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び・び・びのびいすけ

ちょっと寄り道 (2017年6月26日)(茨城県桜川市) 

6月26日 公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。

桜川市の旧・大和村域にある西大和小学校青木分校をあとにして、
次なる分校を目指し、車で移動中に、JR水戸線の踏切手間で
こんな光景が視界に入って来ました。

      20170626ちょっと寄り道01

何やら、説明板も建てられ、何かの文化財のようです。


車を路肩の空き地に停め、チェックです。
(気になる説明板や標柱、石碑は素通り出来ない性格です。)(笑)


どうやら、二宮尊徳の偉業に顕彰碑が建てられた経緯が記されていました。

      20170626ちょっと寄り道02

要約すると...............

江戸時代の天保年間(1830年〜1844年)に荒廃した青木村を再建した二宮尊徳の偉業を讃えて、
明治31年にゆかりの地に村民たちが建立した碑です。


二宮尊徳って、二ノ宮(二宮)金次郎の事でしょ?
昭和の時代には、全国の多くの小学校には、
薪を背負い、歩きながら本を読む姿の二ノ宮像が建てられました。



二宮尊徳の事を調べてみると...............

二宮尊徳は、江戸時代後期の経世家、農政家、思想家です。

足柄平野の栢山村(小田原市)の比較的裕福な農家の長男として誕生しました。
幼少時から教養のある父に教育を受け、一方では優しい母の慈愛を存分に得て、幸せに育ちました。
しかし、不幸にして異常天候のため酒匂川の氾濫が度重なり、荒廃した田畑の回復もかなわず、
父母は心身疲労で相次いで死去、一家離散という事態に陥りました。

金次郎は伯父万兵衛の家に預けられますが、逆境にもめげず卓越した才能を発揮します。
作業の合間に、稲の捨て苗や菜種を空き地に植えて収穫し、
「積小為大(小を積んで大となす)」の経済原理を体得します。
そして、毎年その収益を増やして田畑を買い戻し、成人後間もなく「わが家の再興」に成功しました。

その後、その手法を生かし、発展させて近親者の家政再建、
若党として仕えた小田原藩家老服部家の財政の建て直し、
窮乏藩士救済のための金融互助組織「五常講」を設立、
さらに藩の年貢徴収用の斗枡の改良統一も達成します。
やがて、そのすぐれた発想と実践力が藩主大久保忠真から見込まれ、
財政難に苦しむ藩主の身内である旗本の野州(栃木県)桜町領の財政再建を託されます。

尊徳はこれを契機に村おこし、国づくりの仕事に邁進することになります。
桜町領再建は苦節10年の難事業でしたが、その成功はたちまち近隣の注目を集め、
諸領諸村からの仕法の要請が相次ぎ、復興事業や飢饉救済に多忙を極めます。
晩年には幕臣に取り立てられ、日光神領をはじめ一部幕府領の再建に総力をあげて取り組みますが、
かたわら優れた弟子たちを介して、諸家、諸領の復興指導も続けました。
安政3年、70歳でその生涯を終えるまで、報徳仕法の手ほどきを受けた地域は600か村に達したといわれています。



青木村(現:桜川市青木)は江戸時代初期から幕府領で、1708年(宝永5年)旗本川副氏の知行地となりました。
青木堰は古くから村の水田を潤してきた重要な施設でしたが、河川が急流であるため増水のたびに流され、
多大な改修費を要していました。
知行1500石余の小旗本であった川副氏は、やがて改修ができなくなり、
堰は壊れたまま放置されるようになりました。
その結果、水不足が慢性化し、米の収穫量は激減しました。

1831 年(天保2年)、青木村の名主である館野勘右衛門他37名は
村の救済を農政家である二宮尊徳に頼みました。
尊徳は、1833年(天保4年)、青木村復興事業の一つとして青木堰の建設に着手し、
元禄期に比べ工期も短く費用も半分以下に抑えるという他に例を見ない工法により青木堰を完成させました。



要するに、荒廃した青木村を二宮尊徳が再建したと言う事です。




この奥に顕彰碑があるようです。

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しかし、何故鳥居があるの?



こちらが、顕彰碑。

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尊徳を祀る二宮神社が小田原とか、日光にあるから
顕彰碑が信仰の対象になっているのか?



小さな祠も数個在り、この地は信仰が厚い地なのかもしれない。

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道路沿いの、この一画だけが森のようになっていて
それらしい雰囲気がある。

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時代モノの赤錆びた遊具もあり、
昔から子供たちの遊び場でもあったようです。

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何やら、別な石碑を発見!

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よく見ると、『北関東自動車道開通記念碑』となっている。

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確かに、すぐ近くを高速道路が走っている。



高速道路建設にあたり、先祖代々から受け継いだ土地を提供した方の名が刻まれています。

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二宮尊徳の尽力によって豊潤な地と化した青木村でしたが
高速道路の建設で、仕方なく土地を手放した人もいるのでしょう。



それよりも個人的に気になったのが こちら 。

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コレって、オリエンテーリングのポストだよね?

っていうことは、この地区にオリエンテーリングのコースがある事になる。

今では、人気がなく、競技人口も少なくなってしまったオリエンテーリング。
過去(かなり昔の話ですが...............)何度かチャレンジしたけど、意外に楽しかった。
気軽に散歩、散策の延長として野山を駆け回ることになるから
びいすけ と、一緒に歩いたら楽しそう。

数年前から、そんなことを考えていました。


今年は、オリエンテーリングにもチャレンジしようかな...............?


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2017/07/14 Fri. 14:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit