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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

廃校を訪ねて..........上野合小学校  (2016年9月16日)(茨城県東茨城郡茨城町) 

9月16日   公休日

この日は、茨城県の茨城町の廃校巡りに出掛けました。


小幡小学校跡を跡にして、向かった先は...............茨城町立上野合小学校



上野合小学校は、詳細な沿革は不明ですが
明治7年に創設された秋葉小学校がその始まりとされています。
その後,秋葉尋常小学校,上野合尋常小学校,上野合尋常高等小学校と改称します。

昭和22年     学制改革により上野合村立上野合小学校と改称する。
昭和30年     上野合村が長岡町、沼前村、川根村と合併して茨城町となる。
           茨城町立上野合小学校と改称する。
           また、小幡分校が独立して茨城町立小幡小学校となる。
昭和47年     上野合小学校、鳥羽田分校、小幡小学校が統合して新たに茨城町立上野合小学校となる。
平成27年     川根小学校、上野合小学校、沼前小学校、駒場小学校が統合して青葉小学校が誕生。
           上野合小学校は廃校となる。


と、このような沿革となっているようです。



こちらが、上野合小学校の正門。

      20160916上野合小学校01

廃校から約1年半。
門扉は閉められ、施錠されています。


上野合小学校も地域の緊急避難場所になっている(いた?)ようです。

      20160916上野合小学校02


門が閉まっているから、
フェンス越しにぐるっと回って見ます。

結論から言えば、校庭の裏へは藪の中のため行けないし
フェンス越しからの見学となります。


校舎。

      20160916上野合小学校03


校舎前のモニュメント。

      20160916上野合小学校04



こちらは体育館。

      20160916上野合小学校05



校庭の遊具類。

      20160916上野合小学校06


      20160916上野合小学校07


      20160916上野合小学校08


      20160916上野合小学校09



フェンス越しの校舎。

      20160916上野合小学校10

そんなに大きくはない。



その割には校庭は広く見えます。

      20160916上野合小学校11




フェンス越しの校庭の際奥。
この先は藪の中。
(とても進む元気はありません)

      20160916上野合小学校12


      20160916上野合小学校13


      20160916上野合小学校14



もう一つの通用門。

      20160916上野合小学校15


こちらも門扉は閉ざされ、施錠されています。

門扉から身を乗り出してカメラを構えます。
卒業制作のモニュメントのようですが、悲しいかな...............台座のみ。

      20160916上野合小学校16



フェンス近くに建つ二ノ宮像。

      20160916上野合小学校17


真正面から拝めないのが残念です。

      20160916上野合小学校18


      20160916上野合小学校19


結局、フェンス越しでしか確認出来なかった上野合小学校。
二ノ宮像は確認できたけど、廃校記念碑の存在が確認出来ずじまい。
廃校記念碑が有って、そこに沿革が刻まれていたら最高だったのに...............

ちょっぴり残念。









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2016/10/20 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........小幡小学校  (2016年9月16日)(茨城県東茨城郡茨城町) 

9月16日  公休日

この日は、茨城県の茨城町の廃校巡りに出掛けました。


木部分校跡をあとにして、向かった先は...............茨城町立小幡小学校跡


小幡小学校の詳しい沿革は良く分からず、創立時期等は不明ですが
平成27年に廃校となった茨城町立上野合小学校のHPの沿革によれば、
元々は上野合小学校の小幡分校でした。

昭和30年     上野合小学校より独立して茨城町立小幡小学校となりますが
昭和46年     上野合小学校鳥羽田分校と小幡小学校が上野合小学校に統合されて廃校になりました。


小幡小学校の場所も不明でしたが
小幡地区の公民館、集会所を調べ『小幡区民センター』にアタリを付けます。

小幡区民センターのすぐ隣は広場。
そして、石造りの門柱を発見!
どうやら、ビンゴのようです。


こちらが、小幡小学校の正門。

      20160916小幡小学校01



『小幡運動広場』と刻まれていますが、元々は小幡小学校の門柱だったようです。

      20160916小幡小学校02


廃校から既に45年の月日が流れ
校舎はとっくに解体されて、広い運動広場となっています。

      20160916小幡小学校03


      20160916小幡小学校04



とにかく、広い。

      20160916小幡小学校05



そして、学校遺構が殆ど無い。

      20160916小幡小学校06


      20160916小幡小学校07


      20160916小幡小学校08



強いて挙げれば、フェンス沿いの桜の木々が学校跡を彷彿させてくれます。

      20160916小幡小学校09


      20160916小幡小学校10


      20160916小幡小学校11



45年以上も前のモノだろうか?
微妙な年代の遊具類。

      20160916小幡小学校12



と言っても、遊具はブランコと滑り台しかない。

      20160916小幡小学校13



敷地の一角に建つ、小幡区民センター。

      20160916小幡小学校14

年季のありそうな木造平屋建てですが
学校の廃校舎では無さそうです。
校舎解体後に建てられたんでしょうね。


廃校記念碑も二ノ宮像もなく、石造りの門柱が無ければ
学校跡には見えそうもない。
勘違いをしているといけないので、
近くの畑で野良仕事をしていたオジさんに話しを伺ったら、
間違いなく小幡小学校の跡地だと言うことです。






2016/10/19 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.........川根小学校木部分校  (2016年9月16日)(茨城県東茨城郡茨城町) 

9月16日   公休日

この日は、茨城県茨城町の廃校巡りに出かけました。


野曽分校跡地をあとにして、向かった先は...............茨城町立川根小学校木部分校

野曽分校跡地をあとにして、向かった先は...............茨城町立川根小学校木部分校

木部分校もWikipediaには記載されておらず
川根小学校のHPに記載された沿革でその存在を知りました。
川根小学校のHPには記載されて沿革によれば...............


明治26年    野曽・下土師・木部に尋常小学校を増設。
          奥谷分教場は下土師の分校とする。
          高等科を併置し、川根尋常小学校と改称する。
大正11年    下土師・木部・野曽を分校とする。
昭和22年    学制改革により川根村立川根小学校と改称する。
昭和30年    川根村が長岡町、沼前村、上野合村と合併し茨城町となり
          茨城町立川根小学校と改称する。
          分校の4年生以上を本校に収容する。
昭和33年    下土師・木部両分校に各教室を増築し,三分校とも単式にして3年まで収容する。
昭和36年    木部分校を新築する。
昭和42年    川根小学校統合のため、本校と三分校はそれぞれ
          川根教場・木部教場・下土師教場・野曽教場となる。
昭和44年    統合校舎完成し木部、下土師、野曽の教場は廃校となる。


と、このような沿革となっています。


とにかく、詳しい情報が他になく、木部地区の公民館、集会所にアタリを付け
まずは、木部東部新農村集落センターへと向かいます。
木部東部新農村集落センターに着いたものの、どうも廃校跡地っぽく無い。
向かいにあるお店(小松崎商事)に聞いてみたら、若い人しかいなかったけど
母屋にいるお婆ちゃんに聞いて来てくれて、詳しい場所が解りました。

木部分校は、廃校後校舎も解体されてしまい
さらには周辺が宅地開発され、
現在はグリーンタウンと言う分譲地になってしまったらしい。



こちらが、グリーンタウンの入口。

      20160916木部分校跡01



この自販機のある所を右折と教わりました。

      0160916木部分校跡02



学校跡とは微塵も感じさせないほど何も無い。

      0160916木部分校跡03


たまたま、歩いていた地元のご老人に話しを伺ったら
木部分校の廃校後、暫くは電気関係の工場が廃校舎を利用して操業していたらしいが
いつの間にか、その工場も廃業したのか?
それとも何処へ移転したのか?
いつの間にか居なくなってしまったそうです。


分譲地になった割には、全てが完売されてはいなくて
空き地も多い。

      0160916木部分校跡04


本当は周辺をじっくり散歩がてら歩いてみたかったんですが
近所の犬が吠え出し...............

まぁ、住宅街に見知らぬ男が犬を連れて歩いていると
怪しい?なんて思われちゃうし
むやみに飼い犬が異常なほどに吠えるだけだから
何も無い木部分校跡は、これくらいで諦めましょう。

      0160916木部分校跡05


ここまで、完膚なきまで改変されていると
二ノ宮像とか廃校記念碑などと言える状態ではありません。

これも致仕方無いことでしょう。





2016/10/18 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........川根小学校野曽分校  (2016年9月16日)(茨城県東茨城郡茨城町) 

9月16日 公休日

この日は、茨城県茨城町の廃校巡りに出かけました。

川根小学校をあとにして、向かった先は...............茨城町立川根小学校野曽分校

野曽分校もWikipediaには記載されておらず
川根小学校のHPに記載された沿革でその存在を知りました。
川根小学校のHPには記載されて沿革によれば...............



明治26年    野曽・下土師・木部に尋常小学校を増設。
大正11年    下土師・木部・野曽を川根尋常高等小学校の分校とする。
昭和22年    学制改革により川根村立川根小学校野曽分校と改称する。
昭和30年    川根村が長岡町、沼前村、上野合村と合併し茨城町となり
          茨城町立川根小学校野曽分校と改称する。
          分校の4年生以上を本校に収容する。
昭和33年    単式学級にして3年まで収容する。
昭和42年    川根小学校統合のため、本校と三分校はそれぞれ
          川根教場・木部教場・下土師教場・野曽教場となる。
昭和44年    統合校舎完成し木部、下土師、野曽の教場は廃校となる。

と、このような沿革となっています。



何しろ、川根小学校のHPに記載されていた沿革しか情報がなく
野曽分校の跡地の場所が分かりません。
経験と勘当然yahooマップの航空写真で
『 野曽ふるさとコミュニティセンター』とアタリを付けて訪れてみました。

しかし、微妙。
鹿島神社の境内にある『 野曽ふるさとコミュニティセンター』は、
学校跡にも見えなくもない。
自信がないので、誰かに聞こう。
できれば、高齢の方が良いな。
と周辺を徘徊していたら、草刈りをしている老人を発見。
話しを伺うと、野曽分校は別な場所だけどすぐ近く。
教えて頂いた場所へと向かいます。


この坂を上った先が、野曽分校跡地。

      20160916野曽分校跡01


こちらが、野曽分校跡地。

      20160916野曽分校跡02

『何もないよ』と言われていたけれど
確かに何も無い。


1本だけ残っていた門柱。

      20160916野曽分校跡03

コンクリート製だから、そんなに古くはなさそうです。
と言っても廃校から既に47年。
すなわち、47年以上前のモノになる。



敷地の外周に植えられた桜。

      20160916野曽分校跡04

元々、森の中(?)で陽当たりも良く無い感じの上に
この日は曇り空。
何と無く暗い画像になってます。



何かの標柱かと思っていたら、単なる丸木。

      20160916野曽分校跡05


一匹の雨蛙が居ました。

      20160916野曽分校跡06


左奥手の森の入り口には石碑が3基。

      20160916野曽分校跡07

碑文が暗くて読めませんでした。
どうも学校関連の石碑では無さそうです。
庚申塔みたいなモノでしょうか?



分校跡地だから、敷地はそんなに広くは無い。

      20160916野曽分校跡08



そして、本当に何も無い。

      20160916野曽分校跡09




門柱から見て、正面奥の森の先には、こんな遺跡がありました。

      20160916野曽分校跡10



茨城町指定文化財。
宝塚古墳。

      20160916野曽分校跡11



古墳の土壇を最初に見た時は、
『えっ! ここは城址?』なんて思ったりしましたが、
古墳の説明板を見て納得。

      20160916野曽分校跡12



古墳のすぐ側に在った野曽分校。
廃校後、校舎も解体されてしまいましたが
元々、台地頂部の森の中に在り、文化財である古墳が隣接している。
そんな位置関係もあって、宅地に改変することも無く、
そのまま残っているんですね。




2016/10/17 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........川根小学校  (2016年9月16日)(茨城県東茨城郡茨城町) 

9月16日  公休日

この日は、茨城県茨城町の廃校巡りに出かけました。


下土師分校跡地をあとにして、向かった先は...............茨城町立川根小学校


川根小学校は

明治6年     学制発布によって上飯沼旧寺院を小学校とする。
          分校を下土師と川又に置く。
明治9年     分校を廃して本校に合併する。
明治12年    秋葉小学校奥谷分校を本校の分校とする。
明治26年    野曽・下土師・木部に尋常小学校を増設。
          奥谷分教場は下土師の分校とする。
          高等科を併置し、川根尋常小学校と改称する。
大正11年    下土師・木部・野曽を分校とする。
昭和22年    学制改革により川根村立川根小学校と改称する。
昭和30年    川根村が長岡町、沼前村、上野合村と合併し茨城町となり
           茨城町立川根小学校と改称する。
          分校の4年生以上を本校に収容する。
昭和33年    下土師・木部両分校に各教室を増築し,三分校とも単式にして3年まで収容する。
昭和36年    木部分校を新築する。
昭和42年    川根小学校統合のため、本校と三分校はそれぞれ
          川根教場・木部教場・下土師教場・野曽教場となる。
昭和44年    統合校舎完成し木部、下土師、野曽の教場は廃校となる。
平成27年    川根小学校、上野合小学校、沼前小学校、駒場小学校が統合して青葉小学校が誕生。
          川根小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。


実は、数年前にこな川根小学校に来たことがあります。
正確には、川根小学校に隣接する飯沼城址に訪れました。
川根小学校の校庭も飯沼城址の北郭の一部だったようで
川根小学校のグランド整備の際に、北郭の一部が削られてしまったらしい。


こちらが、川根小学校の正門。

      20160916川根小学校01

廃校から、既に1年半。
他に流用されることもなく、門扉は閉ざされ施錠されています。


門柱には、校章。

      20160916川根小学校02


そして、校名の表札のプレートも残っています。

      20160916川根小学校03



そして川根小学校跡地は、この地区の緊急避難場所でもあるようです。

      20160916川根小学校04

でも門扉が施錠されていて、本当に緊急時に避難出来るのだろうか?



フェンス沿いにぐるっと一周してみたら、フェンスの無い箇所があり
そこから校内を見学させてもらいます。




正門の内側。



川根小学校校歌の碑。

      20160916川根小学校05



この辺りには、卒業記念のモニュメントの台座のみが残されています。

      20160916川根小学校06



交通安全優良校表彰の記念碑。

      20160916川根小学校07


まごころの塔。

      20160916川根小学校08

中は、タイムカプセルなのか?
空洞で何かを格納出来る構造になっているようです。


側面には、川根小学校の沿革が刻まれています。

      20160916川根小学校09



『心は玉のようになって体は鋼のように』

      20160916川根小学校10

なかなかの名文です。



校庭に移動してみましょう。


かつては、飯沼城址の北郭だった校庭。
台地ごと削られて面影は無い。

      20160916川根小学校15


      20160916川根小学校16



そして校庭の奥には廃校舎。

      20160916川根小学校11


      20160916川根小学校12


      20160916川根小学校13



こちらは、体育館。

      20160916川根小学校14


   

校庭に残る遊具類。
     
      20160916川根小学校17


      20160916川根小学校18


      20160916川根小学校19


      20160916川根小学校20


      

このボードに何人の子供たちがボールを投げたんだろうか?

      20160916川根小学校22



校庭の片隅にも、卒業記念のモニュメント。

昭和の最後の卒業生(昭和63年度)の作品。

      20160916川根小学校23



タイトル『希望』。

      20160916川根小学校24

まさに、希望に向け躍動する姿。


プールのフェンスには、廃校時に掲げられた看板。

      20160916川根小学校25

『ありがとう』と書かれていたんですね。



校庭の最南端。

      20160916川根小学校26

飯沼城址はすぐ上。
この辺りは城址の雰囲気が残っています。



そして、体育館の脇にはお約束(?)の防災倉庫。

      20160916川根小学校27


かつては分校を3つも有し、地域の教育の中核だった川根小学校。
時代の流れと言うか、少子化の波には勝てませんでした。
この地に再び、小学校や分校が出来ることは、おそらくないでしょう。
それが平成の現代のまぎれもない現実。
まぁ、素直に現実を受け止めるしかないでしょう。






2016/10/16 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........川根小学校下土師分校  (2016年9月16日)(茨城県東茨城郡茨城町) 

9月16日  公休日

この日は、茨城県茨城町の廃校巡りに出かけました。

駒場小学校をあとにして、向かった先は...............茨城町立川根小学校下土師分校跡



下土師分校はWikipediaにも記載されていない廃校で
以前、本校である川根小学校のHPに記載されていた沿革を見て
その存在を知りました。

川根小学校のHPによれば


明治6年     学制発布によって上飯沼旧寺院を小学校とする。
         分校を下土師と川又に置く。
明治9年     分校を廃して本校に合併する。
明治12年    秋葉小学校奥谷分校を本校の分校とする。
明治26年    野曽・下土師・木部に尋常小学校を増設。
         奥谷分教場は下土師尋常小学校の分校とする。
        高等科を併置し、川根尋常小学校と改称し、
大正11年    下土師・木部・野曽を分校とする。
昭和22年    学制改革により川根村立川根小学校下土師分校と改称する。
昭和30年    川根村が長岡町、沼前村、上野合村と合併し茨城町となり
         茨城町立川根小学校下土師分校と改称する。
         分校の4年生以上を本校に収容する。
昭和33年    下土師・木部両分校に各教室を増築し,三分校とも単式にして3年まで収容する。
昭和42年    川根小学校統合のため、本校と三分校はそれぞれ
         川根教場・木部教場・下土師教場・野曽教場となる。
昭和44年    統合校舎完成し木部、下土師、野曽の教場は廃校となる。

        
と、このような沿革となっています。

すなわち、明治6年に分校としてスタートして
後に統合され、さらには尋常小学校として新たに開校したりしましたが
最終的には川根小学校の分校となり、昭和44年に統合され廃校となったようです。


それ以外には詳しい情報が無く
下土師地区に在った分校(学校)だから
セオリーと言うか、経験に基づき下土師地区の公民館、地区センターを地図で探し、
下土師公民館が廃校跡ではないか?とアタリを付け訪れてみたら
それらしい雰囲気はあるんだけど、隣接する精米所の方に話を伺ったら
下土師分校は別の場所らしい。
『今は高速道路が出来て、一部を削られて何もないよ!』と言われましたが、
何も無くてもいいんです。

おおよその場所を聞いて、訪れてみると...............

畑?

      20160916下土師分校01


軽トラに乗って畑に来ていたおじいさんに話を伺うと、
この畑の隣の雑草の生い茂った荒地が、下土師分校の跡地らしい。

      20160916下土師分校02


こちらが、下土師分校跡地。

      20160916下土師分校03


確かに何も無い(笑)

      20160916下土師分校04


      20160916下土師分校05


      20160916下土師分校06



裏手に回ってみると、台地が無くなっている。

      20160916下土師分校07


高速道路(東茨城自動車道)の側道。

      20160916下土師分校08


側道を上がれば、跨道橋。

      20160916下土師分校09


高速道路が分校の在った台地を分断しています。

      20160916下土師分校10



高速道路の対岸(?)から分校跡地を眺めて見ます。

      20160916下土師分校11



まさに跡形も無いと言うのは、こういう事だろう。

      20160916下土師分校12



跨道橋を渡って、再び分校跡地に戻ります。

      20160916下土師分校13

先ほどのおじいさんの話しでは、下土師分校が廃校になった後、
跡地には町営住宅が建てられたらしい。
その町営住宅も高速道路が建設されると言うことと、
町営住宅そのものが老朽化していたため、解体されてしまったらしい。


ある意味、ここまで何も無いと、潔い。
誰もこの地が下土師分校跡地だとは気付かないだろう...............。






2016/10/15 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........駒場小学校  (2016年9月16日)(茨城県東茨城郡茨城町) 

9月16日 公休日

この日は、茨城県茨城町の廃校巡りに出かけました。


沼前小学校をあとにして、向かった先は...............茨城町立駒場小学校


駒場小学校は、

明治8年     駒場村神楽塚に駒場小学校創立。
明治25年    沼前第二尋常小学校と改称する。
昭和22年    学制改革により、沼前村立沼前第二小学校と改称する。
昭和30年    沼前村が長岡町、川根村、上野合村と合併して茨城町となる。
          茨城町立沼前第二小学校と改称する
昭和37年    茨城町立駒場小学校と改称する
平成27年    川根小学校、上野合小学校、沼前小学校、駒場小学校が統合し青葉小学校が誕生。
          駒場小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、駒場小学校正門。

      20160916駒場小学校01


廃校から既に1年半。
門柱の表札は綺麗に外されていました。

      20160916駒場小学校02



しかし、門柱の脇にはしっかりと駒場小学校の名が...............。

      20160916駒場小学校03



こちらが、校舎。

      20160916駒場小学校04


本来なら、正門の門扉は固く閉ざされているはず(?)ですが
この日は、近くにある青葉小学校の運動会の予行演習がされていたようで
拡声器越しに運動会のアナウンスが流れていました。
この駒場小学校跡は、臨時の駐車場になっていて、来賓(?)の方の車が多く停まっていて
ちゃっかり便乗して敷地内に入らせて貰いました。

拡声器から流れる運動会(予行演習)の臨場感溢れる放送を聴きながら
駒場小学校を探索します。


校舎前に建つ立派な碑。

      20160916駒場小学校05

てっきり、廃校記念碑かと思ったら、創立百周年の記念碑でした。


沿革も刻まれています。

      20160916駒場小学校06



こちらは、駒場小学校の校歌の碑。

      20160916駒場小学校07


こちらが、廃校記念碑。

      20160916駒場小学校08


創立百周年の碑と比べると質素と言うか
まさか、これが廃校記念碑とは思えませんでした。
最初は単なる置石かと思いました(笑)。

      20160916駒場小学校09

シンボルツリーの真下に置かれていたから、形は質素でも
この碑の意味合いは大きいのでしょう。


校舎とはシンボルツリーと廃校記念碑。

      20160916駒場小学校10

画になるなぁ...............。


こちらは、体育館。

      20160916駒場小学校11



校庭からの校舎。

      20160916駒場小学校12



校庭に残された遊具類。

      20160916駒場小学校13


      20160916駒場小学校14


      20160916駒場小学校15


      20160916駒場小学校16


      20160916駒場小学校17


      20160916駒場小学校18


      20160916駒場小学校19




それなりの広さを持つ校庭。

      20160916駒場小学校20



校舎の前には二ノ宮像。

      20160916駒場小学校21


二ノ宮像って、学校ごとに表情が違うから
それがまた面白い。

      20160916駒場小学校22



朝礼台と国旗掲揚ポール。

      20160916駒場小学校23


こちらの掲揚ポールも1本仕様でした。

      20160916駒場小学校23



こちらは、校庭側の門
町道に面しているけれど、
しっかりと門扉は閉められて施錠されています。

      20160916駒場小学校25


      20160916駒場小学校26



校庭の片隅に建てられたプレハブ小屋。
工事関係者の事務所のようです。

      20160916駒場小学校27

駒場小学校も解体されるのか?
はたまた一部をリニューアルして、他の施設として再活用されるのか?

民間に転用されることも有るかと思うけれど
願わくば、町の公の施設となってくれることを期待したい。
10年後、20年後に誰もが気軽に立ち寄れる場所であり
二ノ宮像や廃校記念碑を見に来ることができる施設。
そんな施設であって欲しい...............。



2016/10/14 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.........沼前小学校  (2016年9月16日)(茨城県東茨城郡茨城町) 

9月16日  公休日

この日は、茨城県の茨城町の廃校巡りに出掛けました。
とは言いながらも、結構寄り道なんかもしていました。

網掛公園をあとにして、向かった先は...............茨城町立沼前小学校


沼前小学校は

明治8年宮ヶ崎村に学校を創立。
明治15年海老沢村に学校を創立。
明治17年海老沢校を廃し、宮ヶ崎校へ統合。
村立中等宮ヶ崎小学校となる。
明治18年鹿田村立初等鹿田小学校を分校とする。
明治19年小学校令により海老沢尋常小学校となる。
明治20年八ヶ村(海老沢、宮ヶ崎、網掛、城之内、神宿、駒場、小堤、鹿田)の学区を併合し、
海老沢村に尋常小学校を新築する。
明治22年町村制の実施により、海老沢村、宮ヶ崎村、網掛村、城之内村、神宿村、駒場村、小堤村が合併して沼前村となり沼前尋常小学校と改称する。
明治26年沼前第一尋常小学校と改称する。
明治29年高等科を併設し、沼前尋常高等小学校と改称する。
昭和22年学制改革により、沼前村立沼前第一小学校と改称する。
昭和30年沼前村が長岡町、川根村、上野合村と合併して茨城町となり、
茨城町立沼前第一小学校と改称する。
昭和41年茨城町立沼前小学校と改称する。
平成27年沼前小学校、駒場小学校、川根小学校、上野合小学校が統合して青葉小学校が誕生。
沼前小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。





こちらが、沼前小学校の正門。

      20160916沼前小学校01



門柱には、沼前小学校の表札。

      20160916沼前小学校02


      20160916沼前小学校03


もう片方の門柱には、沼前幼稚園の表札。
敷地内に沼前幼稚園もあり、
そちらは廃園にはならず、現在も園児が通っています。

      20160916沼前小学校04


正門からなだらかな坂を上がって行くと、さらに門。
こちらには門扉があって、今日は開いていますが、
休日には閉められていることでしょう。

      20160916沼前小学校05

背後に見えるのが、沼前小学校の校舎。



そして、こちらがその校舎。

      20160916沼前小学校06


      20160916沼前小学校07


こちらが、体育館。

      20160916沼前小学校08



もう1棟ある校舎。
こちらは特別教室に使われていたのでしょうか?

      20160916沼前小学校09


校舎前の丸ポスト。
勿論、教材用だから投函出来ません。

      20160916沼前小学校10


校舎脇の廃校記念碑。

      20160916沼前小学校12


      20160916沼前小学校13



裏面には、最新の沿革が刻まれています。

      20160916沼前小学校11


 
こちらは、創立百周年記念碑。

      20160916沼前小学校14



昭和60年度の卒業記念に建てられた方位計。

      20160916沼前小学校15



沼前小学校の校歌の碑。

      20160916沼前小学校16


見覚えのある書体。
文面は違うけど、広浦小学校や上石崎分校で見かけたのと同じ書体の石碑。

      20160916沼前小学校17



校舎の正面玄関。

      20160916沼前小学校18


校庭に移動しましょう。


広い校庭

      20160916沼前小学校37


クンクンと匂いを嗅ぎながら
校庭を徘徊する びいすけ 。

      20160916沼前小学校31


      20160916沼前小学校36



校舎をバックに。

      20160916沼前小学校35


     



校庭に残された遊具類。

      20160916沼前小学校19


      20160916沼前小学校20


      20160916沼前小学校21


      20160916沼前小学校22


      20160916沼前小学校23


      20160916沼前小学校24


      20160916沼前小学校25


      20160916沼前小学校26


      20160916沼前小学校27



卒業記念だと思われるモニュメント。

      20160916沼前小学校28


朝礼台

      20160916沼前小学校29



朝礼台の後ろには国旗掲揚ポール。

      20160916沼前小学校30

こちらは、1本ポールですね。



校庭の一角には報徳碑。

      20160916沼前小学校31

報徳碑とか忠魂碑は昔からある地方の小学校の校庭の片隅に
置かれていることが多い。
沼前小学校もそれだけ地方の歴史のある小学校だったと言うことです。



そして、お約束(?)の防災倉庫。

      20160916沼前小学校32

緊急避難場所である証しですね。



そして、シンボルツリー。

      20160916沼前小学校33


隣接する幼稚園があるから敷地内に入れたものの
門扉が閉ざされていたら、見学も侭ならなかったからラッキーでした。
石碑類も多く、遊具類も多く残され、それなりに楽しめた廃校ですが
二ノ宮像が無かったのは、ちょっぴり残念でした。






     


2016/10/13 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

網掛公園  (2016年9月16日)(茨城県東茨城郡茨城町) 

9月16日  公休日

この日は、茨城県の茨城町に出掛けました。

茨城町の廃校巡りの途中に、涸沼周辺の景勝地に立ち寄ったりもしました。

宮ヶ崎城址をあとにして、向かった先は...............網掛公園


涸沼南岸には、小さいですが網掛公園があります。
涸沼に小さく突き出た弁天の鼻と呼ばれる小さな岬になっていて
ちょうど、親沢の鼻(名勝 親沢)の対岸になります。

改めて気づいたのですが...............
茨城県下では、沼や湖の湖畔に突き出た小さな岬を〇〇鼻と言うみたいですね。


ちょっぴり道に迷いながらも駐車場に到着。

      20160916網掛公園01

それでは、網掛公園を散策と参りましょう。


先ずは、公園の案内板で公園の配置図を確認。

      20160916網掛公園02


そんなに広くない公園だから、とくに散策コースなど決めずに
行き当たりばったりで進みましょう。

      20160916網掛公園03



遊具のある広場をクンクンと匂いを嗅ぎながら闊歩する びいすけ 。

      20160916網掛公園04



そして、いきなりの匂い付けのローリング。

      20160916網掛公園05

よっぽど気になる匂いがあるんだろうか...............?



『うげっ! うげっ!』と奇声を発してはいるものの
気持ち良さそうにローリング。

      20160916網掛公園06



そして、起き上がったかと思うと、
体をプルプルプル〜。

      20160916網掛公園07



あっ、展望台発見!

      20160916網掛公園08



当然、上ります。

      20160916網掛公園09


まあ、展望台っていっても高さは2mほど。
涸沼の湖畔を眺めましょう。

      20160916網掛公園10


      20160916網掛公園11


      20160916網掛公園12


      20160916網掛公園13

晴れていれば、涸沼の湖畔も映えてくるとは思うけれど、
やっぱり曇り空じゃイマイチ感は拭えません。


元気よく展望台を駆け降りる びいすけ 。

      20160916網掛公園14

まだまだ、力が余っている?(笑)



湖畔沿いに歩いてみましょう。

      20160916網掛公園19



ちょうど、対岸が親沢の鼻。

      20160916網掛公園15


      20160916網掛公園16


      20160916網掛公園18


      

弁天の鼻と呼ばれる所以。
公園の一角には弁天様が祀られています。

      20160916網掛公園20


      20160916網掛公園21



県道沿いに『←網掛公園 2km』なんて案内もあったから
それなりに期待して訪れたんだけど、そんなに広くもなく
釣りに興じている人しか訪れていないから、ちょっぴり期待倒れ。

まぁ、行楽地なんてこんなモノかも知れませんね...............。





2016/10/12 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

宮ヶ崎城址  (2016年9月16日)(茨城県東茨城郡茨城町) 

9月16日  公休日

この日は、茨城県の茨城町に出掛けました。

茨城町の廃校を巡るついでに、涸沼周辺の景勝地を巡っていました。
親沢の鼻(親沢公園)をあとにして、対岸の『弁天の鼻』に向けて
クルマを走らせていると、一瞬大きな看板が視界に入って、すぐに消えた。
なんの看板だろう?とUターン。


畑へと誘う道に入り、目にした看板がこちら。

      20190916宮崎城址01


えっ! こんな所に城址があるの?
ついつい、この大きな看板の文面をじっくり読んでしまいます。


宮崎(宮ヶ崎)城は...............


鎌倉時代初期1220年代、鹿島郡領、鹿島三郎成幹の孫、三郎家幹はこの地に土着し宮崎氏を名乗り
領地は宮崎郷の内、五十町と当麻津(鉾田市)を支配していた。
特に水運を押さえる水軍として活躍した初代家幹は
これより南方「きゅうでん掘」と呼ばれている150メートル×100メートルの方形を呈した館に居住していた。
その後、南北朝から室町初期には吉田郡河崎村(水戸市)から、
用次、飯岡、菅谷、瀬落(小美玉市、鉾田市)までも領有し、鹿島氏本宗家に並ぶ勢力を持ち、
茨城町一番の豪族となった、また鹿島大使役として幹親(文永 年中)幹詮(建式)、
(暦応から康永)が三度鹿島神社七月大祭の際使を務めている。
南北朝期には北朝方として北畠親房方の神宮寺城、阿波崎城の攻撃戦闘に参加をしている。
宮崎城は戦乱の時、詰めの城として使用した二本の堀と土塁で別けられた五つの曲輪から構成され、
江戸氏の時代(1550年頃)に再整備されてものである。
1416年(応永二十三年)十月上杉禅秀の乱に加担した宮崎氏は、烟田氏、江戸氏らに敗れ、
九代200年の永きに渡った茨城町一円の支配を終わる事となった。
この地の北宮、定光院跡地は宮崎氏一族の墓地があり、
多数の五輪塔、層塔、宝篋印塔と共に静かな眠りについている。
   平成二十六年七月       茨城町文化財保護審議委員 井坂英嗣
                  宮ヶ崎城跡保存会


と看板に記載されていました。

      20190916宮崎城址02


元々予定には有りませんでしたが、偶然見つけた城址。
この大きな看板には、縄張り図もあるし...............

      20160916宮ケ崎城縄張り


ここは、進軍しない訳にはいきません(笑)。


と、言うことで 宮ヶ崎城址 へいざ参らん!



この辺りは二郭。

      20190916宮崎城址03



完全な畑。

      20190916宮崎城址05



二郭の虎口。

      20190916宮崎城址04


     
畑の畦道をまっすぐ進めば、やがて主郭。


      20190916宮崎城址06
      


主郭虎口。

      20190916宮崎城址07



主郭奥には、宮ヶ崎(宮崎)城址の碑。

      20190916宮崎城址08


碑分によれば、以前は畑になったと言えども、主郭辺りは竹が生い茂り
荒地で手もつけられない状態だったと言うことですが
地元の保存会の有志(ほとんどが高齢な方々だったと言うことです)の方々が
整備、管理、保全されてきたらしい。

      20190916宮崎城址09

その奉仕者の苦労と努力に敬意を表して城址碑が建てられたと言うことです。


城址碑な脇には標柱。

      20190916宮崎城址10

おそらく以前は、この標柱だけだったんでしょう。



標柱と城址碑の背後には土塁。

      20190916宮崎城址11


往時の宮ヶ崎城は、この土塁がぐるっと主郭を取り囲むような形になっていたようです。

      20190916宮崎城址13



そして、土塁の先には空堀。

      20190916宮崎城址14

しかし、空堀には雑草が生い茂り、進軍は諦めます。


管理されているとは言え、夏期の雑草の生い茂るスピードには勝てません。


空堀は諦め、主郭から三郭へと移動します。
城址碑のある辺りから、主郭虎口へと戻ります。

      20190916宮崎城址15


再び、主郭虎口。

      20190916宮崎城址16

主郭から二郭へは畦道がらありますが
二郭から三郭へは畦道がない。
畑の中を踏み荒らして行くのは失礼だし、せっかく地権者が
城址を解放してくれているんだから、迷惑は掛けられません。

三郭へは、香取神社からぐるっと回ります。


鹿島神社前。

あの看板も確認出来ます。

      20190916宮崎城址17

奥の森が主郭辺り


主郭から5分、いや10分近く歩いて、やっと三郭に到着。

こちらが、三郭の虎口。

      20190916宮崎城址18



三郭に建っている標柱。

      20190916宮崎城址19


三郭は宮崎氏に所縁のある宮崎氏寺の跡らしい。

      20190916宮崎城址20



寺の跡形もなく、一面の畑。

      20190916宮崎城址21



偶然、遭遇した宮ヶ崎城址。
空堀が雑草に覆われていて、進軍に逸る気持ちを抑えてくれましたが
何となく中途半端。
冬場の雑草のない時期にリベンジで訪れようかな...............?




2016/10/11 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  涸沼②  (2016年9月16日)(茨城県東茨城郡茨城町) 

9月16日  公休日

この日は、茨城県の茨城町の廃校巡りに出掛けました。

とは言いながらも、ちょっぴり寄り道をしていきましょう。
上石崎分校をあとにして向かった先は...............茨城百景 涸沼 その2


涸沼湖畔の狭い道を走って行くと、
親沢と言う地区に辿り着きます。

この『親沢』と言うのが、茨城県教育委員会が選定した
茨城県指定の文化財(名勝)の『親沢』になります。
茨城県が指定した名勝は5ヶ所しかなく、その内の一つになります。

また、この『親沢』は古くは『親沢の鼻』と呼ばれ、
松が生い茂る古くからの涸沼の景勝地で湖畔に突き出ています。
「親沢の一つ松」を詠んだ徳川光圀の句碑があり、
風光明媚な場所でもあるようです。
そして、『茨城百景 涸沼』の包括風景でもあります。
そもそも昭和25年に『茨城百景』を選定(制定)した際に
周辺に景勝地などが固まっている地区においては、包括風景として選定したようです。
ちなみに、『茨城百景 涸沼』では、
『涸沼川,広浦秋月,涸沼の簀巻,弁天の鼻,親沢の鼻,松川居城址,石崎城址,芝崎神社,
東永寺の横穴,常光寺,天王崎城址,楠公神社,大戸の桜』が
包括風景として選定されています。


『親沢の鼻』は親沢公園として、管理されているようです。

      20160916茨城百景涸沼②01


案内看板でチェックも怠りません。

      0160916茨城百景涸沼02


駐車場の向かいにある台地の斜面を石碑を発見!

      0160916茨城百景涸沼03


よ〜く見ると...............

      0160916茨城百景涸沼04

『茨城百景 涸沼』と刻まれています。

この親沢にも茨城百景の碑があったんですね。



駐車場から親沢公園に入ります。

公園入り口に『名勝 親沢』の碑。

      20160916茨城百景涸沼②05

広浦にも同じような碑があったから
茨城県教育委員会が指定した5ヶ所の名勝地には
この石碑が建っていることでしょう。


その近くには、『親沢』の標柱。

      0160916茨城百景涸沼06

広浦でも、やはり同じような標柱がありました。



公園だから気にしないでいたら、
何と、ペット禁止。

      0160916茨城百景涸沼07

おいおい、駐車場の案内看板に禁止事項として記載しといてよ。



仕方ないから、 びいすけ には暫し待機して貰いましょう。

      0160916茨城百景涸沼08

可哀想ですが、入り口近くのガードレールにリードを括り付けます。




『ワン! ワン!!』と吠える びいすけ の声を背中に
急いで親沢の鼻を回ります。

      0160916茨城百景涸沼09


生憎の曇り空で、今一歩な感がしないでもないが
確かに涸沼を感じさせる景観。

      0160916茨城百景涸沼10


      0160916茨城百景涸沼11


      0160916茨城百景涸沼12


      0160916茨城百景涸沼14



公園全体(って言っても.そんなに広くはないが...............)が
キャンプ場になっているから、ペットの制限があるのかも知れない。


      0160916茨城百景涸沼13


こちらが、水戸光圀が詠んだ『親沢のひとつ松』の句碑。
    
      0160916茨城百景涸沼16


その裏面。

      0160916茨城百景涸沼15


     
松のは無かったけど、句碑前から眺める涸沼。

      0160916茨城百景涸沼17

この景観に水戸光圀、すなわち黄門様も感嘆したのだろうか?



急いで、 びいすけ の元へ戻り、公園脇のサイクリングロードへ移動。

ここなら犬連れで歩いても文句言われないでしょう。

      0160916茨城百景涸沼18


びいすけ も親沢の鼻を満喫してくれたかな?

      0160916茨城百景涸沼19




駐車場の向かいの台地。
『茨城百景』の碑が建っていた台地。
実は、この台地が石崎城址。

      0160916茨城百景涸沼20



ここが登城口。

      0160916茨城百景涸沼21

この先(奥)を覗いたら、雑草に覆われ...............
さすがに入って行く勇気はありませんでした。

空堀があって見応えのある城郭らしいのですが
まだまだ城址巡りには時期が早い。

雑草が枯れ草になる晩秋に
再チャレンジでもしてみようかな?




2016/10/10 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........石崎小学校上石崎分校  (2016年9月16日)(茨城県東茨城郡茨城町) 

9月16日  公休日

この日は、茨城県の茨城町の廃校巡りに出掛けました。

石崎小学校をあとにして向かった先は...............茨城町立石崎小学校上石崎分校


上石崎分校は

明治6年     上石崎村に上石崎小学校が開校する。
明治23年    中石崎尋常小学校上石崎分教場となる。
明治30年    上石崎尋常小学校と改称する。
昭和11年    石崎尋常小学校上石崎分校となる。
昭和22年    学制改革により石崎村立石崎小学校上石崎分校と改称する。
昭和33年    石崎村が茨城町に編入し、茨城町立石崎小学校上石崎分校と改称する。
平成5年     本校に統合せれ、廃校となる。


と、このような沿革となっています。



ネットで上石崎分校の事を調べても、詳しいことは載っていません。
ただ、『昔、飯塚地区に石崎小学校の分校が在った』と言う書き込みを見て、
飯塚地区の公民館、コミュニティセンターをヤフーマップで調べ、
『飯塚新農村集落センター』なるモノにアタリをつけ、訪れてみました。


こちらが、飯塚新農村集落センター。

      20160916上石崎分校01

このなだらかな坂が学校跡っぽい。
当たりか?


古びた遊具も残っています。

      20160916上石崎分校02


校庭っぽい敷地。

      20160916上石崎分校03

ここが、上石崎分校跡だと確信直前。


奥にはシンボルツリーとも言える大きな木。

      20160916上石崎分校04

そして、その木の左側には門柱らしきモノ。
まさか、鳥居じゃないよね?


近づいてみると、門柱。

      20160916上石崎分校05

紛れもなく、学校の門柱。
但し、表札も作られた年月日の刻印もない。


その脇には、涸沼台運動公園の表札。

      20160916上石崎分校06



門柱の脇には石碑。

      20160916上石崎分校07


石碑には、しっかりと『茨城町立石崎小学校上石崎分校閉校記念』と刻まれています。

      20160916上石崎分校08

この閉校(廃校)記念碑を見て、この地が紛れもなく
上石崎分校跡だと確信しました。


石崎小学校創立百周年の記念碑。

      20160916上石崎分校09

『ひとを先に 自分をあとに』
同じ碑文を広浦小学校でもみました。


裏面には、上石崎分校の沿革が刻まれています。

      20160916上石崎分校10



改めて、上石崎分校跡をじっくり眺めてみます。

廃校記念碑の辺りから校庭をみてみます。

      20160916上石崎分校11


校庭の一画は、小さなグランド。
少年野球に利用しているのでしょうか?

      20160916上石崎分校12



校庭跡の奥に見えるのが、飯塚新農村集落センターの建物。

      20160916上石崎分校13


学校跡だと解ると、これらの木々も学校跡地の雰囲気を醸し出してくれます。

      20160916上石崎分校14


      20160916上石崎分校15




飯塚新農村集落センターの建物は新しいから
校舎跡に建て替えられたとは思うけれど
以前の校舎もこんな感じで建っていたのだろうか?

      20160916上石崎分校16

平日の昼間。
新農村集落センターには誰も居なくて、確認も出来ませんでした。



廃校跡のお約束(?)。
プレハブの倉庫ですが、これも防災倉庫。

      20160916上石崎分校17



そして、敷地の一角には、火の見櫓と消防倉庫。

      20160916上石崎分校18


学校が地域(集落)のランドマークであり、
要の場所だった証しでしょう。



今回は、情報が乏しくて上石崎分校の場所が全く解りませんでした。
今までの経験を頼りに誰にも聞かずに、自力で辿り着けた上石崎分校(跡)。

校舎は無いけれど、何となく個人的には思い入れが大きくなってしまいました。









2016/10/09 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............石崎小学校   (2016年9月16日)(茨城県東茨城郡茨城町) 

9月16日  公休日

この日は、茨城県の茨城町の廃校巡りに出掛けました。


下石崎分校跡をあとにして、向かった先は...............茨城町立石崎小学校



石崎小学校は

明治6年     上石崎村に上石崎小学校が開校する
明治8年     下石崎村に下石崎小学校が開校する。
明治20年    中石崎村に中石崎小学校が開校する。

その後、中石崎小学校は石崎尋常小学校と改称し、
昭和11年    石崎尋常小学校を本校とし、上石崎小学校、下石崎小学校を分校とする。
昭和22年    学制改革により石崎村立石崎小学校と改称する。
昭和33年    石崎村が茨城町に編入され、茨城町立石崎小学校と改称する。
昭和53年    下石崎分校が独立して茨城町立広浦小学校となる。
平成5年     上石崎分校が統合され、廃校となる。
平成28年    石崎小学校、広浦小学校、長岡第二小学校が統合され
          新たに葵小学校が誕生して、石崎小学校は廃校となる。


と、このような沿革となっています。



こちらが、石崎小学校の正門。

      20160916石崎小学校01



門柱の表札は、未だ健在。

      20160916石崎小学校02


      20160916石崎小学校03



地域の緊急避難場所にも指定されているようです。

      20160916石崎小学校04



しかしながら、正門の門扉は閉ざされ、施錠もされています。
おまけに敷地にはフェンスが張り巡らされているので 敷地内には入れません。


仕方ないので、フェンス沿いにぐるっと回ってみます。


フェンス越しに眺める遊具類。

      20160916石崎小学校05


      20160916石崎小学校06


      20160916石崎小学校07


      20160916石崎小学校08


      20160916石崎小学校09



校庭は、それなりに広いけれど、敷地内には入れません。

      20160916石崎小学校10


校舎の側までやって来ました。

裏門(通用口)もしっかりと施錠され
敷地内には入れません。

      20160916石崎小学校11

せめて、石碑類や二ノ宮像が遠目でも確認出来れば良かったんですが
視界には入ってきませんでした。



フェンス越しに、遠巻きに校舎を眺めることしか出来ません。

      20160916石崎小学校12


       20160916石崎小学校13



文字が書かれた旗らしきモノが校舎前に有ったので
望遠レンズ越しに確認してみます。

       20160916石崎小学校14

『頑張れ 石崎小学校』って...............

何に頑張るのだろうか...............?(笑)



おそらく、校舎前には何らかの碑が在るとは思うけれで
確認は出来ません。

じっくりと、校舎やその他の学校遺構が確認出来れば良かったんですが、
残念ですが、こればっかりは仕方ない。
廃校記念碑や二ノ宮像はあるんだろうか?


でも、門扉が閉められて施錠されていたら
緊急時に避難出来ないんじゃない?

そんな事を思うのは私だけ...............?






2016/10/08 Sat. 18:56 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........旧・石崎小学校下石崎分校  (2016年9月16日)(茨城県東茨城郡茨城町) 

9月16日 公休日

この日は、茨城県の茨城町の廃校巡りに出掛けました。

最初に訪れた広浦小学校で、前身の下石崎分校跡地の話しを聞き、
歩いても近そうなので、ぶらりぶらりと歩きながら訪れたのは...............

茨城町立 旧・石崎小学校下石崎分校跡



石崎小学校下石崎分校は、

明治8年       下石崎村に下石崎小学校として開校する。
明治23年       中石崎小学校を本校とし,中石崎小学校下石崎分校となる。
明治30年       下石崎分校が独立し,下石崎尋常小学校と改称する。
昭和11年       中石崎尋常小学校を本校とし,石崎尋常小学校下石崎分校となる。
昭和22年       学制改革により石崎村立石崎小学校下石崎分校と改称する。
昭和33年       石崎村が茨城町に合併し,茨城町立石崎小学校下石崎分校と改称する。

昭和34年 新校舎建設により校地移転。


その後、石崎小学校から分離独立して広浦小学校となりますが
残念ながら平成28年春に石崎小学校、長岡第二小学校と統合して
新たに茨城町立葵小学校が開校され、廃校となりました。


こちらが、広浦小学校で出会ったオジさんに教えて貰った旧・分校跡地。

      20160916旧下石崎分校跡01



おそらくこの辺りが、かつての正門だったのでしょう。

      20160916旧下石崎分校跡02



移転したのが、昭和34年。
今から56年前まで、この地に下石崎分校が在ったようです。

      20160916旧下石崎分校跡03


現在は、少年野球のグランドなり
分校時代の遺構は残されていません。

      20160916旧下石崎分校跡04



おそらく、シンボルツリーだったと思われる木々。

      20160916旧下石崎分校跡05



大きなイチョウの木の下には銀杏の実が転がっていますが
拾いにくる人も居ないようです。

      20160916旧下石崎分校跡06



フェンス沿いには桜の木。

      20160916旧下石崎分校跡07


これらの桜は移転後、公園(?)になった時に植えられたモノみたいですね。

      20160916旧下石崎分校跡08


      20160916旧下石崎分校跡10


学校跡地の碑とかがあれば、テンションも上がるのですが
少年野球のグランドの関連したモノしか確認できません。

      20160916旧下石崎分校跡09


      
まぁ、学校が移転してから57年近く経っているんだから、仕方がないでしょう。
住宅地になって、それらしい雰囲気を感じ取れなかったり、
更地になって荒れ果て、雑草に埋もれた荒地ではないから
それだけでも良しとしましょう。

しかしながら、近くにある小学校も廃校になってしまうほど
子供たちが少なくなってしまった広浦地区。

この場所に旧・分校が在ったことを知っている人が
いつまで居るんだろうか...............?
あと10年もしたら、忘れ去られてしまうんだろうなぁ。





2016/10/08 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............広浦小学校  (2016年9月19日)(茨城県東茨木郡茨木町) 

9月16日 公休日

この日は、茨城県の茨城町に出掛けました。

本来の目的は、茨城町の廃校巡り。
と言うのも、茨城町は昨年(平成27年)に4つの小学校が廃校になり
今年の春に3つの小学校が廃校になりました。
少子化な波をモロに受けているようです。

茨城町の廃校巡り。
その第一弾は...............茨城町立広浦小学校



広浦小学校は

明治8年     下石崎村に下石崎小学校が開校する。
明治23年    中石崎小学校を本校とし,中石崎小学校下石崎分校となる。
明治30年    下石崎分校が独立し,下石崎尋常小学校と改称する。
昭和11年    中石崎尋常小学校を本校とし,石崎尋常小学校下石崎分校となる。
昭和22年    学制改革により石崎村立石崎小学校下石崎分校と改称する。
昭和33年    石崎村が茨城町に合併し,茨城町立石崎小学校下石崎分校と改称する。

昭和34年    新校舎建設により校地移転。

昭和53年    下石崎分校が石崎小学校より分離独立。
          茨城町立広浦小学校として開校する。
平成28年    広浦小学校、石崎小学校、長岡第二小学校が統合して
          葵小学校が開校(施設は長岡第二小学校を使用)。
          広浦小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。


涸沼湖畔の景勝地。
名勝『広浦』の名を付ける広浦小学校。
『広浦』の名勝地から、さほど遠くない台地頂部に在りました。



こちらが、広浦小学校の正門。

      20160916広浦小学校01


門柱には、広浦小学校の表札がしっかり残されていました。

      20160916広浦小学校03


      20160916広浦小学校04



反対側の門柱には、広浦小学校の校章が掲げられています。

      20160916広浦小学校02


      20160916広浦小学校05



この校章は、平成11年度の卒業生の贈り物なんですね。

      20160916広浦小学校06


正門裏には、広浦小学校の校訓の碑。

      20160916広浦小学校07

『誠実』『勤労』『協力』『健康』『自主』
どれも、ついつい忘れてしまいそうな素敵な言葉です。


こちらは、『全国花いっぱいコンテスト』の入賞記念の碑のようです。

      20160916広浦小学校08



昭和53年に石崎小学校から独立した広浦小学校。
その記念に建てられた碑のようです。

      20160916広浦小学校09




こちらは、石崎小学校創立百周年の記念碑。

      20160916広浦小学校24

独立したとは言え、石崎小学校とは切っても切れない関係なんですね。

『人はさきに、自分はあとに』
う〜む、なかなか考えさせる文面だけど、小学生にはちょっと難しいかな?


裏面には、広浦小学校(主に下石崎分校)の沿革が刻まれています。

      20160916広浦小学校25


校舎の前にこれらの石碑は建てられているのですが
肝心と言うか、期待した廃校記念の碑はありませんでした。

      20160916広浦小学校10


昭和59年度の卒業生から送られた石造りの方位計。

      20160916広浦小学校11



校庭に目を移してみましょう。

      20160916広浦小学校12


除草剤でも撒かれたのか?
この時期にしては枯れ草に覆われた校庭。

      20160916広浦小学校21



校庭に残る遊具類。

      20160916広浦小学校13


      20160916広浦小学校14


      20160916広浦小学校15


      20160916広浦小学校16


      20160916広浦小学校17



写真を撮っていたら、作業をしているオジさんが居ました。

      20160916広浦小学校18

いゃあ、気付かなかったなぁ。


校庭の端、民間との境界にあった桜の木が伐採されているようです。

      20160916広浦小学校19


      20160916広浦小学校20


オジさん(まぁ、私もオジさんですが、私よりかなり年上っぽい)に話しを伺うと
桜の木が腐り始めて、危険だから役場に許可を貰って伐採しているらしい。

オジさんからしたら、廃校になった場所に犬を連れて、
わざわざ千葉県(千葉ナンバーの車で判ったらしい)から来るモノ好きに
興味が湧いたみたいで、しばらく色々と話しをさせて貰いました。

オジさんの話では、この近くに広浦小学校の前身である
石崎小学校下石崎分校が昭和34年まで在った跡地があるらしい。
しっかりと場所を教えて貰いました。



作業をしている邪魔をしては申し訳ないので、お礼を言って
広浦小学校の探索(?)を続けます。




ひっくり返されて放置状態の木製の朝礼台。
      
      20160916広浦小学校22



3本の国旗掲揚ポール。

      20160916広浦小学校23

この3本のポールが由緒正しいポールの設置状態。
3本ポールの場合、真ん中に国旗。その次に優位になる旗を向かって左に掲揚するらしい。
向かって左から校旗、国旗、市町村旗って言う感じでしょうか?
それとも、左右逆かなぁ?(笑)



矢印が書かれていたり、土で汚れているから
今年の春まで近隣に建てられていた案内看板でしょうか?     

      20160916広浦小学校26



校舎の裏には、昔の正門。

      20160916広浦小学校27

古い石造りの門柱がひっそりと建っていました。


年代は刻まれてはいないけれど
寄贈者の名前は残っています。

      20160916広浦小学校28



再び、校庭から眺める校舎。

      20160916広浦小学校29



気が付いたら、作業をしていたオジさんがいつの間にか居なくなっていた。
せっかく、旧分校跡地の事を教えて貰ったのだから
ブラブラと歩いて覗いてみる事にしよう...............。



2016/10/07 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

水戸八景  広浦秋月  (2016年9月16日)(茨城県東茨木郡茨木町) 

9月16日  公休日


この日は、茨城県の茨城町に出掛けました。


『茨城百景 涸沼』の碑がある涸沼湖畔の広浦地区。

茨城県指定の文化財の名勝地でもあるけれど
『水戸八景』の一つでもあるらしい。
『〇〇八景』好きとしては、素通りは出来ません。


と、言うことで訪れたのは...............水戸八景 広浦秋月


水戸八景は、水戸徳川家第九代藩主斉昭公が、
天保四年(1833年)に領内を巡視し、八つの景勝地を選定したものです。
斉昭公が、藩主を継いだ頃の世情は、決して無事安穏ではありませんでした。
英明で覇気に富んでいた斉昭公であっても、心を煩わすことが多かったようで、
八景の風景は公の憂いを散らすに役だったに相違ありません。
しかし、八景設定の大きな目的は、藩内の子弟に八景巡りを勧めて、
自然観賞と健脚鍛錬を謀ることにあったと言うことです。
当時の流行語を用いれば、正に「文武両道の修練」に資せられたもので、
斉昭公の深慮の程には全く、感嘆してしまいます。
 
水戸八景は

青柳夜雨 (あおやぎのやう)
太田落雁 (おおたのらくがん)
山寺晩鐘 (やまでらのばんしょう)
村松晴嵐 (むらまつのせいらん)
水門帰帆 (みなとのきはん)
巌船夕照 (いわふねのゆうしょう、いわふねのせきしょう)
広浦秋月 (ひろうらのしゅうげつ)
僊湖暮雪 (せんこのぼせつ)

の8ヶ所。

その手始めに『広浦秋月』から攻めて行きましょう。




『広浦秋月』の地は、広浦公園となっています。

      20160916水戸八景広浦秋月01


広浦公園の案内看板にも、水戸八景について触れています。

      20160916水戸八景広浦秋月02


こちらが、広浦公園の入り口。

      20160916水戸八景広浦秋月03


広浦公園そのものが、大小のバンガローが設置されたキャンプ場です。

      20160916水戸八景広浦秋月04



いきなり、芝生広場でローリングする びいすけ 。

      20160916水戸八景広浦秋月05

ミミズでも居るのか?
はたまた、モグラ?



お目当の水戸八景の説明看板。

      20160916水戸八景広浦秋月06


水戸を中心に8ヶ所の名所が周辺に点在しています。

      20160916水戸八景広浦秋月07



そして、こちらが『水戸八景 広浦秋月』の碑。

      20160916水戸八景広浦秋月08

この碑を見るために、この地に訪れたと言っても過言ではない。



広浦秋月 の文字が確認出来ます。

      20160916水戸八景広浦秋月09



こちらは、保勝碑。
水戸八景選定経過等を記した副碑になります。

      20160916水戸八景広浦秋月10



こちらは、茨城町が建てた標柱。

『名勝 広浦』

      20160916水戸八景広浦秋月11

当然、茨城町の指定文化財でもあります。


石碑、副碑、標柱は一ヶ所にまとめられ
ちょっとした壇になっています。

      20160916水戸八景広浦秋月12


      
壇上から、眺める広浦の涸沼。

      20160916水戸八景広浦秋月14


      20160916水戸八景広浦秋月15


すぐ近くには、大杉神社の一の鳥居。

      20160916水戸八景広浦秋月16

鳥居の片方の脚は、湖面に浸っています。
東日本大震災の後、湖水面が上昇して、
鳥居の脚が湖水に浸ってしまったそうです。
涸沼周辺の地殻が変動してしまったのでしょうか?


この『広浦秋月』の地は、茨城百景の涸沼の一部。
そして、『名勝 広浦』の地。

やっぱり『水戸八景』や『茨城百景』は伊達じゃない。
確かに風光明媚な場所でした...............。






2016/10/06 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  涸沼①    (2016年9月16日)(茨城県東茨木郡茨城町) 

9月16日  公休日

この日は茨城県の茨城町に出掛けました。

今まで、茨城町と言えば、『ひぬまドッグラン』に行くぐらいでしたが
色々と調べてみると、茨城町にある『涸沼』は茨城町が誇る観光資産であり、
昔から風光明媚な場所だったようです。

また、茨城県には『茨城百景』なるモノがあり、
茨城県観光審議会によって昭和25年に選出され、
茨城有数の景勝地が網羅されています。
時代の移り変わりにより形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。
ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。
元々、『〇〇八景』とか『××100選』なんて言うフレーズに弱い身としては
この『茨城百景』も食指がそそります。

そんな訳で、訪れたのは...............茨城百景 涸沼


涸沼湖畔の広浦地区の大杉神社の境内に
『茨城百景』の碑が在るとのことでしたので
広浦へと向かいます。


こちらが、『名勝 広浦』の碑。

      20160916茨城百景涸沼広浦01

よくよく調べたら、『広浦』と言うのは
茨城県指定の名勝地(文化財)らしい。

昭和9年に茨城県指定の名勝に指定され
昭和43年に明治百周年の記念に建てられたモノのようです。

      20160916茨城百景涸沼広浦02


こちらが、大杉神社。

      20160916茨城百景涸沼広浦05

天保9年(1838年)天然痘が流行した時、
茨城県南部(稲敷市阿波)に総本社がある「大杉神社」より疫病退散の神「あんば様」をお迎えし、
涸沼のほとりに大杉神社を建立し、天狗面を借りてきて祀ったところ、
天然痘が治まったという言い伝えがあります。

毎年夏に「あんば祭」が開催されます。
あんば祭は、素鷲神社の「祇園祭」と大杉神社の「御田植祭」が一緒になったものらしく、
湖水に浮かべた数隻の船に舞台を設えてお囃子を奏でながら、
おかめ、ひょっとこ、きつね、獅子等の踊りを奉納する全国でも珍しいお祭りのようです。



大杉神社の拝殿の脇に建っているから
てっきり大杉神社の鳥居かと思ったら...............

      20160916茨城百景涸沼広浦03




『水神宮』の神額。

      20160916茨城百景涸沼広浦04



      
祠には、なぜか蛇の像が祀られています。

      20160916茨城百景涸沼広浦06

蛇って、水の神?



祠の背後に石碑発見!

      20160916茨城百景涸沼広浦07



『茨城の 涸沼』の碑です。

      20160916茨城百景涸沼広浦08


      20160916茨城百景涸沼広浦09



大杉神社前の涸沼の湖畔。

      20160916茨城百景涸沼広浦10


生憎の天気。
曇り空だから、暗い。

      20160916茨城百景涸沼広浦11


      20160916茨城百景涸沼広浦12



『茨城百景』に選定された昭和25年の頃とは
きっと景色も変わってしまったんだろうなぁ。

      20160916茨城百景涸沼広浦13


      20160916茨城百景涸沼広浦14


晴れていれば、空の青さと湖水の青さ(?)が
見事なコントラストを醸し出してくれるのだろうか...............?




2016/10/05 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

PRIMELAND ドッグランひぬま (2016年8月5日)(茨城県東茨城郡茨城町) 

8月5日 公休日

個人的な連休。

梅雨も明け、本格的な暑さが到来した関東地方。
先週に続き、今週も びいすけ を泳ぎに連れて行きました。

土日の混雑を避けるため、敢えて平日をチョイス。
たまたま休日のダック家をお誘いして、
向かった先は...............PRIMELAND ひぬま



ひぬまのプールに来るのも3年ぶりになるのかな?
とにかく、超久しぶりです。


      20160805涸沼ドッグラン01


平日ですが、プールに涼を求めるワンちゃんがやって来ます。

      20160805涸沼ドッグラン02



ちょうど、時刻は11時。
しかし、プール日和の好天気ですでに暑い。

受付を済ませ、すぐさまプールに直行。
休日の混雑が嘘のように空いています。

      20160805涸沼ドッグラン03


と、思ったのも一瞬。
時を同じくして、プールにやって来るワンちゃん達。

      20160805涸沼ドッグラン04



さっそく、 びいすけ もひと泳ぎ。

      20160805涸沼ドッグラン05


      20160805涸沼ドッグラン06



正直、水が苦手な びいすけ 。
逃げる機会を伺っています。

      20160805涸沼ドッグラン07


      20160805涸沼ドッグラン08


何度となく、プールサイドを逃げ回り、その度に捕獲され
プールに連れ込まれる びいすけ 。

でも、水の中は冷たくて、気持ち良いでしょ?(笑)




こちらは、ダック。

      20160805涸沼ドッグラン09



先日のWoofの特訓で泳ぎを覚え
今日はライジャケ無し。

      20160805涸沼ドッグラン10

ちょっぴり、怖さもあるのか?
まっすぐに泳がず、90°転回してプールの脇に行ったりして...............

ダックにまっすぐに泳ぐことを練習させている間は
プールサイドの匂い嗅ぎに余念の無い びいすけ 。

      20160805涸沼ドッグラン11



今度は びいすけ が泳ぐ番だよ?


『 お父さん、今日は僕、もういいです。』
そんな目で訴える びいすけ (笑)。

      20160805涸沼ドッグラン12



なんだかんだで、約2時間近く時が流れました。

お腹も空いたから、お昼にしましょう。


平日だから、基本的にはカフェは休業。
夏休み期間だからか? 焼きそばのみ提供できると言うことで
焼きそばを頂きましょう。

      20160805涸沼ドッグラン13

あっと言う間に完食。
美味しく頂きました。



軽くシャワーはしたものの、体はしっかり濡れている びいすけ 。
乾かす意味もこめて、ドッグランで遊びましょう。

ドッグランでは、やっぱり匂い嗅ぎに余念のない びいすけ 。

      20160805涸沼ドッグラン14



ドッグラン内を徘徊していたかと思えば...............

      20160805涸沼ドッグラン15


いきなり、スイッチが入ったのか?
突然、ダッシュの びいすけ 。

      20160805涸沼ドッグラン16


なぜか、ダックも走り出す。

      20160805涸沼ドッグラン17



カメラを構えたものの、激走モードは一瞬だけ。
日陰で芝生に腰を下ろし、マッタリモードの びいすけ 。

      20160805涸沼ドッグラン18



体も乾いてきたようだから、着替えましょう。

      20160805涸沼ドッグラン19


犬服を着させて、放牧状態にした途端に
なぜか びいすけ がローリング。

      20160805涸沼ドッグラン20



『ウゲッ、ウゲッ!』と奇声を発してローリングしていたかと思えば
今度は芝生に伏せ状態。

      20160805涸沼ドッグラン21


そして、『良し!』と叫べば
一目散に走って来ます。

      20160805涸沼ドッグラン22


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従順な所が、改めて健気で可愛いと思ってしまう今日この頃。

久しぶりのひぬまのドッグランも飼い主共々満喫出来たようです...............。




2016/08/29 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit