月17日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。

水戸線の羽黒駅近くに鎮座する東山香取神社への参拝を終え、さてどうしょうか?

とりあえず、駅のトイレを借りて済ませると
目の前には、こんな碑。

     20200217加波山神社石岡礼拝所15


『男の友情』って、確か笠間市の廃校の箱田小学校の体育館前にも碑が建っていた。
そんなことを思い出した。


そういえば、桜川市のお隣の石岡市にも幾つかの廃校跡があるし、
気になる神社もある。
石岡市経由で帰ることにしました。
そんなわけで、向かった先は..............加波山神社 八郷拝殿



加波山神社 八郷拝殿は、石岡市大塚に鎮座する神社です。


加波山神社は、古くは文殊院(もんじゅいん)という宮寺一体の真言宗寺院で
加波山大権現と称し、加波山信仰に基づく信仰の対象でした。
その加波山大権現は、明治期の神仏離合令により、
加波山神社、本宮、親宮の3神社に分かれてしまいました。
この辺りは、どうも大人の事情のようです。
加波山神社は、加波山神社中宮とも称されていますが
本宮、親宮の方は、加波山三枝祇神社本宮と称され
桜川市の真壁町長岡に里宮を置いています。

その加波山神社も
山頂本殿・拝殿( 石岡市大塚)
八郷拝殿 (石岡市大塚)
真壁拝殿 (桜川市真壁町長岡)と3つの拝殿を有しています。

以前、真壁拝殿には二度と参拝に来ています。
( 1回目はこちら 2回目は こちら )


こちらが、八郷拝殿の社号標。

     20200217加波山神社石岡礼拝所01



神社社頭。

     20200217加波山神社石岡礼拝所02

あいにくの小雨混じりの曇り空。
拝殿背後に見える筈の加波山も見えない。



手水舎。

     20200217加波山神社石岡礼拝所03



拝殿。

     20200217加波山神社石岡礼拝所04



拝殿前の狛犬。

     20200217加波山神社石岡礼拝所05



     20200217加波山神社石岡礼拝所06



別アングルからの拝殿。

     20200217加波山神社石岡礼拝所07


     20200217加波山神社石岡礼拝所08



びいすけ も参拝します。

     20200217加波山神社石岡礼拝所09



境内社。

     20200217加波山神社石岡礼拝所10



残念ながら、雲は厚く麓まで視界をさえぎり信仰の対象である加波山の姿を
この目で拝むことは出来ない。

     20200217加波山神社石岡礼拝所11



普段は無人の八郷拝殿。
定期的に真壁拝殿か宮司さんが通っているらしい。

真壁拝殿に電話を入れ宮司さんと連絡を取ったら
携帯電話に転送され、この日は県外に出かけていて不在とのことでした。

機会があれば、御朱印をお願いしたいものです。




ここで、気になるモノが..................




境内に隣接する木造の建物。

     20200217加波山神社石岡礼拝所12



一瞬、分校跡の校舎のようにも見える。

     20200217加波山神社石岡礼拝所13



犬の散歩で通りかかった地元の御婦人に訊いてみたら
どうやら古くからの公民館の建物らしい。

     20200217加波山神社石岡礼拝所14

廃校巡りをしていると、ついつい校舎跡なんて思ったりしちゃいます。
悲しい性ですね。



2020/04/03 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

再訪  東山香取神社   (2020年2月17日)(茨城県桜川市) 

2月17日

この日は茨城県の桜川市に出かけました。

当初の最たる目的は、歴史的建造物の古い街並みを歩き、
『真壁のひなまつり』を楽しむつもりでしたが、
真壁小学校を探索している時に、ポツリポツリと雨が降り出し
本降りになったら、ひな人形を見ている場合じゃなくなっちゃうから予定を変更。
『真壁のひなまつり』は後日改めて訪れることにして、
1月に宮司さんにお会いする事が出来なかった東山香取神社の事が頭によぎります。
( その時の記事は こちら )。

電話をすると、御高齢の宮司さんが応対してくれるけれど、会話が噛み合わない(笑)。
とりあえず、参拝に伺う旨を伝えて東山香取神社へと向かいます。


神社社頭。

     20200217東山香取神社01



手水舎。

     20200217東山香取神社02



拝殿。

     20200217東山香取神社03


     20200217東山香取神社04



拝殿正面。

     20200217東山香取神社05



拝殿正面に掲げられた扁額。

     20200217東山香取神社06


     20200217東山香取神社07


     20200217東山香取神社08


     20200217東山香取神社09



拝殿の鬼瓦。

     20200217東山香取神社10



別アングルからの拝殿。

     20200217東山香取神社11


     20200217東山香取神社12



そして、こちらが本殿。

     20200217東山香取神社13



拝殿前の狛犬。

     20200217東山香取神社14


     20200217東山香取神社15



びいすけ も参拝。

     20200217東山香取神社16

社務所は閉まっていますが、前回訪問した時に宮司さん宅は聞いていたから
参拝後、宮司さん宅を訪ねます。


こちらが、東山香取神社の御朱印。

     20200217東山香取神社17


御高齢ではありますが、お元気な宮司さんが
御朱印の対応をしてくださりました。

ありがとうございました。





2020/04/02 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

田村神社    (2020年2月17日)(茨城県桜川市) 

2月17日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。

廃校となった真壁小学校に隣接するように
敷地内に鎮座する田村神社。
真壁小学校跡地の散策ついでに田村神社に参拝いたしました。


田村神社は、桜川市真壁町に鎮座する神社です。

色々とネットで調べてみたのですが、由緒は不明。
したがって創建時期も不明です。

御祭神は、素盞嗚命。





社号標。

     20200217田村神社01



神社社頭。

     20200217田村神社02



参道。

     20200217田村神社03



社殿。

     20200217田村神社04


     20200217田村神社09




社殿と御神木。

     20200217田村神社05
     20200217田村神社06
     20200217田村神社07

かなり枝打ちされてしまったけれど、立派な古木。



手水鉢。

     20200217田村神社08



社殿内部。

     20200217田村神社10



社殿に掲げられた扁額。

     20200217田村神社11


地震で倒壊したのか?
積み上げられた祠。

     20200217田村神社12



神仏習合の名残でしょうか?
馬頭観音。

     20200217田村神社13



社務所は無いけれど、地域のコミュニティーセンター(集会所)。

     20200217田村神社14

祭礼の時には、こちらに氏子さんたちが集まるのでしょう。



かつての御神木の切株でしょうか?

     20200217田村神社15



昨年の秋の台風で被害があったのでしょうか?
それとも隣接する真壁小学校の校舎解体に合わせ
境内の木々も伐採されたのでしょうか?

     20200217田村神社16


廃校になった真壁小学校に来る事がなければ
この神社に来ることもなかったでしょう。
参拝することもなかったでしょう。

これも一つの縁ですね.....................。



2020/04/02 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 真壁小学校  (2020年2月17日)(茨城県桜川市) 

2月17日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。

紫尾小学校をあとにして、向かった先は...............桜川市立真壁小学校。

真壁小学校は、

明治6年      旧笠間藩陣屋官舎を借用して真壁小学校が創立される。
明治16年     高等真壁小学校と改称する。
明治25年     真壁町立真壁尋常小学校と改称する。
明治42年     真壁町立真壁尋常高等小学校と改称する。
昭和22年     学制改革により.真壁町立真壁小学校と改称する。
平成17年     真壁町が岩瀬町、大和村と合併して桜川市が誕生。
          桜川市立真壁小学校と改称する。
平成30年     紫尾小学校、真壁小学校、桃山中学校統合して、
         小中一貫校『桃山学園』が発足する。
         真壁小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。




こちらが、真壁小学校の正門のようです。

     20200217真壁小学校01



真壁石を使った門柱。

     20200217真壁小学校02



ポツリ、ポツリと小雨に濡れる門柱。

     20200217真壁小学校03


門柱に残る表札。

     20200217真壁小学校04



廃校は平成30年の3月。
今から約2年前。
校舎はすでに解体され、跡地は更地状態。

     20200217真壁小学校05



     20200217真壁小学校08



校庭跡には、遊具も残されていなくて殺風景。

     20200217真壁小学校09


     20200217真壁小学校13





こちらも校門跡。

     20200217真壁小学校06

こちらには、コミュニティバスのバス停があります。
バス停名は『旧・真壁小学校』となっています。



石造りの古い門柱。

     20200217真壁小学校07

きっと、かつての正門に使われていた門柱なんでしょう。



そして、こちらも校門跡。

     20200217真壁小学校10



4〜5年前に廃校になる前の真壁小学校を見に来た時、
この門の近くまで来た事があります。

     20200217真壁小学校11



昭和61年度の卒業生が建立したモノなんですね。

     20200217真壁小学校12




校舎は解体されて残っていませんが
プールと体育館は残っています。


プールのフェンスの基礎部には、子供達の作ったレリーフが埋め込まれています。

     20200217真壁小学校14


     20200217真壁小学校15



こちらは、体育館。

     20200217真壁小学校16

体育館は、そのまま市民体育館として活用されているようです。



そして、その体育館の中庭に真壁小学校の遺構が移設されています。



二宮像。

     20200217真壁小学校17


     20200217真壁小学校18



タイトルは不明、少年少女の像。

     20200217真壁小学校19



ボールを持つ子供の像。

     20200217真壁小学校20



『むぎ』というタイトルの麦を抱える子供の像。

     20200217真壁小学校21



こちらは、真壁小学校創立百周年記念碑。

     20200217真壁小学校22


     20200217真壁小学校23



こちらの訓辞の碑。

     20200217真壁小学校24



そして、小振りながら『閉校記念碑』。

     20200217真壁小学校25


     20200217真壁小学校26

yしゃり、形の大きさは別として、
『閉校記念碑』、『学校跡碑』と言った類いの碑が在るのと、
無いのとでは、こちらのテンションも変わってくる。

と言うことは、それ以上に卒業生にとっても
受け止め方が変わってくるんだろう。
やっぱり、自分の母校は忘れられないものなんでしょう.................。





2020/04/01 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 紫尾小学校  (2020年2月17日)(茨城県桜川市) 

2月17日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。

椎尾山薬王院をあとにして、向かった先は...............桜川市立紫尾小学校。

紫尾小学校は、

明治7年     椎尾神社妙光寺の境内に広明小学校が創立する
明治8年     椎尾小学校と改称する。
明治16年    中等椎尾小学校と改称する。
明治22年    羽鳥村・椎尾村・東山田村・酒寄村が合併し紫尾村が誕生。
        椎尾尋常小学校と改称し、酒寄分校を設置する。
明治23年    羽鳥分校を設置する。
明治26年    紫尾村立尋常高等小学校と改称する。
昭和22年    学制改革により、紫尾村立紫尾小学校と改称する。
昭和29年    紫尾村が真壁町、谷貝村、樺穂村と合併して新たな真壁町が誕生。
         真壁町立紫尾小学校と改称する。
昭和33年    羽鳥分校が真壁小学校に統合される。
昭和53年    酒寄分校が本校に統合される。
平成17年    真壁町が岩瀬町、大和村と合併して桜川市が誕生。
         桜川市立紫尾小学校と改称する。
平成30年    紫尾小学校、真壁小学校、桃山中学校統合して、
         小中一貫校『桃山学園』が発足する。
         紫尾小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが紫尾小学校の正門。

     20200217紫尾小学校01


門柱には大きな表札が掲げられています。

     20200217紫尾小学校02



紫尾小学校校舎。

     20200217紫尾小学校03



鉄筋コンクリート2階建の校舎。

     20200217紫尾小学校04


     20200217紫尾小学校05



正面玄関。

     20200217紫尾小学校06



正面玄関の庇に掲げられた校章。

     20200217紫尾小学校07



正面玄関に掲げられた表札。

     20200217紫尾小学校08 



この校舎は昭和53年に建てられたモノのようです。

     20200217紫尾小学校09



と言う事は、建ってから43年。
いずれ解体と言うことになってしまい 
その姿を見る事が出来なくなってしまうのだろうか?

     20200217紫尾小学校10


校舎の前庭には二宮像。

     20200217紫尾小学校11


     20200217紫尾小学校12



こちらは、トーテムポール。

     20200217紫尾小学校13

今では見る事も少なくなりました。


そのトーテムポールは、昭和57年度の卒業生の贈り物のようです。

     20200217紫尾小学校14
  


校歌の碑。

     20200217紫尾小学校15



こちらは、昭和44年度と昭和53年度の卒業生の贈り物のようです。

     20200217紫尾小学校16


前庭には、碑やモニュメントが幾つか残っている。

     20200217紫尾小学校17


     20200217紫尾小学校18


     20200217紫尾小学校19


     20200217紫尾小学校20
  


こちらは、体育館。

     20200217紫尾小学校21


     20200217紫尾小学校22



校舎の裏手に広い校庭。

     20200217紫尾小学校23


     20200217紫尾小学校24


     20200217紫尾小学校25



校庭に残る遊具類。

     20200217紫尾小学校26


     20200217紫尾小学校27


     20200217紫尾小学校28


校庭の片隅には朝礼台。

     20200217紫尾小学校33
 

 


校舎と校庭の間には、もう一つ別な校舎。

     20200217紫尾小学校32


こちらは一的には東側になるから東門?

     20200217紫尾小学校29


門柱に残る表札。

     20200217紫尾小学校30


そして、正門との間にもう一つの門。

     20200217紫尾小学校31

石造りの古い門柱だから、こちらがかつての正門だったのでしょう。
     


いずれにしても、この校舎がいつまで残っているのか?
廃校記念碑や学校跡碑が無いから、
出来れば校舎をずっと残しておいて欲しいと思うのは私だけ.........?







2020/04/01 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り.........椎尾山薬王院   (2020年2月17日)(茨城県桜川市) 

2月17日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。


椎尾不動滝をあとにして、向かった先は...............椎尾山薬王院。

椎尾山薬王院は、標高200mの椎尾山中にあり、
延歴元年(782年)最仙上人が開山したと伝えられる天台宗の古刹です。
県指定文化財天然記念物であるスダジイ(椎の木)の巨木群生地でもあります。
境内には名大工桜井一門の手による三重塔(県指定文化財)や
仁王門(市指定文化財)などが建造され、
古来より病気平癒の霊場で知られています。



薬王院の寺号標。

     20200217薬王院01



時期的に真壁のひなまつりの開催時期。
こちらの薬王院もひなまつりの会場の一つのようです。

     20200217薬王院02


     20200217薬王院03


薬王院の参拝順路ごあるようですが
とりあえず、駐車場から一番近い阿弥陀堂へ。


この石段の先が阿弥陀堂。

     20200217薬王院04

     20200217薬王院05


こちらが、阿弥陀堂。

     20200217薬王院25


阿弥陀堂前のお地蔵さん。

     20200217薬王院30


そして、その隣には『ふどうの水』。

     20200217薬王院29



では、順路に従って廻ってみましょう。



こちらは、楼門。

     20200217薬王院06


     20200217薬王院07



楼門の脇には大きな下駄と草鞋。

     20200217薬王院08



楼門脇に建つ説明板。

     20200217薬王院09


     20200217薬王院10



楼門の先は、勾配のきつい石段。

     20200217薬王院11

この石段の先には薬王院の本堂が待っています。


石段を上がりました。

     20200217薬王院12


手水舎。

     20200217薬王院13



本堂正面。

     20200217薬王院14


     20200217薬王院16



扁額。

     20200217薬王院15



本堂前の仏像。

     20200217薬王院17


仏像には詳しくありませんが、
どうやら、こちらが薬師如来像のようです。

     20200217薬王院21




鐘楼。

     20200217薬王院18



三重塔。

     20200217薬王院19



三重塔とスダジイ。

     20200217薬王院22


薬王院はスダジイの群生地。

     20200217薬王院20



     20200217薬王院23



樹齢500年とされる古木のスダジイは圧巻。

     20200217薬王院35


     20200217薬王院36


     20200217薬王院37
     20200217薬王院38



境内の池にはひな人形が飾られている。

     20200217薬王院26


     20200217薬王院27


     20200217薬王院28


 
こちらは、授与所。

     20200217薬王院31



授与所は閉まっているけど
授与所の中にも、ひな人形が飾られています。

     20200217薬王院32


     20200217薬王院33

まさに、『真壁のひなまつり』の会場である。


平良兼の碑。

     20200217薬王院34

平良兼って平将門の叔父ではあるけれど、
不仲で将門との一族の対立の中心に立った人物。

確か、伝承になるけれど平良兼館がこの近くに在ったらしい。




こちらが、薬王院の御朱印。

     20200217薬王院39

『真壁のひなまつり』の会場でなければ、
きっと訪れる事もなかったでしょう。

七福神とかでは無くて、単なる御朱印が欲しくて寺院に訪れるのって
個人的には余りないから...............

薬王院の御朱印は
私の中では、ある意味で貴重な御朱印になるようです。


2020/03/31 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

椎尾不動滝   (2020年2月17日)(茨城県桜川市) 

2月17日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。

桜川市の椎尾山に小さいながらも滝が在ると言う事で
向かった先は...............椎尾不動の滝。


椎尾不動の滝は超マイナーな滝。
ネットで調べても詳細は分からない。

落差は4mの滝としか分かりません。
一部のサイトでは、『椎尾滝の入不動尊の滝』として
紹介されているようです。



民家脇の狭い道を進み、椎尾不動の滝に到着です。

     20200217椎尾不動滝01



思ってた以上に小さな滝。

     20200217椎尾不動滝02



前日は雨だっから、水量にちょっぴり期待していたんだけど
迫力は今一つ。

     20200217椎尾不動滝03


2〜3mの滝が間隔を開けて3段ぐらいになる滝。

     20200217椎尾不動滝04


     20200217椎尾不動滝05


     20200217椎尾不動滝06


     20200217椎尾不動滝07



川の対岸に小さなお堂がある。

     20200217椎尾不動滝08



赤いペンキの落書き(?)が気になるけど
中には不動像(?)

     20200217椎尾不動滝09


このお堂と像が不動滝の名の由来かも知れませんね。



2020/03/31 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御城印を求めて   《東林寺城址》  (2020年2月12日)(茨城県牛久市) 

2月12日

この日は、茨城県鹿嶋市牛久市に出かけました。

最近になって知ったのですが.........

牛久市内の城址の御城印が発行されていると知り、この日は奔走しました。

小坂城、岡見城と御城印を手に入れ、
城址も攻略し更なる御城印を求めます。
JR牛久駅近くにある『芋千』にて、
牛久城、東林寺城の御城印を手に入れます。
そして、牛久城を再攻略し、東林寺城址へと向かいます。

東林寺城址も以前に訪れた事がある城址です。
( その時の攻城記は こちら )



東林寺城址は、その名の如く 東林寺のある背後の台地が城域の城になります。
牛久城の北西に位置し、牛久沼に半島状に伸びた台地の南端に築かれていました。



その城郭の一部である東林寺は曹洞宗の寺院です。

     20200212東林寺城址01


     20200212東林寺城址02



山門。

     20200212東林寺城址03



本堂。

     20200212東林寺城址04



本堂の扁額。

     20200212東林寺城址05




本堂の裏手の墓地の一角に、東林寺城址から出土された五輪塔があります。

     20200212東林寺城址06


     20200212東林寺城址10


     20200212東林寺城址07



東林寺城址には城址碑や城址の説明板と言った類いのモノは無く
東林寺城址を示すモノは、この五輪塔の説明板のみ。

     20200212東林寺城址08



墓地の奥には、土壇。

     20200212東林寺城址09



墓地造成時に改変されているかとは思うけれど
土塁のようにも見える。

     20200212東林寺城址11



東林寺の墓地を抜けて、台地頂部を移動します。
東林寺の敷地奥の台地が三郭になります。


三郭から二郭への土橋。

     20200212東林寺城址12

空堀も一部分残っているけど、野生化していて藪状態。



二郭。

     20200212東林寺城址13

二郭を含め、東林寺城址の郭跡の多くは耕作化され、
畑となっています



残念ながら主郭のある台地先端は削られ、隠滅してしまいました。
二郭先端からの牛久沼の眺望。

     20200212東林寺城址14

対岸の台地が牛久城址になるようです。



三郭。

     20200212東林寺城址15


三郭の多くも耕作化され畑と化しています。

     20200212東林寺城址16


     20200212東林寺城址17



前回は三郭の先(四郭)には行かなかったので
今回は、四郭に向けて進軍いたしましょう。

     20200212東林寺城址18



三郭と四郭を隔てる空堀があり、土塁もあります。

     20200212東林寺城址19


空堀に掛かる土橋。

     20200212東林寺城址20



空堀は、それなりの深さはあるけれど、雑草や木々が伸びて藪状態。

     20200212東林寺城址21



この時期で、この状態ならば、夏の時期には凄い事になっているだろう。

     20200212東林寺城址22



土橋の上から眺める三郭の土塁。

     20200212東林寺城址23


     20200212東林寺城址24



土塁の一部は櫓台のような土台となっていて
その頂部には、祠が祀られている。

     20200212東林寺城址25

この辺りの土塁は見応えがありますね。



こちらが、東林寺城(址)の御城印。

     20200212東林寺城址26


この日、駆け足で『小坂城址』『岡見城址』『牛久城址』『東林寺城址』と巡ったけど久しぶりに城址巡りをしたと言う満足感に満たされました。

御城印巡りも悪く無いですね。




2020/03/30 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

得月院   (2020年2月12日)(茨城県牛久市) 

2月12日

この日は、茨城県の牛久市に出かけました。

最近、牛久市内の城址の御城印が発行されていると知り、
この日は奔走していました。
牛久城址の御城印を手に入れ、牛久城址も再訪し
牛久城址の大手門跡にも立ち寄りました。

牛久城址の大手門跡に隣接するのか、得月院。


得月院は、文禄三年(1594年)牛久城に移り住んだ
妙印尼輝子が開基した寺院で、曹洞宗の古刹です。


こちらが得月院の山門。

     20200212得月院01
  


こちらは、四脚門。

     20200212得月院02


得月院は、近代日本画壇の巨匠 小川芋銭の菩提寺としても知られています。

     20200212得月院03



手水舎。

     20200212得月院15



本堂。

     20200212得月院04



本堂に掲げられた扁額。     

     20200212得月院05



こちらの得月院には閻魔堂があり、
閻魔王座像が安置されています。

     20200212得月院06



山門(四脚門)をくぐって左側に閻魔堂。

     20200212得月院07



隙間から覗き込むと、閻魔王座像。

     20200212得月院08



境内には妙見菩薩像も祀られています。

     20200212得月院09



亀の化身(?)、玄武の上に乗る妙見菩薩。
頭巾をかぶっているから、それっぽく見えない。

     20200212得月院10

パッと見、単なるお地蔵さんにしか見えない。



得月院五輪塔。

     20200212得月院11

得月院開基妙尼(当時の牛久城主・由良国繁の母)の墓碑になります。
文禄3年(1954年)に死去しました。

五輪塔は下から四角・円・三角・半円・如意珠形の五輪を積み上げ、
それぞれ『地』・『水』・『火』・『風』・『空』の五大を表しています。



こちらは、小川芋銭の墓碑。

     20200212得月院12




     

牛久市指定天然記念物の榧の木。

     20200212得月院14

樹齢500年を超える古木になるそうです。


寺務所は閉まっています。

     20200212得月院13

連絡先の貼り紙があり、電話をしてみると
地域の区長さんが出られました。
どうやら、現在は無住の寺院となってしまったそうです。
御朱印についての問い合わせも多く、
いずれ対応も考えたいとの事でした。

楽しみに待ちましょう。





2020/03/29 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御城印を求めて   《牛久城址》  (2020年2月12日)(茨城県牛久市) 

2月12日

この日は、茨城県牛久市に出かけました。

最近になって知ったのですが.........

牛久市内の城址の御城印が発行されていると知り、
この日は奔走しました。

小坂城、岡見城と御城印を手に入れ、
城址も攻略し更なる御城印を求めます。
JR牛久駅近くにある『芋千』にて、
牛久城、東林寺城の御城印を手に入れます。

     20200212牛久城址27




牛久城址、東林寺城址のいずれも訪れてはいますが
御城印を手にしたからには、城址も再攻略いたしましょう。

と言うことで、先ずは牛久城址へと向かいます。

牛久城址も以前訪れた事があり、これで2回目の訪問となります。
( その時の攻城記は こちら )



牛久城の城域も広く、主郭や二郭と大手門との距離はかなり有る。


こちらが、大手門跡。

     20200212牛久城址01


     20200212牛久城址02


     20200212牛久城址03



大手門近くに鎮座する社。

     20200212牛久城址04

古くから、この場所に鎮座していたようです。



大手門跡から根古屋を抜けて、三の丸近くまで車で侵入する事が出来ます。

     20200212牛久城址05



牛久城址の説明板。

     20200212牛久城址06


     20200212牛久城址29


ここから車を離れ、自分の足で進軍です。

     20200212牛久城址08


大きく口を開けるかのようには待ち構える空堀。

     20200212牛久城址07




空堀に掛かる土橋。
     
     20200212牛久城址09



土橋の先には虎口が待ち構える。
 
     20200212牛久城址11


虎口の土塁。

     20200212牛久城址12




さらに進みます。

     20200212牛久城址10

     20200212牛久城址13


二の丸と本丸を隔てる空堀。

     20200212牛久城址14


     20200212牛久城址15 



右側が二の丸、左側が本丸。

     20200212牛久城址25


     20200212牛久城址26



二の丸の空堀な掛かる土橋。

     20200212牛久城址16



竹藪の先が、二の丸の虎口。

     20200212牛久城址17



こちらが、二の丸曲輪。

     20200212牛久城址18



てっきり、こちらが本丸曲輪だと勘違いして
御城印のバックに写真撮り。

     20200212牛久城址19


     20200212牛久城址20


     20200212牛久城址21


こちらが、本丸虎口。

     20200212牛久城址22


虎口の土塁。

     20200212牛久城址23



自宅に帰ってくるまで、てっきりこちらは二の丸曲輪と勘違いしていました。


     20200212牛久城址24



こちらが、牛久城(址)の御城印。

     20200212牛久城址28


約6年振りに再訪した牛久城址。
連郭式、小田原北条氏の城の特徴を持つ牛久城址。
これぞ戦国時代の山城、関東の土の城。

やっぱり、『土の城は良い』と思うのは私だけ...............?





2020/03/29 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御城印を求めて   《岡見城址》  (2020年2月12日)(茨城県牛久市) 

2月12日

この日は、茨城県の牛久市に出かけました。

最近、牛久市内の城址の御城印が発行されていると知り、この日は奔走しました。

『ヤマイチ味噌』で、小坂城と岡見城の御城印を手に入れます。
小坂城も岡見城も訪れたことがありますが
せっかく御城印を手に入れたんだから
先ずは小坂城址も再攻略いたします。
更には岡見城址へと足を伸ばします。


岡見城址に訪れるのは、これで2回目。
( 前回の攻城記は こちら )

 

びいすけ の背後の森が岡見城址。

     20200212小坂城址29


では、岡見城へ進軍いたしましょう。




こちらが、登城口。

     20200212岡見城址01



竹藪の間の登城路を進みます。

     20200212岡見城址02



所々、倒木があって行手を遮ります。

     20200212岡見城址03


お世辞にも手入れが行き届いているとは言えない。
かろうじて、空堀が確認出来る。

     20200212岡見城址04



主郭へと足を進めるが、やはり倒木や竹藪が邪魔になる。

     20200212岡見城址05


主郭の土塁。

     20200212岡見城址08


主郭内部。
完全な藪状態。

     20200212岡見城址06



進軍する気が失せて来ます(笑)。

     20200212岡見城址07

まあ、過去に一度来ているし、この先何も無い事も知っているから
素直にこの場から撤収いたします(笑)。



先ほどの土塁の奥には、埋もれかけている空堀。

     20200212岡見城址09


     20200212岡見城址10



こんな祠も建っています。

     20200212岡見城址11



空堀に沿って進軍します。

     20200212岡見城址12


     20200212岡見城址13


     20200212岡見城址14


     20200212岡見城址15



空堀の先にちょっと拓けた場所になり
そこには城址碑と供養塔が並ぶ。

     20200212岡見城址16



岡見城址の碑。

     20200212岡見城址17


     20200212岡見城址18


     20200212岡見城址19



岡見家代々の供養塔。

     20200212岡見城址20



供養塔脇の土塁。

     20200212岡見城址21

土塁の奥は主郭になるけど、完全な藪状態。



土塁に沿って奥に進めば、虎口が現れます。

     20200212岡見城址22



虎口の先は、やはり藪状態。

     20200212岡見城址23


岡見氏の本城なんだけど、支城である小坂城址に比べ
整備が行き届いていない。残念です。



こちらが、岡見城(址)の御城印。

     20200212岡見城址24


牛久市の御城印巡り、まだまだ続きますよぉ〜!


2020/03/28 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御城印を求めて   《小坂城址》  (2020年2月12日)(茨城県牛久市) 

2月12日

この日は、茨城県の牛久市に出かけました。

最近、ネットにて得た情報なのですが、
牛久市城跡めぐり運営委員会が主催して
『牛久市城跡めぐり』と称して、御城印を発行しているらしい。

御城印は、いわば城版の御朱印みたいなモノ。
城址巡りを趣味とし、また御朱印巡りを楽しむ物として
黙ってはいられません。

と言う事でこの日は、牛久市内の御城印を求めて奔走します。

最初に久野城の御城印を求めて、
落花生で有名な『味の老舗いしじま』に行くと、
何と定休日。

続いて向かったのは『ヤマイチ味噌』。
こちらで、小坂城と岡見城の御城印を手に入れます。

     20200212小坂城址01


小坂城も岡見城も訪れたことがありますが
せっかく御城印を手に入れたんだから
城址も再攻略いたしましょう。

と言う事で、向かった先は...............小坂城址。


小坂城址に訪れるのは、これで2回目。
( 前回の攻城記は こちら )。

稲敷市(旧・江戸崎町)からつくば市へと続く国道408号線沿いの台地に在る小坂城址。
整備が良くて、遺構も多く残り、土塁や空堀、空堀に架かる土橋、
郭の虎口など、城址巡りの初心者でも
それらの遺構をはっきりと認識出来る整備のされた城址。
マイナーな城址ではありますが、個人的にはお気に入りの城址の一つです。


城址入口に建つ城址碑。

     20200212小坂城址02


     20200212小坂城址03


     20200212小坂城址04


その脇には2枚の説明板。

     20200212小坂城址05


     20200212小坂城址06



こちらは、小坂城址にまつわる逸話の説明板

     20200212小坂城址07


では、小坂城を攻略いたしましょう。



こちらは、四郭。

     20200212小坂城址10



光の加減で見づらいですが、三郭の空堀。

     20200212小坂城址08


三郭の土塁。

     20200212小坂城址28


土塁の奥には、三郭と二郭を隔てる空堀。

     20200212小坂城址09


その空堀に架かる土橋。

     20200212小坂城址11



二郭の虎口。

     20200212小坂城址12



二郭内部。

     20200212小坂城址13


     20200212小坂城址15

  

二郭と主郭の間の空堀。

     20200212小坂城址14



その空堀に架かる土橋(主郭側より)。

     20200212小坂城址16



主郭の虎口。

     20200212小坂城址17



主郭内部。

     20200212小坂城址21



主郭に建つ説明板。

     20200212小坂城址19


この方角に、江戸崎土岐氏の支城である泉城がありました。

     20200212小坂城址20

岡見城との距離は直線でおよそ2kmほどで、
岡見氏はこの小坂城を最前線の守備の要として
土岐氏と幾度となく争っていたようです。



主郭土壇。

     20200212小坂城址23


     20200212小坂城址24

この場所は物見台(櫓台)。
小坂城址で一番高い場所になる。



その土壇から二郭を見下ろしてみます。

     20200212小坂城址22

かなり埋もれているけれど、しっかりと空堀の姿を見ることが出来ます。



その空堀。

     20200212小坂城址25


     20200212小坂城址26



三郭と主郭の間は部分的に空堀が並び、二重空堀になっている。

     20200212小坂城址27

これは見応えありますね。


国道408号線は、ちょくちょく走るから
小坂城址の前をちょくちょく通ってはいるんだけど
城址に立ち寄ったのは約6年振り。
6年前と変わらず、整備が行き届き、
しっかりと管理されている小坂城址。
     
たしか、小坂城址保存会って言うのがあったと思うけど
その活動にあたまが下がります。

     



こちらが、小坂城(址)の御城印。

     20200212小坂城址30

牛久市城跡めぐり運営委員会が主催して行われた『牛久市城跡めぐり』。
茨城県内で初めて御城印を発行したイベント。
イベント終了後も継続的に頒布している御城印。

私にとっても茨城県内の初御城印。
今後の展開に期待です。


2020/03/28 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景 《 大宝八幡 》 (2020年2月10日)(茨城県下妻市) 

2月10日 茨城百景 《 大宝八幡 》

この日は、茨城県の下妻市に出かけました。

この日参拝に訪れた大宝八幡宮。

南北朝時代の大宝城跡でもあり、
昭和25年に選定された茨城百景の地でもあります。

茨城百景は、昭和25年に選定された茨城県内の100ヶ所の景勝地。
その茨城百景の選定地には、茨城百景の碑が建てられています。
数年前から、茨城百景に訪れ、その碑を探すのも楽しみの一つにしています。

茨城百景は、下妻市には2ヶ所あり、その一つが大宝八幡宮。





社号標。

     20200210大宝八幡宮01



大宝八幡宮の大鳥居。

     20200210茨城百景大宝八幡03



大鳥居脇の由緒書き。

     20200210大宝八幡宮05



随身門。

     20200210大宝八幡宮07



多くの狛犬に出迎えられる参道。

     20200210大宝八幡宮13



こちらが拝殿。

     20200210大宝八幡宮17



拝殿正面に掲げられた扁額。

     20200210大宝八幡宮20



国の文化財に指定されている本殿。

     20200210大宝八幡宮24


     20200210大宝八幡宮29


境内の詳細や、大宝城址については、別記事を参照してもらいましょう。



さて、肝心の茨城百景の碑ですが、
大宝八幡宮の境内には在りません。



こちらが、茨城百景の碑。

     20200210茨城百景大宝八幡01


     20200210茨城百景大宝八幡02

大宝駅から大砲八幡宮へ向かう道沿いの民家の陰に
隠れるように建っていました。


『茨城百景 大宝八幡宮』。
簡素な記事になりますが、これにて完了。




2020/03/25 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit