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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

廃校を訪ねて..................旧・府馬小学校 跡(2019年5月11日)(千葉県香取市) 

5月11日

この日は、香取市にやって来ました。

廃校巡りで訪れた 府馬小学校で閉校記念碑の裏面に沿革が刻まれていました。
よく見ると、府馬小学校は昭和63年に移転をしているようだ。
と、言う事は旧・校地はどうなっている?

気になり出すと、抑えきれない悲しい性分(笑)。
探して行ってみるしかないでしょう?


今年の春に廃校となった府馬小学校は、

明治8年      府馬村の修徳院を仮校舎として第36番中学区の府馬小学校を開校する。
明治20年      尋常小学校を設置し、府馬尋常小学校と改称する。
明治28年      高等小学校を併置し、府馬尋常高等小学校と称する。
昭和22年      学制改革により府馬町立府馬小学校と改称する。
昭和29年      府馬町、八都村、山倉村が合併し山田町が発足。
            山田町立府馬小学校と改称する。
昭和63年      山田町府馬3492-4番地(現在地)に移転。
平成18年      山田町、佐原市、小見川町、栗源町が合併して香取市が発足。
            香取市立府馬小学校と改称する。
平成31年      旧・山田町域の小学校を統合して山田小学校が開校。
            府馬小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。
確かに、昭和63年に校地を移転している。
ならば、修徳院なるお寺の近くになる校地を探してみましょう。


修得院の隣には、府馬保育園があり、
そちらが、旧・府馬小学校の校地になります。
まあ、簡単に言えば、『旧・府馬小学校跡地に府馬保育園が出来た』と言うことになります。


こちらが、府馬保育園。

      20190511旧・府馬小学校跡01


その正門になります。

      20190511旧・府馬小学校跡02

この日は、土曜日。
保育園も休みのようで、門扉は固く閉められています。


フェンス越しに眺める保育園。

      20190511旧・府馬小学校跡03

たまたま通りかかった御老人に府馬小学校の事を訊いてみたら
間違いなく、府馬保育園のある場所が旧・府馬小学校の敷地だと言う事です。

但し、旧・府馬小学校の敷地の全てが保育園になった訳ではなく、
その大部分が保育園になりましたが、一部は公園となっているようです。



こちらが、その公園。

      20190511旧・府馬小学校跡04


じゃ〜ん!!

      20190511旧・府馬小学校跡05


公園には、『府馬小学校跡』と記された碑が建っていました。

      20190511旧・府馬小学校跡06


      20190511旧・府馬小学校跡07

間違いなく、この地が昭和63年まで府馬小学校でした。



公園と保育園は、金網のフェンスでは遮られ、中には入れません。

      20190511旧・府馬小学校跡08



公園から眺める保育園。

      20190511旧・府馬小学校跡09


こんな感じで校舎は建っていたんでしょうか?

      20190511旧・府馬小学校跡10


公園そのものは、そんなに広くはない。

      20190511旧・府馬小学校跡11


公園にさっそうと聳えるイチョウの木。

      20190511旧・府馬小学校跡12

きっと、旧・府馬小学校のシンボルツリーだったんだろう..................。






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2019/07/11 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................番外編 山倉中学校址 (2019年5月11日)(千葉県香取市) 

5月11日

この日は、香取市の旧・山田町域の廃校を巡っていました。

山倉小学校をあとにして、第一山倉小学校へと向かっていると
進行方向左手側に石碑が目に留まった。

『 あれ?! 忠魂碑っぽく見えるけど、何だろう? 』

     20190511山倉中学校址01

車を停めて近づいてみると、招魂碑でした。

忠魂碑は、明治維新以降、日清戦争や日露戦争をはじめとする戦争や事変に出征し戦死した、地域出身の兵士の記念のために製作された記念碑。
招魂碑は、戦死者の慰霊碑。日露戦争前には記念碑,招魂碑と呼ばれるものが建てられたが,
日露戦争以後は、忠魂碑として日本全国に普及していきました。
要するに、同じモノなんですね。

『ってことは、ココは学校跡?』


招魂碑の右方向近くに、別な碑が在りました。

     20190511山倉中学校址02



よく見ると..................

     20190511山倉中学校址03

『山倉中学校址』と刻まれています。


どうやら、偶然に旧・山田町立 山倉中学校跡地を見つけてしまったようです。


旧・山田町立 山倉中学校は、

昭和22年     学制改革により山倉村立山倉中学校創立。
昭和29年     府馬町、八都村、山倉村が合併して山田町が誕生。
           山田町立山倉中学校と改称する。
昭和55年     山倉中学校、府馬中学校、八都中学校が統合して山田町立山田が誕生。
           山倉中学校、府馬中学校、八都中学校は廃校となる。

と、このような沿革のようです。



『山倉中学校址』碑の隣には、山倉中学校の『校歌の碑』。

      20190511山倉中学校址04



裏面の碑文は汚れていて、ちょっと判読が難しい。

      20190511山倉中学校址05



招魂碑の左側には、何かの施設。

      20190511山倉中学校址06



『北総東部土地改良区』と記された表札。

      20190511山倉中学校址07



どうやら、公設の土木関係事務所のようです。
山倉中学校が廃校後、敷地の一部に建てられたようです。

      20190511山倉中学校址08


      20190511山倉中学校址09


土木事務所(?)の裏手はグランドのようです。

      20190511山倉中学校址10



野球のグランドの他に、ゲートボール場、テニスコートもあります。

      20190511山倉中学校址11


      20190511山倉中学校址12



『山倉運動広場』と公衆トイレには書かれていました。

      20190511山倉中学校址13



どうやら、廃校後に敷地は色々と活用されているようですね。


山倉運動広場の隣は特養ホーム?

      20190511山倉中学校址14



隣接する敷地だから、ひょっとしたら山倉中学校の敷地の一部だったのだろうか?

      20190511山倉中学校址15



日立のCMにでも出てきそうな立派な木。

     20190511山倉中学校址16


ひょっとしたら、山倉中学校のシンボルツリーだったのでは?
などと空想が勝手に歩き始める廃校巡り。

偶然とは言え、貴重な廃校跡に出会えました..................。





2019/07/09 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

府馬城址    (2016年2月10日)(千葉県香取市) 

2月10日  公休日

個人的な連休初日。
この日は香取市へ出掛けました。

山之下城址から直線距離で数百m。
完全な徒歩圏内の距離にある城址。
府馬城址を訪れました。

府馬城は、下総の名族である千葉氏の流れをくむ国分氏の一族である府馬氏の居城であります。
南北朝時代中期の貞治・応安の頃に、本矢作城主である国分胤通の子孫である越前五郎時常が
この地を領して府馬氏を称し、府馬城を築いたと言われています。
戦国後期の頃に、府馬城主の府馬時持は安房里見氏と結んで、里見氏の重臣正木氏と共に
東総一帯に進撃し、小見川城・森山城・鏑木城・米野井城などを攻め落としたとされています。
千葉一族でありながら、千葉一族を裏切った時持ですが、間もなく反撃にあい
府馬城への帰城の途中、米野井城付近の激戦で討死したと言われています。


こちらが、府馬城址の縄張り図。

      20160210府馬城址01

余胡くんのお城のページ からお借りしました )


台地中央部を南北に細長く伸びた郭群が広がり、
大まかに3つの郭群で構成されています。
北側から一の郭群、二の郭群、三の郭群と言ったところでしょうか。

府馬の大クスのある山之下城址から歩いてくると
こんな感じで府馬城址が現れます。


郭群で言えば、三の郭群にあたります。

      20160210府馬城址02

細長い台地の付け根。
縄張り図をじっくり見ていなかったから
ここが要害だと勘違いして登ってしまいました。

      20160210府馬城址03

谷を挟んで、山之下城址が見えます。
三の郭群は視界が開け、物見台の役割を果していたかもしれません。

      20160210府馬城址04
    


こちらが要害。
それなりに広い郭だったようです。
台地の一番高い場所になるから、てっきりこの要害が主郭なのかと思ったら
どうやら違うようです。
主郭は台地先端部に近い削平地のようです。
      
      20160210府馬城址05



要害への登城路と腰曲輪。
右側の削平地が要害となります。

      20160210府馬城址06

民家の脇からのアプローチになります。



府馬城址の歩いて台地の下部は民家が数件並び
城址への登城路はいずれも民家の脇から台地に入っていく形になります。


こちらがメインの登城路。


      20160210府馬城址07


余胡さんの縄張り図で言うところの7の切り通し。

実は、府馬城址で一番の見所とも言えます。
郭群で言えば二の郭群にあたります。

      20160210府馬城址14


まさに大堀切と言った方が適切ですね。

      20160210府馬城址08


ちょうど、陽も傾き出し、西陽が切り通しに差し込み
昼でも薄暗い場所を照らしています。

      20160210府馬城址09



この切り通しから主郭部へと進軍していきましょう。

      20160210府馬城址10


台地先端部に近い郭。
こちらがどうやら主郭だったみたいです。

      20160210府馬城址11

余胡さんの縄張り図によれば、5の郭になります。



こちらも、それなりに見応えのある切り通し。
ちょうど6の郭の下になります。
こちらも見事な堀切ですね。

      20160210府馬城址12


      20160210府馬城址13


     
主郭のある台地下部にある集会所。

      20160210府馬城址15

この集会所の背後の台地が府馬城址の主郭部。


遺構は余り残っていないけれど、堀切は見応えありました。
余り知れ渡っていない古城を巡るのも、やっぱり面白いモノですね。





2016/02/26 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

山之下城址     (2016年2月10日)(千葉県香取市) 

2月10日  公休日

個人的な連休初日。

この日は香取市に出掛けました。
と言いながらも東庄町まで足を伸ばし、公園なんぞを散策して
再び香取市へと戻ることにいたしました。

向かった先は...............山之下城址


山之下城は、下総の名族である千葉氏の流れをくむ国分氏の一族である
府馬氏の居城である府馬城の出城であったとされています。

府馬氏については、このあと訪問する府馬城址の記事にて触れることにして...............



現在は香取市となっている旧・山田町の府馬の大クスのある宇賀神社一帯が
山之下城址とされているようです。

宇賀神社の北側一帯は、現在公園化されていて
とても城址のようには見えません。


こちらが、山之下城址の縄張り図。

      20160210山之下城址01

( 余胡くんのお城のページ からお借りしました )



現在は、『大クス展望公園』として整備されています。

      20160210山之下城址02

実は、そうとも知らずに昨年、この大クス展望公園を訪ねていました。
( その時の記事は こちら


あの時は、一面シロツメクサに覆われていて
こんなに広い削平地だとは気付きませんでした。

      20160210山之下城址03

確かに、郭跡に見えますね。


公園化されているし、大クス展望公園なんてネーミングだから
当然、展望台があったりする。

      20160210山之下城址04


      20160210山之下城址05


何とかと煙は高い所に行きたがる?
なぜか、展望台を登り始めた びいすけ 。

      20160210山之下城址06

見づらいですが、真ん中辺りに びいすけ が居ます。




展望台にて。

      20160210山之下城址07


位置関係がイマイチ把握出来ないけれど
田園風景が広がっています。

      20160210山之下城址08



展望台から眺める山之下城址の郭跡。

      20160210山之下城址09



こちらが、府馬の大クス。

      20160210山之下城址10

樹齢1300年〜1500年と言われるタブノキの巨木。
以前はイヌグスと呼ばれていたそうですが、
調査の結果、タブノキと判明したそうです。
大正15年に『府馬の大クス』として国の天然記念物に指定されました。


こちらが宇賀神社。

      20160210山之下城址11



宇賀神社下の城塁。

      20160210山之下城址12

この辺りは民家の敷地の一部となっています。



こちらが、星勝神社。

     20160210山之下城址13



星勝神社のある辺りは、かつての腰曲輪だったのだろうか?

      20160210山之下城址14

星と名が付くから、ひょっとしたら...............
かつては、妙見神社?

な〜んて期待したけど、千葉氏の家紋はどこにも無い。



主郭の城塁になるのだろうか?

      20160210山之下城址15
 
星勝神社の上部は、先ほどの郭跡になります。


公園整備の影響なのか?
はたまた、早い時期から民家が建ったりして
かなり改変されてしまったような気がします。

土塁山空堀と言った遺構は殆ど無いけれど
府馬城の出城だったことを考えてみれば、
元々そんなに遺構は無かったのかもしれないなぁ...............。



2016/02/25 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit