FC2ブログ

06 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 08

び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

御城印を求めて   《下小池城》  (2020年3月18日)(茨城県稲敷郡阿見町) 

3月18日

この日は、御城印を求めて、茨城県の阿見町に出かけました。


御城印は、阿見町の『だんごの やまだ』で手に入れ、
向かった先は...............下小池城址。


     20200318下小池城01




下小池城址は以前、訪れた事があります。
( その時の攻城記は こちら )

     20200318下小池城02




下小池城の城の歴史については不明ですが
北条氏傘下の土岐氏によって天正期に築城されたと推測されます。

敵対する牛久城主・岡見氏や佐竹氏・多賀谷氏に対抗するための境目の城であったとされ、
天正十八年(1590年)、秀吉の小田原征伐の際の江戸崎城落城とともに
下小池城も落城したとされています。

     20200318下小池城03



阿見町が建てた説明板。

     20200318下小池城04


     20200318下小池城05



下小池城址の一部は、小池城跡公園として整備されています。

     20200318下小池城06



三郭の空堀。

     20200318下小池城07


     20200318下小池城08


     20200318下小池城09


  

こちらは、二郭の空堀。

     20200318下小池城10



二郭虎口。

     20200318下小池城12



二郭内部から、虎口の土塁。

     20200318下小池城11


     20200318下小池城13



二郭。

     20200318下小池城14




主郭虎口。

     20200318下小池城15



主郭空堀。

     20200318下小池城16


     20200318下小池城17



主郭。

     20200318下小池城18


     20200318下小池城19


     20200318下小池城20


主郭周辺は、相変わらず下草が多い。
もう少し整備されていれば、言うことは無いんですが............

     20200318下小池城21


     20200318下小池城22


     20200318下小池城23



こちらが、下小池城の御城印。

     20200318下小池城24


牛久市、阿見町と順に御城印が頒布され、
龍ケ崎市でも御城印のイベントが計画されていたようですが
昨今の新型コロナウイルスの感染防止のためのイベントの自粛で中止になってしまったようです。
一日も早くコロナウイルスが終息して、龍ケ崎市の城郭の御城印のイベントが
開催されるのを期待するところです。


スポンサーサイト



2020/04/25 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

福田城址  (2020年3月18日)(茨城県稲敷郡阿見町) 

3月18日

この日は、御城印を求めて茨城県の阿見町にやって来ました。


阿見町の団子屋さん(だんごのやまだ)で御城印を手に入れます。

     20200318福田城01


向かった先は、福田城址。



福田城は、築城時期等詳細は不明ですが、
元々は上杉氏の城であったという事ですが
後には岡見氏の城となり、さらに天正年間になると、
江戸崎城の土岐氏の城館となったとされています。



こちらが、福田城の縄張り図。

      20200318福田城25

   ( 余湖さんのHPよりお借りしました )




台地下部より眺める高照寺の建つ台地。

     20200318福田城02

高照寺も福田城の一部とされています。



高照寺脇の切り通し。

     20200318福田城03



その両脇の土壇。

     20200318福田城04


     20200318福田城06




竹林に覆われ見づらいが、奥に空堀らしきものも見て取れる。

     20200318福田城05



この奥が高照寺。

     20200318福田城07

こちらは北参道口のようです。



高照寺山門。

     20200318福田城08

こちらが表参道になるようです。


この辺りは城址っぽい雰囲気。

     20200318福田城09



境内。

     20200318福田城10


     20200318福田城12


     20200318福田城13


高照寺本堂。

     20200318福田城14



本堂の扁額。

     20200318福田城15



境内に建つ高照寺の説明板。

     20200318福田城11

こちらの説明板に福田城について記されています。




高照寺の向かいにある阿弥陀堂。

     20200318福田城16



福田城址の一角である古城と呼ばれる地区。
その地区の民家と民家の間の細い道を進むと鳥居が現れる。

     20200318福田城17



鳥居の背後は土塁。

     20200318福田城18



その土塁の上には稲荷社が鎮座しています。

     20200318福田城19

稲荷社が在ると言うことは、江戸崎・土岐氏の城郭の証になるようです。



土塁の先は削平地。

     20200318福田城20

おそらく郭跡でしょう。


そして、その奥には竹藪。

     20200318福田城21



さらに、その奥には空堀。

     20200318福田城22



横矢の掛かった空堀。

     20200318福田城23

福田城址の1番の見所かもしれない。


こちらが、福田城の御城印。

     20200318福田城24

全国的にも無名で、さほど広大でもない城郭だけど
こうやって御城印が出来ると、うれしく感じるのは
やっぱり城好きなんだからでしょうね。



2020/04/24 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御城印を求めて   《塙城》 (2020年3月18日)(茨城県稲敷郡阿見町) 

3月18日

この日は御城印を求めて土浦市、そして阿見町へと出かけました。


土浦城址(亀城公園)をあとにして、阿見町へと向かいます。
先ずは、御城印の頒布先である団子の山田屋にて御城印を手に入れます。

     20200318塙城01



御城印を手にした後に向かった先は................塙城址。


塙城址には、以前に訪れた事があります。
(その時の攻城記は こちら



塙城の築城時期等、詳細は不明ですが、
江戸崎城主である土岐氏の支城とされています。
館野氏が城主であったという伝承もありますが、
城址には土塁や空堀などの遺構が確認出来、
それらの遺構は土岐氏時代のものだとされています。




塙城の登城路入口。

     20200318塙城02



以前は無かった城址の案内看板。

     20200318塙城03

手作り感が満載でちょっぴり微笑ましい。


こちらは、阿見町の説明板。

     20200318塙城04



それでは、塙城へ進軍いたしましょう。


以前は、この先へと進みましたが、現在は立入禁止。

     20200318塙城05



その代わりに矢印の看板が立てられ、順路を導いてくれます。

     20200318塙城06



下草などを刈り、順路も整備され、
以前と比べるとかなり手入れが行き届いています。

     20200318塙城07



以前は雑草に覆われていた空堀も
今はその姿をハッキリと確認出来ます。

     20200318塙城08


     20200318塙城09


     20200318塙城10



矢印の看板に導かれ堀底道を上って行きます。

     20200318塙城11


     20200318塙城12



稲荷神社。

     20200318塙城13

千葉氏関連の城郭に妙見神社が鎮座するように
土岐氏関連の城郭には稲荷社が鎮座する。
五穀豊穣を祈い、屋敷神として祀られているようです。


前回は、下草等の雑草に覆われ、この稲荷社辺りで進軍を断念しましたが
今はかなり整備され、先に進むのに躊躇しなくて済みます。



稲荷社のある辺りは二郭になります。

     20200318塙城18


     20200318塙城17


     20200318塙城16




ニ郭の土塁もしっかりと確認できる。

     20200318塙城14



先程の立入禁止を進めば、この虎口に辿り着くのでしょうか?

     20200318塙城15




空堀。

     20200318塙城19




この先は主郭。

     20200318塙城20



土塁。

     20200318塙城21



二郭から主郭への虎口。

     20200318塙城22



主郭の空堀。

     20200318塙城23



塙城の搦手口の登城口。

     20200318塙城24



この台地が塙城。

     20200318塙城25



この登城路を進めば、直接主郭へと続く。

     20200318塙城26

おそらく、後世に作られた登城路ではないのだろうか?




こちらが、塙城の御城印。

     20200318塙城27



茨城県下の御城印、頒布される城郭が着々と増えてきています。
城好きにはたまりません。


2020/04/24 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................実穀小学校 (2019年8月26日)(茨城県稲敷郡阿見町) 

8月26日

この日は、稲敷市から阿見町へと移動。

鹿嶋大神宮をあとにして、向かった先は....................阿見町立実穀小学校。



実穀小学校は、

明治13年      小池村上小池に小池小学校が創立される。
明治22年      小池村・福田村・上長村・実穀村・吉原村・荒川沖村・
            荒川本郷村・沖新田が合併して、朝日村が発足。
明治34年      現在地(実穀)に移転,朝日尋常高等小学校となる
昭和22年      学制改革により、朝日村立実穀小学校と改称する。
昭和30年      阿見町・朝日村・君原村・舟島村(一部)が合併し、阿見町となる。
            阿見町立実穀小学校と改称する。
平成30年      阿見小学校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっています。




こちらが、実穀小学校の正門。

      20190826実穀小学校01

普段は、門扉も閉められ、施錠されているようですが、
この日は、ちょっぴり開いている。

石造りの門柱。

      20190826実穀小学校02



大正9年に建てられたモノのようです。

      20190826実穀小学校03



ちょっぴり開いていた門扉から中を覗き込むと
この日は、阿見町の職員の方が業者と思われる方々と
校庭の草刈りを行っていました。
その方々にお断りをして、敷地内を見学することに...................。


校舎。

      20190826実穀小学校04


      20190826実穀小学校05


      20190826実穀小学校06


      20190826実穀小学校07


      20190826実穀小学校08
  

      20190826実穀小学校09




玄関庇に掲げられた校章。

      20190826実穀小学校10



校舎前に建つ、創立百周年記念碑。

      20190826実穀小学校12



校庭。

      20190826実穀小学校15



校庭で遊ぶ子供たちは居ないけれど、
代わりに、今日は草刈り作業の業者(?)の車が並ぶ。

      20190826実穀小学校11


      20190826実穀小学校14



校庭の片隅には朝礼台。

      20190826実穀小学校16




校庭に残る遊具類。

      20190826実穀小学校17


      20190826実穀小学校18


      20190826実穀小学校19


      20190826実穀小学校20



体育館の裏手。

      20190826実穀小学校21

かまぼこ型屋根の体育館って今では珍しい。


こちらも、地域の避難所になっているようです。

      20190826実穀小学校22


この場所を使わなきゃいけないような災害が
起きない事を切に願います。






2019/10/05 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

吉原鹿島神社 (2019年8月26日)(茨城県稲敷郡阿見町) 

8月26日

この日は、茨城県の稲敷市へでかけ、
その後、阿見町へ移動しました。

吉原小学校をあとにして、向かった先は...........吉原鹿島神社。


牛久市から土浦方面に県道34号線を走っていると
吉原十字路手前に、小学校があり、
十字路の先に神社があるのを知っていました。


吉原小学校からもすぐ近く。
せっかくだから、立ち寄ることにいたしました。


吉原鹿島神社は、阿見町吉原に鎮座する神社です。


弘仁5年(814年)の創建と伝えられ、
天正12年(1584年)土岐大膳太夫治英修造の棟札があったとされています。
当初は、『鹿嶋大明神』と称していたようですが
げんざい、茨城県神社庁には『鹿島神社』と登録されているようです。

御祭神は、建御雷之男神。



神社社頭。

      20190826鹿嶋神明宮01


参道を進みます。

      20190826鹿嶋神明宮02



手水舎。

      20190826鹿嶋神明宮03



こちらが、拝殿。

      20190826鹿嶋神明宮04



拝殿正面。

      20190826鹿嶋神明宮05


      20190826鹿嶋神明宮07


拝殿正面に掲げられた扁額。

      20190826鹿嶋神明宮06

扁額には『鹿嶋大明神』と綴られています。



別アングルからの拝殿。

      20190826鹿嶋神明宮08



そして、こちらが本殿。

      20190826鹿嶋神明宮09



拝殿に至る参道脇には、幾多の祠が建ち並ぶ。

      20190826鹿嶋神明宮10


      20190826鹿嶋神明宮11


      20190826鹿嶋神明宮12


      20190826鹿嶋神明宮13


      20190826鹿嶋神明宮14



こちらの鹿島神社には、阿見町指定の古木が在ります。

      20190826鹿嶋神明宮15



御神木のやどり木。

      20190826鹿嶋神明宮17
      20190826鹿嶋神明宮18

杉の巨木ですが、その空洞にスダジイが寄生し成長したため
『鹿島神社のやどり木』として阿見町の天然記念物に指定されています。


こちらの鹿島神社は阿見町の名所百選にも選ばれているようです。

      20190826鹿嶋神明宮19


地元の方に聞いて見たら、宮司さんはすぐ近くに住んでいらっしゃるとのことでしたが
どうやらこの日は留守のようでした。
御朱印拝受の有無は分かりませんでした。





2019/10/04 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................吉原小学校 (2019年8月26日)(茨城県稲敷郡阿見町) 

8月26日


この日は、利根川の向こう岸になる茨城県に出かけました。
と言っても、茨城県南になる稲敷市。
そして、稲敷市から阿見町へと移動します。


向かった先は....................阿見町立吉岡小学校。



吉岡小学校は、

明治 8年      吉原村医王寺を仮校舎として設立される
明治12年      現在地に移り吉原小学校が創立される
明治22年      小池村・福田村・上長村・実穀村・吉原村・荒川沖村・
          荒川本郷村・沖新田が合併して、朝日村が発足。
昭和22年      学制改革により朝日村立吉原小学校と改称する。
昭和30年      阿見町・朝日村・君原村・舟島村(一部)が合併し、阿見町となる
          阿見町立吉原小学校と改称する。
平成30年      阿見小学校に統合されて廃校となる。


と、このような沿革となっています。


実は、この吉原小学校の前を走る県道34号線。
土浦方面に遊びに行く時に通っていて
吉原十字路近くに、小学校があるのは知っていました。

いつの間にか、廃校になっていたのですね。


こちらが、正門。

      20190826吉原小学校01


表札は今も掲げられています。

      20190826吉原小学校02



正門の門扉はしっかり閉ざされ、施錠されているから
敷地内には入ることは出来ません。


門扉越しにちょっぴり身を乗り出し
敷地内を覗き込みます。


校庭。

      20190826吉原小学校03



校舎。

      20190826吉原小学校05


      20190826吉原小学校04


      20190826吉原小学校06



校舎の前には、創立百周年の記念碑。

      20190826吉原小学校07


ブロンズ像もありますね。

      20190826吉原小学校08



周りの植栽でよく見えませんが、校歌の碑でしょうか?

      20190826吉原小学校09


校舎の窓には、廃校時の贈る言葉でしょうか
『ずっと大切な場所』と綴られています。

      20190826吉原小学校10



敷地内にはいれないから、吉原小学校の周りをぐるっと回ってみましょう。

      20190826吉原小学校11



こちらは、体育館の裏手。

      20190826吉原小学校12



校舎の裏手。

      20190826吉原小学校13


フェンス越しの校庭。

      20190826吉原小学校16



その遊具。

      20190826吉原小学校14


      20190826吉原小学校15



フェンス越しに眺める校舎。

      20190826吉原小学校17


      20190826吉原小学校18



一応、指定避難所になっているんだけれど................

      20190826吉原小学校19


門扉が施錠されていたら、いざという時に避難所として使用出来るのだろうか?
そんな事を、ふと思ったりもしてしまいました。


2019/10/03 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................金江津小学校田川分校  (2019年1月20日)(茨城県稲敷郡河内町) 

1月20日 


茨城県の河内町には、今から60年前に廃校となった分校が3つ在りました。
今回、その分校跡を探してみました。

その三つ目。
向かった先は....................旧・河内村立金江津小学校田川分校。


とは、言っても情報不足。
田川分校の創設時期は不明ですが、
昭和34年に田川分校、十三間戸分校、片巻分校、が本校に統合され廃校になりました。



ネットで調べても詳細がわからない。
当然、所在地も分かりません。
となると、いつものように住所の大字であたりをつけて
周辺の公民館と言ったような施設を探します。

しかし、それらしき施設が見つからない。

こうなったら、行き当たりバッタリで探しましょう。

田川集落でそれらしき建物を探しますが良く分からない。
そもそも公民館らしきモノが見当たらない。
それでも墓参りをしていたおじいさんを見つけて尋ねてみると
近くにある建物を指差し、『田川共同利用施設』が田川分校跡だと教えてくれました。

やっぱり、地元の年配者は貴重な情報源。




こちらが田川分校跡。

      20190120田川分校01

利根川の堤防沿いの県道に面した場所に在りました。



廃校から既に60年。

      20190120田川分校02



当然、校舎は解体されて新たな建物が建てられています。

      20190120田川分校03



建物の前の花壇には、老人クラブの名の入った札が掲げられていたから
地域の老人の集いの場となっているのかも知れません。

      20190120田川分校04




残念ながら往時の門柱や二宮像、
廃校記念碑や学校跡地の碑と言ったようなモノは無く
遊具も残されていない。

      20190120田川分校05



これらの木々は往時からこの場所に在ったのだろうか?

      20190120田川分校06


60年前に廃校となったこの場所は、
往時の子供達や卒業生たちの憩いの場となっているようですね。



2019/03/17 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................金江津小学校十三間戸分校  (2019年1月20日)(茨城県稲敷郡河内町) 

1月20日  

茨城県の河内町には、今から60年前に廃校となった分校が3つ在りました。
今回、その分校跡を探してみました。

その二つ目。
向かった先は....................旧・河内村立金江津小学校十三間戸分校。

とは、言っても情報不足。
十三間戸分校の創設時期は不明ですが、
昭和34年に十三間戸分校、片巻分校、田川分校、が本校に統合され廃校になりました。


ネットで調べても詳細がわからない。
当然、所在地も分かりません。
となると、いつものように住所の大字であたりをつけて
周辺の公民館と言ったような施設を探します。
しかしながら、それらしき建物は地図上には表記されていない。
こうなりゃ、当たって砕けろ!

利根川沿いに細長く広がる十三間戸集落を車で徘徊いたします。

そんな中、見つけた施設がこちら。

こちらも、見た感じは分校跡っぽい。

      20190120十三間戸分校01



でも自信がない。
近くに誰か居ないか?

たまたま3軒先の民家から人が出て来た。
初老の男性。
年代的にもちょうど良い。

尋ねてみると、間違いなく十三間戸分校の跡だということです。

      20190120十三間戸分校02



まぁ、過去の経験から言うと、廃校になった小さい小学校や分校は
廃校後、地域の公民館や集会所等に再利用されるパターンが多い。

そして、これも経験値になるけれど、
その公民館や集会所に隣接する、もしくは敷地内に消防倉庫や
防災倉庫が置かれている事が多い。

      20190120十三間戸分校06

これを見れば、一目瞭然。
消防倉庫に地域の集会所。
ある意味、鉄板の法則に基づきます(笑)。



廃校時期は60年前。
残念ながら、当時の面影は残されていない。
校舎も解体され、新しく施設の建物が建てられました。

      20190120十三間戸分校03



敷地もさほど広くもないから、往時もこんな感じで
校舎が建っていたのかもしれない。

      20190120十三間戸分校04


敷地内に建つ石碑を見つけ、思わず廃校記念碑と思い喜んだけれど
実は、違っていた。

      20190120十三間戸分校05


堤防沿いに広がる田圃を整備した記念碑です。


二宮像も無いし、碑も無い。 
学校跡を示すものが何も無い。

いずれ、この地も学校跡だった事、分校跡地であった事を
記憶と記録の中から消えてしまうんだろうなぁ。



  


2019/03/17 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り.........................金江津側高神社  (2018年1月20日)(茨城県稲敷郡河内町) 

1月20日   

この日、茨城県の利根川沿いにある河内町に出かけたのは
金江津 側高神社に行くためでした。

普段は無人の神社ですが、1月20日は宮司さんが神社にいらっしゃると言う事で
都合の良い時間である朝9時半頃と指定を受けて、この日訪れました。

金江津 側高神社は、稲敷郡河内町金江津に鎮座する神社です。


文永年間(1264年~1274年)のある朝、漁をしていた男に白髭の翁が現れ、
「吾は大倉の神ぞ。われを厚く祀れば諸難、殊に火難を除くべし」と告げて消えました。
すぐさま男は村人に諮り、大倉(香取市)の側高神社の御分霊を迎え大嶋川岸に祀り、
鎮守の神としのが始まりとされています。

御祭神は、 天津彦火火出見命。


こちらが、一の鳥居。

      20190120側高神社01



一の鳥居に掲げられた神額。

      20190120側高神社02



手水舎。

      20190120側高神社03



二の鳥居。

      20190120側高神社04


境内の参道。

      20190120側高神社05



神社幟。

      20190120側高神社06

神社幟が立っているということは、この日は例祭日でしょうか?




こちらが、拝殿。

      20190120側高神社07



拝殿正面。

      20190120側高神社08



別アングルからの拝殿。

      20190120側高神社09



そして、こちらが本殿。

      20190120側高神社10



本殿の説明板。

      20190120側高神社11

この本殿は、河内町の指定文化財になっているようです。



拝殿前の天水桶。

      20190120側高神社12



その脇には狛犬。

      20190120側高神社13


      20190120側高神社14



こちらは、境内社の稲荷神社。

      20190120側高神社15



同じく境内社の皇大神宮。

      20190120側高神社16



境内の石祠。

      20190120側高神社17


      20190120側高神社18



石祠に混じって、青面金剛刻像 。

      20190120側高神社19

このあたりは、神仏習合の名残りが色濃い。



板碑も多く建ち並ぶ。

      20190120側高神社20


      20190120側高神社21


      20190120側高神社23


      20190120側高神社24



戦没者碑。

      20190120側高神社22

いわゆる忠魂碑。



こちらが、御朱印。

      20190120側高神社25


拝殿内で宮司さんに墨書きしていただきました。
氏子さんたちが集まる直前の、多忙な時間を割いて頂きました。
ありがとうございました。





2019/03/15 Fri. 15:15 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................金江津小学校    (2019年1月20日)(茨城県稲敷郡河内町) 

1月20日  

この日は、茨城県の河内町にやって来ました。

平成30年の春に河内町に新しく小中一貫校が開校しました。
それにともない、既存の小学校3校が廃校となりました。
今回は、その3校を訪ねる為に河内町にやって来ました。

その第3弾は、....................河内町立金江津小学校。


金江津小学校は、

明治9年        千葉県香取郡金江津村に仮校舎にて学校創立。
           公立金江津小学校と称する。
明治20年       金江津村立金江津尋常小学校と改称する。
明治32年       県域変更にて金江津村が茨城県稲敷郡に編入する。
           茨城県稲敷郡金江津村立金江津尋常小学校と改称する。
昭和22年       学制改革により、金江津村立金江津小学校と改称する。
昭和33年       金江津村が河内村に編入する。
           河内村立金江津小学校と改称する。
昭和34年       片巻分校、田川分校、十三間戸分校が本校に統合され廃校になる。
平成8年        河内村が町制施行して河内町が誕生。
           河内町立金江津小学校と改称する。
平成30年       金江津小学校、みずほ小学校、生板小学校が合併して小中一貫校 かわち学園が誕生。
           金江津小学校は廃校となる。


と、このような沿革となっています。



こちらか、金江津小学校の正門跡。

      20190120金江津小学校01


門柱に残る表札。

      20190120金江津小学校02



正門脇のブロック塀には横断幕。

      20190120金江津小学校03

地元に愛された小学校のようですね。


正門近くの校庭より眺める校舎。

      20190120金江津小学校04



別アングルからの校舎。

      20190120金江津小学校05


      20190120金江津小学校06



校舎の正面玄関。

      20190120金江津小学校07


玄関の庇には、校名と校章。

      20190120金江津小学校08



金江津小学校の校章。

      20190120金江津小学校09



校舎前の国旗掲揚ポール。

      20190120金江津小学校10



校訓の碑。

      20190120金江津小学校11


いっしゅ、二宮像に見えたけど違っていた。

      20190120金江津小学校12

男女の子供の像。
タイトルは『大志』。

少年よ、大志を抱け! って言うやつですね。



正門脇で、二宮像を発見!

      20190120金江津小学校13


      20190120金江津小学校14



こちらが、日常的に使われていた門になるのか?

      20190120金江津小学校15


表札もこちらの方が新しい。

      20190120金江津小学校16



隣接する認定こども園。

      20190120金江津小学校17


かつては、河内町金江津保育所だったようです。

      20190120金江津小学校18

今や、保育所や保育園も地方自治体によっては民間委託している自治体も多い。
こちらもそうなんでしょうか?


こども園や保育所の表札が掛かる古い門柱。

      20190120金江津小学校19

これらの門柱は、金江津小学校の門柱だったんでしょう。



こちらは、体育館。

      20190120金江津小学校20



校庭に残る遊具類。

      20190120金江津小学校21


      20190120金江津小学校22


      20190120金江津小学校23


      20190120金江津小学校31


      20190120金江津小学校24


      20190120金江津小学校25


      20190120金江津小学校26




校舎の傍には朝礼台。

      20190120金江津小学校27



使われなくなったローラー。

      20190120金江津小学校28



なぜか、校庭にポツンとスケートボード。

      20190120金江津小学校29



きっと誰かが忘れていったのでしょう。

      20190120金江津小学校30


 
みずほ小学校(源清田小学校)、生板小学校、金江津小学校と
明治初期から続く伝統ある小学校が、3校も同時に廃校となった河内町。    
伝統か?
合理化か?
難しい選択肢の中で、新設された小中一貫校が
上手くいくことを願っています。



2019/03/15 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................金江津小学校片巻分校    (2019年1月20日)(茨城県稲敷郡河内町) 

1月20日   

この日は、茨城県の河内町にやって来ました。

茨城県の河内町には、今から60年前に廃校となった分校が3つ在りました。
今回、その分校跡を探してみました。

その一つ目。
向かった先は....................旧・河内村立金江津小学校片巻分校。


とは、言っても情報不足。
片巻分校の創設時期は不明ですが、
昭和34年に片巻分校、田川分校、十三間戸分校が本校に統合され廃校になりました。


ネットで調べても詳細がわからない。
当然、所在地も分からない。
となると、いつものように住所の大字であたりをつけて
周辺の公民館と言ったような施設を探します。

ヤフーMapを見て、今回あたりをつけたのが
片巻集落に在る河内町第四公民館別館。

こちらが、その公民館。

      20190120片巻分校01



確かに分校跡っぽい雰囲気はある。

      20190120片巻分校02



隣の民家に住む初老の男性に尋ねたら
間違いなく、ココが片巻分校跡だということです。


片巻分校の創立時期は不明ですが、
この辺りが明治期には千葉県香取郡片巻村であった事から
明治期に片巻村に創設された学校が原点になっているのかもしれません。
利根川の河川沿いに広がるこの地区は、当初は千葉県の県域でしたが
明治32年に県域変更があり、千葉県の管轄下から茨城県へと移管した経緯もあり
あまり詳細な記録が残されていないようです。

昭和34年に十三間戸分校、田川分校と共に本校に統合されて廃校となりました。



今から60年前に廃校となった分校。
当然、校舎はとっくに解体され、
跡地には公民館が建てられている。
      
      20190120片巻分校03


      20190120片巻分校05


校舎、門柱、廃校記念碑、学校跡碑、二宮像、遊具類など
いわゆる学校遺構は全く残っていない。
学校跡を示すモノが残念ながら無い。


隣接するのは、宰府神社。
いわゆる天満宮。

      20190120片巻分校04

明治期に片巻村に創設された学校であるのなら
神社やお寺の敷地内に学校が創設された例は数多い。
      

かつての校庭跡。

      20190120片巻分校06


      20190120片巻分校07

色々とネットで調べてみても詳しい事はわからない。


いずれにしても、この場所が分校跡だった事は間違いない。
あと10年もすれば、この辺りの住人も代替わりをして
この地が、学校跡だった事は誰も知らなくなるだろう。

せめて、私だけは覚えておこう。





2019/03/14 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................生板小学校    (2019年1月20日)(茨城県稲敷郡河内町) 

1月20日   

この日は、茨城県の河内町に出かけました。

河内町には、平成30年の春に小中一貫校が開校したことにより
3つの小学校が廃校になりました。
今回は、その3つの小学校を訪ねてみました。

その第2弾は........,.........河内町立生板小学校。


生板小学校は、

明治8年      丸田坪庵を校舎として第32番地中学区と称する。
明治20年      現在地に校舎建築
明治34年      生板尋常高等小学校と改称する。
昭和22年      学制改革により、生板村立生板小学校と改称する。
昭和30年      生板村、長竿村、源清田村が合併して河内村が誕生。
          河内村立生板小学校と改称する。
平成8年       河内村が町制施行して河内町が誕生。
          河内町立生板小学校と改称する。
平成30年      生板小学校、金江津小学校、みずほ小学校が合併して小中一貫校 かわち学園が誕生。
          生板小学校は廃校となる。


と、このような沿革となっているようです。


こちらが、生板小学校の正門跡。

      20190120生板小学校01


      20190120生板小学校25



門柱に残る表札。

      20190120生板小学校02



正門跡から50mほど離れた校庭のフェンス沿い。

      20190120生板小学校03

そこには、古い石造りの門柱。


どうやら、生板小学校の古い石造りの門柱のようです。

      20190120生板小学校04



正門の先には二宮像。

      20190120生板小学校05

えっ!
いきなり!?

って思ったりもしたけれど、
二宮像が在るのと無いとじゃ、テンションも変わります。

二宮像って、一体一体表情が違うから、比べるのも楽しい。


こちらの、表情は掴みづらい。

      20190120生板小学校06



こちらは、生板小学校創立100周年記念碑。

      20190120生板小学校07

正門脇に二宮像と対峙しするように建っています。



校庭より、生板小学校の全景。

      20190120生板小学校08



鉄筋コンクリート製3階建校舎。

      20190120生板小学校09


こちらは、鉄筋コンクリート製2階建校舎。

      20190120生板小学校10


こちらは、体育館。

      20190120生板小学校11



校庭からの校舎。

      20190120生板小学校12


      20190120生板小学校13



正面玄関。

      20190120生板小学校14


玄関の庇には生板小学校の校章。

      20190120生板小学校15



校舎。

      20190120生板小学校16



校舎の正面。
国旗掲揚ポール。

      20190120生板小学校17



校庭に残る遊具類。

      20190120生板小学校18


      20190120生板小学校19


      20190120生板小学校20


      20190120生板小学校21


      20190120生板小学校22



壊れて倒れているバスケットゴール。

      20190120生板小学校23



校舎の傍には朝礼台。

      20190120生板小学校24

この朝礼台も、もう使われる事も無いんだろうなぁ................。




    

2019/03/14 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................みずほ小学校    (2019年1月20日)(茨城県稲敷郡河内町) 

1月20日  

この日は、茨城県の河内町に出かけました。

河内町は平成30年の春に小中一貫校が誕生し、
それまであった3校の小学校が廃校になりました。
その3校を訪ねてみました。

その第1弾は、........................河内町立みずほ小学校。

まるで、銀行のような学校名ですが、
みずほ小学校そのものは歴史が浅く、
平成24年に廃校となった源清田小学校が前身となります。

みずほ小学校は、平成24年に源清田小学校と長竿小学校が統合して
源清田小学校の施設を流用して、みずほ小学校として開校しました。
しかしながら、6年後に小中一貫教育校(かわち学園)の開校に伴い
平成30年の春、町内の他の2校共々廃校となりました。

ちなみに、前身の源清田小学校は

明治8年      保村の光明院を仮校舎として開校する。
明治19年      県令により、合併して古河林小学校と改称する。
明治26年      源清田尋常小学校として設置、認可される。
明治22年      町村制施行に伴い、源清田村・手栗村・古河林村・羽子騎村・
          平二郎歩・布鎌町歩・猿島新田・宮淵鍋子新田が合併し
          茨城県河内郡源清田村が誕生する。
昭和17年      源清田村と長竿村が合併して瑞穂村が誕生。
昭和22年      学制改革により瑞穂村立源清田小学校と改称する。
昭和24年      瑞穂村の旧・源清田村域が分離して源清田村が誕生。
          (瑞穂村は昭和25年に長竿村と改称する。)
           源清田村立源清田小学校と改称する。
昭和30年      源清田村、長竿村、生板村が合併して河内村が誕生。
          河内村村立源清田小学校と改称する。
平成8年       河内村が町制施行し、河内町が誕生。
          河内町立源清田小学校と改称する。

そして、平成24年に長竿小学校と合併してみずほ小学校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、みずほ小学校の正門跡。

      20190120みずほ小学校01

すなわち、源清田小学校の正門跡でもあります。


門柱に残る表札。

      20190120みずほ小学校02



正面玄関。

      20190120みずほ小学校03



正面玄関の壁面には校訓?
『 共に生き、共に育つ 』

      20190120みずほ小学校04



こちらが校舎。

      20190120みずほ小学校05


鉄筋コンクリート製の3階建校舎。

      20190120みずほ小学校06

      20190120みずほ小学校07


校舎正面の国旗掲揚ポール。

      20190120みずほ小学校08


校舎の前の少女の像。

      20190120みずほ小学校09



廃校記念碑かと思ったら違っていた。

      20190120みずほ小学校10

源清田小学校の創立100周年の記念碑。
校歌の碑。


裏面には、沿革が刻まれています。

      20190120みずほ小学校11



こちらは、体育館。

      20190120みずほ小学校12


校庭。

      20190120みずほ小学校13


      20190120みずほ小学校14


他のワンちゃんか何かの匂いがするのか?

      20190120みずほ小学校15

やたらと匂い嗅ぎが忙しい びいすけ 。



校庭の遊具類。

      20190120みずほ小学校16


      20190120みずほ小学校17


      20190120みずほ小学校18


      20190120みずほ小学校19


朝礼台。

      20190120みずほ小学校20


残念ながら、廃校記念碑も二宮像も無い。
でも6年前に源清田小学校跡として訪れた時には
中に入れなかったみずほ小学校。
(さすがに、現役の小学校に平日の昼間に入る事は出来ません。)

まあ、6年越しでその全容が分かった訳だけど
いずれ廃校になる計画があったとしたのなら、
源清田小学校のままで良かったんしゃない?



2019/03/13 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...................楯縫神社 (2018年12月11日)(茨城県美浦村) 

12月11日

この日は、茨城県の霞ヶ浦周辺の御朱印巡りに出かけました。

とは言いながらも、最初に千葉県の富里市の香取神社に立ち寄り、
その後に向かった先は...................楯縫神社。


楯縫神社は、稲敷郡美浦村郷中に鎮座する神社です。


社伝によると、推古天皇十六年(608年)の創祀とされ、
御祭神である普都主命が兜楯を脱いで、この地に残された故事にちなんで
楯脱ぎ(楯縫)の社号となったと言われています。
式内社・楯縫神社に比定されている古社となります。

同名の神社が同じ美浦村信太にありますが、
郷中に鎮座するこちらの楯縫神社が
古来より信太郡一の宮として崇敬され、
境内北の方に、杉の巨木の根幹(径六メートル)があって、
「木原」の地名の起りともなったとされています。

御祭神は、普都主命。



こちらが社号標。


      20181211楯縫神社01


社頭の一の鳥居。

      20181211楯縫神社02



一の鳥居に掲げられた神額。

      20181211楯縫神社03



一の鳥居の脇には、美浦村教育委員会の設置した説明板。

      20181211楯縫神社04


鬱蒼とした木々が茂る中の参道。
奥に見えるのは二の鳥居。

      20181211楯縫神社05



さらにすすめば、社殿も見えて来ます。

      20181211楯縫神社06

って、完全に二の鳥居の写真を撮り忘れている...........



手水舎。

      20181211楯縫神社07


  

由緒書き。

      20181211楯縫神社08



拝殿前にて。

      20181211楯縫神社09



拝殿。

      20181211楯縫神社10



鬼瓦。

      20181211楯縫神社11



向拝の彫刻。

      20181211楯縫神社13


拝殿正面。

      20181211楯縫神社12


      
別アングルからの拝殿。

      20181211楯縫神社14


      20181211楯縫神社15



そして、こちらが本殿。

      20181211楯縫神社16



びいすけ
もしっかりと参拝。

      20181211楯縫神社17


境内社は祀られていないようですが
参道に小さな石祠が2つありました。

      20181211楯縫神社19



こちらは、小さな石仏。

       20181211楯縫神社18

石仏は1体だけ。
でもちょっとだけ神仏習合の名残りを感じます。
      



板碑。

      20181211楯縫神社20



古社であると同時に地域のランドマークのような存在だったのでしょう。
忠魂碑が建ち並びます。

      20181211楯縫神社21


      20181211楯縫神社22



拝殿脇の御神木。

      20181211楯縫神社23



この御神木が、『木原』の名の由来になった杉なのか?

        20181211楯縫神社24
      20181211楯縫神社25
          20181211楯縫神社26



こちらが、御朱印。

      20181211楯縫神社27


近くにお住まいの宮司さんの自宅にて拝受いたしました。




2019/01/27 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit