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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

茨城百景 《 稲田御房 西念寺 》(2019年10月7日)(茨城県笠間市) 

10月7日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。


数年前から追いかけている(って言うか碑を探している)茨城百景。
昭和25年に茨城県内の100の景勝地が『茨城百景』として選定されました。
選定された景勝地には、茨城百景の碑が建てられています。
(中には、碑が無くなってしまった景勝地もあります)

その茨城百景の地が笠間市には4ヶ所あると言う事です。
ネットで色々調べて、どうやら『茨城百景の碑』も現存しているようです。

ならば、百景の碑を探してみましょう。


笠間市の茨城百景は

笠間稲荷と左白山
笠間附近国宝社寺巡り
稲田御房西念寺
吾国山愛宕山ハイキングコース

この4ヶ所になります。


この日、『笠間稲荷と左白山』『笠間附近国宝社寺巡り』の2ヶ所は
無事、百景の碑を探し出す事が出来ました。

という事で、この日3ヶ所目となる茨城百景 『稲田御房西念寺』です。


浄土真宗の開祖にあたる親鸞聖人は、後鳥羽上皇による「承元の法難」で、
越後国府に流罪となりますが、建暦元年(1211年)に赦免の宣旨が下され、
その後、建保2年(1214年)になると、鎌倉幕府の有力御家人・宇都宮頼綱の弟で、
常陸国稲田郷の領主でもあった稲田九郎頼重に招かれ、彼の地に下向して草庵を開き、
東国での布教活動に専念しました。

西念寺は、親鸞聖人ゆかりの寺院です。浄土真宗の別格本山となります。
親鸞聖人は、健保2年(1214年)この地の領主の招きで草庵を築きました。
40代前半から60代前半までのおよそ20年間この地で暮らし、
常陸国、下野国、下総国への布教の拠点としました。
また、親鸞聖人はこの地で『教行信証』の執筆を始めたとされています。

また、境内にある銀杏の巨樹は、茨城県の天然記念物に指定されています。



国道沿いに建つ大きな看板。
立派な寺号標ですね。

      20191007茨城百景 西念寺01



この聖橋から参道が始まるようです。

      20191007茨城百景 西念寺02



禁制の掲示板。

       20191007茨城百景 西念寺03

特に犬連れ禁止等の触書きはないようです。



御影石の参道。

      20191007茨城百景 西念寺04
      20191007茨城百景 西念寺05
      20191007茨城百景 西念寺06




山門。

      20191007茨城百景 西念寺07



山門の扁額は山号。

      20191007茨城百景 西念寺08



山門前には由緒書き。

      20191007茨城百景 西念寺09



手水舎。

      20191007茨城百景 西念寺10



そして、本堂。

      20191007茨城百景 西念寺11



本堂に掲げられた扁額。

      20191007茨城百景 西念寺12



本堂前の天水桶。

      20191007茨城百景 西念寺13



太鼓堂。

      20191007茨城百景 西念寺14

天保14年(1843)年、により建立されたものです。
堂内には、直径2尺8寸(約84cm)の太鼓が置かれ、
法要の開催などを近在の人々へ伝える際に使用されたそうです。



御葉付銀杏 。

    20191007茨城百景 西念寺15
   20191007茨城百景 西念寺16

推定樹齢は300年以上(一説ではおよそ800年とされる)とされ、
幹回りは約7.5m、樹高約35m、 枝張約23m。
幹回りは茨城県内で最大であり、親鸞聖人自らの御手植えと伝わっているそうです。


御葉付銀杏の説明板。

      20191007茨城百景 西念寺17


      20191007茨城百景 西念寺18



鐘楼。

      20191007茨城百景 西念寺19



太子堂。

      20191007茨城百景 西念寺20


      20191007茨城百景 西念寺21



御頂骨堂

      20191007茨城百景 西念寺22



御頂骨堂の説明板。

      20191007茨城百景 西念寺23




こちらが、茨城百景の碑。

      20191007茨城百景 西念寺27


      20191007茨城百景 西念寺28

以前はJR水戸線の稲田駅前に建てられていたそうですが、
近年、西念寺の駐車場に移設されたそうです。

尚、『茨城百景 稲田御房 西念寺』の包括風景は、
板敷山大覚寺,石切山脈となっている。

いずれもこの場所からは離れていて、板敷山大覚寺は現在の石岡市になる。
いつか機会があれば、これらの包括風景も覗いてみたいものです。


そして、こちらが西念寺の御朱印。

      20191007茨城百景 西念寺29

宿坊の受付で御朱印の対応をしていただきました。



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2019/11/29 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

鉾田八幡宮 (2019年10月7日)(茨城県笠間市) 

10月7日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。


笠間市の稲田地区。
この稲田の地に茨城百景の一つである、『稲田御房西念寺』があります。
実は、西念寺の駐車場に車を停めて、西念寺に向かっていたら
どうやら、道を一本間違えたというか、敢えて参道を通らずに
それっぽい道を選んで進んでみました。

      20191007鉾田八幡宮01



しばらく進むと、社号標が現れました。

      20191007鉾田八幡宮02

『鉾田八幡宮』とあります。

あれっ!?
西念寺目指していたら、神社だし...........
鉾田八幡宮って、ここは鉾田市じゃなくて笠間市だし.............


思わず、突っ込みたくなる展開。


せっかくだから、お参りして行きましょう。


ネットで調べても、この鉾田八幡宮について詳しくは載っていません。
創建時期や御祭神と言ったいわゆる由緒って言うものが分かりません。

八幡宮って言うくらいだから
おそらく御祭神は、応神天皇もしくは八幡太郎義家あたりだと推測するのですが...........




鳥居。

      20191007鉾田八幡宮03


鳥居に掲げられた神額。

      20191007鉾田八幡宮04



参道。

      20191007鉾田八幡宮05



そして、こちらが社殿。

      20191007鉾田八幡宮06



真ん中に置かれた鏡。

      20191007鉾田八幡宮07



境内社。

      20191007鉾田八幡宮08


      20191007鉾田八幡宮09


      20191007鉾田八幡宮10


      20191007鉾田八幡宮11



そして、無名な祠。

      20191007鉾田八幡宮12



周りは深い森。
っていうか、城址の雰囲気が漂う。

      20191007鉾田八幡宮13



神社の奥は、空堀跡に見える堀底道。

      20191007鉾田八幡宮14



こんな道が奥まで続いている。

      20191007鉾田八幡宮15


頭の中に疑問符が浮かびながら、自宅に帰って『余湖さんのHP』で調べてみたら
稲田城の一部かもしれない。
西念寺あたりが城址という事らしいから、
稲田城址って言うのが意外に正解なのかもしれない。


2019/11/29 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...................稲田神社 (2019年10月7日)(茨城県笠間市) 

10月7日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

向かった先は.................稲田神社。



稲田神社は笠間市稲田に鎮座する神社です。


創建年代は不詳ですが、延喜式の名神大社です。
祭神が奇稲田姫命から稲田姫神社とも呼ばれていました。
鎌倉時代には、領主の笠間氏の崇敬も厚く、
建長年間(1249年〜1256年)には、鎌倉歌壇の指導者を招き、
歌会を催した記録が残るそうです。
また、江戸時代の元禄8年(1695年)水戸藩主の徳川光圀公が
四神旗を奉納したとされています。そちらは社宝として保存されており、
茨城県の文化財に指定されているそうです。
縁結び、安産、身体安全、家内安全などに御利益があるとされています。

御祭神は、奇稲田姫命。



こちらが、社号標。

      20191007稲田神社01



神社社頭。

      20191007稲田神社02



由緒書き。

      20191007稲田神社03



この石段の先が社殿になります。

      20191007稲田神社04



石段の途中にも社号標が建つ。

      20191007稲田神社05



二の鳥居。

      20191007稲田神社06

まだまだ石段はありますね。



石段途中の手水舎。

      20191007稲田神社07



石段を上りきれば、そこには拝殿。

      20191007稲田神社08



拝殿正面。

      20191007稲田神社09



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20191007稲田神社10



別アングルからの拝殿。

      20191007稲田神社11


      20191007稲田神社12



そして、こちらが本殿。

      20191007稲田神社13



境内社も多い。

境内社・天満宮。

      20191007稲田神社14



境内社・脚摩乳神社 。

      20191007稲田神社15


  
境内社・八雲神社。

      20191007稲田神社16


境内社・稲荷神社。

      20191007稲田神社17



境内社・秋葉神社。

      20191007稲田神社18



境内社・手摩乳神社。

      20191007稲田神社19



神楽殿のように見えますが、実は社務所。

      20191007稲田神社20

立派な社務所ですが、普段は無人です。






境内には碑も多い。


句碑。

      20191007稲田神社21



記念碑。

      20191007稲田神社22



東日本大震災復興記念碑。

      20191007稲田神社23


こちらも改修記念碑。

      20191007稲田神社24



忠魂碑。

      20191007稲田神社25



稲田神社の社叢も深い。

      20191007稲田神社26
      20191007稲田神社27



こちらが御朱印。

      20191007稲田神社28


石段手前の宮司さん宅にて拝受いたしました。

後で知ったのですが、社殿の300mほど奥まった所に奥の院があるらしい。
知っていれば参拝したのだが...............

機会があれば、またいずれ参拝することにしよう。




2019/11/28 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

丸ポスト探し.............茨城・笠間編 (2019年10月7日)(茨城県笠間市) 

10月7日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。


笠間市には3基の丸ポストが現在するとされています。

ならば、その丸ポスト探してしまいましょう。



まずは、1基目の丸ポスト。

笠間市笠間の工芸の丘。
その休憩所近くに建つ丸ポスト。

     20191007丸ポスト笠間01


     20191007丸ポスト笠間02


     20191007丸ポスト笠間03


     20191007丸ポスト笠間04


      20191007丸ポスト笠間05


      20191007丸ポスト笠間06


この工芸の丘の場所がよくわからなくて、
って言うか、似たような施設が隣接していて、駐車場の場所がよく分からず
グルグルと近隣を回っていて、意外に探し当てるのに時間がかかってしまいました。



2基目の丸ポストは、笠間稲荷神社近く。

参道口にほど近いメイン通り。
通り沿いの喫茶店『繪馬』前の丸ポスト。

      20191007丸ポスト笠間07


      20191007丸ポスト笠間08


      20191007丸ポスト笠間09


      20191007丸ポスト笠間10


      20191007丸ポスト笠間11






そして、3基目の丸ポスト。

笠間稲荷神社の絵馬殿隣、
ちょうど社務所前の駐車場の一角に建つ丸ポスト。

      20191007丸ポスト笠間12



丸ポストの在る場所は笠間稲荷神社の境内地になってしまうから
犬連れでは入れません。
残念ながら びいすけ もここまで 。

      20191007丸ポスト笠間13


      20191007丸ポスト笠間14


      20191007丸ポスト笠間15


工芸の丘はちょっと離れているけれど、
2基目と3基目の丸ポストは本当に近い場所に置かれています。

これで、笠間市の丸ポスト3基制覇。


茨城県内で現像する丸ポストは73基と言われています(2019年10月7日現在

これまでに、
桜川市(真壁)    2基
石岡市        4基
稲敷市        2基
土浦市        6基
龍ヶ崎市       8基
かすみがうら市   1基
行方市        2基
取手市        6基
鹿嶋市        2基
大洗町        9基
茨城町        1基
つくば市       4基
常陸大宮市      1基
小美玉市       1基
城里町         2基

そして本日、笠間市の3基を制覇して、合計54基の丸ポストに出会ってきました。
残すは、あと19基。

茨城県内の丸ポスト制覇に向けて頑張ってみましょう。



2019/11/28 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景 《 笠間附近国宝社寺巡り 》(2019年10月7日)(茨城県笠間市) 

10月7日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。


数年前から追いかけている(って言うか碑を探している)茨城百景。
昭和25年に茨城県内の100の景勝地が『茨城百景』として選定されました。
選定された景勝地には、茨城百景の碑が建てられています。
(中には、碑が無くなってしまった景勝地もあります)

その茨城百景の地が笠間市には4ヶ所あると言う事です。
ネットで色々調べて、どうやら『茨城百景の碑』も現存しているようです。

ならば、百景の碑を探してみましょう。


笠間市の茨城百景は

笠間稲荷と左白山
笠間附近国宝社寺巡り
稲田御房西念寺
吾国山愛宕山ハイキングコース

この4ヶ所になります。


『笠間稲荷と左白山』の碑は無事探し出す事が出来たので
つづいては、『笠間附近国宝社寺巡り』の石碑を探します。

ネットの情報では、『笠間稲荷と左白山』の近く、
さほど離れていない場所に碑は在るとのことでした。


笠間城址の下屋敷跡(佐白山麓公園 )内にある旧美術館脇に碑は建っていました。

      20191007茨城百景 笠間附近の国宝社寺01


      20191007茨城百景 笠間附近の国宝社寺02

なぜ、この場所に?
タイトルは『笠間附近 国宝社寺巡り』。
どう考えても、社寺の近くではない。

包括風景は、
      楞厳寺
      弥勒寺
      大日堂
      仏頂山
      岩谷寺
      稲田神社

と、いずれもこの碑の建つ場所の近隣ではない。


う〜むと頭をひねりたくなるが
唯一訪れた包括風景の 稲田神社。

     20191007稲田神社01


     20191007稲田神社08


     20191007稲田神社10


いずれ、機会があれば他の社寺も訪れてみたいものです。





2019/11/26 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

大石邸跡 (2019年10月7日)(茨城県笠間市) 

10月7日

この日は茨城県の笠間市に出かけました。


笠間市で探していた茨城百景。
その一つである『笠間稲荷と左白山』の碑の建つ笠間稲荷駐車場の隣に
大石内蔵之助邸址がありました。

      20191007大石家跡01


      20191007大石家跡02



大石内蔵之助って赤穂浪士でしょ?
兵庫の方に住んでいたんじゃないの?

素朴な疑問が浮かびます。


忠臣蔵で知られる赤穂藩、浅野家の家老である大石内蔵之助。
その曽祖父・良勝(よしかつ)と祖父の良欽(よしたか)が住んでいた屋敷跡になります。

浅野家は、元和8年(1622年)に笠間藩53500石の藩主となりました。
城下町の整備に尽力し、当時、笠間城のあった佐白山山頂付近で行っていた政務を
佐白山麓公園付近に下屋敷を建てて移し、 より城下町に近い場所で政務を行うことで
城下町の発展を促しました。
浅野家は、正保2年(1645年)に赤穂へと国替えとなりましたが
その後も家老屋敷として使われたそうです。


なるほど、実際には大石内蔵之助は住んでいなかったようですね。
確かに『大石邸址』とありますが『大石内内蔵之助邸址』とはなっていない。

      20191007大石家跡03



でも、大石邸址の敷地内に大石内蔵之助の像が建っている。

      20191007大石家跡04


      20191007大石家跡05

まぁ、これもいわゆる大人の事情って言うやつだろう。
細かいことは気にしないでおこう。



浅野家と大石家と笠間市の関係の説明板。

      20191007大石家跡06

確かに、今日笠間市に来て初めてその関係を知りました。
死なない人って、結構多いんじゃないのかな?




この辺りに屋敷が建っていたんでしょうか?

      20191007大石家跡07



敷地の奥は私有地のため立ち入り禁止。

      20191007大石家跡08



大石邸址として解放しているエリアには板碑も建てられている。

      20191007大石家跡09


      20191007大石家跡10


おもいがけず、赤穂藩で有名な浅野家と
赤穂浪士で有名な大石家と笠間市との由縁を知る事ができ
今日は一つ勉強になりました................。




2019/11/26 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景 《 笠間稲荷と左白山 》(2019年10月7日)(茨城県東笠間市) 

10月7日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。


数年前から追いかけている(って言うか碑を探している)茨城百景。
昭和25年に茨城県内の100の景勝地が『茨城百景』として選定されました。
選定された景勝地には、茨城百景の碑が建てられています。
(中には、碑が無くなってしまった景勝地もあります)

その茨城百景の地が笠間市には4ヶ所あると言う事です。
ネットで色々調べて、どうやら『茨城百景の碑』も現存しているようです。

ならば、百景の碑を探してみましょう。


笠間市の茨城百景は

笠間稲荷と左白山
笠間附近国宝社寺巡り
稲田御房西念寺
吾国山愛宕山ハイキングコース

この4ヶ所になります。

先ずは、『笠間稲荷と左白山』の碑を探しましょう。


ネットの情報によれば、笠間稲荷駐車場の片隅に碑があるとか、
ホテル山乃荘(廃業)の前にあるとか、書かれている。


とりあえず、笠間稲荷の無料駐車場へと向かいます。

      20191007茨城百景 笠間稲荷と佐白山04


駐車場に車を停めて、場内を徘徊します。


駐車場の片隅って言うか、ほとんど斜面に何やら石碑が建っている。

      20191007茨城百景 笠間稲荷と佐白山01



ビンゴ!!

『茨城百景 笠間稲荷と左白山』

      20191007茨城百景 笠間稲荷と佐白山02


      20191007茨城百景 笠間稲荷と佐白山03



確かに、笠間稲荷神社の駐車場に建っているから
笠間稲荷には違いないけれど、
やっぱり、笠間稲荷の門前に建っていなきゃダメじゃないのかなて思っちゃうんだけど。


この茨城百景って言うやつは、包括風景なんてややっこしいものもあって
下手したら広範囲になってしまいます。

ちなみに『笠間稲荷と左白山』の包括風景は
左志能神社、佐白観音、笠間城址、大石内蔵之助邸址、萩の井 となっています。


左白山が笠間城址になり、佐白山の頂上に左志能神社が鎮座しています。
そして、笠間稲荷駐車場の先にある公園(佐白山麓公園 )が
笠間藩士の屋敷が在った所です。
また、駐車場の手前には、大石内蔵之助邸址が在ります。


では、一気に一部の包括風景も含めて軽くアップしちゃいましょう。



笠間稲荷神社。

     20191007笠間稲荷神社01


     20191007笠間稲荷神社02


     20191007笠間稲荷神社08


     20191007笠間稲荷神社14





大石内蔵之助邸址

      20191007茨城百景 笠間稲荷と佐白山05


      20191007茨城百景 笠間稲荷と佐白山06



笠間城址(佐白山麓公園 )

      20191007茨城百景 笠間稲荷と佐白山07


      20191007茨城百景 笠間稲荷と佐白山08


      20191007茨城百景 笠間稲荷と佐白山09


   
これで、『茨城百景 笠間稲荷と左白山』クリアといたしましょう。


2019/11/25 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...................八坂神社 (2019年10月7日)(茨城県笠間市) 

10月7日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。


三所神社をあとにして、向かった先は..............八坂神社。


八坂神社は笠間市笠間に鎮座する神社です。


笠間城主・笠間時朝公が、下野国小貫郷に祀られていたものを
石井村に移した事が始まりとされています。
さらに城下整備のため石井村の住人を 大町に移した際に神社も遷宮したました。
はじめ三所神社に仮に祀られていましたが、慶安2年(1649年)現在地に移りました。
江戸時代は牛頭天王と称していました。

御祭神は、素戔嗚尊。



三所神社からも十分に徒歩圏内。
こちらが、八坂神社社頭。

      20191007八坂神社01



こちらも石段の先に社殿が在ります。

      20191007八坂神社02



石段を上がれば二の鳥居。

      20191007八坂神社03



手水舎。

      20191007八坂神社04



こちらが拝殿。

      20191007八坂神社05


      20191007八坂神社07


      20191007八坂神社08



拝殿側面の奉納額。

      20191007八坂神社09



こちらが本殿。

      20191007八坂神社10




拝殿前の狛犬。

      20191007八坂神社11


      20191007八坂神社12




境内の社号標。

      20191007八坂神社13



境内社。

      20191007八坂神社14


      20191007八坂神社15



祠と板碑。

      20191007八坂神社16


      20191007八坂神社17



こちらは神輿庫でしょうか?

      20191007八坂神社18



御神木。

      20191007八坂神社19
      20191007八坂神社20



社務所。

        20191007八坂神社21
      20191007八坂神社22



社務所に声をかけてみましたが反応なし。
一見、無人のような社務所でしたが、電話をしたら出てくれました。

      20191007八坂神社23


と言う事で、頂いた御朱印。

      20191007八坂神社24


三所神社の御朱印もこちらで対応されていますが
現在は、八坂神社、三所神社いずれも、書き置きの御朱印対応のようです。




2019/11/25 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...................三所神社 (2019年10月7日)(茨城県笠間市) 

10月7日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

笠間市と言えば、笠間稲荷神社が有名ですが
笠間市の神社は笠間稲荷神社だけじゃない。

と言う事で、訪れたのは..................三所神社。



三所神社は、笠間市笠間に鎮座する神社です。

貞観元年(859年)に三穂津姫大神を奉斎したことに始まります。
鎌倉時代に入り、宇都宮城主・藤原朝綱の次子である藤原時朝が
笠間城主となり笠間の地へ移住します。
建保3年(1213年)に、宇都宮二荒山神社の主祭神である大国主大神の御分霊を遷し、
本殿三社を建立します。本殿中央に大国主大神、左脇宮に事代主大神、
右脇宮に三穂津姫大神、建御名方大神、火之迦具土大神を祀り、
三社大明神と総称し、笠間城下総鎮守として歴代笠間城主や領民から崇敬を集めますました。

文政二年(1819年)の火災で社殿が焼失してしまいます。
社殿再建にあたり、創建以来三社あった本殿を一社として内陣に三社を祀ります。
それまで三社大明神、三社神社としていたのを、この時に三所大明神と改称したそうです。



御祭神は、大国主大神
     事代主大神
     三穂津姫大神 
     建御名方大神
     火之迦具土大神




鳥居と比べても遜色無い大きさの看板。

      20191007三所神社01

一応、社号標になるのだろうか?


神社社頭。

      20191007三所神社02



こちらは、二の鳥居。

      20191007三所神社03




鳥居を見上げたら、びっくり!!

      20191007三所神社04



これってスズメバチの巣でしょ?

      20191007三所神社05


速攻ダッシュでこの場から離れました。



二の鳥居の脇には由緒書き。

      20191007三所神社06



古びた手水鉢。

      20191007三所神社07



説明板のような由緒書き。

      20191007三所神社08



社殿までは急な石段を上ります。

      20191007三所神社09



石段を上ったと思ったら、社殿はまだ先。

      20191007三所神社10



やっと拝殿が見えてきました。

      20191007三所神社11



こちらの神社は、狛犬の代わりに、恵比寿さんと大黒さんがお出迎え。

      20191007三所神社12


      20191007三所神社13




手水舎。

      20191007三所神社14



こちらが拝殿。

      20191007三所神社15



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20191007三所神社16



拝殿側面に掲げられた奉納額。

      20191007三所神社18



別アングルからの拝殿。

      20191007三所神社19


      20191007三所神社20



そして、こちらが本殿。

      20191007三所神社21


      20191007三所神社22



境内社の王子稲荷社。

      20191007三所神社23



愛宕山と記された扁額が掲げられている。

      20191007三所神社24

ひょっとして寺院?
神仏習合の名残りでしょうか?

いえいえ違います。
こちらは境内社の愛宕神社でした。





境内には小さな祠も多い。

      20191007三所神社25




こちらは板碑。

      20191007三所神社26


      20191007三所神社27


社務所らしき建物は境内には無く
拝殿に貼られた張り紙を見て納得。

      20191007三所神社17

御朱印は、すぐ近くの八坂神社の社務所で対応しているようです。



こちらが三所神社の御朱印。

      20191007三所神社28


八坂神社の社務所で拝受致しました。



2019/11/24 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...................石井神社 (2019年10月7日)(茨城県笠間市) 

10月7日

この日は、茨城県の笠間市出かけました。

箱田小学校をあとにして、向かった先は............石井神社。



石井神社は、笠間市石井に鎮座する神社です。


社伝によれば、神代の昔、この地方を支配していた天甕星(香々背男命)の討伐に派遣された建葉槌命が、
抵抗し巨石となった天甕星を、大甕の山で蹴り飛ばし退治したそうです。
巨石は割れて三方向に飛び、さらに残る石がさらに三方向に飛び、
石の一つが石井の井戸に落ちました。そして天甕星の祟りを恐れ、
建葉槌命をお祀りしたのがこの石井神社になります。
また縁記には不幸にも延喜式内社とならなかったが、
笠間の鎮め神、尋常の国社に非ずと記されているそうです。


御祭神は、建葉槌命(たけはつちのみこと)。


朱色の立派な鳥居。

      20191007石井神社01

平成29年に建て替えられたそうです。



鳥居に掲げられた神額。

      20191007石井神社02



手水舎。

      20191007石井神社03


定番の龍の吐出口。

      20191007石井神社04



由緒書き。

      20191007石井神社05


参道。

      20191007石井神社06



そして、拝殿。

      20191007石井神社07



拝殿正面。

      20191007石井神社08



別アングルからの拝殿。

      20191007石井神社09


      20191007石井神社10



そして、こちらが本殿。

      20191007石井神社11

      20191007石井神社29



本殿の側面にも由緒書きが掲げられていました。

      20191007石井神社12



境内社・青麻神社。

      20191007石井神社13


      20191007石井神社14



こちらも境内社。

      20191007石井神社15



秋葉神社と琴平神社の相殿となっています。

      20191007石井神社16



境内の板碑。

      20191007石井神社17


こちらは、天王塚の由緒書き。

      20191007石井神社18

天王塚は、笠間八坂神社の旧社地になるそうです。



こちらは休憩所。

      20191007石井神社19

手水舎の脇。



旧鳥居の土台だった石を参拝の際の休憩所として使用しています。
腰掛けることも出来ますよ。

      20191007石井神社20



御神木。

      20191007石井神社24
      20191007石井神社25

樹齢数百年ともいわれる大木で、元々は二本の木だったそうです。
長い年月をかけて一方がもう一方を巻き込み、一本の大木となったそうです。




その説明板。

      20191007石井神社23





御神木と拝殿、そして びいすけ。

      20191007石井神社26
      20191007石井神社27


こちらは、本殿背後の巨木。

      20191007石井神社21
      20191007石井神社22

見た感じ御神木と何ら遜色無いほどの立派な木。



こちらが、石井神社の御朱印。

      20191007石井神社30

この日、宮司さんが外出されていて、
書き置きの御朱印になってしまったことに申し訳なさそうに
宮司さんの奥様が言ってらしたので、返ってこちらも恐縮しちゃいました。

書き置きでも良いんです。
参拝出来て、御朱印を拝受出来たことに意義があるんです。


2019/11/24 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................箱田小学校 (2019年10月7日)(茨城県東笠間市) 

10月7日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

金剛寺をあとにして、向かった先は.............笠間市立箱田小学校。


箱田小学校は、

明治6年      石井村と箱田村の共同で石井校として開校する。
明治22年     町村制か実施され、八ヶ村をもって北山内村を編成。
          北山内村尋常小学校として発足。
明治42年     現在地に北山内第一尋常小学校として創立。
昭和22年     学制改革により北山内村立第一小学校と改称する。
昭和30年     北山内村が笠間町・大池田村・南山内村と合併し、改めて笠間町が発足。
          笠間町立箱田小学校と改称する。
昭和33年     笠間町が市制施行で笠間市となる。笠間市立箱田小学校と改称する。
平成27年     笠間小学校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっています。




こちらが、箱田小学校の正門。

      20191007箱田小学校01


石造りの古い門柱。

      20191007箱田小学校02



表札は平成8年度の卒業生の寄贈品。

      20191007箱田小学校03

卒業生の寄贈品だから、廃校になったからと言って
無下に扱えませんから、このまま掲げられるんでしょうね。



こちらは、校舎脇の校門。

      20191007箱田小学校04

通用門として使われていたのか?



こちらも石造りの門柱。

      20191007箱田小学校05


      20191007箱田小学校06



昭和24年に校舎の新築記念に建立されたモノのようです。

      20191007箱田小学校07



正門からの校舎。

      20191007箱田小学校08

校舎前に碑が建っています。



その碑は、校歌の碑。

      20191007箱田小学校09



第28回卒業記念に建てられたモノですね。

      20191007箱田小学校27



玄関には、凝った表札?
それともモニュメント?

      20191007箱田小学校28



玄関庇には校章。

      20191007箱田小学校21



正門脇には、閉校記念碑。

      20191007箱田小学校10

裏面には沿革も刻まれていて、参考になりました。



その隣には、校訓の碑。

      20191007箱田小学校29




さらに、その奥には二宮像。


      20191007箱田小学校11


      20191007箱田小学校12






こちらが校舎。

      20191007箱田小学校13


 
別アングルからの校舎。

      20191007箱田小学校14


      20191007箱田小学校15


      20191007箱田小学校16


      20191007箱田小学校17




校舎とシンボルツリー。

      20191007箱田小学校18



校舎全景。

      20191007箱田小学校19



校舎前の国旗掲揚ポール。

      20191007箱田小学校20



校庭。

      20191007箱田小学校22


  

残念ながら、校庭には遊具類は残っていない。

      20191007箱田小学校23




朝礼台。

      20191007箱田小学校24




水飲み場。

      20191007箱田小学校25



なぜか、校庭に土俵がある。

      20191007箱田小学校26






こちらが、体育館。

      20191007箱田小学校31



体育館の脇に建つ碑。

      20191007箱田小学校30

『男の友情』の歌碑。

笠間市で生まれた作詞家・高野公男の功績を称えた碑。
作曲家・船村徹とのコンビで名曲を作ったらしい。
確か、『男の友情』の碑って、栃木県の『道の駅しおや』にも在ったような気がする。




そして、場違いな獣の捕獲用の檻。

      20191007箱田小学校32

ここに猪でも来るのだろうか。


傍らには、捕獲用の檻が数基置かれている。

      20191007箱田小学校33


笠間市も野生動物による農作物の被害が多いのだろうか?
数年前まで学校だった場所に、捕獲用の檻が置かれるなんて............

ちょっぴり、いや、かなり衝撃的でした。


2019/11/23 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

開運花の寺めぐり 2番 金剛寺 (2019年10月7日)(茨城県笠間市) 

10月7日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。


寺崎小学校をあとにして、向かった先は.............金剛寺。


金剛寺は、真言宗豊山派の寺院で、
正式には、箱田山 地蔵院 金剛寺と称します。

創建は鎌倉時代の承久年間(1219年~1222年)に賀海和尚が開山したのが始まりとされ、
その後一時衰退しますが文明9年(1477年)笠間城城主である藤原(笠間)出雲守朝貞が霊夢により
金剛寺を再建したことにより、笠間三ヵ寺の1つとして寺運が隆盛します。
江戸時代に入ると住職が離れた為に次第に衰退し、
明治4年(1871年)に廃寺となり、明治24(1891年)に再び再興したそうです。


平成17年の春、茨城県の北西部の城里町・常陸大宮市・那珂市・笠間市の寺院八ヶ寺が
宗旨を超えて、十二支の守り本尊と花めぐりのコースとして始めた「開運 花の寺めぐり」の
第2番の寺院でもあり、丑寅年(虚空蔵菩薩)を守り本尊として安置しています。


『 開運 花の寺 2番 』の金剛寺の看板。

      20191007金剛寺01



金剛寺門前。

      20191007金剛寺02


      20191007金剛寺22

      20191007金剛寺04



山門。

      20191007金剛寺05



鐘楼。

      20191007金剛寺06



本堂。

      20191007金剛寺07



本堂の扁額。

      20191007金剛寺08



鐘楼と銀杏。

      20191007金剛寺09
      20191007金剛寺10



別アングルからの銀杏。

      20191007金剛寺11
      20191007金剛寺12



開運 花の寺めぐり の案内板。

      20191007金剛寺13



花の寺と称するだけあって、境内には多くの植物がある。
中でも金剛寺の花の代表格である 枝垂れ桜。

      20191007金剛寺15



春に咲く つつじ。

      20191007金剛寺14


そして、今のこの時期は コスモス。

      20191007金剛寺23




こちらが、花の寺のスタンプ台。

      20191007金剛寺17


専用のパンフレットの台紙があるのですが
御朱印用の半紙に押してみます。

      20191007金剛寺18




こちらが寺務所。
御朱印はこちらで拝受いたします。

      20191007金剛寺19




こちらが金剛寺の御朱印。


御本尊の御朱印。

      20191007金剛寺21


花の寺の御朱印。

      20191007金剛寺20


開運 花の寺めぐり もやっとこれで二つ目。
結願目指して頑張っちゃいましょう。



2019/11/23 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................寺崎小学校 (2019年10月7日)(茨城県東笠間市) 

10月7日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

大渕天神社をあとにして、向かった先は..............笠間市立寺崎小学校。


寺崎小学校は

明治31年     北山内尋常小学校寺崎分校として開校する。
明治42年     独立して北山内第二尋常小学校となる。
大正2年      北山内第二尋常高等小学校となる。
昭和22年     学制改革により北山内村立第二小学校と改称する。
昭和30年     北山内村が笠間町・大池田村・南山内村と合併し、改めて笠間町が発足。
          笠間町立寺崎小学校と改称する。
昭和33年     笠間町が市制施行で笠間市となる。笠間市立寺崎小学校と改称する。
昭和51年     高田小学校と統合して、新たに左城小学校が開校する。
          寺崎小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。



昭和51年に廃校となった寺崎小学校。
跡地は寺崎保育園として活用されていたけれど
その保育園も廃園となったと、以前ネットで調べたら
そんな事が書かれていたような気がしました。
(違っていたら、ごめんなさい。)




こちらが正門跡。

      20191007寺崎小学校08

石造りの門柱が歴史を物語ります。




門扉越しに中を覗いてみます。




校庭奥の桜の木が学校跡地を彷彿させてくれます。

      20191007寺崎小学校11



平屋建ての建物は保育園っぽい。

      20191007寺崎小学校12



校庭に残る遊具類。

      20191007寺崎小学校13



黄色と青(水色)、そして赤。
いかにも小学校の遊具っぽい。

      20191007寺崎小学校14



校庭にて。

      20191007寺崎小学校15


      20191007寺崎小学校16





道路は挟んで向かいの台地。

      20191007寺崎小学校09


何やら石碑らしきモノが見える。

      20191007寺崎小学校10





気になるから移動してみましょう



道路の向こうの台地の削平地。
そこは、寺崎公民館でした。

      20191007寺崎小学校04


      20191007寺崎小学校05



先程の碑は.................?

      20191007寺崎小学校01



在りました!!

      20191007寺崎小学校02



見てビックリ!

何と、『寺崎小学校跡』の碑でした。

      20191007寺崎小学校03



あれ!?

ってことは、こっちが寺崎小学校だったの?



この桜の木を見れば、確かに学校跡地って感じがする。

      20191007寺崎小学校06



碑文をよく見ると、昭和42年に運動場拡張工事完成とある。
っていうことは、こっちが拡張された運動場だったのかもしれない。



碑の前で改めて、道路の向こうの門柱を眺めてみる。

      20191007寺崎小学校07


やっぱり、あっちに校舎があったんだろうねぇ。




2019/11/22 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...................大渕天神社 (2019年10月7日)(茨城県笠間市) 

10月7日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。


左城小学校をあとにして、向かった先は............大渕天神社。



大渕天神社は、笠間市大渕に鎮座する神社です。


創建は承久年間(1219〜1221)とされ、
宇都宮(笠間)時朝による笠間城築城の際に
鬼門鎮護の神として京都北野天満宮より勧請したのが始まりとされます。

その後荒廃し神職も途絶えるますが、
正保2年(1645年)、笠間住人・滝野伊兵衛一永により再興し、
神官・二平氏を迎えます。(現在も神職=宮司さんは二平氏です。)

江戸時代は笠間藩主・牧野氏代々の祈願所であり、
住の内北野天神と尊称されていたそうです。


御祭神は、菅原道真公・少毘古那命。



社号標。

      20191007大渕天神社01



神社社頭。

      20191007大渕天神社02



鳥居に掲げられた神額。

      20191007大渕天神社03



二の鳥居。

      20191007大渕天神社04



二の鳥居に掲げられた神額。

      20191007大渕天神社05



石段を元気よく駆け上がる びいすけ 。

      20191007大渕天神社06



手水舎。

      20191007大渕天神社07



拝殿はもう一段上の高台に鎮座している。

      20191007大渕天神社08



こちらが拝殿。

      20191007大渕天神社09



拝殿正面。

      20191007大渕天神社10



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20191007大渕天神社11



実は、この扁額が笠間市の指定文化財。

      20191007大渕天神社14




別アングルからの拝殿。

      20191007大渕天神社12


      20191007大渕天神社13




そして、こちらが本殿。

      20191007大渕天神社15


      20191007大渕天神社16



拝殿と本殿の間には御神木のツクバネガシ。

      20191007大渕天神社17

こちらも笠間市の文化財(指定天然記念物)。



拝殿前の狛犬。

      20191007大渕天神社18


      20191007大渕天神社19




以前の御神木。

      20191007大渕天神社20



こちらも以前の御神木。

      20191007大渕天神社21

切り株から新しい命が芽吹いている。
これぞ、まさしくパワーの源。
本当のパワースポットです。


御朱印は、拝殿前に連絡先が貼られていて、そちらに連絡をします。


こちらが、大渕天神社の御朱印。

      20191007大渕天神社22

宮司さんのご自宅にて拝受いたしました。

話好きな宮司さん。色々な話をしてくださり、
20年ほど笠間稲荷神社に奉職されていたそうです。


2019/11/22 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................佐城小学校 (2019年10月7日)(茨城県東笠間市) 

10月7日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

飯田ダムをあとにして、向かった先は............笠間市立佐城小学校。


左城小学校は、
その前身は、明治31年に開校した寺崎小学校と
明治6年に開校した高田小学校とされています。

昭和51年     寺崎小学校と高田小学校が統合して新たに左城小学校が開校する。
平成27年     笠間小学校に統合されて廃校となる。

と、沿革となっています。



県道沿いに建つ正門。

      20191007佐城小学校01



残念ながら、表札は既に外されている。      

      20191007佐城小学校03



昭和52年建立の門柱。

      20191007佐城小学校04

開校の翌年に建てられたんですね。


廃校後、敷地は公立幼稚園となりましたが
近年、民間の幼稚園になったようです。



門柱脇には、閉校記念碑。

      20191007佐城小学校05

沿革も刻まれています。



裏面には、こんな碑文。

      20191007佐城小学校10

確かに、この場所に佐城小学校が在りました。



その隣には碑が並ぶ。

『さしろっ穂』の碑。

      20191007佐城小学校06


校歌の碑。

      20191007佐城小学校07



全国花いっぱいコンクールの入賞記念の碑。

      20191007佐城小学校08



校訓の碑。

      20191007佐城小学校09



こちらが敷地内の建物。
幼稚園の建物です。

      20191007佐城小学校11


こちらが体育館。

      20191007佐城小学校12



幼稚園の前のブロンズ像。

      20191007佐城小学校13

幼稚園には似合わない。
左城小学校時代のモノでしょう。



体育館前にもブロンズ像。

      20191007佐城小学校14



校庭。

      20191007佐城小学校15



残念ながら遊具類は残っていない。

      20191007佐城小学校16



このひは、シルバーの方々が草刈りをしていました。

      20191007佐城小学校17

じっくりと敷地内を見て行きたかったんだけど
流石に平日の幼稚園の敷地内。
犬連れの怪しそう(?)なおじさんがウロウロしていると
パトカーが赤橙回して来ちゃいそうだから.................

早々に撤収いたしました。



2019/11/21 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

ダムカードを集めよう! .............飯田ダム (2019年10月7日)(茨城県笠間市) 

10月7日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

大井神社をあとにして、向かった先は..............飯田ダム。



飯田ダムは、平成3年に完成した茨城県土木部が管理する県営ダムです。
堤高33.0mの重力式コンクリートダムで、
茨城県内の那珂川水系の支流である涸沼川流域に建設された唯一の補助多目的ダムで、
涸沼川の治水と笠間市への利水を目的にしています。
ダムによって形成された人造湖は笠間湖(かさまこ)と命名されています。



飯田ダムに到着です。

ダムの説明板前にて。

      20191007飯田ダム03



飯田ダムをぐるっと一周するハイキングコースもあるようです。

      20191007飯田ダム04

さすがに、一周4.8kmの散歩はキツイからパスですね。


飯田ダムの碑。

      20191007飯田ダム05



こちらは、飯田ダム完成記念碑。

      20191007飯田ダム06


こちらは、笠間湖の碑。

      20191007飯田ダム07



駐車場から眺めるダム堤体。

      20191007飯田ダム08



ダム天端。
『飯田川』の表示。

      20191007飯田ダム09



『飯田ダム』の表示。

      20191007飯田ダム10



それでは、天端を歩いてみましょう。

      20191007飯田ダム11


      20191007飯田ダム15


      20191007飯田ダム16


      20191007飯田ダム17




こちらが、ダム上流。
笠間湖です。

      20191007飯田ダム12


      20191007飯田ダム13


      20191007飯田ダム14


      20191007飯田ダム26





こちらが、ダム下流です。

      20191007飯田ダム18


      20191007飯田ダム19


      20191007飯田ダム20


      20191007飯田ダム21


      20191007飯田ダム22


      20191007飯田ダム23




さて、肝心のダムカードですが、飯田ダム管理事務所で配布されています。



こちらが飯田ダム管理事務所。

      20191007飯田ダム01



飯田ダムのガムカード、戴きました!

      20191007飯田ダム02




こちらが、飯田ダムのダムカード。

      20191007飯田ダム24


      20191007飯田ダム25


先日(10月2日)、城里町の藤井川ダムに訪れましたが
その時に、この飯田ダムのすぐ近くを通過していたことを
後で地図を見たら知りました。

どうやら、この近くには笠間市の『飯田ダム』、城里町の『藤井川ダム』
水戸市の『楮川ダム』と、ダムカードを配布しているダムがあるようです。

楮川ダムもいずれ訪れることにいたしましょう。







2019/11/21 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...................大井神社 (2019年10月7日)(茨城県笠間市) 

10月7日

この日は茨城県の笠間市に出かけました。


高田小学校をあとにして、向かった先は..............大井神社。


大井は、笠間市大渕に鎮座する神社です。

社伝によれば、大同元年(806年)に勅宣により
常陸国那珂郡大井村和体ケ峯に社殿を造営し、
大井大明神と称したとされています。

『延喜式神名帳』では「常陸国那賀郡 大井神社」と記載された式内社とされています。
中世には「太郎明神」と称し、福田、飯田、石寺、寺崎、日沢の五村の総鎮守とされました。
また、大井、箱田、石井、来栖の四所のうち、
その筆頭として一の宮明神(四所一宮)と崇敬された層です。


御祭神は、神八井耳命。



神社社頭、神橋にて。

      20191007大井神社01



社号標。

      20191007大井神社02



由緒書き。

      20191007大井神社03



朱色の鳥居。

      20191007大井神社04



鳥居に掲げられた神額。

      20191007大井神社05


では、参道を進みましょう。

      20191007大井神社06



参道の御神木『親子杉』。

        20191007大井神社07
      20191007大井神社08



杉が並ぶ参道。

      20191007大井神社09



参道奥には拝殿。

      20191007大井神社11
      20191007大井神社12




拝殿が見えて来ました。

      20191007大井神社10



手水舎。

      20191007大井神社23




こちらが拝殿。

      20191007大井神社15


      20191007大井神社16



拝殿正面。

      20191007大井神社17



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20191007大井神社18



別アングルからの拝殿。

      20191007大井神社19


      20191007大井神社20



そして、こちらが本殿。

      20191007大井神社21



こちらは、境内社。

      20191007大井神社22



こちらは、宣命殿。

      20191007大井神社13



正面の扁額。

      20191007大井神社14

授与所が隣接しているから、社務所ようなモノでしょうか?


その授与所。

      20191007大井神社25

授与所には張り紙が貼られ、御朱印はそちらの連絡先へ。



こちらが御朱印。

      20191007大井神社24

神社近くの宮司さん宅にて拝受いたしました。





2019/11/20 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................高田小学校 (2019年10月7日)(茨城県東笠間市) 

10月7日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。
朝早くから、笠間市内の廃校を巡っています。

笠間市の廃校巡り、その第5弾は..............笠間市立高田小学校。


高田小学校の情報は乏しく、当初は沿革もわかりませんでした。
笠間小学校のHPに統廃合された各校の流れが記載されていたの参考になりなした。


明治6年     瑞穂小学校として開校。
明治13年     福田小学校となる。
明治17年     初等福田小学校となる。
明治19年     大橋尋常小学校福田分教場となる。
明治34年     大池田第三尋常小学校となる。
昭和22年     学制改革により、大池田村立大池田第三小学校と改称する。
昭和30年     大池田村が笠間町・南山内村・北山内村と合併し、改めて笠間町が発足。
          笠間町立高田小学校と改称する。
昭和33年     笠間町が市制施行で笠間市となる。
          笠間市立高田小学校と改称する。
昭和51年     寺崎小学校と統合して、新たに笠間市立左城小学校が開校する。
          高田小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。


とは言え、情報が乏しいので、その場所すらわからず、
いつものように、それらしき場所にあたりを付けて訪れてみます。

      20191007高田小学校01

今回は、高田公民館にあたりをつけてみました。


遠目からでも見た感じ、学校跡っぽく見える。

      20191007高田小学校05



この雰囲気は、学校跡っぽい。

      20191007高田小学校02




門柱が残っていれば、確定なんだけど..............

      20191007高田小学校04

置かれていたのは、『作業中』の看板とカラーコーン。



ざっとみて、学校遺構は残されてはいないようです。

      20191007高田小学校03



こちらが、公民館の建物。

      20191007高田小学校06

公民館の裏手が地域のゴミ捨て場になっていて
たまたまゴミ捨てに来た中年女性に訊いてみたら高田小学校の跡ということです。
ただし、他の場所から嫁に来た方のようで、高田小学校のことは知らず無いけれど
御主人が高田小学校の卒業生だったそうです。



廃校後、校舎は解体され公民館が建ち
その後、敷地も造成されて運動場(グランド)が造られたようです。



元々の校地は駐車場になってしまったのでしょうか?

      20191007高田小学校07


      20191007高田小学校08


      20191007高田小学校09



せめて、記念碑が残っていれば.............


公民館の前の古い桜の木が、学校跡を彷彿させてくれるだけ。

      20191007高田小学校10



こちらが、高田運動公園。

      20191007高田小学校11


      20191007高田小学校12


      20191007高田小学校13



そして高田公民館の隣には、例の消防倉庫。

      20191007高田小学校14

やっぱり、犬の顔............
いや、ペンギンの顔に見えなくもないな(笑)。



2019/11/20 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................大橋小学校 (2019年10月7日)(茨城県東笠間市) 

10月7日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。


東小学校をあとにして、向かった先は..............笠間市立大橋小学校。


大橋小学校は、

明治6年      吉田神社拝殿を仮校舎にして處仁小学校として開校する。
          その後、大橋小学校と称する。
明治15年      権現台に校舎を建設移転。
          西茨城郡第一学区大橋小学校と称する。
明治17年      中等大橋小学校と称する。
明治19年      大橋尋常小学校と改称する。
明治22年      大橋村が池野辺村・福田村・飯田村が合併し大池田村が発足。
           大池田尋常小学校と改称する。
明治34年      池野辺分校、飯田分校が独立。
           大池田第一尋常小学校と改称する。
明治44年       現在地に校地移転。
明治45年       高等科を設置し、大池田尋常高等小学校と改称する。
昭和22年       学制改革により、大池田村立第一小学校と改称する。
昭和30年       大池田村が笠間町・南山内村・北山内村と合併し、改めて笠間町が発足。
           笠間町立大橋小学校と改称する。
昭和33年       笠間町が市制施行で笠間市となる。
           笠間市立大橋小学校と改称する。
昭和58年       池野辺小学校と統合し、新たに笠間市立東小学校が誕生。
           大橋小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。


こちらが、大橋小学校の正門。

      20191007大橋小学校01

正門奥に見えるには消防倉庫。


こちらが、大橋小学校の校舎。

      20191007大橋小学校02

昭和58年の廃校だから、もう既に36年が経っているが
校舎は解体される事なく、その姿を残している。


別アングルからの校舎。

      20191007大橋小学校03


      20191007大橋小学校04


廃校後、敷地は大橋公民館として利用され
校舎も公民館として活用されている。

      20191007大橋小学校05




      20191007大橋小学校06



校舎の2階の庇に掲げられている校章。

      20191007大橋小学校07



校庭。

      20191007大橋小学校08



芝生は綺麗に刈り上げられ、
ゲートボール場としても利用されているようです。

      20191007大橋小学校09



その校庭の一角に碑が並ぶ。

      20191007大橋小学校10



こちらが、『笠間市立大橋小学校跡』碑。

      20191007大橋小学校11

前面には、校歌の板碑も置かれている。
裏面には沿革も刻まれています。
大変参考になりました。




創立百周年の記念碑。

      20191007大橋小学校12

『彰往考来』(しょうおうこうらい)。

過去をあきらかにして未来を考えるという意味です。



こちらは卒業製作のモニュメント。

      20191007大橋小学校13

昭和50年度の卒業生の作品のようです。



違う年度のモノもありました。

      20191007大橋小学校14



廃校には定番の消防倉庫。

      20191007大橋小学校15

やっぱり犬の顔に見えちゃうんだけどなぁ(笑)。



2019/11/19 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................東小学校 (2019年10月7日)(茨城県東笠間市) 

10月7日

この日は、笠間市に出かけました。

池野辺小学校をあとにして、向かった先は...............笠間市立東小学校。

東小学校は、明治6年に創立された大橋小学校と
明治8年に創立された池野辺小学校がその前身になります。

昭和58年大橋小学校・池野辺小学校を統合して笠間市立東小学校として開校する。
平成27年笠間小学校に統合されて廃校となる。

と、簡単ながらこのような沿革となっています。


こちらが東小学校の正門。

      20191007東小学校01



立派な門柱には、東小学校の表札。

      20191007東小学校02



反対側(向かって左側)には、校章が掲げられていました。

      20191007東小学校03



この門は、創立五周年の記念として、
昭和62年に建立されたモノのようです。

      20191007東小学校34



正門脇に脇から敷地内に入ります。



鉄筋コンクリート3階建の校舎。

      20191007東小学校04



校庭からの校舎。 

      20191007東小学校05



校舎全景。

      20191007東小学校06



別アングルからの校舎。

      20191007東小学校07


      20191007東小学校08



校舎玄関。

      20191007東小学校09



玄関の庇に掲げられた校章。

      20191007東小学校10



国旗掲揚ポール。

      20191007東小学校11



こちらは、体育館。

      20191007東小学校12



校庭に残る遊具類。

      20191007東小学校13


      20191007東小学校14


      20191007東小学校16


      20191007東小学校17


      20191007東小学校18


      20191007東小学校19


      20191007東小学校20


      20191007東小学校21


      20191007東小学校22



校庭隅の築山。

      20191007東小学校23


      20191007東小学校24




なぜか、校内に土俵もある。

      20191007東小学校25




校庭の隅、でも正門からすぐ目に入る場所には
東小学校閉校記念碑。

      20191007東小学校26

表面には沿革が刻まれている。


そして、裏面には校歌が刻まれている。

      20191007東小学校27



その脇には、校訓の碑が並ぶ。

      20191007東小学校28



校庭は、雑草も少なく、砂が多くて走りやすそう。

      20191007東小学校29



なんて思っていたら、突然走り出した びいすけ 。

      20191007東小学校30


考えることは同じか?

      20191007東小学校31


暫し、簡易ドッグラン。

      20191007東小学校32


気持ち良さそうに走って、こちらに戻ってくる びいすけ 。

      20191007東小学校33

東小学校を堪能してくれたかな?





2019/11/19 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit