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び・び・びのびいすけ

真壁氏累代墓地及び墓碑群 (2017年2月6日)(茨城県桜川市) 

2月6日 公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。

茨城百景『伝正寺と真壁城址』(?)の真壁城址から向かった先は...............

          真壁氏累代墓地及び墓碑群


真壁城の南約800mに真壁氏の氏寺と伝える遍照院正得寺があります。
その境内には、40基の五輪塔群があります。
塔高150cm前後と中型ですが、造塔技法からみて、鎌倉時代から戦国時代のものと思われます。
銘文などは読みとれませんが、真壁氏の墓碑群と確認されています。

せっかく真壁城址に立ち寄ったんだし、素通りするのも味気ない。
それに遍照院に隣接する場所にも立ち寄りたかったからちょうど良い。


遍照院の敷地内?
本堂脇にある、いかにもそれっぽい土壇。
ここが、真壁氏累代墓地及び墓碑群のようです。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址29




こちらが、遍照院の山門。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址23

墓地の間を通って本堂へと導いてくれます。


この石段の先が本堂。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址24



こちらが本堂。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址25



本堂に掲げられた扁額。

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本堂を別アングルから。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址27



本堂脇に建っている遍照院の由緒書き。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址28


      
本堂脇の土壇に上がってみると、やはりそこは真壁氏累代墓地でした。

土壇の建つ標柱。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址30


立派な説明板碑。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址31



数えていないから、本当に40基あるのか分からないけれど、
確かに多く並ぶ五輪塔群。

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これらが、歴代の真壁氏の墓石と言うのだから圧巻です。

      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址33


      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址34


      20170206茨木百景 伝正寺と真壁城址35


真壁氏はもともと常陸平氏の宗族にして
常陸国府の有力在庁官人であった大掾氏を祖とする一族でした。
平安時代末期に生まれた武家であり、祖である真壁長幹が多気氏の四男でした。
分家するにあたり真壁郡に領地を得て、真壁城を築城して
次第に真壁郡を中心として、真壁氏の勢力基盤が形成されるようになりました。

源頼朝が東国において自立した際、当初は積極的な関与をしなかったものの、
後にこれに臣従し、真壁郡の大半を占める真壁荘地頭に任じられ、
鎌倉幕府の御家人として活動するようになりました。

南北朝時代を向え、真壁氏は当初は南朝方で活動していたようですが、
のち北朝方になり、足利尊氏のもとに参じました。

また、戦国時代には佐竹氏や南関東を制圧した北条氏との間をうまく渡り歩き、
最終的には佐竹氏の家臣となって活躍しました。

しかし、主君である佐竹義宣が関ヶ原の戦いに西軍方となった咎で
出羽国秋田に転封となると、真壁氏はこれに随行しました。
こうして、平安時代から徳川幕府の成立した江戸時代初期までの四百数十年の間、
真壁氏はこの地の領主として君臨していたそうです。

確かに四百数十年も一つの地に居れば、40基の墓石にもなるでしょう。
これもまた、一つの歴史ですね。




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2017/03/07 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit