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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

廃校を訪ねて................金江津小学校田川分校  (2019年1月20日)(茨城県稲敷郡河内町) 

1月20日 


茨城県の河内町には、今から60年前に廃校となった分校が3つ在りました。
今回、その分校跡を探してみました。

その三つ目。
向かった先は....................旧・河内村立金江津小学校田川分校。


とは、言っても情報不足。
田川分校の創設時期は不明ですが、
昭和34年に田川分校、十三間戸分校、片巻分校、が本校に統合され廃校になりました。



ネットで調べても詳細がわからない。
当然、所在地も分かりません。
となると、いつものように住所の大字であたりをつけて
周辺の公民館と言ったような施設を探します。

しかし、それらしき施設が見つからない。

こうなったら、行き当たりバッタリで探しましょう。

田川集落でそれらしき建物を探しますが良く分からない。
そもそも公民館らしきモノが見当たらない。
それでも墓参りをしていたおじいさんを見つけて尋ねてみると
近くにある建物を指差し、『田川共同利用施設』が田川分校跡だと教えてくれました。

やっぱり、地元の年配者は貴重な情報源。




こちらが田川分校跡。

      20190120田川分校01

利根川の堤防沿いの県道に面した場所に在りました。



廃校から既に60年。

      20190120田川分校02



当然、校舎は解体されて新たな建物が建てられています。

      20190120田川分校03



建物の前の花壇には、老人クラブの名の入った札が掲げられていたから
地域の老人の集いの場となっているのかも知れません。

      20190120田川分校04




残念ながら往時の門柱や二宮像、
廃校記念碑や学校跡地の碑と言ったようなモノは無く
遊具も残されていない。

      20190120田川分校05



これらの木々は往時からこの場所に在ったのだろうか?

      20190120田川分校06


60年前に廃校となったこの場所は、
往時の子供達や卒業生たちの憩いの場となっているようですね。



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2019/03/17 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................金江津小学校十三間戸分校  (2019年1月20日)(茨城県稲敷郡河内町) 

1月20日  

茨城県の河内町には、今から60年前に廃校となった分校が3つ在りました。
今回、その分校跡を探してみました。

その二つ目。
向かった先は....................旧・河内村立金江津小学校十三間戸分校。

とは、言っても情報不足。
十三間戸分校の創設時期は不明ですが、
昭和34年に十三間戸分校、片巻分校、田川分校、が本校に統合され廃校になりました。


ネットで調べても詳細がわからない。
当然、所在地も分かりません。
となると、いつものように住所の大字であたりをつけて
周辺の公民館と言ったような施設を探します。
しかしながら、それらしき建物は地図上には表記されていない。
こうなりゃ、当たって砕けろ!

利根川沿いに細長く広がる十三間戸集落を車で徘徊いたします。

そんな中、見つけた施設がこちら。

こちらも、見た感じは分校跡っぽい。

      20190120十三間戸分校01



でも自信がない。
近くに誰か居ないか?

たまたま3軒先の民家から人が出て来た。
初老の男性。
年代的にもちょうど良い。

尋ねてみると、間違いなく十三間戸分校の跡だということです。

      20190120十三間戸分校02



まぁ、過去の経験から言うと、廃校になった小さい小学校や分校は
廃校後、地域の公民館や集会所等に再利用されるパターンが多い。

そして、これも経験値になるけれど、
その公民館や集会所に隣接する、もしくは敷地内に消防倉庫や
防災倉庫が置かれている事が多い。

      20190120十三間戸分校06

これを見れば、一目瞭然。
消防倉庫に地域の集会所。
ある意味、鉄板の法則に基づきます(笑)。



廃校時期は60年前。
残念ながら、当時の面影は残されていない。
校舎も解体され、新しく施設の建物が建てられました。

      20190120十三間戸分校03



敷地もさほど広くもないから、往時もこんな感じで
校舎が建っていたのかもしれない。

      20190120十三間戸分校04


敷地内に建つ石碑を見つけ、思わず廃校記念碑と思い喜んだけれど
実は、違っていた。

      20190120十三間戸分校05


堤防沿いに広がる田圃を整備した記念碑です。


二宮像も無いし、碑も無い。 
学校跡を示すものが何も無い。

いずれ、この地も学校跡だった事、分校跡地であった事を
記憶と記録の中から消えてしまうんだろうなぁ。



  


2019/03/17 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り.........................金江津側高神社  (2018年1月20日)(茨城県稲敷郡河内町) 

1月20日   

この日、茨城県の利根川沿いにある河内町に出かけたのは
金江津 側高神社に行くためでした。

普段は無人の神社ですが、1月20日は宮司さんが神社にいらっしゃると言う事で
都合の良い時間である朝9時半頃と指定を受けて、この日訪れました。

金江津 側高神社は、稲敷郡河内町金江津に鎮座する神社です。


文永年間(1264年~1274年)のある朝、漁をしていた男に白髭の翁が現れ、
「吾は大倉の神ぞ。われを厚く祀れば諸難、殊に火難を除くべし」と告げて消えました。
すぐさま男は村人に諮り、大倉(香取市)の側高神社の御分霊を迎え大嶋川岸に祀り、
鎮守の神としのが始まりとされています。

御祭神は、 天津彦火火出見命。


こちらが、一の鳥居。

      20190120側高神社01



一の鳥居に掲げられた神額。

      20190120側高神社02



手水舎。

      20190120側高神社03



二の鳥居。

      20190120側高神社04


境内の参道。

      20190120側高神社05



神社幟。

      20190120側高神社06

神社幟が立っているということは、この日は例祭日でしょうか?




こちらが、拝殿。

      20190120側高神社07



拝殿正面。

      20190120側高神社08



別アングルからの拝殿。

      20190120側高神社09



そして、こちらが本殿。

      20190120側高神社10



本殿の説明板。

      20190120側高神社11

この本殿は、河内町の指定文化財になっているようです。



拝殿前の天水桶。

      20190120側高神社12



その脇には狛犬。

      20190120側高神社13


      20190120側高神社14



こちらは、境内社の稲荷神社。

      20190120側高神社15



同じく境内社の皇大神宮。

      20190120側高神社16



境内の石祠。

      20190120側高神社17


      20190120側高神社18



石祠に混じって、青面金剛刻像 。

      20190120側高神社19

このあたりは、神仏習合の名残りが色濃い。



板碑も多く建ち並ぶ。

      20190120側高神社20


      20190120側高神社21


      20190120側高神社23


      20190120側高神社24



戦没者碑。

      20190120側高神社22

いわゆる忠魂碑。



こちらが、御朱印。

      20190120側高神社25


拝殿内で宮司さんに墨書きしていただきました。
氏子さんたちが集まる直前の、多忙な時間を割いて頂きました。
ありがとうございました。





2019/03/15 Fri. 15:15 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................金江津小学校    (2019年1月20日)(茨城県稲敷郡河内町) 

1月20日  

この日は、茨城県の河内町にやって来ました。

平成30年の春に河内町に新しく小中一貫校が開校しました。
それにともない、既存の小学校3校が廃校となりました。
今回は、その3校を訪ねる為に河内町にやって来ました。

その第3弾は、....................河内町立金江津小学校。


金江津小学校は、

明治9年        千葉県香取郡金江津村に仮校舎にて学校創立。
           公立金江津小学校と称する。
明治20年       金江津村立金江津尋常小学校と改称する。
明治32年       県域変更にて金江津村が茨城県稲敷郡に編入する。
           茨城県稲敷郡金江津村立金江津尋常小学校と改称する。
昭和22年       学制改革により、金江津村立金江津小学校と改称する。
昭和33年       金江津村が河内村に編入する。
           河内村立金江津小学校と改称する。
昭和34年       片巻分校、田川分校、十三間戸分校が本校に統合され廃校になる。
平成8年        河内村が町制施行して河内町が誕生。
           河内町立金江津小学校と改称する。
平成30年       金江津小学校、みずほ小学校、生板小学校が合併して小中一貫校 かわち学園が誕生。
           金江津小学校は廃校となる。


と、このような沿革となっています。



こちらか、金江津小学校の正門跡。

      20190120金江津小学校01


門柱に残る表札。

      20190120金江津小学校02



正門脇のブロック塀には横断幕。

      20190120金江津小学校03

地元に愛された小学校のようですね。


正門近くの校庭より眺める校舎。

      20190120金江津小学校04



別アングルからの校舎。

      20190120金江津小学校05


      20190120金江津小学校06



校舎の正面玄関。

      20190120金江津小学校07


玄関の庇には、校名と校章。

      20190120金江津小学校08



金江津小学校の校章。

      20190120金江津小学校09



校舎前の国旗掲揚ポール。

      20190120金江津小学校10



校訓の碑。

      20190120金江津小学校11


いっしゅ、二宮像に見えたけど違っていた。

      20190120金江津小学校12

男女の子供の像。
タイトルは『大志』。

少年よ、大志を抱け! って言うやつですね。



正門脇で、二宮像を発見!

      20190120金江津小学校13


      20190120金江津小学校14



こちらが、日常的に使われていた門になるのか?

      20190120金江津小学校15


表札もこちらの方が新しい。

      20190120金江津小学校16



隣接する認定こども園。

      20190120金江津小学校17


かつては、河内町金江津保育所だったようです。

      20190120金江津小学校18

今や、保育所や保育園も地方自治体によっては民間委託している自治体も多い。
こちらもそうなんでしょうか?


こども園や保育所の表札が掛かる古い門柱。

      20190120金江津小学校19

これらの門柱は、金江津小学校の門柱だったんでしょう。



こちらは、体育館。

      20190120金江津小学校20



校庭に残る遊具類。

      20190120金江津小学校21


      20190120金江津小学校22


      20190120金江津小学校23


      20190120金江津小学校31


      20190120金江津小学校24


      20190120金江津小学校25


      20190120金江津小学校26




校舎の傍には朝礼台。

      20190120金江津小学校27



使われなくなったローラー。

      20190120金江津小学校28



なぜか、校庭にポツンとスケートボード。

      20190120金江津小学校29



きっと誰かが忘れていったのでしょう。

      20190120金江津小学校30


 
みずほ小学校(源清田小学校)、生板小学校、金江津小学校と
明治初期から続く伝統ある小学校が、3校も同時に廃校となった河内町。    
伝統か?
合理化か?
難しい選択肢の中で、新設された小中一貫校が
上手くいくことを願っています。



2019/03/15 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................金江津小学校片巻分校    (2019年1月20日)(茨城県稲敷郡河内町) 

1月20日   

この日は、茨城県の河内町にやって来ました。

茨城県の河内町には、今から60年前に廃校となった分校が3つ在りました。
今回、その分校跡を探してみました。

その一つ目。
向かった先は....................旧・河内村立金江津小学校片巻分校。


とは、言っても情報不足。
片巻分校の創設時期は不明ですが、
昭和34年に片巻分校、田川分校、十三間戸分校が本校に統合され廃校になりました。


ネットで調べても詳細がわからない。
当然、所在地も分からない。
となると、いつものように住所の大字であたりをつけて
周辺の公民館と言ったような施設を探します。

ヤフーMapを見て、今回あたりをつけたのが
片巻集落に在る河内町第四公民館別館。

こちらが、その公民館。

      20190120片巻分校01



確かに分校跡っぽい雰囲気はある。

      20190120片巻分校02



隣の民家に住む初老の男性に尋ねたら
間違いなく、ココが片巻分校跡だということです。


片巻分校の創立時期は不明ですが、
この辺りが明治期には千葉県香取郡片巻村であった事から
明治期に片巻村に創設された学校が原点になっているのかもしれません。
利根川の河川沿いに広がるこの地区は、当初は千葉県の県域でしたが
明治32年に県域変更があり、千葉県の管轄下から茨城県へと移管した経緯もあり
あまり詳細な記録が残されていないようです。

昭和34年に十三間戸分校、田川分校と共に本校に統合されて廃校となりました。



今から60年前に廃校となった分校。
当然、校舎はとっくに解体され、
跡地には公民館が建てられている。
      
      20190120片巻分校03


      20190120片巻分校05


校舎、門柱、廃校記念碑、学校跡碑、二宮像、遊具類など
いわゆる学校遺構は全く残っていない。
学校跡を示すモノが残念ながら無い。


隣接するのは、宰府神社。
いわゆる天満宮。

      20190120片巻分校04

明治期に片巻村に創設された学校であるのなら
神社やお寺の敷地内に学校が創設された例は数多い。
      

かつての校庭跡。

      20190120片巻分校06


      20190120片巻分校07

色々とネットで調べてみても詳しい事はわからない。


いずれにしても、この場所が分校跡だった事は間違いない。
あと10年もすれば、この辺りの住人も代替わりをして
この地が、学校跡だった事は誰も知らなくなるだろう。

せめて、私だけは覚えておこう。





2019/03/14 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................生板小学校    (2019年1月20日)(茨城県稲敷郡河内町) 

1月20日   

この日は、茨城県の河内町に出かけました。

河内町には、平成30年の春に小中一貫校が開校したことにより
3つの小学校が廃校になりました。
今回は、その3つの小学校を訪ねてみました。

その第2弾は........,.........河内町立生板小学校。


生板小学校は、

明治8年      丸田坪庵を校舎として第32番地中学区と称する。
明治20年      現在地に校舎建築
明治34年      生板尋常高等小学校と改称する。
昭和22年      学制改革により、生板村立生板小学校と改称する。
昭和30年      生板村、長竿村、源清田村が合併して河内村が誕生。
          河内村立生板小学校と改称する。
平成8年       河内村が町制施行して河内町が誕生。
          河内町立生板小学校と改称する。
平成30年      生板小学校、金江津小学校、みずほ小学校が合併して小中一貫校 かわち学園が誕生。
          生板小学校は廃校となる。


と、このような沿革となっているようです。


こちらが、生板小学校の正門跡。

      20190120生板小学校01


      20190120生板小学校25



門柱に残る表札。

      20190120生板小学校02



正門跡から50mほど離れた校庭のフェンス沿い。

      20190120生板小学校03

そこには、古い石造りの門柱。


どうやら、生板小学校の古い石造りの門柱のようです。

      20190120生板小学校04



正門の先には二宮像。

      20190120生板小学校05

えっ!
いきなり!?

って思ったりもしたけれど、
二宮像が在るのと無いとじゃ、テンションも変わります。

二宮像って、一体一体表情が違うから、比べるのも楽しい。


こちらの、表情は掴みづらい。

      20190120生板小学校06



こちらは、生板小学校創立100周年記念碑。

      20190120生板小学校07

正門脇に二宮像と対峙しするように建っています。



校庭より、生板小学校の全景。

      20190120生板小学校08



鉄筋コンクリート製3階建校舎。

      20190120生板小学校09


こちらは、鉄筋コンクリート製2階建校舎。

      20190120生板小学校10


こちらは、体育館。

      20190120生板小学校11



校庭からの校舎。

      20190120生板小学校12


      20190120生板小学校13



正面玄関。

      20190120生板小学校14


玄関の庇には生板小学校の校章。

      20190120生板小学校15



校舎。

      20190120生板小学校16



校舎の正面。
国旗掲揚ポール。

      20190120生板小学校17



校庭に残る遊具類。

      20190120生板小学校18


      20190120生板小学校19


      20190120生板小学校20


      20190120生板小学校21


      20190120生板小学校22



壊れて倒れているバスケットゴール。

      20190120生板小学校23



校舎の傍には朝礼台。

      20190120生板小学校24

この朝礼台も、もう使われる事も無いんだろうなぁ................。




    

2019/03/14 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................みずほ小学校    (2019年1月20日)(茨城県稲敷郡河内町) 

1月20日  

この日は、茨城県の河内町に出かけました。

河内町は平成30年の春に小中一貫校が誕生し、
それまであった3校の小学校が廃校になりました。
その3校を訪ねてみました。

その第1弾は、........................河内町立みずほ小学校。

まるで、銀行のような学校名ですが、
みずほ小学校そのものは歴史が浅く、
平成24年に廃校となった源清田小学校が前身となります。

みずほ小学校は、平成24年に源清田小学校と長竿小学校が統合して
源清田小学校の施設を流用して、みずほ小学校として開校しました。
しかしながら、6年後に小中一貫教育校(かわち学園)の開校に伴い
平成30年の春、町内の他の2校共々廃校となりました。

ちなみに、前身の源清田小学校は

明治8年      保村の光明院を仮校舎として開校する。
明治19年      県令により、合併して古河林小学校と改称する。
明治26年      源清田尋常小学校として設置、認可される。
明治22年      町村制施行に伴い、源清田村・手栗村・古河林村・羽子騎村・
          平二郎歩・布鎌町歩・猿島新田・宮淵鍋子新田が合併し
          茨城県河内郡源清田村が誕生する。
昭和17年      源清田村と長竿村が合併して瑞穂村が誕生。
昭和22年      学制改革により瑞穂村立源清田小学校と改称する。
昭和24年      瑞穂村の旧・源清田村域が分離して源清田村が誕生。
          (瑞穂村は昭和25年に長竿村と改称する。)
           源清田村立源清田小学校と改称する。
昭和30年      源清田村、長竿村、生板村が合併して河内村が誕生。
          河内村村立源清田小学校と改称する。
平成8年       河内村が町制施行し、河内町が誕生。
          河内町立源清田小学校と改称する。

そして、平成24年に長竿小学校と合併してみずほ小学校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、みずほ小学校の正門跡。

      20190120みずほ小学校01

すなわち、源清田小学校の正門跡でもあります。


門柱に残る表札。

      20190120みずほ小学校02



正面玄関。

      20190120みずほ小学校03



正面玄関の壁面には校訓?
『 共に生き、共に育つ 』

      20190120みずほ小学校04



こちらが校舎。

      20190120みずほ小学校05


鉄筋コンクリート製の3階建校舎。

      20190120みずほ小学校06

      20190120みずほ小学校07


校舎正面の国旗掲揚ポール。

      20190120みずほ小学校08


校舎の前の少女の像。

      20190120みずほ小学校09



廃校記念碑かと思ったら違っていた。

      20190120みずほ小学校10

源清田小学校の創立100周年の記念碑。
校歌の碑。


裏面には、沿革が刻まれています。

      20190120みずほ小学校11



こちらは、体育館。

      20190120みずほ小学校12


校庭。

      20190120みずほ小学校13


      20190120みずほ小学校14


他のワンちゃんか何かの匂いがするのか?

      20190120みずほ小学校15

やたらと匂い嗅ぎが忙しい びいすけ 。



校庭の遊具類。

      20190120みずほ小学校16


      20190120みずほ小学校17


      20190120みずほ小学校18


      20190120みずほ小学校19


朝礼台。

      20190120みずほ小学校20


残念ながら、廃校記念碑も二宮像も無い。
でも6年前に源清田小学校跡として訪れた時には
中に入れなかったみずほ小学校。
(さすがに、現役の小学校に平日の昼間に入る事は出来ません。)

まあ、6年越しでその全容が分かった訳だけど
いずれ廃校になる計画があったとしたのなら、
源清田小学校のままで良かったんしゃない?



2019/03/13 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

かわち水と緑のふれあい公園  (2014年7月24日)(茨城県稲敷郡河内町) 

7月24日 公休日


この日は、茨城県河内町と稲敷市の廃校巡りに出かけました。

河内町の旧・小学校(現・みずほ小学校)から稲敷市に向う途中で
気になる公園を見つけたので立ち寄ってみることにしました。


立ち寄った先は.....................かわち水と緑のふれあい公園



先ずは公園案内図で現在地とおおよその公園の概要を把握します。


      20140724 かわち水と緑のふれあい公園01



水と緑のふれあい公園と名打つように、この公園の見所は池。
そして芝生広場のようです。




こちらが芝生広場。


      0140724 かわち水と緑のふれあい公園02



芝生広場の脇を川(農業用水?)が池に流れこんでいるようです。


      0140724 かわち水と緑のふれあい公園03


      0140724 かわち水と緑のふれあい公園04



立派なグランドも完備。
野球もサッカーも出来ます。


      0140724 かわち水と緑のふれあい公園05




グランドには入れないから、周遊路を散策します。


先ほどの川と言うか、農業用水路に沿って歩いてみます。


      0140724 かわち水と緑のふれあい公園06


      0140724 かわち水と緑のふれあい公園07


      0140724 かわち水と緑のふれあい公園08



この先は池。


      0140724 かわち水と緑のふれあい公園09



そして、こちらが池。


      0140724 かわち水と緑のふれあい公園10



池のすぐそばには、藤棚がありますが、草が茫々。
とても綺麗に管理されているとは言えない状態。

春にしっかりと藤の花が咲いているんだろうか?


      0140724 かわち水と緑のふれあい公園11



四阿(あずまや)で陽射しを避けて、ちょっくら小休止。


      0140724 かわち水と緑のふれあい公園12



      0140724 かわち水と緑のふれあい公園13




息を整え、再び池の周りを散策します。


      0140724 かわち水と緑のふれあい公園14



何やら石碑があります。


      0140724 かわち水と緑のふれあい公園15


大野誠夫(おおの のぶお)の歌碑のようです。

大野誠夫(1914~1984)は河内町生れの歌人で、昭和59年2月7日熱海で69歳の生涯を閉じるまで、常に日本歌壇の第一線で活躍したそうです。

いわゆる地元の著名人の碑になります。



      0140724 かわち水と緑のふれあい公園16



歌人を輩出した町でもあるから、短歌や俳句が盛んなのでしょうか?

こちらの石碑は西暦2000年を記念した石碑で
地元の方々の詠んだ俳句が刻まれています。


      0140724 かわち水と緑のふれあい公園17



池の中央に架かる木橋と言うか、
ウッドデッキと言った方が正解か?

このデッキがこの池の一番の見所?


      0140724 かわち水と緑のふれあい公園18



びいすけ もその辺りをわかっているのか?
大人しく座っています(笑)。


      0140724 かわち水と緑のふれあい公園19



さすがに7月も中旬になると、午前中と言えども陽射しは強い。
昼間の公園散歩も段々とキツイ時期になってきたようです。


近くに色んな公園があれば、朝早くから公園散歩もできるんだけど
こればっかりは仕方ない。

公園散歩は、暫くお預けになっちゃうのかな?







2014/08/12 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................長竿小学校                                (2014年7月24日)(茨城県稲敷郡河内町) 

7月24日 公休日


この日は茨城県の稲敷市、河内町廃校巡りに出かけました



最初に訪れたのは..............


          河内町立長竿小学校


長竿小学校は

明治8年      長竿村に開校。
昭和22年     長竿村立長竿小学校と改称
昭和30年     長竿村・生板村・源清田村が合併して河内村が誕生。
           河内村立長竿小学校と改称。
平成8年      河内村が町制施行し河内町となる。
           河内町立長竿小学校と改称。
平成24年     源清田小学校と統合し、みずほ小学校が発足し廃校となる
           (校地は源清田小学校を流用)
         

と、このような沿革となっています。



こちらが長竿小学校の正門


      20140724長竿小学校01



門柱は石造り。
年季が入っていそうです。


      0140724長竿小学校02



変わった書体で 新築記念 と刻まれていますが
設置時期は記されていません。


      0140724長竿小学校25



どうやら、個人が寄贈した門柱のようです。


      0140724長竿小学校26



フェンスの隙間から中に入らせていただきました
(一応、申し訳程度に『失礼しま~す』と声をかけましたが..........)


こちらが中庭。
最初校庭かと思いましたが、校庭は校舎の裏にありました。


      0140724長竿小学校03


      0140724長竿小学校04



遊具もしっかり残されています。


      0140724長竿小学校05



心無い落書きが残る校舎ですが、新東京国際空港公団からの助成金で
昭和52年に建てられたようです。


      0140724長竿小学校06



いきなり、頭上に大きな音。
見上げると航空機が頭上を通り過ぎていきます。

確かに、この騒音では空港公団の助成金があってもおかしくない。


      0140724長竿小学校07



あっという間ですが、航空機は通り過ぎていきました


      0140724長竿小学校08



校舎の前の遺構。
こちらは 『なかよし』 と銘された銅像。


      0140724長竿小学校09



『大志をいだけ』 と記された石碑。


      0140724長竿小学校10



校舎前で びいすけ を一枚、パチリ☆。


      0140724長竿小学校12


すると、いきなり芝生でゴロ~んと転がる びいすけ 。

芝生にスリスリ............


      0140724長竿小学校11



確かに中庭は綺麗な芝生で転がっても気持ちよさそうです(笑)。


      0140724長竿小学校13


校舎の脇にある水飲み場。
使われなくなって2年の月日が流れています。


      0140724長竿小学校14



こちらは校舎の裏にある校庭。
普段の体育の授業なんかは、こちらで行われていたのでしょう。


      0140724長竿小学校15




校庭の隅に転がっていた一輪車。
もう使われることもないんだろうなぁ.........


      0140724長竿小学校16



こちらの校庭にも遊具(鉄棒)が残されていました。


      0140724長竿小学校17



校庭から眺める体育館(講堂)


      0140724長竿小学校18



この体育館(講堂)も空港公団の助成金で昭和55年に建てられたようです。


      0140724長竿小学校23



4またまた頭上を大きな音が...........

航空機が頭上を通り過ぎていきます。


      0140724長竿小学校19



校庭の隅にあった百葉箱と風見鶏。


      0140724長竿小学校20


こちらも子供たちの遊具。
丸太の一本橋。

しばし びいすけ にも渡らせてみます。


      0140724長竿小学校21




      0140724長竿小学校22



ぐるっと校舎を一周して中庭に戻ります。


      0140724長竿小学校24



廃校の定番である二ノ宮像を探しましたが見つかりません。
廃校の牌も探しましたが、やはり見つかりませんでした。

学校が比較的に綺麗な形で残っているだけに、残念です。




《 おまけ 》

こちらが、旧・源清田小学校。
敷地、校舎をそのまま流用して源清田小学校と長竿小学校が統合して
新しく みずほ小学校 として活用されています。


      0140724長竿小学校27


      0140724長竿小学校28

夏休みかと思っていたら、なにか行事があるらしく生徒や先生がしきりに来校してきます。

先生に源清田小学校の廃校の碑があるか聞いてみたら
そのような物は無いとそっけなく言われてしまいました。


      0140724長竿小学校29



長竿小学校もそうでしたが、この源清田小学校跡にも廃校の碑はありません
長年、この地に存在した小学校が統合という名目のもとに消え去ってしまう.........

せめて忘れられないためにも記念碑があれば...........
卒業生でもない私がこんなことを思うのは、おかしいのだろうか............?







2014/08/11 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit