FC2ブログ

08 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 10

び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

坂濱天満神社 (2018年7月8日)(東京都稲城市) 

7月8日

この日は、稲城市に出かけました。

杉山神社をあとにして、次なる目的地を目指していたら
ナビが神社のシンボルである鳥居のマークを示した。
やがて右方向に立派な社殿が見えた。
当初の予定には無かったけれど、急遽立ち寄ることに。

立ち寄った先は...............坂濱天満神社。


坂濱天満神社は、稲城市坂浜に鎮座する神社です。

地頭の天野伝左衛門重政が、
元禄7年(1694)に創建したとされています。
昭和11年に、東部上野社、東部稲荷社、於部屋神明社、堂ヶ谷諏訪社、
上谷神明社を合祀したということです。

御祭神は、菅原道真公。


稲城市の鶴川街道の坂浜交差点から
平尾に抜ける道路脇に鎮座する坂浜天満神社。

こちらが、参道口。

      20180708坂濱天満神社01



神社幟の旗杭には、社号が刻まれています。

      20180708坂濱天満神社02



鳥居前の小ぶりな狛犬。

      20180708坂濱天満神社03


      20180708坂濱天満神社04



こちらが、鳥居。

      20180708坂濱天満神社05


鳥居に掲げられた神額。

      20180708坂濱天満神社08



鳥居脇には、稲城市教育委員会の設置した説明板。

      20180708坂濱天満神社06

稲城市のそれなりの神社の定番ですね。



参道には小さな手水鉢。

      20180708坂濱天満神社09

でも使われている形跡は感じられない。


参道には、以前の鳥居跡?

      20180708坂濱天満神社10



緩やかな台地を上る参道。
参道脇には土塁っぽい土壇もあり
城址の雰囲気も感じられる。

      20180708坂濱天満神社11


      20180708坂濱天満神社12

でも、この辺りに城址が在ったと言う情報はない。



神社の参道の定番、石段を上がります。

      20180708坂濱天満神社13



石段の先には社殿が現れます。

      20180708坂濱天満神社14



石段の先には3対の狛犬。

      20180708坂濱天満神社15


      20180708坂濱天満神社16


その脇には、手水舎。

      20180708坂濱天満神社17



こちらが、拝殿。

      20180708坂濱天満神社18



拝殿正面。

      20180708坂濱天満神社19


拝殿正面に掲げられた扁額。

      20180708坂濱天満神社20


拝殿側面には奉納者の名が記された扁額。

      20180708坂濱天満神社30



別アングルからの拝殿。

      20180708坂濱天満神社21


      20180708坂濱天満神社22


      20180708坂濱天満神社23



こちらが、本殿。

      20180708坂濱天満神社24



境内社。

      20180708坂濱天満神社25



絵馬奉納所。

      20180708坂濱天満神社27



拝殿の壁面に貼られた由緒書き。

      20180708坂濱天満神社28


こちらは、社務所。

      20180708坂濱天満神社26

どうやら、普段は無人のようです。
この後に訪れた穴澤天神社の神職さんに尋ねたら
穴澤天神社の兼務社だと言うことでした。

残念ながら、坂濱天神社の御朱印は無いとの事でした。








      


      
スポンサーサイト



2018/08/29 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り..................杉山神社 (2018年7月8日)(東京都稲城市) 

7月8日

この日は、稲城市に出かけました。


青渭神社をあとにして、向かった先は..................杉山神社。


杉山神社は、稲城市平尾に鎮座する神社です。

創建年代等は不詳ですが、江戸期には延徳4年(1492年)銘の懸仏が本尊で、
平尾の鎮守社だったと言われています。
大正8年、平尾村内にあった八坂神社、日吉神社を合祀したと言われています。

杉山神社は、旧武蔵国における式内社の一社とされますが、
その論社とされる神社は(杉山神社と称する神社は)、
現在の神奈川県横浜市を中心に数十社存在します。
稲城市平尾に鎮座するこの杉山神社もその論社の一つとされているようです。



こちらが、杉山神社の社号標。

      20180708杉山神社01



一の鳥居。

      20180708杉山神社02


一の鳥居に掲げられた神額。

      20180708杉山神社03



こちらにも在りました。

      20180708杉山神社04

一の鳥居脇に建てられた、統一化された稲城市教育委員会の説明板。
どうやら、稲城市では、それなりの神社にはこのタイプの説明板が
建てられているいるようです。


一の鳥居前の狛犬。

      20180708杉山神社05


      20180708杉山神社06


一の鳥居をくぐって、参道を進みます。


かつての御神木でしょうか?

      20180708杉山神社07

切り株に腐らないようにカバーしてが掛けられ
注連縄が巻かれています。


小ぶりな手水舎。

      20180708杉山神社08


参道には、立派な記念碑も建っています。

      20180708杉山神社22


参道の幟。

      20180708杉山神社24



参道は石段へと変わります。

      20180708杉山神社09



二の鳥居。

      20180708杉山神社10


ここにも小ぶりな手水舎。

      20180708杉山神社11


石段を上がった先は社殿。

      20180708杉山神社12


拝殿近くには、立派な手水舎。

      20180708杉山神社13



こちらが、拝殿。

      20180708杉山神社14



拝殿正面。

      20180708杉山神社15


別アングルからの拝殿。

      20180708杉山神社16


      20180708杉山神社17



杉山神社の提灯。

      20180708杉山神社18


      20180708杉山神社19



こちらが、本殿。

      20180708杉山神社20



神輿庫。

      20180708杉山神社21


こちらご、社務所&授与所。

      20180708杉山神社23

無人かと思ったら、神職さんが居られました。

御朱印をお願いしたら、快諾していただきました。
ラッキー!
ネットの先人者のブログでは、本務社の穴澤天神社で拝受出来ると書いてあったので
ちょっと得した気分。
      


こちらが、杉山神社の御朱印。

      20180708杉山神社25


御朱印をいただいた後も、しばらく神職さんと話をさせていただき
大変貴重な時間を過ごす事が出来ました。
ありがとうございました。





2018/08/29 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り..................青渭神社 (2018年7月8日)(東京都稲城市) 

7月8日

この日は、稲城市に出かけました。


大麻止乃豆乃天神社をあとにして、向かった先は...............青渭神社。

青渭神社は、稲城市東長沼に鎮座する神社です。

東京都の旧武蔵国多摩郡にある神社で、
延喜式神名帳に「武蔵國多磨郡 青渭神社」として記載されていますが、
式内・青渭神社の論社は稲城市東長沼、調布市深大寺、青梅市沢井の三社があります。

論社とは、延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』に指定されていた全国の神社一覧の中で
似たような名前があって、一つの式内社に対して複数の候補が存在している場合、
その神社を「論社」と呼びます。

先日、青梅市の青渭神社は既に参拝しているので(と言っても里宮のみ)
こちらの青渭神社が二つ目の論社となります。

創建年代は不明ですが、
伝承では弘仁年間(810年 〜824年)の創建とされ、
鎮座地付近には、その昔に大きな青い沼があり、
その神霊を祀ったことが起源とされ、
「大沼明神」「青沼大明神」と称されていたそうです。

御祭神は、青渭神・猿田彦命・天鈿女命



青渭神社の社号標。

      20180708青渭神社01



社号標脇には、小さいながらも神橋。

      20180708青渭神社02



そして、一の鳥居。

      20180708青渭神社03



その脇には、稲城市教育委員会が建てた説明板。

      20180708青渭神社04



社殿へと続く参道。

      20180708青渭神社05



二の鳥居。

      20180708青渭神社06



参道の狛犬。

      20180708青渭神社07


      20180708青渭神社08


手水舎。

      20180708青渭神社09



手水舎の脇には、もう一対の狛犬。

      20180708青渭神社10


      20180708青渭神社11



こちらが、拝殿。

      20180708青渭神社12


拝殿正面。

      20180708青渭神社13


      20180708青渭神社14


      20180708青渭神社15



別アングルからの拝殿。

      20180708青渭神社16


      20180708青渭神社17



こちらが、本殿。

      20180708青渭神社18



拝殿前には、由緒書き。

      20180708青渭神社19



拝殿前には二枚の説明板。


その1枚。

      20180708青渭神社20

何と、青渭神社が鎮座する辺りは、東京の梨栽培の起源地らしい。
そういえば、稲城って梨の名産地だもんね。


さらにもう一枚。

      20180708青渭神社21

こちらは、青渭神社の獅子舞について触れています。
毎年10月1日の祭礼で奉納される獅子舞は、
稲城市の文化財に指定されているそうです。



境内社。

      20180708青渭神社22


      20180708青渭神社23




人の居ない静かな境内。

      20180708青渭神社24
      20180708青渭神社25
      20180708青渭神社26


      20180708青渭神社29
      20180708青渭神社28


社務所には誰もが居なく、本殿背後の宮司さん宅にて
御朱印は拝受出来ます。


こちらが、青渭神社の御朱印。

      20180708青渭神社27


御朱印、ありがたく頂戴いたしました。


2018/08/28 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡..................大麻止乃豆乃天神社 (2018年7月8日)(東京都稲城市) 

7月8日

この日は、稲城市に出かけました。

元々は、この日の夕方に八王子の実家に行くはずでしたが
急遽、午後イチに稲城市に着くようにと出発。
と、言うのも稲城にある神社の本務社が中野区にあると言うことで、
本務社の中野区の神社に問い合わせをしたら、
宮司さんが、この日の午後2時ぐらいまでなら、
稲城市の神社にいらっしゃると言うことで
急遽の稲城市行きとなりました。

向かった先は.............大麻止乃豆乃天神社。


大麻止乃豆乃天神社は、稲城市大丸に鎮座する神社です。

そもそも何と読むのかも難解な社号。
『おおまとのつのてんじんしゃ』 と読むそうです。

創建年代は不詳ですが、
延長5年(927年)に作成された延喜式神名帳に記載されている多摩八座のうちの
一社である大麻止乃豆乃天神社と比定されているようです。
しかし、式内・大麻止乃豆乃天神社については、
青梅市の武蔵御嶽神社も論社となっており、
明治初年には武蔵御嶽神社が大麻止乃豆乃天神社と称していたことから
式内社については、諸説があるようです。
社号の「大麻止乃豆(おおまとのつ)」は、多摩川の渡津の意「大真門の津」とする説のほか、
祭神名からという説があるようです。

御祭神は、櫛真智命(くしまちのみこと)



こちらが、大麻止乃豆乃天神社の社号標。

      20180708大麻止乃豆乃天神社01



何と、いきなりこんな看板が目に入りました。

      20180708大麻止乃豆乃天神社02

びいすけ には、申し訳ないけれど
車の中で待機(留守番)してもらいます。


境内社である津島神社の例祭が翌週と言う事で
その準備で宮司さんが今日は居るらしい。

      20180708大麻止乃豆乃天神社03



参道口には、稲城市の教育委員会が建てた説明板。

      20180708大麻止乃豆乃天神社04


どうやら、宮司さんはまだ到着していないようで
今の内に参拝しちゃいましょう。

元気よく石段を駆け上がって行きます。

      20180708大麻止乃豆乃天神社05


      20180708大麻止乃豆乃天神社06


こちらが、鳥居。

      20180708大麻止乃豆乃天神社07


鳥居に掲げられた神額。

      20180708大麻止乃豆乃天神社08



参道の狛犬。

      20180708大麻止乃豆乃天神社09


      20180708大麻止乃豆乃天神社10



手水舎。

      20180708大麻止乃豆乃天神社11



手水舎の先は、さらに石段。

      20180708大麻止乃豆乃天神社12



意外に長い石段。

      20180708大麻止乃豆乃天神社13


石段の途中にある狛犬。

      20180708大麻止乃豆乃天神社14


      20180708大麻止乃豆乃天神社15



石段を上りきれば、目の前に現れる社殿。

      20180708大麻止乃豆乃天神社16



拝殿正面。

      20180708大麻止乃豆乃天神社17



別アングルからの拝殿。

      20180708大麻止乃豆乃天神社18


      20180708大麻止乃豆乃天神社19



こちらは、本殿。

      20180708大麻止乃豆乃天神社21



境内社。

      20180708大麻止乃豆乃天神社23


      20180708大麻止乃豆乃天神社22


      20180708大麻止乃豆乃天神社24


      20180708大麻止乃豆乃天神社25


このあと無事、宮司さんと合流出来ましたが、何と宮司さんが肝心の御朱印を忘れてしまったと言う。

えっ! まさか!!


宮司さんも恐縮して、御朱印帳を預からせてくれれば
御朱印を押して郵送していただけると言ってくれましたが
流石にそれは申し訳なく、後日、本務社のほうで頂く事にいたしました。

宮司さんが気を使っていただき、わざわざ千葉からお参りに来てくれたんだからと
特別に覆囲の本殿に入れていただきました。
そして、本殿前でお祓いもしていただきました。

流石に本殿の写真は恐縮して撮れませんでしたが
氏子でも無いのに、大変貴重な体験をしました。
また、本殿の彫刻は大変素晴らしく、良いモノを見せてもらいました。
高速をすっ飛ばして稲城までやって来た甲斐がありました。


こちらが、後日拝受した御朱印。
本務社の中野区に鎮座する神明氷川神社にて拝受しました。

      20180708大麻止乃豆乃天神社29


日付けは参拝時に合わせていただきました。
ありがとうございました。


2018/08/28 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............................稲城第八小学校 (2016年4月23日)(東京都稲城市) 

4月23日 公休日


この日は稲城市に出かけました。

大丸城址をあとにして、向かった先は...............稲城市立稲城第八小学校




第八小学校は

昭和51年稲城市立稲城第八小学校として開校。
平成14年稲城第五小学校と稲城第八小学校が統合して
新たに平尾小学校が設立(稲城第五小学校の敷地を利用)。
稲城第五小学校と稲城第八小学校は廃校となる。


と、このような沿革となっています。

たった数行の沿革ですが、そこには昭和45年に建設された平尾団地によって地区の人口増加により
平尾地区に新たな小学校が建設されたものと推測されます。
その後、約30年経ち平尾地区の人口も減り、少子化の流れの中で
第五小学校と第八小学校が統合されてしまったものと推測されます。

廃校となった稲城第八小学校は『ふれんど平尾』と言う市民の福祉の増進を図り、
もって魅力ある豊かな地域社会の形成に寄与するため、小学校の施設を利用して
複合施設として活用されています。



こちらが正門。

      20160423稲城第八小学校01



現在は、『ふれんど平尾』と言う複合施設として利用されているから
門には、当然表札は付け替えられています。

      20160423稲城第八小学校02



鉄筋コンクリート4階建の校舎はそのまま流用。

      20160423稲城第八小学校03


      20160423稲城第八小学校04


      20160423稲城第八小学校05



こちらは、体育館。

      20160423稲城第八小学校06



校庭。

      20160423稲城第八小学校07

校庭には遊具類が全く残されていません。


こちらも別な校舎。
校庭に面した2階建の校舎。

      20160423稲城第八小学校08



建物は残っているけれど、廃校記念碑や二ノ宮像が見当たらない。
4階建校舎前の中庭に移動してみます。

      20160423稲城第八小学校09



過去の経験から、校舎前に二ノ宮像が有ったりするんだけど
やっぱり見つかりません。

      20160423稲城第八小学校10


中庭を進んで行けば、やがて裏門(通用口?)

      20160423稲城第八小学校11


      
門の脇にある桜の木もすっかり葉桜です。

      20160423稲城第八小学校12


      20160423稲城第八小学校13


立派な桜の木の脇に建つ標柱。

      20160423稲城第八小学校14

廃校の碑かと思ったら、緯度・経度、そして標高が記された碑でした。


結局、学校遺構を見つけることは出来ませんでした。
ある意味、完全に『ふれんど平尾』と言う複合施設に生まれ変わっていると言うことでしょうか?
廃校の再利用の成果は別として、取り組みの成功例になるのでしょうか?
でも、この稲城第八小学校の卒業生の立場に立ったとしたら、
何か一つぐらい残して欲しかったんじゃないのかな...............?





2016/05/14 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

大丸城址 (2016年4月23日)(東京都稲城市) 

4月23日 公休日

この日は、稲城市周辺の城址巡りに出かけました。

長沼城址をあとにして、向かった先は...............大丸城址



大丸城は

中世の時代に築かれた大丸城は山頂部に主郭を置く山城である。
主郭上には小建物跡と柵列跡があり、
主郭の周りには深さ2m~3mの空堀と土塁状の腰曲輪(第二郭)が廻っていた。
この結果見張り台程度の規模の山城で、
南北朝時代から戦国時代(14~16世紀)頃使われた事があきらかになった。                         
(現地説明板より)



残念ながら、この大丸城も多摩ニュータウンの開発時に
台地ごとゴッソリと削り取られ、遺構は全く存在しません。

閑静な住宅街の一角に城址説明板が建っています。

      20160423大丸城址01


こちらが、その城址説明板。

      20160423大丸城祉02


      20160423大丸城址03



説明板には、発掘調査時の航空写真と縄張り図が載っています。

こちらが、航空写真。

      20160423大丸城址04


そして、こちらが縄張り図。

      20160423大丸城址05



縄張り図を見ると、悲しくなってきます。
と言うのも、ご覧のように周辺は完全な住宅地。

      20160423大丸城址06


全く、面影はありません。

      20160423大丸城址07

説明板が無ければ、城址だったと言う事さえわからない。


まぁ、宅地開発前にじっくり発掘調査をしたことだけが唯一の救いかもしれない。
しかし、多摩ニュータウンの造成時に数多くの城址・城館跡が壊され、削られ、湮滅したことだろう。
残念と言うのもありふれているけれど、やっぱり残念です。



おまけ。

今回は時間が無かったから、中まで入って探索、散策しなかったけれど
少し離れた場所にある城山公園。

      20160423大丸城址08


      20160423大丸城址09

城址が公園? って勘違いしそうだけど
城址では無い。

かなり広そうな公園。
いつか時間があったら、じっくりと散策してみよう..............................。








2016/05/13 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

長沼城址 (2016年4月23日)(東京都稲城市) 

4月23日 公休日

この日は、稲城市周辺の城址巡りをしました。


小沢蔵屋敷跡をあとにして、向かった先は...............長沼城址



長沼城の歴史は古く、鎌倉時代に源頼朝に仕えた長沼五郎宗政の城(館)跡とされています。
ただ今は石碑をわずかに残すのみ。
そして、その石碑も本来の城郭の在った場所からかなり離れた場所に設置されています。
かつては城跡に報恩寺が建てられたそうですが、それも明治30年に廃されてしまったそうです。
小沢城址の西、かつては亀山と呼ばれた張り出た尾根は、多摩ニュータウン開発などにより削られ、
京王相模原線の跨線橋が出来てしまい、郭が在ったとされる場所は、
京王稲城駅として区画整備されてしまいました。

長沼氏は武蔵七党の流れをくむ一族であると伝わるそうですが、
城の歴史や構造など含め詳細は不明となっています。



長沼城の郭跡とされる台地。
現在は、京王相模原線稲城駅のロータリーと化しています。

      20160423長沼城址04


長沼城(別名 亀山城)の在った台地そのものが造成されて改変してしまいました。

駅前のロータリーには、造成時の竣功記念の碑が建てられています。

      20160423長沼城址02


      20160423長沼城址03



駅前には、マンションも建てられ、城址の面影は全く無い。

      20160423長沼城址05



唯一、長沼城址の名残を残すのは、こちらの橋。

      20160423長沼城址06

下を京王相模原線が走る跨線橋。


その名もズバリ!

『城址橋』

      20160423長沼城址07


      20160423長沼城址08


      20160423長沼城址09



一応、城址碑も建てられていますが、郭跡からは300mほど離れた台地下部。
鶴川街道沿いの河川沿いに建てられています。

      20160423長沼城址10

城址碑の碑文によれば、
江戸時代に建立され、明治に廃寺となった『報恩寺』の跡でもあるらしい。


      20160423長沼城址11


      20160423長沼城址12


せめて、この城址碑を駅前のロータリーに建てることは出来なかったのだろうか?
多いなる疑問です..............................。






2016/05/13 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

小沢蔵屋敷跡 (2016年4月23日)(東京都稲城市) 

4月23日 公休日

この日は、稲城市周辺の城址巡りに出かけました。


穴澤天神社をあとにして、向かった先は...............小沢蔵屋敷跡


新編武蔵国風土記稿に「旧跡、小沢蔵屋舗、小名谷戸の内、国安社の北の山間に在」と記載されており、
京王相模原線よみうりランド駅近くの妙覚寺の付近が小沢蔵屋敷とされています。
小沢蔵屋敷は、応安年間(1368年~1374年)頃の人物とされる小沢国高(小沢左衛門尉国高)が築いたとされますが
詳細は不明です。


こちらが、小沢蔵屋敷跡とされる妙覚寺。

      20160423小沢蔵屋敷跡01


      20160423小沢蔵屋敷跡02
      


入口には、稲城市の建てた説明板。

      20160423小沢蔵屋敷跡03

残念ながら、小沢蔵屋敷については一言も触れていません。


そして、城館跡としての遺構は残されていないと言うことです。

かろうじて、この辺りがかつての城館を彷彿させる佇まいでしょうか?

      20160423小沢蔵屋敷跡04



こちらが、妙覚寺の山門。

      20160423小沢蔵屋敷跡05



こちらが本堂。

      20160423小沢蔵屋敷跡06



こちらにも筆塚がありました。

      20160423小沢蔵屋敷跡07

穴澤天神社にも有ったけど、稲城には筆が多い?



筆塚の脇には、不動明王。

      20160423小沢蔵屋敷跡08



石段を上った先には、松荘堂。

      20160423小沢蔵屋敷跡09



さらに、その先の石段を上れば、そこは墓地。
墓地の一画に建てられた板碑。

      20160423小沢蔵屋敷跡10


      20160423小沢蔵屋敷跡11

この板碑は、稲城市の指定文化財になっています。




鐘楼。

      20160423小沢蔵屋敷跡12




墓地のある台地は妙覚寺の本堂を囲むような馬蹄形をしており、
その先へと進んでみます。

      20160423小沢蔵屋敷跡13



物見台のような土壇。

      20160423小沢蔵屋敷跡14



その下には空堀のような窪み。

      20160423小沢蔵屋敷跡15

ひょっとしたら、遺構?


さらに先へと進んでみますが、やがて生い茂る藪が行く手を遮ります。

      20160423小沢蔵屋敷跡16

ここは潔く断念します。


結局、台地上部の墓地の先(奥)に、遺構らしきモノはあるけど
確たる証しはなく、やっぱり遺構は無いのだろうか?
かなり改変されてしまっているから、確認のしようがないけど
寺院に変貌した城館跡って、こんなモノかな...............?




2016/05/12 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

穴澤天神社    (2016年4月23日)(東京都稲城市) 

4月23日  公休日

この日は、稲城市周辺の城址巡りに出かけました。

稲城市と川崎市の境界近くにある小沢城址が、穴澤天神社のある台地にあるため
穴澤天神社の境内からアプローチしました。
せっかく、穴澤天神社の境内まで来て、素通りするのも芸が無い。
と言うわけで、立ち寄ってみました。



穴澤天神社の主祭神は、少彦名大神を御祀りした社である。
創立は孝安天皇4年3月で、後に元禄7年社殿を改修し、菅原道真公を合祀する。
例大祭は毎年8月25日で、当日は神職山本家に伝わる、武蔵流の指定文化財、江戸の里神楽が奉奏され、
又、三頭の獅子と天狗により、神社入口の石段を、舞いながら勇壮に登る、市指定の獅子舞が奉納される。
境内には江戸時代の終わり頃に、筆学を業とした原田金陵の功績をたたえて建てられた、市指定文化財の筆塚がある。
現在の社殿は昭和61年12月に修復した。

(稲城市掲示より)



京王相模原線の高架下をくぐり、穴澤天神社へと向かい向かいます。

       20160423穴澤天神社01



車で走るには ?と思うような坂を上って行きます。

       20160423穴澤天神社10



こちらは、台地下にある鳥居。

こちらが、本来の山道のようです。
急な石段を上って行くことになります。

       20160423穴澤天神社02



穴澤天神社の境内。

       20160423穴澤天神社03



こちらが、拝殿。

      20160423穴澤天神社04



拝殿に掲げられた神額。

      20160423穴澤天神社05




こちらは、神楽殿。

      20160423穴澤天神社06

この神楽殿で稲城市指定の獅子舞が奉納されるようです。



神楽殿の扁額。

      20160423穴澤天神社07



天神社(天満宮)と言えば梅の花。
神紋は梅の花です。

      20160423穴澤天神社08



こちらは、稲城市指定文化財の筆塚。

      20160423穴澤天神社09


この時は気づかなかった(と言うより先を急いでいたため、細部まで回らなかった)けど
あとでネットで調べたら、この穴澤天神社には、有名な湧き水があるらしい。

境内直下の崖下に、奥行き10メートルほどの洞窟があり、
洞窟への入り口には鳥居が立っているらしい。
祠からは東京の名湧水57選に選ばれている湧水が湧き出ており、
これを汲みに来る者が絶えないらしい。
この洞窟は胎蔵界、金剛界と呼ばれ、
威光寺の弁天洞窟の十五童子の石仏が以前はここに安置されていたとのことです。

う〜む、気づかなかったとは言え、見逃したのは残念です。
いつか機会があれば、その湧水を覗いて来よう。




2016/05/12 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit