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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

白絹の滝 (2019年8月22日)(群馬県吾妻郡東吾妻町) 

8月22日


8月22日〜23日に1泊2日で群馬県〜長野県に遊びに行って来ました。

群馬県と言っても広い。
今回は、吾妻地区の東吾妻町を中心に巡ります。

道の駅 あがつま峡 をあとにして、向かった先は.............白絹の滝


滝の魅力に取り憑かれて、数年が経ちます。
以前から八ッ場ダムの下流域になってしまう川原湯温泉近くにある滝で
近くに行く事があれば寄りたいと思っていました。

この辺りは、『吾妻渓谷』(『吾妻峡』)と言われ、
国の名勝にも指定されている景勝地です。

いずれ八ッ場ダムが出来たら、無くなってしまう滝もあるらしい。
いずれにしても、国指定名勝地『吾妻峡』は八ッ場ダムが完成すると
その一部はダムの水域になってしまうので、今の内にじっくりと見ておきましょう。

ダム工事の関係で、今まであった道は通行止めになっていたりして
新しい橋も出来たりして、アプローチの方法も以前とは変わっているようです。


新しく出来た(?)『十二沢パーキング』に車を停めて
これまた新しく架けられた『猿橋』を目指します。

      20190822白絹の滝01


駐車場から渓谷に向けて、遊歩道が整備されています。

      20190822白絹の滝02



雨もあがっています。
散策には足元を注意しながら、進みましょう。

      20190822白絹の滝03


      20190822白絹の滝04



遊歩道脇に流れる小さな川。

      20190822白絹の滝05



この川が滝となって吾妻川の渓谷に流れこんでいきます。

      20190822白絹の滝06



猿橋が見えてきました。

      20190822白絹の滝07



猿橋に到着。

      20190822白絹の滝08


幅3m、長さ43mの猿橋。

      20190822白絹の滝09


この橋の下が、吾妻渓谷(吾妻峡)。

      20190822白絹の滝10



橋から渓谷までは、高さが50m以上あるようで
まともに下を見ると足が竦みます。

      20190822白絹の滝11



その渓谷に流れ込んで落ちる白絹の滝。

      20190822白絹の滝12


周りの木々が赤く色づく季節に、もっと絵になる滝になるのでは?
その頃に、また見にくる事ができたら良いな........................



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2019/09/21 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

足湯に入ろう! 《道の駅 あがつま峡》 (2019年8月22日)(群馬県吾妻郡東吾妻町) 

8月22日

8月22日〜23日の群馬県(一部、長野県)の1泊旅行。
その途中で立ち寄った 道の駅 あがつま峡。

      20190822足湯01



そこには足湯がありました。

      20190822足湯02

せっかくだから、足湯に入っていきましょう。



こちらが、足湯。

      20190822足湯03



こんな感じで、丸太の椅子に座っての足湯となります。

      20190822足湯04



今日は朝早くから行動し、それなりに動き回っている。
適度な温度の足湯が心地良い。

      20190822足湯10



季節によって温度を調節しているのでしょう。
どちらかと言うと温めの温度。

      20190822足湯05



その温度が夏のこの時期には丁度良い。

      20190822足湯06



足湯に入れない びいすけ は近くに繋留。

      20190822足湯07


      20190822足湯08


      20190822足湯09


足湯に浸かりながら、 びいすけ のこんな笑顔を真近に見ていると
ちょっぴり幸福感に満たされるのは、何故なんだろう...............?









2019/09/20 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

道の駅 あがつま峡 (2019年8月22日)(群馬県吾妻郡東吾妻町) 

8月22日

8月22日〜23日に1泊2日で群馬県〜長野県に遊びに行って来ました。

群馬県と言っても広い。
今回は、吾妻地区の東吾妻町を中心に巡ります。

最近は、遠出の旅行に出かけると、可能な限り道の駅に立寄ることにしています。

この日は、朝早くからの移動だったため、東吾妻町にくるまでに
関越道の渋川伊香保ICから3つほど道の駅はありましたが
いずれも営業時間前だったので、まともに立寄ることは出来ませんでした。

まあ、道の駅の『切符』や『スタンプ』も集めていることだから
1ヶ所ぐらいは立寄らないとね。


と言うことで、立寄った先は...............道の駅 あがつま峡

      20190822道の駅 あがつま峡01



この日の天気は、小雨が降ったり止んだり。
従って、 びいすけ もカッパを着たり、脱いだりの繰り返し。

      20190822道の駅 あがつま峡02

しかし、足元の赤いワンポイントが可愛いすぎる。(親バカで、すみません。)



こちらが駐車場。

      20190822道の駅 あがつま峡03

それなりの広さがあります。


『道の駅 あがつま峡 』は、東吾妻町の西に位置し、
国の名勝地に指定されている『吾妻峡』の玄関口に在ります。

道の駅のある一帯は、『あがつまふれあい公園』と称しているようです。

      20190822道の駅 あがつま峡12

公園内に、道の駅があり、温浴施設があると言う感じでしょうか?



こちらが、道の駅のメイン施設である農産物直売所 『てんぐ』。

      20190822道の駅 あがつま峡04


      20190822道の駅 あがつま峡05



店内は、こんな感じ。

      20190822道の駅 あがつま峡06


      20190822道の駅 あがつま峡07


      20190822道の駅 あがつま峡08


建物の一角には、食事が出来るエリアもあります。



道の駅のスタンプもありました。

      20190822道の駅 あがつま峡09

道の駅の切符は、レジで購入出来ます。



向かいに建つ四阿。

      20190822道の駅 あがつま峡10

その建物の一角が情報コーナーとなっているようです。



そして、こちらが併設された温浴施設の 『吾妻峡温泉 天狗の湯』。

      20190822道の駅 あがつま峡11




こんな案内板も見つけました。

      20190822道の駅 あがつま峡13

せっかくだから、ドッグランを覗いてみましょう。


こちらが、ドッグラン。

      20190822道の駅 あがつま峡14

小雨降る平日の午後。
さすがに来場者はいません。



入口には注意書き。

      20190822道の駅 あがつま峡15


せっかくだから、ドッグランに入ったけれど
やっぱり走らない びいすけ 。
学校跡では、元気に走り回っていたんだけどなぁ。

来場の証しとして、Aフレームの上で、パチリ☆。

      20190822道の駅 あがつま峡16




こちらが、道の駅の切符。

      20190822道の駅 あがつま峡17


      20190822道の駅 あがつま峡18



そして、こちらが道の駅のスタンプ。

      20190822道の駅 あがつま峡19


      20190822道の駅 あがつま峡20


小雨が降ったり、止んだりと忙しない天候の中、
あまり長居は出来ませんでしたが
天気ぐ良ければ、公園内を散策したりして
それなりに楽しめる道の駅になるんじゃないのかな?


2019/09/19 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............岩島第二小学校 (2019年8月22日)(群馬県吾妻郡東吾妻町) 

8月22日

8月22日〜23日に1泊2日で群馬県〜長野県に遊びに行って来ました。

群馬県と言っても広い。
今回は、吾妻地区の東吾妻町を中心に巡ります。

岩下菅原神社をあとにして、向かった先は.............旧・吾妻町立 岩島第二小学校。


岩島第二小学校も詳しい沿革は分かりません。

開校したのは明治34年。
平成11年に岩島第一小学校と統合して新たに岩島小学校が誕生して、
岩島第二小学校は廃校となりました。



こちらが、かつての正門跡。

      20190822岩島第二小学校01

残念ながら、門柱は在りません。
しかしながら、びいすけ の背後に見える校舎は、
木造校舎ではありませんか!!



こちらが、その木造校舎。

      20190822岩島第二小学校02



校舎の前に、重機やら資材が置かれているのが気になります。

      20190822岩島第二小学校03


      20190822岩島第二小学校04



ひょっとして、解体されてしまうのか?

      20190822岩島第二小学校05

作業服を着たオジさんに聞いてみたら
一時的に資材を置かせて貰っているだけで
解体するとかの予定は無いそうです。

ホッとひと安心。


今まで、多くの廃校を訪ねてきましたが
やはり、木造校舎を目の当たりにするとテンションは違います。

      20190822岩島第二小学校06



正直言ってかなり、テンションが上がります。

      20190822岩島第二小学校07

ですから、先人のブログを拝見して訪ねてみたら
そこに在るはずの木造が解体されて無くなっていると
テンションは思い切り下がります。


いずれ、この岩島第二小学校の校舎も解体されてしまうのでしょうか?



敷地内を散策してみましょう。

      20190822岩島第二小学校08


      20190822岩島第二小学校09



校舎の前には校歌の碑。

      20190822岩島第二小学校10


残念ながら、廃校記念碑や学校跡碑、二宮像もありませんでした。



敷地内の一角に建つ説明板。

      20190822岩島第二小学校11

岩島第二小学校の敷地には『おまき桜』と言う桜があるらしい。

エドヒガンザクラの古木で例年4月中旬ごろに満開になるそうです。
このおまき桜は推定樹齢250年、樹高22m、根元回り約6m。
東吾妻町の天然記念物に指定されているそうです。

この地域は古くから麻づくりが盛んで、
桜が咲く頃に種を蒔くと立派な麻が育つことから
『おまき桜』と呼ばれてきたそうです。


こちらが、『おまき桜』。

      20190822岩島第二小学校12



遊具も残されていない校庭。
その校庭の一角は、ゲートボール場。

      20190822岩島第二小学校13

なぜか、そのゲートボール場の片隅に置かれたローラーが
学校跡を思い切り連想させる岩島第二小学校でした...............。



2019/09/18 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............岩下菅原神社 (2019年8月22日)(群馬県吾妻郡東吾妻町) 

8月22日

8月22日〜23日に1泊2日で群馬県〜長野県に遊びに行って来ました。

群馬県と言っても広い。
今回は、吾妻地区の東吾妻町を中心に巡ります。


岩島第一小学校をあとにして、向かった先は...............岩下菅原神社。


岩下菅原神社は、東吾妻町岩下に鎮座する神社です。

残念ながら、ネット等で調べても由緒等は不明。
御祭神は、菅原道真公と思われます。



こちらが一の鳥居。

      20190822岩島菅原神社01



一の鳥居に掲げられた神額。

      20190822岩島菅原神社02



一の鳥居から二の鳥居までは100mほど。

      20190822岩島菅原神社03

元気に進む びいすけ 。


こちらが、二の鳥居。

      20190822岩島菅原神社04

二の鳥居の先は石段。



石段途中の狛犬。

      20190822岩島菅原神社05


      20190822岩島菅原神社06



そして、三の鳥居。

      20190822岩島菅原神社07



手水鉢。

      20190822岩島菅原神社08


石段を上り切った先が拝殿。

      20190822岩島菅原神社09


      20190822岩島菅原神社10


      
別アングルからの拝殿。

      20190822岩島菅原神社12


      20190822岩島菅原神社13



そして、こちらが本殿。

      20190822岩島菅原神社14



拝殿正面に飾られた提灯。

      20190822岩島菅原神社15



こちらは、神楽殿。

      20190822岩島菅原神社16


御輿庫。

      20190822岩島菅原神社17



こちらが社務所。

      20190822岩島菅原神社18

社務所は閉まっていますが
隣接する民家が宮司さん宅。

事前に電話を入れて置いたので、快く御朱印を頂く事が出来ました。


こちらが、岩下菅原神社の御朱印。

      20190822岩島菅原神社19

普段は書き置きの御朱印ですが
この日は、御朱印帳に墨書きして頂きました。
ありがとうございました。






2019/09/17 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

丸ポスト探し.............群馬・東吾妻編 (2019年8月22日)(群馬県吾妻郡東吾妻町) 

8月22日

8月22日〜23日に1泊2日で群馬県〜長野県に遊びに行って来ました。

群馬県と言っても広い。
今回は、吾妻地区の東吾妻町を中心に巡ります。

東吾妻町には、3基の現役の丸ポストが現存すると言うことで
その3基の丸ポストを探してみました。


1基目の丸ポストは、本宿集落の飛び地になるのか?
須賀尾集落の先、温川沿いの鳩の湯温泉の一軒宿 『三鳩楼』前 の丸ポスト。

      20190822東吾妻町丸ポスト01


      20190822東吾妻町丸ポスト02


      20190822東吾妻町丸ポスト03


      20190822東吾妻町丸ポスト04


      20190822東吾妻町丸ポスト05





2基目の丸ポストは、鳩の湯温泉 三鳩楼 のすぐ近く。
やはり、温川沿いの薬師温泉の一軒宿 『旅籠』 前の丸ポスト

      20190822東吾妻町丸ポスト06


      20190822東吾妻町丸ポスト07


      20190822東吾妻町丸ポスト08


      20190822東吾妻町丸ポスト09


      20190822東吾妻町丸ポスト10


こちらの『旅籠』にはお笑い芸人のサンドイッチマンがバスに乗って、
飲食店を探すTV番組で、併設する蕎麦屋さんにロケで訪れたそうです。




3基目の丸ポストは岩下地区。
国道145線沿いの叶富屋酒店前の丸ポスト。

      20190822東吾妻町丸ポスト11


      20190822東吾妻町丸ポスト12


      20190822東吾妻町丸ポスト13


      20190822東吾妻町丸ポスト14


      20190822東吾妻町丸ポスト15


      20190822東吾妻町丸ポスト16

ネットには酒店前と載っていましたが、看板や自販機などもないから
ひょっとしたら廃業してしまったのかも知れませんね。



これで、東吾妻町の丸ポスト3基制覇です。


群馬県内には、54基の現役の丸ポストが現存しているようです。
その内、
長野原町2基
中之条町①4基
そして、今回の東吾妻町の3基で
合計9基の丸ポストに出会いました。

まだまだ、群馬県内には45基の丸ポストが在ることになります。

少しでも、多くの丸ポストに出会えたら良いなぁ.............


2019/09/15 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............坂上小学校須賀尾分校(2019年8月22日)(群馬県吾妻郡東吾妻町) 

8月22日

8月22日〜23日に1泊2日で群馬県〜長野県に遊びに行って来ました。

群馬県と言っても広い。
今回は、吾妻地区の東吾妻町を中心に巡ります。

大柏木教場をあとにして、向かった先は.................旧・吾妻町立 坂上小学校須賀尾教場


須賀尾教場は、

明治7年     須賀尾小学校が開校する。
明治23年    坂上尋常小学校須賀尾分教場なる。
明治26年    再び独立して、菅生尋常小学校となる。
明治42年    坂上高等尋常小学校西分教場となる。
昭和22年    学制改革により、坂上村立坂上小学校西分校となる。
昭和30年    坂上村が原町、太田村、岩島村と合併し、改めて原町が発足。
         独立して原町立須賀尾小学校となる。
昭和31年    原町が吾妻町と名称を変えだことにより、
         吾妻町立須賀尾小学校と改称する。
昭和47年    統合して吾妻町立坂上小学校須賀尾教場となる。
昭和49年    坂上小学校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっています。


須賀尾教場も情報はなく、事前に須賀尾地区の公民館等にアタリをつけ
訪れたのが、須賀尾公民館。

これまたズバリ的中。


こちらが、須賀尾教場の正門跡。

      20190822須賀尾分校01


コンクリート製の門柱。

      20190822須賀尾分校02



その門柱には須賀尾小学校時代の表札が残っている。

      20190822須賀尾分校03







敷地奥の一段高い場所に建つ公民館。

      20190822須賀尾分校06



往時の校舎ではなく、建て替えられたものでしょう。

      20190822須賀尾分校07



公民館前には『須賀尾小学校跡』の碑。

      20190822須賀尾分校08


裏面には簡略ながら沿革も刻まれています。

      20190822須賀尾分校09


坂上小学校の分教場はほぼ同じような沿革を歩んできたようですね。




『須賀尾小学校跡』の碑よりも、敷地内の匂いが気になる びいすけ 。

      20190822須賀尾分校10



校庭。

      20190822須賀尾分校04


      20190822須賀尾分校05



校庭に残る遊具類。

      20190822須賀尾分校11


      20190822須賀尾分校12


      20190822須賀尾分校13


      20190822須賀尾分校14



匂い嗅ぎから、もっちゃん の傍らへと進む びいすけ 。

      20190822須賀尾分校15


何だかんだと言いながらも、もっちゃん が大好きな びいすけ でした。
2019/09/14 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............坂上小学校大柏木教場(2019年8月22日)(群馬県吾妻郡東吾妻町) 

8月22日

8月22日〜23日に1泊2日で群馬県〜長野県に遊びに行って来ました。

群馬県と言っても広い。
今回は、吾妻地区の東吾妻町を中心に巡ります。



大戸関所跡をあとにして、向かった先は...............吾妻町立坂上小学校大柏木教場


大柏木教場は、

明治7年     大柏木小学校が開校する。
明治20年    大柏木尋常小学校となる。
明治23年    坂上尋常小学校大柏木分教場なる。
明治26年    再び独立して、萩生尋常小学校となる。
明治34年    この地に校舎を新設して移転する。
明治42年    坂上高等尋常小学校北分教場となる。
昭和22年    学制改革により、坂上村立坂上小学校北分校となる。
昭和30年    坂上村が原町、太田村、岩島村と合併し、改めて原町が発足。
         独立して原町立大柏木小学校となる。
昭和31年    原町が吾妻町と名称を変えだことにより、
         吾妻町立大柏木小学校と改称する。
昭和47年    統合して吾妻町立坂上小学校大柏木教場となる。
昭和49年    坂上小学校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっています。


これまた、他の教場とほぼ同じ同じような沿革。
しかしながら、これらの教場の譲歩はほとんど無く
いつものように、ヤフーマップやGoogleマップで
大字である大柏木と言う集落の公民館や集会所にアタリをつけます。
あとは、現地に行って、違ってもいたら聞きまくる。
そんな形で、今回は大柏木集落の中にある
大柏木公民館にアタリをつけて向かいます。

今回は意外に的中率が高く、大柏木公民館が教場跡でした。



かつての教場に至る石畳。

      20190822大柏木分校01


こちらが正門跡。

      20190822大柏木分校02



残念ながら門柱は無いけれど、それらしき雰囲気はある。

      20190822大柏木分校03


校庭跡。

      20190822大柏木分校04


山あいの小さな学校だったようで、敷地はそんなに広くは無い。

      20190822大柏木分校05


      20190822大柏木分校06


敷地のフェンス周りの木々が学校跡っぽい雰囲気を醸し出しています。

      20190822大柏木分校07


      20190822大柏木分校08



昭和49年に廃校。
今から45年前の事だから、校舎は既に解体され
新しく公民館が建てられました。

      20190822大柏木分校09



何故か、公民館のテラスにパイプ椅子。

      20190822大柏木分校10

学校跡を意識しているのか?(笑)


校庭には遊具も残っていなかったけれど
唯一、学校跡を確認させてくれたのが、こちらの碑。

      20190822大柏木分校11


裏面には、沿革も記されています。

      20190822大柏木分校12


そんな事は御構いなしに、フェンス沿いに匂い嗅ぎの徘徊をする びいすけ 。

      20190822大柏木分校13


その傍らには、ローラー。

      20190822大柏木分校14

紛れもなく学校跡でした。




2019/09/14 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

大戸関所跡 (2019年8月22日)(群馬県吾妻郡東吾妻町) 

8月22日

8月22日〜23日に1泊2日で群馬県〜長野県に遊びに行って来ました。

群馬県と言っても広い。
今回は、吾妻地区の東吾妻町を中心に巡ります。


萩生教場をあとにして、向かった先は................大戸関所跡


江戸時代には、江戸幕府や諸藩が、軍事・警察上の必要から関所を設置しました。
主な関所には、東海道の箱根関所や新居関所、中山道の碓氷関所や木曽福島関所、
甲州街道の小仏関所、日光街道・奥州街道の房川渡中田関所などがありました。

宝暦14年(1764年)に、通行手形の発行された関所は、
上州の新郷、川俣、五料、杢橋、碓氷、横川、大戸、大笹、猿ヶ京。
相州の箱根、根府川。
総州の小岩、市川、関宿。
越後の関川。
遠州の今切、荒井。
信州の福島(木曽福島)。
武州の房川渡(栗橋・中田)、小仏(駒木根)の17ヵ所が指定されたそうです。
ちなみに江戸時代の関所は、幕末には46あったとされています。

その中のひとつ、大戸関所は近世初頭の寛永8年(1632年)に
信州街道の要点をおさえる重要な関所として、
江戸幕府によって設置されました。

あの国定忠治が子分の仇をとるため、
手下30人余りをひき連れ信州へ向かった際、
大戸関所を破ったため関所破りの罪で手配され捕縛され、
はりつけの刑に処せられた場所だとされています。



こちらが、大戸関所跡。

      20190822大戸関所跡01

この門構えが、いかにも関所って言う面構え。



でも関所跡と言っても、この門と標柱、そして説明板と碑が在るのみ。

      20190822大戸関所跡02



こちらが標柱。

      20190822大戸関所跡03



そして、説明板と碑。

      20190822大戸関所跡04


      20190822大戸関所跡05



関所跡から100mほど離れた場所には、
加部安左衛門関連の遺構が残されています。

      20190822大戸関所跡06

加部安左衛門は江戸時代から明治時代にかけて、
信州から江戸への物資輸送、草津温泉、川原湯温泉などを往来する交通の要衝だった旧大戸村で、
代々世襲されてきた加部家当主です。

加部家は農業のかたわら、酒造業や鉱山業、金融業、麻の仲買商などを営み、
長年にわたって大戸関所の関守(せきもり=関所の番人)を務めたほか、
地域社会にも献身的に貢献し、「加部安(かべやす)」と称され、多くの人に親しまれました。
上州(現在の群馬県)の三大尽(だいじん=お金持ち)として、
「一加部、二佐羽、三鈴木」と呼ばれ、その筆頭に挙げられたそうです。

特に、7代・安左衛門重実、8代・安左衛門光重が商売に成功し、
1783(天明3)年の浅間山大噴火、
1784(天明4)年の冷害・凶作などの際は財産を惜しまず使い、
被災した吾妻川流域の多くの住民を救ったと言われています。

その加部家の12代嘉重の生家跡。

      20190822大戸関所跡07



残された住居の一部と井戸が町指定史跡となっています。

      20190822大戸関所跡08



大戸の関所から700mほどの所に、関所破りの罪で処刑された刑場があります。
上州佐波郡国定村に生まれた忠治は、天明の大飢饉の際に
餓死する庶民を見るに忍びず、岩鼻代官を殺害して蓄米倉を開放し、赤城山にこもりました。
さらに大戸の関所を破り、反逆の罪でこの地で磔刑されました。

稀代の仁侠人である忠治を慕い、忠治地蔵尊が建てられ、
その冥福を祈って訪れる人もかつては多かったそうです。



2019/09/13 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............坂上小学校萩生教場(2019年8月22日)(群馬県吾妻郡東吾妻町) 

8月22日

8月22日〜23日に1泊2日で群馬県〜長野県に遊びに行って来ました。

群馬県と言っても広い。
今回は、吾妻地区の東吾妻町を中心に巡ります。


坂戸教場をあとにして、向かった先は.........旧・吾妻町立坂上小学校萩生教場


萩生教場は、明治初期に萩生村に開校ささた萩生小学校がその祖とされています。

明治7年     萩生村宮ノ下に萩生学校が開校する。
明治20年    萩生尋常小学校となる。
明治23年    坂上尋常小学校萩生分教場なる。
明治26年    再び独立して、萩生尋常小学校となる。
明治34年    この地に校舎を新設して移転する。
明治42年    坂上高等尋常小学校南分教場となる。
昭和22年    学制改革により、坂上村立坂上小学校南分校となる。
昭和30年    坂上村が原町、太田村、岩島村と合併し、改めて原町が発足。
         独立して原町立萩生小学校となる。
昭和31年    原町が吾妻町と名称を変えだことにより、
         吾妻町立萩生小学校と改称する。
昭和47年    統合して吾妻町立坂上小学校萩生教場となる。
昭和49年    坂上小学校に統合され廃校となる。


と、このような沿革となっています。


とは言え、萩生教場(萩生小学校、萩生分校)については、
情報がなく場所も分かりませんでした。
いつものように、Googleマップで小字である萩生地区の公民館等を探し
そちらにアタリを付けて、あとは現地で探す!と言ったパターン。

『萩生区民会館』と言う地域の集会所にアタリを付けて
訪れてみると、大正解。
こちらが萩生教場跡でした。



正門跡は無かったけれど、見るからに校庭のような広い敷地に。

      20190822萩生分校01


      20190822萩生分校02



その一部はゲートボール場として利用されているようです。

      20190822萩生分校13


      20190822萩生分校03


広い敷地には、芝生のように雑草も生えているけれど
適度に手入れはされているようです。

      20190822萩生分校04



こちるが、萩生区民会館

      20190822萩生分校05


      20190822萩生分校06

かつては、この辺りに校舎が建っていたんでしょう。



校庭の片隅で見つけました!

      20190822萩生分校07



『萩生小学校の跡』碑です。

      20190822萩生分校08



裏面には沿革も刻まれています。

      20190822萩生分校09

大変、参考になりました。



その脇には、二宮像。

      20190822萩生分校10


      20190822萩生分校11



昭和31年の校舎改築時に合わせて建立されたモノのようです。

      20190822萩生分校12


      
区民会館の建物の脇には古い下駄箱。

      20190822萩生分校14



そして、ゲートボール場の脇には、フレームだけの椅子。

      20190822萩生分校15

これらは、学校遺構になるのか?


フェンス脇に無造作に置かれたローラー。

      20190822萩生分校16


こちらは、校庭の片隅に建つ顕彰碑。

      20190822萩生分校17



校庭跡に残る遊具類。

      20190822萩生分校18


      20190822萩生分校19


      20190822萩生分校20



こちらでも、ちょっぴりテンションの高い びいすけ 。

      20190822萩生分校21



草の匂いを嗅ぎながらの闊歩。

      20190822萩生分校22


それは、やがて競歩のようになり、いつしか小走り等なります。

      20190822萩生分校23


そして、疲れたのか?
草の感触を味わいながら『伏せ』の態勢。

      20190822萩生分校24


おそらく、寝そべって背中をスリスリしたいのだろうが
生憎、先程までの小雨で地面はしっかりと濡れている。

      20190822萩生分校25


      20190822萩生分校26

さすがに体が濡れるのは嫌なのか?
今日は大人しく伏せ状態。

さぁ、次なる場所へと移動いたしましょう。






2019/09/13 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............坂上小学校大戸教場 (2019年8月22日)(群馬県吾妻郡東吾妻町) 

8月22日

8月22日〜23日に1泊2日で群馬県〜長野県に遊びに行って来ました。

群馬県と言っても広い。
今回は、吾妻地区の東吾妻町を中心に巡ります。

密岩神社をあとにして、向かった先は.........吾妻町立坂上小学校大戸教場


大戸教場の沿革については不明です。
ただ、明治期にこの辺りが大戸村と称していた事から
明治初期に開設されたと思われます。
そもそも、この地区には、本宿村、大戸村、萩生村、大柏木村、須賀尾村があり
それぞれの向かってに小学校が在ったようです。
明治22年に本宿村、大戸村、萩生村、大柏木村、須賀尾村が合併し
坂上村が誕生しました。やがて、各校は坂上尋常小学校の分教場となったようです。
そして、昭和30年に坂上村が原町、太田村、岩島村と合併し、
改めて新しい原町が発足、翌年の昭和31年に原町が吾妻町と名称を変えました。
その際に、各校が独立します。
その際に、坂上小学校大戸分教場は吾妻町と大戸小学校と改称しますが
昭和47年に坂上小学校に統合され、大戸教場となります。
そして、他の教場と同じように昭和49年に本校に統合されて廃校になりました。

とまあ、こんな沿革だったようです。


数年前にまで、木造の校舎が残っていたようですが
現在は、解体されてしまいました。
廃校後、婦人服の服飾メーカーの縫製工場として利用されていたようですが
そちらも撤退されてしまい、地域の公民館として再利用していたようです。
いくつかのブログでも木造校舎が紹介されていたので
楽しみにしていたのですが、残念です。

( こんな感じの校舎だったようです。 憧憬の刻


こちらが正門跡。

      20190822大戸小学校01


正門の門柱はコンクリート製。

      20190822大戸小学校02


      20190822大戸小学校03



左右いずれの門柱にも、往時の表札が残っていました。

      20190822大戸小学校04


      20190822大戸小学校05



数年前までは、木造の校舎が残っていましたが
今は、解体されて何も無い。

      20190822大戸小学校06


      20190822大戸小学校07


      20190822大戸小学校08



正門脇の立派な桜が、学校跡を彷彿させてくれます。

      20190822大戸小学校09

この桜が地元では、ちょっぴり有名らしい。


校舎が解体されてしまったから、学校遺構が殆ど無い。
一時期、民間の縫製工場として利用されていたからか?
遊具類もないし、一連の学校関連の記念碑の類いもない。


唯一の学校遺構?

      20190822大戸小学校10

敷地の一部が、ゲートボール場として利用されているのでしょう、



フェンス沿いに匂いを嗅ぐ びいすけ 。

      20190822大戸小学校11

まるで、ドッグランの時の行動。



雨も一瞬、上がったようなのでカッパを脱がしてみます。

      20190822大戸小学校13



この日初めて履いた赤いゴムの靴。

      20190822大戸小学校12

よっぽど気に入ったのか?
いつもと雰囲気が違う。


そして、軽快に校庭(跡)を走り回る びいすけ 。

      20190822大戸小学校14



最近は、ドッグランに行かないし(行っても走らないし.........)
走る姿にはご無沙汰だった びいすけ 。

      20190822大戸小学校15


この日は、いつもと違う。

      20190822大戸小学校16


      20190822大戸小学校17



何たって、跳んでるし!!

      20190822大戸小学校18

びいすけ 10歳の激走です。



楽しそうな顔してるし。

      20190822大戸小学校19

いやぁ、久々のびいすけ の力走姿。


違った意味で、この大戸教場の事は忘れることがなくなりそうです。




2019/09/12 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

観音山不動の滝 (2019年8月22日)(群馬県吾妻郡東吾妻町) 

8月22日

8月22日〜23日に1泊2日で群馬県〜長野県に遊びに行って来ました。

群馬県と言っても広い。
今回は、吾妻地区の東吾妻町を中心に巡ります。

大宮巖鼓神社をあとにして、向かった先は..................観音山不動の滝


観音山不動の滝は、岩だらけとされる岩櫃山から、流れる水量の多い滝で
コンパクトながら綺麗な箱庭のような滝壺にドドンと落ちる3段の滝で
その落差は30メートルとされる滝です。
時期によっては、上部は木々の葉に覆われて見えず
三段の滝と気付かない人がもいるようです。



滝に向かう場合、全国的に知名度の高い滝なら
道に迷う事はありませんが、ローカル色の強い滝となると
案内板だけが頼り。

ナビもあてにならず、しっかりと道に迷いました。


この案内板を見つけ、ホッとしました。

      20190822観音山不動の滝01



この道を左方向に進めば、岩櫃城。
右方向に行けば、目指す観音山不動滝。

      20190822観音山不動の滝02

不動滝の先(観音山)は、岩櫃城の支城でもある柳沢城。
でも、今回は雨だし、城巡りはパス。
いつか、岩櫃城と抱き合わせで訪れたいモノです。





駐車場から、滝を目指します。

      20190822観音山不動の滝03



この石段の先は、不動堂。

      20190822観音山不動の滝04


こちらが、不動堂。

      20190822観音山不動の滝05

観音山の麓にある「不動の滝」脇の不動堂。
正式には、瀧峩山金剛院と言い、今から600年以上前に
岩櫃城の鬼門(東北)の鎮守として建てられたと伝わっています。




不動堂の前に建つ四阿。
四阿と言うよりも鑑瀑台と言った方が的確か?

      20190822観音山不動の滝06

この場所から滝が確認出来ます。



周りの木々が無ければ、もっとはっきり見えるのですが.............

      20190822観音山不動の滝07


      20190822観音山不動の滝08


鑑瀑台のような設備があるから、
川の方に下って行けないのか?と思っていたら
滝壺近くまで近寄って行くことが出来した。

      20190822観音山不動の滝09


ここ数日、関東地方はてんきが荒れて
いきなりのゲリラ豪雨が各所で起きていて、
こちらでも例外では無く、そのためか水量は多い。
おまけに、この日は朝からパラパラと小雨だし。

      20190822観音山不動の滝10



ちょっとだけ位置を変えて、 びいすけ と不動滝。

      20190822観音山不動の滝11



モデルも慣れたモノ?
しっかりと滝をバックに大人しく、ハイポーズ、パチリ☆。

      20190822観音山不動の滝12



世の中に『不動滝』と呼ばれる滝は数多くある。
しかし、その多くが名前負けしていると言っても過言では無い。

でも、この『観音山不動滝』は名前負けしていない。

      20190822観音山不動の滝13



やはり、滝は水量と落差があって、そのスケールが測り知れるのだろう。

      20190822観音山不動の滝14


残念なのは、周りの木々によって、上段が今一つ見づらくて(って言うか、見えない)
せっかくの三段の滝が一段の滝に見えてしまう。

木々の葉が無くなる秋から冬に見頃になる滝なんだろうか.............?




2019/09/11 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............大宮巖鼓神社 (2019年8月22日)(群馬県吾妻郡東吾妻町) 

8月22日

8月22日〜23日に1泊2日で群馬県〜長野県に遊びに行って来ました。


なかなか群馬県に来る機会もそんなに無いから
群馬県に精通しているわけではありませんが
吾妻地区を今回もぐるっと周ってみたいと思っています。

前日の夜にいつものように八王子の実家へ移動。
妹の もっちゃん にナビゲートしてもらい、
人間2人と犬1頭、圏央道から関越道と移動、
群馬・長野の旅行の始まりです。

関越道の渋川・伊香保ICで関越を降りて下道で移動。
向かった先は、東吾妻町の大宮巖鼓神社。

大宮巖鼓神社は、東吾妻町原町に鎮座する神社です。

創建年代は不詳ですが、千年以上前だと考えられているそうです。

吾妻太郎行盛が武州氷川明神を配祀し、以来武将・民衆の崇敬篤く、
天正十八年北条家朱印、宝暦以降は真田家黒印の社領を寄進された神社とされています。

         
御祭神は、日本武尊、弟橘姫命、素盞嗚尊、保食神。




社号標。

      20190822大宮巌鼓神社01



朱色の一の鳥居。

      20190822大宮巌鼓神社02


一の鳥居に掲げられた神額。

      20190822大宮巌鼓神社03



一の鳥居をくぐった先には二の鳥居。

      20190822大宮巌鼓神社04



二の鳥居の奥には拝殿。

      20190822大宮巌鼓神社05


こちらが手水舎。

      20190822大宮巌鼓神社06



手水舎の脇には由緒書き。

      20190822大宮巌鼓神社09



参道の狛犬。

      20190822大宮巌鼓神社07


      20190822大宮巌鼓神社08



こちらが、拝殿。    

      20190822大宮巌鼓神社10


      20190822大宮巌鼓神社11



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20190822大宮巌鼓神社12




別アングルからの拝殿。

      20190822大宮巌鼓神社13


      20190822大宮巌鼓神社14




そして、こちらが本殿。

      20190822大宮巌鼓神社15


   

拝殿正面に飾られた提灯。

      20190822大宮巌鼓神社16



拝殿脇には御神木。

      20190822大宮巌鼓神社17
      20190822大宮巌鼓神社18


    

境内社・八幡宮。

      20190822大宮巌鼓神社19



境内社・伊勢神明宮

      20190822大宮巌鼓神社20


      20190822大宮巌鼓神社21



境内社・宇婆神社

      20190822大宮巌鼓神社22


境内末社。

      20190822大宮巌鼓神社24



神楽殿。

      20190822大宮巌鼓神社23



参集殿。

      20190822大宮巌鼓神社25



社務所。

      20190822大宮巌鼓神社26



こちらが、授与所。
御朱印はこちらで拝受出来ますが
時刻は朝の8時過ぎ。
まだ空いていません。

      20190822大宮巌鼓神社27

電話を掛けてみると、宮司さんの自宅に繋がったようで
10分位待ってくれれば、授与所に来ていただけると言う事です。




こちらが、御朱印。

      20190822大宮巌鼓神社28


朝早くからご対応いただき、ありがとうございました。


私にとって、群馬県の初御朱印てある 大宮巖鼓神社 の御朱印。
しっかりいただきました。

2019/09/11 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit