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び・び・びのびいすけ

茨城百景  《 水郷麻生 》   (2016年11月12日)(茨城県行方市) 

11月12日  公休日

この日は、茨城県の行方市、及び霞ケ浦周辺の茨城百景巡りに出かけました。


茨城百景とは、茨城県観光審議会によって昭和25年に選出された
茨城有数の景勝地が100ヶ所網羅されています。
時代の移り変わりにより、形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。
ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。

実は、私もその一人であり、最近になって茨城百景を追いかけることにいたしました。

そんな訳で、西蓮寺をあとにして向かった先は...............茨城百景 水郷麻生



『茨城百景 水郷麻生』の碑は、
霞ケ浦湖畔の八坂神社の境内に在るとの事なので
八坂神社を目指します。

こちらが八坂神社。

       20161112茨城百景 水郷麻生01


湖畔にある神社で敷地はさほど広くはない。
1612年に麻生藩主となった新庄氏が、
麻生藩の総鎮守として建立したと言われています。

       20161112茨城百景 水郷麻生04




しかしながら、この八坂神社は全国的にも珍しい祭りで有名らしい。
『麻生祗園馬出し祭』と呼ばれる祭りは、行方市の無形文化財に指定されているようです。

       20161112茨城百景 水郷麻生02



八坂神社の境内で馬と神輿が勇ましい戦いを繰り広げた後、
神輿が霞ヶ浦の中で揉まれると言う祭りらしい。

この狭い境内を馬と神輿が絡まると言うのか?

       20161112茨城百景 水郷麻生03

確かに細長い境内は、馬が走るには都合が良い。

       


境内の一画に建つ『茨城百景』の碑。

       20161112茨城百景 水郷麻生05


       20161112茨城百景 水郷麻生06



百景の碑のすぐは近くに建つ碑。

       20161112茨城百景 水郷麻生07

『茨城45景當選記念塔』と刻まれています。


この八坂神社の在る地は『茨城百景』でありますが
『茨城45景』の地でもあるようです。

ちなみに『茨城45景』とは、
昭和10年に茨城新聞社が創立45周年を記念して行った事業で、
県民投票によって選ばれた45カ所の景勝地と言うことらしい。
昭和10年って、今から80年以上も前の話。


80年前と変わっていないんだろうか?

       20161112茨城百景 水郷麻生08



麻生の地の霞ケ浦の湖畔を大王崎と言うらしい。

       20161112茨城百景 水郷麻生09

そもそも、『麻生祇園馬出し祭り』では馬をヤマタノオロチ、
神輿をスサノオに見立てていると言われています。
八坂神社の祭神は須佐之男命(スサノオノミコト)であることから
馬と神輿が戦うことによってヤマタノオロチとスサノオの戦いを表しているとされています。

しかし、元々は八坂神社の祭神は牛頭天王と呼ばれる祭神でしたが
明治政府の神仏分離令により、牛頭天王の『天王』が天皇と同じ読みのため、
スサノオが八坂神社の祭神となったと言うことらしい。
そして、八坂神社が鎮座する地名を牛頭天王から天王崎と呼ぶようになったらしい。



拝殿前にて。

       20161112茨城百景 水郷麻生10


こちらが拝殿。

       20161112茨城百景 水郷麻生11



八坂神社に因んだもう一つの指定文化財。
獅子頭の標柱。

       20161112茨城百景 水郷麻生12

『麻生祇園馬出し祭り』では、昭和20年頃まで、船材の厚板で船大工が頑丈に作った神輿に
獅子頭を奉収して、しめ縄を幾重にも巻き付けました。
御幣を先頭に、子供たちが神輿を担ぎ、家々の庭先で荒々しく叩きつけ、
家庭から疫病を防ぎ、災厄を免れるよう雄叫びをあげて走ったそうです。
毎年、これを繰り返し、獅子の下顎と両耳は欠落しまったそうです。

今では『麻生祇園馬出し祭り』の際に拝殿に飾られるそうです。



麻生八坂神社の境内には句碑が多い。

      20161112茨城百景 水郷麻生13


      20161112茨城百景 水郷麻生14


      20161112茨城百景 水郷麻生15




霞ケ浦の湖畔に隣接しているから
八坂神社からサイクリングロードを挟んで、すぐに湖畔なります。

      20161112茨城百景 水郷麻生16




かつては、湖水浴場だった浜辺。

      20161112茨城百景 水郷麻生17

この景観が茨城百景に選定されたんでしょうね


そして、『麻生祇園馬出し祭り』では、
この浜辺に神輿が揉まれているそうです。

      20161112茨城百景 水郷麻生18


      20161112茨城百景 水郷麻生19


機会があったら、『麻生祇園馬出し祭り』も見に来れたらいいなぁ。



2016/11/30 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 西連寺 》   (2016年11月12日)(茨城県行方市) 

11月12日  公休日

この日は、茨城県の行方市周辺の茨城百景巡りに出かけました。


茨城百景とは、茨城県観光審議会によって昭和25年に選出された
茨城有数の景勝地が100ヶ所網羅されています。
時代の移り変わりにより、形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。
ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。

実は、私もその一人であり、最近になって茨城百景を追いかけることにいたしました。

そんな訳で、向かった先は...............茨城百景 西蓮寺



西蓮寺は、延暦元年(782年)に創建と伝えらる古刹で、天台宗の寺院です。
山号は尸羅慶台上山。
院号は曼珠院。
本尊は薬師如来。

西蓮寺は、数多くの文化財を持っています。
その一つである仁王門は、天文12年(1543年)建立されたものです。
当初は楼門として造られ、寛政2年(1790年)山門に造り替えられ、
更には、再び仁王門に改められて現在に至っているそうです。

また、西蓮寺の大銀杏は茨城県の指定天然記念物に指定されていて、
樹齢1,000年といわれる大木です。
秋の黄葉は見応えがあり、境内が銀杏の黄葉で覆われ、
多くの人がその黄金色の絨毯を眺めに来るそうです。

そして、西蓮寺のもう一つの重要文化財は相輪橖です。
比叡山延暦寺の相輪橖、日光輪王寺の相輪橖、そして西蓮寺の相輪橖が
日本三相輪橖と呼ばれているそうです。



本堂裏の駐車場に車を停めて西蓮寺に向かいます。

      20161112茨城百景 西連寺01




この先が本堂。

      20161112茨城百景 西連寺03



こちらが、本堂。

      20161112茨城百景 西連寺04


本堂に掲げられた扁額。

      20161112茨城百景 西連寺05

院号の『曼殊院』。



なぜか、七福神の幟。

      20161112茨城百景 西連寺02

どうやら常陸七福神と言うモノがあり、その内の一つらしい。




境内でひときわ目を張る大銀杏。

      20161112茨城百景 西連寺07

黄葉の時期にはまだ早く、完全な緑色の世界。
半月以上早かったか...............?



実は大銀杏早かったか1本だけじゃなく、2本在る。

      20161112茨城百景 西連寺06

前掲の大銀杏は2号。
      


そして、こちらが1号。

      20161112茨城百景 西連寺08

いずれにしても、推定樹齢約1000年と言うからとにかくデカい。


大銀杏の脇には鐘楼。

      20161112茨城百景 西連寺09

これがまた、いい雰囲気。



大銀杏と鐘楼がマッチング。

      20161112茨城百景 西連寺10

これで大銀杏が色付いていれば最高ですね。




こちらは、常行堂

      20161112茨城百景 西連寺11

西蓮寺では、伝統行事である常行三昧会が9月24日~30日に執り行われます。
寛治年間(1087~94)に地元の長者が比叡山より移したものとされ、
西蓮寺の末寺、門徒寺の僧侶が常行堂に集まり、7日7夜にわたって堂内を廻りながら
独特の節回しで立行誦経する大法要です。
『常陸高野』と呼ばれるように、この法要は『仏立て』と言われ、
宗旨の別もなく、近郷近在はもとより遠隔地から新仏の供養に参詣人が訪れるそうです。






こちらは、薬師堂。

      20161112茨城百景 西連寺14

西蓮寺の本尊である薬師如来の説明板

      20161112茨城百景 西連寺12


薬師如来は奥の収納庫に安置されているらしい。

      20161112茨城百景 西連寺13


      



国指定重要文化財の相輪橖。

      20161112茨城百景 西連寺15


ソウリンの説明板。

      20161112茨城百景 西連寺16

相輪橖は元寇(弘安の役)の戦勝を祈念して、
弘安十年(1287)に建立したものとして伝えられているそうです。




こちらは、西蓮寺の説明板(案内板)

      20161112茨城百景 西連寺17



説明板の正面が山百合の里の入口。

      20161112茨城百景 西連寺18

山全体に自生する山百合が7月の中旬~下旬に咲くらしい。
今回は時季外れなのでパスしましょう。

また、9月下旬には約10万本の彼岸花が見頃となるらしい。
これは、来年の見頃の時期は要チェックですね。


背後のスダジイ(?)

      20161112茨城百景 西連寺25

幹が折れちゃっているけど、これもかなりの古木だったはず。



こちらが国指定重要文化財の仁王門。

      20161112茨城百景 西連寺19


      20161112茨城百景 西連寺20



正面から眺めると、それなりの風格があります。

      20161112茨城百景 西連寺21



仁王門に掲げられた扁額。

      20161112茨城百景 西連寺22

カスれた文字が長い年月を感じさせてくれます。


仁王門の脇に建つ石碑。

      20161112茨城百景 西連寺23

てっきり『茨城百景』の碑かと思ったら違っていました。



茨城百景の碑を探していると、
仁王門前の売店(?)には、こんなモノが...............

      20161112茨城百景 西連寺24

確かに西蓮寺は七福神の一つらしいが、確か『寿老人』のはず?
これって、『大黒天』だし(笑)。



さらに、仁王門の先の参道を歩いていると石碑を発見!

      20161112茨城百景 西連寺29

でもこれも探している『茨城百景』の碑ではない。
なかなか、茨城百景の碑は見つかりません。



諦めて移動をしていると、西蓮寺の仁王門から距離にして1kmほど。
西蓮寺から下って来て、県道183号との合流点近く。

画面の真ん中辺りに石碑が見えます。

      20161112茨城百景 西連寺26



探していた『茨城百景 西蓮寺』の碑。

      20161112茨城百景 西連寺27


      20161112茨城百景 西連寺28


さすがに、こんな場所にあるとは思いませんでした。
なぜ、西蓮寺の敷地内とか、参道入口に建てなかったんだろう...............?


石碑の隣は、廃路線になったバス停だから
バスを使って西蓮寺に訪れる人に
分かりやすいようにしていたのだろうか...............?

ちょっぴり疑問です。






2016/11/29 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 化蘇稲荷神社 》   (2016年11月12日)(茨城県行方市) 

11月12日  公休日

この日は、茨城県の行方市周辺の茨城百景巡りに出かけました。


茨城百景とは、茨城県観光審議会によって昭和25年に選出された
茨城有数の景勝地が100ヶ所網羅されています。
時代の移り変わりにより、形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。
ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。

実は、私もその一人であり、最近になって茨城百景を追いかけることにいたしました。

そんな訳で、この日最初に向かったのは...............茨城百景 化蘇沼稲荷


化蘇沼稲荷とは、北浦村(現:行方市)内宿に在る化蘇沼稲荷神社のことで
文明10年(1478)の創建と伝えられています。
「関取稲荷」の別名があり、古くから豊作祈願の行事として奉納相撲が行われることで有名です。
この相撲は取り組む力士を田と畑に見立て、
勝ったほうの作物(稲作か畑作か)が豊作になるといわれています。
天保年間(1830~1844年)に江戸相撲で活躍した当町出身の鹿島灘鰐右衛門(四代目秀ノ山親方)が
奉納相撲をしたことで一段と盛んになったということです。
 
現在も毎年8月25日の夏祭りにこの相撲が氏子地区対抗戦の形で行われ、人気を呼んでいます。
夏祭りには、このほか巫女舞が奉納されます。
当番地区内の小学6年生の女子が雅楽に合せて古式ゆかしく舞うもので、
昭和21年から行われているそうです。


県道184号線を旧・武田小学校方面から北上すると
右カーブの先に鳥居が見えてきます。
 
      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社01



鳥居の脇にひっそりと建つ茨城百景の碑。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社02



裏面には昭和25年5月選定と刻まれています。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社03



思いのほか、簡単に見つかった茨城百景の碑。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社04



真新しい木の鳥居は、東日本大震災で石造りの鳥居が崩壊してしまったために
新しく作り直されたモノらしい。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社05



この道を真っ直ぐに行けば、化蘇沼稲荷神社。
いわゆる参道です。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社06


参道の両脇には古い桜の木々。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社07

春は桜の名所かも知れない。


参道からは、筑波山も見えたりして
なかなか風光明媚な場所にようです。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社08


参道の奥は、化蘇沼稲荷神社。
石造りの二の鳥居が出迎えてくれます。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社09



鳥居脇の説明板。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社10

今でこそ行方市ですが、茨城百景が選定された昭和25年当時は武田村。
昭和30年に北浦村となり、平成9年に北浦町。
平成17年に行方市と変遷しています。



鳥居前にて一枚パチリ。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社11


こちらが拝殿。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社12


拝殿前のお稲荷さんと一枚パチリ。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社13


何やら、不思議な像。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社14

どうやら寸津比古(きつひこ)・寸津比売(きつひめ)の彫刻らしい。



像の脇には説明板。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社15

説明板には、常陸風土記の行方の芸都(きつ)の里の話が書かれています。
要約すれば...............

昔、この辺りを芸都(きつ)の里と呼び、寸津比古、寸津比売と言う二人の国栖(くず)が居ました。
寸津比古は、倭武天皇の巡幸を前にして、命に逆らい、はなはだ無礼な振る舞いをしたので、
剣の一太刀で討たれてしまいました。
寸津比売は、恐れをなして白旗をかかげて道端にひれ伏し、天皇を迎えました。
それを見た天皇は憐れみ、その家をお許しになられました。
更に乗輿を進め、小抜野の仮宮に行かれるときに、寸津比売は、姉妹をともに引き連れ、
雨の日も風の日も、真の心を尽くして朝夕に仕えました。
天皇姿をお喜びになり愛しくなったことから、
この野をうるはしの小野と呼ぶようになったと言うことです。



常陸の国は常陸国風土記から常世の国とも呼ばれていて、
その語源は「面積はすこぶる広大で、境界もまたはるかに遠く、
土壌は肥えに肥え、原野はゆたかなうえにも豊かです。
耕し墾かれた処と海山の幸にめぐまれて、人々は心やすらかに満足し、
家々は充ち足りて賑わっていました。
いわゆる、海の宝庫・陸の宝蔵、膏したたる物産の楽土である
ゆえに、常世の国と言われた」 と伝わっているようです。

常陸の国って奥が深いかも?





境内でひときわ目立つ巨木。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社16

この巨木(古木)はモミの木で、幹回り約4m、樹高約16m、樹齢は約360年と言われていて、
北浦村(現:行方市)の天然記念物に指定されているようです。


行方市教育委員会の説明板。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社17



別アングルから見ても、やっぱり大きい。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社18


北浦村時代の標柱。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社19



こちらの樹は、今の平成天皇が皇太子の時に植えられた楠木らしい。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社20



本殿のさらに奥には、土俵。

      20161112茨城百景 化蘇稲荷神社21

この場所で夏祭りに際に奉納相撲が行われます。
化蘇沼稲荷神社は別名「関取稲荷」といわれるようで、昔から相撲が盛んだったようです。


古くは三宿と呼ばれ(武田、内宿、両宿)賑わいをみせていたようです。
特にこの化蘇沼稲荷神社は江戸中期以降、参拝者が増え
境内には9軒の茶屋が誕生したそうです。
「お江戸見たけりゃ武田へおいで、武田三宿江戸勝り」
と人々が唄うまでになったそうです。

現在の長閑なこの地区からは、とても考えられませんね。


2016/11/25 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

温泉神社 (2016年11月1日)(栃木県那須郡那須町) 

11月1日 公休日

11月1日〜2日、個人的な連休を利用して
1泊2日で栃木県の那須に出かけました。




那須町にある『殺生石』のさらに奥に進むと
こんな説明板が眼に入って来ます。

      20161101温泉神社01


県道で那須温泉にある向かって来ると
手前に温泉神社が在り、その先に殺生石が在ります。


殺生石から左側の山道を登って行けば
『温泉神社』に行けるようです。

      20161101温泉神社02



それでは、温泉神社に行ってみましょう。

      20161101温泉神社03



目の前に現れた鳥居。

      20161101温泉神社04

しかし、こちら側が正規の参道ではありません。
さしずめ、裏参道だから、裏鳥居と言った所でしょうか?


殺生石の賽の河原を眼下に眺めながら、温泉神社へと向かいます。

      20161101温泉神社05



那須温泉にある神社だから、『温泉神社』と言うのだと思っていたら、
『温泉』と書いて『ゆぜん』と読むのらしい。

ヘェ〜、知らなかったなぁ。

那須温泉神社は、西暦630年頃に建立されたと言われ、
那須温泉のシンボル的な存在でもあります。

平安時代、源平合戦の讃岐屋島(香川県)での合戦で活躍した弓の名手、
那須与一にも縁がある神社だとも伝えられています。
合戦の際、平家が『この扇を射抜いてみよ』と挑発したことに対し、
源氏側の那須与一が見事にこれを射抜くと言う話です。
この那須与一が出陣前に戦勝祈願を行い、
また戦勝したお礼として弓を奉納したのが『温泉神社』だと言うことです。


ヘェ〜、これまた、知らなかったなぁ。





こちらが、温泉神社の拝殿。

      20161101温泉神社06


      20161101温泉神社07



殺生石側(裏側)から入って来たので、通常参拝とは逆周り。

拝殿から参道を下って行きます。

      20161101温泉神社10




参道に現れた説明板。

      20161101温泉神社08


こちらが、その芭蕉の句碑。

      20161101温泉神社09


      

次に現れた説明板。

      20161101温泉神社11

御神木。
『生きる』パワーを発散しているのか?

      20161101温泉神社12



ならば、『生きる』生命力、パワーを分けてもらいましょう。

御神木からパワーを貰う もっちゃん。

      20161101温泉神社13



びいすけ も長生き出来るように『生きる』パワーを貰いましょう。

      20161101温泉神社14



御神木からパワーを分けて貰ったようで
矢鱈とテンションの高い人と犬(笑)。

      20161101温泉神社15

しかし、バックの紅葉が鮮やかだなぁ。



温泉神社の紅葉も今が正に見頃。

      20161101温泉神社16


オレンジ色が映えます。

      20161101温泉神社17


      20161101温泉神社18


      20161101温泉神社19


      20161101温泉神社20


      20161101温泉神社21



この地でもしっかりと紅葉を堪能。
十分に目の保養と静寂なひととき。
心が洗われた気がいたします...............。






2016/11/21 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

小沢蔵屋敷跡 (2016年4月23日)(東京都稲城市) 

4月23日 公休日

この日は、稲城市周辺の城址巡りに出かけました。


穴澤天神社をあとにして、向かった先は...............小沢蔵屋敷跡


新編武蔵国風土記稿に「旧跡、小沢蔵屋舗、小名谷戸の内、国安社の北の山間に在」と記載されており、
京王相模原線よみうりランド駅近くの妙覚寺の付近が小沢蔵屋敷とされています。
小沢蔵屋敷は、応安年間(1368年~1374年)頃の人物とされる小沢国高(小沢左衛門尉国高)が築いたとされますが
詳細は不明です。


こちらが、小沢蔵屋敷跡とされる妙覚寺。

      20160423小沢蔵屋敷跡01


      20160423小沢蔵屋敷跡02
      


入口には、稲城市の建てた説明板。

      20160423小沢蔵屋敷跡03

残念ながら、小沢蔵屋敷については一言も触れていません。


そして、城館跡としての遺構は残されていないと言うことです。

かろうじて、この辺りがかつての城館を彷彿させる佇まいでしょうか?

      20160423小沢蔵屋敷跡04



こちらが、妙覚寺の山門。

      20160423小沢蔵屋敷跡05



こちらが本堂。

      20160423小沢蔵屋敷跡06



こちらにも筆塚がありました。

      20160423小沢蔵屋敷跡07

穴澤天神社にも有ったけど、稲城には筆が多い?



筆塚の脇には、不動明王。

      20160423小沢蔵屋敷跡08



石段を上った先には、松荘堂。

      20160423小沢蔵屋敷跡09



さらに、その先の石段を上れば、そこは墓地。
墓地の一画に建てられた板碑。

      20160423小沢蔵屋敷跡10


      20160423小沢蔵屋敷跡11

この板碑は、稲城市の指定文化財になっています。




鐘楼。

      20160423小沢蔵屋敷跡12




墓地のある台地は妙覚寺の本堂を囲むような馬蹄形をしており、
その先へと進んでみます。

      20160423小沢蔵屋敷跡13



物見台のような土壇。

      20160423小沢蔵屋敷跡14



その下には空堀のような窪み。

      20160423小沢蔵屋敷跡15

ひょっとしたら、遺構?


さらに先へと進んでみますが、やがて生い茂る藪が行く手を遮ります。

      20160423小沢蔵屋敷跡16

ここは潔く断念します。


結局、台地上部の墓地の先(奥)に、遺構らしきモノはあるけど
確たる証しはなく、やっぱり遺構は無いのだろうか?
かなり改変されてしまっているから、確認のしようがないけど
寺院に変貌した城館跡って、こんなモノかな...............?




2016/05/12 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

穴澤天神社    (2016年4月23日)(東京都稲城市) 

4月23日  公休日

この日は、稲城市周辺の城址巡りに出かけました。

稲城市と川崎市の境界近くにある小沢城址が、穴澤天神社のある台地にあるため
穴澤天神社の境内からアプローチしました。
せっかく、穴澤天神社の境内まで来て、素通りするのも芸が無い。
と言うわけで、立ち寄ってみました。



穴澤天神社の主祭神は、少彦名大神を御祀りした社である。
創立は孝安天皇4年3月で、後に元禄7年社殿を改修し、菅原道真公を合祀する。
例大祭は毎年8月25日で、当日は神職山本家に伝わる、武蔵流の指定文化財、江戸の里神楽が奉奏され、
又、三頭の獅子と天狗により、神社入口の石段を、舞いながら勇壮に登る、市指定の獅子舞が奉納される。
境内には江戸時代の終わり頃に、筆学を業とした原田金陵の功績をたたえて建てられた、市指定文化財の筆塚がある。
現在の社殿は昭和61年12月に修復した。

(稲城市掲示より)



京王相模原線の高架下をくぐり、穴澤天神社へと向かい向かいます。

       20160423穴澤天神社01



車で走るには ?と思うような坂を上って行きます。

       20160423穴澤天神社10



こちらは、台地下にある鳥居。

こちらが、本来の山道のようです。
急な石段を上って行くことになります。

       20160423穴澤天神社02



穴澤天神社の境内。

       20160423穴澤天神社03



こちらが、拝殿。

      20160423穴澤天神社04



拝殿に掲げられた神額。

      20160423穴澤天神社05




こちらは、神楽殿。

      20160423穴澤天神社06

この神楽殿で稲城市指定の獅子舞が奉納されるようです。



神楽殿の扁額。

      20160423穴澤天神社07



天神社(天満宮)と言えば梅の花。
神紋は梅の花です。

      20160423穴澤天神社08



こちらは、稲城市指定文化財の筆塚。

      20160423穴澤天神社09


この時は気づかなかった(と言うより先を急いでいたため、細部まで回らなかった)けど
あとでネットで調べたら、この穴澤天神社には、有名な湧き水があるらしい。

境内直下の崖下に、奥行き10メートルほどの洞窟があり、
洞窟への入り口には鳥居が立っているらしい。
祠からは東京の名湧水57選に選ばれている湧水が湧き出ており、
これを汲みに来る者が絶えないらしい。
この洞窟は胎蔵界、金剛界と呼ばれ、
威光寺の弁天洞窟の十五童子の石仏が以前はここに安置されていたとのことです。

う〜む、気づかなかったとは言え、見逃したのは残念です。
いつか機会があれば、その湧水を覗いて来よう。




2016/05/12 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

利根七福神⑦ 福禄寿  《 早尾天神社 》(2016年4月11日)(茨城県北相馬郡利根町) 

4月11日 公休日

この日は、茨城県の利根町にある『利根七福神』巡りに出かけました。


利根七福神は

毘沙門天 (徳満寺)
恵比寿(布川神社)
布袋尊(円明寺)
福禄寿(早尾天神社)
弁財天(来見寺)
大黒天(蛟網神社)
寿老人(応順寺)

と、このような構成になっています


利根七福神もいよいよ最終章となりました。
円明寺をあとにして向かった先は...............利根七福神巡り 第7弾 早尾天神社福禄寿


早尾天神社は、



こちらが、早尾天神社の正面入口。

鳥居の前で、はいポーズ。☆パチリ。

      20160411利根七福神⑦早尾天神社01


      20160411利根七福神⑦早尾天神社02


      20160411利根七福神⑦早尾天神社03



逆光と言うか影になって神額は見づらい。
辛うじて、天満宮の文字が読み取れます。

      20160411利根七福神⑦早尾天神社04


     


こちらが、利根七福神の福禄寿

      20160411利根七福神⑦早尾天神社07



      20160411利根七福神⑦早尾天神社06


      20160411利根七福神⑦早尾天神社08

福禄寿は
長寿・幸福の徳を持ち、招徳人望の神様として信仰されています。
ご神名は伊装諾尊。長寿の神ですが、
一般には人々の幸福、授かる財物、人々の寿命を司る神様として親しまれています。




こちらが、拝殿。

      20160411利根七福神⑦早尾天神社05




拝殿に掲げられた神額。

      20160411利根七福神⑦早尾天神社10



そして、こちらが本殿。

      20160411利根七福神⑦早尾天神社09


    

拝殿脇の境内。

      20160411利根七福神⑦早尾天神社11


      20160411利根七福神⑦早尾天神社12



境内中央奥にそびえるイチョウの樹。
公孫樹です。

      20160411利根七福神⑦早尾天神社13



早尾天神社の境内には、石仏、石碑が多い。


スダジイ左に鎮座する石碑群。

      20160411利根七福神⑦早尾天神社14



スダジイ右に鎮座する石碑群。

      20160411利根七福神⑦早尾天神社15



拝殿前にも石碑はあります。

      20160411利根七福神⑦早尾天神社16



早尾天神祠碑

      20160411利根七福神⑦早尾天神社17

早尾天神社縁起、由緒などが記されています。



こちらは、手水舎。

      20160411利根七福神⑦早尾天神社18


      20160411利根七福神⑦早尾天神社19



そして常夜燈。

      20160411利根七福神⑦早尾天神社20

いい感じで苔生していて、何となく由緒ある天神社の感が強い。


学問の神として、菅原道眞を祀っている天神社。
あまり縁がない神社ですが、少し寂れた感が何処となく趣きがあるような気がします。
得てして、パワースポットってこんなモノかも知れない。
利根七福神巡りをしなければ、この先も訪れることもなかった早尾天神社。
利根七福神巡りをして正解だっかも知れない。

利根七福神巡り、これにて完結です...............。




2016/04/25 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

利根七福神⑥ 布袋尊  《 円明寺 》  (2016年4月11日)(茨城県北相馬郡利根町) 

4月11日 公休日

この日は、茨城県の利根町にある『利根七福神』巡りに出かけました。


利根七福神は

毘沙門天 (徳満寺)
恵比寿(布川神社)
布袋尊(円明寺)
福禄寿(早尾天神社)
弁財天(来見寺)
大黒天(蛟網神社)
寿老人(応順寺)

と、このような構成になっています



蛟網神社をあとにして、向かった先は...............利根七福神 第6弾 円明寺布袋尊


円明寺は、正式名を長根山 地蔵院 円明寺 と呼びます。

山号の『長根山』は、江戸時代初期に寺の南側山麓を
「ナガネ」と称し、これにより現在地の円明寺一帯を
「ナガネヤマ」と称したということです。
院号は「地蔵院」と言い、建長7(1255)年に千葉介頼胤夫人の延明地蔵菩薩(木造)寄進によるとされています。




こちらが、山門前の寺号標。

      20160411利根七福神⑥円明寺01




こちらが、山門。

      20160411利根七福神⑥円明寺02

改修中なのか?
なぜか屋根にはブルーシートが被せられています。


山門の先には、本堂。

      20160411利根七福神⑥円明寺03



山門をくぐって、目の前に現れた本堂。

      20160411利根七福神⑥円明寺04



本堂に掲げられた扁額。

      20160411利根七福神⑥円明寺05



本堂の庇の部分を覗いて見ると...............

見覚えのある紋。

      20160411利根七福神⑥円明寺06



もしや? と思い、屋根を見上げて見ると...............

ありました! 月星紋。

      20160411利根七福神⑥円明寺07



くっきりと輝く月星紋。

      20160411利根七福神⑥円明寺08


鬼瓦にも光り輝く月星紋。

      20160411利根七福神⑥円明寺09


何と、円明寺の寺紋は、千葉氏本家の家紋である月星紋。

      20160411利根七福神⑥円明寺10


実は、千葉氏に所縁のある寺だとは知らなかったので
月星紋を見た時は、思わずガッツポーズ。
こんな場所(って言う表現もおかしいけど)、千葉氏の家紋に出会えるなんて...............

それも、千葉宗家の月星紋だから、やっぱり嬉しいねぇ。

ちょうど、草花に水やりをしていたお寺の方(住職の息子さん?)に話を伺ったら
「千葉氏所縁のお寺で、千葉宗家の家紋と同じものを寺紋として使っています。」と
自慢げ(?)に話されていました。
わざわざ、月星紋を探して、妙見神社巡りをしている身としては
偶然とはいえ、月星紋に出会えるとは嬉しい限りです。




こちらは、鐘楼。

      20160411利根七福神⑥円明寺11



さて、肝心の利根七福神の布袋尊。
なかなか見つけられませんでした。

布袋尊と同じよ背丈の紫陽花の木に隠れていて
何故だか看板もなく、見つけるのに苦労しました。

      20160411利根七福神⑥円明寺12


      20160411利根七福神⑥円明寺13

布袋尊は、笑門来福、夫婦円満、子授けの神様として信仰されています。
中国出身の禅僧で、唯一実在した人物。
その容姿から知恵を授け、福徳と円満な暮らしを与えてくると言われています。




先ほど、話をして伺った円明寺の関係者の方(住職さんの息子さん?)の話では
円明寺そのものは、昔の城址ではないが、
近くには城が在ったと言うことです。



確かに、千葉氏の家紋を見たり、こんな土塁を見たりしちゃうと、
千葉氏関連の城郭跡だったのかな? などと思ったりしちゃいます。

      20160411利根七福神⑥円明寺14


      20160411利根七福神⑥円明寺15


      20160411利根七福神⑥円明寺16


近くに城が在ったと言うことなので、その辺りもじっくり調べて
今度はそちらの城址を訪れてみることにしよう...............。








2016/04/24 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

利根七福神⑤ 大黒天  《 蛟網神社 》(2016年4月11日)(茨城県北相馬郡利根町) 

4月11日 公休日

この日は、茨城県の利根町にある『利根七福神』巡りに出かけました。


利根七福神は

毘沙門天 (徳満寺)
恵比寿(布川神社)
布袋尊(円明寺)
福禄寿(早尾天神社)
弁財天(来見寺)
大黒天(蛟網神社)
寿老人(応順寺)

と、このような構成になっています


応順寺をあとにして、向かった先は...............利根七福神第4弾 蛟網神社大黒天


蛟網神社は、『こうもうじんじゃ』と読みます。

今から約2300年前、孝霊天皇3年(紀元前288)に水神である弥都波能売命を
現在の門の宮の場所に祀ったのがその始まりで、文間大明神ともいわれています。
そして、文武天皇(第42代天皇)2年(698)には土神の波邇夜須毘売命を合祀し、
東の高台(現在の奥の宮)に遷座しました。
このとき、門の宮は、取り壊す予定でしたが、氏子たちの強い要望で、祭神を分祀し、
門の宮となったそうです。

すなわち、蛟網神社は『奥の宮』と『門の宮』の2つが存在します。
とはいえ、そんなことはつゆ知らないので、今回は門の宮にしか訪れていません。
まあ、目的が利根七福神の大黒天だから、仕方がないんですけどね。


こちらが、蛟網神社 門の宮の鳥居。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社01

      20160411利根七福神⑤蛟網神社02
     

鳥居に掲げられた神額。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社03



      
鳥居の脇には説明板。
どうやら、この松の宮周辺には史跡が多いようです。
   
      20160411利根七福神⑤蛟網神社04



もっとも、この『蛟網神社 松の宮』そのものが利根町指定文化財のようです。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社05



さらには、鳥居の反対側にも説明板。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社06

こちらは、立木貝塚の説明板です。



立木貝塚の氷柱の脇に何やら像が見えます。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社07



どうやら、利根七福神の大黒天のようです。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社08



      20160411利根七福神⑤蛟網神社10



      20160411利根七福神⑤蛟網神社09



大黒天のアップです。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社11

大黒天は、梵語で摩訶迦羅(マハーカーラ)。
マハー(大いなる)カーラ(黒)を漢訳して大黒天または大黒神といい、
仏教に採りいれられ、悪鬼と戦う勇猛な護法の軍神となる。
もともとは甲を付け、右手に鉾、左手に宝塔を持ち邪鬼か岩座の上にたっていた。
鎌倉時代から室町時代にかけて、字音が大黒と大国が同じ事から、
出雲大社の大国主命と結びつき、現在のような打ちでの小槌を持ち、
大きな袋を担ぎ、福徳円満な純和風な大黒天となったとされています




大黒天の脇にある石段を上れば拝殿、さらには本殿となります。

     20160411利根七福神⑤蛟網神社12



こちらが、拝殿。

     20160411利根七福神⑤蛟網神社13


     20160411利根七福神⑤蛟網神社14


別アングルから。

     20160411利根七福神⑤蛟網神社15



拝殿前の中臣一万度行事碑。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社16

神前で長い祝詞である中臣祓詞を一万回奏して
罪を祓い清めることを行った記念として建てられた碑とされています。



拝殿に掲げられた神額。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社17



拝殿の彫物。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社18




境内に狛犬が居ないと思ったら拝殿に居たのですね。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社19



こちらが、本殿。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社20



意外にって言う言うか、それなりに立派。
なぜか、厳かな雰囲気が漂う本殿です。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社21






本堂裏にある祠。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社24

石祠など4基が安置されています。



蛟網神社の門の宮そのものが、歴史ある神社だから
無造作にイジられていなくて、周辺はその名残りを残しています。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社22



緑が映える季節になってきたから、緑の起伏のある土壇が美しい。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社23


      20160411利根七福神⑤蛟網神社25


この先、ずっとこのままの姿を残してもらいたいものです...............。





2016/04/23 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

利根七福神② 毘沙門天  《 徳満寺 》  (2016年4月11日)(茨城県北相馬郡利根町) 

4月11日 公休日

先日、利根町の廃校を回っている時に、たまたま利根七福神の存在を知りました。
その日は、利根七福神の恵比寿だけをお詣りしましたが
せっかく知りえた利根七福神。
自宅からもズバ抜けて遠い訳でもないから
中途半端な状態も嫌なので、残りの六福神も制覇しちゃいましょう!
と言うことで、この日は利根七福神詣りと相成りました。


利根七福神は

毘沙門天 (徳満寺)
恵比寿(布川神社)
布袋尊(円明寺)
福禄寿(早尾天神社)
弁財天(来見寺)
大黒天(蛟網神社)
寿老人(応順寺)

と、このような構成になっています。


先ずは、利根七福神② 徳満寺毘沙門天 です。


利根川沿いのちょっとした台地の上に
利根七福神の毘沙門天が祀られている徳満寺があります。

      20160411利根七福神②01



こちらが徳満寺の寺号標。

      20160411利根七福神②02

徳満寺には以前訪れた事があります。
実は、徳満寺の在る台地一帯が、かつての布川城。

布川城址に訪問の際、この徳満寺に立ち寄りました。


以前は、この城址碑も目的の一つでしたが
今回はちょっと違う。

      20160411利根七福神②03



とは言いながらも、布川城址の説明板は
しっかりとチェックしちゃいます。

      20160411利根七福神②04



こちらが、徳満寺の山門。

      20160411利根七福神②05



山門に掲げられた扁額。

      20160411利根七福神②06





今回のお目当は、利根七福神の毘沙門天像。


毘沙門天の説明板。

      20160411利根七福神②07


毘沙門天は、インド出身の神様。
仏教四天王の一人。多聞天とも言われており、
さらに金毘羅の別名もあり、
招福利財・融通招福の神として広く親しまれています。



こちらが、利根七福神の毘沙門天。

      20160411利根七福神②08


      20160411利根七福神②09



なぜか、毘沙門天の近くに一回り小さい他の七福神が並んでいます。

      20160411利根七福神②10


      20160411利根七福神②11



ひょっとしたら、この徳満寺で『利根七福神』はクリアーしてしまうのか?

      20160411利根七福神②12

でも、それじゃ意味がない。
やっぱり、7ヶ所の社寺仏閣を回ってこそ意味がある。




以前、布川城址 として紹介した徳満寺ですが
(その時の記事は こちら )
今回は、布川城址については触れません。
単純に徳満寺を紹介していきましょう。


徳満寺は真言宗の寺院で、元亀年間(1570〜)に祐誠上人が中興したとされています。
当初は、今の門前に建てられていましたが、この地を治めていた豊島氏が滅ぶと、
城跡(現在の場所)に寺を移しました。
境内にある地蔵堂には地蔵菩薩が安置され「子育て地蔵」と呼ばれ、親しまれています。
少年期の柳田國男に大きな衝撃を与えたといわれている「間引き絵馬」は本堂廊下に掲げられています。 




徳満寺の境内。

      20160411利根七福神②13



弘法大師に所縁があるのか?
境内には弘法大師に関連する石碑も多く
弘法大師の像まであります。


弘法大師修行像。

      20160411利根七福神②14

平成27年4月に建立された、比較的新しい像。
ちょうど1年経ったようです。



鐘楼堂。

      20160411利根七福神②15

近隣では除夜の鐘として、この鐘の音を聞き慣れているそうです。



客殿

      20160411利根七福神②16

てっきり、本殿と言うモノだと思っていたら、
客殿と言うらしい。



奥にあるのが地蔵堂。

      20160411利根七福神②17

この徳満寺の本尊は延命地蔵尊(地蔵菩薩・子育て地蔵とも呼ばれています)。
その本尊が安置されているところが地蔵堂です。




地蔵堂の脇には石碑が多い。


こちらは、『茨城百景』の碑。

      20160411利根七福神②18



『 茨城百景 大利根の展望 』

      20160411利根七福神②19



石碑の脇には、但し書きの説明文。

      20160411利根七福神②20

この茨城百景の碑は、元々からこの場所に建てられたモノではなく
山門前に建てられていたそうです。
山門改修時に碑は移築され、以来そのままになっているそうです。

すなわち、『 茨城百景 大利根の展望 』は徳満寺の山門から見る景色だったんですね。



こちらが、山門前。

      20160411利根七福神②21

木々が視界を遮っている上に、茨城百景選定時(昭和25年5月)に比べ、
随分と様変わりしたことだと思います。
当時はきっと橋脚などもなく、雄大な利根川が眼前に広がっていたのでしょう。




著名な俳人、小林一茶についても触れています。

      20160411利根七福神②22

日本全国各地を行脚していた一茶ですが、
布川地区での宿泊は、その他の地域より抜きん出て多く、
その数は289回が数えられています。
布川出身の俳人で、一茶の親友でもある古田月船亭の存在もあります。
また、一茶の俳句の師は3人居たようですが、その師の一人が小林竹阿であり、
もう一人は利根町にも足跡を残した溝口素丸であり、布川出身の森田安袋であったとされています。
森田安袋は、元を正せば布川出身の武士だったそうです。


どうやら、小林一茶は利根町と縁あるようです。

その影響でしょうか?
徳満寺の境内、地蔵堂の脇には一茶の句碑が建てられています。

      20160411利根七福神②23



何やら、この徳満寺。
利根七福神だけじゃなく、布川城址だったり、
茨城百景だったり、利根町の文化財が遺されていたりと、
単なる寺院だけじゃないようです。

いずれ、時間を掛けて、じっくる見てみようかな...............?


今日の所は、次なる利根七福神に向かうことにいたしましょう。



2016/04/19 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit