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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

道の駅 《 しょうなん 》 (2017年11月19日)() 

11月19日

この日は、買い物ついでにちょっと足を伸ばして道の駅巡り。


最初に訪れたのは...............道の駅 《 しょうなん 》


神奈川県でもないのに しょうなん 。
平仮名で書くと しょうなん ですが、
本来は漢字の 沼南 からとったモノ。
今でこそ柏市になっていますが、
平成17年に柏市に吸収合併されるまでは
東葛飾郡沼南町でした。

道の駅しょうなん は、県道船橋我孫子線手賀大橋の袂に、
千葉県内8番目の「道の駅」としてオープンした道の駅です。

      20171119道の駅しょうなん01


      20171119道の駅しょうなん02


日曜日の午後。
駐車場は満車。
仮設の臨時駐車場に車を停めました。

      20171119道の駅しょうなん03


こちらが、道の駅 しょうなん の施設。

      20171119道の駅しょうなん04


入口では、植木や花の仮設売店。

      20171119道の駅しょうなん05


建物は一つですが、内部は3つのエリアに区分されています。

その内の一つ。
多くの人の目的である物産エリア。

      20171119道の駅しょうなん06


      20171119道の駅しょうなん07


下手なスーパーよりも買い物客が多い。

      20171119道の駅しょうなん08


やっぱり目玉は地元産の野菜類。

      20171119道の駅しょうなん09


      20171119道の駅しょうなん10

でも、そんなに安くは無かったなぁ。


スタンプコーナーは、情報エリアありました。

      20171119道の駅しょうなん11


こちらがレストラン。

      20171119道の駅しょうなん12

テラス席は無いようです。
ペット連れには残念ですね。
道の駅の切符はレストランのレジにて販売中。
当然、手に入れました。



敷地内の見所は駐車場脇の四阿だけかと思っていたら
違っていた。

      20171119道の駅しょうなん13



レストランエリアの奥に進めば、ちょっとした芝生広場。

      20171119道の駅しょうなん14


さらに、その背後には手賀沼。

      20171119道の駅しょうなん15

視界に入るのは手賀大橋。


手賀沼には、優雅に白鳥が居たりして。

      20171119道の駅しょうなん16


手賀沼沿いの遊歩道を散策も出来ます。

      20171119道の駅しょうなん17


仮設の臨時駐車場の隣の畑。
怪しげな人たち(?)が居ます。

      20171119道の駅しょうなん18


      20171119道の駅しょうなん19


良く見ると、案山子でした。

      20171119道の駅しょうなん20


      20171119道の駅しょうなん21


      20171119道の駅しょうなん22

久しぶりに案山子をじっくりと見ちゃいました(笑)。



こちらが、道の駅の切符。

      20171119道の駅しょうなん23


      20171119道の駅しょうなん24



そして、道の駅のスタンプ。

      20171119道の駅しょうなん25



千葉県内に28ヶ所在る 道の駅。
これで2つ目制覇です。


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2017/12/30 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

高柳城址  (2014年7月18日)(千葉県柏市) 

7月18日 公休日

この日は柏市旧・沼南町エリアの城址巡りをしました。

箕輪城址をあとにして、向かった先は......................高柳城址


高柳城は
 
築城の時期は不明ですが、南北朝初期から14世紀末頃までは、
相馬氏(相馬次郎師常[千葉介常胤の次男]を祖とし、相馬御厨:南は現在の鎌ヶ谷市までを支配)の
影響下に置かれていたようです。

16世紀以降には小金高城氏の支配下に置かれていたと推定されているようですが、
直接的な城主等にについては不明です。



こちらが高柳城の縄張り図


      高柳城縄張り図

         ( 余湖くんのホームページ よりお借りいたしました )



県道8号線で城址は分断されていますが、善龍寺周辺一帯が城域にあたるようです。

比較的遺構が多く残る県道8号線の東側から散策してみます。




肉眼で見ると、それっぽく見えるのですが..........
どうもカメラの画像にすると今ひとつ..........


      20140718高柳城址01


      20140718高柳城址02



びいすけ の背後が空堀。
かなり埋まっていて浅くなっていますが、奥へと続いています。


      20140718高柳城址03


      20140718高柳城址04


      20140718高柳城址25



空堀は奥へと続いていますが、雑草も多く藪状態。
さすがに奥へと進んでいく勇気はありませんでした。


      20140718高柳城址06



こちらは土塁


      20140718高柳城址07


      20140718高柳城址08




こちらが県道8号線から善龍寺へ向かう途中にある土塁
空堀(?)が現在は通路となっているようです。


      20140718高柳城址09



こちらが、善隆寺


      20140718高柳城址10



善隆寺の山門


      20140718高柳城址11




本堂の背後の台地が主郭のようですが.................


      20140718高柳城址12


台地に上がっていく道がなく、お寺の方に聞いてみましたが
お寺からも上がっていく道がないとのことでした。


主郭にも、土塁や空堀が残っているようですが、
仕方がないので主郭は断念。


この高柳城址も宅地化と県道建設によってかなり改変されてしまっているようです。
やっぱり千葉県内でも近郊住宅街となっている市町村では
そこまでは望めないんだろうなぁ.................






2014/08/10 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

箕輪城址  (2014年7月18日)(千葉県柏市) 

7月18日 公休日

この日は柏市旧・沼南町エリアの城址巡りをしました。

手賀城址をあとにして、向かった先は......................箕輪城址


箕輪城は
色々とネットで調べてみましたが。正直、歴史はよくわかりません。
鎌倉時代には相馬氏の所領であり相馬文書には,
箕輪三郎という武士の名前が記されているようですが、
これが箕輪城の最初の城主であったのかは不明です。
 
戦国時代には箕輪城の西に位置する戸張城の戸張弾正の家臣である高城伊勢守が
守っていたという伝承もあるようですが定かではありません。
この付近一帯で勢力を伸ばしていた高城氏の支配を受けていたと推定されます。

城址一帯は近隣の城郭と同じように、宅地化と開発により様変りしています




こちらが箕輪城の縄張り図


      箕輪城縄張り図

 いつものように  余湖くんのホームページ よりお借りいたしました。




こちらが大手口になるのだろうか.....?
手賀沼側から箕輪城のある台地へと向かいます。

左側が四郭の城塁になります。


      20140718箕輪城址01


以前はこのあたりに木製の標柱が建っていたようですが
朽ち果ててしまったのか?
それとも病院の駐車場が作られた時に撤去されてしまったのでしょうか....?


      20140718箕輪城址08



箕輪城址の主郭は手賀病院の敷地となってしまい
かなり様変わりしています


駐車場の奥に見える森が二郭にあたります。


      20140718箕輪城址09


      20140718箕輪城址10


主郭は病院敷地内なので、犬連れの身としては
敷地内に入るのはちょっと無理。

まぁ、病院敷地内には遺構も残されていないということなので
主郭探索は諦めます。


こちらが二郭の空堀


      20140718箕輪城址02



この空堀が二重空堀になっていて
箕輪城址の一番の見所となっています。


      20140718箕輪城址03



って言うか、この空堀くらいしか明確な遺構は残されていません。


      20140718箕輪城址04


      20140718箕輪城址05



この空堀のある一画だけが、唯一手つかずの状態で残されているといった感じです。


      20140718箕輪城址06


      20140718箕輪城址07


多くの城郭サイトの記事の記載時より病院敷地が拡張されてしまったと言うか、
木々が生えていた五郭あたりも駐車場になっていたりして
あと数年もすれば、またまた病院敷地が拡張されて
いずれ二郭辺りも改変されtしまうのだろうか............?

以前は標柱も建っていたということは、
文化財としての認識は、あったはずだと思うのだけれど、
沼南町から柏市に吸収合併されて、忘れ去られてしまったのだろうか........?

これが近郊市街地の城址の定めなのだろうか........?




 




2014/08/09 Sat. 18:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

手賀城址  (2014年7月18日)(千葉県柏市) 

7月18日 公休日



北総のドッグランに行ったついでに、ちょこっと足を伸ばして
柏市城址巡りをして来ました。

まぁ、柏市と言っても平成の大合併前には
沼南町と言っていた地区。
この辺りにも城址は多く、以前から気になっている地区でした。


最初に訪れたのは..............手賀城址



手賀城は、
詳細は明らかではありませんが、
戦国期に手賀原氏が築城したと言われており、
手賀原氏は手賀地域はもちろんのこと、
手賀沼の対岸である我孫子の一部や
現在の白井市の名内なども支配していたと言われています。

手賀城はその手賀原氏の拠点となったもので、
興福院のある台地全域が手賀城とされています。

現在、主郭(本丸)は畑、その他の多くが住宅地になっていて、
かなり改変されてはいますが、一部の土塁などの遺構は住宅地のなかにも残っており、
他に腰郭なども現存しています。
現在、興福院のある場所は、城の二郭跡と言われています。

手賀城は小田原北条氏についた原氏の居城であったために、
小田原の役の際に、豊臣秀吉配下の浅野勢によって攻められ落城したと言われています。



こちらが、手賀城の縄張り図


      手賀城縄張り図


           ( 余胡くんのホームページ よりお借りしました。)




こちらが、興福院。
大同年間(平安時代)の創建と言われ、
一時衰退したようですが鎌倉時代に再興され、
戦国時代には手賀原氏の戦勝祈願寺になったと伝えられています。

山門が古き時代を感じさせます。


      20140718手賀城址01



旧・沼南町時代に建てられた標柱。


      20140718手賀城址02

この標柱は旧・沼南町域には多く見かけます。
以前の沼南町って文化財に対しては本当に力を入れていたんだなぁと感じます。



千葉一族の原氏の居城に所縁のある古刹だから
千葉氏の家紋の九曜紋があるとのことでしたが
残念ながら見つけることは出来ませんでした。


      20140718手賀城址03



こちらは、興福院背後の土塁。


      20140718手賀城址04




さして、こちらが主郭跡。

畑の入口に城址碑が建っています。


      20140718手賀城址05


      20140718手賀城址06


      20140718手賀城址07



畑の中にボツンと建つ鳥居と祠。


      20140718手賀城址08


      20140718手賀城址09



主郭は完全な畑と化しているため、周辺を散策してみます。


こちらは搦め手口になるのだろうか?
民家の背後に立派な土塁が残されています。


      20140718手賀城址10


      20140718手賀城址11



以前はきっと立派であったであろう長屋門。


      20140718手賀城址12


残念ながら、こちらのお宅は廃屋となっているけれど
しっかりと敷地内に土塁が残っています。


      20140718手賀城址13


周辺もすっかり宅地化されているから
かなり様変わりしてしまっているけれど
こうやって所々にわずかながら遺構が残っている

手賀城址、なかなかのものです....................




2014/08/09 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit