05 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 07

び・び・びのびいすけ

びいすけとお父さんと時々もっちゃん

かながわの景勝50選 《 八菅山と八菅神社 》 (2017年5月27日)(神奈川県愛甲郡愛川町) 

5月27日 公休日

この日は、神奈川県の愛川町に出かけました。

愛川町が制定した『あいかわの景勝10選』を目的に訪れましたが、
あいかわの景勝10選の『 八菅山と八菅神社 』は、
『 かながわの景勝50選 』の地でもあります。

県を代表する景勝地ならば、
市区町村の公認の景勝地であることは間違いない。


こちらが、八菅神社の鳥居。

      20170527神奈川の八菅神社01

『八菅神社』と書いて、『はすげじんじゃ』と読むらしい。

古くから、「修験の山」として信仰を集めた八菅山には、
奈良時代から伝えられてきたとされる修験者たちの荒行があり、
毎年春に、『例大祭・火渡り儀式』と称し、護摩木を燃やした上を山伏姿の男性が歩き、
最後には観客も火渡りをする事が出来るそうです。
奈良時代から続く無病息災を祈る伝統行事とされているそうです。


八菅神社の拝殿へは、約300段の石段を上ります。

石段前の緩やかな上り坂。

      20170527神奈川の八菅神社02



そして、急勾配の石段。

      20170527神奈川の八菅神社05



石段の上り口の右側に建つ、『かながわの景勝50選』の碑。

      20170527神奈川の八菅神社03


      20170527神奈川の八菅神社04




この石段の周りにはシダジイの古木が多い。

      20170527神奈川の八菅神社06



『かながわの美林 50選』に選ばれた地でもあるようです。

      20170527神奈川の八菅神社07


神奈川県って県下の景勝地や公園、橋、美林と〇〇50選とか
〇〇百選って言うのが好きみたい。

まあ、それにどっぷりと引き込まれているんだけどね...............(笑)




確かに、石段沿いには雰囲気のあるシダジイの巨木が多い。

      20170527神奈川の八菅神社08


      20170527神奈川の八菅神社09


      20170527神奈川の八菅神社11



シダジイを眺めながら石段を上りますが
びいすけ は、はひたすら前へ前へと上って行きます。

      20170527神奈川の八菅神社10




約300段の石段は正直キツかったぁ。
    
      20170527神奈川の八菅神社12



拝殿の賽銭箱に九曜紋が描かれていましたが、
八菅神社の手水舎にも九曜紋。

      20170527神奈川の八菅神社13



別名八菅の七社権現とも呼ばれている八菅神社。
日本武尊など七神が祭神として祭られていて、明治維新の神仏分離令が出るまで、
大山阿夫利神社、日向薬師とともに関東での山岳修験の道場であったそうです。

修験道は、天台密教を信奉し宗験宗とも言い、
山岳地帯で苦行をして悟りを会得するものとされています。
八菅神社は、修験道三派のうち聖護院流で、行者は京都の本山や奈良県熊野地方にこもって、
身を清めたと伝えられています。


そんなことを知ると、この拝殿(覆殿)も違って見えてくる。

      20170527神奈川の八菅神社14


      20170527神奈川の八菅神社15


紛れもなく、此処は厳かであり、神聖な場所なんだと
改めて認識するのでありました...............。




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2017/06/15 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

あいかわの景勝10選   《 八菅山と八菅神社 》 (2017年5月27日)(神奈川県愛甲郡愛川町) 

5月27日 公休日

個人的な連休の2日目。
この日は、神奈川県の愛川町に出かけました。

愛川町には、平成13年に制定された『あいかわの景勝10選』なるモノがあります。
町内の10ヶ所の景勝地を選ばれたモノです。
その内訳は...............

①宮ケ瀬ダムと新石小屋橋
②経ケ岳・仏果山・高取山にかけての山並
③塩川滝飛沫
④勝楽寺の山門と杉木立ち
⑤三増合戦碑と志田峠
⑥箕輪耕地遠望
⑦八菅山と八菅神社
⑧山十邸と中津往還
⑨工業団地といちょう並木
⑩中津川の清流

となっています。

〇〇八景とか、〇〇百選と言った類いのモノが基本的には嫌いではない。
むしろ、追っ掛けていたりするから好きな部類に入ります。
当然、この『あいかわの景勝10選』も、いつかはコンプリートしてみたいと思っています。

と言うことで、この日の愛川町に来たのは、
『あいかわの景勝10選』が最たる目的。

向かった先は..............八菅山と八菅神社



八菅神社は、明治維新までは神仏混淆の信仰に支えられてきた聖地でした。
八菅神社の鎮座する八菅山には七社権現と別当・光勝寺の伽藍、
そしてそれを維持する五十余の院・坊があって相模の国峰として盛えていました。
八菅山縁起によると日本武尊が東征のおりにこの山を望み見て、
山容が蛇の横わたるに似ているところから、『蛇形山』と名付けたと言われています。
また、大宝三年(703年)修験道の開祖役の小角が入峰し修法を行ったとき、
忽然として、池中に八本の菅が生えたことから八菅山の名が起こり、
和銅二年(709年)には僧行基が入山して、ご神体及び本地仏を彫刻し、
伽藍を建立して勅願所としたと言われています。
しかし、明治期の神仏分離令により、光勝寺は廃寺となり、
七社権現は八菅神社と改称して今日に至っています。


この神社を中心にスダジイを代表とする 2.5haに及ぶ社叢林(県指定天然記念物)があり、境内のクロガネモチの巨樹(町指定天然記念物)は高さ 20m、目通り2.3m、樹齢 250年という。



こちらが、八菅神社。

      20170527八菅神社01



鳥居の両脇には、二つの句碑が建っています。

向かって左側が芭蕉の句碑。

      20170527八菅神社02

     蓬莱にきかばや伊勢の初便      

      

そして反対側には、五柏園丈水の句碑。

      20170527八菅神社03

遠近乃笠も八菅や順乃峯 



鳥居をくぐれば、八菅神社の説明板。

      20170527八菅神社04



その脇には、八菅山の説明板。

      20170527八菅神社05



鳥居の先にある 梵鐘。

      20170527八菅神社06



梵鐘は、愛川町の指定文化財のようです。

      20170527八菅神社07



境内の緩やかな上り坂の途中には、大ケヤキ。

      20170527八菅神社08



このケヤキは、愛川町の『ふるさとの木』に指定されています。

      20170527八菅神社09

愛川町には、このように『ふるさとの木』と称する巨木が18本あるそうです。



八菅神社の最大のウリ(?)
約300段の急な石段。

      20170527八菅神社10



石段の上り口の左側に、御目当の『あいかわの景勝10選』の碑。

      20170527八菅神社11


      20170527八菅神社12

反対側には『かながわの景勝50選』の碑もありますが
そちらは、いずれかの機会にでも。


さぁ、頑張って石段を上りましょう。

      20170527八菅神社13


シダジイの木々を眺めながら石段を上ります。
正直、この300段の石段はきつかったぁ。

      20170527八菅神社14



石段を上りきると、目の前にはクロガネモチの木。

      20170527八菅神社15

こちらも、愛川町の『ふるさとの木』の1本になります。



拝殿から一段下がった削平地。

      20170527八菅神社16


この削平地は、かつての『八菅山修験道旧跡』。

      20170527八菅神社17




最後の石段、約20段ほどを上れば
八菅神社の拝殿に到着します。

      20170527八菅神社18



賽銭箱に九曜紋。

      20170527八菅神社19

この八菅神社の神紋は九曜紋のようです。
『九曜紋』と言えば『千葉氏』を連想してしまいますが、
ここは千葉氏の勢力下であった北総の地ではなく、
小田原北条家の勢力下であった地。
まさか、千葉氏には関連ないよなぁ...............?




扁額の文字はカスれて読めません。

      20170527八菅神社20




約300段の石段を頑張って上ってきたから
休憩を兼ねて、ご褒美のオヤツをあげましょう。

      20170527八菅神社21



ささみチップスをガン見する びいすけ 。
当然、コマンドは『 待て! 』。

      20170527八菅神社22



『 良し! 』の合図で、喰らいつく びいすけ 。

      20170527八菅神社23



父さんの指まで食べないでね。

      20170527八菅神社24



この八菅神社、そして八菅神社のある八菅山。
『 あいかわの景勝10選 』の地でもあるけれど
『 かながわの景勝50選 』の地でもあります。

そちらについては、また明日にでも...............。




2017/06/14 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

あいかわの景勝10選   《 勝楽寺の山門と杉木立 》 (2017年5月27日)(神奈川県愛甲郡愛川町 

5月27日 公休日

個人的な連休の2日目。
この日は、神奈川県の愛川町に出かけました。

愛川町には、平成13年に制定された『あいかわの景勝10選』なるモノがあります。
町内の10ヶ所の景勝地を選ばれたモノです。
その内訳は...............

①宮ケ瀬ダムと新石小屋橋
②経ケ岳・仏果山・高取山にかけての山並
③塩川滝飛沫
④勝楽寺の山門と杉木立ち
⑤三増合戦碑と志田峠
⑥箕輪耕地遠望
⑦八菅山と八菅神社
⑧山十邸と中津往還
⑨工業団地といちょう並木
⑩中津川の清流

となっています。

〇〇八景とか、〇〇百選と言った類いのモノが基本的には嫌いではない。
むしろ、追っ掛けていたりするから好きな部類に入ります。
当然、この『あいかわの景勝10選』も、いつかはコンプリートしてみたいと思っています。

と言うことで、この日の愛川町に来たのは、
『あいかわの景勝10選』が最たる目的。

『経ヶ岳、仏果山、高取山にかけての山並』をあとにして、向かったの先は..............勝楽寺の山門と杉木立


こちらが勝楽寺。

本来、寺の入り口にある門を山門と呼ぶから
こちらが山門になるとは思うのだが
景勝地に選ばれたのはこちらでは無い。

ここでは、あえて寺号標と言うことにしよう。

      20170528勝楽寺01

対の寺号標には『 田代 半増坊 』と記されている。

地元では、『勝楽寺』よりも『田代半僧坊』と呼ばれる事が多いらしい。



最初の門をくぐると、目の前に立派な山門と数本に杉の木が見えて来ます、

      20170528勝楽寺02



『名刹 勝楽寺』と記された案内板(説明板)。

      20170528勝楽寺03



そして、その脇には御目当の『あいかわの景勝10選』の碑。

      20170528勝楽寺04


      20170528勝楽寺05



それでは、あいかわの景勝10選に選ばれた山門を見に行きましょう。

      20170528勝楽寺06


こちらが、景勝地とされる勝楽寺の山門。
嘉永4年(1851年)建立の壮大な山門(三門)です。
木造総欅の入母屋三間造り、前面に唐から破風のある二重門(重層門)となっています。
屋根は反りが強い銅板平葺で、総高16m、階下間口9m、奥行5.6m、階上間口8.4m、奥行5mです。
二階部分には釈迦三尊と十六羅漢が安置されているそうです。

      20170528勝楽寺07


      20170528勝楽寺08



山門の扁額。

      20170528勝楽寺09

山号である『満珠山』の文字。



ネットで見づらいですが、山門の仁王像。

向かって右側の阿像

      20170528勝楽寺10



左側の吽像

      20170528勝楽寺11



さらに、その先にも門がある。
中門と呼ばれているらしい。

      20170528勝楽寺12

閉められている門の木戸には、
徳川家の家紋である葵の紋が飾られています。


都合3つの門の先にある本殿に辿り着きました。

      20170528勝楽寺13



本堂の左に建つ半僧坊。

      20170528勝楽寺14

遠州(静岡県)奥山方廣寺より勧請した半僧坊大権現が祀られています。

半僧坊大権現は、後醍醐天皇の皇子「無文元選禅師」が方廣寺へ御入山の際に
出会った白髪の老人を弟子として、日々の作務等を怠ることなく随侍しました。
禅師が「おまえは半ば僧形である」と言うと、
老人は「私は半僧です。」と答えたことから
半僧坊と呼ばれるようになったそうです。
その後、無文元選禅師が亡くなると、老人(半僧坊)姿を消したと言われています。




鐘楼。

      20170528勝楽寺15



こちらは、十六羅漢堂。

      20170528勝楽寺16

この中に16体の羅漢像が鎮座していました。
山門の二階に安置されているとされる羅漢像は、
こちらに移されたのでしょうか?
それともレプリカ?



とにかく、由緒ある寺院だと言うのが歩いて見て廻ると
自ずと分かってくる。
正に愛川町の史跡である。

寺院が景勝地って如何なモノ?って思っていたけれど
そんなに小さな事にこだわるのは止めにいたしましょう。

そんなことを思いながら、
この地をあとにするのでありました...............。






2017/06/10 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景 《 雨引観音 》   (2017年2月6日)(茨城県桜川市) 

2月6日  公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。


五所駒瀧神社をあとにして、向かった先は...............茨城百景 雨引観音

昭和25年に制定された茨城百景。
そもそも、 つ茨城県観光審議会が選定した100の景勝地です。

桜川市にある雨引観音も茨城百景に選定されています。



雨引観音は正式には雨引山楽法寺と名称で、
中国から帰化した法輪独守居士が587年に開山したと伝えられる古刹です。
聖武天皇、光明皇后の帰依が厚く、その後、弘法大師によって真言宗の道場となりました。
現在は安産子育ての霊場として広く知られる関東屈指のお寺です。
桜の名所でもあり、また6月には「あじさい祭」も開かれます。


『 茨城百景 雨引観音 』の碑は、雨引観音の門前辺りにあるのかと思えば、
それが、また遠く離れた場所に在りました。

旧・筑波鉄道雨引駅跡に在りました。

      20170206茨城百景 雨引観音01



『 茨城百景 雨引観音 』の碑です。

      20170206茨城百景 雨引観音02

良く良く考えてみたら、茨城百景が制定された昭和25年当時は
まだまだ車社会ではなく、鉄道を利用する時代だったんですね。
その為、駅前とか駅のホームに百景の碑が建っていたんですね。


旧・雨引駅にも旧・真壁駅同様、立派な桜の木が多い。

      20170206茨城百景 雨引観音03


雨引駅は、筑波鉄道の廃線後、つくばりんりんロードの
雨引休憩所となっています。

      20170206茨城百景 雨引観音04



ホームの形態は往時のままですね。

      20170206茨城百景 雨引観音05


      20170206茨城百景 雨引観音06



雨引駅から数キロ先。
曲がりくねった道を走り、雨引観音の駐車場に到着。

それなりの高さだから、駐車場からの景観は良い。

      20170206茨城百景 雨引観音07


      20170206茨城百景 雨引観音08



では、雨引観音を探索いたしましょう。


いきなり、視界に入った看板。

      20170206茨城百景 雨引観音09

引き綱(リード)を離すな=ノーリードにするな!と言うことは
基本的には犬連れOKなんですね。
ちょっぴり安心。

社寺仏閣によつては、敷地内ペット禁止なんて言うのもあるからね。



それでは、正面から入りましょう。


立派な薬医門の脇に建つ寺号標。

      20170206茨城百景 雨引観音10



そして薬医門の反対側の脇には、物凄く大きな石灯籠。

      20170206茨城百景 雨引観音11

びいすけ と比較してみると、少しは大きさが分かるかな?


そして、立派な立派な薬医門。

      20170206茨城百景 雨引観音12

実は、この門は真壁城の薬医門。
真壁城が廃城後に移築されたらしい。


城門に相応しい、重厚な門です。

      20170206茨城百景 雨引観音13


      20170206茨城百景 雨引観音14



石段を上って行きましょう。

      20170206茨城百景 雨引観音15

この石段は俗に厄除けの石段と言われ、
一段一段登るごとに「南無観世音菩薩」と称号を唱えて登れば、
145段を登りつめた時、厄が落ちると言われているそうです。

正式には、磴道(とうどう)と言うらしい。



石段途中に見える鐘楼堂。

      20170206茨城百景 雨引観音16


      20170206茨城百景 雨引観音17



石段からちょっぴり脇に逸れれば、子安地蔵堂。

      20170206茨城百景 雨引観音18


      20170206茨城百景 雨引観音19



石段を上って辿り着いた仁王門。

      20170206茨城百景 雨引観音20


      20170206茨城百景 雨引観音21


仁王門の扁額。

      20170206茨城百景 雨引観音22



石段途中で見かけた椎の巨木。

      20170206茨城百景 雨引観音38


『宿椎』と言うらしい。

      20170206茨城百景 雨引観音37




さらに石段を上りきれば、雨引観音の本堂(観音堂)です。

      20170206茨城百景 雨引観音23


      20170206茨城百景 雨引観音24


扁額もズバリ、『観音堂』。

      20170206茨城百景 雨引観音25

そのまんまだし(笑)。


雨引観音の歴史の書かれた説明板。

      20170206茨城百景 雨引観音26


由緒書きの碑。

      20170206茨城百景 雨引観音27



こちらは、東照宮。

      20170206茨城百景 雨引観音29


      20170206茨城百景 雨引観音28


      
こちらは、多宝塔。

      20170206茨城百景 雨引観音30


      20170206茨城百景 雨引観音31

ネットで近隣の大きな寺院を調べてみると
この地域には三重塔のような多宝塔が在る寺院が多いようです。
地元ではあまり見かけないから、ちょっぴり新鮮に感じたりします。



こちらは、奥の院(客殿)。

      20170206茨城百景 雨引観音32




そして、六角堂

      20170206茨城百景 雨引観音33


六角堂の本尊は薬師如来。

      20170206茨城百景 雨引観音34



本坊前の見晴台(展望台)。

      20170206茨城百景 雨引観音35


さすがに景観は良い。

      20170206茨城百景 雨引観音36



時代(月日)が流れて、雨引観音の仏閣が建て変わっても
この場所から眺める景観は、きっと変わらないんだろうなぁ。
この不変さこそ、茨城百景の名に相応しいと感じたりします。







      

2017/03/09 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

五所駒滝神社  (2017年2月6日)(茨城県桜川市) 

2月6日 公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。

真壁氏累代墓地及び墓碑群をあとにして、向かった先は...............五所駒瀧神社


まぁ、向かったと言っても、すぐ隣なんですけどね(笑)。




五所駒瀧神社は、
創建は1014年(長和3年)、三条天皇の御代と伝えられます。
真壁富士権現山の山懐に一条の瀧があり、地元の村人らが、
五穀豊穣を願ってこの瀧の近くに祠を祀ったのが始まりと言われています。
村人からは明神様としてあがめられ、この瀧に馬がたびたび現れたことから
駒下瀧と呼ばれるようになり、この祠も駒下瀧明神と呼ばれるようになったそうです。
1172年(承安2年)、初代真壁城主・真壁六郎長幹が駒下瀧明神を真壁の総社としました。
地元では厄除けの神社として知られています。
五所駒瀧神社の祭礼は、「真壁祇園祭」とも呼ばれ、
京都の祇園京都の祇園祭とはルーツの違う祭礼で、独自の伝統を持っています。
また、同じく「かったて祭」は、権現山の神様に火を奉納する祭りで、
多くの氏子らが松明をもって権現山に登る独自の祭りです。




五所駒瀧神社の入口には、こんな石碑。

      20170206五所駒瀧神社01

『千年の風』

俳優の川津祐介氏の寄稿による碑文です。




こちらは、『百世清風』の碑。

      0170206五所駒瀧神社02

『百世清風』とは「高麗国王が中国・南宋の学者、朱子に求めた書」で、
「永遠に続く清い国づくり」を願う心を示したものだそうです。

なぜか、風にまつわる碑が多い?





一の鳥居の脇に建つ社号標。

      0170206五所駒瀧神社03

こちらには、 『 祈願所 五所神社 』となっています。




こちらが、一の鳥居。

      0170206五所駒瀧神社04


割と新しく見える神額も『五所神社』の表記。

      0170206五所駒瀧神社05

あれ?
『五所駒瀧神社』じゃなかったっけ?



五所駒瀧神社は『真壁のひなまつり』の会場でもあるようです。

      0170206五所駒瀧神社06



参道に木々が茂り、厳かな雰囲気が漂います。

      0170206五所駒瀧神社07

画像だと木洩れ陽が強くて、そんな風には見えないけれど
曇りの日ならば、違った感じに映るんだろうなぁ。



参道には石碑類が多い。


こちらは、『駒鳴石』。

      0170206五所駒瀧神社08

この神社の社より芦毛の駒が現れ出て、石を踏み嘶いたと言われ
その蹄の跡が残った岩だと伝えられているそうです。



こちらは、二の鳥居。

      0170206五所駒瀧神社09


こちらの神額には『五所駒瀧神社』の文字。

      0170206五所駒瀧神社10



『千年の森』の碑。

      0170206五所駒瀧神社11

五所駒瀧神社は、1014年の創建。すなわち1000年を超える歴史を持ち
その境内や周辺の森は1000年の森ど呼ばれているそうです。
まさに、鎮守の森と言ったところです。


さらに参道を進めば、三の鳥居。

      0170206五所駒瀧神社12



こちらの神額は、『五所駒瀧神社』と読むのだろうか...............?

      0170206五所駒瀧神社13

達筆すぎて(?)判読不明。



こちらは『さざれ石』。

      0170206五所駒瀧神社14

日本の国家『君が代』にも出てくる『さざれ石』。
あの『さざれ石』は、岐阜県春日村にある天然記念物の石ですが
こちらにも、『さざれ石』がありました。

まぁ、『さざれ石』は、漢字で表すと『細石』となり
細かい小さな石と言う意味です。

君が代では、細かい小さな石が長い年月をかけて、
巌という大きな石になるまでの大きな年月を示すものとして
引き合いにされているようです。




こちらは、百度石。

      >0170206五所駒瀧神社15

算盤の珠のように、リングが動くようになっていて
お百度参りの時に回数を数えていくのでしょう。



やがて、目の前に現れる拝殿。

      0170206五所駒瀧神社16



拝殿に掲げられた神額。

      0170206五所駒瀧神社17



そして、境内。

      0170206五所駒瀧神社18

深い森に囲まれ、陽射しも遮られ、季節柄冷んやりとします。
その冷んやり感が、厳かな感覚を高めます。

まさにパワースポット、ここに在り!



こちらの建物は、神輿の格納庫。

      0170206五所駒瀧神社19

毎年旧暦6月13日~15日に催される『祇園祭り』に使われる神輿が保管されています。



『景勝地 五所駒瀧神社』と記された社号標。

      0170206五所駒瀧神社20

確かに景勝地と呼ぶに相応しい場所かもしれない。

素朴な疑問なんですが...............

なぜ、この五所駒瀧神社が茨城百景の包括地に入らなかったんだろう?



おっと、忘れていた。
肝心の『真壁のひなまつり』のひな人形ですが、
藁葺きの屋根の社務所に飾られています。


さすがに、 びいすけ を連れて社務所の庭に入って行くのには気が引けましたが
せっかくだから、声を掛けて中に入ります。

こちらが、ひな人形。

      0170206五所駒瀧神社21

びいすけ は、ここまで。



父さんは、さらに一歩、また一歩踏み込んで...............。

      0170206五所駒瀧神社22



目的のひな人形も見たことだし、
ゆっくり参道を歩きながら、駐車場に戻りましょう。

      0170206五所駒瀧神社23



参道脇で見つけた案内板。

      0170206五所駒瀧神社24

五所駒瀧神社は、富士権現山の登山口でもあるようです。
残念ながら、現在は整備中?


イノシシの被害もあるようなので、電流ワイヤーが敷かれ、立ち入り禁止。

      0170206五所駒瀧神社25




知らずに突き進んでいたら、感電しちゃったかもしれません。
あ〜くわばら、くわばら(笑)。


2017/03/08 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

真壁氏累代墓地及び墓碑群 (2017年2月6日)(茨城県桜川市) 

2月6日 公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。

茨城百景『伝正寺と真壁城址』(?)の真壁城址から向かった先は...............

          真壁氏累代墓地及び墓碑群


真壁城の南約800mに真壁氏の氏寺と伝える遍照院正得寺があります。
その境内には、40基の五輪塔群があります。
塔高150cm前後と中型ですが、造塔技法からみて、鎌倉時代から戦国時代のものと思われます。
銘文などは読みとれませんが、真壁氏の墓碑群と確認されています。

せっかく真壁城址に立ち寄ったんだし、素通りするのも味気ない。
それに遍照院に隣接する場所にも立ち寄りたかったからちょうど良い。


遍照院の敷地内?
本堂脇にある、いかにもそれっぽい土壇。
ここが、真壁氏累代墓地及び墓碑群のようです。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址29




こちらが、遍照院の山門。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址23

墓地の間を通って本堂へと導いてくれます。


この石段の先が本堂。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址24



こちらが本堂。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址25



本堂に掲げられた扁額。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址26



本堂を別アングルから。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址27



本堂脇に建っている遍照院の由緒書き。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址28


      
本堂脇の土壇に上がってみると、やはりそこは真壁氏累代墓地でした。

土壇の建つ標柱。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址30


立派な説明板碑。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址31



数えていないから、本当に40基あるのか分からないけれど、
確かに多く並ぶ五輪塔群。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址32



これらが、歴代の真壁氏の墓石と言うのだから圧巻です。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址33


      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址34


      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址35


真壁氏はもともと常陸平氏の宗族にして
常陸国府の有力在庁官人であった大掾氏を祖とする一族でした。
平安時代末期に生まれた武家であり、祖である真壁長幹が多気氏の四男でした。
分家するにあたり真壁郡に領地を得て、真壁城を築城して
次第に真壁郡を中心として、真壁氏の勢力基盤が形成されるようになりました。

源頼朝が東国において自立した際、当初は積極的な関与をしなかったものの、
後にこれに臣従し、真壁郡の大半を占める真壁荘地頭に任じられ、
鎌倉幕府の御家人として活動するようになりました。

南北朝時代を向え、真壁氏は当初は南朝方で活動していたようですが、
のち北朝方になり、足利尊氏のもとに参じました。

また、戦国時代には佐竹氏や南関東を制圧した北条氏との間をうまく渡り歩き、
最終的には佐竹氏の家臣となって活躍しました。

しかし、主君である佐竹義宣が関ヶ原の戦いに西軍方となった咎で
出羽国秋田に転封となると、真壁氏はこれに随行しました。
こうして、平安時代から徳川幕府の成立した江戸時代初期までの四百数十年の間、
真壁氏はこの地の領主として君臨していたそうです。

確かに四百数十年も一つの地に居れば、40基の墓石にもなるでしょう。
これもまた、一つの歴史ですね。




2017/03/07 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

地蔵ケヤキ    (2017年1月31日)(茨城県取手市) 

1月31日  公休日

この日は、取手市の廃校巡りに出かけました。

下高井小学校跡をあとにして、次なる廃校へと向かおうとしたら
『県指定文化財 天然記念物 地蔵ケヤキ』なる案内板が目に留まった。
ちょっぴり気になる。

いや、かなり気になる...............。

気になるのなら、立ち寄っちゃえ〜!
と、言うことで立ち寄った先は.............................地蔵ケヤキ


地蔵ケヤキは高源寺本堂正面の境内の中央にあります。
樹齢1600年とも言われ、高さ27m、胸高直径3.3mを計る大樹です。
幹は途中で大きく枝分かれしており、そこからさらに大枝が伸びています。
そして、中心の巨大な幹は内部が大きく空洞となっており、
そこにいつ頃からは不明ですが、名称の由来となった地蔵尊が祀られています。

高源寺は、山号は普蔵山。
臨済宗妙心寺派のお寺で承平元年(931年)に平将門公の建立と言われています。
当初は真言宗のお寺でしたが、鎌倉時代に臨済宗に改宗されたそうです。




こちらが高源寺の参道。

      20170131地蔵ケヤキ01


そして山門。

      20170131地蔵ケヤキ02


山門に掲げられた扁額。

      20170131地蔵ケヤキ03

はたして、これは何と読むのだろう?
寺号の『高源寺』でも無さそうだし、
山号の『普蔵山』でも無さそうです。


山門をくぐると、目の前にケヤキの巨木。

      20170131地蔵ケヤキ04

これが地蔵ケヤキですが、こちらは裏側。


正面には立派な説明板。

      20170131地蔵ケヤキ05



そして、正面からの地蔵ケヤキ。

      20170131地蔵ケヤキ06


幹がくり抜かれたように大きな空間があり
そこに地蔵が祀られています。

      20170131地蔵ケヤキ07


      20170131地蔵ケヤキ08


      20170131地蔵ケヤキ09

このお地蔵さんは、子育て地蔵尊。
安産・子育てにご利益があると言われ、多くの人が参詣するそうです。


こちらが、本殿。

      20170131地蔵ケヤキ10


本殿に掲げられた扁額。

      20170131地蔵ケヤキ12

こちらは山号でした。



本殿の屋根には『九曜紋』。

      20170131地蔵ケヤキ11


      
こちらは鐘楼。

      20170131地蔵ケヤキ13



鐘楼の屋根瓦にも九曜紋。

      20170131地蔵ケヤキ14

この場所から数百mの距離にある高井城址。
その高井城は相馬氏の居城であり、その相馬氏の家紋が九曜紋。
さらに相馬氏は千葉氏同様に平将門の流れを汲む一族。
九曜紋があるのも当然なのかもしれない。



別アングルからの地蔵ケヤキ。

      20170131地蔵ケヤキ15



高源寺の境内には、地蔵ケヤキ以外にも古木(巨木)がある。

      20170131地蔵ケヤキ16


偶然知り得た地蔵ケヤキと高源寺。
思わぬ所で千葉氏の家紋である九曜紋が見れたのはラッキーでした。





2017/03/02 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

熊野神社と熊野皇大神社 (2016年12月6日)(長野県北佐久郡軽井沢町、群馬県安中市) 

12月6日 公休日

12月6日、7日と軽井沢方面へ1泊で出かけました。

めがね橋をあとにして、向かった先は...............熊野皇大神社


熊野神社(熊野皇大神社)は本宮の中心が、
長野県と群馬県の境になっている珍しい神社です。
長野県側では「熊野皇大神社」、群馬県側では「熊野神社」と呼ばれています。
 
その歴史はたいへん古く「古事記」「日本書紀」の伝承にまで遡り、
日本武尊が建立したと伝わる古社です。
群馬県側に鎮座されるのが「新宮」(祭神: 速玉男命)
県境に鎮座されるのが「本宮」(祭神:伊邪那美命・日本武尊)
長野県側に鎮座されるのが「那智宮」(祭神:事解男命)になります。
樹齢800年といわれる御神木のシナノキの他、
追分節にうたわれた石の風車や、室町時代中期の作と伝わる狛犬、
山口誓子句碑など様々な見所があります。



鳥居前には県境線

      20161206熊野神社05

鳥居に向かって右側が群馬県
左側が長野県。


こちらが鳥居。
鳥居には扁額が掲げられていません。

      20161206熊野神社01

こう言う場合、どちらの鳥居になるのだろう。


一応、申し訳程度なのか?
1つのお宮に2つの宗教団体と、お断りのお知らせ。

      20161206熊野神社02



鳥居右側、群馬県側の熊野神社の由来書き。

      20161206熊野神社03


こちらは鳥居左側。
長野県側の熊野皇大神社の狛犬。

      20161206熊野神社04

これも由緒あるモノらしい。


      
石段を上って境内に向かいます。

      20161206熊野神社06


石段を上りきれば、山門。
この場合、神社だから山門って言わないのかな?

      20161206熊野神社07



さっきの境界線の延長沿いに建つから
どちらでも無いのかな?と思っていたら
扁額には熊野皇大神社の文字。

      20161206熊野神社08


      20161206熊野神社09


      20161206熊野神社10



境内の長野県側にある石の風車。

      20161206熊野神社11

神社正面の石畳を奉納した記念碑として奉納されたものらしい。


こちらが、長野県側の熊野皇大神社のお宮。

      20161206熊野神社12



こちらが群馬県側の熊野神社の釣鐘。

      20161206熊野神社13


群馬県内で最古の釣鐘であり、群馬県重要文化財にしていされています。
新宮殿内にあり、無料で拝観できます。

      20161206熊野神社14


広くはない境内にお宮が3つもあり、ごちゃごちゃしている感は否めない。
あんまり犬連れで長居ができそうな雰囲気でもないので
早々に引き上げることにしました...............。






2016/12/30 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

養老八景 《 観音橋・出世観音 》   (2016年11月16日)(千葉県市原市) 

11月16日 公休日

この日は、房総半島の養老渓谷へ出かけました。

養老渓谷には養老渓谷温泉旅館組合が制定した
養老警告八景なるモノがあります。..
養老川の渓谷周辺の8つの景勝地。
その内訳は
   梅ヶ瀬渓谷       (訪問した記事は  こちら  )
   観音橋・出世観音
   弘文洞跡         (訪問した記事は  こちら  )
   懸崖鏡          (訪問した記事は  こちら  )
   筒森もみじ谷      (訪問した記事は  こちら  )
   水月寺          (訪問した記事は こちら   ) 
   粟又の滝(養老の滝) (訪問した記事は  こちら  )
   金神の滝        (訪問した記事は  こちら  )  となっています。



養老八景


この日巡った養老八景。
その最終章は...............養老八景 観音橋・出世観音


養老川の流れに沿って中瀬遊歩道を歩いていると
遊歩道の終点近くで赤い橋が見えます。

      20161116養老渓谷八景 観音橋・出世観音01


その赤い橋が観音橋です。

      20161116養老渓谷八景 観音橋・出世観音02


養老渓谷駅からハイキングに来れば
この観音橋が養老渓谷の入口。

      20161116養老渓谷八景 観音橋・出世観音03


      20161116養老渓谷八景 観音橋・出世観音04



観音橋は、趣きのある二連の太鼓橋。
朱塗りの欄干が一際目立ちます。

      20161116養老渓谷八景 観音橋・出世観音05



      20161116養老渓谷八景 観音橋・出世観音06


      20161116養老渓谷八景 観音橋・出世観音07


      20161116養老渓谷八景 観音橋・出世観音08


      20161116養老渓谷八景 観音橋・出世観音10


観音橋は出世観音の参道の入口。

裏を返せば、観音橋を渡った先が出世観音。

      20161116養老渓谷八景 観音橋・出世観音11



出世観音は、正式名称は養老山立國寺と言います。
伊豆の石橋山の戦いで破れ、房総半島に逃げ延びた源頼朝。
その頼朝が再起をかけ祈願した「出世観音」として知られ、
「開運招福の観音様」、「祈祷の名刹」として古くから多くの方々に親しまれているそうです。


観音橋を渡ると石段。

その石段を元気良く上がる びいすけ 。

      20161116養老渓谷八景 観音橋・出世観音12



石段の先は平坦路。

      20161116養老渓谷八景 観音橋・出世観音13



やがてトンネル。

      20161116養老渓谷八景 観音橋・出世観音14


      20161116養老渓谷八景 観音橋・出世観音15



トンネルを抜けると再び石段。

      20161116養老渓谷八景 観音橋・出世観音16



観音橋から歩くこと約5分。
出世観音に到着です。

      20161116養老渓谷八景 観音橋・出世観音17


こちらが出世観音(立國寺)の境内。
正面が本堂。

      20161116養老渓谷八景 観音橋・出世観音18



こちらが本堂。

      20161116養老渓谷八景 観音橋・出世観音19


境内に建つ説明板。

      20161116養老渓谷八景 観音橋・出世観音20

出世観音の由来が記されています。



本堂の柱にくくりつけられた、山号と寺号が記された看板。
扁額じゃない所が新鮮に見えたりします。

      20161116養老渓谷八景 観音橋・出世観音21



観音堂(?)

      20161116養老渓谷八景 観音橋・出世観音22


こちらは、金色の出世観音。

      20161116養老渓谷八景 観音橋・出世観音23

なぜか、急に俗っぽく感じてしまいます。
ご本尊である観音像は境内の本堂に安置されているそうです。


金色に輝く観音像よりも、
黄色一色のイチョウの木に目が奪われました。

      20161116養老渓谷八景 観音橋・出世観音24



ちょっぴり興醒めした感もあるので、下山します。

下りの参道から眺める観音橋。
周りの木々が色付いていたら、画になりますね。

      20161116養老渓谷八景 観音橋・出世観音25



再び、中瀬遊歩道を歩いて、駐車場(?)まで戻ります。

観音橋に見送られているような感じがするのは気のせい?

      20161116養老渓谷八景 観音橋・出世観音26


何だかんだと言いながらも、この日で養老八景を7ヶ所巡り、
以前訪れた『梅ヶ瀬渓谷』を併せて、これで『養老八景』も制覇。

今日1日だけでも、かなりの距離を歩いた気がします。
一緒に歩いた びいすけ もお疲れ様でした。




2016/12/13 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 水郷麻生 》   (2016年11月12日)(茨城県行方市) 

11月12日  公休日

この日は、茨城県の行方市、及び霞ケ浦周辺の茨城百景巡りに出かけました。


茨城百景とは、茨城県観光審議会によって昭和25年に選出された
茨城有数の景勝地が100ヶ所網羅されています。
時代の移り変わりにより、形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。
ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。

実は、私もその一人であり、最近になって茨城百景を追いかけることにいたしました。

そんな訳で、西蓮寺をあとにして向かった先は...............茨城百景 水郷麻生



『茨城百景 水郷麻生』の碑は、
霞ケ浦湖畔の八坂神社の境内に在るとの事なので
八坂神社を目指します。

こちらが八坂神社。

       20161112茨城百景 水郷麻生01


湖畔にある神社で敷地はさほど広くはない。
1612年に麻生藩主となった新庄氏が、
麻生藩の総鎮守として建立したと言われています。

       20161112茨城百景 水郷麻生04




しかしながら、この八坂神社は全国的にも珍しい祭りで有名らしい。
『麻生祗園馬出し祭』と呼ばれる祭りは、行方市の無形文化財に指定されているようです。

       20161112茨城百景 水郷麻生02



八坂神社の境内で馬と神輿が勇ましい戦いを繰り広げた後、
神輿が霞ヶ浦の中で揉まれると言う祭りらしい。

この狭い境内を馬と神輿が絡まると言うのか?

       20161112茨城百景 水郷麻生03

確かに細長い境内は、馬が走るには都合が良い。

       


境内の一画に建つ『茨城百景』の碑。

       20161112茨城百景 水郷麻生05


       20161112茨城百景 水郷麻生06



百景の碑のすぐは近くに建つ碑。

       20161112茨城百景 水郷麻生07

『茨城45景當選記念塔』と刻まれています。


この八坂神社の在る地は『茨城百景』でありますが
『茨城45景』の地でもあるようです。

ちなみに『茨城45景』とは、
昭和10年に茨城新聞社が創立45周年を記念して行った事業で、
県民投票によって選ばれた45カ所の景勝地と言うことらしい。
昭和10年って、今から80年以上も前の話。


80年前と変わっていないんだろうか?

       20161112茨城百景 水郷麻生08



麻生の地の霞ケ浦の湖畔を大王崎と言うらしい。

       20161112茨城百景 水郷麻生09

そもそも、『麻生祇園馬出し祭り』では馬をヤマタノオロチ、
神輿をスサノオに見立てていると言われています。
八坂神社の祭神は須佐之男命(スサノオノミコト)であることから
馬と神輿が戦うことによってヤマタノオロチとスサノオの戦いを表しているとされています。

しかし、元々は八坂神社の祭神は牛頭天王と呼ばれる祭神でしたが
明治政府の神仏分離令により、牛頭天王の『天王』が天皇と同じ読みのため、
スサノオが八坂神社の祭神となったと言うことらしい。
そして、八坂神社が鎮座する地名を牛頭天王から天王崎と呼ぶようになったらしい。



拝殿前にて。

       20161112茨城百景 水郷麻生10


こちらが拝殿。

       20161112茨城百景 水郷麻生11



八坂神社に因んだもう一つの指定文化財。
獅子頭の標柱。

       20161112茨城百景 水郷麻生12

『麻生祇園馬出し祭り』では、昭和20年頃まで、船材の厚板で船大工が頑丈に作った神輿に
獅子頭を奉収して、しめ縄を幾重にも巻き付けました。
御幣を先頭に、子供たちが神輿を担ぎ、家々の庭先で荒々しく叩きつけ、
家庭から疫病を防ぎ、災厄を免れるよう雄叫びをあげて走ったそうです。
毎年、これを繰り返し、獅子の下顎と両耳は欠落しまったそうです。

今では『麻生祇園馬出し祭り』の際に拝殿に飾られるそうです。



麻生八坂神社の境内には句碑が多い。

      20161112茨城百景 水郷麻生13


      20161112茨城百景 水郷麻生14


      20161112茨城百景 水郷麻生15




霞ケ浦の湖畔に隣接しているから
八坂神社からサイクリングロードを挟んで、すぐに湖畔なります。

      20161112茨城百景 水郷麻生16




かつては、湖水浴場だった浜辺。

      20161112茨城百景 水郷麻生17

この景観が茨城百景に選定されたんでしょうね


そして、『麻生祇園馬出し祭り』では、
この浜辺に神輿が揉まれているそうです。

      20161112茨城百景 水郷麻生18


      20161112茨城百景 水郷麻生19


機会があったら、『麻生祇園馬出し祭り』も見に来れたらいいなぁ。



2016/11/30 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit