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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

茨城百景 番外編...............稲田神社元宮跡 (2020年1月4日)(茨城県笠間市) 

1月4日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

旧・稲田小学校をあとにして、桜川市に向けて国道50号線を移動。
信号で停止したら、こんな石碑を目に留まりました。


      20200104稲田神社奥の院01



茨城百景............稲田神社本宮跡....?

      20200104稲田神社奥の院02


あれ?
茨城百景に稲田神社本宮跡ってあったっけ?



確かに、笠間市には茨城百景は幾つかあるけれど
稲田神社本宮跡って聞いた事がない。

調べてみると、『茨城百景 笠間附近国宝社寺巡り』の中に包括風景として
楞厳寺,弥勒寺,大日堂,仏頂山,岩谷寺,稲田神社が挙げられている。

稲田神社があるから、本宮跡があっても良いのかな?
ならば、その本宮跡を訪ねてみましょう。


この道を上がって行ったところが本宮跡らしい。
民家の庭先を通るけれど、気にしなくて良いらしい。
(稲田神社の宮司さんに訊いちゃいました。)

      20200104稲田神社奥の院03



すると、こんな標柱が目に留まります。

      20200104稲田神社奥の院04


      20200104稲田神社奥の院05


      20200104稲田神社奥の院06

案内板によれば、かつての稲田神社の神宮寺ということもあり、
奇稲田姫命の本地仏聖観音と伝えられる平安時代中期製作の木造観音菩薩立像と、
素戔嗚命の本地仏かは定かではないが、同時期に製作された木造毘沙門天立像が
神宮寺観音堂に安置されています。



この地は稲田神社の御祭神である奇稲田姫命の垂迹地とされており、
祭神降臨伝説の舞台地でもあります。
通称、稲田姫奥の院と呼ばれる所です。

「稲田姫奥の院」とは、稲田神社の本宮跡地のことを指します。
跡地ですので、稲田神社とは全く別のところに位置しています。
森のなかにひっそりと存在している、知る人ぞ知る秘密のスポットとなります。
「稲田」という地名のもとになった神話が生まれた場所でもあります。

      20200104稲田神社奥の院07



小さいながらも、『稲田神社奥の院』の碑も建っている。

      20200104稲田神社奥の院08


石段の上には、社。

      20200104稲田神社奥の院09


扁額は文字がカスれて読みづらい。

      20200104稲田神社奥の院10



しかし、こちらが紛れもなく奥の院。

      20200104稲田神社奥の院11



そして、こちらが観音堂。

      20200104稲田神社奥の院12






手摩乳の祠。

      20200104稲田神社奥の院13


脚摩乳の祠。

      20200104稲田神社奥の院14





奥の院(本宮跡)に行ったのだから
稲田神社を素通りする訳にはいきません。

改めて、稲田神社にも参拝いたします。


社号標。

      20200104稲田神社奥の院15



手水舎。

      20200104稲田神社奥の院16



二の鳥居。

      20200104稲田神社奥の院17

今回は、奥の院から来たため、一の鳥居はパス。



拝殿。

      20200104稲田神社奥の院18



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20200104稲田神社奥の院20


別アングルからの拝殿。

      20200104稲田神社奥の院21



そして、こちらが本殿。

      20200104稲田神社奥の院22



びいすけ も参拝。

      20200104稲田神社奥の院19

稲田神社は、コレで2回目の参拝だけど
奥の院もお参りしたから、今回は完璧でしょう(笑)。

茨城県百景 番外編(?)  稲田神社の本宮跡、
コレにて完了です。





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2020/02/09 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............旧・稲田小学校跡 (2020年1月4日)(茨城県笠間市) 

1月4日 

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。
佐志能神社(笠間城址)をあとにして、向かった先は...............笠間市立 旧・稲田小学校跡。


《始めにお断り》

稲田小学校は、現存する小学校で廃校ではありませんが、
かつての稲田小学校だった校地を訪れました。


明治18年(1885年)に旧・稲田小学校が誕生しました。
昭和54年に旧・稲田小学校と福原小学校が統合して、
新たに笠間市立稲田小学校として新校舎を新校地に建設して移転しました。

すなわち、昭和54年までこの地に稲田小学校が在ったと言うことになります。



こちらが、旧・稲田小学校の正門。

      20200104旧・稲田小学校01



石造りの門柱に表札は埋め込み式ではなく、ぶら下げられていたんですね。

      20200104旧・稲田小学校02



正門の先には、大きな2本の木。

      20200104旧・稲田小学校03

シンボルツリーだっんでしょう。


その木の下に碑らしきモノがある。

      20200104旧・稲田小学校04


      20200104旧・稲田小学校08

てっきり、旧・稲田小学校関連の碑だと思ったら
『いなだ保育園』と表札が埋め込まれでいました。


どうやら、校地移転後、この場所は『いなだ保育園』として利用されていたようです。


保育園の園舎。

      20200104旧・稲田小学校05



園庭。

      20200104旧・稲田小学校06


雑草が伸びて、枯れた状態。
園庭が、きちんと管理されていないみたい。

      20200104旧・稲田小学校07


ひょっとしたら、廃園になっているのか?

      20200104旧・稲田小学校16


ネットで笠間市のHPを見ても『いなだ保育園』、『いなだ保育所』では
この住所ではヒットしないようです。


隣接する建物は『稲田公民館』。

      20200104旧・稲田小学校09



公民館の前はゲートボール場。

      20200104旧・稲田小学校10

でも、久しく使われていないようです。


公民館の駐車場がかつての校庭の一部になるのでしょう。

      20200104旧・稲田小学校11


ゲートボール場の脇に、碑がありました。


旧・稲田小学校の校歌の碑です。

      20200104旧・稲田小学校12



昭和49年度の卒業生から贈られたモノのようです。

      20200104旧・稲田小学校13


その近くには、別な碑。

      20200104旧・稲田小学校14



そして、敷地の片隅に申し訳なさそうに建つ消防倉庫。

      20200104旧・稲田小学校15

やっぱり、笠間市の廃校、学校跡には、コレがなくっちゃ!!(笑)。






2020/02/08 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

佐志能神社  (2020年1月4日)(茨城県笠間市) 

1月4日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

かつて、笠間城の天守跡だった佐白山の頂部。
そこには、佐志能神社が鎮座しています。



佐志能神社は茨城県笠間市笠間の佐白山の「笠間城跡」に鎮座する神社で
延喜式神名帳の佐志能神社の論社です。

式内社である佐志能神社の論社には、こちらの笠間市以外に
石岡市柿岡の佐志能神社、石岡市染谷の佐志能神社、石岡市村上の佐志能神社の3社があります。
ただ、石岡市内の3社は往古の茨城郡に属することから、
比定社としては古くから笠間の佐志能神社が有力とされてきたそうです。

創祀年代は不詳。佐白三所大明神、三白権現とも称された神社です。

当初は佐白山(佐志能山)山頂に鎮座していましたが、
建長年間に藤原時朝による笠間城築城により祠を遷し祀っていましたが、
明治五年、笠間城廃城に伴い、旧社地に戻されたそうです。

御祭神は、主神として
    豊城入彦命、建御雷之神、大国主神。
合祀神として、
    八幡神社(品陀和気命)、城山稲荷神社(宇迦之御魂命)
    伊都岐島神社(市杵志比賣命)、軻遇突智神社(迦具土神)、
    出世稲荷神社(宇迦之御魂神)、豊城入彦建御雷之神。




笠間城の天守跡を目指す=佐志能神社を目指すことになります。

      20200104佐志納神社01


佐白山頂部目指して、石段を上っていきます。

      20200104佐志納神社02



やがて、目の前に現れる見事な石垣。

      20200104佐志納神社03



笠間城の天守跡の石垣です。

      20200104佐志納神社04


      20200104佐志納神社05


佐白山頂部に鎮座する佐志能神社。
社殿が見えてきました。

      20200104佐志納神社06



山頂の岩をくり抜いて作った手水鉢。

      20200104佐志納神社07



拝殿正面。

      20200104佐志納神社08



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20200104佐志納神社09


別アングルからの拝殿。

      20200104佐志納神社10


      20200104佐志納神社11



そして、こちらが本殿。

      20200104佐志納神社12


びいすけ も参拝します。

      20200104佐志納神社13



東日本大震災以降、笠間城の天守跡は一応立ち入り禁止になっているとの事らしいが
この日もかなりの人がハイキングを兼ねて訪れていました。

こちらの佐志能神社、笠間稲荷神社の兼務社となっています。
式内社の有力な論社ではありますが、御朱印の頒布はされていないようです。
残念ですね。


2020/02/08 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

笠間城址 (2020年1月4日)(茨城県笠間市) 

1月4日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

香取小原神社をあとにして、向かった先は...............笠間城址。

以前、笠間市に来た時に、茨城百景の包括地として
笠間城址の一部に立ち寄りましたが、山城である笠間城の麓の部分。
家臣たちの屋敷が広がる笠間城の一部でした。
(その時の記事は  こちら  )

あの時は、急いでいたと言うこともあって
足早にその場をあとにしましたが、今回は時間をかけて、笠間城址を攻略します。


笠間城は、鎌倉時代に笠間時朝(1203~1265)が築城しました。

当時、この地域は真言宗の正福寺と徳蔵寺の勢力争いが盛んであり、
両寺院の僧兵たちが争っていました。
劣勢であった正福寺勢が下野守護宇都宮頼綱に援軍を求めたところ、
頼綱は甥の笠間時朝(塩谷時朝)を派兵しました。
時朝は元久2年(1205年)、徳蔵寺の僧兵と戦うための拠点として
佐白山山麓に麓城を築城し、徳蔵寺を討ちました。
ところが、麓城の規模があまりにも大きかったため、
味方のはずの正福寺の僧兵までも時朝に敵対してしまいます。
結局、時朝は正福寺と徳蔵寺を滅ぼすことになります。
そして、承久元年(1219年)堅固な城を佐白頂上に築城しました。
これが、笠間城の始まりです。
その後、笠間氏は18代にわたって笠間の地を治めます。
天正18年(1590年)の小田原征伐の際、18代笠間綱家が宗家の宇都宮氏に逆らい、
宇都宮氏に攻められ落城、替わって宇都宮氏の支配するところとなりました。
文禄元年(1592年)、宇都宮国綱の家臣・玉生勝昌が笠間城主として入城。
慶長3年(1598年)、蒲生郷成が3万石で封じられ笠間城に入城。
慶長6年松平康重が替わって入城した。
その後、諸氏が封じられて城主は目まぐるしく入れ替わり
永享4年(1747年)、牧野貞通が8万石で封じられ、
以後、牧野氏が明治の廃藩まで笠間の地を治めます。、

明治6年(1873年)の廃城令により廃城処分とされ、
建物は取り壊されました。





こちらが、笠間城の縄張り図。

      20200104笠間城址01



本来なら麓から攻略するのがセオリーですが、何せ山城ですから
車で行けるところまで行きましょう。


笠間百坊の近くにある大黒石の近くに車が10台ぐらい停められるスペースがあるので
そちらを起点とします。


こちらが大黒石

      20200104笠間城址02

正福寺と徳蔵寺の争いの際、佐白山の頂辺りから転がり込み落ちて、
優勢だった徳蔵寺の増兵は下じきになったり、
つぶされそうになったりして逃げ回ったそうです。



多黒石のちょっと先。
山の中に入っていく道がある。

      20200104笠間城址03


      20200104笠間城址04


笠間城関連だと思うのだが、本丸とは明後日の方向へ行っちゃうので
この先の進軍は諦めます。

      20200104笠間城址05




こちらが、千人溜り跡。

      20200104笠間城址06



別名、的場曲輪とも呼ばれ、かつての兵の溜まり場だったようです。
以前は、この場所が駐車場になっていたのですが
倒木などにより、駐車場は閉鎖されてしまいました。

      20200104笠間城址07


さあ、笠間城への攻略です。



大手門前の土橋。

      20200104笠間城址08



土橋の架かる空堀。

      20200104笠間城址09



大手門の在った場所には碑が建っています。

      20200104笠間城址10



大手門脇の石垣。

      20200104笠間城址11



城内には、観光用の道路(車両進入禁止)も整備されているけれど
旧来のものと思われる登城路を進みます。

      20200104笠間城址12


      20200104笠間城址13



本丸はもう少し。
この辺りにも石垣は残る。

      20200104笠間城址14


      20200104笠間城址15



本丸虎口。

      20200104笠間城址16



こちらが本丸。

      20200104笠間城址17



いきなり、転がり本丸の土の感触を味わう びいすけ 。

      20200104笠間城址18


本丸跡には、コレと言って特に何も無い。

      20200104笠間城址20



本丸奥に土塁(土壇)がある。

      20200104笠間城址30



ここから、上がって行けるようです。

      20200104笠間城址21



上がった先が八幡櫓。

      20200104笠間城址22



櫓と言ってもちょっとした曲輪(郭)になっている。

      20200104笠間城址23



八幡櫓から本丸を見下ろしてみます。

      20200104笠間城址24



再び、本丸に降りて行きます。

      20200104笠間城址25


本丸奥には笠間城址の碑。

      20200104笠間城址26


      20200104笠間城址27



さらに、ちょっと離れた場所に別な碑も建っています。

      20200104笠間城址28



そして、その脇には大きな案内板。

      20200104笠間城址29



本丸の土塁。

      20200104笠間城址31


      20200104笠間城址32



こちらは、ちとせまつ。

      20200104笠間城址33

おそらく、『千歳松』と言う意味だと思うけれど
碑文は平仮名で『ちとせまつ』。
碑は建っているものの、その名の由来は不明。



本丸から天守曲輪へと向かいます。



本丸奥の土橋。

      20200104笠間城址34


竪堀が天守への行く手を阻みます。

      20200104笠間城址35



この先ぐ天守跡。

      20200104笠間城址36



石段を登っていけば、石垣がお出迎え。

      20200104笠間城址37



天守跡には、佐志能神社が鎮座します。

      20200104笠間城址38



笠間城の天守は佐白山の頂部。
元々は佐志能神社が鎮座していましたが
笠間城築城の際に麓に遷座したと言うことですが
笠間城の廃城後、再び佐白山の頂部に遷座したそうです。

      20200104笠間城址39


さすが、佐白山の頂部。
見晴らしは良い。

      20200104笠間城址40



再び石段を下り、本丸へと戻ります。

      20200104笠間城址41



本丸西奥にも土塁が残る。

      20200104笠間城址42


本丸西郭にも櫓が在ったそうで、
この辺りに櫓が建っていたらしい。

      20200104笠間城址43


天守閣のような建築物は遺っていないけれど
立派な石垣が何ヶ所も遺る笠間城址。
続・日本の100名城に選ばれたらしい。

続・日本の100名城って言うのも如何なモノか?
と個人的には思ったりするんだけどねぇ。




2020/02/07 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

香取小原神社 (2020年1月4日)(茨城県笠間市) 

1月4日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

旧・大原小学校跡地の目の前に神社があったので、ここはついでと立ち寄って参拝してみました。

訪れたのは...........香取小原神社。


香取小原神社は、笠間市小原に鎮座する神社です。

由緒について、詳細は不詳ですが、
伝承によれば、久寿二年(1155年)とされています。

御祭神は、経津主命、建速素盞鳴命。



旧・大原小学校跡を探しながら県道を走っていると、
こんな看板が目に留まった。

      20200104香取小原神社01

どうやら、地元の神社で元旦にちょっとした祭禮があったようです。



その、香取小原神社は、県道を挟んで大原小学校跡地の畑の向いに鎮座していました。
それなら、素通りは出来ませんね。
って言うか、神社の裏手に車を停めちゃっています(笑)。




こちらが社号標。

      20200104香取小原神社02

社号標には小原神社とある。



どうやら、文化財の残る神社のようです。
説明板には香取神社とある。

      20200104香取小原神社03

算額と言われる、和算家が算問を描いて神社仏閣に奉納した絵馬で、
神仏に問題の解決を感謝するとともに、問題を広く伝える意図があったそうです。
算額は江戸中期の明暦年間(1655~57年)の頃から始まり、
茨城県内には18面(江戸期のものは8面)ほど現存しているそうです。
香取神社の算額は、昭和2年(1927年)に奉納されたもので、
最も新しく、原形もきちんとしているそうです。




神社社頭。

      20200104香取小原神社04



参道。

      20200104香取小原神社05



参道の狛犬。

      20200104香取小原神社06


      20200104香取小原神社07


      20200104香取小原神社08



手水舎。

      20200104香取小原神社09



こちらが拝殿。

      20200104香取小原神社10



拝殿正面。

      20200104香取小原神社11



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20200104香取小原神社12

小原神社と記されていて、香取の一文字もない。




別アングルからの拝殿。

      20200104香取小原神社13


      20200104香取小原神社14


    

そして、こちらが本殿。

      20200104香取小原神社15




拝殿前の天水桶。

      20200104香取小原神社17




びいすけ も参拝。

      20200104香取小原神社16




境内社。

      20200104香取小原神社18



拝殿脇には小さな手水鉢。

      20200104香取小原神社19

傍らには招き猫?




こちらが、社務所。

      20200104香取小原神社23



どうやら、普段は無人の神社のようです。




神社から数十m離れた場所には、稲荷神社も鎮座している。

      20200104香取小原神社20



境外社になるのだろうか?

      20200104香取小原神社21


せっかくだから、こちらもお参りします。

      20200104香取小原神社22


こちらの神社も、大原小学校跡地に訪れなければ
立ち寄ることもなかっただろう。

これも、また縁ですね。




2020/02/07 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............旧・大原小学校跡 (2020年1月4日)(茨城県笠間市) 

1月4日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

小原神社をあとにして、向かった先は............... 旧・友部町立 旧・大原小学校跡


大原小学校は、廃校ではなく現在は笠間市立大原小学校として現存する小学校です。
明治5年小原小学校として、保呂輪山千手院に仮校舎として創立します。

大正11年     大原尋常小学校となり、この地に校地を移転。小原に分教場を設置する。
昭和22年     学制改革により、大原村立大原小学校と改称する。
昭和30年     大原村が宍戸町、北川根村が合併して友部町となる。
         友部町立大原小学校と改称する。
昭和43年     小原分校を統合する。
昭和45年     新校舎建設、校地を移転する。

その後、平成18年に友部町は岩間町と共に笠間市と合併して
新たな笠間市が誕生します。
大原小学校も笠間市立大原小学校と改称し、今日に至ります。




畑の中にある小さな碑。

      20200104旧・大原小学校01

小原分校でも目にした碑ですね。



碑文は『大原尋常高等小学校跡地之碑』。

      20200104旧・大原小学校02


      20200104旧・大原小学校03

大正11年から昭和45年まで
この地に大原小学校が在ったんですね。


この碑は、平成4年に大原小学校創立120周年を記念して
建立されたモノのようです。

      20200104旧・大原小学校04



碑は建っているものの、周りは畑。

      20200104旧・大原小学校05



しかも、一部は耕作されているものの、殆どが休耕地のようです。

      20200104旧・大原小学校09


      20200104旧・大原小学校10




50年前に移転しているから、校舎はとっくに解体されているけれど
学校跡を全く感じさせない。

      20200104旧・大原小学校06


      20200104旧・大原小学校07


      20200104旧・大原小学校08



学校跡地って、公共の施設とかに転用される事が多いけれど
耕作地になったと言うことは、元々の校地は借地だったんだろうか?

色んなことを考えてしまうけれど、
あの碑が無ければ、誰もこの場所が学校だったなんて思わないでしょう.............。








2020/02/06 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

小原神社 (2020年1月4日)(茨城県笠間市) 

1月4日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

小原分校をあとにして、次なる学校跡に向おうとしていたら、
目の前に神社が現れた。
せっかくだから、参拝していきましょう。
と言う事で立ち寄った先は...............小原神社。




小原神社は、笠間市小原に鎮座する神社です。

由緒については不詳ですが、
伝承によれば永徳元年の創建と伝わっているようです。

御祭神は、高靇神、闇靇神、建速素盞鳴。




社号標。

      20200104小原神社01



神社社頭。

      20200104小原神社02



鳥居下からの参道。

      20200104小原神社03
      20200104小原神社04



こちらが拝殿。

      20200104小原神社05



拝殿前の狛犬。

      20200104小原神社06


      20200104小原神社07



手水舎。

      20200104小原神社08



拝殿正面。

      20200104小原神社09



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20200104小原神社10



別アングルからの拝殿。

      20200104小原神社11



そして、こちらが本殿。

      20200104小原神社12



拝殿前の天水桶。

      20200104小原神社13



びいすけ も参拝。

      20200104小原神社14



境内社。

      20200104小原神社15



拝殿左側の鳥居。
位置的には西方向になるから、西参道口になるんでしょうか?

      20200104小原神社16



神輿庫。

      20200104小原神社17



こちらが社務所ですが、誰も居ない。

      20200104小原神社18

どうやら、普段は無人の神社のようです。



境内の記念碑。

      20200104小原神社19



こちらの小原神社には3本の大きなケヤキの木があり
笠間市の天然記念物に指定されています。

      20200104小原神社20



御神木と天然記念物のケヤキの木。

        20200104小原神社21
      20200104小原神社22



偶然見つけて、立ち寄った神社。
小原分校に来なければ、おそらく訪れることもなかった神社。
これも、きっと何かの縁でしょう。


2020/02/06 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............大原小学校小原分校 (2020年1月4日)(茨城県笠間市) 

1月4日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

来栖神社をあとにして、向かった先は............... 旧・友部町立 大原小学校小原分校

大正10年   大原尋常小学校の分教場として創立される。
昭和22年   学制改革により、大原村立大原小学校小原分校と改称する。
昭和30年   大原村が宍戸町、北川根村が合併して友部町となる。
       友部町立大原小学校小原分校と改称する。
昭和43年   本校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、小原分校の正門跡。

      20200104小原分校01


門柱は年季の入った石造りですが、表札は取り外されていて無い。

      20200104小原分校02



門柱の脇に建つ小さな碑。

      20200104小原分校03

碑文には、『大原村立大原尋常高等小学校 小原分校 小原学校 跡地之碑』と刻まれています。


大正11年から昭和45年まで、
この地が学校跡だったと記されています。

      20200104小原分校04


どうやら、大原小学校の創立120周年の記念事業として
この碑は建てられたモノのようです。

      20200104小原分校05



廃校は今から、約50年前の事。
校舎は既に無い。

      20200104小原分校06



現在は、『小原農村公園』となっています。

      20200104小原分校07



敷地の一角には、地域の集会所。

      20200104小原分校08

こんな感じで、往時は校舎が建っていたんでしょうか?



敷地に残る遊具類。

      20200104小原分校09

分校時代のモノなのか?
はたまた、農村公園になってから設置されたモノなんだろうか?

      20200104小原分校10


      20200104小原分校11


      20200104小原分校12



地面に埋められた古タイヤは小学校の定番遊具。

      20200104小原分校13



これらの古タイヤは、きっと小原分校時代のモノでしょう。

      20200104小原分校14


      20200104小原分校15



山間部に近い農村地区の分校と名が付くけれど
笠間市内の他の廃校と敷地の広さはさほど変わらない。
って言うか、むしろ広く感じたりする。

      20200104小原分校16


少し離れた位置から、びいすけ に声を掛けてみます。

      20200104小原分校17


元気良く、こちらに向かって走って来ます。

      20200104小原分校18


      20200104小原分校19


びいすけ、10歳。
今年の夏には11歳。

まだまだ、元気です!!



2020/02/05 Wed. 14:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

来栖神社 (2020年1月4日)(茨城県笠間市) 

1月4日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。
南山内小学校をあとにして、向かった先は...............来栖神社。


来栖神社は、笠間市来栖に鎮座する神社です。
来栖神社の詳細は不詳ですが、
大同2年(807年)に創建されたと言われています。


日本武尊が東国遠征の際、長い行軍で疲れたので、
当地に立ち寄り休憩することになり、
村人たちは尊を迎えもてなします。

彦一という若者は、尊のために裏山から栗の実をたくさん拾い、
尊に差し出しました。
尊は喜び、「ここは,おいしい栗がたくさん実るよい所だ」と、
この地を『くりのす』と名付け、いつまでも忘れなかったそうです。

また、村人の一人は大事にしていた剣の形をした青い石を尊に捧げましたが、
尊は「ありがたいことだ。この石をわが身と思え。」と言い村人に返しました。
そして、村人たちはこの石を御神体として社を建てました。

後に,「くりのす」を「栗栖」と書き,さらに「来栖」と変わり、
そして村の社を「来栖神社」と言うようになったそうです。


御祭神は、日本武尊。


実は、以前にこの近くにある来栖小学校跡地を訪れた時に
この来栖神社の前を通りました。
その時は、色々と巡る予定もあって立ち寄る事が出来ませんでしたが、
帰ってから色々と調べたら..................

日本武尊に栗を献上した彦一を祖先とする家が代々宮司を勤めていて、
何と『来栖』性を称しているらしい。
機会があれば、一度参拝してみたいと思っていました。




社号標。

      20200104来栖神社01



神社社頭。

      20200104来栖神社02



手水舎。

      20200104来栖神社04


こちらが、拝殿。

      20200104来栖神社03


拝殿正面。


      20200104来栖神社05



向拝。

      20200104来栖神社06



向拝の彫刻も素晴らしい。

      20200104来栖神社07



貼られた千社札も良い味を出している。

      20200104来栖神社08



別アングルからの拝殿。

      20200104来栖神社09


      20200104来栖神社10



そして、こちらが本殿。

      20200104来栖神社11



境内社。

      20200104来栖神社12



中を覗き込むと、小さな大黒天と布袋尊(?)が鎮座していました。

      20200104来栖神社13



こちらも境内社。

      20200104来栖神社14


      20200104来栖神社15



境内には、板碑も建ち並ぶ。

      20200104来栖神社16



御神木。

         20200104来栖神社17
       20200104来栖神社18
      20200104来栖神社19


      20200104来栖神社20
      20200104来栖神社21
      20200104来栖神社22


そして、こちらが社務所。

      20200104来栖神社23


新年も4日。
まだ松の内だから、ひょっとしたら、社務所に宮司さんが居るかな?
なんて思ったりしたけど、残念。
どうやら普段は無人の神社のようですね?




2020/02/04 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............南山内小学校 (2020年1月4日)(茨城県笠間市) 

1月4日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

上加賀田小学校をあとにして、向かった先は...............笠間市立南山内小学校。

南山内小学校の詳しい沿革は不明ですが、
明治7年に南山内村に創立しました。
昭和57年に南山内小学校、本戸小学校、来栖小学校の一部と統合して
笠間市立南小学校が開校。
南山内小学校は廃校となりました。

と、簡単ですがこのような沿革となっているようです。




こちらが、南山内小学校の正門。

      20200104南山内小学校01



石造りの古い門柱。

      20200104南山内小学校02


その門柱には往時の表札が残る。

      20200104南山内小学校03

古い御影石の門柱に残る小学校の表札と言えば、
白い表札が多いけれど、こちらは黒い表札。
ちょっぴり珍しい。



門柱脇、茂みに隠れて見づらいけれど、校歌の碑。

      20200104南山内小学校04



南山内小学校の創立八十周年の記念に建てられたモノのようです。

      20200104南山内小学校05


廃校から約38年。
校舎は無く、跡地に公民館が建てられています。

      20200104南山内小学校07



公民館前には国旗掲揚ポール。

      20200104南山内小学校08

こちらは、南山内小学校時代のモノだろうか?


そして、そのポールの脇には池の跡。

      20200104南山内小学校17

おそら、南山内小学校時代のモノでしょう。



今朝の寒さで霜の降りた校庭跡。

      20200104南山内小学校09


      20200104南山内小学校14



遊具なども無く、殺風景。

      20200104南山内小学校18



でも、遊具など必要のない奴がここに居る。

      20200104南山内小学校10
  


そんな敷地を匂い嗅ぎに専念する びいすけ 。  

      20200104南山内小学校11


      20200104南山内小学校12


      20200104南山内小学校13



敷地の一角に見覚えのある建物。

      20200104南山内小学校15


この独特のフォルムは、幾度となく見てきた笠間市の消防倉庫。

      20200104南山内小学校16



やっぱり、笠間市の廃校、学校跡には、コレがなくっちゃ!
2020/02/04 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............上加賀田小学校 (2020年1月4日)(茨城県笠間市) 

1月4日   

ここ何年、(もう10年ぐらいになるのか?)毎年、元旦は休みでしたが、
今年は三ヶ日しっかりと働きました。
この日が今年初めての公休日。
茨城県の笠間市・桜川市へと出かけました。

向かった先は...............笠間市立上加賀田小学校。


上加賀田小学校の詳しい沿革については不明ですが、
明治6年     上加賀田村に小学校が創立する。
昭和57年     南山内小学校、本戸小学校、来栖小学校の一部と
         統合して笠間市立南小学校が開校。
         上加賀田小学校は廃校となりました。

と、簡単ながらこのような沿革だったようです。



こちらが、上加賀田小学校の正門。

      20200104上加賀田小学校01



石造りの古い門柱には、往時の表札。

      20200104上加賀田小学校02


      20200104上加賀田小学校03


フェンスの奥には学校跡の碑。

      20200104上加賀田小学校04


フェンス越しだと見づらいので、ちょっとだけ位置を変えてみます。

      20200104上加賀田小学校05



昭和58年廃校。
今から約38年前。


校舎は無く、更地の公園っぽい空き地。

      20200104上加賀田小学校06


重機が置かれていて、残土置き場になっているのか?

      20200104上加賀田小学校07



ブルーシートがいかにも残土っぽい雰囲気になっている。

      20200104上加賀田小学校08


      20200104上加賀田小学校09



敷地の一角は、地域のリサイクルゴミ置き場。

      20200104上加賀田小学校10

空き缶などの一時的なゴミ置き場となっているようです。



残念ながら遊具等も無く、学校遺構は門柱と先ほどの学校跡碑のみ。

      20200104上加賀田小学校11



敷地の周りに植えられていた桜の木々が
学校跡を彷彿させてくれる。

      20200104上加賀田小学校12


      20200104上加賀田小学校13

笠間市の場合、学校跡地が公民館や消防倉庫に転用される事が多いけれど
残土置き場(?)って言うのは、ちょっぴり残念ですね。

 
2020/02/03 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............福原小学校 (2019年11月16日)(茨城県笠間市) 

11月16日


この日は、茨城県の笠間市に出かけました。


常陸国出雲大社をあとにして、向かった先は.................笠間市立福原小学校。



福原小学校はの詳しい沿革については不明ですが
明治6年     開校。
昭和54年    稲田小学校に統合されて廃校となる。

と言った沿革のようです。




こちらが、福原小学校の正門跡。

      20191116福原小学校01


門柱は壊れてしまったのか?

      20191116福原小学校02

基礎部分だけ残っている。


少し離れた場所に置かれた(放置された?)門柱。

      20191116福原小学校03

危険だから、門柱は撤去されたのかもしれませんね。


廃校後、校舎は解体されて、
跡地には公民館が建てられたようです。

      20191116福原小学校04


      20191116福原小学校05


      20191116福原小学校06



敷地の一角に記念碑等がまとめられて置かれています。


二宮像。

      20191116福原小学校07


      20191116福原小学校08



校歌の碑。

      20191116福原小学校09



運動場拡張記念碑。

      20191116福原小学校10



正門跡の脇には、シンボルツリー?

      20191116福原小学校11

枝は落とされていますが、立派なイチョウの木。


そのイチョウの根元にも卒業の記念碑。

      20191116福原小学校12



公民館の前に遊具は移設されたのか?
校庭には遊具は無い。

      20191116福原小学校16


何も無いだけ、広く感じる校庭。

      20191116福原小学校13


      20191116福原小学校17



視界の先に見えるのは................

      20191116福原小学校14



先ほど訪れた常陸国出雲大社。


ズームで撮った拝殿。

      20191116福原小学校15


なかなか、ロケーション的には好立地なんだけど
少子化の波には勝てなかったんですね。











2020/01/13 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............愛宕 常陸国出雲大社 (2019年11月16日)(茨城県笠間市) 

11月16日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。


本戸小学校をあとにして、向かった先は............常陸国出雲大社。

常陸国出雲大社は、笠間市福原に鎮座する神社です。

歴史は以外に浅く、
平成4年、島根県の出雲大社から分霊されて創建されたそうです。
創建当初は、『出雲大社常陸』と称していましたが、
平成26年に現社号である『常陸国出雲大社』に改称したそうです。


御祭神は、大国主大神。



社号標。

      20191116出雲大社01



境内案内図。

      20191116出雲大社02



由緒書き。

      20191116出雲大社03



大鳥居。

      20191116出雲大社04



手水舎。

      20191116出雲大社05



定番の龍の吐出口。

      20191116出雲大社06



こちらが、拝殿。

      20191116出雲大社13



      20191116出雲大社07



実物は見た事が無いけれど、
島根の出雲大社同様、(って、島根の出雲大社には行った事ないけれど)
巨大な注連縄。

      20191116出雲大社08


圧巻です。

      20191116出雲大社09



拝殿正面。

      20191116出雲大社12



拝殿の扁額。

      20191116出雲大社11



びいすけ も参拝。

      20191116出雲大社10


      
別アングルからの拝殿。

      20191116出雲大社14



そして、こちらが本殿。

      20191116出雲大社17



拝殿前の狛犬。

      20191116出雲大社15


      20191116出雲大社16



境内社・薬神神社

      20191116出雲大社18


      20191116出雲大社19


      20191116出雲大社20


      20191116出雲大社21


      20191116出雲大社22


御祭神の少名彦那神は、大国主大神と兄弟の誓いを結び、
国造りをしたとされています。
特に医薬の道に秀でられ、薬神としての信仰があるそうです。



こちらは、境内社・龍蛇神社。

      20191116出雲大社23


      20191116出雲大社24


      20191116出雲大社25

大国主大神の使いの神として、
また、火難・水難の守護神として、
さらには、血の道の障りなどを除かれる神としての信仰があるそうです。



こちらが社務所。

      20191116出雲大社26

御朱印は、こちらで拝受出来ます。



御朱印を待つ間、拝殿隣の展望台にて。

      20191116出雲大社27

常陸の山深き。


こちらが御朱印。

      20191116出雲大社28

出雲には、おそらく行けないから
関東各地にある出雲大社詣でを頑張ることにいたしましょう。






2020/01/12 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............本戸小学校 (2019年11月16日)(茨城県笠間市) 

11月16日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

友部小学校跡をあとにして、向かった先は............笠間市立本戸小学校。


本戸小学校は、

明治7年      富田藤右ヱ門氏宅を借用し、本戸小学校として創立する。
明治9年      広洞院庫裡 松本昌安氏宅を買収し校舎とする。
明治19年     本戸尋常小学校となる。
明治19年     稲田尋常小学校本戸分教場となる。
明治23年     南山内尋常小学校本戸分校となる。
明治25年     南山内村立本戸尋常小学校と改称する。
明治41年     現在地に校舎新築し移転。
昭和22年     学制改革により南山内村立本戸小学校と改称する。
昭和30年     笠間町・北山内村、大池田村が合併し新たな笠間町となる。
         笠間町立本戸小学校と改称する。
昭和33年     笠間町が市制施行して笠間市となる。
         笠間市立本戸小学校と改称する。
昭和57年     稲田小学校と南小学校とに地区別に分かれて統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、本戸小学校の正門。

      20191116本戸小学校01



門柱には、往時の表札が掲げられています。

      20191116本戸小学校02



廃校後、校舎は解体され、跡地は公民館が建てられたようです。

      20191116本戸小学校03


また、敷地の一部はゲートボール場として利用されているようです。

      20191116本戸小学校04



敷地の一角に石碑類が建ち並んでいます。

      20191116本戸小学校05


   

校歌の碑。

      20191116本戸小学校06


裏面には沿革が刻まれています。

      20191116本戸小学校07

大変参考になりました。



創立百周年の碑。

      20191116本戸小学校08



本戸善光寺の由来の碑。

      20191116本戸小学校09

碑文によれば、元々、この地には善光寺如来が祀られて居たけれど
所有者である西光寺の藤枝氏から寄進されたものだったけれど、
管理等の維持が困難となり、藤枝家の了承を得て売却することになったそうです。
後世にその事を残すために、この碑を建てたそうです。



こちらは、本戸小学校閉校記念碑。

      20191116本戸小学校10



創立百周年記念植樹の碑。

      20191116本戸小学校11



農村公園の門柱。

      20191116本戸小学校12

現在は、公民館が建てられていますが、
廃校直後は農村公園として利用されていたようです。



敷地の一角には消防倉庫。

      20191116本戸小学校13



廃校から37年。
校庭には遊具類は残っていない。

      20191116本戸小学校14



しかしながら、校庭に残る古い桜の木々は 
学校跡を感じさせてくれます。    

      20191116本戸小学校16


      20191116本戸小学校17



その校庭を徘徊する びいすけ 。

      20191116本戸小学校19


気になる臭いがあって、それを体に擦り付けたいのか?
はたまた、枯れ草を芝生と勘違いしているのか?

      20191116本戸小学校18

転がって体を地面に擦り付ける びいすけ 。
よっぽど気持ちが良いんだろうか...........?






2020/01/12 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............旧・ 友部小学校跡 (2019年11月16日)(茨城県笠間市) 

11月16日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。


宍戸城址をあとにして向かった先は...........旧・友部町立 友部小学校跡。


お断り: 友部小学校は現役の小学校であり、廃校ではありません。



友部小学校は、

明治34年     宍戸尋常小学校の分教場として開校する。
明治37年     友部尋常小学校として開校する。
昭和22年     学制改革により、宍戸町立友部小学校と改称する。
昭和30年     宍戸町・大原村・北川根村と鯉渕村の一部が合併して友部町が誕生。
         友部町立友部小学校と改称する。
昭和48年     校地を移転する。

と、このような沿革となっています。


跡地は、JR友部駅近く,
友部駅前児童公園となっているようです。

      20191116旧・友部小学校跡01




確かに、学校跡の雰囲気を感じなくはない。

      20191116旧・友部小学校跡04



しかしながら、記念碑等の学校跡を示すものは無い。

      20191116旧・友部小学校跡05




でも、敷地境界のフェンス沿いの桜の木々が学校跡を彷彿されてくれる。

      20191116旧・友部小学校跡03



確固たる証しが無いから、『ここが本当に学校跡か?』と疑問符が浮かぶ中、
お孫さんを連れて、この公園に遊びにきた御老人がいた。


失礼を承知で、地元の人か?と訊ねると
地元の人だと言う。
その方に訊いてみると、間違いなくこの場所が
かつての友部小学校跡だと言う事です。



今は、近隣の避難場所でもある。

      20191116旧・友部小学校跡02




昭和48年に移転だから、今から46年前の事。
約半世紀前に移転したことになる。

      20191116旧・友部小学校跡06
   

      20191116旧・友部小学校跡08


      20191116旧・友部小学校跡09


      20191116旧・友部小学校跡10


友部町も平成18年に旧・笠間市と岩間町と合併して新しい笠間市となり
今は令和の時代を迎えることとなった。

この場所が学校だった事、
そして、かつては友部町と呼ばれていた事も
いつしか、忘れ去られてしまうんでしょうね。




2020/01/11 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

宍戸城址 (2019年11月16日)(茨城県笠間市) 

11月16日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

第二分校をあとにして、向かった先は...................宍戸城址。


宍戸城は、宍戸氏により、建仁3年(1203年)築城されました。

小田城主・八田知家の四男、家政が常陸国宍戸荘地頭職となり、
宍戸氏を称し、建仁3年(1203年)築城したのが宍戸城です。

宍戸氏は当初、小田氏に従っていましたが、佐竹氏の勢力が拡大し、
小田氏が衰退すると、佐竹氏の配下となります。
天正18年(1590年)小田原征伐に参陣した佐竹氏は、
秀吉より常陸大半の領有権を安堵されます。

関ヶ原合戦後の慶長7年(1602年)、佐竹氏は出羽国秋田へ転封となり
宍戸氏も帯同し、変わって秋田(安東)実李が五万石に減封され宍戸城に移されます。

この実季によって近世宍戸城が築かれたものとされています。

その後、秋田俊季が正保2年(1645年)に三春へ転封されると幕府直轄領となり、
さらに天和2年(1682年)に水戸藩主・徳川頼房の七男で、
徳川光圀の弟である松平頼雄が一万石を与えられると、城を陣屋に改めて支配しました
以後、松平氏が代々続き、元治元年(1864年)9代頼徳の時、天狗党の乱の鎮圧に失敗し、
藩主自ら幕府より責任を問われて切腹を言いわたされ、廃藩となります。




こちらが、中世の宍戸城の縄張り図。

      宍戸城址縄張り図15

              ( 余湖さんのHPからお借りしました )




末廣稲荷神社が鎮座する一帯が、宍戸城の本丸(主郭)跡となるようです。

      20191116宍戸城址01


平城であった宍戸城。
土塁と堀に守られた城でした。

城址は宅地へと開発され、
遺構は本丸跡に土塁が僅かに残るだけと言われています。

      20191116宍戸城址02


      20191116宍戸城址03


      20191116宍戸城址14



本丸跡の末広稲荷神社。

      20191116宍戸城址04


社号標。

      20191116宍戸城址05


鳥居。

      20191116宍戸城址06


由緒書き。

      20191116宍戸城址07



拝殿。


      20191116宍戸城址08


本殿。

      20191116宍戸城址09



本殿裏手に残る土塁。

      20191116宍戸城址12


      20191116宍戸城址13




土塁跡には、『宍戸の歴史』と称した説明板。

      20191116宍戸城址10

冒頭に綴ったような、宍戸の歴史が記されてている。


広大な宍戸城の縄張り図も記されている。

      20191116宍戸城址11



末廣稲荷神社の隣は、『旧陣屋コミュニティセンター』。
その奥は、民家となっているけれど
フェンスの向こうの民家の庭にも土塁が確認できる。

      20191116宍戸城址15


本丸跡地であるこの周辺にしか土塁跡と言う遺構しか残っていない。
宍戸城、その全貌が見たかった...............。



2020/01/11 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................岩間第一小学校第一分校   (2019年11月16日)(茨城県笠間市) 

11月16日 

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

羽梨山神社をあとにして、向かった先は..........旧・岩間町立 岩間第一小学校第一分校


第一分校は、

明治37年     岩間尋常小学校第一分校設立
昭和22年     学制改革により岩間町立岩間小学校第一分校と改称する。
昭和29年     岩間町立第一小学校第一分校と改称する。
昭和58年     第一分校が廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、正門跡。

      20191116第一分校01



こんな看板が建てられています。

      20191116第一分校02

廃校後、『岩間体験学習館』となっているようです。



校庭側から覗いてみましょう。

      20191116第一分校03

平屋建ての木造校舎ですね。



校舎全景。

      20191116第一分校04


   

別アングルから。

      20191116第一分校05


      20191116第一分校06



校舎をいろんな角度から眺めてみましょう。

      20191116第一分校07


      20191116第一分校08


      20191116第一分校09


      20191116第一分校10


      20191116第一分校11


      20191116第一分校12


      20191116第一分校13


      20191116第一分校14


      20191116第一分校15

廃校から36年。
他の施設に流用されているからとは言え
こうやって木造校舎が残っていてくれると
やっぱり嬉しいものです。



でも、校舎をグルッと一回りしても、
二宮像や廃校記念碑の類いは残っていない。




内部はこんな感じ。

      20191116第一分校16




校庭。

      20191116第一分校17


残念ながら、校庭にも二宮像や記念碑等は無い。
そして、遊具類も残っていない。


確認できるのは、桜の木々。

      20191116第一分校19



お約束とも言える消防倉庫はあるんですね。

      20191116第一分校18



取っ手が無く、壊れたまま放置されたローラー。

      20191116第一分校20


学校らしいと言えば、コレぐらい。


岩間体験学習館と言う事だけど、どうも使われている感じがしない。
結局、避難場所としてしか使われないのだろうか.............?


2020/01/10 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............羽梨山神社   (2019年11月16日)(茨城県笠間市) 

11月16日 

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

笠間市の中でも旧・岩間町域を中心に巡りました。
向かった先は................羽梨山神社。



羽梨山神社は、笠間市上郷に鎮座する神社です。


古くは羽梨山の中腹に鎮座していたそうです。

天智天皇3年(664年)、桜の多い羽梨山の中腹に
木花咲耶姫命を祀る祠を建立したこととをきっかけに、
「花白山神社」と呼ばれるようになったそうです。

延暦22年(803年)には坂上田村麻呂が陸奥征討の戦勝祈願し、
社殿を寄進したそうです。
また、平将門の乱では、平貞盛が弓矢、砂金を奉納し、
平将門征伐の戦勝祈願をしたそうです。
平安時代には源頼義、源義家が矛、太刀、鎧、神馬を奉納し、
鎌倉時代には鎌倉から移り住んだ宍戸家政が社殿を建て替えたとされています。

天正11年(1542年)、兵火により羽梨山の中腹の社殿が焼失し、
現在の鎮座地となる山麓の熊野権現に合祀されたそうです。


御祭神は、木花咲耶姫命。



羽梨山神社の看板。

      20191116羽梨山神社01



神社社頭。

      20191116羽梨山神社02



鳥居には太い注連縄。

      20191116羽梨山神社03



鳥居前の狛犬。

      20191116羽梨山神社04


      20191116羽梨山神社05



手水舎。

      20191116羽梨山神社06



神橋。

      20191116羽梨山神社07



拝殿。

      20191116羽梨山神社08



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20191116羽梨山神社09



こちらは、奉納額

      20191116羽梨山神社13




別アングルからの拝殿。

      20191116羽梨山神社11


      20191116羽梨山神社12






そして、こちらが本殿。

      20191116羽梨山神社14


      20191116羽梨山神社15




びいすけ も参拝。

      20191116羽梨山神社10



本殿裏手の御神木。

      20191116羽梨山神社16
      20191116羽梨山神社17



傍らには、大スギの説明板。

      20191116羽梨山神社18



境内の由緒書き。

      20191116羽梨山神社19



御神木と社殿。

      20191116羽梨山神社20
      20191116羽梨山神社21
      20191116羽梨山神社22



こちらが社務所。

      20191116羽梨山神社23

普段は無人の神社。
六所神社とおおなじく、笠間稲荷神社の禰宜さんで、
愛宕神社の神職さんの兼務社らしい。
神職さんと連絡が取れ、御朱印の相談をすると
氏子総代さんに連絡を取って下さり、
神社で待ち合わせて御朱印を頂くことができました。

こちらが、その御朱印。

      20191116羽梨山神社24

この御朱印を頂けたのも、一つの縁。
こういった縁を大事にしていきたいモノです。



2020/01/09 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景 《 吾国山愛宕山ハイキングコース 》 (2019年11月16日)(茨城県笠間市) 

11月16日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

この日訪れたのは、笠間市でも旧・岩間町地区を中心に巡りました。
平成18年に旧・笠間市と岩間町、友部町が合併して誕生したのが現在の笠間市です。

そんな岩間地区、JR常磐線岩間駅前に、こんな碑が建てられています。

      20191116茨城百景01


   
『茨城百景 吾国山愛宕山ハイキングコース』の碑です。

      20191116茨城百景02



この日訪れた愛宕神社・あたご天狗の森の駐車場に
『吾国山愛宕山ハイキングコース』の案内板を目にしました。

吾国山愛宕山ハイキングコースは、最寄りの交通機関であるJR常磐線 岩間駅を起点として
愛宕山、吾国山を縦走するハイキングコース。
岩間駅を起点とした場合、ゴールはJR水戸線 福原駅となるようです。

 

岩間駅前のロータリーから眺める愛宕山。

      20191116茨城百景03

岩間駅から愛宕山までは3kmちょっとの距離のようです。



実際にハイキングコースは歩いてはいませんが
ハイキングコースの一部。
ちょうど六所神社の参道入口。

      20191116茨城百景04


ここから、愛宕山まで2.5kmになるようです。

      20191116茨城百景05


こちらが、愛宕山。

      20191116茨城百景06

『愛宕神社』、『あたご天狗の森』があります。



標高305mの愛宕さんからの眺望はなかなかのモノ。

      20191116茨城百景07


      20191116茨城百景08



愛宕山は桜の名所。
春には桜を求めて多くの人が訪れるらしい。

      20191116茨城百景09



こちらは、JR水戸線 福原駅前に建つ碑。

      20191116茨城百景10


      20191116茨城百景11



駅前のハイキングコースの案内板。

      20191116茨城百景12



岩間駅をゴールにするならば、こちらがスタート地点になる。

      20191116茨城百景13


      20191116茨城百景14

駅前からハイキングコースは、要所、要所で案内板が導いてくれているようです。


昭和25年に制定された茨城百景。
かなりの月日が経ち、その風景・眺望はかなり変わってしまったと思うけれど
このハイキングコースは、今の笠間市の多くの自然を残し、変わらずにいて欲しい。

実際に走破していない人間が言うのも気が引けるけど、
多くの人が、このハイキングコースを堪能して貰えればと願います。


2020/01/09 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............合気神社   (2019年11月16日)(茨城県笠間市) 

11月16日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

六所神社をあとにして、向かった先は..............合気神社。


合気神社は、笠間市吉岡に鎮座する神社です。

合気道の開祖である植芝盛平が昭和10年代に厳しい修行を重ね、
合気道道を完成させた地として創建したとされています。
開祖自身、ここを「合気道の産屋」と称しており、
日本古来の武術から発展し、心身鍛練のための武道「和の武道」として、
今や世界各地に広がりを見せる合気道の聖地ともされています。


御祭神は、須佐之男大神 武甕槌大神 経津主大神をはじめ、
     開祖 植芝盛平翁の守護神 猿田彦大神 国津竜王 
     九頭竜大権現 手力男命 天叢雲九鬼沙牟波羅竜王 
     家津美御子大神 稚産霊命の他、多くの祭神を祀っています。



社号標。

      20191116合気神社01


      20191116合気神社02



この社号標、昭和18年に建立されたモノのようです。

      20191116合気神社03



神社社頭。

      20191116合気神社04

境内は、掃き掃除が行き届いています。
この時も、外人の方が二人で掃き掃除をしていました。
合気道の修行か何かをされている方々でしょうか?
黙々と掃き掃除をしていました。

そんな状態ですので、びいすけ は、ここまで。
車の中でお留守番。




手水舎。

      20191116合気神社07



拝殿。

      20191116合気神社05



別アングルからの拝殿。

      20191116合気神社08


      20191116合気神社09



こちらが、本殿。

      20191116合気神社10



そして、拝殿前には、合気道開祖の植芝盛平翁の銅像。

      20191116合気神社11



こちらが、御朱印と言っていいのか?
参拝記念のスタンプカード。

      20191116合気神社12



拝殿前に置かれていて、自分で日付を入れるタイプ。

      20191116合気神社13


このあと、御朱印帳にしっかりと貼り付けさせていただきました。

2020/01/08 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit