御朱印巡り...............素羽鷹神社 (2018年5月18日)(千葉県印旛郡栄町)
5月18日
この日は、我孫子市の神社巡りに出かけました。
愛宕八坂神社をあとにして急遽、栄町へと向かいます。
向かった先は...............素羽鷹神社。
素羽鷹神社は、栄町酒直に鎮座する神社です。
素羽鷹神社は、『そばだかじんじゃ』と読み、
印旛郡栄町の酒直地区に鎮座する神社です。
『そばたか』という神社は北総地区に多くあり、 表記は「側高」「側鷹」など様々ですが、
香取市にある香取神宮摂社の側高神社が本宮になるようです。
その側高神社も香取神宮の摂社と言われているわけですから
間接的に香取神宮との関連もあるかもしれませんが、詳細は不明です。
実はこの素羽鷹神社、栄町に鎮座していますが、本務社は我孫子市の竹内神社。
以前にも参拝したことがありますが(その時の記事は こちら)、
御朱印をいただくために竹内神社に行ってみたものの、
宮司さんが不在で空振りに終わってしまいました。
この日、竹内神社で御朱印を拝受できたので
改めて参拝いたしました。
鳥居もない小さな神社。

石灯籠。

手水舎。

社殿。

拝殿は、一見すると地域の集会所のように見えたりする。
境内社。

板碑。

とりあえず、この日も何とか参拝出来ました。

こちらが、素羽鷹神社の御朱印。

本務社である我孫子市の竹内神社で拝受いたしました。
この日は、我孫子市の神社巡りに出かけました。
愛宕八坂神社をあとにして急遽、栄町へと向かいます。
向かった先は...............素羽鷹神社。
素羽鷹神社は、栄町酒直に鎮座する神社です。
素羽鷹神社は、『そばだかじんじゃ』と読み、
印旛郡栄町の酒直地区に鎮座する神社です。
『そばたか』という神社は北総地区に多くあり、 表記は「側高」「側鷹」など様々ですが、
香取市にある香取神宮摂社の側高神社が本宮になるようです。
その側高神社も香取神宮の摂社と言われているわけですから
間接的に香取神宮との関連もあるかもしれませんが、詳細は不明です。
実はこの素羽鷹神社、栄町に鎮座していますが、本務社は我孫子市の竹内神社。
以前にも参拝したことがありますが(その時の記事は こちら)、
御朱印をいただくために竹内神社に行ってみたものの、
宮司さんが不在で空振りに終わってしまいました。
この日、竹内神社で御朱印を拝受できたので
改めて参拝いたしました。
鳥居もない小さな神社。

石灯籠。

手水舎。

社殿。

拝殿は、一見すると地域の集会所のように見えたりする。
境内社。

板碑。

とりあえず、この日も何とか参拝出来ました。

こちらが、素羽鷹神社の御朱印。

本務社である我孫子市の竹内神社で拝受いたしました。
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2018/07/03 Tue. 18:00 |
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素羽鷹神社 (2018年3月17日)(千葉県印旛郡栄町)
3月17日
この日は、成田市近郊の神社巡りに出かけました。
成田市竜台にある六所神社をあとにして、
向かった先は...............素羽鷹神社。
素羽鷹神社は、『そばだかじんじゃ』と読み、
印旛郡栄町の酒直地区に鎮座する神社です。
『そばたか』という神社は北総地区に多くあり、 表記は「側高」「側鷹」など様々ですが、
香取市にある香取神宮摂社の側高神社が本宮になるようです。
その側高神社も香取神宮の摂社と言われているわけですから
間接的に香取神宮との関連もあるかもしれませんが、詳細は不明です。
こちらが、素羽鷹神社。

神社と言う割には鳥居が無い。
以前は、木々に囲まれて周りが鬱蒼としていたようですが
木々も伐採して整備したのか?
かなり明るくなっています。
敷地はさほど広くはない。
手水舎。

こちらが、拝殿。

拝殿と言うよりは、まるで公民館か集会所。
鳥居も無いから神社には見えにくい。

こちらが、本殿。

公民館のような拝殿の背後に隠れるように鎮座しています。


本殿の鬼瓦には神紋。

『丸に違い鷹の羽』の神紋ですね。
境内社。





手水鉢。

先人のブログを拝見すると...............
以前は、境内にスダジイの巨木が数本在ったようです。
枯れて伐採でもしたのでしょうか?
ひょっとしたら、その時に神社周りの木々も整備されたのかも知れない。




境内が明るくなったからなのか?
せれとも拝殿っぽく見えない社殿の影響か?
あまり神々しさを感じるられない。
無住の素羽鷹神社。
我孫子市にある竹内神社が兼務社として管理されているようですが。
この日は、成田市近郊の神社巡りに出かけました。
成田市竜台にある六所神社をあとにして、
向かった先は...............素羽鷹神社。
素羽鷹神社は、『そばだかじんじゃ』と読み、
印旛郡栄町の酒直地区に鎮座する神社です。
『そばたか』という神社は北総地区に多くあり、 表記は「側高」「側鷹」など様々ですが、
香取市にある香取神宮摂社の側高神社が本宮になるようです。
その側高神社も香取神宮の摂社と言われているわけですから
間接的に香取神宮との関連もあるかもしれませんが、詳細は不明です。
こちらが、素羽鷹神社。

神社と言う割には鳥居が無い。
以前は、木々に囲まれて周りが鬱蒼としていたようですが
木々も伐採して整備したのか?
かなり明るくなっています。
敷地はさほど広くはない。
手水舎。

こちらが、拝殿。

拝殿と言うよりは、まるで公民館か集会所。
鳥居も無いから神社には見えにくい。

こちらが、本殿。

公民館のような拝殿の背後に隠れるように鎮座しています。


本殿の鬼瓦には神紋。

『丸に違い鷹の羽』の神紋ですね。
境内社。





手水鉢。

先人のブログを拝見すると...............
以前は、境内にスダジイの巨木が数本在ったようです。
枯れて伐採でもしたのでしょうか?
ひょっとしたら、その時に神社周りの木々も整備されたのかも知れない。




境内が明るくなったからなのか?
せれとも拝殿っぽく見えない社殿の影響か?
あまり神々しさを感じるられない。
無住の素羽鷹神社。
我孫子市にある竹内神社が兼務社として管理されているようですが。
2018/04/30 Mon. 00:00 |
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御朱印巡り...............魂生神社(魂生大明神) (2018年1月9日)(千葉県印旛郡栄町)
1月9日
成田市の埴生神社に初詣に出かけたついでに成田市近郊の御朱印巡りとなったこの日。
栄町の大鷲神社で御朱印をお願いすると
『もう一つの御朱印もありますよ!』と言われ
せっかくだから、そちらの御朱印もいただくことにしました。
と言うことで、急遽、参拝する事となったのが魂生神社(魂生大明神)。
知る人ぞ知る、魂生神社。
魂生大明神という五穀豊穣、縁結び、子授け、安産、夫婦和合の神を祀った神社。
御祭神の姿を見て、驚きです。
まさに、『空前絶後のぉ〜! 御朱印巡りぃ〜』です(笑)。
魂生大明神の説明板。

こちらが、魂生神社の社殿。

うっすらと御祭神が見えます。

社殿に掲げられた扁額。

そして、こちらが御祭神。


思わず、『 立派!』と拍手したくなる(笑)
でも笑い事では無いんだよね。
世の中には、子宝に恵まれない人もいて
色々な家庭の事情や後継者の問題とか有ったりして
切実な問題として悩みを抱えている人も多いんだよね。
古くからの夫婦和合の信仰であり、家庭円満に繋がっていくはず。
そして、深い信仰心の結果、家庭円満に繋がった人も多いはず。
でなきゃ、こんなに奉納されたコケシがあるはずかない。



見てはいけないモノを見てしまった。
そんな感も少なからずは有る。
正直、こちらの魂生大明神の御朱印巡りを
blogにupしようか?辞めようか悩んだけど
あくまでも御朱印巡りの記録だから、upする事にしました。

こちらは、聖徳太子堂。

境内社の鷲乃杜稲荷。

子宝のパワースポットたる所以の一つ、子授け大樹?

大鷲神社へと繋ぐ石段を上れば、一つのパワースポット。

もう一つのパワースポット。
縁結び合体椎の木。

二本の椎の木が合体しています。

この角度だと分かりずらい。
こちらの角度なら、バッチリ。
夫婦和合と言われる所以が此処に在りました。

こちらが、魂生神社(魂生大明神)の御朱印。

やっぱり、そう来ましたか...............。
でもコレはこれで、私の大切な御朱印巡りの記録の証しです。
成田市の埴生神社に初詣に出かけたついでに成田市近郊の御朱印巡りとなったこの日。
栄町の大鷲神社で御朱印をお願いすると
『もう一つの御朱印もありますよ!』と言われ
せっかくだから、そちらの御朱印もいただくことにしました。
と言うことで、急遽、参拝する事となったのが魂生神社(魂生大明神)。
知る人ぞ知る、魂生神社。
魂生大明神という五穀豊穣、縁結び、子授け、安産、夫婦和合の神を祀った神社。
御祭神の姿を見て、驚きです。
まさに、『空前絶後のぉ〜! 御朱印巡りぃ〜』です(笑)。
魂生大明神の説明板。

こちらが、魂生神社の社殿。

うっすらと御祭神が見えます。

社殿に掲げられた扁額。

そして、こちらが御祭神。


思わず、『 立派!』と拍手したくなる(笑)
でも笑い事では無いんだよね。
世の中には、子宝に恵まれない人もいて
色々な家庭の事情や後継者の問題とか有ったりして
切実な問題として悩みを抱えている人も多いんだよね。
古くからの夫婦和合の信仰であり、家庭円満に繋がっていくはず。
そして、深い信仰心の結果、家庭円満に繋がった人も多いはず。
でなきゃ、こんなに奉納されたコケシがあるはずかない。



見てはいけないモノを見てしまった。
そんな感も少なからずは有る。
正直、こちらの魂生大明神の御朱印巡りを
blogにupしようか?辞めようか悩んだけど
あくまでも御朱印巡りの記録だから、upする事にしました。

こちらは、聖徳太子堂。

境内社の鷲乃杜稲荷。

子宝のパワースポットたる所以の一つ、子授け大樹?

大鷲神社へと繋ぐ石段を上れば、一つのパワースポット。

もう一つのパワースポット。
縁結び合体椎の木。

二本の椎の木が合体しています。

この角度だと分かりずらい。
こちらの角度なら、バッチリ。
夫婦和合と言われる所以が此処に在りました。

こちらが、魂生神社(魂生大明神)の御朱印。

やっぱり、そう来ましたか...............。
でもコレはこれで、私の大切な御朱印巡りの記録の証しです。
2018/02/26 Mon. 15:00 |
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御朱印巡り...............大鷲神社 (2018年1月9日)(千葉県印旛郡栄町)
1月9日
初詣に成田市の埴生神社へ出かけたこの日。
せっかく成田まで来たのだから、近隣の神社を巡って御朱印をいただこう。
せんな事から、成田市近郊の御朱印巡りとなりました。
埴生神社をあとにして、向かった先は...............大鷲神社。
大鷲神社と書いて、『おおとりじんじゃ』と読む所めあるけれど
こちらは、素直に『おおわしじんじゃ』と読みます。
大鷲神社は、由緒書きによれば...............
大鷲神社の鎮座地である安食は、もとは下総国埴生郡安食村と呼ばれ、
古言によると下総国の「総」は布(麻)のことを表し、
麻の縁の地であったと思われます。
主祭神の天乃日鷲尊は、その子孫代々麻植の神として神功があり、
麻に係わりのある当地においても祭神になっております。
文化文政の年代には鷲宮(鷲賀岡神社)と称していましたが、
明治二六年頃より、大鷲神社と言うようになりました。
また、江戸時代に春日局の崇敬が非常に厚く、
竹千代君が三代将軍となったとき、そのことを祝い、
将軍の船の舳先に魔除けとして飾ってあった金の大鷲を
将軍より願い受けて奉納したと言われ、
現在、宝物として保存され出世開運の神として知られているそうです。
大鷲神社への参道は何ヶ所か在るようですが
栄町の商工会の駐車場に車を停めてアプローチします。
商工会の方駐車場の一角に建つ大鳥居。

こちらも注連縄が真新しい。

やっぱり新年の神社は良いですね。
日焼けで文字がカスれていまい、読み辛い大鷲神社の説明板。

おそらく、大鷲神社関連の石碑。

なぜか、大鳥居の近くには、社号標が無い。
大鷲神社の案内図。

ひと昔前のモノのようです。
石灯籠。

参道口。

右が女坂。緩やかな女坂を上がれば魂生神社(魂生大明神)に辿り着きます。
左が男坂(?)。
大鷲神社は、こちらの急な石段を上ります。

意外にきつい石段を上ると、すぐに境内。
社号標が目に入ります。

手水舎。

狭い境内には、茅の輪。

これが有ると、やっぱり正月らしい。
茅の輪の先には拝殿。

拝殿に掲げられた扁額。

扁額の近くには、大鷲神社の神紋。

拝殿内部。

大鷲神社の提灯。

拝殿の鬼瓦。

別アングルからの拝殿。

境内には、力石。

こちらが、本殿。

本殿は、栄町の文化財に指定されています。

別アングルからの本殿。

こちらは、日本武尊お手植えの松。

日本武尊が東征の折にこの地に立ち寄り、戦勝祈願をして
松の木を手植えしたとされると言う。
それにしては、小さい気もするが...............
境内社。

右が石上神社。
左が御嶽神社。
同じく境内社の麗峰神社。


こちらには、初詣で訪れた人の多くのおみくじが巻き付けられていました。

魂生神社へと続く石段途中に建つ標柱。

かなり年季が入っているけれど、一時期は『成田国際観光モデル地区』として
売り出そうとしていたみたいですね。
こちらが、授与所。
御朱印はこちらでいただくことが出来ます。

こちらが、大鷲神社の御朱印。

実は、こちらの大鷲神社では境内社(?)である魂生神社(魂生大明神)の御朱印もいただく事が出来ます。
魂生神社は、見てびっくり。
でも、しっかり御朱印をいただいちゃいました(笑)
初詣に成田市の埴生神社へ出かけたこの日。
せっかく成田まで来たのだから、近隣の神社を巡って御朱印をいただこう。
せんな事から、成田市近郊の御朱印巡りとなりました。
埴生神社をあとにして、向かった先は...............大鷲神社。
大鷲神社と書いて、『おおとりじんじゃ』と読む所めあるけれど
こちらは、素直に『おおわしじんじゃ』と読みます。
大鷲神社は、由緒書きによれば...............
大鷲神社の鎮座地である安食は、もとは下総国埴生郡安食村と呼ばれ、
古言によると下総国の「総」は布(麻)のことを表し、
麻の縁の地であったと思われます。
主祭神の天乃日鷲尊は、その子孫代々麻植の神として神功があり、
麻に係わりのある当地においても祭神になっております。
文化文政の年代には鷲宮(鷲賀岡神社)と称していましたが、
明治二六年頃より、大鷲神社と言うようになりました。
また、江戸時代に春日局の崇敬が非常に厚く、
竹千代君が三代将軍となったとき、そのことを祝い、
将軍の船の舳先に魔除けとして飾ってあった金の大鷲を
将軍より願い受けて奉納したと言われ、
現在、宝物として保存され出世開運の神として知られているそうです。
大鷲神社への参道は何ヶ所か在るようですが
栄町の商工会の駐車場に車を停めてアプローチします。
商工会の方駐車場の一角に建つ大鳥居。

こちらも注連縄が真新しい。

やっぱり新年の神社は良いですね。
日焼けで文字がカスれていまい、読み辛い大鷲神社の説明板。

おそらく、大鷲神社関連の石碑。

なぜか、大鳥居の近くには、社号標が無い。
大鷲神社の案内図。

ひと昔前のモノのようです。
石灯籠。

参道口。

右が女坂。緩やかな女坂を上がれば魂生神社(魂生大明神)に辿り着きます。
左が男坂(?)。
大鷲神社は、こちらの急な石段を上ります。

意外にきつい石段を上ると、すぐに境内。
社号標が目に入ります。

手水舎。

狭い境内には、茅の輪。

これが有ると、やっぱり正月らしい。
茅の輪の先には拝殿。

拝殿に掲げられた扁額。

扁額の近くには、大鷲神社の神紋。

拝殿内部。

大鷲神社の提灯。

拝殿の鬼瓦。

別アングルからの拝殿。

境内には、力石。

こちらが、本殿。

本殿は、栄町の文化財に指定されています。

別アングルからの本殿。

こちらは、日本武尊お手植えの松。

日本武尊が東征の折にこの地に立ち寄り、戦勝祈願をして
松の木を手植えしたとされると言う。
それにしては、小さい気もするが...............
境内社。

右が石上神社。
左が御嶽神社。
同じく境内社の麗峰神社。


こちらには、初詣で訪れた人の多くのおみくじが巻き付けられていました。

魂生神社へと続く石段途中に建つ標柱。

かなり年季が入っているけれど、一時期は『成田国際観光モデル地区』として
売り出そうとしていたみたいですね。
こちらが、授与所。
御朱印はこちらでいただくことが出来ます。

こちらが、大鷲神社の御朱印。

実は、こちらの大鷲神社では境内社(?)である魂生神社(魂生大明神)の御朱印もいただく事が出来ます。
魂生神社は、見てびっくり。
でも、しっかり御朱印をいただいちゃいました(笑)
2018/02/26 Mon. 00:00 |
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長門川公園 (2016年7月20日)(千葉県印旛郡栄町)
7月20日 公休日
この日は、北印旛沼に出かけました。
栄町の酒直水門から長門川に沿うような形で
利根川方面へと向かいます。
確か、利根川近くに公園が在ったような記憶が...............
記憶を頼りに向かった先は...............長門川公園

長門川公園は、明治百周年を記念して作られた公園のようです。

元々は、広い芝生の公園のようですが
どうやら、管理と言うか手入れはイマイチ。
かなりの雑草が生い茂っています。

まぁ、この時期だから雑草を刈ってもすぐ伸びちゃうから
仕方がないのかな?
ロングリードで雑草の生い茂る中を徘徊する びいすけ 。

この辺りは桜の木もたくさん有り、花見のメッカ?
雑草も刈られ、手入れされているようです。

長門川沿いに公園内を歩いてみます。

目の前に見えるのは安食バイパスの『ふじみ橋』。

長門川公園の最奥部です。

公園内には祠が有ったり...............

句碑が有ったり...............

ちなみに、こちらは篠田麦子の句碑。

「月の出の 川面に可るし くつわ蟲」
篠田麦子は栄町興津に生まれ、地元の風土をよく知る麦子は、
この作品で水の美しいまち栄の優しい風土を詠んでいます。
こちらは、成田山新勝寺の第18世大僧正荒木東皐の句碑。

「 菜の花や 利根の堤の 大曲り」
荒木東皐がお忍びで訪れた折の句です。春4月、利根川の堤に、
菜の花がまるで黄色いじゅうたんのように咲き誇る様を詠んでいます。

さらには、桜の植樹の記念碑。

そして極め付け。
印旛機場の初代羽根車。

印旛機場は長門川公園に隣接し、台風などの大雨で印旛沼への流入が多い時は、
洪水を防ぐためにポンプを運転し、印旛沼の水を長門川を通して、利根川に排水します。
西印旛沼と北印旛沼と各水門の配置図。

この図で分かるように、酒直水門や酒直機場、印旛水門や印旛機場で北印旛沼の水位を調整し
大和田機場で西印旛沼の水位を調整し水害を防いでいます。

この立派な石碑は、『印旛水門の碑』


そして、こちらが印旛水門。

水門の手前が長門川。
水門から先は利根川になります。

利根川が洪水のときに水門を閉めて、長門川・印旛沼への水の流入を防ぎます。
又、印旛沼・長門川の水位が上がった時は、長門川からの水をまずこの水門から利根川に流します。
こちらは長門川側。


そして、こちらが利根川側。


いゃあ、利根川と印旛沼と各水門との因果関係。
じっくりと勉強させてもらいました。
この日は、北印旛沼に出かけました。
栄町の酒直水門から長門川に沿うような形で
利根川方面へと向かいます。
確か、利根川近くに公園が在ったような記憶が...............
記憶を頼りに向かった先は...............長門川公園

長門川公園は、明治百周年を記念して作られた公園のようです。

元々は、広い芝生の公園のようですが
どうやら、管理と言うか手入れはイマイチ。
かなりの雑草が生い茂っています。

まぁ、この時期だから雑草を刈ってもすぐ伸びちゃうから
仕方がないのかな?
ロングリードで雑草の生い茂る中を徘徊する びいすけ 。

この辺りは桜の木もたくさん有り、花見のメッカ?
雑草も刈られ、手入れされているようです。

長門川沿いに公園内を歩いてみます。

目の前に見えるのは安食バイパスの『ふじみ橋』。

長門川公園の最奥部です。

公園内には祠が有ったり...............

句碑が有ったり...............

ちなみに、こちらは篠田麦子の句碑。

「月の出の 川面に可るし くつわ蟲」
篠田麦子は栄町興津に生まれ、地元の風土をよく知る麦子は、
この作品で水の美しいまち栄の優しい風土を詠んでいます。
こちらは、成田山新勝寺の第18世大僧正荒木東皐の句碑。

「 菜の花や 利根の堤の 大曲り」
荒木東皐がお忍びで訪れた折の句です。春4月、利根川の堤に、
菜の花がまるで黄色いじゅうたんのように咲き誇る様を詠んでいます。

さらには、桜の植樹の記念碑。

そして極め付け。
印旛機場の初代羽根車。

印旛機場は長門川公園に隣接し、台風などの大雨で印旛沼への流入が多い時は、
洪水を防ぐためにポンプを運転し、印旛沼の水を長門川を通して、利根川に排水します。
西印旛沼と北印旛沼と各水門の配置図。

この図で分かるように、酒直水門や酒直機場、印旛水門や印旛機場で北印旛沼の水位を調整し
大和田機場で西印旛沼の水位を調整し水害を防いでいます。

この立派な石碑は、『印旛水門の碑』


そして、こちらが印旛水門。

水門の手前が長門川。
水門から先は利根川になります。

利根川が洪水のときに水門を閉めて、長門川・印旛沼への水の流入を防ぎます。
又、印旛沼・長門川の水位が上がった時は、長門川からの水をまずこの水門から利根川に流します。
こちらは長門川側。


そして、こちらが利根川側。


いゃあ、利根川と印旛沼と各水門との因果関係。
じっくりと勉強させてもらいました。
2016/08/17 Wed. 00:00 |
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ダムカードを集めよう 《 北印旛沼 》 (2016年7月20日) (千葉県成田市、千葉県印旛郡栄町)
7月20日 公休日
個人的な連休。
最近、ハマっているダムカード集め。
ハマっているって言っても、まだ3枚。
いわゆる駆けだしって言うやつです。
一番最初にゲットしたのが、地元・佐倉市の西印旛沼のダムカード。
ダムカードに西印旛沼と北印旛沼の二枚が在って
印旛沼が西印旛沼と北印旛沼に分かれていることも最近になって知りました。
西印旛沼のダムカードを手に入れたんなら
北印旛沼のダムカードも手に入れなきゃダメでしょう。
と言うことで、向かった先は...............北印旛沼
印旛沼は、利根川下流右岸、下総台地の中央に位置します。
もともとは "W" 字型のより大きい沼であったが、
戦後の干拓によって2つの細い水路でつながった北部調節池(北印旛沼)と
西部調節池(西印旛沼)に水域が分かれ、面積は半分以下に減少していまいました。
しかし、それでも湖沼としては千葉県内最大の面積を誇っています。
ちなみに北印旛沼と西印旛沼は、印旛捷水路または中央排水路を介して繋がっています。
通常、印旛沼の水は北印旛沼から長門川を下って利根川へと流れて行きます。
しかしながら、印旛沼自身の増水(内水)や利根川洪水(外水)での逆流入が起こると
それまでの流出方向とは変わり、西印旛沼から印旛放水路(新川・花見川)を伝って東京湾へと排水されます。
すなわち、印旛沼の水位によって北印旛沼から利根川に流れたり
西印旛沼から花見川へと流れを変えるダムのような役目も備えています。
まずは、ダムカードを貰いに行きましょう。
配布場所は、成田市北須賀にある印旛沼漁業協同組合の水産センター。

配布時間が9:00〜11:00って短いから
ついつい行きそびれてしまってました。
ダムカードは直売所で貰えるようです。

北印旛沼のダムカード、ゲット!

この水産センターは、甚兵衛公園のすぐ近く。
とりあえず、甚兵衛公園の奥の北印旛沼の湖畔へと向かってみます。



確か、北印旛沼から利根川に流れる水路(長門川)に水門が有ったはず...............
そんなことを思い出し、ダムではないけれど、水門を見に行きましょう。
成田市のお隣。
印旛郡栄町に酒直水門があります。
こちらが、酒直水門。

水門は橋として活用されています。
酒直水門の碑。


長門川沿いの道から水門を眺めながら
上流域を歩いてみます。



ちなみに、酒直水門の上流域が北印旛沼。
下流域が長門川になるようです。
水門の上に何人かの作業員。
1人や2人じゃないから
何かトラブルでもあったのでしょうか?

邪魔をしないように(迷惑にならない程度に)声を掛けてみると
定期点検で、水門の開閉の点検を行っているらしい。
水門には何枚かの門(ゲート)があり、こちらのゲートは閉ざされ
利根川に流れる長門川の水量を調整しているようです。

酒直水門の近くは、釣りは禁止。

上流域の北印旛沼。


こちらが下流域の長門川。

今まで、気にもしていなかったけれど
印旛沼の役割を知ってくると、水門に対する見方も変わって来ます。
いゃあ〜、勉強になりますわ...............。
こちらがダムカード。


西印旛沼のダムカードと並べてみます。

裏面のイラスト。
実は2枚並べると印旛沼全体の地図になります。

やっぱり、印旛沼のダムカードはセットで揃えないとダメですね。
個人的な連休。
最近、ハマっているダムカード集め。
ハマっているって言っても、まだ3枚。
いわゆる駆けだしって言うやつです。
一番最初にゲットしたのが、地元・佐倉市の西印旛沼のダムカード。
ダムカードに西印旛沼と北印旛沼の二枚が在って
印旛沼が西印旛沼と北印旛沼に分かれていることも最近になって知りました。
西印旛沼のダムカードを手に入れたんなら
北印旛沼のダムカードも手に入れなきゃダメでしょう。
と言うことで、向かった先は...............北印旛沼
印旛沼は、利根川下流右岸、下総台地の中央に位置します。
もともとは "W" 字型のより大きい沼であったが、
戦後の干拓によって2つの細い水路でつながった北部調節池(北印旛沼)と
西部調節池(西印旛沼)に水域が分かれ、面積は半分以下に減少していまいました。
しかし、それでも湖沼としては千葉県内最大の面積を誇っています。
ちなみに北印旛沼と西印旛沼は、印旛捷水路または中央排水路を介して繋がっています。
通常、印旛沼の水は北印旛沼から長門川を下って利根川へと流れて行きます。
しかしながら、印旛沼自身の増水(内水)や利根川洪水(外水)での逆流入が起こると
それまでの流出方向とは変わり、西印旛沼から印旛放水路(新川・花見川)を伝って東京湾へと排水されます。
すなわち、印旛沼の水位によって北印旛沼から利根川に流れたり
西印旛沼から花見川へと流れを変えるダムのような役目も備えています。
まずは、ダムカードを貰いに行きましょう。
配布場所は、成田市北須賀にある印旛沼漁業協同組合の水産センター。

配布時間が9:00〜11:00って短いから
ついつい行きそびれてしまってました。
ダムカードは直売所で貰えるようです。

北印旛沼のダムカード、ゲット!

この水産センターは、甚兵衛公園のすぐ近く。
とりあえず、甚兵衛公園の奥の北印旛沼の湖畔へと向かってみます。



確か、北印旛沼から利根川に流れる水路(長門川)に水門が有ったはず...............
そんなことを思い出し、ダムではないけれど、水門を見に行きましょう。
成田市のお隣。
印旛郡栄町に酒直水門があります。
こちらが、酒直水門。

水門は橋として活用されています。
酒直水門の碑。


長門川沿いの道から水門を眺めながら
上流域を歩いてみます。



ちなみに、酒直水門の上流域が北印旛沼。
下流域が長門川になるようです。
水門の上に何人かの作業員。
1人や2人じゃないから
何かトラブルでもあったのでしょうか?

邪魔をしないように(迷惑にならない程度に)声を掛けてみると
定期点検で、水門の開閉の点検を行っているらしい。
水門には何枚かの門(ゲート)があり、こちらのゲートは閉ざされ
利根川に流れる長門川の水量を調整しているようです。

酒直水門の近くは、釣りは禁止。

上流域の北印旛沼。


こちらが下流域の長門川。

今まで、気にもしていなかったけれど
印旛沼の役割を知ってくると、水門に対する見方も変わって来ます。
いゃあ〜、勉強になりますわ...............。
こちらがダムカード。


西印旛沼のダムカードと並べてみます。

裏面のイラスト。
実は2枚並べると印旛沼全体の地図になります。

やっぱり、印旛沼のダムカードはセットで揃えないとダメですね。
2016/08/16 Tue. 00:00 |
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廃校を訪ねて...........北辺田小学校 (2015年6月28日)(千葉県印旛郡栄町)
6月28日 公休日
この日は、栄町の廃校巡りに出かけました。
今年の3月に栄町では2つの小学校が廃校となりました。
その一つは酒直小学校。
そして、もう一校は...............栄町立北辺田小学校
北辺田小学校は、
明治25年 蓮常寺を仮校舎として北辺田尋常小学校が開設。
明治32年 現在の場所に校舎を新築する。
明治41年 須賀小学校を合併する。
昭和22年 新学制により、安食町立北辺田小学校と改称する。
昭和30年 安食町と布鎌村が合併し、栄町誕生。
栄町立北辺田小学校と改称する。
平成27年 生徒数減により、安食台小学校へ統合され閉校。
と、このような沿革となっています。
こちらが正門。


正門脇には掲示板。

ガラス戸の中には子供たちの手書きのポスターが飾られています。
正門をくぐってすぐに目に入ってきた『創立百周年記念碑』


裡面には沿革が刻まれています。

校舎全景


別アングルから


校舎正面玄関

こちらが体育館

この日はママさんバレーの活動日でしょうか?
数名の方が体育館で汗をかいていたようです。
体育館前には百葉箱

ちょっぴり屋根が壊れていますね。
校庭の片隅にある遊具


校庭の真ん中にはシンボルツリー。

この木とともに子供たちは育ってきたんだろうなぁ。
驚いたのは、鶏の飼育舎があるんですが扉は解放。
鶏は校庭を自由気ままに闊歩しています。

猫なんかに襲われないのかな?
びいすけ も鶏を見て、ちょっぴり興奮していました。
校庭の最奥にある築山。

雑草が伸び始め、やがては雑草に埋もれてしまいそうだけど
子供たちの遊び場だったんでしょうね。

校舎の前には、ひときわ艶やかな看板。

手作りの看板。

『 ここに たしかに 北辺田小学校が 在った 』
廃校の碑ではないけれど、廃校の碑のようなもの。
いつか、この看板も朽ち果て、校舎も取り壊されてしまうかも知れないけれど、
たしかに、この地に北辺田小学校は在ったし、
子供たちが作った看板も建っていた。
そんな記憶は、いつまでも子供たちの脳裏に焼き付いていることだろう.................。
この日は、栄町の廃校巡りに出かけました。
今年の3月に栄町では2つの小学校が廃校となりました。
その一つは酒直小学校。
そして、もう一校は...............栄町立北辺田小学校
北辺田小学校は、
明治25年 蓮常寺を仮校舎として北辺田尋常小学校が開設。
明治32年 現在の場所に校舎を新築する。
明治41年 須賀小学校を合併する。
昭和22年 新学制により、安食町立北辺田小学校と改称する。
昭和30年 安食町と布鎌村が合併し、栄町誕生。
栄町立北辺田小学校と改称する。
平成27年 生徒数減により、安食台小学校へ統合され閉校。
と、このような沿革となっています。
こちらが正門。


正門脇には掲示板。

ガラス戸の中には子供たちの手書きのポスターが飾られています。
正門をくぐってすぐに目に入ってきた『創立百周年記念碑』


裡面には沿革が刻まれています。

校舎全景


別アングルから


校舎正面玄関

こちらが体育館

この日はママさんバレーの活動日でしょうか?
数名の方が体育館で汗をかいていたようです。
体育館前には百葉箱

ちょっぴり屋根が壊れていますね。
校庭の片隅にある遊具


校庭の真ん中にはシンボルツリー。

この木とともに子供たちは育ってきたんだろうなぁ。
驚いたのは、鶏の飼育舎があるんですが扉は解放。
鶏は校庭を自由気ままに闊歩しています。

猫なんかに襲われないのかな?
びいすけ も鶏を見て、ちょっぴり興奮していました。
校庭の最奥にある築山。

雑草が伸び始め、やがては雑草に埋もれてしまいそうだけど
子供たちの遊び場だったんでしょうね。

校舎の前には、ひときわ艶やかな看板。

手作りの看板。

『 ここに たしかに 北辺田小学校が 在った 』
廃校の碑ではないけれど、廃校の碑のようなもの。
いつか、この看板も朽ち果て、校舎も取り壊されてしまうかも知れないけれど、
たしかに、この地に北辺田小学校は在ったし、
子供たちが作った看板も建っていた。
そんな記憶は、いつまでも子供たちの脳裏に焼き付いていることだろう.................。
2015/07/13 Mon. 00:00 |
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廃校を訪ねて..............酒直小学校 (2015年6月28日)(千葉県印旛郡栄町)
6月28日 公休日
この日は、成田経由で栄町に出かけました。
今年の3月に栄町では2校の小学校が廃校となりました。
その廃校を訪れるのが、栄町に出かけた最たる理由です。
その廃校となった小学校は...............栄町立酒直小学校
酒直小学校は
明治35年 安食町酒直(旧酒直村)の多宝院本堂を仮校舎として酒直尋常小学校が開校。
明治41年 酒直尋常小学校を廃し、安食尋常高等小学校酒直分教場とする。
昭和22年 新学制により安食町立安食小学校酒直分教場と改称。
昭和24年 安食町立安食小学校酒直分教場より安食町立酒直小学校として独立する。
昭和30年 安食町が布鎌村と合併し、栄町が誕生。
栄町立酒直小学校と改称。
平成27年 栄町立安食台小学校へ統合され閉校。
と、このような沿革となっています。
こちらか、正門。


この門柱は、分校から独立校になって50周年を記念して
平成10年に建てられたモノらしい。

校門をくぐると目に入る掲示板。

ガラス戸の中には、生徒たちが書いたであろうポスターが飾られています。
廃校となってまだ日が浅いせいか?
無造作にオルガン類が野ざらしで校庭の片隅に置かれています。

廃棄品だとは解るのですが、つい数ヶ月前まで使われていた什器類。

勿体ない!と思ってしまうのは私だけ?
玄関前に置かれていた桜の株
てっきり廃棄される粗大ゴミかと思っていたら違ってた。
酒直小学校のシンボルとして奥底の真ん中にあった桜の木。
昭和49年に校舎建築の際に伐採されてしまったもの。
記念として残すためにこの様な碑になったそうです。

勝手にゴミと勘違いしてすみません(笑)。
こちらが、校庭。

校庭の遊具類。
ペンキも綺麗に塗られていて
大切に使われていたようです。






こちらは倉庫のようですが、何とも奇抜なペイント。

校舎全景。

校舎をバックに びいすけ を撮ろうとしていると
いきなり、ゴロ〜ん。

芝生と言うか、草の生え具合いが微妙に良いのか?
気持ち良さそうにゴロリンチョンとしています。

再び、仕切り直し。
校舎の前で、ハイ ポーズ! パチリ☆

こちらは体育館。

体育館の前に建つ碑。
酒直小学校の校歌の碑です。


体育館の壁面には、一輪車。
子供たちの良き遊び道具だったんですね。

校庭の片隅に置かれた百葉箱。

校舎前に建つ 『創立百周年の碑』
碑文が雑草に隠れてしまっています。

校舎背後の裏門(?)。

古い表札が残っています。

よくよく見れば、『安食町立酒直小学校』と記されています。

以前は、こちらが正門だったんですね。
子供たちの卒業記念の製作。

こちらは、平成元年の卒業生のモノ。


この酒直小学校は地域のふれあいサロンとして解放され
その管理はシルバー人材センターの方々が行うようです。
たまたま、この日は清掃日だったようで
何人かのご老人が集まって来ました。
立ち話になりましたが、以前この地区の区長をされていた方ともお話ができ、
色々とお聞きすると、やはり歴史ある学校が廃校になるのは寂しい...............。
そんな事を話されていました。
自分たちの手で廃校となってしまった母校を手入れしていけることが
唯一の救いとおっしゃっていました。
やっぱり、小学校って地元に密着したランドマークだったんですね.............。
この日は、成田経由で栄町に出かけました。
今年の3月に栄町では2校の小学校が廃校となりました。
その廃校を訪れるのが、栄町に出かけた最たる理由です。
その廃校となった小学校は...............栄町立酒直小学校
酒直小学校は
明治35年 安食町酒直(旧酒直村)の多宝院本堂を仮校舎として酒直尋常小学校が開校。
明治41年 酒直尋常小学校を廃し、安食尋常高等小学校酒直分教場とする。
昭和22年 新学制により安食町立安食小学校酒直分教場と改称。
昭和24年 安食町立安食小学校酒直分教場より安食町立酒直小学校として独立する。
昭和30年 安食町が布鎌村と合併し、栄町が誕生。
栄町立酒直小学校と改称。
平成27年 栄町立安食台小学校へ統合され閉校。
と、このような沿革となっています。
こちらか、正門。


この門柱は、分校から独立校になって50周年を記念して
平成10年に建てられたモノらしい。

校門をくぐると目に入る掲示板。

ガラス戸の中には、生徒たちが書いたであろうポスターが飾られています。
廃校となってまだ日が浅いせいか?
無造作にオルガン類が野ざらしで校庭の片隅に置かれています。

廃棄品だとは解るのですが、つい数ヶ月前まで使われていた什器類。

勿体ない!と思ってしまうのは私だけ?
玄関前に置かれていた桜の株
てっきり廃棄される粗大ゴミかと思っていたら違ってた。
酒直小学校のシンボルとして奥底の真ん中にあった桜の木。
昭和49年に校舎建築の際に伐採されてしまったもの。
記念として残すためにこの様な碑になったそうです。

勝手にゴミと勘違いしてすみません(笑)。
こちらが、校庭。

校庭の遊具類。
ペンキも綺麗に塗られていて
大切に使われていたようです。






こちらは倉庫のようですが、何とも奇抜なペイント。

校舎全景。

校舎をバックに びいすけ を撮ろうとしていると
いきなり、ゴロ〜ん。

芝生と言うか、草の生え具合いが微妙に良いのか?
気持ち良さそうにゴロリンチョンとしています。

再び、仕切り直し。
校舎の前で、ハイ ポーズ! パチリ☆

こちらは体育館。

体育館の前に建つ碑。
酒直小学校の校歌の碑です。


体育館の壁面には、一輪車。
子供たちの良き遊び道具だったんですね。

校庭の片隅に置かれた百葉箱。

校舎前に建つ 『創立百周年の碑』
碑文が雑草に隠れてしまっています。

校舎背後の裏門(?)。

古い表札が残っています。

よくよく見れば、『安食町立酒直小学校』と記されています。

以前は、こちらが正門だったんですね。
子供たちの卒業記念の製作。

こちらは、平成元年の卒業生のモノ。


この酒直小学校は地域のふれあいサロンとして解放され
その管理はシルバー人材センターの方々が行うようです。
たまたま、この日は清掃日だったようで
何人かのご老人が集まって来ました。
立ち話になりましたが、以前この地区の区長をされていた方ともお話ができ、
色々とお聞きすると、やはり歴史ある学校が廃校になるのは寂しい...............。
そんな事を話されていました。
自分たちの手で廃校となってしまった母校を手入れしていけることが
唯一の救いとおっしゃっていました。
やっぱり、小学校って地元に密着したランドマークだったんですね.............。
2015/07/12 Sun. 00:00 |
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